スノーデン 日本への警告 
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エドワード・スノーデン氏は、米国の国家安全保障局(NSA)の局員として勤務してい
た当時(2013年)、米国が全世界的規模で不特定多数の通信情報や個人情報などの収
集活動をしていることを内部告発(暴露)した人物だ。このため、米国司法当局から逮捕
状た出され亡命、現在はロシアで亡命生活を送っている。
確かに、彼の行った行為は、米国の国家機関に勤務する身の上で、国家が機密とされるこ
とを暴露したのであるから、犯罪なのかもしれない。しかし、それでは米国が行ってきた
その行為そのものはどうなのか、それは国家ぐるみの犯罪ではないのか、ということが、
その後問題視されてきた。それは、民主主義国家ならば、どの国でも憲法で保障されてい
る”通信の秘密”や、
個人のプライバシー”を犯しているからである。それは、国家による
あらゆる個人を監視する社会に通じる。そういう社会では、個人が自由にものが言える社
会ではなくなり、大きく個人の自由が制限されてしまう。そういう社会は、とても”民主主
義社会”とは言えない。民主主義の根幹にかかわることだと言えるだろう。
日本ではいま、国会で”テロ等準備罪法案(いわゆる共謀罪法案)が審議されている。
この共謀罪法案は、いろいろな問題を抱えており、過去2回廃案になっている。他の刑法
は、実行されたことに対して適用されるのに対して、この共謀罪は実際に犯行が実行され
る前に適用されることになる部分が、他の法律と大きく異なっている。そのため、テロ等
の犯行が計画されたということを、どうやって立証するのかが問題となる。犯行を計画し
たことを立証するのは、とても難しいのではないのかと想像する。そもそも、犯行計画の
存在そのものを、どうやって知得するのか。そのためには、日頃から一般の人々を含めた
不特定多数の個人の行動の情報を常に収集しておかなければ、犯行計画の知得すらできな
いだろう。そうなると、米国のように不特定多数の個人の情報を日頃から収集することに
行き着くだろう。これは国家による民衆の監視そのものだ。そしてそれは民主主義の根幹
を脅かすことになる。国家から常に監視される社会においては、国民が自由にものが言え
なくなる。政府は、この法律の適用は厳格に行われるから問題ないと言うが、厳格に行わ
れているかどうかを監視する機関もない。一旦法律が成立すれば、時の権力者によって、
いかようにでもできてしまうのではないのか。しかも、この共謀罪を理由に政府によって
国民が丸裸にされる一方で、政府側は、前に成立した特定秘密保護法によって、行ったこ
とを秘密裏にできる。これはやがて、政府による法律の濫用が始まるだろう。これがこの
共謀罪の危険なところではないかと思う。
このテロ等準備罪法案(共謀罪法案)は、主にテロ対策を主目的としたものだという。し
かしこの日本では、テロリストに殺される確率よりも風呂場で滑って死ぬ確率の方がはる
かに高いと言われている。確かに、日本国内においても、テロによって人が殺されるとい
うことはゼロではないだろう。しかし、そんなわずかな確率のために、国民の自由が大き
く損なってしまう可能性のあるこの法律が必要なのであろうか。この法律を強行に成立さ
せようとする現政権には、別の目的があるのではないかと強く疑いを持ってしまう。
この法律によって、日本はますます自由にものが言えない社会になろうとしている。そこ
にはもは国民主権はない。そこにはもはや民主主義はない。このままいけば、国民は政府
の単なる召使いにされてしまう。
ここ数年の間に安倍政権は、「日本を取り戻す」をスローガンに、特定秘密保護法、集団
的自衛権行使容認閣議決定、それに伴う安全保障関連法の改正、そして間もなく成立する
であろうテロ等準備罪法(共謀罪法)と、次々としかも強行に新しい法律の制定や改定を
行ってきた。そして仕上げとなる憲法第9条の改正い挑もうとしている。その行き着き先
は、戦前回帰だ。日本はふたたび同じ過ちを繰り返そうとしている。我々の世代ではそう
ならないかもしれない。しかし、われわれの子ども世代、孫世代においては、時の政権に
よっては、いかようにもされてしまう危険性がある。我々世代は、子や孫の世代にたいへ
んな負の遺産を残すことになる。

エドワード・スノーデンのメッセージ
・2013年以降、大規模監視と自由な社会との関係について世界で激しく議論されてい
 ます。アメリカを含むいくつかの国では、重要な法律の改革が行われました。他方、政
 府が監視の法的権限を拡大しようとしている国もあります。私は特定の政策の実現を求
 めてリークに踏み切ったわけではありません。民主主義社会で生きる市民が、十分な情
 報に基づいて意思決定を行えるようにすることが目的でした。多くの重要な意思決定が、
 情報公開や市民との協議を経ずに閉ざされたドアの向こう側で指導者たちによって行わ
 れているのであれば、たとえ彼らが選挙で選出されているとしても、その政府を真の意
 味での民主的な政府と呼ぶことはできません。
・アメリカを含む民主的な国家の市民が、民主主義とは、引き継がれてきたものの上にあ
 ぐらをかいていればよいのではないということに気付くことを願っています。それぞれ
 の世代が常に民主主義を求めて闘わなければならないのです。
・理念のために立ち上がることは、ときにリスクを伴います。不正を暴くために自分の人
 生を完全に変えることを、誰もができるわけではありません。しかし私たちはみな人生
 のどこかで、易きに流れる道と正しい道のいずれかを選ばなければならない場面に出会
 います。私たちはみな、小さなリスクを取ることで社会をよりよくすることができる機
 会があるはずです。私たちにはみな、安全を求めてではなく正しいがゆえに行動する機
 会があるはずです。  

スノーデン 日本への警告
・2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ事件により、世界は一変しまし
 た。テロの恐怖が世界を覆い、テロ対策と名がつけばあらゆる監視が許されるようにな
 りました。 
・安全・安心の旗印のもとプライバシーなどの市民の自由は後退を余儀なくされる一方、
 政府は秘密のベールに包まれたままほとんどフリーハンドで情報を集めで利用するとい
 う非対称な社会が実現しつつありました。
・日本ではともするとスノーデン・リークが対岸の火事のように扱われます。日本政府の
 監視政策はアメリカほどひどくないと信じられているのかもしれません。しかしそのよ
 うに考えることはふたつの点で間違いです。第一に、日本の監視政策は世界に類を見な
 いほど秘密主義的です。全貌が明らかにされることは皆無です。
・単発的に白日の下にさらされる事実をつなぎ合わせてみれば、日本政府が他国に引けを
 とらないほど強力な監視捜査を実施しているのとが明らかになります。2017円1月
 には、政府が10年以上にわたり捜査にGPS装置を利用しながら捜査資料にはGPS
 に関する事実を一切記載しないよう日本中の警察に徹底させていたことが明らかになり
 ました。2016年8月には、大分県の警察が野党の選挙事務所に監視カメラを違法に
 設置していたことが明らかになりました。2010年10月には、警察が日本に住むす
 べてのムスリム(イスラム教徒)を秘密裏に監視していたことも明らかになりました。
 しかし日本では、これらの事実が明らかにされても、捜査機関自身が内部調査を公開す
 ることも、議会に検証委員会が設置されることもなく、月日が経てばなかったようにさ
 れていきます。依然として情報公開は進まず、制度を変革しようという動きもありませ
 ん。第二に、たとえ現時点ではアメリカほどの監視技術が用いられていないとしても、
 近い将来には現実のものとなる可能性があります。
・現在国会で議論されている共謀罪が成立すれば、共謀の事実を立証するための重要な捜
 査手法として、近い将来にSNSや電子メールの内容を傍受する監視捜査の合法化が求
 めらえるでしょう。 
・民主主義とは政府の正当性の根源です。国民は、国のあるべき方向を選択して選挙で投
 票し、結果として統治される国民の総意として選ばれたという事実が政府の正当性の由
 来です。もし投票するために十分な情報が開示されていなければどうでしょうか。さら
 には政府が実施する施策について情報を隠し、嘘をついているとなればどうでしょうか。
 このことは国の民主主義の将来にとってどのようなことをいみするのでしょうか。
・政治的な状況や、私たち自身の無関心と知識の欠如がもたらす脅威に目を向ける必要が
 あります。ここ数年の日本をみると、残念ながら市民が政府を監視する力が低下しつつ
 あると言わざるを得ません。2013年には、政府がほとんどフリーハンドで情報を機
 密とできる特定秘密保護法が、多数の反対にもかかわらず制定されてしまいました。
・政府が秘密を持つこと自体は問題があるわけではありません。しかし、政府が情報を機
 密とする権限は本質的に民主主義にとって危険なものであり、極めて厳格なコントロー
 ルが不可欠です。機密とする権限の行使は連外的な場合に限られなければならず、日常
 業務の一環のように行使されてはならないのです。実際にアメリカでは、政府の機密特
 権のために統治の機能が深刻な被害を受けています。
・さらに重要なことは、このような秘密主義は政治の意思決定のプロセスや官僚の質を変、
 日本をより軍国主義的にするような憲法九条の削除、改正、そして再解釈に反対してい
 るにもかかわらず、安倍政権は、憲法改正という正攻法ではなく、裏口入学のような法
 律解釈を行ってしまいました。これは世論、さらには政府に対する憲法の制約を意図的
 に破壊したといえます。政府が、「世論は関係ない」、「3分の2の国民が政策に反対
 しても関係ない」、「国民の支持がなくてもどうでもいい」と言い始めているのは、た
 いへん危険です。
・このような時こそ、ジャーナリストは政府が何をしているのかを把握しなければなりま
 せん。にもかかわらず、すべての情報が特定秘密として閉じられてしまう。これは非常
 に危険です。   
・今、日本のプレスは脅威にさらされています。その態様はピストルを突きつけられたり、
 ドアを蹴られたり、ハードドライブを壊されたりという形の恐怖ではありません。日本
 における恐怖は、静かなる圧力、企業による圧力、インセンティブによる圧力、あるい
 は取材源へのアクセスの圧力です。テレビ朝日、TBS、NHKといったような大きな
 メディアは、何年にもわたって視聴率の高い番組のニュースキャスターを努めた方を、
 政府の意に沿わない論調であるという理由で降板させました。
・政府はあたかも公平性を装った警察のようにふるまいます。「この報道は公平ではない
 ように思われますね。報道が公平でないからといって具体的に政府として何かをするわ
 けではありませんが、公平でない報道は報道規制に反する可能性がありますね」などと
 ほのめかすのです。
・政府の動きを調査できなければ、企業の動きを調査できなければ、また調査の結果判明
 した実態を人々に伝えることができなければ、ジャーナリストではなくなってしまいま
 す。ジャーナリストではなくただの速記者です。それは日本の市民社会にとって非常に
 大きな損失であり、ひいては日本にとっても大きな損失だと思います。
・政府は、たとえばグーグルの検索ボックスに打ち込んだ内容をすべてモニタリングでき
 る状況にあるのです。
・実際のの脅威の程度がどのくらいかを検証する必要があります。日本では、テロリスト
 に殺される確率よりも風呂場で滑って死ぬ確率の方がはるかに高いのです。
・社会のおける政府の役割は、市民が耳にする内容を政府が決めるべきではありません。
 それはメディアの役割です。ある情報が公共の利益にかなうかどうかを判断するのはメ
 ディアなのです。独立した立場で論説を書いて市民に情報を提供するのは、メディアの
 役割なのです。
・政府はもちろん法律を制定できますし、政策を実施することもできます。監視プログラ
 ムを作ることもできます。通信に関するプレスリリースを出すこともできます。しかし、
 そのプレスリリースをどう解釈するか、どう分析するかはメディアに任せるべきなので
 す。メディアは政府のプレスリリースを単に繰り返すだけでなく、事実や記録を検討し
 て、政府はこう主張するが私たちはこう考えますと発表すべきです。メディアは、記者
 の経験とに基づけばこれが本当の真実であり、このことを国民に知ってもらいたいのだ
 と伝えるべきです。
・プライバシーとは、悪いことを隠すということではありません。プライバシーとは力で
 す。プライバシーとはあなた自身のことです。プライバシーは自分であるための権利で
 す。他人に害を与えない限り自分らしく生きることのできる権利です。思索するとき、
 文章を書くとき、物語を想像する時に、他人の判断や偏見から自らを守る権利です。自
 分とは誰で、どのような人間になりたいのか、このことを誰に伝えるかを決めることの
 できる権利です。
・隠すことがなければプライバシーの権利を気にする必要がないというのは、話したいこ
 とがなければ言論の自由は必要ないというのと同じくらい危険なことです。弱い立場に
 陥る可能性を想像する必要があります。
・あなたが安倍晋三首相であれば言論の自由など必要ないでしょう。あなたにこれを言っ
 てはいけないなどという人はいませんし、多くの権利や特権を持っていて、しかも多く
 の点で多数派に属しているためです。権利は少数派を保護するものです。ほかの人とは
 異なる人たちを守るために権利は存在します。権利は弱い人を保護するために存在する
 ということを覚えておいていなくてはなりません。
・プライバシーがなくなれば、あなたはあなた自身ではなくなるのです。社会のものにな
 ってしまうのです。社会ががあなたを見て判断する、社会があなたという存在を決めて
 しまう、社会があなたはどういう人でどういう生活をすべきかと命令するようになると
 いうことです。プライバシーは自分自身の判断を可能にするものです。プライバシーは、
 自分が自分であるために必要な権利なのです。
・どのような機関でも、説明責任から切り離され法律も適用されないという状況になれば、
 腐敗の影響が忍び寄ってきます。そして、権限が拡大し、影響力が拡大し、特権が拡大
 し、予算が拡大していくということになります。最初はごくわずかだった権力の濫用も
 次第に大きくなるのでしょう。
・自由で公平な社会を維持するためには、安全であるということだけでは足りません。権
 利を有する人たちが説明責任を果たさなければなりません。さもなければ社会の構造が
 二層化してしまいます。私のような一般人たちは法律を破れば厳正に処罰される一方、
 権力を持った官僚は同じように法律を逸脱しても、国家安全保障のためであるなどと言
 い逃れできてしまいます。たとえば犯罪とは無関係なムスリム・コミュニティや神道関
 係のグループを監視しても、「監視する必要があった」という言葉のみで、結果につい
 て責任を問われなくなってしまいます。法律に反しても政府の関係者であれば免責され
 るということになれば、自由社会にとって回復できない打撃になるでしょう。坂道を転
 げ落ちていくように。
・私たちが人類史上未曽有のコンピューター・セキュリティの危機の中に生きているとい
 うことです。つまり、フェイスブックのメッセージやニコニコ動画その他のシステムを
 保護するためのものと同じ基準やプロトコルが、ダムの開閉や東京全体の灯りを制御す
 る仕組みにおいても用いられているということです。政府に協力しこれらのシステムを
 弱体化させるということは、単に自国の政府がシステムに入れるようにするだけでなく、
 世界中のすべての政府との関係でこれらの基礎的なシステムが脆弱化してしまうという
 ことです。その結果、システムの脆弱化が悪用され、政府に協力することによってあな
 たが防止しようとした被害よりも大きな被害が発生してしまう可能性もあります。私た
 ちはまず、セキュリティ保護の質の問題に目を向けなければなりません。可能な限り強
 力なセキュリティのシステムがなければなりません。さもなければ私たちのすべての安
 全性が確保されなくなってしまうのです。
・民主的なコントロールを実現するためには、内部告発者を適切に保護する法制度を整備
 しなくてはなりません。これはアメリカだけの問題ではありません。日本やヨーロッパ
 その他すべての国において適用される国際的な基準が必要です。権力者が自らを罰する
 ことに積極的になるはずがありません。「これは恥ずかしい過ちだったね。ぜひ記事に
 してください」などという政治家はいないでしょう。しかし、市民は政府が違法行為を
 していないか知る必要がありますし、政策が法律に違反している場合には責任者が説明
 責任を果たすよう追求できるようにしなければなりません。
・民主主義においては、市民が政府に法律を守れと言えなければならないのです。政府が
 ベールに包まれた舞台裏で政策判断を下す限り、何もわからない市民には発言権がない
 わけです。もはや市民ではなく召使です。対等なパートナーではなく、それ以下の存在
 でしかなくなってしまいます。
・3億3千万人の全アメリカ国民と世界中の人々の通信情報を、裁判所の審査もなく、意
 義のある法的な手続きを経ずに収集しながら、ひとつのテロをも防止できなかったと報
 告されています。それどころか、テロ捜査にとって何らかの意味で有意義な情報すらひ
 とつもなかったと報告されています。膨大な情報を集めでもまったく意味がないことが
 明らかになったわけです。
・テロ捜査とAIというと、すべての人を監視すればコンピューターに誰がテロリストで
 あるかを学習させることができると考えられがちです。そんなことはできません。テロ
 リストは異常値なのです。当然のことですが、ほとんどの人はテロリストではありませ
 ん。テロリストは全体の母数からすると極めて希少な例外的な存在です。
・プライバシーとは何かを隠すことではありません。守ることです。開かれた社会の自由
 を守ることです。開かれた社会の自由を守ることです。立ち上がりは自分の権利を守ら
 なければ、そして政府が適切に運営されるよう努力しなければ、権力の腐敗が起こりま
 す。市民が反対しているのに政府が意に介さず法律を成立させるような社会では、政府
 は制御不能となります。あらゆることのコントロールが失われます。人々は政府と対等
 のパートナーではなくなります。全体主義にならない保証はありません。
  
信教の自由・プライバシーと監視社会
・アメリカ政府による想像を超える監視捜査の実態が明らかにされました。とりわけ衝撃
 を与えたプログラムは以下の三つです。
 ひとつ目は、電話のメタデータのバルク・コレクションと呼ばれるものです。NSAが
 アメリカの電話会社に命じ、米国と国外間の国際通話のみならず、米国内の国内通話を
 含むすべての電話のメタデータを、毎日提出させるプログラムです。
 ふたつ目は、プリズムと呼ばれるもので、フェイスブック、グーグル、アップルなどア
 メリカに本社を置く9社のテクノロジー会社に命じ、電子メールやSNSによる通信内
 容などを秘密裏に提出させるプログラムです。
 三つ目は、アップストリームと呼ばれるもので、アメリカ本土につながる海底光ファイ
 バーケーブルなどに捜査官がアクセスし、目当ての通信情報を直接入手するプログラム
 です。 
・ターゲットがテロに関連しているかどうかは要件とされておらず、また、裁判所から令
 状を取得する必要もありません。さらに、アメリカ人は対象としない建前となっていま
 したが、傍受した通信の一方当事者が意図せずにアメリカ人である場合は許される運用
 となっていたため、ほとんど歯止めなくインターネット上のありとあらゆる情報が収集
 されていました。
・ポケットに持ち歩く携帯電話が居場所や一緒にいる人などをすべて記録しています。人
 類史上初めて、人々の日常生活に関する個人情報のすべてを政府が収集し保存すること
 が、技術的にも経済的にも可能になったのです。
・スノーデン氏のもっとも重要なメッセージは、監視に関するものではなく民主主義に関
 するものかもしれません。社会における極めて重要な意思決定は、限られた公職者によ
 り秘密裏に行われるべきではありません。市民の討議と議論によってなされるべきです。
・現在の政府は信用できるかもしれません。個人情報のすべてを保有されても問題ないか
 もしれません。政府が情報を保有する目的は崇高で有益なものかもしれません。しかし、
 異常に強力な監視技術が誤った者の手に握られることにより民主主義が瞬く間に崩壊し
 かねないことは理解しておかんければなりません。
・各国で法律上の制限の有無に違いがあるわけではありません。アメリカの特殊性はその
 能力にあります。インターネットの仕組み上、情報の大部分はアメリカ本土を通り、ア
 メリカ企業を経由するので、アメリカ政府は、日本やほかの国よりもはるかに多くの情
 報を傍受することができるのです。NSAがすべての情報を集めることを戦略としてい
 たことは確かです。情報の価値を検証するのは「すべて」を収集した後なのです。法律
 上必要な許可や権限を得ることすら、情報を集めた後に回されていました。いずれにせ
 よ戦略は「すべてを集める」なのです。この戦略に技術的な限界が影響することはあっ
 ても、法律や原則や価値観によって枷がはめられることはありませんでした。
 これはNSAの職員が悪人だからではありません。政府機関の本能に基づくものです。
 これがアメリカ政府に特有の問題でないことがおわかりになるでしょう。これはすべて
 の政府に共通する問題です。アメリカ政府は監視やドローンなどの技術に関して他国よ
 りも数年進んでいることは確かであり、アメリカ政府が今まさに議論している規則の内
 容は世界中の政府に影響を及ぼすことになると思います。近い将来、NSAがアメリカ
 国民に置くなったような監視の能力を世界中の政府が持つようになるでしょう。
・実際にスローガンの通りに全部の情報を集めていたわけではありません。けれども大量
 です。本当に大量です。必要十分以上の量です。NSAは、世界中のすべての通話の内
 容を収集し保存しているわけではありません。さすがにデータが大きすぎます。NSA
 は、特定の国からのすべての通話を集めています。これらの国の中には、たとえばアフ
 ガニスタンやバハマが含まれています。
・情報機関の職員や警察官に、電話の通話内容とメタデータのどちらの価値が高いかを聞
 いてみたとしまししょう。おそらく全員がメタデータと答えるでしょう。特にすべての
 人に関する情報であればまずメタデータと答えるはずです。メタデータとは、電話で話
 した内容に関する情報ではありません。私たちが会話をしたという事実、通話の日時、
 通話時間、通話時の場所などがメタデータです。これは私たちの交際関係のすべてです。
 メタデータは嘘をつきません。メタデータは真実だけを語ります。
・NSAは会話の内容ではなく、私たちの交際関係のすべてを保存しているのです。これ
 はタイムマシンのようなものです。過去にさかのぼることだけができる”監視タイムマ
 シン”。今の政府から何も疑われていないかもしれません。しかしたとえば2年後に何
 らかの容疑が持ち上がると、政府はタイムマシンの巻き戻しを押して、2年前、3年前、
 4年前、5年前に戻り、あなたがその間何をしたかをすべて明らかにすることができる
 のです。あなただけではありません。あなたと連絡を取った人もこうした捜査の対象と
 なるかもしれません。このタイムマシンは確かに捜査にとって有用かもしれませんが、
 だからといって正当化されるわけではありません。
・9.11テロのすぐ後から、ニューヨーク市や市外のムスリム・コミュニティに対して
 大規模な監視を行っていることがわかりました。監視は特定の容疑に基づくものではな
 く、イスラム教徒であることのみを理由とするものでした。このような監視がなされて
 いるいことに、ムスリム・コミュニティに属する多くの人は報道の前から気付いており、
 あるいは疑念を抱いていました。この監視捜査はムスリム・コミュニティに深刻な悪影
 響をもたらしました。相互不信の大きな種をまいたのです。モスクの来訪者も減少しま
 した。  
・ここで行われていることは、第二次世界大戦の最中にアメリカで日経アメリカ人に起こ
 ったことによく似ています。当時、アメリカで生まれたアメリカの市民権を有しアメリ
 カで暮らしているアメリカ人が、日本人の先祖を持つというだけの理由で監視の対象と
 なり、一定の地域から退去させられ、自宅を捨てて収容所に出頭するよう求められまし
 た。現在ほとんどのアメリカ人は、当時の措置はアメリカ史上に残る大きな誤りであっ
 たと考えているわけですが、今まさに同じことがムスリムに対する監視プログラムにお
 いて繰り返されているのです。
・監視の結果、実際に犯罪が予防されたり、テロリストが摘発されたといったことは、ひ
 とつもありません。これらの監視に効果があったとの証拠は政府からひとつも提出され
 ませんでした。 
・アメリカの捜査機関は新しい科学技術の利用を、日本よりも比較的広く公開しています。
 アメリカで用いられている科学技術が日本で用いられていないと考える理由はなく、日
 本の警察も秘密裏に利用している、あるいは今後利用する可能性があると考えるべきで
 す。    
・私たちが取り組んでいる問題のひとつに、「スティングレイ」と呼ばれる携帯電話監視
 機器があります。軍事用に開発された強力な装置ですが、全米の各警察が秘密裏に使用
 するようになっています。軍事用の強力な監視装置を、日常的な捜査活動に用いること
 が適切なのか、なんら議論されておらず、大きな問題です。
・たとえば、NTTドコモの基地局と同じ電波を発信すると、みなさんがお持ちのNTT
 ドコモの携帯電話は正規の基地局と勘違いしてすべての情報を渡してしまうわけです。
 より進化したモデルは、メールの送り先やさらには電話やメールの内容などをも傍受す
 ることができます。
・日本は戦後、CIAやNSAに類する部門の情報機関を持たない状態をずっと維持して
 きました。これは主に戦前戦中の反省などによるものでしょう。その代わり、警察組織
 の一部門である警備公安警察が警察組織としてはアメリカのニューヨーク市警やFBI 
 のような機能を持ちつつ、事実上の情報機関としてテロ情報を収集しています。
・戦後日本の警備公安警察は長きにわたって「反共」こそが最大の存在意義だったわけで
 す。共産党や各種の左翼運動の監視、取り締まりこそが警備公安警察の仕事だった。し
 かし、冷戦体制が終わり、警備公安警察も目的喪失、存在意義喪失の状態に陥り、徐々
 に人員が減らされる局面に入っていたわけです。そういう中で起きたのが9.11でし
 た。日本の警察でも、特に警備公安警察では、これは組織の存在意義を示す格好のテー
 マできたということで、日本でもイスラム原理主義者によるテロが起きるかもしれない
 という大義名分を掲げて「国際テロ対策」部門を充実させ始めた。
・ナチスはひとりひとりの個人情報を収集し、分析することでユダヤ人かどうかの選別を
 行いました。国家権力が市民の個人情報を収集し、それが濫用された場合に最悪の結末
 が訪れるという強烈な体験が土台にあります。そのため、EUでは国家が負人情報を収
 集すること自体を厳格に制限しています。
・ナショナル・セキュリティにおける監視の問題は、テロリストだけをターゲットにして
 いると思われがちですが、実は違います。ここにいるみなさんひとりひとりがお使いの 
 グーグルやヤフー、そしてフェイスブックといったSNSにも影響する問題なのです。
・ほとんどの監視技術は戦争のために開発されました。深刻な危機が存在し、これに対応
 するために監視システムが作られるわけです。他方で、監視システムが存在するから危
 機を演出するということもあります。危機が去った後にも大規模なシステムの存在を正
 当化するために、新たな危機を生み出すわけです。ムスリムの監視に関して日本で行わ
 れていることはこのようなことかもしれません。テロを防止するという目的のために監
 視が始まり、その後、監視を継続するために正当化を必要とするわけです。
・私たちは、政府が監視を行うには正当な理由が必要だと考えています。監視は正当な事
 由に基づいて行われるべきです。政府の監視プログラムの問題は、スノーデン氏が教え
 てくれたように、後に役立つかもしれないという理由であらゆる情報を収集しているこ
 とです。これは違憲であると私たちは考えています。
・NSAはこれまでも長きにわたって、あらゆる情報を収集してきました。その理由はテ
 ロリズムではありませんでした。長期にわたり正当化理由は冷戦といういわば外部の脅
 威でした。照準を定めた核兵器が世界中に配備されているという事態が例外的な監視権
 限を正当化してきたのです。冷戦後9.11が起こると、突然、テロ対策が巨大な予算
 のための新たな正当化事由となりました。確かに脅威が存在しないわけではありません。
 しかしスノーデン氏が指摘する通り、テロリストによって殺される確率よりバスタブで
 溺れる確率の方が高いのです。テロの脅威は、政府が毎年800億ドルを費やして対策
 すべきほどの脅威なのか、改めて考えるべきです。
・アメリカ政府が実施してきたテロ対策としての監視は、膨大な個人情報を集めること自
 体が自己目的化した問題の多いものであることが語られてきました。他方で、オバマ大
 統領の説明にもある通り、監視が常に許されるわけではありません。国家の安全を守る
 ため、監視技術が有用に働く場合があることは否定できません。重要なことは、劇薬で
 ある監視技術をいかに適正に用いるか、そのコントロールの方法です。
・監視と日常的な法執行は異なることを意識する必要があります。地元警察の主な活動は
 発生した犯罪を解決することです。犯罪を捜査し、検察官に事件を送致し、最終的に事
 件が裁判所で審理されるという一連のシステムに基づくものです。うまく機能しないこ
 ともありますが、少なくともこの確立したシステムが警察に対する監督としても機能し
 ています。監視はまったく異なります。警察が解決すべき犯罪は発生していません。
・自由な社会であれ権威主義的な社会であれ、政府は自らに都合の悪い情報を隠蔽する傾
 向があります。情報を公開すると困ったことになり、説明責任を問われたりするので、
 情報を隠す傾向にあるのです。これは官僚が悪者だからというわけではありません。そ
 れが人間の性です。ここにこそメディアの役割があります。政府による情報の管理に対
 抗し、適切な形で情報を市民に伝えるという役割です。
・メディアは何が公益に資するかに関する専門家です。政府の利益と市民の知る権利のバ
 ランスを図るのに最も適した人たちです。
・日本には専門の情報機関がありません。これは戦後民主主義のそのひとつの成果という
 か、まだ制御が効いている部分ではあると思います。その役割を公安警察とが担ってき
 たわけですけれども、実は公安警察という組織もある時期までは権力の行使にそれなり
 に謙抑的なところがあったわけです。確かに公安警察が「過激派」だと判断すれば、微
 罪だろうが別件だろうが検挙し、身体拘束し、時には違法盗聴すら手に染めて監視活動
 を行ってきたわけですが、たとえばオウム真理教のような集団の危険性を事前にはほと
 んど察知できなかった。「テロ対策」ということであれば、公安警察はほとんど機能し
 なかったわけです。   
・特定秘密保護法というような悪法も成立してしまいました。多少は批判の声もあがりま
 したが、全国民的な批判にはならなかった。2016年5月に、ほぼフルスペックの盗
 聴法、すなわり通信傍受法が成立していしまいました。この1,2年の間、公安警察が
 猛烈な勢いで権限を拡大させているのに、それに対する市民社会、そしてメディアの警
 戒感は非常に薄い。
・政府の持つ情報は誰のものか。原則的には市民全員の共有財産であって、仮に一時的に
 秘密が必要な場面があったとしても、それはいずれ公開されて歴史の検証をうけなけれ
 ばならないという原理原則が日本社会にいまだに根付いていない。しかも日本では、政
 府に任せて守ってもらえば「安心・安全」だというお上依存体質も非常に強い。
・昨今の日本メディアは公安警察をはじめとする権力を監視する機能がますます弱まって
 いると思います。公安警察、あるいは警察のディープな活動実態を知らせてくれるよう
 な新聞、テレビ、あるいはフリージャーナリストの活動というのは、正直言って皆無に
 近いのではないでしょうか。
・日本ではジャーナリズムやメディアの仕事に対する理解が、政権レベルでも市民レベル
 でも非常に低いと思います。これは僕らがサボってきたという面もあると思うのですが、
 紛争地取材にあたるジャーナリストを「自己責任だ」などと言って切り捨ててしまうと
 いう風潮が強まれば、僕たちは紛争地の真実を知ることができない。あえて攻撃的に言
 えば、この程度の市民があってこそ、この程度のメディアと言えるのかもしれません。
・日本の警察捜査機関の監視活動を監督する機関はあるのでしょうか。実はあるといえば
 あります。2016年1月にできたばかりの個人情報保護委員会です。気を付けなけれ
 ばならないのは、この日本における監督委員会というのは、原則として、民間部門によ
 る監視活動に関するものについてのみ監督を行っているということです。では公的部門
 はどうでしょう。実は、ほとんどメディアで取り上げられておりませんが、センシティ
 ブな情報を保有する行政機関(警察、防衛、外務等)に対し、個人情報保護委員会の監
 督権限を及ばせることを可能にするための、行政機関等の保有する個人情報保護に関す
 る法律の改正案が成立しました。ところが、その法律の中では、あくまで匿名情報のみ
 を監督することができるとされており、一般的な捜査活動に対しては監督活動が及ばな
 いことになっております。
・監視に対する一難の抑制は監視だと思っています。それが一番効果的で民主的な方法だ
 からです。これは捜査機関側にとってもプラスをもたらします。監視活動が常に第三者
 の監督の下行われており、テロ対策のために必要最小限の監視しかしていないという説
 明責任を果たすことができるからです。
・何よりも国家や政府による個人情報収集に歯止めをかけよう、といった議論にはなかな
 かならない。細菌は特定秘密保護法や盗聴法の強化などが図られる一方、マインナンバ
 ー法などというものが導入され、これはいわゆる国民総背番号制ですけれど、警察が捜
 査のために使う場合の歯止めがここでもあまり効いてない。
・そもそも論をいえば、日本の警察機構に対する監視機関というのは、ないわけではない
 のです。例えば公安委員会制度は、民間人主体の公安委員会が警察を民主的に統制しと
 うという目的で設置されました。と同時に、政治と警察の間に公安委員会というクッシ
 ョンを置き、政治権力が警察組織を恣意的に動かすことがないように設置されている面
 もあります。制度としては非常に優れているのですが、都道府県警察の公安委員会も、
 警察庁の国家公安委員会も、事務局の役割を警察組織が牛耳っているため、現在はほと
 んど機能しなくなってしまっています。公安委員の人選も事実上、各警察組織が行って
 いて、すっかり名誉職的な扱いになってしまっている。
・政府が持っているすべての情報は国民の情報である。その国民の情報にアクセスできな
 ければ、それは茶番か悲劇、もしくはその両方の始まりである。知識は永遠に無知を支
 配する。   
・企業に営業秘密があると同じように国家にも特定秘密というものは存在します。ただし、
 その情報は国民の情報であり、国民にどこかのタイミングで開示しなくてはいけないも
 のです。 
・性犯罪者の情報収集が犯罪の抑止につながるという証拠はないのです。研究によれば、
 性犯罪の前科者はもっとも再犯率が低いグループのひとつであり、再び同じ罪を犯す可
 能性は低いのです。この種の犯罪は、家庭内や知り合いの間で生じることが多く、政府
 が性犯罪者の情報を収集することは的外れだと考えられています。
・ある日本最大級の都市銀行は、中東の国の大使館員の口座記録を警察庁に提供していま
 した。大使、大使館員、大使館付き運転手に至るまでのデータです。もちろん警察です
 から、令状を取ってデータを出させることはできるでしょう。しかし、このような令状
 を裁判所が出すわけがありません。刑事訴訟法の手続きに則って警察が捜査関係事項照
 会書を出し、銀行側にデータ提出を求めることはできますが、これはあくまでも任意手
 続きで、しかも特定の事件捜査を目的としなければならないと定められています。特定
 の大使館員全員の銀行口座データを提出させるような事件など想定できませんから、お
 そらくは警察の依頼を受けた銀行側がひそやかに協力し、顧客データを渡してしまった
 いるのでしょう。ひどい話ですが、複数の都内の大学は、自分の学校に留学にきている
 ムスリムのデータまで提供してしまっている。日本だってまったくひどい状況なおです。  
・総務省において、捜査機関が携帯電話事業者から特定人の位置情報を本人に通知するこ
 となく取得することができるというガイドラインの改正がありました。これは英文でも
 ニュースが出されたのですが、そのニュースを聞いてすぐ私のところに海外から問い合
 わせが来ました。日本ではなぜこのようなことが許されているのか、そして、これに対
 して透明性レポートはあるのか、と。
・人々が政府のことについてすべてのことを知っていること、これが民主主義だ。政府が
 多くのことを知っているが人々が政府のことを知らない、これは専制政治である。  
   
あとがき
・国際人権NGOアムスティ。インターナショナルやアメリカ自由人権協会はスノーデン
 氏への恩赦を求める活動をしてきましたが、実現しませんでした。スノーデン氏ご本人
 にとっても大変な苦難の時を迎えることになると思います。
・大統領やCIA長官がスノーデン氏の死刑を求めている中、状況や展開はさらに厳しく
 なっています。トランプ政権と合理的な対話をしようと試みることはほぼないでしょう。
 どこか別のところでか可能性が開け、世界のほかの政府が彼に手を差し伸べることがあ
 るまもしれません。アメリカでは、スノーデン氏は、ロシアにいるよりもひどく迫害さ
 れるかもしれませんから。とは言いましても、ロシアの滞在許可が2020年4月まで
 延長されています。そのため、今の状況下で差し迫った危険はなさそうです。当然のこ
 とながら、本院は故郷やほかの場所に行きたいと望んでいますが、いまだに彼に与えら
 えた選択肢はふたつしかありません。ロシアで自由に生きるか、アメリカの刑務所で過
 ごすかです。このふたつの選択なら、彼は自由を選びます。
・私たちは、テロ行為が我々の社会の存亡にかかわる脅威であるかのように政府がふるま
 うことを許してきました。私たちは世界の歴史の中でも最も安全で治安の良い社会に生
 きています。テロの脅威を適切に評価すれば、テロ行為に対する政府の関心や、テロ行
 為防止のために要求する金額、あるいはテロ行為を防ぐために必要とされる権力の大き
 さには、まったく正当性がないことがわかります。単に安全であることが問題とされる
 ているのではないのです。問われるべきなのは、今よりどれほど安全になりたいのか、
 そしてそのために、どれほどの代償を払うのかということです。
・今アメリカでテロリストに殺される確率は400万にひとつです。テロリストに殺され
 るより、浴槽で溺れて死ぬ確率のほうが高いのです。なぜ私たちは、世界大戦や冷戦下
 の際の脅威と同じような脅威に直面しているかのように行動するのでしょうか。
・アメリカでは、政治的リーダーがテロの脅威について言及すると、力強いと賞賛されま
 す。穏やかの口調で、「この問題をいろいろな角度から分析してみましょう。我々は、
 戦争を始める必要はありません。新たな権限など必要ありません」と言えば、世間知ら
 ずで意気地がないと言われるのです。実際にはその反対なのにもかかわらず。私たちは、
 政治家としての強さを、対応策の威力で判断すべきではありません。強さは、勇敢さや
 恐怖に立ち向かう姿勢をもとに判断すべきです。私たちの政治制度では、すべての政治
 的なインセンディブが、恐怖を煽る人に見返りを与え、沈黙を推奨する人には罰を与え
 るように機能しています。
・今両国にとって特に強調すべき重要な点は、両国の制度が思っていたよりも脆弱かもし
 れないということ、ある程度安定していると思い込んでいた制度が、あっという間に脅
 かされることも充分あり得ることだということです。
・過去の社会から受け継いだ自由な社会を守りたければ、私たちにはそれ以上の行動が求
 められているのです。物事が最悪の事態になり得るということ、そしてまた、最悪の状
 況になるのはあっという間である得ることを、私たちは常に認識しなければいけません。
 民主主義社会では、単に過去から受け継いだものの上にあぐらをかいているだけではい
 けません。民主主義には行動する責任が伴うのです。