「下流社会」   :三浦展

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 なかなかショッキングなタイトルの本である。戦後日本は、一億総中流社会を目指して努力し、発
展してきた。しかし、ここに来て、その築き上げてきた中流社会が、崩壊し始めている。所得格差の
少ない社会から、所得格差が拡大していく社会へと、転換し始めたのである。
 今の日本は、「第二の開国」と言えるような時代を、迎えたのかもしれない。グローバル化(とは
言っても実はアメリカ化)によって、それまでの防波堤が取り払われ、国内でも世界の荒波を直接受
けるようになった。国際社会で勝ち残るためには、世界標準(アメリカ標準)の経済システムを導入
しなければならないということで、それまでの年功序列制度を廃止し、成果主義・能力主義制度を導
入した。
 どんな制度にも、プラス面とマイナス面がある。グローバル化によって、年功序列制度の弊害がい
ろいろ取り沙汰されたたが、年功序列制度にもいい面はあった。それは、所得格差を縮小したいとい
う点だ。これによって、戦後日本は、世界に類をみない所得格差の少ない中流社会を実現した。しか
し日本は、国際競争力を得るためとして、その年功序制度を捨てた。
 成果主義制度には、国際競争力を高めるという利点がある反面、所得格差を限りなく拡大していく
という負の面がある。これは、新たに階層化社会の出現を許してしまうということである。これから
の日本社会は、あまり成長が望めない社会だと言われる。今までのようには、パイ(富)が増えない
社会である。パイが増えないのに、一部の人が制限なくパイを独占したらどうなるか。他の人たちが
得られるパイはどんどん少なくなる。一部の大金持ちと、多くの貧しい人で構成される社会。一部の
エリートが大衆を支配する社会。これはまるで、昔の貴族社会に逆戻りしたような感じの社会ではな
いだろうか。
想像したたけでも、なんとも空恐ろしくなる社会であるが、今の世の中は、着実にそういう社会に向
かって進んでいるような気がする。

はじめて
 ・階層格差が広がっているという。所得格差が広がり、そのために学力格差が広がり、結果、階層
  格差が固定化し、流動性を失っている。それは、日本が今までのような「中流社会」から「下流
  社会」に向かうということである。
 ・中流社会は、戦後の日本では、1950年代後半から1970年代前半にかけての高度経済成長
  期に発展した。50年代までの日本は、わずかなお金持ちの「上」と、たくさんの豊かでない
  「下」からなる「階級社会」だった。
 ・それが高度成長によって、いわゆる「新中間層」という階層が増加した。つまり、主としてサラ
  リーマンであり、財産は特に持たないが、所得が毎年増えて生活水準が向上していくという期待
  を持つことができる「中」の人々が増えたのだ。特に「下」から「中」に上昇する人が増えた。
  つまり、「下」が「中流化」したのである。
 ・だが、いま階層格差が広がっているということは、この「中」が減って、「上」と「下」に二極
  化しているということである。もちろん、二極化と言っても「中」から「上」に上昇する人は少
  なく、「下」に下降する人は多い。つまり、「中」が「下流化」しているのである。
 ・もちろん、ここで言う「下流」は、「下層」ではない。「下層」というと、これはもう本当に食
  うや食わずの困窮生活をしている人というイメージがする。本書が取り扱う「下流」は、基本的
  には「中の下」である。
 ・下流でもDVDプレーヤーもパソコンも持っている。単にものの所有という点から見ると下流が
  絶対的に貧しいわけではない。では「下流」には何が足りないか。それは意欲である。中流であ
  ることに対する意欲のない人、そして中流から降りる人、あるいは落ちる人、それが「下流」だ。
 ・いわゆる団塊ジュニア世代と呼ばれる現在の30代前半を中心とする若い世代に「下流化」傾向
  がみられる。この世代の、特に男性で、生活水準が「中の下」または「下」だという者が多いの
  である。
 ・階層意識は単に所得や資産だけでなく、学歴、職業などによって規定される。しかも自分だけで
  なく親の所得、資産、学歴、職業なども反映した意識である。しかも興味深いことに、階層意識
  は、その人の性格、趣味、幸福感、家族像などとも深く関係していることが調査結果から明らか
  になっている。
 ・「下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く
  意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が
  上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きて
  いる者も少なくない。それ方が楽だからだ。
 ・団塊ジュニアは日本の社会が中流社会になってから生まれた初めての世代だ。だから団塊ジュニ
  ア以降の世代は著しい貧富の差を見たことがないまま育った。郊外の新興住宅地では、同じよう
  な年恰好の、同じような年収の人々が、同じような家に住み、同じような車に乗っている。みん
  ながそこそこ豊かだ。それが当たり前なのだ。だから「下」から「中」へ上昇しようという意欲
  が根本的に低い。「中の中」から「中の上へ」という上昇志向も弱い。「中」から「下」に落ち
  るかもしれないと考えたこともなく育った。
 ・山の上に登ろうとするのは、山の上に何か素晴らしいものがあると期待するからで、すでに七合
  目くらいにいて、しかも山の上に欲しいものなどなく、七合目にもたくさんのものが溢れている
  とわかったら、誰も山の上まで苦労して登ろうとしなくなるのは道理である。
 ・しかし、この団塊ジュニアを中心とする若者がこれから生きていく社会は、これまでとは違う。
  同じ会社に勤める同期の人間でも、30歳をすぎれば給料が倍も違ってくる。極端に言えば、わ
  ずかなホリエモンと、大量のフリーター、失業者、無業者がいる。
 ・社会全体が上昇気流に乗っているときは、個人に上昇意欲がなくても、知らぬ間に上昇できた。
  しかし、社会全体が上昇をやめたら、上昇する意欲と能力を持つ者だけが上昇し、それがない者
  は下降していく。

「中流化」から「下流化」へ
 ・階層格差が拡大している。今後はますます拡大すると言われている。
 ・国民の総所得の4分の3を、所得の高い方の4分の1の人だけが占める状態に現在の日本はある。
  日本は米英に近い格差が生じていると言われる。
 ・今後、日本人全体の10%から20%、中をとって15%くらいが、自分を単なる中流でない、
  「中の上」以上とみなすようになっていくのではないかと考える。
 ・現在日本は大きな転換期にある。それは戦後の経済成長を進めた体制である「1955年体制」
  から、それとはまったく異なる社会体制が始まる時代への転換であると言える。
 ・55体制は、稼いだ富を一部の資本家階級、支配階級だけが独占するのではなく、幅広い国民に
  均等に分配して、中流社会をつくっていく。こういう富の平等な分配の社会、中流化を目指した
  のが55体制であった。
 ・2005年以降の我が国の社会は、おそらくもうあまり成長はしない。国民も、もちろん不景気
  は脱して欲しいが、まだまだたくさん欲しいものがある。買いたいものがあると言って経済成長
  と階層上昇を求める時代ではない。みんな中流なんだから、これ以上の格差是正は求めないとい
  う価値観も出てきていると言われる。
 ・みんなが年収700万円、800万円、あるいは1000万円の所得を目指すと言うことがよし
  とされた時代が、たしかにかつて、いや、つい最近まではあった。だが、現在は、300万円で
  も自分にふさわしい暮らしができるならそれでいいと思う人が増えているのかもしれない。
 ・つまり、1955年体制のおける「一億総中流化、平均化モデル」が転換し、「階層化、下流化
  モデル」へ変わりつつあると言えるのである。
 ・格差の拡大は消費にも大きな影響をもたらすだろう。これまでのように、国民の多くが中流を目
  指すため、中流であることを確認するためには消費をしなくなる。あるいは、中流であることを
  象徴するようなものが売れなくなる。いや、すでに売れなくなっている。
 ・市場が「中流社会」から「階層社会」あるいは「下流社会」に変わったのに、相変わらず中流社
  会型のビジネスモデルで対応しているから、売上げが減るのである。
 ・日本の企業は、膨大な中流のためにたくさんのものを売るという仕組みでしか動けないところが
  ある。生産ラインもそのように組んである。社員の数も多い。だから利益率が低くても売上げが
  多いことを求める。
 ・しかし、階層化が進めば、今までのように「中」に集中して大量生産するだけでなく、「上」に
  は「上」のためのものを売るという戦略も求められる。

階層化による消費者の分裂
 ・今東京でいちばん美人が多い街はどこか?それは銀座でも青山でもない、まして渋谷ではない。
  それは日本橋と二子玉川だ。
 ・渋谷は階層論的にはもはや下流の若者が集まる街とすら言える。
 ・夫の所得の高い世帯において、近年、所得の高い正社員の妻が増え、従来の「高所得の夫と専業
  主婦」の組み合わせが崩れ、「高所得の夫婦同士」の組み合わせが増える兆しがある。
 ・「高所得の夫婦同士」の組み合わせが増えているのは、まさにミリオネーゼ系女性の増加のため
  である。ミリオネーゼ系女性は自分の所得と職業地位にふさわしい男性と結婚し、就業を継続す
  るため、高所得カップルが増加するのである。
 ・30年ほど前まで、男性社会によって差別されていた女性たちは、ただ女性だからという理由で
  女性らしくしなければならないという差別を受けていた。その意味で、ほぼすべての女性が一つ
  の「類」として平等であり、女であることだけを理由に共同戦線を張ることができた。
 ・差別が撤廃されて男女平等が進めば進むほど男性との差別はなくなる。しかしそのかわり、女性
  であることの共同性は崩れ、ひとりひとりの女性が「個人」として、学歴、性格、容姿などのす
  べての要素によって評価され、選別され、差別される時代になったのだ。
 ・しかも、その学歴、性格、容姿などが、純粋に個人の能力と努力だけの産物というわけではない。
  それらは親の階層によっても大きく規定されてしまう可能性が高い。男女の差別、男女間の階層
  性ではなく、女性同士の差別、そして個々の女性の背景にある親の階層性による差別が、今、拡
  大しているのだ。
 ・【ヤングエグゼクティブ系】
  自分自身の独自の個性的な価値観はなく、あくまで、人がよいと思い、欲しいと思うものをいち
  早く手に入れることに喜びを感じるタイプ。他方、文化的な趣味志向は弱い。どちらかといえば
  体育会系、営業系で、ゴルフとテニスが好きというタイプ。
 ・【ロハス系】
  いわゆるスローライフ志向である。この志向を持つ者は比較的高学歴、高所得だが、出世志向が
  弱い。マイペースで自分の好きな仕事をしていきたいと考えるタイプだが、嫌な仕事でもそつな
  くこなす業務処理能力もあるので、フリーターになるタイプとは異なる。ヤングエグゼクティブ
  系の男に対しては、教養がなくて暑苦しい奴だと内心軽蔑している。有名ブランドには関心が弱
  いが、ひとひねりしたそこそこのものを買うのが自分らしいかなと思っている。古本、骨董、真
  空管アンプ、中古家具、古民家など、やや古めかしいアナログ趣味の世界に浸るのも好き。イン
  ターネットに自分のサイトを作って、会社以外に人脈を作るのにも熱心。無駄のない簡素な暮ら
  しをしている。趣味は「読書」「美術鑑賞」「園芸・ガーデニング」「旅行」「散歩」が多く、
  生活の中で大事にしていることとしては「創造性」が高い。
 ・【SPA系】
  「中」から「下」にかけてのホワイトカラー系男性。特に勤勉ではなく、仕事好きでもないし、
  才能もないが、フリーターになるようなタイプではなく、仕事をするしかないので仕事をしてい
  ると言うタイプ。オタクと言われない程度にオタク趣味を持つ。異常ではない程度にロリコン趣
  味や格闘技系趣味を持つ。パチンコなどギャンブルも好き。キャバクラ、アダルトビデオなどに
  金をつぎ込む者も少なくない。大都市圏郊外出身者が多いのがこの世代。帰るべき故郷はない。
  だから、ずっとサラリーマンを続けて、親が買った郊外の家から都心まで通勤しなければならな
  いのが悩みである。
 ・【フリーター系】
  20〜34歳の広義のフリーターは400万人を超えると言われる。もちろんその半数は男性だ。
  自分らしく生きたい。好きなことを仕事にしたい。本当にやりたいことをやりたいなどと言って、
  正社員になることを拒んでいるうちに30歳になり、それでも自分らしさも好きな仕事も本当に
  やりたいこともみつからず、急に焦っている。将来に不安を感じた者の中には、遅ればせながら
  定職に就く者もいる。収入が少ないので、衣食住すべてにお金をかけられないが、自分の好きな
  趣味にはお金を集中投下する。

団塊ジュニアの「下流化」は進む
 ・現在の30前後の世代は、少年期に非常に豊かな消費生活を享受してしまった世代であるため、
  今後は年をとればとるほど消費生活の水準が落ちていくという不安が大きい。これは現在の40
  歳以上にはない感覚である。
 ・現在の40歳以上の世代の場合は、少年期は貧しく、20代、30代と加齢するにつれて消費生
  活が豊かになり、生活水準が向上していった。だから、仕事が大変でも耐えることができた。
 ・ところが、現在の30代前後の世代は、少年期の消費生活が豊かすぎたために、社会に出てから
  は、自由に使える金と時間の減少としか感じられない。これから結婚して、子供を産もうという
  年齢の時に、将来の消費生活の向上が確信できないのだから、階層意識が一気に低下するのもや
  むを得ないであろう。
 ・もちろん高度成長期にも希望格差はあった。そんなことは当たり前だ。問題は希望格差があった
  かどうかではなく、希望格差が拡大すると考える人が多かったか、縮小すると考える人が多かっ
  たか、そしてそれは誰だったかということであろう。戦後は、特に高度成長期には、貧しい人ほ
  ど希望をたくさん持つことができた時代だったと言える。対して、貴族や資本家、地主階級は特
  権を剥奪さて、土地も奪われたのだから、希望は縮小していたはずだ。
 ・高度成長期は、低い階層の人ほど多くの希望と可能性を持ち、高い階層の人ほど、それまであっ
  た権利を食傷された時代であり、その意味で、個別具体的な事例はともかく、総じて言えば、希
  望格差が縮小する時代であったと言える。
 ・しかし、現在は、将来の所得の伸びが期待できる少数の人と、期待できない多数の人、むしろ所
  得が下がると思われる少なからぬ人に分化している。多くの人が共有できた上昇への希望が、現
  在は、限られた人にしか与えられない。しかも希望が持てるかどうかが、個人の資質や能力では
  なく、親の階層によって規定される傾向が強まっている。
 ・とすれば、希望が持てるかどうかが階層格差によって規定される。つまり希望が持てる階層と、
  希望が持てない階層に分化し、その階層が固定化する。
 ・たとえ所得格差が拡大しても、将来それを縮められるという期待があれば、希望格差は拡大しな
  い。しかしそれが埋められない格差と思われるとき、希望格差は拡大していくのである。
 ・階層意識が下の人ほど成果主義、能力主義を肯定している。「下」で最も年功序列否定意識が強
  い。もちろんこうした傾向から、即座に「下」の人が所得格差の拡大を容認しているとは言い切
  れない。「下」にはフリーター、派遣社員が含まれるため、そもそも年功序列や終身雇用の恩恵
  を受けていない可能性が強いこと、また正規職員並みに働いているのだからその成果に応じて給
  料をよこせという気持ちが強いこと、なども考えられるからである。
 ・成果主義の中で勝ち続ける者とそうでない者の差は大きく開く。もちろんフリーターとの差はま
  すます拡大する。とすれば、その格差の拡大=下流化をどこまで冷静に受け止められるかが大き
  な問題になるだろう。子供がいて住宅ローンもあるのに成果が出せないで給料が下がる人はどう
  するのかという問題も拡大するだろう。そうなれば、未婚化、少子化はますます進むであろう。
  結婚して、子供を産んで、平凡に暮す、そうした普通の「中流」の生活が、どんどん難しくなっ
  ていくことは、どうやら間違いない。

年収300万円では結婚できない
 ・裕福な専業主婦になるためにも高学歴が必要である。なぜなら、収入の高い男性と出会うために
  は一流企業に入ったほうが有利であるが、近年一流企業に入るためには、たとえ一般職でも四年
  制大学卒であることが求められるからである。つまり、自分で給料を稼ぐにしても、夫に稼いで
  もらうにしても、大卒が有利になったのである。
 ・男性だけの所得ではないが、しかし主に所得が高いかどうかが、男性が結婚できるかどうかとか
  なり強く相関していることはたしかである。夫だけであれ、夫婦合計であれ、世帯の所得が最低
  500万円を超えるような結婚が求まれているということである。
 ・女性が贅沢になったとも言える。昔のように結婚して二人で頑張って働いてだんだん豊かになっ
  ていこうという考えの女性はいなくなった。結婚した最初から豊かでありたいのだ。もちろん女
  性だけでなく、その親もそれを望んでいるのである。
 ・若いうちは親元にいて、その後、結婚して夫婦だけで暮らし、子供ができたらできれば親元に住
  むのが最も「下」になりにくい生き方だということである。あまりにも保守的だが、実態はやは
  りそれが幸せのパターンのようである。
 ・私の世代の大学院生のイメージというと、お金がなくて、非常勤講師で疲れ切っているというも
  のだが、最近の、特に女性の大学院生というのは、裕福な家庭の娘の道楽のようなものらしい。
  30年前なら、ミッション系の私立女子大に行っていた階層の女性が、今は大学院に行くのかも
  しれない。
 ・当然だが、フリーターや派遣社員を続けて年をとっても所得は上がらないのである。
 ・派遣社員は結婚、出産がしにくい雇用形態ではないかという仮説が成り立つ。現在の少子化対策
  はどちらかというと総合職女性、あるいは一般職を含めた正社員の女性の支援が中心であるよう
  に思われる。しかし、これだけ派遣社員、契約社員が増加しており、かつそれらの女性は働き続
  けても所得が増えず、よって出産がしにくいという状況を打破しなければ、少子化に歯止めをか
  けることは不可能だろう。
 ・少なくとも現状では、最も階層意識が高く生活満足度も高いのは裕福な男性と専業主婦と子供の
  いる家庭であり、次いて裕福な夫婦のみの世帯である。
 ・実際、結婚ほど同じ階層の人間同士を結び付けるものはない。個人だ、自由だとはいっても、そ
  もそも異なる階層の人間と出会うチャンスがないし、出会っても、恋愛の、まして結婚の対象と
  は考えないのが普通である。
 ・不良女子高生の援助交際をあれだけ煽った社会学者・宮台真司でさえ、東大名誉教授の娘にして
  日本女子大卒の、いまどきめずらしい純粋な20歳も年下の女性と、めでたく結婚した。

自分らしさを求めるのは「下流」である
 ・「自分らしさ」や「自己実現」を求める者は、仕事においても自分らしく働こうとする。しかし
  それで高収入を得ることは難しいので、低収入となる。よって生活水準が低下する。
 ・一部で言われているように、フリーターなどの非正規雇用は、たしかに自分らしく働くために選
  択されている面があるのだが、しかし、それが所得の上昇や結婚のチャンスを低下させ、ひいて
  は生活満足度も低下させる選択だということがわかる。
 ・もしその不安定で不満の多い選択が自分らしさと引き替えになされるとしたら、われわれは、過
  去30年以上にわたって社会の主流的な価値観となった「自分らしさ」という、まるで青い鳥の
  ような観念を、一体今後どのように取り扱うべきなのか。
 ・現代の若者は、階層意識が低い者の方で自分らしさ志向が強く、しばしば非活動的で、ひとりで
  いることを好む。
 ・「ひきこもり」研究の第一人者である精神科医の斉藤環は、コミュニケーション能力が高いか低
  いかが、若者に勝ち組、負け組意識を植え付けることをつとに指摘している。

「下流」の男性はひきこもり、女性は歌って踊る
 ・男性の「上」ほど多いのは、旅行、レジャー、スキー、サイクリングなどであり、他方、「下」
  で多いのは、パソコン、インターネット、AV機器、テレビゲームなどである。
 ・女性の「上」ほど多いのは、読書、ガーデニング、音楽鑑賞、料理などであり、「下」ほど多い
  のは音楽コンサート鑑賞である。
 ・今後起こる日本社会の分極化の中で、大衆が「瞬間的な盛り上がり」によってもたらされる「内
  的に幸福」な状態を持ちつつ、「客観的には搾取され、使い捨てられる」危険性を指摘している
  が、歌ったり踊ったりすることを自分らしさとして楽しむ下流は、まさにカーニバル化する社会
  を象徴していると言える。
 ・男性が買い物によく行く店は、それほど階層差はない。ただし、統計学的にはあまり意味がない
  差だが、それでもユニクロが「上」で多いのが興味深い。所得が高いはずの「上」でも、ユニク
  ロが好きなのだ。
 ・団塊ジュニア女性の特に「上」は、知的志向、上品志向がやや強い人たちである。そういう彼女
  たちは、けばけばしい装飾性や、これみよがしのブランド性よりも、無印のようなさりげないデ
  ザインを好む。

「下流」の性格、食生活、教育観
 ・勝敗を決定づける軸の一つは、あきらかに「コミュニケーション」である。コミュニケーション
  が苦手と思い込まされてしまった子供は、早々と自分自身を「負け組」に分類してしまう。この
  種のコミュニケーション格差がそのまま延長された果てに、「ひきこもり」のような問題が析出
  するといっても過言ではない。
 ・つまり「上」の男性は、性格が明るく、人の好き嫌いがあまりなく、人づきあいがよく、気配り
  ができて、実行力があり、依存心が弱いということである。逆に「下」の男性は、性格が暗めで、
  優柔不断で、依存心が強めだと言える。
 ・女性が類として差別されていたが故に平等だった時代にはもちろん男性も類として優遇されてい
  たが故に、今よりは平等だった。また、男性と女性は、個人対個人ではなく、類対類として、要
  するにオスとメスとして相対することができたので、恋愛や結婚が今よりずっと簡単だった。
 ・男性と女性が、類としてではなく、個人として向き合うようになると、必然的に恋愛は困難にな
  る。まして結婚という長期経営事業のパートナーを捜すとなれば、相手の持っている資源を事細
  かに吟味する必要が生じるし、そのためには相手をよく知るためのより高度なコミュニケーショ
  ン能力が必要になる。
 ・下流の女性は総じて食生活にも関心が弱い。料理や食事が面倒と思う傾向があり、朝食を食べな
  かったり、コンビに弁当やカップ麺を食べがちだったり、添加物や栄養に関心が薄く、食生活が
  乱れがちであり、過食や拒食になる危険性も高いのである。
 ・親がヒッピーだからといって、子供もヒッピーになりたいかどうかはわからない。親がエリート
  だからといって、子供にエリートとなる人生を強要できないように、親が、自分らしく、マイペ
  ースで、のんびり生きたい、実際そう生きているからといって、子供にもそういう価値観、人生
  を押し付けていいわけではない。親は、そして行政は、社会は、すべての子供にできるだけ多様
  な人生の選択肢を用意してやるのが義務だと私は考える。

階層による居住地の固定化が起きている
 ・東京から郊外に引っ越す時代は終わって、それぞれの県の中で出たり入ったりする時代にはいり
  つつある。「郊外定住時代」の始まりである。
 ・私は地方出身者だからよくわかるが、私が学生時代でも、実は東京の街を歩き回りたがるのは地
  方出身者だった。東京の街がすべて珍しいし、東京のことを何も知らないという劣等感があるか
  ら、やたらと東京をすみずみまで歩き回るのである。ところが、東京出身者に聞いてみると、彼
  らは自分の家のある沿線以外にはほとんど行かない。
 ・たしかに、インターネットは遠く離れた地域と瞬時にコミュニケーションがとれ、広い世界を縮
  小したという意味で「世界の縮小」をもたらした。しかし同時に、インターネットは、人間が実
  際に出会う他者の数をもしかすると減らす危険もあり、実際に歩き回る行動半径という意味での
  リアルな世界を縮小させる面があることも否定できない。つまり、もともと狭い日常の世界がさ
  らに縮小する危険もあるのだ。

おわりに
 ・これは単に、真面目な人と、だらしない人の対立でない。正規職員として真面目に働く中流と、
  非正規職員としてだらだら生きるしかない下流の対立かもしれない。そして、いつか、上流や中
  流は下流を慮ることがなくなる。ブッシュがイラクの庶民の暮らしを慮らないように。いや、ア
  メリカの失業者層の気持ちを慮らないように。小数のエリートが国富を稼ぎ出し、多くの大衆は、
  その国富を消費し、そこそこ楽しく「歌ったり踊ったり」して暮すことで、内需の拡大をしてく
  れればよい、というのが小泉ー竹中の経済政策だ。つまり、格差拡大が前提とされているのだ。
 ・しかし失業率5%、若年では10%以上の状態が恒常化し、毎年4万人近くが自殺して、それで
  も大衆はそこそこ楽しく生きていると言えるのか?
 ・成果主義が徹底されればされるほど、所得格差は拡大し、長期的には階層格差が固定化するはず
  である。となると、機会平等は実現不可能である。