「峠から日本が見える」  :堺屋太一

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 この本は、江戸幕府の元禄時代の社会を政治・経済面や組織・制度面を研究することによって、今
の日本社会や日本人の精神の根幹はこの元禄時代に形成されたものが引き継がれているのではないか
との持論を展開している。
 江戸時代は260年間も長きに渡って続いた時代である。その江戸時代でも、特に元禄時代は政治
面でも経済面でも一つの峠であったと見られている。同じように、戦後の日本の昭和末期から平成初
期にかけては、日本社会の一つの峠であると言われている。そのため、元禄時代と今の時代との間に
は共通点も多く、元禄時代は今の時代の参考になることが多いとのことである。
 日本人の「建前と本音」が非常に乖離していることや、日本には絶対正義はなく話し合い社会にな
ったのは、この元禄時代あたりから形成されたという持論には説得力がある。また、日本は軍国主義
の国だったというイメージが強いが、日本の歴史において、軍国主義時代だった時期はほんの一時で
あり、日本の多くの時代は非武装国家であったという話にも、新鮮さを感じた。
 この本が書かれたのは、今から20年ぐらい前のことであるため、時代背景が今とは少し異なって
きてはいるが、今でもなお参考になる事柄多い。

なぜ今「元禄」か
 ・「元禄」という時代は、今日私たちが日本的なもの、つまり日本の伝統だと思っているものが形
  成された時代であった。そして、元禄時代が経済と文化の成長が一つの頂点を極めた大きな転換
  期、つまり「峠の時代」であった。
 ・日本は建前と本音が非常に乖離した国で、建前を日本と日本人の本当の姿といえば、その根底に
  ある本音が現れたとき、以前にもまして大きな失望、落胆、もしくは悪意を諸外国に与えること
  になるだろう。したがって、まず本音の日本と日本人というものを、われわれ自身が正しく知っ
  ておく必要がある。その意味でも、日本的伝統の形成されたこの「元禄」という時代を知ってお
  くことは大事である。
 ・徳川初期の百年間には、人口は二倍近くにもなったといわれるし、国民総生産も三倍ほどに成長
  したとみられている。徳川初期というのは、日本の歴史の中ではかなり経済成長、技術進歩が著
  しく、産業革命以前の世の中としては、成長性の高い時代であったといえる。
 ・一連の成長と変化が一つの頂点に達したのが元禄時代である。しかし、元禄十年前がピークで、
  それを境としてゆっくり下り坂になり、やがて享保の大不況に落ち込んでいった。
 ・巨大な変化の時代を迎えた1980年代以降において、我々が元禄時代後半の史実から学べるも
  のは多いだろう。だが、この二つの時代には決定的な違いもある。その一つは、元禄時代の日本
  がほぼ完全な鎖国状態にあり、外国の存在を全く意識せずともよかったのに対し、1980年代
  以降の日本は、正しく「世界の中の日本」だということである。
 ・日本人には、日本と外国とを同じ心境で考えることができない精神構造がしみついている。日本
  と日本人には外国の情報が著しく不足し偏向しているばかりでなく、内外を公平な基盤で見る能
  力と習慣が欠けている。そうなったのには、日本の地理的環境が何よりも重要な原因だろうが、
  徳川幕府のとった鎖国政策の影響も少なくなかったことは間違いない。150年以上も貿易依存
  度1パーセント以下の状態が続いたのだから、日本人の国際感覚がいよいよ失われたのも無理は
  ない。
 ・貿易上の鎖国は遠い昔に解かれたとはいえ、日本人の精神的な鎖国的独りよがりは、今でも続い
  ていることを私たちは冷静な眼で見ることが必要である。
 ・その鎖国は、外国の知識と技術と商品の流入を止めただけではない。日本人以外の人間がこの世
  に存在することを前提とした考え方を日本人全部から失わしめた。このことは、日本人が、自己
  を他の国民との比較において正しく理解する習慣を持たなかったことを意味している。
 ・他人と接触することのない人間は、自己を空想化することができる。この世の中のほとんどすべ
  ては相対的に規定されているのだから、他と比較することがなければどんな勝手な自己イメージ
  を持っても、何の不便もないし訂正されることもない。
 ・目的意識の不明確なまま手段の共通性で行動を起こす−忠臣蔵の大石内蔵助が取った方法は、日
  本的プラグマティズムの典型といえる。原理原則にうるさいドイツ人あたりには絶対に理解でき
  ないやり方であろう。こうした方法は、別ないい方をすれば、本音と建前の分離と言える。実は、
  この本音と建前が大きく乖離しているのが日本の伝統の重要な一部である。
 ・日本という国は、決して建前と本音を一致させてはならない社会なのである。我々日本人がこう
  した建前と本音の乖離した伝統に生きてきたことを思い出す必要がある。そしてこのことを外国
  人にも十分に知らせねばならなるまい。日本理解の第一歩として、これが大変重要な気がする。
 ・外国を善と考え自国を悪と見なすこの感覚が、外国の属国になりたがっている人々以外にも少な
  くないのは、誠に奇妙なことだ。それが日本人に実在するのは、おそらくそういう人たちの心底
  に「日本は伝統的に軍人が力を持った軍国主義の国だ」という先入観があるためであろう。とこ
  ろが、これほど誤った日本理解はない。日本は世界一平和な国であり、世界ではほとんど唯一つ
  長期非武装時代の歴史を持った国なのである。
 ・徳川時代の武士はまったく軍事機能を持たず、軍隊組織もなく、軍事行動もできなかった。つま
  り、いかなる意味でも軍人ではなかった。彼らは行政官かせいぜい警察官に過ぎなかったのであ
  る。
 ・長い非武装時代を経験した日本には、軍医優先思想の育ち得ない体質がある。それを逆に考える
  のは自らのために危険であり、外国にいらざる誤解を植え付けるもとにもなる。そんな誤った
  「日本特殊国家論」は百害あって一利ないだろう。むしろ、日本の特殊性を主張するなら、日本
  は本質的に平和な国であり、日本人は殺伐の気風と勇気が欠けている点をこそ強調すべきであろ
  う。
 ・私は、日本の経済が享保の大不況のような破局的な後退に陥ることを予測もしないし、願いもし
  ないが、やはり一つの「峠」にさしかかっているといわざるを得ないのではないかと思っている。

「峠」の経済
 ・今日、欧米諸国をはじめ全世界にみられる不況とインフレの同時進行という経済困難は、まさし
  くこの「石油文明」の崩壊の一現象として生じているものなのである。これに代わって新しく興
  りつつあるのは、これから豊富になる人間の知恵をたくさん使う「知恵の文化」であろう。
 ・物価上昇−インフレは、その初期においてこそ景気振興効果を持つが、ある程度長期に続くとデ
  フレ効果の方が強くなってくる。最近でも1970年代初期、「列島改造ブーム」の頃は景気振
  興効果を持ったが、さらにそれが激しくなった「石油ショック」のあとではデフレになった。物
  価上昇によって人々の消費意欲が低下するうえ、金利の上昇によって投資も衰えるからである。
 ・問題の根本には手をつけないで、現象的な問題を糊塗していくというのは、どこの国でもよくみ
  られる事だが、権限が細分化された官僚機構が古くから発達していた日本では、時に著しい。そ
  れ故、日本はいつも小さな変動は比較的上手に乗り切るが、大変化には対応できず、体制そのも
  のがひっくり返るようなことがしばしば起こるのである。昭和初期の政治もそうだった。欧米諸
  国が大不況にあえぐ中で、日本は比較的良好な方だったが、その比較的良好を保つために繰り返
  した糊塗的無原則政策が、結局太平洋戦争の大破局につながったのである。
 ・元禄は「お米の経済」から「お金の経済」に転換しようとした「峠の時代」であったが、結局は
  それに失敗して、下り坂を転がり落ちていった。新しい「お金の経済」が十分に育たないうちに、
  それを抑制弾圧する政治が行われたからである。もし、この時代の為政者が蛮勇を振るって「お
  金の経済」を推進していたら、その後の日本の歴史は大きく変わっていたであろう。
 ・どうやら日本人の政治家評は、「どれほど世のためになったか」によってではなく、「どれだけ
  自分が苦労したか」によって定まるらしい。政治家に限らず軍人でも、悪戦苦闘を重ね、多大の
  犠牲を払ったことが人物評価の基準になることが多い。悲劇的な最期となった源義経、孤軍奮闘
  した楠正成、朝鮮で苦戦した加藤清正、旅順で多くの兵士と自分の息子を死なせた乃木希典、情
  報もれで戦死するというヘマをやってのけた山本五十六など、いずれも国民的人気がある。日本
  人の評価は、まことに自虐的なのだ。
 ・人類史上空前の長期高度成長をこの国にもたらした原因は何であったか。その答えはいくつかあ
  るだろう。三十年間もこの国を覆い続けた巨大な現象が、ただ一つの原因から起こるわけでもな
  いし、初期の原因と中期のそれとの間にも変化はあろう。だが、その中でもきわめて重要なもの
  の一つが、資源エネルギーや農産物の豊富安価さであったことは間違いない。日本は、国土が狭
  く資源に乏しい国だが、それだけにどこからでももっとも安い資源・農産物を自由に輸入するこ
  とができるという、いわゆる「フリーハンドの買い手の利益」を得たのである。
 ・あの高度成長華やかな時代に、日本で大いに成長した産業は資源多消費型=資源集約型の産業だ
  った。典型的なのは鉄鋼であろう。このもっとも資源集約的な産業こそ、日本がもっとも成功し
  た産業であり、つい最近まで日本の最大の輸出産業であった。
 ・人間は非常に賢明な動物であり、常に「ありあまっているものをたくさん使うのは格好がよい」
  という美意識を持つ。「足りないものを節約するのは正しいことだ」という倫理観も持つ。人間
  は、一方においては不足なものを獲得してボトルネックを打ち破ろうと、技術開発や資源探査に
  立ち向かう「雄々しい英知」を持っているが、他方においては前述のような「やさしい英知」を
  も持っているのだ。
 ・こうした資源エネルギー多消費、人手節約型の消費生活の行きつく先は、「使い捨て文明」であ
  る。そしてそれを満たすものが、大量生産大量流通の供給機構だった。戦後三十年間の高度経済
  成長が築き上げた「石油文明」とは、この大量生産・大量消費の供給と使い捨ての消費によって
  成り立っていたといえるだろう。
 ・だが、1970年代の経験は、この「石油文明」が「峠」を越えたことを思い知らせるものであ
  った。ことのはじまりは、石油の供給過剰から供給不足に変わり、資源エネルギーや農産物の豊
  富安価さに対する信念が、全般的に疑われるようになったからである。このことは、数年の時間
  的ズレを持って、人々の思想にも影響しはじめている。1980年代に入ると、資源エネルギー
  多消費の格好良さが疑われるようになってきたのである。
 ・では、これからはどうなるか。われわれは、「変化を予告」するだけでなく、その「変化の結果
  を予測」しなければならない。恐らく、またして同じことが起こるだろう。つまり、人間の「や
  さしい知恵」が働き、「ありあまっているものをたくさん使うのは格好がよい」と信じるに違い
  ない。技術や資源環境は変わっても、人間性にはさほど変化がないからだ。
 ・それでは、これから「ありあまってくるもの」とは何だろうか。それは「知恵」に違いない。教
  育と情報の普及によって、コンピュータが普及によっても、この世の中で創造され、蓄積される
  「知恵」は、急速に増大しているからである。したがって、これからは「知恵の値打ち」を多く
  含んだ商品がよく売れ、よく使われる「知恵の文化の時代」になってゆくはずである。優れたデ
  ザイン・ブランドのイメージ、多様な機能性などを持つ多種多様な商品の時代である。
 ・世界最高ともいえる高い経済力と強い競争力を持つに至った日本が、この1980年代以降の
  「峠」を越え、さらに一段と発展するためには、今、起こりつつある新しいもの「知恵の文化」
  を育てねばなるまい。
 ・今、われわれが迎えている二十世紀末の「峠」を越えるためには、進歩と変化に対する許容性を
  日本人自身が持たねばならない。徳川時代の人々が再三に渡って繰り返した失敗、つまり「改革」
  「革新」の名によって新しいものを抑圧する愚を、今日の日本が繰り返すことがないように祈り
  たいものである。

転換期の経営
 ・とかく、徳川時代は男尊女卑の時代といわれているが、大阪の商家では女性の地位は非常に高く
  発言力も大きかった。商家の主婦は「御寮はん」と呼ばれ、家庭内の一切を仕切ったばかりでな
  く、使用人の面倒をもみた。徳川時代には丁稚・手代はもちろん、下級の番頭までが住み込みで
  独身だったから、その生活をみる御寮はんの力は強く、人事考課にも御寮はんの意見が反映され
  た。それどころか、商家の主婦は商内や経営にも遠慮なく口出しをした。日本の商人、とりわけ
  上方のそれは、世界で最も早く女性の権利権力が確立した社会であったろう。元禄時代にも女性
  の財産権は夫と別物として保護されていたのである。
 ・大阪で商家の主婦の地位と発言権が強かった原因は、恐らくこの社会に養子相続が多かったせい
  だろう。「金銀が氏系図」といわれた商家では、大名や武家のような封建的特権が乏しく、自ら
  の才覚で財を保たねばならない。したがって、たとえ長男でも才覚のない者には跡を取らせず、
  能力の優れた番頭や親類の者を婿養子としてのれんを譲り、息子たちは気楽な資産収入生活者と
  することが珍しくない。こうした家では、先代の血を引く主婦の地位が高く、発言権も強くなっ
  たのは当然だ。
 ・日本は今、多くの工業分野で強力な国際競争力を持っており、工業製品の自由貿易を主張してい
  る。しかし、日本が強者であり得るのは、貿易・経済の面、それも工業製品に限ってのことだ。
  日本が「良いものを安く売って消費者に歓ばれるのがなぜ悪い」という論理を一方的に振り回し
  ていると、やがて政治力、軍事力の面から手痛い反撃を受け、「お家取潰し」の憂き目を見ない
  とは限らないであろう。世の中の関係は複雑に絡み合っており、あらゆる力関係が相互に影響し
  合うものなのである。

日本の伝統・非武装国家
 ・たった20年前に、日本の財界、産業界は、資本自由化を大変恐れた。今でもサービス業などの
  分野では外国企業の日本国内への進出を規制している。それにもかかわらず、一方では日本企業
  の海外進出を産業協力と称して経済摩擦解消の切り札のごとく考える。外国の企業は利益中心で
  悪意の行動もするが、日本の企業は温情的で、善意をもって相手のために行動すると考えたがる
  発想だ。しかし、実はこれほど危険な考え方はない。日本だけが能動的で、日本の望まないこと
  は絶対に起こらないと思うのは間違いであり、世界を敵に回す結果にもなりかねない。もし、防
  衛費増強に反対する人々が、そんな発想を心の底に持っているとすれば、それこそ戦争につなが
  るものだといわねばなるまい。日本が欲しない時でも戦争を仕掛けられることは大いにある。特
  に日本が外国の意向を無視し続ければその可能性はあり得るだろう。
 ・日本人は、長い歴史の中で、日本国内においては異民族と戦争をした経験がほとんどなかった。
  日本における戦争と言うのは、日本人同士の内戦ばかりだ。しかもその多くは、支配階級の間だ
  けの権力闘争で、欧亜の移民族間戦争に見られるような意味での戦争ではなかった。負けた方の
  支配者、つまり、殿様の一族及び何人かの重臣が切腹すれば、それで戦争は終わったのである。
  異民族間戦争に見られるような住民皆殺しというようなことは一度もなかった。領主が戦争に負
  けたために領民が奴隷に売られたとか、土地、財産を徹底的に奪われたということすらほとんど
  ない。このため、日本人には防衛意識または軍事本能というものが備わっていない。日本の伝統
  に中には、軍事思想、防衛思想というものが全然なかったと言えるのである。
 ・「日本のないものが二つある。それは都市城壁と手錠だ」−あるドイツの知日家がこんな文章を
  書いている。確かにこの二つ、都市城壁と手錠は全世界どこでも文明のごく初期に現れるものな
  のに、日本だけはついぞできなかった。そしてこのことは、日本と日本人の性格を象徴している
  と言える。手錠がないということは、日本文化のソフトウェア性を象徴している、都市城壁がな
  ということは、日本の平和国家ぶりを象徴していると言えるだろう。
 ・日本には城下町、つまり城の側の町はあるが、城内町、城塞都市はまったくない。日本民族に軍
  事意識がまったく欠落してしまったのは当然である。
 ・平和な非武装時代を長く持った日本人が、軍事的に強いはずはない。このことは幕末に至って明
  白に暴露される。たった四隻の黒船で来た六百人の水兵に、約四十万人の武士がいた日本が、事
  実上降参するのである。もし四十万人の武士が軍人であり、日本民族にいささかでも尚武の精神
  があったなら、あれほど簡単にいかなかっただろう。
 ・黒船が来た時の日本は、軍備のない国であって、いかに、軍事的に弱い国であったかを示してい
  る。幕末維新頃の日本は、そのことを知っていたし、日本の弱さを知っていた。だからこそ、た
  った六百人の海兵、四隻の黒船の要求をのんだのである。
 ・ところが、それからたった四、五十年後の大正、昭和初期になると、日本は軍事的に非常にすぐ
  れた国と思うようになり、「大和民族は極東尚武の民」と言い出すようになった。そうなった大
  きな原因は、なんと言っても日清、日露の二回の戦争に勝ったことである。
 ・しかし、日清戦争、日露戦争に日本が勝てたのは、日本が強かったからではなくて、相手が弱か
  ったからである。それはもう明らかな事実で、清朝にしろ帝政ロシアにしろ、それから二十年を
  出ずして、自ら革命で崩壊していくような政権だったのである。
 ・日本が戦争をした相手、清朝や帝政ロシアが弱かったということは、日本の実力ではなくて、幸
  運であった。個人にとっても企業のような集団にとっても、国家民族にとっても、幸運と実力と
  を錯覚するのは大変危険なことだ。その危険は、太平洋戦争の大敗となって現れるのである。
 ・「日本人には正義の感覚がない」と日本を知る外国人はよくこんなことを言う。われわれ日本人
  にとっては、少々耳の痛い、時には腹の立つ表現だが、外国人の目にはそう映るのもいたし方あ
  るまい。「正義」とは、本来「建前」を厳格に守ることだからだ。日本人にはもともと「建前」、
  つまり規則や規範、原則を厳守する思想はない。それよりも、「話し合い」つまり相互の合意が
  優先されるのが常であり、相互の希望に反して規則通りに運営するとか、みんなが不便でも原則
  を守るとかいうことはほとんど考えられない。もしもそんなことを主張しようものなら、「変人」
  といわれて仲間はずれになるに決まっている。
 ・そんな日本人に生まれ育ったわれわれには、外国人、とりわけキリスト教やユダヤ教、イスラム
  教などの世界が持つ絶対的正義感なるものは、およそ縁遠い存在になってしまう。彼らの一神教
  の世界には、「いったん定めた原則や規範は、かなりの不便があっても実行せねばならない」と
  いう意識があり、それを実行することを正義とする倫理観がある。その根源をなすものは「神と
  の契約」という概念だといわれている。
 ・日本人の「正義感の欠如」といわれるものは、「契約概念の欠如」にも通じる。日本では契約よ
  りも話し合いが優先される。そればかりか、契約そのものの中にも「本契約に関して疑義が生じ
  た場合は、甲乙誠意をもって協議する」といった「話し合いの奨め」が加えられるのが常である。
  外国での契約書には、この種の条文はまず見当たらない。
 ・では、どうして日本だけが、こんな話し合い優先の社会、なれ合いの世の中になっただろうか。
  実はこれも、平和国家・非武装国家だった徳川時代と深いかかわりがある。日本が平和・非武装
  国家だったことが、二つの面から日本をなれ合い社会にしたのである。その第一は平和国家であ
  り得た原因、つまり異民族の侵入がなかったことが、なれ合い社会の形成の重要な要因ともなっ
  ていることだ。
 ・今日、諸外国から「日本株式会社」といわれて、日本の官民協調性、官民一体が良くも悪くも評
  判になっている。日本では行政指導がなぜ実現できるのか、非常に疑問を持たれている。何の罰
  則も無く、何のインセンティブがなくても、行政指導をすると、他の不満な企業も大体において
  それに従うというのが、外国人には理解できない。実は、政府の方でも業界全体と協議して、そ
  の主流的な意見を役所が取り上げ、勧告をしているのであって、政府や政治家が独走することは
  ない。そこには、日本的な集団主義、仲間はずれをなによりも恐れる思想とあいまって、全企業が
  従うのである。このことは、日本の政府が「やさしい政府」として長く発展してきた伝統と、平
  和国家・日本政府がサービス政府であったことから発生したものだろう。
 ・外国人に日本と日本人を説明する場合、日本人が勇ましく戦争に強い民族だとか、正義感にあふ
  れた人種だとかいうのは、日本と日本人を誤解させるもとである。平和国家、非武装国家として
  の長い歴史を持つが故に、なれ合いの社会を実現した日本を、正しく、誇りをもって語るべきで
  あろう。

日本的集団主義の忠義心
 ・徳川時代後半、元禄以降の大名家は、所有権がはっきりしない。所有権だけではなしに、あらゆ
  る権限がだれにあるのかはっきりしないという形が生まれてくる。これは「日本的グループニズ
  ム(集団主義)」といわれるものの発生と関係がある。その根源は、大名の「家」が家産ではなく、
  家臣団の共有物という思想だろう。まさに従業員集団が優先されるという意味で、徳川時代の武
  士というのは、今日の企業サラリーマン、あるいは役所の官僚たちの原型を形成しているように
  思われる。
 ・日本的集団主義では、定められた手続きで選ばれた人または機関でも、権限を排他的に行使する
  ことができない。今日の日本国では、総理大臣の権限は、制度上は絶大だが、実際は官僚たちに
  権限が分散していて、総理大臣はそれをほとんど行使できない。
 ・外国の封建社会と日本の徳川時代との大きな違いとして、日本には「国替」という制度があった。
  国替というのは、封建領主社会の中で、徳川幕藩体制特有のものだ。外国の貴族は、みな地方豪
  族から発達した。したがって、外国の殿様は、土地を支配してそこから年貢を取る権利を家産と
  して持つと同時に、領民を支配する権利を持っている。だから不遠慮にも、領民の職業、住居地
  域、あげくの果てには結婚まで干渉する。だから「初夜権」が長くあった。家産である以上、国
  替などないのは当然だ。日本の殿様には初夜権などない。ただ、徴税権だけを持っている。幕府
  によって任命された殿様だという形になっているから、領民と殿様は関係がない。国替のときに
  は家臣団だけが行くのであって、領民がついていったという例はまったくない。
 ・日本の企業は、特に戦後の終身雇用と年功賃金体系によって、従業員一同の共同体という概念が
  持たれるようになった。そしてその結果、元禄以降の大名家に一般化していた集団主義が、企業
  社会にも現れている。つまり、企業を従業員一同の共同体とする思想だ。
 ・今日、日本では従業員一同が使う交際費が、株式配当を上回るほどの金額となり、所有者たる株
  主の権利は軽んじられている。しかもそれは、時として「企業のため」という名目で行われる。
  例えば「欧米の企業では株主の意向に迎合するため、経営者が短期的な利益率を重視するから、
  企業の発展と経済の成長が阻害されている。もっと日本に見習え」というような意見さえ出てい
  るほどだ。それはあたかも、「お家のため」と称して殿様を斬る「忠臣」の論理の焼き直しとも
  いえるだろう。その結果、企業、つまり従業員共同体の利益にかなうことなら何でも善だという
  考え方が生まれた。汚職や産業スパイのような行為でも「会社のために」といえば、かなりの程
  度で許される。逆に、会社の利益を損なうような内部告発や自白をした者は「サラリーマンの風
  上にも置けぬ」と指弾されることが多い。
 ・今日、日本の大組織では、大勢の重役や部課長に権限が分散しており、トップといえども単独で
  重要な案件を決定することができない。このため組織の意思決定は遅く、特定の分野に重大なし
  わ寄せの生じるような変革は滅多にできない。その代わり、一旦、組織としての意思決定が行わ
  れれば、全員が一つの方向に邁進するのですばらしい力を発揮することがある。こうした現象を、
  欧米の日本研究家は賞賛もし、不気味だともいうのである。
 ・今日の大企業や官庁ではだれがいつどうして決めたというわけでもないのに、日本社会全体の雰
  囲気が一つの方向にまとまって、猛烈な勢いで動き出すのだ。批判を許さぬ集団主義的社会ムー
  ドのために行き過ぎた面もあるが、戦後は日本的集団主義の利点が大いに発揮されてきたといえ
  るだろう。しかし、いつの時代でもこれがよい方にばかり発揮されたとは限らない。昭和初期、
  首相も陸軍大臣も参謀総長もが「不拡大政策」を宣言したにもかかわらず、中国大陸での戦火を
  止め処なく拡大していった日本の姿を見ると、日本的集団主義の危険もまた見逃せない気がする
  のである。