里山資本主義  :藻谷浩介

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里山資本主義の基本となっているのは「地産地消」だ。水、食料、燃料を地元で調達して
地元で消費する。こうすることにより、マネー経済に左右されない、低コストの生活を送
ることができるという考えだ。
現在のマネー経済は、総合的に考えると、膨大なコストがかかる生活様式となっている。
人々は、この膨大なコストのために、本来必要以上に働き、お金を稼ぎ出さなければなら
ない。そしてそのために、膨大な地下資源を消費し、それによって生み出された膨大なエ
ネルギーを消費し、膨大な量の熱やCO2を放出している。これにより、地球環境のバラ
ンスが崩れつつあり、近年では、今までに経験したことのないような暴風雨が、発生し大
災害が起きてきている。
さらには、膨大なエネルギーを生み出すために、危険きわまりない原子力に手を出し、使
用済み核燃料の処分方法も見つからないまま、原子力発電を続け、挙げ句の果てには福島
原発事故
により、手の施しようようのない状態が続いている。それなのに、「福島はアン
ダー・コントロールだ」と、世界を騙して東京にオリンピックを誘致し、世界を駆け回っ
て原発を売り歩く、お気軽な首相がいる。
大都市だけが繁栄し、地方は衰退の一途を辿っている。もはや、地方が崩壊するかどうか
の問題ではなく、いつ崩壊するかだ。崩壊するのが、目前まで迫ってきている。
もはや、今までの延長戦長での生活様式や経済成長を続けることは無理なのだ。このまま、
今までのような生活を続けていけば、ある時突然、今までの文明が、根こそぎ崩壊するよ
うな事態に見舞われるのではないのか。現実にそのような現象が、日本各地でも起き始め
ている。
今までの生活を、すべてこのような里山資本主義の生活に変えるというのではないが、そ
のような来たるべき事態に備えるためにも、一部にこういう生活も取り入れていく必要が
あるように思う。
一部の経済識者においては、この里山資本主義では、日本の経済は復興しないと批判して
いる人がいる。しかし、この里山資本主義は、なにもこれで日本の経済を復興させようと
いうものではないと思う。現代の経済至上主義、効率至上主義の社会において、一部こう
いう生き方もあるのではないかと、説いた本であるように思う。特に地方において、マネ
ー経済に、あまり左右されない自分たち独自の生き方を、していきたいと考えている人た
ちにとっては、大きな勇気をもらえる内容だと思う。他を押しのけて、お金持ちになるこ
とだけが人生の目的ではないのだ。大都市だけが、日本ではないのだ。


はじめに
・「経済の常識」に翻弄されている人とは、たとえばこのような人だ。もっと稼がなくち
 ゃ、もっと高い評価を得なきゃと猛烈に働いている。必然、帰って寝るだけの生活。ご
 飯を作ったりしている暇などない。だから全部外で買ってくる。選択もできず、靴下な
 どはしょっちゅうコンビニエンスストアで新品を買ってくる。
・ここで大事な点は、猛烈に働いている彼は、実はそれほど豊かな暮らしを送っていない
 ということだ。もらっている給料は高いかもしれない。でも毎日モノを買う支出はボデ
 ィブローになり、手元にお金が残らない。だから彼はますますがんばる。がんばったら
 がんばった分だけ給料は上がるが、その分自分ですることがさらに減り、支出が増えて
 いく。「世の中の経済」にとって、彼はありがたい存在だ。しかし、いびつな生活だ。
・今の経済は、このような暮らしぶりを奨励している。「ちまちま節約するな。どんどん
 エネルギーや資源を使え。それを遥かに上回る収益をあげればいいのだ。規模を大きく
 するほど、利益は増えていく。それが「豊か」ということなのだと。
・まわりに幾らでも木がはえている。それなのに、遠いアラブの国から買ってきた石油や
 天然ガスや、それを作った電気がないと生きられないと言っている。ばかげている。
・グローバルな経済システムに組み込まれる中で「仕方がない」とあきらめていた支出を
 疑い、減らしていけば、「豊かさ」を取り戻すことができる。そして経済が「我々のも
 の」になっていくのだ。 
・アメリカの後退を、まじめな業績回復をあてにしないで、なんとかしようとした頭のい
 い人たちがいた。彼らが目をつけたものこそ、「マネー」である。せっせとものをつく
 り、それを売って稼ぐのではなく、お金でお金を生み出す経済が、急速にふくらんでい
 ったのである。リーマンショック後のアメリカで、私たちはその「やくざな経済のなれ
 の果て」を目撃することとなる。
・現役時代に老後の備えを積んでおく年金の仕組みは、企業が想像を絶する成長をつづけ
 る中で拡大した。企業や経済が成長している間は、それがいいやり方なのだろう。右に
 ならえで、みんなその仕組みをまねしていく。先進的な豊かさの仕組みに追いつき仲間
 入りを果たした。だが、前提となる「成長」が止まったら、どうなってしまうのか。
・そもそも老後を豊かに暮らすためには、みんながみんな、例外なく、年金をもらうしか
 ないだろうか。「晴耕雨読」でいいのではないか。晴れたら畑に出て、雨が降ったら、
 家でのんびり。年金の仕組みなど存在しない頃に考えられた、老後の理想的な生き方で
 ある。
・マネーは、大きな経済だけでなく、私たちの生活のすみずみにまで浸透している。マネ
 ーから決別することは、重病人が生命維持装置を外されるに等しい。逆に言えば、私た
 ちはいつのまにか、自力で呼吸さえできない病人になってしまったということなのかも
 しれない。
・ものが売れないのは景気が悪いからだ、という常識は本当ですか?働き盛りの人の数、
 「生産年齢人口」が戦後急激に拡大し、それが減少に転じたことで日本ではものが売れ
 なくなったのだ。
・日本経済が停滞している根本は「景気」ではなく「人口の波」である。

世界経済の最先端、中国山地
・会社や地域にとってどれだけ経済効果がでるかが大事なのだ。使用する電気のほんど
 100%をバイオマス発電によってまかなっている。しかも、毎年4万トンも排出する木く
 ずを産業廃棄物として処理すると、年間2億4000万円かかるという。これもゼロに
 なる。
・農林水産業の再生策を語ると、決まって「売れる商品作りをしろ」と言われる。付加価
 値の高い野菜を作って、高く売ることを求められる。もしくは大規模化して、より効率
 よく、大量生産することを求められる。
・しかし、そこから発想を転換すべきなのだ。これまで捨てられていたものを利用する。
 不必要な経費、つまりマイナスをプラスに変えることによる再建策もある。
・ペレットは暖房としてだけでなく、冷房にも使われる。吸収士気冷凍機という仕組みを
 使う。水を熱して蒸発するときに周囲から熱を奪い去るのを利用して冷房を行なうそう
 だ。木材を燃やして暖房だけでなく冷房もできるとは、木材の可能性おそるべきである。
・今私たちの生活の隅々にまで浸透したグローバル経済。いくら農産物は地産地消でも、
 それをつくるためのエネルギーを地域の外から買っていると、グローバル化の影響は免
 れない。
・世界的な原油価格は、商品先物市場での取引価格を重要な指標としている。その先物市
 場は、もともと将来的な価格の変動に影響されずに経済活動が営めるように生まれたも
 のとされているが、今や短期の利ざやを狙った投機マネーが流入し、価格が乱高下する
 ようになった。
・今、日本の山では、育ちすぎた樹木が活用されないまま放置されている。戦後に造成さ
 れた約1000万ヘクタールの人工林のほとんどが50年以上も経ち、伐採の適期を迎
 えているにもかかわらず、木材(用材)の需要は、1973年をピークに長期低落を続
 け、今後も人口減少により、さらに落ちると見込まれている。
・20性器のブローバルゼーションの進展は、自動車や鉄鋼という中央集約型の産業を主
 軸に据えた日本に大きな経済成長をもたらした。しかしその陰で、日本人は最も身近な
 資源である山の木を使うことを忘れ、山とともに生きてきた地域を瀕死の状態まで追い
 込んできたのである。
・過疎化で人が去り、荒れ放題となった里山。忘れられ、放置さえてきた資源に再び光を
 当て、めいっぱい使ってやろうという決意が困られている。それはライフスタイルを戦
 前に戻したり、電気のある便利な暮らしを否定したりということでは決してない。そう
 したものも当然使いながら、いかに財布を使わずに楽しい暮らしをするか身の回りを見
 直していく。「原価セロ円」の暮らしを追求していくのだ。
・田舎の犠牲の上に、都会の繁栄がもたらされている一方的な構図のままでは、日本は長
 続きしないのではないか。いつか、底が抜けてしまうのではないかと思う。
・価格がないと思い込んでいたものが実は町づくりの武器になる。東京にはないものだか
 らこそ、東京とは違う魅力を作っていけるのだ。田舎は雑草に飲み込まれそうになって
 いるというけれど、よくよく見れば、その雑草こそ、ぴかぴかの宝物だった。
・年をとった人々を「高齢者」とは呼ばない。「光歳者」と呼ぶ。人生いっぱい経験して、
 「輝ける年齢に達した人」たちである。「田舎には、高齢者しかいない」というと、
 「役に立たない人ばかり」というイメージになるが、「光歳者が多い」と言えば、生き
 る名人がたくさんいるのだと考えられる。情けないことなど、何一つないのである。
・里山暮らしの仲間は「志民」と呼ぶ。「市民」ではなくて、「志を持った人々」。行政
 や政治任せにするのではなくて、人のため、地域のため、社会のために自分で動ける人
 々。持てる物、出せる物を喜んで出して、喜んで汗を流せる人々。笑顔がある人は笑顔、
 汗を流せる人は汗、知恵がある人は知恵、そしてお金のある人はお金。そうした志民が
 提供する力は、「第三の志民税」。直接税、間接税に並ぶ。お金ではない大きな力。そ
 れが里山を活性化させる。  
・政治が悪い、親が悪いということはどの時代でもあります。それでも、自分の人生は自
 分で作ろうと思ったほうが幸せになれる可能性が高いんじゃないかと思う。
・逆転の発想で捉えれば、役に立たないと思っていたものも宝物となり、何もないと思っ
 ていた地域は、宝物があふれる場所となる。
・金を稼ぐという話になると、どうしても都会には勝てない。でも、お金を使わなくても
 豊かな暮らしができるとなると、里山のほうが、地方のほうが面白いのではないか。
・大震災などを契機に、都市での電気頼り、電気使い放題の足元がない生き方、食べ物を
 手に入れることができない暮らしは本当に良いのだろうか。
・将来の子供のツケを残すことのないようにする。原発を止めることができなくても、里
 山では電気使い放題でない暮らしができる。そういう価値が気づいていくことが、21
 世紀の里山暮らしなのである。
・地方のほうが元気でなかったら、最終的にはとしも元気になりません。商工業が発達し
 ても、買い手の農民が周りにいなければダメだし、経営者が儲けても、消費してくれる
 国民が豊かでなければ、その経済は保証できないんです。

21世紀先進国はオーストリア
・ヘッジファンドたちは一斉に、CDSと呼ばれる国債に連動する金融商品を買いあさっ
 た。「市場の評価」という大義名分を掲げ、ギリシャやイタリアなどの国債を売り浴び
 せ、国債を暴落させた。これによって、各国では、緊縮財政を余儀なくさて、高い失業
 率にあえぐ庶民をよりいっそう苦しみへと追いやった。当のヘッジファンドたちは、そ
 うした状況を尻目に、高級ワインで祝杯をあげているのである。マネーのモンスターは
 とうとう国家の価値すらも食い物とし始めた。マネーの嵐が吹きすさぶヨーロッパのど
 真ん中に、その影響を最小限に食い止めている国がある。それがオーストリアだ。
・失業率は、EU加盟国中最低の4.2%、一人当たりの名目GDPは世界11位(日本
 は17位)だ。
・木を徹底活用して経済の自立を目指す取り組みを、国をあげて行なっているのである。
・オーストリアの人々は、最も身近な資源である木を大切にして暮らしている。こうした
 暮らしを再発見したのはほんの数年前だという。オーストリアも10年前までは、ガス
 や石油が主力のエネルギーだった。日本人が知らないうちに林業が最先端の産業に生ま
 れ変わっていることを思い知らされる。
・オーストリアは、もともと、世界的に高い技術力を誇るドイツ自動車の部品製造などで
 発展してきた国である。従って、基礎的な技術レベルは非常に高い。ペレットボイラー
 は、ヨーロッパでドイツ人の次にきまじめと言われる、オーストリア人の気質の産物な
 のである。
・かえり見れば日本人ももちろん、こつこつと技術を磨くことにかけては世界トップクラ
 ス。その物づくりの精神こそが世界第二の経済大国に押し上げた。
・他のどこの国もやっているような大量生産・大量消費型の技術ではなく、一歩先に、身
 近な資源を活かす技術を極めつつあるオーストリア。日本も彼らと同じ道を歩むという
 選択肢もあるのではないだろうか。 
・日本と同じ地下資源に乏しいオーストリア。原油を中東諸国に、天然ガスをロシアから
 のパイプラインによる供給に依存してきた。そのため、国際情勢が不安定化するたびに、
 エネルギー危機に見舞われてきた。元栓を外国に握られる恐怖を身にしみて知っている
 のである。
・石油やガスのことを考えると、これまで供給してきた東欧のパイプラインが今後も大丈
 夫か、中東情勢が今のまま続くか、そもそも原油がいつまで採掘できるのかわからない。
 好むと好まざるとにかかわらず、化石燃料以後の時代を考えて準備しなければなりませ
 ん。将来的にエネルギーはどういう形であれ今より安くなるとは思えません。中東の首
 長国からタンカーで運んでくる原油より、身近な資源のほうが信頼できるのです。
・今のご時世、ただ山の木を切っていればいいという時代ではない。林業に従事する以上、
 経済に関することも知っていなければならないし、生態系に関する知識もなければなら
 ない。さらには、最新のテクノロジーも知る必要がある。
・その一方で、林業という仕事が体系化されるにつれて、同僚や会社と協力しながら仕事
 をする必要も高まってきた。社会的能力を必要とされるようになったのだ。そういう風
 に、高度な専門性を持つ職業に対する金銭的な対価が、昔に比べて上昇するのは当然だ
 ろう。林業という職業はとてもエキサイティングなものになった。
・オーストリアの林業は、元本に手を付けることなく、利子だけで生活しているのだ。こ
 れこそが彼らの根本哲学なのだ。
・現在、森林はオーストリアにおいて二番目の稼ぎ手になった。年間30億ないし40億
 ユーロの貿易黒字が計上されている。森林が1年間に成長する量の70%しか利用して
 いないのもかかわらずにだ。
・オーストリアは、世界でも珍しい「脱原発」を憲法に明記している国家である。
・バイオマスの分野で世界をリードするオーストリアでも、とりわけ注目され、世界中か
 ら年間3万人もの視察が殺到している。ハンガリーとの国境の町・ギュッシング市だ。
・特に熱利用では、ペレットとは異なる仕組みを導入して、バイオマスが占める割合を飛
 躍的に高かまっている。それが「地域暖房」という仕組みだ。地域暖房は、発電の際に
 出る排熱を暖房や給湯に利用しようというシステムだ。いわばボイラーのセントラルヒ
 ーティングを地域全体で実現したものだ。この地域暖房を導入しようという動きが、山
 形県の最上町など、東北地方の、冬寒くて集落が比較的密集している地域で起きている。
・1990年、ギッシュング議会では、全会一致で、エネルギーを化石燃料から木材に置
 き換えていくことを決定した。・地域の外に支払っていたエネルギー代を試算すると、
 600万ユーローものお金が流出していた。このお金の流れを変え、地域内で循環させ
 れば、町はもっと潤うのではない かという考えからだ。 
・エネルギーの輸入は、私たちにとって、何の利益ももたらしません。利用されないまま、
 何千トンもの木材が廃材として森の中で朽ちていくのに、なぜわざわざ数千キロも離れ
 たところから天然ガスや石油を運んで家やアパートを暖かくするか。
・世界経済はあるひと握りの人たちによって操られています。それはあまり健全なことと
 はいえません。市場を狂わせる投資家を直ちに減らすことはできないかもしれません。
 しかし、エネルギーという非常に大切な分野において、ある程度の主導権を握ることが
 できるのです。
・21世紀になると、人、物、金に飽き足らず、IT革命によって、情報までも瞬時に飛
 び交うシステムが確立されていった。しかし、その中央集権的なシステムは、山村や漁
 村など、競争力のない、弱い立場にある人々や地域から色んなものを吸い上げることで
 成立するシステムでもあった。地域ごとの風土や文化は顧みられず、地方の人間はただ
 搾取されるのみであった。経済成長には、金太郎飴のようのどこもかしこも画一的であ
 るほうが効率的だったのであり、地域ごとの個性は不要だったのである。
・21世紀。ある程度の経済成長を果たし、物があふれる豊かな時代になって、私たちは
 ふと気づいた。全国どこにいっても同じような表情になってしまった日本の町を見て、
 違和感を覚え始めたのである。 
・里山資本主義は、経済的な意味合いでも、「地域」が復権しようとする時代の象徴と言
 ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としての「地域」と決別し、地域内
 で完結できるものは完結させようという運動が、里山資本主義なのである。自己完結型
 の経済だからといって、排他的になることではない。むしろ、「開かれた地域主義」こ
 そ、里山資本主義なのである。
・CLTとは、板の繊維の方向が直角に交わるよう互い違いに重ね合わせられている木板
 (建築材料)である。CLTが誕生したのは、2000年頃で、木材利用先進国のオー
 ストリアからだった。
・オーストリアの首都ウィーン。我が目を疑う。どうみても木なのである。それもなんと
 七階建ての構想建築なのだ。
・CLT建築は、単に強度に優れているだけでなく、夏は暑く、冬は寒い石造りや鉄筋コ
 ンクリートより快適な住環境を提供していた。
・イタリアの国立森林・木材研究が、CLTが地震にも強いことを実験によって証明した。
 耐火の試験も重ねられ、CLT建築の一室で人為的に火災を発生させたところ、60分
 経っても、炎は隣の部屋に燃え広がらないどころか、少し室温が上がったかなという程
 度だったらしい。今、ヨーロッパでは、CLTこそ、構想建築にぴったりの健在だと考
 えられるようになっている。
・鉄筋コンクリートから木造建築への移行は、単なる建築様式の変更と捉えるのではなく、
 産業革命以来の革命と言っても過言ではない。
・20精気を通して、私たちは、セメントと鉄鋼を生産するために、石炭や石油など多く
 のエネルギーを費やしました。セメントや鉄の生産には途方もない額の投資が必要です。
 工場は巨大で、たいていの国であれば、一つの国に一つあるかどうかでしょう。そうし
 て20世紀の人類は発展してきました。ところが、今日ではエネルギー資源はあまりあ
 りませんから、この星にある自然が与えてくれるもので私たちは生活しなければなりま
 せん。 
・森林は管理し育てれば無尽蔵にある資源だ。木材は、投資は少なくてすむ一方、地域に
 多くの雇用が発生する。経済的にもとても優れた資源なのだ。
・鉄やコンクリート、石油など、20世紀を支えた重厚長大な産業と違い、それほど大き
 な設備投資や労働力、世界の裏側から資源を運んでくるインフラを必要としない木材産
 業。それゆえ、比較的低リスクで産業構造を根本から変えていく力を秘めている。
 
「里山資本主義」の極意
・人が生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食料と燃料だろうか。食
 料も地下資源も自給できない日本ではこれまで、このように問うこと自体愚かだった。
 水も食料も燃料も、日本ではお金で買うものだ。そもそも輸出産業が稼いだお金があっ
 てはじめて外国から食料と燃料を輸入できる。本来豊富にあるはずの水も、都市部では
 巨大な上水道システムを回さなくては供給できず、そこでは輸入した燃料を燃やして作
 った電気が大量に使われている。お金がなくて、この小さな島国に1億3千万人近くひ
 しめく我々の生存はない。そしてそのお金を稼ぎ続けるには、経済が成長していかなく
 てはならない。しかるに日本の景気は長期の低迷に中にあり、かつて世界一と謳われた
 国際競争力はもはや地に落ちている。だからこそ今の日本にもっとも必要なのは、国と
 しての成長戦略であり、景気回復策なのだ。一番てっとり早いのは金融を緩和して、世
 の中にお金をもっとたくさんたくさん、ぐるぐると回すことだろう。どんどんお金を刷
 ればいい。刷れなくても、日限が国債を買い込んで日銀券で支払ってくれれば同じこと
 だ。ということが今までの議論だった。
・東日本大震災から2年経ったこの日本は、この「お金をぐるぐる回せば万事解決する」
 論に染まり始めた。自分の尻尾を噛もうとしてぐるぐる回る犬のように、実際にはやれ
 ばやるほど体力を失って、自分の首を絞めてしまう話しなのだが。
・そもそも日本の国際競争力は、地に落ちてなどいない。報道とは違って日本製品の多く
 が着実に売れ続けているのに加え、これまでの海外投資も多くの金利配当収入をもたら
 し、バブル崩壊以降の20年間だけでも300兆円ほどの経常収支黒字が外国から流れ
 込んだ。だがそのお金は貯蓄されるばかりで国内の消費に回らない。金融緩和も進めら
 れ、マネタリーベースも同時期に2.5倍に膨れ上がったが、名目GDPはぱったりと
 成長を止めてしまった。仕方がないので政府がポンプ役を買って出て、国債を発行して
 貯蓄を吸収し「景気対策」につぎ込んできたが、それでもお金が自分でぐるぐる回りだ
 すことはなく、消費は一向に増えないままだ。気がついてみると、約1000兆円の借
 用証書を書いた日本政府に、税収として還ってきているのは年間40兆円未満。毎年税
 収と同額以上の借り増ししないと資金繰りが回っていかない。そうこうしているうちに
 国内の貯蓄がすべて国債になってしまう状況が近づきつつある。
・他方で海外に支払う燃料代は年々増えている。日本の石油・石炭・天然ガスなどの輸入
 額は、20年前には年間5兆円に満たなかったが、中国やインドの経済発展を受けて世
 界的に資源価格が上昇した今では、年間20兆円を超えている。 
・工業国同士の競争ではまだ日本は強く、2011年でも年間14兆円もの貿易黒字を稼
 いだ。だがその儲けは全部アラブ産油国などの資源国に持って行かれてしまい、最終的
 にはマイナス2兆円と31年ぶりの貿易赤字に落ち込んでしまった。資源を買ってきて
 製品にして売るという加工貿易立国モデルが、資源高のせいで逆ザヤ基調になってきて
 いるのだ。
・間違ってはいけない。生きるのに必要なのは水と食料と燃料だ。お金はそれを手に入れ
 るための手段の一つに過ぎない。手段の一つ?生粋の都会人だと気付かないかもしれな
 い。だが必要な水と食料と燃料を、かなりのところまでお金を払わずに手に入れている
 生活者は、日本各地の里山に無数に存在する。山の雑林を薪にし、井戸から水を汲み、
 棚田で米を、庭先で野菜を育てる暮らし。最近は鹿も猪も増える一方で、狩っても食べ
 きれない。先祖が里山に営々と築いてきた隠れた資産には、まだまだ人を養う力が残っ
 ている。
・震災で痛感した人も多くはずだ。お金と引き換えに遠くから水と食料と燃料を送ってき
 てくれるシステム、この複雑なシステム自体が麻痺してしまえば、いくら手元にお金が
 あっても何の役にも立たないということを。あのとき一瞬だけ感じたはずの、生存を脅
 かされたことへの恐怖。貨幣経済が正常に機能することに頼り切っていた自分の、生き
 物としてのひ弱さの自覚。その思いを忘れないうちに、動かなくてはならない。お金と
 いう手段だけに頼るのではなく、少なくともバックアップ用として別の手段も確保して
 おくという方向に。
・「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー
 資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構
 築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける
 仕組み、いわば安心安全のネットワークを予め用意しておこうという実践だ。
・いま全国の観光地では、地元産食材に徹底的にこだわった料理の提供が求められるよう
 になって来ているが、土や水だけでなく生産に使った燃料まで地元産という農産物、調
 理に使ったエネルギーまで地元産という食事には、さらに付加価値がつくかもしれない。
・注意しなければならない点がある。ペレットによる発電は、製材屑の再利用としては充
 分に採算に乗るものだが、新たに木を砕いて木くずにしてからペレットを製造するとい
 うコストまではまかなえないということだ。ということでペレット発電は、今のコスト
 構造が続く限り、全国で問題になっている間伐材の有効利用策にもならない。
・オーストリアは日本同様に、いや石炭も出ないだけに日本以上に化石燃料資源に恵まれ
 ていないばかりか、内陸国なので中東から来た巨大タンカーが横付けできる港もない。
 原発は稼働前に自ら封印してしまった。にもかかわらず、いやそれ故に戦略は絞れてお
 り、自然エネルギーで行くという推進姿勢に揺らぎはない。エネルギーの安定なくして
 国際経済競争には勝てないというのは、原発再稼働を望む一部日本人に共通の意見だが、
 日本以上に条件不利なオーストリアで国産自然エネルギーの活用がどんどん進んでいる
 という事実にも、もっと目を向けてもらいたい。 
・国全体として化石燃料代で貿易赤字に陥っている日本では、一部産業の既得権を損なっ
 ても、自然エネルギー自給率を高めることが重要だ。その先には、同じく化石燃料代の
 高騰に苦しむアジア新興国に向けての、バイオマスエネルギー利用技術の販売といった、
 新たな産業の展開までもが期待される。だが、既得権がよってたかって政策を骨抜きに
 してしまうのはこの分野だけの話ではない。だからこそ、市町村単位、県単位、地方単
 位での取り組みを先行させることが、事態の改善につながっていく。 
・小泉改革の頃から隆盛になり始めたマネタリスト経済学は、まだむき出しの輸入原理の
 ままだ。よく聞くと、「中央銀行による貨幣供給量の調整で景気は上下いかようにでも
 コントロールできる」というような、最盛期の旧ソ連においてもおいそれとは語れてい
 なかったであろう、究極の国家計画経済が実現できるようなことを唱える輩も混ざって
 いる。だが、歴史に学んで今後の展開を考えれば、日本でも早晩、何度かの痛い失敗を
 経てではあろうが、米国直輸入のマネタリスト経済学がそのままでは通用しないことが
 一般に自覚されるようになるだろう。
・車はマネー資本主義に依存してお安く買わせていただくが、食料と燃料に関しては自己
 調達を増やそう。このいいとこ取りのご都合主義こそ、サブシステムたる里山資本主義
 の本領だ。それどころか燃料代を節約した分、もう一台軽トラックを買うかもしれない。
・規模の利益の追求には重大な落とし穴がある。規模の拡大は、リスクの拡大でもあると
 いうことだ。システムがうまく回っている間はいいが、何か齟齬が生じると、はるか広
 域にわたって経済活動が打撃を受ける。震災時の東日本の電力など、その典型だった。
 はるか彼方で一括大量生産された電気に頼っていた首都圏の営みは、津波と原発事故に
 よって一瞬にして凍りついたのだ。だが、計画停電の最中でも、あるいは場所によって
 は一週間も一ヶ月も電気が止まっていた北関東以北の被災地にあっても、ガス発電シス
 テムやソーラーシステムを自宅に取り付けていた家にだけは灯りが灯っていた。規模の
 利益に背を向けた、平時には非効率なバックアップシステムが、見事に機能したのだ。
・震災時の仙台では、電力や水道はかなり迅速に復旧して行ったと聞くが、道路の被災に
 ガソリン不足もあって、物流システムは一週間程度、麻痺していた。だが店頭に食料が
 なくなっても、多くの家庭が急場をしのぐことができたという。親戚の誰かに農家があ
 る住民が多く、そういう家では秋に一年分の新米をもらっていたので、少なくともカロ
 リーだけは取ることができたというのだ。より大きな規模の利益を目指して、取れただ
 け市場に出荷するということをせず、一部を金銭化せずに親戚の間で分け合うというよ
 うな習慣が、結局震災リスクをヘッジした。
・東京で同じような物流網麻痺が起きたらどうだろうか。何でもお金で買うという習慣し
 かないマネー資本主義の体現者のような首都圏民は、全員がうまく食べつないで行ける
 のだろうか。 
・現実社会では、ヘタに分業を貫徹しようとすると、各人に繁閑の差が出たり、拾い漏れ
 が出たりする。世界で最も効率がいいと思われる、日本のコンビニエンスストアの店員
 の働き方を見るとよい。お客様に対応する傍らで、倉庫から品物を出してきたり、商品
 棚を整理したり、トイレを掃除したり、ゴミ箱の中身を片付けたり、少数スタッフが一
 人多役をこなして効率を上げている。さらには彼らの多くが、学生だったり主婦だった
 り劇団員だったり、店の外にもやることを持っている人たちだ。
・実は里山資本主義的な一人多役の世界は、マネー資本主義の究極の産物ともいえるコン
 ビニエンスストアの中にも実現しているのだ。 
・筆者が全国で出合う活力ある中堅・中小企業や、特色ある個人事業者は、むしろ一事業
 者多事業であるのが当たり前だ。 
・普段何気なくやっている食品や雑貨の買い物の際に、敢えて「顔の見えるもの」、どこ
 か特定の場所で特定の誰かが地元の資源を活かして作っているものを選んでいる。ある
 いは経営している人の顔の見える小さな店に、敢えて足を運んでみる。少し高いかもし
 れないが、そこは「大物になった気分で、何の見返りがあるともわからない志援金を払
 ってみる」というのはどうだろうか。いつもは黙って買い物をしている人であっても、
 たまには店の人と会話してみるというのもよい。お金でものを買うという行為にくっつ
 けて、ささやかに笑顔やいい気分を巷間しておくと、ささやかな絆が生まれるかもしれ
 ない。 
・土地を持て余している人が身近にいたら、思い切って話をして、一時的に借りて畑にし
 てはどうだろう。 
・もし将来の住宅購入の頭金が用意できているのであれば、思い切って田舎にセカンドハ
 ウスを買ってはどうだろうか。いやその前に何年か、試しに縁のあった田舎に家を借り
 て通ってみて、本当に気に入れば物件購入まで進めればよい。農地だけ賃借して週末農
 業に通うという手もある。 
・マネー資本主義は、やりすぎると人の存在までをも金銭換算してしまう。違う、人はお
 金では買えない。あなただけではない。親も子どもも兄弟も買うことはできない。本当
 にお互いに寄り添えるような人生の伴侶も、買ってくるものではない。あなたの親や子
 どもや伴侶にとっても、あなたはお金で換えられるものではないはずだ。
・ところが、マネー資本主義に染まりきってしまった人の中には、自分の存在価値は稼い
 だ金銭の額で決まると思い込んでいる人がいる。それどころか、他人の価値までも、そ
 の人の稼ぎで判断し始めたりする。違う、お金は他の何かを買うための手段であって、
 持ち手の価値を計るものさしではない。必要な物を買って所持金を減らしても、それで
 人の価値が下がったわけではないし、何もせずに節約を重ねてお金だけを貯め込んでも、
 それだけで誰かがあなたのことを「かけがえのない人だ」とは言ってくれはしない。
・持つべきものはお金ではなく、第一に人との絆だ。人としてのかけがえのなさを本当に
 認めてくれるのは、あなたからお金を受け取った人ではなく、あなたと心でつながった
 人だけだからだ。それは家族だけなのか。では家族がいなかったら、家族に見放された
 らどうするのか。そうではない。人であれば、誰でも人とつながれる。里山資本主義の
 実践者は、そのことを実感している。
・持つべきものの第二は、自然とのつながりだ。失ったつながりを取り戻すことだ。自分
 の身の回りに自分を生かしてくれるだけの自然の恵みがあるという実感を持つことで、
 お金しか頼るもののなかった人々の不安はいつのまにかぐっと軽くなっている。里山資
 本主義の実践は、人類が何万年も培ってきた身の回りの自然を活かす方法を、受け継ぐ
 ということなのだ。 

グローバル経済からの奴隷解放
・長い人間の歴史を振り返ると、物質的な量の拡大を続ける時代と、質的な、本当の生活
 の豊かさなどに人々の関心が移っていく時代が繰り返されてきた。工業生産の時代は、
 自動車にしても何にしても、全国、世界、同じものが出回るとともにそうした画一的な
 ものがどれくらいあるかによって、進んでいる、遅れているという評価がなされた。進
 む・遅れるという時間軸でなんでも物事を見る時代であった。しかし、成熟の時代とな
 り、地域ごとの豊かさや多様性に段々人々の関心が向かっているのではないか。
・短期の利益しか見ない今の経済から長いスパンでの成果を評価する時代への転換。将来
 の成果のために今を位置づけるのが今の経済だが、それでは現在がいつまでたっても手
 段になってしまう。そこから抜け出さなくてはならないのです。
・グローバル時代は強い者しか生き残らない時代だという考え方自体が、誤解だと思うの
 です。多くの相手をつぶしたやつが一番偉い、みたいな感覚でグローバル時代を見たる
 人たちの頭の中は時代錯誤だと思います。われわれは、グローバルジャングルに住んで
 います。ジャングルは、別に強い者しかいない世界ではありません。百獣の王のライオ
 ンさんから小動物たち、草木、果てはバクテリアまでいる。強い者は強い者なりに、弱
 い者は弱い者なりに、多様な個性と機能を持ち寄って、生態系を支えている。これがグ
 ローバル時代だと思います。 
・2011年度のカロリーベースでの日本の食料自給率は39%。肉や卵自体は国内産で
 も、食べているエサが海外からの輸入で、自給できていないということだ。耕作放棄地
 で飼料を作ろうという人はいないのだろうか。耕作放棄地を使って農業をしながら、そ
 こでとれた野菜を自分で調理して、客に出す。
・土地というものは、使いたい人が多ければ値段が上がり、少なければ下がる。極限まで
 下がった土地が「ただで使える耕作放棄地」だろう。ところが、ただになってもみんな
 使おうとしない。きちんと情報さえ行き渡れば使いたいと言い出すに違いない潜在的希
 望者は、かやの外に置かれている。
・なぜ自分で食べてはいけないのか。自分が楽しんで作ったものは、自分で食べることこ
 そが一番楽しいし、充実感も得られる。なぜ、自分で調理して人に食べさせてはいけな
 いのか。人に食べてもらうことが、どんなにうれしく、満足を得られることか。
・耕地を使うときは、できたものを必ず外の市場にもっていき、売らなければならない、
 と信じてきた。作るものの品質と量だけにひたすらこだわり、他の産地に負けないよう、
 価格を競争してきた。海外産はもっと安いといわれ、唯々諾々と「値下げの応じてきた」
 のである。そのあげく、「戦えない商品」しかつくれない耕地では、何も作らないとい
 う選択をしてきたのだ。耕地を放置し、そして食べるものを外から買い、自給率を下げ
 てきた。そうしたことが地域で暮らすコストを押し上げ、結果、地域が生きていくこと
 を難しくしている。
・耕作放置の菜園で野菜を育てている市民は、その分スーパーで野菜を買う必要がない。
 これは、重要なことを私たちに問いかけている。いつのまに私たちは、「趣味」をお金
 で買うしかないものにしてしまったのか。趣味を含め生活のすべては、仕事という「業」
 で得たお金を切り崩して得るしかないと考える、一方通行の仕組みを金科玉条にしてい
 るのはなぜなのか、と問うているのだ。趣味で野菜を作り、その分お金を使うことが少
 なくなれば、それにこしたことはないではないか。

「無縁社会」の克服
・ギリシャで起きたことは、あの国はいいかげんだったからだ。そう思いたくなる気持ち
 は、わからないでもない。でもそれは、見たくないものから目をそれしているにすぎな
 い。国にお金がなくなり、年金や社会保障が切り捨てられたのは、ギリシャだけではな
 いのだ。フランスでも、同じようなことが行われた。どうにもならなくなる前に、国民
 の猛反対を押し切って、自分たちで切り詰める決断をした。おかげでフランスの財政は、
 当面の破綻を免れた。
・ふるさとを離れて都会に出たもののうまくいかず、地縁、血縁から切り離されて孤立す
 る人が、ひとりさびしく亡くなるケースが急増している。彼らが最後の最後にすがるの
 は、親の年金であることが多いそうだ。「最後の頼みの綱が年金であること」が、今の
 状況を象徴的に表している。もともとあった地縁や血縁のセーフティーネットを古くさ
 いものとして忌み嫌い、そこから抜け出して豊かさや幸せを追い求めた時代その究極の
 形が、誰に世話にもならず、若い時積み立てた蓄えで悠々自適の老後を送る年金の仕組
 みだ。残念ながらこの仕組みは、経済成長がいつまでも続くことを前提にしている。し
 かも、老人ばかりが増える社会を想定して設計されていない。
・今、私たちが本気で取り組むべきは、新たな前提を受け入れた上での根本的な「再設計」
 ではないのか。田舎を捨てて都会に出ても、多くの人が「たくさんお金をもらえるよう
 になるという成功」を期待できない「成長の鈍った時代」。せっせと積み立てた年金の
 お金だけを頼りに老後を設計するのは心許ない時代。 
・考えてみれば、すぐに使える立派な建物がごろごろある。不動産のコストが低いことは、
 強みであるはずだ。
・高齢化すること、過疎になることをひたすらマイナスととらえ、悲しみ、恨んでばかり
 いる発想がいかに貧しいことか。ありのままを受け入れ、その中でみんなができること
 を見つけていけば、「若い社会」とは異なる形の、穏やかで豊かな「成熟した社会」が
 ありうるのだ。
・田舎にはハンデがある。働く場所が少ないハンデだ。ほとんどの場合、そのハンデにぶ
 ちあたった時点で、田舎は声を上げることをあきらめてしまう。しかし、都会にも大き
 なハンデがあるのだ。働きたくても子どもを預ける保育所がないというハンデ。待機児
 童の問題は、長年解決できない日本の社会問題だ。ようやく今、保育所の拡充が叫ばれ、
 お金をかけて整備が進められようとしている、しかし今、都会では、就職難や、子ども
 をもうけて養うことさえ難しいほどの低収入の問題が浮上している。日本の将来を託す
 子どもを、どこでどのように育てるのか。社会としてどう親を支援していくのか。
・お金をかけず、手間をかける。できたものではなく、できる過程を楽しむ。穏やかに流
 れる時間。   

「マッチョな20世紀」から「しなやかな21世紀」へ
・我々が今まで何を強みに世界と戦ってきたか。それは、省エネだ。そしてそれを成し遂
 げたのは勤勉な日本人のしなやかさ、きめ細やかさなのだ。日本人の強さをこれからも
 っと特化し、伸ばしていかなければ、世界には勝てない。
・これからの日本に必要なのは、「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」の
 両方ではないだろうか。都会の活気と喧騒の中で、都会らしい21世紀型のしなやかな
 文明を開拓し、ビジネスにもつなげて、世界と戦おうという道。鳥がさえずる地方の穏
 やかな環境で、お年寄りや子どもにやさしいもうひとつの文明の形をつくりあげて、都
 会を下支えする後背地を保っていく道。 
・人口減少の問題も、無縁社会の問題も。エネルギーや食が自給できない問題も、さらに
 は次の国際競争を担う産業が生み出せない問題も。現代日本が抱える様々な問題をこの
 車の両輪が解決していくのではないだろうか。 
・みんながみんな世界と戦う戦士を目指さなくてもよい。そういう人も必要だし、日本を
 背負う精鋭は「優秀な勇者」でなければならない。しかし、その一方で地域のつながり
 に汗を流す人、人間と自然が力を合わせて作り上げた里山を守る人もいていいし、いな
 ければならない。そうした環境の中でこそ、人は増えていくのであり、次の世代の勇者
 がまだそこから育っていくのである。 

「里山資本主義」で不安・不満・不信に決別を
・マネー資本主義の勝者として、お金さえあれば何でも買える社会、自然だとか人間関係
 だとかの金銭換算できないものはとりあえず無視していても大丈夫、という社会を作り
 上げてきたのが、高度成長期以降の日本だった。ところが繁栄すればするほど、「食料
 も資源も自給できない国の繁栄など、しょせんは砂上の楼閣ではないか」という不安が
 心の中に密かに湧き出す。
・こうした連鎖した不安・不満・不信は根深いもので、厄落としに短期間で政権を交代さ
 せても解消されるものではない。そうするたびに問題はむしろ悪化するであろうし、現
 に悪化してきた。
・お金が最も大事という「マネー資本主義」的な発想法で考えるならば、不安の解消策は
 どのような方向になるだろうか。出てくるのは、日本の「マネー資本主義の勝者」とし
 ての地位をいかなる形をもってしても回復し、その金の力をもって土木工事で自然災害
 を封じ込め、周辺国には軍事力を強化して毅然として対峙する、というマッチョな方向
 だ。そこで出てきたのが「アベノミクス」という、公共投資の大盤振る舞いによる「国
 土強靭化」と、金融緩和→インフレ誘導による景気刺激の組み合わせだった。
・このマッチョな選択は、保守が聞いて驚く社会実験的な施策で、マッチョ的な発想ゆえ
 に無理や、その結果としての不安点が多々ある。何かすれば副作用が生じるのであって、
 ご都合主義者が願うような穏便な問題解決にはならない。副作用もなしにできるなら他
 の誰かがとうにやっている、ということは認識しておいた方がいい。
・海外がインフレ・日本はデフレということで進行してきた円高も、日本がインフレ気味
 になれば円安に転じるが、そうなるとGDPの十数パーセントを占める輸出関連産業は
 息をつける反面、DGPの8割以上を占める内需関連産業は輸入燃料価格の上昇に直面
 する。実際問題として、上げるだけ上がった円が円安に戻り始めた2012年の秋以降、
 日本の貿易赤字はむしろ拡大している。
・株価が上げるのは皆さん歓迎だし、事実これまでの日本の株価は投資利回りの実績から
 みても低すぎたことは間違いない。しかし国債に流れていた資金が株に流れれば(それ
 は本来正常なことだが)、異常な額に膨れ上がった国債の新規の消化には次第に困難が
 出てくることも予想される。
・戦後の日本人享受してきた経済的な繁栄は、別段失われていないし、事実をしっかり認
 識し、ゆっくり落ち着いて適切に対処する限り、今後とも失われない。仮に今のマネー
 資本主義的な繁栄がゆっくり弱まって行くようなことがあったとしても、里山資本主義
 的な要素を少しずつ取り入れて行けば、生活上はそんなに困ることもない。  
・確かにバブル崩壊のいわゆる「失われた20年」に、名目GDPは1.1倍にもなって
 いない。ゼロ成長と言ってもよく、先進国の間でも目立って取り残されている、いわば
 一人負け状況だ。しかし冷静に考えて欲しいのだが、過去20年間でみれば日本の
 GDP総額は増えていないが、減ってもいない。それどころか生産年齢人口当たりの
 GDPを計算してみると、今でも日本の伸び率が先進国最高だという。
・ちなみにGDP以外の指標をみても、たとえば日本人の平均寿命は世界最高水準だし、
 凶悪犯罪も減っているし、困窮者が暴動をお越しているわけでもない。これは経済が衰
 退している国の姿とはいえないだろう。 
・テレビ文化人には、日本の輸出の絶対額の推移を見てからしゃべって欲しい。財務省の
 国際収支統計によれば、プラザ合意で円高が始まる前の1985年の輸出額が42兆円、
 バブル最盛期・日本の国際競争力は世界一の1990年が41兆円。それに対して
 2012年は61兆円と、約20年間で1.5倍に増えているのだ。
・震災後も5兆円台をキープしていた輸出は、2012年7月から4兆円台に転落したが、
 これは円高のせいではなく、尖閣問題を契機にした対中国の輸出の減少によるものだ。
・日本は震災を契機に31年ぶりの貿易赤字になり、さらに赤字が拡大しているではない
 かと反論される方もあろう。下人は原発事故を契機に化石燃料の価格が高騰し輸入が増
 えたからであって、輸出=日本製品の海外での売り上げが落ちたからではない。
・確かに、際限なくお札を刷ればいつかは必ずインフレになる。実際問題、過去十数年間
 続いた金融緩和によって既に世の中に出回った貨幣供給量を考えれば、とっくにインフ
 レになってもおかしくないというのが、多くの金融機関の実感だろう。さらなる金融緩
 和の末に突然に極端なインフレが起こるという可能性もある。 
・インフレがそのような急激にではなく、緩やかに始まるという根拠はあるのかと言われ
 れば、「リフレ論」にはそれを保証するほどの理論的成熟も実証データの蓄積もない。
 間違ってインフレが加熱したときにそれを制御できる方策があるかと問うと、「現に日
 銀がこれだけ長期にデフレをもたらしているのだから、今度は日銀が金融引き締めをす
 れば簡単にインフレは収まる」という答えが返ってくるのだが、そもそも「今のデフレ
 は日銀のせいである」という説が正しくない限りは、彼らの言う対策も効きそうにもな
 い。  
・日祭には日銀は、別段日本経済を滅ぼそうとしている悪の組織ではなく、これまで十数
 年続けた金融緩和が実際に物価上昇につながらなかったという経験をもとに行動してい
 る。特に小泉改革の時期、2002年から2007年まで続いた「戦後最長の景気拡大」
 局面では、当時史上最大の金融緩和にリーマンショック前の輸出急増があいまって、マ
 ネーゲームをする余裕がある層の金融所得が大きく増えたが、個人消費は増えなかった。
・日本で「デフレ」と言われているものの正体は、不動産、車、家電、安価な食品など、
 主たる顧客層が減りゆく現役世代であるような商品の供給過剰を、機械化され自動化さ
 れたシステムによる低価格大量生産に慣れきった企業が止められないことによって生じ
 た、「ミクロ経済学上の値崩れ」である。従ってこれは、日本経済そのものの衰退では
 なく、過剰供給をやめない一部企業と、不幸にもそこに依存する下請企業群や勤労者の
 苦境にすぎない。そしてその解決は、それら企業が合理的に採算を追求し、需給バラン
 スがまだ崩れていない、コストを価格転嫁できる分野を開拓してシフトしていくことで
 しか図れない。要するに「企業による飽和状態からの撤退と、新市場の開拓」がデフレ
 脱却をもたらす唯一の道である。 
・実際問題、日本の1400兆円とも1500兆円とも言われる個人金融資産の多くを有
 する高齢者の懐に、お金は存在する。彼らは死亡時に一人平均3500万円を残すとい
 うのだが、これが正しければ年間100万人が死亡する日本では、年間35兆円が使わ
 れないまま次世代に引き継がれるという計算になる。その35兆円のうち3分の1でも
 死ぬ前に何かを買うのに回していただければ、この数字は1割増となってバブル時も大
 きく上回り、たいへんな経済成長が実現することになってしまう。
・さらなる金融緩和で事態は解決すると主張するリフレ論が横行すればするほど、旧態依
 然の低価格大量生産依存の企業に限ってセウフの助けを期待し、自らの「イノベーショ
 ン」「構造改革」を怠ってしまう。彼らは企業でありながらまるで社会的弱者のように
 だが、これが95年までの一方的な現役世代の増加に甘えてきた戦後日本の資本主義の
 現実でもある。人口増加の上げ底経済の中でだけ存続できた、本来持っているべき経済
 戦略の欠如した企業が滅んでいく過程。その前向きな産みの苦しみが、今の「デフレ」
 なのだとも言えよう。
・マネー資本主義の行き詰まりは、毎年の国債増発の結果、ついに世界一の借金王になっ
 てしまった日本政府の財政を見ても実感される。多年自民党政権も、3年間の民主党政
 権も、国民の生活のため、震災復興のため、大型経済対策のためと称して赤字国債の発
 行を続けてきた。あまり投票にいかない若い世代や、投票権のない子ども、まだ生まれ
 ていない子どもにツケを回し、今年さえよければ、足元さえなんとかなればと対GDP
 比率で2倍以上の世界一の水準の借金を積み上げてきた。
・もははそのツケは子孫に回るだけではない。投票ないし無投票という行動で借金積み増
 しを是認ないし黙認してきた当の世代自身にも、年金支給開始年齢の後送りや医療福祉
 サービスの切る下げという形で回り始めている。それだけではない。極度のインフレと
 いう、高齢者や中高年者のこれまでの金銭的蓄積を、元も子もなくすような事態が起こ
 る危険性も少しずつ高まりつつある。これまでは幸いそうなっていなかったが、日本人
 の人生は世界有数に長いので、誰もが、逃げ切れる保証はどこにもない。
・これまでに際限なく国債残高を増やし続けてこられたのは、いくら出しても何とか売れ
 続けたからである。国債の9割以上は日本の企業や個人が保有しているのだが、それは
 日本の企業や個人に現金があったからだ。だが、化石燃料高の今世紀、さらに円安が進
 めば貿易赤字が拡大し、金利配当収入も食い潰して日本全体が経常収支赤字になりかね
 ない。
・米国のように国外から借金をし続けられる国であればまだ良いのだが、円安に向かう見
 通しが高い中、日本国債を海外に売りたいのであれば、現状の平均1.4%というよう
 な低金利では難しい。しかし国債の発行金利を上げると、既に発行されている国債が市
 場で売買される際の流通利回りも上がる。実際には発行済み国債の金利は発行時に決ま
 っているので、金利が上がった場合には国債そのものの売買価格が下がることで金利水
 準が上がるという調整が金融市場で自動的に行われる。つまり発行済み国債を持ってい
 る企業や個人の財産が目減りするということだ。少々の金利上昇ならともかく、市場は
 そのときの世の気分次第で極端な動きをすることも多い。世界のどこかで起きる何かが
 きっかけで金利上昇が過度に進めば、国債を多く保有する年金基金や生命保険会社、地
 方の金融機関などが打撃を受ける。
・金利が上げれば国の資金繰りも無事ではすまない。現状の低金利下でも、年間の国債金
 利支払額は10兆円にも達しており、政府の年間税収の4分の1以上がそこに消えてい
 ることになるが、仮に国債金利が一時のイタリアのように6%になれば、政府の税収は
 全額国債利払いに回ることになり、日本の公共部門は実質的に機能停止に陥る。
・世界のマネーゲームの中には、日本国債が暴落に向かうことを期待して、そうなれば儲
 かる方向に相場を張っている向きも多い。彼らは、国債増発と円安誘導を同時に行なう
 アベノミクスの登場に、さぞや期待を高めていることだろう。
・どこかの国の凋落で儲けようとする連中がいるのもマネー資本主義の醜い部分だが、問
 題をここまで至らせてしまったその大元には、瞬間的に利益を確保するためだけの刹那
 的な行動に走ってしまって重要な問題は先送りしてしまうという、マネー資本主義に染
 まった人間共通の病理がある。目先の「景気回復」という旗印の下で、いずれ誰か払わ
 なければならない国債の残高を延々と積み上げてしまうというような、極めて短期的な
 利益だけで条件反射のように動く社会を、マネー資本主義は作ってしまった。
・福島の原発事故も、老朽化した旧式原発を、「いずれ止めます、いずれ止めます」とい
 いながら動かし続けてきたのが大きな原因だ。使用済み核燃料の最終処分の見通しがま
 ったく立たないままに原発を再稼働しようとするのも、とにかく今を乗り切るために数
 年先(既存原発内の保管場所が満杯になるのはそう遠い先のことではない)を見ないよ
 うにしているという話しにほかならない。
・刹那的な行動は、われわれ日本人がマネー資本主義の先行きに対して根源的な不安を抱
 き、心の奥底で自暴自棄になってしまっているところから来ている。そしてその不安は、
 マネー資本主義自壊のリスクに対処できるバックアップシステムが存在しないところか
 ら来ている。複雑化しきったマネー資本主義のシステムが機能停止した時に、どうして
 いいのかわからないというところから不安は来ているのだ。
・都市圏の住民や、大都市圏中心に発展してきた日本企業の関係者は、意識の奥底に「自
 分たちの今のマネー資本主義的な繁栄は続かないのではないか」という不安を、地方の
 住民や企業以上に強く隠し持っているように思える。であるがゆえに彼らは、積極的に
 子どもを持つことをしない。あるいは子育てと労働を両立させたい社員を積極的に支援
 しようとしない。
・少子化というのは結局、日本人と日本企業(特に大都市圏住民と大都市圏の企業)がマ
 ネー資本主義の未来に対して抱いている漠然とした不安・不信が、形として表に出てし
 まったものなのではないか。未来を信じられないことが原因で子孫を残すことをためら
 うという、一種の「自傷行為」なのではないか。そういうわけでこの現象は、幾ら「も
 っと子どもを産め」とマッチョな掛け声をかけようとも、そういう表の世界の建前によ
 ってはまったく解決されない。
・少子化は日本だけで起きているのではない。マネー資本主義が貫徹されているという意
 味では日本以上である韓国も台湾もシンガポールも、日本より出生率が低い。ロシアや
 東欧でも、突如マネー資本主義の暴風にさらされたソ連連邦以降、著しい出生率の低下
 が報告されている。  
・里山資本主義は、大都市圏住民が水と食料と燃料の確保に関して抱かざるを得ない原初
 的な不安を和らげる。それだけでなく里山資本主義は、人間らしい暮らしを営める場を、
 子どもを持つ年代の夫婦に提供する。
・日本の田舎の問題は、もはや職場の不足だけだといいのだが、その職場も、「安定した
 企業で努め上げる」という、実際には都会でももう普通は有り得なくなってきているモ
 デルにこだわらない限り、実はどんどん生まれつつある。書籍でも雑誌でもネットでも、
 田舎で新たな収入先を開拓している若者や退職者向けの情報は満ち溢れている。収入は
 低くても、その対価として自分らしさを取り戻せる。流れは確実に変わっているのだ。
・マネー資本主義は、やりすぎると人の存在までをも金銭換算してしまう。もちろん、人
 はお金では買えない。人の存在価値も、稼いだ金銭の額で決まるのではない。人間の価
 値は、誰かに「あなたはかけがえのない人だ」と言ってもらえるかどうかで決まる。人
 との絆を回復することで、そして自分を生かしてくれる自然の恵みとのつながりを回復
 することで、ようやく「自分は自分でいいんだ、かけがえのない自分なんだ」というこ
 とを実感できる。そのとき初めて人は、心の底から子供が欲しいと思うようになる。自
 分にも子供がいていいのだと思えるようになる。なぜなら子どもは、自分と同様に、そ
 こにいるだけでかけがえのない存在だからだ。この自分の幸せを、生きている幸せを、
 子どもに味わって欲しいと心の底から思うとき、ようやく人は子どもを持つ一歩が踏み
 出せる。
・少子化と高齢化を混同して「少子高齢化」と一緒に呼ぶ人がいるが、高齢化は少子化と
 は別の問題として近未来にたちはだかる。     
・日本の高齢化率は23%を超えており、たとえば米国の2倍程度の水準だが、国民一人
 当たりの医療費は現時点で米国のほうが高い。そもそも一人当たりの医療費は、平均寿
 命の長さとは連動しない。車で移動し脂肪の多い食事を大量に取る米国人は、比較的若
 いうちから多くが成人病を患ううえ、平均寿命も日本人より4年程度度短いが、日本よ
 りも医療にはお金がかかっている。そのうえ米国のように、医療保険制度も完全にマネ
 ー資本主義の世界での競争に任せたほうがうまくいくと信じ込むと、このように実際に
 は効率がとても悪い結果になったりする。  

おわりに
・里山資本主義の普及によって、出生数の際限ない減少をどこかで食い止めることができ、
 当面の高齢者の増加にも顕著なコスト増なしで対応できたとすると、2060年の日本
 は80歳以下の各世代の数が大きく違わない、安定度の高い社会に生れ変わっている。
 総人口は8000万台まで減っているかもしれないし、金銭換算できない価値の循環拡
 大がGDPを下げているかもしれないが、実際の社会にはさまざまな面が明るい光が差
 していることだろう。 
・戦後に人口が8割も増えてきた中、多くの湿地や傾斜地を住宅地として開発してきたが、
 人口が大幅な縮小に向かう今後は、生まれ育った場所から移動したくない高齢者の方々
 が順に亡くなっていくことに合わせ、戦後の造成地の中の天災に弱い部分をゆっくりと
 湿地や山林に戻っていくことが可能になる。
・巨大な堤防を建設する資金があれば、リスクのある新開発地から、昔から人の住んでい
 る安全な場所へと、人間を移していくことに投じたほうが有効な使い方だ。加えて、人
 口が過度に集中している大都市圏から田舎への人の逆流が半世紀も続けば、晴雨厚の場
 のすぐ横に水と緑と田畑のある人口はもっと多くなる。マネー資本主義のシステムが一
 時停止しても、しばらくは持ちこたえることができる人の比率がはるかに高くなってい
 ることも期待できる。
・政府の膨大な借金はどうなっているのだろうか。実は、国債償還のツケがすべて若い世
 代に回ることにはならない、と予想される。なぜなら今65歳を超えつつある昭和20
 年代前半生まれが1000万人を超えるのに対し、今の0〜4歳は500万人しかいない
 からだ。数の多い高齢世代が蓄えたものが、長い時間をかけて相続などの形で数の少な
 い若い世代にゆきわたっていくプロセスを利用して、国債残高を目に見えて減らしてい
 くことが可能になる。使い切れないほどの額を残す富裕層への相続税の強化もあろうし、
 少子化の結果、子孫のいない日本人がどんどん増えていることを活かして、相続人のい
 ない財産を国庫に入れる仕組みにするということもできるだろう。まずは機械的、数理
 的に、高齢者が持つ貯蓄のどの程度を国債償還に回していくのか外枠を計算し、それに
 応じて具体的な制度設計を組み合わせてゆけばよい。   
・機械化・自動化が進み、生産力が維持される中での人口減少は、人間一人一人の生存と
 自己実現より容易に、当たり前にしていく。増えすぎた人口をいったん減らした後に一
 定水準で安定させていくことこそ、地球という限られた入れ物から出られない人類が、
 自然と共生しつつ生き延びていくための、最も合理的で明るい道筋なのだ。
・問題は、旧来型の企業や政治やマスコミや諸団体が、それを担ってきた中高年男性が、
 新しい時代に踏み出す勇気を持たないことだ。古いヴィジョンに縛られ、もはや必要性
 の乏しいことを惰性で続け、新しい担い手の活力を受け入れることもできないことだ。
 しかし年月はやがて、消えるべきものを消し去り、新しい時代をこの島国の上にも構築
 していく。結局、未来は、若者の手の中にある。先に消えていく世代は誰も、それを否
 定し去ることができない。