大人たちの失敗    :櫻井よしこ

日本の敵 (新潮文庫) [ 櫻井 よしこ ]
価格:637円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

日本人に生まれて良かった [ 櫻井よしこ ]
価格:1296円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

一刀両断 [ 櫻井 よしこ ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

保守新生 リベラルが日本を潰す [ 櫻井よしこ ]
価格:1296円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

日本の未来 (新潮文庫) [ 櫻井 よしこ ]
価格:637円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

それでも原発が必要な理由 [ 櫻井よしこ ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

頼るな、備えよ 論戦2017 [ 櫻井 よしこ ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

問答無用 [ 櫻井 よしこ ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

何があっても大丈夫 (新潮文庫) [ 櫻井よしこ ]
価格:723円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

櫻井よしこの日本再興 論戦2013 [ 櫻井よしこ ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

国難に克つ 論戦2011 [ 櫻井よしこ ]
価格:1543円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

日本よ、決意せよ 凛たる国家へ [ 櫻井よしこ ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

日本の未来 [ 櫻井よしこ ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

甦れ、日本 論戦2012 [ 櫻井よしこ ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

日中韓 歴史大論争 (文春新書) [ 櫻井 よしこ ]
価格:810円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

新アメリカ論 [ 櫻井よしこ ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

アジアの試練 チベット解放は成るか [ 櫻井 よしこ ]
価格:1543円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

議論の作法 (文春新書) [ 櫻井 よしこ ]
価格:831円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

迷わない。 (文春新書) [ 櫻井 よしこ ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

日本の勝機 米中韓の変化に果敢に向き合え [ 櫻井よしこ ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

日本よ、勁き国となれ 論戦2007 [ 櫻井よしこ ]
価格:1543円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

国売りたもうことなかれ 論戦2005 [ 櫻井よしこ ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

櫻井よしこの憂国 論戦2009 [ 櫻井よしこ ]
価格:1543円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

世の中意外に科学的 (集英社文庫) [ 櫻井よしこ ]
価格:493円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

戦後七〇年国家の岐路 論戦2015 [ 櫻井よしこ ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/29時点)

この本は、2000年頃に書かれたものであり、一部には古さを感じるところもあるが、
全般的に現在にも通じる部分が多い。ということは、12年経っても日本の抱える問題は、
それほど変わっておらず、12年以上あいも変わらず同じような問題を解決できずに、ず
っと引きずってきたということが言える。
教育問題、高齢化問題、老人介護問題、環境汚染問題、中国等との国際問題、そして我々
は、どんな国どんな社会を目指していくのかという根元的な問題。どの問題も12年前と
同じで、ほとんど進展がないまま今日に至っている。
変わったことと言えば、我々日本人はすっかり自信を失ってしまったことと、我々日本人
は、すっかり政治に嫌気がさしてしまっているということだろうか。
この本を読んで感じるのは、著者は日本も軍隊を持つべきである。憲法改正して自衛隊を
正式な軍隊と認めるべきである、というところだろうか。その主張については、賛同でき
る部分が多い気がする。しかし、もし憲法を改正して自衛隊を軍隊と認めたとしても、は
たして何か変わるだろうか。例えば、中国に対して強く出られるようになるだろうか。恐
らく、今とあまり変わらないだろう。そうであれば、単なる看板の付け替えだけで終わっ
てしまう。
ただ、この本には少し勇気づけられた。今の日本は、永田町の先生たちをはじめマスコミ
も、単に他を批判するだけの評論家に成り下がってしまっているように感じる。そこには、
建設的な結論はなにも生まれない。ダメなところをこき下ろすだけでなく、良いところも、
どんどん見つけたし、それを評価してあげるような社会体質にしていくべきではないのか
と思う。そうでないと、このままではこの国は自己崩壊してしまうような気がする。

まえがき
・どんな社会でも、個人一人で成り立つわけはありません。一人ひとりが自分の幸福を求
 める気持ちが、どこかで社会全体のより良いあり方への努力とつながっていなければ、
 社会など成り立ちません。
・他者への配慮も自己責任も、喪失したかのような日本の戦後の国民教育は、失敗だった
 と言わざるを得ません。
・失敗したときには立ち直ることが大切です。立ち直りのプロセスで自分の姿を見つめ、
 その自分を大きな枠で形づくってきた日本の社会を見つめ、歴史を学んでいくことで、
 私たちは成長していくことができます。
・失敗から学ぶためには、勇気と知性が必要です。心して取りかかることが必要です。

親は子に何を為すべきか
・戦後、核家族になり、世の中は便利になりました。その結果、本来ならば人間が時間を
 かけ、経験を重ねて学び取っていくはずのものが、プロセスが省かれて結論だけが子供
 たちの頭の中に入ってくるようになりました。そういう中で、人間が人間とと共に生き
 て暮らしているという実感が、急速に薄れてきたと思わざるを得ません。
・苦しみや悲しみは人間にはつきものであり、それをどのように乗り越えていくのかを考
 え、悩み、迷いながらも、勇気をふるって生きるのが人間だということを、教えていな
 いのだと思うのです。
・街を歩けば若者が主流です。車椅子の人も少ない。お年寄りもそれほどいない。人の痛
 みに対してほとんど思いを致さなくても済むような状況です。そして親は子どもに自分
 のことを大事にすることは教えても、人の痛みについてはどれほど教えているのでしょ
 うか。
・親たちが世の中の実態をマユにくるむようにして子どもに見せない。子どもに心配も、
 苦労もさせないような育て方をするのが親の愛の深さだと考えてやってきた親の世代は、
 いま、子どもと共に立ちどまり、これでいいのか、何かがおかしいと考え始めなければ
 ならないと思います。
・お金や物は、人間の心を豊かにしてくれる手段であるのに、いつの間にか、それ自体が
 目的になっていったのです。そんな価値観に染まって育った世代が親になったとき、心
 はもっと置き忘れられ、うつろになっていったのではないでしょうか。
・戦争世代の人たちは、日本が戦争に負けてから、バタッとものを言わなくなってしまい
 ました。GHQに占領され、戦前の価値観がほとんど全否定されたからです。
・デモクラシーや男女同権という新しい価値観が洪水のように流れ込んできて、それらす
 べてをひたすら受け止めるしかなかったわけです。
・戦前の価値観の中には否定すべきものも、肯定すべきものもあるのですが、全部引っく
 り返されてしまいました。そのような一方的な方針に敗戦国の国民は反対意見を言うこ
 とは許されませんでした。
・そうした中に戦後のめざましい経済発展があったわけです。心を失いつつあった、失わ
 れつつあった国にとって、経済の躍進は物理的な飢えと精神の空白を埋めて補ってくれ
 るものだったと思います。今日よりも明日が、明日よりも明後日がより豊かになるとい
 う確信は、日本の未来に、それまで失いかけていた希望を、再びもたらしたとも思いま
 す。
・一方では、よりよい未来に向かって日本人の勤勉さを発揮しながらも、豊かさを得てそ
 の先にどんな社会を作りたいのか、どんな人間を育てたいのか、どんな国を作りたいの
 かを、私たちは考えなくなりました。
・経済も豊かさもそのこと自体が目的ではないはずです。それらは私たちの信ずる価値観
 を実現する手段です。しかし、私たちは戦後の時間の流れの中で、手段を目的と取り違
 えてしまいました。手段はしょせん手段です。
・日本人には経済をもう一度隆盛にするのは何のためなのか、という問題意識が、言い換
 えれば単なる経済現象を超えた大目的がないために、頑張ることができないのではない
 かという気がするのです。
・お金儲けは大事です。経済を無視するわけにはいきません。しかし、お金儲けをして銀
 行に預金するのが目的ではないでしょう。
 お金儲けをして自分だけが毎日美味しいものを食べるのが目的ではないでしょう。その
 お金を手段としてより意味の深いこと、もっと多くの人を幸せにしていくこと、あるい
 は国際社会で役に立つことをしていくなど、大きな目的があっていいはずです。日本人
 にはそういう大目的が見当たりません。
・経済は大事ですけれどそれを超えて、より高い大きい目的のために人間を歩ませる何か
 が必要なのです。
・お年寄りのお金はお年寄りのためにはあまり役に立っていないはずです。でも、お年寄
 りのお金はお年寄りのために使った方が断然よいと思います。持っているお金は自分の
 ために使ってほしい。
・自分の貯金は自分が生きているうちに使い、親は子どもたちに、財産のかわりに、親が
 人生の最後まで生き生きと、楽しみながら闊達に生きた姿をよい思い出として残してあ
 げればよいのだと思います。自分の一生をどのように自分で工夫し、実り豊かなものに
 したかを実践してみせ、子どもにも同じように自立して生き、幸せを作り出し、増幅し
 ていくことの大切さを教えることです。
・統計によりますと、65歳以上の人々の半分以上が人生を終える前に痴呆に陥るのが現
 実です。さらに、人生のいちばん最後の5年7ヶ月は、介護されて死んでいきます。こ
 れがいまの日本人の平均的な人生の終わり方です。
・私だけは大丈夫と思っていても、そう思っている私たちお半分はボケて、5年7ヶ月間
 お尻の世話を含み介護をしてもらわなければならないということです。そんなときに4
 人部屋に入りたいでしょうか。6人部屋に入りたいでしょうか。
・自分はこんなに一生懸命に、真面目に働いて税金を払って、子どもを育てて、不十分か
 もしれなうけれどもそれなりにベストを尽くしてきた。そのおかげでこの社会ができあ
 がっているのに、なぜ自分が人生の最後の段階で5年7ヶ月、人様に世話してもらうと
 きに4人部屋や6人部屋に入って、プライバシーも保護されないで死んでいかなければ
 ならないのか。多くの人がそう思うに決まっています。
・にもかかわらず、私たちは何十万人というお年寄りを、いまそういう目にあわせていま
 す。その反対のところで小さい子どもたちに一人部屋を与えて何でも買ってやるような、
 バランスの取れていない、ツジツマの合わない仕組みを私たちが作り上げてきました。
 にもかかわらず、これがおかしいということに、まだ十分気づいていないのです。
・自分と自分の子どもの安寧と豊かさが保証されれば、その他のことについてはほとんど
 考えないのは、先輩世代に対してフェアではないのです。
・日本の中高生で、自治親に対して親近感や信頼感を抱いていると答えた子どもたちは
 10.1%でした。母親に対しては21.1%でした。
・アメリカでは母親に対して%、父親に対しては78%が親近感、信頼感を抱いている。
 中国は母親に対して77%、父親に対しては70%でした。韓国が意外と低くて、母親
 に対して54%、父親に対して47%ですが、日本のように10%や20%台という低
 いところはほかのどの国にもないのです。
・人間は物だけで信頼したり、心からの満足を得たりはしないということでしょう。人間
 はお金だけでも物だけでもないということです。もっと根元的な魂と魂の触れ合いを求
 めているのです。
・親が子どもをだれよりも愛していればこそ、他人には言えない厳しい小言を言うことも
 できるし、厳しく躾をすることもできるのです。愛は優しくあると共に、厳しきもある
 ものなのです。そういったことを現代の日本の大人たちが忘れているいるのではないで
 しょうか。
・子どもを甘やかすほうが子どもに厳しくするよりもずっと簡単です。お小遣いを与えな
 いよりは与えるほうが簡単です。しかし、本当に子どもを愛しているとしたら、子ども
 に一番大事なことを教えてやることが大切なのです。
・親としては辛くても、子どもをきちんと叱って、なぜあなたが叱られるのかということ
 をきちんと説明し、責任を取らせる。そして責任を取る姿を親として見届けることが、
 一番大事なのだろうと思うのです。子どもが責任を果たしたときに、親は初めて子ども
 を大きく両手を広げて迎え入れてやればよいのです。
・人間は、信じ難いほどの能力に恵まれて生まれてきた存在です。自分がもっと自分らし
 く、もっと魅力的に、もっとすてきに、もっと優しく、もっと勇気ある人間になるため
 に学ぶのです。
・じぶんが自分の中に眠っているさまざまなすばらしい資質を磨き、輝かせることによっ
 て、周りの人を少しばかり幸せにしたり、世の中をよいものにしていくために学ぶので
 す。人間に与えられたすばらしい能力を磨いて、自分の夢を実現していくのです。
・テレビが子どもたちにどれだけ大きい影響を与えているかを考えれば、ただ楽しいだけ、
 にぎやかなだけの番組でなく、もっと考えさせる番組を提供していくべきだと思います。
 
世界の潮流に逆行する日本の教育
・私たちは、人間は高尚な存在で、精神的な存在だと思いがちですが、意外にそうではな
 いのです。人間は大変わかりやすい、基本的に物理的な存在です。その証拠に、病気に
 なったらどんなに優秀な人でも、どんなにすばらしいアイデアを持っている人でも、だ
 いたい勢いが落ちてきます。つまり、人間はすばらしい心や精神を持った存在ではあり
 ますが、それは多くの場合、健康な体によって支えられているということです。
・日本の親たち、つまり自分たちが、いままで知らず知らずの間に子どもの前で先生を批
 判していたというのです。社会も、学校や教師に対して否定的な言動を取ってきたと思
 います。マスコミも、何か問題があるとすぐに教師が悪いのではないか、学校が悪いの
 ではないかという論調を展開してきました。考えてみたらこれは一番賢くないやり方だ。
・親は自分たちの子どもの教育に対して自分たちに一番責任があることを認識すること、
 教育は親と子どもの縦の関係、先生と子どもの縦軸の関係が基本だということを確認し
 て、基本的に子どもは大人の言うことを聞かなければならないと教えることだと思いま
 す。
・日本では過酷な税制のために、小金持ちが大金持ちであり続けることは非常に難しく、
 平均的な小金持ちがそろっています。ほとほどの豊かさを楽しむ穏やかな生活人という
 面では、小金持ちは魅力的な人たちでもありますが、欠点は、往々にして自分の身の回
 りの安寧と豊かさだけで満足してしまいがちなことだと思います。
・皆が小金持ちになって、だれの世話にならなくても、そこそこの生活をしていくことは
 できるようになりましたが、そこにとどまってしまう。自分の息子に家を残してあげた
 い、マンションを買ってあげたいと考えて実行はしても、それを超えたところで他人の
 ため、社会、国家のために何ができるのかということを考えなくなってしまいました。
・大事な一人っ子もしくはふたりっ子を育て、自分の子どものためには何でもしてあげる
 という親が増えてきました。
・こうして、子どもはこの世の中が自分のために存在していると思うような環境に置かれ
 てしまいます。子どもは、足らざることの不自由も体験することなく、まっすくに唯我
 独尊の価値観を身につけていきがちです。これでは、見知らぬ人々と折り合って、譲り
 合いながら暮らしていく知恵を身につけることなど、できないのです。謙虚になり、他
 人への優しさを実践していく賢さを身につけることなど、及ばないのです。
・文科省は「ゆとり教育」と称して、必須科目を一貫して減らしてきました。その代わり
 に自由選択科目を作りました。選択科目を増やすことによって、子どもたちは嫌いな科
 目、自分の苦手とする科目を勉強せずに済むことになったのです。その結果が、基本を
 まったく抑えていない学生の大量生産です。
・総合的学習という言葉も、大変耳に心地よい言葉です。総合的に多角的に物事を見て、
 考える力を養ってくれる勉強のように聞こえます。しかし、実態は、先生方が総合的学
 習で何を教えたらよいかわからず、困っている状態なのです。
・自由な独創的な教育は、基本学習がしっかりできている子どもにはずばらしい結果をも
 たらしますが、そうでない子どもには、戸惑いを与えるだけです。
・文科省は本来なら、子どもたちを二つのグループに分けで一つのフループの子どもたに
 適用すべき教育法を、全体に適用したという点で間違っていると思います。
・アメリカやヨーロッパの学校では制服が猛烈な勢いで導入されています。理由は、制服
 は連帯感を示すものである、そして学問を身につける途上にある子どもたちが、今日は
 何を着ていこうかと鏡の前で考えるような手間暇を省いてくえる、というものです。
・義務教育の中で必須科目が増やされている世界の潮流と比べますと、日本は反対方向に
 走っています。さらに、もっと多くの自由を与え、もっと少なく学ばせましょうと言っ
 ているのです。
 
高齢化社会と老人介護
・統計によりますと、日本人の65歳以上の約半分は痴呆症になるそうです。もう一つ、
 統計でわかっていることは、亡くなる前の5年7ヵ月間は介護が必要です。
・介護問題の基本は、介護を受ける人が選択をするという点に尽きると思います。それに
 は、介護を受ける人たちの精神的な自立が基軸にならないと成功しないと思うのです。
・地域ぐるみの医療や介護は、まず、食事を配達することから始まります。お年寄りの二
 人の所帯と朝と夕方の二食を毎日運ぶ。娘さんが毎日食事を作って上げられればそれに
 越したことはないでしょうが、それができない事情があったり、毎日では大変ですから、
 プロの配食サービスに頼むのも解決策の一つです。 
 
「環境」は私たち自身の問題だ
・日本は手にあまる廃棄物を抱えてその処理に追われています。一般廃棄物の捨て場は、
 全国であと数年しかもちません。産業廃棄物の場合も満杯に近い状況です。首都圏では
 リサイクル、リユースの制度を否応なしに始めるところまで追い込まれています。
・日本は放物線型の経済です。原材料を輸入して物を作り、消費者に届ける。消費者に届
 けたあとは物は使い捨てにされ、回収されない仕組みです。手元にある資源を製品とい
 う形で市場に放り出したら、そのまま投げたきりです。
・一方、ドイツは物が使い捨てではなく、見事にリサイクルされる循環型経済に転換して
 います。
・日本では2000年4月にようやく陽気包装リサイクル法が施行されましたが、ドイツ
 は約10年も前に厳しい対処策を実施しました。先ほどちょっと触れた包装材条例です。
 91年に作られたこの条例は、メーカーと販売業者に包装材のすべてを回収することを
 義務付けています。
・日本では2001年4月に家電リサイクル法が施行されました。しかし対象となる家電
 は、テレビ、冷蔵庫、クーラー、洗濯機の4品目に限られています。しかし、これらを
 リサイクルに回すのに数千円のコストがかかるものですから、夜、ひと目のない場所に
 捨てに行ったりする恥ずかしくも無責任なケースが起きています。
・ドイツではさらにリサイクルを徹底する法律ができました。96年の「循環経済法」で
 す。これは、すべてをリサイクルしなさいという厳しい法律です。この法律の成立と同
 時に、資源循環型の経済を確立することはドイツの憲法にも書き込まれました。
・日本が世界的に突出している問題の一つが、ダイオキシン汚染です。日本人の摂取して
 いる量は、他の国々の何十倍、何百倍といわれています。ある有名大学病院の研究で大
 学生たちの精子を調べたところ、大変衝撃的な結果が見られました。将来日本で生まれ
 てくる赤ちゃんのうち男の子が少なくなると予想され得る結果です。
・原因は明確に特定されてはいませんが、そのうつの一つがダイオキシンに代表される環
 境ホルモンだろうといわれています。日本人が摂取するダイオキシンの6割は日本近海
 の海底に積もってしまい、それを摂取した魚介類がダイオキシンに汚染され、それを私
 たちが摂取するのです。
・そこに住んでいる人々の協力なしに、ゴミ処理はもはやできません。またそこに住む人
 々の納得のいくような処理をしなければ、それは必ず環境汚染につながり、住民にも行
 政官にも、そして次の世代にも、大きな被害を及ぼす結果になります。ゴミや環境問題
 は強権を行使して行政側が強硬手段で懸案を片付けてすむ時代でも毛台でもないという
 ことです。
・日本の民主主義は、トップダウンでなはく、ボトム・アップから立て直さねければなら
 ないと思います。戦後、私たちが享受してきた民主主義は、どちらかというとアメリア
 から与えられ、上から与えられてきました。占領政策の下で女性が参政権を得たのも、
 教育改革が行われたのも、すべて上からの改革でした。いま上から与えられた改革や変
 化が種々の問題に直面しているわけです。
・教育問題も安全保障も経済も、日本は未曾有の危機に直面していますが、これはすべて、
 大袈裟に言えば日本の民主主義が上からの改革だったせいだと思います。つまり、私た
 ち一人ひとりが、私たちの社会はこうあるべきだという考えを自らの頭の中で作り、そ
 れに向かって工夫し努力し、歩むことをしてこなかったせいではないでしょうか。
・世界のダイオキシン実験国といわれ、高いお金を出して買ったお刺身がダイオキシンに
 汚染されているかもしれないという現実の中に放置され、将来生まれてくる子どもたち
 の死亡率が高くなり、女の子の数ばかり増えるような不気味な国になりかねない道を歩
 むというのでしょうか。
・日本が変わるということは地方がまず、変わるということです。地方が変わることは、
 住民に密着した政策が変わることです。直接的に国民の生活を地方行政が変えていくこ
 とです。そうしていかなければ、この日本に未来はないだろうと私は思います。
 
憲法を考える
・日本人は南京事件について、中国にお詫びをしないといけませんし、反省もしなければ
 なりません。そしてこのことを、もちろん、忘れてはなりません。
 中国の人々にとっては許し難い南京での虐殺事件について、私たち日本人が本当に済ま
 ないという気持ちを抱き続けることが大切なのは、言うまでもありません。
・けれども同時に、この南京事件は、国の政策としてユダヤ人を抹殺しようとしたドイツ
 のホロコーストとは根本的に異なることも、認識することが必要です。南京事件は軍紀
 の乱れによって引き起こされた事件であり、日本政府の政策でもなければ、国民全員が
 それを応援し力をかした政策でもありません。南京事件の発生に日本政府は驚き、危惧
 し、南京で悪逆非道な行いをした軍を短期間に入れ替えました。
・しかし、そのこととは別に、ドイツは徹底的な責任追及と歴史教育によって負の遺産を
 見事に乗り越えたのに対し、日本はいまだに精算できずに、つまずき続けています。
 その違いは自分たちの「行為」をしっかり見つめ、考えたかどうかだろうと思うのです。
 日本はドイツとは異なり、戦争犯罪をどのように償い、国際社会の信頼をどう回復して
 いくかを考えてこなかったのです。
・日本の戦った戦争、その戦い方、負け方、そのプロセスで犯したさまざまな過ちについ
 てしっかり考えなかったことは、私たち日本人の信用をおとし、日本への信頼を損なっ
 てきました。憲法についても、戦争についても考えてこなかったこの半世紀余り、考え
 ないことによって私たちは自らを傷つけ、国益をも損ねてきたと思うのです。考えるこ
 とのない国、日本には国家戦略が欠落しているのです。
・デモクラシーは一人ひとりが投票に行って初めて機能するものです。政治不信だといっ
 て背を向けるより、政治を信じられるようにするために、自分の一票に権利と責任を全
 うする方がずっと有効だと思います。
・私たちは日本人という独立国を守っていきたい。この国を国ならしめるものは自主独立
 であり、デモクラシーである。国家の自主独立は、政治的自立と軍事的自立、経済的自
 立、経済的自立によって支えられている。安全保障には軍事力が必要である。そのため、
 憲法第九条を改正しよう。
・軍隊のない国家など存在しません。防衛庁を防衛省に格上げし、自衛隊を軍隊として認
 めるのが自然です。
・「憲法違反」の自衛隊を、憲法を改正してきちんと合憲の存在として認めたいものです。
 その自衛隊にはシビリアンコントロール、文民が統制する公正なプロセスを義務づけ、
 国民が信頼していけるような組織に育て上げていくことが大切です。安全保障のあり方
 をきちんと考えて、憲法についてもしっかり考えていくことが、これからの日本の大き
 な課題であろうと思います。
・私たちは一人ひとりが自分の考えで人生を切り拓いていくように、私たちの国もまた、
 国家として自立し、自己責任でこの国の未来を築いていくことができるようにしていき
 たいものです。
 
隣国に物が言えない日本政府
・拉致された人々が不自然な死を遂げているとしたら、そのことをまず、追及しなければ
 なりません。共同宣言に署名し、日本国が反省したり謝罪したりする前に、日本国民を
 拉致されしなされたことについて日本国として怒らなければならないこと私は思います。
・米国も韓国も、第一義に時刻のことしか考えていません。それは国として当然のことで
 す。だからこそ、日本は米国からミサイル開発をやめるようにと言って欲しいと言われ
 たからといって、韓国から対話を進めるように言って欲しいと言われたからといって、
 そのことのみにかまけてはならないのです。日本国民のこと、日本人妻ののこと、かつ
 て祖国建設のために北朝鮮に戻っていった在日朝鮮人のことも含めて、考えることが先
 決です。
・北朝鮮政府の政策のいわば犠牲者であるこうした全ての人々のことを忘れずに、しっか
 り覚えておいて金正日体制に講義の医師を示しつづけ、この人々を取り戻し、事件の全
 容解明をこそ、第一に求めていくべきです。
・現在の中国政府に私はあまり好意を持っていません。その理由は、いまの中国が非常に
 自己中心的であると思うからです。
・中国の歴史は戦争と紛争の歴史で、軍事力が大きな役割を果たしているのは明らかです。
 毛沢東はアメリカと対抗する陸海空軍をもつには、大変なお金と時間を要するため、各
 兵器の威力に目をつけたといわれています。
・現実に、今日の北朝鮮がアメリカと対等に交渉できるのは、一にも二にも彼らが核兵器
 を持っている可能性があるからです。ミサイルを開発し、運搬手段を持っているという
 現実があるからです。核がなければ、北朝鮮という小さな国がアメリカと同じ土俵で交
 渉できたとは思えません。それくらい核兵器は政治力を持つのです。
・日中関係をよくしていくためにも、日本側は、中国の等身大の姿を認識し、日本との相
 違をよく見つめていくことをしたいものです。そして、中国が中国の立場を主張すると
 き、日本もきちんと日本の立場を主張するという姿勢が必要です。双方が対等の立場に
 立って、各々の考えを理性的に述べ合うところから、真の友情も芽生えます。そうでな
 ければ、よい関係は決して生まれません。
・事実関係の確認も含めて、私たちは日中関係をきちんと見つめていきたいと思います。
 そして日中関係をよいものにするためには、日本も努力するけれども、中国も海洋調査
 船を日本近海に常駐させるようなことはやめてください。日本の供与するODAを軍事
 目的など使わないでほしいのですと、静かに、しかししっかりと伝えていける日本であ
 りたいものです。

若者たちへ、仕事とは何か
・仕事をすることは楽しいことでもありますが、ときには大変なこともあります。生易し
 くないこともたくさんあります。なんといってもお給料を貰って働くわけですから、そ
 のお給料を出す会社のために、払ってくれている人のためにどういう形で自分が役に立
 つことができるのかを考えなければなりません。仕事を言いつけたれたときには、どん
 な難しそうなことでも、前向きに取り組みことが大切です。「できない」と思わないこ
 とが大事なのです。
・自分にはできないと思った瞬間に、本当にできなくなってしまいます。たとえ、こなす
 だけの能力があったとしても、できないと判断したときは、本当にできなくなってしま
 うのです。
・どんなことでも決してできないと思わないこと、必ずやってみること、すべて前向きに
 考えることがとても大事だと思いました。
・自分自身を生かしてもらうことより、自分自身がどういう形でその仕事に、もしくは特
 定の課題に貢献することができるかをまず考えるほうが、結果的には前向きになると思
 うのです。
・周囲に理解がないから自分の思うような仕事ができない、上司や部下が悪いから、仕事
 がうまく進まないと、私たちは考えがちです。確かにそういう状況はあります。という
 より、多くの人の多くの思惑が交叉する職場で、自分が完全に理解され、公正に評価さ
 れることは、およそ有り得ないかもしれません。
・しかし、仕事をするからには、そこで負けではだめなのです。自分への評価は、自分の
 気持ちを鏡に写したものだと考えて自分自身を磨くことで乗り切ってみせることです。
・常に、自分は周りのために何ができるのかを考え、周りにはできるだけ温かい目を、自
 分自身には厳しい目を向けている人こそが、いい仕事をしていくのだろうと思います。

深さ一インチの新聞報道
・日本の大手新聞はなるべく通信社に頼らず、全部自社取材の形をとりたがります。その
 ため、対して重要でないルーティンのニュースにためにも、自社の記者を出すものです
 から、幅広くはなりますが、その分深く突っ込むことが出来にくくなる、とうえるでし
 ょう。その結果、本当の意味で必要とされる掘り下げたニュースが日本の新聞からはな
 かなか出てきにくのです。これは非常に大きな欠陥だと思います。
・コソボ紛争が示したことは二つあります。一つは紛れもなく、アメリカの軍事大国とし
 ての優位です。アメリカの軍事技術は他国を圧倒し、アメリカの軍事的優位があからさ
 まに示されました。もう一つは、国連の決議なしで行なった二万回の空爆を国際社会が
 受け入れたということです。このことは、二十世紀では、国内の少数民族の弾圧は、国
 内問題として他国は内政干渉しないという価値観だったのが、二十一世紀はそのような
 理屈は通用しないということを示していると思います。
・別の言い方をすれば、二十世紀の国際社会は、国と国の関係によって動かされてきまし
 たが、二十一世紀は、国と国の関係プラス、その国の中でどのような政治が行われてい
 るかということが重要視されていくということです。国をハードウェアとするならば、
 その国の運営に相当するソフトウェアが非常に重要になるのが、二十一世紀だというこ
 とです。
・中国で天安門事件が起きました。このときに、各国政府は強力に抗議をし、中国に対し
 て経済制裁を科しました。日本も同調しましたが、中国に対する経済制裁をいちばん先
 に解いたのは日本政府です。そのときの言い分は、天安門事件逢中国の内政問題である
 ということでした。アジアにはアジアの人権尊重は民主主義のパターンがある。人権を
 重視するヨーロッパやアメリカとは多少異なるもので、これはアジア型の政治であると
 いうのが日本国政府の立場でした。
・しかし、人権弾圧や自由の制限が内政問題であるという考え方は、もはや通用しないこ
 とを示したのが、コソボ空爆なのです。そのくのの運営の仕方、ソフトウェアが問われ
 る時代になったのです。
 日本人は顔が見えないとよく言われます。海外で生活経験のある日本人は、海外の人々
 が、子供たちも女性たちも、堂々と自分の意見を言う姿に最初は圧倒されます。日本人
 が日本の価値観で奥ゆかしく振る舞い、意見をあまり言わないようにしていると、この
 人は言うべき意見を持っていないと思われてしまいます。いくら美しくても、どんなの
 素敵な姿形をしていても、話してみて意見おない人は、魅力がないと思います。
・諸外国の人々にとって、自分の意見を持つことは当たり前です。自分の意見を持つこと
 は、自分の頭で考えるということです。考える能力があることが、魅力的な人間の基本
 なのです。その考える能力を、戦後の私たちは削がれてきたという気がしてなりません。
 多くのことについて、「深さ一センチ」と揶揄される浅い情報、時には偏った情報しか
 与えられてこなかったことが、一つの大きな要因ではないのかと思うのです。
 
日本人の忘れもの
・日本的な終身雇用が崩れつつあります。リストラされたり、会社が潰れたり、転職を迫
 られて、将来に一抹の不安を覚えている人も多いはずです。でも終身雇用制度は日本の
 古くからの伝統ではないのです。終身雇用が根付いたのは、戦争のための総動員体制が
 確立された1940年の頃、昭和15年頃から以降です。それ以前は終身雇用などはあ
 まりなく、腕に自信のある人たちが全国を駆け巡っていた時代です。
・人間関係のあり方も多分に戦後に形作られたものです。核家族化は戦後の高度経済成長
 期以降のものですし、親が子どもの面倒を見るということも、日本が豊かになって以降
 のことです。
・現在、私たちが「これが日本だ」とか、「これが異本人の価値観だ」と思っていること
 の多くが、つい数十年の現象でしかないことに気づかされます。いまの日本の価値観が
 すべて悪いなどともすべて良いなどとも思いません。しかし、ここ数十年よりもっと前
 の歴史を知ることで、自分の国と文化を見る私たちの視線の幅が広がっていきます。日
 本はどんな国だったのか、楽しんでみてください。
・私たち日本人は「日本は島国で資源がなく貧しい」という先入観に呪縛されがちですが、
 資源がなく貧しいはずの日本が、江戸時代は非常に豊かでした。
・江戸時代の農民は、皆貧しく、粟や稗、芋など雑穀を食べていたという印象を持ちがち
 です。しかし、彼らは飢饉のときは別ですが、平時には白米を食べていたのです。
・日本が食糧輸入もなしに、人口を増やすことができたことからもうかがうことができま
 す。事実、江戸時代初期の人口は1200万人から1600万人と推計されます。それ
 が江戸時代の終わりには2600万人に増えていたのです。社会が豊かだったからこそ、
 人口は270年間で約2倍に増えたのです。 
・江戸時代の終わりから明治の初めにかけて日本を訪れた外国人たちが、日本は「美しい
 ガーデンステート(庭園国家)だ」と書き記しました。「田や畑は鋤きで耕されたとい
 うより、筆で描いたように繊細な美しい緑の畝がつらなっていた」と彼れは書きました。
 もし農民が飢えていたら、美しい緑の国土などはできるはずがありません。一生懸命に
 働けば十分な食事ができるという保証があったからこそ、美しい緑の庭園国家ができた
 のだと思うのです。
・その前の時代は、鎖国をしていた江戸時代とは正反対で、広く海外に出掛けていった海
 洋国家でした。世界の大貿易国でした。いまでも、海外に出掛けていった日本人がそこ
 に住み着いて、繁盛していたという痕跡がタイやインドネシアはじめさまざまな国に残
 っています。
・当時の世界貿易の決済に使われた銀の3割から4割は日本が産出した銀です。つまり世
 界貿易の3割から4割を日本一国が占めていたということになるのです。
・大貿易時代、大航海時代の日本はもう一つ特徴がありました。それは世界に冠たる軍事
 大国であったということです。たとえば、豊臣秀吉は挑戦に二回、攻め込みました。豊
 臣秀吉の号令一下、海を渡って挑戦を攻めた軍勢は30万人と言われています。いまの
 自衛隊は陸海空合わせて23万人ぐらいです。現在の人口が1億2500万人で、当時
 はまだ3000万人弱でした。しかも、国内には、徳川家康のように、自分お軍勢を動
 かさなかった勢力があり、100万人に登る軍勢が残ったと言われています。十六世紀
 の号令一下、10万単位の軍勢を動かすことができたのは、オスマントルコとアクバル
 のムガール帝国と日本だけでした。紛れもない軍事大国だったのです。
・徳川時代、刀は武士の魂と言われました。刀は人を斬るための武器ではなく、武士の魂、
 文化となったわけです。軍事大国から文化大国へと180度の転換です。
・貿易大国、軍事大国として世界に冠たるレベルを達成した国が、鎖国によって経済大国、
 文化大国になったのです。つまり、鎖国の前もあとも、どの時代においても、私たちは
 各々の状況の中で、世界のトップ水準の国づくりをしてきたのです。
・となれば、これからも私たちは、同じことができるにちがいありません。いま、日本は、
 経済も教育も、政治も大きく変わらなければならないと言われいます。大変革をしても、
 日本の私たちは、きっとすばらしい社会を作っていくことができます。
・日本人の優しさと強さを失わず、日本人の他を思いやる心を失わず、物より心によって、
 友人を作っていける国になれるように、どんなときにも誇りを失わず、大きな夢を実現
 させていく強い意志と覚悟をもった日本人であることです。
・私たちはこれからも、自分は一体何をなしうるのか、何をしなければならないのかを自
 分の頭で考え、自分の心で感じて、それを実行していけるようになりたいものです。そ
 うしたことができる私たちなのだと、子どもたちの世代にも教えてきたいものです。
 そして子どもたちに言い聞かせたいものです。大きな夢を描きなさい、勇気を持って大
 きなすばらしい夢を描きなさいと。つまらない夢など描かないように勇気づけてあげま
 しょう。