国のために死ねるか      :伊藤祐靖

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筆者は元自衛官。戦後の日本の自衛隊に初めて「特殊部隊」を創設した人物である。
「国のために死ねるか」これは、自衛官たちの自分自身への「根源的な問い」なのかもし
れない。公よりも私欲を優先していそうな日本の政治家たちの命令で「殺し合い」に行か
なければならないという自衛隊の役割。果たして、何の疑問もなく国ために死ねるのか。
自衛隊に軍事行動を発動するということは、日本という国家が、その権力により自衛官に
殺害を命じ、同時にまた殺害されることもあるということだ。平和や国防うんぬんを論じ
るとき、そして国家の意志を示すとき、時の政府もそして我々国民も、このことをしっか
り認識しておかなければならない。

はじめに
・軍隊というものは、自己完結型の組織である。震災のようにインフラが打撃を受けたよ
 うな場所においてでも、自分たちだけで活動ができる。輸送、通信、炊飯、補給、経理、
 医療等々、直接戦闘行動に関係のない職種も多く保有しているからであり、彼らなくし
 て継続的な戦闘行動は不可能である。そういった軍隊の中でも、敵陣に入り込み、孤立
 無援の状態においても自己完結して、作戦行動をとることができる部隊がある。それが
 特殊部隊である。 
・我が国は、陸海空いずれの自衛隊も特殊部隊を保有していなかったが、2001年、海
 上自衛隊内に初の特殊部隊である特別警備隊(特警隊)を創設した。
・自分も、自分が生まれた国も、何かを大きく間違えていると思った。右だの左だのとい
 ったイデオロギーの問題ではない。この身を捨てるに値する何が日本という祖国にある
 というのか。その根本が分からなくなってしまった。
  
海上警備行動発令
・今、日本は国家として医師を示そうとしている。あの船には、拉致された日本人がいる
 可能性がある。国家は、その人たちを何が何でも取り返そうとしている。だから、我々
 が行く。国家がその意志を発揮する時、誰かが犠牲になれなければならないのなら、そ
 れは、我々がやることになっている。その時のために自衛官の生命は存在する。
・胴体には防弾チョッキのつもりか、「少年マガジン」が、ガムテープでぐるぐる巻きに
 してあった。そんな滑稽な姿なのに、私は彼らに見とれた。十分前とは、まったく別人
 になっていたからだ。悲壮感は欠片もなく、ニコニコはしていないが、清々しく、自信
 に満ちて、どこか余裕さえ感じさせる、美しいとしか言いようのない表情だった。特攻
 隊で飛び立って行った先輩たちも、きっとこの表情で行ったに違いない。私はそんなふ
 うにも感じた。 
・「あとはよろしくお願いします」。そのあまりにも重すぎる一言に、私は大きく頷くこ
 としかできなかった。そして、二つのことを考えていた。一つは、彼らを、政治家なん
 ぞの命令で行かせたくない、と思った。彼らの表情はなぜ美しいか、それは、彼らが
 「わたくし」というものを捨て切っていたからだ。短い時間のうちに出撃を覚悟し、多
 くの欲求を諦めていった。そして、最後の最後に残った彼らの願いは、公への奉仕だっ
 た。だから、そうやって「わたくし」を捨て切った彼らを、それとは正反対の生き方を
 しているように見えてしまう政治家なんぞの命令で行かせたくなかったのだ。
・そしてもう一つ、「これは間違った命令だ」とも考えた。立入検査隊員の彼らは、自分
 の死を受け入れるだけで精一杯だったのだ。任務をどうやって達成するかまで考えてい
 ない。しかし、世の中には、「まあ、死ぬのはじょうがないとして、いかに任務を達成
 するかを考えよう」という者がいる。この任務は、そういう特別な人生観の持ち主を選
 抜し、特別な武器を持たせ、特別な訓練をさせて実施すべきであって、向いていない彼
 らを行かせるのは間違っている。
・わずか70年前には、本当に向いていなくても、決して戻ってくることのない出撃をし
 ていく光景は、日常的に繰り返されたかもしれない。そうして「わたくし」を捨てた人
 間の表情は美しかっただろうが、それを美談として語り継ぐだけでは、先輩の死は浮か
 ばれない。向いていない者にこの厳しい任務を強いるのは、日本国として、これを最後
 にしなければならない。そのために日本は、特殊部隊を創設するべきだ。
・公に殉じるなんて考えたこともなさそうな北朝鮮の将軍様と、公よりも私欲を優先して
 いそうな日本の政治家の命令で、俺たちは、殺し合いをするのか。
・艦長に対しては、正直、上官として尊敬していたわけでも、人間的に魅力を感じていた
 わけでもなく、むしろ逆の感情のほうが強かった。しかし、想像を絶する重圧の中、
 いちぶの邪心も保身もなく、ただひたすらに無言で任務をまっとうしようとする姿は、
 「統御」を体現していた。幹部学校でたまたま教官という配置についた者が唱える台詞
 は、実のない美辞麗句ばかりだが、それとは正反対だった。「統御」とは、もっとシン
 ブルで簡単なことだった。指揮官が、ごまかし、背伸びなしに、ただひたすらに任務を
 まっとうしようとすれば、組織内の各個人は、自ら「指揮」されようとする気持ちがわ
 き上がる。
・特殊部隊員同士は、生まれてきた理由も、生きている目的も、命より大切にしているも
 のも、すべてが一致している。それは、ただただ任務達成なのである。その任務を何が
 なんでも成し遂げようとしている時、意思疎通に言語を必要としなくなる。特殊部隊で
 は、銃撃戦の最中であろうと、漆黒の海の底であろうと、仲間に自分の心中をさらけ出
 し、仲間の心中を想い、仲間の心中を感じようとする姿勢が、どんな技術よりも体力よ
 りも必要とされる。 
・あの日、我々は、任務を完遂できる可能性がゼロなのを何人もの者が知っていながら、
 若者たちを工作母船の立入検査に投入しようとした。その当事者たる彼らは、すっきり
 と不思議な満足感に満ちた目で行おうとしていた。日本は、そういう目で死地に赴く若
 者を、二度と出してはならない。そのために、特殊部隊は不可欠だった。
・普通の人生観を持つ者でも突入だけならできるが、特別な人生観の持ち主でなければ、
 その任務を完遂することはできない。特殊部隊員に必要なのは、覚悟でも犠牲的精神で
 もない。任務完遂に己の命より大切なものを感じ、そこに喜びを見いだせる人生観だ。
 満足感と充実感と達成感のために己の生命を投げ出せる者を集め、育て、研ぎ澄ませて
 おかなければならない。この国が本気で特殊部隊を創ろうとするならば、絶対にその観
 点を外してはならない。
・戦うも亡国、戦わざるも亡国。戦わずしての亡国は、魂までも喪失する民族永遠お亡国
 なり。たとえ一旦、亡国になろうとも、最後の一兵まで戦い抜けば、我らの子孫は祖国
 護持の精神を受け継いで、必ずや再起三起するであろう。
・日本は、現在、国として何を理想としているのかをはっきりさせていない。国際協調も
 大切で、国連もいいだろう。しかし国連憲章に従って国の針路を決めるわけではない。
 独立国として目指すべき理想は、過去に縛られてばかりではいけないし、戦争に負けた
 ことを前提とする必要もない。ましてや、断じて、決して他国に委ねるものでもない。
 ただただ、現代を生きる日本人が日本人として何を望むかを突き詰めて決めるべきもの
 である。    
・公務と軍務の決定的な違いは、危険度がどうこうではなく、死を伴う命令に対して拒否
 権があるのか、ないのかという話である。警察官、消防官に拒否権はあるが、自衛官に
 はない。  
・いまから考えても自衛隊には、いい人が多い。真面目で正直でまっすぐな人がたくさん
 いる。狭いとか、悪知恵とか、人を陥れるといったことから無縁の人たちが大半なので
 ある。だから組織とすれば強固な規律が維持されているものの、正直すぎて「いくさご
 と」に向いていないとも言える。そしてもう一つ、自衛隊員には大きな特徴がある。正
 直者が多いことは確かなのだが、同時に彼らは、なかなか本心を明かさない人たちなの
 だ。  
・誰も積極的に愛国心だの何だのと口にするわけではないし、国防に関し明確で強い意志
 を持っているわけでもない。しかし、心の奥底には、「社会の役に立ちたい」「個人の
 利より公を重んじる生き方をしたい」という憧れに近い想いを持っている。

特殊部隊創設
・何人分もの業務を一人でこなさなければならないということは、自衛隊ではよくある話
 だ。だがそれは、「絶対的な結果」を求められない自衛隊だからこそできてしまうので
 ある。喩えるなら、それまでの自衛隊は、試合をすることのないプロ野球チームのよう
 なものだ。形ばかりならリーグ優勝を目指しているように整えることもできる。 
・特殊部隊が出撃する時は、「絶対的な結果」が求められる。何がなんでも日本人を連れ
 帰る。部隊が全滅しても絶対に連れ戻す。それは、国家の意志だからだ。あの事件を教
 訓に、ようやく貫くことを決意した日本という独立国家の意志なのだ。
・自衛隊の現場では意味不明なことだらけなのである。たとえば、銃剣道競技会をする理
 由、ラッパ競技会が存在する理由はなんなのだ。根拠文書、根拠法規はある。が、実施
 する可能性のある作戦との関係がわからない。いまどき銃剣で戦うのか。いつラッパを
 吹いて突撃するのか。同様の謎は他にいくらでもある。自衛隊体育学校はなぜあるのか。
 陸海空自衛隊はどうしてそれぞれ音楽隊を持っているのか。国家防衛との関係が判らな
 い。限られた防衛予算を費やす理由が判らない。「普段は社会人や学生としてそれぞれ
 の職業に従事しながら、一方では自衛官として必要とされる練度を維持するために訓練
 に応じるもの」とされる予備自衛官もわけが判らない制度だ。元自衛官ならまだしも、
 そうでない人もいて、予備自衛官は年間五日しか訓練しない。それで、何をしようとい
 うのだろう。年五日しか訓練しないのだから六十年いたって、三百日、一年に充たない。
 なのに、階級を持ち、それも自動的に上がっていく。草野球だって、年間五日しか練習
 しない人が、胸を張って試合に臨まないだろう。
・特殊戦という自分の存在が消滅してしまうかもしれない局面で、毎回、「はい判りまし
 た」と全肯定できる指示がくるはずがない。提案なり、意見具申なり、文句なり、何か
 しら言いたいことがあって普通なのだ。もちろん、私利私欲にからむ発言は許されない
 し、正論であっても部隊に混乱を招く可能性があれば無視することもある。逆に、既に
 決定した事項であっても、意味のある異論が出ればやり直す必要がある。その発言の主
 がどんなに下の階級の者であっても、取り入れるべきものは柔軟に取り入れなければな
 らないはずだ。だが、残念ながら、自衛隊という組織には、そうした合理的な判断を極
 端に嫌う傾向がある。それは、心のどこかに本番はない、あっても遠い将来だろう、と
 いう意識があるせいだ。
・米海軍特殊部隊への留学という方法は手っ取り早いが、部隊のポリシー、屋台骨に、ど
 うしても他国の匂いがしてしまう。留学した者が、その本質をまだ理解していない段階
 で、完成品を見てしまうと、参考という名のもとに模倣から入ってしまいがちだからだ。
 国家理念も、戦術思想も、国民性もまるで違う他国の部隊にそのまま使えるものなどあ
 るわけがない。
・特殊部隊の世界において、米軍の評価は決して高くない。というより、かなり、大変、
 非常に低い。実際に米海軍特殊部隊を見た時、手にしている武器をはじめ装備品は高価
 で最新のものであったが、個人の技量はわが目を疑うほどの低レベルだった。彼らは、
 爪の鋭い鷹というより、よく忘れ物をする気のいい兄ちゃんたちというイメージである。
 だが、それがアメリカなのだと思っている。それが米軍なのだ。米国の特殊部隊員の技
 量は異常に低い。この業界の人なら誰もが知っていることだが、そこに米軍最強の秘密
 がある。
・米軍の特徴は、兵員の業務を分割し、個人の負担を小さくして、それをシステマティッ
 クに動かすことで、強大な力を作り出す仕組みである。それは、個人の能力に頼ってい
 ないで、交代要員をいくらでも量産できるシステムでもある。さらに、個人の負担が少
 ないので持久力がある。これが、米軍が最強でありえる大きな理由だ。要は、そこらに
 いるゴロツキ連中をかき集めてきて、短期間に少しだけ教育し、簡単な業務を確実に実
 施させて組織して力を発揮するのである。そして、その組織で確実の勝てるよう、戦争
 をブログラムしていく。  
・海軍は、意思疎通を図るための努力を通信に傾注してきた。一方、陸軍は、山岳地や密
 林、ジャングルでの生活を基軸としており、視界があまり確保できない、だから、意思
 疎通の手段を昔から「任務分析」という手法に委ねてきた。任務分析とは、作戦行動中
 に状況が大きく変化し、以前の命令をそのまま継続することが不可能になってしまい、
 かつ指揮官との意思疎通がとれない時でも、指揮官の意に沿う判断ができるようにする
 手法である。
・海軍と陸軍では、意思疎通のシステムの違いがある。乗り物に乗って戦闘する海軍の場
 合、その乗り物自体が一人の人間のようなものである。よって意思決定をするのは、艦
 長なり機長だけで、乗り物に一人である。その他の者は、意思決定をするための補佐を
 したり、意思決定後の行動をするだけであり、言わば、艦長の目であり、耳であり、指
 先のようなものだ。対して、陸軍の個人で行う戦闘では、階級、立場にかかわらず、自
 分の目で見て、自分の頭で判断して、自分の指で引き金を引く。すべて一人の人間が自
 分の責任で行う。意思疎通の手法と意思決定システム、この二つの違いが、現場突入部
 隊の指揮する者としては、非常に厄介だった。
・ビークルコンバット(乗り物に乗っての戦闘)における指揮官の存在意義は、戦闘中に
 ある。それは、報告させて、自分が判断して、実施させるからである。一方、インディ
 ビジュアルコンバット(個人戦闘)における指揮官の存在意義は、戦闘前にある。それ
 は、作戦の真の目的を理解させ、なぜこのような命令を出したのかを事前に理解させる
 からである。
・日本という国は、何に関してもトップのレベルに特出したものがない。ところが、とう
 いうわけか、ボトムのレベルが他国に比べると非常に高い。優秀な人が多いのではなく、
 優秀じゃない人が極端に少ないのだ。日本人はモラルが高いと言われるが、それは、モ
 ラルの高い人が多いのではなくて、モラルのない人が殆どいないということである。こ
 れは、こと軍隊にとって極めて重要なポイントだ。なぜそんなに重要なのか。そこには
 軍隊という組織に所属する人間のレベルの問題が横たわっている。  
・あくまで一般的傾向としてだが、軍隊には、その国の底辺に近い者が多く集まってくる
 ものなのだ。だから戦争というのは、オリンピックやワールドカップのようにその国の
 エース同士が勝負する戦いではない。その逆なのである。要するに戦争とは、その国の
 底辺と底辺が勝負をするものなのである。だから、軍隊にとってボトムのレベルの高さ
 というのは、重要なポイントなのである。現に、自衛隊が他国と共同訓練をすると、
 「何て優秀な兵隊なんだ。こんな国と戦争したら絶対に負ける」と、毎回必ず言われる。
 最強の軍隊は、アメリカの将軍、ドイツの将校、日本の下士官」というジョークがある
 が、なかなか頷ける話なのである。 
・自衛隊は、戦前の日本陸軍と異なり、全員が志願して入隊しているので、そもそも極端
 に不向きな人もいない。実は、他国の軍人が驚くほどマンパワーに恵まれている。だか
 ら、日本の自衛隊には、旧日本軍とも列国の軍隊ともまったく異なる独自の組織構想
 があり、その構想に基づいた組織運用があるはずなのだ。
・防衛省は、自国の特殊部隊の現状を理解していない。部隊が存在することと、部隊とし
 て機能することとはまるで違う。自分たちだけで情報を入手し、それを血肉に変えられ
 るような部隊になって初めて創隊が完了するのだ。  

戦いの本質
・よく、自衛隊を投入すれば北朝鮮に拉致されたままの日本人を奪還できるか、と問われ
 ることがある。できるのか、できないのか、ということであれば、できる。一般部隊を
 投入して完遂できる作戦ではない。が、海上自衛隊の特別警備隊、陸上自衛隊の特殊作
 戦群、この二つの特殊部隊を投入すれば大して難しい作戦ではない。ただし、奪還作戦
 を敢行すれば、犠牲者は出る。奪還する日本人の人数の五倍から十五倍の犠牲を覚悟し
 ての作戦立案になる。作戦の難易度と、犠牲者が出るか否は、別の話だ。犠牲者が出て
 も完遂できるのであれば、それは難しい作戦だと考えない。軍事作戦とは、そういうも
 のである。あらゆる解決策を模索し、懸命に和解を企図したにもかかわらず、万策尽き
 てなお、国家としてどうしても譲れないと判断した事柄についてのみ、軍事作戦は発動
 される。
・どんなに美しい言葉で飾ったところで、軍事作戦とは、国家がその権力を発動し、国民
 たる自衛官に殺害を命じ、同時に殺害されることをも許容させる行為なのである。ゆえ
 に、権力発動の理由が「他国とのおつきあい」や「××大統領に言われたから」などと
 いうものであってはならない。たとえ同盟関係があろうとも、軍事作戦発動の根底にあ
 る目的は、日本の国家理念に基づくものでなければならない。
・国家が国家として体をなすためには、最悪にして最終の手段である武の発動に備え、心
 を整え、技を磨き、身体を練磨し、軍事作戦発動の際には、それらすべてを惜しげもな
 く捧げられる者が必要なのである。
・戦いとは、戦闘能力の競技会ではない。競技会の延長線上でもない。似ているものでも
 なく、完全に異質のものだ。
・戦いで創るべき環境は、自分が能力を発揮できる環境ではなく、自分も発揮しにくいが、
 相手がさらに発揮しにくい環境を創出すべきなのである。なぜなら、相手の方が戦闘能
 力が高くとも、それを発揮しづらい状況に引きずり込んでしまえば勝てるからだ。勝て
 るのは、いかなる環境においても自分の持てる戦闘能力を発揮できるための努力を怠ら
 ず、戦闘時には、本能が拒絶する劣悪な環境に自ら飛び込んでいける者である。
・今の日本には自分の生命を賭けて何かをすることは、馬鹿げたこと、または危険な思想
 という見方が支配的だ。もちのん、自分の生命を軽々しく扱うべきではないし、その気
 もない。だが、少なくとも私には、自分の命を投げ出してでも守りたいものがある。
・非常時とは、状況によっては規則を破らなければならない状態である。遵法精神は確か
 に大切で、社会生活には必要不可欠だ。しかし、それはあくまで平時の話であって、自
 衛官がその存在意義を発揮する非常時は、「きまりに従う」という身体に染み込んだ習
 慣をもかなぐり捨て、任務達成に最も適切な手段を選択しなければならない。
・平時と非常時の思考回路の切り替えができないことは大きな問題であるが、実はこれは、
 平時の軍隊が抱えている永遠のテーマでもある。現在の防衛省は、それに加えて、いや
 それ以前に、「頑張るだけで評価される」という子供じみた発想から抜け出せないとこ
 ろに致命的な欠陥を抱えていると思う。

この国のかたち
 ・自分が目を背ける日本の現実とはなんだろう。日本は、戦争に負けて、国としてのあ
  り方を変えたのか、変えていないのか?実は、変えたくせに変えていないふりをして
  いるのではないか。それも自主的に変えたのではなく、強制的に変えさせられたのに、
  そこをうやむやにしようとしているのではないのか。民族として、国家として一番し
  てはいけないことをしているような気がしていた。
・狩猟民族が行う狩りと、スポーツとしてのハンティングが別物であるのと同じことだ。
 民族の尊厳と自立を守るための戦いは、富や快楽を手に入れるために行う戦争とは、明
 らかに区別すべきものだ。そう考えると、テロリストも、イコール社会秩序を破壊する
 者だと決めつけるのは早計かもしれない。実は、満腹のくせに、更なる富や快楽を手に
 入れようとする勢力に追い詰められた者の断末魔の抵抗ともいえないか。その抵抗を排
 除しようというのが、「テロとの戦い」なのではないか、と思えてくる。
・満ち足りてなお、資源、市場の獲得のために活動する軍隊こそ、自然界のルールを無視
 した人類の敵、いや自然界の敵ではないのか。そういう国と歩みを同じくするのが日本
 の目指す姿なのだろうか?
・私を含む一部の日本人は、採取は純粋な我慢だが、途中から心の中で「もっとやれ、も
 っとやれ」と思っている場合もある。堪忍袋の緒を切るかのように、自分の理性を外す
 タイミングを計っている。これだけ我慢したのだから、こまであっても致し方ないと、
 イブンも周りも認められるように、耐えながら、実は積極的に怒りを積み重ねている場
 合がある。
・譲ることは配慮だ、という考えがあるが、国家間において、日本人がよかれと考えて譲
 ったことが、空いての誤解を生み、増長を誘うことはないだろうか。その増長が増長を
 生み、こちらは我慢の限界を迎え、感情的な敵対行動、それこそ「皆殺し」のようなこ
 とを起こしはしないだろうか?譲るばかりではなく、この線以上は譲る気がないという
 意志を強く示すことも、事態の収拾するための大切は配慮であるはずだ。譲って引いて
 我慢して、最終的には皆殺し。それは、武お発動として最悪だ。確かに武というものは、
 簡単に使うものではなく、譲ること、引くこと、我慢すること、あらゆる手段を尽くし
 て回避すべきことだ。それでも致し方なく発動する時は、冷静な熟慮と明確な意志に基
 づくべきで、ぶちぎれて暴れてはいけない。少なくとも、日本人の厄介な行動美学とし
 てそうした側面があることを、まず我々自身が認識すべきだと思う。
・能登半島沖不審船事件をきっかけに、日本にも特殊部隊が不可欠であると痛感したこと
 は事実であり、その必要性の認識は今も変わらない。そして、特殊部隊員の必要条件が、
 任務完遂に己の命より大切なものを感じ、そこに喜びを見いだせる人生観を持つ者であ
 ることも間違いない。
・尖閣諸島中国漁船衝突事件では、その場の海上保安官は、冷静に逮捕、送致、書類送検
 を行った。公務中のことであり、私情を抑えて当然とはいえ、それがどれほどお苦痛を
 伴うか容易に想像できる。そして、あれだけ違法行為の証拠がありながら、中国人船長
 は、起訴猶予となり釈放され、中国へ帰国した。現場にいて私情を押し殺し公務に徹し
 た海上保安官はもちろんのこと、日本の公務に就くすべての者が、やりきれない気持ち
 であの動画をみただろう。自分たちの国家には、意志が存在しなかった。私もかつて公
 務に就いていたので判るつもりだが、これほど寂しく、虚しく、悲しい現実はない。た
 まらず涙を流した者もいると思う。いったい何のために、なにをすればいいのかが判ら
 なくなるし、今後、何を指針に判断していけばいいのか見えなくなるからである。国家
 の判断基準は、その場に波風を立たせないことだけなのか、と疑ってしまう。 
・特殊部隊を辞め、自衛隊を辞め、ミンダナオ島に来て判った。斬って斬られて、撃って
 撃たれて、自分の生命の危機を何度か経験するうちに、生きていたいという本能とのつ
 きあい方が、判ってきた。その本能を押し殺すことも、ねじ伏せることもしてはいけな
 いのである。なぜなら、生きていたいという本能は、自分が理想とする生き方を貫く原
 動力だからだ。我々は、他人を殺めることも自分が殺されることも覚悟しているが、そ
 れがしたいわけではない。自分が理想とする生き方を貫きたいだけなのだ。だから、こ
 の種の職に向いているか否かは、その本能をかき消せるかどうかではなく、自分が理想
 とする生き方をどんなに大きな代償を払ってでも貫きたいか、ということなのだ。
・あなたは日本に危機が訪れたらこの国を守りかすか?と聞かれれば、「守ります」と即
 答するし、なぜ守りたいかと聞かれれば、「生まれた国だからです」「群れを守りたく
 なる本能が植え付けられているのです」と答えるだろう。ただし、だ。せっかく、一度
 しかない人生を捨ててまで守るのなら、守る対象にその価値があってほしいし、自分の
 納得のいく理念を追究する国家であってほしい。それは、満腹でもなお貪欲に食らい続
 けるような国家ではなく、肌の色や宗教と言わず、人と言わず、命あるものと言わず、
 森羅万象すべてのものとの共存を目指し、自然の摂理を重んじる国家であってほしい。
 
おわりに
・特別警備隊に限らず、防衛省は、非軍事的手段を尽した上で国家が意志を貫こうとする
 ときに、戦闘行為をする組織である。だからこそ、入隊時全員に、「専心職務の遂行に
 当たり、事に及んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務める」と宣誓させてい
 る。生命の危険をも顧みることができないほど重要な任務にあたるからである。である
 ならば、その時だけ危険を顧みなければいいなんてことがあるわけがない。平素から危
 険を顧みない訓練により、能力を向上させ、その時に備えるのである。