「日本人への警告」 :堺屋太一

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 この本は、今から20年以上前の昭和五十七年に書かれたものであるが、その内容は今の世の中が
まさに直面していることを、ずばり言い当てている。恐らく当時は、今日の社会が直面している終身
雇用制の崩壊や年功序列賃金制度の崩壊など、思ってもみないことであったと思う。しかし、いまま
さにその崩壊が起きているのである。超高齢化による公的年金制度の崩壊も、これから始まるところ
である。
筆者は「お先真っ暗の定年後の生活」と言っているが、まさにお先真っ暗の定年後の生活が待ってい
る。そしてこの流れはどうすることもできないであろう。我々個人生活者ができることと言えば、高
度成長社会にすっかり慣れてしまっている「明日は今日よりも豊かである」という考えを改めること
ぐらいだ。これからの日本社会は、坂道を転がり落ちるがごときの社会なのである。もはや、長生き
できてうれしいと言える世の中ではなくなってきている。

序章
 ・人間は世の風潮に染まりやすいものだ。人間はみな子どもの頃から真実と真の欲求から目をそむ
  けるように教えられ、社会の規範に従順であるように育てられる。
 ・日本という国が共通の民族、共通の言語、共通の風習を持つことはよく知られているが、それに
  も増して重要なのは共通の倫理観、価値観だろう。しかもこの国には、倫理や事実よりも世の中
  の「空気」、つまりその場の雰囲気が重視される慣習がある。
 ・このため、日本人社会では、真実や論理的整合性を求めるよりも、その場の「空気」を掴むこと
  が大切であり、世の風潮に合わせて生きることが有利であり利巧である。子どもの頃から真実と
  真の欲求から目をそむけて社会の規範に従順であるように教えられてきた人間が、日本社会では
  もう一度、さらに強い圧力で世の中の風潮、その場の雰囲気に迎合することの有利さを知らされ
  るわけだ。
 ・情報の豊かさとは、情報の数量によってではなく多様さによってこそもたらされるものである。
 ・日本は世界一公平な国だ。それは、現時点において所得と財産の格差が著しく少ないという意味
  だけでなく、一つの職場、一つの職種が三十年間続けて優遇されたことが、明治以来百年余りの
  間に一度もなかったという点でも補強されている。
 ・これからは企業の栄枯盛衰が著しいから終身雇用は期待できないだろう。ただ、はっきり言える
  のは「自分の好きな仕事をすればよい」ということだけである。好きな仕事なら、同じだけの時
  間と労力を費やしても嫌いな仕事ほど疲れない。だから、その仕事が好きな人は嫌いな人よりも
  熱心にしかも楽しくやれる。
 ・人間はみな、自分が本当に好きなものぐらいは正確に知る権利と義務があるのである。だが、そ
  れすら今日の日本社会では非常に難しいという事実を忘れてはならない。

日本人の幸福
 ・人間の想像力などというものは実に浅はかなものだ。一方に”現に存在するもの”の欠如という
  想像を置き、他方に現に見られる害悪や被害という現実を置くと、われわれの議論も判断も、公
  平と均衡とを著しく欠くことになるわけである。
 ・戦後の世界では、高度成長が”現に存在するもの”だった。そしてそれが一世代も続いたため、
  記憶力と想像力に乏しい大部分の人々は、実感としても知識としても非成長経済を忘れ、したが
  って高度成長という”現に存在するもの”の有難さもわからなくなってしまったのだ。最近、経
  済成長の有難さよりも、経済成長の被害のほうばかりを強調する議論が横行しているのは、この
  ためではないかと思う。
 ・人間の「夢」というものは、個人的なものであれ集団的国民的なものであれ、それが達成された
  途端に価値という魅力を失ってしまうものなのかも知れない。
 ・多数の経済学者や科学者が、経済成長によって公害が増え、自然と文化財と人間の健康が損なわ
  れている、と主張している。経済成長のもたらした喧騒と精神的緊張のために、人びとの美意識
  や生活の潤いが失われている、という者も多い。中には、教育の荒廃や親孝行の低下までを、経
  済成長のせいにしている者もいる。
 ・公害問題や自然環境破壊の問題は、高度成長の必然的付随物ではなく、成長とは別の、産出物の
  使い方の問題、つまり資源配分の問題なのである。日本が、そして恐らく全世界の大部分の国々
  が、過去のある時期において資源配分を誤った結果、公害が多発したことは事実だとしても、そ
  れが高度成長経済のためだとはいえない。低成長経済ならば資源配分を誤らなかったという根拠
  は、何もないからである。
 ・戦前の地主や中小企業所有者、高級官僚、裕福な専門職業者および大企業のサラリーマン重役た
  ちからなる「旧中産階級」の人々は、恐らく戦後の経済成長によって得たものよりも失ったもの
  のほうが多いと感じていることであろう。戦前、国民の大部分が非常に貧しかった状態にあった
  時代においては、自家用車もゴルフ遊びも別荘地での生活も休暇旅行も、この階層の人々の「独
  占物」であった。
 ・経済成長率と物価の関係を考える時に、これ以上に重要な問題は、日本の労使慣行だろう。終身
  雇用制と年功序列型賃金体系を基盤とする日本型労働慣行のもとでは、経済成長率の低下や操業
  率の低下が、生産物一単位当たりの人件費コストを急増させ、物価上昇を著しくプッシュすると
  考えられる。日本型労働慣行では、景気の変動によっても、そう簡単に従業員を減らせないから
  である。しかし、この問題は物価問題以上に、はるかに深刻な問題をわれわれサラリーマンに投
  げかけて来るだろう。日本型労働慣行もまた、高度成長が生み育てたものの一つだからである。
 ・日本型労働慣行に基盤をなす終身雇用制と年功序列型賃金体系とを成立させた条件は、企業の急
  速な拡大発展であった。つまり、毎年企業が採用する新入社員は増加し続けて来たため、企業の
  従業員の年齢構成が”上が小さく底が大きい”「ピラミッド型」を保ち得たお陰なのである。
 ・しかし、企業の拡大がとまり、年々採用する新入社員の数が増加しなくなれば、従業員の年齢構
  成は、”上下等大”の「茶筒型」に変わってくる。そうなると、ベースアップなど全然しなくと
  も、従業員の平均年齢上昇に伴う昇給分だけでも、企業の人件費負担は急速に増大して行くはず
  である。
 ・企業の拡大発展のテンポが鈍化すれば、終身雇用も年功序列型賃金体系も維持困難になり、欧米
  流の流動性の高い労働市場と応能賃金体系に接近せざるを得ないわけだ。まして、高度成長期の
  旺盛な投資によって膨れ上がって来た投資需要向けの産業では、より積極的な人員整理を強要さ
  れる所も少なくあるまい。そしてこの場合、中高年齢層の整理は、今日行われているような関連
  会社への天下りなどといったものではあり得ないはずである。

日本人の錯覚
 ・日清・日露の戦争の頃はまだ、日本人は特に戦争に強い民族だなどとは思っていなかった。それ
  だけに、慎重にかつ必死に戦った。当時の日本人は、相手の国土の広さと兵数の多さに脅え、自
  らの経験不足を心配した。戦争を始めた頃の日本人は、古豪の横綱に挑戦する新入幕のような心
  境だったろう。ところが以外に楽に勝てた。不安が大きかっただけに、勝利の歓びは大きかった。
  そして大いに自信をつけ、やがては「世界一の尚武の民」と信じるまでになったのだ。だが、自
  信を持つのは早すぎた。日清・日露の戦いに勝てたのは、日本が強かったためではなく、相手が
  弱かったからである。
 ・もし、今後、日本経済の成長力が低下するとすれば、恐らくそうなるだろうが、終身雇用の維持
  は難しい。高度成長時代には、一時的な不況で仕事量が減っても、景気が回復に向かえばすぐ、
  前のピークを抜くほどに仕事量が増えた。つまり、不況時に発生する過剰雇用は少なく短期に終
  わったわけだ。しかし、低成長になると、不況は深く、景気回復に向かっても前のピークに戻る
  のははるかに遅くなる。従って、大量の過剰雇用が長期にわたって続くことになる。
 ・もう一つ、日本の人口構造の加年化現象、特に企業従業員の中年化現象も終身雇用制度とそれを
  支えた年功賃金体系を打ち壊す作用を持つだろう。
 ・このことは、各企業に永年勤続の高給者が増加することを意味し、年功賃金の維持を苦しくする
  だろう。同時に、勤続20年の中年従業員の数と、それにふさわしい職種とのアンバランスを生
  み、終身雇用の継続をも困難にするに違いない。
 ・このように考えると、きわめて確度の高い予測が可能な条件からだけみても、日本の終身雇用の
  維持は非常に難しいことが分かる。いやむしろ、その地すべり的崩壊は、ほとんど必然だとさえ
  言えそうである。そしてそうなった時、本来、不忠不義な日本人が、企業忠義心をも失うであろ
  うことも、また不可避であろう。
 ・十九世紀にヨーロッパ勢力が東漸して来た時、アジア諸国はみな長い混乱と内紛に陥り、近代化
  が立ち遅れた。これらの中には忠誠心の強い頑固者が何万人もいて、倒れかかった旧体制のため
  に命がけの忠勤を励んだから、長い戦乱になってしまったのだ。幸いにも日本には忠義者が少な
  く、裏切り者が多かった。このお陰で、徳川幕府は簡単に消え失せ、さほど流血もなく近代日本
  が成立し得たのである。
 ・今日までの間に、何度かの大変革を記録しているが、変革の結果、日本人全体が以前より不幸に
  なったという記述は一つもない。
 ・終身雇用が崩れ、企業忠誠心が失われたとすれば、企業の経営と経済の運営は難しくなるだろう
  が、日本人一般大衆はまた、より幸せと思う道を探し出し、それに熱心に参加することだろう。

”中年”の憂愁
 ・多くの日本人は、現在の職場で自分が実力以上に高く評価されていると思っていないが、さりと
  て今の職場以上に自分を評価してくれる場所がないこともよく御存知だということになる。言い
  換えれば、社会一般での自己の有能性以上に今の職場という特定社会では評価されるべきだ、と
  主張しているわけである。現に勤めているということに、一種の「利権意識」を持っているとい
  うことになるであろう。
 ・今年大学を卒業して入社したばかりの新入社員から四十歳代の中年社員に至るまで、日本のサラ
  リーマンのほとんどは、将来の自分の実質所得が今のそれより高くなる、と信じている。少なく
  とも定年退職を迎えるまでには実質所得は伸び続けるもの、というのがサラリーマンの常識であ
  り、確信でさえある。
 ・個人として自分の能力と運とが相対的に優れている、と考えている人間が、現実の客観的評価よ
  りもはるかに多い。つまり、自分は将来、今の職場において平均点以上に成功するだろうと予想
  している者が非常に多いのだ。
 ・日本人のほとんどが、この国の経済成長と社会構造について、きわめて楽観的な予測を基礎とし
  て自分の生活と人生設計を行っている。
 ・恐らく、ほとんどのサラリーマンは、「たとえ自分が人並み以上に出世、昇進しなかったとして
  も、十年後には十年先輩の今以上の実質所得は得られるに違いない」と期待しているだろう。だ
  が、この「当然」で、「当たり前」と思われていることが、実はなかなか大変なのである。
 ・職場の中での出世、栄達に失敗した場合にも、定年退職の日までは年と共に僅かながらも増大す
  る所得の中で、小住宅を持ちささやかなマイホームを営み、子供たちも大学に通わせ、世間並み
  の結婚式を挙げてやれるぐらいの平凡な個人生活はできると信じているのである。
 ・つまり、我々、戦後の日本人はみな、「明日は今日より豊かである」と信じている。それは、ご
  く自然な真理のように考えている。このことは、日本の将来、日本人の未来にとって、きわめて
  重要な問題だ。これが、ごく「当たり前」のことと考えられており、「上の希望」ではなく「最
  低限の救い」と思われているために、ほとんどすべての人々が、そうなることを前提として今日
  の生活、将来の計画を立てているからである。
 ・大部分のサラリーマンは今なお、十五年後、二十年後、自分が老人となった時には今日よりもは
  るかに充実した老人福祉が行われ、老後の生活に安定と豊かさを与えてくれるに違いないと信じ
  ていることだろう。今の中年サラリーマンたちの中には、それを老後生活の計画に折り込んでい
  る者さえ少なくあるまい。
 ・特に、日本の場合の悲劇は、中高年化と共に、高学歴化が猛烈な勢いで進んでいることだ。単に
  年齢が中高年化するというだけであれば、長年同じ職場で同じ仕事をする人が増えてもさして困
  ることはない。人間の肉体は五十代になっても大抵の労働ができる程度には維持されるものだ。
  しかし、大学卒の中年者ともなれば、そう簡単ではない。大学卒業者にふさわしい職場の多くは
  優れて人間関係が濃密だからである。
 ・すべての人間関係がそうであるように、企業と従業員の関係も相互の給付と奉仕で成り立つもの
  だ。企業が終身雇用制と年功序列型賃金体系によって心地よい職場環境を作り上げたことに対す
  る従業員側の奉仕が企業に対する忠誠心なのだ。その一方を放棄すれば他方もまた期待すべきで
  ない。日本人は本来、忠誠心の薄い、義理・人情の乏しい民族である。江戸時代から終戦直後に
  至るまでの、つまり高度成長以前のすべての歴史的実例がそのことを示している。そんな日本人
  が、終身雇用制と年功序列賃金体系をなくしたあとでも、欧米人以上に忠誠を示すことはますあ
  り得ようはずもないのである。
 ・逆にいえば、企業の経営者、上層管理者たるものは、忠誠心のない人間集団をコントロールする
  ヒューマンウェアの確立を急がねばならないということでもある。そしてそれは、従業員に対し
  てのみでなく、地域住民や社会一般の「世論」などの関係でも大いに必要なことである。
 ・日本では、ハードウェア、ソフトウェアはかなり高い水準に達している。だが、技術三分類の中
  で、ヒューマンウェアだけは言葉すら知られていない。企業忠誠心と仲間意識の強い従業員に囲
  まれた心地よさのために、対人技術はあまりにも軽視されて来たのではないだろうか。
 ・ただ一つ絶対にやらねばならないことは、高度成長を前提としない人生設計を組み立てる努力を
  することだ。つまり、「明日は今日より豊かになる」という考えを捨てて、なお生きられる道を
  さぐることである。

十五年後の”定年社会”
 ・定年、それは日本のサラリーマンにとっては、憂鬱なお祝いである。定年退職者は、居残る者に
  とって完全に無害な存在になる。人間はみな、自分にとって競争関係から脱落して無害化した者
  に対しては、率直な評価と同情ができるものなのである。定年まで勤務して退職したことは、少
  なくともまじめな勤め人だったことの証とはみなされる。しかし、同時にそれは、老人になった
  ことの証明でもある。
 ・定年制が残り、なお拡大する傾向すらあるのは、そうでもしなければ高年齢者が容易に辞めよう
  としないからだ。つまり、退職を嫌う日本サラリーマンの態度が、そのもっとも憂鬱な祝儀を一
  段と広げかつ強いものにしているわけである。
 ・老人の増加、つまり定年退職後の人びとの累増は、日本経済全体にとって大きな重圧となること
  は明らかである、それが、日本経済の効率を阻害し、国際競争力を低下させ、経済成長を抑制す
  ることになるだろう。そしてこのことが、老人福祉の向上をいっそう困難にするに違いない。
 ・そのように考えるならば、十五年、二十年後の働く人々が、今日の六〜七割増にもなる負担に耐
  えて老人福祉を維持してくれるかどうかさえ、疑問とせざるを得ないような気がする。まして、
  老人年金の飛躍的向上などは、まず無理と考える方がよいであろう。つまり、定年後の生活を、
  国(公共)の福祉に頼る、という考え方は”甘えすぎ”なのである。
 ・同様に、老人問題も相当部分が企業福祉で救われている。それは、企業による再就職あっせんば
  かりでなく、退職金という日本特有の制度によってもなされている。おそらく、世のサラリーマ
  ンのほとんどは、定年後の生計の大部分を、この二つ、企業によってあっせんされる再就職と退
  職金の運用に期待していることだろう。
 ・こうした福祉における企業の負担は、正しく評価されねばならない。特に、企業の税負担につい
  て国際比較上の論議をする場合には、このことは重要である。
 ・さて、定年後の生計を、こうした企業福祉に依存する人々の多い現状では、これが今後も続き得
  るかどうかは大きな問題である。逆に言えば、企業が将来、定年退職者の再就職をあっせんし続
  けられるか、あるいはまた、今日のような高額の退職金を支給し続けられるかどうかという問題
  である。
 ・今日企業が与えているもう一つの重要な「老後福祉」ともいうべき退職金の問題は、いっそう逃
  れ難いものだ。定年、それに伴う退職金支払いが、企業にとって重大な問題となると予想される
  のは、定年退職者数がたいていの企業で著しく増加するとみられるからである。
 ・若い頃からの貯えや退職金の運営で老後を送ることはけっして容易ではない。公共の老齢年金や
  企業の再就職あっせんなどにそのすべてを依存することはいっそう困難である。むしろ今後は、
  こうした外部からの「福祉」は低下傾向に向かう可能性の方が大きいのである。このようにみれ
  ば、これからの定年後の生活はまったくお先真っ暗といえる。健康で長生きすることは「めでた
  い」には違いないが、長い老後を考えるとやはり憂鬱にならざるを得ないというのが現実である。
 ・日本という国は、子どもが働かないで老人が苦労しているということになる。これが、日本にお
  ける老後問題を深刻なものにしているきわめて大きな理由なのである。実際、今日において、息
  子や娘から生活費の面倒をみてもらっている老人はどれほどあるだろうか。さらに、将来のこと
  を考える場合、子供にその老後を託そうと考えている人がどれだけあるだろうか。ある調査によ
  れば、せいぜい二割という数字が出ている。しかもその多くは、農業や自営者であり、サラリー
  マンには著しく少ない。
 ・生涯設計の発想を高度成長型から安定成長(または停滞社会)型に切り換えるべきだ。
 ・低成長時代への発想の転換は必要と思う。そしてそれはまさに、家計と生涯設計の上でこそ急が
  ねばなるまい。人間の、そしてこの世の中の基本は、個人生活だからである。
 ・まず第一に考えねばならないことは、「明日は今日より豊かであろう」という信念を捨てること
  だ。この考え方を放棄することは、とりもなおさず生涯における生計費についての考え方を直す
  ことだ。つまり、今日のサラリーマン社会にみられるような「若者より中高年の方が出費がかさ
  むのは当然だ」という考え方を止めなければならないということである。欧米の社会では中高年
  ほど出費が多いわけではないのである。