正社員消滅   :竹信三恵子

週4正社員のススメ [ 安中 繁 ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/3/21時点)

正社員消滅時代の人事改革 [ 今野浩一郎 ]
価格:2592円(税込、送料無料) (2019/3/21時点)

どうする不況リストラ正社員切り [ 徳住堅治 ]
価格:1080円(税込、送料無料) (2019/3/21時点)

「正社員」の研究 [ 小倉一哉 ]
価格:2376円(税込、送料無料) (2019/3/21時点)

ルポ正社員になりたい 娘・息子の悲惨な職場 [ 小林美希 ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2019/3/21時点)

2016年に、大手広告代理店「電通」の新人女性社員が、「生きるために働いているの
か、働くために生きているのがわからなくなってからが人生」という最後の言葉を残して
自殺した。こうした過労死で自殺した人は他にも多くいると思われるが、この女性社員の
自殺がマスメディアから一段と注目されたのは、彼女が美形であったとともに日本の最高
学府である東大卒という、世間一般には超エリートと目された人であったからであろう。
東大を卒業して大手広告代理店「電通」に就職と言えば、世間一般には、なんとも羨まし
いエリート人生を歩んでいる人と映る。しかし、そんな彼女でさえも、就職して1年あま
りで、残業に次ぐ残業で心身に異常をきたし、自殺してしまったのだ。このことは、一般
の会社員にとって、日本の企業での労働の過酷さはここまで来てしまったのかと、少なか
らぬ衝撃を受けたはずだ。
まさに今や日本の労働者の多くは、「生きるために働いているのか、働くために生きてい
るのかわからなくなってしまっている」状態にまで追い詰められながら生きている。その
半面、低賃金で働かさせる非正規社員ばかりが増え続け、正規社員においても給料は増え
ず減る一方である。かつては正社員と言えば、安定雇用が保障され、人間らしく働くため
の基本条件であったが、いまではその正社員でさえも、高拘束を余儀なくされ、過度な残
業や過度の転勤を強いられ、人間らしく生活していくことが難しい社会になってきている。
いまの安倍政権は、「働き方改革」称して、関連法案を成立させた。この関連法案の中身
を見ると、一見、労働時間規制を強化したように見えるが、逆に「高度プロフェッショナ
ル制度」を新たに盛り込むことによって、今まで労働法で規制していた労働時間の規制か
ら、完全に外してしまっている。一部の職種に限定するというが、これを突破口にして、
今後、いろいろな職種に拡大されていくのは目に見えている。いったい誰のための「働き
方改革」なのか。これからの社会は、ますます人間らしく生きるのが難しい社会になって
いく。
これは、一部特権階級の人たち以外の人にとっては、まさに「働くために生きている」社
会なのだ。そしてそういう社会とは、身分制度があった、かつての中世の封建社会に逆戻
りしたような社会なのだ。このままいけば、貴族と奴隷という二層の階級社会が、再び出
現する。いまの日本は、安倍政権主導で、国をあげてそういう方向に突き進んでいる。

はじめに
・2016年10月、日本を代表する大手広告代理店「電通」で24歳の新人女性正社員
 が前年末過労により自殺し、労災認定されたことが報じられた。一カ月の残業時間は、
 自殺する直前には100時間をはるかに超えていたとされ、自殺前にSNSで、「生き
 るために働いているのか、働くために生きているのかわからなくなってからが人生」と
 書き残していたという。
・かつて「社畜」とされた「正社員」は、いまやあこがれの的だ。若い世代の間からは
「正社員になるためならなんでもする」という声が出る。背景にあるのは、正社員の減少
 だ。バブル崩壊の中で正社員削減による人件費減らしの動きが進み、1994年に雇用
 者の5人に1人にとどまっていた非正社員は、2004年には3人に1人になった。企
 業からの要求を反映して、1990年代末、契約社員や派遣社員の規制緩和が進み、会
 社は楽に安上がりな非正社員を増やせるようになったからだ。
・その裏で正社員は3人に2人に減少し、その枠に入れない人々から悲鳴が上がり始めた。
 若い男性の正社員就職の受け皿だった製造業でも派遣が解禁され、派遣工員として就職
 していく若者が目立つようになった。ついに2014年、非正規の割合は調査以来、初
 めて働き手の4割を超えた、報じられた。
・そんな変化の中で、2005年ごろから、非正社員についてマスメディアの描き方も変
 わった。「不自由だが安定したアリ」としての正社員に対して、「自由に生きたいキリ
 ギリスたちの働き方」と、明るく受け止められた非正社員像が、「貧困の温床としての
 劣悪な働き方」に変化していったのだ。
・だが、そうした報道は、非正社員の働き方の改善へと世論を促すだけではなく、思わぬ
 作用ももたらした。貧困に陥りたくなければレアな「正社員」になるための椅子取り競
 争を勝抜け、そう煽り立てる世論を招き寄せたのだ。その結果として、「なんでもいい
 から、とにかく正社員」を志向する、学生たちが生まれた。
・「とにかく正社員」との思いにつけ込むように、非正社員並みの低賃金労働にもかかわ
 らず無期雇用というだけで、「正社員」を標榜する会社が出現するようになった。極端
 も 当化される。「正社員だから」ときわめて高度な貢献も求められるのに、待遇はそれに
 見合ったものではない「名ばかり正社員」である。
・正社員は無期雇用と引き換えに、会社から強い拘束を受けるのが当然だという認識が、
 会社側だけでなく働く人たちのあいだにも広がったことが、「名ばかり正社員」の蔓延
 の背景にある。     
・そんな正社員への拘束強化の流れはいわゆる「ブラック企業」にとどまらず、名の通っ
 た企業にも及び始めている。電通の女性社員の過労自殺が象徴するように、正社員の働
 き方はますます苛酷化している。
・いまや正社員ほど、ワークバランスの満足度が低い、そんな調査も出てきている。正社
 員、派遣社員、契約社員、アルバイトの四雇用形態で、現在のワークバランスをたずね
 たところ、正社員は「良い」が18%で四形態のなかでも最も低く、派遣社員は41%、
 契約社員とアルバイトはともに34%だった。 
・私たちはいま、二つの「正社員消滅」に直面しているといえるのではないだろうか。ひ
 とつは、非正社員の増加による労働現場から文字通りの「正社員消滅」。そしてもうひ
 とつは、「名ばかり正社員」に象徴されるように、もはや正社員であることが「安定と
 安心の生活」を全くに担保しなくなったという意味での「正社員消滅」だ。
・現在、政府は「同一労働同一賃金」「長時間労働の是正」など「働き方改革」の旗を掲
 げている。安倍晋三首相が「非正社員という言葉をこの国から一掃する」と宣言してい
 るように、一見すると「正社員」を復権させようとの動きにも見える。しかし、議論の
 内容を仔細にみると、むしろ「正社員消滅」を促進しかねないものをはらんでいる。残
 業規制のための政府案として忙しい時期の一ヵ月間は、過労死要件とされる月100時
 間までの残業を認めることが示されたのはその典型だ。

正社員が消えた職場
・「同一労働同一賃金を目指すと言うんだったら、正社員をなくしましょう」って言わなき
 ゃいけない、と竹中平蔵・パソナグループ会長は発言した。
・パートは好きな時に辞められる気楽な働き方といわれてきた。だが、それさえもいまは、
 必ずしも当てはまらなくなっている。パートが基幹労働力になってしまったからだ。
・「正社員が消えた職場」は、責任もノルマも、辞め難さも、そして定年後の再雇用まで、
 正社員そっくりのパートが活躍する世界だ。ただ、この「正社員のクローン」には、正
 社員と決定的に違うところがある。それは、経済的自立が難しい低賃金と、短期契約の
 不安定さだ。
・「なぜこの待遇でこんなに働くのか」といった反発を抱くには、比較対象となる正社員
 の存在が必要だ。だが、そうした正社員はすでにいない。現場には事実上、パートだけ
 で回っているからだ。    
・製造業で非正社員が増えた背景には、日本の製造業の環境の変化がある。グローバル化
 の中で1980年代、海外の低賃金の労働力を求めて製造業の生産拠点は海外に移り、
 バブル崩壊後の不況の中で国内に残った工場は、景気の変動に合わせて簡単に契約を打
 ち切ることができ、賃金も安い非正規工員を増やすことで人件費コストを抑えたのだ。
・1999年には労働者派遣法が改定された。極端に不安定な働き方であるため一定の業
 務に限られていた減権労働が、原則どの業務でもOKに切り替えられた。危険業務が多
 いことなどから禁止業務として残されていた製造業派遣も、2003年に解禁された。
・労働基準法36条では、「労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはそ
 の労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数
 を代表する者との書面による協定」(36協定)を結び、これを届け出れば、1日8時
 間、週40時間労働の規定を超えて労働時間を延ばしたり、休日に働かせたりすること
 ができる。だが、労組が過半数の社員を組織できなければ、会社と「36協定」を結べ
 なくなる。    
・年300万円弱という収入は、教育費のかかる子どもがいればぎりぎりの水準である。
・短期で契約が切れる非正社員が4割近くに達し、正社員もリストラと無縁ではなくなっ
 た日本で、働き手の次の仕事探しを支えるハローワークは身近な公的機関になった。働
 くことは生活の命綱だ。だがいま、ハローワークで仕事を失った人々の支援を担当する
 職員はほとんどが、自身も1年で契約が終了する非常勤職員だ。小規模のハローワーク
 や難しい相談の対応では常勤職員が窓口に出ることはあるものの、仕事を探す人たちを
 応援する人々の大半が、翌年は仕事探しに迫られるかもしれない「正職員ゼロ」すれす
 れの光景が、そこに出現している。
・2008年秋のリーマンショックでリストラされる働き手が増え、政府は、求職者の増
 大に対応した相談窓口の拡充と、急場の雇用の受け皿づくりを兼ねて、ハローワークの
 非常勤相談員を大幅に増やした。その結果、2009年、ハローワークの常勤職員数を
 上回り、職員全体の6割に達した。
・中でも過酷なのは、自身が公募の対象者なのに、立場上、応募したいという求職者に対
 し、そのポストを紹介したり応募の手続きを進めたりしなければならない場合だ。
・もっと問題なのは、就職支援をはじめ、一線で住民に接する相談業務のほとんどが、発
 言力の弱い非常勤に担われているため、行政の仕事の核心であるはずの住民ニーズが行
 政組織の意思決定層に十分伝わらず、ちぐはぐなサービスが増えていきかねないことだ。
・3年公募制も、熟練した職員やチームワークを失わせ、職員のメンタル疾患まで生み出
 し、住民に必要な就職支援力を弱めている。引き受けている仕事の重さに合わせて、相
 談員たちの待遇を引き上げ、安定化させるのではなく、「本来はいないはずの人たちな
 のだから3年でいなくなってもらう」と消し去っていく。
・かつて、非正規からの労働相談は、正社員や会社相手のものがほとんどだった。ところ
 が最近は、このような非正規同士のちいさなもめごとや、その挙句の正社員への告げ口
 合戦が少なくない。
・正社員のいじめや差別に対し、非正社員がまとまって対抗するというかつての構図が、
 対抗すべき「正社員」が姿を消したことによって崩れ、非正規相互のつぶし合いが始ま
 っているようにみえる。「正社員」が主流だった時代には常識だった労使交渉のノウハ
 ウも、正社員や労組の消滅で伝承されず、「けんかのルール」がわからなくなっている。
 そんな中で、少数派となった正社員は多数派となったパートに気圧されて客観的事実を
 把握することもなく、泣きついた人の話を鵜呑みにし、相談者のパートを排除する側に
 回ったりしてしまう。
・学校を卒業してから、いきなり非正規で働き始め、働くルールなど知る機会を持たない
 働き手が増えている。それを、身をもって示す正社員も周囲にはいない。ルールやモラ
 ルを教える労組もない。   

「正社員」を支えてきたもの
・2014年、厚生労働省の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」で、非正規社員
 が初めて40%を超えたことが話題になった。だが、この「4割」という数字は、平均
 値にすぎない。非正社員が正社員を上回り、ときには9割を超える会社もあることが見
 えてくる。
・非正社員の増え方が大きかった上場企業の1位は大手スーパーのイオンで、非正規率は
 66.1%となっている。
・どんな職務を遂行しているかではなく、正社員か非正社員かという雇用形態で大きく待
 遇差がつけられてしまう日本の慣行は、「差別」にあたるのではないかというのが国際
 感覚である。  
・非正規と人口に言うが、正社員と同等の職務を担っている場合や、正社員以上に厳しい
 仕事に従事している場合もある。契約が短期というだけで、正社員との間に線を引いて
 待遇格差を設けるのは実態に合わない。
・日本の「正社員」と「非正社員」の待遇の違いは、職務内容を見ず所属で線引きをする
 身分制度のようなものになっている。 
・正社員とは、会社の要求のままに無制限に転勤や残業を引き受けるものであり、こうし
 た会社の拘束への見返りとして、高賃金や雇用保障が発生するという考え方だ。一方、
 子育てや介護のため転勤や残業ができない社員は「制約社員」であり、こうした働き手
 はパートなどの非正規に向かう。この定義に立てば、残業や転勤などの会社の命令に従
 うことが難しい社員は、職務が正社員と同等だとしても、待遇差があるのは当然、とな
 る。
・人は常に、会社の仕事だけでなく、家庭や地域での役割も抱えている。会社の要求通り
 無制約に働けるのが正社員とされ、この安定雇用と生活できる賃金を保障される働き手
 だという立法化されでもしたら、家庭や地域を顧みない特異な働き手以外は雇用と十分
 な賃金を保障されないという現状が合法化されかねない。特に、女性労働者への打撃は
 計り知れない。
・1986年当時、雇用者のうち男性の9割以上、女性の8割近くを占めていた正社員は、
 2016年、男性の78.1%、女性の43.7%、働き手全体の6割まで縮小した。
・労基法には1日8時間、週40時間労働の規定があり、企業では就業規則によって、始
 業時間と終業時間が決められ、これを超過すると、残業代という経済制裁的な規制がか
 かり、残業代を払わなければ罰則もある。
・日本の正社員は、パートにはないさまざまな義務を負っているとされる。残業命令・配
 転命令に従う義務、退職後に元の会社と競合関係にある会社に就職したりしてはならな
 い競業避止義務、業務命令への服従義務などがそれだ。ドイツやフランスでは、正社員
 に相当するフルタイム社員は、パートと同じくそうした義務がない。日本の正社員の賃
 金の高さは、そうんあ思い義務からくる高負担の見返りであり、欧米型の「同一労働同
 一賃金」ではなく、「同一義務同一賃金」という固有の平等原則に基づいているという
 考え方もある。 
・日本型雇用契約の特徴は、@職務の定めのない雇用契約、A新卒一括採用という入口と
 定年退職という出口の間、仕事の有無にかかわらず解雇せずに温存するという雇用管理、
 B職務に関係なく賃金が上昇するメンバーシップに基づく報酬管理、とされている。
 「正社員」の待遇は、このような「メンバー」としての資格を認められたことに対して
 与えられるという見方だ。ここでは、会社に入れるか入れないかが問われ、入ってから
 の職務については契約もなく、働き方も会社への白紙委任という形になる。その結果、
 長時間労働や頻繁な転勤など、会社の指示を受け入れることがメンバーとしての正社員
 の責務となる。一方、メンバーシップを持たない非正社員は、必要な時だけ職務に基づ
 いて契約し、メンバーに保障されるボーナス支給や、企業別労組への加入はできない。
 ただし、これらはあくまでも「現実の姿」にすぎず、法律学的には「メンバーシップ契
 約」は間違いある。民法では、労働契約とは、「労働に従事すること」に対しての「労
 働に対する報酬の支払い」であって、メンバーになったことに報酬が支払われるわけで
 はないからだ。
・育児・介護休業法では、2002年度から「小学校就業前の子の養育又は要介護状態の
 家族の介護を行う男女労働者が請求したときは、事業主は、1カ月について24時間、
 1年について150時間を超える時間外労働をさせることはできない」とする改定も加
 えられている。

社員なんだから:高拘束の独り歩き
・戦後の国際社会は、働き手を貧困に追い込まない働き方へ向け、雇用保障や生活できる
 賃金の確保を目指してきた。その中で日本企業の高拘束も、「安定雇用」との引き換え
 という取引条件の中で保たれてきた。だが、いまや「正社員=高拘束」だけが定義とし
 て独り歩きし、「安心・安定」は遠景に退きつつある。
・正社員だと言って相談にやってくる若者たちの勤め先には、正社員には当然あると考え
 られてきた労働条件を備えていない会社が目立つ。
・週60時間以上働いている割合は中心的正社員の26%に対し、周辺的正社員では
 38%と高い一方で、周辺的正社員の月収は、中心的正社員、パート・アルバイト、他
 の非正社員と比べるとパート・アルバイトに次いで低い。フルタイムで働く人々のうち
 で最高の労働時間、最低の賃金という「正社員」の存在が浮かぶ。特に注目したいのは、
 「違法状態を経験した」という働き手が「中心的正社員」の44%、「周辺的正社員」
 の54%、「パート・アルバイト」の58%、「他の非正社員」の51%と、正社員で
 も半数前後に達していることだ。
・大きな原因は、会社に対するチェック機能が社会から失われてしまったことだ。労組が
 あれば、労働法などを活用して働き手の権利を回復することもできないわけではない。
 だが、いま日本では労組の組織率は17%台に落ち込んでいる。人を使い捨てる経営を
 していても外からは見えず、社会から批判を受けることはない。批判を受けなければ、
 人件費を最大限に切り詰めて労働ダンピングを行った会社が勝つ。
・「川行」のような宗教を通じた研修は、働き手を内面から支配し、軍隊のような鉄の規
 律を徹底することができる。その一方で、経営者としての自覚や経営努力は、どこまで
 も免除される。  
・雇用保障を求める社会的な圧力が減った中で「高拘束」だけが残ったまま、働き手には
 無限の服従を求め、雇う側は無限に免責されるというダブル・スタンダードの世界が生
 まれようとしている。それが広がれば、働き手は体を壊すところまで追い詰められる。
 働けなくなれば生活費を稼げなくなるから貧困化し、地域社会に放り出される。そのよ
 うにして放り出された働き手の親、配偶者、恋人など多数の人々が、その不幸の巻き添
 えを食う。会社は儲かるかもしれないが、社会は疲弊する。
・日本株式会社の会社人間たちは自然発生的に登場したわけではない。労務管理技術の進
 化のたまものでもあった。個人の自由であるはずの政治信条にまで会社が介入する企業
 ぐるみ選挙も横行していく。
・正社員の「正」が「正しい働き方」を意味していたころ、その安定雇用や生活できる賃
 金、働き手の安全ネットが整備された状態は、働き手が目指すべき規範でもあった。そ
 の規範が崩れ、正社員が単なる高拘束の働き手となってしまった結果、目指すべき「正
 しい働き方」は「会社の言いなりに高拘束で働くこと」へと変わりつつあるのではない
 か。  
・「高拘束ではあるけれど、それと引き換えに高待遇」だった正社員の消滅とともに、
 「低待遇ではあるけれど、それと引き換えに低拘束」という従来の非正社員をも消滅し
 たのではないか。そんなことを感じさせられるのは、「拘束のゆるい楽は働き方」とさ
 れてきた非正社員の過労死・過労自殺が相次いでいるからだ。
     
正社員追い出しビジネスの拡大
・人は働けなくなると収入を失い、資産や蓄え、生活保護などの安全ネットが利用できな
 い限り、飢え死にする。人の生存がかかっているからこそ、雇う側は働き手を直接雇用
 し、それなりの雇用責任を引き受けることになっている。働き手をモノのように導入し、
 いらなくなったら返品する「間接雇用」が制限されてきたゆえんだ。ただ、このような
 枠組みの下では、リストラは経営側にも大きな負担だ。正社員の追い出しが珍しくなく
 なった日本の会社で、派遣労働は、そうした負担の代行サービスとして需要が高まった
 というのだ。
・だが、「痛みを感じずにクビを切れる」からこそ、間接雇用は戦前、建設や港湾、鉱山
 などの過酷職場で使い捨て的な働かせ方の温床となり、その反省から戦後の日本では、
 当初禁止されていたのではなかったのか。そんな働き方が解禁されたのは、1985年
 の男女雇用機会均等法の制定によって女性保護が撤廃され、家庭に主婦がいることを前
 提にした男性型の働き方に女性も合わせることが求められたからだ。
・貧困につながらないために用意されているはずの就職支援システムが企業のビジネスの
 タネとなる様相を帯び、国の助成金がその背中を押すかのような形を取り始めた。
・マニュアルを作ってリストラ手法を指南していたのが、大手人材会社テンプスタッフだ
 ったことも明らかになった。テンプスタッフの資料には「貴社人員適正化施策実施のご
 提案−戦力入れ替えのお勧め」と記され、評価のためのチェックリストまで用意されて
 いたと報じられている。  
・確かに、いまや多くの先進国が、働き手の産業間の移動を促す流動化政策を取り始めて
 いる。変動相場制によって、企業の業績は短期で終わり、これに合わせた柔軟な働き方
 へ向けて、どの国も苦労している。グローバル化によって産業構造が変わる中で、成熟
 産業から有望産業へと働き手を移動させることで生活していける雇用を育てようという
 発想は、わかる。だが、こうした政策を主導する政府の産業競争力会議などでの発言を
 見ると、電機業界や王子ホールディングズなどで見られた助成金の使い方は当然の帰結
 だったと思える。
・産業構造の変化に対して、成熟産業から人材を必要とする成長産業へ、労働者のスキル
 アップやスキルチェンジにより、失業を経ない円滑な労働移動により対応てきる労働市
 場を目指す。このため、これまでの雇用維持型の政策から、労働移動支援型の政策にシ
 フトする。雇用の柔軟化によって労働者が食べていける仕組みを目指す国際的な労働移
 動政策を踏襲しているように見える。だが、非正規のほとんどを占める有期雇用の働き
 手の74%が年収200万円以下で、正社員と同等の仕事をしている有期雇用者の
 60%、正社員よりスキルの高い仕事をしている有期雇用者の43.5%が年収200
 万円以下、という環境下の移動促進政策では、生計を立てられる雇用への労働移動は難
 しい。  
・産業別の増減を見ると、製造業・建設業といった「男性型」ともいえる高賃金職種が減
 り、介護などのサービス系が圧倒的に増えていることがわかる。こうした分野は従来、
 「夫に養われている女性が担うから安くてもかまわない」とされがちで、非正規が多く、
 賃金水準が低く据え置かれていることが多い。「失業なき労働移行」の先は非正規とな
 りやすい社会構造なのだ。
・「雇用の流動化」は、正社員の追い出しにはつながっても、グローバル化によって激変
 する経済構造に合わせて食べていける産業へと国民を誘導するものとはならない。いま
 起きているのは、会社の経営が悪化していなくても解雇をしやすくして、会社の負担を
 軽くして利益を増やしたり、財務上の見かけを向上させたりし、その解雇を人材ビジネ
 スの利益創出に転化する「雇用流動化」の仕組みづくりのように見える。
  
「働き方改革」にひそむワナ
・正社員も人間であるからには、家庭があり、子育てがある。無期の安定雇用で経済的自
 立が可能な賃金水準が保たれ、かつ、過度な残業や転勤がない働き方は、人間らしく働
 くための基本条件だ。こうした要求と人件費削減を抱き合わせる形で、いわば「中二階
 型」正社員という妥協の産物が、限定付き無期雇用正社員といえるかもしれない。 
・1986年に男女雇用機会均等法が施行された時、正社員を、従来の高拘束の男性型働
 き方である総合職コースと、残業・転勤はないが昇進もほとんどなく総合職より大幅に
 賃金が安い一般職コースに分け、後者にほとんどの女性社員を仕分けた。この人事管理
 が、事実上の男女別賃金コースとして一般職女性からの賃金差別訴訟が相次いだ。
・職務は変わらないのに残業・転勤がないことなどを理由に賃金を低く抑えられれば、女
 性だけが対象ではないため性差別とはいえないものの、生活を大事にした社員への不利
 益扱いになるという懸念の声も起きかねない。とはいえ、この時点での限定正社員は、
 多少は賃金であんばいする代わりに生活との両立は確保する正社員、という域を出てい
 ない。第二次安倍政権の下で設けられた雇用ワーキング・グループは、ここに「解雇し
 やすい正社員」という期待を貼りつけていった。
・正社員に「無限定」な働き方を強いられれば家庭や自分の生活は壊れる。定年までの終
 身雇用がどうかは別として、仕事がある限りは解雇されない無期雇用は、生活の安定に
 は不可欠の、合理的な制度だ。また、解雇の濫用の制限がなければ、会社が好き勝手に
 人をクビにすることに歯止めがかからず、働き手は将来設計さえできない。
・いまの日本社会では、解雇されても有利な仕事へ写ることは簡単ではなく、特に40代
 を超すと、低賃金な非正規として再就職するしかなくなる人々は多い。有利な転職が難
 しいからこそ働き手の抵抗が強まり、ロックアウト解雇のような強制排除の手法が登場
 すのであって、必要なのは、安心して転職できる同一価値労働同一賃金などの整備や生
 活できる産業の創出だ。 
・正社員が残業を引き受ける慣行のある企業は確かに多い。だが、原則として1日8時間、
 週40時間労働という労基法の規定が基本となり、これを超えたら残業代という経済的
 制裁が控えている。労働時間制度の改革は、「仕事を労働時間で測らない」とすること
 で、このような1日8時間労働の原則を崩していく作用を持つ。
・「労働時間にとらわれない働き方」として、「ホワイトカラー・エグゼンプション」が
 登場した。政府や経済界からは、1日8時間労働があるから8時間はたらかなくてはな
 らない、この規定をなくしてしまえば早く帰れる、という論法が繰り出された。当時の
 舛添厚労相が、この制度を導入すれば早く帰宅できるので、ホワイトカラー・エグゼン
 プションを「家庭だんらん法」と呼びたいと述べた。だが、ホワイトカラー・エグゼン
 プションは、ホワイトカラーを労働時間規制から除外するという規制緩和だ。企業の残
 業代減らしや、労働基準監督官からの追求逃れには役立っても、社員は8時間を理由に
 帰宅する権利を主張することは難しくなる。
・「高度プロフェッショナル制度」や「裁量労働制」の大幅拡大が提案されたが、これら
 に共通するのは、労働時間の把握が難しくなり、事実上、命じられた仕事が終わるまで
 帰宅できない仕組みになりうる制度という点だ。「正社員の高拘束の働き方」に対する
 批判を逆手に取り、長時間の拘束が悪いなら、何時間働いたか見えないようにしてしま
 おう、という逆転の発想だ。
・「高度な専門家で高収入なら、自分で労働時間を決められるわけではない。収入が1千
 万円を超える勤務医でも、病院の人手不足の中で頻繁な当直と多忙な診療に追われ、過
 労自死するケースもある。自分で出退勤が決められる役員のような立場については「管
 理監督者」として労基法の労働時間規制から外れてもなんとかなる。だが、専門家で年
 収が高いことは、過度の労働時間から逃れられる根拠にはならない。
・「正社員改革」の中身を素直に見ていくと、解雇しやすい正社員、無制限に長時間働いて
 も人件費コストが増えない正社員、育児や介護をすると賃金が下がる正社員、といった
 正社員をつくり出そうとしているように見える。みなが正社員を目指してきたのは、無
 期契約で安心して働けるから、生活できる賃金が保障されているから、育児休業や介護
 休業を取りやすいから、だったはずなのだが。
・「正社員改革」の方向性からもわかるように、正社員だからといって、必ずしも雇用の
 安定や生活できる賃金が約束されているわけではなくなっている。そこへ、介護報酬の
 引き下げや社会保険料の引き上げなどの社会保障の削減による負担増、低所得者に重い
 消費税増税、といった政府の政策によって賃上げ分が相殺され、実質賃金は2015年、
 過去26年で最低となった。
   
「正社員消滅」を乗り越えるために
・私たちの働き方はいま、気づかないうちに深刻な大転換を迎えつつある。ふと気づくと、
 一生懸命働いても生活を支えられず、簡単に契約を打ち切られる非正社員が働き手の5
 人に2人になり、こうした働き手が一線の仕事を担う「正社員の安いクローン」のよう
 に活用され始めている。正社員は、こうしたクローンとの差別化を図るべく残業も転勤
 も引き受ける「無限定な社員」へと追い込まれている。
・戦後社会では、働き手の生存権を国の公的サービスが保障するつくりをとってきた。失
 業の期間は国からの給付で生活を支え、資力の乏しい働き手でも仕事に就けるよう無償
 で職業訓練を保障し、再度働けるようにすることで貧困の再生産を防ぐためだ。日本で
 は欧州などに比べ、そうした公的な安全ネットが弱かったにせよ、私たちは雇用につい
 ての公の責務を無意識に前提にしてきた。それらを、バラ色のAI近未来論に便乗して
 はぎ取っていく方向性が、厚労省報告書からかいま見えてくる。
・風俗営業の業界では、賃金の保障をしないで済むようにするため、タイムカードを設け
 ないなど労働時間規制を受けない形を整えて、会社(店)からの指揮命令を受けない自
 営業的な働き方であることを強調する労働管理が増えている。その結果、最低賃金を割
 る働かせ方も合法とされてしまった事例だ。
・2014年、世界経済フォーラムが毎年主催するダボス会議で、安倍首相は、「既得権
 益の岩盤を打ち破る。ドリルの刃になるのだと、私は言ってきました。春先には国家戦
 略特区が動き出します。向う2年間、そこでは、いかなる既得権益といえども、私のド
 リルから無傷ではいられません」と語った。労働時間規制や不合理な解雇の禁止は、ど
 の働き手にも必要な人権条項といってもいいものだ。それらが「岩盤」であるのは、こ
 こに穴を開けてしまうと人権に穴が開くからだ。これを「既得権益」と名づけて、「ド
 リルで穴を開ける」作業。それが、正社員消滅作戦だ。
・土地や株などの資産による収益は平均して4〜5%程度だが、賃金は1〜2%の伸びに
 とどまる。その結果、富裕層への資産税などで人為的に抑えない限り、格差は拡大し続
 ける。第一次、第二次大戦、ロシア革命、世界大恐慌の中で富裕層の資産が崩壊し、ま
 た、戦費調達へ向けた富裕層への累進課税が可能になったことで、二つの大戦期から戦
 後の1970年代くらいまでにかけ、世界は格差縮小期を迎える。ところが、富の再蓄
 積によって格差拡大が再開し、富裕層の発言権が再強化されて経営者の報酬が高額化し、
 富裕層や大手企業への税の軽減が横行する。その力を使って富裕層が献金などを通じて
 政府に圧力をかけ、低所得者も同じ一票を行使することで支えられる民主主義はいま危
 機を迎えている。       
・経営者は経営の改善は労働者の成果ではなく自身の業績として、報酬を引き上げ続ける。
 だが、景気全般が好転しているときに経営が良くなったのなら、それは経営者の「業績
 の対価」ではなく、たまたまその時期に経営者の座についた「幸運の対価」ではないの
 か。  
・雇用に色はついていない。いったん非正規を解禁してしまえば、安さを求める企業は、
 世帯主男性も含めたすべての働き手に手を伸ばす。まして、だれかの扶養を期待できな
 い女性や若者はひとたまりもない。
・バブル崩壊後の不況の中で、いったん緩められた雇用の規制は企業の生き残りのために
 フルに利用され、正規は非正規に置き換えられ、働いても貧困から脱出できない大量の
 層を生み出していった。
・働き手の労働条件の悪化を放置すると、いつかは自らの働き方の劣化を招き寄せる。だ
 が、日本の正社員たちはいまなおこの教訓を生かし切れず、正社員消滅作戦の進行を、
 ぼんやりと、ときにはうれしげに、ただ見つけているようにみえる。そこにあるのは、
 @経済の変動で会社も大変なんだから我儘はいけない、という自虐的にも見える我慢
 A働き手の生存権なんてのんきなことを言っている時代ではない、というわけ知りの態
  度
 B自分だけは大丈夫という奇妙な自信
 という三つの錯誤だ。
・会社が社員の面倒を見きれなくなっているからこそ、私たちは自らを守るための権利を
 確認し、これを強めていかなくてはやっていけない。厳しい世界だからこそ、こちらが
 使える権利は知っておかないと会社にも対抗できない。
・「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者で
 はなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私
 は社会民主主義ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあ
 げなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私
 のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」
・いま確認しなければならないことは、企業を成長させることが即、働き手の待遇改善に
 はつながるとは言いきれなくなってしまった時代に私たちは生きているということだ。
・おかしいと思った政策にノーと言える自分をつくり上げ、働き手の側から正しく綱を引
 けるようにしておくことが今後の私たちの働き方を決める。
・生存権に立った働き方としての正社員の要件を、すべての働き手に回復することが、正
 社員の本当の安心にながる。
・変だな、と思ったら労組、NPO、労働弁護団の労働相談などを通じて早めに状況を診
 断してもらい、万一に備えることだ。
・高拘束の日本企業のマインドコントロールから逃れるためには、社外勉強会、趣味の会、
 同窓会、地域の付き合いなど会社と離れた立場から相談に乗ってくれる人々との社外ネ
 ットワークも大切だ。
・横並びに従っていれば済んだ時代は過ぎ、自分と異なる立場の意見や情報の摂取は不可
 欠になった。ネットは無料情報が多く、知りたいことを検索するには便利だが、視野の
 外にある情報は入ってきにくい。       
・転職をあおる風潮が強いが、正当な理由がなければクビにできないルールを生かし、独
 立や転職の基盤ができるまでは会社にしがみつくことだ。一方、ブラックな企業ほど代
 わりが見つからないため辞めさせてくれない。一年後を考えて体が持たないと思うとき
 など、引き留められても辞める決断が必要な場合もある。
・雇用や経済の変動の中で、定年まで定期昇給があることを前提に重い住宅ローンなどを
 組んでしまうのは危うい場合もある。
  
おわりに
・大手企業を中心とする経営側は、不安定化する世界情勢の中で守りを固めることを目標
 に、働き手の生活を度外視した、自らがやりやすい働き方へとシフトを始めているかに
 見える。政府にもそれに沿って、短兵急ともいえる雇用改革を進めようとする動きが見
 える。だが、その危なさを、働く側がいち早く読み取り、はっきりとノーの姿勢を示せ
 ば、その政策はとりあえず引込められてきた。
・似た内容が異なる表紙で、違う入口からそっと差し入れられることになるのだが、その
 つば競り合いに粘り強く挑み、競り勝てるかどうかが、「安心な働き方としての正社員」
 「質としての正社員」が、維持されるかどうかを決める。