「正義」がゆがめられる時代  :片田珠美

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今の世の中は、とても生きにくい社会だなと感じさせられることに少なからず遭遇する。
そのひとつが、この本に書かれている「正義」を振りかざして立場の弱い人を攻撃するこ
とだ。人だれしも完璧な人はいない。時としてミスや失敗を犯すことがある。確かにミス
や失敗を犯した人が悪い。そしてそれを指摘するということは正しいことであることも確
かだ。しかし、問題はその失敗を指摘する側の立場の人が、「おれのやっていることは正
しいことなんだ」と「正義」を振りかざして、ミスや失敗をした人を、上からまるで見下
したような態度で執拗に責め立てる人がいることだ。ミスや失敗をした人は、それだけで
も「やってしまった」と心が傷ついている場合が多いのに、まるでその傷口に塩を擦り付
けるように責め立てるその行為は、果たして「正義」と言えるのだろうか。そこにはミス
や失敗をした人への配慮というものがあってもいいのではないだろうかと思ってしまう。
さらに問題なのは、そういう「正義」を振りかざす人にそのことを指摘しても「自分は正
しいことをしているんだ、俺がやっているのは間違っているというのか!」と、ますます
「正義」を振りかざす場合が多いことだ。
こういう人に遭遇したとき、「あんたは今までの人生で一度もミスや失敗を犯したことは
ないのか」と言いたくなるのだが、それを言うと、ますます相手は感情をエスカレートさ
せるので、もうジッと我慢するしかない。
前から、そういう「正義」を振りかざす人というのは、どういう人なのか。どうしてそう
いう行動を取るのかと、不思議に思っていたのだが、この本の中で、そういう人たちのこ
とがよく分析・解説されている。そして、こういう「正義」を振りかざす人たちを生み出
しているのは、いまの「効率至上主義」の社会状況そのものなのだということなのだが、
それを知らされると、ますます今の世の中は生きにくい世の中なのだという思いがこみ上
げてくる。おそらくそれは私ばかりではなく、多くの人々もそう感じているのではないだ
ろうか。人びとを「生き残るため」という危機感を煽って行われている「効率至上主義」
が、どんどん人びとの心を追い詰めていく。そんな将来に希望が持てない世の中だから、
そんな世の中に自分の子どもを残したくないと、出生率も下がる一方なのかもしれないと
感じている。

はじめに
・”本音”をむき出しにしたり、”正義”を振りかざしたりして誰かを攻撃することは、
 現在の日本社会でしばしば行われている。その背景には、至るところに怒りが渦巻いて
 いて、いつ爆発してもおかしくない状況がある。こうした状況の中で、はけ口のない怒
 りを溜め込んでいる人が少なくない。些細なきっかけで自分より弱い相手に怒りの矛先
 を向ける「弱者叩き」も日常茶飯事である。
・怒りが渦巻いている一因に、コスパ至上主義が日本社会全体に浸透しており、そのため
 に汲々とせざるを得ない現状があると考えられる。また、”普通”に生きることが難し
 くなりつつある社会状況も、怒りをかき立てるだろう。右肩上がりの成長など期待でき
 ず、閉塞感が漂う社会の中で、かつては”普通”だったことがそうではなくなりつつあ
 り、「自分は”普通”から脱落してしまった」という思いにさいなまされやすくなって
 いる。

障害者を襲った男は何を考えていたのか
・1984年から2011年までの約30年間に世界中で発生した120件以上の無差別
 大量殺人の事例を分析した結果、これらの無差別大量殺人には次の三つの特徴が認めら
 れる。  
 @大量殺人犯の多くが男性
 A犯行時の平均年齢は26歳
 B一見「どこにでもいる人」
・一般的に殺人犯は男性のほうが女性よりも多いのだが、もちろん、男女の体力の違いに
 よるところもあるだろうが、体力の問題はさほど重要ではなく、むしろ男性の抱える性
 欲の門外がからんでいるように思われる。たいていの男性の性欲には、攻撃性、すなわ
 ち征服への傾向が混在している。これは、性対象の抵抗をときには「口説く」という行
 為以外の仕方で克服しなければならない生物学的な必然性によるものだろう。歴史を振
 り返っても、性欲と攻撃性がきわめて密接に結びついているのは疑いようのない事実で
 ある。 
・男性の性欲動と攻撃欲動は不可分であり、男性の性愛的が願望が満たされないと、必然
 的に攻撃傾向が呼び覚まされる。そして、自らの攻撃傾向をうまくコントロールできな
 い男性が、本来矛先を向けるべきエロス的な満足を妨げた人物ではなく、標的を拡大し
 て不特定多数の他者に向けると、大量殺人犯になり得る。
・男性のほうが、大切なものを失う「喪失」の体験に敏感で、ある種の打たれ弱さを持っ
 ている。そのため、何らかの「対象喪失」に遭遇すると、それを「破壊的な喪失」と受
 け止めて、暴走しやすい。
・思春期は、子どもから大人への過度期であり、ただでさえ不安定で衝動的だ。そのうえ、
 まだ人生経験が少なく、学校でつまずいたら「もうダメだ」と刹那的な考え方に傾きや
 すいことが、大量殺人を生む培地になるのではないか。
・中年期にさしかかり、これまでの人生を振り返って総括してみたら、達成できなかった
 ことが多々あったとわかり、失望や後悔にさいなまれる。また、成功した友人や知人を
 対する劣等感や敗北感で打ちひしがれることもある。そういう状況で訪れる危機だ。さ
 らに、自分ではまだ若いと思っていても、体力や気力の衰えを感じせざるを得ず、若さ
 を失いつつある現実に直面する。そのうえ、離婚や失業などの喪失体験が追い打ちをか
 けることもある。
・いくら頑張っても報われないと感じると、無力感や徒労感にさいなまれるのが人間だ。
 当然、欲求不満が募るし、勤務態度も悪くなりやすい。
・強い自己愛の持ち主は、自分自身を過大評価しがちで、「本当の自分はもっとすごいは
 ず」と思い込みやすい。そのため、「これだけでしかない」現実の自分を受け入れられ
 ず、現状に満足できない。だからこそ、強い欲求不満を抱くわけだが、同時に怒りも抱
 きやすい。こうした欲求不満の原因をすべて他人に求めようとする他責的傾向も認めら
 れる。この他責的傾向は、自分の挫折や失敗を他人のせいにして責任転嫁しようとする
 傾向がある。
・なぜ、責任転嫁するのだろうか?まず何よりも、自己愛が強すぎるために、「これだけ
 でしかない」現実の自分に満足できず、自分が「こうありたい」と目がっていた理想像
 との間のギャップを受け入れられない。この理想像は空想の中で育ててきた自己愛的な
 イメージであり、幼児的な万能感が存分に投影される。
・もちろん、誰でも夢を叶えられるわけではない。また、誰だって多かれ少なかれ理想と
 現実のギャップに悩むだろう。とくに、思春期・青年期は、このギャップが大きいので、
 それを埋め合わせるために、努力して現実の自分を底上げしなければならない。それで
 も、追いつかなければ、理想を下げて、すり合わせをするしかない。ほとんどの人は、
 この両方を手段を使いながら、身過ぎ世過ぎをしており、理想を下げる、つまり理想像
 を「断念」するという少々つらい過程を経ることを余儀なくされる。成熟して大人にな
 るということは、ある意味では理想像の「断念」の積み重ねでもあり、当然自己愛の傷
 つきを伴う。それが嫌な人は、他人に責任転嫁して、「自分に能力がないわけでも、努
 力が足りないわけでもない」と思い込もうとする。つまり、「自分は悪くない」と主張
 したいわけで、当然自己愛が強いほど他責的になる。
・責任転嫁は、理想像と現実との間のギャップに直面した際に、悩んだり落ち込んだりす
 るのを避け、手っ取り早く乗り越えるための防衛手段でもある。だから、他責的傾向は、
 いまや社会全体に蔓延している。何でも学校や教師のせいにして因縁をつけるモンスタ
 ーペアレンツ、あるいは「上司が理解してくれない」と訴えて出社拒否に陥る新入社員
 などは、社会問題になって久しい。
・破壊的な喪失とは、何らかの喪失体験であり、本人は「自分は破滅した」と受け止め、
 絶望してやけっぱちになる。客観的に見てどうかということよりも、あくまでも本人が
 どう受け止めたかが重要である。
・投影が働くのは、「内なる悪」を自分自身で引き受けることに耐えられず、外部に追い
 払い、消そうとするためである。嘘つきほど他人の嘘に敏感で、誰かが少しでも嘘をつ
 くと非難するとか、実際に不倫している人や不倫願望を胸中に秘めている人ほど、他人
 の不倫を激しく責めるという現象は、投影のせいで起こる。      
・否認と投影のメカニズムゆえに大量殺人を遂行したのが、ヒトラーである。ユダヤ人を
 ”悪”とみなし迫害すべきと断じたヒトラーの妄想的ともいえる強い確信は、彼の出自
 の曖昧さに由来する可能性が高い。というのも、ヒトラーの家系図は祖父の代で不明瞭
 になっており、彼の出自についての真相は藪の中だからだ。しかし、そのことにより重
 要なのは、こうした不確かさにヒトラー自身も気づいていて、打ち消せない疑念にさい
 なまれていたのではないかと思われる。
・ヒトラーは、反ユダヤ主義を掲げるナチスの党首にユダヤ人の血が流れているのではな
 いかと詮索されるような事態から身を守るための、無意識の心理的防衛だったと考えら
 れる。つまり、ユダヤ人の血という”悪”など自分にはないと頑強に否認したかったか
 らこそ、それをユダヤ人全体に投影し、徹底的に攻撃したのである。 
・アメリカで大量殺人が非常に多い一因として、銃の入手のしやすさがあることは否定し
 がたい。怒りと復讐願望に駆られたとき、その場に弾の入った銃があれば、大量殺人の
 危険性はどうしても高まる。 
・何らかの挫折を味わって胸中にルサンチマン(恨み)を抱くようになることはよくある。
 しかも、そういう陰湿な感情が自らの心の奥底に巣くっていることを認めるのも、受け
 入れるのも嫌な人ほど、正義を振りかざす。正義が自分の側にあると思えば攻撃的にな
 るのが人間という生き物であり、正義の名のもとに他人を激しく攻撃することも、現在
 の日本社会で広く見られる現象である。
・正義を振りかざす傾向の背景に潜む社会的要因として取り上げるのは、次の三つである。
 @怒り、そしてそれがもっとも陰湿になったルサンチマンが渦巻く社会
 Aコストパフォーマンス重視の社会
 B”普通”から脱落すると敗者復活が難しい社会
 至るところに怒りが渦巻き、誰もがルサンチマンの塊になっている昨今の社会状況が犯
 行を助長する可能性が高い。
・残念ながら、怒りを本来向けるべき相手ではなく、より弱い相手に向け変える八つ当た
 りのようなことがしょっちゅう行われている。これは、「置き換え」という心理メカニ
 ズムが無意識のうちに働くせいだが、「置き換え」の連鎖の果てに最も弱い存在である
 障害者、高齢者、生活保護受給者などを攻撃する「弱者叩き」も少なくない。
・”普通”に生きることが暗黙のうちに強要される反面、”普通”に生きるのが難しい社
 会状況も、絶望感の一因になったと考えらえる。世の中の”普通”の物差しから脱落す
 るとなかなか這い上がれないから、破滅的な喪失と受け止めてしまう。
  
なぜ「殺せ」が”正義”になるのか
・相模原事件の衝撃は、加害者の残忍さや大量殺人の規模だけでなく、この社会が臭いも
 のにフタ、で押し隠してきた障害者差別のホンネを、公然とさらしたところにあるだろ
 う。現在の日本の社会では、この手の「ホンネ」をむき出しにした攻撃がしばしば行わ
 れている。
・トランプ氏が大統領選に勝利したのは、何よりも大衆の欲望や怒りを察知する能力が天
 才的だったからだろう。この能力に長けていたからこそ、衰退した中間層の不満をすく
 い上げ、移民への敵意を巧妙にあおることに成功した。そのうえ、自分がアメリカを再
 び偉大にしてみせるという「再生幻想」を吹聴して、大衆を熱狂と郷愁の渦に巻き込ん
 だ。橋下氏も、ヒト、モノ、カネの流出で地盤沈下が続く大阪で「再生幻想」を吹聴し
 て、大衆から熱狂的に支持された。この二人には、その他にもいくつもの共通点がある。
 まず、二人ともわかりやすい敵をつくって攻撃する。
・こうして敵を作ると、少なくとも二つのメリットがある。まず、たとえ「再生幻想」を
 実現できなくても、自分のせいではなく、敵の”抵抗”のせいなのだと言い訳できる。
 また、どんな集団でも、共通の敵に立ち向かうことで一体感が生まれ、団結できる。だ
 から、これは非常に巧妙な手法といえる。
・行動力も実行力も政治家に必要なおとは否定しがたいにせよ、危険性もはらんでいる。
 この危険性は「行動のための行動」評されている。行動はそれ自体すばらしいものであ
 り、それゆえに事前にいかなる反省もなしに実行しあれなければならない、という考え
 方に傾きやすいからこそ、危険なのだ。   
・それゆえ、「行動のための行動」を崇拝するあまり、文化を「批判的態度と同一視され
 る”いかがわしい”もの」とみなすようになる。ときには、「知的世界に対する猜疑心」
 をあらわにすることさえある。
・トランプ氏も、支持者たちに向かって「教養なんてなくてもいい。私は無学な人間が大
 好きなんだ。学問なんてそれほど要らない」と話しかけ、親近感を抱かせたようだ。
  
・トランプ氏や橋下氏は、自分は絶対に正しいと確信している可能性が高い。「意見の対
 立は裏切り行為」と思っている可能性もある。いずれにせよ、自分とは違う意見の持ち
 主に不寛容で、相手を議論の土俵から叩き落として批判を封じ込めないと気が済まない。
 何よりも、普通は口にするのがはばかれる本音を自分自身があえて口にすることによっ
 て、大衆が心の奥に秘めていた本音に言葉を与える点でそっくりである。
・このような政治家が登場すする、タガが外れて、大衆が本音をむき出しにすることを正
 当化するようになる恐れもある。 
・生活保護受給者の再就職を促し、自立の手助けをして、生活保護から抜け出せるように
 するのが就労支援なのだが、これが非常に難しい。まず、生活保護受給者のうち高齢者
 (65歳以上)が約半数を占めている現状がある。高齢の受給者が仕事を見つけるのは
 至難の業だ。たとえ就労できたとしても、充分な収入が得られる可能性は低い。また、
 50代までの世代でも、生活保護を受給するようになった背景には、病気や障害、離婚
 や失業などの負の要因がいくつもからんでいることが多い。そのため、ケースワーカー
 からいくら叱咤激励されても、継続的な就労には至らないケースがほとんどだ。
・1990年代半ば、東京や大阪など大都市部の福祉事務所では、相談に来る路上生活者
 に対して、差別的侮辱的な言動を用いて追い返す、相手をわざと怒らせるような言動を
 して席を立たせる、ということが日常的に行われていました。
・いくら職務とはいえ、相談者を追い返すようなことを日々繰り返していたら、自分の仕
 事に自尊心など持てないし、やりがいも感じられないだろう。むしろ、日々の仕事にあ
 まり意義を見い出せず、徒労感にさいなまされて、「給料は辛抱料」としか思えないの
 ではないか。  
・生活保護担当の職員は、相談者にはできるだけ生活保護を受給させないようにしつつ、
 受給者には生活保護からの脱却を勧めて支援するという自らに課せられた職務と、間の
 前にいる相談者や受給者との板ばさみになりやすい。当然、葛藤や苦悩が生じるわけで、
 精神的負担が大きく、誰もが大変な職場だと思っている。
・怒りとは、害を加えたか、加えようと欲した者を害することへの心の激動にほかならな
 い。怒りとは「自分が不正に害されたとみなす相手を罰することへの欲望」だ。したが
 って、「怒りが楽しむのは他人への苦しみ」であり、「怒りは不幸にするのを欲する」。
・正義を振りかざす人の心の奥底に潜んでいるのは、不正を憎む気持ちだけではない。し
 ばしば、強い被害者意識と懲罰欲求、さらに怒りもからみ合って、行き過ぎた正義の暴
 走を招く。この怒りには、適当なはけ口が見つからないと、胸中に留まってルサンチマ
 ンに変化することもあり、そうなると正義を振りかざす傾向に一層拍車がかかる。
・正義を振りかざして攻撃する人の胸中には、障害、病気、貧困といった”悪”など自分
 にはないのだと否認したい欲望が潜んでいることも少なくない。
・ユダヤ人の血など自分には流れていないと否認したかったヒトラーがユダヤ人を弾圧し
 たのと同様に、忌まわしい”悪”など自分にはないかのようにふりまいたいからこそ、
 そういう”悪”を持つ人を攻撃することはよくある。
・生活保護バッシングの背景には、怠惰で就労意欲が乏しいとか、社会生活を営む能力が
 足りないとか、収入があるのに申告しないといった”悪”など自分にはないのだと否認
 したい欲望も潜んでいるように見える。自分自身の”悪”を否認したい欲望が強くなる
 と、そういう”悪”を持っているとみなされる特定の対象を攻撃するようになる。この
 手の否認は歴史上何度も繰り返されてきたが、その最たるものがヨーロッパにおける魔
 女狩りだ。     
・魔女のイメージとして一般に浸透しているのは、動物を従えてほうきの柄にまたがり、
 サバト(魔女集会)に向かうために空中を飛ぶ姿だろう。当初、何が”悪”とされたか
 といえば、聖母マリアと反対のエロスである。当時のドイツでは「意地の悪い、信仰心
 の薄い、好色の女性」が”悪”とされてバッシングされた。魔女がまたがったほうきの
 柄をさして心理学者のフロイトは「あれはペニスだよ」と説いた。ほうきの柄は、精神
 分析的には男性器の象徴とみなされる。だから、ほうきの柄にまたがった魔女のイメー
 ジは、悪魔との情交という幻想をかき立てたのだろう。
・教会倫理では、性交渉は生殖のためにのみ許され、それ以外は罪とされていたのだ。こ
 のように性が抑圧され、性愛的満足が妨げられると、攻撃衝動が呼び覚まされるが、性
 愛的満足を妨害した張本人である教会に直接向けることはできない。そんなことをすれ
 ば、自分自身が火あぶりにされてしまうので、”悪”の象徴である魔女に攻撃衝動を向
 け変えるしかない。 
・キリスト教で”悪”とみなされている「好色の女性」である魔女を迫害することによっ
 て、性欲などという忌まわしい欲望を自分は持ち合わせていないふりができる。つまり
 無垢な存在としてふるまえるわけで、たとえ教会倫理の要求する性的禁欲を守れなくて
 も、罪悪感を覚えずにすむ。性欲という”悪”をすべて魔女に投影すれば、罪の意識の
 払拭できるのだから。 
・嘘つきほど、他人の嘘に敏感で、誰かがちょっとでも嘘をつくと激しく責める。また、
 実際に不倫している人や不倫願望を胸中に秘めている人ほど、他人の不倫を厳しく非難
 する。 
・魔女狩りの標的にされた「好色の女性」が持っていた性欲は、人間である限り誰にでも
 ある。だから、そういう欲望を感じて罪悪感を覚えるほど、魔女の烙印を押された「好
 色の女性」に対して攻撃的になる。

溜め込まれた「怒り」はどこに向かうのか
・強い自己愛の持ち主は、怒りに震えやすい。これは怒りが何に由来しるかということと
 密接に関連している。怒りの動機として、次の三つが挙げられる。
 @傷つけられることに敏感すぎる
 A加えられた危害を、その事情から見て、完全な侮辱であると理解し解釈する
 B自分の評判を傷つけられたと考えることは、怒りを何倍にもし鋭くもする
 三つとも、強い自己愛の持ち主に当てはまる。まず、自己愛の傷つきに「鋭敏」すぎる
 ので、他人から見れば些細なことであっても、過剰反応する。また、ちょっとした注意
 や叱責、批判や非難であっても、自分に加えられた「危害」のように受け止め、「侮辱」
 と解釈する。さらに、「自分の評判を傷つけられた」と思い込むと、「決して許せない」
 と怒りに血をたぎらせる。
・「間欠爆発症」は、攻撃衝動を制御できない衝動制御障害の一種であり、他人への暴力
 や器物の破壊を繰り返すのが症状である。攻撃性の爆発は、きっかけとなるストレスや
 心理的・社会的誘因と釣り合わないほど激しい。しかも、衝動的で計画性がない。
・店員に土下座を強要した人々の多くは、自分自身が土下座をさせられたり職場で怒鳴ら
 れたりした経験があり、その怒りを店員にぶつけたわけである。本来、怒りの矛先を向
 けるべき対象は顧客や上司のはずだが、そういう対象に怒りを向けることは怖くてでき
 ないので、置き換えによって、言い返せない定員に向ける。
・日頃は借りてきた猫のようにおとなしいのに、酒が入ると人格が変わったように暴言を
 吐いたり暴力を振るったりする人がいるが、こうした豹変は、アルコールの影響で脳の
 抑制機能が一時的に低下するために起こる。
・筆者も、病院で怒鳴ったり、乱暴なふるまいをしたりする高齢者を数多く見てきた。ま
 た、家庭で暴言を吐いたり、暴力を振るったりする高齢者に困り果てた家族から相談を
 受けたことも何度もあり、たしかにキレる高齢者、いわゆる「暴走老人」が増えている
 と実感している。
・それでは、現在「暴走老人」が増えているのは一体なぜなのか?三つの理由があるよう
 に思われる。まず、高齢者の数自体が増えていることが挙げられる。「老人たる術を心
 得ている人はめったにいない」と言われるように、頑固で怒りっぽく、周囲が手を焼く
 老人は、昔から一定の割合で存在していた。ただ、昔は、老人の数自体が少なかったの
 で、それほど目立たなかった。ところが、今は高齢者が増えたので、それに比例して、
 「暴走老人」も増えたわけである。
・また、”あきらめない”風潮が社会全体に蔓延していることもあるだろう。年を取って
 も美しいままでいたいと願う女性が増えているので、そういう女性向けの高価な化粧品
 を化粧品会社が売り出す。一方、男性向け週刊誌ではセックス特集が組まれており、
 「死ぬまでセックス」というタイトルがつけられていることもある。「あきらめなけれ
 ば、夢はかなう」というメッセージを送るタレントや有名人も多い。
・このように、世の中全体に「ネバーギブアップ」精神があふれている。それ自体は悪い
 ことではないが、こうした社会の風潮の中で、高齢者も欲望をあきらめきれなくなって
 いる。つまり、「枯れた年寄り」になりきれないわけだが、実際に欲望を満たせるわけ
 ではない。だからこそ、不満と怒りが募り、ちょっとしたことでキレるのではないか。
・三つ目の理由として「孤独」も挙げておきたい。平均寿命が今よりずっと短かった時代
 は、高齢者というだけで家族や社会から大切にされ、「おじいちゃん・おばあちゃんの
 知恵」が重宝されていた。ところが、核家族が増えて、高齢者は家庭に居場所がなくな
 ってしまった。仕事をリタイアすれば「知恵」を生かす機会もなくなり、社会にも居場
 所がない。子どもが独立し、さらに夫婦の一方が亡くなって、長期間一人暮らしを余儀
 なくされている高齢者も少なくない。今の高齢者は昔に比べ、孤立しやすい存在なので
 ある。      
・現在の日本社会の至るところに怒りが渦巻いている現状の背景には、怒りをかき立てる
 社会状況がある。とりわけ重要なのが、日本人が貧しくなったことと、格差が拡大して
 「平均幻想」が崩壊したことだ。
・日本で、自分が育った家庭と現在の位置づけを比べて「下がった」と答えた人の割合は、
 41カ国中8位、「父親以下の職業になってしまった」と思う人の割合にいたっては、
 25カ国中1位だったという。これは、自分たちが親の世代よりも豊かになることが当
 たり前だった1980年代までの日本社会では到底考えられなかった結果である。
・問題は、われわれ日本人が一億総中流社会で豊かさを経験し、「平均幻想」が浸透した
 後に、格差社会が到来したことだ。戦前は、今よりもずっと貧しかったし、格差ももっ
 と大きかった。それでも、もともと「みんな平等」などとは思っていなかったので、ま
 だあきらめがついた。だが、現在われわれは、刷り込まれた「平均幻想」が実は絵に描
 いた餅にすぎなかったことを思い知らされている。一度手にしたものを失うのは、最初
 からないよりもつらい。だからこそ、怒りが募る。とくに、他人の幸福が我慢できない
 怒り、つかり羨望が強くなっているように見える。
・比較にとって、自分のほうが劣っていることが明らかになり、しかもその差が容易に埋
 まらないことがはっきりしている場合、羨望が生まれるのである。もっとも、自分のほ
 うが劣っていると感じたとしても、それだけで羨望にさいなまされるわけではない。
 羨望の強さは、「相手の持っているものに自分がどれだけ関心があるかで決まる。相手
 の持っているものが自分にとってそれほど大切でなければ、自己評価が傷つくことはな
 く、羨望も感じない。
・当然、自己評価に関わるような大切なものが他人と重なれば重なるほど、羨望が強くな
 るので、大切なのは何かという価値観が画一的なことも、羨望をかき立てる一因のよう
 に思われる。最近は価値観が多様化したと言われているが、実は画一的な価値観にとら
 われている人が多く、しかもそういう価値観にもとづいて何でもランキング化する傾向
 が以前よりも強まっている。
・かつては偏差値で高校や大学に序列をつけるくらいだったが、今やありとあらゆるもの
 のランキングが氾濫している。つまり、現在の日本は「一億総比較社会」と言っても過
 言ではなく、二四時間、比較から逃げられない。
・羨望は「賛嘆の混じった羨望」「抑うつ的羨望」「敵意のこもった羨望」の三つに分け
 られるが、中でも「敵意のこもった羨望」が最近強くなっているようだ。「賛嘆の混じ
 った羨望」は、他人の才能や実力をうらやましいと思い、苦悩しながらも、競争意識を
 燃やして、自分もいつかそうなれるように努力する人が抱く羨望である。憧憬が「賛嘆
 の混じった羨望」に変わることもあり、努力への大きな原動力になる。   
・「抑うつ的羨望」の場合は、他人の幸福を目の当たりにして、同じ幸福を手にできない
 自分が情けなくなり、落ち込んでしまう。ときには、自分の運命を呪うこともある。本
 人はとてもつらいが、羨望の対象に対して悪意を抱くわけではない。
・それに対して、「敵意のこもった羨望」の場合は、うらやましいと思う相手に対して敵
 意や憎しみを抱く。場合によっては、攻撃することさえもある。現在の日本で優勢なの
 は、「敵意のこもった羨望」である。この「敵意のこもった羨望」は、たとえば、同僚
 が昇進した場合、「自分より先にあんな奴が昇進するなんて、許せない」と感じ、昇進
 した同僚の悪口を言ったり、足を引っ張ったりする形で表れる。
・「賛嘆の混じった羨望」を抱いて、羨望の対象が手にしているものを自分も手に入れら
 れるように頑張れば、大きな原動力になるはずなのに、そういうプラスの形で羨望が表
 れることはまれだ。 逆に、羨望の対象の幸福を壊して、不幸をもたらしたい欲望ばか
 りが強くなっている。     
・2016年は、「ゲス不倫」という言葉が新語・流行語大賞の候補に選出されたほど、
 有名人の不倫報道が相次いだが、そのたびに「けしからん」「許せない」などと声高に
 叫びながら叩く人々の姿に筆者は違和感を覚えた。もちろん、不倫は夫婦間の信頼関係
 を損なう行為であり、人としてあるまじきことだとは思う。また、不倫した側は、配偶
 者にきちんと謝罪して、できるだけの償いをすべきだとも思う。ただ、そういうことは
 あくまでも当事者同士の話し合いに任せるべきであり、赤の他人がとやかく言うことで
 はないというのが筆者の持論である。
・羨望の対象にスキャンダルが発覚したら、「池に落ちた犬を叩く」ように徹底的に叩き、
 栄光の座から引きずりおろすことによって、復讐願望を満たしたいのだ。つまり、「不
 倫は悪」という正義を振りかざしてバッシングする大衆は、「裁判官を装った復讐の鬼
 たち」である。そして、この復讐の鬼たちは、「正義」という言葉を、毒のある唾液の
 ように絶えず口の中に貯えている。
・いったい、何に対して復讐しようとしているのか?羨望の対象である有名人が手にして
 いる成功、名声、富などを自分は手に入れられなかったという運命に対してである。だ
 からこそ、有名人の不倫が報じられると、これでもかというくらいに激しく叩き、引き
 ずりおろさないと気が済まない。  

なぜ「コスパ」にこだわる人が増えたのか
・コストパフォーマンスこそ何よりも重要という価値観が社会全体に浸透しており、何で
 もお金に換算して損得で考える人が急増している。
・日本の子どもたちは小学校高学年から中学校・高校にかけて、大多数が学校の勉強を嫌
 悪し、勉強から逃走しています。かつて日本の子どもたちは、世界のどの国よりも勉強
 に意欲的に取り組んでいましたが、今や、世界でもっとも勉強を嫌悪し、勉強しない子
 どもへと転落しています。 
・あらゆる分野において、大小さまざまな規模で、私たちの社会は、たとえ、結果がどう
 なろうとも「いますぐに欲しい」社会になりつつある。すぐに手に入れようとする傾向
 が至るところで蔓延していて、いますぐに満足感を得ることこそ人生の大事な目標であ
 り、できるだけ効率的にかつ堂々と追求すべきだと思い込んでいる人が多い。
・こうしたコスパ至上主義は、根本的な矛盾をはらんでいる。何であれ、役に立つか、立
 たないかは、いますぐにわかるわけではないからだ。たとえば、学校の勉強が役立つか、
 立たないかは、学校で勉強しているそのときにわかるわけではない。何年か経って社会
 に出てから初めて、学校で学んだことの意味、そして何の役に立つのかがわかる。
・役に立つか、立たないかの判断は、時間差ゼロではできない。それでも、「衝動に支配
 される社会」に生きる消費者にとっては、それが我慢できない。できるだけすみやかに、
 役に立つか、立たないかを知りたがる。自分が現在やっている行為が無駄になることを
 何よりも恐れるからだ。
・「石の上にも三年」ということわざは、もはや通用しないのか、せっかく就職しても、
 三年以内に辞める若者が、中卒で約七割、高卒で約五割、大卒で約三割いるらしく、
 「七五三現象」と呼ばれている。  
・低学歴ほど離職率が高いのは、それだけ待遇が悪いからだろうし、大卒でも雇用のミス
 マッチや人間関係などに耐えられなくなることもあるだろう。だから、我慢しすぎて心
 身の不調をきたしたり、極端な場合には自殺したりするくらいだったら、退職するほう
 がいい。  
・努力がいますぐに評価されることなどありえない。また、役に立つか、立たないかも何
 年か後に初めてわかる。
・コスパ重視の価値観が社会全体に浸透しているのは、そうしなければ生き残れないとい
 う危機感を誰もが抱いているからかもしれない。この危機感は、現在の資本主義社会が
 そろそろ限界に近づきつつあることを示す兆候が至るところに表れているからこそ、芽
 生えたのではないか。 
・この20年近く、成長戦略がこの国の政策の基本となっているが、一向に成長しないの
 は、21世紀以降、小泉純一郎内閣の「骨太の方針」や安倍晋三内閣の「アベノミクス」
 の基本方針である「改革なくして成長なし」がそもそも間違っているからである。
・「グローバル化のもとで成長追求」という幻想にしがみつき続けているのが現在の日本
 である。その最大の原因と考えられるのが過去の成功体験からなかなか抜け出せないこ
 とだが、これは仕方がないかもしれない。敗戦後の焼け跡から立ち上り、驚異的な経済
 成長を成し遂げて世界第二位の経済大国にまで上り詰めたのだから、「夢よもう一度」
 という気にもなるのも無理からぬことだ。
・第二次世界大戦後から少なくとも970年代まで日本でもヨーロッパでも高い成長率が
 続いたのはなぜかといえば、「戦争によって生産施設や資本が破壊されたから」にすぎ
 ないという。つまり、戦後の「栄光の30年」はむしろ「例外的な時期」だったのであ
 り、「端的にいえば、戦後の日欧の成長を生み出したものは、戦後復興にほかならなか
 った」のだ。
・最近、職場にいる中高年男性の相当数が、出世はもちろん、仕事そのものにも関心や意
 欲を失い、何もしない状態だということで、とくに若い世代がら不満が噴出している。
 終身雇用と年功序列が当たり前だった「理想の時代」や、それをぎりぎり信じられてい
 た「虚構の時代」であれば、会社には定年までいられたし、自分の給料も右肩上がりで
 増えるだろうから、文句を言わずに我慢しようという気になれた。しかし、現在の「不
 可能性の時代」においては、会社はいつ潰れるかわからないし、リストラされる可能性
 だってあるので、我慢しようという気にはなれない。また、どんな業種でも成長するこ
 とは難しくなっており、給料がなかなか上がらないので、誰でもが被害者意識を抱きや
 すいという事情もある。そのため、「働かないオジサン」がいい給料をもらっているせ
 いで自分の給料は安いのだと思い込み、元凶である「働かないオジサン」を罰したいと
 願う。この願望が端的に表れたのが「働かないなら給料を下げてほしい」という訴えだ
 ろう。 
・怖いのは、自分がかつて「働かないオジサン」としてバッシングされた経験があったり、
 「働かない」と周囲から思われているのではないかと危惧したりしている人ほど、他人
 の「働かない」という悪に敏感で、攻撃的になることだ。
   
いつから”普通”に生きることが難しくなったのか
・ブラック企業では、大量に採用したうえにで「使える」者だけを残す「選別」が行われ
 るという。大量に採用するためには、それだけ多くの若者を惹きつけることができなけ
 ればならないが、そのためにしばしば用いられる手段が、給与の水増しと正社員採用偽
 装である。
・月収を誇張する裏ワザが「固定残業代」と「定額残業代」で、いずれも基本給の中に一
 定額の残業代をあらかじめ含めておく仕組みである。また、正社員として募集しておき
 ながら、「試用期間」と称して三ヵ月とか半年とかの一定期間の有期雇用契約を結び、
 会社が雇いたいと判断した場合のみ正社員として採用するようなことも行われる。要す
 るに、「お試し」雇用なのだが、この「お試し」の期間に「選別」を行うわけで、その
 結果「会社に選んでもらえなかった」人に対しては、「戦略的パワハラ」が行われると
 いう。これは、「ただ退職を求めるのではなく、自己都合退職を自ら行うように追い込
 む」ためであり、いじめ、嫌がらせ、パワーハラスメントによって、自ら辞めよるよう
 に仕向けていく」。しかも、このような「辞めさせる技術」が高度になってきた。
・「コスト=悪」という価値観を刷り込まれた若者は、やがて二つの方向に進むと考えら
 れる。一つは、後輩や部下にも同じ価値観を押しつける方向がある。そういう価値観を
 自分が押しつけられ内面化していく過程で、つらい思いをしたのなら、より若い世代に
 同じようなことをしなければよそうなものだが、実際には逆の場合が多い。
・あんなつらい思いをして内面化した価値観を否定すると今の自分の苦労が無になるので
 はないかという危惧や、そういう価値観にもとづいて働いている現在の自分は間違って
 いないと思いたいという自己正当化の願望もあると考えられる。
・自分は、「コスト=悪」という価値観に反するような人間ではないと思いたいからこそ、
 この価値観から外れているように見える人間を叩かずにはいられない。そうすることに
 よって、同時に「働かない」という”悪”など自分にはないのだと周囲に誇示できる。
 残念ながら、こういう価値観は現在の日本社会に浸透している。
・発達障害と診断される事例が増え、注目を浴びるようになった原因は、長く続いた不況
 とグローバル化の進展によって、企業経営の厳しさが増し、従業員に対する要求が過大
 になってきたのが一因であると思われる。つまり、企業経営に余裕がなくなったために、
 従業員の多少の「ずれ」も重大な問題として認識されるようになったものと考えられる。
・極端なこだわりがあっても、空気が読めなくても、同じ失敗を繰り返しても、職場に余
 裕があった時代は、まだ許容されていた。ところが、その余裕がなくなるにつれて、従
 業員に対する要求水準が高くなった。非正規労働者は、仕事をこなせないと切られてし
 まうので、その割合が高くなっていることも、「ずれ」による職場不適応の問題を表面
 化させやすく、結果的に発達障害と診断される事例の増加につながったのではないか。
・利益を上げるために過酷な長時間残業を強要したり、「選別」や「使い捨て」をしたり
 する企業は、精神疾患に罹患して働けなくなる労働者を生み出しやすく、その医療費、
 傷病手当金、生活保護費などのコストを結果的に社会に転嫁していると言える。
・こうした構造に気づいていたら、精神疾患で傷病手当金を受給している休職者や生活保
 護受給者をバッシングすることなどできないはずだが、実際には、この手の「弱者叩き」
 が増えている。これは、自分は「うつ病になるような弱い人間ではない」とか「発達障
 害のようなずれた人間ではない」と思い込んでいたからであろう。ただ、どんな企業も
 利益を出すのが難しくなっている昨今では、いつも職場環境が激変するかわからない。
 したがって、職場不適応に陥ったり、精神疾患い罹患したりする可能性は誰にでもある
 のだと肝に銘じるべきである。
・発達障害の人は、空気が読めないとか、協調性がないという傾向があるとはいえ、同じ
 ことを繰り返す仕事には向いているようで、真面目に取り組むことが多い。そのうえ、
 独特のこだわりがプラスに作用すると、他の人たちよりもいい製品を作れることも少な
 くない。何よりも、製造業では目の前の仕事に黙々と取り組めば評価され、対人関係に
 それほどわずらわされずにすむ。そのため、製造業の就業者が多かった時代には、発達
 障害が問題になることはあまりなかったのだろう。
・製造業が衰退し、サービス業に従事する人が増えると、発達障害の問題が表面化しやす
 い。これは、サービス業で要求される、客の要求に臨機応変に対応する柔軟性を、発達
 障害の人は持ち合わせていないことが多いせいと考えられる。発達障害の人は、一般に
 変化に弱く、ちょっとした変化にも敏感に反応して不安になり、しばしば衝動的な反応
 を示すことで、サービス業では職場不適応に陥りやすい。
・収入が十分あって、さらに収入が増えても、消費を増やさない傾向が顕著になりつつあ
 る。このような「嫌消費」は、若者だけでなく、あらゆる世代にひろがっているように
 見える。その背景には、強い不安があるではないか。高齢化によって、医療・介護費も
 年金給付額も膨張し続けている。その割には税収が増えていないため、日本の財政状況
 はきわめて深刻だ。こうした状況では、誰もが将来への不安を覚えるのは当然で、自己
 防衛のために消費を控え、貯金に励む。不安が強いと、少々景気が回復して、個人の収
 入が増えても、消費はなかなか回復しない。当然、物が売れず、スーパーや百貨店の業
 績が悪化し、メーカーも設備投資を控える。こうして悪循環に陥るわけで、招来への不
 安が払拭されない限り、「嫌消費」に歯止めがかかることはないだろう。
・「理想の時代」には”普通”だった結婚も次第に難しくなりつつある。高度経済成長期
 の日本は95%の人々が結婚した、いわば「皆婚社会」であり、結婚して家庭を持つの
 が当たり前だったが、未婚率が上昇した現在の日本社会では、世帯別に見ると、「単独
 世帯」が最も多い。 
・日本の20年後とは、独身者が人口の50%を占め、一人暮らしが4割となる社会だ。
 つまり、2030年代には、人口の半分が独身という国になるというわけで、日本の
 「ソロ社会化」は不可避で、確実にやってくると断言されている。その背景には、非婚
 化だけでなく、離婚率の上昇(3組に1組は離婚)や配偶者との死別による高齢単身者
 の増加などもあると考えられる。
・未婚率が上昇している原因としてしばしば持ち出されるのは、「男に金がないから結婚
 できない」という説である。たしかに、男性の年収が低いほど、未婚率は高い。また、
 正規雇用と非正規雇用を比較すると、非正規雇用の男性の未婚率のほうが高い。しかが
 って、男性の貧困や雇用形態の不安定さが未婚化に影響していることは否定できない。
 ただ、年収が高い正社員の中にも未婚の男性が結構いる現状を見ると、それだけで説明
 することはできないように思われる。
・クルマが買える十分なお金があっても、クルマに魅力を感じないから買わないのだ。結
 婚もそれと同じではないだろうか。
・コスパ至上主義が最も重要であるように思われる。というのも、「結婚は、コスパが悪
 いからしない。セックスは、結婚しなくてもできるし、嫁さんの生活費まで僕が出すな
 んて真っ平御免」と話す20〜30代の男性にお目にかかる機会が結構あるからだ。そ
 のうえ、3組に1組が離婚する現状では、結婚にはそれなりのリスクも伴う。だから、
 損得で考えれば考えるほど、結婚に踏み切れなくなるかもしれない。
 
「正義」がゆがめられる時代
・ゆがんだ正義を振りかざしたといえば、国有地を格安で取得したことが問題になり、国
 会での証言喚問に臨んだ「森友学園」の籠池氏もそうだろう。自らの非を認めようとし
 なかった。それどころか、「私だけを悪者にするような政府や大阪府知事の態度を見て、
 何かおかしいと思った」と恨み言を述べ、「はしご段を外された思いだ」とも訴えた。
 真相の究明が待たれるが、一つだけ確かなのは、あくまでも自分たちは正義のために戦
 っているという籠池夫婦の思い込みが相当強いことだ。
・籠池氏は、運営する塚本幼稚園で、園児に教育勅語を暗唱させたり、運動会で「安倍首
 相頑張れ、安倍首相頑張れ。安保法制国会通過よかったです」と唱和させたりする独特
 の「愛国教育」を行なっていたようだ。こうした極端な方針も含め、自分のやっている
 ことはすべて正しいと思い込んでいた可能性が高い。
・「日本会議」も、「国家のため」とか「日本のため」という正義の正しさを信じている
 右派組織のように筆者の目には映る。停滞期において不安になった人々は、自分たちの
 アイデンティティーを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠するようになる。
 現在の日本は「停滞期」である。そういう時期に日本会議やその主張への共鳴が広がっ
 ている状況について「非常に危ういと思う」と指摘されている。GHQが国家神道の禁
 止などを命じた指令を否定し、政教分離も踏みにじるわけだから、これは戦前回帰だと
 受け止められても仕方ない。
・「日本会議」が1997年に誕生したのは決して偶然ではないように思われる。
 1997年は、日本社会全体が経済大国としての自信を失い、落ち込んで「抑うつ状態」
 にあったと考えられるので、それに対する一種の防衛として「日本会議」が生まれた可
 能性が高い。このような防衛を「躁的防衛」と呼ぶことが多いが、一般的な言葉でいえ
 ば、落ち込んでいるのはつらいので、空元気を出してはしゃぐことである。たとえば、
 愛する人を亡くすという大きな喪失体験に直面し、打ちのめされているにもかかわらず、
 通夜や葬式の場で「大丈夫、大丈夫」と妙に元気にふるまい、活発に動き回る人がいる。
 精神医学では「葬式躁病」と呼ばれており、こういう人はその後ドーンと落ち込むこと
 が多い。あるいは、多額の借金を抱えてにっちもさっちもいかなくなっているにもかか
 わらず、借金を減らすための現実的な対処はせず、「金くらい何とかなる」と豪語し、
 毎晩飲み歩いてカードで支払う人も、「躁的防衛」に陥っていると考えられる。とりあ
 えず、目の前の現実から目をそむけ、否認しながら、崩れた態勢を立て直そうとする。
・「日本会議」という組織の誕生自体、「躁的防衛という症状とみなすこともできる。だ
 が、この組織に、その自覚、つまり「病識」があるようには見えない。
・「日本会議」には「戦前回帰」の志向が認められると指摘されている。この「戦前回帰」
 の志向ゆえに、「家族は、お互いに助け合わなければならない」という家族条項が憲法
 二四条に入れるべきだと主張する向きがあることに、筆者は懸念を抱いている。これは
 美しい正義のように聞こえるかもしれないが、憲法という形で明文化することによって
 抑圧が強まり、介護殺人や子殺しなどがさらに増える恐れがある。そのため、戦争放棄
 を定めた憲法九条の改正よりも実は深刻な影響を及ぼすのではないかと危惧せずにはい
 られない。このような危惧を抱くのは、筆者が精神科医として、過酷な介護に疲れ果て、
 不眠や意欲低下に悩まされているとか、つい暴力を振るいそうになるとか訴える患者を
 数多く診察してきたからだ。 
・介護殺人なんか自分は無縁だと思っている方も多いかもしれないが、急速に進む高齢化
 の影響で、親や配偶者の介護と無縁ではいられない”大介護時代”にわれわれは生きて
 いる。だから、介護殺人という悲劇がいつ誰に降りかかってもおかしくない。
・このような現状を見ていると、財政難が背景にあるとはいえ、在宅での介護を重視する
 施策を推し進め、それを「家族は、互いに助け合わなければならない」という美しい正
 義で正当化することは、さらなる悲劇を生む恐れがあると考えざるを得ない。
・「家族」というものをやたらと称揚し、すべてを家族に負担させようとすると、かえっ
 て非婚化や少子化が進み、結果として「家族」を消滅させてしまう。
・すべてを家族に負担させようとしても、「家族」イデオロギーによって過去の伝統や文
 化を守ろうとしても、うまく機能しないのです。家族の負担だけでなく、公的扶助が必
 要です。「家族」を救うためにも、家族の負担を軽減する必要があります。一見美しい
 正義こそ、要注意であることを忘れてはならない。
・「躁的防衛」といえば、最近の「日本スゴイ」ブームもそうだろう。21世紀に入って
 から、「世界が尊敬する日本人」「本当はスゴイ日本」などと自画自賛する、いわゆる
 「日本スゴイ」本が次々と出版されており、ベストセラーになっているものも少なくな
 い。来日した外国人が日本を称賛するシーンを流すテレビ番組も増えているように見受
 けられる。こうした「日本スゴイ」ブームは、戦前にもあったらしい。「満州事変」以
 降、日本の出版界に、「日本スゴイ」と謳う愛国本の洪水が押し寄せたようだ。
・「日本会議」の「戦前回帰」も志向とも何となく重なるが、このような「日本スゴイ」
 ブームの根底に潜んでいるのもやはり「躁的防衛」だろう。日本人が自信と誇りを失い
 かけているからこそ、それを取り戻すために「本当はスゴイんだ」と自分に言い聞かせ
 ずにはいられない。  
・しかも、困ったことに、「日本スゴイ」と自画自賛するだけでなく、嫌韓・嫌中の罵詈
 雑言とセットになっている。こうした罵詈雑言を吐くのは、自画自賛するだけでは失っ
 た自信と誇りを取り戻せないからだろう。隣国を貶めれば、相対的に自国の価値を高め
 ることができると思い込んでいるわけで、いわば、傷ついた自己愛を修復するための防
 衛メカニズムにほかならない。
・現在の日本は「超ソロ社会」になりつつあり、家族に頼ることはできない。終身雇用も
 崩壊したので、かつてのように社縁をあてにすることもできない。地域社会もすでに崩
 壊しており、地縁に頼ることもできない。こうした状況の中で、不安と孤独感にさいな
 まされた人々が、より大きな繭に包まれたいと願い、ナショナリズムに依拠するように
 なった結果、「日本会議」や「日本スゴイ」ブームなどが出現したのだと考えられる。
 いずれも、「国家のため」とか「日本のため」という正義を振りかざすことが多いが、
 これも「躁的防衛」の症状だと考えれば、納得できる。正義を声高に叫ぶことは、独特
 の高揚感をもたらすからだ。
・自分が仕返しや復讐のために誰かを攻撃しているということは、誰だって認めたくない。
 だからこそ、それを覆い隠すための便利な隠れ蓑として正義がしばしば用いられる。当
 然、正義を声高に訴える輩ほど、往々にして疚しさを抱えている。このことを肝に銘じ
 ておけば、自分自身が正義を振りかざして猪突猛進するようなことは、恥ずかしくてで
 きないはずだ。また、正義を声高に叫ぶ人を疑いのまなざしで眺められるので、そうい
 う人に振り回されずにすむだろう。とにかく、もっともらしい正義こそ要注意である。
 歴史を振り返ると、どんな攻撃でも、何らかの正義を口実にして開始されたのだという
 ことを忘れてはならない。