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この本は、今から28年前の日本のバブル崩壊直後の平成5年(1993年)年に出版さ
れたものだ。したがって、危機といっても、現在の新型コロナによる危機ではなく、バブ
ル崩壊後の危機について、今後の日本はどう進むべきかについて述べられている。
著者の本は、いつもながら膨大な情報量で、私のような凡人は、いつも消化不良を起して
しまうのだが、簡単に要約すると、日本は、いまや政治、経済、日本式経営、家計の四つ
の危機に陥っているとし、日本は、それまでのやり方を根本から見直し、明治維新のよう
な、新しい創業を始めなければならないということらしい。そして、そのためには、まず
第一に、国民の一人ひとりがそれまでの気質を変えなければならないというのだ。そのた
めには、未来の不安よりも現在の豊かさを、変化を恐れるよりも可能性を喜ぶ気質こそ、
危機を活かす条件だとしている。
しかし、現在の日本の状況を見ると、この著者の考えは、少々甘すぎたのではないかと、
私には思える。1993年頃の政府の総債務残高は400兆円程度だったが、それが今や
3倍以上に膨らみ1500兆円を超えている。とても、「未来の不安よりも現在の豊かさ
を」などと言っている状況にはないのだ。
この28年間を振り返ってみて、日本は、危機を活かすことができたかというと、現在の
日本の状況から考えて、残念ながらほとんど活かすことができなかったのではないかと思
える。著者の主張どおりに、変わったというか、外圧で変わらざるを得なかった部分もあ
るだろうが、多くは昔の日本をいまだに引きずったままの状態のような気がする。
筆者は、日本は世界有数の経済大国になり、豊かな国になったのだから、未来を不安がら
ずに「現在の豊かさを楽しめ」と述べているのであるが、その著者も、まさか日本が、そ
の後の28年もの間、ずっと低迷を続けるとは予想していなかったにちがいない。
「科学技術立国」、あるいは「ものづくりの国」だった日本は、今や中国、韓国、台湾な
どにその座を奪われ、著者のいうような「知価社会」にもなれず、得意だった半導体産業
でも敗れ、IT産業でも敗れ、自然エネルギー産業でも敗れ、そして今、EV化が急速に
進む自動車産業でも敗れようとしている。世界の発展から取り残され、もはや先進国グル
ープからの落ちこぼれ者となってしまっている。
政治についても同様だ。著者はこの本の中で、「民主主義そのものに対する嫌悪感と逃避
感の拡がることこそ、真の意味での日本の政治の危機である」と述べているが、昨今の日
本の政治の状況を見ると、もはや日本の国民は政治家をまったく信用していないと感じる。
この本の中で著者は、「日本の政治家は芸能人とほとんど変わるところがない」と述べて
いるが、まさしく今の政治家は芸能人と何ら変わらないようにしかか見えない。政治家が
進歩しているとはとても思えない。まったく旧態依然のままだ。国政選挙の投票率を見て
も、もはや国民は政治に対してほどんと期待していないのではないかと思えてくる。まさ
に「政治の危機」といえる域に達してしまっている感じがしてならない。
昭和初期の歴史を振り返ると、政治の腐敗から軍部が台頭し始め、軍部によるクーデター
が勃発した。そして、だらしない政治家たちより軍部が一般国民からの支持を得た。軍部
は政治に介入し始めて暴走、もはや政治家たちにはそれを止める力はまったくなかった。
同じようなことが、ふたたび起こるのではないかと心配するのは私だけだろうか。


政治の危機
・1955年以来、日本には本当の意味での政治の危機はなかった。国民にも政治に対す
 る危機感がなかっただろう。そこには三つの神話があったからだ。
  第一:アメリカは日本を見捨てられない「日米不可離神話」
  第二:自民党以外には政権を担当する政党はあり得ない「自民党永久政権神話」
  第三:政治が停滞しても官僚に任せておけば大過がない「官僚信頼神話」
・アメリカが日本を見捨てない限り、日本も西側陣営から離れることはできない。このこ
 とを日本人が、些か疑ったことが一度だけあった。いわゆる「60年安保闘争」である。
 このときは、日本国民の中に、西側陣営に帰属し続けるのがいいのか、西側から一定の
 距離を置いて、より東側に近づいたほうがいいのか、真剣な議論が燃え上がった。
サンフランシスコ条約のときにも、「多数講和か、全面講和か」という議論はあったが、
 あのときは、日本全土が米軍に占領されていたのだから、実際上は選択の余地がなかっ
 た。もし日本が中立志向の全面講和にこだわったなら、アメリカは占領状態を続けただ
 ろう。 
・それから約10年後の1960年に、日本人は選択の余地が生じたと思った。このため
 国民の間にはいささかの戸惑いが生じたわけだ。
・しかし、果たして「西側から距離を置いて東側に近づく中間点」が存在したかどうかは
 疑わしい。おそらく日本のように重要な地理的位置と巨大な経済力を持つ国が、冷戦構
 造の中で東西の中間にとどまることは不可能だったろう。
・また、大多数の国民も、それは本能的に感じていた。だからこそ、あれほど燃え上がっ
 た安保をめぐる議論や反対デモも、岸内閣が退陣しただけで急速に凋んでしまった。西
 側陣営に帰属する以外に日本には安全と繁栄の道がなかったのだ。したがって、たとえ
 日米安保条約を一度は破棄したとしても、やがて日本は、より不利な条件で西側に復帰
 せざるを得なかったのではないだろうか。
・東側の国際秩序は、軍事的にはワルシャワ条約機構、つまりソビエト軍を中心とした統
 一司令部を形成することだ。東側陣営に属する社会主義の国々は、自国の国益にかかわ
 りなく、社会主義陣営全体の目的のために軍隊を動かすことになっているのだ。
・東側の政治秩序は「制限主権論」である。それが形成されたのはスターリン時代であり、
 戦後一貫して維持されていた東側の政治秩序だ。その要点は、東側社会主義陣営に属す
 る国々は、社会主義体制から逸脱ことができない。この一線を踏み外せば、ワルシャワ
 条約軍の戦車が入ってくる。社会主義陣営の秩序と結束を守るためには、武力をもって
 しても社会主義体制の崩壊を喰い止める、というのである。
・もともと国家主権とは、その国の政府と国民が選らべば、いかなることもできる無制限
 の権利だと考えられていた。社会体制の変更も、憲法の改正も、外国との交戦も、貿易
 の自由化ないしは鎖国化も、主権の範囲と信じられていた。
・ところが、社会主義陣営では、それぞれの国家の主権の公使は、社会主義体制の範囲内
 い限る、という制限が付された。
・社会主義は、生産手段の国有化ないしは社会有化という万国共通の手法によって形成さ
 れる科学的客観的な体制とされている。だから、民族や地域にかかわらず、この体制こ
 そが最適である、とレーニンは主張した。
・東側陣営の経済的な国際秩序はコメコン(COMECON)体制、つまり労働価値説に
 基づく社会主義的国際分業であった。ここでは、あらゆる商品が労働価値によって評価
 され、相互に国家間取引を行うことによって、ある程度の産業特化を実現する、という
 ことになっていた。つまり相場に影響されることなく、労働価値で取引が行われる。し
 たがって、この発想を押し進めていくと、国際通貨は必要なくなり、すべてが物財だけ
 で交換するバーター取引で十分、という状態になるだろう。
・ソ連は、その崩壊に至るまでこの原則を守っていた。たとえば、石油ショックで国際石
 油価格が急騰したときでも、社会主義圏では、労働価値が急変したわけではないという
 理由で、石油価格を大きくは変えなかった。
・しかし、この体制を適切に運営するためには、自然環境や技術条件の変化に応じて、労
 働価値の評価を正確に変更していかなければならない。これは非常に難しい問題であり、
 社会主義の本質的な欠陥の一つでもある。
・ソ連では、毎年少なくとも60万件の物価を官僚たちが決定しなければならなかったと
 いう。いかに巨大な官僚機構とはいえ、これだけの件数を、年々正確に労働生産性を計
 算して公正な価格をつけることは不可能だった。このことが社会主義国の生産の合理性
 を妨げ、社会全体の硬直化を招く原因にもなっていた。
・日本などが属した西側陣営の国際秩序は、まず軍事的にはアメリカの「核の傘」であっ
 た。「核の傘」は、アメリカにとってもきわめて合理的経済的な冷戦用の軍事力だ。ア
 メリカは強大な核兵器とその運搬手段を持ち、世界各国に基地を拡げていれば、東側の
 侵略を阻止することができる。したがって、人員的にも経済的にも非常に効率的な軍事
 体制をつくることができた。
・しかし、安いものには常に欠点がある。「核の傘」の欠点は、小さな紛争に利用できな
 いことだ。このため、アメリカはベトナム戦争中東紛争では意外と弱体だったし、
 印国境紛争
フォークランド紛争ではほとんど無力だった。
・西側の政治的な国際秩序は「投票制民主主義」だ。自由選挙によって選ばれた政党が政
 権を担当し、選挙の勝敗によって政権党が変更するという仕組みである。
 したがって、社会主義、共産主義を掲げる政党が政権を取っても、何年かのうちには必
 ず自由選挙が行われ、その結果によって政権が交替する可能性がある限り、アメリカは
 西側陣営の一員として認めることができた。
・そうした世界情勢の中で、日本の政界も冷戦構造を矮小化したミニチュアのような構造
 ができあがった。「自由社会を守る」自民党と、「社会主義革命を目ざす」社会党など
 の野党勢力との対立構造である。 
・そうであれば、アメリカから離れなれない日本で、「自由社会を守る」政見を掲げた自
 由民主党が政権を取り続けるのは当然のことだ。このことは野党自身もよく心得ていた。
 したがって、野党は常に自由民主党政権の行う政治を批判するばかりで、自らの積極的
 な政策を持ち得なかった。
・実際、1960年以来、社会党を中心とする野党が主張してきたことを並べてみると、
 それが実現していれば日本はどうなっていたか、想像するだに背筋が寒くなる。
・最近、戦後の日本には自民党政権が続き、政権交代がなかったことを嘆く人びとがいる。
 しかし、日本に政権交代がなかったのは、冷戦構造的政界体制の必然的帰着というもの
 で、選挙制度のせいではない。「社会主義革命を目ざす」政党が政権を得ることなど、
 どんな選挙制度でもあり得なかった。
・日本の選挙民は、野党とマスコミの批判を利用して自由民主党の中の派閥を選択するこ
 とができた。このため、政治家のほうは選挙民へのゴマすり競争を行わざるを得ない。
 それを助成したのが中選挙区制度だ。
・政治家が行ってきたことは、政府財政資金の地域配分と選挙民の雑事手伝い、それに茶
 の間のおもしろおかしい話題を提供することぐらいだ。大部分の日本人にとって、政治
 家とは”選挙民万事御用達芸の芸能人”に過ぎない。今や国民が政界を見る目は芸能界と
 ほとんど変わるところがない。何はともあれ、おもしろければよいのである。
・もちろん、マスコミもそのつもりで、政治家を芸能人以上には扱っていない。マスコミ
 の政治家評は、頓智頓才とできないはずの金集めをする手品、それに官僚の意向を実現
 する議会手続き巧拙だけで決まっている。 
・こうした政治家軽視の背景には、政治家が何もしなくても、官僚に任せておけば大過な
 くやってくれるという「官僚信頼神話」が存在した。
・戦後の日本の政治は、非常に安定していた。野党が実現政策と政権担当意欲を失っても、
 政界が芸能化しても、日本の政治は揺らぐことはなかった。それというのも、戦後の日
 本には、二つの絶対的な基本方針が確立していたからだ。それは第一は対米追随であり、
 その第二は供給者保護である。
・供給者保護こそは、日本の官僚機構の本来機能ともいうべき政策だ。もともと日本の官
 僚機構は、明治時代以来、近代的な供給者育成のために組織された啓蒙主義的官僚機構
 なのである。
・日本の官庁のほとんどは、供給者別に組織されており、それぞれの供給者を保護し、育
 成し、強化することを目的としている。
・供給者別に組織された官庁が、供給者の保護に熱心で消費者には冷淡かつ高圧的になる
 のは、いたって当然のことだ。
・日本の官僚機構が、その当初から供給者育成型の産業別につくられたのは、この国が後
 進資本主義国として、欧米先進国に「追いつけ追い越せ」型の政治行政をせざるを得な
 かったことの必然的結果である。
・戦前の内務官僚には、「われわれだけが民を護るのだ」という護民意識が強く、これが
 強烈なエリート意識、指導者意識を生んだ。つまり、悪辣な供給者に無知な人民が搾取
 されいないように保護しなければならない、悪しき供給者を弾圧しなければならない、
 という、自意識過剰に陥ってしまうのである。その最も悪しき例が、言論統制だ。無知
 な人民には、よく言論と優れた表現だけを与えて善導しようという思い上がったエリー
 ト意識が充満していたのである。
・護民は民主ではない。民の上に権力があるからこそ、民を護るのである。
・日本は、アメリカのように住民がまず自治を確立したうえで、国家権力ができた国では
 ない。 地方の区分も行政組織も、上から、古くは徳川幕藩体制で、後には明治維新政
 府の手で、つくられたものだ。
・今日、各自治体が力を注いでいるのは、地域の消費者の幸せではなくて、地域の道路や
 公民館を建設する建設業者の利益であり、工場の誘致であり、農業や小売業者の保護で
 あり、教育や行政サービスを提供する教師や公務員の安定と安楽であり、そして何より
 も県庁や市役所の職員の利便と責任逃れである。
・地域開発政策といわれたものが、結局は工場立地政策であり、供給者優先政策であった。
・長い間、日本人はヒト余りモノ不足の状況で生きてきた。とくに、徳川二百五十年の鎖
 国時代には、人口の増加の割には資源や耕地が増えず、徐々に潜在的な過剰人口が増加、
 元禄(十八世紀初頭)以降は、主として食糧の限界から人口が三千万人前後を上下する
 停滞状況になってしまう。
・明治の開国後も、近代産業の発展よりも人口の増加が速かったため、常に人口過剰に悩
 まされた。日本がアジア大陸への侵略へと走った理由の一つは、農村の過剰人口の捌け
 口を求めたことだ。欧米の帝国主義は、主として軍人と行政官と冒険的な商人を植民地
 に送り出したのに対して、日本帝国主義は貧しい開拓民を数多く満蒙の地に送り込んだ。
・さらに、敗戦直後のモノ不足はいうまでもない。戦時経済下の投資不足と戦災の被害で、
 日本は極端モノ不足となったうえ、七百万人余の復員軍人と二百五十万人の海外からの
 引き揚げ者があふれ返るヒト余りが生じた。
・モノ不足土狭小のこの国では、供給者集団から落ちこぼれることが何よりも恐ろしい。
 このため、供給者の保護育成には国民的な支持があった。
・この国において、公共事業の入札で談合が行われるのは、今に始まったことではない。
 そしてそれに官僚や政治家が絡んでいたのも、古くからの慣習だ。だがそれが、今日ほ
 ど厳しく非難されなかったのは、政・官・業の癒着によって企業が育成され、そこで働
 く従業員を含めた供給者の保護育成に効果があることが理解されていたからだ。 
・しかし、今はそのことが厳しく攻撃されている。人々は供給者保護よりも、消費者のた
 めの効率と安価を要求しているのである。
・今日の政治危機は、供給者育成型にでき上がった行政機構の危機である。日本の政治の
 最大の問題は、そんな行政官僚機構に寄りかかってしまって、本来の民主的な機能、消
 費者の意見を集約できなくなった「族議員」化にある。そしてそれ以上の危機が、国民
 によって罷免されることのない権限に安住する官僚機構の鈍感さにある。今や政治家は、
 国民の意向の変化と、何一つ変えようとしない強大な官僚機構との板ばさみにあえぐ惨
 めな存在なのだ。
・戦後日本のもう一つの基本方針、対米追随の継続も不可能としつつある。対米追随は、
 最も重要な日本の基本方針であった。外務省では「国連中心外交」などという言葉を使
 っているが、これはまことに奇妙な外交方針だ。国連は決定機関だから、国連の意思決
 定が行われる前に、日本もおじれに投票するか判断がなければならない。「国連の決定
 に従って行動する」などというのは、前後関係が逆転している。
・冷静構造のミニチュアとして固定されてきた日本の政界は、それに代わる形態を、まだ
 発見できずにいる。ミニチュア・モデルは、本物がなければつくれない。日本の政界に
 は、まだ自らの創造性と設計能力がないらしい。日本の政治の危機は、金銭疑惑や選挙
 制度にあるのではない。明確な政治理念とこの国の理想像を提示できる政治集団(政党)
 が存在しない天にこそあるのである。
・日本は今、かつてない重大な選択に迫られている。それは次の二者択一である。
 第一の道:世界の主要な勢力と協調すること。
      これには、日本のシステムを変更して、自由市場経済と消費者優先の社会シ
      ステムをつくる必要がある。つまり、国際的協調のために日本自体の仕組み
      の変更を受け入れる「国際的小国主義」である。
 第二の道:現在の日本のシステムを強固に守り、供給者保護育成政策を維持する。
      「民族的(国家的)大国主義」である。
・国際的小国主義と消費者優先政策には、貧しい消費者や高齢者、若者、個人的資産家、
 それに日本の協調を求める外国勢力の支持があるだろう。
・現実の政治は、これまでの人脈や経緯、その時々の政治折衝などで動く。すべての政党
 政治家が、自らの得票や政治資金、熱心な支持者の意向等を配慮して、あり得ない甘言
 や曖昧な表現を繰り返すのは避けがたい。この結果、それぞれの目的と政見が不明朗に
 なり、政見獲得を巡るさまざまな離合集散が起こるだろう。政治家が政策で選ばれるほ
 ど、日本の民主主義は成熟していないのである。
・もし、日本が長く平和と繁栄を続けることを願うならば、国際的小国主義と消費者優先
 政策との組合せを選ぶべきだ。
・民族的大国主義と供給者保護を支持する勢力は、官僚機構や産業団体など、はっきりと
 した組織を持ち、規制と発注の権限を握っている。それを利用すれば、国際的小国主義
 と消費者優先政策を支持するはずの一般消費者や高齢者、若者などの政治的関心を失わ
 せしめるのは簡単だ。政治家の疑惑や失態を吹聴して、民主政治のくだらなさを見せつ
 ければよいのである。日本人は潔癖性だから、民主主義と自由経済の猥雑さを嫌悪して、
 官僚統制と業界協調とに政治を委ねてしまう可能性は少なくない。
・明治時代の政治家は、かなり豪快な金銭授受を行っていた節がある。そうでなければ貧
 しい出身の山県有朋が椿山荘のような広大な屋敷を営み、七十人もの家事使用人を使え
 たとは思えない。当時の陸軍大将や総理大臣の給与は相当に高かったが、それでもあれ
 ほど豪壮な生活ができたはずがない。これは山県に限らず、当時の多くの政治家に当て
 はまることだ。
・だが、この時代にはそれが厳しく追及されることはなかった。山県はじめ、主要な政治
 家はみな官僚機構そのものだったからである。
・ところが、昭和になると、きわめて微細な金銭問題まで次々と追及されるようになる。
 その結果、議会政治は金銭汚職にまみれた「不潔な連中」という印象ができあがった。
・たとえば、犬養毅が総理大臣で暗殺されたとき(五・一五事件)、新聞はこれを「義憤」
 と書き、犯人の海軍青年将校らの「助命嘆願署名」を五十万通も集めたものだ。
・歴史上、民主主義を破壊しようとする勢力は、必ず金銭疑惑を攻撃する。金銭疑惑こそ
 は民主主義の内蔵する最悪の持病といってよい。
・民主主義を破壊しようとする勢力は、この点を突いて、民主主義の制度自体を破壊しよ
 うとする。その方法は二つ、その第一は政治資金が入り込まないようにして有権者の健
 全な選択を妨げることであり、その第二は金銭疑惑を理由にして人々の関心を政策問題
 から遠ざけ、議会以上の権威をつくってしまうことである。ヒトラーや昭和初期の日本
 の官僚軍人が採ったのも、この二つの方法である。
・昭和初期の官僚や軍人は、議会政治家の金銭疑惑を並べ立てることで、議会の権威を失
 墜させることに成功した。その結果、世の中に投票で選んだ議会政治家よりも、一部の
 エリートに政治行政を任せようという雰囲気が広まった。
ヒトラーは、1934年に「国会議事堂放火事件」を契機に委任法を成立させ独裁権を
 得たが、日本の官僚や軍人も、すぐにそれを真似た。まず、昭和9年(1934年)に
 は、「帝人事件」という超大型のデッチ上げ疑獄事件があり、大臣二人を含む多くの政
 治家や経済人が逮捕された。これによって当時の斎藤実内閣は倒れ、岡田啓介(海軍
 大将)内閣が誕生する。
・そもそも「帝人事件」の火付け役は、当時の大手新聞「時事新報」だったが、事件の詳
 細が連日新聞に報道されるとともに世論は激昂、議会政治家に対する信頼は地に堕ちた。
 このため、その二年後に起きた「二・二六事件」でさえも、その遠因を政界の腐敗に求
 める論調が目立っている。
・これを踏み台にして、昭和13年(1938年)、第一次近衛内閣が民主主義を破壊す
 る委任法「国家総動員法」を成立させたのである。
・「帝人事件」が報じられて以降敗戦まで、日本には議会政党内閣はできず、太平洋戦争
 へとひた走ることになったのである。
・外国の要求を拒むのは、民族的快感であるばかりか、これまでの制度を改める苦痛と不
 安を避ける安易な道だ。「ノーといえる日本」は、大衆の喝采と官僚の支持を得やすい
 のである。
・しかし、「ノーといい過ぎた日本」が昭和初期に犯した失敗も忘れてはならない。今、
 日本に必要なのは、全体的視点と長期的視野で、日本の未来を考え、国家の基本政策を
 打ち出せる政治の復権である。それができる新しい政治基盤が確立される前に、民主主
 義そのものに対する嫌悪感と逃避感の拡がることこそ、真の意味での日本の政治の危機
 である。
 
経済の危機
・日本経済は戦後45年間、1990年まではほぼ一貫して高度成長を続けてきた。
 1950年代、60年代には、年平均10パーセントの高度成長が続いた。70年代に
 なるとやや低下したが、それでも平均6パーセントの成長率を保った。まさに「奇蹟的」
 な長期高度成長である。
・これには、成長を支える三つの「神話」があったからだ。
 第一神話:土地と株は中長期的には必ず値上がりするという「土地・株神話」
 第二神話:消費は年々必ず拡大するという「消費拡大神話」
 第三神話:日本には深刻な失業問題は起こらないという「完全雇用神話」
・ところが、過去45年間にわたって日本の高度成長を支えてきたこれらの三つの「神話」
 が、今、この平成不況の中で大きく崩れだしている。
・今回の「平成不況」は、海外要因で起こったわけではない。今回の不況の始まりは日本
 国内における株と土地の値下がり、膨れ上がったバブル景気の崩壊だった。しかし、今
 やそれにとどまらず「消費不況」の様相を呈している。
・神話が崩壊すれば実態のつまらなさが明確になるのは、未開社会の偶像崇拝から現在の
 投機価格まで、すべてに共通した現象だ。日本の株も土地も、いったん値上がり神話が
 消えてしまうと投資対象として魅力が乏しいことが明確になった。なにしろ、株も土地
 も、利回りが実に低いのである。
・株価の回復や低金利政策で、バブルの傷跡が癒されたとしても、刑期が華々しく回復す
 るとは思えない。第二の「消費拡大神話」が、1992年から急速に崩れ落ちてしまっ
 たからだ。
・消費不況には二つのタイプがある。
 第一タイプ:「買い替え先送り型」の消費減少
 第二タイプ:「低価格転換型」といわれる消費低迷
・消費者の間に節約疲れ貯蓄飽きが生じる前に、雇用調整や新卒就職難が実感さえるよう
 になれば、日本の不況は一段と深刻化するに違いない。今、この国に必要なのは、より
 積極的に新しい需要を創造する「新たな創業」の精神である。 
・80年代、日本では、官、業、言論界をあげての「多様化、高級化、ブランド化」宣伝
 が始まった。「これからは多様化の時代だ、個性の時代だ、もっとおしゃれをしましょ
 う。欧米の有名ブランドを買いましょう」と、いいまくった。数量を増やすよりも価格
 を引き上げることで需要総額を増大する方向が採られたわけだ。この大宣伝は大きな効
 果を上げ、個人消費の多様化、高級化が急速に進んだ。
・多様化、高級化の大宣伝に酔った消費者は、ほとんど無批判に高価格を受入れ、なんと
 なく満足感を味わっていたのである。しかし、それが本当の多様化であったかどうかは
 疑わしい。 
・技術の進歩は急速だが、毎年それほど多様な技術が生まれるわけではない。したがって、
 機能の組合せやデザインの変更、色彩、名称の転換等で種類を増やすことになる。いわ
 ば「多様化のための多様化」に陥ってしまう。
・多様化とは本来、消費者の選択の幅を拡げるものなのに、かえって馴染みの商品が使え
 ないという形で、消費者の選択を狭まる逆現象が起こってしまったのだ。このため消費
 者は無理矢理高価品を押しつけられ、不要な機能や装飾品を買わさてしまった。
・こうなると、高価格を長く維持することは困難だ。結局、人々は多様化、高級化、ブラ
 ンド化に飽きて、実用性の高い低価格品へと方向転換する現象が生まれた。
・これまで日本では「コスト+適正利潤=適正価格」という官僚主導型の価格決定の論理
 が、広く信じられていた。この発想が適用したからこそ、多様化、高級化、ブランド化
 によるコストの上昇を、そのまま価格に反映することができたのだ。だが、今やそれを
 捨てなければならない。
・「コスト+適正利潤=適正価格」という発想は、もともと官僚統制的な価格決定の方式
 である。それが日本では、官僚の統制や行政指導によって、実際にも広く行われていた。
 このため、この価格決定方式がごく当然のようにさえ考えられるようになっている。し
 かし、この方式は、必ずしも正当性を持っていない。少なくとも市場経済の原理とは逆
 である。
・市場経済の原理はまったく逆に教えている。需要が減少し供給が過剰になれば、価格が
 低下して需要を喚起する一方、引き合わなくなった供給者は脱落して供給が減少、需給
 は再びバランスよくなるというのである。
・「コスト+適正利潤=適正価格」という発想を推し進めていくと、いったん需要が減退
 するとますます価格が上昇して、需要を加速度的に縮小させる「循環的縮小」に陥って
 しまう。実際、戦後の日本にはこれによって衰退した産業がいくつもある。たとえば、
 かつての国鉄がそうだった。国鉄は赤字になるたびに安易に運賃の値上げをした。運輸
 省や国鉄当局は、全国の鉄道網を独占している国鉄なら、値上げしても需要(乗客)は
 減らないと信じていたらしい。
・これからの経済は、市場原理に基づく「価格ー利益=コスト」の発想、つまり市場価格
 が最初にあって、そこから企業が必要とする利益を引いた残りが、経営者に与えられた
 「コスト使用権限」と考えなければならない。したがって、このコストの範囲内で行え
 ない事業は閉鎖するか、そのコストで生産できる企業に売却すべきだろう。
・ここで注目すべき点は、従来の「コスト+適正利潤=適正価格」という発想で値決めさ
 れたものの中に、「賃金」が入っているということだ。
・ところが、労働賃金も「価格ー利潤=コスト」だとすれば、まず、その人のしている労
 働の価格はいくらかが問われる。それが経験ある中高年でなければできないものであれ
 ば、高い価格になるだろう。だが、若者でもできる、主婦のパートでもできる、外国人
 でもできるとすれば、その人の労働価格は、市場競争の結果、安い労働価格となるだろ
 う。
・日本が国際的協調を保ち、長く平和で繁栄した国であるためには、強大になった供給者
 ばかりを保護する現体制を改めなければならない。しかし、消費者優先の生活大国には、
 供給者の苦しみがともなうことも忘れてはならない。そして、その供給者の中には、供
 給者としての個人、つまり、一人一人の勤労者も含まれている。消費者優先の自由市場
 経済では、勤労者個人も価格競争に絶える努力が必要なことを自覚すべきだろう。
・今、経済の危機といわれているが、その実態を一言にしていえば、供給者優先体制の危
 機である。したがって、その供給者優先行政に慣れて、「コスト+適正利潤=適正価格」
 という発想から抜け出せない企業や個人は、これからは非常な受難意識を持つようにな
 るだろう。それが、民族的大国主義と結びついたとき、日本には国際的孤立から世界を
 敵にする危険な状況を生じかねない。
・昭和の初めに日本が国際的に孤立し、やがて太平洋戦争への道を歩んだのも、実は、そ
 ういった供給者の立場の主張と民族的大国主義との結合の結果だった。平和は、ただ叫
 ぶさけで得られるものではない。繁栄は勤勉だけで続くものではない。世界構造の変革
 と自らの地位や規模の変化に応じて、発想を改め体制を新しくする勇気と英知がなけれ
 ば、未来の安全と豊かさは得られないのである。
  
日本式経営の危機
・日本式経営の特色として挙げられるのは、終身雇用、年功賃金、企業内組合の三つに象
 徴される「閉鎖的雇用慣行」である。
・欧米では、古くから職業を生活パターンの一つとして見る習慣がある。欧米で、労働組
 合が各技術分野別の横断組合、いわゆる職能別組合として発足したのもこのためだ。し
 たがって、職種から離れることは、生活パターンと社会的地位を変えることにもなると
 いう考え方が強い。欧米で「転職」というのは、職種を変えることであって、勤める企
 業を変えることではない。
・日本では一つの職種に就くという意識は乏しく、一つの企業に就職するという「就社」
 の意識が強い。
・日本では「レイ・オフなし」のみが強調されるが、中途採用をしない、または中途採用
 では不利になるという実態も、同じぐらい重要だ。このため、中途退職はますます恐ろ
 しくなり、否応なく今の職場にしがみつく。したがって、日本人の感覚では、企業の都
 合による解雇、レイ・オフは、従業員の塗炭の苦しみに陥れる非人道的かつ反社会的行
 為に見えてくる。
・しかし、外国では、出(解雇)もあるが入(中途採用)も多い開かれた労働市場が形成
 されているので、解雇されても別の会社に採用される機会も多い。しかも中途入社が必
 ずしも不利にならないわけだから、日本人が考えるほど恐ろしいことではない。
・欧米でも、不況時にレイ・オフした場合は、景気が回復すると、勤続年限の長かった者
 からリコール(再雇用)することになっているが、一年後には大体三割程度しか戻って
 こない。通常なら、レイ・オフされた者の七割ぐらいが一念の間に他に就職し、定着し
 ているのである。労働市場全体が流動化しているわけである。
・失業の存在を前提とした近代経済学の理論を打ち立てたジョン・メーネード・ケインズ
 は、失業の適正率は6パーセントとしている。
・「途中で辞められない」という心理的圧迫が強い日本の従業員には、嫌な職場、不適切
 な勤務条件でもしがみついていなければならない、という不幸がある。
・統計的に見ても、外国人が最も気を遣う問題として上げるのは、第一が「家庭の問題」
 だが、日本では「職場の人間関係」が圧倒的に多い。日本の閉鎖的雇用慣行が、勤労者
 のために利点ばかりを与えているわけではないのだ。
・1980年初期には、この日本式経営を「人間資本主義」と呼んで賞賛した学者が欧米
 にも何人かいた。日本企業の人本主義こそ、労使関係を円滑にし、製品の品質を向上さ
 せ、経済成長と企業発展の根源である、といわれたものだ。しかし、80年代中頃から
 は、次第に否定的な見解が増えてきた。終身雇用・年功賃金の閉鎖的雇用慣行は、無限
 成長を前提とした方式だということが分かってきたのである。
・外国では、というよりも資本主義経営では、生産量を維持するか削減するかは、当該生
 産が経営的に利益を得るか損失を生むかの採算性で決まる。ところが日本式経営におい
 ては、生産量を減少することは、給与を支払って毎日出勤してくる従業員を丸々遊ばせ
 ることを意味する。したがって、企業の判断は、従業員に給与を支払いって何もしない
 場合の赤字が大きいか、生産を維持継続して安値販売をした場合の赤字が大きいかの選
 択になる。つまり生産の継続の判断分岐点が、欧米企業の資本主義的経営に比べてはる
 かに低くなるわけだ。
・より本質的な問題は、閉鎖的雇用慣行を守るために、さらに二つの重要な支柱が日本式
 経営には必要だったことだ。
・その一つは、労働分配率を低めに抑え、株式配当率を極端に低水準にして、企業の内部
 留保を厚くし、それによって事業の拡大や多角化を進める「先行投資型財務体質」であ
 る。これもまた欧米の資本主義とは異質の経営姿勢だ。
・そもそも資本主義社会では、企業は一種の擬態、つまり資本と技術と人材を効率的に利
 用するためにつくられた便宜的な組織と考えられている。本来は株主や出資者が連名で
 行うべき事業を便宜的に集中するために法人格を与えられたに過ぎない、というわけだ。
 したがって、企業の損益は、基本的には株主に帰属するべきものであり、利益を上げれ
 ば配当として株主に還元されるのが本筋である。いくらかの内部留保は必要だが、それ
 も株主の利益のために事業を継続し、設備や技術を蓄積するための範囲内でなければな
 らない。
・企業経営者に与えられている権限と判断の範囲は限定的であり、別の事業への投資は配
 当を受けた株主の判断によって行うのが本筋だった。現在でも、アメリカやイギリスで
 はそういう発想が強く、企業利益の大半が配当に回される。
・実は日本でも戦前はそうだった。ところが、戦後になると、株式配当は急速に低下する。
 その分、企業の内部留保が厚くなり、次々と新規投資を行い、その償却費等の形で企業
 の中に蓄積されていった。 
・つまり、戦後の日本式経営は、個人(従業員や株主)は貧しく企業は豊かにする仕組み
 なのだ。経営者にも従業員にも、企業を従業員共同体と見る意識が強かったため、企業
 が豊かになることに、従業員、とくに中高年のホワイトカラーは情熱と喜びを持ち、自
 らの給与の低さには不満を感じなかったのである。
・もう一つ、日本式経営を支えた特色としては「集団的意思決定方式」がある。権限を株
 にまで分散し、多数の従業員の合意ないしは組織全体の雰囲気によって意思決定をして
 いくという方式である。
・この方式も、ワンマン経営批判と表裏をなして、日本では礼賛されてきたが、意思決定
 の権限と責任が不明確という点でも、企業という機能体の組織原理には反しているとい
 う点でも、国際的な非難を浴びるようになった。
・そもそもこの方式が一般化したのは、多くの従業員に意思決定に参加している意識を持
 たせて企業組織への帰属意識を高め、平等感を深めることにあったろう。その意味では、
 終身雇用によって共同体化した日本の企業組織の必然的な帰着だったといえる。
・集団的意思決定方式には、従業員の多くに参加意識を与え、企業共同体で重要な地位を
 占めているという満足感を生み出す効果がある。このため、意思決定過程から疎外され
 ることを恐れるあまり、ゆっくり休暇が取れない者も少なくない。このことはまた、従
 業員全体に協調性を高め、「会社の方針」には従順にもする。内心では反対でも、熱心
 な根回しを受け、全体の雰囲気が定まってくると、それに従わざるを得ない。要するに
 これは、戦後的な職場単属の「会社人間」を生み出す効果を上げたわけである。
・だが、集団的意思決定方式にともなう欠点も数多い。
 第一:従業員の共同体参加意識が共同体の構成員以外の意思決定への参加を拒否する傾
    向を生むのだ。従業員共同体と化した日本企業では、社会重役制度や株主権が有
    名無実と化している。このことは、企業内部の組織主観、その企業だけの倫理観
    や美意識を批判し評価する視点を失わせ、ときには組織全体の暴走を生む。
 第二:責任と功績の所在を不明確にし、問題が発生したときの解決を困難にすることだ。
    このため人事面でも、能力人事、抜擢人事が難しくなり、年功序列化による不適
    材不適所を広めてしまう。これが深まると、組織の機能よりも構成員の幸せを重
    視する現象、いわゆる「機能組織の共同体化」という「死に至る病」に取りつか
    れてしまう。
 第三:最大の欠点として、迅速は決定と果断な決断ができないことだ。
・「日本の早や遅そ」という言葉がある。日本は技術も進んでいるし労働の質も高い。日
 本人は勤勉だし、仕事には忠実だ。したがって事務も工事も非常に早い、というのが日
 本人一般の認識だろう。ところが事業の完成という点では、日本ほど遅い国はない。
・日本という国は、個々の工事は早いが、全体としての事業完成は実に遅い。これも日本
 特有の根回し社会、ムードで合意しなければ意思決定できない気質と、それを前提とし
 た各種の規則、手法に原因している。
・華僑資本のやり方は、大体一年間で設備投資を完了し、四年間で投下資本の回収という
 ものだ。つまり、新規の需要が発生するとただちにそれに対応した投資を行い、流行が
 終わらないうちに回収するという発想に立っているのである。
・アメリカやヨーロッパでも、二年間で投資事業を完成させ、七年ないし十年で回収する
 というのが、流通業やレジャー、情報関係産業では一般的である。
・もともとヒト余りモノ不足の経験の長い日本人は、所得にありつける集団には帰属意識
 が強い。米作のできる平地以外では生きられないこの国の風土が、村落共同体に従順な
 国民性をつくったのだ。しかも戦後は、敗戦のショックを受けた日本人は、自信喪失と
 欧米コンプレックスに打ちひしがれて、より従順になった。そしてその間に経済が復興
 し、企業が拡大したものだから、誰もがそれに加わることを切望した。帰属意識の対象
 が、大家族や村落共同体から企業に代わったのである。
・日本の政府もまた、日本式経営の維持推進に重要な役割を果たした。だが、日本式経営
 の確立のために、政府が果たした最大の貢献または罪悪は、これを肯定する倫理観と美
 意識、つまり価値観を全国民に拡めたことだろう。
・戦後の日本には、三つの「正義」がある。
 第一の正義:効率
 第二の正義:平等
 第三の正義:安全
・以上の三つが、戦後日本の「正義」であったことは、けっして悪いことではない。だが、  
 ただこれしか「正義」がなかったこと、つまり自由や楽しさは、「あったほうがよい」
 ものであっても、他の「正義」を抑制しても実現すべき価値のある「正義」の一つでは
 ないのである。
・この国では、自由が、効率や平等、安全を犯すとなれば、ただちに自由のほうが抑圧さ
 れてしまう。 
・日本は供給者保護が行きとどいた国である。それ故、この国では倒産も失業も少ない。
 だが、その反面では、「過当競争」という言葉もよく耳にする。
・そもそも過当競争なる言葉自体、日本特有の熟語だ。外国には経済、とくに商品やサー
 ビスの販売では「過当競争」という概念がない。不正な手段を使ったり、競争相手を潰
 すことで独占化を狙ったりする場合には、「不正競争」「不当競争」といわれるが、単
 なる値下げ競争が「過当」といわれることは、まずあり得ない。
・官僚主導型業界協調体制の中で行われる日本の企業間競争は、いわば大相撲的な競争で
 ある。大相撲では土俵にのぼれる力士が厳格に制限されている。十五、六歳で相撲部屋
 に入って、相撲の練習だけではなしに、ちゃんこ鍋の世話から兄弟子の背中流しや夜の
 宴席の勤めまでを、長年やり抜いた者だけに限られている。本業(相撲)だけではなく、
 日墓の言動、交際、居住まで型にはまった者だけが、土俵という競争の場に参加できる
 という、きわめてクローズドな競争社会である。
・これに対して、自由競争経済の競争はプロレス型だ。別にプロレスの修業を若くからし
 ていなくても、柔道家でも、ボクサーでも、アマレスの出身者でも、我と思わん者はリ
 ングに登ることができる。そしてそこで好成績を上げ、人気を得れば、すぐにでもメー
 ンエベンターとして高収入を得ることができる。
・つまに、新規参入が自由に認められているので、いろんな分野からの参入が行われる。
 そしてそこで、収入と序列を決めるのは観客を集める人気、つまり消費者の選択である。
 当然、新規参入があれば脱落者も出る。だから倒産閉業も日常的に起こる。それこそが
 真の自由競争である。
・日本では過当競争を悪のようにいうが、それを生み出しているのは供給者を脱落させな
 い「護送船団方式」の保護行政なのだ。
・企業の危機とは、まさに「コスト+適正利潤=適正価格」の経営が否定され、無限成長
 を前提とした日本式経営が危うくなることだ。日本式経営とは、量的拡大がすなわち利
 益だと考える無限成長経営だからである。
・この量的拡大至上主義の中で具体化したのが「三比主義」、つまり前年比、他社比、予
 算比を重視する経営・人事方針である。
・とくに戦争中から終戦後にかけては、生産の効率や価格の問題よりも、とにかく物資を
 供給すること、食糧、燃料、生活必需品の供給を増やすことが全国民の希望でもあり、
 社会的正義とも考えられていた。つまり生産量の拡大、売り上げの増加を第一とする社
 会的条件があったわけだ。
・1970年代になると、公害問題や石油不足、土地高騰など、企業の量的拡大の行き過
 ぎからくる社会問題が現われた。戦争中以来の量的拡大優先主義は、社会的倫理基盤を
 失ったわけである。
・同時に企業経営の面でも量的拡大の行き過ぎで破綻する企業も現われた。このため、石
 油ショックを契機に「これからは量より質だ」といわれるようになった。ところが、そ
 の「質」として持ち出されたのは、「利益額」という新たな「量」だった。
・この利益額を中心とした経営思想が、その後二十年間も続くようになる。80年代中頃
 からのブーム期には、売上高と利益額双方で、前年比、他社比、予算比を評価の尺度に
 する「三比主義」を定着させたのである。
・しかし、これを推進していくと、無間地獄に陥ることは誰の目にも明らかだ。
・今は、この状況を活かして、量的拡大主義から脱皮し、本当の意味での利益の質、売り
 上げの質を勘案した「価格ー利潤=コスト」の発想に基づく経営の再構築することが重
 要である。  
  
家計の危機
・現在の日本人の家計設計は、戦後の高度成長経済と日本式経営を基礎として生まれた三
 つの「信仰」を前提として組み立てられている。
 第一:人生に非常緊急の中断はあり得ない。「絶対平和信仰」
    兵役や急病によって、突然、職業や学業、家庭生活や子女の養育が中断されるこ
    とはあり得ない。
    災害、戦争、革命などで家庭環境が急に破壊されることもあるはずがない。
 第二:定年までは解雇されることも職場を変わることもなく、年功によって所得は増え
    続ける。「成長終身雇用信仰」
    この国には極端なインフレも大不況もなく、社会も家計も明日は今日よりも豊か
    になるに違いない。
 第三:親は子を育てるが、子は親の面倒を見る必要がない。「親子間贈与信仰」
    少なくとも定年までは、年々所得が増え続ける親は、老後に備えた蓄積ができる
    はずであり、子は何の負担もなく人生を始めることができる。
・日本以外の国では、今でも兵役によって職業や学業が中断されるのはありふれたことだ。
・国際的緊張と不安定な経済変動の中で生きていた戦前の日本人は、人生が予定通りに行
 くものとは思っていなかった。その意味では、戦前のほうが、諸外国の人々と共通の人
 生観を持ちやすかったかもしれない。
・人間以外の動物は、親は子を育てるが、子は親の老後を面倒見ない。だが人類は、少な
 くとも農耕を始めた頃から、親が子を育てれば子は親の老後を養った。親は土地や道具
 などの財産と農耕のノウハウを残す一方、子は親の老後を養い祖先の霊を祭るという負
 担を負う形で、一種の長期貸借を含んだ世代間交換経済が成り立っていたのである。
・ところが、現在の日本人は、そう思っていない。親は子供を育て大学まで進学させるが、
 子は親の老後を養わねばならないとは思っていない。親のほうも、子供の負担で養われ
 ようとは考えていない。「老後は子供と暮らしたい」と望む人は少なくないが、「せめ
 て衣食費ぐらいは自分で出すのが当然」と思っている。そのうえ、大部分は住宅も子供
 に残してやらねばならないと焦っている。つまり、養育費も教育費も、多くの場合は住
 宅までもが親から子へと一方的に贈与されるのが普通になっているのである。
・要するに今日の日本人は、人生がすべて予定的に運ぶと信じきっているのだ。
・今日、単に「出稼ぎ」といえば、農村の人たちが冬の農閑期に都会に出て建設労務など
 に従事する「季節出稼ぎ」を指すが、戦前の「出稼ぎ」は、精神的にも経済的にもふる
 さとの農村に片足を残して都会の工場や商店に何年か勤務することをいった。
・戦前の日本では、工場や商店に勤めるのは農村の次三男や娘さんで、俗にいう「口減ら
 し」のため、という考えが強かった。高等小学校を終えてから男性の場合は四十歳近く
 になるまでの二十数年間、女性の場合は結婚までの約十年を、都市の工場や商店に勤め
 るのが普通と思われていた。
・この間に、それぞれがいくばくかの貯蓄をし、女性の場合は結婚資金を得て家庭に入り、
 男性の場合は多少の田畑を買い求めて最終的には農村へ帰る、というのが理想の人生と
 いうわけである。
・このため、昭和十二年までは労働者横転率も高かった。労働者の横転とは、同じ職種で
 会社を替わることをいう。戦前の日本では、この労働者横転率が世界一高い国だった。
 つまり、首切りも多ければ自発的な退職も盛んな国だったのである。
・我が国は、大きくいえば天皇陛下を家父長とした民族一家であり、ちいさくいえば各家
 族の本家総領を中心とした大家族制度が健全な社会である。したがって、工場や商店を
 解雇された者も、ふるさとに帰れば、親・兄弟が農業か何かをしていて温かく迎えてく
 れるはずだ。その実家で農業の手伝いをしていれば、生活水準は下がるとしても一家路
 頭に迷い飢え死ににすることはない。
・こうした大家族制度に基づく「出稼ぎ型労働」を積極的に評価する思想は、とくに天皇
 崇拝の民族的帝国主義の推進者、つまり皇道派といわれた軍人や国粋的学者に強かった。
 皇道派の領袖といわれた荒木貞夫陸軍大将は、イギリスの作家バーナード・ショーとの
 対談でもこの点を強調、バーナード・ショーから「あなたはソ連に行けば立派な共産主
 義官僚になるでしょう」といわれたという話も記録されている。
・出稼ぎ型労働の源流は、徳川時代以来の農村の「口減らし」だ。こういう発想に立てば、
 給与はその者自身が日々の生活ができ、いくらかでも仕送りか貯金ができれば「御の字」
 ということになる。なにしろ徳川時代の丁稚奉公では、むしろ丁稚に出す親のほうが、
 それを雇う主家にお金を払う場合が多かったのだから。要するに、戦前の出稼ぎ型労働
 では、賃金によって住宅を持ち子供を育て、次の世代の健全な労働者を再生産すること
 は想定されていなかった。
・若年の死亡が多かったため、次三男が中年以降に帰農することもあり得た。兵役での戦
 死や結核による若年死で跡取りがいなくなり、実家や親類の跡を継ぐ機会があった。自
 然と企業従業員の年齢構成は若年が多く中高年の少ないピラミッド型になったのである。
・もっとも、昭和に入る頃から、この循環は行き詰まり、日本はさらに厳しい人口過剰に
 遭遇、朝鮮や台湾、あるいは中国東北部(当時の満州)へ出稼ぎや開拓団を送り出すこ
 とになる。昭和六、七年からはブラジルに大量の移民を送って、日本人の「王道楽土」
 をつくろうという南米版満州国構想まであったほどだ。
・要するに、戦前の日本では、会社勤めが人間の一生を託するに足る職業ではなかった。
 まだそれほどに、近代産業は普及確立していなかったのだ。
・これまで日本の経営では、省力化が盛んにいわれた。つまり労働の量については大いに
 合理化が図られた。しかし、労働量当たりの個別賃金、特に各職能に対する賃金対成果
 については、あまり論じられることがなかった。終身雇用制の中では、どうせ解雇でき
 ないのだからという理由で、中高年の高給取りを誰にでもできるポストに置くことも多
 かった。ただ、これからはそれも厳しく吟味される時代になるだろう。
・80年代の十年間に、アメリカでは年収3万〜8万ドルの中流所得層が減少、2万ドル
 以下の人びとが増えた。一方では100万ドル以上の所得を得る金持ちが、数倍にも増
 加、社会階層の二極分化減少が進んだ。
・機械設備がコンピューターによって制御されるようになった80年代には、小型化した
 エレクトロニクス製品の生産そのものは簡単になり、小規模な工場でもできるようにな
 った。現在、東南アジアに何千とあるエレクトロニクス部品の生産現場では、初等教育
 を受けた程度の若者たちが、定められたマニュアル通りの行動によって、高度な性能を
 持つパソコン部品などを大量に生産している。
・アメリカや台湾のパソコン会社は、そういった部品を買い集め、組み立てることによっ
 てきわめて安価な製品をつくっている。1992年の夏、日本で起こったパソコン値崩
 れ現象は、こうした部品で組み立てたアメリカ製や台湾製が流入した結果である。
・そしてそれを可能にしたのは、DOS−Vという日本語応用パソコン・ソフトが開発さ
 れたことだ。これによってIBM互換型パソコンが日本語でも利用できるようになった
 ため、「日本語の壁」が破られ、安価な国際基準品(IBM互換型機種)が日本市場に
 も参入してきたのだ。
・高い賃金を取れるのは、本当に高い賃金でなければできない仕事に限られてきた。おそ
 らく、この現象は1990年代のうちに、日本にもある程度拡がってくるだろう。そう
 なると、日本のミドルも危ない。とくに日本の場合には、ミドル、つまり中年で中間管
 理職で中流の所得を得ている人たちの数が過剰になっているだけに、この危険が大きい。
・1970年代に入る頃から、子を育てるための各種費用が急騰した。
 第一:教育費の増大
    今や日本人の50パーセント以上は高校卒業後も教育を受け続けている。  
 第二:子供の玩具や勉強部屋など養育のための道具や施設に関する費用も急速に高まっ
    た。
 第三:子供に住宅を残そうという意欲が非常に高まってきた。
・徳川時代以来、日本人は土地や住宅を欲しがらない民族だった。徳川時代には武士は自
 宅を持つことを原則として禁じられ、侍長屋(いわば公務員宿舎)に居住することが義
 務づけられていた。大名といえども領国以外では不動産は持てなかった。江戸の大名屋
 敷は幕府からの、大坂の蔵屋敷は商人(名主)からの借家である。
・明治以降も、大都市の暮らしは、原則として借家住まいでよかった。明治、大正の文人
 や学者の旧宅は、大半が借家である。
・ところが、70年代になると、住宅を所有したいという意欲が急に強くなり、しかもそ
 れを親一代限りで支払い、子供には相続または贈与することが当り前になってくる。
 これには二つの理由があるだろう。
  第一:70年代初頭の「列島改造ブーム」で住宅地が急騰、自宅所有者と借家暮らし
     の資産格差が拡がったことだ。住宅を所有しないがために、心貧しい思いに苦
     しんだ人々は、子供たちには貧しい思いさせまいとして焦りだしたのである。
  第二:子供の数が減少したため、すべての子供に住宅を残すことが可能になったこと。
・欧米の場合、中高年の平均賃金が高いのは、もっぱら中高年になると高給に値する職種
 に就く人が多い結果であり、同一職種の中でも長年月勤務すれば自動的に賃金が上がる
 日本式の年功賃金体系とは明確に区別して考えなければならない。
・要するに、欧米では役職が向上しなければ給与もさほど上がらない。外国では、中高年
 でも低給の人々が大勢いる。彼らはどのようにして生活をしているのか。日本の中高年
 との最大の差は、子供に対する贈与が少ないことである。
・まず大学などの高等教育の費用は、子供の名(責任)でローンを借りることが多い。親
 は保証人になるが債務者は子供自身、したがって、子が就職すれば返済する義務が生じ
 る。もし子がそれを怠ると親が代理弁済することになるが、この代理弁済分を子供に返
 せという親子間の訴訟も珍しくない。
・欧米には何代も続いた商店や農家、中小企業がたくさんある。日本式の相続税を支払え
 ば大体三代で財産がなくなるのに、外国ではどうして何代も続くのか。これには相続税
 の累進度合いの問題もあるが、親子売買が普及しているのもその一因である。
・日本では、親子売買には心理的抵抗があり、ほとんど行われていない。また、弁護士や
 公証人を立てて親子間の売買契約書をつくる慣習もない。
・この国では、こと税金に関する限り「疑わしきは罰す」が正義となっているのである。
 このため、親子間売買も、税務上も認定され難い。何より問題なのは、現行税制では、
 売った親の側に巨額の不動産所得税が課せられる恐れがあることだ。 
・結局、日本の現状では、経済的に見ると、親の老後の面倒を見た者だけが損をすること
 になる。  
・もし、家業的な商店や中小企業を継続したいのなら、親子売買を公正証書によって明確
 に行うほうがよい。もっとも、この際の税務処理には、かなり専門的な知識と手続きが
 必要となる。
・現在の日本人が持つ絶対平和・経済成長・完全雇用および親子間贈与の三つの「信仰」
 は、「人生は予定通りに進むものだ」という錯覚をつくり出してきた。しかし、予定通
 りになる人生など、まずあり得ない。
・長い平和と高度成長が続いた戦後の日本では、予定通りの人生を送った人も多いように
 見える。だが、大部分の人々は、固定された閉鎖的雇用慣行の中で、最初の予定を諦め
 て現実と妥協、それをあたかも当初からの予定のように思おうとしているに過ぎない。
・そのようにして自らの人生を送ってきた今日の中高年は、次の世代の人生もまた、これ
 までのように進むと考える。だから、子供たちに受験勉強を強要し、名門企業に就職さ
 せたがる。
・日本は非常に平等な国だ。あらゆる意味での差別や格差が、諸外国に比べれば少ない。
 その意味で日本は「横の平等」が保たれているわけだが、同時に、一つの職業が三十年
 間有利であり続けた例がないという点で、「運の平等」も保たれている。
・時代の変化と産業の盛衰は激しい。常に有利な産業が変わる。だから、今、有利だとい
 われる職種職業に就職しても、生涯の有利さが保証されているわけではない。それより
 も重要なことは、自分の好きな道に進むことだろう。
・世間の噂と親の見栄で職業を選ぶことは危険だ。とくに高校の名声を高めるために生徒
 の個性と好みを無視した進路指導をする教師たちの倫理的な頽廃は罪深い。本人や両親
 と違って、教師は何の責任も散り得ないからである。
・人生を選ぶときには「有利」という理由で道を選ぶべきではない。自分の「好き」な道
 を選ぶべきである。好きなことは必ず上手になる。好きであれば、同じことをしても他
 人ほど疲れない。したがって、他の好きでない人々よりも熱心に仕事に従事することが
 できる。経済的に恵まれなくても、好きなことをしているという楽しさは残る。
・だが、何が本当に好きか分からないのが、人間の哀しい性でもある。有利と聞かされた
 ことを、好きだと錯覚するからだ。本当に好きなこと、それは最も疲れないことだ。
 
平成の創業
・これまでの日本の例を見れば、新しい社会体制が定着し動きだすまでには十年、それが
 成功して成果を上げだすまでにはさらに二十年、都合三十年はかかっている。逆に、社
 会体制が硬直化して破綻しても、その悪しき結果が現実のものとなるまでにもやはり二
 十年はかかっている。
・イギリスの産業革命も、アメリカの奴隷解放も、十年の混乱と二十年の不安な試行時代
 を経ている。明治維新も例外ではない。明治三十年頃までは、日本も成功するかどうか、
 分からなかった。
・第一次世界大戦は、イギリス、アメリカなどの自由経済民主主義に立脚した国々と、ド
 イツやオーストリア・ハンガリー帝国などの官僚主導啓蒙主義の国々との文化的対立が、
 爆発した戦争だった。
・第一次世界大戦においても、啓蒙主義的な政治社会体制でありながら地理的条件や歴史
 的偶然から、イギリスなどの自由経済民主主義の陣営に属した国がいくつかあった。そ
 の典型が帝国ロシアと日本である。
・そもそも第一次世界大戦は、汎スラブ主義を掲げるセルビアが、ボスニアを領有してい
 たオーストリア・ハンガリー帝国と対決したことから始まった。このため、セルビアの
 汎スラブ主義を後援するロシア帝国が、まずオーストリアとドイツに宣戦布告する。
 その限りでは、この戦争の始まりは、後進的帝国主義国同士の衝突から始まったわけだ。
・だが、ドイツの戦勝を恐れたフランスやイギリスが、そのロシアと同盟して参戦したこ
 とで、戦争の性格が一挙に自由経済民主主義陣営対官僚主導啓蒙主義陣営の文明的対決
 に変わってしまった。
・ロシアでは、明治維新よりわずかに早い1860年代に農奴解放を行っていたが、それ
 以前の状況は日本よりもはるかに中世的だったし、改革も不徹底だった。圧倒的多数の
 農民は帰属に隷属し、貧しいばかりかほとんどが文盲だった。
・日本の明治維新が「黒船」の外圧によって従来の幕藩体制を崩壊させたのに対して、ロ
 シアの改革は内部改革、ロマノフ王朝自身による自己改革だったため、はるかに不徹底
 に終わった。戦争の進行とともに内部摩擦が激化、第一次大戦の最中にロシアの帝政と
 いう政治社会システム全体が崩壊してしまう。
・ロシア革命の始まりは、怪僧ラスプーチンに毒された帝政官僚独裁を打倒するブルジョ
 ワ革命だった。
・レーニンのボルシェビキが政権を獲得した「十月革命」を、社会主義の歴史ではきわめ
 て広範な大衆運動のようにいっていきたが、ソ連崩壊後の研究では、一種のクーデター
 と見なす風潮が広まっている。レーニンは大衆の支持よりも、正規軍の掌握で政権を獲
 得したのだ。
・日本がイギリス・アメリカ側に加担したのは、明治維新以来の歴史的偶然によるものだ。
 1860年代末に極東にまで介入する余裕があったのは、イギリスとロシアだけだった。
 つまり、日本が近代化するためにはイギリスと結合する以外に選択の余地がなかったわ
 けである。
・明治新政府が成立し、欧米の情勢も安定したあとで派遣された政府の高官たち、とくに
 明治四年から五年にかけて欧米を回った岩倉視察団は、イギリスの民主主義とは異質な
 ドイツ帝国の啓蒙主義に接し、これに傾倒してしまう。この結果、明治の日本は、外交
 的にはイギリスに追随、政治社会体制においてはドイツ的啓蒙主義に国家とあった。
・このため、明治の日本では、ドイツに対する愛着とドイツ文化への憧れが強かった。第
 一次世界大戦が始まったときも、日本には、何とかドイツに譲歩してもらいたい、ドイ
 ツとは戦争したくないという心理があった。このことは、青島等で捕らえたドイツ人俘
 虜に対する好遇ともなり、日本は「紳士的な国」という名声を得た。また、この俘虜た
 ちから日本が学んだ文化や産業も少なくない。
・要するに、日本は体制的にも心理的にもドイツに近かったが、歴史的偶然によって第一
 次大戦では米英陣営に属し、幸いにも経済的発展と戦勝国の地位を獲得することができ
 たのだ。
・第一次大戦の結果、官僚主導啓蒙主義体制が敗北したことの影響は、日本にも及んだ。
 このため日本にも、第一次大戦のあとでは少しだけ自由経済と民主主義の方向に歩んだ。
 「大正デモクラシー」といわれる現象である。もしこのとき、日本が明治啓蒙体制と訣
 別して、真の自由経済と民主主義のシステムを創業していたならば、太平洋戦争に突入
 することはなかったに違いない。しかし、現実には昭和になるとともに、官僚主導の啓
 蒙主義体制に復帰しようとする官僚機構と軍人組織の意欲が盛り上がってくる。これに
 は普通選挙で選ばれた議会政治家の未熟さや選挙民の経験不足という問題もあった。
・日本の議会制民主主義が、曲がりなりにも機能を発揮し得たのは、昭和5年の浜口雄幸
 内閣の頃までだろう。このときには、軍人の要求を押さえてロンドン軍縮条約に調印す
 ることができた。海軍軍令部長・加藤寛治らは、これを統帥権干犯として問題にしたが、
 昭和天皇は取り合わなかった。
・しかし、すでに民主主義に対する失望と疑惑は広まっており、議会制内閣の主導に反発
 する「有志」によって、浜口雄幸総理大臣や井上準之助大蔵大臣などが暗殺される。
・日本の民主主義の崩壊を早めるのに、最も効果があったのは、官僚・軍人の側からの議
 会政治家の金銭汚職をいい立てる運動だった。
・日本の民主主義と自由経済は、第一次大戦における米英民主主義陣営の勝利という外圧
 (国際環境)で生まれた。そしてそれを圧死させたのは、エリート意識と組織忠誠心に
 燃えた官僚軍人、それに議会政治家を芸能人並みに厚かった善意で軽薄なジャーナリズ
 ムだった。
・昭和初期の歴史を顧みるとき、社会のムードと政治方針の変化が早いのには驚かされる。
 昭和5年には、およそ軍縮条約を破棄するなど考えられなかったのに、昭和9年のロン
 ドン会議では、率先してワシントン条約の破棄を通告してしまう。この会議では、日本
 代表団の出発に際して、昭和天皇はとくに「日本が世界軍縮条約を破壊したといわれる
 ことにだけはしないでほしい」といわれたそうである。
・外交慣れをしているフランスやイタリアは、土壇場で英米と妥協、日本一国が反対して
 世界の軍縮を破壊する結果になった。官僚化した日本は、政治家の決断で譲歩すること
 ができなかったのである。ここでにほんの軍人や外交官が犯した誤算は、軍縮条約が破
 棄されても、ただちに各国が軍拡競争に走るとは思っていなかったことだ。ロンドン会
 議で軍縮条約が破棄されると、すぐに世界各国が建艦競争に突っ走った。こうなると、
 財政力と工業力の差が明確に現れて、日本は非常に苦しい立場になってしまった。
・これは冷静に考えれば誰もが予想できたはずなのに、当時のプロの外交官や軍人はそう
 は思わなかった。その頃日本では、軍縮条約の限度を越えた巨大戦艦「大和」「武蔵」
 の建造計画が進められていた。だから軍人たちは、条約が破棄されればこれが実現、日
 本だけが強大な海軍力を持てると思っていた。ところが、条約破棄と同時にアメリカは、
 日本の何倍もの建艦計画を開始、日本の官僚軍人を仰天させたのである。
・官僚主義にありがちな「勝手読み」、自分の都合だけを考えて相手の出方を正確に予測
 できない思考法による失敗である。やがて日本が太平洋戦争に踏み切った動機の一つは、
 アメリカの巨大な軍備拡張、軍艦建造によって、時とともに日米の戦力の差が開くとい
 う焦りがあった。「勝手読み」から出た悪手が、さらに悪い手を呼んだのである。
・権限を持つ官僚には、相手の出方を考える習慣がないので、「勝手読み」に陥りやすい。
 しかも経緯と権限にこだわるので、自ら指した悪手を修正することができない。これも
 また官僚主導啓蒙主義の持つ欠陥である。 
・これによって国際的な摩擦が激しくなると、これを理由にますます軍拡と統制を強め、
 昭和13年には国家総動員法が生まれる。議会の議決を経ずして法律同様の効力を持つ
 政令(当時は勅令)がつくれるという委任法である。これは、事実上議会制民主主義が
 死滅したことを意味している。だが、そのとき、それに気づいた者は案外少ない。
・今日も議会政治家の金銭汚職や倫理の低さに飽きたらない人たちからは、政治家の資格
 審査や素質検査を第三者機関で行え、という主旨の提言が出ている。一見、もっともな
 ように見えるが、これこそ、国民の上に第三者機関なるエリート集団を置く民主主義破
 壊の思想である
・民主主義とは、選挙を通じて国民が資格審査をする制度であり、国民より上にはいかな
 る特権機関も官僚機構も設けてはならない。また、国民が選んだ議会(政治家)が最終
 的な基本方針を決めるべきであり、議会を無視して法律をつくる委任法を許してはなら
 ない。
・「国会議員の質が悪い、選挙民の自覚が乏しい、だから議員には任せられない」という
 論法は、民主主義の破壊者の常套手段だ。私は日本の国会議員や選挙民の質が諸外国に
 比べて劣るとは思わないが、国政選挙に対する有権者の態度に真剣さが足りない部分が
 あるのは事実だろう。
・日本の未来を語る人々はみな、経済大国日本がどうあるべきかを語る。つまり、未来も
 日本汚工業の生産力と競争力が絶大だという前提に立っているのだ。しかし、十年後二
 十年後にも日本の工業力が絶大であり、それによって日本が経済大国であり続けると
 いう保証は、どこにもない。
・戦前、日本の将来を語る人々はみな、日本が軍事強国であり続けるという前提で考えて
 いた。第一次世界大戦が終わったときには、アメリカとイギリスと日本が「世界三大強
 国」といわれたものだ。ところが、それから二十年たった頃には、すでに日本は軍事強
 国ではなくなっていた。その頃起こったノモンハン事件では、ロシア本土からはるかに
 遠い極東の地でソ連軍に鎧袖一触で敗けてしまった。ソ連軍が特別強かったわけではな
 い。この二十年間に世界の軍事思想と技術は猛烈に進歩、日露戦争での成功体験に埋没
 していた日本軍は、はりかに劣弱化していたのである。
・だが、当時の日本人は、情報を充分に得ていたはずの軍人を含めて、そのことに気づか
 ず、軍事強国の妄想に慕っていた。
・確かに戦艦「大和」や「零戦」のように部分的には優れた兵器もあった。優秀な将兵も
 多かった。しかし、体系的な軍事思想と全体的な組織原理の面においては、日本の軍事
 システムはすでに破綻していた。軍の広域的活用には不可欠な補給体系を検討する意志
 さえ失われていた。太平洋戦争中、多くの日本兵が飢餓に苦しみ戦病死したのは、軍事
 技術の高度化と戦略の地域の拡大に対応した糧秣、装備、編制の改革を行う発想が欠け
 ていたからである。
・日本の経済力の源泉、エレクトロニクスも、バブルの崩壊とともに開発力と競争力に疑
 問符がつきだしている。つい三年ほど前までは無敵不敗と思われた日本のエレクトロニ
 クス産業が、昨年あたりから、まずパソコン市場において、続いて記憶演算装置におい
 て、アメリカや台湾の企業に対して守勢になっている。とくに重要なことは、アメリカ
 では新しい技術とアイデアを持った新規企業が次々と成長、入れ替わり立ち替わり競争
 的刺戟を加えているのに対して、日本には新規企業の抬頭が少ないことだ。
・問題は、日本の官僚機構の硬直性だ。たとえばハイビジョンの開発を、日本は今もアナ
 ログ型を推進している。1964年にその基本方針を定めてから、まったく変えていな
 いのだ。その結果、アナログ型ハイビジョンにおいて日本は確かに優れた技術を開発し
 蓄積したが、すでに世界はデジタル型に転換している。これはあたかも、日本が戦艦の
 分野で最高の技術を蓄積して「大和」「武蔵」をいう記念碑的軍艦を完成したが、その
 ときすでに世界は航空機と潜水艦の時代になっていたのに似ている。
・官僚主導の供給者保護体制の中では、既成の概念に基づく技術を高度化するのはやりや
 すいが、斬新な概念を創造することは難しい。
・今日、日本の経済力を支えているのは、地方の工場だ。東京に集中する流通、情報、金
 融、デザイン、調査研究などの分野は、効率も悪く創造性も低い。これらの分野が大発
 展して、日本の国際的な経済地位を高まるまでになるのは容易ではない。若者たちが散
 帽の工場を避け続けるとすれば、やがて製造工業の先行性も失われてしまうだろう。
・十年後にも日本が経済大国の地位を保つためには、かなりの努力と果敢な創業精神が必
 要である。今、日本にとって重要なことは、戦後システムと訣別し、知価社会にふさわ
 しい冷戦後システムを創生することだ。
・日本人の大部分は、日本の側から離れない限り、日米同盟は続くと考えている。しかし、
 アメリカにも「アメリカの意志」がある。日本人の欠点は、常に日本以外は主体的に動
 かないという「勝手読み」の性癖だ。冷戦後の世界で、果たしてアメリカは日米同盟に
 興味と利益を感じるだろうか。
・冷戦が終わった今では、積極的に軍事行動をしない日本との軍事同盟は、アメリカにと
 ってあまり価値がない。日本に軍事基地を持つ意味も急速に薄れている。外交防衛関係
 者には、アメリカにとって今後も日本に基地を持つことに大きな意義があると信じて疑
 わない者が多いが、果たしてそうだろうか。
・今後も長きにわたって日本がアメリカの同盟国であるためには、日本自身がアメリカに
 とって同盟に値する魅力ある国、つまり経済的に利益のある国であるように努力しなけ
 ればならない。残念ながら、今のところ、そのような発想と覚悟を持つ日本人はきわめ
 て少ない。
・冷戦の終焉は、第一次世界大戦の終了時に似ている。ここで日本の体制全体を変えなけ
 れば、二十年後には「第二の敗戦」を見ないとも限らない。それには単なる行き詰まり
 を打開するための改革ではすなまい。十年の混乱を覚悟した新しい創業が必要なのだ。
 
今、創業すべき政治とは
・北部アフリカから旧ソ連領中央アジアにまで広がるイスラム圏は、冷戦構造のもとでは
 戦略的位置と石油供給源としてしか重要性を持たなかった。イスラムの思想は、社会主
 義からも自由主義からも遠い「古い思想」と信じられていたため、東西いずれの陣営も
 積極的に理解し利用しようとはしなかった。それは、近代化とともに消え去るべき時代
 遅れの慣習程度にしか見られていなかったのである。
・ところが、今ではイスラムの思想、とくにその原理主義的発想は、「欧州」や「北米」
 の主要な危険の一つ、社会主義に代わる重要な思想的挑戦となっている。イスラムは時
 とともに消え去る「古い思想」ではなく、新しい「知価社会」でも活動する社会主観の
 一つなのだ。
・今、日本は新たな創業を必要としている。ここで創業される政治行政の体制は、冷戦後
 の世界、いわば「熱い平和」の時代に適応し得るものでなければならない。それはとり
 もなおさず、冷戦消滅後も欧米諸国、とりわけアメリカと協調できる自由経済と民主主
 義を強化する方向のものでなければならない。
・今、この国に求められているのは、強い主導力を持つ民主政治の確立なのだ。それ故、
 われわれは民主主義を破壊するあらゆる陰謀や錯覚、軽薄、および官僚的統制に反対し
 なければならない。これは自由経済と民主主義の猥雑さを許容することでもある。
・自由経済においては、軽薄文化や詐欺的商法の混入を抑制し排除するのは、消費者自身
 の選択以外にはあり得ない。同様に、民主主義の政治にも錯誤や汚濁がつきまとう。真
 に民主的な選挙であれば、選ばれようとする者(立候補者)の中にも、選ぶ者(有権者)
 の中にも、知的水準や倫理性の低い人物が混入することを排除してはならない。あらゆ
 る格差を越えてすべての人間に平等な機会を与えるのが、民主主義だからだ。
・民主主義が期待する浄化と餞別はただ一つ、民主的に定められた手続きによる選挙であ
 る。民主主義を守るためには、言論界も政府官僚も、財界人も市井の庶民も、猥雑物の
 発生を許容しつつも、選挙によってその排除に勤める覚悟が必要なのだ。民主主義さえ
 実行すれば、自然と公正で清潔な世の中ができあがると期待するのは、まったくの誤り
 である。
・冷戦後の世界に対応するためには、政治行政システムが、少なくとも二つの機能を果た
 さなければならない。 
  第一:日本に有利な政界構造と国際秩序を創案し、提唱し、その実現に向って日本自
     身が行動できる機能
  第二:世界の主要なグループを敵にせず、交渉と妥協と国内の説得ができる機能
・現在の日本の政治行政システムは、そのいずれも完全に欠いている。戦後の冷戦構造の
 中では、対米追随と供給者保護という二大方針に徹していればよかったから、そんな面
 倒な機能を育てる必要がなかったからだ。
・日本に有利な世界構造と国際秩序とは何か。それは少なくとも次の三つの条件を満たす
 ものでなければならない。 
  第一:世界平和
     歴史のほとんどの期間を通じて異民族戦争を経験しなかった日本人には、戦略
     的思想が基本的に欠如している。
     太平洋戦争が証明したように、日本が今後、たとえ全力を挙げて軍備を強化し
     たとしても、世界的な大戦争に耐えられる国にはなり得ない。
     人類の歴史の中でも、今日の日本ほど世界平和を必要としている国はほかには
     ない、といっても過言ではあるまい。
  第二:自由貿易
     今日の日本の産業構造と生活水準を維持するためには、資源、食糧の大量の輸
     入と、それに見合う工業製品の大量の輸出が不可欠だ。
     現在、日本でコメが自給できているのは、コメ以外の食糧、小麦や大豆、副食
     物などが充分に輸入さえているからだ。加えて、現在の米作は完全に石油依存
     になっている。石油が輸入されなくなれば、化学肥料も農薬もなくなるし、耕
     運機も動かせない。
     終戦後、われわれは山のてっぺんから校庭までイモや野菜を植えたが、当時の
     七千万人も食べられなかった。今、石油も食糧も輸入できなくなれば、それよ
     りはるかにひどい食糧不足になることは明らかである。
  第三:人口の定住
     日本は単一民族といわれる均質社会であるばかりか、今ではきわめて精巧な社
     会システムをつくり上げている。このため、大量の異文化民族が急激に流入し
     たならば、深刻な混乱を捲き起こすに違いない。それは就業構造や治安の問題
     となるだけでなく、居住者間の感情的対立を生み、深刻な文化摩擦を発生する
     に違いない。
・世界平和を守るために、あえて秩序を乱す勢力を軍事的に抑制しなければならないこと
 もある。そのためには、これに日本がどのようにかかわっていくべきか、これから大き
 な問題である。私は、資金の提供を主に人的貢献を従にすべきだ、と考えている。その
 ためには他国のためではなしに、自分の国のために世界平和にお金を出すという発想が
 必要だし、資金調達の仕組みも用意しておくべきであろう。
・いわゆる人的貢献には慎重であったほしい。最近、一部に紛争地域の在留者救援のため
 に自衛隊などを派遣できるようにすべきだ、という意見もある。内戦や組織的テロ活
 動によって在外日本人の被害が増加するにつれ、この種の主張も強まるだろう。しかし、
 これには大きな危険をともなう。十九世紀以来、先進列強が発展途上地域に軍事侵略し
 たときの口実は、すべて「在留自国民の保護」だったからだ。かつて日本が中国大陸に
 侵略した場合も例外ではない。
・人口の定住のためには、人口流出国も守ったほうが有利になるような人口移動の国際秩
 序を創出することが必要である。これまでの世界には、軍事、政治、経済の国際秩序は
 あったが、人口の移動については国際秩序は存在しなかった。人口移動は受け入れ国の
 意向だけで決めればよい、とされていたのである。
・国際問題には絶対的な正義の基準がないので、各国それぞれが自国の立場で正義を主張
 する。自由貿易も世界平和も例外ではないが、人口移動(移民)については、確立され
 た理論も国際基準もないだけに、殊にそれが著しい。
・人口流出国にとってもそれを守ったほうが有利になるような国際秩序をつくりださない
 限り、難民流民の多発は防げない。
・難民の大量発生を防ぐ方法は、それぞれの人々がその祖国において生活できる職業と設
 備を与えることだ。資金と技術の面で発展途上国の経済発展を促すとともに、ある程度
 の外国人を秩序ある形で受け入れることも必要だ。また、先進国で働いて資金と技術を
 得た外国人が、祖国へ帰って働ける場所と機会をつくる援助と投資も重要だ。
・議会が行政に優先する議会制民主主義の原則を確立するか、あるいは行政の長たる総理
 大臣を直接投票で選ぶ「首相公選制」のいずれかにするか。前者はイギリス型、後者は
 アメリカ型である。大統領制の国でも、ドイツやイタリアはイギリス型であり、大統領
 権限の強いフランスはアメリカ型に近い。
・日本でも、中曽根元首相は若い頃には「首相公選制」を提唱していたし、今も自民党の
 一部にその意見はある。しかし、日本の国民性や歴史的経験、現代の風潮から見て、首
 相公選制にはいくつかの難点がある。
  第一:首相公選が人気投票になって能力のない者が選ばれる可能性がある。
  第二:首相公選の選挙費用がかかりすぎる。
  第三:議会での多数派と公選された首相との党派や政見が異なる場合、政治が円滑に
     進まない。 
・政治家には落選という個人的懲罰があるが、官僚にはいかなる失敗や無為による加害に
 も個人としての罰を受けることがない。官僚がどんな過ちを犯しても、補償するのは国、
 つまり国民の税金からであって、誤った行政を行った行政官は何の懲罰も不名誉も受け
 ない。
・これが極端に現われたのが、真珠湾攻撃の場合だ。日本政府は真珠湾攻撃開始の半時間
 前にアメリカ側に宣戦布告する予定で手筈を整えていたが、当日は駐米日本大使館職員
 の出勤が遅く、暗号解読とタイプ打ちに手間取り、開戦通告が予定よりも2時間も後れ
 てしまった。この結果、真珠湾攻撃は不意打ちになり、その汚名は50年後の今日も全
 日本人に被さっている。ところが、当時駐米大使館で事務を取り扱った二人の外交官は、
 何の懲罰も受けなかったばかりか、いずれも戦後は外務次官になり、勲一等に叙せられ
 ている。
・これでは官僚が仕事の結果には責任を持たず、官僚機構内部での評判だけを気にして出
 世競争に身をゆだねるのは当然だろう。そしてその内部の評判とは、専らその官庁の権
 限と予算を拡大したか、天下り先を増したか、などで決まるのだ。だから官僚は、より
 多くの規制権限を欲し、常に過剰な介入をしたがる。こうした無責任な過剰介入志向は
 きわめて危険だ。これを防止するたけにも、「公正行政委員会」を設置し、法律で認め
 られていない行政指導や規格基準の押しつけを禁止すべきであろう。
 
豊かになった日本にふさわしい経済とは
・豊かになった日本経済が、まず目ざすべきは、地球と調和した経済、つまり自然と人間
 活動の調和に貢献し、国際的な諸民族の調和に役立つ体制である。少なくとも、そのい
 ずれにも 破壊的な作用を及ぼさない経済活動の仕組みでなければならない。
・もしすべての国の人々が、今日の先進国人のような豊かな物的生活を行ったとすれば、
 たちまちにして地球は破壊されてしまうだろう。逆に、先進国の人々に、発展途上国並
 みの倹約と辛抱を求めたとすれば、失業と不便で大混乱が起こるだろう。先進国への資
 源輸出で最低の生活を保っている何億もの途上国の人々は、餓死してしまうだろう。
・この三十年間に韓国や台湾が豊かになった反面、旧ソ連や東欧のほとんどが、援助する
 側から援助される側に変わってしまった。
・今も、貧しい国々の人口増加率が、豊かな国のそれを二倍以上も上回っているのを考え
 ると、この差は広がるばかりだ。これほどに増加する貧しい国々の人々が、先進国人と
 同じほどの消費を行えば、世界の森林や石油資源および穀物生産の土壌は、たちまち枯
 渇破損されてしまうだろう。
・今、人類にとって必要なことは、一定の不均衡の中に調和を見出すことだ。それはまた、
 貧しい人が豊かになることも、豊かな人の中から貧しくなる人が出ることも許容し得る、
 柔軟にして多様性のある世界を構築することだ。そのためには、経済力と尊敬の尺度を
 別物にしなければならない。
・これからの人類に求められるのは、不均衡と不満を内臓した共生であり、嫉妬と増悪を
 抑止する気風の構築である。このことをあえて強調するのは、一部の日本人が理想とし
 て掲げる絶対平和主義が、実際には日本的な倫理と美意識の押しつけになることを危惧
 するからだ。それもまた、昭和初期に日本の犯した誤りの一つである。
・今後、日本が国際均衡を回復し、日本の繁栄が世界の繁栄につながる国となるためには、
 日本で生産され輸出されているのと同等同種の商品が大量に輸入され販売される、水平
 分業社会の一員となることが必要だろう。
・これからの日本では、若年人口の減少や時間当たりの賃金の上昇が予想されるだけに、
 東アジアとの行程分業が起こった場合、日本の産業構造の転換は、かなり急激なものに
 なるだろう。だが、これを「産業の空洞化」と嘆くべきではない。それは、日本の人材
 と資源が、より適切に配置されることなのである。
・もっとも、日本の国籍を持っているから、日本国内に居住しているからといって、すべ
 ての人々が開発や流通の工程に適した性格と能力を備えているとは限らない。したがっ
 て、日本にも生産現場は相当数残るだろうし、残さなければならない。しかし、ここで
 は東アジアの豊富な労働力からの挑戦を受けることも避けられない。グローバル化する
 経済においては、企業なかりか勤労者個人も、外国との競合競争をまぬがれることはで
 きないのである。
・「豊かになった」日本が目ざすべき経済の第二の問題は、楽しくかつ安全な社会をいか
 に実現するかである。経済面での「安全な社会」とは、経済的に生活破綻者、つまりホ
 ームレスが増えないことだ。経済的に生活が破綻して社会から脱落、再起不能と思う人
 は、社会秩序に反する行為も、あまり抵抗感なくやってしまう場合が多い。「ボロをま
 とえど心は錦」というのは再起可能と信じる場合である。今はボロをまとっていても、
 やがて適切な職業に就き、正常な生活が可能だと思う人々は、その可能性を放棄するよ
 うな行為を自制する。しかし、生涯まともな社会生活が不可能と考えるようになれば、
 一時のうさ晴らしにアルコールや麻薬に溺れたり、犯罪行為に走りやすい。ホームレス
 が多いことは、当人にとっての不幸であるだけでなく、社会の安全のためにも深刻な問
 題である。
・これはまた、人口移動とも関係してくる。外国人が無秩序に流入すれば、それ自体がホ
 ームレス化するばかりでなく、低賃金労働分野での競争が激化、もともとの国民からも
 破綻者が出る。そしてその結果、民族的摩擦を起しやすい。秩序ある人口移動が可能だ
 とすれば、この問題は主として福祉政策によって解消できるだろう。
・社会福祉の理想にも、二つの考え方がある。
 一つは、所得は無限に平等なのが幸せだという、ピグー流の厚生経済的思想だ。所得の
 高い人から税金を徴税して、所得の低い人に与えれば、社会全体の福祉は高まる、とい
 う主張だ。これは、一見もっともな理論であり、それ故に長く多くの人々に信じられて
 きた。1970年代には、北欧諸国や英国や日本で、個人所得に対する最高税率が90
 パーセントを越える極端な累進課税が行われたのも、この思想に基づいている。しかし、
 所得が高いからといって極端な税金を取ると、高所得者の勤労意欲が失われ、経済の発
 展が阻害されるばかりでなく、さまざまな社会的歪みも生じてくる。
・そもそも自由経済というのは、それぞれの人の能力と努力と幸運によって結果に格差が
 生ずるのを是認する思想から出発している。このことは経済効率の向上だけではなく、
 結果責任を明確にすることによって選択の自由を保証するためにも必要なことだ。選
 択した本人が、たとえ過ちを起しても所得が同じだというのでは、真面目な配慮がなさ
 れないことだけでなく、所得を保証する立場の官僚が個人の選択に干渉することにもな
 りかねない。
・もう一つの福祉の理想像は、「人間には生存権があり、人間としての尊厳を維持し得る
 生活を行う権利がある。したがって、豊かな社会においては、すべての人々にそのため
 の最低所得を保証しなければならない」とするものだ。この思想の裏の意味は、最低所
 得を越えた部分では、あえて平等化の必要がない、ということである。1980年代以
 降は、世界的にこの思想が優位になり、高累進課税を排して広く薄く課税する付加価値
 税(日本の消費税もその一つ)などが広がり、高額所得に対する税率は徐々に引き下げ
 られる傾向にある。福祉の財源を、所得額によって累進する所得税よりも、一律課税の
 付加価値税に依存する方向に進んでいるわけである。
・「平等」という概念には三つの種類がある。 
  第一:機会の平等
     しかし、機会が平等であれば、成功する人と失敗する人、幸運な人と不運な人
     の間には、結果で不平等が生じる。したがって、「機会の平等」を認めること
     は、「結果の不平等」を容認することでもある。
  第二:結果の平等
     これにも二つの種類がある。
     「結果の横の平等」:すべての人々の所得を等しくし、社会的待遇や政治的権
               力も同じにしようという発想
     「縦の平等」   :現在同じ立場の者は将来も同じ立場にいればよいという
               思想
・「縦の平等」を求める思想の根源をなすのは、きわめて人間的な嫉妬の感情だろう。人
 間は生まれながらに格差よりも、身近な者との間に生じる新たな格差のほうに激しい嫉
 妬を感じる。生まれながらの格差は自分の責任ではないと納得できるが、かつて同等だ
 ったものが上位に昇るのは、いかにも自分の無能と不運を見せつけられるようで耐え難
 い。嫉妬は人類最大の劣情である。
・成熟した豊かな社会で安全と安定を向上させるためには、満足者を増やし不満者を減ら
 す「満足の分有」を考えるべきだろう。つまり、多くの人々がある分野、ある尺度では
 一定の満足ができる世の中にすることである。
・これを典型的に実行したのが徳川幕府体制だ。徳川体制では、「権」と「禄」と「位」
 を支配階級の間で分け合う仕組みがつくられていた。「権」つまり権限が最も強いのは
 幕府の老中や奉行だ。ところが老中は譜代の小大名、奉行は旗本から出る。したがって、
 本当に実務の実権を握る勘定奉行や寺社奉行は五百石から三千石までの間の禄の階級が
 就くことになっていた。 
 「禄」つまり所得の最も多いのは外様の大大名、前田や島津、伊達、毛利といった連中
 である。彼らは通常、幕政に対して発言することができない。御三家以下の親藩もほ
 ぼ同様だ。
 これに対して「位」が高いのは京の公卿だったが、彼らは政治的発言権は乏しく、禄は
 驚くほど低い。
・今後の日本社会に最も重要なことは、「楽しさ」の実現である。人間にとって最終的な
 喜びとは、「楽しい人生」が送れることだ。極端ないい方をすれば、国家も企業も家庭
 も、そのための組織であり、政治も経済も文化もそれを実現する手段である。
・人間の「楽しさ」、とくに経済の面におけるそれを実現するとはどういうことか。それ
 は、取りも直さず、一人一人の人間が暮らしの点でも仕事の点でも「好きなこと」がで
 きること、「好み」を達成できる条件を整えることである。
・現在、日本では「時短」が大きな話題になっている。ということは、これまであまり改
 善されなかったことを意味している。日本の時間的余裕のなさは、労働時間だけの問題
 ではない。より重要な問題は、とくに東京圏では通勤時間その他の労働準備時間が非常
 に長いことだ。この結果、労働と労働準備時間(いわゆる労働拘束時間)および睡眠や
 食事などの生理的必要時間を除いた個人が自由に使える「可処分時間」は非常に少ない。
 このため、東京で勤務する人々は、きわめて限られた生活パターンを強いられている。
・だが、この点に関しては、日本人は鈍感だ。あえて可処分時間の短い東京勤務を希望す
 る者が多いし、東京圏勤務者の中には通勤に長時間を要する遠方の住宅を高い価格で購
 入する者も少なくない。
・この点だけを見ると、日本人は可処分時間の価値をあまり認めていないといえるだろう。
 確かに日本には「無為なる時間」を求める伝統はないし、可処分時間を楽しむ方法も習
 得していない。観光旅行に出ても、旅行社が定めたスケジュールに縛られて気忙しく駆
 け回るほうを好む。 
・その逆の減少もある。日本では戦後、家事などの非市場的労働が大幅に少なくなったこ
 とだ。そしてそのための省力化機器に世界一高いコストを支払う。たとえば家事労働の
 時間を短縮する全自動洗濯機や電子レンジが、最も早く最も広く普及したのは日本だっ
 た。しかし、それによってできた可処分時間は、必ずしも楽しみのために使われたわけ
 ではない。多くの女性が定期不定期の労働にたずさわるようにもなった。全国民に占め
 る働く者の比率(労働化比率)では、今や日本はスウェーデン、スイスと並んで、出界
 でも最も高い国の一つになった。
・「楽しい社会」を創造するうえで、最も重要なのは消費者の選択の自由を拡げることだ。
 そのためには、あらゆる分野で新規参入の制限を撤廃すべきである。新規参入の自由こ
 そは、自由経済の根本であり、消費者優先政策の根源である。
・これを妨げようとするものは、業界の談合体制であれ、行政指導であれ、法律で定めら
 れた許認可制度や輸入制限であれ、基本的には自由を制限する社会悪である。したがっ
 て、それが許容されるのは、よほど重大な国民的利益が証明された場合に限定されなけ
 ればならない。
・これまでの日本人は、時間を楽しむことを蔑む傾向があった。余暇(可処分時間)の使
 い方でも、知識の習得や健康の増進にかんすることを善、単なる楽しみを悪と見なすこ
 とが多い。
・人間の本来の姿から見れば、知識も経済も所詮は手段であり、幸せな人生こそが目的だ。
 そしてその「幸せな人生」とは、全体を通じて好みを達成し楽しい時間を長く持つこと
 である。もちろん、その「好み」の中には民族の誇りや国家の発展も入るし、「楽しい
 時間」の中には明日の成長を期待する夢や希望も重要な役割を果たしている。だが、
 「今」を大切にし、「今」を楽しむこともまた、大きな喜びである。
・何事にとらず、欧米で生まれたものでなければ上等と思わないのは、今も日本人が背負
 った錯覚である。そろそろわれわれ日本人も、本音で楽しむ世の中というものを考えな
 ければならない。
・現在の日本人は、本音の議論が失われている。欧米から出たものは格好がいい、日本発
 のものは野暮ったい。「アイルランド民謡」は格好いいが「おけさ節」では遅れている
 などというのは、著しい錯覚だ。どちらも同じ民謡、同じ農村地帯から生まれた歌であ
 る。

「日本式」を越える経営
・これまでの日本は、「追いつけ追い越せ」の時代、つまり官僚主導による高度成長と外
 国技術の導入の時代であった。このため、日本の企業にとっては”HOW TO”だけが
 重要だった。新しい概念や飛躍的な新術は外国から来たし、経営の目標は官僚から与え
 られた。日本の企業には、新しい概念を自ら創造する必要がなかったし、業界の中で抜
 け駆けするのも禁物とされた。企業経営にとって大事なのは、外国から入った概念と技
 術を、「いかに」消化し、「いかに」安く「いかに「多くをつくり、「いかに」多く売
 るかだけだった。
・これからは「何をつくるか」「何を売るか」という”WHAT”が大切になってくる。

日本人の新しい家計
・現在の日本には、「今」を楽しむ若者やフリーターを嫌悪する人が少なくないが、今や
 それは大いなる間違いになってきた。日本人がみんな貯蓄に熱中しても、それに見合っ
 た投資機会がなければ、日本経済はマクロの均衡が保てない。本当の満足を重視した三
 つの発想の転換が必要である。
  第一:資産価値から利用価値へ、経済的な価値観を転換することである。
     これからは、住宅も耐久消費財も資産価値で考えるのではなく利用価値で考え
     るべきだ。
     かつては、衣類や夜具が貴重な資産だった。だから、質屋には衣服や夜具を持
     っていくのがごく普通だった。しかし、今では古着などには何の資産価値もな
     くなってしまったから、質草にも取ってくれない。
     自動車や電気製品もほとんど資産価値を失ったし、間もなく住宅も資産として
     の意味が乏しくなるだろう。現に地方の山間部にある住宅は、住む人がいない
     ため使用価値を失い資産価値も限りなくゼロに近い。今後、高齢者が増加し若
     者が減ると、都市部は供給過剰になり、使用価値以上の資産価値を失うだろう。
  第二:所得よりも消費という考え方に立ち返ることだ。
     所得は満足な消費をするための手段であって、それ自体が目的ではない。
     戦後の日本人は所得の高さを求め、消費の豊かさを忘れてきた。
     東京に住むのは経済的には不利だ。長い通勤時間のため、可処分時間も地方在
     住者に比べて年間二百時間以上も少ない。
     「東京には文化があるからみんなが住みたがる」とよくいわれる。だが、東京
     在住者でも音楽会や歌舞伎にしょっちゅう行くわけではない。
     ただ、問題は、東京には供給の多様性が存在するため、消費の多様性が許容さ
     れることだ。もちろん、供給の多様性は「危ない消費」ととなり合わせでもあ
     る。腐敗と頽廃の領域も拡がっている。大都市の魅力は、そんなスリルと厚化
     粧にあるといってよい。
     これまでは東京などの大都会に住むことの利点は、成長が期待できることであ
     った。ところが、これからは、東京に住んだからといって必ずしも成長が期待
     できるわけではない。むしろ安定志向を求める人ならば、経済的にも人間関係
     のうえからも、地方の地域社会の中で拠点を持つのが有利になるだろう。
  第三:世間よりも自分に忠実であるべきだ。
     日本人は、世間のしていることを自分もしなければならないという思いが強い
     あまり、自分のしたいことがわからなくなっている場合が多い。
     本当に好きなことをしていれば満足できる。好きないことを無理にしていると、
     お金がかかるばかりで苛立ちを感じる。苛立ちは憎悪を生み、やがて怒りに変
     わる。だから、好きでないことをしている人は、人間関係のうえでも円満な結
     びつきができない。どんなに努力しても、好きでないことをしていることが、
     相手にもわかってしまうからだ。
・豊かな社会とは、本当に遊べる人間になることができる世の中のことだ。本当の遊びに
 は、三つの自由が必要だ。
  第一:経済から自由でなければならない。
     これをやったらお金が儲かる。これは安いからやっている、というのでは本当
     に遊びにはならない。
     本当に遊ぶためには、ある程度の経済的余裕が不可欠である。
  第二:これをやれば格好よく見られるとか、これをやれば周囲の人々に褒められると
     か、そういうことを考えていたのでは、真の楽しみは得られない。
     遊びでは、世間から見て格好が悪いとか、少数派であるといったことは気にす
     る必要はない。遊びに正義感や倫理観を加えるべきではない。遊びの目的は自
     らが楽しくことであって、それ以外の何ものでもないからである。
  第三:こういうことをやれば将来資格が取れるとか、健康にいいとかいうことも考え
     るべきではない。
     本当に自分が今、この瞬間を楽しむためには、未来を忘れることも大事である。
・現在の日本人は実に遊び下手だ。というより、本当の遊びには、いまだに恐怖心を持っ
 ているといっていよい。その原因の第一は、遊びと仕事のけじめがつかない社会になっ
 てしまっていることだ。
・現在の日本人は、何となく人生は春から始まり、冬に終わるように思いがちだが、春は
 青春、青年時代のことだ。高齢期というのは人生の実りを刈り取り、収穫するという時
 期だから、けっして暗く考える必要はない。人生の成否は、この秋の収穫によって決ま
 るのである。
・六十歳以降が、いよいよ実りの秋。人生の実りを収穫する年代である。この時期にこそ
 自分が蓄えてきた財産と人間関係と、知識と人格のすべてをエンジョイする時期なのだ。
 ここで大切なことは、人生の収穫は自分自身の実り、自分のために使うべきものだ、と
 いう点だろう。
・現在の日本は、人生の実りの秋である六十歳以降を「老後」と考えて恐れる人々が少な
 くない。それには三つの側面である。第一は経済の側面、第二は人間関係の側面、そし
 て第三は健康の側面である。
・健康だけは個人的な差があるので一概にいえないが、寝たきり老人や痴呆症になる比率
 は、それほど高くない。むしろ他の条件、経済と人間関係が良好であれば、健康をあま
 り心配することはない。日々を辛く考えることから現実逃避の痴呆症になる例も多いら
 しい。
・これからは、日本経済の成長率は低下するだろう。しかし、長期的に見れば大なり小な
 り成長は続く。つまり、未来の世代は現在の世代より豊かなのだ。とくにこれからは、
 子供が少なくなれば一人一人の資産は確実に増える。
・現在の中高年は、敗戦直後の貧困の中で育った世代である。それが今、豊かな生活を営
 んでいる。だから、子供たちには貧しい思いをさせたくない、という思いが殊のほか強
 い。われわれは「過去」の貧しい記憶の故に現在の消費を抑えているが、未来の、より豊
 かな世代にあえて財産を残してやろうと苦しむ必要はない。われわれにとって大切なの
 は、日本が将来も平和な経済大国として繁栄する仕組みを残すことだ。
・われわれが子孫に伝えるべきは、生産力であって物財や貯金ではない。つまり、より豊
 かな未来の世代のために、より貧しい現在の世代の犠牲になる必要はない。
・高齢期の人生にとって、より重大な問題は人間関係である。会社人間として生きてきた
 人々は、退職と同時に友達がなくなる。ともに楽しむ同志を失う場合も多い。高齢者の
 多くが、定年後働きたいという大きな理由は、自分が帰属する人間集団を持ちたいとこ
 ろにある。
・今、日本でも終身雇用、年功序列が揺らいでいる。つまり職縁が緩みだしているのだ。
 血縁、地縁に続いて、終身雇用の職縁社会も失われるとすれば、これからは別の新しい
 人間関係をつくり出さなければならない。それはおそらく、好みの縁でつながる社会
 「好縁社会」であろう。
・人間はもともと多様なものだ。肉体的条件も家族関係も違えば経済的社会的環境も違う。
 しかもその差は年齢が高くなるにつれて大きくなり多岐に分かれる。健康にも経験にも
 違いが出るからだ。 
 
日本の新しい創業のために
・日本に必要なのは今や「新たな創業」である。そしてその方向は、
  @民主主義に基づく政治の復権
  A量よりも質、成長よりも効率を重視する経済構造の確立
  B拡大希求の共同体から理想を実現する機能体への経営の転換
  C未来よりも現在、財産よりも満足という人生観による家計の定着
  D世界との共生を重視し、お金で引きつけるよりも夢で真似られる国創り
・首都機能の移転は、東京に空間的余裕を与え、その膨張速度を抑制する。けっして東京
 の人口が減少することにはならないが、膨張速度の低下は、空間的余裕の発生と相まっ
 て、都市計画を実行することを可能にする。同時に地方には、経済文化の中心地として
 の東京と政治の核としての「新都」とを両睨みにした活動の余地を開くことになる。