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自民党内で憲法改正に意欲的な議員たちの多くが、旧体制下の支配層たちだった人達の、
いわば世襲議員だ。彼らには敗戦に対する怨恨が脈々と受け継がれて、アメリカから「押
し付けられた憲法」を増悪している。しかし、彼ら支配層たちの子孫にとって増悪である
日本国憲法は、一般の人びとにとっては救いの憲法だった。国家の名の下に、自由を奪わ
れ、国家の名の下に命を弄ばれた一般の国民にとって、今の日本国憲法は、人々を解放し、
人びとに明日への希望を与えてくれた憲法だった。その憲法が今、権力者たちによって足
蹴にされている。このことを我々国民は、しっかりと認識しなければならないのではない
のか。無知、無関心ほど怖いものはない。知らない間に、取り返しのつかない状態に置か
れてしまう。過去の歴史がそれを物語っている。我々国民には、この国でなにが起きてい
るのかを、正しく知る権利があると共に、「知る義務」もあることを忘れてはならない。


はじめに
・異常な法秩序に突入したこの状況と、その状況下で成されようとしている憲法改正を、
 法の専門家である私たちが、黙って見過ごすわけにはいかない。
・2015年9月をもって、日本の社会は異常な状態に突入しました。可決した平和安全
 法整備法と国際平和支援法、そう名付けられた戦争法案は、明白に憲法に違反していま
 す。この違憲立法によって、最高法規である憲法が否定されてしまった。今回、日本の
 戦後史上はじめて、権力者による憲法破壊が行われたわけです。
・私たち日本人は、今までとは違う社会、異常な法秩序のなかに生きている。そして今度
 は、憲法を否定した当の権力者が、憲法を改正しようとしている。立憲主義の破壊とい
 う事態がいかに深刻なものか。つまりは国の根幹が破壊されつつあるのです。
ナチスは大衆の喝采を動員し、民主をもって立憲にトドメをさしました。立憲、民主の
 先進諸国の繁栄は、平和とは相容れない、軍事力に依存した植民地支配の上に成り立っ
 ていたりもします。  
・今、日本国憲法を「みっともない憲法」と公言してきた人物を首班とする政権が、「立
 憲・民主・平和」という基本価値をまるごと相手どって、粗暴な攻撃を次々と繰り出し
 てきています。「粗にして卑ではない」という表現がありますが、あまりに「粗にして
 卑」としかいいようのない政治の情景を私たちは目にしています。法治国家の原則が失
 われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている。
集団的自衛権の行使に賛同する人ですら、もっと言えばそういう人びとこそ、この国の
 立憲主義と民主主義を踏みにじった現政権の粗暴な「壊憲」行為については、将来の集
 団的自衛権行使に傷をつけるものとして、異を唱え、闘うべきなのです。なぜなら、憲
 法を守らない権力者とは、すなわち独裁者だからです。
・憲法が破壊された国家で、静かに独裁政治がはじまりつつある体制下に私たちは生きて
 いる。この国の主は、我々国民なのですが、その主という資格が今、奪われようとして
 いる。

破壊された立憲主義と民主主義
・日本の社会は憲法という最高法規が踏みにじられ、「無法」と言ってもいいような状況
 に突入しています。与党・自民党は憲法に違反するということに、もはやなんの躊躇も
 ないようです。異常としか言いようのない政治状況です。彼らはその憲法の改正まで視
 野に入れている。   
・我が国与党の国会議員の多くは、「そもそも、憲法とはなにか」という基本的な認識が
 欠如しています。安保法制について言えば、歴代の政権が積み重ね、継承してきた憲法
 の解釈を、たかが一内閣お閣議決定ごときで、勝手に変更しても構わない、あるいは、
 憲法違反の立法を行っても差し支えないという、我々から見たら、異常としか言いよう
 がない感覚の持ち主だということが判明しました。 
・現時点では、憲法改正は断じて行うべきではない。あの思いつめた人たちが、どこへ憲
 法をもっていってしまうのか、本当に不気味です。
・法律は国家の意思として国民の活動を制約するものです。しかしながら、憲法だけは違
 います。国民が権力に対して、その力を縛るものが憲法です。憲法を守る義務は権力の
 側に課せられ、国民は権力者に憲法を守らせる側なのです。
・権力というものは常に濫用されるし、実際に濫用されてきた歴史的な事実がある。だか
 らこそ、憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るためのものでなければならない。
・憲法には「制限規範」と「授権規範」の両面がそもそも、備わっている。「制限規範」
 というのは、憲法が権力を制限するという側面です。そして「授権規範」という憲法の
 側面を「新たな役割」として、いかにも新奇なアイディアのように自民党の高市議員は
 語っていますが、国会が立法権だけを、裁判所が司法権だけを、そして内閣が行政権だ
 けを行使できるのは、憲法によって制限された限りの権力を主権者・国民から「授権」
 されているからなのです。これが憲法の「授権規範」的側面です。「授権」と言っても、
 「それしか」授けないよ、という「制限つき」の意味なのです。
・つまり、「確実に国民の命を守る役割」が憲法の新しい要素=「授権規範」である、と
 いう高市議員の主張は、憲法学の知識が欠如しているがゆえの言葉の誤用です。しかし、
 単なる用語の間違い、概念の混乱という以上に、この高市議員の主張が問題なのは、自
 民党の憲法観の間違いが、ここににじみ出ているからです。
・国家に与えられる権力は、国民の権利や自由、基本的人権を侵害しないという「制限規
 範」に縛られた条件付きなのです。  
・自民党内の法務族、とりわけ改憲マニアとも言うべき議員のなかには世襲議員が多い。
 2009年の衆議院選挙の大敗で、実力派の議員が落選し、自民党の憲法調査会には、
 二世どころか、三世、四世といった世襲議員と、不勉強なくせに憲法改正に固執する改
 憲マニアだけが残ってしまった。現在、自民党内で憲法について集中的に考えている議
 員たちのほとんどが、戦前日本のエスタブリッシュメント層、保守支配層の子孫とその
 取り巻きであるという事実です。
安倍晋三の母方に祖父、岸信介なんて、大日本帝国のもとで戦争したときの最高責任者
 のひとりです。武官の最高責任者が東條英機ならば、文官の最高責任者は岸信介じゃな
 いですか。 
・彼らの共通の思いは、明治維新以降、日本がもっとも素晴らしかった時期は、国家が一
 丸となった、終戦までの10年ほどの間だった、ということなのです。普通の感覚で言
 えば、この時代こそがファシズム期なんですが。そういう自民党世襲議員のなかに、旧
 体制下に支配層たちの「敗戦のルサンチマン(怨恨)が脈々と受け継がれ、アメリカ
 に「押し付けられた憲法」を増悪するという構図になっている。
・日本国憲法は、一般の人びとの救いでした。戦争に負けて、新憲法を押しつかられたと
 彼らは言うけど、一般の人びとにとっては悔しくもなんともない。日本国憲法のもと、
 人権が保障されるようになったし、平和で豊かで良かったなというだけのことです。
ポツダム宣言の受諾を屈辱として記憶しているのが戦前の支配層でしょう。そして、明
 治憲法郷愁派、あるいは復古派とも言える戦前支配層の子孫たちにとって、安保法制を
 強行採決するなど日本国憲法を踏みにじることは、屈折した思いを代償する、自然な行
 為なのでしょう。そして、世襲議員たちが、いよいよ「憲法改正」を実現し、自分たち
 が社会を支配できるような旧体制を「取り戻そう」としているのではないでしょうか。
・2015年夏の安保法制成立までに、三つの憲法破壊があったと思われます。まず一つ
 め。権力者たちが憲法九条を無視する解釈改憲を行い、安保法制まで強行採決した。自
 衛隊を海外に派兵するなら、当然、九条違反です。二つめ。正式な憲法改正の手続きを
 飛ばして、憲法の実質的な内容を変更してしまったわけですから、96条の改正手続き
 を無視しているという意味で憲法違反です。そして三つめ。国会議員に課せられた99
 条の憲法尊重擁護義務にも違反している。これだけのことが安倍政権下で行われたので
 す。    
・天皇主権の明治憲法の時代には、立憲主義というものが、とてもわかりやすく見えたか
 らです。天皇が統治権を総攬していた、あるいは実質的には藩閥政府(のちには軍部)
 が権力を握っていたという状況では、憲法によって縛られるべき権力が何なのかが明確
 でしたから。 
・立憲主義とは、憲法によって権力を制限し、憲法を権力に遵守させるということです。
 そのこと自体は、戦後も戦前も、もちろん変わりはありません。しかし、戦後、新しい
 憲法によって天皇主権から国民主権になりました。国民が主権者であるということは、
 国家権力を構成しているものは「国民の意思」です。こうした国民主権のもとでの立憲
 主義となると主権者たる国民が決めたものをなぜ憲法によって制限する必要があるのか、
 という疑問が出てきてしまう。国民主権の時代なんだから、国民が国民を縛る立憲主義
 などいらないじゃないかと。他ならぬ安倍首相自身が、憲法は国家権力を縛るものだと
 いう考え方は、かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方である。今の
 時代には絶対的なものではないという自説を示しています。
・明治憲法下では、憲法を守らない権力者に対しては、「非立憲である!」と攻め立てて
 いたわけです。帝国議会の議員たちも、国民を代表する自分たちが、自分たちよりも強
 い天皇や藩閥政府を憲法を盾にしてなんとかコントロールせねばならないという自覚が
 あったし、権力のほうも、立憲主義的に政治を行っているというそぶりを見せる必要が
 あったのです。ところが、戦後になると、議員たちの意識が変化します。主権者たる国
 民に選ばれた我々が一番偉いのだという認識になり、立憲主義という言葉が形骸化して
 しまった。主権者である国民に選ばれた国会議員なのだから、議員を制限するものは何
 もない、というロジックが教えるのは、民主主義が立憲主義を破壊するのに使われる危
 険がある、ということです。 
・選挙で選ばれた議員たちは、民主主義に基づく権力を握っています。その権力まで憲法
 が制限するのはどうか、という大きな問いも出てきてしまう。民主主義と立憲主義は、
 同じ方向を向いているときもあれば、ぶつかってしまうときもあるのです。立憲主義は
 時代遅れだという安倍首相の発言は、人民に選ばれた俺たちを優先しろ、ということで
 しょう。
・ところが、民主主義では、社会は不安定になるし、危うい方向に向きやすい。重要な例
 を挙げれば、ナチスドイツの登場です。ナチスが台頭したときのワイマール憲法は、国
 民主権に基づく民主主義でした。いきなりクーデターでナチスが出てきたわけではない
 のです。民主主義的な選挙によってナチスが第一党になり、首相になったヒトラーがワ
 イマール憲法そのものを実質的に無効化してしまった。  
・だから戦後の西ドイツは、憲法の保障する価値をひっくり返してはならないという考え
 方を法制度化しました。「自由の敵には自由を認めない」という考え方です。ワイマー
 ル憲法のもとで、民主主義が暴走し、憲法の基礎を成していた基本的人権が破棄され、
 ドイツ民族の優位といったイデオロギーが跋扈するようになった。立憲主義を軽視する
 と、そういったことが起きてしまうのです。人民の名において非人道的な支配をしてい
 た旧ソビエト連邦・東欧圏というものもありました。イラクのサダム・フセインも国民
 投票をすると100%近い支持を得ていたけれども、あれも独裁です。
・世界的な流れを見て言うと、民主だけで進んでいっても、全体主義に転化したり、独裁
 を招いてしまう。過去30年ほどの間に立憲主義は急速に見直されてきているのです。
 もちろん、もっぱら立憲主義だけでも国民不在になってしまいますので、実際には、民
 主と立憲のあいだで、その中間にどうバランスをとるのかが大事です。  
・ただ厄介なんですよ。時として安倍政権は、国民をおだてつつ、あなた方の直接民主主
 義を大切にするんだという口ぶりになる。 
・安倍首相が言っているのは絶対民主主義の正しさなんですね。絶対民主主義とは、多数
 派が支配的に振る舞って良いという民主主義です。多数派だったらなんでもできるとい
 う絶対民主主義は、非常に危ない。民主的な決定プロセスはもちろん大事ですが、その
 プロセスを経たとしても、たとえば憲法に書かれた人権を踏みにじるような結果になら
 ないとも限らない。そこに歯止めをかけるのが立憲主義です。
・自民党の国会軽視は数限りなく続いている。内閣総理大臣席から野党議員に対して「早
 く質問しろよ」「どうでもいいじゃん」と野次を飛ばした事件があった。国会は国会議
 員のものであって、日本国憲法にも、内閣総理大臣や閣僚は院が求めたらば出席する義
 務があると書いてあるわけです。出席する義務がある首相は、院に呼ばれたら、議事を
 進めるのではなく、  議員たちから問つめられる立場です。問いつめられる側が、早
 くやれ、早く質問しろと議事進行を促した。小さなことのようで、これは権力分立とい
 う大原則を破っているのです。立法府において行政側の人間が、勝手に議事を仕切る権
 利はない。
・立憲主義を民主主義のロジックによって否定しておきながら、民主主義をも放棄しよう
 としているのが、今の自民党なのです。立憲主義という「法の支配」も、民主主義とい
 う「人民による支配」も否定して、今進んでいるのは、自分たちの都合の良い、「法で
 人民を支配する政治」、それを自民党はやろうとしている。 
・立憲主義と民主主義、そのどちらもが存在せず、そのように権力が恣意的にその力をふ
 るうことができる政体をなんと呼ぶか。これは恐ろしいですよ。それを独裁政治と言う
 のでしたよね。金ファミリーが支配する北朝鮮と、日本は変わらない状態に近づいてい
 るのです。 
 
改憲草案が目指す「旧体制」回帰とは?
・2012年に自民党が公表した憲法改正の第二次草案の中身をついて、まず、根本的に
 おかしいのが、国家権力と国民の関係が逆転していることです。草案では、国民に憲法
 尊重義務を課している。近代憲法としては、この時点でアウトですよ。
・改憲マニアの世襲議員たちは、戦前の明治憲法の時代に戻りたくて仕方がない。だから、
 まるで明治憲法のような古色蒼然とした、近代憲法から逸脱したこんな草案を出してき
 た。旧体制への回帰こそが、この草案の正体です。けれども、この草案をもって明治憲
 法に戻るという評価は、甘すぎる評価だと思うのです。明治の時代よりも、もっと「い
 にしえ」の日本に向かっている。  
・明治憲法を起草したときの日本人は、必死でした。日本の法体系が不十分だからという
 ことで不平等条約を押し付けられた。それを跳ね返すために、欧米の法学を懸命に取り
 込んで、国家体制と法秩序を整えようとした。ところが、経済大国になった日本の政治
 家たちは、先進国意識だけがあって学ぼうという意識がない。憲法がなんなのかも分か
 らずに政治家をやっている自民党議員が多い。 
・私がはっきりさせておきたいのは、まさにあの憲法だからこそ、日本は先の大戦に突入
 してしまったわけで、その「結果」から逆算すれば明治憲法は良きもものであろうはず
 がない。明治憲法をまとめると、まず、権力は人民の側にはなかった。主権が本当に天
 皇にあったのか、それとも実際に政治を担う重臣たちにあったのかは、議論の分かれる
 ところですが、少なくとも形のうえでは「天皇主権」です。ですから、刑事憲法下で国
 民に許された「自由」だって、天皇が法律でお認めくださる限りの自由ですから、おか
 しな政府を張り倒す権利もないし、そもそも、政府がお認めくださる限りの自由なんて
 「人権」ではありません。しかも「統帥権の独立」というのを根拠に、軍隊が天皇の名
 前を出せば、その時点でもう誰も手出しできない。その結果、軍部が勝手に満州で戦争
 をはじめて、それに国全体がズルズルと引きずりこまれて、のひどい負け戦になった。
・自民党改正草案は、近代法からの逸脱ということです。民主主義的傾向の芽生えのあっ
 た明治期への回帰どころか、前近代への回帰です。近代法を捨てて、「いにしえ」の東
 アジア的な権威主義に戻ろうとしている。自民党の改正草案を近代法として懸命に起草
 された明治憲法と一緒にしてはいけない。  
・自民党の草案のように万が一、改憲されるようなことになれば、日本が金王朝の北朝鮮
 のようになってしまう。現代の日本を「いにしえ」の時代から根強くある東アジアの専
 制政治国家に戻してしまってはいけません。 
 
憲法から「個人」が消える衝撃
・自民党草案では、「個人」という言葉をあえて削っている。今の日本国憲法では、「す
 べて国民は、公共の福祉に反しない限り、個人として尊重される」となっているが、
 自民党草案では、「すべての国民は、公益及び公の秩序に反しない限り、人として尊重
 される」となっている。「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に変更になっていると
 いう点も要注意ですが、最大のポイントは「個人」としての尊重から「人」としての尊
 重に変わったというところです。
・ここでいう「人」の意味は「犬・猫・豚なとどは種類が違う生物」といった程度の、本
 当に軽い存在としての「人」です。それぞれ個性を持つ「個人」としての尊重されるの
 と「他の動物よりは上」といった程度の尊重されるとは大いに違う。自民党の改憲マニ
 アは、「個人の権利」を常に否定したがる性癖がある。彼らは、どんでもない理屈で
 「個人」という言葉を排除しようとする。自民党の改憲マニアに言わせると、「日本国
 憲法に個人主義がもちこまれたせいで、日本から社会的連帯が失われた。だから、個人
 主義を排して、社会の土台をつくり直すのだ」ということだそうです。
・自民党改正草案のQ&Aで、「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて
 規定されていると思われるものが散見さえることから、こうした規定は改める必要があ
 ると考えました」と書かれている部分がある。つまり、今の憲法は「西欧かぶれの天賦
 人権ぶちでよろしくない」と言っている。それと同時に、「日本の伝統のなかには、一
 人ひとりが生まれながらにして権利を持っているなどという考え方はない」ことを示唆
 している。自民党の片山さつき議員は「国民が権利は天から付与される、義務は果たさ
 なくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの
 基本的な考え方です。国があなたに何をしてくれるのか、ではなくて国を維持するには
 自分に何ができるか、を皆で考えるような前文にしました」と言っている。
・2015年4月に安倍首相がアメリカの連邦議会で「日米は価値観を共にする国と演説
 しましたが、「日本国民は生まれながらにもつ権利はございません。それが日本の伝統
 です。国に奉仕してはじめて権利がもらえる美しい国です」とアメリカの議員たちの前
 で言ったら、「価値観を共にする国」だとは、誰も思わないでしょうね。
・決して、日本には伝統的に「個人」がいなかったわけではない。まして権力にとって都
 合の悪い自己主張が「日本的でない」わけではない。権力に都合に悪いものを「日本的
 ではない」とレッテルを貼り、排除しようとしているようにしか見えません。

自民党草案が考える権利と義務
・自民党草案では、「この憲法が保障する自由及び権利は、国民は、これを濫用してはな
 らず、自由及び権利には責任及び義務が伴う」とある。つまり、「自由及び権利には責
 任及び義務が伴うことを自覚」しろと、国民に迫っているわけです。しかし、これは根
 底から間違っています。憲法における「権利と義務」は、そういった代償的な関係には
 ないのです。我々、国民はもともと人権を持っていて、それを尊重、擁護する義務は国
 側にある。これは代償的な関係ではない。「国民は権利を持っているのだから、国に対
 する義務も負うのが当たり前」という論理は成立しないのです。   
・桜井よしこ氏が、よく「今の憲法には利がたくさんあるけれども、義務が伴わなければ
 なりません」と主張するが、今の日本国憲法にも第12条がある。これには「この憲法
 が国民に保障する自由及び権利は、これを濫用してはならない。常に公共の福祉のため
 にこれを利用する責任を負う」とちゃんと書いてある。だから、自民党草案のように、
 いちいち、権利を定めた条文に、馬鹿みたいに義務なんか添えなくても、ちゃんと好き
 勝手にするなと書いてあります。
・自民党草案には「国は、国民と協力して、領土、領海および領空を保全し、その資源を
 確保しなければならない」とある。国家は国民と「協力して」とあるでしょう。すると、
 協力と言いつつ、これは簡単に義務に置き換えられるわけ。国民の防衛協力の延長線上
 に、じゃあ、兵隊足りないよ、お前らなんで協力しないんだと。
・政権は福祉国家と言うけれど、これはどんでもない話だと。福祉国家というイデオロギ
 ーで、近代憲法の枠を踏み越えて、「権利より義務」という方向に持っていこうとする
 仕掛けが見え見えじゃないかと。福祉国家と自称しはじめたとたんに、行政権力は、巨
 大な権限と莫大な予算を握って、肥大化してしまう。当然、肥大化した権力は、故意だ
 ろうが故意でなかろうが、大きな間違いを犯すだろう。だからこそ、行政権力を民主的
 な手段で、あるいは憲法によって管理しようという考え方が発展してきたわけです。
 ところが、未だに自民党の勉強会では、形を変えた福祉国家論がまかり通っているので
 す。国家は親切でありがたいものなのだから、国民は協力せよという発想です。経済成
 長が難しくなった今、福祉という言葉自体を憲法に言えることを今の自民党は嫌がって
 います。「公共の福祉」という言葉が消えて、「公益及び公の秩序」になっている。
 
緊急事態条項は「お試し」ではなく「本丸」だ
・国家への協力という義務を国民に課したいという自民党の願望を凝縮したような条項が
 あります。それは「緊急事態条項」です。緊急事態条項を憲法に書き込むのは、世間で
 言われるようなソフトな「お試し改憲」ではないのです。この条項が憲法に加えられる
 と、相当、厄介なことになる。国家が国民の権利を取り上げ、協力という義務を課すよ
 うになる。つまり、「前近代」の国家に逆戻りです。
・緊急事態条項とはなにか。ごくごく簡単に言えば、これは大災害、内乱やテロ、戦争と
 いう緊急事態に日本が直面したときに、平時とは異なる権力の行使を認めるという条項
 です。とにかく事態を悪化させないためには、国家は迅速に動くしかない。通常の立法・
 行政のプロセスを無視し、憲法で保障されている「国民の権利」を踏みにじってでも動
 くしかない局面では、瞬時に決断して、国家の実力を総動員して、危険を押さえ込むこ
 とが必要である。これが国家緊急事態権とも呼ばれるものの内容です。自民党草案には、
 「緊急事態」を扱う第九条が新しく提案されたのです。
・国家緊急権を憲法化するかどうかは、あやふやな議論でやってはいけないことなのです。
 国家緊急権とは、権力の暴走を防ぐために手足を縛っているところを、緊急のときだけ
 解いてしまおうとするものです。これは、立憲主義の根幹に関わる、痛みを伴う議論の
 はずです。 
・権力者にとって国家緊急権という麻薬の魅力は強いのです。その誘惑をはねつけるだけ
 の強さがない政治の世界で国家緊急権ほど危ういものはないし、それだけの強さがあれ
 ば、それを憲法に書き込む必要はない。日本において国家緊急権を憲法化することにつ
 いては一貫して反対です。憲法で国民の自由を保障し、緊急時の対応を定めた法律によ
 る自由の制限が例外的にありうる、という大きな枠組みを維持すべきです。憲法自身に
 国家緊急権を書き込むと、原則と例外が対等に並ぶことになってしまうでしょう。
・それに、憲法に国家緊急権を書き込むことで得られるメリットがない。危機への対応は、
 憲法ではなく法律で準備しておく必要があり、憲法に書いてあっても現実対応の役には
 立たないのです。災害に際して、中央の政府の権限を強化したところで、被災地の状況
 は把握できない。状況を把握できない政府に判断を委ねても、時間がかかるし、間違い
 も起こる。生死の間際にある人々をそれでは救うことはできない。災害時に必要なのは、
 中央の権限を強化することではなく、自治体の首長に権限を委譲しておくことです。さ
 らに言えば、災害が起きてから、あわてて中央で対策や立法を練っていても間に合わな
 い。  
・大いに反省しているのは、いかに権力というものについて私が楽天主義だったかという
 ことです。ここ数年の自民党を見ていて、「まさか現代国家のこの日本で・・」と眼を
 疑いたくなるような政治が行なわれ、憲法そのものもないがしろにされています。私自
 身、遅まきながら、権力の本当の危うさを骨身にしみて分かるようになった。そして、
 あの自民党に改正草案そのままの緊急事態条項を与えたら、どうなることか。緊急事態
 条項を憲法に書き込むべきだ、という善意の憲法学者の主張は、手足を解かれた権力が
 発揮する巨大な力に対する楽天主義の産物なんです。   
・自民党の改正草案の緊急事態事項では 緊急事態であると認定するのが内閣そのもので
 しょう。そして、内閣が「はい、これから緊急事態!」と決めてしまえば、それだけで、
 立法権は内閣のものになる。さらに、首相は財政上必要な支出を自由に行うことができ
 るようになり、国会が排他的に握っている予算の承認・拒否権という「国の財布のひも」
 も首相が預かることになる。さらに、首相は地方自治体に対して、あたかも部下に対す
 るように指示を発する権限も有することになる。しかも、緊急事態の宣言を、百日を超
 えるときには、「百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない」と規
 定されていますが、ドゴール時代のフランスでも誘惑が働いたように、一度、手にした
 「万能の権力」をすぐに手放す気になるかどうか。しかも、今のように与党が過半数を
 超えているときに緊急事態の宣言を行えば、次の選挙が行われるまで何度でも延長は可
 能で、権力はフリーハンドでやりたい放題です。
・もうひとつ注意しなくてはならないのは、衆議院議員の任期の延長です。緊急事態だと
 認定されている間は、国会議員の任期を特例や選挙期日の特例を設けうるとなっていま
 すが、これは議員の任期延長に使える。ちなみに、この条項は、緊急事態の最中に国会
 に議員の「空白」を生じさせないため、と説明されていますが、とんでもない。現行憲
 法に参議院議員による緊急集会というのがきちんと規定されている。任期延長などしな
 くても、この緊急集会さえあればいい。ともかく緊急事態の宣言の延長を重ね、議員の
 任期延長によって与党過半数の維持を達成すれば、ロジックとしては「永遠の緊急事態」
 をつくることも可能です。衆議院を4年ごとに解散しなくてもよい、選挙を延期してよ
 いというお墨付きが憲法に書き込まれたらどう使われるかわからない。それを想像して
 ほしい。
・この緊急事態条項は、内閣が緊急事態であると認定した瞬間に、三権分立と地方自治と
 人権保障を停止するという、たいへん、危険な条項なんです。つまり、これは日本国憲
 法そのものを停止させ、独裁制度に移行する道を引敷くのと同じなんです。
・自民党の改正草案では緊急事態条項下の協力義務が国民に課せられてしまうことを、問
 題にしなければなりません。防衛省が有事の際に民間船を借り上げる場合に船員を予備
 自衛官として活動させる計画が進められていると報道されています。現行法のもとでも
 実質的には強制に近い運用になるのでは、という危惧が出されていますが、改正草案で
 は義務化されるのです。 
・緊急事態の宣言が発せられた場合には、国民は、「国その他公の機関の指示に従わなけ
 ればならない」と改正草案にあります。つまり、憲法に、国民の義務が書かれてしまう
 ということです。現行の国民保護法では、国民への要請は協力を求めるという形でしか
 規定されていない。あえて国民に協力の義務を課していないのです。それにもかかわら
 ず、改正草案の緊急事態条項では、「従わなければならない」としている。
・自民党の改正草案では、「すべての国民は、この憲法を尊重しなければならない」とな
 っている。国民が国家に注文をつけるのが憲法です。とすると、国民に向かって「憲法
 に従え」というこの草案は、もはや近代憲法ではないのです。緊急事態条項とその直後
 に設けられたこの条文を読めば、改正草案がなにをねらっているのか、その基本姿勢が
 はっきりと浮かび上がってくる。しかも、この緊急事態条項について、野党と国民の理
 解の得られやすい「お試し改憲」だと世間では思っている。しかしそれはちょっと違う。
 これこそが、「本丸」なのではないでしょうか。「永遠の緊急事態」を演出し、憲法を
 停止状態にすることができる。     
・「憲法改正」のこの真実を、そしてこの事の重大さを国民は知らなくてはいけない。一
 番大きな問題は、そもそも国家緊急事態という考え方が、立憲主義との非常に厳しい緊
 張関係にあるということです。へたをすれば、この条項はナチスを台頭させたワイマー
 ル憲法の二の舞を引き起こします。   
・国家緊急権が、いわゆる第三世界の国々でいかに乱暴に使われているか。やはり歴史上
 一番の教訓は、ワイマール憲法48条の大統領緊急令でしょう。世界恐慌などの危機に
 際して、大統領が緊急令を乱発して、議会の軽視が常態化した。議会など意味がない、
 という雰囲気のなかで内閣を立法者とする全権委任法に行き着いてしまった。議会が軽
 視さえること、行政が立法権をもつことを軽く見てはいけないのです。なによりも国民
 が自分たち自身の判断の積み重ねで政治をつくっていくという主権者意識を衰弱させて
 いった。3年足らずの間に4回も繰り返された選挙の機会に、破局に向かう方向を押し
 戻す力を有権者が失ってしまったのです。
・現代のまっとうな立憲主義国家では、緊急事態に対する法制を実際に運用しようとする
 ときは、裁判所による監視と抑制の仕組みが必ず採り入れられている。国民の権利への
 特別の制約が必要として最小限度のものにとどまっているか否かを判断するためには、
 そもそも緊急事態が発生したのか、それにどの程度の緊急性があるかについても、裁判
 所が独自に認定し判断する権限がなければならない。このようなことが日本で期待でき
 るかと言うと、残念ながらそれは難しい。 
・統治の根本に触れる、あるいはきまめて政治性の高い行為については司法は判断しない
 というのが、日本の判例になっています。もし司法が力を持たない状態のまま、緊急事
 態条項を導入するとしたら、恐ろしいことに誰も肥大化した行政をチェックできない。
  

キメラのような自民党草案前文
・自民党改正草案の前文では、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、・・・天皇を
 戴く国家であって、・・。日本国民は、国と郷土を起こりと気概をもって自ら守り、和
 を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。美しい国土と自然環境を
 守りつつ、・・良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、・・・」などと書
 かれている。一見なんの問題もなさそうな言葉が並んでいる。しかし、祖国愛や、民族
 主義を煽る言葉は、偏狭なファシズムを支える道具になってきた。憲法を書き換えるな
 らば、そういう言葉の重みに対する認識とバランス感覚が必要だ。日本自身がかつて偏
 狭なナショナリズムの熱にうかされて、他国の人々にも大変つらい思いをさせた負の歴
 史がある。
・また自民党改正草案の前文に、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概
 をもって自ら守る責務を共有し」とあるが、憲法に道徳を持ち込むことの危険性は、い
 ろいろな角度で指摘できると思います。一種の思想統制の根拠となっていく可能性もあ
 る。法と道徳を混同するな、というのは近代法の大原則です。それを踏まえて上で、現
 実に国民の生活に直結する大混乱を招くということを力をこめて指摘しておきたい。
・また同じ自民党改正草案の前文に異様な規定がある。「活力ある経済活動を通じて国を
 成長させる」と。そうか、経済成長が我が国の国是になるんだ!要するに、美しい日本
 の社会基盤を称えながら、その社会基盤を壊さないとできない経済成長を国家の最大目
 標に置いている。これは衝撃です。
・効率重視、競争の拡大を進めて、無限の経済成長を目標に置けば、「国と郷土」「和」
 「家族」「美しい国土と自然環境」「良き伝統」、この全部は壊れてしまいます。片方
 で日本独特の価値を追求しつつ、他方国境の垣根を取り払い、ヒト・モノ・カネの自由
 自在な流通を図るグローバル化を推進するというのは、矛盾というほかありません。
・これだけ問題だらけの自民党改正草案がなぜまかり通るのか。それが何に起因するのか、
 私はとくにここ一年ぐらい、現在の政権中枢ないし周辺にいる人たちの、人間性そのも
 のが問われている気がします。まず、日本の戦後史のとらえ方のおかしさ、それから、
 そもそも戦前そのものを知らない。     
 
九条改正議論に欠けているもの
・第二次世界大戦前の支配層の孫たちが、中国・韓国との関係を改善する努力を怠りつつ、
 安全保障の環境が悪化したと主張し、「米軍の二軍」で構わないから軍隊を持ちたいと
 いう理由で、憲法九条を書き換えようとしています。それができないから、とうとう違
 憲の安保法制を通してしまった。そして、なんと今度は、憲法のほうを安保法制に合わ
 せようとしている。 
・自民党の改正草案を見渡せば、近代の法秩序を否定し、日頃から「価値観を共有してい
 る」相手だったはずの欧米から見れば、異形としか言いようのない社会を構築しようと
 している。 
・真面目に九条を改正したいという人たちが本気で議論を将来、はじめるというなら、ま
 ずは、大日本帝国の時代から日本国の今日に至るまでの近現代史全体を通じて、日本が
 戦争のなかでなにを行ったのかを明らかにし、そこからなにを学んだのかを明確に表明
 しなくてはならないはずです。ところが現実は、少なくとも1931年の満州事変から
 1945年の敗戦までの政府の政策決定と軍の行為について、政府から出てくるまとも
 な総括はありません。
・先の戦争のなかで近隣諸国にどのような加害を行ったかを明確にしないまま、自衛のた
 めとはいえ戦力を持つことを公にすることは、相互不信をますます煽り、東アジアのな
 かでの軍拡競争を相互破壊的なまでにしていくことになりかねない。  
・日本政府の戦争責任に対する姿勢は不十分なものであった。しかし、主権者たる国民が、
 九条を廃棄せずに、保守してきたことが、世界の多くの人々のあいだで信頼を受ける日
 本という地位をかろうじて築いてきたのです。 
・もし日本国民が正規の軍隊を憲法で承認することが必要だと判断するならば、そのとき
 には全国民が、女性を含め、短期間ずつでもその軍に関与していく必要があると思う。
 もちろん、こうしたことを言うと、反論されるのはわかっています。「現代の兵器は高
 度に専門的な機器ばかりで、素人が扱えるものではない。世界各国が徴兵制をやけて、
 プロの軍隊をつくっている時代に、馬鹿を言うな」と。
・大日本帝国の軍隊は誰のための軍でしたか。天皇のための臣民による軍隊でした。大日
 本帝国では軍の論理が国民を完全に支配してしまった、という経験を反省したうえで、
 もし新しい軍隊をつくるとしたら、なにを考えるべきか。それは、今度こそ民主主権の
 論理で、軍をつくらなくてはいけないということです。人民の国をつくるからには、人
 民の軍隊が必要である。戦闘のプロが権力者と結びついた、王のための傭兵集団ではい
 けない。それが徴兵制による国民の軍隊のはじまりだったのです。戦争が好きな者だけ
 で軍隊をつくれば、国民的な常識から乖離した集団になってしまいます。
・徴兵制ではなく、市民の意思を反映しつつ、志願制にすればよい、という意見もあるか
 もしれない。しかし、私はこれにも反対です。現にアメリカでも起こっている現象です
 が、表向きは志願制だと言いながら、貧困者だけが志願する経済的徴兵制が問題になっ
 ています。経済的困窮のせいで軍に志願して、イラクやアフガニスタンに派遣され、運
 悪く命を落としたり、帰国できてもPTSD(心的外傷後ストレス障害)で心に深い傷
 を負ったりする若者が大量に出ています。国民のための軍隊だと言うなら、貧しい若者
 だけに負担を押し付け、血を流させるという方法は公正だとは思えない。 
・国民が国民投票によって、国防軍をつくることを是とするならば、それはあなた自身、
 主権者として、ある種の分担をすることを覚悟してください。今の自衛隊の名前が変わ
 るだけで、勝手にしてくれ、自分には関係ない、というわけにはいきません。
・戦前の日本軍が犯した罪は、外国の国民に対するものだけではありません。大日本帝国
 の臣民に対しても責任があるはずです。大東亜戦争はABCD(アメリカ・イギリス・
 中国・オランダ)包囲陣に囲まれて、やむを得ずに立ち上がった戦争だ、つまり国民の
 生活を守るためにやむを得ずやった戦争だと、半ば公然と言ってきた人たちがいます。
 しかし実際には、国民の暮らしを守るためだと言いながら、旧日本軍は国民を守らなか
 った。それどころか、積極的に危険な状態に置いたという悲しい現実がある。日本軍の
 最精鋭をえりすぐったと言われていた満州駐屯の関東軍が、民間人の日本人居留民を放
 棄して、惨憺たる目に遭わせた。沖縄では、日本軍が展開していたそのことが、住民の
 被害を大きくした。しかも、沖縄県民の約4分の1から3分の1が死ぬという被害が出
 たのは、正規軍同士の戦闘に巻き添えというだけでなく、日本軍が住民をゲリラ戦に使
 ったことで、米軍が恐怖を覚えて見境なく攻撃するようになったことなどとも関係があ
 ります。あるいは日本軍そのものが、窮地に陥った局面で住民に自決を強要した結果で
 もありました。    
・兵士の扱いも問題でした。兵站・安保法制の言葉で言えば後方支援を整えることなく、
 兵隊の命を駒のように扱いました。兵站をおろそかにしたまま戦争に突入するというの
 は、とんでもない話です。ガダルカナル島硫黄島インパールなどでの作戦が、兵站
 無視のとんでもない状況で行われたことは、最近、やっと一般に知られるようになって
 きました。日本全体が根本的に物資がないという状況で、追い詰められた上での戦いだ
 ったのは確かです。しかし、これは、国民の軍ではなく、お国のための臣民の軍だった
 からこそ、起きたことではないですか。徴兵制であれ、志願制であれ、「個人」という
 文言を憲法から削りたいと考える政治勢力の考える軍隊が、兵士一人ひとり、国民一人
 ひとりにとってどのようなものになるか、そこも考えなくてはならない。
・軍隊をもちさえすれば、対米従属構造から逃れられると考える人たちに対しても言いた
 い。安倍政権が実際にしていることは、戦後レジームからの脱却と言いつつ、実際には
 対米従属路線、それが言いすぎなら対米強調至上路線だということです。日米関係を強
 化するために、日本の自衛隊の使い勝手を良くしようという発想なのです。  
・安倍的なる人々は、戦国乱世がはじまった新しい状況のなかで、中国が怖いから、アメ
 リカと仲良くする以外に生きる道がないと選択している。そのうえで、アメリカにしっ
 かり守ってもらうためには日本もアメリカに貢献しないといけませんよと主張するわけ
 です。しかし、アメリカが始めた戦争でまともに終わった戦争はない。ベトナムもアフ
 ガニスタンもイラクも、結局は動乱が拡大した。アメリカが勝った戦争はないのです。
 それなのに、 むやみに戦争をしたがるアメリカに日本がついていったら、新しい敵を
 つくるし、人も殺さなくてはならないし、国内ではテロによる報復を恐れなくてはなら
 ない。しかも軍事費がかさんだ挙句、アメリカのように国家が破産寸前の状態に追い込
 まれる。なにもいいことはない。かとって、日本が今さら完全に独立した軍隊をもって、
 米軍の力は一切借りませんというのも、現実的ではないと思います。
・もし日本がアメリカからの純粋な軍事的独立を考えるならば、唯一核兵器被害国であり
 ながら、あらためて加害者の側にまわることまでするかどうか。広島・長崎に人たちに
 謝って、こうしなくちゃ、どうしても日本は立ち行かないんだと言って、核兵器を持つ。
 そんなことは、私たちにとって倫理的に許されないことです。
・日本が軍を持ちさえすれば、対米独立ができるというのは、寝ぼけた話です。最近、つ
 くづく思うのは、九条があったからこそ、日本は海外で戦争をしないですんだというこ
 とです。このことをしみじみありがたく感じます。こう言うと、「平和主義というお題
 目で戦争を防げるのか」という反論がすぐに返ってきますが、少なくとも、アメリカの
 戦争に付き合わなくてすんだのは、まぎれもなく九条の効果です。
・確かに、日本が他国から襲われなかったのは、日米安保、つまり米軍と自衛隊の存在の
 おかげでしょう。しかし、冷戦時代に世界各国で紛争が絶えなかったなかで、アメリカ
 の軍事的同盟国でありながら、日本が外に出ていって戦争をすることなく戦後70年を
 迎えることができたのは、まぎれもなく憲法九条のおかげです。九条がなければ、ベト
 ナム戦争に参戦した韓国軍のように、早い段階で戦争に巻き込まれていたはずです。九
 条のおかげで、派兵できない、とアメリカに言えたのです。

憲法制定権力と国民の自覚
・憲法というのは権力者を縛る法でしょう。日本で権力者と言ったら、国会の多数決で首
 相の座に就く人じゃないですか。その人が2分の1で改憲の発議ができると言ったら、
 なんの歯止めにもならない。憲法が普通の法律と同じ地位になってしまいます。だから
 権力を握っている人たちに、簡単に憲法を改正させないのが、憲法の当然の前提なので
 す。だから、3分の2以上という特別多数決で縛ってるところを外そうなんてこと自体
 がそもそも、もう不見識のきわみです。
・改正のハードルを下げたいというのは、憲法学的には無理筋なのですが、違憲の立法を
 なに食わぬ顔でできる自民党ですから、なにをするかわかりません。だから、有権者の
 皆さんには、硬性であることが憲法の本質で、改正しやすい憲法になったらそんなもの
 は憲法ではない、そういう動きは怪しいものだと覚えておいてほしいです。
・怖いと思うのは、「決める」政治、「決断が早い」政治を国民自身が望んでいるのでは
 ないか、ということです。そういった性急に解決を求める気持ちが、憲法についても、
 もっと早くお手軽に変えられるものにしてあげようじゃないか、ということにつながり
 かねません。  
・欧米のメディアは、安倍政権の初期の段階から、あれは保守政権ではないと見抜いて、
 革新ナショナリズム勢力だと書いていました。日本の新聞は、いまだに保守政権として
 分類しているようだけれど、とんでもない。戦後の体制を離脱する、あるいは壊したい
 と言っているんだから、今の自民党は革新政党です。
・最初の憲法制定権力は、明治維新のときに、軍事力で徳川幕府を張り倒した尊王派でし
 ょう。薩長の軍事勢力が革命に成功し、憲法制定権力を行使した。維新と呼びならわし
 ているけど、あれだって革命です。二度目の憲法制定権力は、第二次世界大戦で大日本
 帝国を降伏させた連合国軍が行使した。そのような経緯で、日本国の憲法は生まれた。
・与党・自民党は、憲法を擁護する義務を放棄しています。安保法制があるような強硬な
 形で、議事録に採決の様子も描写できないような中で可決された。あるいは、国会議員
 の4分の1以上が求めたにもかかわらず、臨時国会が開かれなかった。安倍政権下でこ
 の国のありようというのは、まさに憲法停止状態に陥っている。要するに、自民党は憲
 法を否定し、体制を静かに転覆した。
・憲法擁護義務のある権力者が憲法を擁護せず、違憲立法まで行うこの状況は、クーデタ
 ーと言っていい。クーデターというのは、軍隊など実力部隊の戦力を背景に、政府を制
 圧して非常事態宣言を出したりして、憲法を停止して、そこからクーデター派の独裁が
 始まるわけです。安倍政権の場合は逆に、権力を掌握して独裁的に国会運営をして、実
 質的に憲法停止状態をつくってしまうということになってうる。ですから、権力者によ
 る「静かなるクーデター」です。革命と言い切ってもいいかもしれない。普通のクーデ
 ターなら打倒される側である権力者が、みずから権力を用いて体制を破壊している。と
 ても奇妙な構図です。しかし、やっていることは憲法の停止と、その憲法下にある体制
 の転覆である点は変わらないわけです。このまま、日本国憲法が遵守されない状態が定
 着し、近代憲法の枠組みから逸脱している、個人の権利も保障されない新憲法が成立し
 てしまったとしたら、後世の歴史の教科書は自民党による「無血革命」があったと書く
 ことになるかもしれません。 
・彼らは、日本国憲法はそもそも連合国に押し付けられたから無効だとしつこく主張して
 います。しかし、それは、ハーグ陸戦条約の読み間違いなんですよ。占領政策に支障な
 き限り、被占領地の基本法制を変えてはいけない、というのがこの条約の正しい読み方
 です。実際、占領する側は、明治憲法を改正して日本国憲法にしなければ、占領に支障
 があったんです。それに主権国家・大日本帝国の決断として、民主主義的傾向の復活強
 化、人権の補強と軍国主義の除去を終戦の条件としてポツダム宣言受諾で受け入れたの
 です。だから、自民党の改憲マニアが繰り返す、日本国憲法無効論は間違っています。
・それから、制定の過程に文句をつける「日本国憲法というのは、素性が怪しいんだ」と
 いう議論も、彼らはしつこく世論にアピールしようとしますが、これもおかしな話です。
 素性はどうあれ、日本国憲法は我々国民の幸福追求の役に立ってきたのですから。
・私たち一人ひとりが幸せになるためのサービス期間としてつくった国家権力機関が、も
 し誤動作したら、一時的に国家権力機関のトップにいる人たちを首にすることもできる。
 もちろん、国民が憲法を書き換えだってすることができる。
・違憲政府を倒す運動、この憲法奪還の運動が成功すれば、はじめて我々国民が革命を体
 験することになりませんか。安倍政権によって反故同然になっている日本国憲法を奪還
 し、保守していこうと憲法学者が立ち上がった。これは戦後史上、初めてのことです。

憲法を奪還し、保守する闘い
・安保法案という名の戦争法案が成立してからというもの、政府が憲法を反故にするとい
 う異常な状態にこの国は突入しています。憲法によって縛られるはずの権力者が、憲法
 に違反する立法を行い、その後も、憲法をいいように解釈したり、無視するような政治
 を続けている。まさに憲法停止状態です。憲法を無視するということは、権力者が専制
 的に国民を支配する前兆です。このような権力者に対しては、護憲派も改憲派もその違
 いを乗り越えてともに立ち上がり、私たちの憲法を取り戻さなくてはなりません。
・政府・自民党は一体なにを目指しているのか。欧米をはじめとする近代立憲主義諸国と
 価値観を共有する道から日本は引き返し、東アジア型の権威主義、専制主義の国家に向
 かうのだ。これは、近代国家の否定です。私たちが考える普通の国の原則を捨て去ると
 いうことです。こんな思想をもつ人々が、現在の日本の権力の中枢にいるのです。
・今の政府・自民党が目指すところは、@主権者・国民が権力担当者を縛るためにある憲
 法で、逆に、権力者が国民大衆を縛ろうとする。A各人の個性を尊重することこそが人
 権の本質であるが、それを否定して、国民すべてを無個性な「人」に統一しようとする。
 B海外派兵の根拠を憲法条文のなかに新設し、その実施条件を国会の多数決(つまり時
 の政権の判断)に委ねてしまう。C国旗・国歌に対する敬譲や家族の互助といった本来、
 道徳の領域に属する事柄を憲法で規律する。まさに、皇帝と貴族が支配する家父長制国
 家です。   
・秘密保護法は知る権利を侵害する。同時にこの秘密保護法というのは、「知る義務」を
 国民が行使することも妨げる。「知る義務」とは、我々の公共の社会を維持し、運営し
 ていくために必要なことを「知る義務」があるということです。この国で起きているこ
 とについて知らなければ、正しい投票ができない。今の国民が「知る義務」を果たすか
 どうかで、この先、何十年か、あるいは数百年も続く、体制が決まってしまう。     
・政権のやっていることは憲法違反です。憲法が捨てられようとしています。憲法は、一
 時的に権力をあずかっているにすぎない政治家や官僚を暴走させたいように主権者・国
 民が権力者たちを管理する法なのだから、それが遵守されていない今は異常な状態なん
 です。そんな状況でつくられる憲法は危ないんです。
・自分たちの国の人間がしたことは、すべて正しいなんて言うのは、インチキの愛国心の
 なせる業だ。そんなことをしていると、他国に向き合いときの国民の信用や威信を傷つ
 けてしまうから、愛国的な行為ではないのだ。
・国家の政治が、個人を生存、進歩させるという目的から外れたときには、その国家の過
 失を真の愛国心を持つ者ならば、積極的に警鐘を鳴らして、是正させるようにしなけれ
 ばならない。このような行為こそが愛国的な行為である。国家について非難しないこと
 を愛国心と呼び、こうした無批判の状態に乗じて、利益を得ようとする者がいるのが恐
 ろしいことなのだ。
・新自由主義が、ゆがんだナショナリスティックな感情を喚起している。しかも自民党の
 改正草案の前文では、その新自由主義を国是として憲法価値にまで高めている。その路
 線を進めれば進めるほど結果としてさらに排外主義的な風潮に拍車をかけることになる
 でしょう。その構造についてもっと警鐘を鳴らさなくてはなりません。
・このまま、もし日本が専制的な社会になり、軍事という価値が社会の前面に出てくれば、
 自由の価値は切り下げられ、切り捨てられていきます。しかも、自民党が強化したい軍
 事力は、日本国のためでなく、「米軍の二軍」になるためのものです。「戦後レジーム
 からの脱却」と言いつつ、対米従属は強化し、そのくせ国民に対しては戦後の自由の価
 値を否定して、東アジア的な専制をねらう。この体制が定着しないうちに、憲法を奪還
 しなくてはなりません。
・戦争がなにをもたらすのかが想像できる。憲法を自分に手に取り戻さないと自分たちや
 自分の子供たちが戦場に駆り出され、人を殺しあるいは殺されるかもしれない。こんな
 政治状況をつくってしまった私たち大人の責任を感じる一方で、戦後社会を「保守」し
 なくてはならない。