日本は戦争をするのか  :半田 滋

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武力行使に前のめりな安倍首相は、憲法の解釈変更だけで、日本を「戦争をしない国」か
ら「戦争をする国」に変えようとしている。本来ならば、このような「国のかたち」を変
えるような方向転換は、国会決議や国民投票などを経て行わなければならない。しかし、
安倍首相は「わが国を取り巻く安全保障環境が一層悪化している」などと繰り返して、国
民の不安をあおり、憲法を無視し、国民の声を無視して、戦争へ戦争へと突き進んでいる
ように見える。
安倍首相本人は、「自分は日本国民のために、世界の平和のために頑張っているのだ」と
思っているかもしれないが、その夢想家とも思える勇ましさには、「あの独裁者ヒットラ
ーの再来ではないのか」と恐怖をおぼえてならない。
集団的自衛権を行使して、攻撃を受けていない相手国に対して武力を行使することは、相
手国側から見れば、自国を脅かす敵国とみなすことになる。相手国に取っても、その戦い
は「聖戦」だ。死に物狂いで反撃してくるだろう。
日本が集団的自衛権行使で自衛隊を派兵することは、米国にとっては歓迎だろう。そのぶ
ん、自国の若者が、血を流さなくても済むことになる。日本は、米国に都合のいいように、
利用されることになりかねない。派兵させられる自衛官たちも、士気が上がらないだろう。
自分の国を守るためにと思って入ったのに、憲法の裏付けもなく、単なる政治的な駆け引
きだけに振り回され、命を落とすことになる。そうなったとき、命を落として帰ってきた
自衛官たちを、名誉ある「軍神」として靖国神社に祀るのだろうか。
世界的に見て、日本の政治は三流だということは間違いないだろう。集団的自衛権を行使
して自衛隊を海外に派兵したとしても、今度はなかなか撤退を決めたれなくなる。自衛隊
員に多数の死者が出れば、自衛隊自体も大人しくしてはいないだろう。制服組からの発言
力が増してくる。こんな三流の政治家たちに、国をまかせられないと思う制服組が出てき
てもおかしくない。そうなると、またあの戦前の状態に逆も戻りすることになる。歴史は
繰り返すというが、今その帰路に立たされている。
日本は、「平和ボケ」しているとよく言われる。先の戦争から70年近く、日本では戦争
は、遠い世界のできごとになってしまっている。戦争を実体験した人たちも、少なくなっ
てしまった。そのため、戦争の本当の悲惨さを知らない人たちが、ほとんどとなってしま
った。集団的自衛権の行使と言っても、まるでオリンピックやワールドサッカーへでも出
場するような感覚で「賛成」を唱える人々も多い。
先の戦争の責任を考えても、戦争初期には、参戦に賛同する一般国民が多かったというこ
とを忘れてはならない。戦争を主導したと言われるA級戦犯たちだけに、戦争責任がある
のではない。参戦に賛同した当時の一般国民にも、戦争責任があったのだということを忘
れてはならない。

はじめに
・日本は戦争をするだろうか。安倍政権が長く続けば続くほど、その可能性は高まると言
 わざるを得ない。憲法9条を空文化することにより、自衛隊が国内外で武力行使する道
 筋がつけられるからである。
・尖閣諸島をめぐる日中の維持の張り合いが続く限り、常に不測の事態に発展するおそれ
 はある。中国がソ連、インド、ベトナムとの間で繰り返してきた国境紛争をみると、領
 有権争いが本格的な戦争に発展した例はない。中国が打ち出した「新たな大国関係」を
 認める米国が日中の領土問題に巻き込まれる事態を歓迎するはずがなく、米国の参入に
 よる紛争の拡大を心配する必要はないだろう。しかし、何より重要なのは、尖閣問題を
 一時棚上げして、日中双方が話し合いのテーブルにつく環境づくりを急ぐことである。
・自滅につながる戦争に突入するほど、かの国の指導者は命知らずとは思えないのである。
 核開発、弾道ミサイルの開発を進めているのは、米国から攻撃されないための自衛手段
 であり、米国に対話を迫る政治的道具である。
・国民の疑問に丁寧に答え、不安を解消していくのが政治家の努めのはずだが、安倍首相
 は違う。国内においては「わが国を取り巻く安全保障環境が一層悪化している」と繰り
 返して国民の不安をあおり、だから憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認しな
 ければならないと声を張り上げる。
・日本が武力攻撃を受け、自衛隊に防衛出動が下命され、そこで来援した米艦艇の防護は
 個別的自衛権の行使で可能になるというのが過去の政府見解である。米国を狙った弾道
 ミサイルの迎撃は、技術的に不可能であり、対処のしようがない。
・米国の知日派グループは、「日本が集団的自衛権を禁止していることが、米英関係のよ
 うな正常な同盟関係の障害になっている」と見直しを迫る。米国の戦争で米国の若者に
 代わり、日本の若者が死んでくれるようになれば、米国の負担は減るのだから当たり前
 の要求かもしれない。この米国の要求を突っぱねてきたのが憲法9条である。安倍首相
 は頑強な防波堤を自らの意思で破壊しようとしている。
・憲法と政策の整合性に苦悩してきた自民党政権は、安倍首相の手にかかるとまるで過去
 の遺物である。首相は政策を憲法の上位概念にすり替え、思うがままの日本につくり替
 えようとしている。
・この夢想家の勇ましさは、国内における自衛隊活動に波及している。見直しが検討され
 ているのは、
  @離島に上陸した外国人を自衛隊が武器を使って排除する。
  A領海を潜って航行する潜水艦を武器を使って追い出す。
  B海外の自本人を救出するために派遣した自衛隊の武器使用基準を緩和させる。
 などである。
 どれほど武器を使わせたいのだろうか。海外への武器提供を禁じた「武器輸出三原則」
 も全面解禁し、「防衛装備移転三原則」と名前をこまかして戦争への加担を隠蔽した。
・日本の軍事的な役割の拡大は、日米安全保障条約に規定した「米国による日本防義務」
 と「日本による基地提供義務」という双務性を壊すことになる。「日米双方による相互
 防衛義務」が実現すれば、「基地提供義務」を見直すきっかけとなり、首相のいう「日
 米同盟の強化」とは裏腹に米国から距離を置くことになる。母方の祖父、岸信介首相の
 ように自主防衛を目指すのだろうか。
・2013年12月の靖国神社参拝は、日本の首相として初めて米国から「失望した」と
 非難された。首相と側近が放つ歴史認識に関する強烈な言葉やその行動は米国,韓国、
 日本の三カ国の連携を困難にし、韓国を中国に向かわせて米国の国益を損なわせている。
・「戦後レジームからの脱却」によって現れるのは「新しい、みずみずしい日本」などで
 はない。「古くて、二度と戻りたくない戦前の日本」なのである。
 
不安定要因になった安倍首相
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、太平洋戦争後の1995年、「無名戦没者の墓」として創建さ
 れ、35万8253柱が納められている。毎年5月に厚生労働省が主催する慰霊表示と
 して拝礼式が行われる。宗教色はない。
・一方、靖国神社は明治時代、戦死した官軍の死者を祀る特別な神社として建立され、太
 平洋戦を含め、亡くなった軍人246万人が「英霊」として祀られている。東京裁判で
 有罪となった東条英機元首相らA級戦犯14人も合祀されている。靖国神社は旧陸軍省、
 旧海軍省が管理し、国民は「国のために戦って死ねば靖国神社で神様になれる」と教え
 込まれた。「国民を戦争へ向かわせる仕掛け」だったのである。戦後、同じ境内につく
 られた「遊就館」の展示内容をみれば、現在の役割が太平洋戦争を正当化することにあ
 るのは明らかだろう。  
・韓国との関係が悪化すれば、北朝鮮への共同対処が困難になり、朝鮮半島情勢は不安定
 化する。同時に韓国に中国への接近をうながし、米韓関係を弱めかねない。いずれにし
 ても米国の国益にならないということである。  
・米議会調査局(CRS)は日米関係に関する報告書を公表し、「安倍首相の歴史観は、
 第二次世界大戦に関する米国人の認識とぶつかる危険性がある」として、靖国参拝に踏
 み切った安倍首相に懸念を示した。そして報告書は「安倍首相が米国の忠告を無視して
 靖国を突然訪問したことは、両政府の信頼関係を一定程度損ねた可能性がある」と分析
 した。安倍首相の存在こそが、東アジアの不安定要因と米国は考え始めているのではな
 いか。
・在日米軍をめぐる奇妙な出来事は、安倍首相の靖国参拝と無関係だろうか。
・安倍首相が引き起こした靖国参拝や歴史認識の問題は、韓国とのさらなる関係悪化を呼
 び込み、米国は看過できないところまで来ている。
・二度目の首相の座に着いた安倍首相は、最初に訪米を計画した。ところが、日本政府が
 希望した1月中の日米首脳会談を米側は「多忙」を理由に断ってきた。日本の首相を事
 実上、受け入れないとする米国の態度は極めて異例だった。
・安倍首相は参院予算委員会で「村山談話」について聞かれ、「侵略という定義は学会的
 にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と答弁し
 た。明らかに間違っている。国連総会決議では「侵略とは、国家による他の国家の主権、
 領土保全もしくは政治的独立に対するまたは国際連合の憲章と両立しないその他の方法
 による武力の行使であって、この定義に述べられたものをいう」と侵略の定義を明快に
 示し、条文で具体的な侵略行為を挙げている。
・中国、韓国から批判されると安倍首相は「どんな脅しにも屈しない」と反論するに至り、
 米国でも安倍批判が噴出した。「ワシントン・ポスト」は「歴史を直視していない」と
 安倍首相を批判する社説を掲載、米議会調査局は、安倍首相を「強固な国粋主義者」と
 表現した。米国からも冷やかな目でみられるようになり、安倍首相のもと日本は孤立へ
 の道を歩み始めたといえるだろう。
・日本は中国との間で尖閣諸島の問題を抱えている。集団的自衛権行使の検討を手土産に
 中国との戦争に巻き込まれてはかなわない。米国はそう考えているのではないだろうか。
 米国にとって最大の輸入相手国は日本ではなく、中国である。米国の対中貿易赤字は増
 え続けており、中国は対米輸出で蓄えたドルで米国債を買い続け、保有残高は132兆
 円に達した。米国債が暴落すれば、米中双方が大きな打撃を受けるのは間違いなく、両
 国は抜き差しならない相互依存の関係になっている。そんな米国が安倍首相が幅を利か
 す日本の、それも無人島のやり取りに介入して国益を損なう事態を歓迎するはずがない。
 安倍首相の「集団的自衛権行使を検討」の誘い水に乗らなかったのもうなずける。
・「日米同盟の強化」を繰り返す安倍首相。その実現のために首相自身が最大の障害にな
 っている。負い目があるからこそ、米国が望むものを差し出す必要に迫られる。それこ
 そが、米国が長年にわたり、日本に求めてきた集団的自衛権行使と考えているのではな
 いのか。
・奇妙なのは、安倍政権が中国、韓国との関係を修復することより、両国民の感情を刺激
 し続け、対立の芽を育てることに熱心であるかのように見える点である。従軍慰安婦問
 題が韓国を刺激し続ける火種だとすれば、靖国神社への首相参拝は中韓両国を急接近さ
 せ、世界に「軍国主義路線を歩む日本」を強くアピールし続ける燃料となった。
・サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立を回復した4月28日を、2013年
 初めて「主権回復の日」に制定した。その記念式典に出席した天皇、皇后が会場から退
 場する際、「万歳三唱で見送った様子は、「天皇閣下万歳」を叫んだ過去の戦争の記憶
 を呼び起こさせる役割を果たした。
・安倍首相は北朝鮮による拉致被害者を引き合いに出して「こういう憲法でなければ、横
 田めぐみさんを守れたかもしれない」と改憲を訴えたという。北朝鮮に向き合ってこな
 かったのは自民党政権の問題であって、憲法の問題ではない。日本が改憲して「国防軍」
 を持てば、北朝鮮が頭を下げ、拉致事件は解決するのだろうか。では、日本とは異なる
 憲法を持ち、国防軍が存在する韓国でも5百人近い拉致被害者がいる理由を安倍首相は
 どう考えているのだろうか。
・安倍首相はアメリカやイギリスをまねて「日本版NSC(国家安全保障会議)」を設置
 した。これらの事実からみえてくるのは、改憲や組織改編が外交や安全保障の問題を解
 決すると考える。安易な姿勢である。問題を解決するのは政治力なのだが、安倍首相の
 場合、その政治力を憲法解釈の変更や組織改編のために使うという堂々巡りに陥ってい
 る。
・近隣諸国との緊張を高めてナショナリズムをあおり続ける背景には「占領期に米国から
 押し付けられた日本国憲法を否定し、自主憲法を制定する」との強い意志を示す狙いが
 あるのだろう。
・2012年4月に発表した「自民党憲法改正草案」は驚くべき内容である。現行憲法の
 特徴である「国民の権利や自由を守るために国家や為政者を縛るための憲法」は、「国
 民を縛るための国家や為政者のための憲法」に主客転倒している。近代憲法の本質が権
 力者が暴走しないように縛る「立憲主義」をとっているのに対し、自民党草案は権力者
 の側から国民を縛る逆転の論理に貫かれている。天皇を国家元首に祭り上げ、国防軍を
 創設して平和主義を踏みにじり、公益や公の秩序のために基本的人権を抑圧する。天皇
 を含む権力者とその取り巻きの幸福のために国民に犠牲を強いるのだ。
・上滑りしたナショナリズムに踊らされ、改憲に賛成した国民がある日、「そんなはずで
 はなかった」と反対の意思を表明しようとすれば、自民党憲法下では「公益及び公の秩
 序」を乱すとして集会・結社・表現の自由を規制してくる。国家のために国民の生命を
 含み、すべて捧げ尽くすことを求めるのが自民党憲法改正草案の特徴といえるだろう。
・安倍首相はいまこそ「必要かつ十分な好機」とみているのではないだろうか。国民投票
 の結果、反対多数となり、改憲に失敗すれば、「残念でした」で済むはずがない。国民
 の信任を受けなかった政権は退陣を覚悟しなければならない。そんな危険を冒すことな
 く、改憲したのと同じ効果が得られるのは解釈改憲に踏み切り、都合のよい新解釈を定
 着させることである。
・内閣法制局の使命は、内閣が法律的な過誤をおかすことなく、その施策を円満に遂行す
 ることができるようにするという、その一点にある。そうである以上、同局の法律上の
 意見の開陳は、法律的良心より是なりと信ずるところに従ってすべきであって、時の内
 閣の政策的意図に盲従し、何が政府にとって好都合であるかという利害の見地に立って
 その場をしのぐというような無節操な態度ですべきではない。
・安倍首相が考える集団的自衛権行使を容認する手順は、「国民の声を聴く」という一番
 大切な部分が欠落しており、到底賛成できない。ある日突然、安倍首相から「今日から 
 行使できる国に変わりました」と発表されても国民は到底納得できない。
・国会論議を経ないで閣議決定だけで憲法の読み方を変えてよいとする安倍首相の考えは、
 行政府である内閣の検眼を万能であるかのように解釈する一方、立法府である国会の存
 在を無視するに等しい。
・長年、日本で勤務する外国の駐在武官の一人は「安倍首相が主張するほど日本を取り巻く
 安全保障環境は悪くなっていない。なぜ憲法解釈を変えようとするのか理由がわからな
 い」という。
・歴代の自民党政権の憲法解釈を否定し、独自のトンデモ解釈を閣議決定する行為は立憲
 主義の否定であり、法治国家の放棄宣言に等しい。「首相のクーデター」と呼ぶほかな
 い。

法治国家から人治国家へ
・為政者が「法の支配」を無視して、やりたい放題にやるのだとすれば、その国はもはや
 「法治国家」ではない。「人治国家」ということになる。ならず者が街を支配して、
 「俺が法律だ」と言い放つのと何ら変わらない。
・第二次安倍政権は特定秘密保護法を強行採決したり、首相本人が靖国神社へ参拝したり
 とやりたい放題である。自民党と公明党の与党は衆参両院で過半数を占め、安倍内閣の
 支持率は高い。思いどおりにやってどこが悪い、というのが本音ではないだろうか。
・安倍首相は時の政権が自由に立案できる政策と、国のありようを規定する憲法を混同し
 ている。その勘違いぶりはこんな言葉から明らかである。「わが国を取り巻く安全保障
 環境が一層悪化している」との言葉に続けて、だから安全保障政策の見直しが必要であ
 り、そのためには集団的自衛権行使に踏み込まなければならず、それには行使を禁止し
 ている憲法解釈を変える必要があると主張する。そもそも安倍首相は、近代国家を統治
 するのに欠かせない立憲主義を理解していない。
・安倍首相の考える憲法観の答弁をもとに整理すると次のようになる。
 ・国家権力を縛るものだ、という考え方は絶対王権時代の主流的な考え方だ
 ・憲法は日本という国の形、理想と未来を語るものだ
 この考え方は日本国憲法に相容れない。日本国憲法は国民の権利や自由を保障するため、
 国家権力を縛るものになっている。その憲法に沿って国を治めるのが、近代民主主義の
 仕組み、すなわち立憲主義である。過去の自民党政権は例外なく、政策は憲法に縛られ、
 いかなる政権であっても憲法を超える政策は立案できないと正しく理解してきた。
・しかし、安倍首相は「国の形、理想と未来」のためには憲法を守らなくてもよいと考え
 ている。その次の来るのが「だから憲法を改正する」というならまだわかるが、安倍首
 相は「私の責任で憲法解釈を変えて、国の形、未来を語る」というのだ。首相が変わる
 たび、その首相の意向でいかようにも憲法解釈を変更することが可能だというのである。
 立憲主義の否定である。
・安倍首相の発言は選挙に勝てば憲法を拡大解釈できると理解できる。その時々の政権が
 解釈を変更できることになるのは問題である。
・安倍首相は権力者でも変えてはいけないのが憲法という「いろはのい」が分かっていな
 い。「立憲主義が絶対権力を持っていた時代の主流の考え方だ」との安倍首相の発言に
 は、世界のほとんどの国が立憲主義に基づいて国家統治行なっているのに、こうした発
 言が外国に出て行くことは非常に恥ずかしく、国辱ものだ。
・安倍首相は、尖閣諸島をめぐる中国との対立を念頭に領土領海を守るには、集団的自衛
 権の行使を禁じた現行の憲法解釈が不利益になっているというのだ。日本の領土領海を
 めぐって紛争が起き、尖閣諸島が米国の領土というなら集団的自衛権の行使となり、確
 かに今の憲法解釈では認められていない。しかし、尖閣諸島は日本の領土である。それ
 にもかかわらず、集団的自衛権を行使できないことにより、日本の領土領海を守れない
 との主張には驚くほかない。
・安倍首相は、日本の領土領海を守るには集団的自衛権行使が不可欠なのだと繰り返すば
 かりである。危機意識をあおり、国民の不安に乗じて憲法解釈を変えようというのだ。
・米国防衛のために活動する米艦艇を自衛隊が守らなければ「日米同盟へのダメージは計
 り知れない」と考える根拠は何なのか。 
・日本が武力攻撃を受けた場合、日本を救援、来援する米艦艇に対して、その日本に対す
 る救済活動が阻害されるという場合に日本側がこれを救い出す、ということは、領海に
 おいても公海においても、これは憲法に違反しない個別的自衛権の範囲内にある。
・不毛なやり取りの果てに解釈改憲が強行さて、「国のかたち」が変わるのだとすれば、
 この時代を生きる私たちの不幸は計り知れない。
・集団的自衛権は、同盟国・友好国を陣営に取り込む必要性があると考えた米国が生みの
 親となった政治的産物である。ただ、国連憲章は「安全保障理事会が必要な措置をとる
 までの間」との条件を付けて個別的自衛権、集団的自衛権の行使を認めているに過ぎず、
 自衛権行使そのものが例外的措置であることを明記している。
・驚くべきことに第二次世界大戦後に起きた戦争の多くは、集団的自衛権行使を大義名分
 にしている。ベトナム戦争がその典型例である。ネイ国は「南ベトナム政府からの要請」
 があったとして集団的自衛権の行使を理由に1965年に参戦した。韓国は米国への集
 団的自衛権行使を理由に参戦した。この結果、米軍は5万6千人、韓国軍は5千人が戦
 死した。
・ベトナム戦争を参考にすると、集団的自衛権行使を理由に参戦するのは、米国のように
 「攻撃を受けた外国を支援する例」、韓国のように「参戦した同盟国・友好国を支援す
 る例」の二つのケースがあることがわかる。興味深いのは、集団的自衛権を行使して戦
 争に介入した国々が「勝利」していない点にある。
・自国が攻撃をうけているわけでもないのに自ら戦争に飛び込む集団的自衛権の行使は、
 極めて高度な政治判断である。一方、大国から攻撃を受ける相手国にとっての敗北は政
 治体制の転換を意味するから文字通り、命懸けで応戦する。大義なき戦いに駆り出され
 た兵士と大国の侵略から自国を守る兵士との士気の違いは明らかだろう。
・各国が集団的自衛権を行使して参戦したこれらの戦争は「正しかった」のだろうか。国
 連は、侵略戦争は明快に否定しているが、個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権行使
 を否定してはいない。集団的自衛権行使を容認していることが戦争を起こしやすくして
 いると考えられる。
・安倍政権がやろうとしている集団的自衛権講師の容認とは、戦争への道を開く「悪魔の
 ささやき」である。
・憲法解釈の変更を閣議決定するだけでは実効性を伴わない。自衛隊法、周辺事態法、国
 連平和維持活動(PKO)協力法、船舶検査活動法など既存の法律の改正が欠かせない。
 自民党は野党だった2012年7月に、それらを下位法と位置づけ、上位法である「国
 家安全保障基本法を制定することを総務会で了承した。
・国家安全保障基本法が成立すれば、憲法第9条は完全に空文化する。法案のなかで3分
 の2の国会議員の賛成や国民投票が必要な改憲規定と比べ、なんとお手軽なことか。日
 本には、法律が憲法違反か否かを審査するドイツやフランスのような憲法裁判所がない
 ため、法律によって憲法解釈が変更され、「国のかたち」を変えるのである。
・「北朝鮮から攻撃されたらどうする」「中国に尖閣諸島を奪われるかもしれない」。そ
 う考えて集団的自衛権行使を容認するべきだと考える人がいるかもしれない。しかし、
 いずれも個別的自衛権で対応できる問題である。

安法制懇のトリック
・安保法制懇は、現在のメンバー14人は全員、公園や論文で集団的自衛権の行使を容認
 する考えを明らかにしている。世論調査では行使容認に反対する意見が多いが、安保法
 制懇は賛成派で固められた。
・安保法制懇には外務省と防衛省・自衛隊のOBが4人も入っている。厳格であるべき憲
 法解釈を論じるのに相応しい顔ぶれ、とはとても言えそうもない。
・日米共同訓練や周辺事態で日米の艦艇が共同行動する場合を検討すると、そもそも日米
 が密集した艦隊陣形をとることはあり得ない。艦艇は潜水艦への警戒から、10〜15
 キロもの距離をとり、点々と散らばって行動するからである。 
・現代戦で艦艇への攻撃に使われるのは魚雷と対艦ミサイルの2種類にほぼ限定される。
 潜水艦から発射される魚雷は、有線誘導によって正確に制御される。ひそかに狙われた
 艦艇は自らを守るのさえ難しく、ましてやはるかに離れた洋上にいる他の艦艇が防御す
 ることはできない。対艦ミサイルは東京ー名古屋間にも匹敵する300キロもの彼方か
 ら発射される。狙われた艦艇は、レーダー照射を受けるので逆探知して自ら防御できる
 が、別の艦艇が迎撃することは現在の技術では不可能である。防空能力に優れたイージ
 ス艦のみ対応可能とされるものの、日本には6隻しかない。
・米国を狙った弾道ミサイルを考えても、まず米国を狙ったミサイルを迎撃する手段その
 ものが存在しない。日本はイージス護衛艦に艦対空ミサイル「SM3」を搭載している
 が、米国まで届く弾道ミサイルを迎撃する能力はなく、日米で共同開発している改良型
 でも撃ち落とせない。
・なによりもおかしいのは、世界中の軍隊が束になってもかなわない米軍にいったいどの
 国が正式戦を挑むのかという点にある。ひとたび米国に戦争を挑めば、湾岸戦争やイラ
 ク戦争の緒戦でみられる通り、海や空からのミサイルと精密誘導爆弾による攻撃から始
 まり、世界最強の陸軍と海兵隊が領土を占領し、交戦国の主権を停止することになる。
 米国に正規戦を挑むなど正気の沙汰ではない。
・北朝鮮による米国攻撃よりも、米国による北朝鮮攻撃の可能性の方がはるかに高いが、
 いずれにしても米国と北朝鮮の戦争でれば、全国に米軍基地を抱える日本は戦争に巻き
 込まれているだろう。日本有事となれば、戦時国際法の海戦法規に従い、北朝鮮に武器
 弾薬を運ぶ船舶の強制的な検査(臨検)は個別的自衛権の行使によって可能になる。
・日本有事に至らない場合でも、海上警備行動の発動により、「海上において必要な措置」
 をとることができる。1999年の能登半島沖に北朝鮮の工作船が現れ、自衛隊初の海
 上警備行動が発動されたときの対応の反省から、海上保安庁とともに自衛隊法が改正さ
 れ停船命令に従わない船舶への射撃が認められるようになった。
・戦争になって米国が最初に行うのが敵国の政治・経済中枢の破壊である。港湾には機雷
 を敷設し、水上艦艇や潜水艦、補給のための船舶の出入港は困難になる。
・あえて集団的自衛権を持ち出さなくてもできること、起こらないことをわざわざ追加し
 たのは「北朝鮮」の名前を出せば、国民から支持されると考えたからだろう。日本は首
 相が国民の不安を煽る稀有な国になろうとしている。
・肝心なことを氏敵しておきたい。日米安全保障条約は「日本国の施政の下にある領域に
 おける、いずれか一方に対する武力攻撃」への対処を定めている。すなわち「日本の領
 域が攻撃された場合」のみを前提にしているのが日米安全保障条約なのだ。この条約を
 無視して「海外に展開する米軍」や「米国の施政の下にある領域(例えば米国本土)」
 への武力攻撃対処に日本が踏み出すべきだというのは、筋が通らない。
・自衛隊が米軍や米本土を守るというなら、いずれ条約改定を米国に提起しなければなら
 ない。そして米国が日本防衛の義務を負う見返りとして、米国への基地提供義務の見直
 しを主張しなければ、日本の負担だけが一方的に増すことになる。
・日本は米国に基地を提供しているだけでなく、米軍の駐留経費も負担している。防衛省
 が負担する在日米軍関係費は4千4百億円にのぼる。これを他省庁が負担する基地交付
 金、提供普通財産借上試算を加えると、実に6千4百億円にもカネを米軍のために使っ
 ている。
・自衛隊に治安維持の任務がない以上、「駆けつけ警護」を求めることはできない。それ
 でも多国籍軍司令部から協力を求められた場合、最終的には日本政府として判断するこ
 とになっただろう。自衛隊が戦うことになる相手が「軍まだは軍に準ずる組織」の場合、
 憲法9条で禁じた武力行使に該当するが、「野盗、山賊の類」であれば、「駆けつけ警
 護」に踏み切っても違憲とはならない。ただ、相手がどのような勢力か、はたして日本
 政府が判断できるだろうか。それが困難だからこそ、自衛隊の活動を人道復興支援に限
 定したのである。
・自衛隊が海外で高い評価を得てきたのは武力行使することなく、地元の復興に役立つ
 「国づくり」「人助け」に徹してきたからである。そうした事実に目をつぶり、ふつう
 の軍隊になるべきだとの主張に説得力があるだろうか。
・周辺事態法によると、米軍を支援できるのは「日本の領域、公海およびその上空」とさ
 れ、自衛隊は非戦闘地域でん米軍への補給、輸送、修理および整備、医療などが実施で
 きるようになった。後方支援に特化しているのは憲法違反となる「武力行使との一体化」
 を避けたからである。
・国連の集団安全保障措置とは、平和の脅威となる日への禁輸措置などの経済制裁のほか、
 武力行使が含まれる。クウェートに侵攻したイラクを撤退させた1991年の湾岸戦争
 の多国籍軍がこれにあたる。
・国連安保理による武力制裁決議は、冷戦下においては、1950年に起きた朝鮮戦争で
 編成された「朝鮮国連軍」の1件のみである。国連軍とはいうものの、指揮権は米国に
 あって安保理にはないこと、軍事参謀委員会が戦略的指導を行っていないこと、予算は
 各国が負担したことなど冷戦後の多国籍軍との共通項が多く、事実上、多国籍軍だった
 ということができる。
・悲劇に終わった例もある。1992年、ソマリア内戦でPKOである国連ソマリア活動
 が設立され、人道援助を安全に行なうことを目的に米軍を中心にした多国籍軍が編成さ
 れた。しかし、内戦は収まらず、武力制裁を認める国連憲章に基づいて、あらゆる必要
 な措置をとることを認める第二次国連ソマリア活動が設立された。初めて武力行使が認
 められたPKOは国連が紛争当事者になるという予想外の展開となり、154人の死者
 を出した。米兵は18人殺害さえ、市民に遺体を引きずり回される場面がテレビで放映
 された。これにより国連は完全撤退し、平和強制は失敗のうちに終わった。
湾岸戦争の多国籍軍は指揮権が国連ではなく参加国にあるため、集団的自衛権行使にあ
 たりかねない。国連軍が今の国連憲章や、湾岸戦争の際の多国籍軍のようなものの延長
 線上で考えられる限りは、海外での武力行使が憲法で禁じられていることと衝突する。
・9.11同時多発テロの報復として米国が個別的自衛権を行使して始めたアフガニスタ
 ン戦争
で、英国は集団的自衛権を行使して英国とともに戦った。このとき、日本はイン
 ド洋に海上自衛隊の補給艦を送り込み、攻撃へ向かう米艦艇に燃料を供給した。
・日本政府は、国連決議を引用してテロ措置法を成立させる。同法により、自衛隊の活動
 は集団的自衛権の講師ではなく、国連が呼びかけた集団的安全保障への参加と位置づけ
 られる。武力行使を避けるため、米軍や多国籍軍の指揮下に入らず、連絡・調整をする
 にとどめて活動を後方支援に限定した。
・イラク戦争も同様である。イラク特措法は、自衛隊のイラク派遣を国連の集団安全保障
 措置への参加と位置づけている。
・だが、安倍首相が目指す「積極的平和主義」は違う。多国籍軍への参加とは、武力を行
 使する戦闘正面への自衛隊参加を指している。そのために、憲法の読み方を変えればよ
 いというのでは話にならない。

「積極的平和主義」の罠
・安倍政権は、「国家安全保障戦略」は「我が国の平和国家としての歩みは、国際社会に
 おいて高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければなら
 ない、と過去を評価する一方で、日本を取り巻く安全保障環境の悪化を理由に「より積
 極的な対応が不可欠」と主張、そしてキーワードとなる「国際協調主義に基づく積極的
 主義」を掲げている。「積極的平和主義」とは、日本国憲法の柱のひとつ、平和主義と
 はまるで違う概念である。「日米同盟の強化」の項目で、日本と米国の安全保障上の役
 割分担を定めた「日米防衛協力のための指針」を見直すと明記し、集団的自衛権講師の
 容認を先取りした。さらに国連の集団安全保障措置に「より積極的に寄与していく」と
 あり、世界の平和を脅かす国への武力制裁も含まれる国連の集団安全保障措置への参加
 も打ち出した。
・安倍首相の強い意気込みは、「パワーバランスの変化の担い手は、中国、インド等の新
 興国であり」「米国は、国際社会における相対的影響力は変化」しており、「強力な指
 導力が失われつつある」との記述からもうかがえる。弱体化した米国を補い、安全保証
 面の役割を果たすというのだ。日米同盟の強化をうたっているものの、積極的平和主義
 を突き詰めていけばいくほど、米国から離れ、自主防衛に近づくのではないか、との
 疑問を抱かせる。
・さらに「我が国の郷土を愛する心を養う」と「愛国心」を盛り込んだ。安全保障政策が
 憲法で保障された個人の思想・信条の自由を上回るといわんあかりの書きぶりで、国民
 の心の領域まで踏み込んだといえる。 
・安倍政権は防衛出動の要件を緩和して、日本が武力侵攻を受けていなくても、自衛隊が
 武力行使できるよう憲法解釈を変更しようとしている。日本と北朝鮮との関係次第では、
 敵基地攻撃の命令が簡単に発動されるのではないだろうか。

集団的自衛権の危険性
・日本は独立国なので集団的自衛権も、個別的自衛権も完全に持つ。しかし、憲法第9条
 により、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段である軍備は一切持たな
 いことにしている。わが国は集団的自衛権を持つが、憲法上、行使は不可能であるとの
 現在にも通じる政府見解が示されている。
・国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武
 力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を
 有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有して
 いることは、主権国家である以上、当然ではあるが、憲法第9条の下において許容され
 ている自衛権の行使は、我が国を防衛するための必要最小限度の範囲にとどめるべきも
 のであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであっ
 て、憲法上許されないと考えられている。
・安倍首相の行使容認へ向かう動きは、長年の米国の要求に沿うばかりでなく、母方の祖
 父、岸信介首相が成し遂げられなかった憲法改正への第一歩につながるものでもある。
 憲法第9条が空文化すれば、実態に憲法を合わせるべきだとの声は説得力を持つからで
 ある。集団的自衛権行使が解禁されれば、米国への集団的自衛権行使をもってイラク戦
 争
に参戦した英国のように、自衛隊が海外の戦争に参戦するのは火を見るより明らかだ
 ろう。
・自衛官の生命維持装置でもあった憲法9条がなし崩しとなり、自衛官が海外で戦死する
 ようになれば、制服組の発言力が格段に高まるのは確実だろう。米国の要求を受け入れ
 た政治家の判断によって自衛官が海外で戦死することに、本来任務である国防のための
 戦死ほどの意義を見出すのは困難だからである。命と引き換えに国から授かる名誉は自
 衛隊という組織にも与えられ、「この戦死はおかしい」という組織内外からの異議申し
 立てを吹き飛ばす威力を持つに違いない。
・陸上自衛隊初の「戦地派遣」となったイラク派遣では、イラクで死亡した場合、どのよ
 うな扱いを受けることになったのか。防衛省内では「イラクは戦場なのだから、戦死で
 はないか」と主張し、靖国神社に祀るべきと話す幹部も出た。
・陸上自衛隊の幹部は「カネの問題ではなく、名誉の問題だ。例えばイラクで死亡した米
 兵は、国家のために戦い、死亡した勇気をたたえられ、アーリントン国立墓地の埋葬さ
 れる。国立墓地のない日本では靖国神社に祀るのが一番近いが、政教分離の建前からそ
 れも難しいだろう。自衛隊に「死者の名誉」は与えられていない、と不満を述べた。
・隊員が銃弾に当たり、亡くなる事態をどう受けとめればよいのか。「イラクで隊員が死
 亡したらどうするか」、陸上自衛隊幹部はひそかに検討した。隊員の遺体を首相か、最
 低でも官房長官に引き取りに現地に出向いてもらい、防衛省で国葬に準ずる埋葬を行な
 う。記帳所を設け、国民に哀悼の誠を捧げてもらうようにする。「隊員の死」は「国葬」
 に匹敵するというのだ。
・制服組が「隊員の死」をめぐり独走したのは、危険な任務を命じながら、任務に相応し
 い名誉を与えようとしない政治への不満があったからである。その不満の裏返しが、制
 服組が勝手に決めた「国葬」だった。
・集団的自衛権の行使の解禁により、死がより身近に迫ることになれば、制服組が発言力
 を増す。戦前のように軍人が大手を振って闊歩する国に戻るかもしれない。それが安倍
 首相の望む「美しい国」なのだろうか。シビリアンコントロールの名のもとに、制服組
 に死も覚悟しなければならない任務を強要すればするほど、相対的に政治家の制服組へ
 の影響力は弱まることにならざるを得ない。
・周辺事態法は自衛隊の活動する地域を「後方支援地域」と名づけ、その後方支援地域に
 ついて、「我が国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される
 活動の期間と通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海及び
 その上空をいうと規定した。米国を視点できるのは後方支援地域、つまり、「日本の領
 域と日本周辺の非戦闘地域」とされ、自衛隊は非戦闘地域で米軍への補給、輸送、修理
 及び整備、医療などが実施できるようになった。地方自治体や民間も「港湾・空港の使
 用」「公立・民間病院への患者の受け入れ」などで協力を求められることになっている。
・周辺事態法の規定をみると、戦争遂行に必要な支援項目が並んでいる。禁止されている
 活動として、武器・弾薬の提供、戦闘作戦行動のために発信準備中の航空機に対する給
 油及び整備を明記しているのは、「武力行使との一体化」を慎重に避けたからでる。
 しかし、国際常識に照らせば、戦争中の米軍への補給、輸送は地域に関係なく武力行使
 との一体化そのものといえる。米国と戦争をする相手国が日本を攻撃する必要かつ十分
 な理由になり得るだろう。
・警察や海上保安庁では手遅れになるから、最初から自衛隊を使えとの発想は、紛争の火
 種をバラまくのに等しい。中国でさえ、尖閣諸島には海上警察である「海警局」が対応
 している。米国では軍の下にナショナル・ガードや沿岸警察隊を、ロシアは軍隊とは別
 の国境警備軍を設けている。他国との揉め事にいきなり軍隊が出て行って国際紛争にし
 ないための知恵である。
・「隙間」を埋める作業とは、結局、自衛隊の現場指揮官に武力行使の権限を与える新た
 な法制の整備ではないのか。何者かが離島を占領する、武器保有の可能性があるなどい
 くつかの条件を挙げ、相手の行動がその条件を満たした場合、自衛隊は武力行使を許さ
 れる仕組みが考えられる。だが、攻撃を受けた相手が黙っているはずがなく、紛争に発
 展する恐れは高まるだろう。起きてしまった武力衝突に対し、後付けで首相が防衛出動
 を下命するなら、確かに継ぎ目のないシームレスなタ王にはなる。だが、それでいいは
 ずがない。

逆シビリアンコントロール
・日本は第二次世界大戦の終結後、侵略を受けたことがなく、他国との紛争に巻き込まれ
 たこともないので戦争の経験がない。自衛隊の実任務は国内の災害救援活動、海外にお
 ける国連平和維持活動(PKO)と国際緊急援助隊に限られる。「人助け」に徹してき
 た世界でも珍しい軍事組織である。
・安倍首相は憲法解釈を変更して集団的自衛権行使の容認を目指すと名言している。専守
 防衛の歯止めが消えれば、海外での武力行使も想定しなければならない。海外で戦争を
 続けてきた米国は多くの戦死者・戦傷者を出し、帰国後、真的外傷後ストレス障害(P
 TSD)
に悩まされる兵士も少なくない。
・自衛隊が行なうPKOや災害派遣を通じた「人助け」にあこがれ、入隊してくる良質な
 若者が自衛隊から消えても心配はいらない。正規雇用されない若者が増えているからで
 ある。働いても年収2百万円以下の「ワーキングプア」と呼ばれる若者にとって自衛隊
 の報酬は魅力だろう。米国の貧困層は雇用の場を求めて米軍に入る。いずれ日本の若者
 は自衛隊を目指すことになるのかもしれない。そのときの自衛隊は今のままの自衛隊で
 いられるだろうか。 
・自衛隊の教育は「現場任せ」である。過去の侵略戦争を正当化し、今の憲法では不自由
 だと不満をいう防衛大出身の幹部は少なくない。安倍首相の主張と幹部自衛官たちの考
 えに共通項が多いのだとすれば、憲法解釈を変更し、海外で武力行使することに共鳴す
 る幹部が出てきたとしてもおかしくない。 
・自衛隊が暴走せず、むしろ自重しているように見えるのは、歴代の自民党政権が自衛隊
 の活動に憲法9上のタガをはめてきたからである。その結果、国内外の活動は「人助け」
 「国づくり」に限定され、高評価を積み上げてきた。政府見解が変われば、自衛隊も変
 わる。

終わりに
・安倍政権において安全保証問題で主導権を握るのは防衛省ではなく、外務省である。外
 務省と防衛省との対立は国連平和維持活動(PKO)協力法が制定された1991年当
 時から続く。自衛隊の海外活動を通じて、日本の国際的な評価を高め、国連安全保障理
 事会の常任理事国入りを目指す外務省に対し、防衛省は「外務省の道具ではない」と反
 発してきた。
・集団的自衛権の行使を認めろ、というのは霞ヶ関で外務省だけという。その外務省と安
 倍首相が相思相愛の仲なのである。 
・イラク派遣を命じた小泉純一郎首相は、「非戦闘地域」にいるはずの自衛隊を視察する
 ことは一度もなかった。米国、英国、韓国のそれぞれの大統領や首相は、いずれも複数
 回、激励のために部隊を訪問している。日本のある防衛相などは三度、イラクの部隊訪
 問を計画して、三度とも出発のその日にドタキャンした。三度目には、ヘリコプターを
 用意した米軍から「お前の国の政治家は何なんだ」と陸上自衛隊が文句を言われるはめ
 になった。 
・自衛隊は政治家が統制する「シビリアンコントロール」を受けている。最高指揮官は首
 相、防衛相が統轄する。首相や防衛相にその覚悟と責任感はあるのだろうか。海外へ送
 り出すことには熱心でも「あとはよきに計らえ」が日本のシビリアンコントロールであ
 る。 
・集団的自衛権の行使に踏み切っても、犠牲になるのは自衛官であって政治家ではない。
 「人命軽視」「責任回避」は旧日本軍の専売特許だったが、現代の政治家にも当てはま
 るのかもしれない。