日本の危機   :櫻井よしこ

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この本が書かれたのは、今から16年前の1998年である。当時の日本社会は、こんな
問題を抱えていたのだったのだと、今更ながら改めて、知らされた感じだ。そんな時代の
中を、なんだか馬車馬のごとく、脇目もふらず、問題を問題と深く考えもせず、生きてき
た自分がいる。そしてそこには、何か大切なものを、失ってきたような人生が、横たわっ
ている。
時代と共に、社会は、より複雑になってきた。一見、進歩してきたように見えるが、時代
とともに、新しい問題がどんどん増えきた一方、古い問題は解決されないまま先送り・積
み残しにされたままとなっていく。我々は、そんな社会に生きてきたのだ、そしてこれか
らも、生きていくことになるのだと、この本を読んで、改めてどうしようもない無力感を
感じた。

誰も止められない国民医療費の巨大化
・日本の医療行政の現状は、たとえて言えば陸に上がったトドの姿に似ている。動きが鈍
 く、ひたすら熱い脂肪に包まれた肥満体をさらに肥らせていくばかりだ。厚生省は
 2025年には国民医療費は49兆円を突破すると予測し、このままでは医療保険制度
 は破綻すると警告した。これほどの金額が使われていながら、医療の中でひとりひとり
 の患者が大切にされているかと問えば、恐らく大多数の答えは「ノー」であろう。
・薬価は2年毎に改定され安くなり利益率が落ちるため、日本では新薬は6念を過ぎると
 使用頻度が落ちるのが特徴だ。結果として日本は異常に薬剤全体に占める新薬の比率が
 高くなっている。日本医療企画の医療白書によると、ドイツでは販売開始から9年以内
 の新薬が全体に占める比率は約10%なのに対して、日本では50%だ。長年の使用を
 通して評価も一定し、需要もあるのに、値段が下がったために危うく製造を中止されそ
 うになった薬も少なくない。
・古きよく薬が消えていく一方で、日本で広範囲に使用されている新薬は、国際的には使
 用されていないものが多い。アメリカの食品医薬品局の調査によれば、5年以内に日米
 英独の4か国で承認された新薬を比較すると、日本で承認された新薬の70%が他の国
 々では未承認である。他方、アメリカの新薬は92%、ドイツは88%、イギリスは
 82%が、他国でも承認されている。国際比較をとおして改めて、日本の薬が世界に通
 用していない実態がみえてくる。
・日本の薬価は平均でイギリス、フランスの2.7倍、ドイツの1.4倍というふうに世
 界一高い水準に押し上げられた。医療費全体の28%、およそ8兆円が毎年薬剤費に消
 えてゆく。欧米諸国の薬剤費が全体の10〜20%にとどまっているのに較べて異常の
 数値だ。

年金資金を食いつぶす官僚の無責任
・日本の国民と政府は、イソップ物語に出てくるアリとキリギリスのようだ。国民は老後
 のためにと考えてせっせと厚生年金や国民年金を積み立て、かたや政府はこのうえなく
 無計画に、国民の虎の子の年金資金を使い散らしてしまうのだ。
・今の日本の財政の問題は国民の貯蓄が不良債権化していることなのです。私たちが銀行
 に預金すれば銀行が国債を買います。年金を納めれば年金で国債を運用します。国債を
 発行し、国民の資産で資金調達をします。で、ハコモノを作っても使わない。道路を作
 っても交通量が少ない。つまり将来の経済を拡大するものになっていないのです。個人
 の貯蓄はこうして不良資産化しているのです。これは政府による壮大な詐欺ではないか。
・年金の実態は税金であり老後を保証する保険ではないということだ。将来の自分のため
 ではなく、今の高齢者のために支払っているということだ。年金はとどのつまり保険の
 顔をした税金なのだ。
・国民がこれまで年金は将来のための積立金だと思い込んできたことを多分利用し、不必
 要な施設への散財や損失を反省することもなく、厚生省は、自己負担、自己責任路線を
 取り始めた。結局、負担はすべて国民に戻ってくる。
・考えなしのキリギリスのように政府が浪費するのでは、いくら負担しても国民は哀れな
 アリでしかあり得ない。政府に頼れない今、私たちができることは公的年金を放棄し、
 自分のために自分で積み立てるし私的年金への切り換えをはかることだけなのである。

国民の知らない地方自治体「大借金」の惨状
・補助金と地方交付税がセットになれば、地方自治体はうちでの小槌を手に入れたような
 ものである。音楽ホールも温泉施設もスキー場の新しいゲレンデも、採算のとれるとれ
 ないに関わりなく、なんでもつくっていける世界だ。こうして地方自治体の首長にとっ
 ては自分の功績が残り、国会議員にとっては地元への利益誘導による影響力が残る。地
 方自治体の借金はいずれの日か住民に跳ね返って来るにしても、とりあえず地元に落ち
 るお金で住民も潤うことになる。
・補助金と地方交付税の甘い組合せが地方財政を丸抱えしているこの構図の中では、自
 治体の借金が増えていくのは、自明の理だ。
・景気浮揚のために所得税や法人税を減税すると、国の税収は当然下がる。税収は国が
 68%、地方が32%の割合で分けあっていから、地方も収入が減ることになる。国の
 場合は穴のあいた分は赤字国債で埋めてきた。けれど交付税として地方にまわる部分に
 ついては交付税特別会計で一時的に借金して穴埋めする。この交付税特別会計の借金は
 財政投融資からの短期借り入れで、表面には出てこない。この隠れ借金がこれからもっ
 と増えていきそうだ。

族議員に壟断された郵政民営化の潰滅
・日本はバーチャル(仮想)政策の国である。問題点を見据えた施策ではなく、問題先送
 りの対症療法を決めたことで対策をとったつもりになっている。
・郵政省直営の普通郵便局は約1、300、特定郵便局が約18、700、4、600が
 簡易郵便局である。明治4年の制定以来、日本の郵便制度を支えてきたのが地方の名士、
 実力者だった特定郵便局長たちである。「私はサラリーマンをしていましたが、特定郵
 便局長だった父が50代の若さで急逝したため局長をつぎました。作文、一般常識、算
 盤の試験を受けましたが、実態はほぼ世襲なのです」公務員なのに世襲だと語るのは、
 特定郵便局長の一人である。
・制度上、代議士が御用聞きになり易いのが現在ならば、具体的に役所や圧力団体は、政
 治家をどう操るのか。役所が政治家を操る手段の筆頭は、彼らが自由にできる予算をど
 れだけ持っているかによる。官庁が政治家を完全にコントロールしているのが郵政省で
 す。ほかなお役所に較べて独特です。
・郵政省が大蔵省に頼る部分はわずか840億円で、残りはすべて特別会計です。会計検
 査院も国税庁もチェックできません。そのうえ予算の組み立ても特例で、途中変更もお
 構いなしです。情報公開もありません。事実上の無政府状態で好き勝手が許されるとい
 うことだ。
・すべてが、特別会計という外から見えない枠の中で処理されていく。郵政官僚の独断裁
 量の世界だ。政治家は郵政官僚と協力することで自らの裁量権も強めることができる。
 両者の関係はしかし、どんな時でも、外の者にはわからない特別会計の中身を熟知して
 いる郵政官僚のほうが、政治家より強いのだ。
・郵政省の調査でも郵便の配達不能集落は全国で107か所、速達未達集落は200か所
 にのぼる。民間はそこにも配達している。郵便が国営でなければ駄目という主張はすで
 に崩壊しているのだ。
・特定郵便局長は他の公務員と異なり最高67歳まで定年延長ができます。また局長所有
 の建物を郵便局舎としてかりあげてもらえます。辺鄙な田舎でも年に500万円程度で
 借り上げてくれます。第二の給料として大きいです。その他「渡切」と呼ばれる文字ど
 おり渡したきりの経費も年に1局あたり平均496万円が支給されている。これは経費
 で、所得ではないので無税、そのうえ事実上、領収書不要の結構なお金である。

新聞が絶対書かない「拡販」の大罪
・再販制度というのは独禁法の特例によって製造及び卸元が販売価格を設定し、これを小
 売業者に守るように強制しても違法ではないとする制度だ。同一地域同一価格の制度で
 ある。
・再販制度がなくなると、私たちは自由にどの新聞も売れるようになるのです。この制度
 があるから販売店を酷使しても本社だけは儲かる。とんでもない話です。ちなみに新聞
 に再販価格を認めているのは日本の他に韓国とドイツのみである。 
・再販制度がなくなると、部数は激減するかもしれません。新聞も自由価格競争となると、
 まず起こるのは激しい値引き合戦だ。しかし配達労働力の不足は補えないため、遠い地
 域では購読料の他に配達料まで請求されるようになる可能性がある。現在はきちんと地
 域割をしている販売店網だが、これも崩壊へと向かう。同じ新聞を売るのに、販売店同
 士が競争をするためだ。こうして戦前から営々と築き上げ、新聞発展の基礎となってい
 る配達制度、販売店網は崩れ去ってしまう。 

沖縄問題で地元紙報道への大疑問
・地方紙は、文化であり、風土であり、伝統である。生活そのものでもある。それが戦前
 の1400紙から戦時中の55紙に縮小された。今では101紙に増えてはいるが、ア
 メリカの1500紙、ドイツの400紙に較べるとはるかに少ない。その分多彩な言論
 に欠け、日本人の視野を狭めているのだ。
・地方紙でその地域の50%以上のシェアを持つケースは徳島新聞、福井新聞、高知新聞、
 北国新聞、山形新聞、河北新聞等を筆頭に優に20数社を上げることができる。全国紙
 はこれら地方紙のシェアにはとても追いつかず地域の情報に関しては地方紙が圧倒的に
 強い。少なからぬ地方紙は地域の新聞支配のみならず、系列のテレビ局、ラジオ局も傘
 下におさめ、地方財界にも睨みをきかしている。国会議員も地元有力紙の前に平身低頭
 する。取り上げられ方によって有権者の支持が変わりかねないからだ。上に立つ者、地
 方紙の経営者が、よほど心しなければ、強い力が災いして現代の独裁体制に陥りやすい
 のが、地方紙なのだ。
・一紙寡占の下で地方紙の営利事業が、堂々と系列テレビ、ラジオ局でニュースとして報
 道されることも多い。地元メディアが地方紙の事業展開の宣伝機関となっているのだ。
 また、県政との強い結びつきから、健全な批判の目も鈍っている、一紙寡占の下で、地
 方のジャーナリズムは息絶えつつある例も少なくない。地方新聞界で多様な言論が保障
 されているわけではなく、むしろ言論の幅は狭い。 
・私は基地全廃には反対。基地のない無防備な沖縄にしてはならない。安全保障、基地問
 題は極めて高度の政治問題で深い慎重な議論が必要。米兵による少女暴行事件に端を発
 した勢いに乗る形での住民投票で結論を出してよいのか。 
・「嫌なことは嫌」、こく当たり前のことを、声を出して言う。新潟県巻町の人々は国の
 政策である原発建設計画を住民投票で拒否した。今度は私たち沖縄の番である。
・反基地、反安保だけでははかりきれない本音が、残り40%の中に潜んでいる。
・沖縄では4人に1人が亡くなった。東京大空襲では10万人、大阪、神戸の密集地域で
 も、広島、長崎でも万、10万の単位で非戦闘員が亡くなりました。皆、同じ犠牲者で
 す。沖縄に20兆円という話が出ました。20万人の死者のうち、約10万人は本土か
 らの兵を含む軍人です。戦艦大和はなぜ出動したのか。沖縄を助けるためです。こうい
 うことを沖縄は言いません。
・SACO(日米特別行動委員会)の調査で、基地従業員の88%が、基地返還後も別の
 基地で働きたいと希望している結果が出たとき、沖縄タイムズに取材されました。私は、
 「88%」という数字は、当然だと思う。新聞は貧しくても基地がないのがよいという
 が、これは本当の貧しさを知らない人の言葉です。貧しさこそが戦争の原因だと思う、
 と話しました。結局、私の話は無視されました。
・人々が本音を語らない。語れない沖縄社会を形成してきた責任の一端はマスコミにある。
 基地問題で言えば、「反対」の本音のみ伝え、「基地も必要」というもう一方の本音を
 伝えてこなかったからだ。全体像を伝えなければ、それは偏向報道だ。
・自らが沖縄県民の心を代弁しているかのように持ち上げた反戦平和の人物が、地元の村
 議会選挙で支持を得られなかったことを、ジャーナリズムの責任として分析しなければ
 ならないはずだ。
・何が報道されているかと同時に、何が報道されていないかが特に重要だ。
・沖縄は古くから平和を愛する民であったという。その人々が薩摩軍によって蹂躙され、
 明治政府に編入される際も無視された。日本の軍隊をおくときに沖縄の人たちは反対し
 たが、結局は押し切られて熊本鎮台分遺隊を沖縄に置かざるを得なかった。
・沖縄は、琉球王国を神話的にとらえ過ぎています。例えば、廃藩置県はむしろ、解放を
 意味したのです。琉球王朝400年の歴史の中では、住民は土地の私有を禁止されてい
 たのを、明治政府が、30年かけて父を測量し私有制を確定させたのです。琉球王朝は
 あまりにも美化されています。
・地方紙の課題はあまりにも多く、かつ大きい。寡占独占体制による支配は、経済的にも
 知的にも読者にプラスよりもマイナスの影響を及ぼしている。自由闊達な議論がないた
 めに、ニュースの全体像を欠いた報道に陥りやすい。
・読者は、新聞が必ずしも事実の全体像を伝えていないことを自覚しなければならない。
 新聞情報を額面どおりに受けとるのではなく、判断材料のひとつとしてとらえるべきだ。
 新聞が全てではないという当たり前のことを忘れず、あえて言えば、板がいつつ読むこ
 とが求められている。

朝日新聞「人権報道」に疑義あり
・報道の責任のひとつは、社会の変化を察知して警鐘を鳴らすことである。予定調和の範
 疇に収まらず先駆的に問題を切り出していく中にこそ、ジャーナリズムの存在意義があ
 る。だが、このことは往々にして、社会常識や法律からの逸脱をも意味する。問われる
 べきはその逸脱行為が真に、社会の公益につながるか否か、公益につながると、報道す
 る者がどれだけ強く確信しているか否かでもある。

税制の歪みが日本人を不幸にしている
・ひとりの人間が一生を真面目に働いて、退職したときに、家も土地もない代わりに5千
 万円の現金を持っていたとして、この金額だけでは、日本では老後を安心して過ごせる
 保証はない。だが、アメリカはじめ諸外国では、これで十分なのだ。この違いを生むの
 が、海外の高い金利と低い税率である。現在の超低金利も、急カーブで上昇する所得税
 の累進税率や法人税の高さも、国際社会の常識からみれば、非常識かつ異常である。
・金利は時の経済、景気政策で、比較的短期間に変化するが、現行税を形づくっている理
 念は、日本の国家の基本として組み込まれてすでに久しい。真面目に働く人から不当に
 多くをむしり取る日本の税制は、忍耐の限界点に達しており、いま多くの個人や法人が、
 海外に資産や居を移すことによって、日本の税制に決別するケースが増えている。つま
 り、日本の資産や人材がどんどん海外に逃げているということだ。逆の側からみれば、
 海外の優れた人材や資産は、日本には入ってこないということである。
・アメリカには、日本よりも高額の生命保険があり、保険料が日本に較べて安いうえ、一
 般的に死亡保険金は非課税扱いである。日本では死亡保険金は500万円までは控除さ
 れるが残りはすべて相続資産に含まれる。
・一言で言えば、日本の税制はまさに社会主義国的な税制だということだ。所得税と法人
 税の直接税が高く、消費税等の間接税が比較的低い。また国の歳入の中で戦後一貫して
 税別のトップであり続けてきた所得税は、給与の全てが補足されるサラリーマンへの徴
 税の厳しさと同時に、高額所得者に対し懲罰的ともいえる重税を課している。
・今のような急激な累進税の最大の問題は、一定の努力や勤労が報われず、自己責任が見
 えなくなることです。
・アメリアではレーガン大統領が87年に減税を実施しました。その結果、起業家精神と
 自己責任に基づく資産運用といったプラスの成果をあげたのです。
・日本の税制の問題の第一は努力に対するペナルティだ。最高は所得税・住民税合わせて
 税率65%(98年)。成功した人にこれだけのペナルティを課すのは大きなマイナス
 です。全くのアナクロです。
・日本の税制はまず成功者からとるという「性悪説」に基づいている点が第一の特徴だ。
 第二の特徴はとれるところから最大限とっていく点だ。それを支えているのが源泉徴収
 制度である。1940年に始まった同制度は軍費を捻出するために、38年に公布され
 た国家総動員法に沿ってつくられた。 ちなみにドイツもイギリスも同制度を導入した
 のは、戦費確保が目的だった。国家総力戦体制の完璧な整備を期待した国家総動員法の
 骨格は、戦後もなお残り、源泉徴収制度も今日までしっかりとこの国の基盤を成してい
 る。成り立ちからして、同制度で最も恩恵に浴しているのが政府である。企業は税理士
 を雇いコンピュータを導入して給与計算し源泉徴収して国に収める。サラリーマンは税
 が正当な額か田舎に異を唱えることもできず、ただ、天引きされるのみである。企業に
 経理処理のコストを負担させ、サラリーマンを無力感に陥らせ、国は当然のこととして
 税を受け取る。なんという傲慢か。
・累進性が著しいために、給与増が実収入増に中々つながらない。給与所得で資産を形成
 するのはもっとも難しい。そこで、各国に見られない高額の経費という支出が生まれて
 くるのである。
・給与を低く押さえて諸経費を上積みするやり方は、社員も役員もひっくるめて、心身と
 もに企業への依存体質に染めていく。楽しみも世間への義理も、自分の収入の範囲で賄
 う代わりに、会社の経費で賄うようになる。自分のお金で自己責任で処理する代わりに、
 他人のお金に頼る卑しい心根を持つに至る。このところ明らかになった惨たる大蔵省官
 僚のたかりの構図こそ、その典型である。税制が日本人の心をさもしくしているのだ。
・企業は退職金を高くすることで社員を生涯会社に縛り付け隷属させるようになります。
 その結果、社員の心はどう影響されるか。退職金を貰えなければ大きな損失ですから、
 定年まで大過なくすごすことが優先され、皆保守的になります。退職金による弊害はま
 だある。雇用が流動化しない。退職金は賃金の一括後払いだけに、一番お金の必要な
 30代、40代の働き盛りにお金がまわらない。彼らこそが、子供の教育費、住宅ロー
 ン、世間体を保つための交際費をはじめ、時には部下にふるまうためのお金を、最も必
 要とする年代なのだ。退職金の代わりに、働き盛りの世代の給与を3〜4割引き上げれ
 ば、新しい消費につながり経済も活性化されます。日本人の高い貯蓄水準を支えている
 のは高齢者です。しかし彼らは退職金を貰っても、老後が不安ですから使わず、貯蓄が
 固定化して動かないのです。    
・欧米の人々の中には早々に引退して悠々自適の生活をする人が少なくない。その姿はの
 びのびとしている。日本人の引退後の姿は必ずしもそうはいかない。手持ちの金額の多
 寡よりも、その人がどれだけ自分の人生設計に主体的に関わってきたかが、組織を離れ
 て一人になった時の姿に投影されている。どう考えても欠陥の多い退職金制度は、では
 一体誰のために温存されているのか。   
・日本の官僚はタカリ集団です。それを可能にしているのが、400兆円を越す財政投融
 資です。財投で特殊法人や関連法人をたくさん作って、天下りしては退職金をもらい、
 優遇措置を受けて蓄財しているのです。
・だれも退職金の異常優遇税率を追及しない。官僚出身の国会議員を全国会議員のおよそ
 3割を占め、その多くが自民党だ。彼らは自らと古巣の同窓生が恩恵を受けている制度
 が、いかに国民にとって損失であろうとも問題提起はしない。野党も、しない。彼らは
 官公労に支えられており、これまた口をつぐんでしまう。だが、こんなことでは活力が
 衰退すると気付いたのは、民間企業だ。退職金制度の弊害をなくすための新しい賃金制
 度を、家電最大手の松下電器が打ち出した。退職金前払い制度がよいか、従来通り、後
 払い制度か、選択可能にしたのだ。
・退職金の優遇税率も、所得税も法人税も、大幅改革しなければ、日本は本当に滅びます。
 今、かつてない本当の空洞化が始まっているのです。
・高福祉で税率が高くなりすぎ人材も企業も流出したスウェーデンの轍を踏まないために
 も、所得税率は20%にし、消費税を10%に上げる案を示した。   
・最高65%もの所得税・住民税をとられ、50%近い法人税をとられ、生命保険金や相
 続にも、70%もの税をとられる酷税に耐え続ける国民はいない。日本の税率の高さと
 海外の税率の低さを知れば、誰しも日本に嫌気がさすだろう。取り立てるだけの税制で
 は、日本は人材にも資金にも見放され、気がついてみれば、大蔵官僚栄えて万骨枯れる
 の世界になってしまう。   

中国の掌で踊る日本外向のお粗末
・国際社会における中国への厳しい見方とは対照的に、日本国内には楽観主義が漂う。楽
 観論は、中国通を自称する政治家や外務省の親中国派に根強い。経済大国、軍事大国、
 人口大国でかつ政治大国である強大な中国と、よい関係を結ぶために、疑うことさえ知
 らぬかのような善意に溢れたアプローチでよいのか。二国間のよい関係とは相互に認め
 合う尊重する関係だ。このナイーヴさで日本はもつのか。21世紀の日本に紛れもなく
 死活的な影響を及ぼすのは、アメリカと共に中国である。
・中国側の狙いは日本の経済力とハイテクだ。友好などというきれい事だけで中国は日本
 と国交を結んだわけではない。
・今も通常のビジネスの取引に、過去の歴史と賠償の影が落ち日本企業にマイナスの結果
 が出る。毎度ではありませんが、先の大戦の話題を枕詞のように口にするのです。「私
 は身内を日本兵に殺されました」とか非常に生々しい話です。時には「あなたもあの戦
 争では苦労なさったでしょう」と同情までしてくれます。おれで中国に強気に交渉する
 ことはできなくなるのです。中国国民の日本に対する怒りが、心からの怒りだとしても、
 中国政府が、戦争時の記憶を日本コントロール、或いは援助引き出しの手段として利用
 していることは明らかだ。
・89年のベルリンの壁の崩壊以降中国は軍事予算を急ピッチで増やし、軍の近代化と海
 軍力の増強を進めた。日本が阪神大震災に見舞われ、国際情勢に目を向ける余裕もなか
 った95年の2月には、南沙諸島のフィリピンに最も近いミスチーフ島に中国が軍事施
 設を建設していることが明らかになった。毛沢東の時代から中国は一貫して覇権を求め
 ないと言い続けてきた。しかし、表向きは平和的な解決を保証しながら、その裏で南沙
 諸島の実効支配を推し進めるのは、まさに覇権を求める具体例である。
・国際社会の外交の常識は、同盟国さえも敵として見る目を忘れるなということだ。いわ
 んや体制の異なる国においてをや、である。 
・外交の柱は、日本の安全、国民の生命財産を守ることであるが、戦後の日本は、自ら守
 らずとも、アメリカが守ってくれた。政治家も外交官も楽をした分、自ら考え悩んで道
 を切り拓くことがなくなった。国民の生命財産や国家の命運をかけて死活の選択をする
 ことがなくなって久しいのだ。
・緊張もなく、国益を自覚することもなく、漂う日本。アメリカの枠内でしか外交決断が
 できない自主性のない日本。親しい日本といえどもアメリカに頼らず、自らの頭脳で考
 えていく能力を磨いていくことだ。そうしなければ日本は、隣の大国中国にとって、こ
 のうえなく御しやすい、豊かな隷属国となるだけである。

教育荒廃の元凶は親と日教組にあり
・日本の教育現場にいくと、限りない「愛」がみえてくる。ただしそれは自分のみがよけ
 ればよいというエゴイスティクな形の愛に傾きがちだ。子供たちは責任と義務を教えら
 れることなく、自由と権利の便利さを享受し続け、全ては個性だ、差別はいけないとい
 う価値観の下で、結果としての平等を保障される。現実には存在しない観念の世界で、
 子供は惑い、親は悩み、教師は疲れ果てている。
・学校は生徒への思いやりに満ちた安心で安全な聖地であるべきという不文律があります。
 その結果、社会では許されないことが、学校では許される事態になっています。子供へ
 の気遣いから、学校は無法地帯になっています。消しゴムひとつでも、盗めば世間では
 泥棒のはずですが、なぜか学校では許されます。
・校長や教師は「完全に手足を縛らえた状態でしか、生徒指導ができない。
・人間も社会も言語によってつくられます。子供だけでなく、大人も先生も言葉が貧しい。
 思想が貧しいのです。情報化時代の子供は、今の大人や社会を越えた、幅広く、深い思
 考の枠をすでに持ちつつある。だが、彼らの思考を受け止める現場がない。学校にも家
 庭にも、大型スクリーンにも四敵する意識を、四畳半の小さな器にダイエットして無理
 矢理入れさせる作業が今の教育だと思うのです。だから子供は、手足をのばせば窓を割
 り壁を破り、反社会的といわれるようになる。ただ、今、壁そのものが弱くなっていま
 すから、周りから皆で押さえようという意欲がなくなっているのです。
・教師は生徒に、是非善悪の基準や社会生活のルールに従うことなどを教えなえればなら
 ないが、理屈だけで教えることはできない。教師が権威をもって自らの言動を通じて教
 えなければならない。  
・現代の家庭での教育、一にも二にも母親による教育の特徴のひとつは親による教師の否
 定である。親の、教師への疑問や抗議は、わが子に対する愛情の深さの一側面である。
 子供を愛するあまり、すべてを叶えてやろうとする親。護り抜こうとする親。子供の前
 の道にはどんな影もささせないように入り込んでしまう親。責任や義務や思いやりは、
 手の指の間からこぼれる砂のように散逸して、すべてわが子のためにまわるといつしか
 思ってしまう親。親の心は愛であっても、すべてがその子中心にまわる愛は歪んだ愛だ。
 子供に世界の中心は自分だという錯覚させる。すべてが自分のためにあると思わせる。
 親が真剣に注いだ愛であっても、子供を限りなくエゴイストに育てる。子供のもてる能
 力も時間も、すべて子供自身のために使わせるのであるから、他人への思いやりに欠け
 た天上天下唯我独尊の極みに子供を導くのだ。しかも、現代の親の愛は、現代の文明と
 経済の中にどっぷりとつかっている。お金と文明の力で、人類が体験したこともないほ
 どの唯物的機械的愛への形へと、知らず知らず、親の愛は変貌を遂げている。
・日本人も昭和20年代後半頃までは正常に育っていました。親が正常でしたから。しか
 し、残念なことに、人間はものを考えることはできても自分を見つめることができない。
 家事が便利になるのに比例して便利な子供、便利な子育てを望みはじめました。経済が
 成長すると人間は壊れる。赤ちゃんの頃は「つけておけばおとなしい」という理由で親
 はテレビをつけっ放しにします。少し大きくなればテレビゲームをさせます。その中で、
 「殺せ、殺したら万歳」というふうな価値観を植えつけます。
・「人間は脳を育てる動物」と氏は強調する。子供は育て方ひとつで神にも悪魔にもなる
 ということである。それなのに、経済至上の価値観で「便利な」子育てを通して、子供
 たちに「悪魔の玩具」を与えた。他方、60年代70年代の不毛の教育現場で権利の主
 張を旨として教わってきた親は、最愛の子供に、責任や思いやりを教えることができな
 いできたというのだ。その意味で日本ほど子供が、一見豊かな経済の恩恵を受けながら、
 実はその犠牲になっている国はないという。
・現代の母親は論理や知識を身につけていても、結果としてみると、子供の教育には失敗
 しています。 
・アメリカの家庭は子供が社会に出ていって独立するための前線基地になっている。だが、
 日本は家庭が社会からの隠れ場、逃げ場になってはいないか。

母性はなせ喪失したか
・二、三歳といえば幼い自我が目覚め、子供なりの要求を親につきつけてくる年頃だ。そ
 な年頃の子を母親が受けとめることが出来ず、大人並みに「対等に」扱うというのだ。
・なぜ母親たちは苛立つのか、なぜ子供の生理がわからないのか、なぜ子供がかわいいと
 思えないのか、なぜ我を忘れて叩くのか、なぜ飢えさせるのか、なぜ殺すのか。母親は
 子供を生みますが、生まれながらの母性本能などは持っていないからです。生まれてき
 た子供を慈しみ、育んでいく母性愛は、全女性の遺伝子に組み込まれた自然や本能では
 ないというのだ。
・子供は母性的な配慮と世話なしに生存も成長もできないのは明らかだとしても、すべて
 の母親が、子供が必要としている愛情を与えるようにあらかじめ決められているかどう
 かは明らかではない。
・母性は本能ではなく、時代の価値観によって影響され、移ろっていくものだ。人間は母
 性を天与さえているのではなく学びとっていくものだ。
・昔の親、特に昭和20年代までの親は、人間以外の動物と同様に育児本能が充実してい
 ました。貧しい時代には、頑張って生きなければなりません。嫌いなことも努力するの
 がよい、節約がよいとされます。子供たちは手伝いや子守りをはじめ、働くことを通じ
 て肉体も脳の仕組みも大人になるような育て方をされました。
・貧しさが母性愛を深め育児を健全にしていたのだ。逆に言えば、経済成長は母性愛を弱
 め、育児をも誤せる結果に陥りがちなのだ。
・要は覚悟の違いです。昔の女性は家庭でしか生きられず、それが生活手段でした。男性
 が過酷な職場を下りたら妻子を養えないから歯を食いしばって頑張るように、かつての
 女性は家庭を下りたら生きていけませんでしたから。
・高度成長を支えるのは高率重視の考えだ。その視点から人間を眺める価値観を医学用語
 で「消極的敵意」と呼ぶそうだ。経済成長がもたらしたゆとりと消極的敵意の中では母
 性愛の成熟は期待できず、未熟な親が増えていく。まさに母性喪失の始まりである。
・いい大学、いい企業に入ることを最終目標にした専業主婦の母親に、すべて身の回りの
 世話をされ、王子様、王女様のように育てられた人たちが、子供が生まれたからといっ
 て、すぐに下男、下女のように子供を世話することはできないのです。
・日本全体で育児の文化的環境が壊れてしまっているのです。核家族では、社会のことも
 家庭のこともわからない。アフリカのジャングルに住むチンパンジーを動物園の檻に閉
 じ込めるのと同じです。
・高度成長が始まってから生まれた最初の世代がいま43歳。彼らが30歳で子供を持っ
 たとして2代目がいま13歳。この2代目が30歳になる2015年頃、私は日本の育
 児の荒廃、母性の荒廃は満開度に達すると思います。その時には異常の正常化がおき、
 子供を正常に育てられないのが当たり前、親も離婚するのが正常でしないのが異常とな
 ってしまう。今の中学生が親になる頃には、まともな親のほうが例外でしょう。
・ヨーロッパで200年、500年単位で育った文明が日本ではたかだか3、40年に濃
 縮された結果、育児も母性も荒廃の極みに近づきつつあるというのだ。では打つ手はな
 にか。明らかに無理な現状をまず変えることだ。母性は天与のものとの思い込みの下で
 育児を母親にのみ任せている現状を変えることだ。母性を「育てる」必要性を男性も、
 社会も、認識すべきである。
・かつて子育てはコミュニティ全体で担っていた。大家族があり、隣近所があった。家庭
 が生産工場であり、家庭そのものが社会とつながっていた。その中で子育てだった。
・だが、現実は、環境のみが激しく変化し、子育ての責任が一手に母親に負わされた。今、
 日本の男性が家事や育児に費やす時間は1日20分たらずである。女性ひとりに育児を
 任せないための第一歩が、男性が変わること、つまり会社人間から家庭人間にスイッチ
 を切りかえることだ。男女の協同参画こそが、日本の社会の最も遅れている部分である。
・子供をかわいなくないと思うと答えた母親の8割が専業主婦で、2、3歳までの子供の
 母親の85%が働いていないのが日本の現実だ。彼女たちが苛立つのは、キャリアを続
 けていけるかつての同僚に会ったときだ。そんな母親たちに、社会に戻る道筋を、社会
 全体としてつくりあげていくことが、キャリア志向の強い女性も安心して子を産み、社
 会全体を母性を育てていくことにつながる。 

少子化は国を滅ぼす
・会社本位主義の日本では年間推定1万人を越す過労死が発生しており、過労死する男性
 たちの圧倒的多数が、妻が専業主婦であると指摘している。家庭も家計も妻に任せた男
 性が「安心して」仕事に専念した結果が過労死ではあまりに哀れだ。片や夫や子供のた
 めに自分の持ち時間と能力を差し出してよい家庭づくりをしていたはずが、いつの間に
 か男性中心で会社中心の社会をつくる歯車のひとつとなり、挙句その犠牲になる悲劇は、
 妻にとっても本意ではない。
・子供は「公共財」と考え、皆で責任を持つ。責任はあくまでも親になるのですが、社会
 全体で助けるべき時代だと思います。それは、少子化で急速な高齢化が進むと、子供を
 産んだ人と産まない人の間に非常に大きな不公平が生ずるからだという。
・少子化問題は老人問題よりも数倍、難しいと指摘する。老人問題に対しては施設を講ず
 るのに万人が賛成するが、子を産むか否かは優れて個人の問題であるため、口出ししに
 くいというのだ。
・大シングル時代に突入し、家族を持たない人がふえていくことで、一番注目すべきなの
 は、人間のアフェクショネートな関係、情愛の関係が希薄になっていることです。家族
 崩壊以前に家族のない人がふえている。家族的愛情関係を持たない人がこれだけふえて
 いるのは大変なことで、日本だけに見られる傾向です。
・欧米諸国では、結婚率が下がった分だけ同棲率が上がっています。形は変わっても、男
 女の絆、人間関係の存在と存続という点では、実質上、変化はありません。ところが日
 本だけは、誰とも結びつかない男女が増えているのです。

農協は農民の味方か敵か
・日本の農業は摩訶不思議な世界である。自民党から共産党まで、政治家が農政をいじれ
 ばいじれほど、農業が本来あるべき合理的営農からはなれていく。農協が頑張れば頑張
 るほど、農家が困り、滅びいく。
・農家の農協に対する信頼は絶大なものがある。加えて農村における人間関係の濃密さか
 らも、農家が農協の指導に従わないおとはあまりない。万一、従わない場合には村八分
 にされるという恐れは、多くの農家が実感として語ったことでもある。そのような状況
 の中で、農協はほぼ独占的に農家を顧客としておさえ、「無責任に」貸し付けを増やし
 ていくのだ。農機具も新しいプロジェクトも、保険も着物も宝石もおしつけ借金をさせ
 るのだ。そしてその先で借金の形に担保をおさえるのである。このように、ほとんど無
 競争で農家の財布を握ってきた農協が普通の市中銀行と同じであるとの認識こそ、的は
 ずれである。
・農協はつい先頃まで完全な独占で、コメの流通と金融で経営を維持してきました。経営
 維持の前提であるお客の農家が減っては不都合です。だから兼業農家でも何でも、農家
 の戸惑いを維持しようと躍起になってきましたし、米価が下がると困るので、減反にも
 率先して協力してきたのです。今の日本の農家の在り方は、みんな農協の経営を維持す
 るためと言ってよいほどです。
・もうひとつ、農業の競争力を削いでいるのが農地問題だ。国際競争に勝つためにも、日
 本の農業の規模拡大が必要だ。株式会社に農地取得を認めるなどの転換が求められてい
 る。
 また、農業人口の中核は、今半数以上が昭和一桁の高齢者である。後継者もなく、離農
 していく人は毎年5万人と推定されるなかで、農業を守るためには新たな人材を呼び込
 むことが必要だ。いずれの目的のためにも農地の流動化が鍵になる。
・農協職員35万人とは凄まじい。日本の農業を担っていくことになる専業農家は97年
 度で、43万5千戸である。年々専業農家は減少を続けている。農業で生計をたててい
 るのは農協職員だけではない。政府の農水省の職員も同様だ。減りつつある専業農家に
 過剰な人員がぶら下がっている構図がみえてくる。

国民の声を聞かない官僚の法律づくり
・この国の形は誰が作るのか。国民でも政治家でもなく、役人である。地味な法律に、ひ
 とつふたつ文言を加えたり引いたりすることで彼らは、国の枠組みとなる法の趣旨を、
 骨抜きにしたり、違えたりする。法改正に当たっては審議会や公聴会を聞き、広く国民、
 識者の意見を聞いたという体裁を整える。審議会の報告の精神を尊重すると言いつつ、
 法案のただき台に、まるで一滴の毒薬を混入させるかのように、それまで議論さえされ
 なかった文言を、そっとすべり込ませる、あるいは削る。その文言は劇的に、法律の中
 身を変えてしまうのだ。一旦成立した法律は、その後何十年にわたり社会の枠組みとな
 る。私たちの生活がそれによって形づくられる。役人の賢しさによって、日本はます
 ます、官僚による完了のための国家になり果てていく。
・法律をつくる時、専門家による審議会をつくり、十分に議論させて関係者を一応納得さ
 せ、いざ法案提出という段階ではじめて、官僚が作成した似ても似つかぬ法案が提出さ
 れるというケースが多いのに気付く。
・役人の姑息な介入の仕方をみて、私は、ベルリンの壁の崩壊を想う。あの壁は一人や二
 人のリーダーが壊したのではない。人々の自覚、覚醒がなさしめた業だ。官僚によって
 この国を滅ぼさせないためには、役人の実態をより多くの国民が知り、それを否定する
 ところから、改革が始まるのだ。

スピード裁判なぜできない
・日本の裁判官はある種の純粋培養のような環境で育成される。最短コースだと在学中に
 司法試験に合格し、司法修習を経て裁判官に任官する。当初の十年間は大きな裁判所、
 中、小の裁判所を2年ないし3年のサイクルでまわる実地で勉強する。だが、裁判官の
 世界はどこに転勤しても半ば閉ざされた世界だ。住居は官舎、近所づきあいも裁判官同
 士が多い。
・裁判所は裁判官が何かの色に染まることを警戒する。染まらないように、厳しく締めつ
 ける。こうして裁判官の市民的自由を束縛することで中立と純粋さを保とうとする。そ
 こに、抑圧された自我の不満も蓄積していく。一方、日本で最もクリーンと言われる彼
 らは、時として純粋すぎるが故に、自らが正いと信じて譲らず、結果として偏った見方
 に陥る危険もある。
・裁判官にとって最重要なことは、法の解釈以前に、事実認定をきっちりやることのはず
 です。しかし、実態は法のプロであっても、事実認定は全くの素人です。忙しすぎるた
 めか、裁判官は事実を見極めるよりは、単なる法廷ゲームのジャッジ、アンパイアのよ
 うな役割しか果たしていない。
・事実審理が出来かねる裁判官と表裏一体の問題が、弁護士の、黒を白と主張しかねない
 姿勢である。弁護士もまたクライアントの利益を、事実審理に優先させてはいないか。
・負けるべき裁判で勝手はならない。有罪であるべき事件を無理に無罪にしてはならない。
 無罪と無実は違うということを正しく伝えなければならない。
・一票の格差の判決も同じだ。法の下の平等は、一票が一票の価値を持つことを保障する。
 だが最高裁は、格差に基づいた定数配分は違憲としたが、その上で行われた選挙は「有
 効」とした。政治の現状を思いはかった結果で、政治への追従以外の何ものでもない。
・法務省としては、政治の影響の及ぶ人間、つまり、ある程度政界と意を通ずる人間のほ
 うがトップに据えやすいため、政治からの独立の確保はむずかしい。その反対に、スタ
 ー扱いされる特捜部などは、無理な調べを、政治に対してもしかけていくことがある。
 相反する危ういバランスは時の政権との力関係にも影響される。検察の力は非常に大き
 い。検察のもたらした一言によって世論が変わることもある。
・検察が時に「検察ファッショ」と恐れられるのは、それ自体がもつ比類ない権力の故で
 ある。裁判所は起訴された事件を判断するだけだが、検察は直接、法の力で斬り込む立
 場にある。それだけに起訴する時もしない時も、検察は国民に明快に理解してもらえる
 ような説明が必要だ。
・大切なことは、裁判所や検察や弁護士が、普通の人間の世界に近づくことである。法や
 社会正義の実現は法曹界だけでなく、どんな人も、各々の立場でやっていることだ。
 司法がノミやかんなのように日常生活の中の道具になったときに、真の司法改革が成し
 遂げられる。   

政治への無関心があなたの利益を損う
・日本では政治はたかだか10%あまりの人々のためにある。こんまさかの状況が、この
 ところの日本の現実だ。
・ドイツは、ヒトラー登場を阻止できなかった教訓から、国民に民主主義を守るために投
 票は重要だと教育してきた。
・我々アメリカ人は、選挙と政治こそが、利害調整と問題解決の有効手段と考えています。
 民主主義の源泉です。日本人は選挙のもつ力を過小評価しています。
・日本の政治家は、自分たちの本来の役割である立法行為を官僚に依存すると同時に、法
 案の審議でも受け身である。これでは大多数の政治家は単なる駒の一つでしかない。政
 治家の無能は完了の独断を許し、常に国民に負担を負わせる結果になる。
・野党が駄目、新党が駄目、無所属が駄目となると選択肢は棄権しかない。諦めからの棄
 権と現政治への批判としての棄権のどちらかです。
・日本の政治家の4割が二世であることの異常さを強調した。イギリスでは、二世議員の
 可能性は皆無と言ってよい。候補者選考委員会で落とされる。ドイツでも候補者は党活
 動に貢献した長年の党員から選ばれ、二世議員は少ない。そのうえ日本では、議員の
 30%が官僚出身。これまた諸外国にはあまり見られない現象だ。都合7割が二世また
 は官僚出身で、500名の衆議院議員の中で、広く人材を求めたうえで国会に送り出せ
 る枠は2割程度だ。二世や官僚出身議員を一律に否定すべきではないが、これでは魅力
 ある人材が減少していくのも当然だ。親の代からや、行政の業界のつながりの中からの
 議員誕生であるから、そこには当然、利益誘導が生まれる。
・大都市の住民は、一般に誰よりも多く税金を払っている。それなのに彼らの半分が投票
 しない。地方の人口のまばらな地域は、農業従事者が中心で、4人に1人しか、税金を
 払わない。けれどその人たちは9割に近い割合で投票します。これだから自民党は農業
 や建設業さえ守っていれば、彼らの票で安泰でありつづけることができるのです。
・投票率が下がれば、組織票が重みを増します。
・アメリカは財政赤字、失業、競争力と生産性の落ち込みでひどかったのです。我々は当
 初、問題解決を経済学者に求めましたが、解決の鍵は政治の中にあると気付いたのです。
 それで我々は以前とは異なる指導者を選びました。日本人は民主主義のおける改革は、
 選挙を通じてしか実現でいないことに気付いていないのではないか。政治的無関心が、
 経済の回復をも遅らせています。
・投票権を行使するもしないも、日本人は自分の勝手だと思っています。民主主義を守る
 のは、実は大変に難しいことで、放っておいたらすたれていくのです。投票権は権利で
 あり義務なのです。 
・棄権票は批判票だという人がいますがそんなの批判にはならない。投票率が下がると一
 部の組織票を持った所が突出すると言われています。
・問題はマスコミにもあります。「投票したい政党や政治家がいない、わからない」とい
 う多くの有権者に政党の政策や主張を、きちんと伝えてほしい。メディアは批判するだ
 けでなく情報を伝え、判断は国民に任せるべきです。
・投票することが社会をつくり、変えていく力なのだと国民が考え、投票しないことは無
 責任だと認識しない限り投票率はあがらないのだ。
・ドイツは1919年、画期的なワイマール憲法を作った。帝制から共和制にかえ、男女
 平等、言論・表現・集会の自由及び政治結社の自由を定めた。今では当然の価値観だが、
 当時のヨーロッパでは刮目された。民主主義の開花したワイマール時代のベルリンは自
 由と富を楽しんだ。政治活動も自由であるため、政党が乱立し、政界は議会政治を守る
 ことよりも、連立の主導権を握ることばかり考えた。そして1929年の大恐慌の混乱
 の中で、ヒトラーが権力を奪取するまでは一瞬の間だった。ヒットラーの出現を阻止で
 きなかったドイツは戦後、民主主義を守るためには闘わなければならないとし、ドイツ
 憲法の精神を「闘う民主主義」においた。
・人間は神でも悪魔でもない。自己規制をゆるめれば、人間は無限にガタガタになること
 を、ワイマール共和国の教訓でドイツは学びました。ですから、権利の前提に必ず義務
 と責任を強調するのです。
・日本人のお上への依存、自分の生活や安全防備までをまるきり他に任せて是とする姿勢。
・日本人は権利を行使せず責任を果たさない。ワイマール時代のドイツにも似て、たまた
 ま時代がもたらした富の下で心を緩めている。誰もが投票という責任と権利を放り出す
 時、私たちの前に現れるのは日本版のヒトラーであるかもしれない。
 
人権を弄ぶ人権派の罪
・日本はパラドックスに満ちた国だ。特に人権という鏡で日本の姿をみるとき、そこは歪
 んだ姿がある。人権擁護の努力が、なぜか人権を、狭い道へと追い込んでいく。人権を
 追い求めるほど、人権から遠ざかる。奇妙な逆転の構造がみえてくる。
・万人普遍の権利として人権に対することのできない人権専門家が日本にはあまりにも多
 いのではないか。このような人が、実は、自らも実現に努力している人権を、意識せず
 蝕んでいるのではないか。この点について日本全体を見るとき、日本の知性を代表する
 と言われる大新聞でさえも、心許ないことがある。
・人権は、どんな状況下でもどんな人に対しても、断固として守るべき最重要の価値観で
 ある。思想、信条も、政治観も、言論表現の自由も、立場によって制限されてはならな
 い。しかし、現実はどうか。人権の実現を目指しつつかえって人権を損ねている事例が
 めにつく。
・「大切」にされているはずの人権が、「差をつけない」「選別しない」という価値観に
 よって踏みつけられているのだ。子供も親も自分の望む学校に行く権利や選ぶ自由を奪
 われている。ここまでくると「差をつけない」「選別しない」ことは、人権とは似て非
 なるものになる。
・「人権」という言葉を冠詞につけると、驚く程のことが通用するのが日本の実態だ。
 「人権」の幅が広がった結果、本末転倒の現象も生じている。
・警察は、加害者の犯行の情報も、審判の日程も、少年法を盾に教えない。教えれば、加
 害者少年のプライバシーや人権を侵すことになるというのだ。学校側も教えない。犯人
 が少年となると、全てに貝のようにピッタリと蓋がされ触れることができなくなる。人
 権が、加害者に認められるべきは当然であるが、それと同列またはそれ以上に配慮を払
 うべき被害者の人権がきわめて軽視されている。加害者の人権に焦点が合いすぎて、本
 来守られるべき人たちの人権が忘れられている。
・実名報道しないことによって問題が解決するわけではない。あえて言えば、それは少年
 法の一部にすぎない。最も大切なのは、社会における責任の引き受け方を少年に自覚さ
 せ、そのうえで少年が立ち直っていける社会をつくることだ。何よりも、まず被害者と
 その家族への十全な配慮がなければならない。
・人権が、「選別」して行使されるとき、人権という美しい価値観は逆転写されてその価
 値観を欺く存在となる。本来、人権は最も大切にしなければならない価値観だ。仏に考
 える人権は、被害者加害者双方のためのものだ。だが、今、日本の人権は、普通の人た
 ちの考える人権とかけ離れたものになっている。ダブルスタンダードが生じ、結果の悪
 平等を生み、安全がおびやかされた時、人権は影を薄くする。人権ならぬ非人権が社会
 を蝕んでいく。その流れを止めるためにも、普通の人権感覚を取り戻すことだ。

今、女性は輝いているか、自立しているか
・日本の女性の特徴は、世代間の格差が非常に大きいことだ。つまり変化が激しいのだ。
 十代の女の子たちは今や、小さな娼婦の群れとして海外に報じられている。二十代は就
 職で頑張り、出産を機に家庭に入り、主婦となるか、またはパートタイムの仕事に復職
 する。自分の意思とはかかわりかく、男性中心の社会に組み込まれていく構図だ。
・マスメディアを使った性情報が氾濫し、「素人」の女性や少女たちが性産業に突入した
 時代だった。「軽めの性産業」に女子大生をはじめ、素人の女性たちが多数参加してい
 った。新手の性産業が、伝言ダイヤル、ダイヤルQ2、デートクラブなどと連動して女子
 高生の「援助交際」をもたすことになった。
・この流れを加速増大させた力にメディアがある。深夜のテレビ番組の放埒放恣低俗ぶり
 は、目を覆うばかりである。風俗産業で働いている女性が、公共の放送のテレビ番組で
 アイドルのように紹介される国など、一体他にあるあろうか。こんな馬鹿な国は他にな
 いのだ。
・「性」が氾濫し、援助交際は「誰にも迷惑をかけていないのだからかまわない」と
 60%の女子高生が応える日本。16歳や17歳の少女が身にもつかないジャネルやグ
 ッチを持って身を売る日本をどうみるか。
・個人を支えてきた家族とか地域共同体、学校、ナショナリティなどが非常に平板化し、
 実質的な作用を消してしまう中で、資本主義の動きは、一番敏感なところに現れてきま
 す。それが少女たちなのです。たとえば少女たちは、「私の身体を売ってなぜ悪い」と
 言います。自分の身体の一器官をパーツのように分離し、自分の道具として考えられる
 のは、ある意味で資本主義の究極の形態のひとつです。これまでは、家族的な秩序のな
 かで、そういうものは押し止められてきた。家族文化や家族道徳がそれである。しかし、
 それはマスコミ文化、特のテレビによって徹底的に解体されてきた。
・家庭が男女の役割分担を強化する装置だったら、それは急速に解体されています。その
 状況の中で、今、日本が体験している変化が起きている。その根底にあるのは消費資
 本主義の力です。その中で、個人が限りなくバラバラに解体されていく。
・イタリアは「アモーレ(愛)」の国」などと言われ、奔放なように見られますが、性的
 自由や乱れは日本のほうがはるかに顕著だと思います。
・恋も愛も含めて、人との関係が蛋白になっている。社会もそれを一大事とは受け止めて
 いない。一時言われた成田離婚はもう古い。今は式場離婚の時代である。結婚式の一週
 間前に、突然、結婚をやめてしまう。かつては、どんなことは親が許さなかった。今は
 親が甘くなって、娘が手元に残るのを歓迎する。
・日本人の理性や良心に対座する神はいない。日本人の理性や良心は、共同体の監視の中
 にあったのだ。それが今、大きく崩れている。赤信号も皆で渡れば怖くはない。
・彼女たちにとって幸せというのは、何も欠けていない状況。かけることを受け入れられ
 ないのです。あまりにも与えられて育てられた世代の欲張りだと思います。
・日本の企業は、ある意味で家族的な経営環境をどんどん切り離していかざるを得ない。
 それがまた、社会の共同性を失わせていくことになります。
・自立を求めて走ってきた女性たちは、全体としてではなく、部分的に幾人かの個人が自
 立を達成したに過ぎない。その一方で、大量に、自立とは無関係の、資本の論理に踊ら
 される女性たちをつくってしまった。身を売る少女たちが恥じらうこともなく闊歩する
 社会、恥じることもなく買う男たちをも許す社会をつくってしまった。私たちがまず知
 るべきは、こんな社会は本当に異常だということだ。世界広しといえども、他国ではこ
 んな現象はない。島国日本は、海に遮らえて外の世界の正常を見ることができない。相
 対化させて自らの異常を認識できない。
・おのれを知らないこの社会は、ますます無防備、無節操に、テレビ、雑誌、インターネ
 ットによって、放恣堕落への道を転がっていくだろう。それでも私たちは生きてゆかね
 ばならない。家族が空中分解し、個人がバラバラになっていくことから、身を守らなけ
 ればならない。とどのつまり、個人にできることは、家庭において人間の絆を深めてい
 くことしかないのではないか。その絆の中で、失われつつある誇りや自己評価を確認し
 ていくことだ。 

優柔不断な青白い官僚たち
・決断すべき時に決断せず、責任を取るべき時にとらず、問題を先送りし続けた結果、今
 の日本の窮状がある。だが、日本に問題解決の能力がないわけではない。ないのは、能
 力発揮を可能にする場面展開である。欠けているのは、場面展開を可能にする決断力で
 ある。日本経済がここまで悪化したのも、ひとえに決断力の欠如が原因だ。
・対称年の反動恐慌の折も、昭和金融恐慌の折も、いずれも銀行倒産の事態になった時、
 経営者はおろか、支店長までもが私財をなげうって処理に当たりました。しかし、今の
 日本の経済はとうでしょうか。株の無配が続いても知らぬ顔、引責辞任といっても体よ
 く系列会社に収まる例が非常に多い。経営者も預金者も、自己責任の意識がまったくあ
 りません。首相さえ自己責任を取ることを知らない国が日本である。
・恥じることを知らないこの種の無責任さは、突き詰めていくと日本人の無宗教性にいき
 つく。畏れる神をももたない日本人は、果てしなく堕落していくのです。恐れるものが
 ないために真に謝罪することも知らないのです。このような精神風土の中から、皆が責
 任をとる振りをしながら、事実上誰も責任をちらない全体責任の体制が生じたというの
 だ。

事実へのこだわりを忘れた大メディア
・情報なしには、どんな人も社会も、正確な判断を下すことは不可能だ。そして、変化の
 方向によっては、社会全体の利益や国益は大きく損なわれる、あるいは守られる。かつ
 てないほど激しく早く動いている内外の状況に備えるだけの情報を、メディアはどれだ
 け伝えてきたのか。責任を果たしていないのではないか。
・外国のスパイが「日本は情報天国」だと言う体質が日本にはある。機密を守るという姿
 勢が甘いことは、例えば日本の法律にも反映されている。日本にスパイ防止法がないの
 はもちろんだが、政府職員が機密を漏らした場合の罰則はきわけて軽い。国家公務員法
 も、自衛隊法も、秘密漏洩に対しては、守秘義務違反で最高刑は懲役1年となっている。
 対照的に、日本側から在日アメリカ軍に関する情報が漏れた場合、「日米相互防衛援助
 協定等に伴う秘密保護法」によって、最高10年までの刑が科せられるのだ。日本の秘
 密漏洩は1年の刑、在日米軍の秘密漏洩は10年刑。本末転倒のこの量刑が情報に関す
 る日本の無防備を示している。
・大手新聞とテレビ局の記者を中心に構成される記者クラブでは、毎日の会見を通じて、
 その日、追うべき基本的な情報は自動的に供給される。だが、ニュースソース側によっ
 てあらかじめ選択されるために、当局に都合のよいものを一方的に与えられる危険も大
 きい。記者クラブに座っているだけでは、真のニュースハンティングは不可能だ。それ
 だけでなく記者クラブへの依存は、ニュースの価値判断能力さえも、記者たちから奪い、
 つつある。
・記者クラブのメンバーのみが特定のニュースソースに近づくことができる。それは特権
 であると同時に、両刃の剣となってその中にいる記者たち能力を殺いでしまいかねない。
 危険は、中にいる記者が、特権の上にあくらをかいて、独自の取材や問題意識をなくし
 た時に顕在化する。
・旧ソ連や中国では、はっきりとした検閲制度があります。報道が制限されているという
 ことが制度から見えてくる。日本の場合、報道の自由は、一見、保証されているように
 見えます。ところがそれを骨抜きにされている。ジャーナリズムはそのことに気付かず、
 むしろ安住している。そこに日本の大きな問題があります。骨抜きの要因はいくつかあ
 ります。ひとつは、記者クラブ制度です。もうひとつは、新聞社と政府の密な関係です。
 なぜ、メディアの社長や会長が政府委員になるのですか。ジャーナリズムが矜持を捨て
 ていることがわかります。権力者の追及をさせなくする下地をメディア自らがつくって
 いるのです。
・ジャーナリズムの責任と役割についての自覚が、大新聞の報道姿勢から薄らいでいるの
 ではないか。記者クラブ内での人間関係への配慮が、取材によって生ずる緊張や摩擦に
 優先しているのではないか。事実の報道よりも、取材対象とのスムーズな関係維持を優
 先してはいないか。

闘いを忘れた脆弱な国民性
・1976年9月6日、旧ソ連のミグ25戦闘機が函館空港に強行着陸した時のことだ。
 同機は、高硬度から反転して低空飛行に切り替え、レーダーに補足されることなく函館
 まできた。同期の搭乗員がアメリカで語ったのは、着陸後、極度に緊張して操縦席から
 様子をうかがっていると、日本人は近づいてきたが、なんと、この日本人は、白旗を掲
 げていたというのだ。それを見た同機の搭乗員は思わず笑ったという。本来なら、白旗
 で投降の意を示さなければならないのは、領空侵犯の末に、日本の領土に強行着陸した
 搭乗員のほうだ。にもかかわらず、日本人のほうから降伏のサインを送ったこの壮大な
 逆転現象。力による攻めには、文字どおりお手上げの、羊の群れのような日本の姿が鮮
 明になった事件だった。
・日本人はますます穏やかに大人しく文化的になってきた。そしていつしか、摩擦を怖れ、
 責められることを忘れ、問題を恐れようになってしまった。人間関係も社会運営も、筋
 をとおすとか、社会正義に近づく努力よりも、軋轢をおこさないことを第一義とする本
 末転倒が基調になったのではないか。ある意味の「力」の行使を忌み嫌い、「力」から
 離れることによって却って「力」に支配される国になったのではないか。 
・表面上は平穏を保っていても、その陰で暴力が社会を蝕んでいる。目に見えにくいそ
 の傷がどれだけ深いか。暴力が人々に沈黙を強制し、問題はより深く潜在化していくの
 だ。
・暴力はなぜ強いのか、第一に暴力に対座する法が追いつかないからです。法の手続きに
 ものすごい時間がかかります。暴力は即効性があります。また、法による量刑を見ると
 効果が薄いのです。暴力は眼前の人物を直ちに殺すこともできる。しかし、司法の場で
 犯人一人を死刑にするのは、容易なことではありません。
・暴力は巧みに形を変えていく。アメーバーのように社会の風に合わせて、彼らは形を変
 え、総会屋、損切り屋、地上げ屋などに深い関わりを持つに至る。
・世の中の問題は基本的に正義で割れば割るものを今の日本は正義よりも権利とエゴが充
 満しているために、それができないのだ。
・権利、つまりエゴと正義は本質的に全く異なりながら、非常に似通ってもいるのです。
 たとえばごく少数の人の権利に見えても、結果的に多数の人に役に立つならそれは正義
 たし、いつまでたっても特定の勢力とか集団の利益にしか寄与しないのは、エゴだと思
 うんです。今の日本はエゴが行動原理のひとつになっています。
・日本国全体が暴力に対する管理の仕方が、甘いのです。全国民が悪いのです。人様のこ
 とを言う前に、一人一人が現場でどうするのかです。暴力に対する管理が甘いからこそ
 暴力は社会の隅々まで浸透した。
・「力」なるものを否定する戦後の風土の中で、今では健康な「力」の発揮さえ、少なく
 なっている。
・日本でのミグ亡命事件は民間の空港、函館で発生しており、当初対処した人物が自衛隊
 員ではなかった事を差し引いてもなお、白旗を掲げた日本という国の気概の消滅を痛感
 するのだ。力を疎むことが正義を愛し守ることだと錯覚した日本社会は、結局、日本人
 自らをも守ることができなくなってしまった。
・摩擦を恐れ、物言わぬ日本人は、諸外国からみればいかにも御しやすいだろう。なぜ日
 本は国際社会に毅然たる姿勢を示せないのだろうか。竹島を韓国が実効支配し、日本領
 海を幾度も中国の海洋調査船が侵犯し、数週間も長逗留して測量を続けるも、日本が、
 最終的に「力」に屈服するとわかっているからだ。
・平和の象徴の鳩は、実は戦い始めると、相手が死ぬまで攻撃を続けるという。獰猛と思
 われている狼は、相手が降参し、急所である首筋を自分の前に差し出すときは、攻撃を
 止めるという。攻撃しようとする本能を、むき出しの牙と今にもとびかかろうとして震
 える筋肉に表しながら、狼は、紙一重のところで踏みとどまるのだ。
・「力」を追放してきた日本は、自らが力なき存在になりつつある。物理的な力だけでな
 く、困難や問題に直面したときに闘うだけの心の強さ、意志の堅固さもなくしつつある。
 立ち上がらなければならない時に、勇気をふるって立ち上がることもなくなりつつある。
 まるで大人しい羊のようにほんのちょっとの力を持つ存在によって、如何様にもコント
 ロールされる国民になりつつあるのだ。