「総理の資格」   :福田和也

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 日本の政治は、小泉内閣から安倍内閣へと移り変わったところである。この本は、小泉内閣がスタ
ートした頃に書かれたものである。この本は、(前)小泉首相を厳しく批判した内容になっている。
果たして(前)小泉首相は、この本にかかれたとおりの人物であったかは、私には確認のしようはな
いが、(前)小泉首相は、今までにない個性的な首相であり、国民の人気で支えられた首相であった
ことは確かである。
 (前)小泉首相の行った政治が、良かったのか悪かったのか。その結論を出すには、もう少し年数
が必要なように思われる。どんな政治でも、良い面と悪い面が出るのは確かで、百点満点の政治など
というものはあり得ないであろう。(前)小泉内閣の間に、それまで続いていた長期不況の底から脱
したというのは、確かなようである。しかしそれは、ごく一部の大企業だけに言えることであるよう
だ。他の中小企業や一般国民は、未だ不況から脱したという状況にはなっておらず、ここに(前)小
泉政策によって国内に格差が拡がったという感情が、膨れ上がった原因があると思う。
 (前)小泉首相が国民に人気があったのは、国民はそれまでの政治に飽き飽きしていて、今までは
異質である(前)小泉首相だったら、いままでの政治を変えてくれるかもしれないという、期待があ
ったからだと思う。そして(前)小泉首相は、ある程度その国民の期待どおりに動いたところもあっ
たと思う。ただ、中途半端のまま終わってしまったという感じがするのは否めないと思う。
 筆者の政治家に対する批判は(前)小泉首相にとどまらない。田中真紀子氏や森元首相へ、そして
平成日本の腐敗へと手厳しい批判が続く。筆者のような志を持たない私としては、ただただオタオタ
するばかりである。

小泉純一郎は誰が為に死す
 ・私は政治家小泉純一郎には、ほとんど興味はありませんが、人間小泉純一郎には深甚たる興味が
  あります。それは小泉氏が、今日の日本人の一つの典型、つまり徹底して自己愛にとりつかれた
  人間であり、しかもそれは貫徹することに成功している、今のところそのように見えるというこ
  とでしょう。
 ・政治家は、政策を実現したり、予算を獲得したりするために活動している。けれども小泉氏は、
  自分のドラマを生きるために政治家をしているのではないのか。
 ・私たち社会生活が複雑になればなるほど、私たちは自分で自分の役を選び取ることができない。
  また、それを最後まで演じきって、去っていくこともできない。私たちの行為は、すべて断片で
  終わる。
 ・断片化された現代人は、他者との濃密な関係を作ることができないために、自分を愛することし
  かできないが、しかしまたその自己も断片化されていて、これが自分自身のものだという役柄を、
  つまりは宿命を生き抜くことができない。
 ・スポーツ選手が大衆の人気を集めるようになったのは、第一次世界大戦以降のことで、その根底
  にあるのは、人々が自分の人生を生きることができない、断片化したためにその人生を仮託する
  ようになったからだ。総理小泉純一郎にたいする大衆の支持は、これと似たものといえるでしょ
  う。
 ・小泉政権になって国民生活は苦しくなったにもかかわらず、なぜ国民は支持するのか。それは小
  泉の演じるドラマを国民が喜んでいるからでしょう。民営化するか否かが問題なのではない、郵
  便局のサービスの質や郵貯の扱いが問題ではないのか、という実質論が説得力をもたないのも、
  小泉流の賛成か反対かの二者択一のほうがすっきりするからです。政策についての面倒な議論よ
  りも、小泉氏の徹底した自己愛のほうが説得力があるのです。
 ・小泉総理は、どんな無内容なものであっても、自らの役柄を、つまりは宿命を生きているからで
  す。宿命の前に、現実が敗北する劇に国民は喝采している。国民にとっても、郵政民営化などど
  うでもいい。日本経済だってどうでもいいのです。有権者として、小泉シアターに参加すること
  のほうが、重要なのです。
 ・こういう人物が、総理大臣であるというのは、かなり奇怪なことであると同時に、恐ろしいこと
  でしょう。国家の舵取りをする人物にとって、最大の関心が自らの役柄を演じきることというこ
  とですから。けれでも、だからこそ、つまり面倒な現実をすべて切り捨ててしまう爽やかさがあ
  り、この無内容だけど、面白い劇に、自己愛を追求しきれない私たちは、日々喝采を送るしかな
  いのです。

小泉純一郎への失望
 ・田中真紀子氏の口から、政策や理念について、一片でも聞くに値する言葉が漏れたことがあるだ
  ろうか。せいぜい主婦としての日常感覚などというお題目を唱えるぐらいのものだ。数億円に及
  ぶ相続税を払った人物を、「主婦」と呼べるとしてであるが。
 ・現在の自民党を見ていると、あたかも倒産寸前の企業を見ているようだ。一般に、企業は技術開
  発系の人間が起業し、その後成長すると営業系や経理系の役員が主導権をとって発展していく。
  しかし、一旦衰退の坂を転がりはじめると、押し寄せるトラブルへの対応や損失の糊塗、危険な
  資金繰り、総会屋対策などが主要課題になって、会社を総務系が牛耳ようになる。
 ・小学校をはじめとする公教育の崩壊、年金制度、社会保険制度の見直し、高齢化社会お到来と少
  子化といった、切迫した問題が山積している中で、責任政党の最大の関心が政権の維持でしかな
  いのだ。国民の信任が、自民党から離れているのも当然のことであった。自民党にはもはや何も
  期待できない、というのが国民の一般的な受け止め方ではないだろうか。
 ・私は自民党のみならず、あらゆる政党が、民主党も共産党も公明党も、政治にかかわる当事者能
  力を失っているように思われてならない。つまりは、政党政治そのものが終わろうとしているよ
  うに、私には思われるのだ。
 ・現在の政治状況のもっともあらわな特徴は県知事選挙における無党派的勢力の台頭だろう。その
  代表もしくは、成功例が石原都政であることは云うまでもない。石原都政が体現しているのは、
  国政への不満、失望と、それと対照的な政治にたいする希望にほかなるまい。銀行への外形標準
  課税、ディーセル車規制、都立高校の改革、防災訓練への自衛隊の参加、羽田空港の国際空港化
  など斬新な政策をつぎつぎと打ち出してみせたことで、石原政権は、国民に、政治はまだまだ機
  能しうる、戦略と決断力のある政治家は日本の現状を変えられるのだ、という希望を与えた。
 ・現在、もっとも求められているのは、従来の枠組みがもう機能しないことを率直に認めるととも
  に、あらゆるセクターから外れながらも、経済的に苦境ばかりでなく、教育なり、医療なりとい
  った社会問題について関心と責任感をいだいている人々を凝集させる政党であろう。旧来の「ム
  ラ」から溢れでた人々を、刹那的な好悪の情で離合集散をする「大衆」に留めるのではなく。
 ・国の利益を図るということは、ただ今現在の利益を調整することではない。未来の国家国民に対
  して責任を負うことであろう。

小泉「公務員総理」の教養調査
 ・小泉氏の歴代総理大臣のなかでもっともめざましい特徴は、首相官邸、公邸の滞在時間が長いこ
  とです。しかも、官邸に各省の役人や政治家、その他多方面の人材をかきあつめて、獅子奮迅の
  働きなどという下品なことは一切しない。
 ・内外の課題が山積し、まさに国滅びんとす、という危機感に満ちた声が流れているなか、その中
  枢にある総理自身が、ずっと公邸に籠もって、「読書と音楽鑑賞」をしている。この籠もりぶり
  は歴代総理大臣のなかでも特異なものですが、わが国が置かれている状況を考えれば前代未聞と
  しか言いようがない。
 ・身も蓋もない話で一国の総理に対して恐縮ですが、小泉氏の音楽と読書の享受ぶりを見て思うの
  は、何と言っても「総理は教養がない」ということです。教養がない、というと、こんなに音楽
  を聴き、小説も読んでいるではないか、と云われるかもしれません。でも残念ながら、それは教
  養ではないのです。それぞれ娯楽であり、趣味であるだろうけれども、有機的な教養の体をなし
  ていない。
 ・伊藤博文や山県有朋といった歴代の名宰相はもちろんのこと、近年でもたとえば中曽根康弘氏には、
  やはり教養があったと思います。
 ・どうも小泉氏は、そういう政治家ではなかったようです。人格を政治家として作り上げていない
  ように見える。終始、官邸に引きこもっている総理の姿は、就職したての新入社員が、外回りの
  営業をさぼって自室で不貞寝をしているように見えます。政治家に友達もいなければ、仲間もい
  ない、後輩たちの面倒もほとんどみないことで小泉氏は有名ですが、それは何かのポリシーとい
  うよりも、政治家という職業にすっぽりとはまっていない、むしろ嫌がっているように思えるの
  です。
 ・小泉総理はこの点ではまさに時代の子、時代の精神を体現しているといっていいのです。自分を
  政治家なり、何なりという存在として決定することができない。そこから逃げ続けている。人と
  深く関わりあうのを避けて、一人でいるのが好き。でも一方で、脚光を浴びたり、有名になった
  りすることには目がない。地味なこと、面倒なことは大嫌い。いろいろな人と会うよりは、部屋
  にこもっている方がいい。音楽とか、読書は趣味であって、教養なんて面倒なものはいらない。
  ただ面白く、楽しければいい。統一された人格などというものはないが、ヒロイックな自己顕示
  欲とナルシズムは旺盛である。今の自分は、不当な場所に置かれている。本当の自分はもっと別
  のところにいるべきで、いつか誰かが助けてくれるに違いない・・・
 ・小泉氏への歓呼は、能力においても、知識においても、倫理観においても、自分たちと同じか、
  それより低い、しかも国民に蔓延している病理のほとんどを備えている政治家に対する共感だっ
  たのです。アピールするばかりで、何の説得もしない。こもってばかりで勉強をしない。国民が
  いくら困っても、危機感をもたない総理にたいして今国民がいだいている苛立ちは、彼に共感を
  してしまった事への応報なのでしょう。

「食べる総理」森喜朗の胃袋
 ・森首相というお方は、一国の総理としてはもちろん、言葉を武器として、国民、選挙民にメッセ
  ージを届けることを稼業としている政治家としての緊張感がない。宰相としての識見なり、政治
  家としての思想信条といったものを議論するはるかはるか手前、無内容というか貧寒という以前
  に、一人のオジサンとしてハラハラさせられてしまう。
 ・森首相は、映画や観劇、音楽、美術など文化方面にはまったく興味がない。本も全然読まない。
  賭け事もしない。
 ・かつて料亭とは、政治家にとっての表舞台であり、そこであらゆる交渉、議論、決定が行われた。
  官僚ポストが決まるのも、予算の配分が決まるのも、あるいは政治資金の受け渡しも、すべてが
  料亭が舞台だった。と同時に同士の絆や、男女の縁といった人間関係も料亭で結ばれたという。
  料亭とは、政治家にとって権力欲、色欲、食欲というすべての欲望を満たす場所であり、派閥の
  領袖たるもの、必ず行きつけの料亭があり、その料亭の女将との関係は、男女の仲を超えて政治
  的な同志関係に近く、女将たちもまた領袖の政治闘争に際しては粉骨砕身して尽くし、店の浮沈
  はその政治的消長と一致していた。今は、こうした濃厚で強烈な政治と料亭との関係は消滅して
  しまったという。

「宰相野中」は亡国の選択
 ・野中氏が公然と総裁候補として囁かれるという事態は、わが国の政治が、ついに凋落に落ちた、
  国政が国政としてのもつべき最低のモラルも秩序意識もなくした、それらのあり様について政治
  かもメディアも、無感覚になってしまったことを示している。言葉のあらゆる意味で宰相として
  の資質を欠いた森総理の後ならば、誰がなってもいいとは云えるかもしれない。
 ・野中氏は、著書をはじめとした色々な場所で、自分の「無欲」を強調している。自分には欲がな
  いからこそ、思い切ったことが云えるし、やれるのだ、と。だが、むしろ事態は逆なのではな
  いか。水面下での権力闘争こそがすべてであり、それを正当化する言葉も理念もないからこそ、
  無欲と恬淡を友としなければならないのではないか。権力を追う資格がない、何のために求める
  のかを明らかにすることができないので、恬淡という衣が必要なのだ。

”田中真紀子人気”を読み解く
 ・田中真紀子氏は、外務大臣としてはかなり控えめな言葉で表現しても、歴代最低でしょう。河野
  洋平氏が、どうしようもないというのとは、格の違うどうしようもなさです。けれでも、国民の
  大多数が、このような人物に喝采をおくっている事態は、もっとも深刻なものではないか。
 ・もう何年にもなるでしょう。女子高生が、電車の中で床に座るとか飲食するとか、化粧を直すと
  いうことが話題になりました。それが、だんだん上の年齢に上がってきて、大学生からOLへ、
  そして今では中年の女性まで、平気でそういう振る舞いをするようになりました。行儀が悪いと
  か、嗜みがないというのとは別の、つまり品とか恥とかいった美徳の領域では判断することはで
  きないような何物かが、日本人の振る舞いに現れてきた。
 ・田中真紀子氏の不気味な振る舞いに接するたびに、けして他人の目を意識していないわけではな
  い、それなりに上手に口をきくこともできれば、あるいは見場よく振舞うこともできる、でも、
  他者との関係において、あるいは公衆を前にしていることにおいて、とてつもなく大きな欠落と
  いうか、勘違い、捩れがあるように感じる。それは、人格全体からすれば些細なものなのかもし
  れませんが、しかしまた人間性の、根本における変化と考えざるおえないところがあるのです。
  田中康夫長野県知事についても、一時期から同様のことを感じるようになりました。
 ・何よりも、真紀子氏において特徴的なのは、その強い復讐意識です。ひとまず、その復讐心は、
  父角栄の敵にむけられています。つまり梶山静六、小渕恵三らの故人と、小沢一郎、橋本龍太郎、
  野中広務、羽田孜といった、かつての角栄の子飼いの政治家であり、ロッキード事件の刑事被告
  人となった田中角栄に見切りをつけて竹下派を旗揚げした政治家にたいする強い怨恨です。
 ・今一つの仇敵は、アメリカです。諸説はあるもののアメリカが、ある種の意図からロッキード社
  からの献金を白日の下にさらした、ということはほぼ間違いないでしょう。だとすれば、田中氏
  がアメリカを敵視するのは当然でしょう。というよりも、アメリカに復讐するためにこそ外務大
  臣になってといってもいいかもしれない。
 ・意識的、無意識的を問わない真紀子氏の衝動は、その背景を考えれば一個人としては、むしろ見
  事なのかもしれない。けれども、それをそのまま政治や外交にもちこまれてはかなわない。とい
  うのも本当のところでしょう。さらに奇妙なのは、こうした真紀子氏の、かなり特別な、日本全
  国を探しても二人といないような怨恨から来る感情的行動に、多くの国民が絶大な支持を与えて
  いるということでしょう。
 ・真紀子氏、康夫氏両氏の政治は、そういう意味では、娘の、あるいは息子の政治です。父に、母
  に、あるいは先行世代への強いこだわりを持ちながら、現状にただ、破壊的な不満だけを持って
  いる。怨恨と復讐感情から、今とりあえず機能し、人々の生活を支えているものを破壊してしま
  おうという愉快犯的な感情に憑かれている。

安倍普三「宰相遺伝子」を鑑定する
 ・権力の源泉を数えあげることはできるだろう。地位、人気、経済力、武力、人脈などから、時に
  は強大な権力は生まれる。だが、これらの要素をひとまとめにしても、権力自体を生みはしない。
  人気も実力も地位もありながら、権力の尻尾に触れることもできずに没落した指導者候補はいく
  らでもいる。というよりも、ほとんどの人間が失敗する。
 ・権力が成立するには、神秘的はオーロラのようなものが必要だ。そのオーロラによってはじめて、
  権力は権力として成立する。だが、そのオーロラが一体何に発するのかとの問い始めるとドゴー
  ルはドゴールだという同語反復に陥るしかない。それゆえに天命とかカリスマとかいった言葉が
  発明された。
 ・カリスマは天命という不可思議なものを、人為的に作り出すものとして、血統が利用されたのだ。
  つまり偉大な王の子供は、その偉大さを幾分か引き継いでいるに違いない、そうでなければなら
  ない、という具合である。
 ・戦後もっとも偉大な総理大臣、とするには異論があっても吉田茂、田中角栄と肩を並べる決定的
  な存在であったことは否定しようがない岸信介を祖父に持ち、総理の座を指呼の間にしながら病
  に斃れた政治家安倍普太郎を父にしているということの意味は、まったく違う。岸と安倍の名前
  は、そしてその血統、強力なカリスマを予感させるに充分なものだ。
 ・安倍普三氏の生活ぶりもかなりストイックで、御父君のこともあるので、健康には神経質なくら
  い気を使っているという。酒はもちろんお茶すら飲まない、という噂もある。
 ・安倍普三氏には、権力が必要だ。権力を握り振るわなければ、国を立て直すことはできない。そ
  のために今日、氏は、安倍寛の遺伝子と岸の遺伝子の双方を発現させる必要があるように思われ
  る。

いかにして日本国はかくもブザマになったか
 ・国際的な評価が低下した背景には経済の低迷というわかりやすい現象があるとしても、その背景
  にある、深刻な政治や社会、文化の混乱の方がより本質的で決定的だったと思います。経済一流、
  政治三流と云いならわして、政治の不毛を放置しているうちに、経済も社会的環境も荒廃に瀕し
  てしまった。
 ・戦前の日本を破綻の、失敗の時代と断じるのもやむをえないと思われるかもしれません。しかし、
  現在の目から見れば、戦前の日本人は、多くの失敗にもかかわらずよくやった、たいしたものだ
  と思わざるをえない。彼らは、誰のたすけもなく、独力で自らの運命を切り開き、日本が生存す
  し、繁栄するための土台を作ろうとしました。歪んだものであれ、なかばそれに成功したのです。
 ・もちろん戦争は悲惨でした。にもかかわらず、それは偉大な戦争、世界の歴史にかかわり、その
  暦を一目盛りも二目盛りも動かした戦争だったのです。日本国民は、大きな犠牲を払い、諸国民
  に惨禍をもたらしましたが、しかし第二次世界大戦後の世界、大国の植民地が一掃された国際社
  会は、この偉大な戦いによりもたらされた。明治国家が創業において理想としたものを、一部と
  はいえ実現したのです。
 ・明治の日本が偉大な国であったのは、当時の世界情勢の下で、アジアの小国に住む人間たちが、
  植民地にならない、独立を保つのだ、という稀有な意思を持ったためでした。現在の私たちの目
  からから見れば、このような意志は当たり前のものに思われますが、当時としてはユニークきわ
  まりないものだったのです。その意志は、昭和戦前の日本をも貫徹し、日本は戦争を通じて、ア
  ジア諸国の独立を可能にしました。
 ・もちろん、冷戦によってアメリカの対日政策が、懲罰から復興へと転換したという幸運が日本に
  はありました。けれども恵まれた環境だけで、昭和末年には世界一の債権国となり、アメリカを
  はじめとする世界中の国に資金を提供するだけの豊かさを実現することはできません。満州にお
  ける経験を基に据えつつ、日本の繁栄を取り戻す、より豊かになるという意志のもとに、国中が
  心血を注いだ結果、日本は世界に冠たる経済国家になったのです。惨憺たる敗戦の後に、かくも
  輝かしい復活を遂げた国がかつてあったでしょうか。
 ・平成の日本人は、自らの運命を、自分の手で切り開く、ユニークな意志と活力を持った国民であ
  ることをやめてしまいました。眼前の小康を求め、他国に依存し、運命を他人任せにすることに
  狎れ切ってしまった。
 ・平成の日本は、偉大な国であるのをやめたのですらありませんでした。断念としても、選択とし
  ても、それは選ばれなかった。日本国民は、何かしらの選択としてでもなく、その意識すら持た
  ずに、偉大な国の国民であることを放棄したのです。卑小になったのです。
 ・実質的に昭和最後の年となった昭和六十三年、竹下内閣はリクルート・スキャンダルに巻き込ま
  れる一方で、消費税法案を通しています。ここで注目せざるを得ないのは、「ふるさと創生」と
  称して、全国の市町村に1億円の交付金を配布したことです。さしあたるあてもなく、大金をば
  ら撒くところに、すでにある種の弛緩、頽廃が発しています。
 ・一般消費税は、昭和の末を飾るにふさわしい、国家国民の未来を見据えた政策でした。国民の不
  人気にもかかわらず、消費税を導入した竹下総理の指導力は、政治家としての責任感が未だ絶え
  ていないことを信じさせます。一方の「ふるさと創生」には、その後の平成年間を通じて、たび
  たび出会うことになる無責任さが、ありありと姿を現している。
 ・宇野、海部、宮沢、細川、村山、森・・・・政界の実力者たちが、自分たちの権勢を維持するた
  めだけに、総理として何の資質もない人物を国権の中心に据えていく。この顔ぶれを眺めるだけ
  で、いかに平成の日本が堕落し、国にかかわることとしても、あるいは一個人の倫理的判断とし
  ても、最低の線を放棄してきたかがわかります。
 ・宮沢氏は、小渕政権の大蔵大臣として国債を大量に発行して、財政赤字を飛躍的に増やしただけ
  でなく、国家財政を慢性的な借金体質にしてしまいました。今考えれば、小渕政権の大量の国債
  発行は、不良債権問題に根本的に対処することを回避し、景気の下支えをして問題を先送りする
  ために行われたのです。いわば、誤魔化しのためという死に金で大借金背負うことになってしま
  ったわけですが、その意味合いをやはり宮沢蔵相はよく認識していたはずです。にもかかわらず、
  平気で国民にそれだけの借金をさせた。未来の世代にツケを残した。
 ・平成の日本において深刻なのは、倫理観の欠如が、そのまま経済的は不振とつながっているとい
  うことなのです。倫理を欠いてはいるが、大好況で経済も盛況であるというなら、大なる問題は
  あるもののまだいいでしょう。だが、平成日本は倫理を欠き、責任感を欠いているために、すべ
  てを失おうとしている。逆に言えば、精神的に立ち直らないかぎり、経済も、政治も、よくなり
  はしない、回復しないということです。
 ・技術的に何をやろうが、戦略で間違ったものを戦術で取り返すことはできない。日本は間違える
  ための戦略すら持っていないのです。国家的な戦略の不在は、昭和戦後の一時期から、おそらく
  田中内閣時代から現在に至るまで続いている宿命ですが、それでも経済的戦略はありました。け
  れでも、プラザ合意以降、日本は経済においても産業においても、アメリカをはじめとする各国
  から牽制、介入に対応することに終始し、平成に入ると、戦略どころか政策すら不在になってし
  まいます。
 ・未来の世代はもちろん、現在に生きている国民の一年後、二年後の生活にたいしてもいかなる責
  任感も感じていない、その場しのぎを続けることだけが政治であり、経営だと思っている人々に、
  戦略など持っているはずがありません。平成の日本人は、その倫理的な堕落の故に、一片の戦略
  も持てず、その場、その場での糊塗を重ねながら、じりじりと喪失に喪失を重ね、滅んでいくし
  かないのです。
 ・平成年間、教育ほど多く論じられた問題はありません。歴史教育問題にはじまり、教育基本法の
  見直しと奉仕活動の導入、日の丸・君が代と学校式典のトラブル、学習指導要領の改訂と「ゆと
  り教育」、そしてそれらの議論の背後には常に、頻発する少年少女の凶悪犯罪や性的頽廃、そし
  て学級崩壊などの社会問題が横たわってきました。けれども、教育の問題、あるいは子供の問題
  をつきつめていけば、結局常に顔を出すのは親たち、大人たちの問題なのです。
 ・平成において変わったものは沢山あるでしょうが、もっとも解りやすく、また私たちの生活を変
  えたものといえば、携帯電話の普及ではないでしょうか。携帯電話が爆発的に普及しはじめるの
  は、平成七年からで、この年は新規契約数が580万台、累積契約数が1000万台を突破して
  います。この年はいわゆるIT革命が具体的に始動しはじめた年でもあります。11月にマイク
  ロソフト社のWindows95が発売さて、パーソナルコンピュータの普及が一挙に加速しました。
 ・平成7年は、社会的大事件がいくつも起こっています。阪神大震災、地下鉄サリン事件で多くの
  人命が失われたのに、政府はまったく対策らしい対策を打ち出すことができず、日本政府の統治
  能力そのものに大きな疑問符が付されました。時の総理大臣は村山富市氏で、与党に戻りたいと
  いう一念だけで自民党は理念も政策も違うはずの社会党と手を組み、社会党はそれまで40年来
  かかげてきた自衛隊、日米安保反対の旗印を政権ほしさに投げ捨ててみせました。要するにすべ
  ては冗談事で、その場の利益の確保と権力の維持以外には何もないということを、国政の中央で
  国民を代表する政治家たちが演じてみせました。
 ・平成7年にいたって、いよいよ平成日本がその顔を、つまりは総崩れのありさまを本格的に見せ
  てきたと云ってもいいでしょう。この全面的な崩壊現象の最初の大波と、携帯電話、パソコンの
  普及が踵を接しているのは、偶然ではない。携帯電話もパーソナルコンピュータもきわめて便利
  な道具です。私も愛用しています。しかしまた同時に、携帯電話を手放せなくなった時に、私た
  ちが大切なものを失ったこともたしかです。今日、若い人たちは、毎月5万とは7万とかの通話
  料を支払うことがあるそうです。失ってもっとも悲しく、辛いのは携帯電話だ、というアンケー
  トの結果もあります。
 ・なぜ、彼らがかくも携帯に執着するのか。それは何よりも、平成の日本が、国としての、社会と
  しての成り立ちを失い、単なる土地に、場所になりつつあるということではないでしょうか。そ
  こには、携帯電話に終始つながっていることだけが、人を他者と関わらせる手段になっている。
  彼らはけして、深く密接な関係を求めて携帯電話に執着するのではない、と云います。何よりも
  大事なのは、いつも誰かと「つながっている」ことなのだと。
 ・おそらく、この「つながっている」という事態は、私たちがこれまで考えてきたコミュニケーシ
  ョンとか、対話とか、交流とかいったものとは違うものなのだとおもいます。と云うよりも、む
  しろその反対物なのではないでしょうか。携帯で「つながる」のは、他者と直面したり、親密に
  なったり、対立するためでなく、むしろそれらすべてから逃れ、誤魔化し、逃げていくのに、も
  っとも都合がよいからではないか。それはやはり、今ひとつの「永遠の先送り」にほかならない
  のでしょう。
 ・こんなごまかし、こんなインチキを続けていくくらいならば、国益のすべてを台無しにして没落
  して方がいいのではないか。この、諸国民が真剣に生存と発展をもとめてしのぎを削っている世
  界において、日本人はあまりにも、あまりにも不真面目であり、不謹慎です。恥の感覚もなけれ
  ば道義心もない。こんな国は存続に値しないのかもしれない。むしろ亡国を進めるべきではない
  か。
 ・現実主義、大いに結構です。でも、その現実主義は、原則のある現実主義でなければならない。
  原則に、同義に、価値観に貫かれた現実主義でなければならないのです。もちろんこの原則は、
  お題目でも、スローガンでもありません。人が原則を掲げ、自らその原則を信じ、守り、そして
  その原則を他国に信じてもらうためには、私たちは正当な賭け金を払わなければならい。賭け金
  とは、何か。それは身命以外の何ものでもありません。
 ・私たちが原則を回復するには、大きな賭け金が必要です。そのためには没落が、つまりは賭けに
  負けることが、どうしても避けられない。賭けに負け、自らがかかげた原則のために、身ぐるみ
  剥がれる体験があって、はじめて日本人は、自分の原則を信じ、自分たち自身を信じ、誤魔化し
  のない目で自分たちを見つめ、自分たちの声で語ることが出来るでしょう。
 ・平成の14年間は、日本人が堕落をしきった14年でした。老若男女、どの世代、どの分野から
  も、音を立てるようにして、責任感や倫理というものが退いていってしまった。代わりにのさば
  ったのが、自己欺瞞であり、その場しのぎでした。とりあえず、今がよければいい。とりあえず、
  今月を何とかしのげればいい。
 ・将来への責任感も、遠い未来を含めた視野も持たない者は、じりじり総てを失い、忘れ、ついに
  は破滅せざるをえなくなる。その教訓が、今や日本人にふりかかろうとしているのではないです
  か。誇りを失い、絆を失い、倫理を失い、名誉を失い、ついには金も、力も失っていく。その過
  程が、卑小きわまる平成の日本の歴史ではないですか。生きるに値する人生を持とうとする者し
  か、生きることが出来ないという厳しい真実を私たちはつきつけられている。
 ・生き延びようと思うならば、私たちは賭けるべきものに賭け、挑まなければならない。惨憺たる
  敗北を、没落を受け入れなければならないのです。財産を、生命を賭けて原則を守る賭けに挑み、
  敗北することで、はじめて私たちは生きる資格を取る戻す。