すべての戦争は自衛から始まる :森達也

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この本は今から7年前の2015年に出版されたものだ。当時は第二次安倍政権の時代で、
「集団的自衛権の行使容認」で、世論が二分されていた時期だった。
この本は、集団的自衛権の行使容認のように、自衛意識が強くなり過ぎると、やがてそれ
が過剰自衛となり、戦争のきっかけになっていくという論理展開となっている。
具体的な例としてあげられるのが、アメリカの銃社会だ。銃社会であるアメリカでは、正
当防衛の概念が日本などとはまったく違うという。生命の危険を感じたならば、武器を使
用することが許されているというのだ。つまり、身の危険を感じたというだけで相手を殺
害することが、社会の合意として認められている国なのだ。その理由は、多くの人が銃で
武装している社会のためだ。そういう社会では、「撃たれる前に撃つ」という意識が前提
となっている。このため、過剰防衛のケースが多発するのだ。

このことは国際社会の国と国との関係においても同じようなことが言える。相手の国が軍
隊を持っていれば、自分の国も自衛のために軍隊を持って武装しなければ、安全・安心は
得られないと考える。そして、さらに相手に対して脅威を感じると、今度は「攻撃される
前に攻撃する」ことが自衛と考えるようになっていく。まさに「敵基地攻撃能力」の保有
の考えだ。しかし、実際に相手が攻撃して来る前にこちらから攻撃したならば、それは戦
争を仕掛けたことになる。「自衛のため」を理由に戦争を始めたことになる。自衛の意識
が戦争を引き起こすのだ。ブッシュ大統領が始めた「イラク戦争」がそうだったし、突然
ウクライナに軍事侵攻した「プーチンの戦争」も、この「自衛のため」が戦争を始めた理
由になっている。

ところでこの本では、沖縄密約事件(西山事件)についても取り上げられている。これは
1971年の沖縄返還協定において、当時の佐藤栄作内閣と米国との間で核関連に監視て
結ばれた密約の存在を新聞記者が暴露した事件だ。政府側は一貫して「そんな密約はない」
と言い続けてきたのであるが、2000年にアメリカ側が密約を裏付ける文書を公開し、
日本側も民主党政権時代になって、その存在を認めている。
この沖縄密約事件(西山事件)においては、当局側が意図的に起訴状の文面を「女性事務
官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」というような表現にして、国民
の関心を核密約から「男女の不倫関係」に誘導して、国民の関心を逸らしたとされている。
情けない話だが、国民は密約の存在よりも新聞記者と女性事務官との不倫のほうに関心が
集中してしまったのだ。
この事件は、山崎豊子氏の「運命の人」という作品で描かれ、2012年にはテレビドラ
マ化もされている。国家がいかに国民を騙してきたか。非常にいい実例だと思う。そして、
時の政権が国民に事実を語らない、説明しないという姿勢は、今もなおずっと続いている
のだ。はたしてこのような国が、民主主義国家といえるのだろうか。


すべての戦争は自衛から始まる
南京虐殺については、撮影された写真が本物か偽造なのかとか、殺害されたのは捕虜な
 のか便衣兵なのか一般市民なのかとか、強姦の数が少ないのはなぜかなど、日中の間で
 いろんな論争があるけれど、その最大のポイントは被害者総数をめぐる対立だ。中国側
 に主張は30万人。これに対して、日本側の主張する犠牲者数は十数万人。
・確かに被害者総数は、虐殺の規模を考えるうえで最も重要な数字だ。でも多くの場合、
 被害者側は多めに見積もるし、加害側は少なめに申告しようとする。それは世の理だ。
 その差違を論じることに本質はない。大切なことは原因や理由とメカニズムだ。
・だから30万人だろうが15万人だろうが、どっちでもいい。それは本質の違いではな
 い。30万人と30人ならば、それは本質に関係する。議論があって当然だ。でも多く
 の中国人が殺害されたことが事実であるならば、数の論争をする前に、原因やメカニズ
 ムを考えるべきだ。再発を防ぐために何をすべきかを考え、できることはすべてやるべ
 きだ。
・初期の南京攻略時に、日本軍将校だった野田毅向井敏明は、日本刀でどちらが早く百
 人を斬るかを競い始めた

・南京陥落後、英雄として郷里である鹿児島に帰還した野田少尉は、最終的に374人の
 中国兵を斬り殺したと地元紙に語り、講演会などでも同様の発言をしている。また向井
 少尉については、ついに305人斬りを達成して500人斬りを目指しているとの記事
 が、東京日日新聞に掲載されている。
・戦後二人は戦犯として処刑されている。死者を鞭打つ気はないし、彼ら二人だけが特別
 な存在だったとも思わない。 
・もし日本がこの戦争に勝っていたら、東京大空襲などを指揮して何万人もの一般市民を
 焼き殺したカーチス・ルメイのように、二人の少尉は国家の英雄になっていたはずだ。
・日本の軍隊だけが戦場において蛮行をくりかえしたわけではないと考える。慈悲深い軍
 隊などありえない。でもこの虐殺のエピソードが特異なのは、こうして日本国内の新聞
 に何度も大きく掲載されていたということだ。
・新聞は読者が求める記事を載せる。読者が喜ぶ記事を優先的に掲載する。つまり当時の
 日本人のほとんどは、「百人斬り」の見出しに高揚し、もっと記録を伸ばせと快哉を叫
 んでいたのだ。もっと多くの人を殺せとエールを送っていたのだ。まるで今のオリンピ
 ックかワールドカップの記事に熱狂するように。ソンミ村の虐殺が報道されたことで反
 ベトナム戦争の気運が高まったアメリカとは対照的だ。
・なぜ当時の日本人はこれほど残虐になれたのだろう。その答えは明らかだ。殺された人
 たちが自分と同じように、泣いたり笑ったり愛したり愛されたりする存在だと思ってい
 ないからだ。つまり想像力が停止していた。そんなとき人は、優しいままに残虐になれ
 る。しかも優しいままだから摩擦がない。その意味では日本だけではない。敵国日本に
 原子爆弾を投下したとのニュースを聞いたとき、ほとんどのアメリカ国民は歓喜の声を
 あげていた。
・そんな事例は歴史にいくらでもある。彼らも自分と同じ人間なのだと考える人がいたと
 しても、それを口にすれば非国民として糺弾される。だから押し黙っているうちに、芽
 生えた違和感はいつのまにか消えてしまう。つまり実が虚に覆われる。
・愛国主義の旗を高く掲げても、戦争を遠ざけ、調和のある世界を作ることにはならない。
 だってそれは間違いなく方向が逆なのだ。

若林盛亮は1970年に起きた日航機ハイジャック事件の犯人の一人だ。そのときの
 ンバーは九人
だが、今も平壌に暮らしているのは、若林も入れて四人になった。僕の横
 に座っているのは、グループの現在のリーダーである小西隆裕だ。迎えに来たもう一台
 の車には、やはりメンバーの魚本公博赤木志郎が乗っている。そして日本人村では、
 二人の女性が僕たちを待っている。赤軍派幹部でグループのリーダーでもあった田宮高
 麿
の妻だった森順子と、若林の妻である佐喜子だ。
・かつて世界革命戦争を起こすためにハイジャックを行なった彼らは今、自分たちの思想
 と行動の過ちを認め、刑に服する覚悟で帰国の準備をしていた。ところが2007年、
 日本人拉致に関与していたとの容疑で、警視庁は二人の女性の逮捕状をとって国際手配
 したことを発表する。第一次安倍内閣時代だ。人生の最期は故国で過ごしたい。そう考
 えていた彼らは、この容疑で帰るに帰れなくなった。
・そもそも拉致問題は、オウムに続いて日本の世相を大きく変えたイシューだ。サリン事
 件
によって不安と恐怖を激しく喚起された日本社会は、高揚する危機意識の標的として、
 長く日本人拉致を続けてきた北朝鮮を発見した。
・国民が危機意識を抱いたとき、仮想敵への強硬な姿勢を主張する為政者は強く支持され
 る。だからこそ拉致問題を政治的に利用しようとする人や勢力が現われる。そして拉致
 問題は実際に、彼らにとっては強い追い風になった。異を唱える人は激しく批判された。
 その程度に認識は持ったほうがいい。
・北朝鮮国内に入ると同時に、持参したパソコンや携帯電話は繋がらなくなった。つまり
 国外と遮断された。スマホを手にする人は多いが、すべて国内限定だ。つまり一般国民
 は外の世界を知らない。新聞やテレビは国家に統制されている。だから自分たちの存在
 を相対化できないし客観視もできない。たったそれだけで、人は信じられないほど簡単
 に、現状の体制に馴致してしまう。
・かつての日本もそうだった。新聞とラジオは国家と軍部に統制されていた。だから敵対
 するアメリカなど欧米の兵士たちは鬼畜だ。中国や朝鮮の人たちはチャンコロとチョン。
 自分と同じように生きとし生ける人たちだとの思いは停止している。
・そして日本や北朝鮮も含めて東アジアの人たちは、この傾向が少しだけ強い。集団に馴
 染みやすいのだ。 
・北朝鮮にとっての今の仮想敵国はアメリカ。何しろ朝鮮戦争はまだ終わっていない。だ
 からこそ敵の脅威を強く掲げる。侵略に対しては断固戦う。自衛のため、国を守るため、
 家族を守るため。敵は信じられないほど凶暴で容赦ない。冷血で残虐だ。大義はこちら
 にある。我々が正義なのだ。だからこそ戦う。
・現状分析が正しいかどうかはともかくとして、自衛のためには戦わざるを得ないとの理
 屈は、日本の現政権の主張とほぼ変わらない。
・結局のところは自衛の意識。これが高揚して大義となれば、戦争や虐殺はすぐ目の前だ。
 互いに相手が悪いと言い合いながら。
・このとき、視聴率や部数を上げようとするメディアは、「中国の軍隊が侵攻してくる」
 「北朝鮮のミサイルが飛んでくる」など敵の存在を煽り危機を声高に唱えながら、自衛
 意識を高揚させる媒介としてとても有効に機能する。北朝鮮だけではない。9.11以
 降のアメリカも、何度もアラブに戦争をしかけるイスラエルも、そしてかつての日本も、
 このメカニズムはすべて共通している。

・そもそもイラクにこんな混乱をもたらした責任は誰にあるのか。共和党のブッシュ政権
 がイラクに武力侵攻してフセイン政権を瓦解させたからじゃないか。このときブッシュ
 政権は武力侵攻の大義を、フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っているからと説明し
 たが、その確たる証拠がまだないとして、ロシアと中国、フランスやドイツは激しく反
 対した。国連総会ではさらに多くの国が反対した。
・でもアメリカは武力侵攻に踏み切った。ごく少数ではあったけれど、アメリカを支持す
 る国もあったからだ。強く賛同を示したのはイギリス、オーストラリアとスペイン、そ
 して日本だ。
・時代は小泉政権。このときに北朝鮮の脅威を理由に、アメリカを支持することが日本の
 国益などと訴えた識者や大学教授の多くは、今は安倍首相の私的諮問機関である安保法
 制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)
の主要のメンバーとなって、集団
 的自衛権の導入を強く主張している。なぜ導入しなければならないのか。その理由とし
 て彼らが提示した仮想の状況は朝鮮半島有事だ。だからこそ日本はアメリカと軍事的に
 一体化しなければならない。イラク侵攻時のアメリカを支持した11年前と、論旨はま
 ったく変わっていない。
・アメリカでは、ほぼ毎週のように銃乱射や誤射事件が起きているけれど、銃規制はいま
 だに実現していない。その大きな要因は、銃規制に反対する全米ライフル協会の存在だ。
 全米ライフル協会副会長は、「銃を持った悪人に対抗できるのは銃をもった善人だけだ」
 と発言した。全米の学校に銃装備した警察官を配置せよとも。多くのアメリカ国民は、
 この発言を支持して、銃を購買する人が急激に増加している。
・「銃を持った悪人に対抗できるのは銃を持った善人だけだ」に同意する日本人は少ない
 はずだ。でもこの思想は実のところ、世界的なスタンダードでもある。
・軍隊の存在理由だ。我が国は他国に侵略などしない。でも世界には悪い国もある。その
 悪い国の軍隊が攻めてきたときのために、我が国は郡田を常備する。兵器を所有する。
・論理としては「銃を持った悪人に対抗できるのは銃を持った善人だけだ」に等しい。要
 するにアメリカの銃社会の矛盾は、世界が抱えている矛盾でもある。
・軍隊を保持する理由は侵略ではなく自衛。それは世界中共通だ。
・銃社会アメリカでは、正当防衛の概念がとても広い。現在30州で適用されている正当
 防衛法では、生命の危険を感じたならば、武器を使用することが許されている。つまり
 身の危険を感じたというだけで相手を殺害することが、社会の合意として認められてい
 ることになる。理由は簡単。多くの人が武装しているからだ。撃たれる前に撃つ。その
 意識が前提になっている。
・人は自衛を大義にしながら人を殺す。武器を持っていては過剰防衛になりやすい。なら
 ば武器を捨てよう。悲惨な戦争が終わったあとに、この国はそう決意した。自衛はもち
 ろんできる。でも武器を使った自衛はしない。
・しかし解釈は時代と共に変わる。朝鮮戦争の際にアメリカから圧力をかけられたことも
 あって、この国はなし崩し的に武器を持ってしまった。でも過剰防衛だけはしない。家
 には置いてあるけれども、外出するときは持ち歩かない。そう決めていたはずなのに、
 これも少しずつ変わってゆく。武器を持って外に行こうとの声が高くなる。仲の良い家
 が危ない目にあっているならば、武器を持って助けに行くべきだと主張する人が多くな
 る。
・日本のメモリアルは被害の記憶と終わった日。結果としてこの国は、加害の記憶に被害
 の記憶を上書きした。終わったことを起点に考えることを選択した。 
・多くの戦争は自衛で始まる。しかも国家は殺戮のための武器をたっぷりと持っている。
 銃やナイフどころではない。多くの人々が傷つき、炭になるまで焼かれ、キャタピラで
 踏みにじられ、殺害されてきた。その歴史を踏まえてこの国は、戦争が終わってから、
 これからは武器を持たないと決意して宣言した。
・でもその解釈が、多くの国民の賛同のもとに、今変えられようとしている。一度変えた
 ならもう戻らない。 
・安倍首相も現政権も、決して戦争を望んでいるわけではない。戦争の悲惨さはよくわか
 っている。彼らは彼らなりに戦争を忌避しようとしていると考えたい。ただし彼らの歴
 史認識は不十分だ。戦争のメカニズムが決定的にわかっていない。自衛の意識が戦争を
 引き起こすことの認識がない。抑止力が時として仇となって人々に牙を剥くことへの実
 感がない。
・確かに自衛の意識はなくならない。でも自衛の手段を制限することはできる。この国は
 戦後、身をもって世界から戦争を除くための理念を掲げた。不可能に挑戦した。不安と
 闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は何よりも誇りに思っ
 ていた。 
・20世紀に入ってからの大きなテロや戦争のすべてに共通するキーワードは自衛だ。か
 つて植民地主義や帝国主義が当り前だった時代、侵略戦争は確かにあった。今はもうほ
 とんどない。あるとしたら自衛を大義にした侵略戦争だ。戦争は自衛の意識から発動す
 る。
・世界中の軍隊は自衛のために存在し、そして結果的に他国を侵略する。専守防衛の意識
 は必ずインフレーションを起こす。やられるまえにやれとの意識へと直結する。
・自衛とともによく使われる単語は抑止力だが、受けた攻撃を上回る被害を相手国に与え
 ねばこの力は効果が半減する。結果として増悪は残り報復は連鎖する。結局は自衛の意
 識が戦争を引き起こす。
・いかに好戦的な国であろうと、軍備を保持しない国を仮想敵国に設定することはできな
 い。つまり戦争の要因が自衛であるかぎり、軍備を保持しなければ攻められることはで
 きない。つまり戦争の要因が自衛であるかぎり、軍備を保持しなければ攻められること
 はない。
・2018年2月、国会で専守防衛について見解を訊ねられた安倍首相は、「相手から第
 一撃を事実上甘受し、かつ国土が戦場になりかねないものでもあります。その上、今日
 においては、防衛装備は精密誘導により命中精度が極めて高くなっています。一たび攻
 撃を受ければこれを回避することは難しく、この結果、先に攻撃した方が圧倒的に有利
 になっているのが現実であります」と答弁している。つまり専守防衛すら否定した。い
 きつく先は先制攻撃の正当化だ。
・こうして人は自衛のつもりで人を殺す。殺される。すべてが焼け野原になってから天を
 仰ぐ。 
・被虐の意識は連鎖する。自衛の意識が高揚する。そして殺し合う。報復は続く。今まで
 も。そしてこれからも。人は愚かだ。善良なままに人を殺す。その連鎖からどうしても
 逃れられない。

「自分の国は血を流してでも守れ」と叫ぶ人に訊きたい
・沖縄に駐留する海兵隊を抑止力として考えるなら、何に対してどのように発揮される抑
 止力であるかを考えねばならない。
・そもそもなぜ彼らは沖縄に駐留しているのか。「殴り込み部隊」という通称が示すよう
 に、海兵隊は海外での武力行使が前提だ。彼らの任務に本土防衛は含まれていない。海
 外でアメリカの安全保障を脅かす事態が発生した場合の自国民救出が、海兵隊の最たる
 任務だ。少なくとも、海兵隊は、有事の際に日本と共に戦うという選択肢を持っていな
 い。つまり現状の米軍は抑止力としては機能しないのだ。
・第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、1919年に締結されたヴェルサイユ条約
 で、海外植民地の権益の放棄、国土の大幅な割譲、さらに莫大な賠償金を連合国側に支
 払うことを要求された。
・このときイニシアチブをとったフランスの全権代表のジョルジュ・クレマンソーは、ド
 イツを二度と復活させないことを目的に、まるで報復のように苛烈な対応を一貫して主
 張した。
・結果よしてドイツの国家経済は極度に疲弊し、ドイツ国民の民族意識は激しく高揚した。
・こうしてヴェルサイユ体制の打倒とドイツ民族の結集を一つにして危機を乗り越えると
 宣言したナチスは国民から熱狂的に支持されて、民主的な手続きを経ながらファシズム
 体制が出現した。
・もしもヴェルサイユ条約でこれほど苛酷な賠償を要求しなければ、ナチスはドイツ国民
 からあれほどに支持されなかっただろうし、第二次世界大戦は起きなかったとされてい
 る。
・第一次世界大戦かが終わって第二次世界大戦が始まるまでの時期、ドイツに対して行使
 すべきだった抑止力は、応報や懲罰を背景とした武力的恫喝(ヴェルサイユ体制)では
 なく、国家立て直しを共に進めようとする寛容政策であったはずだ。つまり抑止力と武
 力はイコールではない。
・軍事的脅威を背景にした抑止力という概念は、冷戦時代により明確になる。アメリカを
 筆頭とする自由主義陣営と旧ソ連を筆頭とする社会主義陣営が、高いに相手国を仮想敵
 国として想定し、抑止力としての核兵器開発と、その副産物である宇宙開発の競争を続
 けていた。
・この核抑止力が最も機能した例として、1962年のキューバ危機を挙げる人は多い。
 確かにフルシチョフ首相は、このままではアメリカとの核戦争に突入すると思ったから
 こそ、キューバからの撤退を決意したことは事実だろう。でもそもそもの火種は、その
 抑止力であるはずの核兵器を、旧ソ連が同盟国であるキューバに配備しようとしたから
 だ。
・つまり抑止力であるはずの核兵器が、戦争のきっかけになろうとしていた。キューバ上
 空を偵察飛行していたアメリカ空軍の偵察機が旧ソ連の地対空ミサイルで撃墜されたと
 き、誰もが第三次世界大戦の勃発を覚悟した。核兵器による抑止など、このときは誰も
 信じていなかった。
・キューバ危機のあと、アメリカと旧ソ連はデタント(緊張緩和)の時代を迎える。一時
 とはいえ緊張緩和を両国が求めた背景には、相手国に対する核兵器の脅威だけでは戦争
 の抑止にならないと実感したからだ。
・戦争が起きる要因がもしも他国への領土的野心だけならば、軍事的脅威を背景にした抑
 止力は、確かに機能するだろう。でも現実はそうではない。特に20世紀以降、ほとん
 どの戦争は他国への領土的野心が原因で起きるのではなく、むしろ仮想敵国への脅威に
 対する自衛として、やられる前にやれ式の論理で勃発する場合が多い。つまり過剰な危
 機意識だ。ならばこれ見よがしな抑止力の存在は、逆に相手国への脅威となって戦争へ
 の大義となる。
・中国や北朝鮮の脅威は確かに存在する。これを必要以上に低く見積もるべきではない。
 でも同時に考えねばならないことは、抑止の意識は彼らも同じように持っており、同じ
 ように脅えているとの認識だ。

戦争の責任はA級戦犯だけにあるのではない
・日本維新の会共同代表の橋本徹大阪市長の従軍慰安婦めぐる発言「慰安婦制度が必要な
 のは誰だったわかる」については、一部の理はあると僕は感じている。ただしその一部
 の理は、慰安婦や公娼制度を保持していたのは日本の軍隊だけだと硬直的に思い込んで
 いる人たちに対してのみ、意味を持ち理だ。
・多くの国の軍隊において、慰安婦や公娼の存在が認められていたことは確かだ。殺し殺
 されるという極限状況にある兵士が性欲を亢進させることも、まあ統計的にはあるかも
 しれない。だからこそかつて多くの国の軍隊は、略奪やレイプなど非人道的な行為をく
 りかえしてきた。日本だけではない。有史以前から、兵士たちは人々を殺しながら女性
 たちをレイプし続けてきた。それは確かだ。
・日本が国家として従軍慰安婦を朝鮮半島の女性に強制したことを明確に示す文書や一次
 資料は、確かに見つかっていない。ただし二次資料や証言はたくさんある。軍は降伏と
 同時に様々な重要書類を焼却した。見つからない一次資料は慰安婦関連だけではない。
 そして慰安婦論争が本格的に始まる契機となった吉田清治の「私の戦争犯罪」における
 吉田の告白は、後にフィクションであることを吉田自身が認めている。
・でも、慰安婦や公娼が軍と切り離せない関係だった時期は、あくまでもモラルや人権意
 識が希薄だった古代の話だ。今の価値観は違う。あるいは当時においても、例えば連合
 国側の軍隊が、直民地化した国の女性たちを強制的に慰安婦として戦地に連行したとの
 話は寡聞にして聞かない。
・つまりこの問題の焦点は、当時は植民地として扱っていた朝鮮半島の女性たちを、日本
 軍が強制的に連行したかどうかだ。そして今のところ、文書としての証拠はない。なら
 ばその事実はなかったのか。そんな発想はできない。軍は降伏と同時に大量の書類を焼
 却したのだ。だからここから先は、世界観や歴史観が問われることになる。
・元慰安婦だけではない。産経新聞社長だった鹿内信隆中曽根康弘元首相が、自分たち
 は慰安所設立に積極的に関与したと、対談やインタビューなどで公言していた。
スマラン事件の裁判の際には、軍の中枢が慰安所開設を主導したことが明らかになって
 いる。一次文書が見つかっていないことだけを理由にして、国家は関与していないとか
 軍は組織的に関わっていないとの論旨は成り立たない。
・この国の近代史の特質は、確固たる意思統一や指示系統がないままに、現場が暴走する
 というスタイルだ。だからこそあんな無謀な戦争が始まった。降伏の時期もいたずらに
 延ばし続け、その結果として広島・長崎への原爆投下や東京大空襲など被害が拡大した。
・歴史が示すように、暴走のリスクは、群れることを選択した人類がDNAに刻んだ普遍
 的な宿痾だ。でもこの国に生まれた人たちは、組織共同体との親和性が、他の国の人た
 ちより少しだけ高い。言い換えれば集団化と相性が良い。だからこそ暴走しやすい。過
 剰な忖度が働きやすい。
・国としての明確な指示系統はなかったかもかもしれないが、忖度や同調圧力や責任回避
 や黙認などの要素が働いた結果、彼女たちは強制的に連行された。行きたくないと拒絶
 することなどほぼ不可能だっただろう。
・1895年10月、在朝鮮国特命全権公使だった三浦梧楼をリーダーとする一派が王宮
 に乱入して、李氏朝鮮の第26第国王王妃だった閔妃を軍刀で殺害して遺体を焼いた。
 この背景は複雑だ。単純な日本人だけの暴挙ではない。多くの朝鮮側の協力者がいたこ
 とは確かだ。
・背景はともかくとしても、時刻の王妃が外国の公使に王宮で殺害されて遺体を焼かれる
 という事実が与える衝撃の強さを(遺体が凌辱されたとの説もある)、立場を入れ替え
 て想像してほしい。それも100年とちょっと前だ。忘れることなどできるはずがない。
・ところが日本は忘れる。あるいは次世代に伝えない。こんな事例は他にもたくさんある。
 だから韓国や中国は憤る。
・韓国や中国の国民の多くは、意味なく過去にこだわり続けているわけではない。謝罪だ
 けを求めているわけでもない。忘れられて悔しいのだ。せめて記憶してほしいのだ。伝
 え続けてほしいのだ。
・「当時の軍の規律を維持するために必要だった」との橋下市長の発言は、明らかに兵士
 と性欲を特別視している。身も蓋もない男性原理だ。その意味では女性蔑視だけではな
 い。男性も蔑視されている。そこまで性欲に支配されていないと世の男たちは怒るべき
 だ。
・日本維新の会の石原慎太郎代表が、その後に橋下市長が「敗戦の結果として侵略だと受
 け止めないといけない」と述べたことについて、「侵略じゃない。あの戦争が侵略だと
 規定することは自虐でしかない。歴史に監視て無知」と記者に語ったと報道された。つ
 まりあの戦争は日本も守るための自衛戦争であり、アジアを解放するための聖戦なのだ
 と石原慎太郎共同代表は言いたいのだろう。

・政府による情報の隠蔽と国民への背信行為として真っ先に思いつくのは、1971年に
 起きた沖縄密約事件だ。でもこのときメディアは、当時の佐藤栄作政権への追及を途中
 でやめた。だから密約はないものとされてきた。密約を暴いた毎日新聞の西山太吉記者
 は日本中から批判されながら退職し、さらに国家公務員法違反で有罪とされた。
・アメリカは、使用目的が何であれ、国民の税金で制作さえたものであれば最終的には国
 民に帰属するとの意識が明確にある。だから隠さない。沖縄密約問題の際にも2000
 年にアメリカ公文書館は密約を裏付ける文書を公開したが、その後も日本政府は「密約
 は存在しない」と言い続けた。具体的には書けば、川口順子外務大臣は「事実関係とし
 て密約はない」と発言し、福田康夫官房長官が「密約は一切ない」と記者の質問に答え、
 第三次小泉内閣の官房長官である安倍晋三は「まったくそうした密約はなかった」と記
 者会見で断定した。
・つまり国民に嘘をつき続けた。そしてそれが明らかになった。政治家としては致命的な
 失態だ。でもこの国では、なぜかこれが問題視されない。西山と女性事務官が国家から
 起訴された裁判においても、起訴理由は「国家機密の漏洩行為」であるのに、自民党は
 気密などないと主張し続けた。機密がないのなら、二人はなぜ起訴されて有罪とされた
 のだろう。
・でもメディアはこれをスルーした。なぜなら国民が関心を示さないから。国民の多くは
 このとき、知る権利や政府の背信行為を追及することよりも、週刊新潮や女性誌などが
 報道する二人の不倫行為を叩くことに夢中になっていた。
・その後に密約の存在を認めた民主党は大きく失墜し、ずっと国民を欺き続けた自民党は、
 「まったくそうした密約はなかった」と記者会見で断定した安倍晋三を総裁にして、今
 や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
・この国では秘密保護法など制定してはならない。というか必要ない。そんな法制度など
 なくても、いくらでも秘密は作られる。暴かれることも滅多にない。
・メディアは国民の嗜好を忖度する。そして国家は国民に嗜好を、メディアを使って誘導
 する。退任後に国会議員となった佐藤道夫は東京地検特捜部の検察官時代に西山事件の
 捜査を担当し、「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」と
 起訴の理由を書いた起訴状を作成し、狙い通りに世間の興味は一気に不倫問題へ集中し
 たと後日に語っている。情けないけど事実だ。
・アメリカも日本と同様に集団化しやすい国だ。でもアメリカは復元する。ジャーナリズ
 ムと国民の知る権利への意識があるからだ。日本は復元しない。行ったら行きっぱなし
 なのだ。

・大阪市天王寺区にある真田山陸軍墓地。徴兵令が初めて発令された時期である1871
 (明治4)年、当時の兵部省が設置した日本で最初の兵士の墓地だ。ここには戦死した
 兵士だけでなく、兵役や訓練中に事故死や病死した兵士や軍役夫、さらには日本軍の捕
 虜となった外国人の遺骨も埋葬されている。墓苑への出入りは自由。でも膨大な数の墓
 のほとんどには、近年に線香や花が手向けられた気配はまったくない。要するに打ち捨
 てられている。この墓苑については大阪の人もほとんど知らない。
・実のところこうした陸軍墓地は、全国で80カ所もあるという。でもそのほとんどは打
 ち捨てられている。遺族すらここに墓があることを知らないケースが多いらしい。
・来日したジョン・ケリー国務長官とチャック・ヘーゲル防衛長官は、揃って千鳥ヶ淵戦
 没者墓苑
を訪れて慰霊のために献花した。二人は参拝の意味を記者団に質問され、「日
 本の防衛大臣がアーリントン国立墓地で献花するのと同じように」戦没者に哀悼の意を
 示したと述べている。つまり彼らにとって日本のアーリントンは、靖国神社ではなく千
 鳥ヶ淵墓苑であるとのサインだ。
・神道系宗教施設である靖国神社への参拝についてまず指摘されねばならないことは、政
 教分離原則への抵触だ。あらゆる宗教を許容するアーリントンとは根本的に違う。さら
 に靖国は遊就館の展示が示すように、あの戦争は自衛戦争であるとのイデオロギーを流
 布するためのプロパガンダ装置でもある。
・プロパガンダ行為そのものを批判するつもりはない。思想信条の表明は自由だ。問題は
 そのプロパガンダ施設に一国のリーダーが参拝することの意味だ。つまり特定の宗教施
 設でプロパガンダ装置でもある靖国は、国家元首が慰霊のために訪れる施設としてはま
 ったくふさわしくない。
・中国や韓国の政府やメディアは靖国参拝を批判するとき、必ず「A級戦犯を祀っている
 靖国神社に・・・」とのコンテクストを使う。つまり国のために死んだ人たちを慰霊す
 ること自体を批判しているのではなく、日本を戦争に導いた戦犯を祀っている施設に参
 拝したことを批判している。「リーダーとして英霊の冥福を祈る」ことそのものを批判
 しているわけではない。実際にA級戦犯合祀以前にも多くの首相が靖国参拝しているが、
 この時期には中国や韓国からまったく批判は生まれなかった。
・参拝後に安倍首相は「誤解を解きたい」とも言っている。「参拝と戦争肯定とを結びつ
 けること」への誤解という意味だと思う。ならばそれも違う。解かねばならないもっと
 根本的な誤解がある。A級戦犯だけに戦争責任のすべてを押しつけたことから生じた誤
 解だ。とても重要な過ちでもある。ただしこの誤解を抱いているのは諸外国だけではな
 い。この国の国民の多くが抱いている誤解でもある。
・一部の指導者の意思や工作だけでは戦争は始まらない。騙した人と騙された人。煽った
 人と煽られた人。これを明確に二分することなど不可能だ。国民の多くが政策に熱狂し
 たとき、政権を支持したとき、国家は大きな過ちを犯す。つまり国家と国民の相互作用
 だ。その意味では、一部の指導者にのみ戦争の責任を押しつけた東京裁判史観は間違っ
 ていると考える。
東久邇稔彦内閣が唱えた「一億総懺悔」の説は、開戦ではなく敗戦の責任を追及するも
 ので、天皇への責任軽減を目的としたレトリックだ。
・この国でA級戦犯の責任がこれほど肥大した理由は、天皇制を存続させるために「天皇
 を騙したり追い詰めたりした人たちがいた」とのコンテクストが必要になったからだ。
 ここにはアメリカの意向が強く働いている。
・いずれにせよ戦後、国体を護持したい日本と円滑に統治したいアメリカとの利害は一致
 した。こうして、A級戦犯を除く国民すべてが被害者となった。つまり国民一人ひとり
 の加害の意識が希釈された。
・こうした経緯があったからこそ1972年の日中国交正常化の際に周恩来首相は、「我
 が国は賠償を求めない。日本の人民も我が人民も同じく、日本の軍国主義者の犠牲者で
 ある。賠償を請求すれば、同じ被害者である日本人民に旗わせることになる」などと発
 言した。中国国民を説得するために。そして中国国民もこれに同意した。悪いのは一部
 の戦争指導者たちだったのだと。
・ならはその戦争指導者までも合祀した靖国に現在の政治指導者が参拝することに対して、
 今さらそれはないじゃないか、と彼らが憤ることは当り前だ。
・今さら本当に申し訳ないが、その解釈と認識は間違いだった。日本の人民は被害者であ
 ると同時に加害者である。
・この国の指導者たちは、世界に対して以下の宣言をすべきなのだ。
 「一部の指導者のみ戦争責任を推して受けた観点において、東京裁判史観は明確に過ち
 を犯している。責任は天皇も含めて当時の国民すべてにある。だからA級戦犯も同じよ
 うに祀る。その上で二度と過ちを犯さないことを誓うために慰霊する」
・戦争とは戦争を憎むだけでは回避できない。戦争を起こしたい本気で思う指導者や国家
 など存在しない。ところが戦争は続いてきた。なぜなら人は不安や恐怖に弱い。集団化
 して正義や大義に酔いやすい。歴史上ほとんどの戦争は自衛への熱狂から始まっており、
 平和を願う心が戦争を誘引する。指導者やメディアは国民の期待や欲求に応えようと暴
 走する。
・「憲法の性格をどう考えるか」との質問に対して安倍首相は、「国家権力を縛るものだ
 という考え方があるが、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え
 方だ」と答弁した。
・おそらくはマグナカルタを意識しての言葉だと思うが、イングランド国王の権力の制限
 を目的にマグナカルタが制定されたのは13世紀だ。今も残るのは前文だけ。
・憲法が王政打倒後の統治権力を制限するという発想は、19世紀以降のフランスやイギ
 リス、アメリカなどで近代憲法と同時に獲得された概念だ。いったいこの人はいつの時
 代の話をしているんだ。

それでもこの国は、再び「戦争」を選ぶのか
・戦争の悲惨さを知ることは重要だ。語り継ぐことは大切だ。でも戦争のメカニズムを知
 らないまま忌避感だけを身につけるのでは、「戦争を回避するために抑止力を高める」
 とか「戦争を起こさないように自衛力を身につける」などのレトリックに対抗できなく
 なる。
・世界で唯一、戦争で原爆を投下された国でありながら、54基の原爆をいつのまにか保
 持してしまった理由は、アメリカが提唱した「原子力の平和利用」というフレーズに応
 じたからだ。その帰結として原爆は増殖し、やがてとりかえしのつかない過ちを犯す。
・自らの加害を意識に刻まねばならない理由は、戦争を繰り返さないためだ。

エピローグ(日の丸の小旗を振りながら粛々と集団は動く)
・粛々と集団は動く。一方向に。同じ速度で。少数派を排除しながら。正義を掲げながら。
 敵を探しながら。強いリーダーを求めながら。日の丸の小旗を振りながら。そして自衛
 を叫びながら。
・自発的隷従の帰結として誕生したナチス・ドイツがいつのまにか狂暴な独裁政権になっ
 たように、集団は同調圧力を強めながら一方向に加速し続け、やがて暴走する。このと
 き集団を構成している一人ひとりには、暴走しているという意識はない。なぜなら周囲
 すべてが同じ速度で動いている。こうして集団は大きな過ちを犯す。
・人類が戦争と縁を切れない理由を、闘争本能で説明する人がいる。それは違う。第二次
 世界大戦終了後、米軍は従事した兵士たちがどの程度戦争に積極的に関与したかを調査
 して、その結果に衝撃を受けた。前線で敵兵を狙って発砲した兵士は全体の15〜20
 パーセントしかいないことが明らかになったからだ。なぜ発砲しない兵士が多いのか。
 理由は単純だ。人は人を殺したくないのだ。
・人は人を簡単には殺せない。仮に人を害したいとする闘争本能があったとしても、これ
 を抑え込めるだけの理性は進化の過程で獲得している。でも自衛の本能は理性では抑え
 込めない。群れる動物である人類は、不安や恐怖に弱い。だから自衛の意識が攻撃に容
 易く転化する。これは本能だ。完全に抑え込むことは難しい。しかも自衛の大義は正義
 へと直結する。だから肥大する。暴走する。