「人間復興」の経済を目指して    :城山三郎

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 日本はバブル崩壊後、それまで経験したことがない長期にわたる不況に突入した。その不況を脱出
するために、日本の多くの会社経営者が採った方法は、リストラによる人員削減とアメリカ型経営手
法である。それまでの日本型経営手法であった年功序列制を廃し、成果主義・能力主義を導入し、余
剰人員は早期退職奨励制度により削減してきたのである。これが大失業時代の始まりである。
 この本では、この日本の多くの経営者が採ったこれらの経営方法には、多くの問題が潜んでいるこ
とを指摘している。また、現代のマネー資本主義は、人間の尊厳を奪うという弊害を生んでいること
を指摘している。カネが最上位にランク付され、ヒトは一番下にランク付されて使い捨てにされる現
在の社会が続けば、それで大企業は生き残っていくだろうが、多くの中小企業は行き残るは難しい。
一人の勝者が、すべてを奪う一人勝ち社会となっていく。
 今の日本のリーダーから、「格差の拡大が社会の活性化を産む」とか「努力した者が報われる社会」
とかという、きれいごとを聞かされ踊らされてきたが、果たしてほんとにそうであろうか。最近、世
の中を賑わした「ホリエモン」事件や「村上ファンド」事件は、まさにこの本の中で心配されたこと
が現実に起きたという感じがする。
 「職なくば人間の尊厳もない」という言葉が筆者の口ぐせであるようだが、まさに心に染み入る言
葉である。我々は、今一度、今の社会のあり方を、そして今の自分の生き方を、見直してみる必要が
あるのではないか。

大失業時代に生きる
 ・マネー、つまり通貨というのは、もともとはものを売買する媒体であったり、価値の基準であっ
  たわけだが、それが現代のマネー資本主義のもとでは、マネーこそが「利が利を産む最高の商品」
  ということになってしまった。
 ・技術は非連続に突然飛躍するものだが、人間の技能というのはそうではなく、目に見えない伏流
  水のところで絶えず連続的に向上していく。技術と技能の一体的展開というところに日本型技術
  開発の最大の特徴がある。
 ・重要なポイントは、パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本と
  してのお金は、二つの異なる種類のお金であるという認識である。
 ・自己増殖するマネー、そのマネーを世界中のどこでも一瞬にして駆け巡らせることのできるイン
  ターネット、IT、そしてマネーの運動にとって制約となるものは、これをいっさい取り除くと
  いうバリアフリーの制度化、つまりマネーを至上のものとする価値の体系が、世界を巻き込み、
  いっさいの例外を許さないという勢いで着々築かれつつある。
 ・いま、世界中で流通しているドルは300兆ドルと言われている。地球上に存在するあらゆる国
  のGDP(国内総生産)の合計は30兆ドル。輸出と輸入を決済するためには8兆ドルあれば足
  りると言われている。いかに巨額のドルが世界中を駆けずり回っていることか。ある特定の国に
  そのドルが洪水のごとく押し寄せ、また洪水のように引き上げていく。1997年のアジア通貨
  危機のように、人々の生活を破壊していくわけである。
 ・いったい人間の尊厳はどうなるのか。「生きる、働く、暮らす」ということを、私たちはごく当
  然のこととして一体のものと考えてきたが、それがバラバラに分解され、働くということが単な
  る利潤追求の手段でしかなくなる。「ヒト、モノ、カネ」のうち、カネが一番上位であって、ヒ
  トがいちばん下、というよりは、そもそもこの三位一体からこぼれ落ちていくのではないか。
 ・いまは、資本主義というのはこうだということで押し付けてくる。50年前は、むしろ資本主義
  らしい資本主義はだめだ、資本主義自体がいきていけないんだということだったのに。この変わ
  りようをずっと見てきた経営者たちは、この問題をどう考えているのか。
 ・経済同友会の理念というのは、修正資本主義の系譜だったが、いまは、経済同友会はその流れの
  上に立っているのか。あるいは修正資本主義の流れをどう見ているのかというところの議論はあ
  まり聞かない。いかに景気をよくするのかという議論はあっても、いかにして資本主義そのもの
  を、健全なものにするのか、人間にとって幸福なものにするかという根源的な問いかけをしない。
  つまり目先の小状況だけを見ているわけだ。日本の政治がおかしくなったのは、小状況だけで政
  治が行われたからだ。
 ・ケインズ経済学の考え方では5パーセントの失業というのは資本主義社会のなかでは想定される
  範囲内の数字であった。ただそれ以上の失業率は、労働者本人の意識にかかわらずリストラされ
  たりする非自発的失業につながるので、そのような事態を起こさないためにどうしたらいいかと
  いうことで、ケインズ理論が出てきた。
 ・資本主義社会においては失業者はどうしても出てしまうんだという前提に立って、もっと本腰を
  据えて、これに対してどう救済するか、あるいはどう手当てをするかということを制度として考
  えなくてはならない。それを景気の問題にすり替えて、どうしたら景気がよくなるんだというふ
  うに考えるのは、資本主義の構造的な問題を小状況にすり替えているわけである。
 ・だから失業率5パーセントまでは、どんなことがあろうとも、失業者でもなんとか食べていける
  システムを国家がつくる。5パーセントの失業は国家の責任で、資本主義国家である以上、どう
  してもそれが出てくるのだから、そこまでは国家が面倒見るというシステムをやはりつくるべき
  である。
 ・北欧のどの国でも、住宅地は投機の対象にしてはならないという社会的規制がある。人間にとっ
  て欠くことのできない生存基盤は投機の対象にはできない。だから商業地だけでバブルが発生し
  た。それに比べて日本の場合には、人々の暮らす住宅地まで巻き込んで投機の対象になったから、
  もはや悪性のバブルである。
 ・日本との大きな違いは、北欧諸国では「企業は潰れても人間は潰れない」という社会的安定化装
  置がよく整備されていることである。資本主義・市場経済をとる限りは、失業と同じようにバブ
  ルの発生も、不良債権の問題も、どのような優れた経済政策をとっても残念ながら避けることが
  できないだろう。だからこそ、それに対応できる制度やシステムを、社会全体として営々として
  築いてきている。
 ・資本主義国では、近代経済学、とくに厚生経済学などで、「ショック・アブ・ソーバー」(緩衝
  装置)や「スタビライザー」(安定化装置)という、装置というか機能昨日が登場し、社会保障の充
  実も叫ばれるようになった。
 ・ところが、いまの日本に、どれだけのショック・アブ・ソーバーやスタビライザーがあるか。あ
  ったとしても、それが健全に機能しているのか。政財界や官僚の人たちは、そうしたことをどの
  程度、真剣に考えているのか。意図的に無視していることはないのか。
 ・人間の存在とは一個の宇宙的存在であり、「生きる、働く、暮らす」を統合した全体的存在だと
  思う。ところが日本の場合、長らくそれぞれが分断され、暮らしと働きとはバラバラだった。オ
  ランダモデルにしても、まさに人間存在の全体、つまり「マルマル人間」として「生きる、働く、
  暮らす」をいかに統合するのか、生き方を求めての思想というものが基盤になっているように思
  う。
 ・最近では、私たちの社会でよく「権利ばかり主張していていはだめだ、もっと自立せよ」と声高
  に叫ばれるが、しかし、人間が生きていく上で必要な権利というものをまず認め、それをどう実
  現していくのか、そこから真剣に考えていくことが、結果において、ほどほどに経済を成長させ
  る道に通じるものではないのか。決して夢ではない。
 ・デンマークは、第一次オイルショック(1973年)のときのエネルギー自給率はわずか1.5
  パーセントしかなかったが、2001年現在で、そのエネルギー自給率が118パーセントを達
  成し、18パーセントは他のEU諸国に輸出するまでのエネルギー大国になった。いったいどう
  やって可能だったのか。興味は尽きないが、もっとも力を入れたのが風力発電だった。風の少な
  かった2001年でも風力発電は、電力消費量の18パーセント、バイオガスや廃棄物利用も含
  めて、再生可能エネルギー消費量は、電力全体の18パーセントから19パーセントに達してい
  る。
 ・デンマークの食料自給率はなんと300パーセント。エネルギーと食料についてはりっぱな自給
  圏を形成している。
 ・社会に生きる人間にとって大事なことは、どう自己実現を果たしていくか、そのためにこそもっ
  と自分のライフサイクルに適した「働き方」を選択したい。つまりは「働く自由」の保障こそ大
  切なのだが残念なことに高度失業社会では、個人にとっての「働く自由」ではなく「働かせ方の
  自由」のほうが大きく拡大してしまう。経団連などはこれを「雇用の多様化」と言うけれども、
  実態は「働かせ方の多様化」にほかならない。
 ・合理化、効率化を追求することは結構だが、人を育てる、育む、という努力をしないで、目先の
  バランス・シートをよくすることだけにしか関心がない、というような経営が、果たして真の合
  理化と言えるのか。これからの高齢化社会を考えてみると、これでいったい誰が来るべき社会を
  支えるのか。
 ・むろん必ずしも、日本型の終身雇用がいいとは思わないし、それが企業一元支配のなかで真の自
  立した市民を育てることができなかった一因でもあることが、しばしば指摘されてきたわけだが、
  逆に今日のように終身雇用は時代遅れだ、サラリーマンは野球の世界で言うフリーエージェント
  を目指せ、自立せよ、などという声が大きくなってくると、そのような虚ろな言葉に簡単に乗っ
  てしまう経営者のなんと多いことか、情けない思いがする。カネ、モノのムダを最小化するため、
  ヒトはムダにしてもよいのだ、そういう考えの世の中になってしまったのか。
 ・私たちの社会は逆方向の市場競争原理至上主義へ向って走っているように思う。競争、競争で人
  間を追いたて、競り合わせる。結果においていわゆる一人勝ちの社会になってしまう。よく言わ
  れる「ザ・ウィナー・テイクス・オール」である。一人だけの勝者が生まれ、その勝者が残りの
  敗者のすべてを奪ってしまう。
 ・雇用、労働、教育、さらに社会全体として、百人のなかの一人だけが勝ち残り、九十九人は敗者
  となるようなあり方を是認する空気になっている。そのような「一人勝ち社会」を認めておいて、
  一方で「努力したものが報われる社会を」と叫ぶ。このようなキャッチフレーズは言葉としても
  矛盾に満ちている。
 ・格差を拡大することが社会の活性化する道だ、日本再生への切り札だ、というような政策や思潮
  に、私はどう考えても賛成できない。ビジネスにおいても、人間においても、現在のように「一
  人勝ち社会」が進んで来ると、社会が活性化するどころか、逆に雇用ひとつとっても、人間の豊
  かな創造力ひとつとっても、どんどんやせ細っていってしまうのではないのか、と恐れる。

「敗者復活」のある社会を
 ・つくれる穀物、自給できるコメをつくらないで、輸入に依存するということは、たとえばサハラ
  砂漠以南の貧窮国から貴重な水資源を奪っていることに通じる。
 ・世界銀行の調査によると、世界の人口60億人のうち、8億人はその日暮らしの食べ物にも事欠
  く飢えたる人々で、一日一ドル以下の所得で暮らしている貧困ラインは12億円もいる。日本が
  お金にあかせて、飼料を含む穀物、食料を大量に輸入するということは、どういうことか、考え
  なければならない重大事である。
 ・いちばん後ろを走っているように見えるものが、実はいちばんよく物をみているのではないだろ
  うか。時代の先端の波頭に入っていると、白い波に洗われている間に、大局というものを見失っ
  てしまう。
 ・万一の場合にも、企業は潰れても人間は潰れない、そういう仕組みをとっている社会が、これか
  らのハイリスクの時代、本当に強いと思う。日本の場合は、中小企業の間でいま問題になってい
  るが、融資を受けるにあたっては、経営者が個人として連帯保証を求められる。だから、企業が
  潰れれば、個人財産も失ってしまい、路頭に迷う危険性が高い。再起もたいへん難しい。毎年三
  万数千人という自殺者のなかにそういう人がたくさん含まれている。
 ・事業に失敗すれば、経営者も従業員も追い詰められて死に至る。そういう社会でなく、たとえ一
  度は敗れても敗者復活ができるという社会にどうすれば変えていけるのか。日本再生のためには、
  たんへん大事なことだと思うのだが。
 ・会社の仕事を一生懸命やるのは結構だけれども、その他になでもいいから自分の領域を持ちなさ
  い。自分の研究をもちなさい。
 ・いわゆる日本的経営には功罪があり、私などは過去の日本の企業のあり方について、企業一元支
  配社会をどう克服するのか、とか、社員による企業への献身社会を改めるべきだ、とか、そうい
  う視点から問題の提起をしてきたが、しかし、そのような陰の部分を引きずったまま、その上に
  さらにアメリカ型、アングロサクソン型の衣装をまとう、という現在の流れには、もっと強いう
  抵抗感を覚える。
 ・何か、アメリカ型経営の中から、企業にとって都合のいい部分だけをつまみ取ってくる、それが
  時代の先端ででもあるかのごとく礼賛する、そういう風潮が、私たちの社会に無用な、しかも、
  大きな混乱をもたらしているのではないのか。
 ・会社をリストラされ、あるいは組織を離れた人に考えて欲しいのは、「自分はいったい何をした
  かったのか」ということである。また、「何ができるのか」ということを真剣に考えるべきだ。
  ただ、「何かうまい働き口はないか」じゃなく、「自分は本当は何がしたかったのか」、あるい
  は「何ができるのか」、「どんな能力があるのか」ということを、クールに反省してみることで
  ある。
 ・過ぎ去ったことを嘆いても仕方がないから、新しく生きるためには、まず自分を再点検してみる。
  その再点検の過程で現れてくる自分で動員できる人脈、頼りになる人脈というのを、根気よく回
  ってみることだ。もちろん平生からの心がけが大事だが、先輩でも後輩でもいいから、信頼に足
  りる友人を持つべきだ。
 ・人間というのは、少々努力したからといって、そう簡単に報われるものではない、あえて極言す
  ると、努力というのは、報われることのない精進みたいなもので、だから努力なんだ。
 ・私の口ぐせと言うと、「職なくば人間の尊厳もない」ということだ。失業というものは、ほんと
  うに自分が経験してみないとわからない。世論調査などでも、失業問題はみんな他人事だと思っ
  ている。実は「明日はわが身」であるはずなのに。「高度失業化社会」を前に、「職なくば人間
  の尊厳もない、人間の労働を市場に委ねてはならない」と頑固そのもの、これからも私は言い続
  けるような気がする。

昭和恐慌と平成恐慌
 ・カネという字が大きくきて、ヒトはその下に小さくくる。これは人間としてどうか。私たちの育
  った時代は、人間には投機的なことをすべきでないと教えられた。いまは、国家が投機心をそそ
  っている。「一等何億円」と堂々とやっている。かつて「これをしてはいけない」という常識が
  あったものが、今は全部壊されつつある。壊した後にいったい何が残るかという心配がある。
 ・私たちが「パン屋でパンをお金」を復権させなければならない。けれでも現実的には、巨大な
  「マネー」という名の商品が世界を駆け巡っている。苦労してモノをつくっても割に合わない。
  町工場で一つ一つ丁寧に心を込めてモノを作っても、いまは採算が合わない。300兆ドルもの
  マネーが世界を駆けずりまわっている国際金融情勢のなかにあって、義理堅く、几帳面で、信頼
  を大事にする、という私たちの人間的徳性まで否定されているような気がする。美徳であったは
  ずの「勤勉」の価値が失われつつあるのではないかと。
 ・膨大なマネーの動きにはなかなか対抗できないかもしれないが、ミクロはミクロなりに防衛とい
  うか、活路を求めていかないと、マネーの流れの前で途方に暮れるだけになってしまう。マネー
  の流れを止めることは企業にはできない。国でも止められない。
 ・投機的なカネの動きを抑える必要がある。カネがカネの論理で動き回るという恐ろしい状態を、
  どのようにしてコントロールするかということを、真剣に考えていかなければならない。たとえ
  アメリカ経済にとってはそれが一番都合よくても、果たして世界経済にとって都合がいいのか。
 ・いま効率礼賛一辺倒の経営者たちで世はあふれるようになり、短絡的な制度改革という名のリス
  トラの大流行である。「企業の競争力にとって負担となるものは捨ててしまえ」と。かつてトヨ
  タ自動車が「終身雇用制度は捨てない」との理由で、格付けを引き下げようとしたアメリカの格
  付け会社があったほどだから。終身雇用制は雇用の柔軟性にとってマイナスで、利潤追求にとっ
  ては重荷だというわけだ。だが、たとえ外側についているように見えても、いかに非効率と見な
  されようと、われわれは決して「エンジンを捨ててはならない」という大原則を軽視してはなら
  ない。でないと恐慌は繰り返される。それが歴史だ。
 ・マネーがマネーを、利が利を生むという現在の経済のあり方では、失業の構造自体も変わってい
  く。このまま進むと、働くということが意味をなさなくなってしまう。
 ・生きる、働く、暮らすということが、すべてバラバラに解体され、無意味になってしまう。いま
  は、もうその瀬戸際まで来ているような気がしてならない。戦後、私たちの社会が営々と築いて
  きた「失業防波堤」が決壊しつつある。
 ・日本では、正規社員と非正規社員の差別が歴然としてあって、パートその他の非正規社員の年収
  は正規社員の3分の1ぐらいである。その差別を残したまま、総人件費削減のためのワークシェ
  アリングをやるとなると、こま切れ労働のパートタイマーがどんどん増える。若者で言えばフリ
  ーターが増えていく。そうなると、結局、フリーターとかパートタイマーじゃ、自分の技術、技
  能、知識を蓄積していくことができない。短期間のこま切れ労働で使い捨てられることになる。
 ・市場原理主義のもとでは、大企業は生き残れるだろうが、日本経済を支えてきた零細な地域の中
  小企業、日本型自営業は生き残りがたいへん難しい。これでは勝者がすべてを取る、一人勝ちと
  いうことになってしまう心配がある。本当にこれでいいのか。
 ・私たちの国では、「モノとカネのムダを最小化」するためには「ヒトはムダにしてもよい」とい
  うような、まったく倒錯した価値観がアッという間に蔓延してしまった。「カネとモノのムダを
  少なくするためには人間をムダにしてもよい」というような倒錯した価値観の支配する経済社会
  とは、いったいどんな社会なのか。いま少し立ち止まって考えるべきときがきているのではない
  のか。