昭和の終わりと黄昏ニッポン :佐野眞一

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この本は、3.11大震災前の2010年に書かれたものであるため、内容が一部古いと
ころもある。しかし、3.11大震災のことを除けは、今もそれほど変わっていないだろ
う。平成に年号が変わってから、もう二十三年以上が過ぎた現在、昭和の時代は確実に遠
ざかっている。
思えば、昭和の時代は、昭和何年というように習慣的に和暦で考えていたが、平成の現在
は、西暦で考え和暦考えることがなくなった。それだけ昭和の時代と平成の時代は違う時
代になったということなのだろう。昭和から平成へと、移り変わりの時代を経験できたと
いうことは、ある意味でしあわせだったのかもしれない。
私的に考えても、昭和の時代は、この本の中でも述べられているように、昨日より今日、
今日より明日の生活が良くなるという、経済の成長を実感できた時代だった思う。そして、
平成の時代は、停滞館、閉塞感ばかりが漂う時代である。歴史的に見ても、どんな国も永
遠に成長できた国はない。日本という国も成長期が過ぎ、人間に例えると、中年以降のよ
うな、黄昏の時期入ったということなのだろう。
それならば、それを受け入れギアダウンして、黄昏の国らしい国のあり方があるのではと
思うのだが、それがまったく見えてこないのが、この国の悲劇なような気がする。いつま
でも、過去の特異とも言える高度成長期の頃の思いを捨てきれず、ギアダウンできないで
いる。

まえがき
・歴代総理の名前を列記するだけでもうんざりしてくるのは、時代が下がれば下がるほど
 政治家が「小粒化」していくことが歴然とわかるからである。とりわけ平成21年8月
 30日の民主党の地すべり的大勝利による「政権交代」後の宰相は、リーダーと言うに
 値する人物は一人もいない。
・菅内閣の不信任決議をめぐる茶番劇を見て、ほとんどの国民はこの国は本当にダメだと
 思ったのではなかろうか。
・彼らは被災者が耐えに耐えていることをいいことに、栗しい避難所生活をつづける被災
 者に甘えているだけである。日本はいつからこんな情けない国になってしまったのか。
・昭和という時代がよかったなどと言うつもりはない。しかし、閉塞感ばかり漂い、希望
 の光がまったく見えない平成の時代に比べれば、バブル景気に浮かれた昭和末期の狂乱
 状態さえ、いまとなっては懐かしい。

偉大な君主の死
・毎年3万人を超える自殺者が10年以上つづき、分厚い閉塞感に覆われて誰も将来に希
 望の持てない現在の日本から見ると、バブル景気に浮かれえ札束が乱れ飛んだ昭和末期
 は、そんな位世の中とはまったく正反対のワンダーランドともいうべき陽気な時代でも
 あった。
・昭和天皇は皇太子時代、病弱な大正天皇を側近の牧野伸顕らが「棚上げ」する形で、摂
 政となり、事実上の天皇の座を奪い取った。そのトラウマまじるの強迫観念が、病によ
 る退位を峻拒する不退転の決意となり、天皇の座は生涯譲らないという強い意思となっ
 たのではないか。昭和天皇は死ぬまで現役天皇でありつづけることにこだわった君主だ
 った。
・米軍の沖縄駐留は天皇自身の希望だったことが、明らかにされたわけである。五十年以
 上の租借といっていることから考えて、昭和天皇は自分の目が黒いうちに沖縄が復帰す
 ることはないと考えていたのかもしれない。
・沖縄は太平洋戦争で日本の捨石になっただけでなく、戦後日本の平和と安全を保証する
 人身御供になった。その思いは、時を経るごとに贖罪感となって天皇に重くのしかかっ
 ていった。
・昭和天皇が侍医師団も驚くほどの奇跡的な回復をみせ、命の炎を最後まで燃やし尽くす
 ことができたのは自らの肉体の変調を自覚し、後世に伝えなければならない言葉を残さ
 ずには死んでも死にきれないとの思いがあったからに違いない。
・昭和天皇は最後の立憲君主だったと思います。戦前に君主としての教育を受け、戦後、
 人間宣言をしましたが、根本においては戦前の精神と変わらずに亡くなった。今の天皇
 ・皇后の時代になって、初めて象徴天皇の時代になったと言えるのではないでしょうか。

「平成」改元の内幕
・昭和天皇は現天皇が即位したときより三十歳も若い二十五歳で即位し、一身にして戦争
 と繁栄の二世を生きた。昭和という元号が強いインパクトをもつのは、昭和天皇がたど
 ったそのドラマチックすぎる人生ゆえんだろう。それに比べ、平成のという元号は昭和
 生まれがほとんどと思われる本書を読む人にとって、昭和ほどなじみがないのではない
 か。
・われわれはいつしか、何事も西暦で考える習慣を身に付けてしまった。平成という年号
 を自分の人生の出来事に重ね合わせて思い浮かべる人はそういないはずである。そこに
 昭和という時代との決定的な落差がある。
・日本は好むと好まざるにかかわらずグローバりリズムの波に呑みこまれている。サブプ
 ライムローンの破綻によるアメリカ発の大不況が、瞬時にして地球規模で広がる時代で
 ある。そんな世界史的潮流を考えるなら、元号制も大喪の礼も徐々に形骸化していかざ
 るを得ないのではないか。
・平成に皇后となった美智子妃は、天皇のことを公的な席では「閣下」と呼び、プライベ
 ートな場所では「おとうさん」と呼んでいる。さらに雅子妃は、皇太子のことを公的な
 場所では、「閣下」と呼び、家庭では愛子内親王に「パパ」「ママ」よ呼ばせている。
・わずか二十年の間のこの呼称の変化には、昭和の重圧を脱却した平成の開放感が象徴さ
 れている。それだけではない。そこには、皇室の権威失墜の兆候が、それ以上の強いイ
 ンパクトで刻まれている。

昭和の終わりと黄昏ニッポン
・竹下登の退陣、青木伊平の自殺、そして松下幸之助の死。昭和が終わり平成が開幕して
 間もなく起きたこれら一連の出来事は、昭和という時代が「叩き上げ」タイプの人間が
 活躍できた最後の時代だったことを語っている。そして平成という時代が、こうした
 「叩き上げ」タイプの人間をもはや必要としなくなった、というより排除する時代の始
 まりだったことを端もなく示している。
・竹下の退陣と青木の自殺には、当時ベンチャー企業の旗手といわれたリクルート創業者
 の江副浩正が深く絡んでいる。この東大出の白面の青年実業家の登場が、昭和に代わる
 平成の時代の到来をなおさら強く印象づけている。
・値上がり確実のリクルートコスモスの未公開株を政治家、官僚、実業家にばらまいたリ
 クルート事件は、日本社会に「子どもの資本主義」による企業経営がはびこりはじめる
 端緒だった。そして、その幼い精神の系譜は、江副と同じ東大出身で「金で買えないも
 のはない」と豪語して世間からひんしゅくをかった堀江貴文が引き起こした平成十八年
 のライブドア事件まで尾を引いた。
・二年と少しの間に、円のドルに対する価値が二倍以上になる、異常な「円高時代」とな
 ったのである。これが「バルブの時代」の始まりだった。円高によって実質所得は増大
 の一途をたどり、国民の消費意欲は、絵画や宝石、ブランドファッション、海外旅行、
 高級車へと向かった。地価も株価も天井知らずの上昇をつづけていった。新聞はこぞっ
 て「マネー欄」を特設し、株をやらない者は人間にあらずとでも言わんばかりの論調を
 流しつづけた。いまから見れば、すべてが無礼講の一億発情時代だった。
・バブル時代とは証券会社や金融機関にとって、貸し方の責任がまったく問われない、夢
 のような時代だった。それは子どもが自分の思い通りに遊ぶことができたワンラーラン
 ドのような世の中だった。
・竹下内閣の最大の仕事は、消費税の導入だった。消費税の導入は「おしん総理」といわ
 れた竹下さんでなければできなかったと思います。もしあのとき消費税を導入しないで、
 所得税依存体質のままだったら、現在の財政状況はどうなっていたか。それを考えると、
 いまごろきっと革命でも起きかねないようなことになっていたと思うんです。
・日本の消費社会は、まだ昭和の時代がつづいていた頃から確実に変質を遂げつつあった。
 それは「よい品をどんどん安く売る」中内ダイエーの時代から、「価格は高くても自分
 のライフスタイルに合った商品を選ぶ」高度消費社会への転換を示していた。
・松下電器に真っ向から歯向かった中内ダイエーが平成十六年十月に産業再生機構入りし
 て、事実上経営破綻したのは、これまでの成功体験にとらわれるあまり、こうした高度
 消費社会の到来に対応できなかったからだともいえる。
・昭和を代表する経営者が、家電製品と大量消費をテコに、貧しさからの脱却を目指して
 消費者の圧倒的な支持を得た松下幸之助と中内功というカリスマ型経営者だったとすれ
 ば、私の見るところ、平成の経済社会を象徴するのは、何を信じていいかわからないこ
 のおかしな時代によく見合ったトリックスターともいうべき経営者たちである。
・百円ショップの最大手の「大創産業」社長の矢野博丈、通販大手の「ジャパネットたか
 た」社長の高田明、この二人の経営者は構想力や器量の大きさでは幸之助や中内には到
 底及ばないが、平成という時代の特質を巧みにとらえて成功したユニークな経営者だと
 はいえる。
・「平成という時代は、売り方も買い方もすっかりかわってしまったんです。」この言葉
 は平成という時代の消費のあり方を的確にとらえている。
・人と人の付き合いの根幹をなす生産と労働を目的に従属させた大量消費社会の到来は、
 人間を孤独に陥れるだけだ。
・消費社会のさらなる高度化は、人間を孤独に陥れただけではなく、平成のいま、孤独と
 なった日本人のエンターティメントにまでなりさがってしなったのだろうか。
・平成元年十一月、ベルリンの壁が崩壊した。この報を聞いたとき、東西冷戦時代がつい
 に終わったか、という感慨はあったものの、その影響のはかりしれない大きさまでは思
 いをいたすことはできなかった。それから二十年経った現在の日本の絶望的状況を重ね
 合わせると、ベルリンの壁崩壊の地球規模的といってもよい影響力の大きさにいまさら
 ながら唖然とさせられる。
・昭和四年から始まる世界大恐慌からアメリカを立ち直らせた本当の功労者は、連合艦隊
 司令官の山本五十六だったのではないか、という。山本五十六は世界恐慌からまだ立ち
 直れずにいたアメリカに、真珠湾攻撃を仕掛けて立ち直らせてしまった。とたんに工場
 はフル稼働で、家庭の主婦まで総動員となった。これでアメリカの不況問題は一挙に解
 決した。
・ベルリンの壁が崩壊しソ連が解体して、これまでのような軍事一辺倒ではやっていけな
 くなった。そこでアメリカの新たな国家戦略として出てきたのが、インターネットと金
 融資本主義の開放だった。インターネットの開放といっても、マイクロソフトやインテ
 ルが大本を押さえているから、日本や韓国や台湾が一生懸命パソコンをつくればつくる
 ほど、アメリカに巨額のライセンス料が入ってくる。
・世界中の人が汗水たらして働いて稼ぐGDPは約五千兆円に過ぎません。世界第二位の
 経済大国といわれる日本のGDPでも約五百兆円しかない。しかし、実需に結びつかな
 いヘッジファンドなどが動かしている資金は、日本のGDPの十倍以上の六千兆円もあ
 る。
・だけど実際には六兆円なんて金は、どこにも存在していない。それを動かしているのは、
 MITなどで金融工学を学んだ理系の秀才です。コンピュータで管理された買いシグナ
 ルが出るとみんあ買う、売りのシグナルが出るとみんな売る。だから実需は別に変動
 しないのに、石油があんなに暴騰したりするわけです。そんな連中が、限りなく虚に近
 い金融取引をほとんど誰も気づかないうちに約二十年前からつづけてきた。
・日本のマスコミも勘違いして、金を稼ぐこと=グローバルスタンダードと考えていた。
 けれど、現在の異常と言うしかない金融のあり方は、せいぜいウォールストリートスタ
 ンダードであって、ユタや系やチャイニーズ系、インド系のディーラーが大半を占めて
 いる彼らは、保守勢力のWASPが本流のアメリカンスタンダードですらないのです。
・ベルリンの壁の崩壊から始まったすべての欲望を相場にかえる金融資本主義の高波と、
 すべての情報をヴァーチャルリアリティーにかえるインターネットのうねりは、これだ
 けにとどまらなかった。平成元年から始まった世界史的潮流の変容は、さらに日本人の
 精神を根底から蝕んでいった。
 
「物語」の終焉はなにをもたらしたのか
・人間は良くも悪くも「物語」がないと生きていけない動物である。昭和という時代は間
 違いなく大きな「物語」だった。それが終わる頃、宮崎勤事件が起きた。これは象徴的
 である。殺された女の子はたまったものではありませんが、宮崎は昭和に代わる「物語」
 を自分の頭の中でつくろうとしたんじゃないでしょうか。
・でも、現実にはもう「大きな物語」は望めない時代です。昭和が終わった頃から始まっ
 た閉塞感はそれほど大きく日本の社会を覆っている。物語をつくるには、市販のゲーム
 やビデオを買ってきて、自分の頭の中でファンタジーをつくるしかない。
・宮崎の逮捕から約五年半後の平成六年十一月、多摩川の橋の上から飛び込み自殺をした
 宮崎の父親が、法廷で述べた興味深い証言が紹介されている。それによると、宮崎は昭
 和天皇の崩御と盛大な大喪の礼の様子を伝える新聞をいちまでも大切にしていたという。
・日本という国は、敗戦にあたって昭和天皇の戦争責任を不問に付し、戦争がもたらした
 災禍をみてみぬふりをしてきた。いわば戦争のトラウマを解離させ、忌まわしい記憶を
 追放させたからこそ、いち早く戦後復興を成し遂げ、高度経済成長を達成して世界第二
 位の経済大国に成り得たのではないか。
・歴史を記憶にまたがる時空間から、時間を外し、空間だけを物質的繁栄で埋め尽くすこ
 とに向かってひたすら邁進してきたこの国は、いわば「解離性同一性障害」を引き起こ
 している。宮崎はむしろ、歴史を遮眼して驚異的な経済発展を遂げた結果、どこに行っ
 てもただのっぺりとした町並みだけが広がり、内部には凶暴な攻撃性を隠したこの国の
 姿そっこりに自分をつくりあげていったのではないか。
・しかし、こうした歴史認識を持って戦後の日本を見る世代は、日本の貧しさを知る最後
 の世代にして、日本が豊かになっていくころを最初に実感した「団塊の世代」が、ぎり
 ぎりだろう。
・いまの子どもは昔に比べて「知的基礎体力」が著しくかけている。その劣化のはしりが、
 オウム事件だったのではないでしょうか。修行すれば体が浮く。そんな馬鹿げたことに、
 高学歴、高収入の家庭の子供たちが簡単に騙されている。これは「知的基礎体力」が完
 全に欠如している証拠だ。
・生きるための勉強は、学校に行かなくても地域社会で学べばいい。それが崩れたのは、
 昭和から平成にかけて拝金主義が跋扈したせいでしょう。いい大学に入って、いい会社
 に就職することが、至上の命題になった。しかし、いい大学、いい会社に入るのは得意
 であっても、その前段階として、あるべき人間としての「知的基礎体力」がなくなって
 いる。食品の賞味期間の問題にしたってそうでしょう。そんなものにとらわれれる前に、
 自分でにおいをかいで判断すべきなんです。
・東大を出てベンチャービジネスを興し、政財界人に値上がり確実の未公開をバラまいた
 リクルートの江副浩正は、思えば、拝金主義者の先駆けだった。
・昭和が終わってベルリンの壁がなくなりソ連も崩壊した。ソ連が崩壊しなければ、オウ
 ムもあんなに簡単に武器を入手することができなかった。あの頃はバブル真っ盛りで、
 資金調達が楽にできたことも大きかった。その一方、すべてカネというバブルの風潮に
 ついていけない人たちもいた。そういう人たちが精神的なものを求めてオウムに入り、
 妄想を膨らませていった。
・私たちの多くは、麻原のつくりだした荒唐無稽な物語をあざ笑ったたが、わたしたちは
 荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな物語をもつことができているのだろうか。
・オウムは高い教育を受けたエリートがいたにもかかわらずという文脈ではなく、逆にエ
 リートだからこそ、あのような世界に行ってしまったのではないかと考えるべきではな
 いか、それと同時に、優秀なエリートが支配していたからこそ、満洲はノモハン事件の
 悲劇を引き起こす結果になったのではないか。

ルポ下層社会
・足立区は歴史的に見て、低所得者層の受け皿として機能してきた面があります。かつで
 は関東大震災、東京大空襲の被災者が、どっと流入してきた。そして戦後は、地価が安
 かったこともあって、都営住宅が次々と建設されました。
・かつての都営住宅の入居者は中堅サラリーマン家庭が中心で、貧困のイメージがあった
 わけではありません。しかし現在は高齢者や低所得者世帯が主に居住していることは否
 定できない。外国籍の子どもが多いことも足立区の特徴の一つである。
・就学援助を受給している主婦たちが、遠くに行く必要がないので足立区をほとんど離れ
 たことがない。飛行機に乗ったこともデパートに行ったこともないと言ったとき、足立
 区の貧困の本質が見えたと思った。
・一度落ち込んだら、二度と這い上がることが困難な格差拡大社会は、足立区という東京
 の「川向こう」に確実に吹き寄せら得ている。そしてそれを誰も見て見ぬふりをして口
 をの拭おうとしている。
・竹ノ塚は、足立区一の夜の町だといわれる。竹ノ塚駅の西側は、あやしげな飲み屋が密
 集した一帯である。
・「足立区は坂がないから、どこへでもチャリンコでいけるよ」、この答えには目からウ
 ロコが落ちる思いだった。足立区では流しのタクシーを拾うことはかなり難しい。どこ
 へ出かけるにも自転車で済ませる習慣が身についているから、流しのタクシーという概
 念自体がそもそも成立しないのだろう。
・買い物に行くのは、草加以外ではせいぜい北千住か赤羽だという。その屈託のない答え
 に新鮮なショックを受けた。と同時に、都心の高級マンションに住み、銀座の高級ブラ
 ンドショップで、金に糸目をつけずに高価なバッグやアクセサリーを買い漁るセレブな
 女性たちとの間に横たわる埋めがたい落差を感じた。「シロガネーゼ」と呼ばれる富裕
 階級の主婦たちと「アカベネーゼ」とでも呼ぶべき竹ノ塚のホステス。彼女たちが生涯
 でクロスする機会は、おそらく永遠にないだろう。
・闇金の彼らはほとんどヤクザがらみで、絶対、「客」と顔を合わせません。融資の受付
 から催促まで、すべて電話一本でやる。融資額は二万円から五万円くらで、利息はめち
 ゃくちゃ高い。例えば二万円借りたら毎週一万円払わされる。
・闇金は担保はとらないかわりに、融資する際、子どもの学校や親兄弟の連絡先を巧みに
 聞き出す。そして支払いが滞ると、そこに片っ端から電話を入れる。それがいやさに、
 債務者は延々と不当な利息を支払い続けることになるんです。
・足立区は、自己破産の額が都心に比べて極端に低いんです。百二十万円くらいの借金で
 も自己破産しちゃう。足立区の都営住宅のあたりに住んでいるケースだと、月収十万円
 そこそこっていう家庭も多い。そもそも、そんなに多額の借金ができないんです。
・いまや闇金の格好の標的となっている足立区の貧困は、こうした救いのない犯罪をいつ
 誘発させてもおもしくない危険性をはらんでいる。
・東京二十三区の生活保護世帯の一割以上、日本お生活保護世帯の約一パーセントが集中
 する中で、国民健康保険料の未納者が増大し、二万人もの小中学生が就学援助を受けて
 いる足立区の状況は、貧困生活に甘んじて趣味などに生きるニートの若者たちを新しい
 トレンドとしてむしろプラス気味に評価する「下流社会」とはまったく別物である。
・就学援助受給者が急増する社会とは、一見気が利いたそんな流行語の世界を遥かに超え
 た「下層社会」到来の前兆であろう。自殺者が年間三万人台で推移し、ブルーシートの
 ホームレスが激増する日本社会は明らかに底が抜けはじめている。
・所得格差を示すジニー係数は年々悪化し、「勝ち組」優遇の税制改革の結果、所得の再
 配分機能は大きく低下した。
・戦後日本は富の分配、再分配に関して、総じて公平な社会がつづいてきた。そうしたケ
 インズ型社会が、2001年の小泉政権の誕生と構造改革路線以降、アメリカ流新自由
 主義を理想に掲げたハイエク型社会にかわった。その小泉改革のしわ寄せを一身に受け
 ているのが、格差社会が著しく進行し、その最底辺に叩き落とされつつある足立区だと
 いえる。
・比喩的にいえば、日本はごく少数の「勝ち組」、すなわちひと握りの「六本木ヒルズ族」
 が、生活に困窮する「足立区」の上に君臨する、弱肉強食型社会に大きく階層分化しよ
 うとしている。
 
ドバイの百円ショップで見えたこの国の将来
・ドバイの面積は、日本の埼玉県程度しかない。そこを駆け足てで回って見聞きしたのは、
 日本では絶対に考えられない圧倒的豊かさと圧倒的貧しさだった。それは「格差社会」
 などという手垢の付いた言葉では説明できるような代物ではなく、陳腐な表現だが、こ
 の世の天国と地獄を目の当たりにするようだった。
・世界一の高さを目指して建設中の建物と、灼熱の炎天で働く出稼ぎ労働者の対比は、ピ
 ラミッド建設に国中から駆り出さて、ムチで働かされる奴隷を彷彿とさせた。
・かつての日本はたしかに頑張れば何でも手に入る国だった。少なくともそんな幻想を誰
 でも持てる国だった。しかし、「みんな中流」という横並び意識を日本人全員が持てる
 時代は終わった。それは日本という国が、ドバイのようによくも悪くも強いリーダーシ
 ップをもって引っ張っていく国ではなく、二世、三世の国会議員が跋扈していることに
 象徴される、流動性を著しく欠いた、「格差社会」国家になってしまった結果なのだろ
 うか。
・ドバイ空港は深夜にもかかわらず昼間歩いた巨大ショッピングモールのような活気と賑
 わいだった。そこから夜をついて降り立った関空は、ドバイ空港とは比べようもない暗
 さとわびしさだった。その背後には、ダイソーや「百円ローソン」で食品を買い漁り、
 「五十銭パチンコ」でこの世の憂いさを刹那的に晴らし、働けなくなった体を活気も殺
 気もなくなった山谷のドヤ街に横たえる夢も希望もなくした人々がうごめく社会が、黒
 々と広がっている。私は極東の黄昏の小国に帰ってきたという悲哀をいまさらながら強
 く感じた。
・ドバイは出稼ぎ労働者の絶対的貧困など様々な社会矛盾を抱えている。だが、その留保
 つきでいえば、ドバイの将来の夢と希望があることだけは確かである。
・かつて村上龍は「日本には何でもあるが、希望だけがない」と述べた。希望のないまま
 なんの取り柄もない貧困社会に突き進むその日本が、ドバイの矛盾をあげつらってあざ
 笑うことだけはやめよう。
・ドバイに飛ぶ直前、目撃した山谷の光景が忘れられない。そこは、ドバイの出稼ぎ労働
 者以上に悲惨な状況にある。

山谷・沖縄・竹ノ塚 貧困の三都物語
・2008年のリーマンショックによる百年に一度といわれる大不況の襲来以来、貧困問
 題や派遣切りの話題がメディアにとりあげられない日はなかった。しかし、われわれは
 その問題の根底にぶ厚く堆積した現実は見ようとしなかった。その典型がここに吹き寄
 せられた人びとである。われわれは、ここにたむむろせざるを得ない貧しき人びとの群
 から無意識に目を背け、見てみぬふりをしてきたのではないか。
・山谷はくたばりかかっています。今生の地域といってもいい。古いドヤがつぶされ、次
 々とクリアランスされている。その中で、「元日日雇い労働者」たちは、生活保護を受
 けながらゆっくり死に絶えいているところです。
・彼らを救うのは政治でも宗教でもありません。彼らが本当に必要としているのは、「貧
 困を憎む闘争心」ではなく、「母性」なんです。実際、彼らは女性スタッフにケアされ
 ると、子どもに帰ったように甘えるんです。彼らはそこに、母や姉、そして果たせなか
 った結婚生活を見るんです。
・沖縄で働く労働者の二人に一人が、年収二百万円以下、五人に一人が年収百万円以下と
 いう過酷な現実にされされているのです。沖縄県の雇用形態の特徴は、非正規雇用が際
 立って多いことである。
・失業率はどうか。2009年5月現在、沖縄県の完全失業率は8.6パーセントにもの
 ぼった。こうした傾向に拍車をかけているのは、沖縄県最大の収入源の観光客の減少で
 ある。
・沖縄が「常夏の楽園」というのは、観光業者の宣伝文句でしかない。本土経済に依拠し
 た沖縄は、いま本質をさらけ出して、東シナ海に浮かぶ「日本最貧の島」となっている。
・沖縄各地に設けられたコールセンターへの就職を勧めるビデオが延々と流れていた。だ
 が、誰もその画面には目を向けようとしていない。顧客への電話対応を業務とするコー
 ルセンターの劣悪な職場環境はつとに指摘されているところである。私は沖縄の悲しい
 現実をいまさらながら見る思いがした。
・いまの時代は本当に迷子ですね。沖縄にいると東京がよく見えるんだよ。いま永田町で
 何が起こっているかもよくわかる。いまの日本人は怒ることを知らない。楽しむことを
 知らない。電車に乗るとみんな死んでいる。東京の電車は棺桶にしか見えないよ。
・大都市とホームレスは切っても切れないんだ。枯れ木の山もにぎわいで、人が集まれば
 町も発展する。ホームレスを排除しちゃいけないんだ。
・貧困は、高齢者、障害者、そして女、子どもを直撃する。その前では、政治も宗教も無
 力である。日本中に根を張った貧困の連鎖とそれにともなう知的レベルの低下は、政治
 や宗教では救うことができない。
・貧困というなら、政治も宗教も沖縄のハイパーホームレスがいう「迷子になった時代」
 をそのまま放置してきたことこそが、日本の本当の貧困である。
 
自殺大国ニッポンの正体
・自殺者増加の勢いがとどまることを知らない。自殺者の数はこの十年、年間三万人台で
 推移してきた。三万五千人という数は、一日あたりほぼ百人が自殺している計算になる。
 野球なら十一チーム、サッカーなら九チームがたった一日で消滅する事態は、どう考え
 ても尋常ではない。
・とりわけ深刻なのは子どもの自殺の急増である。学業不振やいじめ、家庭問題などが原
 因とされるが、いま日本を覆っている分厚い閉塞感が、子供たちにも伝播して将来の希
 望を失わせ、幼い命を絶たせている。それが私の見方である。
・一日に三人近い子どもが自殺するこの国は、完全に社会の底が抜け、弱者を次々と死に
 追いやる政治なき「内戦」状態となっている。
・いまから自殺しようとする人が電話してくるんですから、矛盾していますよね。独りで
 旅立とうとしているのに、人の匂いを求めて電話してくるんですからね。人は死ぬとき
 でさえ、人を必要としているんですよ。
・社会を覆う不透明感が子供たちを含めた自殺者を急増させる誘因になっているのではな
 く、逆に透明すぎる世の中だから自殺が増えているのではないですか。いまの社会は十
 年後の自分が見通せるでしょ。だから逆に希望が持てなくなってしまう。
・インターネットの普及などによる見通しがききすぎる世の中の到来は、逃げ場のない社
 会を出現させ、簡単に絶望を招く温床になっているとはいえる。
・年間二万人から二万五千人前後で推移していた日本の年間自殺者数が突然、三万人台に
 突入したのは九八年だった。前年の自殺者に比べて八千人もの増加を見せる異常な事態
 となったのである。
・その前年の九七年十一月に北海道拓殖銀行と山一証券が相次いで経営破綻します。失業
 率や倒産件数が急増したのもこの年でした。自殺にはうつ病や、家庭不和、過労など様
 々な要因がからんでいますが、十一年連続三万人台の自殺者という事態は、明らかに経
 済問題が引き金になっています。
・東京マラソンの参加者は約三万二千四百人です。道路がランナーで埋め尽くされる状態
 が約二十分続くことになります。これとほぼ同じ数の人が十一年連続で自殺しているの
 です。
・未曾有の大不況との関連で注目されるのは、自衛官の自殺である。一般自衛官の定年は
 五十四歳です。年金支給まで十年ある。かつてなら第二の就職先がいくらでもあったが、
 この不況では民間に就職したくともできない。隊内の人間関係からくるストレスに将来
 の不安感が加わって、死に追いつめられるケースが多いのではないか。
・日本の十万人あたりの自殺者は二十三・七人で、アメリカの二倍以上、イギリスの三倍
 以上となっている。これはいわゆる先進国の中で、世界一の自殺率である。
・駅で電車が遅れるのを経験したことのない人は一人もいないはずである。そのとき私た
 ちの頭には、飛び込みがあったから電車がおくれているんだな、迷惑だなという思いが
 浮かぶだけで、自殺した人間のことまで思いをめぐらす人はまずいない。想像力はそこ
 でとどまり、私たちの思考は再びあわただしい日常生活に埋没していく。
・自殺の手段で最も多いのは、首吊り、練炭などのガス自殺、ビルなどからの飛び降り、
 薬物自殺、入水などとなっている。これら上位の手段による自殺に接する機会はまずな
 いが、これよりずっと下位の手段による鉄道自殺の影響は誰でも感じた経験を持ってい
 る。
・おぞましく生々しく、そして悲しい自殺の世界が広がっていくのは、私たちが迷惑だな
 と思うだけで想像力を停止してしまうその地点の先である。
・生涯一度も人身事故にあわなかったという運転士もまれにはいますが、たいていは一、
 二回はやっている。二回やって運転士は一人前っていわれます。京浜東北線の往復で轢
 いた人もいます。
・衝突の衝撃で、たいてい服は脱げていますね。内出血のせいなのか、体がぱんぱんに晴
 れ上がった死体もありましたし、頭蓋骨が外れて顔だけぺっしゃんこになって線路に乗
 っていた死体もあった。手足のない死体なってしょっちゅうです。
・山手線の運転士が一周回る間に三回轢いたケースも昔ありました。
・飛び込み自殺をした人の頭部が列車にはねとばされて、ホームのベンチで本を読んでい
 る人の目の前に飛んできたこともあったそうです。その人は、突然、飛んできた生首に
 錯乱状態になり、救急車で運ばれたということでした。
・ビルの八階から飛び降りてそのまま足が胴体にのめりこんで、ダルマさんみたいになっ
 ている死体もあったそうです。
・鉄道への飛び込み自殺に関して広く人口に膾炙しているのは、新幹線に飛び込んでJR
 から二億円も請求されたという類に話である。
・人身事故に対する損害賠償の内訳は、@1人件費、A振り替え輸送費、B車両修理費に
 大別できる。@の人件費とAの振り替え輸送費を合わせても、通常、数十万円から数百
 万円にしかならないので、巷間いわれる二億円請求されたという話は「都市伝説」に過
 ぎない。
・ただ請求に関しては、株主に責任を果たすという企業の建前から、自殺した遺族の支払
 い能力をしっかり精査した上で必ず行うが、算出額より減額することもある。
・残された遺族が損害賠償に応じない場合、法的手段に訴えることもありえる。また、遺
 族が相続した場合は、損害賠償自体をあきらめる。
・以上のことを考えると、鉄道会社側から請求される損害賠償額は、こく常識的な線にお
 さまると考えていいだろう。
・明日は今日よりよくなると信じて生きてきた高度成長世代にとって、明日は確実に今日
 より悪くなる社会の到来は、誰がいつ自殺してもおかしくない絶望的な気分を醸し出し
 ている。
・この島にUターンして一番驚いたのは、イスラムのコーランのように、毎朝、読経の声
 が流れていることでした。そんな雰囲気が自殺の歯止めとなっているんじゃないでしょ
 うか。
・ギアチェンジすることが大事と言うとったが、わしらにとってはこの島に帰ってきたこ
 とがギアチェンジじゃなかろうか。
・島民の間に信仰心が深く根付いていることをあたらめて思い知らされた。この島では全
 員が新山の得度で生前戒名を持ち、死装束の経帷子まで用意している。
・日本いのちの電話連盟の職員によれば、電話回線の問題などで、電話してくる人のうち
 実際につながって相談できるのは三パーセントしかないという。
・自殺では通夜も葬儀もやらず、火葬場直行という形で済ませるケースが多いですね。こ
 れを私たちの業界では「直葬」と呼んでいます。経済的な理由もあるんでしょうが、私
 たちが扱う葬儀の二割ぐらいは、すでに「直葬」となっています。
・この国の政治も宗教もほとんど力を失い、人の命は明らかに軽んじられる。そして死な
 れてしまった者に向けるまなざしは氷のように冷たい。自殺問題に見て見ぬふりをする
 この国に光はなく、完全に病みきっている。
 
医療崩壊時代の名医たち
・例えばうちでもわからない病気があって、聖路加病院に紹介するケースがあるわけです
 よ。聖路加病院はは80パーセントが個室で、大部屋は20パーセントしかない。で、
 生活保護受給の患者さんなんですが、と言うと、それだけで断ります。もう全然クリス
 チャンなんかじゃない。だいいち、あの日野原先生っていうのは、なかなかの商売人な
 んですよ。
・腹の中では聖路加病院は貧乏人を相手にしない病院だと思っていても、ここまではっき
 り口に出して言う医者は、会ったことがない。日野原は医学会では、「聖医」とまであ
 がめられる存在なのである。
・自分の職業に誇りを持って、しかも希望を語れる人物が、いまの日本の政治家にいるだ
 ろうか。政治家の言葉は、本来最高の道徳であり、未来を照らす希望の光だったはずで
 ある。だが、そこにはなにひとつ光明がない。ただ閉塞感が漂うだけである。「政権交
 代」しても世襲政治家か事務屋政治家しか生まれない暗澹たる日本の政治状況のせいだ
 からなのだろうか。
・昔は感染症系の病気多かったので、病院がないとほとんどの病人は死んでいた。ところ
 がいまは、生活習慣病が主流になっている。だから、タバコをスパスパ吸って、酒をが
 ばがば飲んで、何も運動しないやつは、どんなにいい病院があっても、無駄だというこ
 となんです。
・医療は別に医者や看護師の専売特許じゃないと思うんです。医療で最も大切な「寄り添
 い」や「支え」は誰にでもできる。そのことを国民みんなが考えていくことが、医療崩
 壊を未然に防ぐことにもつながるんじゃないでしょうか。 
 
あとがき
・私たちはついこの間まで「みんな中流」という「横並び社会」に生きていた。それがア
 メリカ流新自由主義の洗礼と、二世、三世議員の跋扈に象徴される流動性の著しい停滞
 によって、「縦並び社会」に変わった。
・その「縦並び社会」もリーマン・ショックによる百年に一度といわれる世界的大不況に
 よって、仰ぐべき天井は日ごと降下を続けている。昭和が終わって二十一年経ったいま、
 私たちは空がにわかに低くなる圧迫感と、自分のよって立つ地面が蟻地獄にはまってす
 り落ちる崩落感に挟撃されている。
・日本一国でアメリカ全土を買い取る勢いまであったバブルの時代に比べれば、現在の日
 本はアジア大陸に盲腸のようにはりついた極東の黄昏の小国に急速になろうとしている。
・格差化は確実に進行し、貧困は完全に固定化された。そして、自殺者は十一年連続で毎
 年三万人を超えている。これは阪神淡路大震災クラスの大地震が、一年に五回襲ってく
 るのと同じ数字である。