下流老人 :藤田孝典

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この本では、高齢者世帯の平均所得が、全世帯の平均所得より下回っていることを問題視
しているが、普通に考えて、高齢者世帯の所得が低いのは、当たり前のことではないかと
いう気がする。
確かに、毎日の生活に困窮するほど世帯所得が低い高齢者世帯が、ある割合で存在するこ
とは確かではあろうが、この本では、あまりに高齢者の不安を煽るような表現がされてい
るようで気になる。この本では、高齢者世帯の平均所得が309万円で、全世帯平均所得
より低いから問題だと言っているが、私からすると、309万円というのは、そんなに低
い所得なのかと疑問に思ってしまう。普通にささやかな暮らしをするのであれば、このぐ
らいの収入があれば、十分に暮らしていけるのではないのか。今の日本では、これぐらい
の収入で暮らしている若者が、数多く存在するはずである。「下流老人」と、老人の下流
化を問題にしているが、今の日本は老人に限らず、すでに多くに国民が「下流化」してい
るのだ。老人だけの問題ではない。
1500兆円近くあると言われる日本国民の資産の多くは、高齢者世帯が持っていると言
われる現実を見ても、ことさらに、「下流老人」などという言葉を用いて不安を煽れば、
裕福である高齢者までもが、ますます財布の紐を締め、お金を使わないまま、あの世に行
ってしまうことになるのではあるまいか。
問題は、適度な生活ができる低廉な養護老人施設の数が、圧倒的に少ないところにあるの
ではないだろうか。そういう介護老人施設が十分にあれば、老後の対する不安も少なくな
り、使いきれないほどの預金を抱え込むということも、減るのではあるまいか。そして、
低廉な養護老人施設の整備は、やはり政治の問題だと思う。

はじめに
・下流老人とは、普通に暮らすことができない「下流」の生活を強いられている老人を意
 味する造語だ。現在の高齢者だけでなく、近く老後を迎える人々の生活にも貧困の足音
 が忍び寄っており、「一億総老後崩壊」ともいえる状況を生み出す危険性が今の日本に
 ある。
・日本の高齢者の格差と貧困は極めて深刻であり、今後も一層広がっていくことが容易に
 予想できる。これは容易な脅しや警告というレベルのものではない。実際にすでに始ま
 っており、そしてこれから誰にでも起こり得る身近な出来事、それが「高齢者の貧困=
 下流化」だ。
・平均的な給与所得があるサラリーマンや、いわゆるホワイトカラー労働者ももはや例外
 ではない。現役時の平均年収が400万円前後、つまりごく一般的な収入を得ていても、
 高齢期に相当な下流リスクが生じる。普通に暮らしてきた人々が、老後を迎えて、普通
 の生活が送れなくなってしまうような事態、すなわち下流に転落してしまうことがはっ
 きりと想定されている。

下流老人とは何か
・下流老人の具体的な指標3つの「ない」
 ・収入が著しく少「ない」
  下流老人の特徴は、世帯の収入が著しく低い、その収入では普通の暮らしが営めない
  ことだ。その生活水準は、生活保護レベルか、それより低い状況にある。首都圏に住
  む一人暮らしの高齢者の場合、月額13万円くらいだ。年額にすると150万円前後。
  収入が著しく低い状態というのは、「相対的貧困率」がひとつの目安となる。
  一般的に「相対的貧困」とは、対象者が属する共同体{国や地域)の大多数に比べて、
  貧しい状態にあることを指し、「相対的貧困率」とは、統計上の中央値の半分に満た
  ない所得しか得られない人の割合をいう。日本は全世帯のうち、約16.1%が相対
  的貧困とされている。一人暮らしの場合、12年の等価可処分所得の中央値(244
  万円)の半分(122万円)未満が貧困状態ということになる。2世帯では約170
  万円、3世帯では約210万円、4世帯では約240万円に相当する。その基準以下
  の収入しかない場合、日本では「貧困」に分類される。下流老人の所得も、概ねこの
  辺りが目安となる。
  高齢者世帯の相対的貧困率は、一般世帯よりも高いことだ。65歳以上の相対的貧困
  率は22.0%である。高齢者男性のみの世帯では38.3%、高齢者女性のみの世
  帯では52.3%にもおよぶ。つまり、単身高齢者の相対的貧困率は極めて高く、高
  齢者の単身女性に至っては半分以上が貧困下で暮らしている状況なのだ。
 ・十分な貯蓄が「ない」
  高齢期の2人暮らしの場合の1か月の生活費の平均は、社会保険料などをすべて込み
  で約27万円。つまり65歳になった時点で、仮に年金やその他の収入が月約21万
  円あったとしても、貯蓄額が300万円では約4年で底をつくことになる。
  高齢者世帯の平均貯蓄額は1268万円となっている。一見多くの高齢者が十分な貯
  蓄を用意しているように見えるが、実際には「貯蓄なし」の世帯が16.8%もいる。
  4割以上の世帯が、貯蓄額500万円に満たない。また、平均といっても、ごく一部
  の富裕層が平均値を高めているため、多くの人の実際の貯蓄額はもっと低くなる。
 ・頼れる人間がい「ない」(社会的孤立)
  気軽に会話ができたり、相談ができるような豊かな人間関係を築いている高齢者が、
  下流老人には少ない。いわゆる「関係性の貧困」という状態にあり、社会的に孤立し
  ている姿が見えてくる。
  このような社会的孤立の状態は、多くのリスクと生じさせる。たとえば、相談する相
  手がいないために、生活に困窮しても助けを求められず、問題が重篤化してから発見
  されるケースが多い。
  助けてくれる家族がいなければ、身体が弱ったときでも、自炊や日常生活全般を自分
  自身で行わなければならない。相談できる人がいなければ、振り込め詐欺などの犯罪
  被害にも遭いやすいだろう。
  このような社会的孤立によって生じる問題は、近年ますます顕著である。昔であれば
  二世帯住宅で、子ども夫婦に扶助してもらうことが当たり前だった。しかし、現在は
  核家族化により一人暮らしの高齢者が増えている。これからも高齢化が進むのは間違
  いないが、とくに一人暮らしあるいは夫婦のみの高齢者世帯は際だって増加していく
  ことだろう。生活に困ったときや助けてほしいときに、家族が周囲にいない状況が当
  たり前の社会になりつつあるのだ。
・下流老人とは、言い換えれば、「あらゆるセーフティ・ネットを失った状態」と言える。
 収入が低くても、親の遺産なども含め十分な貯蓄があれば問題ない。また、貯蓄がなく
 とも家族の助け、地域の縁があれば支えあって暮らしていける。しかしそのすべてを失
 ったとしたら。現状において、有効な手立てを講じるのは難しいと言わざるを得ない。
・このような3つの下流老人の構成要素を抱える人々が増えている理由の多くは、現在の
 社会構造に問題がある。単に「かわいそう」とか、「自分の将来が不安」というだけの
 問題ではないのだ。ましてや個人の「自己責任」や「自助努力」で解決できる問題で
 はない。下流老人の問題を放置すれば、当事者が貧困に苦しむだけでなく、社会的にも
 大きな損失を生むことになる。   
・経済的に依存せざるを得ない高齢者を扶養することは、現在のごく一般的な家庭モデル
 から見ても、子ども世代に相当な負担を強いることがわかる。ましてや、現役世代の平
 均給与は微減傾向にあるだけでなく、正社員に比べ年収が数百万円も劣る非正規雇用者
 の数は年々増加の一途を辿っている。このような社会状況において、家族扶養を前提と
 した従来型の社会福祉モデルは、もはや限界に達しいると言っても過言ではないだろう。
・高齢者のために若い世代が共倒れするような事態になれば、下流老人を中心にして、
 「高齢者が尊敬されない」」「年寄りなんか邪魔だ、お荷物だ」としか見られなくなる
 社会になる危険性もおおいにあり得るだろう。
・高齢者はこれまで家族を養い、社会や経済の発展に寄与してきた存在である。たいてい
 の文明社会においては、高齢者は多くの人々から尊敬される者のはずだ。しかしこのま
 まいくと、社会的な役割を十分に果たしてきたにもかかわらず、高齢者が尊敬されない
 時代が近うちに到来するだろう。今はまだ、「長生きすることが素晴らしい」という共
 通認識があるが、長生きする人間が社会の重荷になるのであれば、それは生命の価値自
 体が軽んじられることにもなりかねない。
・経済的に自立していない人間を自分たちの生活のために排除することに、何ら疑問を持
 たない者も出てくるかもしれない。これはかなり危険なことで、高齢者に限らず、生産
 能力が低い障害者にも被害が拡大する恐れもある。わたしたちが大事に築き上げてきた
 価値観、なかでも子どもの頃に教わったような「命の尊さ」や「生命倫理」が根底から
 揺らいでしまう時代がくるかもしれない。そして、それが優生思想にもつながる危険な
 考え方を生む土壌を社会に形成してしまう。 
・高齢者が尊敬されない社会であれば、若者が自分の将来や老後に希望を持てるはずもな
 い。すると若者は必然的に「貯蓄」に向かうことになる。下流老人にならないために、
 計画的に生活していかなければならないという、強力なインセンティブが働くからだ。
 こうなると本来、一番消費してほしい20〜50代の消費意欲が減退したまま、景気回
 復は見込めず、経済の好循環は当然生まれない。政府は消費税増税後に、子育て世帯に
 対する給付金や支援策を打ち出し続けているが、一向に効果は見えない。現在の生活に
 限らず、老後の不安が大きれば、消費意欲が減退するのは明白だ。
・現実を見れば、若者は禁欲的な生活にならざるを得ない。「自分はああなりたくない」
 という人たち、つまり下流老人が身近に増えるほど、自分の保身を考えて行動するのは
 ある種自然な結末と言える。下流老人の問題は、日本経済の発展を阻害する要因にもな
 り得るのだ。 
・すでに少なからぬ若者が、結婚や子どもを諦めていることを考えると、日本の少子化問
 題は、いよいよ深刻であり、解決策がないように見えてしまう。海外の先進諸国では、
 少子化対策として、若者支援にも積極的に手を入れている。一方、日本ではこのような
 有効な少子化対策なく、下流老人の問題や老人の生活不安がシビアに若者を直撃してい
 る。今のように出産や育児に対する負担を個人の努力にほぼ丸投げしている状態では、
 若者が老後のために子どもは産まないという発想に陥ったとしても、何ら不思議ではな
 いのである。

下流老人の現実
・私は下流老人に至るのは想定外だとは思わない。下流老人は社会が生み出すものであり、
 あらかじめ生まれることが決まっているものなのだ。それにもかかわらず、多くの人び
 とは「自分は大丈夫だろう」という根拠のない自信をなぜ抱く。この意識と現実との乖
 離は相当危険であり、だからこそこの問題は他人事にしてはならない。
・全世帯の1年間の平均所得額が537万円なのに対し、高齢者世帯は309万円である。
 それは230万円と大きい。高齢者世帯のじつに90.1%は全世帯の平均所得金額を
 下回る。
・問題は、収入の下げ幅に対して、支出は思ったほど減らないということだ。そればかり
 か、「想定外」の事態により、多額の支出が発生するリスクを多く抱えている。実際に
 は多くの高齢者世帯は、約310万円などという収入を得ていない。中央値は250万
 円だ。
・高齢者世帯における一世帯あたりの平均所得の内訳は「公的年金・恩給」が68.5%、
 「稼働所得」が18.0%となっている。つまり、高齢期に働いて得られる収入は、全
 収入の2割に満たないということだ。「年金で足りない分は、働いてなんとかする」と
 考えている方は、相当な覚悟をしておく必要があるだろう。  
・貯蓄、借入金の状況は、高齢者世帯では、「貯蓄あり」が77.9%、「貯蓄なし」が
 16.8%となっている。

誰もがなり得る下流老人
・「老後もバリバリ働こう」と、下流老人になった人の多くも考えていた。「年金+就労
 収入」で暮らしていけるという生活設計があったのだ。しかし、それは「健康であるこ
 と」を前提にして成り立つものである。自分が生涯を通じて健康でいられるかどうかは、
 誰にもわからない。それがただの願望であることを私たちは自覚しなければならない。
・事故の場合は、自分が被害者になる以外に、加害者になってしまうケースも存在する。
 とくに高齢者のドライバーで多いのが、自動車のアクセルとブレーキを踏み間違えて、
 大きな事故を起こすケースだ。自動車や建物の損害だけならまだしも、人身事故を起こ
 し、多額の損害賠償を請求されるケースも珍しくない。 
・突発的な病気や事故は、今に限らず昔からあったことでもある。それでも「昔は大丈夫」
 だったのは、家族や地域社会など、さまざまなセーフティ・ネットが機能し高齢者を捕捉
 していたからだ。
・高齢者介護施設に入りたくても入れないという問題もある。制度的・経済的な理由から、
 要介護度が高く、明らかに自立生活が困難と思える高齢者であっても、入居できないケ
 ースが増えつつある。
・「特別養護老人ホーム」は、社会福祉法人などが運営している施設で、要介護高齢者が
 入所し、日常生活を介護職員のケアを受けながら暮らすことができる場所である。基本
 的には65歳以上で自立生活が困難な高齢者なら、誰でも利用可能だ。40歳以上にな
 れば、原則、すべての人々が介護保険料を支払うため、介護保険制度で利用できる施設
 でもある。ただし、入所までに3〜5年待ちということはザラで、施設によっては10
 〜15年待ちというケースも珍しくない。特別養護老人ホームへの入所申し込みしてい
 る人々は全国で約54万人おり、そのうち在宅で暮らしている要介護高齢者は約26万
 人いる。施設の数が圧倒的に不足している状況が見てとれる。
・「養護老人ホーム」もある。この施設は他の施設と違い、介護保険制度で利用できるも
 のではない。そのため、施設利用の際には養護老人ホームではなく、役所の高齢介護を
 担当する福祉事務所に問い合わせる必要がある。こちらも床数が圧倒的に不足している
 という。  
・そこで普通の暮らし、自宅に近いかたちで支援を受けながら老後を過ごしたいのであれ
 ば、民間の会社が運営する「有料老人ホーム」を検討する必要がある。しかし、十分に
 設備の整った有料老人ホームは、利用料が非常に高額な場合が多く、入居金だけで
 500万円〜1000万円を預ける必要がある。そのほか、入居金とは別に1か月あた
 り20万から30万円の「利用料」がかかる施設もある。
・養護老人ホームは、空きがなくて入れない。一方で、ホテル並みに施設が充実した有料
 老人ホームは、高額でとても手が出ない。しかし障害や持病などで、一人暮らしていけ
 ない。そんな高齢者が最終的に流れ着くのが、無届けの有料老人ホームなど、グレーゾ
 ーンで利益をむさぼる介護施設だ。  
・さらに深刻なのは、現役時代の収入によって格差が否応なく「固定」されてしまうこと
 だ。高齢期に収入が増えることはほぼあり得ないし、そもそも、そんなに十分なお金が
 ある人ばかりではない。にもかかわらず、有料老人ホームが明らかに「富裕層向けの施
 設」に偏っている現状は、極めて問題である。会社員時代の年収が1000万円以上あ
 る人など、数パーセントしかいない。そんな人しか入れない、普通の年金水準では手も
 足も出ない施設が増えているのは、社会福祉の理念に照らしてみれば、明らかに異常事
 態と言える。 
・民間企業も社会福祉法人も、同じ敷地にあるとしたら、明らかに儲かる有料老人ホーム
 を運営したがるのは当然だろう。有料老人ホームは、一部屋あたりの単価が養護老人ホ
 ームや他の介護施設に比べて、べらぼうに高い。同じ敷地(床数)でも、片方が年間
 1000万円、もう片方が年間1億円の収益になるのであれば、より多く稼げる施設を
 選ぶのは市場原理だ。
・一方で、特別養護老人ホームや養護老人ホームなどは、公的な性質が強く、施設に入る
 報酬が厳密に決められており、大きな利益は見込めない。そもそも介護保険の財源不足
 で、運営費や職員の給与水準が低いという問題もある。
・昨今では「子どもだから」親の介護をすることが、当たり前の時代ではなくなってきて
 いる。ブラック企業が蔓延し、多くの青年層が低賃金で長時間労働を強いられている中、
 さらに親の介護を期待するのは酷だと言える。
・うつ病によって仕事を辞め、実家に引きこもってしまう若者も少なくない。大きな会社
 に入って安心していたら、いきなりうつ病で働けなくなり、アパートの家賃すら払えな
 くなるケースはよくある。その裏側にあるのは「ブラック企業」に代表されるような過
 酷な労働環境であろう。そのなかにおいて、長時間労働により体調や精神のバランスを
 崩す若者が急増している。一方で子どもも、多少辛くても親には相談しない、恥ずかし
 くて言えないと考えがちで、自力ではどうにもならない状態になってから実家に帰って
 くるケースが多い。たいていの厚生年金の水準では、高齢期の2人を養うのが精一杯な
 はずだ。扶養を必要とする子どもの存在は、生活プラン自体を根本から覆すことになり
 かねない。 
・ただし、間違って捉えてはいけないのは、背景には、「失われた20年」と呼ばれる経
 済の低迷があり、非正規雇用の拡大などの「雇用問題」があるということ。本人だけの
 問題では決してないということである。 
・このような親と子の共同生活は、いわば「檻のない牢獄」に入っている状態と言える。
 若者は「実家から出たい」と思うが、賃金が安いなどの理由から自立することができな
 い。一方で、親も実家から出したいが、苦しい状況もわかるので強制することもできな
 い。「早く実家から出て行ってくれ」と思う親世代と、「出ていく場所がない」という
 子ども世代が、お互いに不満をためながら、ひとつの家に縛りつけられている状態であ
 る。実家に住み続けるストレスフルな若者が、両親や親族に刃を向けてしまう殺傷事件
 がいくつか報道されているが、私たちはその背景まで目を向けて考える必要がある。こ
 のような苦しむ若者が増えないように、雇用対策や労働環境の改善にも本腰を入れて取
 り組まなければ、今後も下流老人になる恐れがある高齢者を生み続けることになるだろ
 う。下流老人の問題は、高齢者への対策だけで解決すべき問題ではないのだ。
・そもそも最近になって、なぜ熟年離婚が増えつつあるのか。熟年夫婦が離婚する件数は、
 1985年は2万400件だったにもかかわらず、2013年には3万8000件と大
 幅に増加している。この驚異的な数字は、女性が経済的に自立しやすくなったこともあ
 るが、これまでやむを得ず押し殺してきた夫に対する不満が、子育てをひと段落した高
 齢期に一気に噴出した結果とも言えよう。  
・時代とともに結婚や夫婦のあり方に対する社会の価値観は大きく変化した。それにより
 60代前後になって意識的・無意識的に我慢していた不満が一気に噴出し、とくに女性
 が積極的に離婚に踏み切るケースが増えてきた。いわば「高齢期に入り自我に目覚めた」
 状態と言えるかもしれない。 
・賃金以外の価値や魅力を持たない男性と一緒にいたくないと思うのは当然だし、はやく
 夫の世話から逃れて残りの人生を楽しみたいと思う女性が出てくるのは、自然なことだ。
・注意したいのは、離婚すれば当然別世帯になるため、家賃や水道光熱費などの固定費が
 それぞれの世帯にかかってくる点だ。つまり収入が減るにもかかわらず、支出はそこま
 で減らないため、実際には今までと同じレベルの生活を維持できなくなる。しかもひと
 月当たりの年金受給額が15万円ともなれば、貯蓄がない限りは一気に「生活保護基準」
 ラインに足を踏み入れることになる。同じ世帯にいながら2人で30万円で暮らすのと、
 それぞれ別世帯で15万円で暮らすのとでは意味が違うのだ。
・また、高齢者自身の考え方、価値観にも問題がある。とくに団塊の世代は、高度経済成
 長期の担い手であり、バブル経済の恩恵を最も受けた世代であり。消費することが善と
 され、趣味に時間やお金を費やしてきた人も多い。私のところにっ相談にくる方でも、
 一部上場企業でずっと働いてきて、今まで家や車の維持費だけで月15万円払っていたよ
 うな方も珍しくない。しかし、いざ下流に足を踏み入れたら、そのような価値観を根本
 から変革しない限り、泥沼にはまることになる。
・妻より夫のほうが著しく生活能力が低いのである。家事をしていない男性高齢者は食事
 や日常生活において、節約しようとする意識すらモテない。
・妻は月15万円の生活費でも暮らしていける方が多いが、夫の場合はほとんど絶望的と
 言ってもいい。とくに団塊の世代よりも上の層の日常生活の乏しさには驚くべきもの
 がある。いまだに「家事は女性がするもの」という発想が抜けくれない男性高齢者も多
 いのだ。だからヘルパーが自宅に生活支援にきても、まるでメイドか何かのように小間
 使いにしてしまう男性もいる。  
・自炊できなければ、出来合いの惣菜を買うか外食することになり、当然栄養も偏る。ま
 た、掃除もできないので生活環境が不衛生になりやすい。そんな状況が続けば、当然病
 気にもなりやすく、医療費もかさむ。加えて節約意識もないため光熱費もバカにならな
 い。つまり、一人暮らしになって生活能力がない場合、夫婦で過ごしていたときと同じ
 ぐらい、あるいはそれ以上の食費や光熱費・医療費を払わなければ、生活を維持できな
 くなってしまうのだ。 
・このような事態に陥らないためには、まず離婚しないこと、されないようにすることだ。
 とくに仕事一筋できたならば、なおさらだ。男は金さえ稼いでいればいいという昔なが
 らの考え方を捨て、家庭における男性の役割をシフトさせ、精神的にも経済的にも「一
 緒に暮らしていく」ことを妻とよく相談して決めることが重要ではないだろうか。他者
 とのつながりが希薄になった現代だからこそ、パートナーがいることの価値を、ここで
 再度確認する必要があるように思う。  
・2014年の特殊詐欺被害の総額は約559億円であり、2013年比で約14%増加
 している。5年連続で増加しており、その被害金額は過去最悪の水準を更新している。
・高齢者の認知症でとくに問題なのは、自分では病状に気づきにくいということ。初期の
 認知症高齢者は、医師や社会福祉の専門家が見ればすぐに判別できるが、本人が自覚で
 きることは稀だ。一人暮らしともなればなおのこと事態は深刻である。
・認知症高齢者への詐欺事件が悪質なのは、理解力の低下だけでなく、高齢者の寂しさや
 自尊心を狡猾に利用していることだ。日中誰とも話さずテレビを見ている高齢者も多い。
 親族が訪ねてくるのは年に数回という家も珍しくない。悪質な訪問販売は、そのような
 心の隙間につけこみ、必要ない、ときにはまったく同じ商品をいくつも高齢者に買わせ
 ていく。   
・認知症が恐ろしいのは、単に記憶があやふやになるという病状だけでなく、「認知症+
 一人暮らし」だったり、「認知症+悪徳業者」のようなコンポで、予想外の事態がいく
 らでも起こり得る点にある。当然だが、加齢とともに脳機能は誰でも低下していく。認
 知症の有病率を年代別に見ると、74歳までは10%以下だが、85歳以上で40%超
 になるという調査結果まで出ている。
・下流化は、高齢期あるいは高齢期間近の歳になってはじめて起こり得る問題ではない。
 若年期もしくは青年期においても、下流化の芽はいろいろなところで見ることができる。
 超高齢社会を迎えているわが国においても、多くの人がイメージしている「穏やかな老
 後」はごくひと握り人にしかやってこないかもしれないことを、私たちは知っておく必
 要があるだろう。 
・一般水準の給与をもらっていても、「老後にもらえる年金額は月20万円を下回る。年
 金受給者には課税や保険料徴収がある。実質の手取り金額は数万円減少することが確実
 である。人によっては「一人暮らしなら月14〜15万円ももらえば十分だ」と思われ
 るかもしれない。しかし、20代の15万円と70代の15万円では、まるで重みが違
 う。高齢になるほど、想定外の問題に見舞われるリスクが高まる。
・これからの日本社会に、もはや中流は存在しない。いるのは「ごくひと握りの富裕層」
 と「大多数の貧困層」の2つであろう。隣の家庭も自分と同じだから安心、ではない。
 私たちは全員が穏やかに、しかし確実に貧困に足を踏み入れている。
・2014年時点における日本の民間企業の従業員や役員が昨年1年間に得た平均給与は、
 404万円とされる。しかし、平均収入404万円では、高齢期に「ギリギリ」の生活
 を強いられる危険性が高い。注意しなければならないのは、年収400万円程度という
 のは平均値であって、中央値ではないことだ。一部の大金持ちが、平均値を押し上げて
 いることを忘れてはならない。  
・上位数%が極めて高所得を得ているために発生する「富の一極集中化」は、日本のみな
 らず、どの先進国でも起こっている。アメリカでは、全労働者が得る所得のうち、上位
 1%の人々がその20%を、日本では10%を独占している。
・ごくひと握りの富裕層と大多数の貧困層に分化しつつある社会において、もはや平均年
 収は自分の生活水準を測るうえで何の意味も持たない。「普通」だから「安心」とは、
 まったく言えないのだから。  
・今後は子供が親の面倒を見る、高齢期の生活を家族が扶助することはほとんど絶望的に
 なる。高齢者の独居世帯は、着実に増加の一途をたどっている。 
・今は高齢者の孤立が拡大する入口にすぎないと言えよう。家族による扶助が見込めない
 のなら、当然年金とそれ以外の収入や貯蓄で自活する道を探るしか方法はない。
・昔は給料のすべてを使わなくても生活できていたものが、現在はその大半を使わなけれ
 ば生活できなくなっている。加えて、社員寮や住宅手当など、企業による福利厚生が少
 なくなったこともあり、生活を維持するためのコストは年々上昇している。また、とく
 に都市部では携帯電話やパソコンがないと不便なことのほうが多くなりつつある。イン
 ターネットを中心としたインフラも「誰もが端末をもっていること」を前提にシステム
 化されつつある。それらの商品を買わなければ、普通の社会生活を送ることができなく
 なるような土台が築かれつつあるのだ。本来であれば、生活の分化レベルが上がってい
 くぶん、それに比例して年収も上がっていかなければならないが、実態は伴っていない。
・さらに、国内の金融資産の合計額は1694兆円(2014年)であり、その多くを
 60歳以上の高齢者が保有しているため、圧倒的に恵まれた世代と言える。つまり、現
 在の高齢者はこれからの高齢者になる青年層に比べて、相当に豊かなはずである。それ
 にもかかわらず、すでに、下流化が起こりはじめていることの深刻さを、私たちはもっ
 と危機感をもって受け止めなければならないのではないか。   
・さらに深刻なのは、非正規雇用者だ。2014年現在、国内の総労働人口に占める非正
 規雇用者の割合は37.4%。20年前が20.3%だったことから見ても、大幅に増
 えている。 
・非正規雇用者の最大のリスクは、厚生年金や社会保険に加入していないなど、福利厚生
 が弱いことだ。そのため、非正規雇用を続けていた場合、老後に受給できるのは、基本
 的に国民年金だけという場合も少なくない。それに加え、正規社員のようなボーナスや
 昇給、退職金もない。「稼いだ給料」=「現在の生活費+老後賃金」であるため、極め
 て下流に直結しやすい。 
・費正規雇用者の場合、国民年金部分の約78万円しか支給されない。首都圏で暮らす一
 人暮らしの高齢者の生活保護費が概ね年額約150万円である。約78万円で1年間
 を過ごすことは、多くの場合、不可能である。
・同じ年収でも厚生年金に加入しているか否かで、老後の年金受給額には、相当な違いが
 ある。逆に言えば、厚生年金に加入していない場合、現役時にそれだけ多くの貯金をつ
 くらなければならないことを意味する。 
・平均年収を得ている正規雇用者であってもリスクが高いのだから、非正規雇用者の下流
 化のリスクがどれだけ高いかは、語るまでもない。 
・非正規雇用者が40%前後の社会において、このような収入格差は、もはや「自己責任」
 で片付けいい問題とは言えないだろう。このような雇用問題を改善する手段として、と
 かく「さらなる経済成長」が叫ばれがちだが、経済が成長すれば、非正規雇用が減り、
 劇的に正社員が増えてみなが幸せになる、ということもない。
・企業の利益剰余金は増加傾向にあり、1988年に100兆円を超え、2004年に
 200兆円、そして12年には300兆円を突破し、14年9月では過去最高の324
 兆円を記録している。これでは利益が投資や人件費などに還元されず、一部の人や企業
 にしかお金が回っていかない。 
・「富裕層がさらに豊かになれば、貧困層にも富が自然としたたり落ちる」と言われる、
 いわゆるトリクルダウン政策も、貧困問題の改善に寄与していない。今後も企業が得た
 利益は、内部留保の拡充になるだけであろう。  
・退職後、高齢者になったときに「さて、これからどうしていくか」と考えてもすでに遅
 い。「生涯未婚率」は、2010年には男性が20%、女性が11%にまで上がってい
 る。もはや男性は5人に1人、女性は10人に1人が結婚をしない時代になっている。
 生涯未婚率の高まりは、経済的な理由から、結婚しない(できない)人々が増えている
 ことも表している。「もう俺(わたし)には結婚は無理だ」と、家族をもつことを諦め
 ている若者も少なくない。また、結婚しても、長時間勤務で低賃金、あるいは将来が不
 安となれば、喧嘩やストレスが絶えず、離婚してしまうケースも増えるだろう。
・家族をつくらないということは、老後に社会的孤立のリスクが高まるということでもあ
 る。そして、そもそも生涯一人で暮らす人々がここまで増える社会を我々は想定してい
 ない。社会福祉や社会保障は、世帯単位であらゆる制度が構築されてきたし、家族がい
 る前提ではじめて十分に機能する。独居老人になったときに、これまでの制度でケアし
 きれるのか、はなはだ疑問である。   

「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
・「自立しないこと」「他者や地域に依存すること」を「悪」だとみなす意識はないだろ
 うか。そしてすべての人に下流老人のリスクがあるなかで、「自分は大丈夫だ」と思っ
 ていないだろうか。このような私たちの意識が下流老人の問題を悪化させ、より先の見
 えない状態へと追い込んでいく。下流老人の問題を改善するには、私たち自身の考えや
 価値観を変える必要がある。私たちの言動が、無意識に下流老人を社会の隅へと追いや
 っていることに自覚的でなければならない。 
・残念ながら、「生活困窮者をすくべきなのか」「そのような支援活動は必要なのか」と
 いった否定的な意見、あるいはもっと直接的に支援活動をやめるように促す意見をいた
 だくこともある。むしろ反対意見、否定的意見、の方が圧倒的に多い。それが生活困窮
 者支援の現状だ。 
・否定的な意見のなかで一番多いのが「生活困窮に至った理由は、本人の責任なのだから
 救済する必要などない。税金のムダ使いである」というものだ。こうした意見を言う人
 は、相当な努力をし、高い年収を勝ち得た人だけかと思いきや、決してそうではない。
 あきらかに、「明日は我が身」な人も多いのだ。 
・「国に金がないのだから高齢者に我慢してもらうしかない」という意見も聞かれる。た
 しかにある一面では、高齢者に負担を強いることがやむを得ない場合もあるし、すでに
 膨張し続ける医療費をまかなうため後期高齢者医療制度を実施したなどの先例もある。
 しかしこの主張が問題なのは、「誰かを生かすために、別の誰かは死ぬべきだ」といっ
 たような一種の選民的思想に基づいていることだ。
・自由経済社会において貧困は「宿命」と言える。富める者がいれば、相対的に必ず貧す
 る者が生まれる。どんな社会であろうと常に働ける人々ばかりではないし、失業率がゼ
 ロになることはない。働けない人々は、個人の能力や努力に関係なく、いつの時代の、
 どの社会にも必ず存在するのだ。
・日本国憲法第25条は「健康で文化的な最低限度の生活」を国民に保障している。どん
 な人々も、生活レベルが一定の水準を下回った場合は救済が必要であり、我慢の限界が
 あると国が提示している。生活保護基準とは、いわばそれを明文化したものだ。しかし
 「いまの生活保護基準は高すぎる。それよりも低い水準での救済で十分だ」という声は、
 いまだ絶えることがないばかりか年々強まってきている。この言葉の裏側には明らかな
 人権侵害が含まれており、無意識のうちに貧困の人々に対する差別を助長する恐れがあ
 る。実際、生活保護基準は段階的に引き下がっており、日本国憲法が要請する「健康で
 文化的な最低限度の生活」を生活保護受給者が送れていないケースも増えつつある。
・基本的に、貧困状態にある高齢者は「静か」だ。「こんな老後を迎えたのはやはり自分
 に責任がある」と自分を責める人々が多く、それゆえに本人や周囲の一部の問題として
 貧困が内在化してしまう。また、本人が今の状況を恥ずかしいと思う気持ちも強い。そ
 して誰にも相談できないまま、周囲が気づいたときには手遅れになっているケースがど
 れだけ多いことか。   
・私たちが暮らす資本主義社会は、そもそも一定の貧困層を生み出す仕組みになっている。
 失業者がいない国もないし、貧困に苦しむ人がいない国もない。だからこそ、あらかじ
 め失業や貧困に至る人々がいることを想定して、社会保障制度などを確立してきた。豊
 かに暮らせる人々がいる一方、貧困に苦しく人も一定水準いるのなら、後者に対しては
 救済を行い、助け合いながら社会を維持・存続させていこうという意識があったはずだ。
・下流老人の問題は、そもそも社会保障制度や社会システムの不備であり、周囲の私たち
 がどう手を差し伸べるか、という問題でもある。この問題は、本人や家族だけの問題で
 はないのだ。
・事態をより悪化させている原因のひとつに、支援施策のほぼすべてが、「申請主義」を
 採用している点がある。申請主義とは、本人が相談や申請の意思を持って、所管する窓
 口に現れなければ、その施策を利用できないというものだ。行政がこの申請主義を採用
 する理由として、国民には社会福祉制度を利用する権利があると同時に、利用したくな
 いという権利も配慮しなければならないという説明である。つまり制度を半ば押し付け
 ることで、国民の選択の自由を奪わないようにしようというわけだ。だが、はっきり言
 ってこれは詭弁であろう。なぜならほとんどの高齢者が、選択肢があることすら知らな
 いからだ。 
・国民に対してそれを知らせたり、学習機会を与えることを国はしていない。「ホームペ
 ージを見れば書いてある」というのは知らせることにはならないし、その情報にたどり
 つけるほどITリテラシーの高い高齢者がどれほどいるだろうか。   
・申請主義の本質は社会福祉制度の利用抑制にあると指摘する専門家もいる。これを個人
 の「無知」で片付けるのは、到底承認できない。生活保護に対する偏見や差別、無理解
 は、こうした行政の「言わなければ何も教えないし、助けない」というスタンスが招い
 ていると言っても過言ではないだろう。
・つまり下流老人は「声を上げてくれない」のではなく、「声を上げられない」のだ。そ
 れは下流老人が社会に助けを求めるという発想自体を持っていないことでもあるし、生
 活保護に対する無理解から声を上にくい雰囲気が醸成されてしまっていることもある。    
 実際、貧困に対する社会的な理解は、日本では相当に遅れている。貧困の構造理解が足
 りないため、なぜ貧困に陥る人々がいるのか、正直わからないという人々が多い。
・下流老人の問題は、相対的貧困が主体であるため、貧困が見えにくい。相対貧困は、共
 同体の大多数と比べて著しく生活水準が低く、必要なものが足りないということだ。こ
 の「共同体」という枠組みが大切で、国が違えば、物価も貨幣価値も、生活に必要な物
 量もまるで違う。そのあたりの理解がないと、相対的貧困に苦しむ下流老人に対しても、
 「雨風しのげる家があるだけマシ」と過度な我慢を強いてしまったり、「2食でも食事
 がとれているなら充分」と問題を安易にしま捉えられなくなる。   
・貧困に対する無理解を象徴するものとして「甘え」というキーワードが挙げられる。日
 本では、他者や制度に依存することは「甘え」であり、それを罪悪と捉える風潮がある。
 たとえば、「就職できないのは甘え」「会社が辛いというのは甘え」「貧乏なのは甘え」
 という具合だ。しかしこの言葉には日本独特の横並び意識が色濃く反映されているよう
 に思う。貧困になるのは甘え、なのだろうか。生活保護を利用するのは甘え、なのだろ
 うか。もし本当に甘えなのだとしたら、食事も満足に取らず、病院にも行かず、日に日
 に衰弱しながらそれでも歯を食いしばって何も言わずに死を迎えることが、人間として
 立派な姿とでも言うのだろうか。   
・実際に生活保護を利用している人は、今の日本にどれくらいいるだろう。それを示す指
 標として、「捕捉率」という数値が発表されている。これは保護が必要な人々が実際に
 生活保護を利用している割合を示すものだ。現在の補足率は概ね15〜30%前後であ
 ると言われている。このことは下流老人のなかにも生活保護で救われる人々がまだ大量
 に残されていることを物語っている。   
・他の先進国では、生活保護やそれに準じる制度の補足率は、日本よりも高い。ドイツで
 は64.6%、フランスでは91.6%であり、日本とは比較にならないくらい多くの
 人々が、ごく当たり前に生活保護を受けている。他の先進国では社会保障を受けること
 が甘えではなく、「権利」として浸透していることも大きく影響しているだろう。権利
 として社会保障を受けるべきだという意識が広がっていれば、貧困に陥っても死に至る
 確率は小さくできるし、自分や周囲を責めずにすむ。
・もちろん、「生活保護には頼らない」というプライドがあってもいいと思うが、それが
 邪魔をして、必要な保護を受けられない日本の下流老人の姿は、どこか異様に思えてし
 まう。そこまでの忍耐や我慢をして命を削ることを美徳として捉えるわけにはいかない。
・甘えとセットで論じられるが、「自己責任論」だ。生活保護に関して言えば、「貧困に
 陥ったのは自己責任。だから生活保護を受給するのは甘え」という論調だ。2015年
 初めに起こったIS(イスラム国)による日本人人質殺害事件でも、自己責任論が大き
 く取り沙汰された。冷静に考えれば、拉致された「被害者」であることは明らかなのに、
 なぜか「日本国民に迷惑をかけた」と批判の矛先が弱者に集中してしまう。この理屈が、
 「自己責任だ」で片付けられ、社会的な解決策を講じることを否定する人は、周囲にた
 くさんいる。
・税による公共サービスを消費活動と同じ次元で捉えているため、どうしても資本主義的
 な自己責任論が出てきてしまう。しかし、税の第一義的役割として富の再配分が掲げら
 れているとおり、税金を多く支払ったからより手厚い公共サービスを受けられるわけで
 はないし、最低限の税金しか払っていないから最低限の公共サービスしか利用してはな
 らないという考え方は、そもそもおかしいのだ。
・たくさん働いて金持ちになるか、ほどほどの生活でいいのかは、個人の責任に応じた自
 由だ。しかし「健康で文化的な最低限度の生活を営むこと」や「個人の生命が守られる
 こと」は、すべての人に与えられた「権利」である。それを守るために税金の存在意義
 があることを、私たちは理解しなければならない。
・生活保護受給者に対し、「もらいすぎだ」とバッシングする年金受給者や低賃金の労働
 者がいる。これらの人々の主張は、生活保護をもらいすぎというよりも、自分たちの待
 遇や生活環境を先に改善しろというものではないか。 

制度疲労と無策が生む下流老人
・現在のような「経済優先・弱者切り捨て」の原則に基づいた社会システムである以上、
 下流老人の問題に特効薬はない。仮に経済成長を遂げても、下流老人問題は一向になく
 ならないだろう。経済以外にも、広範な部分にメスを入れる必要がある。
・家族機能の低下は、下流老人の問題を加速させた。歴史的にも、家族はさまざまな面で
 家族員に無償で福祉を提供してきたと言っていい。家事や保育、扶養、介護、介助、し
 つけや生活習慣の訓練、金銭や精神面での相互扶助など、家族機能が果たしてきた役割
 を挙げればキリがない。家族がお互いに助け合うことで豊かな暮らしを営んできたのが、
 これまでの日本社会と言えるだろう。しかし、その家族機能が崩壊してきている。すで
 に一人暮らしや高齢者夫婦のみの二人暮らしは珍しくない。家族員が減れば減るほど、
 家族機能が弱くなるのは明確である。
・そもそも年金制度は、老後に家族扶助を受けられることを前提に創設されている。だか
 ら、あくまでも生活費を補完する収入にほかならない。この年金制度の立て直しや役割
 の見直しを図らなければ、下流老人の問題は永遠に解決の道筋が見えないと言っても過
 言ではない。
・下流化を防止するには、高齢期に入る前から一定の資産を形成しなければならない。し
 かし、このような現状から十分な貯蓄をすることができないまま高齢期を迎え、下流老
 人になだれ込んでいく人は、後をたたないだろう。企業側の都合で不安定な雇用形態を
 さらに広げる。あるいはブラック企業の対策を行わないまま、若者の労働環境が劣悪に
 なることを放置すれば、必ず下流老人は増加する。
・下流老人は、病気になっても重篤化するまで、あるいは命が脅かされるほど重い病状に
 なっても病院の窓口に現れない。医療アクセスを妨げる幾重もの障害があるためだ。医
 療費の問題、窓口負担の問題、健康保険料の未納問題などさまざまである。
・孤立死する高齢者は、概ね何らかの病気、それも心筋梗塞や脳梗塞などに発展しかねな
 い生活習慣病を有している。しかし治療が必要であるにもかかわらず、経済的困窮から
 未治療だったり治療を中断するケースが多い。なかには健康保険証すら持っていない高
 齢者もおり、病気や介護度が深刻化しても周囲に助けを求めようとしない。
・この事態に、全国の病院も民間レベルでは危機感を持ち始めている。近年、「早期発見
 ・早期治療」につなげるため、無料または定額な料金で診療する施設として届出を行う
 病院も増えてきた。いわゆる「無料低額診療施設」である。この届出がある病院に低所
 得の患者が受信すると、無料または低額で診察してもらえる。その診察数に応じて、病
 院にも税制上の優遇措置があるという社会福祉法の制度があるのだしかし、このような
 病院があることを多くの人々は知らない。政府もこれらの福祉施策を広げたり、率先し
 て情報提供を行ったりしていない。   
・生活保護費の全体予算は約4兆円だが(2014年)、そのうち約半分の2兆円は医療
 扶助費だ。医療費を抑えるには初期治療が欠かせないが、下流老人は通院せずに市販薬
 などで我慢してしまうため、最終的に重篤化してから病院を受診することになる。
・自治体職員や医療・福祉関係者がまずやるべきことは、生活に困っていないか聞き取り
 を行い、各相談窓口へ誘導したり、早い段階で社会保障を受けるように促すことだ。間
 違っても健康保険証を取り上げてはいけない。医療費が払えないのは何らかの支援を必
 要としている証拠であり、市民を間接的に殺害することになるかもしれないからだ。
・「住宅を失った高齢者をどうすべきか」ではなく、「高齢者が住宅を失わないためにど
 うすべきか」という議論をまずしなければならない。もっとも抵抗なく行える手段は、
 公営住宅への入居だ。公営住宅は、低所得者層のために地方公共団体が建設・運営を行
 う賃貸住宅で、近隣の同物件の相場と比較しても半額もしくは3分の1程度の家賃で借
 りることができる。だが、この公営住宅も圧倒的に数が足りていない。だから仕方なく、
 多くの人が民間賃貸住宅を重い家賃負担に耐え、苦しん生活を送らなければならない。
 そしてそれが理由で貯蓄が底をつき、住まいを失う場合もある。「年金のほとんどが家
 賃に消える」という声はあまりにも多く、対策はもはや一刻の猶予もないように思える。    
・生活保護基準が年々引き下げられていることをご存じだろうか。生活保護受給者の生活
 実態を省みることなく、削減目標が一人歩きを始めている。この基準が下がれば、これ
 まで貧困であった人が貧困ではなくなり、救済対象から除外されることになる。極論を
 言えば、明日食べるものが何もない状態でも、国が「それはまだ貧困ではない」と決め
 れば、救う必要はなくなるということだ。
・現状における解決が困難だからといって、その時々の都合で基準を変えていたら、そも
 そも基準としての意義自体が失われてしまうだろう。下流唐人をめぐっては、救済対象
 が多すぎることから、その対象者数を減らそうと工作が始められている。誰をどのよう
 な範囲で救済するかは、厚生労働大臣が独自に決めているが、その決め方はあいまいで
 説明不足といった印象を拭えない。だから、全国で生活保護受給者が提訴する事態に発
 展している。 
・生活保護制度については、基準値だけでなく、その使いづらさも問題だ。日本には生活
 保護を受けることが恥ずかしいと思う分化がある。ましてやそれが立派なことのように
 吹聴する政治家も後をたたない。単なる社会保険制度を利用することに、なぜ恥ずかし
 いと感じる必要があるのだろうか。恥ずかしいと思った人々は、当然生活保護申請をた
 めらい、要支援者の早期発見に資することはできない。政府や国会議員の最低限の役割
 は、国民の生命や財産を守ることである。これらを追究することをやめてしまった政治
 家のインモラルさこそ、醜悪だと言わざるを得ない。
・65歳を超えても働くことを希望する人の合計は50.1%で約半数におよび、そのう
 ち働くことを希望する理由については「生活費を得たいから」が76.7%と最も多か
 った。老後も働き続けなければ生活費を得ることが難しい高齢者の実態が見て取れる。
 この「働く高齢者」の姿は、先進諸国では特異のもので、日本の老後の社会保障の脆弱
 さを端的に物語っている。たとえばフランスでは高齢者の2.2%しか働いていないの
 に対し、日本の高齢者は20.1%も働いている。なぜ日本の高齢者はこんなに働かな
 ければならないのか端的に言えば日本が、老後も働かなければ暮らせない社会システム
 になっているからだろう。 
・労働は尊いことではなるが、死ぬまで働き続けなければ暮らしていけない社会は果たし
 て幸福と言えるだろうか。経済的に豊かでなくても、家族に囲まれて安心した余生を過
 ごしたいと思うのが人情ではないか。 

自分でできる自己防衛策
・生活保護制度を利用したい場合、まず住んでいる地域の福祉事務所の生活保護担当に申
 請を行う。申請に際して必要な書類はとくにないが、調査の過程で預金通帳や給与明細、
 年金手帳など収入や資金の実態を証明する資料が求められることがある。また、ありが
 ちな勘違いとして、「住民票がないと申請不可」というものがるが、そんなことはない。
 決まった住所がない場合や路上生活をしていても、最寄りの福祉事務所で申請できる。
・実際に支給される保護費だが、これは年齢や世帯人数、住んでいる地域によって異なる。
 生活保護は世帯単位で行われるものであり、世帯の構成員が増えればそれだけ金額も増
 える。また、物価や家賃相場がかなり違うため、住んでいる地域によっても支給額の基
 準は異なる。たとえば都内23区に住む単身の無収入高齢者の場合、個人差はあるが概
 ね支給額は、「生活扶助費」が約8万円、 「住宅扶助費」が約5万円で、合計13万
 円程度となる。
・保護を受けるためには、月々の収入が最低生活費を下回っていなければならない。車や
 宝石、利用しない不動産、貯蓄性の高い保険(積立型の保険)などを所有している場合、
 原則保護を受ける前に売却して生活費にあてることが求められる。
・実際に住んでいる家や農業を生業としている方の農業用地などは売らなくてもよい。ま
 た、車についても、仕事で使っていたり、通勤・通院に必要不可欠と認められた場合は、
 酒友が認められる。要するに処分価値よりも活用価値が高い資産は、原則として保有が
 認められる。
・心身が結構で、十分働けるとみなされる場合には保護を受けられないが、働く場所がな
 かったりその機会に恵まれなかったり、働いていても病気や障害、そのほかやむを得な
 い事情で収入が最低生活費に満たない場合は、保護費の受給も可能だ。年金やその他手
 当があり場合、それらを先に活用する必要があるが、これらも最低生活費に満たない分
 を保護して受給できる。
・「扶養義務者の扶養」だが、これは親族などからの援助を指す。調査の段階で、親族へ
 の扶養照会(対象者の生活を援助できるかどうかの問い合わせ)が行なわれ、保護を優
 先して金銭的援助が受けられないかが検討される。ただし仮に金銭的援助が受けられて
 も、最低生活費に満たなければ、不足分を保護費として受給できる。また、ドメスティ
 ック・バイオレンスにより緊急避難している場合など、特別な事情で扶養が見込めない
 場合は、扶養紹介自体を行わずとも保護が受けられる。
・生活保護に対する無理解をなくすには、制度に対する無知だけでなく意識の面からも変
 革しなければならない。今もって多いのは、生活保護が、「おめぐみ」あ「恩恵」であ
 るという意識だ。つまり余裕のある者がない者に対して、(なかば仕方なく)施してや
 っているという考え方である。だが、それは間違っている。
・「社会保障を受けることは権利である」ということは、学説上も揺るがないことだ。生
 活保護を利用することに負い目を感じる必要はないのだ。生活保護の利用を必要以上に
 ナーバスにとらえず、いざとなれば気軽に収入の足りない部分を補えるという意識でい
 てもらいたいと思う。介護保険制度やほかの社会保障制度についても同様である。   
・政府は早々に申請主義から脱却し、社会保障に対する啓発活動を行うべくだろう。これ
 だけ下流老人がいるにもかかわらず、いまだにどこにどのように相談すればいいのか、
 制度を利用したらどうなるのか、その告知が極めて少ない。自分たちの政策の有効性を
 PRするだけでなく、社会保障制度に関する情報を広く報じてほしい。
・医療費の支払いが困難な人々がいることを、あらかじめ法律は想定している。社会福祉
 法は、医療にアクセスできない人々が生まれないように制度を構築してきた。それがい
 わゆる「無料低額診療事業」である。  
・「無料低額診療施設」は「生計困難者のために、無料または低額な料金で診療を行う事
 業」に位置づけられた施設で、お金がなかったり、健康保険証がない方でも無料または
 低額で受診できる。下流老人に限らず、外国籍の方やホームレスの方、生活困窮者など、
 さまざまな人々が利用できるので、どんどん活用してもらいたい。
・何よりも、個人のプライドを捨てて、目に見えない制約から自由になることが必要だ。
 人様の世話にならないことが美徳だと思っている方は、その意識を変えてほしい。社会
 福祉では、一般的に自立を「経済的にひとり立ちしていること」とは考えない。  
・「自立していないことが恥ずかしい」と考えること自体が、ある意味で傲慢であり、そ
 の意識が問題を複雑化してしまう。 
・生活を支え、豊かにするものは、お金などの物質的なものだけとは限らない。例えば、
 家族や親族とこまめに連絡をとっておくだけでも、コミュニティは充実する。いざとい
 うときには助けてもらったり、経済的な援助はなくても精神的な支えになってもらった
 り、入院や制度利用時の連絡先になってもらったりと、必要なことを頼める関係性は保
 持しておきたい。
・地域の人々との交流も重要だ。地域のつながりの希薄さや自治会の脆弱さが指摘されて
 久しいが、隣近所との関係が生活に与える影響は、高齢期になるほど大きくなる。近所
 で関係性をつくるのが難しければ、地域の自治会などが催すサロンや老人クラブなどに
 参加するのも手だろう。
・同じ貧困に苦しんでいても、幸せに過ごしている人もいれば、悲惨な生活を送る人もい
 る。この違いは、どこから生まれるのか。わたしが相談支援の現場で常に実感するのは、
 「人間関係の貧富の差」が幸福度を決定するということだ。生活が貧しくとも、友人同
 士で料理を持ち寄ったり、コミュニティセンターでおしゃべりを交わしたり、老人クラ
 ブで踊ったりと、楽しく暮らす場面によく出会う。そのような高齢者は、比較的支援も
 スムーズに進み、貧困に陥らない、もしくは貧困に陥っても生命が脅かされる危険性は
 低い。
・可能な限り働くことも、人間関係の貧困を防ぐ。間違っても、高齢期に身体に支障をき
 たすまで無理に働くべきということではない。職場の仲間との出会いや交流を主眼に置
 きながら、楽しみながら働くということである。生活基盤を支えるという理由以外に、
 豊かな人間関係の形成に目を向けることで、老後働くことの意味もだいぶ変わってくる
 と言えるだろう。  
・セーフティ・ネットになり得る人間関係の強化という面では、地域のNPO活動や市民
 活動への参加も効果的だ。多くの地域で、環境やスポーツ、政治や宗教、文化や芸術、
 福祉やボランティア活動など、多種多様な市民活動が行われている。このような地域活
 動にコミットして、できれば地域社会の一員として一緒に暮らしていく意識をもっても
 らいたい。
・下流化してから相談に行くよりも、下流化する前から身近な市民活動やNPO活動に参
 加しておけば、その仲間や関係性の中で、援助を受けることが可能な場合もある。そう
 すれば、あてのないNPOや市民団体のもとへ生活支援の相談に行くといったハードル
 の高い行動をとる必要もなくなるだろう。
・支援を「しやすい方」と「しにくい方」がいる。支援しやすい方の特徴は、話しやすか
 ったり、プラス思考だったり、自分から積極的に問題の解決にあたったり、自分の問題
 を把握していたり、ある程度の支援方法や制度を学んでいたりする。気軽に相談に来て
 くれて、問題が複雑化する前にアドバイスできる。
・一方で、支援が困難な方は、かたくなに心を閉ざしていたり、自暴自棄になっていたり、
 マイナス思考で問題解決に対して消極的だったりする。また、問題の所在が把握できず
 にやみくもに行動してしまう場合もある。これらが何よりも問題なのは、支援者との間
 に信頼関係を築けないということだ。するとたいてい、支援はうまくいかない。受援力
 が弱い事例の特徴である。
・貧困高齢者にも、幸せな人はたくさんいる。不幸せな人との違いは明らかに「人間関係」
 にある。現状において、私たちが下流老人にならないための具体的な対策は、貯蓄や制
 度の知識を得ておくぐらいだ。しかし、実際には貯蓄があっても、下流になるときは、
 なる人生とはそういうものであり、思い通りには進まない。だから、豊かな老後を送る
 ためには、お金以外の部分、すなわち豊かな人間関係を築いておくことが大切だ。
・20〜50代前半の人は仕事中心、経済優先の生活がある。家庭や友人関係などを省み
 ることなく、ひたすらに働いているという人も多いかもしれない。だからこそ、老後が
 見えてきた50代後半からは、配偶者や子ども、家族、友人などの周囲の人の人間関係
 を大切にしたい。経済優先の生活から人のつながりを中心にした生活に、価値観をシフ
 トチェンジしていく必要がある。それがやがて、自分自身を救うセーフティ・ネットとし
 て機能することになるだろう。 
・「幸福」をどう捉えるかは個人次第であると感じる。最低限度の生活保障は必要だが、
 それと同時に、文化的な暮らしを維持できるかは、老後の人間関係が大きく左右する。
 あなたは、老後になっても付き合いたいと思う人、またはそばにいてくれる人が、身近
 にいるだろうか。そのような人々との出会いは、今からでも遅くないと思うし、そのよ
 うな人々が身近にいてくれたら、きっと絶望や寂しさを分かち合えるだろう。そしてこ
 の「分かち合い」が、人生の幸せや満足度に大きく影響することは、言うまでもない。

一億総老後崩壊を防ぐために
・下流老人を生み出すのは国であり、社会システムである。下流老人やその家族だけの問
 題ではない。したがって当然ながら、対策を行う主体も国や政府であるべきだ。日本に
 貧困があることを認め、格差是正や貧困対策を本格的に打ち出すことが何よりも必要だ
 と言えるだろう。貧困に対して真剣に向き合わない国に、未来はない。貧困による悲惨
 な現実を直視し、当事者の声から社会福祉や社会保障を組み立て直していくことが求め
 られる。   
・下流老人の問題が、今後ますます進行する理由の一つに、若年層や子どもの貧困がある。
 ワーキングプアや非正規雇用の増加に伴い、働く世代の貧困も顕著に増加している。
 若者の貧困、子どもの貧困は、その後の世代においても格差を固定する。家庭の経済事
 情によって十分な教育が受けられず、障害低所得の仕事にしかつけない人々が繰り返し
 生み出される危険性がある。そしてこれは低年金や無年金問題、無保険問題の要因とな
 り、将来の下流老人を生み出すことにもなるだろう。これ以上相対的貧困率が上がらな
 いように抑制しなければ、社会が持続可能性を失ってしまう。速やかに貧困率の削減数
 値目標を設定し、そのための具体的な施策を行う必要がある。
・課税対象については、資産や所得を総合的に含めて議論し、取れる層から徴収すること
 で所得の再配分機能を高め、社会保障を手厚くしていくことが不可欠だ。下流老人がい
 る一方で、金持ち老人が大勢いるのもまた事実であり、再配分による支え合いが必要な
 ことは言うまでもないだろう。
・実際、下流老人にとって、住宅費は想像以上に負担が大きい。住宅ローンを払い終えた
 後、補修することなく、ボロボロの家屋に住んでいる人もいる。また、家賃が高いため
 に、年金のほとんどが住宅費に消える人もいる。
・フランスなどでは、「家賃補助制度」によって民間賃貸住宅に住んでいる低所得の人々
 の家賃負担を軽くする政策が実施されている。一方、日本では、公営住宅などの社会住
 宅が極めて少なく、安くて安心して住める住宅インフラが整備されてこなかった。
・日本の住宅政策は、社会生活を営むうえで必要な最低限の社会権として見られることな
 く、無計画に、あるいは大手建設会社や不動産業者、いわゆるゼネコンの意向やニーズ
 のままに開発されてきた。多くの人々に住宅ローンを組ませ、住宅を消費財の対象とす
 ることで、経済成長率を高めてきた歴史的な背景もある。下流老人が増える社会を見据
 えて、そろそろ住宅政策の転換を図る必要があるだろう。具体的には、低額でも構わな
 いから、まずは日本でも家賃補助制度を導入していきたい。
・すでにヨーロッパ各国では、少子化や人口減少対策として、民間借家への家賃補助制度
 の導入をはじめてとする住宅政策の転換に成功した。大きな経済成長が望めない成熟社
 会では、雇用の流動化や不安定化が進み、若者が住宅ローンを組んで高額な住宅を購入
 できない。そのため家賃補助制度を進めることで、若者が家庭を持ちやすい環境をつく
 ったわけだ。実際にフランスでは少子化対策に効果があり、合計特殊出生率に大きなプ
 ラスの変化があることが示されている。  
・一方日本では、住宅ローンが組みにくい若者や単身者、非正規雇用の人々に対しても、
 いまだに持ち家取得の優遇政策を優先させる。というよりも、民間賃貸住宅に住んでい
 る人々への支援策はほぼ皆無である。
・家賃補助制度によって、年金の支給水準の低さを補えば、下流老人や路上生活者になら
 なくて済む人も増えるだろう。今後は、低所得でも誰もが住まいを失うことがないよう
 な、新しい住宅政策を打ち出す必要もあるだろう。 
・若者の雇用や生活環境は急速に劣化した。ワーキングプア、非正規雇用が蔓延し、一向
 に減る気配がない。厚生年金に加入できず、国民年金の未納率も約4割と高い。もはや
 年金すらかけていない若者も珍しくなくなった。
・国民皆年金制度は、雇用の不安定化によって、緩やかに終焉を告げている。これに代わ
 る社会保障を構築しなければ、若者の老後が「時限爆弾」のように、社会コスト増を求
 めてくることだろう。
・現役時代の報酬に関係なく、最低限の老後の生活資金を保障するシステムが必要だ。今
 ここで手を打っておかなければ、若者が老後を迎えるときに大きな代償を払わされるこ
 とになる。
・国民年金の場合40年間保険料を支払っても、ひと月当たりの支給額は現在の水準で6
 万6千円弱である。生活保護の生活扶助費より低いか同水準であることは、明らかな事
 実だ。さらにこの水準は、今後下げられる可能性が大きい。もはや現状の制度設計では、
 超高齢化社会に対応できないだろう。それならばいっそ国民年金制度を廃止し、生活保
 護制度の生活扶助に一元化することも今後の議論としてあり得るのではないか。
・現在の若者の多くは下流老人と化す。非常に残念ではあるが、これは現状避けようがな
 い。非正規雇用がこんなに増えると誰も思わなかったし、婚姻率も下がり、老後を助け
 てくれる子どもも生まない、生めない人々が増えてきた。家族の支え合いがこんなにな
 くなるなんて、誰も予測していなかった。まさに国家単位での「想定外」だ。
・若者は老後に対する不安から、貯蓄を優先し、消費を控える傾向が顕著に表れている。
 収入に頼りすぎず、支出を減らしていく方法で、生活を見直している。若者のこれらの
 行動が、すでに実体経済に大きな影響を与え始めているのは周知の事実だ。もう大量生
 産・大量消費の時代は終を迎えたのだと思う。まさに成熟社会の到来であり、これまで
 獲得してきた資産や資源をどのように分配・利用するか、また少ない雇用や収入源をど
 のように分け合い、再配分していくかが問われるようになった。
・持つ者と持たざる者が常にいるのは仕方がない。しかし、それがあまりにも不均衡で、
 容認しがたい格差なのであれば、不平等として是正すべきだろう。税をどこからとり、
 どこに再配分するかを決めるのは政治であり、政治の意思決定を促しているのは主権者
 たるわれわれ国民である。