下り坂をそろそろと下る   :平田オリザ

新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要 [ 平田オリザ ]
価格:2160円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書) [ 平田 オリザ ]
価格:820円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

幕が上がる (講談社文庫) [ 平田 オリザ ]
価格:745円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

演劇入門 (講談社現代新書) [ 平田オリザ ]
価格:907円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

芸術立国論 (集英社新書) [ 平田オリザ ]
価格:799円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

平田オリザ 静かな革命の旗手 (Kawade夢ムック)
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

演技と演出 (講談社現代新書) [ 平田 オリザ ]
価格:820円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

経済成長なき幸福国家論 下り坂ニッポンの生き方 [ 平田オリザ ]
価格:1080円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

世界とわたりあうために [ 平田オリザ ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

演劇のことば (岩波現代文庫) [ 平田オリザ ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

総理の原稿 新しい政治の言葉を模索した266日 [ 平田オリザ ]
価格:1944円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

「リアル」だけが生き延びる (That’s Japan) [ 平田オリザ ]
価格:810円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

幕が上がる [ 平田 オリザ ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

受験の国のオリザ新版 [ 平田オリザ ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

「下り坂」繁盛記 (ちくま文庫) [ 嵐山光三郎 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

人生下り坂最高! NHKにっぽん縦断こころ旅 [ 火野正平 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

すごいトシヨリBOOK トシをとると楽しみがふえる [ 池 内 紀 ]
価格:1080円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

老いる勇気 これからの人生をどう生きるか [ 岸見一郎 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

50歳からの孤独入門 (朝日新書) [ 齋藤孝(教育学) ]
価格:810円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

男おひとりさま道 (文春文庫) [ 上野 千鶴子 ]
価格:712円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

長く健康でいたければ、「背伸び」をしなさい [ 仲野孝明 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

ほんとうの贅沢 [ 吉沢久子(評論家) ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

神様からの宿題 [ 宮崎伸一郎 ]
価格:918円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

信念に、生きる。 隷属から自立へ [ 阿部志郎 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

サラダ油をやめれば認知症にならない (SB新書) [ 山嶋 哲盛 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

老人のライセンス [ 村松 友視 ]
価格:842円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

男おひとりさま道 [ 上野千鶴子(社会学) ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

サカロジー 金沢の坂 (時鐘舎新書) [ 国本昭二 ]
価格:905円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

結論は出さなくていい [ 丸山俊一 ]
価格:907円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

歴史に学ぶ自己再生の理論 [ 加来耕三 ]
価格:1944円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

自由に老いる おひとりさまのあした [ 海老坂武 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

60歳からの本氣ざかり 人生、これからが絶好調! [ 辰彌友哉 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

フィレンツェ 比類なき文化都市の歴史 (岩波新書) [ 池上俊一 ]
価格:1036円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

江戸好色本に見るHのいろは (リイド文庫) [ 性愛文化研究会 ]
価格:616円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

しきたりの日本文化 (角川ソフィア文庫) [ 神崎 宣武 ]
価格:596円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

日本人と日本文化 (中公新書) [ 司馬遼太郎 ]
価格:756円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

「君が代」日本文化史から読み解く (平凡社新書) [ 杜こなて ]
価格:885円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

「恥の文化」という神話 [ 長野晃子 ]
価格:1944円(税込、送料無料) (2019/9/10時点)

日本という国は、成長はとまった。これからは下り坂を下りる国だ。これは、よくいわれ
ることであり、私自身もそうだろうと思っている。しかし、一方では、そういう考えを受
け入れられない人も、たくさんいるようだ。
事実、安倍政権は、「もう一度、成長社会に戻る」「もう一度、世界の中心で輝く」と叫
んで、国民を幻想の世界に誘い込んでいる。下り坂であることを受け入れられない人々の
耳にとっては、さぞ心地よい言葉だろうと思う。しかし、よく考えてみると、かつて日本
が、世界の中心で輝いたことなどあっただろうか。
どんな国であっても、永遠に成長を続けられる国などない。それは、イギリスやヨーロッ
パなどの先進国を見れば明らかだ。かつては、七つの海を支配したと言われたイギリスな
ども、いまでは、その輝きはすっかり失われてしまっている。
敗戦をバネにして、急激な経済成長を続けた日本も、その成長は止まり成熟期に入り、そ
して下り坂を下り始めている。どの国もそうであったように、一旦、成熟を迎えた国が、
再び成長に転じた国はない。日本だけが特別なのだと考えるのは、かつての「神国日本」
思想と同じだ。
本来なら日本も、そのことをしっかり直視して、いかに安全に下り坂をそろそろと下りる
に注力しなければならないはずなのに、未だに下り坂を迎えたことを認めたくない人が多
いようだ。現実に目を背け、幻想にすがりつき、強がりながら国を賭けてキチンレースを
続けているようにしかみえない。

地方から都会に出た若者が、地方に戻ってこないのは、地方の生活がつまらないから、と
いうのが大きな理由になっている。そしてそれは、地方に住んでいると、確かにそうなの
だろうと思う。しかし、それでは、都会での生活はつまらなくない生活なのかと考えると、
本質的には地方も都会も同じような気がする。都会の生活が地方よりましだと思えるのは、
ただ単に、たくさんの人の中にいることによる安心感や、幻想に過ぎないような気がする
のだ。
地方に住んでつまらない生活をする人は、都会で出ても本質的にはつまらない生活をする
ことになるのだと思う。要は生き方の問題なのではないかと思う。自分で充実した生き方
ができる人は、都会だろうが地方だろうが、自分で知恵をだし、生き方を工夫して、充実
した生き方ができるのだ。地方にいても、充実した生き方ができる知恵がたくさんあれば、
狭苦しい、息苦しい都会の生活よりも、解放感のある地方の生活を選ぶ人が、もっと増え
るのではないかと思える。要はこの生き方の知恵があるかどうかではないのか。

この本の中に、いま全国の小中学校で広がっている「朝の読書運動」の話が出てくる。私
はこれは非常にいい取り組みではないかと思う。というのも、近ごろよく感じるのは、読
書をしない人が非常に多いということだ。これは、若者はもちろんのこと、われわれ中高
年の世代においても、言えるようが気がする。確かに中には、月に何十冊も本を読むとい
う猛者もいるが、ほとんど読書をしない、あるいはまったくしないという人のほうが、圧
倒的に多いようだ。確かに、今のようにインターネットやスマホが発達した時代では、特
に本を読まなくても、それなりの情報は簡単に手に入る。しかし、インターネットやスマ
ホで手に入る情報は、あまり奥深さがなく薄っぺらな情報だ。食べ物に例えるなら、手軽
に食べられるファーストフードだ。便利だが、本物の味わいは得られない。奥の深い情報
は、やはり読書をすること以外では得られないと思う。じっくり本を読むということは、
それによってじっくり考えるということにつながる。小さい頃から本を読む習慣を付ける
というのは、非常に大切なことだと思うのだ。

下り坂をそろそろと下る
・明治近代の成立と、戦後復興・高度経済成長という二つの大きな坂を、二つながらに見
 事に登り切った私たち日本人が、では、その急坂を、どうやってそろそろと下っていけ
 ばいいのか。
・もちろん世の中には、「いやいや、この国はもう一度、さらに大きな坂を登るのだ、登
 ることが出来るのだ」と考えている人も多くいることは承知している。
・あるいは、「いや、もともと私たちは、そんなに立派に坂を登り切ったわけではない。
 他国に迷惑をかけ自国だけが経済的繁栄をむさぼったに過ぎない」と考える人がいるこ
 とも承知している。 
・その急坂を登っていた頃の日本人と、いまの日本列島に住む若者たちは、もはや同じで
 はあり得ないのだという考えもあるかもしれない。
・日本は、もはや日露戦争開戦時と同じような「小さな国」ではない。日本は一個の文明
 を生み出せるほどの「大国」ではないが、しかし、ロシアを敵に回して必死の闘いを行
 い、それで世界から同情と賞賛を得られたほどの小国でも、もはやない。
・このたびの下り坂のおり方に多少なりとも注意が必要なのは、もはや日本は、自分勝手
 に坂を転げ落ちることさえも許されない立場にあるという点だろう。
・ここ一、二年、「地方創生や少子化問題について、何かアイデアはありませんか?」と
 いう依頼が増えた。劇作家に人口減少対策について尋ねるようでは、この国もいよいよ
 危ないのではないかと思うんだが、政府は各自治体に「何かアイデアを出せ、出せば金
 を付けるぞ」という態度なので、自治体側としても切羽詰って必死なのだろう。
・スキー人口の減少というのは、理由はいくつか考えられる。趣味の多様化、特にインタ
 ーネットやスマホなどの登場で、安上がりで身近な娯楽が増えたこと。海水浴客なども
 減っているので、全体的なインドア指向も指摘されている。もちろん、若者層の貧困化
 の問題も大きい。可処分所得が減っているのだ。
・しかし何より大きく直接的な要因は、少子化、若者人口の減少だろう。観光学者も行政
 の担当者口を揃えて、スキー人口の減少の最大の要因は少子化に求める。そしてそれは、
 間違いではない。 
・では、若者人口はどれくらい減っているのか。減っている率としては2割5分程度だ。
 スキー人口の減少と比べると、そこまでの数字ではない。この差はどこから来るのだろ
 う。  
・日本中の観光学者たちが口を揃えて、「少子化だからスキー人口が減った」と言う。し
 かし、劇作家はそうは考えない。「スキー人口が減ったから少子化になったのだ」
・かつて二十代男子にとって、スキーは、女性を一泊旅行に誘える最も有効で健全な手段
 だった。それが減ったら、少子化になるに決まっている。当たり前のことだ。ここには
 ある種の本質的な問題が隠れていると私は思う。    
・街中に、映画館もジャズ喫茶もライブハウスも古本屋もなくし、のっぺりとしたつまら
 ない街、男女の出会いのない街を創っておいて、行政が慣れない婚活パーティーなどを
 やっている。本末転倒ではないか。
・「地方には雇用がないから帰らない」という学生には、ほとんど会ったことがない。彼
 らは口を揃えて、「地方はつまらない。だから帰らない」と言う。そうであるならば、
 つまらなくない街を創ればいい。あるいは、地方に住む女性たちは口を揃えて「この街
 には偶然の出会いがない」という。そうであるなら、偶然の出会いが、そこかしこに潜
 んでいる街を創ればいい。 
・だが政治家は、こういうことは口が裂けても言えないのだ。なぜなら、これを言った瞬
 間に「いまの自分の支持者たちはつまらない人たちだ」と公言してしまうことになるか
 ら、そして、あいかわらず、工場団地を建て、公営住宅を整備すれば、若者たちは戻っ
 てきてくれるという幻想を追っている。
・私たちはおそらく、いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、三つの種類の
 寂しさを、がっきと受けとめ、受け入れなければならないのだと私は思います。
・一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。もう一つは、もはや、この国は、
 成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。そして最後の
 一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
・現在、日本の労働人口の七割近くが第三次産業に従事しています。しかし、いまだ、こ
 の国では、教育のシステムも雇用や福祉政策のシステムも、大量生産大量消費の工業立
 国の時代のままです。経済の構造改革がなし崩し的に進められたにもかかわらず、社会
 のシステムの改革が進んでいない。
・第二次産業に従事する人々が第三次産業に転換していくことは、他人には理解できない
 ほどの大きな痛みを伴ないます。産業構造の転換には、必ず古い産業へのノスタルジー
 がつきまとうからです。そのノスタルジーを尊重しながら、しかしその寂しさに耐えて、
 私たちは新しい時代を迎えなければならない。
・日本はもう、成長社会に戻ることはありません。世界の中心で輝くこともありません。
 いや、そんなことは過去にもなかったし、だいいち、もはや、いかなる国も、世界の中
 心になどなってはならない。 
・私たちはこれから、「成熟」と呼べば聞こえはいいけれど、成長の止まった、長く緩や
 かな衰退の時間に耐えなければなりません。その痛みに耐えきれずに、これまで多くの
 国が、金融操作・投機という麻薬に手を出し、その結果、様々な形のバブルの崩壊を繰
 り返してきました。この過ちも、もう繰り返してはならない。
・人口は少しずつ減り、モノは余っています。大きな成長は望むべくもない。逆に、成長
 をしないということを前提にしてあらゆる政策を見直すならば、様々なことが変わって
 いくでしょう。 
・何より難しいのは、寂しさに耐えることです。150年近く、アジア唯一の先進国とし
 て君臨してきたこの国が、はたして、アジアの一国として、名誉ある振る舞いをするこ
 とが出来るようになるのか。その寂しさを受け入れられない人々が、嫌韓・嫌中本を書
 き、あるいは無邪気な日本礼賛本を作るのでしょう。
・私たちは、大きく二つの問題について考えなければなりません。一つは、私たち日本人
 のほとんどの人の中にある無意識の優越意識を、どうやって少しずつ解消していくかと
 いうこと。もう一つは、この寂しさに耐えられずヘイトスピーチを繰り返す人々や、ネ
 トウヨと呼ばれる極端に心の弱い方たちをも、どうやって包摂していくのかという課題
 です。
・これからの30年間は、日本と日本人が、この小さな島国が、どうやって国際社会を生
 き延びていけるかを冷静に、そして冷徹に考えざるをえない30年となるでしょう。
・「寂しさが銃をかつがせ」ることが再び起こらないように、私たちは、自分の心根をき
 ちんと見つける厳しさを持てなければなりません。寂しさに耐えることが、私たちの未
 来を拓きます。
・私たちは、そろそろ価値観を転換しなければならないのではないか。雇用保険受給者や
 生活保護世帯の方たちが平日の昼間に芸場や映画館に来たら、「失業してるのに劇場に
 来てくれてありがとう」「生活がたいへんなのに映画を観に来てくれてありがとう」
 「貧困の中でも孤立せず、社会とつながっていてくれてありがとう」と言える社会を作
 っていくべきなのではないか。そしてその方が、最終的に社会全体が抱えるコストもリ
 スクも小さくなるのだ。
・失業からくる閉塞感、社会に必要とされていないと感じてしまう疎外感。中高年の引き
 こもりは、やがて犯罪や孤立死を呼び、社会全体のリスクやコストを増大させる。
・「子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育所に預けて芝居や映画を観に行っても、
 後ろ指を指されない社会を作ること」私は、この視点が、いまの少子化対策に最も欠け
 ている部分だと考える。経済のことは重要だ。待機児童の解消は絶対的急務だ。しかし、
 それだけでは、おそらく非婚化・晩婚化の傾向は変わらないし少子化も解消されない。
・女性だけが、結婚や出産によって、それまで享受していた何かを犠牲にしなければなら
 ない、そんな不条理な社会を変えていく必要がある。その「何か」は、けっして経済や
 労働のことだけではないだろう。精神的な側面、文化的側面に目を向けずに、鼻面に、
 にんじんをぶらさげるようにして「さぁ働け」とけしかけるような施策をとるから、
 「何も、ちっとも分かっていない」と思われてしまうのだ。 
・下り坂を下っていくことは、寂しさがつきまとう。いまだ成長型の社会を望んでいる人
 は、この寂しさと向き合うことを避けようとしている人々である。一方で、「成長は終
 わった、成熟型の社会、持続可能な社会を創ろう」という方たちもまた、この「寂しさ」
 をないものとして素通りしているように私には思える。 

小さな島の挑戦−瀬戸内・小豆島
・四国が大きな島であったときなら、それでよかったのだ。だが、この大きな島に、太い
 橋が三本も架かってしまった。
・四国経済に爆発的な変化をもたらすはずだった三つの本四連絡橋は、当初は多くの観光
 客を集め、物流を一変させた。しかし、やがて典型的なストロー効果を起こし、香川県
 は20年近く、人口減少が続くこととなった。単なる転出だけではない。高松、坂出な
 どから岡山の大学に通うような学生も多数いる。残念ながら、逆のケースは少ない。
・香川大学や愛媛大学の医学部は、本州から来る学生に多数を占められて県内からの進学
 者が減っている。これは四国だけのことではなく、多くの地方大学で見られる現象で、
 いわば高校球児の野球留学のようなものである。この学生たちは、ほとんどその大学の
 ある地域には残らず、首都圏や関西圏での勤務を望むか、または地元に帰って親の跡を
 継いで開業医になっていく。これが地域の医師不足の遠因ともなっている。
・ストロー効果は、もちろん大学だけのことではない。もっとも大きな打撃は、「四国の
 玄関口」と言われた高松から、多くの支店が撤退していってしまったことだった。高松
 の繁華街は一挙に寂れていったという。   
・香川の子どもたちは、好むと好まざるをにかかわらず、他県との接触を強いられるよう
 になった。香川県の教育関係者は口を揃えて言う。「この子たちはいい子たちなんです
 けど、他県に行ってからコミュニケーションで苦労するんです」これは日本の縮図では
 ないか。
・この狭い国土を鎖国にして生きていけるのは3千万人が限度だという。何もしなくても、
 やがて6千万人くらいまでは人口が減るようだが、いきなり3千万人に減らすことは不
 可能だろう。 
・では、この極東の小さな島国が、国際社会の中でかろうじて生き延びていくには、どの
 ような能力が必要なのか。
・おそらく島という閉鎖系の中で、2、3万人の人口があれば、十分に循環型の社会を構
 築していけるということなのだろう。これが、なまじ陸続きで近くに大きな都市ががる
 と、人々は安易にそちらに流れていってしまう。たとえば、明石海峡大橋が架かってし
 まったために、まさに「一夜にして」車で30分圏内に150万都市神戸が隣接するこ
 とになり、結果、淡路島の商店街が壊滅状態になったことと対称的であろう。
・小豆島にIターン者が増えている理由は豊かな自然である。おそらくこれが、一般的に
 移住を決定づける最大の魅力となっているのだろう。震災を機に東北、特に福島から移
 り住んだ方も多い。
・小豆島には橋もなく空港もない。しかし、航路は、高松、岡山を中心に姫路、神戸に至
 るまで一日80便以上が往復している。島なのに、これほど多彩な航路があると不思議
 賑やかな感覚に陥る。
・便利さとは、まさに相対的なものであり、都会で暮らしていると、電車の5分、10分
 の遅れでも苛々とくるかもしれないが、いったん島に住むと覚悟を決めてしまえば、そ
 の「意外な便利さ」をありがたいとさえ感じるのだろう。
・私は、これからは、利益共同体と地縁共同体型の共同体の中間に、「関心共同体」とで
 も呼ぶべき、中間的な共同体が必要ではないかという考えを持っている。地縁や血縁を
 持たない、そして企業社会にも所属しない層を包摂し、人間を社会から孤立させないた
 めには、もう一つの緩やかな、ある程度出入り自由な共同体が必要なのではないか。
・都会的生活か田舎暮らしかという二者択一を迫るのではなく、その中間領域を想定して、
 様々なライフスタイルを可能にしていく。多くの市町村のIターン・Jターン政策が、
 東京一極集中の排除だけを眼目し、結局は市場原理の延長線上にあるように見えるのに
 対して、小豆島のとった戦略は迂遠であるが、おそらくもっとも現実的な政策だと私は
 感じる。
・「地方は雇用がないから地元には戻らない」という学生は少ない。たしかに地方の雇用
 環境は厳しい。それだけではない。現実に、工業団地を作って企業誘致を図り、公営住
 宅を整備しても、若者たちは戻ってこなかったではないか。
・学生たちは「田舎はつまらない」と言う。であるならば「つまらなくない町」「おもし
 ろい町」を作ればいい。
・小豆島には大学がないから、いったん、高校卒業時点で、一定数の人口が島を離れてい
 くのは仕方がない。しかし、その人々が戻ってきてくれるか、あるいはよそからも人が
 来てくれるか、その大きな要因の一つが、「つまらないか」「おもしろいか」という広
 い意味での文化資源に拠っていることは間違いない。
・人口の少ない離島で町作りを進めようとすれば、人々は複数の役割をこなさざるを得な
 い。しかしそのことが、かえって人々の自主性、主体性を強める。本来、人間はいろい
 ろな役割を演じることによって社会性を獲得していく。

コウノトリの郷−但馬・豊岡
・豊岡市の方針は、「東京標準では考えない。可能な限り世界標準で考える」というもの
 だ。東京標準で考えるから若者たちは東京を目指してしまう。しかし、世界標準で考え
 ていれば、東京の出て行く必要はなくなる。あるいは出て行っても戻ってくることに躊
 躇がなくなる。
・これまでの日本では、移民問題は、「入れる」「入れない」という二元論で扱われてき
 た。しかし欧州では、こんな議論はナンセンスだ。移民問題がもっとも深刻なフランス
 の大統領選挙でさえも、極右を除いては、右であっても左であっても、「どれくらい、
 どのように入れるか」が議論され、争点となる。
・日本もそろそろ「純血主義」と「人道主義」の空論から離れて、現実的な移民政策につ
 いて議論する段階に来ているのではないか。

学びの広場を創る−隠岐・善通寺
・いま、ハーバードやMIT(マサチューセッツ工科大学)、あるいは日本の京都大学で
 も、授業内容をインターネットでの公開を始めている。せっかく大学に入って授業料も
 支払っているのに、その内容がインターネットで見られるというのは、どういうことだ
 ろう。
・要するに、もはや、そこで得られる知識や情報=コンテンツは世界共有になってしまっ
 たのだ。かつては、東京に行かなければ得られない知識、あるいはパリやニューヨーク
 まで行かなければ得られない情報というものが確かにあった。しかし、いまや、どんな
 情報も知識も、インターネットで簡単に手に入れることができる。そのことを大前提に
 しつつ、それでも「ここで、共に、学ぶ」ことが重要な時代になってきたのだ。もはや、
 学校の、少なくとも大学以上の高等教育機関の存在価値は、新しい知識や情報を得る場
 所としてではなく、ともに学び、議論し、共同作業を行なうという点だけになった。
・小さな頃から、思考力、判断力、表現力、主体性、多様性理解、協働性、そういったも
 のを少しずつ養っていかなければならないような能力の総体を、社会学では「文化資本」
 と呼ぶ。平易な言葉に言い換えれば「人と共に生きるためのセンス」である。
・文化資本、とりわけセンスや立ち居振る舞いなどの身体的文化資本は、おおよそ20歳
 くらいまでに決定されると言われている。 
・分かりやすい例は「味覚」だろう。幼児期からファーストフードなど刺激の強い、濃い
 味付けのものばかい食べ慣れていると、舌先の味蕾がつぶれて、細かい味の見分けがで
 きなくなるそうだ。音感なども、比較的、早い段階で形成される能力だろう。言語感覚
 などは、もう少し長期で形成されるだろうが、子ども頃からの読書体験や言語環境が、
 子供の育成に大きな影響を与えることは想像に難くない。
・この身体的文化資本を育てていくには、本物に多く触れさせる以外に方法はないと考え
 られている。例えば、骨董品の目利きを育てる際も、同じことが言えるようだ。理屈で
 はなく、いいもの、本物を見続けることによって、偽物を直感的に見分ける能力が育つ。
・しかし、そうだとしたら、現在の日本においては、東京の子どもたちは圧倒的に有利で
 はないか。東京、首都圏の子どもたちは、本物の芸術・文化に触れる機会が圧倒的に多
 い。
・この文化資本の格差は、当然、貧困の問題と密接に結びついている。たとえば、いま全
 国の小中学校で「朝の読書運動」が広がっている。教員は生徒たちに、「何でもいいか
 ら本を持って来なさい。どうしても本が難しければ、はじめは漫画でもいいよ」とやさ
 しく声をかける。しかし現実には、家に一冊も本がないという家が、多く存在するのだ。
 これなどは端的に分かりやすい文化資本の格差である。
・教育の格差と貧困の問題が直結していることは、ここ数年、多くの人によって語られ、
 社会問題化してきた。しかし、この文化資本の格差の方が、今後、より大きな問題にな
 るだろうと私は予測している。
・まず第一に、この文化資本の格差は発見されにくい。教育の格差なら、多くの場合、
 「この子は頭がいいのに、家が貧乏で進学できないのはかわいそうだな」と誰もが感じ
 る。いまは先進国中の最低水準がだが、徐々に奨学金なども整備されていくだろう。し
 かし、文化資本の格差は発見されにくい。親が芸場や美術館やコンサートに行く習慣が
 なければ、子どもだけでそこに足を運ぶことはあり得ない。そして、その格差は、社会
 で共有されにくい。
・地域間格差と経済格差。この二つの方向に引っ張られて、身体的文化資本の格差が加速
 度的に、社会全体に広がっていく。この文化資本の格差が、大学入学や就職に直結する
 時代がやってきている。放置しておけば、この格差は負の連鎖となって、日本の社会に
 大きな断絶をもたらすだろう。
・地方都市の講演でこのようなことを話すと「地方には豊かな自然が残っていて、そこで
 生まれる感性もあるのではないか?」という反論も出てくる。しかし、いまどき、「貧
 乏な家庭には、貧乏だからこそ工夫や知恵が生まれるのではないか。貧乏も悪くないし、
 金持ちが偉いとは限らない」といった意見を述べる人は少なくなったと思う。
・「貧乏と貧困は違う」。貧困とは、少なくとも子どもが自分の力だけでは抜け出せない
 蟻地獄のような状態を言う。
・文化の地域間格差はどうだろう。「地方の子どもは芸術に触れる代わりに、豊かな自然
 に触れている」というのは、やはり詭弁に過ぎないのではないか。
・「小豆島の子どもたちは、意外に自然に触れていない」と嘆く。小学校が統廃合され、
 多くの子どもがスクールバスで学校に通うようになった。通学路は、寄り道、買い食い、
 待ち伏せなど、子どもたちが様々な社会性を身につける重要なツールなのだが、それが
 一挙に奪われてしまった。家に帰っても、少子化で近所に子どもがいない。人々は自動
 車で移動するような社会システムを作ってしまったために、子どもは家でゲームをする
 しかなくなる。だから地方都市ほど、子供が参加できる文化活動を公共機関が用意して
 あげないと、貧困家庭でなくても、よほど意識の高い層以外は、子どもを家に閉じ込め
 てしまうことになる。
・自然が感性を育む。それは正しいかもしれない。しかし、いま社会から求められている
 のは、そこで感じた自然の素晴らしさを、色や形や音や、あるいは言葉にして他者に伝
 える能力である。
・このままでは地域間格差が大きく広がるだろうという危惧を抱く。東京の中高一貫校は、
 すでにこの新制度入試を前提として、ディスカッション型、ワークショップ型のいわゆ
 る「アクティブラーニング」を急速に導入し始めている。日本は、明治維新以降150
 年近くをかけて、教育の地域間格差の少ない豊かな国を作ってきた。しかしいま、この
 文化資本の格差によって、もう一度社会に大きな亀裂が走り始めている。
・日本の社会のことに限って言えば、成熟社会、低成長型の社会へと社会構造を変えてい
 く中で、複数のポジションを横断的に担えるような人材が強く求められるようになると
 いう部分が重要だ。それは、主体的に、役割分担を組み替えていける能力といってもい
 い。 
・教員に、「ここからここまで試験に出るから覚えて来いよ」と言われ、それを従順に信
 じ、体力と根性で短期間に知識を詰め込む、そういった方面に能力のある人材は、しか
 し中国と東南アジアにあと10億人くらいいて、そこで国家としての競争力を保って行
 くには、もう無理がある。

復興への道−東北・女川、双葉
・私たちは、日本人が誰も経験していない「低線量被曝の時代」を生きている。そこには
 絶対的な安心も安全もあり得えない。だから私たちは、どこかで線引きをしなければな
 らない。
・私はもちろん、原発再稼働には絶対反対であるし、国内のすべての原発は即刻、廃炉作
 業に入るべきだと思っている。しかし一方で、「反原発原理主義」のような方たちにも
 強い違和感を覚える。
・原発で、これだけの事故が起こってしまった以上、そしていまも、放射線が少量であっ
 ても出続けている以上、私たちは、絶対の安心を得ることはもはや出来ない。しかし、
 私たちは、「安心したい」のだ。「いくら何でも、そんなひどいことにはなりませんよ」
 と誰かに言ってもらいたいのだ。
・「安心したい」という言葉は、いまも私たちが「安全神話」から抜け出しきれていない
 証左だろう。だが、安心はない。原発に絶対の安全がなかったのと同じように、もはや
 絶対の安心もない。私たちは、この「安心はない」というところから、オロオロと、低
 線量放射線の時代を生き抜いていかなければならない。
・10年後、あるいは20年後、福島市で、郡山市で、あるいは柏市で、東京で、いま乳
 幼児であった子どもたちの甲状腺癌の発生率は、どのくらい上昇するのだろう。おそら
 く、この時点で、誰の話を聞いても、その医師や放射線の専門家が良心的であればある
 ほど、「分からない」という答えが返ってくるのではないだろうか。あるいは、「微量
 だが、ゼロではない」という答えか・・・。
・20キロ、30キロという非難区域の一つの目安は、それが役人が決めたものである以
 上、おそらく「裁判で因果関係が問われない範囲」ということを想定しているのだろう
 と思う。役人というのは、意識するしないにかかわらず、常にそのようなものを考え、
 行動する習性を持つ。そして、それは、国家という巨大組織を運営していく上での目安
 としては、あながち間違った指標とは言えない。私たちはいずれにしても、どこかで
 「線引き」をしなければならないのだから。
・子どもを自然食品だけで育てる親もいれば、ファーストフードも別にかまわないだろう
 という親もいる。それは親子の生き方の問題で、他人が干渉できる範囲の事柄ではない
 からだ。いまの政府の対応に人々が不満を持つのは、この「生き方の問題」に、どれだ
 け政治が関与できるのか、その腰つきが定まっていないからだ。しかし、それを定める
 のは無理だと思う。一人ひとりの生き方に関与することは、役人がもっとも苦手とする
 ところだから。
・政治には、これ以上のことはできないのか?私はそうではないとも思う。たとえば、今
 後30年間、30歳以下の甲状腺癌の検診と治療については、原発事故との因果関係を
 問わず無償とすると決めてしまえばいい。小児癌の研究費を20倍に増やすと決めてし
 まえばいい。犯してしまった罪の大きさにおののいて、きちんとオロオロとすべきなの
 だ。 
・震災以降、強いリーダーシップを持った政治家を待望する声が一段と強い。その心情は
 分かる。分かるが、ここは、一つ、日照りの時に涙する政治家を捜すべきではないか。
 オロオロと、頼りなげに歩く政治家をこそ捜すべきではないのか。もちろんそんな人材
 は、いまの永田町では、組織の上までは登っては来られないだろうが。 
・念のために書いておくが、私は、福島県において甲状腺癌が多数発見されている点につ
 いて、基本的に原発事故との関係はきわめて薄いと考えている。異見があることも承知
 しているが、「この結果は広く甲状腺検査を行ったために起こった現象であり、原発事
 故とはほぼ無関係だろう」というのが大半の科学者、医療従事者の見解と認識している。
・しかしそうであっても、甲状腺癌が「発見」され、そしてその治療を希望する者は、国
 家と東電の責任において全額無償で対応すべきだとも考える。それ以外に、この混沌に
 対する道筋は見いだせない。同様に自主避難者の家賃補助なども打ち切るのではなく、
 より手厚い支援をすべきだとも考える。そのような方策以外に、いま福島が抱えている
 分断を克服する手立てを見出せない。 
・これからの日本と日本社会は、下り坂を、心を引き締めながら下りていかなければなら
 ない。そのときに必要なのは、ひとをぐいぐい引っ張っていくリーダーシップだけでな
 く、「かげ人はいないか」「逃げ遅れた者はいないか」あるいは「忘れ物はないか」と
 見て回ってくれる、そのようなリーダーも求められるのではあるまいか。
・滑りやすい下り坂を下りて行くのに絶対的な安心はない。オロオロと、不安の時を共に
 過ごしてくれるリーダーシップが必要なのではないか。 
・この十数年、日本の教育界では「問題解決能力」ということが言われてきた。しかし、
 本当に重要なのは、「問題発見能力」なのではありまいか。
・私は、福島の子どもたち、若者たちにも、このような視点を持ってもらいたいと思って
 いる。自分たちを不幸にしているものは何なのか。それは、どういった構造を持ってい
 るものなのか。きちんと直視するだけの力と、それを引き受けるしたたかさを持っても
 らいたいと願っている。
・被災地の復興には、巨額の財政支出が必要となる。安倍政権は、民主党政権の決めた5
 年で19兆円という復興予算に、さらに積み増しを行った。あれだけの大地震による被
 害を受けたのだから、相応の負担を国家がすることは、決して間違いではないと私も信
 じる。しかし一方で、巨額の財政支出は、市民の自己判断能力を失わせ、地域の持続的
 な自立を妨げる可能性があることも否めない。「復興のジレンマ」とも呼べるこの状況
 を克服する方策はあるのか。
・破綻した夕張の状況を伝えるニュースの中で、解体される観覧車の影像は記憶に新しい。
 夕張市の北隣、同じく旧産炭地の芦別市にも、大観音や五重塔のホテルといった不思議
 な建物が林立している。100億円以上が拠出されたというこのリゾート施設は、数年
 前に総額1億円で売り出されたそうだ。
・夕張山系を挟んだ富良野市はいまや北海道最大の観光地として、季節を問わず賑わいを
 見せている。さらにその北側、お花畑でアジア各国から観光客を集めている美瑛町は、
 景観を守るために高規格道路の延伸さえも拒否していると聞く。 
・自分たちの誇りに思う文化や自然は何か。そして、そこにどんな付加価値をつければ、
 よそからも人が来てくれるかを自分たちで判断できる能力がなければ、地方はあっけな
 く中央資本に収奪されていく。
・現代社会は、資本家が労働者をむち打って搾取するような時代ではない。巨額資本は、
 もっと巧妙に、文化的に搾取を行っていく。「文化の自己決定能力」を持たずに、付加
 価値を自ら生み出せない地域は、単に東京資本にだまされてしまう。
・かつて工業立国の時代においては、市民のどれだけが九九を諳んじられるか、どれだけ
 が化学式に親しんでいるかが、地域や国家の競争力を決定してきた。そして日本は、世
 界でも稀にみる、教育の地域間格差の少ない国を創り上げてきた。
・しかし、サービス業中心の現代社会においては、付加価値を生み出す力、文化の自己決
 定の能力が地域の競争力を決定する。このまま有効な文化政策を打たなければ、東京と、
 その他の地域の文化格差は、今後も広がる一方になるだろう。東京一極集中の最大の要
 因はこの点にある。
・いまや公共事業だけを行っても、地域の経済は回らない。かつては、公共事業によって
 関連会社が儲かれば、その従業員たちが商店街で買い物をし、飲食をして、街全体を潤
 すことができた。しかしいまは、郊外のショッピングセンターで買い物をし、ファミリ
 ーレストランで食事をとってしまったら、地域で金が一周する前に、すべてが東京資本
 に吸い上がられてしまうことになる。
・そこで人びとは、「地産地消」を叫ぶようになった。しかし、エンゲル係数が25%を
 切るような先進国では、農産品だけを地産地消していても、やはり地域の経済は回って
 いかない。
・消費社会において重要なのは、「ソフトの地産地消」だ。自分たちで創り、自分たちで
 楽しみ、自分たちで消費する。そこに付加価値をつけると、他の地域の人びとをも楽し
 ませることができる。
・付加価値とは何か。それはとりもなおさず、「人との違い」ということだろう。漁協に
 一律いくらではなく、そこで消費の多様性を見出し、付加価値をつけていく。付加価値
 をつけることを前提にして、すべての生産体制を柔軟に見直していく。
・今回の震災で、あらためて明らかになったことの一つは、いかに東北が東京の、あるい
 は京浜工業地帯の下支えになってきたかという事実だった。それは電力やサプライチェ
 ーンだけのことではない。東北は長く、東京に対して、中央政府に対して、主要な人材
 の供給源だった。日清日露の戦場まさに一兵卒として、大正、昭和期には満蒙開拓の先
 兵として、戦後は集団就職、出稼ぎの発進地として。
・この人材供給にシステムは、高校の学校教育レベルから始まっており、偏差値の序列に
 従って中央へ中央へと人材が吸い上げられる仕組みとなっている。盛岡一高へ、岩手大
 学へ、東北大学へ、東京大学へ。進学は常に、上り列車に乗って進んでいく。では、こ
 の三陸の地の復興は誰が担うのか?
・私たちは高度消費社会に生きている。どんなに学校の成績がいい男の子でも、料理が好
 きならフランス料理のシェフになった方が生涯賃金は高いはずなのだ。しかし、地方な
 ど、「普通科信仰」のもとで、子どもたちは偏差値という尺度だけで輪切りにされ、選
 択されていく。しかも、その選択は、決して地域のための選択ではない。子どもたちの
 未来の選択でもない。
・宮沢賢治は、当時の最先端の農業技術を岩手・花巻の農民たちに伝授しようとした。し
 かし、それだけでは、農民の本当の幸福は得られないと賢治は感じたのではなかったか。
・宮沢賢治が花巻農学校を退職し、羅須地人協会を作ったのは、その限界を超えて、農民
 たち一人ひとりの感性を磨き、文化の自己決定能力を身につけさせるためではなかった
 か。 
・かつて奥州は、平泉にあれだけの金色堂を建てるほどの富を持っていたはずなのだ。司
 馬遼太郎は、「南部一藩は米本位制の徳川幕府体制に組み込まれなければ、デンマーク
 のような酪農国家になる可能性を秘めていた」と言っていた。しかし、南方由来の稲作
 を無理に行ってきたために、この地は毎年のように冷害、飢饉におびえなければならな
 かった。

寂しさと向き合う−東アジア・ソウル、北京
・日本は、アジアで唯一の先進国の座から滑り落ちたことを、まだ受け入れられない。韓
 国は、先進国の仲間入りをしたことに、まだ慣れていない。ここ数年の日韓のぎくしゃ
 くとした関係は、このお互いに不慣れな状態を、両国の政府も国民も、まだ受け入れか
 ねているところに起因すると私は考えている。
・かつての韓国は、「国の力が弱いから植民地化されたのだ」「国が貧しいから分断され
 たのだ」と言われた。韓国にとっての戦後は、単なる復興ではなく、北朝鮮との経済競
 争に勝たなければ、いつまた戦乱に巻き込まれるか分からないという国運を賭けた戦い
 だった。彼らもまた、祖国防衛戦の長い坂道を登ってきたのだ。
・この半島の南側にはめぼしい資源はなく、故に輸出できるものは、人間以外、何もなか
 った。韓国はやがてベトナム戦争に参戦し、戦争ビジネスへと参入する。70年代から
 は中東への建設労働者派遣も始まる。これらの過酷な労働力輸出で得た外貨が、韓国の
 工業化の原資となった。 
・植民地支配の屈辱からの脱出と、北朝鮮との緊張関係をテコに、この国は急速な経済成
 長を遂げ、先進国の仲間入りを果たした。そして、日本もそうであったように、いや日
 本以上に、その急速な発展のしわ寄せが、現在の韓国社会を覆っている。あるいは、急
 速な発展の末の虚脱感も深刻だ。
・現在の韓国社会は、日本以上の激しい競争社会であり、いわば国家全体がブラック企業
 化している。成功者であっても一瞬たりとも気の抜けない、文字通り「息苦しい」社会
 になってしまった。
・1990年代末のアジア通貨危機以降、経済優先、大企業優先の政策がさらに加速した。
 格差は広がり、特に財閥による寡占が進んで、社会的不公正は抜き差しならないところ
 まで来ており、それに対する怨嗟の念が社会全体に渦巻いている。大財閥韓進グループ
 会長の長女が起こした、あの大韓航空「ナッツリターン」事件は、その一つの象徴に過
 ぎない。
・多くの若者たちが、「韓国はまだ先進国ではない」と感じる大きな理由の一つも、この
 富の偏在、財閥による寡占状態を根元とする社会的不公正の蔓延にある。
・客観的に見ればすでに立派な先進国であるはずの韓国と韓国人が、対外的には先進国で
 あるとアピールをしながらも、実際の国民感情としては、自分たちは先進国だとは思っ
 ていない、さらに厳しい言い方をするならば、先進国としての自覚がないという点にあ
 る。 
・これまでは、政局が不安定になると、対北朝鮮カードか反日カードを切ることによって
 危機意識や愛国心を煽り、政権への求心力を高めるというのが歴代韓国政府の常套手段
 であった。
・しかし、北朝鮮に対する圧倒的な経済的優位が明らかになり、また民間ベースでの対日
 交流がこれほど盛んになった現在においては、対北朝鮮カードも反日カードも国民全体
 を動かすほどの力はもはやない。では、そのような対外圧力を利用せずに、どのように
 国を導いていくのか。おそらく、まだ韓国の政治家たちも、その答えを見い出せてはい
 ないのだろう。
・高度経済成長が終りにさしかかろうとしているいま、韓国社会も韓国人個々人もアイデ
 ンティティの喪失の危機に直面している。成長から安定への落差は、日本以上のものが
 あるのだろう。いったい、韓国はどこに行こうとしているのか。
・いまの日韓のぎくしゃくとした関係は、下り坂を危なっかしく下りている日本と、これ
 から下らなければならない下り坂の急勾配に足がすくんでいる韓国の、そのどちらもが
 抱える同根の問題を、どちらも無いことのように振る舞って強がりながら、国を賭けて
 のキチンレースをしているようにしか見えない。 
・日本がアジア唯一の先進国から滑り落ちたことを受け入れられない人々は、この10年、
 繰り返し、中国経済の崩壊を予想してきたが、結局、大きな破綻は起こらずに、中国は
 米国に次ぐ経済規模を獲得するに至った。
・しかし、この「崩壊警報」は、いまも高らかに鳴り続けている。確かに、中国経済の成
 長が、これまでよりは緩やかになってきていることは間違いない。しかし、それでも
 「6.9%」である。あの巨大な国家が、毎年7%前後で成長しているのだ。ちなみに
 7%成長ということは、10年を経たずに、GDPがさらにいまの2倍になるというこ
 とを示している。
・おそらく今後も、いくつもの小さなバブルが弾けていくのだろう。それでも中国本体は
 経済成長を続けていく。14億の民が豊かになろうという物欲の巨大な波は、小さなバ
 ブルを次々と飲み込んでいくだろう。近隣諸国は、あるいは世界経済は、その小さなバ
 ブル崩壊のたびに右往左往させられる。そして残念ながら、日本は最も激しく右往左往
 させられる国となるだろう。なぜなら、中国の経済破綻を望む日本人の潜在意識が、隣
 国に対する冷静な判断を出来なくさせているから。
・ゆっくりと衰退していく自国の姿を受け入れることは、寂しいことである。しかし、私
 たちは、その寂しさに耐えなければならない。
・文明は客観的合理性を持ち、だれもが参加できる普遍的なもの。文化は逆に、不合理な
 ものであり、民族などの特定の集団においてのみ通用する特殊なもの。
・日本は文化は創ることができるが、文明を創り出し、輸出できるような国ではない。
・文明を生み出せるのは、国家の中に多民族を抱えた連邦国家のみである。中華文明、ヨ
 ーロッパ文明、アメリカ文明、イスラム文明・・・日本文明という言葉はない。
・異なる文化が混ざり合い、押し合いへし合いしながら、やがて文明と呼ばれるものが生
 まれる。ただし、それは川底を転がりながら丸くなった石のように、えてしてつまらな
 いものであり味気ないものかもしれない。
・日本の新幹線は世界最高峰の技術を持っているはずなのだが、これがなかなかすんなり
 と海外への輸出に結びつかないのはないか?
 ・オーバースペックでコルトがかかりすぎる
 ・安全基準が違う
 ・在来線の線路を併用する欧米型と、完全に新線として敷設する新幹線では規格が異な
  る
・高速鉄道を走らせるのは文明である。誰もがそれを便利だと思う。だからどの国も、経
 済がある程度成熟すると、高速鉄道を建設する。しかし、10分間隔でこれを運行し、
 さらに1分の遅れが出るのも慎重になると、逆に言えば、1分の遅れで一般市民から苦
 情が来るのは、日本特有の「文化」である。
・「時間通りの方がいいに決まっているやないか!」とお怒りになる方もいるだろう。だ
 が「いいに決まっている」というのは、すでにその時点で一種の判断停止だ。それこそ
 が「文化」の限界なのだ。
・たとえばスペインやイタリアの高速鉄道では、列車が予定より数分早く終着駅に着くこ
 とがある。一時間に数本、途中の停車駅も少ない特急列車なら、それで誰も困らない。
 せいぜい車中で居眠りをしていた人と、ギリギリの時間に駅に出迎えに来た人が、「え、
 もう着いてしまったの」と戸惑うくらいだろう。世界中の大多数の人々にとっては、こ
 ちらの方が標準だ。
・世界には様々な文化がある。文化は客観的合理性によって成り立つものではないので、
 よしあしではないし、まして優劣でもない。その文化の中に、良きところもあれば、悪
 しきところもある。それは時代や、もっと小さなタイミングによっても異なってくる。
・異文化理解や相互交流には、「自分たちの標準とするものが、世界の標準であるとは限
 らない」という認識を、きちんと持っているかどうかという座標軸がある。だから、こ
 れをマトリックスで考えるなら、4つの象限がここに立ち現れる。
 1.自国の文化を愛し、それを標準として他者にも強要してしまう人
 2.自国の文化を愛しつつも、それが他の文化にとっては標準とはならないことを知っ
   て、適切に振る舞える人
 3・自国の文化に違和感を感じ、それを強制されることに居心地の悪い思いをしている
   人。あるいは、自国の文化に自信を持てず、他国の文化を無条件に崇拝してしまう
   人
 4.自国の文化に違和感を感じても、それを相対化し、どうにか折り合いをつけて生き
   ていける人
 異文化理解を進めるということは、とりもなおさず、2.と4.の象限の住民を増やし
 ていくことに他ならない。
・文化はときに味気ない。人々は、多くの場合、自分の文化に安住しがちだし、それもあ
 ながち間違ってはいない。しかし、すでに私たちが国際社会に生きて、他国と没交渉で
 はいられない以上、一定程度、その味気なさに耐える力を身につけなければならない。
 自国の文化の一定部分を譲り渡す寂しさに耐えなければならない。
・新幹線が売れない理由の一つであった安全基準の違いは、「安全」に対する日本人の感
 覚の特殊性にも由来する。世界一安全な日本の新幹線が、安全設計上の問題で売れない
 というのは不思議に思われるかもしれないが、これもまた事実である。
・日本の新幹線と、独仏の高速鉄道の姿を思い浮かべてほしい。日本の新幹線は動力分散
 方式を採用しているのに対して、欧州の高速鉄道は動力集中方式、すなわち機関車が前
 後について、他の車両を引っ張っている。そのため欧州の高速鉄道の先頭車両は、運転
 席と動力部分で占められていて乗客は二両目以降に乗車する。見た目も、新幹線の先頭
 車両のような流麗なフォルムではなく、ごっつい角張った車両が多い。
・新幹線は、絶対に事故が起きないことを前提にして制度設計がなされている。そしてた
 しかに、開業以来50年、衝突事故どころか、人身事故も一度もおこしていないという
 素晴らしい成果を上げている。一方で、欧米の高速鉄道は、おそらく事故が起きた際に
 最悪の事態を避けるように、あるいは被害が最小限に食い止められるように設計がなさ
 れている。  
・新幹線の運行実績は素晴らしいが、しかし事故はいつか起こるのだ。そして、もし事故
 が起こったとき、新幹線のそれは、相当に壮絶なものになるだろうことは想像に難くな
 い。
・原発事故を引き合いに出すまでもなく、JR西日本は、2005年の福知山線脱線事故
 で107名の死者を出している。これは先進国で起きた列車事故の中でも、相当に大き
 な事故であった。
・福島第一原発事故で問題になった日本の「安全神話」は、民族の体質、すなわち文化に
 由来するものだと思われる。
・1940年の時点で、零式艦上戦闘機いわゆる零戦は、確かに世界最強だった。1対1
 でのドッグファイトでは、パイロットの技量が同等なら、絶対に負けることがない無敵
 の戦闘機だった。しかし、零戦には、徹底した軽量化のために防御機能を極端に減らし
 たという弱点があった。特に、パイロットを守るための防弾が弱かったとされている。
 私は、基本的には、ここでも制度設計の文化の違いがあったように思う。陸軍も海軍も、
 決して単純な意味で、最初から人命を軽視したわけではないだろう。優秀なパイロット
 を育成するには、最低でも3年程度の時間を要するのだから、それを無駄にしていいわ
 けがない。それよりも、「絶対に負けない」という設計思想に問題の本質があるのでは
 ないか。絶対に負けない飛行機を作れば、確かに防御の必要はない。だが、そのような
 無敵の戦闘機は、この世に存在しない。
・最終的に米軍がとった零戦対策は、至極単純なものであった。「零戦に対しては、二機
 であたれ」この単純な対処法をもとにした物量作戦により、零戦はあっけなく撃ち落と
 され、多くの優秀なパイロットの命が失われていった。
・「絶対事故が起きない」「絶対負けない」という安全神話・不敗神話は、日本文化の特
 質である。しかし、事故は起き、零戦は敗れた。
・日本の「絶対負けない」という不敗神話は、おそらく、戦争に負けた経験がとても少な
 いという事実によっている。この国が、多民族と戦って明確に敗れたのは、663年の
 白村江の戦いと、1945年の第二次世界大戦以外にはない。およそ、どの国も、他国
 との戦争に勝ったり負けたりしながら、自他の長所と短所を知り、国の形を明確にして
 いく。 
・軍事強国であるドイツを隣国とするフランスなどはその最たるもので、この国は、およ
 そ戦争には弱いのだが、負けてからが強いという特殊性を持っている。オランダの狡猾
 さ、スイスの堅守、ベルギーの柔軟性、いずれにしても、それは周りの強国とどのよう
 に付き合っていくかを、多くの血を流しながら学んだ結果の知恵だろう。 
・もしも文明を成立し進化させる要件が、異なる文化が混ざり合い、押し合いへし合いす
 ることにあるなら、私たちの進まなければならない道は明らかだろう。東アジア文化圏
 の連隊を、よりいっそう強めるのだ。
・ドイツがEUの中核をなし、ユーロを堅持しようとするのは、単なる贖罪ではない。そ
 うしない限り、欧州の中のドイツというアイデンティティを保たない限り、またこの国
 は、自国を滅亡の寸前に追い込んでしまうからだ。
・東アジアの状況は欧州よりも深刻だが、それでもやはり、中国を孤立させず、日韓が下
 り坂を確かな足取りで下り、北朝鮮の体制の崩壊を待ち、その受け皿をしっかりと作っ
 ていく。日本が日本固有の文化を守り、アメリカの属国にならず、中国の植民地にもな
 らない道は、おそらくここにしかないと私は思う。
・第二次安倍政権が、外見上、見事なスタートダッシュに成功したのは、主に二つの要因
 が挙げられる。一つはアベノミクスが、少なくとも表面的には成功して、株価と大企業
 の収益が上がったこと。もう一点は、ナショナリズム的な傾向を強めることで、自信を
 失っていた日本人に、なにがしかの希望のような幻想を抱かせたこと。
・ナチスドイツにおけるユダヤ人迫害に象徴されるように、ファシズムは、特定の敵を作
 ることで強化される。ファシズムは、常に外に敵を作り続けなければならないが故に、
 いつしか必ず限界が訪れる。
・安倍内閣もまた、中韓を敵とするイメージ作りが高い支持率の一因となってきたことは
 間違いない。ただ、国民は基本的には中道路線を望んでいるから、ここにもまた限界が
 ある。
・すでに「外敵」カードは、有効性を失いつつある。ではなぜ安倍内閣は、国民から評判
 の悪い国家主義的な政策を、次々に推し進めようとするのだろう。経済政策だけに力を
 入れていればいいのではないかと、これは、財界を中心とした多くの安倍支持者も思っ
 ていることだろう。
・安倍首相とその周辺の人々には、おそらく二つの誤謬がある。一つは、日本が文明を輸
 出できる国だという錯覚。「日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく」という妄
 想は、これを端的に表している。もう一つの誤謬は、「絶対に負けない」という不敗神
 話だ。
・第一次安倍内閣は、余りにも悲惨な仕方で瓦解した。安倍首相にとっては、人生最大の
 屈辱であったろう。そして彼は、見事に政権の座に返り咲いた。過去の挫折があまりに
 大きかったために、今回、「自分は負けない」「第一次安倍内閣でも実は負けてはいな
 かった」という妄想に陥っているのではあるまいか。
・兵站を「後方支援」と言い換える詭弁、後方支援であるから自衛隊のリスクは高まらな
 いという錯覚、極めて曖昧な「存立危機事態」について、集団的自衛権を行使するかど
 うかは政府が判断をするのだから絶対に間違わないという強弁。それらはいずれも、こ
 れまで書いてきた日本の特殊な「文化」に由来する。そこにはなんのリアリティ、客観
 的合理性もない。
・安倍首相は、日本がアジア唯一の先進国の座から滑り落ちたことを受け入れられない日
 本人の典型である。典型である以上、一定数の支持を保ち続けることは間違いない。し
 かし、いま日本人に必要なのは、その寂しさに耐えることだ。小さなプライドを捨て、
 私たちはゆりかごから外に出なければならない。安倍政権を攻める側もまた、この文化
 の構造を理解しなければ、本当の勝利は得られない。

寛容と包摂の社会へ
・日露戦争の指導原理そのものが、「勝利はやっと五分五分である。それを、戦略戦術に
 苦心してなんとか六分四分にもってゆきたい」という、いわば勝つよりも負けないよう
 に持ってゆくということが、全軍の作戦思想をつらぬいている原則のようなものであっ
 た。
・要するにロシアはみずから負けたというところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵
 軍のそのような事情のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であ
 ろう。
・戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとし
 なかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部
 分において民族的に痴呆化した。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやっての
 けて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年ののちのことである。
・日本国の通弊というのは、為政者が手の内、とくに弱点、を国民に明かす修辞というか、
 さらにいえば勇気に乏しいことです。日露戦争の終末期にも、日本は紙一重で負ける、
 という手の内は、政府は明かしませんでした。
・たとえば第一次大戦で、陸軍の輸送用の車輛や戦車などの兵器、または軍艦が石油で動
 くようになりました。石油が他から輸入するしかない大正時代の日本は正直に手の内を
 明かして、列強なみの陸海軍はもてない、他から侵入をうけた場合のみの戦力にきりか
 える。そう言うべきなのに、おくびにも漏らさず、昭和になって、軍備上の根底的な弱
 点を押し隠して、かえって軍部を中心にファナティシズム(熱狂)をはびこらせました。
 不正直というのは、国をほろぼすほどの力があるのです。
・おそらく、いまの日本と日本人にとって、もっとも大事なことは、「卑屈なほどのリア
 リズム」をもって現実を認識し、ここから長く続く後退戦を「勝てないまでも負けない」
 ようにもっていくことだろう。 
・もともと「アベノミクス」というのは、残り少ない日本の人的・物的資本を、東京に代
 表される競争力のある部分に一極集中させ、長引く不況・デフレをとにかく克服しよう
 という施策だったはずだ。その賛否はともかくとして、いまだ道半ばの現時点で、この
 ような戦力分散型の政策が成功するのか?
・竹下内閣の「ふるさと創生事業」のような、いわゆる「バラマキ」にならない保証はど
 こにあるのか。政府が「バラマキにはしない」としゃかりきになって言ったとしても、
 その実行をどこが担保できるのか。
・今回の地方創生の最大の課題は、人口減少対策である。人口減少に歯止めをかけるため
 の施策を競わせて、いいアイデアのある自治体には手厚く補助金を出すというのが、地
 方創生事業の実質だ。だが、この問題を考えるときに留意しなければならないのは、少
 子化、人口減少対策は、大都市圏と地方では、まったく異なる様相を持っている点だ。
・大都市圏では「ワーク・ライフ・バランス」が叫ばれる。女性が社会進出を果たしたと
 しても、きちんと子育てがしやすい環境を作る。男性も育児に参加する。子育てとは直
 接関係ない場面でも、残業を減らし、有給休暇を取得しやすくして、仕事とそれ以外の
 人生のバランスを見直していく。それはとても大切なことだ。
・「待機児童問題」に象徴される「ワーク・ライフ・バランス」のための様々な施策は、
 大都市圏のみが抱えている問題だ。地方には、まだまだ子どもを受け入れる余力があり、
 土壌がある。  
・地方における少子化問題の本質は、「ワーク・ライフ・バランス」ではなく、「非婚化
 ・晩婚化」だ。地方では、結婚さえできれば、まだまだ子どもを産んでくれる。しかし、
 この問題について、霞が関は切実さを持っては捉えていないのではないかと思う。
・地方の抱える問題は非婚化・晩婚化であり、「偶然の出会いがない」。偶然の出会いの
 場をことごとくつぶしておいて、人口減少をなげくのはナンセンスだ。 
・地方都市には、出会い、とりわけ偶然の出会いがない。また、人口10万人程度の都市
 だと、高校の数も限られ、高校進学時点で偏差値が輪切りにされた人々は、その時点で
 人生の方向が決められたかのような気になってしまう。
・一部の若者はいわゆるマイルドヤンキー化し、そのことに耐えられない一部の若者は、
 偶然の出会い(という幻想)を求めて大都市へ向かう。実際問題として、大学のない都
 市では、進学を理由に一定数の若者たちは、いったんはふるさとを離れなければならな
 い。
・文化資本が脆弱な地方の若者たちは、都会に出ても「偶然の出会い」の機会が少ない。
 また、たとえそれが叶い結婚できたとしても、都市部においては、出産・子育ての環境
 は劣化の一途をたどっており、多くの子どもを産み、育てることはできない。
・要するに、若者たちを地方の回帰させ、そこに「偶然の出会い」を創出していくしか、
 人口減少問題を根本的に解決する方策はないのだ。 
・わざと避けられているのではないかと思うほどに、文化政策についての言及がないのは
 何故だろう。どうして、「センス」を問題としないのだろう。夢物語を語っているので
 はない。欧州の自治体では、文化政策は予算の5%から10%を占める重大な施策であ
 る。文化による社会包摂や都市再生は、きわめて一般的な政策だ。何故、日本だけが、
 それをほとんど試すことさえしないのか。
・もはや日本は、工業立国ではない。成熟社会が到来すると、大量生産大量消費を前提と
 した労働集約型の産業構造が崩れていく。産業そのものの流行り廃りも激しくなり、労
 働人口は流動化する。企業は、幹部職員以外はできるだけ非正規雇用として、常に適切
 な人材を、適切な数だけ採用したいと考える。それ故、終身雇用制が崩れるのは、仕方
 のない側面もある。
・北欧の国々では、企業は比較的簡単に社員を解雇できるが、その代わり、失業保険の支
 給を含めた就労支援も手厚い。雇用は流動的で、生涯に何度か転職する方が一般的なの
 で、一つの職に就いていても、次の職に就くための職業訓練が受けられる。
・旧来の日本型の終身雇用と、デンマークお在り方のどちらがいいかは比べにくい。文化
 の違いもあるだろう。しかし、いまの日本のように、短期間の失業手当と貧弱な就労支
 援しかないままで、非正規労働者だけが増えていく状態は最悪だ。
・重要なことは、産業構造の転換のスピードが速くなってくると、人々は、若いときに身
 につけた知識や技術だけで一生、一つの職に就くということが難しくなってくる。
・製造従業者の再就職が難しいのは、コミュニケーション能力の問題が大きな比重を占め
 ている。彼らはおしなべて、「自己アピールができない」と言われる。しかし、日本の
 中高年の男性は、幼少期、男親から「男は自慢話などするものじゃない」と教え育てら
 れてきているのだ。今さら、そのメンタリティを変えるのは至難の業だ。
・もはや日本は、成長社会ではない。大きな経済成長や人口増加を前提としない。その厳
 しい状況をしっかりと受け止め、「勝てなくても負けない」街づくりを指向する。総力
 戦で、人口減少をできる限り食い止め、その間に持続可能な社会の実現を目指す。
・具体的には、まず外貨の稼げる基幹産業に注力する。循環型エネルギーの導入。医療や
 介護は、無理のない範囲で相互扶助を増やす。  
・もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない。外国人、とりわけアジアの方々を、単
 純労働者ではなく、一市民としてきちんと受け入れる。偏見や差別のないリベラルな街
 を作る。
・いま、日本社会全体が、「自分以外の誰かがうまい汁を吸っている」と疑心暗鬼になり、
 妬みや嫉みが蔓延する息苦しい社会になっている。きわめて少数の生活保護不正受給者
 のために、生活保護精度全体へのバッシングが強くなっている。雇用保険受給や障害者
 手帳の交付についても、厳しくなったという風聞がある。