新潟少女監禁事件 :松田美智子

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この拉致監禁事件が発生したのは、今から約30年前の1990年だった。それから約9
年2カ月間に渡り少女は監禁されて、発見されたのは2000年1月に発見された。その
間の少女の消息はまったく不明で、まるで神隠しにでもあったような状況だったのだろう。
9年以上も行方不明だった少女が発見されたというニュースを目にしたとき、私はほんと
に現実にこんなことが起こったのかと、にわかには信じられずたいへん驚いたことを今で
も思い出す。世の中には、こんな事件を起こすモンスターがいるんだいうことを、否応な
しにも知らされた事件だった。
この事件を起こした犯人は、その後14年の実刑の判決を受けて千葉刑務所に収監された
が、2015年4月には刑期満了を迎え出所したようだ。出所後は千葉県内に住んでいた
ようだが、2017年ころに病死したようだ。彼の唯一の頼みの綱だった母親も、彼の服
役中に死亡していたようなので、刑務所を出ても彼にはこの社会で生きていけるだけの力
がなかったのではないかと思える。
どうして彼のような人間が出来上がってしまったのか。生まれつきの強迫性障害が主原因
だったのか。それとも両親の過度の甘やかしが悪かったのか。彼がまだ少年だった時期に、
適切な対応が取られていたならば、また違った人間に育ったかもしれない。しかし、どん
な理由があるにせよ、彼の起こした事件は、あまりにも自己中心的で身勝手な行為だった。
ところで、このようにある日突然、神隠しにでもあったように少女が行方不明になったと
いう事件は、1977年11月に新潟市で起きた横田めぐみさん(13歳)が北朝鮮工作
員に拉致された事件が有名であるが、それ以外にも2014年3月に埼玉県朝霞市で起き
た「埼玉少女(13歳)監禁事件」が私の記憶に残っている。この事件も、少女を自宅に
2年間余も監禁しており、この「新潟少女監禁事件」とよく似た事件だった。
また、2019年9月に山梨県のオートキャンプ場で、7歳の少女が突然行方不明になっ
たという事件も記憶に新しい。この事件は、いまだ未解決であり、まったく謎のままだ。
実は、私がこの本に目に留まったのも、この山梨県のオートキャンプ場で突然少女が行方
不明になったという事件を知って、この「新潟少女監禁事件」を思い出したからである。
一日も早く、この少女が両親のもとに帰れることを願ってやまない。
なお、この本の著者は、1970年代の刑事ドラマ「太陽にほえろ」にジーパン刑事とし
て出演していた俳優「松田優作」の元妻だったひとらしい。もっとも、松田優作の不倫が
原因で離婚しているが、離婚後も戸籍は松田の「氏」を続けているとのことのようだ。


事件発覚
・前代未聞の事件だった。
 「三条市で約十年前に行方不明」
 「十九歳女性を柏崎で保護・市内の無職の男性と一緒」
 「監禁容疑で男性宅を捜索」
 余にセンセーショナルな報道に、柏崎市民は肝をつぶさんばかりに驚いたという。
・S被告の自宅は古い木造の平屋と、外壁に白いペンキが塗られた二階建て家屋がつなが
 っている。一軒の家としては色彩的に調和を欠き、構造も不自然に見える。平屋の部分
 には、八畳の和室が二部屋と台所、トイレ、風呂などがあり、二階建て部分には八畳の
 洋間二部屋と、改築を途中で中断した板張りのスペース、車庫などがある。
・彼は二階の二部屋のうち、公道に面した西側寄りの部屋で寝起きしていた。その部屋で、
 3364日間にわたって彼女を監禁し続けた。
・二階の窓には、マジックミラーのフィルムが貼られていた。このフィルムは家の中から
 外を覗くことはできるが、外からは光の反射で室内が見えないようになっている。
・自宅近くには主要幹線道路が走っていて、短時間のうちに国道8号線、352号線、
 252号線などに出ることができる。
・彼は平成元年に国道352号線をちょうど1年5カ月後の平成2年には、国道8号線を
 北上して、事件を起こした。 最初の事件は、平成元年6月の午後5時半頃だった。柏
 崎市の宮川地区で下校途中の小学4年生の女児(当時9歳)を見つけた彼は、女の子を
 強引に抱きかかえ、国道わきの空き地に連れ込んだ。空き地は小学校から約百メートル
 しか離れていない。この様子を、同じ小学校の女子児童2人が目撃していた。女子児童
 たちは、先生を呼ぶため、すぎさま学校へ引き返した。緊急事態発生の知らせを受けた
 学校では、教職員が総出で飛び出した。空き地へ真っ先についたのは、男性の教員と事
 務職員だった。ふたりは慌てて逃げ出したS被告を百メートルほど追いかけて、組み伏
 せた。同日、彼は強制わいせつ未遂容疑で逮捕された。27歳になる1か月前だった。
・驚いたことに、S被告は、この場所に自転車でやってきたという。彼の自宅から現場ま
 では約15キロ。 休憩なしに自転車を走らせても1時間から1時間半かかる。彼は高
 校時代には自転車通学をしていた。脚力に自信があったのだろうが、自宅からの距離を
 考えると、強い衝動に駆られた熱のようなものを感じる。そうして彼が見つけた被害者
 は、年齢にしては大柄な女の子だった。
 「身体つきは、ふっくらして、色白い可愛らしい娘さんでした。あの事件の1年から2
 年後には、一家で別な市に引っ越して行かれました」
 事件を知る宮川の狭い集落で暮らしていくことに耐えられなかったのだろうか。現在、
 被害者の自宅は空き地のままになっている。
・逮捕後の彼は、容疑を全面的に認めた。事件から約3か月後には、懲役1年、執行猶予
 3年の有罪判決を受けている。 
・私が引っかかったのは、最初と今回の事件を比べてみたとき、偶然とは思えない、いく
 つかの共通点があったことだ。まず、被害者が下校途中の小学生で、当時9歳の女児だ
 ったこと。犯行日が13日だったこと。犯行時刻が午後5時すぎだったこと。被害者を
 空き地に連れ込んだ、あるいは略取した場所は学校の近くであったこと。小学校はそれ
 ぞれ、市の外れに位置していたこと。女の子の容姿が、年齢にしては大柄でふっくらし
 た体形だったことなどだ。
・二度目の犯行は、その一年後だった。最初の失敗を教訓にしたのか、あるいは教訓にな
 らなかったというべきか、彼は翌平成2年11月、国道8号線を北上して、未成年略取
 誘拐を実行した。今度の足は自転車ではなく、母親名義の紺色の乗用車だ。
・彼が二度にわたり、自宅から北上した場所で犯行に及んだのは、道路状況や小学校の位
 置など、ある程度の土地鑑があったからと考えるのが自然だ。
・三条市での略取は、たまたま下校途中の被害者を発見して、犯行を思いついたことにな
 っているが、彼は宮川での犯行で、小学校の下校時間や午後5時すぎになると、ほとん
 どの子供たちが帰宅しているため、一人で帰る女の子がいることを覚えていた。さらに
 市街地から離れた場所にある学校なら、通学路も比較的、人通りが少ない。それらの条
 件に合う学校を探し、日が暮れる時間帯に下見をしていたとずれば、犯行がスムーズに
 運んだことも納得できる。
・彼のように強迫性障害を発症していた人間は、「ある行為を延々と続けなければ気がす
 まない」のだという。 目的もなくひたすら歩き回ったり、長時間のドライブを続けた
 りする行為は、さほど珍しいことではないのだ。
・いずれにせよ、彼が車を使って犯行に及んだのは、被害者を自分にとって安全な場所に
 連れて行きたかったのだろう。 宮川の事件で教訓を得たとすれば、道路脇の囲いの中
 に連れ込むくらいでは、じきに発見されてしまうということだ。
・検察側は彼の犯行を「計画的」と指摘し、最初から「拉致監禁が目的だった」としたが、
 本当にそこまで考えて行動していたのかどうかは、疑問だ。被害者を自宅に監禁し続け
 ることは、多大なリスクが伴う。一軒家に一人で暮らしているのならまだしも、母親が
 同居しているのだ。しかも、母親が居住している部屋は、彼の自室の真下だった。自宅
 で監禁のための準備をしていたという証拠も、挙がっていない。
・宮川の事件での無防備さを考えてもわかるように、彼の行動は衝動的なものであり、綿
 密な計画性は感じられない。被害者を拉致したあとで、連れ帰ることを決意したという
 ほうが現実的に思える。
・S被告は公判で「女の子が可愛かったし、側に誰もいなかったので、連れ去ろうと思っ
 た」と供述している。事件当日、なぜ彼女は一人で帰ったのか。この日、彼女は折り紙
 のクラブ活動を終えたあと午後3時45分すぎに友人たち3人と連れ立って校庭に出た。
 バレーボールと野球が好きだった彼女は、グラウンドで同級生の男の子たちが野球をし
 ているのを見物していた。自分も仲間に加えてもらいたいという希望があったからだが、
 男の子たちはプレーに夢中になっていて、声をかけてくれることはなかった。見学して
 いるうちに日が落ち、あたりが薄暗くなってきた。一緒にいた友人たちは先に帰ってい
 る。野球に熱中していた男の子たちも帰りの準備を始めた。彼女はやっとあきらめて、
 帰宅することにした。
・彼女が農道を歩いていると、前方から紺色の乗用車が走ってきた。車はいったん彼女の
 側を通りすぎ、 農道突き当たりの民家の前でUターンして戻ってきた。再び側を通過
 したまでは同じだが、今度は数メートル先で停車した。嫌な予感がした。運転席のドア
 が開き、黄色いトレーナーに黒っぽいズボンをはいた男が降りてきた。男の手には、刃
 渡り13センチの登山ナイフが握られていた。それは暗闇の中でピカピカ光った。
・同日、午後7時45分、駐在所に彼女の母親から「小学生の娘がまだ帰ってこないので、
 捜してほしい」という届けが出された。午後8時には、警察の地域課、少年課が中心と
 なり、地元の消防団や自治会、学校関係者、住民らの協力を得て、捜索が始まった。学
 校周辺や 自宅近くの山中など、捜索は深夜まで続いたが、なんの手掛かりも発見でき
 なかった。
・対策本部は、市内全域はもとより、周辺の市町村にも範囲を広げて捜索を続けていたが、
 やはり手掛かりはない、1か月後には、事故と身代金目的誘拐の線は消え、なんらかの
 事件に巻き込まれた、おそらくは車での連れ去り事件だろうという見方が強くなった。
 被害者の足取りが消えた農道付近には、国道8号線や同289号線などの幹線道路が走
 っている。このことからも、車を使った犯行説が有力となったが、肝心の車が特定でき
 ない状況では、捜査が行き詰まることは目に見えていた。12月25日、地元の消防関
 係者などお捜索は打ち切りとなった。 
・「連続幼女誘拐殺人事件」で宮崎勉被告が逮捕されたのは、S被告が宮川で強制わいせ
 つ未遂事件を起こしたのと同じ平成元年8月だった。事件は日本国中に衝撃を与えたが、
 特に幼い子供を持つ親たちは、その猟奇性、残虐性に震撼した。
・年が明けた平成3年春、捜査員たちの士気が落ちるような事態が発生した。対策本部が
 置かれた三条署の現職警察官が失踪に関与したのではないか、という疑いが浮上し、内
 密に事情聴取が行われたのだ。この警察官は、前任地の小出署勤務の頃から、職権を乱
 用して、未成年を含む複数の女性にわいせつ行為を迫るなど、日常的に問題行動をくり
 返していた。のちに押収された彼の手帳には、警ら中に職務質問して知った女性の氏名
 や連絡先が数百人もびっしり記載されていたという。
・県警は事件への関与を疑い、任意で事情聴取を始めた。聴取の結果、アリバイが成立し
 て疑惑は晴れたが、この警察官が未成年女子へのわいせつ行為を認めるなどしたため、
 諭旨免職処分とした。諭旨免職は形式上は依願退職となるため、退職金が出る。県警は
 女性からの被害届がなかったことを理由に、未成年強制わいせつ事件を立件することな
 く、問題警察官をすんなり退職させてしまった。
・いまさら指摘するほどのこともないだろうが、警察組織は、ともなく身内に甘い。三条
 署のように明らかに問題がある警官がいたとしても、上司は出世に影響するので、都合
 の悪いことを、あらゆる手段を使って隠蔽しようとする。同時に、さらに上にいる人間
 に対しても、責任問題が及ばないように努める。事の真相は二の次だ。そういう悪しき
 体質が、根強く残っている。むろん、良心的な捜査員が多勢を占めているからこそ、警
 察組織が成り立っている。
・長期間にわたって捜査が進展しなかったのは、柏崎署がS被告の最初の事件を手口資料
 に入力しておかなかったことが一因だ。残していれば、被害者が9歳の女の子で、下校
 中で事件に遭ったという2点だけでも、彼の名が浮上しただろう。さらには、被害者が
 縄張りの異なる別の県で監禁されていたのならまだしも、ずっと新潟県内にいたのだ。
 その事実が判明したとき、良心的な捜査員たちは忸怩たる思いが残っただろう。
・失踪後には、犯人を装った男が被害者の自宅に電話するという実に心ない事件も起きた。
 男は母親を電話でファミリーレストランに呼び出して、逮捕されている。
・三条署では有力な手掛かりがないままに、毎年11月13日になると署員が学校や路上
 でチラシを配り、事件が風化しないように努めてきた。家族もまた、毎日、彼女の分ま
 で食事を用意するなどして、無事に戻ってくることを祈っていた。旅行に行ったときに
 は、行けなかった彼女のために土産も買ってきた。行方不明の時間が何年続こうと、彼
 女が大切な家族の一員であることに変わりはなかった。
・そうして、9年2か月が過ぎた。

・S被告は昭和37年7月に生まれた。出生届は、当時62歳だった父親のJさんが提出
 している。両親は前年に結婚、入籍。彼が生まれたとき、母親のK子さんは36歳だっ
 た。父親は再婚で、両親の年齢差は26歳ある。このことが、のちに彼を卑屈にさせる
 大きな要素となった。
・Jさんは晩年に生まれたS被告を溺愛した。K子さんもまた、母親になれた喜びを噛み
 しめ、 この子を立派に育てようと心に決めたという。両親の愛情を目いっぱいに受け
 て育ったはずだが、S被告自身は「寂しい子供時代を送った」と感じていた。なにより、
 父親が自分と遊んでくれなかったことが不満だった。Jさんは市内のタクシー会社の専
 務で、K子さんは保険の外交員をしていた。そのため、彼は一人で過ごす時間が多かっ
 た。彼の記憶では、友人と遊んだことはなく、自宅や、近くの公園で母親が帰ってくる
 までの時間を潰していたという。
・父親との間に確執が芽生えたのは、小学校4,5年生の頃だ。「お前のお父さんは年寄
 りだ。名前も古くさい」同級生からからかわれ、彼はひどく傷ついた。父兄参観日に出
 席した父親たちは、当時72、3だった彼の父親より、30歳以上年下がほとんどだっ
 た。「なんであんな年寄りと結婚したんだ!」やがて、ことあるごとに母親を責めるよ
 うになった。
・さらに、Jさんには顕著な不潔恐怖症の症状が見られた。事件発覚後の精神鑑定で医師
 は「被告人の不潔恐怖症は遺伝性のもの」と診断を下している。不潔恐怖症は強迫生障
 害の行動のひとつで、遺伝性が高く、本人の両親のどちらかに、35パーセントの割合
 で障害が見られるというデータがある。
・自宅の近所に住む女性は、Jさんには好印象を持っていた。「髪を七三に分けて、身な
 りもぴしっとしていた。 身体つきは中肉中背で、眼鏡をかけてらした。紳士だったわ
 ね」保険外交員だったK子さんのこともまた、「誠実な人」と証言する人が多い。
・昭和50年、彼は地元の中学校に進学し。た不潔恐怖症の病状が顕著になったのは、こ
 の頃からだ。最初に自宅のトイレが使えなくなり、続いて両親に、風呂を使わないよう
 に強要した。強迫性障害は、本人にとってはとても苦しいもので、ときには人に暴力を
 ふるってしまうこともあるほど、イライラするものだという。彼は小学校高学年の頃か
 ら父親を新聞を丸めたもので叩くという暴力を繰り返していた。
・彼はことごとく父親に反撥した。Jさんが自宅を出て 、異母姉と暮らすようになった。
 母子の二人暮らしになっても、彼のすさんだ言動は続いた。「二階には絶対に上がっ
 てくるな!」K子さんに命令し、部屋の掃除をすることも許さなかった。
・中学校を卒業した彼は、県立工業高校の機械科に進学した。クラブ活動では野球部を選
 んだが、 クラブの方針が合わなかったという理由でまもなく退部。それでも身体だけ
 は鍛えていたようで、足に重りをつけて通学していたという。
・S被告は公判で「中学1年の頃からトイレで排泄できなくなった」と供述している。
 「(学校では)校舎の裏手でしてました。大のときは、家まで我慢して帰って、風呂場
 でしてました」 
・トイレや風呂のことだけでなく、彼は極端に虫を嫌い、他人が触れたものは「汚染され
 ている」と感じていた。精神が不安定で、中学の頃から母親に暴力を振るうことも度々
 だった。
・精神科医は、「強迫性障害の患者は、自分の病状を人に見られることを恥だと考えてい
 るんです。だから、他人の前では必死に隠すか我慢している。だけど、家に帰ってから
 が大変。患者のとる行動はものすごいですよ。人が触れた衣服はすべて脱いで、洗濯す
 る。捨てることもあります。汚れを清めるために、何時間も風呂に入る人もいる。旅行
 に行かなくてはならないときは、トイレを使わないために、何日も前から食事を抜いた
 りする。本人が必死に隠しているんだから、素人が強迫行動を見破ることはまずできま
 せん」と言っていた。
・では、自分以外のものはすべて汚いと感じているような彼に、どうして少女を誘惑監禁
 することが、できたのだろうか。 
 「欲望が勝っていたからです。その場合は、人にも物にも触ることができる。車は好き
 だったでしょうね。車内は自分だけの空間で、嫌なものに触らなくてもいいから」(精
 神科医)
・「(強迫性障害の)彼らは形式主義者なんです。ちゃんとしているか、していないか、
 自分なりの形式にこだわる。いけないことは、S被告のお母さんのように、なんでも言
 うことを聞いてくれる人が側にいることです。言いなりにならなければ暴力的になるし、
 これは入院して専門治療を受けなくては治らない」(精神科医)
・昭和56年、工業高校を卒業した彼は、母親の勧めもあって、市内の機械精密部品製造
 会社に就職する。母親はひと安心したものの、人間関係がうまくいかないという理由か
 ら、この会社を3か月の研修期間の間にやめてしまった。彼は本当は消防士になりたか
 った。試験も受けているが、視力などに問題があって不合格になった。退職後、彼は引
 きこもりの生活に入る。そして、二十代の初め頃には、体重が120キロ近くまで増え
 た。
・昭和60年、23歳のときだ。彼の要求は、母屋とは別に玄関を作り、洋間と台所、風
 呂などのあるスペースを増やすことだった。K子さんは息子の希望を叶えようとする。
 だが、「他人が部屋に入ってくるのが嫌だ」と。不潔恐怖症が著しくなっていた彼には、
 大工さんが二階に上がってくることも我慢できなかった。その結果、増改築は中止とな
 り、二階の工事部分は不自然な構造のまま残った。
・昭和63年、彼は今回の事件の足となった紺色の乗用車を手に入れる。所有者名義は母
 のK子さんだ。彼がこの車を手放したのは、事件から約1年後の平成3年。車検が切れ
 た年だった。車はホンダのプレシュードだった。
・K子さんはプレリュードを売却したあと、ホンダにシビック、コロナなどに乗り換えた。
 平成5年頃には、息子と遠出のドライブをしたときに、車体の一部を破損する事故を起
 こしている。 
 「車の修理をするときには他人が入る。そんな汚染された車は使えないから、捨ててし
 まえ!」
 彼はそう命令したが、K子さんは、しばらくの間、命令を無視して乗っていた。このこ
 とが彼の逆鱗に触れ、夜中に自宅近くの駐車場で素っ裸になり、目の前で土下座する母
 親に向かってバケツの水をかけるという騒動に発展する。この年は、彼が二階の自室に
 被害者を監禁して3年目だった。拉致当時、9歳だった彼女は12歳になっている。無
 職で母親に養ってもらっていた男が、少女を誘拐、監禁し続け、なおかつ自分の言うこ
 とを聞かないといって母親を責める姿を想像すると、あまりに自己中心的で性格の異常
 性が際立ち、暗澹たる気持ちになる。
・それでも、K子さんは、荒れまくる息子に耐えた。二階に少女が監禁されていることも
 知らず、息子の理不尽な要求にも、ほぼ言いなりになっていた。自分さえ耐えていれば、
  そのうちに収まるとも、思っていたのだろうか。
・近所の住民によると、彼女を監禁する何年も前から、彼はしばしば暴れ、障子や窓ガラ
 スを破壊していたという。
・彼が母親に上げってくることを許さなかった二階の自室に、鍵はかかっていなかった。
 ドアを押せば、外に出ることができた。けれど、被害者の女性は、心身ともに痛めつけ
 られ、脱出する力どころか、試みる意欲さえ失っていた。その部屋は、見かけは柔らか
 いが完全に密封されたカプセルのようだ。
・平成8年1月、S被告の母・K子さんが柏崎保健所を訪ねてきた。
 「息子が暴れて、困っているんですが」
 K子さんは対応した精神福祉相談員に、息子のおおまかな病歴を話し、精神状態が悪化
 していることについて相談した。
 相談員が自宅訪問を提案したところ、「息子が怒るので、それは困る」と拒否したため、
 専門の医療機関へ行くように勧めた。K子さんは指示に従って市内の精神病院へ出掛け
 た。そこでも息子が暴れることを訴え、向精神薬を処方してもらった。
 同じ年、K子さんは柏崎署生活安全課にも出向いて、相談した。だが、柏崎署は、家庭
 内暴力の訴えくらいでは 動こうとはしなかった。「子供の暴力は保健所に相談してく
 れ」と対応したという。
・柏崎署は、監禁事件が発覚したのちに、「お母さんの相談の内容については当時の記録
 も、担当者の記憶もない。 その際にしっかり受け止めていれば、もっと早く女性を救
 出できたかもしれない」と対応のまずさを認めている。
・平成11年12月、K子さんは、先の精神病院に出向き、息子の暴れ方が一段と激しく
 なったことを相談した。自分に対してもたびたび暴力を振るうことを打ち明けた。約4
 年間にわたって貰っていた向精神薬が、ほとんど効かなくなっていたのだ。本人を診察
 せずに処方された薬なので、病状の悪化に対応できていなかった。担当医師と話し合っ
 たK子さんは、やっと息子を入院させることを承知する。医師が説明した強制的な手段
 とは「医療保護入院」のことだった。 
・年が明けた平成12年1月、K子さんは再び柏崎保健所を訪ね、医師に勧められた医療
 保護入院 について相談した。4年ぶりの訪問だった。柏崎保健所では、強制的な入院
 の必要があるかどうかを判断するため、一週間後の19日、市の健康対策課職員を伴っ
 て自宅を訪問した。だが、この日はS被告が二階の自室に閉じこもってしまい、母親の
 呼びかけにも一切反応しなかったため、引き上げざるを得なかった。
・後日、精神病院、保健所、市役所などの機関で協議し、医療保護入院の実施日を決定し
 た。 本人が抵抗することを想定した上で、専門のチームも作った。
・1月28日午後1時半、柏崎保健所精神福祉相談員、精神科医、精神保健指定医、ソー
 シャルワーカー 、看護士、柏崎市職員など7名画3台の車に分乗して、S家を訪れた。
 うち2人は表で待機し、5人がK子さんに部屋の位置を教えてもらい、二階の階段を上
 がった。家の中には異臭が充満していた。階段の途中からS被告の自室へ続く廊下にか
 けて、ビニール袋に入った汚物が百個以上並んでいた。
・「お母さんの依頼で診察に来ました」指定医はドアの前で告げ、返事を待たずに5人で
 部屋に踏み込んだ。このとき、彼はベッドの上で眠っていた。側にはふくらんだグレー
 の毛布があった。
・精神保健指定医が法律について説明し「あなたは入院が必要であると認定されました」
 と告知したが、彼は聞く耳など持たず大暴れした。看護士たちに仰向けにされ、押さえ
 つけられると、「殺してやる!復讐してやる!」などと叫び続けた。
・保健所職員は警察の応援を頼む必要があると判断し、携帯電話で柏崎警察署生活安全課
 に連絡を入れた。この日に医療保護入院が行われることは、前もって知らせてある。
 「男が暴れています。私たちでは手に負えないので、警察官を3名出動させてください」
 だが、電話を受けた生活安全課は、女性の少年警察補導員しかいなかった。課員はたま
 たま出払っていたのだ。
・なおも暴れる彼に、医師が鎮静剤を注射する。薬が効くまでの間、彼は足を撥ね上げ、
 看護士を蹴ろうとするなど、必死胃の抵抗を続けた。
・その頃には、部屋に踏み込んだ誰もがグレーの毛布の中に人がいるらしいことに気づい
 ていた。もぞもぞと動いていたからだ。薬が効き、彼がいびきをかき始めてまもなく、
 職員が袋状になった毛布の縫い目をハサミで切り開くと、若い女性が姿を現した。彼女
 の服装は黒のトレーナーに黒のズボン、髪は短く切られていた。肌の色が病的なほど白
 い。
・「あなたは誰ですか。話をしてください」彼女は声をかけられ、恐る恐る周囲を見回し
 た。自分を監禁していた男以外の人間を見たのは、9年2か月ぶりだった。「名前は?
 どこから来たの?」保健所職員が尋ねると、彼女は口ごもった。「気持ちの整理がつか
 ないから・・・」そこで指定医は階下にいたK子さんを呼んで、「この女性は誰か」と
 尋ねた。「知りません。顔を見たこともない」
 なんとも奇妙な状況だが、指定医は彼女に説明した。「一緒にいたSさんは入院するこ
 とになりましたので、ここにはいつ帰ってくるかわかりません。あなたはどうしますか」
 彼の呪縛から解けずにいた彼女は、K子さんに尋ねた。「ここにいても、いいですか」
 柏崎市職員と、保健所職員は口々に言った。「そういう問題じゃないでしょ。家の人に
 連絡しないとだめよ」
 彼らの言葉を聞いた彼女は、少し考えてから言った。「私の家は、もうないかもしれな
 い・・・」
・柏崎保健所職員が柏崎警察署生活安全課に電話を入れて7分後、生活安全課からの連絡
 が携帯電話に入った。生活安全課では、3名の警察官を出動させる予定でいた。「その
 後、状況はどうなっているか」
 「男が薬で鎮静したので、今は病院に向かっています。ただ、男の室内に身元不明の女
 性がいたので、来てくれませんか」と保健所職員が答えた。
 「そちらで女性の住所、氏名を聞いてくれ。そんなことまで押しつけないでくれ。もし
 家出人なら保護する」柏崎警察署生活安全課の返事は、事実上の出動拒否だった。
・保健所職員が再び柏崎警察署生活安全課に電話を入れたのは、それから約40分後だっ
 た。先ほど男の部屋にいると話した女性は、三条氏で行方不明になった〇子さんだと名
 乗っています」 
 この連絡に驚いた柏崎署では、刑事課の捜査員3名を病院に急行させた。捜査員は病院
 で彼女から住所、氏名、家族の名前などを聞き出したあと、柏崎署へ伴った。そこで指
 紋照合を行い、本人である確認を取った。午後4時半になっていた。
・午後4時50分、新潟県警の刑事部長が小林幸二県警本部長へ、「三条市で9年2か月
 前に行方不明になった女性が、柏崎市内で発見されました」という連絡を入れた。
 小林本部長は、このとき、県警の特別監察のために新潟入りした中田好昭関東管区警察
 局長を接待するため、三川村のホテルへ向かっていた。電話を受けたのはホテルに向か
 う専用車の中でだった。
 このあと小林本部長の取った行動は、唖然とする。本部長は9年2か月も監禁されてい
 た女性が発見されるという重大事件発覚にもかかわらず、関東管区警察局長との接待マ
 ージャンを優先させ、その日はホテルに宿泊したのだ。
・県警本部長という最高幹部であり、率先して捜査の指揮にあたるべき立場の人間が、午
 後6時半頃から、警察局長、生活安全部長、生活安全企画課長らと会食、ビールを飲み、
 午後8時半にはマージャンを始めた。その後も本部長は、翌日零時30分頃までマージ
 ャンを続けた。
・同日(1月28日)午後8時、彼女は保護された柏崎署で両親と再開した。「お母さん」
 「〇子、あなたなの?」「そうだよ、元気だったよ」奇跡的ともいえる再会を果たした
 母娘はしっかりと抱き合った。しばらくは涙々でふたりとも言葉が出てこなかった。
・一方、小林本部長は、翌29日の朝、警察局長と湖へ白鳥を見物に出掛けた。新潟市内
 で昼食を取ったあとは、 新潟駅まで警察局長を見送り、公舎に帰宅した。この日も捜
 査本部には顔を出していない。本部長の職務を放棄したも同様の一連の行動だった。
・この一連の行動は、のちに警察庁長官の知るところとなり、小林本部長は減給処分を受
 けた上で、依願退職した。3200万円の退職金が支払われるはずだったが、世論の反
 発を考慮してか、後日、受け取りを辞退した。接待マージャンの代償は、ひどく高いも
 のになった。接待された側の中田関東管区警察局長もまた、依願退職したのちに、退職
 金の受け取りを辞退している。
・また、新潟県警が被害者発見時の状況について、虚偽の発表をしていたことも明らかに
 なった。当初、新潟県警は「柏崎市内の病院で男が暴れているとの通報で柏崎署員が臨
 場したところ、若い女性が付き添っていた。この女性が話した名前と生年月日から、
 三条市で行方不明になっている女性とわかり、署員が保護した」と発表していたが、実
 際には被害者を発見したのは、S被告を医療保護入院させた保健所職員や市職員、病院
 関係者たちだった。
・この件について、新潟県警の刑事部長は「病院関係者が第一発見者であることをそのま
 ま発表すれば、報道所在も含めて問い合わせが殺到し、これらの方々に大変なご迷惑を
 かけるのではないかとおもんぱかって、伏せることとした」と、なんとも苦しい弁解だ
 った。警察幹部がおもんぱかったのは、病院関係者に迷惑がかかることではなく、二度
 の出動要請を断ったことでマスコミの批判を恐れた警察署の体面ではないか。
・「新潟少女監禁事件」は、警察のさまざまな不手際、職務怠慢が重なって、解決を遅ら
 せた事件でもある。 重さはそれぞれだが、処分を受けたのは、新潟県警の幹部クラス
 だけでなく、最終的には警察庁長官にまで及んだ。
・警察が押収したものの中には、赤いランドセル、白のトレーナー、緑色のズボンなど、
 彼女が誘拐された当時に身に着けていた服や、登山ナイフ、スタンガンも含まれていた。
 彼女はランドセルの中に入っていたノートに鉛筆で、自分の名前、家族の名前、自宅の
 住所、学校の名前などをびっしり書きつらねていた。 彼女もまた、長い監禁生活の間、
 家族や親族、学校の友人たちのことを忘れてはいなかった。幼い彼女が懸命に文字を書
 いている姿を想像すると、切なくなる。
・同年2月、彼は入院先の精神病院を退院し、病院を出たところで逮捕される。同日、入
 院先の病院で彼の逮捕を知らされた彼女は、「ありがとうございます」と話したという。
 両下肢の筋力が著しく低下していた彼女は歩行訓練などのリハビリを受けており、直接
 に指導する治療チームのスタッフは女性ばかりだった。心理的な負担を軽くするため、
 事情聴取の捜査員、検察官、検察事務官も、すべて女性が担当した。
・3月4日、新潟地検は、「未成年社略取誘拐」「逮捕監禁致傷」の容疑で彼を起訴した。
 東京高検と協議し、彼女が負った心の傷、PTSD(心的外傷後ストレス障害)は起訴
 事実から除外した。PTSDを立証するためには、公判で被害者が具体的、かつ詳細に
 被害の状況を述べる必要がある。そのときには監禁生活の恐怖を追体験することになり、
 心の傷を広げてしまうことが予想されるからだ。

裁判
・S被告は6人の刑務官にガードされて入廷してきた。彼の姿が見えたとき、法廷内に声
 にならないどよめきが起きた。これまでマスコミに公開されてきた写真は高校時代のも
 ので、挑発の顔面には、美少年といっていいほどの甘さが残っていた。だが、今、刑務
 官に手錠と腰縄を外してもらっている彼は、スキンヘッドに黒縁の眼鏡。脂肪でふくら
 んだ丸顔で肌の色が白い。彼の体格は報道されていたような巨漢ではなく身長は170
 センチくらいに見える。おまけに下半身がずんぐりしている中年体形だ。
・彼は高校卒業まで母親に「ボクちゃん」と呼ばれていた。卒業後は母親の愛情に甘え、
 家に閉じこもる生活を続けていた。精神年齢の低さが影響しているのか、その声は変声
 期前の子供のように甲高い。 
・日本の刑法では、いくつ罪を犯そうと、刑が加算されることはなく、うちの最も重い刑
 が適用される。S被告の場合は、傷害罪の懲役10年以下が最も重い。
・被告人は、被害者が自室から逃げ出さないようにするため、同室において、同女に対し、
 「この部屋からは出られないぞ」「出ようとしたら怒るぞ」「ここでずっと暮らすんだ
 ぞ」「おれの言うことを絶対に守れ」「大声は絶対にここでは出すな。そんなことをし
 たら許さない」「守らなかったらお前なんか要らなくなる」「誘拐されて殺されちゃっ
 た女の子のようにお前もなってみたいか」「お前を山に捨ててやる」「海に浮かべてや
 る」などと申し向け、その後も、毎日のように同様な強迫文言を申し向け、また、しば
 しばナイフを突きつけながら、「お前の腹にこれを刺してみるか」などと申し向けて強
 迫し、さらに無抵抗の同女に対し、その顔面を両てこぶしで数十回殴打した。
・その上、被告人は、被害者を自室に連れ込んだ後の2、3か月間は、自己が部屋を出る
 際や自己の就寝の際には、被害者の両手や両足を粘着テープで緊縛して逃げ出せないよ
 うにし、さらにその後1年間くらいは、被害者の両足だけを粘着テープで緊縛して外出
 し、同女の脱出しようとする意思を喪失させた。
・被告人は、自己の気に入らないことがある場合は、その都度、同女の顔面や大隊部がは
 れ上がるまで、両てこぶしでその顔面や大腿部を交互に数十回殴打し続け、監禁開始後
 1、2年目ころからは、「スタンガンの刑だ」などと言って、同女の腹部、大腿部、腕
 部等にスタンガンを押し当てて放電し、その衝撃により同女がもだえ苦しむと、「暴れ
 るな」などと言って、再度スタンガンを押し当て放電する暴行を加えて虐待した。被害
 者は、苦痛の余り、悲鳴を上げそうになっても、自己の生命を守るため、大声をださあ
 いようにという命令に従い、自己の手や腕にかみついたり、毛布をかんだりして悲鳴を
 上げるのを我慢していた。
・被告人は、被害者を運動不足、栄養不足にさせて足腰を弱らせれば、同女の脱出を防ぐ
 ことができるとの考えから、同女の行動をセミダブルベッド上に限定し、食事も、当初
 は、母が被告人の夜食用に用意していた重箱入りの弁当を食べさせていたのを、コンビ
 ニエンスストアの弁当などに切り替え、それも当初は1日に弁当2個与えていたのを、
 平成8年ころからは、1日1個しか与えなくなった。そのため、被害者は、その後3、
 4か月のうちに衰弱から身体の変調を来したが、それでも被告人は、1日に弁当1個し
 か与えず、結局、当初46キロあった同女の体重が約38キロにまで減少し、失神する
 ようになったにもかかわらず、被告人は、弁当のほかに、コンビニエンスストアのおに
 ぎりしか与えなかった。
・被告人は、本件監禁の発覚を防ぐため被害者の入浴を許さず、数か月に1回しか着替え
 をさせず、また、下着はショッピングセンターから万引きしてきたものを与えるなどし
 ていた。
・検事はその場で、スタンガンのスイッチを入れ、パチパチと音を立てる4万2千ボルト
 の放電をみせた。彼の表情に変化はない。これほど強烈な電流を人体に当てると、凄ま
 じい衝撃を与える。1秒で人は倒れ、5秒で完全に動けなくなるという。彼がスタンガ
 ンを使うようになったのは、被害者が10歳から11歳の頃だという。被告本人は28、
 29歳だった。幼い被害者に、なんという酷い仕打ちをしたのか。
・パンを食べさせたとき、「私は帰れるの?」と聞かれたので「だめだ」と言うと、被害
 者は 「おっとう、おっかあ」と小声で呟きました。
・傍聴席に座った被害者の父親は、彼の供述をどんな思い出聞いていたのだろうか。濃紺
 のスーツの背中は 強張っていて、とほんど身じろぎしなかった。おそらくは、彼に飛
 びかかって殴りつけたい衝動や怒りを、懸命に抑えていたのではないか。
・彼が母親にスタンガンを当てたのは昨年の暮れくらいからで、十数回あったという。暴
 力の理由については、 当時37歳の男性としては、あまりに幼稚な理由だ。母親の要
 求のひとつに、デジタルカメラの購入がある。高価なものなので、母親は渋った。それ
 がまた、彼をひどく怒らせた
・彼は二十代初めの頃、体重が120キロあった。そのときは、1日に7、8食くらい食
 べていたという。だが、糖尿病を発病してから体重が減った。そして、被害者を誘拐し
 てきた頃には、通常の食事の回数になっていた。
・「監禁中に、被害者の気持ちを聞いたことはありますか」と裁判官から補充尋問があっ
 た。「ありました。「自分が成長する姿を残しておきた、写真がほしい」と言ってまし
 た」と彼は答えた。被害者は切実な思いで写真を欲していた。外の景色も見えない部屋
 に閉じ込められ、季節を感じることもままならない生活の中で発せられた。「自分が成
 長する姿を残しておきたい」という言葉は、なんとも不憫だ。
・彼の父親は、息子との不仲が原因で自宅を出た。しばらくは自分の娘のところで生活し
 ていたが、 その後老人ホームに入っている。死亡したのは平成元年の8月下旬、S被
 告が幼女へのわいせつ未遂事件で逮捕された約2か月半後だ。このときの彼は27歳だ
 った。
・榊裁判長は、この日の午前中に、昨年11月、上越市の金融業者を殺害し、強盗殺人、
 死体遺棄などの罪に問われた元市議の西川和孝被告(33)に無期懲役の判決を下した。
 西川被告人はテレビの時代劇「子連れ狼」の子役で人気を集め、芸能界を引退後に上越
 市の市議になったという経歴の持ち主だが、借金の依頼を断られたために、恩人の金融
 業者を殺害。現金510万円を奪ったのち、遺体を山中に捨てた。犯行後は海外に逃亡
 し、カジノで遊興にふけるなどしていたという凶悪事件だ。
・S被告の自宅二階の階段に並べられていたのは尿だけではなく、大便も入ったビニール
 袋だった。 事件発覚後に自宅に入った人物の証言によると、自宅内の特に階段付近に
 は、目が痛くなるほどの強烈なアンモニア臭が充満していたという。
・「東京医大のE教授と最終診察をしたのですが、精神分裂症の基準は満たしていません
 でした。人と接することが嫌いなのは被害妄想があるからです。少女との生活について
 も、生き生きとした表情で話し、お互いに相思相愛であるとか、関係が永遠に続くよう
 な、妄想まではいかないが、空想がある。彼には、幼児を性的な対象としてみる小児性
 愛もあります」「E教授と総合的に判断して、分裂症質人格障害であろうという結論に
 なりました」「不潔恐怖症もありますが、少女には一体感を持っており、自分の一部と
 考えていたので、身体に触れることを不潔とは思わなかったのです」Y医師の結論は
 「被告人の責任能力に問題はない」というものだった。
・彼を簡易鑑定した新潟大学医学部附属病院のM医師の供述が読み上げられた。
 「彼には強迫性障害があり、これは分裂症とは別なものです。彼がいう、人が触った場
  所は不潔で触ることができないとか、人が使ったトイレは尿が跳ね返ってくるので使
  えないとかは、実際に汚い面があり、現実離れした話ではない。不潔恐怖症は強迫観
  念に基づくもので、精神分裂症が併発することもありえるが、その可能性は非常に少
  ない。小児性愛も精神分裂症ならありえません」「被告人は自分を特別な人間と考え
  る自己愛性人格障害もみられ、対人関係は母親と被害者に集中していました。二人を
  支配して生活していた。
・自己愛性人格障害の病状には「自分の目的のために都合よく他人を利用する」「他人の
 感情や欲求が理解できない」「尊大で傲慢な態度や行動がみられる」などがあるという。
 被害者や母親の気持ちを理解することも、思いやることもなく、自分の欲望のままに行
 動し、二人の女性を暴力で支配してきた彼にぴったり合う。
・最終的に、二人の医師が彼につけた診断名は「分裂症質人格障害」「強迫性障害」「自
 己愛性人格障害」 「小児性愛」の四つだった。かなり複雑だが、分裂症に一番なりや
 すいとされる「分裂症型人格障害」の診断はなかった。「分裂症型人格障害」の場合は、
 約20から30パーセントが精神分裂症に移行するという。
・弁護士が質問に立った「被告人は中学のとき長岡市の病院にかかってますね」「そのた
 めに私は自動車の免許を取ったんです」と母親のK子さんは答えた。K子さんが息子を
 精神科に連れていったのは、病状がひどくならないうちに、治してやりたいという気持
 ちからだった。だが、担当した医師は実に楽観的な診断を下した。「思春期だから、そ
 んなことはよくある。気にすることはない」というものだった。強迫性障害は治療が必
 要な病気だ。もっと経験を積んだ医師だったら、別なアドバイスが受けられたかもしれ
 ない。
・その後は通院することなく過ごしていたが、就職先を退職した頃、S被告は柏崎市内の
 精神病院に入院する。期間1か月弱だった。

判決
・このところニュースには事欠かない日々が続いている。約1か月前の9月11日には、
 アメリカで大規模な同時多発テロが勃発し、数千人の死者が出た。10月上旬からは米
 英軍によるアフガニスタン攻撃が始まっていた。
・精神鑑定の結果について、 鑑定書の要旨が読み上げられた。
 「糖尿病による脳の疾患は見られない。知的水準は正常域である。感受性や自主性に乏
  しく、情緒的に孤立している。未来に対して無関心で、その結果、他人との温かい情
  緒的な接触を失って引きこもり、空想の中にのみ生活して、自我が弱い。現実を無視
  して空想にふけったりする現実逃避の傾向がある。また、被害者はストックホルム症
  候群にはない」
・検事がストックホルム症候群の件を読み上げたのは、「被害者は被告人への愛情はなか
 った」と言いたかったためではないか。S被告は、被害者とはうまくやっていた、と供
 述しているが、それは彼の思い込みだったと強調したいのだろう。
・「被告人には分裂症型人格障害や強迫性人格障害などの人格障害が認められるが、物事
 の筋道に従って行動する能力を失ったり、著しい障害を有する状態とは判定されない。
 他に自己愛性人格障害も認められる。また、被告人が訴えている幻覚や妄想などは拘禁
 生活の影響で誇張されたものであり、犯行には直接、影響していない」「被告人は狭義
 の精神病には罹患していない。拘禁には耐えうる。しかし、強迫性人格障害や分裂症型
 人格障害があることは明白であり、被告人の犯行に若干の影響を与えたことは考慮すべ
 きであろう」つまり、刑事責任能力は問えるという鑑定結果だ。
・検察側の論告求刑が始まった。
 「被告人は高校の頃から幼い女児に興味を持つようになり、平成2年11月13日、な
  んら躊躇することなく、被害者を略取した」
 「被害者は被告人にスタンガンを押し当てられたときには「ムチでビシビシ当てられる
  ような痛みを感じた。私は自分の腕に噛みつき、毛布をかじるなどして耐えた」とい
  う。幼女が知恵を絞って耐えている姿を思うと、被告人の暴力はあまりに非人道的で、
  血の通った人間の行為とは思えない。極悪非道である」
  「凄惨な監禁が約9年2か月という長期間行われ、被害者が受けた精神的苦痛は筆舌
  に尽くしがたく、想像を絶するものがある。被告人は被害者を虐待し続けても、被害
  者に対してほとんど哀れみの情を抱くこともなく、被害者を解放しようなどとは、ま
  ったく考えなかった。
 「被害者は解放、保護直後、まともに歩くことすらできず、診察の結果、治療期間不明
  の両下肢筋力低下、骨量低下、鉄欠乏性貧血などの傷害を負ったことが明らかになっ
  た。その回復には長期間の専門的治療とリハビリを要するもので、傷害の結果は極め
  て重大である。
 「事件が被害者の家庭環境に及ぼした影響も無視できない。長期にわたって離れ離れに
  なり、実父との間に葛藤が生じてしまった。被害者は実父に被告人を重ねてしまうと
  いう」
・ふと特別傍聴席を見ると、被害者の母親がハンカチを目に当て、すすり泣きしていた。
 声を出さないようにこらえているが、彼女の耳たぶは真っ赤だった。たった9歳の娘が、
 ここまで酷い仕打ちにあっていたことを聞かされた胸中は、察するにあまりある。
・彼女は男性に恐れを感じ、父親まで避けるようになっていた。男性と暴力が結びついて
 いるため、相手が肉親であろうと、本能的な恐怖や嫌悪が消えないのだろう。おそらく
 軽く触れることすら、嫌がるのではないか。父親としても、さぞかし辛い状況が続いて
 いることだろう。
・「主文、被告人を懲役14年に処する」傍聴席が軽くざわついた。求刑が15年で判決
 が14年ということは、ほぼ検察側の主張が認められたことになる。未決拘置期間が約
 1年算入されたため、実質は13年の懲役刑だが、量刑の重さが予想外だったのか、2
 人の弁護人の表情は渋く、苦い。
・「支払い能力がないため、訴訟費用、鑑定費用は被告人には負担させない」
 訴訟費用の中には弁護人の報酬も含まれる。つまり、裁判のすべての費用が税金で賄わ
 れるのだ。 
・新潟県警はこの事件の教訓から、相談業務の充実をはかり、県内全警察署に専従の相談
 員を配置するとともに、 相談内容をすべてデータベース化したという。いつもながら
 思うのだが、警察組織には犯罪を未然に防ぐという意識が欠乏している。最近では「
 川ストーカー事件
」が顕著な例で、被害が出ないかぎり、真剣に対応してくれることは
 少ない。警察業務が煩雑であったり、慢性的に人員が不足していることが事実だとして
 も、市民の訴えにはもっと真摯に対応すべきだ。
・判決公判から2日後、S被告は控訴手続きをとった。弁護人が接見したとき、彼は「控
 訴します」とはっきり答えた。弁護人が「本気なの。間違いない?」と確認すると、再
 び「控訴します」と繰り返したという。 
・彼の人格障害の実態が次々と明らかになっていく中で感じたのは「彼は専門家の治療が
 必要な病人なのだ」 ということだった。多くの精神科医が指摘するように、ほとんど
 の凶悪犯罪者は、なにかしらの人格障害を持っている。ただ、彼のように病的さが強調
 され、本音の部分を垣間見ることができなかったのは、残念である。やはりというべき
 なのだろう。人に共感することができない人間の言葉に心を打たれることはなかった。
 
控訴審
・弁護側の控訴趣意が読み上げられた。
 「被告人の人格障害など精神病に対する無理解、考慮不足があり、被告人が病人である
  ことを、量刑上、適正に評価しているとは、到底認められない。また、監禁期間の評
  価、監禁態様の評価も誤りがあり、被告人非難は、的外れで無意味である」
・平成14年12月、判決の申し渡しが行われた。
 「主文、原判決を破棄する。被告人を懲役11年に処する」
 高裁は一審判決の14年の懲役を破棄し、11年に軽減した。
 判決の主文を聞いたとき、母親はがっくりと項垂れ、父親は正面を向いたまま、みじろ
 ぎもしなかった。叔父と思われる男性もまた、姿勢を崩さずに聞き入っている。すぐ後
 ろの席で、両親の背中をみつけていると、無念の思いが伝わってきた。
・判決を申し渡したあと、裁判長は正面に立っている被告に論した。
「判決は14年から11年に短縮されましたが、犯情がよいとか、情状酌量ということで
 は、決してありません。 一人の人間の人生を台無しにしたということを、十分に反省
 するよう、強く望みます」
・裁判長が被害者に深く同情しつつも、被告の量刑を軽くしたのは、併合罪の適用につい
 て一審判決に誤りがあると判断したからであって、被告の情状を酌んだからではなかっ
 た。
・高裁の判決から10日後の12月、東京高等検察庁は、「高裁判決は法令の解釈に重要
 な誤りがあり、破棄しなければ、著しく正義に反する」として、上告する方針を決めた。
 併合罪の解釈について、上告審の判断を仰ぐ必要があると判断したようだ。
・なによりも予想外だったのは、S被告もまた、高裁の判決を不服として、同日に上告し
 たことだ。 

上告審
・高裁判決から約半年後、上告審の弁論が最高裁で行われたことを知った。最高裁の審理
 が始まるまでには、年単位の長い時間がかかることが多かったのだが、ずいぶんとスピ
 ード化されたものだ。法廷では、検察側、弁護側がそれぞれ「併合罪」の解釈について
 主張し、当日に結審したという。最高裁では、被告が証言に立つことはないためか、S
 被告の出廷はなかった。
・検察側はともかく、弁護側の主張は控訴審のときと、ほとんど変わっていない。併合罪
 の主張は認められているので、S被告が「事実誤認があり、量刑は懲役11年でもまだ
 重い」と訴えたための上告のように思えた。
・上告審の判決公判は、約1か月後に開かれた。
「原判決(二審判決)を破棄し、被告人に対して懲役14年の宣告をした一審判決の量刑
 判断を維持するのが相当である。被告人の控訴を棄却する」
 この判決により、S被告の刑が確定する。
・平成12年の5月に開かれた地裁の初公判から平成15年7月の最高裁判決まで、約3
 年2か月で「新潟少女監禁事件」に最終判断が下された。
・平成16年の刑法改正(施行:平成17年1月1日)により、懲役および禁錮の長期の
 年限が、それまでの規定より5年引き上げられた。これは逮捕監禁致傷罪に限定された
 わけではなく、すべての罪に適用されるのだが、この改正により、逮捕監禁致傷罪の上
 限も10年から15年に引き上げられた。さらに、本件のように併合罪が適用された場
 合、15年の2分の1の7年6か月が加わるので、22年6か月が上限となる。
・被害者家族の心情とすれば、被害者が監禁されていた期間の倍の懲役刑が被告に科せら
 れたとしても 納得はできないだろう。可能な限り長く服役してほしいと願うのも無理
 はない。だが、一人を殺害した罪で10数年の懲役刑、2人で無期、3人で死刑判決が
 相場というこれまでの判例を考えれば、14年の懲役刑は、軽過ぎるとまでは言えない。
・彼は14年の懲役刑が確定して、服役囚となったが、彼の母親は、その後に認知症を発
 病し、老人介護施設に収容されている。法廷では、被害者への謝罪の言葉は語らなかっ
 た彼だが、母親が施設に入ったことを知ったときは、「母にとってそのほうが幸せかも
 しれません」と思いやり、「出所したら母が行ってみたいという所へ、ドライブに連れ
 て行きたい」と語ったという。
・自分と母親との間の情愛は大切にしても、被害者とその両親との情愛には想像が及ばな
 い彼は、 他者への共感が圧倒的に欠如しており、控訴審の弁護人が指摘したように、
 専門家による治療が必要な「精神を病んだ病人」に違いない。
・その後に伝わってきた情報によると、逮捕時に80キロ以上あった体重が、40キロ以
 下に激減していた。身長169センチの成人男子の体重を維持することができず、歩行
 に補助が必要という状況だ。そのため、医療刑務所に収容され、治療を受けていた。
・事件が発覚したとき、37歳だった彼は、仮に、14年の刑を満期で終えて出所すると
 きには50歳を超えている。そのとき母親は80代後半で、認知症の病状が進んでいる
 かもしれない。 
・彼が刑法上の罪を償い、老いた母親と再会したときには、たとえ一瞬であろうと、自分
 が9年2か月間にわたり、無情に家族から引き離した被害者と、被害者の母親が再会し
 たときの情景を思い浮かべてほしい。本件がどれほど酷い犯罪だったか、彼が自覚する
 には、そんな時間しかないだろうと、想像するからだ。
 救いと思えるのは、被害者が一進一退ではあるが、日常を取り戻しつつあることだ。
 現在、彼女は買い物や家族旅行、サッカー観戦など、外出する機会が増えている。定期
 的なリハビリのおかげで 、軽い運動もできるようになった。また、母親からは和裁を
 習い、パソコンや英会話にも興味を持っている。最近はクラシック音楽をよく聞いてい
 るという。彼女は、奪われた学校教育の時間を埋めるかのように、前向きかつ旺盛に知
 識を吸収している。その姿は、まさに乾いた海綿が水を吸うようだ。