下り坂の芝生 :堺屋太一

油断!/団塊の世代 油断! [ 堺屋太一 ]
価格:3850円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

文庫 鬼と人と(上) 信長と光秀 信長と光秀 [ 堺屋太一 ]
価格:704円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

文庫 鬼と人と(下) 信長と光秀 信長と光秀 [ 堺屋太一 ]
価格:704円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

地上最大の行事 万国博覧会 (光文社新書) [ 堺屋太一 ]
価格:924円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

歴史の遺訓に学ぶ 日本を拓いた偉人たち [ 堺屋太一 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

組織の盛衰/日本を創った12人 [ 堺屋太一 ]
価格:4510円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

峠の群像(上) (堺屋太一著作集 第6巻) [ 堺屋 太一 ]
価格:4620円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

峠の群像(下) (堺屋太一著作集 第7巻) [ 堺屋 太一 ]
価格:4620円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

堺屋太一著作集(第5巻) 鬼と人と [ 堺屋太一 ]
価格:3630円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

巨いなる企て 上 (堺屋太一著作集 第2巻) [ 堺屋 太一 ]
価格:3740円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

巨いなる企て 下 (堺屋太一著作集 第3巻) [ 堺屋 太一 ]
価格:3850円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

団塊の後 三度目の日本 [ 堺屋太一 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

全一冊 豊臣秀長 ある補佐役の生涯 (PHP文庫) [ 堺屋太一 ]
価格:1210円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

知価革命/日本とは何か 堺屋太一著作集 第15巻 [ 堺屋太一 ]
価格:4510円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

団塊の秋 (祥伝社文庫) [ 堺屋太一 ]
価格:858円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

ある補佐役の生涯 豊臣秀長 上 (文春文庫) [ 堺屋 太一 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

ある補佐役の生涯 豊臣秀長 下 (文春文庫) [ 堺屋 太一 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

団塊の後 三度目の日本 (毎日文庫) [ 堺屋 太一 ]
価格:825円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

日本米国中国団塊の世代 [ 堺屋太一 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

堺屋太一著作集(第10巻) 秀吉ー夢を超えた男 下 [ 堺屋太一 ]
価格:4620円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

平成三十年 (堺屋太一著作集 第14巻) [ 堺屋太一 ]
価格:4950円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

堺屋太一著作集 第8巻 『俯き加減の男の肖像』 [ 堺屋太一 ]
価格:4510円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

堺屋太一著作集(第9巻) 秀吉 夢を超えた男 上 [ 堺屋太一 ]
価格:4510円(税込、送料無料) (2022/1/1時点)

この作品は、いまから39年前の1983年に発表され、のちに「世紀末の風景」という
本に収録されている経済短編小説のひとつである。
内容は、1980年時点から見て、10年先の1990年代の日本はどうなんているかを
予測したもののようだ。
旧友同士という黒木と望月の二人の男が登場する。黒木は東大法学部卒のエリート、もう
一方の望月は二流私大卒。二人は偶然にも同じ総合商社に同期入社するのだが、当然なが
ら、将来有望なエリートとそうでない者とのその後の社内での立場は歴然としていた。
しかし、不況期に突入した1990年代になると、企業間競争が激化して、それまでの高
度成長時代の組織のやり方では通用しなくなってきた。八方美人的なエリートよりも、多
少個性が強くても、稼げる人材が求められてきたのだ。このため、黒木と望月の二人の間
で、大逆転劇が起こるのである。
この著者の予想は、既成の枠内だけやっていては、もはや立ち行かなくなるという点にお
いては、当たっていたと言えるのだろう。しかし、それでは日本は、既成の枠の外に飛び
出すような流れになったのだろうかと言えば、甚だ疑問符がつくのではないだろうか。
一部は既成の枠を飛び出した企業もあっただろうが、おおかたは既成の枠を守ることに終
始して現在に至っているというところではないだろうか。2021年の現時点で過去を振
り返ると、私にはそういうふうに思えるのだが、どうだろうか。


1992年・冬
・二人の中年男は、固い表情で名乗り合ったあとで、手を握り合って声高に爆笑した。他
 人行儀な自己紹介の交換は、親しい旧友同士のおふざけだったのだ。二人は、1947
 年生まれの同級生、それも同じ高校のラクビー部でスクラムを組んだ仲だ。
・高校同級の同年入社とはいえ、東大卒の黒木哲治にとっては、二流私大出の望月明夫が
 「一緒に入社した」というのは不愉快だった。
・現に、今日からのポストは部の部長と部付総務、決定的な違いがある。黒木哲治の地位
 は、同年入社の者の中では最高位に属する。この部長職は、大興商事本社の中堅課長格
 と見なされている。膨大な数の中高年層を抱える総合商社において、入社22年の45
 歳でこの地位にあるのは将来有望なエリートといえる。
・それに比べて、望月のポストは弊職中の弊職。部付総務などといえばちょっと聞えはよ
 いが、その実態は雑務担当の平。つまり、年功を積んだ不出来な社員に与える虚名、い
 わゆる「お慰めポスト」なのだ。
・望月は、今から十数年前、30歳前後で早々に浦安のあたりで土付一戸建てを買ってい
 る。あの「石油ショック」の2,3年後、一時的に土地の値が下がった時期だ。
・いまだに公団住いの黒木には、家の話を持ち出されたのが腹立たしい。
・黒木と望月は、子供の頃は親友だった。中学から同高校へと、6年間も同級であり、高
 校時代には共にラクビー部に入り、一応正選手にもなった。しかし、二人ともそう熱心
 に練習したわけでもなく、受験校知られていた高校では誰でも正選手にはなれたのだ。
 その代わり、対外試合は少なく勝った記憶など全然ない。何しろ1時間もグラウンドで
 ぶらぶらすると、部員の大半が進学塾に走り出す状態だったのである。膨れ上がった
 「戦後っ子」世代の入口に当たる彼らは、幼い頃から激しい競争を余儀なくされていた
 のだ。実際、黒木と望月が本当に親しくなれたのは、5年間も通い続けた進学塾のお陰
 かも知れない。ここでの成績が共に「上の下」ぐらいだった二人は、東大法学部を目指
 す戦友として付き合えた。
・しかし、1965年3月の現役受験では二人とも失敗した。そして、それと同時に二人
 の友情も消え失せた。黒木は「来年こそ」の闘志を燃やしていたが、望月は、京北大商
 学部に受けっていたので、そっちへ行くことを決めたのだ。その日以来、黒木にとって、
 望月は軽蔑の対象以外の何物でもなくなった。
・幸い、黒木は翌年の受験で東大文科一類に合格できた。希望の法学部に進むコースであ
 る。
・4年間の学生生活を女学生との交遊とも学園紛争とも無縁に過ごした黒木は、1970
 年4月、その頃最も人気のあった就職先の一つ、大手商社の大興商事に入社した。そし
 てそこに、望月の姿を見出した。それも、同年入社の同僚としてである。
・望月のほうも、学生運動には関わらなかったが、ながい休講の間にビートルズの音楽と
 タコ上げに熱中した結果、一年留年した挙句、同じこの年に大興商事に入社したのだ。
・しかし、望月の入社は異例の幸運でも会社の人事担当者の不明のせいでもなかった。高
 度経済成長の末期、誰もが目もくらむような未来の予測に酔い痴れていたその頃は、ど
 この会社でもやたらと大勢の大学卒業者を採用していたのだ。「人材さえ抱えれば必ず
 それに応じた仕事量が出て来る」という「成長痴呆的発想」に陥っていたのである。
・ちょうど戦後生まれの「団塊の世代」が大学を出る時期ではあったが、これでは人不足
 になるのも当然だ。企業の間の激しい「人奪り合戦」が展開され、翌年の卒業予定者に
 まで採用通知を発送する「青田買い」が遠慮なく行われていたものだ。
・二流の私大を5年かかって卒業した望月が人気就職先の大興商事に入れたのも、そんな
 時期だったからだ。望月の幸運は、この男に備わった特異なものではなく、高度成長の
 末期に大学を出た「団塊の世代」に共通したものだったといえる。
・望月のような男までが大興商事に採用されたことの不快感は長く残った。それを幾分で
 も薄れさせてくれたのは、二人の配属された武門が違っていたことだ。黒木が配属され
 たのは成長著しい航空機事業部であり、望月が行ったのはおもしろ味のなさそうな食品
 事業部、それもドサ回りの多い国内営業部だった。
・この当時、総合商社の多角経営振りを象徴するのに「ジェット機からラーメンまで」と
 いう言葉が流行っていたが、黒木はその「ジェット機」のほうに入り、望月は「ラーメ
 ン」の側に回されたのだ。
・「同じ大学卒の社員でも会社の扱いはまるで違う」と黒木はそんな意識を持った。そし
 てそれを決定的にする出来事が入社6年目で訪れた。ちょうど黒木が結婚した直後、
 「ニューヨーク勤務を命ず」という辞令が出されたのだ。
・日本人の所得水準は高まり、日本商品の輸出競争力は急速に強まりつつあったが、まだ
 まだ海外勤務は魅力のある時代だったのだ。ことにニューヨークは、世界のビジネスの
 中心地として若い商社員には憧れの都だった。
・ニューヨークの4年間は、ほぼ満足すべきものだった。富と貧困が交錯するこの大都会
 は若い商社員に適度に緊張感を与えてくれたし、芝生に囲まれた郊外生活は快適だった。
 為替相場の激し変動が収入を増減させたが、日本人駐在員の暮らしは概して豊かだった。
 その上、よき上司にも恵まれた。内海啓介がそこにいたのだ。
・望月はその期間の大部分を北海道の視点で魚の買付けに追われて過ごしていた。
・内海啓介こそは、黒木の信じる商社マンの「あるべき姿」である。東京大学をストレー
 トで入り優秀な成績で法学部を卒業した頭のよさ、二世並みに英語がしゃべれ、フラン
 ス語とスペイン語もかなりという語学力、大興第一の残業量といわれるほどの仕事熱心、
 些事をおろそかにしない真面目さ、部下思いの親切心、決して独断専行することのな
 い慎重さ。
・4年間のニューヨーク勤務を有意義にやれたのも上司に内海がいたお陰だ、と黒木は思
 っている。あれからすでに16年になるが、その気持ちは今も変わらない。
・だが、ニューヨークにいた頃は、ふくよかな頬に黒々とした長めの髪を備えていたその
 顔にも、今は皮膚のたるみと白髪が目立っている。「この人も、もう57なんだ・・・」
・この十年間、「知恵の時代の到来」とやらに対応して、大興商事でも「即断即決を目指
 す組織の細分化」が進められている。事業別地域別に多数の子会社孫会社を分離独立さ
 せ、それぞれが独自の判断で迅速に決定行動できるようにしとうというのだ。今では、
 大興商事グループに数えられている子会社孫会社は大小合わせて七百余りになるそうだ。
 黒木の出向している「大興開発企画」も同様の趣旨で、地域開発や土地整備事業の企画
 設計を専門に行う企業として、本社の開発事業部の企画設計部門が分離独立したものだ。
・しかし、現実にはそれが決定と行動の迅速さを増したかどうかは大いに疑問だ。一つの
 事業を行うにも、それぞれに独立した子会社孫会社が何十と関与するため、かえって連
 絡先が増え、調整に手間取る例も少なくない。小さなファッション商品やアイデア商品
 には便利な組織細分化も、こみ入ったプロジェクトの遂行にはかえって困難を増す結果
 となっている。
・ここ6,7年、日本の輸出競争力は低下の一途だし、長い間商社の喰い扶持となってい
 た石油や鉄鉱石の輸入手数料もガタ減りだ。かつての花形企業・総合商社も軒並み赤字、
 大興商事グループも連結決算では4年連続の欠損だ。そんな状況では、今や唯一の発展
 市場といわれるリタイアズ・マーケットへの進出に大きな期待が寄せられたのも当然だ
 ろう。
・だが、黒木の引き継いだ基本構想案なるものは、二十年前のアメリカの老人タウンを丸
 写ししたような平凡なものだった。企画書の中には、沖縄の温暖気候に拡がる広大な敷
 地と豊かな緑、紺碧の海を眼下にした健康的な環境などが、さも重大げに書き連ねてあ
 るが、とても老人たちを沖縄まで移動させるほどの魅力があるとは思えなかった。
・しかも、いつの時代でも成長市場には新規参入が多い。その頃から他の商社や建設会社、
 大手の流通業者なども同じような企画を次々と発表し出した。加えて、国家財政の極度
 の悪化で年率10%近い物価上昇にもかかわらず老齢年金はほとんど上がらず、企業の
 年金や退職金に至ってはむしろ減り気味だ。つまり、老人の数は増えても金持ち老人は
 少なく、老人マーケットは思ったほど伸びない。
・「特色あるアイデア」などは、そう簡単に出るものではない。「独創性は若いうち」と
 いう常識に従って若手社員にブレーンストーミングをやらしたり、「老人のことは老人
 に聞かねば」と、大興商事OB会に赴いたりしたが、実行できるようなアイデアはほと
 んど出なかった。結局、大興開発企画として提案できたのは、入居する老人たちに古自
 転車や古時計を修理させ、手芸品を造らせたり販売する施設と機構を造ることぐらいだ
 った。
・だが、六カ月ほど経った頃、こんな状況を吹き飛ばす出来事が起こった。尊敬する先輩・
 内海啓介が「大興開発企画」の専務兼余暇事業部長に就任してくれたのである。内海は、
 ニューヨーク勤務のあと、本社の燃料開発部長を経て、「ドイツ大興」の社長としてデ
 ュッセルドルフにいたのだが、年ぶりに東京に戻ったのだった。
・この人事に黒木は狂喜した。仕事熱心で調整能力に優れた内海のような上司が欲しかっ
 たし、「高齢化先進国」といわれる西ドイツの経験も活用できると期待していたからだ。
 大興商事本社の副会長を務める老人が社長を兼務するこの会社では、代表権を持つ専務
 は事実上のトップである。
・内海が加わってから約1年たった去年の秋、ようやく1案がまとまり、施設部のほうが
 設計図を引く段階になった。だが、その時、また問題は元に逆戻りしていたのだ。
 「この程度じゃとても売れない」という声が、営業担当の会社や広報担当の会社から湧
 き起こったのだ。
・妥協に妥協を重ねて練り上げられたこの案は、もともと乏しかった特色をされに希薄に
 していた一方、多様な企画を盛り込む競争相手がこの間に続々と他の会社から出ていた。
 黒木らが知恵をしぼったつもりの農園併設なども、今ではありふれたものでしかなくな
 っていた。
・また黒木の苦しみと苛立ちの日々がはじまった。部下を集めて何度も会議をしてみたが、
 「目玉」といえるようなアイデアは出て来ない。それどころか、若い部員たちは真剣に
 考えようともしない。彼らのすることといえば、既に出ている企画を多少いじくるか、
 他所のパンフレットからアイデアを書き抜くか、外国の例を借用するかのいずれかだ。
・「つまらんものばかりだ・・・」黒木は、そう思いながらも資料だけは沢山作らせた。
 質の低さを量の多さで補うのは、先輩たちから教わった大組織の中での処世術の一つで
 ある。 
・「いま一つパンチの効いたのが欲しいなあ・・・」内海は、企画書の一つをペラペラめ
 くりながら呟いた。この男らしい気を配ったいい方だが、矛盾した表現の中に失望感が
 にじんている。
・「望月君って、なかなかの趣味人らしいねえ・・・。タコ上げなんかするそうじゃない
 か、あの歳で・・・」といってニヤリとした。黒木は、それに軽蔑的な意味あいを感じ
 てホッとしたが、内海は真面目な表情に戻っていた。
・大興商事グループに中年社員がやたらに多い理由の一つは、1980年代後半の不況期
 に、銀行などの押付けでこの種の「人付き借金付き」の吸収合併をいくつもやってこと
 だ。もちろん、こうした「中途編入者」の待遇はよくない。会社が倒産したのは全従業
 員の責任という考え方が、今や常識になっている。それでも、大部分の者が辞めようと
 しないのは、ほかに就職口を探すことが大変難しいからだ。よくない待遇に嫌気がさし
 て、「中途編入」を辞退した連中の中には、知り合いの喫茶店を手伝い、女の子並みの
 小遣銭稼ぎをしている者も多いという。近頃、マスコミで時々話題になる「アルバイト
 暮らしの中年」だ。本人はいずれ本格的な就職口が見つかるまでのアルバイトのつもり
 だが、結局はそれが長くなってしまう。
・「このC案がちょっとおもしろいと思うんですが・・・」C案とは入居する老人たちの
 中で、特に変わった人生を歩んだ者の話を、筆の立つ老人に書き取らせて出版しようと
 いう企画だ。これから高齢期を迎える人々の中には、新聞記者や雑誌編集などの経験者
 も少なくないし、その他でも書くことの好きな者は多い。日本の高齢化は、高学歴化を
 伴う形で進んでいるのが特色である。これが巧く行けば、書かれる側も書く側も「生き
 甲斐のある仕事」を持てるに違いない。いかにも時代の流れに対応した企画に見える。
・黒木の心中には、ある程度の期待感があった。提案者の菊池義郎は黒木の後輩、つまり
 東大法学部の出身なのだ。 
・しかし、菊池の説明を聞いて、黒木はいたく失望した。ようやくおもしりそうな案が出
 たと思ったら、それもまた他所からのアイデアの盗用なのだ。しかも七百万円もの費用
 を支払える老人は高齢者施設入居者にはごく少ないはずだ。これまで若い部員が提案し
 た多くのアイデアと同様に、菊池のそれも具体的な実現手段が欠けている。
・<高齢者というものは、何とも難しい・・・>黒木は改めてそれを思った。まず第一に、
 高齢者は多様だ。知識の経験も好みも性格も千差万別だ。経済状態も違えば価値判断も
 異なる。しかも頑固で、でき上がった性格と考え方を変えることもそろえることも不可
 能だ。それだけに大勢の高齢者を満足させるためには多種多様な催しと施設を用意しな
 ければならない。生き甲斐のある老後を遅れる施設を造るのは容易なことではないのだ。
・だが、それにも増して難しいのは、高齢者がみな、社会の中で活躍していた頃の思考と
 評価基準から抜けきれない点だ。例えば、仕事は収入という形で酬われない限り、社会
 に評価されたとは思わない人が多い。
・「銭金の問題ではない。社会に役立ったと感じれば生き甲斐がある」とは誰もがいう。
 しかし、数多くの実例は全く逆で、無報酬では必ず文句が出る。ただでは社会に役立っ
 ているという実感もないという声も出るし、役立つなら謝礼があって当然という要望も
 出る。日本では純粋なボランティア活動がないに等しく、その概念も普及していないの
 だ。もちろん、問題は周囲の人々にもある。無償の活動をする老人に対しては家族の理
 解も乏しい。
・<いずれ俺も、その老人になるんだ・・・>という忌まわしい気分になった。これまで
 考えたこともない厭な想像、厭な気分だった。それは、この男が45歳、62歳の定年
 まで17年を残している時点で、はじめて味わった「老いの恐怖」であった。
・「結局、上が悪いんだよな。僕らに資料ばっかり作らせてさ、自分は何も案出さねえも
 んなあ、上がバリバリ支持しなくちゃ僕らみたいな下っ端、動けねえよな」
・黒木は、前より激しい怒りに頭の心が熱くなった。だが、すぐそれは背筋を伝わって上
 がって来る冷たいものに変わった。「下が案を出して上が判断する」という日本式下意
 上達方式に慣れてきた自分たちの世代と、上の意向に従うことに慣れ切った今の若者と
 の大きな落差を痛感させられたのだ。
・黒木たちの世代が学泉紛争で騒ぎ回っていた頃に生まれ、石油ショックのあとでもの心
 がついた今の若者たちは、豊かさと小家族に慣れた「豊物の世代」だ。家庭では相競う
 兄妹もなく、町では異なる年齢の遊び相手がなく、学校では厳しい教師もいなかった。
 怖い兄貴の機嫌を取る術も幼い弟を保護する気遣いもなかった。彼らが学んだこととい
 えば、与えられた問題に適切な文句や番号を選ぶことだけだ。
 
1993年・春
・黒木は、一つずつ減って行く「あと何日」の数字を見るたびに思う。大興グループが高
 齢者市場に参入する最初の大型プロジェクトである「沖縄夏秋ネオポリス」が不人気で
 失敗に終われば、これに投じた資金がこげつくばかりか、あとに予定されている数カ所
 の同種事業も挫折する。それどころか、「大興は高齢者市場に無知だ」という評判も立
 てば、他の商品やサービスんビジネスにも影響をしかねない。
・だが、望月は、こんなことには全く無頓着のように、明るく陽気な顔でいる。「部長、
 これを・・・」といって、顔一杯の笑いを浮かべて、一枚の紙を差し出した。有給休暇
 届である。四カ月ほどの間、望月は、二、三週間に一度ずつの割合で金曜日か月曜日に
 休暇を取る。 
・年間20日間の有給休暇は、ほとんどの企業で実施さえている。だが、実際のこの権利
 を全面的に公使するのは、結婚までの腰かけOLか、定年間近い高齢社員、現場の勤労
 者に限られている。「若い連中は相当ドライに休む」といわれるが、それでも20日の
 有給休暇全部を消化するのは最初の二、三年で、30歳近くになるとぐっと減る。まし
 て40代の大学卒業社員ともなれば、のうのうと有給休暇を楽しむような者はいない。
・「有給休暇を活用して英気を養うように」と時々、会社側からはそんな通達が回される
 が、その通りに実行する者はほとんどいない。それが経営者のホンネでないことをみな
 知っているからだ。
・「何だ、またタコ上げかね・・・」この前、望月が休暇申請した時の理由が、「全国風
 飛体大会参加のため」だったからだ。
・黒木は、「君もこの『夏秋ネオポリス』で、何かいい案ないか考えてみてくれよ」とい
 てしまった。この男にだけは、四カ月間一度もいわなかった言葉だ。
・「あのお、この間いわれた沖縄のアイデア・・・やっぱり、これがいいと思うんですよ」
 望月は、日焼けした顔をほころばせて、デスクの上に薄いパンフレットを載せた。青空
 に舞う帆船型の物体の写真に、「飛空」という白い文字を躍らせた表紙だ。黒木は、ち
 ょっとそれを見ただけで、露骨に厭な顔をした。
・「真面目な話、タコは老人向きですよ。昔からいうでしょう、タコ上げは健康によいと。
 空を見て大きな口を開いて息をする。姿勢がよくなり、新鮮な空気を吸う。つまり深呼
 吸になるんですね。時々孫とタコ上げのできる高齢者施設、これ、ちょっと魅力的じゃ
 ないですか・・・」
・望月は、いつになく真面目な口調でまくし立てた。その気迫に押されてか、黒木も一瞬、
 「なるほど・・・」とうなずいた。望月の話は雑駁だが、大筋としてはいい所を突いて
 いる。 
・健康によいという口実で老人たちの参加を促し、ある程度興味を持った所で制作のほう
 に進む。イベントを打って知名度を上げ、その作品を東京や大阪で販売する。退屈な老
 後生活には結構な刺戟になるだろうし、多少の収入にもなる。何しろタコの原材料はご
 く安価だから、売れ残ったとしても損にはなるまい。
・「『育つコミュニティ』『高齢者が育てるネオポリス』か、それはいいぞ、黒木君・・」
 黒木の話を聞いた内海は、久し振りに満面の笑みを浮かべてそう繰り返した。黒木が、
 昨夜一晩徹夜して書き上げた黒木自身の新しい企画の概要書である。その要点は、入居
 する高齢者に「生き甲斐のある仕事」の一つとして施設の建設に参加してもらい、自分
 たちの手であとに来る人々のコミュニティを拡げて育ててもらおう、という点にある。
・「僕は西ドイツに駐在していろいろと高齢者施設を見た。イギリスもスウェーデンでも
 ね。そりゃ立派な、豊かな人の有料施設もある。豪華で食事もサービスもよい。あらゆ
 る娯楽もあれば医療施設もある。もちろん長い長い余暇時間もだ。しかし三日とおれん。
 一つ完全に欠けたものがあるからだよ。つまり夢が全くないんだねえ・・・」と内海は
 海外での知識を披瀝した。
・その日から、黒木は猛烈な作業をはじめた。しかし、だからといって、「育つ高齢者コ
 ミュニティ構想」が、すらすらと進んだわけではない。施設部の調査役や技師たちは、
 無経験の高齢者に建設作業のような重労働は無理だと主張した。
・黒木は何度も説明を繰り返したが、中年以上の人々には容易に理解されなかった。規格
 大量生産による労働生産性の向上と至上とした「石油文明」の時代に社会に出た四十代
 以上の者には、能率も品質規格も考えないでよい世界というものが、どうにも想像でき
 ないらしいのである。
・それに比べると、1980年代後半の「長期不況」といわれた時期よりあと、つまり
 「石油文明」の崩壊後に入社した若者たちは、多品種少量生産の手造り主義にも慣れて
 いるように見えた。飛躍的な独創力に欠ける彼らも、与えられたテーマを実現する手法
 の発見には優れた能力を発揮することがある。
・「素晴らしいよ。黒木君。僕自身も退職金を全部抱えて沖縄に走りたくなったよ」と内
 海は笑った。特に彼が深い興味を示したのは、渉外部の青年が説明した生きる目的の有
 無と健康との関係についての研究だった。
 「なるほど、生きる目的を持っていれば老人ボケになる率がうんと低いのかねえ。これ
 僕もよく覚えておかんといかんなあ・・・」内海は心底感心した様子でそう呟いた。
・黒木が専務室に飛び込んだ時、内海は珍しく窓のほうに椅子を回して雑誌を見ていたが、
 振り返った瞬間にはちょっと暗いものを感じる複雑な表情を見せた。
・昔、ニューヨークにいた時だったか、焦り苛立つ黒木に対して、内海がいった言葉を思
 い出した。  
 「所詮、組織というのはギリギリの所に来ないと動かんもんだよ。早めに手を打って問
 題が重大化しないうちに解決するというのは理想だが、なかなかそうはいかん。それを
 やろうと一人頑張るとかえって嫌われて仕損じるんだ。組織の中で生きるためにはギリ
 ギリ一杯、事の重大性がみなに認識されるまで待つ辛抱と横着さがいるもんだよ」
・内海はまた、「何よりも身体を大事にしてくれよ。近頃は働き盛りの四十代に不幸が多
 いからなあ、わが社でも・・・」と言い出した。確かに、この二、三カ月の間に黒木と
 同年輩のエリート社員が二人死んでいる。一人は急病で、一人は自殺だという。大興商
 事グループに限らず、同様の事故は非常に多い。
・そのあとで内海のいった言葉は驚きだった。
 「君も今度の土日はゆっくりしないかね。一緒に浜名湖まで風飛体大会にでも行って」
 「専務もタコ上げなんかに行かれるんですか・・・」黒木は、素頓狂な声を上げた。
・「専務、実はもう一つ企画を追加したいのですが・・・」
 「ほう、タコ上げかねえ・・・なるほど、流石だよ、黒木君」
 「君んとこの部付総務の望月は風飛体に詳しいんだから相談してくれたまえ。きっと役
  に立つよ」 
 
1993年・夏
・「こ、これは何だ・・・」思わず、黒木は大声を出して叫んだ。社内情報として伝えら
 れた人事異動表を見た時だ。
 <どうして内海さんほどの人がこんな所へ・・・>
 内海の新しいポストである「産業翻訳家協会」というのは、あり余った中高年社員の職
 場造りのために大興商事が海外駐在経験者を集めて造ったもので、会社資料などの翻訳
 下請け会社、つまり最近大流行の「内職会社」である。内海ほどの仕事熱心な男が57
 歳という働き盛りの年齢で、そんな会社の副社長という隠居仕事に回されたのが、黒木
 にはまったく腑に落ちない。
・内海の後任の室伏健三の略歴書を見て、黒木は血の気が失せるのを感じた。まず第一に、
 年が若い、1944年生まれ、内海より9歳も若く、黒木自身より三つ上だけだ。第二
 に学歴が悪い。六甲大学というあまり知られていない学校を出ているだけだ。職歴もエ
 リートとはいえない。子会社に入って子会社孫会社を転々とするいわゆる「二軍回り」
 は結構多いが、室伏の場合は中でも小規模な会社ばかりを回っている「三軍組」だ。
 ただ、「エキスプロス」なる会社に入ってからの出世は目覚ましく、ほとんど毎年のよ
 うに昇進し、たた5年間で平取、常務、専務と昇り、3年前に副社長になっている。
 そのあとに並ぶ数字は衝撃的だった。凄まじい成長力。そして完全なソフト会社として
 は従業員1人当たり売上げが1億円もあるというのは驚きだ。
・室伏という男は、大興商事グループという巨大組織の中では異風だった。まず第一にそ
 の風貌と服装が変わっている。話し方も横柄だ。何もかも前任者の内海とは正反対だ。
  謙虚さとか円満さとかいうもののかけらもない。あんな奴をこの会社の専務にするな
  んて本社の幹部もどうかしている。黒木は、煮えくり返るような気分で考えた。
・「これまでみなさんの努力のせいで、なかなかよい案が出ている。ただ、まだ企画の個
 性が乏しい。個性というのは特定のものに傾斜することであって八方顔を立てることや
 ないんだ」室伏はそう言った。
 「いいかね、事業を成功させる秘訣は建前やなく本音で行動することや。つまり、人々
  のいうてることを聞くのではなく、していることを見んといかん」
 室伏は一気にそういうと、末席にいた望月の報を指差して、
 「望月君、君は日本風飛体協会の役員だそうだからよろしく頼むよ。その代りタコ上げ
 のことで必要ならいくらでも会社は休んでよい。全部出張扱いにするから」と宣言した。
・「会社ちゅうのは仕事の量でのうて利益の額や。昔みたいにシェア争いにうつつを抜か
  してる時代やないんやから。収入も多いけど支出も多くて全然儲からん、大飯喰いの
  大糞たれみたいな会社は今時あかんのや。そやから相手はんにも利益で釣り合うよう
  にしたげたらええわけや」
 要するに室伏は、仕事量がうんと減っても少しばかり単価をあげてやればよい、といっ
 ているのである。黒木は内心深くうめいた。

1993年・秋
・地味に、堅実に、大組織の一員として生きて来た黒木にとって、テレビ放映付きのタコ
 上げ大会などは、おもしろくもなければためにもならぬ仕事に思える。
・室伏の求める「即断即決」と「各人責任体制」による「利潤重視の運営」は、「時間を
 かけた根回し主義に慣れた黒木たちを戸惑わせた。
・<この男は、おそそ他人の気持ちというものを察しないらしい・・・>と、当初は黒木
 も思った。だが、相手は確実に実績を上げるのだから文句のつけようがない。
・「黒木君、今月の君の仕事の二割五分は私がしたね」といたずらっぽく笑った。そして
 それは、単なる冗談で終わらなかった。この時から、タコ上げ大会に関する権限は完全
 に黒木の手を離れ、室伏に直結する望月と若い菊池がやり出したのである。
・こんなことの繰り返しの中で、黒木はいつしか室伏の小間使い的立場に落ち込んでいる
 自分を発見した。しかもそれはひどく疲労を伴う小間使いだった。
・黒木には、あの内海の、時間をかけても八方丸く収まるのを待つ慎重で確実な方法が懐
 かしい。あれこそが、「正道」だという考えは今も変わらない。
・<いずれな・・・>黒木は心の中で呟いた。この男に密かに期待している「いずれ」が
 あったからだ。それは、室伏があお向けに転ぶ時、というよりは、あの内海が復権する
 時である。黒木は、内海の今のポスト、「西行翻訳家協会」会社の副社長という閑職は、
 遠からずより重要な地位に就くための待機ポストだと信じていたのだ・・・。
・黒木は、クラブハウスの戸をくぐり反対側に出た。そしてその瞬間に固唾を飲んだ。遠
 く海に向かって下る芝生の上に何十ものタコが点々と並んでいる。その色の多彩さと形
 の多様さは、黒木の想像をはるかに越えていた。
 「ほう・・・見事なもんだねえ・・・」黒木は、ある悲しみの中で歓声を上げた。
・「ああ、あれ望月君だねえ・・・」黒木は、その一団に号令をかけ、準備体操をさせて
 いる男を見て、驚きの声をあげた。かつて見たこともないような真剣な顔、活々とした
 姿の望月である。
・本部席テントには、日本風飛体協会の会長を勤める大学教授、テレビスポンサーとなっ
 た会社の役員、そして黒木たちの会社の社長である大興商事本社の副会長吉村真二郎な
 どがいた。  
・黒木は、吉村のすぐ隣りの席に座ろうとした。室伏が来ていないのだから、それが当然
 だと思ったのだ。だが、すぐ見知らぬ背広姿の男が、「あちらへ・・・」と後ろの席を
 親指で刺した。よく見ると、そこには「望月指導部長」と貼り紙がついていた。
・「初級の方、用意してくださ〜い」突然、ハンドマイクが大声を発し、下の方から人の
 群が動き出した。先頭に、ただ一人こちら側に顔を向けた望月が指導している。そして
 望月がゆっくりと走り出した。それについて横に拡がった人々が老人らしい足どりでゆ
 るやかな下り坂の芝生を走り出した。タコは、ほとんど上がったが。地上をひきずるも
 のも二、三あった。その一つ、やや大き目のタコを引きずっていた男が、焦ったように
 走り、そして転んだ。風飛体協会員の赤と白の帽子が落ち、白髪はこぼれた。
 <まずいなあ、あの爺さん・・・望月の奴、もっとよく人を選んで来ればよいのに>
 黒木はそう思った。が、次の瞬間、転んだ白髪の男が立ち上がり、顔が見えた。
 「アッ・・」黒木は思わず叫んで立ち上がった。まぎれこなく、内海だ。
・その時には既に先頭にいた望月が駆けより、内海の丸い身体を援け起こしていた。こと
 もあろうに、援け起こされた内海は、白髪を乱して、望月に向かって頭を深々と下げて
 いるではないか。それは黒木には信じられない光景だった。ようやく十メートルほど上
 がった大型のタコを引きつつ天を仰ぐ内海の顔は、南国の秋の陽を浴びていかにも幸せ
 そうだった。
・「吉村社長、そろそろ御挨拶の御準備を・・・」テレビ局のディレクターらしい男が、
 そういいに来た。「う、うん・・・どうするんだ」と吉村は戸惑い出した。テレビ局側
 の演出が変わったのか、打合せが不十分だったのか、本社の秘書も、菊池もウロウロし
 出した。
・「そこの・・・君・・・君でいいから・・早う望月君を呼んでくれよ、望月君を」 
 黒木は本部席の机を迂回して走り出そうとした。ほとんど同時に一人の男が「望月指導
 部長を呼ぶんならこれで」とウォーキートーキーを差し出した。
・黒い無線式のトーキーを握りしめた時、黒木は「助かった」と思った。そして大声で叫
 んだ。
 「望月先生、望月先生、本部席へ至急おいで下さい、望月先生・・・」