指揮官たちの特攻   :城山三郎

指揮官の流儀 直球リーダー論 [ 曹貴裁 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/3/22時点)

「玉砕総指揮官」の絵手紙 (小学館文庫) [ 栗林忠道 ]
価格:648円(税込、送料無料) (2019/3/22時点)

木村昌福 連合艦隊・名指揮官の生涯 (光人社NF文庫) [ 生出寿 ]
価格:802円(税込、送料無料) (2019/3/22時点)

この本は、太平洋戦争での神風特攻隊の指揮官たち、特に関大尉と中津留大尉について記
したものである。関大尉は、神風特攻第一号に選ばれた人物であり、中津留大尉は、最後
の特攻隊員となった人物である。二人は海軍兵学校の同期生という点や、結婚してまもな
いという共通点を持っていたが、多くの点では対極にあったようだ。例えば性格面では、
関大尉はかなり荒い性格であり、中津留大尉はとても温厚な性格だったようだ。この性格
の違いは二人のそれぞれの生まれ育った境遇からきているようだ。そんな性格の違いから
か二人は、同期生でありながら、交流らしい交流はほとんどなかったらしい。
関大尉が神風特攻の第一号に選ばれたのは、もしかしたらその荒い性格が原因していたの
かもしれない。当初、特攻隊員の選出基準には「親一人子一人」の者や「妻帯者」は外す
という暗黙の選考基準があったようだが、関大尉は「親一人子一人」であり「妻帯者」で
あるにもかかわらず、神風特攻第一号の指揮官に選ばれた。これは、関大尉が自分の部下
たちはもちろん、同僚である指揮官にも暴力をふるったというその性格を、上官たちもあ
まり快く思っていなかったからではないのかと思われる。神風特攻に選ばれた関大尉自身
も、特攻という戦略については、納得していなかったようだ。
これに対して中津留大尉は、その温厚な性格さもあり、上官たちの受けもよかったのであ
ろう。ながらく教官職にとどまり、終戦まで生きながらえることができた。しかし最後は、
その温厚さが災いしたのではないか。自分では飛行機を操縦できない宇垣航空艦隊司令長
官の命令で、終戦日である8月15日の玉音放送後に「最後の特攻」として飛び立った。
つまりは、宇垣司令長官の自決に、付き合わされたのである。
こうしてみれば、二人とも軍隊という組織の不条理により、命を落とすことになったと言
えるのではないのか。命令ひとつで、人の命を簡単に奪ってしまう組織。「国のため」と
きれいごとを言いながら、実際には自分の組織のメンツを保つために、個人的な「思い」
のために出された命令によって、多くの善良な人々の命が、虫けら当然に捨てられていっ
たのだ。
このことはなにも、太平洋戦争の時だけの特殊なものではないと思う。最近の安倍政権で
の「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」などをみても、「国のため」とか「国民を守る
ため」とか「きれいごと」を前面に出してはいるが、結局は「国家」とか「政府」とか権
力者側の組織防衛のために、使われてしまうのではないか。
最近の世の中を見ると、政治においても企業においても、そこに生きる個々人の権利が、
どんどんないがしろにされてるケースが、とても多くなってきているように感じる。権力
者の権力がどんどん強大化し、やがては支配者・独裁者になっていく。隣国の北の国を
「将軍様の国」「独裁者の国」と哀れんでいるが、日本もそれに近づいているのではない
のかと近頃、感じる。

幸福は花びらのごとく
・真珠湾攻撃においては、日本軍の空襲は実に正確で、軍事基地だけに集中し、おかげ
 で市民はバルコニーに出たり、屋根に上ったりして見物できたそうです。
・日米開戦に反対していた山本五十六連合艦隊司令官らは、空母を中心とする航空戦力が
 海戦の勝敗を決するとしていたのに、日本機が攻め込んだ真珠湾には、かんじんのアメ
 リカ空母はすべて出払っていて、ただ図体の大きな戦艦ばかりが繋留されたまま、格好
 の目標という形で並んでいた。
・経済力では桁外れに大きなアメリカが、情報網を含め、準備万端整え待ち受けていると
 ころへ、日本側はほとんど素手も同然で飛び込んでいった、と見ることもできる。
・旗艦では、上甲板に天幕を張った席で、フランス料理のフルコース。しかも、食前、食
 中、食後と、軍楽隊は演奏し続ける。
・予科練出身のある搭乗員の手記で何より印象的なのは、日米の圧倒的な戦力の差であり
 アメリカ側が十分な余裕を残して、一方的に攻め立てている、ということであった。
・特攻出撃を大西中将が持ち出したとき、基地の司令が不在であったため、玉井副長たち
 が「司令の意向を訊かなくては」と、ためらったのに対し、大西中将は、「すでにマニ
 ラで司令に会い、了解を得ている」と、突き放した。実際に会う機会などなかったのに、
 事を急ぎたい気持ちのせいであろうか。
・副長たちは先に予科練出身者など下士官たちを集合させ、体当たりへの応募者をつのっ
 ていた。これに対して、全員がすかさず、「行かせてください」と声をあげたと、副長
 たちは伝えるが、これもおかしい。押される一方の戦況から、若者たちが危機感や焦燥
 感を抱いていたとしても、いきなり「明日にでも死ぬ」と言われて、即答できるわけが
 ない。すぐには声が出ない若者たちに、幕僚たちは、「行くのか、行かぬのか」と、声
 をはり上げ、はじめて全員応募したというのが、真相のようである。
・「ぼくは天皇閣下とか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛の家内のために行
 くんだ。命令とあればやむを得ない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のた
 めに死ぬ。」
・各地の練習航空隊では、次々と卒業繰り上げが行われ、まだ未熟な生徒までが攻撃部隊
 に編入され、国内外の第一線基地へと移動させられていく。実用機教程の教官も、もは
 や教育のためではなく、即戦力。それも極めて頼り甲斐のある特攻戦力として、動員さ
 れていく。 
・中津留大尉は「ぼくは死に急ぎません」と薄く微笑みながら言ったという。その妻、そ
 して、いずれ生まれてくる子のためにも、むやみに死ねない、死にたくない。一日でも
 多く生きていたい。特攻出撃を望まぬわけではないが、できる限りおそいほうがいい。
・それほどの高性能機と、鍛え上げた部下たちを、一回限りの体当たりで失うなど、とん
 でもない話である。それより、その高性能機とベテラン操縦員を繰り返し活用すること
 が、勝利へのたしかな道ではないのか。教官江間少佐のその考えは、中津留大尉の頭に
 浸みとおっていた。 
・B29の編隊が現れると、日本の戦闘機はほとんど姿を消し、警報が解除になった後、
 それこそ「押っとり刀」でといった風に、一機、二機と戻ってくる。後からわかったこ
 とだが、戦力温存のため、いち早く安全圏へ退避していたというのだ。
・宇垣中将は着任早々「特令のないかぎり、攻撃は特攻とする」と宣言した。主客転倒で
 ある。特攻は例外どころか、むしろ原則になり、通常爆撃こそ例外とされたからである。
・考えてみれば、「桜花」はアメリカ人に限らず、ふつうの人間の常識では兵器の常識で
 は兵器の枠に入るものではない。武具とか兵器とかは、まず身を守り、あるいは身を守
 ることを前提として、相手をたおそうとする道具のことである。うまくたおせるかどう
 かは別として。ところが、「桜花」は必ずたおせる保証がないのに、自分がたおれるこ
 とだけは確実である。
・一万五千を超す少年兵が最多数振り向けられたそうであったのは、「伏龍」部隊である。
 機雷を棒の先につけて持ち、潜水服を着て、海底に縦横五十メートル間隔で配置される。
 敵艦船が来たら、その棒を敵艦の艦底に突き上げて、爆発させる。もちろん、当人も、
 周辺に配置された隊員たちの命も、一挙に吹っ飛ぶ。少年兵の命など花びらよりも紙き
 れよりも安しとする日本海軍ならではの発想である。   
・二度特攻襲撃し、エンジン故障や敵艦未発見で生還はしたものの、ストレスで精神がお
 かしくなり、帽子をいつも阿弥陀にかぶり、まともな会話ができなくなった男もいる。 
・特攻隊員を送り出す毎に、「貴様らのすぐあとから行くから」を口癖にし、ついに出撃
 せず、「あとから少佐」とあだ名をつけられた例もあった。 
・関大尉爆装で零戦にはじまり「桜花」に至るまでの決死行というか、必至行。それは欧
 米人にとっては最後まで信じられるもの、信じたくないもののようで、アメリカ側の戦
 記にもちろん感嘆の声はあるものの、怖れ、憤り、憎しみ、罵りなどもまた多い。彼ら
 にとって、進んで死に向かい、ためらいもせず逃げもしない人間ほどこわい存在は無か
 ったからである。 
・実は日本では、広田弘毅元首相が親しい人に漏らしたように、「長州がつくった憲法が
 日本を滅ぼした」、つまり、陸海軍は天皇が親率するという「統帥権の独立」をふりか
 ざして、政治を踏みにじり、暴走に暴走を重ねており、天皇がその軍の頂点である以上、
 天皇を裁くことは当然、というのが連合国側の考え方であった。広田は生き残りの文民
 政治家として、連合国側の言う「政治」の責任を一身に背負おうと、自分の弁護する機
 会である東京裁判の法廷では、一言もしゃべらず、それらすべてを肯定して一身に罪を
 引き受け、処刑された。
・終戦のその夜、海軍特別幹部練習生である私を驚かせたのは、犬の悲鳴であった。下士
 官や士官がせっかく刀を買っておいたのにと、捕らえさせた犬めがけて、試し斬りをは
 じめたのだ。一頭、また一頭と、犬のあわれな悲鳴が、闇に長く尾を曳いては消えた。
 特攻隊員たちが柱相手に刀を振るったのとはちがい、野卑というか、低劣。その程度の
 男たちが、上官であり、教官でもあったわけである。

解説
・戦争中、日本が負けることなど想像もせず、戦局が不利になればなるほど、戦闘員とな
 ってたたかわねばならないと自分を追いつめる使命観。生き死に迷うのは、非国民とい
 うつよい思い込みが、少年少女をしっかり縛っていた。
・あとからふりかえれば、愚かということになろう。しかし真面目であればあるほど、感
 性が豊かであればあるほど、戦場に出ることへの心をかきたてられていたのだ。
・だが、志願入隊した海軍は、予想をことごとく裏切る。「牛馬同然どころか、牛馬以下」
 朝から夜中まで拳骨や棍棒で殴られつづけ、頭はコブだらけ、全身、内出血のあざだら
 けになる。眠っていれば突然ハンモックが切り落とされるなど、「憂国」の純真な心を
 踏みにじるリンチがあいついだ。陸海軍ともに、戦闘能力は底をつき、戦争終結のきさ
 しも見えない。軍隊内の志気は低下、自暴自棄の荒廃がひろがり、末期症状であった。
・この世にこんなことがあっていいのか。特攻を考えた奴は、修羅だ。特攻命じた奴も、
 修羅だ。 
・特攻兵器「桜花」、人間ロケット弾。常識では考えられない、兵器とはいいがたい代物。
 これを容認した軍人たちの、みにくい退廃を感じさせられる。
・最後の特攻指揮官中津留大尉は、かつて山本五十六連合艦隊司令官のもとで参謀長だっ
 た宇垣纏司令長官の命令で、敗戦後のと特攻攻撃に出ている。宇垣司令長官は出動にあ
 たり、戦争が終結したことを告げていない、敗戦の責任をとるべく死ぬというなら、一
 人で自決すればすむことである。祖国の明日のため、有為な青年を一人でも多く残そう
 という判断があれば、敗戦を伝え、「諸君は、それぞれの判断で身を処されよ。死に急
 ぐことは忠義ではない」と言うべきだった。