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日本の「少子高齢化問題」は早くから認識はされてきた。しかし、それに対して効果的な
対策がなされてきたのかといえば、現状を見ると、とても対策がなされてきたとは言えな
いのは確かだろう。時の政権は、それなりにこの問題に対して対策めいたことは打ち出し
てはきたが、「経済が良くなれば解決できる」というような楽観的な見方があり、真剣に
取り組んできたとは言えないだろう。そのひとつの理由は、このまま少子化・高齢化が進
めば、この国
は将来、具体的にはどういう状況になるのかイメージできなかったところに
あったのではないのかと思う。この本は、このままいけば、この日本はこうなりますよ、
という日本の将来を具体的に示してものであり、その内容はきわけて衝撃的なものとなっ
ている。この本でわかることは、日本の「少子高齢化問題」は、もはや手遅れだというこ
とだ。これからできることといえば、日本の人口減少のスピードを少しでもゆるやかにす
るかという対策ぐらいではないのか。
この「少子高齢化問題」にはいろいろな誤解もあった。その一つは、「少子化」と「高齢
化」とは同一に扱う問題ではなく、それぞれ個別に考えるべき問題であったこと。二つに
は、この問題は東京圏のような大都市部と地方とでは、大きく異なるということである。
「少子高齢化」というと比率で考える傾向があるが、比率で考えた場合と実数で考えた場
合とでは、大きく異なるからである。高齢化率を考えた場合、地方での高齢化率が極めて
高く出て、東京圏のような大都市部ではそれほど高くないように見える。しかし、比率で
はなく、高齢者の実数を見た場合、もともと人口の少ない地方での高齢者の実数はそれほ
ど多くはなく、人口が集中している東京圏のような大都市部での高齢者の実数はきわめて
多い。このことは、高齢者問題を考えた場合、地方より東京圏のような大都市部のほうが、
きわめて深刻な問題であることがわかる。「東京は姥捨て山になる」ともいわれるが、
あながちウソではないだろう。これから先の東京は、きわめて深刻な問題に直面するのは、
もはや避けられないのではないのかと思える。東京に住む人は「覚悟」が必要だ。
ところで、本書の中では「高齢化」と「少子化」とは、まったく異なる種類の問題なのだ、
と説明しているが、「少子化問題」は「高齢化問題」とはまったく無関係とは言えないの
ではないかと、私は思っている。というのも、この先、この国に訪れるであろう「超高齢
社会」を考えたとき、自分たちの子や孫の世代にのしかかるであろう困難さは、想像を絶
するものがある。そんな時代を生きなければならない子や孫のことを考えると、はたして
自分の子供を生んでいいのだろうかと考える親も、少なからずいるのではと想像するから
である。
安倍政権は、「女性活躍社会」とか「1億総活躍社会」とか、きれい事を並べるが、とて
も、日本のこの深刻な事態を真剣に考えているとは思えない。経済刺激策と称して1千兆
円という天文学的な数字の国の借金を積み上げて続け、それを返済する気はみられず、そ
のツケを子や孫の世代に先送りする。これも根底には、いままでの政権と同じように「経
済さえよくなれば、なんとかなる」との考えから脱していないからである。さらには、安
倍政権は、憲法9条を改正して「戦争ができる国」を目指しているが、そうなれば、貴重
な存在である若者の力や命が「国防」や「戦争」のために無駄に消耗される。国自体が自
ら消滅するかもしれないという事態に直面しているのに、何から何を守るというのか。滑
稽ですらある。この日本は「戦争ごっこ」などしている場合ではないのだ。「国防」とは、
軍事力を強化することではない。この国にとっての「国防」とはなんなのか。もっと真剣
に考えてほしい。この国がほんとうに直面している問題に、もっと真剣に取り組んでほし
い。残された時間はもうないのだ。
先般の安倍首相による「国難突破解散」と称しての総選挙では自公与党が圧勝した。国民
は安倍政権の継続を支持した結果となった。国民がこのような意思を示した以上、もはや
これ以上言うべきことはない。「安倍政権栄えて国滅ぶ」そんな事態にならないことを祈
るばかりである。

はじめに
・残念なことに、「少子化」は止まりようがない。今後の日本社会は、子育て支援策が成
 果を挙げ、合計特殊出生率(1人の女性が生涯に出産する子供数の推計値)が多少改善
 したところで、出生数が増加することにはならないのである。
・「少子高齢化に歯止めをかける」と口にする国会議員、地方議員は数知れない。全国各
 地の議会や行政の会議で、認識不足や誤解によつ議論が重ねられ、どんどんトンチンカ
 ンな対策が生み出されている。 
・数年後には、東京を含めたすべての自治体で人口が減る。日本が消えてなくなるかもし
 れないといわれているときに、一部の自治体の人口が増えただの、減っただの一喜一憂
 している場合ではない。もっと、日本全体の人口減少を見据えた長期的政策を考えるべ
 きである。
・たしかに、目の前にある人手不足は、機械化や移民による穴埋めで幾分かは対応できる
 かもしれない。だが、日本の労働人口は今後十数年で1千万人近くも少なくなると見込
 まれる。そのすべてを機械や外国人に置き換えることはとうてい無理があろう。
・今取り上げるべきなのは、人口の絶対数が激減したり、高齢者が激増したりすることに
 よって生ずる弊害であり、それにどう対応していけばよいかである。経済が成長し続け
 たとしても、少子化に歯止めがかかったり、高齢者の激増スピードが緩んだりするわけ
 では断じてない。 
・日本の少子化は簡単には止まらない。このままでは、日本という国家が成り立たなくな
 る。楽観論を声高に語る人々が、日本という国がいかに危ない状況に置かれているかを
 知らぬわけではなかろう。見て見ぬふりをするつもりなのだろうか。われわれは決して
 楽観論に逃げ込むことがあってはならない。”不都合な真実”であっても目を背けず、
 それに立ち向う選択をしなければならないのである。
・2015年時点において1億2千7百万人を数えた日本の総人口が、40年後には9千
 万人を下回り、100年も経たぬうちに5千万人ほどに減る。こんな急激な人口が減る
 のは世界史において類例がない。われわれは、長い歴史にあって極めて特異な時代を生
 きているのである。
・要するに、国家が滅びるには、銃弾一発すら不要なのである。「結婚するもしないも、
 子供を持つも持たないも、個人の自由だ」と語る人々が増え、子供が生まれなくなった
 社会の行き着く果てに待ちうけているのは、国家の消滅である。
・日本の喫緊の課題を改めて整理するなら4点に分けられる。1つは、言うまでもなく出
 生数の減少だ。2つ目は高齢者の激増。3つ目は勤労世代(20〜64歳)の激減に伴
 う社会の支え手の不足。そして4つ目は、これらが互いに絡み合って起こる人口減少で
 ある。 
・最近メディアを賑わせている「2025年問題」という言葉がある。人口ボリュームの
 大きい団塊世代が75歳以上となる2025年頃には、大きな病気を患う人が増え、社
 会保障給付費が膨張するだけでなく、医療機関や介護施設が足りなくなるのではないか
 と指摘されている。だが、問題はそれにとどまらない。2021年頃には介護離職が増
 大、企業の人材不足も懸念され、2025年を前にしてダブルケア(育児と介護を同時
 に行う)が大問題となる。2040年頃に向けて死亡数が激増し、火葬場不足に陥ると
 予測され、高齢者数がピークを迎える2042年頃には、無年金・定年金の貧しく身寄
 りのない高齢者が街に溢れかえり、生活保護受給者が激増して国家財政がパンクするの
 ではと心配される。
・少子化は警察官や自衛隊員、消防士といった「若い力」を必要とする仕事の人員確保に
 も容赦なく襲いかかる。若い力が乏しくなり、国防や治安、防災機能が低下することは、
 即座に社会の破綻に直結する。2050年頃には国土の約2割が無居住化することが予
 想される。さらに時代が進んで、スカスカになった日本列島の一角に、外国からの大量
 の人々が移り住むことになれば、武力なしで実質的に領土が奪われるようなものだ。
・求められている現実的な選択肢とは、拡大路線でやってきた従来の成功体験と訣別し、
 戦略的に縮むことである。日本よりも人口規模が小さくとも、豊かな国はいくつもある。
・われわれが目指すべきは、人口激減後を見据えたコンパクトで効率的な国への切り替え
 である。  
・年配者の中には、「自分たちは”逃げ切り世代”だから関係ない」と決め込んで、人口
 減少や少子高齢問題に無関心な人も少なくない。だが、誰もが決して逃げきれないこと
 に気づくはずだ。

【人口減少カレンダー】
2016年 出生率100万人を切った
・日本では少子化がハイスピードで進んでいる。2016年の年間出生数は約97万7千
 人にとどまり、初めて100万人の大台を割った。戦後の出生数のピークは敗戦間もな
 い1949年の約269万7千万人だから、70年弱にして3分の1近くまで落ち込ん
 だことになる。
・だが、真に懸念すべきは出生数が100万人を割ったことではなく、今後も出生数減少
 の流れが止まりそうにないことである。出生数はこれから急坂を転げ落ちるように減り、
 2065年には55万7千人、2115年には31万8千人まで落ち込むと予想されて
 いる。
・では、出生数の減少はどのような影響を及ぼすのだろうか?たとえば、人材の育成・確
 保を困難にする。子供の絶対数が激減するのだから、今までのように、各分野に人材を
 輩出できない。今後は絶対的な後継者不足に陥る。人材争奪戦の結果、特定分野に偏れ
 ば社会が機能しなくなることだってあり得るだろう。
・少子化を測るバロメーターに「合計特殊出生率」というのがある。1人の女性が生涯に
 出産する子供数の推計値のことだ。終戦間もない1947年には4.54だったが、直
 近の数値である2016年は、3分の1以下の1.44まで下がった。
・歴代の政権は、この合計特殊出生率を何とか上昇させようと取り組んできた。安倍政権
 もまた、結婚して出産したいという希望が叶った場合の出生率を「国民希望出生率」と
 定義し、それを1.8程度まで回復させることを目標としている。ところが残念なこと
 に、安倍政権のこうした懸命な努力すらあまり意味をなさない。あまり知られていない
 が、実は、合計特殊出生率が改善したとしても出生数が増えないからである。それどこ
 ろか、反対に減っていく。これこそが日本が目下突き付けられている「極めて厳しい現
 実」なのだ。少子化は進み、人口減少は止まらない。
 
2017年 「おばあちゃん大国」に変化 
・国連の定義では、高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)7%を超えると
 「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」とされる。日本は、戦後間もない
 1950年には高齢化率5%に満たない若い国であった。しかし、その後どんどん長寿
 化が進み、大阪万博が開催された1960年に、高齢化社会に突入した。そして、その
 24年後の1994年に高齢社会を迎えた。
・高齢化率が7%から14%に達するまで24年というのは、実は、世界的に見ても極め
 て速い。ドイツが40年、イギリスは46年、アメリカは72年、スウェーデンは85
 年を要し、フランスに至ってはなんと115年である。日本は群を抜いているのだ。
・高齢社会に突入した日本だが、高齢化が本番を迎えるのはこれからだ。高齢者数は今後
 600万人ほども増え、2042年に3935万人でピークを迎えるまで、増大を続け
 る。その一方で少子化も進むため、高齢化率は上昇を続ける。2065年には高齢化率
 38,4%となり「2.5人に1人」が高齢者という極めていびつな社会が到来すると
 予想されている。「4人に1人が高齢者」の現状でさえ「めっきり高齢者が増えた」と
 感じるのだから、2065年頃には、それこそ街中に高齢者が溢れかえることだろう。
・今後の日本の高齢社会とは、「高齢者」の高齢化が進んでいく社会でもあるのだ。一方
 で、65〜74人口は2034年までに概ね減少傾向をたどる。一億総活躍社会の実現
 を進める安倍政権は、労働力不足対策として高齢者の活用に期待をかけているが、企業
 などが”即戦力”として期待するような比較的若い高齢者(65〜74歳)はむしろ減
 っていくのである。
・「高齢者」の高齢化を考えるうえで、忘れてはいけないポイントがある。その主役が女
 性になるという点だ。男性に比べて女性のほうが長寿であり、「高齢者」の高齢化が進
 めば進むほど、女性高齢者の比率が大きくなるからである。  
・女性全体の人口に占める女性高齢者の割合は30.1%と、初めて3割を突破した。す
 でに日本人女性の3人に1人は高齢者なのだ。
・同じひとり暮らしでも、男性と女性とでは事情が大きく異なる。単独世帯の割合が最も
 大きい年齢層を見ると、男性の最多は25〜29歳(29.3%)だが、女性は80〜
 84歳(28.2%)なのである。
・男性の場合、就職したから結婚するまでひとり暮らししている人が多いが、女性の場合、
 子供が独り立ちした後、夫とふたりでの生活となり、夫が亡くなって独居というパター
 ンが多いということだろう。こうして、ひとり暮らしを始めた女性高齢者も、身体能力
 の衰えとともに、ひとりで暮らせなくなる日がいつかやってくる。    
・女性高齢者の都道府県を越えた移動率は、85歳以上で増える傾向が見られる。これく
 らいの年齢になると、都会に出た子供を頼って同居したり、高齢者施設への入所に踏み
 切ったりする人が増えるのだろう。    
・見過ごせないのは、身寄りがなく、経済的にも窮乏してひとり暮らしを続けざるを得な
 い人々だ。賃金の男女差が残っているとはいえ、現在では女性の社会進出が進み、これ
 から高齢者になる女性はもちろん一概に「貧しい」というわけではない。だが、すでに
 高齢者となっている世代の場合、貧しくないとは言えない。夫の遺族年金で十分な受取
 額が確保されているという人もいるが、無年金者、定年金者も少なくないからである。
・また、夫がなくなった途端、低収入となって生活が回らないというケースの多発が予想
 される。孤独死の増大も懸念されるが、仮に、こうした人たちすべてを生活保護などで
 対応したのでは国家財政はパンクする。
 
2018年 国立大学が倒産の危機へ
・政府は少子化対策に力を入れているが、結婚や出産というのは社会全体のムードが大き
 くものをいうため、ただちに出産数減少に歯止めがかかるわけではない。大学の規模の
 縮小や経営の効率化などといった弥縫策は通用しない。
・2016年度に、「入学定員割れ」した私立大学は前年度より7校増え、257校とな
 った。すでに全体の半数近い44.5%が学生を集められない事態に陥っている。要す
 るに、私立大学が半減してもおかしくないということだ。
・もちろん東京大学のような超難関校が定員割れをするわけではない。だが、大都市部に
 あって確固たるブランドを確立している伝統校であっても、18歳人口の絶対数が減れ
 ば成績優秀な学生を集めづらくなる。
・より深刻なのは地方大学だ。地方大学の場合、都市の大学よりも18歳人口の動向の影
 響を受けやすい。入学者の多くを地元出身者が占める傾向があるからである。とりわけ、
 出産可能な若い女性がと都会に転出してしまい、地元高校生の激減が見込まれる地域に
 立地する大学は、女憲政のパイを増やしてく作戦をとることはさらに難しい。成績優秀
 な地元受験生の受け皿となってきた国立大学でも死活問題となる。将来、倒産の危機に
 瀕する国立大学も出てくるだろう。
・国立大学出身者が就職したくなるような有力企業が地元に少ないのに、人口減少によっ
 て、その地域全体に展望が見出せなくなるとすれば、その有力企業の将来性にも翳りが
 見え始める。地元に残りたいと考えて地元の国立大学を選ぶ受験生にしてみれば、「地
 元で希望する職種に就けないから、最初から党秋の大学に進学したほうが有利だ」とな
 ろう。これにより、ますます地方大学離れが進む悪循環となる。
・政府は「地方大学を振興させるため」として、東京23区での大学の新設・増設を抑制
 する方針を打ち出した。東京一極集中に歯止めをかけるためには、地方から東京へとい
 う若者の流れを変えるしかないというわけである。政府の狙いは理解できなくもない。
 が、政府が地方創生の観点から多少テコ入れをしたところで、構造的な問題の解決には
 つながらないだろう。
・そもそも、星雲の志を抱いた優秀な若者が同世代との切磋琢磨を夢見て都を目指すとい
 うのは、古今東西、変わらないだろう。大学がどこに立地しているのかが問題なのでは
 なく、18歳人口の絶対数が減少することが課題なのである。新時代に対応できず、
 「歴史的な役目」を終えた大学が教育界から”退場”していくのは仕方のないことだ。
      
2019年 IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ
・年齢を重ねるのは人間だけではない。われわれの生活を支える道路や上下水道、市民ホ
 ールなどの社会インフラも急速に老朽化が進んでいる。多くは1960年代の高度経済
 成長期に集中的に整備されたものだ。2033年には、水門など河川管理施設の約64
 %、道路橋の約67%が、建設後50年以上になるという。建設から50年以上も経て
 ば、維持管理や更新の費用もバカにならない。その費用は勤労世代が減って「老いた日
 本」に重くのしかかるということだ。  
・問題なのは、人口減少がこうした老朽インフラのリニューアルを困難にしていることだ。
 勤労世代が減少していくので税収増はあまり期待できない。財政状況を考えれば、安易
 に公債発行に頼るわけにもいかない。社会保障費などが伸び続けており、インフラの維
 持管理や更新に潤沢な予算を割く状況にはならないのである。だからといって耐用年数
 を超えたインフラを使用し続ければ、思わぬ大惨事に発展しかねない。
・悪いことに、税収不足は自治体の職員確保も難しくする。マンパワーが減るのに、住民
 の側は広大な面積の市町村内にパラパラと住んでいる状況になる。これではとても行政
 の手は回らない。
・さらにインフラの維持・管理を困難にする要因がある。人口の年齢構成の変化に伴い、
 住民ニーズに合わなくなってきていることだ。高齢者数が急増する大都市部では介護施
 設や低所得の高齢者向け公共住宅などのニーズが拡大し、小・中学校などは過剰になっ
 ている。一方で、地方では市民会館や体育館などの利用者が減ってきている。こうした
 ミスマッチが運営費の確保を難しくしている。
・財源が限られる中、各自治体は利用者が少ない施設を統廃合したり、近隣自他体と共有
 する取り組みを迫られるが、人口が極端に少なくなった地区においては、水道、ガスと
 いった生活の基盤さえも”受益者負担”として大幅な料金引き上げを求めたり、提供そ
 のものを打ち切ったりするケースも避けられなくなるだろう。
・福島第一原発の廃炉は長期的に取り組まなければならない国家的な課題だが、原理力の
 分野でも将来的な技術者の確保が不安視されている。廃炉に関する知識や技術を受け継
 ぐ後継者が乏しくなったのでは、廃炉の工程を見直さざるを得なくなるだろう。
・技術者不足はどの分野も似たような状況だが、影響の大きさが考えればIT分野の人材
 不足こそ深刻に受け止めなければならない。AIには労働力不足の解決策としての期待
 が集まっており、政府も有力な手段になると位置づけている。ただ、現時点においては
 実用的な技術は限定的である。AI技術の実用化が労働力減少スピードに間に合うかど
 うかは分からない。AI技術というのは日本経済の成長にとって欠かすことができない
 ものである。イノベーションを起こそうにもIT技術を抜きにしては不可能だ。IT人
 材が手薄になるということは、成長の大きな足枷ともなるということだ。
 
2020年 女性の2人の1人が50歳以上に
・現在の日本の少子化に歯止めをかけるなど極めて難しい。仮に、少子化が止まるとすれ
 ば、それは遠い未来のことであろう。「ベビーブームが到来するかもしれない」と期待
 する人もいるだろうが、ちょっとやそっとのベビーブームが起こったぐらいでは、日本
 の少子化の流れは変わらない。これまでの少子化の影響で「未来の母親」となる女児の
 数が減ってしまっているためである。過去の少子化に伴う出生数の減少によって、すで
 に女児の数は少なくなっており、将来、子供を埋める女性の数が大きく減ってしまうの
 である。日本社会では、少子化が「さらなる少子化」を呼び起こす悪循環に陥っている
 のである。
・われわれにはどんな選択肢が残されているのか?できることといえば、少子化のスピー
 ドを少しでも緩めることである。人口半減までのペースが速ければ速いほど、その変化
 に対応するための時間が少なくなる。逆に言えば、合計特殊出生率がければ高いほど、
 人口減少スピードは遅くなり、社会を作り替えるための時間を確保できるのだ。少子化
 対策を講じるための「時間稼ぎ」をするという意味からも、合計特殊出生率を向上させ
 る取り組みを疎かにはできないのである。
 
2021年 介護離職が大量発生する
・親の介護をめぐる問題が、2021年以降、社会問題としてますますクローズアップさ
 れそうである。団塊世代に次いで人口ボリュームが大きい団塊ジュニア世代の先頭がこ
 の年、50代になり始めるからだ。
・介護保険財政の破綻を回避すべく、政府は制度の大幅な見直しを矢継ぎ早に進めている。
 「要支援」の一部を自治体に移管したり、特別養護老人ホームの入所基準を原則「要介
 護3以上」に制限したのに続き、サービスの自己負担上限の引き上げや、一定以上所得
 がある人の自己負担を3割に上げるなど、創設時とは制度の理念や姿が大きく変わった。
 だが、こうしたサービスの縮小はあらたな歪みをもたらす。最も懸念されるのが”介護
 難民”の大量発生だ。政府が「施設」から「在宅」へと介護政策の方針をシフトさせて
 いることに加え、急増する要介護者に施設整備が追いつかず、2016年時点で在宅
 (要介護3以上)の特別養護老人ホームの入所待機者は約12万3千人に及んでいる。
 ”介護難民”は増加の一途をたどり、2023年に約43万人、2040年には約47
 万人に達するとの試算がある。
・問題は介護施設建設の遅れだけではない。介護スタッフの離職率の高さがあって慢性的
 な人手不足状況にある。実際、スタッフ不足で閉鎖に追い込まれる施設もある。民間に
 よる有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)もあるが、入所費用が高
 く、利用者は限られる。一方、かつては受け皿になっていた社会的入院(治療の必要性
 が低くなっても病院に入院を続けること)も医療保険財政の悪化に伴い、認められなく
 なっている。
・受け入れ先がなければ、否応なしに「家族による支え」への期待が高まるだろう。とは
 いえ、女性の社会進出が広がり専業主婦が減った現状において、在宅介護を担う家族が
 不在である世帯も増えている。    
・働きながら介護する人が増えると、新たな問題も浮上する。辞職や転職を余儀なくされ
 た「介護離職」の増大だ。介護離職をした40〜50代男性の半数が「41〜50歳」
 の時に辞めていた。40〜50代といえば、多くの人が管理職や主要業務を任されるな
 ど様々な場面で中心的役割を担っていることだろう。企業にとって重要な人材を突然失
 う影響は計り知れず、働き盛りの介護離職を個人の問題として簡単に片づけるわけには
 いかない。
・離職された企業側のダメージのみならず、介護離職者にももちろん、厳しい現実が待ち
 受けている。在宅介護の費用は月額平均6万9千円。離職して収入が不安定になった家
 計に、この額は重くのしかかるだろう。
・要介護状態の親族が施設に入所できたり、亡くなるなどして介護から解放されたとして
 も、離職に伴うブランクは大きく、40〜50代で復職したり新たな仕事に就くことは
 容易ではない。
・なぜ働き盛りの介護離職者が増えたのだろう?背景の1つはもちろん少子化である。高
 齢者が少なかった時代は親類が支え合うことで高齢者の生活を見守っていたが、兄弟姉
 妹が少ない時代が親の介護を考える世代となり、支え合う人の数自体が少なくなったた
 めだ。介護の分担や金銭的援助を頼める人がおらず、老いた親をひとりで抱えるケース
 は珍しくない。
・働き盛りの介護離職は、団塊ジュニア以降の世代で一層増大することが予想される。出
 生率のさらなる低下に加え、未婚者が増加しているためだ。ひとりっ子同士の夫婦も多
 く、夫と妻が同時にそれぞれの親を介護するケースも増えるだろう。
・いまでは、親の介護を理由に転勤を断る人が確実に増えてきている。そうではなくとも、
 夫の転勤についていけば妻のキャリアが阻害され、単身赴任ではワークライフバランス
 が崩れるとして、「単身赴任を幹部社員に限定すべし」との声が出始めている。親の介
 護に携わる人の増大はこうした声を勢いづかせるだろう。介護離職や介護休業を取得す
 る人の激増は、経済停滞にもつながりかねない。遠くない将来にやってくる”大介護時
 代”への対応を誤れば、日本は沈没の道を進むことになる。
      
2022年 「ひとり暮らし社会」が本格化する
・団塊世代の先頭である1947年生まれが75歳となるのは2022年だ。夫が亡くな
 り、ひとり暮らしとなる女性が増える頃である。「ひとり暮らし世帯」の増加が本格化
 してくるこの年を、日本の「ひとり暮らし社会」元年と呼ぶことにしよう。
・ひとり暮らしの女性高齢者が増える理由として、平均寿命が延び、配偶者に先立たれる
 という要因が大きい。ひとり暮らし世帯を増やしているもう一つの要因は未婚者の増加
 である。男女ともほぼすべての年代で未婚率が上昇している。50歳まで一度も結婚し
 たことのない人の割合を示す生涯未婚率は、2015年には男性23.4%、女性
 14.1%に及んだ。家庭をつくらない人は珍しくなくなったのである。
・たとえ結婚したとしても、長続きするとはかぎらない。離婚の増大もまた、ひとり暮ら
 し世帯を増やす。近年では単純計算して「3組に1組」が離婚している。
・「子供と同居しない高齢者の増大」「未婚者の増加」「離婚の増加」というのは、一見
 バラバラに思われるが、実は密接に関係している。未婚や離婚でシングルになった若者
 たちも、やがて高齢者となるからだ。若い世代のシングル増大は、将来のひとり暮らし
 高齢者の増大を意味する。未婚や離婚の拡大が止まらない以上、ひとり暮らしが日本の
 主流になることは避けられないのである。それは「家族」消滅の危機でもある。「家族
 が社会の基礎単位」という考え方も成り立たなくなり、社会への影響は計り知れない。
・政府は地域包括ケアシステムを充実させ、住み慣れた地域で最期のときを迎えられるよ
 う、地域の協力を得て暮らし続けられる社会づくりを目指している。だが、「病院や介
 護施設」から「在宅医療・在宅介護」へとシフトしようにも、現実問題として家族の支
 えなしには移行できない。
・高齢男性のひとり暮らしも増大する見通しだが、これはとり厄介だ。一般的に「会社人
 間」として勤めてきた男性は、若い頃に地域コミュニティに参加した経験が乏しく、高
 齢になって急に地域社会に溶け込もうとしてもなかなか上手くいかない人が多いからだ。
・ひとり暮らしの高齢者が増えると、身の回りの不自由さや、孤立が懸念される。要介護
 状態に陥ったり、病気で動けなくなったりしても、手助けしてくれる親族が近くにいる
 とは限らない。近所に商店がなく”買い物難民”にでもなれば、それこそ死活問題であ
 る。  

2023年 企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる
・政府は「1億総活躍社会の実現」や「働き方改革」を掲げ、女性や高齢者などがそれぞ
 れのライフスタイルに合った様々な働き方ができるよう選択肢を広げようと急いでいる
 が、改革は緒に就いたばかりである。長きにわたり「若い男性」を中心に成り立ってき
 た日本の労働慣行が、直ちに改まることはないだろう。景気動向に左右される短期的な
 人手不足とは異なり、人口減少に伴う構造的な労働力不足は、一朝一夕に解決する問題
 ではないのである。
・労働力人口減少の影響は、経済成長やビジネスの現場だけでなく、日常生活にも深くか
 かわる。労働力人口となる若き世代は、社会を支える役割も担っている。地域コミュニ
 ティのリーダーとして活躍している人も少なくない。こうした人材が減ったのでは地域
 に活気がなくなる。地域の伝統行事や祭事の継承も難しくなる。高齢者や子供に対する
 地域の見守り機能は衰退し、治安維持や災害時の手助けもままならなくなる。
・労働力人口となる世代は消費のリード役でもある。購買力のあるこの世代が減ったので
 は消費も冷え込み、経済が停滞する悪循環をもたらす。結果として税収も落ち込み、地
 域によっては行政の予算編成がままならなくなる事態にもなりかねない。
・若者3人が高齢者1人を支える「騎馬戦型社会」から、いずれマンツーマンで支えなけ
 ればならない「肩車型社会」へ転換するという譬え話がかつて盛んに語られた。だが、
 すでに「騎馬戦」は成り立たず、もはや2.3人で1人を支えている状況にある。
・この問題の本質は、支え手の数が減ることだけにあるのではない。「肩車」の上に乗る
 高齢者の”体重”がずしりとのしかかるのである。高齢者の総数が増えるぶん、年金や
 医療・介護にかかる総費用も上昇する。今後も高齢者は増加傾向にあるが、中でも同じ
 調子で増え続けるのは75歳以上だ。75歳を超えると大病を患う人が増え、1人あた
 りの医療費が、74歳以下の5倍近くもかかるというデータもある。これは、若者が高
 齢者を支える仕組みの社会保障制度にとって悪夢だ。
・一方、「肩車」を下支えする若者はといえば、人数が激減するだけでも大変なのに、そ
 の足腰は弱い。非正規労働者が増大し、就職できずに親の支援を受けている人は珍しく
 なく、親が亡くなった途端、生活保護という人もいる。「肩車型社会」というのは、や
 せ細った若者が顔を真っ赤にして丸々と太った高齢者をかつぎあげている姿なのである。
・国の予算のうち社会保障はすでに30%を占めている。世界で最も速いペースで少子高
 齢化が進む日本にとって、国民の隅々にまで目配りして社会保障の充実を図っていくこ
 となど無理な注文だということが分かるだろう。「行財政の無駄を徹底的に削ればよい」
 とか、「経済成長すれば税収も増え、財源は確保できる」といった意見もあるが、行財
 政改革だけでは毎年1兆円近くも伸びる社会保障費を賄うだけの財源はとても捻出でき
 ない。 
・政府が追い求めるような、社会保障サービスを充実させながら、負担はある程度までで
 抑える「中福祉中負担」は幻想にすぎない。それなりの社会保障の水準を求めるならば、
 「超高負担」を受け入れなければならないし、あまり負担したくないのであれば、「低
 福祉」で我慢しなければならないということだ。社会保障サービスの縮小も、増税など
 の負担増も、経済成長も行政改革も、すべて同時にやらなければならないというところ
 まで日本は追い詰められているのである。
 
2024年 3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」へ
・「超・高齢者大国」が難しいのは、少子高齢化が全国一律に進むわけではない点だ。地
 域によって進み具合は異なる。これまでは地方が先行してきたが、今後は東京圏をはじ
 めとする大都市部で急速に進むことも予想される。急速な高齢化は重度の患者や要介護
 者の激増を生む。とりわけ東京圏では、こうした人たちに対応する医療機関や介護施設
 の整備が追いつかない状況が懸念される。
・戦後の日本は核家族化が進んできたが、少子高齢化が重なることで、過去には想定され
 ることのなかった問題が一気に噴き出してきている。その代表例が「老老介護」だ。
・「老老介護」とは、介護される側も、介護する側も高齢者ということだが、その対象は
 配偶者だけとは限らず、親も子供も高齢者という状況もある。介護する側も要支援や要
 介護認定を受けているというケースも少なくない。
・政府は社会保障費の抑制に向けて、医療・介護を「病院完結型」から「地域完結型」へ
 シフトさせようとしている。老後も住み慣れた地域で暮らし続けられるようにというの
 がキャッチフレーズだ。その具体策として、24時間対応の訪問サービスを中心に、医
 療や介護・生活支援などを一体的に提供する「地域包括ケアシステム」構想を描いてお
 り、今後は在宅サービスをどんどん増やす考えだ。だが、高齢者のひとり暮らしや夫婦
 とも高齢者という世帯が増えるのでは、「地域包括ケアシステム」が政府の思惑通りに
 機能するとは思えない。そもそも日本全体で勤労世代が減っていくのに、医療・介護人
 材だけを増やすわけにはいくまい。いくら診療報酬や介護報酬を上げても、在宅向けサ
 ービスの量的拡大にはおのずと限界がある。
   
2025年 ついに東京都も人口減少へ
・人口減少は世界的な大都会である東京にも容赦なく襲いかかる。
・働く口が多い東京圏は、地方から若者を吸い上げることで、街としての「若さ」を保っ
 てきた。このため、東京一極集中の是正策といえば、地方の雇用創出や地方大学の活性
 化など、若者の流入をいかに抑制するかが重要だった。しかし、今後は若きエキスを吸
 い上げようにも、地方に若者はいない。
・だが、当面は東京の人口は増え続ける。では、激減する若者に代わって東京に流入する
 のは、いったい誰なのか?その答えは、地方のひとり暮らしの高齢者である。80代に
 なった親が、東京圏に住む40〜50代の息子や娘を頼って、同居や近居を選ぶケース
 はすでに目立っている。こうした流れが強まり始め、やがて新たな社会混乱を引き起こ
 すだろう。東京圏では高度経済成長期に地方から移り住んだ”かつての若者たち”が、
 年齢を重ねて急速に高齢化が進みつつあり、医療機関や福祉施設の不足がより一層深刻
 になるからだ。
・団塊世代が85歳以上にとなる2034年には、東京に流入する高齢者は、目に見えて
 増えてくるだろう。一方、大都市ではビジネス中心の街づくりをしてきたため、とりわ
 け介護の基盤整備が遅れている。施設整備率は低く、在宅サービスも整っていない。家
 族や地域の支援をあてにしようにも、住宅の狭さを手伝って、3世代同居の割合は低く、
 交際関係は職場中心という人が少なくない。
・私は、東京一極集中は日本の破綻につながると考えている。東京は食料やエネルギーの
 供給も地方に頼っている。その地方から人材をとことん吸い上げて、地方が機能しなく
 なったのでは、東京自身の首を絞めることに他ならないからだ。
    
2026年 認知症患者が700万人規模に
・「老老介護」と並んで、2025年を過ぎた頃から大きな社会問題となってくるのが、
 ずばり認知症患者の急増だ。認知症は、誰もが、いつ発病してもおかしくない病気であ
 る。患者はなにも高齢者とは限らない。働き盛りに発病する人もいる。増えるのは50
 代後半からだが、40代以下の患者もいる。もはや、「国民病」といえよう。交通事故
 や悪徳商法に巻き込まれたり、万引きを起こしたりすることも少なくない。「若年性」
 の場合、仕事が継続困難になり、約70%の人が「収入が減った」というからさらに深
 刻だ。
・当然ながら治療法の確立が急がれるが、根治できる薬物療法はいまだ存在しない。特別
 養護老人ホームなどの施設も不足している。厚生労働省は対策を急ぐが、早期診断のた
 めの医療機関の整備は遅れ、相談に応じたりする仕組みに必要となる専門医、病状を十
 分理解してケアできる介護職が圧倒的に足りず、専門人材の育成も遅れている。
・介護する家族のほうが、自分を分かってもらえないつらさから疲弊しやすく、体調を崩
 したりする。結果的に、病院などに患者を預けざるを得ないケースが少なくない。介護
 生活に耐切れずに要介護者を殺害したり、介護者が自殺したりするケースも目立つ。認
 知症を患いながらひとりで暮らす高齢者世帯の増加も進む。
・この頃には医療費の伸びが大きな課題となる。一方、生産年齢人口は、すべての都道府
 県で減る。社会保障制度とは若い世代が高齢者を支える仕組みであるだけに、制度の運
 営に懸念が募るばかりだ。  
・社会保障制度の破綻を回避すべく、政府は自己負担を増やしたり、サービスをカットし
 たりと涙ぐましい努力を重ねるが、これを賄い続けることは至難の業であろう。もし、
 このまま負担増と給付の抑制を繰り返していけば、保険対象となる医療の範囲は大きく
 縮み、少々具合が悪いくらいでは医療機関で受診できないという時代が到来するかもし
 れない。
・それ以前の問題として、病床が足りなくなる。しかも、少子化が進めば、医師や看護師
 の地域偏りも予想される。ベッドの数だけ増やしても、十分な医療サービスを提供され
 るとは限らない。

2027年 輸血用血液が不足する
・少子高齢社会の懸念のひとつに「医療の崩壊」がある。医療保険財政の破綻や医師不足
 への懸念だ。だが、これとは別に、忘れてはならない危機がもうひとつ横たわっている。
 手術や治療に必要となる輸血用血液の不足である。あまり話題にならないぶん、こちら
 のほうが深刻かもしれない。
・これまでは10〜30代の献血によって血液供給が担われ、50歳以上がこれを利用し
 てきた。献血が可能な年齢は16〜69歳までだが、少子化によってこの年齢層が全体
 として先細りとなっていく。
・啓発の強化は行うに越したことはないが、それだけでは問題の解決にはならない。少子
 高齢化で需要と供給のバランスが大きく崩れてしまうからだ。少子高齢化が進めば、血
 液製剤を使用する患者は増え続け、献血できる若者の絶対数は減っていく。
・輸血といえば、交通事故など緊急時の手術に使われることをついついイメージしがちだ
 が、どんなに最先端の医療機器が揃った病院であろうが、輸血用の血液が足りなければ、
 適切な治療を施せないのである。
・「病院に行けば助かる」という常識が崩れ去るのは、何も輸血用血液の不足だけが要因
 ではない。少子高齢化はあらゆる角度から、医療に対する国民の常識を打ち砕くことに
 なる。たとえば、政府は医学部の定員を増やしたり、新たな医学部の設置を認めたりと
 医師不足に力を入れてきたが、医師の人数を確保したからといって医療がうまく回り始
 めるわけではない。少子化が進めば、看護師も薬剤師も病院の事務スタッフも十分に確
 保できなくなるからである。 
・少子高齢化とは、こらまで「当たり前」と思ってきた日常が、少しずつ、気づかぬうち
 に崩壊していくことなのである。
 
2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える
・2030年度には全国の80%にあたる38道府県で、域内の供給力では需要を賄い切
 れなくなる生産力不足に陥ると予想される。少子化に加え、若者の都会への流出が進む
 ことで、地方での生産年齢人口が極端に減ることが主たる要因である。
・生産力不足に陥れば、所得税や法人税といった地方税収の落ち込みに直結し、地方自治
 体は地方交付税への依存度を高めることになるだろう。それは地域間格差がいま以上に
 拡大し、地方自治体の自立性までもが損なわれるということだ。 
・生産力が不足すれば、住民の暮らしに不可欠なサービスも維持できなくなる。われわれ
 は、日々の暮らしをするうえで、自宅周辺のお店に行く。だが、スーパーマーケットや
 美容院、金融機関にしても、ある程度の顧客数が見込める地域にしか店舗を維持できな
 い。
・2040年時点での人口規模が2万人以下になるとペットショップや英会話教室が、1
 万人以下では救急病院や介護施設、税理士事務所などが、5千人以下になると一般病院
 あ銀行といった日常生活の中でよく利用するサービスまでもが姿を消す。

2033年 全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる
・世帯数の減少に応じて住宅の数も減れば、空き家率の上昇は抑制可能だが、住宅は個々
 の国民にとっては「生活のベース」であり、「生涯をかけて守るべき財産だ」という人
 は少なくない。そう簡単に、住宅に対する国民の意識が大きく変わるとは思えない。も
 ちろん、人口減少に伴って新設住宅着工戸数は減っていくとの試算もあるが、総住宅数
 が世帯数の減少以上にのスピードで減ることは考えにくい。
・2033年の空き家率は30.4%にまで上昇するという。つまり、全国の約3戸に1
 戸が空き家となってしまうのである。空き家が増大すれば、景観が悪化するだけでなく、
 倒壊の危機が増し、犯罪も誘発する。廃墟ばかりの殺伐とした区域が広がれば、街全体
 のイメージが悪くなり、住民の流出も加速するだろう。やがて地域社会全体が崩壊する
 ことにもつながる。
・これは人口が大きく減った地方特有の問題というわけではない。大都市部においても確
 実に空き家は増える。駅からバスに乗り継がねばならないような住宅地では、空き家が
 目立ち始めた。築年数の古い中古物件など大幅値下げしても買い手がつかないのだ。東
 京23区内の閑静な住宅街でも、しばしば空き家を見かけるようになった。これからは、
 都心の雑居ビルでも、立地によっては空き部屋が目立つようになるだろう。
・空き家と聞くと、「朽ち果てた一軒家」のイメージが強いが、実はマンションも少なく
 ない。2013年の空き家総数820万戸のうち、約60%はマンションなどの共同住
 宅だ。マンションの場合、空き家が増えると管理組合が維持できなくなる。管理体制が
 悪化すれば借り手も減る。この点、賃貸であっても、「深刻な物件」に転じやすい。所
 有者が遠方にいる「投資型」などは管理がおろそかにされがちで、未入居の増加に拍車
 をかけているとも言われる。賃貸も含め、1棟のうちの半数しか入居していないマンシ
 ョンも珍しくなくなった。こうなると物件価値も低下し、スラム化の道を歩み始める。
 マンションの解体は戸建て以上に大変だ。建物が頑丈なために費用がかさむだけでなく、
 所有者の利害が複雑に絡むからだ。今後、大都市圏を中心に「スラム化した老朽マンシ
 ョン」が増大すれば、新たな社会問題として国民に重くのしかかることになろう。
・空き家はなぜ増えたのか。最大の要因は住宅の供給過剰だ。1968年以降、住宅総数
 は総世帯数を上回っている。2013年で818万戸の超過である。これでは、立地や
 使い勝手がよほどよくない限り、簡単に売却・賃貸することなどできないだろう。しか
 も、少子化で相続する子供が減った。相続人がいても、都会に出た若者が”田舎の家”
 には価値を見出せない例も多い。少子化が進めば、さらに空き家は増えよう。
・「新築志向」の強さも空き家が増え続ける理由だ。政府も、住宅ローンの控除など、新
 築住宅の開発を促す政策を推進してきた。住宅取得が進めば、家電製品や家具などの需
 要が伸びることから、歴代政権にとっては分かりやすい「景気浮揚策」だったわけだ。
 人口の減少が避けられないことも、それゆえに空き家対策が必要なことも分かっていな
 がら、人気政策を優先せんがために目をつぶり、空き家対策どころか空き家数の増大に
 拍車をかけるような政策を講じてきたのである。
・新築住宅の推進政策は、その歴史的役目をとっくに終えている。中古市場の活性化や既
 存住宅の有効活用を図っていかなければ、われわれは”悪夢”を目の当たりにする。
   
2035年 「未婚大国」が誕生する
・日本では婚外子は2.3%(2015年)と極端に少ない。一方で、妊娠が結婚に先行
 する「でいちゃった婚」で生まれた第1子は25.3%(2009年)を占める。結婚
 と出産を一体と考える人が多いということだ。出産に結びつく婚姻の減少こそが少子化
 の最大の要因だと指摘される所以であり、婚姻件数の減少に歯止めがかからなければ、
 一層少子化が進むことになる。  
・50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合を「生涯未婚率」と呼ぶ。生涯未婚率
 は1990年を境にうなぎ上りで、現状(2015年)でも男性は24.2%、女性は
 14.9%だが、2035年になれば、男性は29.0%、女性は19.2%となり、
 「未婚大国」が誕生する。
・なぜ、生涯未婚率がこうも急上昇を続けるのだろうか?調査によれば、25〜34歳は
 男女とも「適当な相手にめぐり合わない」が群を抜く。これに対し、各自治体は「出会
 いの場の提供が必要だ」ということで婚活支援に取り組み始めたが、必ずしも芳しい結
 果が表れているわけではない。ミスマッチが生じているためだ。
・内閣府の意識調査報告書によれば、男性は20代、30代とも年収300万円未満で未
 婚率が多い。女性の場合は年収600万円以上の30代で目立つ。単に出会いの場を設
 定すればよいわけではないのである。
・既婚者に出会いのきっかけを尋ねると、トップは「社会人になってからの仕事関係」で
 男性31.1%、女性33.9%だ。そして意外に多いのが、高校や大学時代の出会い
 が結婚に発展しているケースだ。最近の傾向としては、同級生同士の結婚が増えている
 のである。   
・未婚者の中にも、結婚したくてもできない人もいれば、自分に意思で結婚しない人もい
 るが、男性の85.7%、女性の89.3%が「いずれ結婚するつもり」と回答してい
 る。平均希望結婚年齢を聞くと、男性30.4歳、女性28.1歳で、男女とも20代
 で相手を見つけたいと考えている人が少なくないという結果となった。
・深刻なのが、恋人のいない若者の急増である。交際相手のいない未婚者(18〜34歳)
 が男性で69.8%、女性は59.1%に上った。極めて高い水準である。
・「とくに交際を望んでいない」と回答した人でも、男性は未婚者全体の30.2%、女
 性は25.9%に及んでいる。
・なぜ、若者は恋愛をしなくなったのだろうか?社会学者などは「インターネットの普及
 で情報過多になり、恋愛というプロセスそのものに関心をなくした」と分析する。「恋
 愛が面倒」が男性47.3%、女性45.0%。「恋愛に興味がない」との回答は男性
 25.3%、女性30.7%。交際上の不安については、男女とも3人に1人が「自分
 には魅力がない」と思っており、女性の24.9%は恋愛感情を抱けるかどうかを悩ん
 でいる。   
・「恋人がいない」状況が長期化したことによって自信を失い、恋愛や結婚が難しいこと
 を正当化しようという意識が働き、それが消極姿勢として現れていると考えられる。
・興味深いのは男性の34.2%、女性は47.6%が「交際相手との結婚を考える」と
 している点だ。「結婚に結びつかない恋愛はあり得ない」ということだろう。これにつ
 い、ても、「結婚相手となるような相手が簡単には見つかるはずもない」ということを、
 恋人がいない言い訳の1つにしているところがあるのだろう。
・交際に対しては消極姿勢が目立つが、結婚に対する意欲は強い。男女とも「ある年齢ま
 でに結婚する」が、「理想的な相手が見つかるまでは結婚しなくてもかまわない」を上
 回っている。     
 
深刻な火葬場不足に陥る
・人間はだれしも、遅かれ早かれ、いつかは最期の時を迎える。日本は高齢社会にあるが、
 次にやってくるのが「多死社会」ということになる。2016年の年間死亡者数は、約
 130万8千人で戦後最多を更新した。2030年には160万人を突破し、2040
 年には約168万人でピークを迎える。その後もしばらくは160万人レベルで推移す
 る。   
・死亡者数の増大で懸念されることと言えば、斎場や火葬場の不足だが、とりわけ逼迫し
 そうな地域が、高齢化が急速に進むと見られる東京圏である。実はすでに、場所や時間
 帯によっては1週間や10日間程度待たされるケースは当たり前となっている。斎場や
 火葬場の空きを待つ時間が長くなれば、その間、霊安室を利用せざるを得ない。火葬の
 日まで遺体を預かる「遺体ホテル」と呼ばれるサービスも登場しているが、今後は葬儀
 にかかる出費がかさんできそうである。
・東京圏郊外のかなり遠いエリアに範囲を広げて、斎場や火葬場の空きを探す人もいる。
 それどころか、「どうせ自宅から離れた土地で行わざるを得ないのならば、故人の出身
 地に帰ってはどうか、との発送から、「お葬式はふるさとで」と呼びかけるところまで
 登場した。 
・東京圏の高齢化はこれから本格化する。これだけ死亡者数が激増するのでは、こうした
 急場しのぎの取り組みだけでは、とても対応できないだろう。
・大死亡時代には、もうひとつ大きな社会問題が横たわる。ことらも、その予兆が見え始
 めているが、無縁遺骨の増大である。近年、ひとりっ子同士の結婚が増え、極端に親族
 が少ない結婚式に招待された人も多いと思うが、それは葬儀においても同じである。家
 族層などが増えたことでもわかるように、近親者が少ない人が多く、会葬者は減る傾向
 にあるのだ。   
・それどころか、子供がおらず、頼れる親戚もいないというひとり暮らしの高齢者は少な
 くない。こうした高齢者には火葬費用の負担を捻出できない人も含まれる。親類があっ
 ても関係が希薄だったり、残された身内は超高齢者だけという例もあったりと、「人が
 亡くなれば、親族が引き取り、弔う」というかつての”常識”が崩壊し始めているのだ。
・死者の火葬を担う人がいない場合、「墓地埋葬法」などによって、死亡した場所の市区
 町村長が火葬し、遺骨もその自治体が引き取るが、ひとり暮らしの高齢者の増大ととも
 に納骨堂が満杯になる自治体が相次いでいる。
・遠い親戚に何とか葬儀を引き受けてもらい、火葬場を順調に予約できたとしても安堵す
 るのはまだ早い。少子化に伴い、お墓を受け継ぐ子孫がいないという事例も増えてきて
 いるのだ。管理する人が不在の「無縁墓」になることへの懸念も広がっている。
・故郷から都市部に改葬する人も増えてきているが、高齢者が集中する東京圏などでは今
 後、ますます霊園不足が予想される。一方、地方のお寺などでは、都会に流出した人た
 ち向けに「永大供養」を引き受けるところも増えているが、お寺も少子化の例外ではな
 い。跡取り不足に悩み、廃寺となるところも出てきている。
    
2040年 自治体の半数が消滅の危機に
・2017年4月時点で、秋田県の人口が100万人を割り込んだ。2040年までに、
 全国の自治体の半数が将来的な「消滅」の危機にさらされる。「日本創成会議」の将来
 推計では、県庁所在地である青森市や秋田市まで「消滅」の対象にされているため、地
 方自治体関係者に与えるショックは相当なものがあった。
・「高齢者数はどんどん増える」というのも思い込みであり、これも”常識のウソ”に加
 えてよい。同じ高齢者でも、65〜74歳は2016年が頂点であり、増えるのは75
 歳以上だ。
・地方の人口減少スピードを少しでも遅らせるための対策を急がなければならない。とい
 うことで、安倍政権の政策の一つである地方創生は、東京圏への一極集中の是正を大き
 な柱として掲げている。地方の人口減少と東京への流入は表裏の関係にある。若者の東
 京圏への流出を防ぐことか地方の死活問題なのだ。
・実は、ここでも重要な視点が欠落しがちだ。往々にして東京に住む人が今後味わう”医
 療・介護地獄”が忘れられるからである。これは近い将来、深刻な社会問題になること
 だろう。東京一極集中の是正を考える場合、この問題の解決を避けて通ることはできな
 い。  
・東京は、日本最大の医療集積地であるが、ビジネス中心の街づくりをしてきたため、介
 護を要する高齢者用のベッドが極度に不足している。
・東京都の介護施設利用者数が2025年には2010年の定員数の2.5倍程度まで膨
 れ上がると指摘されている。とはいえ、地価が高い東京で高齢者向けの病院や施設を新
 設するのは容易ではない。しかも、政府は社会保障費の抑制に向けて、病院や介護施設
 から在宅医療・介護へのシフトを進めており、施設整備が一挙に進むとは考えづらい。
・老後も東京圏に住み続けるのは、介護難民に陥るリスクを覚悟するようなものだ。
・こうしたアンバランスを考えれば、退職後は東京から地方に「脱出」するのもひとつの
 選択肢となろう。東京一極集中と地方の人口減少という2つの課題の同時解決ともなる。
 人口減少時代は、国民一人ひとりにどういう老後を選ぶかを問うているのである。
 
2042年 高齢者人口が約4000万人とピークに
・なぜ高齢者数が2042年にピークを迎えるかといえば、団塊世代に次いで人口ボリュ
 ームの大きい団塊ジュニア世代がすべて高齢者となっているためだ。
・高齢者の絶対数が増えれば、高齢者向けサービスの絶対量も増やさざるを得ない。総人
 口に占める高齢者の割合は2042年以降も伸びるのだが、高齢者向け施策は人数が一
 番多くなる同年に合わせて進めなくては間に合わない。その社会コストはかなり大きく
 なるだろう。
・2042年問題の深刻さは、単に高齢者の絶対数がピークに達するだけではない。むし
 ろ、手を打たなければならないのは、社会の支え手である勤労世代が大きく減ることで
 ある。     
・さらに「2042年問題」を厳しくしている要素がある。この頃になると、貧しい高齢
 者が増えると予想されるのだ。というのも、団塊ジュニア世代というのは、バブル経済
 崩壊後の不況期に新卒者だった「就職氷河期世代」でもあり、思うような職に就けなか
 った人が多い。運よく正社員になった場合でも、勤務先の経営状況が芳しくなく昇給が
 滞って低賃金のまま年齢を重ねてきた人も少なくない。
・こうした人たちの生活は、親が亡くなった途端に破綻する。つまり、老後に向けた貯蓄
 が乏しく、低年金、無年金という高齢者が将来的に増大するのだ。もちろん、親の残し
 た財産や土地を相続できる人もいるだろうが、人口減少社会では不動産の価値も大きく
 目減りする。親が自分自身の老後生活のために預貯金を使い切ってしまうというケース
 が今後増えるとみられる。仮に、こうした貧しい世代の老後をすべて生活保護で対応し
 ようとすれば、20兆円近い追加費用が必要になるとの試算もある。この世代を支える
 「次の世代」は人数が少ない。
  
2045年 東京都民3人の1人が高齢者に
・「高齢者は地方ほど深刻だ」と思いたくもなる。だが、高齢者数の増え方に目を転じれ
 ば、まったく異なる結果が表れる。
・2040年の東京都の高齢者数は、2010年に比べ約144万人増えて412万人と
 なる。1.5倍増だ。東京都以外でも、神奈川県は約109万人増、埼玉県は約73万
 人増、愛知県約71万人増、大阪府約70万人増と大都市部で軒並み増える。一方、高
 齢化率の上位3県といえば、秋田県は約1万5千人減、高知県は約760人と微減、島
 根県は5千人近く減る。
・なぜこのようになるかと言えば、65歳人口が減る地方の地自体というのは、もはやす
 っかり高齢化して高齢者人口が増えようもないからだ。若者がそれ以上に減るため、高
 齢化率が高水準に見ているというわけである。医療や介護のニーズが、高齢化率よりも
 高齢者数によって決まると考えれば、これから高齢者対策に追われるのは地方ではなく、
 大都市部であることが分かるだろう。
・「高齢化は地方ほど深刻」と誤解されていたのは、高齢者数の増加を意味する「高齢化」
 と、総人口に占める高齢者の割合が増える「高齢化率の上昇」とを混同していたことに
 由来する。つまり、高齢化率が上昇するのは少子化が原因という誤解である。こうした  
 誤解は往々にして「高齢化問題を解決するには、少子化対策に全力で取り組むしかない」
 という奇妙な理屈になる。
・だが、少子化対策が功を奏して出生数が劇的に増えたとしても、高齢者の絶対数が減る
 わけではない。そして、高齢者が多いから「子供が生まれにくい国」になったわけでも
 ない。高齢者数が増える「高齢化」と、子供の数が激減することを表す「少子化」とは、
 まったく種類の異なる問題なのである。
・もうひとつ大きく誤解されてきたことがある。「地方から人口流入が続く大都市部では、
 若者が増え続ける」との錯覚だ。生産年齢人口について、2010年と2015年の国
 勢調査で増減を比較してみると、東京都は約11万6千人減っている。「首都圏白書」
 によれば、首都圏では2000年を境に減少を続けている。「人口は増えているのに、
 生産年齢人口は減っている」というのが、この十数年の間に、東京周辺で起こっていた
 ことなのだ。
・大都市部は地方の若者を吸い尽し、“源泉”は枯渇寸前だ。新たな若者の流入など期待
 できない。若者の数が減れば少子化も加速する。少子化も高齢化も、今後は大都市部の
 自治体で深刻な問題を引き起こす。要するに、日本の少子高齢化と人口減少の実態は、
 大都市部と地方都で大きく異なっているのだ。大都市部では総人口はあまり減らず、高
 齢者の実数だけが増えていく。これに対して、地方では総人口は減少するが、高齢者の
 実数はさほど増えるわけではない。この事実を国会議員や官僚はしっかり理解してこな
 かったから、歴代政権の対応が方向違いや、後手に回ることになってきたのである。
・大都市部で高齢者数が激増する最大の理由は、現状において若い世代が多いことである。 
 すなわち、”高齢者予備軍”が多いということだ。多くの人は年老いても故郷に戻るこ
 となく、大都市部に住み続ける。故郷に残してきた年老いた親を呼び寄せるケースも少
 なくない。これまで、大都市部は地方から若者をかき集めることで出生率の低さを穴埋
 めし、街としての「若さ」を保ってきたが、そのことが皮肉にも急速な高齢化を呼び起
 こしているということである。こうして、ますます大都市部に高齢者が集まる。
・東京圏をさらに詳しくみると、実に興味深いことが明らかになる。2035年には東京
 23区を取り巻くように高齢化率50%程度の自治体がずらりと並ぶのだ。郊外の自治
 体が、高度成長期に流入した人の受け皿になってきたことを証明している。やがて東京
 郊外にもゴーストタウンが登場することだろう。
・大都市部の自治体の多くはこれまで、企業活動や若者中心の利便性を優先した街づくり
 を進めてきている。いまさら介護施設や福祉サービスを整備し、高齢者が暮らしやすい
 街へと作り替えるとなれば、莫大なコストを要する。
・とはいえ、大都市部の若者世代が急速に減るわけではないから、高齢者向け以外の既存
 の行政コストを大幅削減するおも難しい。しかも、その若者世代も年々高齢化するので
 街の風景は変わらざるを得ない。「シャッター通り商店街」という言葉が地方の衰退ぶ
 りを表す代名詞となって久しいが、今後は大都市部でも、これまでのようにはモノが売
 れなくなるだろう。いまは渋谷や原宿、青山といった繁華街は、若者向けファッション
 を扱うおしゃれな店舗が軒を連ねているが、そう遠くない将来、その多くがシルバー向
 けファッションを中心に扱うようになるかもしれない。
・勤労世代が減れば、税収増も期待できず、高齢者向け政策を展開しようにも財源が追い
 つかない。財源問題を解決するには、自治体は税金や社会保険料のアップと、行政サー
 ビスのカットを同時に行う「ダブル負担増」に踏み切るしかない。しかも、高齢者は長
 期的に増えるため、それは繰り返し行わざるを得ない。つまり、大都市部に住み続ける
 限り、負担増サービス低下に繰り返し見舞われるということだ。住民の生活水準は低下
 し、街そのものが活気をと魅力を失う。やがて、大都市部の自治体は行き詰るだろう。
・一方、若者を大都市部に吸い取られてきた地方はどうだろうか。すでに高齢化が進んで
 おり、死亡する確率の高い年齢に達した高齢者も多い。天寿を全うして死亡する高齢者
 と新たに高齢者に加わる人々の数とが同水準であれば、差し引いたその総数は横ばいに
 なる。死亡数が多ければむしろ、減ることもあるというわけだ。こうした地方では、既
 存の高齢者施設などをうまく利用しれば、新たに高齢者向けサービスを増やすことなく、
 十分やりくりできるだろう。高齢者対策に追われなくて済めば、社会を作り替える時間
 的余裕が持てる。    
・これは、人々の流れに変化を与えるきっかけとなる。負担が増え続け、魅力も乏しくな
 る大都市部に見切りをつけて、住みやすい地方への移動を考える人や企業が出てくるだ
 ろう。才覚ある自治体の首長ならば、誘致に積極的に乗り出すかもしれない。これから
 は、豊かな地方が大都市部の人口を吸い上げる時代となるかもしれないのだ。
      
2050年 世界的な食料奪還戦に巻き込まれる
・2015年に73億5千万人だった世界人口は、2050年は97億3千万人になる。
 2050年時点での世界人口を養うために要する食料生産量は2000年の1.55倍
 に引き上げなければならないという。それはつまり、日本がこれまで通り食料輸入を続
 けられるか分からなくなるということだ。国家単位で食料確保を考えたとき、2050
 年頃の日本が世界的な食料争奪戦に巻き込まれることは避けられない。

2065年 外国人が無人の国土を占拠する
・2050年には離島振興法の対象の有人離島のうち、約10%が無人島化する可能性が
 あるのだ。言うまでもなく、国境離島や外洋離島は排他的経済水域の重要な根拠となる。
 エネルギーや鉱物資源確保、漁業や海上輸送の自由と安全な航行など、海洋秩序を守る
 ための大きな国家的役割を担っているのだ。だが、そうした期待に応じられるのも、そ
 こに住民が住んでいるからである。より多くの人が住み、主権が明確なほうがよいとい
 うことだ。もし、不法占拠をたくらむ国があったとしても、人が住んでいれば国際社会
 の目が気になって簡単には手が出せない。無人島が増えれば、それだけ自衛隊や海上保
 安庁が目を光らせなければならないエリアが増え、その分、日本の防衛力自体が低下す
 る。
・無人島までにはならなくても、住民が激減すれば同じことが言える。島民が極端に少な
 くなったところに、もし特定の国の人々が大勢住み着いたとしたら・・・その島はどこ
 の国のものだかわからなくなる。こうした懸念はすでに現実ものになりつつある。たと
 えば長崎県の対馬だ。韓国資本などの土地取得が次々と進み、観光客が大挙して押し寄
 せるため、嶋はだんだんと韓国抜きには成り立たなくなってきている。
・人口減少社会においては、人の住むエリアも必然的に縮小する。すでに、多くの自治体
 で空き家の急増が社会問題となっているが、2050年には、現在の居住地域の約50%
 から60%へと拡大する。2065年以降さらに時代が進めば、日本列島はスカスカな
 状態になるだろう。少なくなった日本人が、日本列島にまばらに住んでいる情景が目に
 浮かぶ。  
・政府内に、外国人労働者の大量受け入れや永住権付与の緩和を進めようとの動きが強ま
 っているが、日本人が激減する状況において、いたずらに外国人を受け入れたならば、
 日本人のほうが少数派となる市町村や地域も誕生するだろう。「反日」の国が悪意を持
 って、自国民を大規模に日本に送り出す事態も想定しておかなければならない。いまだ
 に外国人参政権の付与を主張する政治家もいるが、これを安易に認めれば、議会や地方
 行政を外国人に牛耳られかねないということである。
・かなり前から、外国資本による北海道の水源地などの買収が問題となってきたが、国際
 的な水資源の争奪戦が続いている中で、日本人が本当に少なくなった時代に、外資が狙
 うのは水源地だけとは限らない。特定の自治体や地域の土地を集中的に買い占めること
 になれば、武力侵略されることもなく、合法的に日本国内に”外国の領土”ができるの
 と等しい。
・日本人が激減していく状況で外国人が増えれば、日本人のほうが少数派となる市町村や
 地域が、全国各地に誕生することも想定しておかなければならないのだ。無節操に外国
 人移民を受け入れたならば、取り返しがつかなくなる。
・少子化に伴って、自衛官や警察官、海上保安官、消防士といった”若い力”が求められ
 る職種でも、例外なく後継者不足に陥る。たとえば、自衛官の場合、2016年の自衛
 官数は23万人弱であるが、少子化が進むとこの規模を維持することすら難しくなる。
 若い隊員がすでに減少し、全体の年齢構成が高齢化していることに、防衛省は危機感を
 募らせている。ちなみに、自衛隊で十分な人数を確保できなくなったとしたら、どうい
 うことになるだろうか。参考にすべき事例が、東日本大震災である。被災者の救助に当
 たったとき、自衛隊は本来の業務である国防を怠るわけにはいかないはずだったが、自
 衛隊の総数23万人のうち、一番多いときには、10万7千人を被災地に投入したのだ。
・たしかに、当時の日本は非常事態の中にあり、半数近い自衛隊員を投入したのはやむを
 得ない判断ではあった。が、結果として国防はギリギリの態勢を迫られることになった。
 国際社会の現実でもあるが、こういう非常時の日本をまるで試すがごとく、周辺国から
 は戦闘機が飛来し、日本列島を一周したことを覚えている人は少なくないだろう。
・尖閣諸島をきっかけに、国会などでよく「国境警備をもっと強化すべきだ」と主張され
 るようになったが、”若い力”を安定的に確保できなければ、こうした声にも対応でき
 ない。「安全・安心」の担い手不足は、日本社会が成り立たなくなることに直結する。
・もし、政府の対策が功を奏さず、このまま少子高齢化が放置されたならば、2065年
 以降の日本は取り返しのつかない状況に追い込まれるだろう。否応なしに、日本人は日
 本列島からどんどん姿を消していく。
・人口が激減しスカスカになった国土には、税収不足で予算確保がままならず、老朽化し
 たインフラが放置されている。若き自治体職員が不足して十分な行政サービスが行き渡
 らない地域がたくさん誕生し、そうした土地にさえ、ひとり暮らしの老いた高齢者がパ
 ラパラと住み続ける。
・一方、都会の駅では1つしかないエレベーターの前で順番待ちをする高齢者が長い列を
 つくる。乗客は電車やバスの乗降に時間がかかるため、公共交通機関の遅れは日常茶飯
 事だ。    
    
【日本を救う10の処方箋】 
・われわれは、人口が減少していくという、世界史においても、”極めて特異な時代”を
 生きている。しかも、少子化も高齢化も歯止めがかかる見通しはなく、この極めて特異
 な時代はかなり長期間にわたって続きそうである。
・人々は豊かな暮らしを実現するために経験から学び、あるいは先達の知恵を借りるもの
 である。だが、極めて特異な時代には、こうした手法は通用しない。あまりに変化が大
 きく、しかもスピードが速すぎるためだ。ここからの未来は、過去からの延長線上には
 ない。
・求められているのは、「これまでのやり方」や過去の常識を否定し、発想を大胆に転換
 することだ。人間というのは易きに流れがちだ。現実逃避の心理が働くだろうか、「目
 標」というより「願望」に近い甘い見通しや計画がなくならない。典型例が、安倍政権
 が掲げる「50年後に人口1億人程度の維持」という政府目標だ。具体的な数値目標を
 掲げたことは評価したいが、出産可能な女性の激減を考えれば、この数字を達成するの
 は無理な話であろう。それよりも、「日本全体で人口が減る」現実をしっかりと受け止
 め、実現可能な目標に向かって対応策を考える必要がある。
・日本の難しさは、人口減少をもたらす出生率の減少、高齢者数の増加、そして社会の支
 え手である勤労世代の減少という、それぞれ要因の異なる3つの課題に同時に立ち向か
 わなければならないところにある。しかも、これらは全国一律に進むわけではない。
・「現在の大人たち」は何をすべきなのだろうか。この世代に突きつけられている最大の
 ミッションは、社会の支え手、労働力不足の解消である。
・働き手世代の減少によって、後継者が見つからず、やがて成り立たなくなる企業・業種
 も出てくるだろう。働く人は消費者でもある。その減少は消費の落ち込みでもある。労
 働力不足は日本社会全体を覆い、国力が衰退することを意味している。労働力の不足を
 解消すれば、人口減少によってもたらされる社会の激変を少しでも和らげられる。する
 と、次の世代が対策を考える時間をより多く生み出せる。それは次世代に向けた「責務」
 だともいえる。   
・現在の解決策として政府が進めようとしている具体的対策は、「外国人労働者」「AI」
 「女性」「高齢者」の4つの選択肢に大別される。
・日本の生産年齢人口は2015年から2040年までの25年間で1750万人近く減
 ると推計される。そのすべてを外国人で穴埋めするというのは無理だろう。「外国人の
 受け入れ=開かれた国」といった理想論を語るだけでは済まされない現実があることも
 忘れてはならない。たとえば、多くの国民が不安を感じる治安の悪化だ。大規模に受け
 入れたヨーロッパ諸国ではテロや暴動、排斥運動が起こるなど混乱を来している。無節
 操に外国人を受け容れれば、日本も社会の分断を招くだろう。伝統や文化の変質も避け
 られない。天皇への敬意や地域に伝わる祭り、伝統行事の継承への不安を口にする人は
 少なくない。 
・子供をたくさん産むのが当たり前の「多産文化の国」から来た移民が、日本に永住後も
 多くの子供を出産する、出生率の”押し上げ効果”を織り込んでいると考えるのが自然
 だ。日本人の出生率の低さを勘案すれば、移民としてやってきた人と日本で誕生したそ
 の2世の合計数が、日本人を上回る日が遠からずやって来るということだ。人口減少下
 で移民を大規模を受け容れる政策は、人口規模を維持することと引き替えに、日本人が
 少数派になることを許すものだと認識すべきである。「国のかたち」は変容し、われわ
 れが認識する日本とは全く違う「別の国家」となるだろう。永住権の取得者が増えてい
 けば、「高齢になる前に母国に帰ってもらえばいい」などという”都合のよい考え方”
 は通用しなくなる。その影響はかなり長期に及び、国家としての深部に至ることを覚悟
 せねばならない。今後は日本人の高齢者の増加に加えて外国人高齢者も増えるので、高
 齢化に拍車がかかることになる。彼らが何歳で来日するのかにもよるが、保険料の支払
 期間が短ければ無年金・定年金者が増え、将来の生活保護受給者増につながる。
・そもそも、どこの国からやってくるというのだろうか?「外国人労働者」と聞けば、送
 り出し国としてアジアや南米をイメージする人も多いだろうが、これらの国々も少子高
 齢化が進んでいく。しかも、これらの国々は経済発展を続けている。母国が豊かになる
 のに、言葉の壁が立ちはだかる日本がいつまでも魅力的な国であるとは限らない。
・私も、SF映画が描くような、AIがあらゆることをこなす社会の到来を心待ちにして
 いる1人である。だが、人間の知能を凌駕し、人々が「仕事で奪われる」ことを真剣に
 懸念しなければならないレベルに達する見通しは立っていない。”夢物語”の域を出て
 いないのだ。それ以前の問題として、AIの開発者たちが”人口減少後の社会”をどう
 描いているかがよく見えてこない。AIは大量のデータを学習することで精度を上げて
 いく。「正解」が明確で定型的な仕事にはその能力を発揮するが、その「正解」は人間
 が定義している。われわれが求めているのは、現状の業務をAIに置き換えるだけの作
 業ではなく、人口が大きく減った時代の課題にAIをどう活用するかで大きく変わって
 くる。開発者たちがAIを使った未来図を描くことなく、単なる精度競争に引きずられ
 たならば、人口減少社会の課題解決に役立たぬものにしかならない可能性だってあるの
 だ。 
・女性の労働参加を阻害する要因はいまだ無くならない。もっと柔軟な働き方を認めてい
 けば就労可能な人は増えるだろう。だが、男性に適した仕事、女性が得意とする仕事と
 いうのは残る。男性労働者の減少分すべてを女性が穴埋めしていくというのは、少々考
 えづらい。女性には、妊娠・出産、子育てに充てる時間もある。
・高齢者も多くの企業が定年延長を含めて雇用延長の流れにあり、元気に働く高齢者は増
 えていくだろう。ただ、これから増えるのは75歳を超えた、「高齢化した高齢者」で
 あって、企業が期待するような「若き高齢者」は、むしろ減る。女性も高齢者も、長年
 の労働慣行の打破が不可欠なだけに、それに手間取るなら、大きくは当て込めない。
・私が言いたいのは、4つとも決定的な切り札とはなり得ないということだ。そこで私は、
 5つ目の選択肢として、「戦略的に縮む」ことを提言したい。当面われわれは人口が減
 少することを前提にせざるを得ない。いつまでも現在の体制や仕事のやり方にしがみつ
 いていられるわけではないのだ。どうせ縮まざるを得ないのならば、切羽詰ってから対
 策を考えるより、時代を先取りし、”小さくともキラリと輝く国”を自分たちの手でつく
 りあげたほうがよい。取り組むべきは、人口が少なくなっても社会が混乱に陥らず、国
 力が衰退しないよう国家の土台を作り直すことである。コンパクトで効率的な社会に作
 り替えれば、社会全体が必要とする「働き手」の規模そのものを小さくできるのではな
 いか。労働力人口が仮にこれから1000万人減ったとしても、社会全体で必要とする
 「働き手」が1000万人不要となれば、労働力不足問題は発生しない。

「高齢者」を削減
・与野党とも年金の最低保障機能を強化すべきだとして、税投入額を増やす議論にまっし
 ぐらだが、これでは、高齢者の暮らしが贅沢になれば、最低保障機能もそれにつれて強
 化し続けなければならなくなる。現実問題として、その財源確保は簡単ではないだろう。
 ならば、老後生活にかかる費用のほうを少なくしればよい。年金額を抑え込むには、安
 い賃金で入れる高齢者向け住宅を政府が整備する。食費や医療費を切り詰めることは難
 しいことから、住居費にバリエーションをもたせるのである。選択肢として低家賃の高
 齢者住宅が用意されていれば、むしろ心強いだろう。空き家も増え続けるので、こうし
 た物件をうまく活用すれば予算をかけずに整備できよう。これを新たな公共事業にすれ
 ばよいのである。 
・もっと大胆なアイデアを示そう。増え続ける「高齢者」の数を減らしてしまうのだ。減
 らすといっても、姥捨て山のような、物騒なことをしようというわけではない。65歳
 以上を「高齢者」と位置づける現在の定義を変更するのである。健康で長生きする人は
 確実に増えた。過去50年間を振り返っても”シルバー像”は大きく変わったと実感す
 る人も多いだろう。65歳を超えても「老け込むのはまだ早い」と考える人は多い。
 60歳そこそこで定年退職を迎え、引退するのはいくらなんでも早すぎる。そこで仮に、
 高齢者の線引きを「75歳以上」へと引き上げてみよう。同時に現行14歳以下となっ
 ている「子供」の定義も「19歳以下」とする。いまや15歳で就職する人はごく少な
 いからだ。この新たな年齢区分で、高齢者1人を何人で支えればよいかを計算し直すと、
 未来は違った姿となる。2025年は「3.7人で1人」2042年でも「3.2人で
 1人」、2065年は現在と同水準の「2.4人で1人」で、肩車型社会は避けられる。
 高齢者から外れる65〜74歳の多くが働くのが当たり前の社会となれば、労働力不足
 も社会保障の財源問題も大きく改善することだろう。74歳までを勤労世代というのは
 現実的ではないと言うのであれば、「70歳以上」で線引きしてもよい。
・もちろん、単に年齢区分を見直しただけではうまく機能しないだろう。いくら60代、
 70代に元気な人が多くなり、データ上では肉体的に若返ったといっても若者世代とす
 べてが同じとはいかない。健康状態に関する個人差は、年齢を重ねるとともに大きくな
 りがちだ。「死ぬまでは働かせるつまりか」と反発する人もいる。定年延長には、若い
 人の昇進が遅れて組織全体としての活力がそがれたり、若者の雇用そのものを奪ったり
 することになるとの懸念もある。しかし、わずか50年で勤労世代が40%も少なくな
 るという「国家の非常事態」である。これまでの慣習や仕組み、ルールなどを一から見
 直さなければ、少子高齢社会は乗り越えられない。
  
24時間社会からの脱却
・第の処方箋は、「便利過ぎる社会からの脱却だ。「過剰サービス」を見直すことで、不
 要な仕事そのものを無くす。あるいは社会全体の労働時間を短くすることで、そこに必
 要とされる働き手を減らすのである。日本の「便利さ」は先進国の中でも突出している。
 たしかにこうした利便性が、日本経済の成長を押し上げてもきた。しかし、労働人口が
 減り、働き手も高齢化していく以上、いつまでもこうしたビジネススタイルを続けるわ
 けにはいかない。まずは「24時間社会」の発想をやめるべきだ。
・ただ、「便利過ぎる社会」から脱却するには、顧客の意識を変えることこそが最も重要
 なポイントだ。私も含め、日本の消費者は安価できめ細かなサービスを受け取ることに
 慣れ過ぎてしまった。だが、「便利さ」や「無料」とは、誰かの必要以上の頑張りや犠
 牲、我慢の上に成り立っていることに想いを馳せよう。商品コスト以上のサービスを享
 受すれば、必ずどこかにしわ寄せを受ける労働者がいるのである。
・「すべてを昔の通りの不便な形に戻せ」と言っているのではない。どんな仕事にも”程
 度”や”頃合い”があるということだ。超高齢社会を迎えて、外出が不自由な人や手助
 けを必要とする高齢者も増えている。こうしたサービスを担う人手を確保するためにも、
 不要不急のサービスを見直し、「不便さ」を楽しむぐらいの社会としての余裕を持ちた
 い。  
 
非居住エリアを明確化
・第3の処方箋は、非居住エリアを明確化することだ。人が住む地域と、そうではない地
 域とに国土を色分けし、コンパクトで効率的な国に作り替えるのである。人口が激減し
 日本列島はスカスカな状況となった後も、人々が思い思いの土地に住むのでは、行政コ
 ストから考えてあまりに効率が悪い。山の中の数軒のために、道路や水道などの公共イ
 ンフラを整備し続けることは非現実的である。民間サービスだって行き渡らず、”買い
 物難民”や”医療難民”を生むことにもなろう。
・そこで、居住エリアを決めて人々が市街地区域に集まって住むようにするのだ。エリア
 では社会インフレが整備され、住民が不自由なく暮らせるだけの行政サービスや民間サ
 ービスが提供される。人口密度を保つことで「にぎわい」も維持できる。業務も効率的 
 に進められるので、働き手の人数そのものを減らすことも可能だ。ヒト、モノ、カネが
 集約すれば、ビジネス面でも情報や技術の共有、波及が起こりやすくなるメリットもあ
 る。  
・コンパクトな街づくりといっても、駅前などの中心市街地に寄せ集めるばかりが方法で
 はない。一から開発計画を立てるのではなく、地域内に多数の拠点をもうけ、公共交通
 機関で結ぶ「多極ネットワーク型」のほうが現実的であろう。コンパクトシティでは、
 自家用車がなくても用事を済ませられるかがポイントとなる。商業施設や公共施設、病
 院を計画的に再配置し、歩きたくなる街を目指すのだ。たとえば、中心市街地は車の進
 入を禁止し、公共交通機関で移動する。歩道を拡幅し、大きな広場も整備する。人々が
 自然と歩きたくなるような雰囲気の街ができれば、消費が伸びるだけでなく、健康増進
 にもつながっていく医療費の削減効果も期待できる。 
・人口減少を織り込んだ「市街地縮小計画」を策定し、老朽化した公共施設は居住エリア
 で建て直す。住宅開発や新規店舗、道路や上下水道の補修も居住エリアを優先し、日常
 生活に必要なサービスを集約していく。非居住エリアから居住エリアへの転居を求める
 人々には、移転費用を支援する。非居住エリアに住み続けたいという人には”受益者負
 担”の考え方を導入し、公共料金や税金の負担増を求められるような制度にする。非居
 住エリアは、大型農業や新産業を生み出す集積地などに転じていくのである。居住地域
 の拡散が続ければ、結局は生活できなくなる地域が広がるだけだ。追い込まれる前に、
 「戦略的な国土の活用」を考えなければならない。

都道府県を飛び地合併
・第4の処方は自治体の線引きの見直しだ。人口が極端に減り、その大半が高齢者という
 自治体では行政サービスを安定的に提供し続けられるだろうか?若い職員をなかなか確
 保できず、ベテラン職員ばかりが大多数を占める役場では、大規模災害が起こったとき
 に迅速に住民誘導できるかも疑わしい。
・人口激減社会で求められるのは市区町村の枠組みに縛られない対応であり、住民の生活
 圏に即した施策の展開である。現代の自治体というのは、人口が増えるのが当たり前の
 時代にできるものだ。人口減少社会ではコンパクトな街づくりが欠かせないが、「戦略
 的に縮む」ためには、既存の自治体の線引きはむしろ邪魔になりかねない。
・よく話題に上る「道州制」構想も同じだ。人口が減る隣接県が寄せ集まって「道州」を
 形成してみたところで、人口減少は解消しない。道州内における都市部の人口が集中し、
 ”消滅エリア”を拡大させるのがオチである。   
・ひとり暮らしや高齢夫婦のみの世帯が多い東京のような大都市では介護施設を必要とす
 る人が増えるが、整備率は低く、在宅サービスも整っていない。整備しようにも地価が
 高く簡単にはいかないのである。一方、高齢化が先行していた地方では人口減少が進ん
 で、高齢者の絶対数も減っているため介護病床に空きが出てくる。ならば、地方側は土
 地提供をはじめとし、大都市の住民向けの介護施設整備などに協力しればよい。両者が
 手を結ぶことでこうしたミスマッチは解消される。代わりに、人材も豊富で財政規模も
 大きい大都市部の自治体が、提携する地方の自治体を、人的にも、財政的にも支援する。
・自分の住む土地や故郷に愛着を持つのは自然な感情である。地域への思い入れが日本人
 の多様性、奥深さを生んできたのも事実だ。だが、地域を大切にすることと、現行の行
 政区分を維持することは必ずしも一致しない。地方創生だって市区町村を残すことが目
 的ではなく、人口減少社会に対応し得る統治機構として見直す作業である。
  
国際分業の徹底
・これまでの日本社会は規模を競ってきた。人口がどんどん増えてきた時代というのは、
 「数が多いことはいいことだ」とばかりに規模で勝負する国づくりに努めてきた。たが、
 こうした「大量生産・大量販売」の発展途上国型ビジネスモデルは、若い労働力が豊富
 だからこそ可能だった。少子化では続けることができない、販売先も縮小する。安く作
 った製品は海外向けだけでなく、国内でも売られてきた。日本といえば、加工貿易国と
 いうイメージがあるが、国内に先進国としての巨大なマーケットがあった国なのである。
 人口が減れば、国内の巨大マーケットがなくなる。
 
「匠の技」を活用
・労働力人口が減る中で経済を成長させていくには、これまで以上の生産性を向上させな
 ければならない。そのためには少人数で上質な製品を造る。「少量生産・少量販売」の
 ビジネスモデルを選択することもある。こうした「少量生産・少量販売」に成功してい
 るのがイタリアだ。かなり小さな村にも独自のデザイン力、技術力で世界の圧倒的シェ
 アを占める商品や製品がある。世界中からバイヤーなどの関係者が訪れる光景も当たり
 前だ。働き手が減る中で生産性を上げるには、玄人を唸らせるような”こだわりの逸品”
 の生産へと重点を移していくことだ。そこで活用したいのが、全国に眠る職人技枝だ。
 日本の地方企業や伝統工芸には世界に通ずる「匠の技」がいくつもある。「匠の技」だ
 けで海外に売ることは難しいかもしれないが、他業種の製品づくりや最先端技術と組み
 合わせることで「ジャパン・オリジナル」のブランド製品を造ることは可能だろう。
 
国費学生制度で人材育成
・出生数の激減が続く中で、社会を機能させるには、まず、どの仕事に、どれぐらいの数
 の人材を要するかを十分に把握し、長期育成計画を立てることである。国として必要な
 人材を確保するには、育成した分野や人材像を明確にすることが不可欠だ。それは将来
 のイノベーションの成否にも大きく関わる。
・政府は高等教育の無償化に向けて給付型奨学金や、新たな財源確保策の検討に入ってい
 るが、すべての進学希望者に一律支給するのではなく、国として確保したい分野で学ぶ
 学生に優先江配分する制度とすべきだろう。さらに、人口減少社会に対応し、将来の国

中高年の地方移住推進
・第8の処方箋として、日本版CCRC普及による中高年の地方移住の推進を挙げたい。
 CCRCのお手本は米国にある。「大学連携型CCRC]と呼ばれるコミュニティが全
 米に広がっているのだ。リタイア後のまだ元気なうちに都会から移住し、大学キャンパ
 スで学生生活を楽しみ、体が弱って医療や介護が必要となったら、同一敷地内にある大
 学病院直結の分院や介護施設で不安なく最期まで暮らせる地域共同体である。これを日
 本流にアレンジするのだ。対象として想定するのは、ずばり50代だ。50代といえば、
 サラリーマンなら出世レースの先が見え、定年退職を意識し始める頃だろう。定年後に
 再雇用で社会に残るのも選択肢だが、「何かやり残したことがある」と考える人には年
 齢的にラストチャンスともいえる。だが、いざ行動に移すことになると二の足を踏む人
 は多い。友人関係を一から作り直すのは面倒である。何より、その地域に伝わる冠婚葬
 祭などの”しきたり”になじめるのかが不安だ。こうした懸念を払拭するために、「永
 住」ではなく、期間限定の”お客さん”としてまずは移住するのである。
・政府や自治体には、地方に高齢者向け住宅を大量に建設し、安く提供することで移住を
 促そうとの構想がある。だが、楽しみがなければ定着は難しい。大自然に憧れて田舎暮
 らしを始めたものの、1年も経たないうちに都会に舞い戻った人は数知れない。その点、
 知的好奇心を満たすことは、地方に住み続けたい気持ちを高める大きな魅力となるだろ
 う。 
・私が提唱しているのは「もう一度大学生プラン」だ。CCRCを地方大学の近隣につく
 る。若者たちが通う大学の隣接地にして、世代を超えた交流も生まれれば素晴らしいこ
 とだ。キャンパスを闊歩すればそれだけで気持ちも若返るだろう。新たな出会いが待っ
 ているかもしれない。新天地で青春を取り戻すのである。介護施設や「老人ホーム」の
 イメージとは訣別し、まるで若者が集まる街のような生き生きとして「シルバータウン」
 を創設するのである。
・移住するにあたって最大の悩みは生活資金の確保だが、定期借家権の活用で解決できる。
 都会の自宅を5年契約で貸し、移住先に家を借りるのである。都会の自宅の賃料と移住
 先の家賃の差額を収入の足しにするというわけだ。定期借家権の契約期間が終了した時
 点で”卒業”して都会の自宅に戻るか、地方に住み続けるかを選択する。地方に残る人
 は、生涯学習として大学に通い続ければよい。
    
セカンド市民制度を創設
・私が考えている具体的アイデアの1つは、人間ではなく、蔵書を”地方移住”させる
 「知の巨人村」構想である。定年退職を迎えた大学教授を抱える学術書や資料、美術品
 を、人口が減る地方年が保管するのだ。大学教授にとって研究室の膨大な書物を、退職
 後にどうするかは悩みの種だ。手狭な自宅マンションに持ち帰るわけにはいかず、泣く
 泣く古書店に売り払うケースも少なくない。そこで、受け入れ自治体は、空き家や公的
 施設をリフォームして書庫を用意し、保管料を受け取る。書庫内に机と椅子も設置すれ
 ば、元教授たちにとって定年後も研究室を持ち続けられるようなものだ。研究者にとっ
 て収集した書物や資料は「何とか残したい財産」だ。在職時代にやり残した研究を完成
 させるため、月に何度か足を運ぶ人もいよう。
 
第3子以降に1000万円給付
・日本では未婚で出産する女性は少ないことを考えれば、第1子対策は結婚支援が最も効
 果的といえる。真っ先に取り組むべきは雇用を安定させ、出会いに恵まれない人のきっ
 かけをつくることである。お見合いの復権にも期待したい。第2子を増やすには長時間
 労働の是正だ。だが、こうしたありきたりの対策だけでは十分な効果をあげられないと
 ころまで、日本の少子化は追い込まれている。待たれているのは、子供を持つことに大
 きなメリットを感じられるような対策が必要だ。子供の数が多ければ多いほど、経済的
 に優遇される仕組みを導入することである。そこで思い切って、第2子以降には、子供
 1人につき1000万円規模を給付する制度を導入してはいかがだろう。
 
おわりに
・わずか50年で日本の総人口は現在の70%の水準となり、100年後には40%にま
 で落ち込む。しかも国民の半分近くが高齢者という歪な社会が到来する。ここまで凄ま
 じいベースで人口が減っていくのでは、日本社会はあらゆる場面で混乱に陥るだろう。
・なぜ、ここまで事態が深刻化する前に、手を打たなかったのか。少子高齢化や人口減少
 というのは、太陽が昇っては沈んでいくのを観察するようなものなのだ。昨日と今日、
 今日と明日とを比べてみたところで違いは分からない。だが、5年、10年といった単
 位で比べれば明らかに高齢者は増え、出生率は少なくなっている。人口も減っている。
 すなわち、人々が日常生活の中ではなかなか実感が湧かない問題であることが、対応が
 遅れた最大の要因なのである。
・自分たちの将来にどう影響するか実感できないから、危機感は芽生えにくい。問題意識
 を持っても、何をすればよいのかわからない。対策は政治家任せ、役人任せとなる。だ
 がそうして無責任な姿勢はもう許されない。総人口が大きく減り始めた今こそが、日本
 の分岐点である。いま努力を怠ったならば、本当に貧しい国へと逆戻りしていくことだ
 ろう。われわれは自分たちの手で将来を変えていくしかないのである。
・人間は将来への不安を抱いた途端、子孫を残そうとは思わなくなるものだ。すなわち、
 日本の人口を維持し、将来的に増加させるには、弥縫策を繰り返すのではなく、トップ
 リーダーたる首相が、若者が希望を抱けるような”夢のある未来”を語る必要がある。
・「50年後の1億人程度」の人口規模を維持するという政府目標はスローガンとしては
 勇ましいが、これが本当に”夢のある未来”なのか。日本人が極度に減りゆくという現
 実がある。それを外国人で辻褄合わせしたならば、「国のかたち」は大きく変質してし
 まう。忘れてはならないのは、日本は現在を生きる人々だけのものではないということ
 だ。次の世代に、この国をしっかり引き継いでいかなければならない。      
・国会の論戦にも、ひと昔前に比べれば、人口減少が話題に上る機会は増えたとはいえ、
 人口減少によってどんな未来が到来するのか、それに備えてどんな対策を講ずるべきな
 のか、掘り下げた議論はほとんど聞かれない。官僚は前例主義が大原則であり、予算編
 成も前年度の実績を踏まえるなど小さな枠に入っていきがちだ。人口減少に備え、国家
 の土台を作り替えていくには、さまざまな分野、角度から検討が不可欠だが、政治家や
 官僚だけですべての分野を網羅できるはずもない。幅広い分野から専門家を招いて議論
 する場が必要となるだろう。
・「人口減少対策会議」の設置を提言したい。「会議」は政権が代わっても政策に切れ目
 が生じないよう、常設機関とする必要がある。そこには日本中の識者が集い、人口を大
 きく減らしても、息の長い取り組みを要する出生数増策もメインテーマの1つとなる。
・人々の価値観の変化を促し、社会を作り替えるためには「人口減少対策会議」が全行政
 分野の課題を洗い出し、具体的な政策として練り上げていくことが肝要である。官民が
 一致した新たなニーズに応えるサービスを生み出していくことが、技術面でのイノベー
 ションを促すだろう。結果として、少子高齢社会の課題解決にも結びついていく。
・人口減少問題には、巨大な船がすぐに航路変更できないのと同じく、即効性のある対策
 は存在しない。50年、100年先を見据えて政策を打っていかなければならない。こ
 うした点を踏まえれば、「人口減少対策会議」では世代を超えて情報を共有し、世代が
 変わるごとに政策を見直していく必要がある。時代の変遷とともに、国際情勢は変わり、
 日本社会のあり方もどんどん変わっていく。人口減少対策とは、こうした変化も踏まえ
 ながら、世代のリレー方式でじっくり腰を据えて議論すべきテーマなのである。