観光亡国論 :アレックス・カー 清野由美

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犬と鬼 知られざる日本の肖像 [ アレックス・カー ]
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世界が驚愕 外国人観光客を呼ぶ日本の勝ちパターン [ 石井 至 ]
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東京カフェ散歩 観光と日常 (祥伝社黄金文庫) [ 川口葉子 ]
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インバウンドの罠 脱「観光消費」の時代 [ 姫田小夏 ]
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私なりに絶景 ニッポンわがまま観光記 [ 宮田珠己 ]
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新・観光立国論 モノづくり国家を超えて [ 寺島実郎 ]
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ヨーロッパ観光事情まち歩きの楽しみ [ 秋山秀一 ]
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日本の異国 在日外国人の知られざる日常 [ 室橋裕和 ]
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京町家の再生改訂版 [ 京都市景観・まちづくりセンター ]
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神と自然の景観論 (講談社学術文庫) [ 野本 寛一 ]
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津波から七年目 海岸林は今 [ 小山晴子 ]
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安倍政権が「観光立国」の旗印をあげてから、日本各地で海外からの観光客が急激に増加
しているようだ。この東北においても、観光地に出かけると、以前はあまり見かけなかっ
た海外からの観光客を目にするようになってきている。海外からたくさんの人が日本を訪
れてくれるということは、これは喜ばしいことだ。
しかし、その反面、京都などでは、海外からの観光客が爆発的に増えず過ぎて、「観光公
害」の問題が出ているようだ。受け入れ可能なキャパシティをはるかに超えてしまってい
るのだ。テレビなどでも、いくどとなく取り上げられ、特に中国人観光客がやり玉に上げ
られてるが、しかしこれは、中国人観光客だけが悪いわけではないと思う。
受け入れる日本側にも多くの問題があるのだ。受け入れる体制が整っていないのに、海外
からの観光客による経済的メリットだけを追い求めて、制限なく海外からの観光客をどん
どん呼び込んでは、こうなるのはあたりまえだ。
これでは、せっかく日本に興味を持ち、日本を訪れた海外からの観光客を失望さえること
になりかねない。経済的なメリットばかりを追い求めないで、適正な数になるように、海
外からの旅行者数をコントロール必要があるのではないだろうか。
もちろん、受け入れる日本にも、海外からの旅行客をたくさん受け入れることができるよ
うに整備をする必要があるが、それには多額の投資と時間が必要となる。すぐには対応で
きない。
海外からの観光客の分散化の戦略も必要だろう。東北などは、以前に比べ増えたといって
も、まだそれほど海外からの観光客は多くはない。新しい観光資源の開拓も必要だろう。
海外からの観光客の増加は、大きなチャンスでもあると思う。せっかくのチャンスを逃さ
ないように、しっかりとした対応を旗振り役である政府をはじめ関係者には希望する。

特に近年日本では、ユネスコの世界遺産への登録が流行っているが、これは諸刃の剣であ
ることを十分に認識する必要があるようだ。確かに世界遺産に登録されると、世界的に知
名度はあがる。しかし、世界遺産に登録されることによって、その登録要件を維持するた
めに、多額の費用がかかり続ける。それがその地域に大きな財政負担となってのしかかっ
てくる。その大きな財政負担に見合った観光による収入増が見込めればいいだろうが、そ
うならないことが多いようだ。世界遺産登録による地域活性化を期待して、やみくもに世
界遺産登録を進めると、後で後悔することになる。特に財政基盤の弱い自治体でこの世界
遺産登録をやると、それがきっかけで、財政破綻まで追い込まれてしまう危険すらある。
世界遺産登録は、慎重であるべきだ。

さらにこの本の中で興味をおぼえたのが、大型クルーズ船のよる観光の話だ。東北の被災
地などでも、観光による収入増をあてこんで、大型クルーズ船寄港の誘致が盛んに行われ
ている。しかし、それははたして、ほんとうに被災地の期待する経済効果につながってい
るのか、疑問だ。確かに、一度に大勢の観光客を運んでくる大型クルーズ船の寄港は、寂
れた被災地に賑わいをもたらすので、見た目には賑わいを取り戻したように映るが、大型
クルーズ船の寄港のために自治体が投入した税金に見合ったものなのか。今一度確認して
みる必要があるのではないのかと感じた。

はじめに
・政府の「観光立国」の旗印のもとで、全国にインバウンド誘導のブームが起きています。
・しかし、最近の日本は観光客が急激に増加したことにより、いたるところで「観光公開」
 ともいうべき現象が引き起こされるようになりました。それらの実情を見るにつれ、
 「観光立国」どころか、「観光亡国」の局面に入ってしまったのではないかとの強い危
 機感を抱くようになっています。
・「観光公害」を最も顕著に見ることができるのは、日本を代表する観光都市、京都です。
・私は京都の町と自然が好きで、時間を見つけては、お寺や神社、路地裏を散歩していま
 した。古いお寺に宿る美しさ、人々が受け継いできた町並み、静謐な自然景観など、神
 や神道の精神性を感じる時間を、とても大切に思っていました。
・しかし、清水寺、二条城といった”超”の付く名所だけでなく、以前は静寂だった京都
 駅南側のお寺や神社でも、今は人があふれ返っています。
・嵐山・竹林の道は、もはや通勤ラッシュの様相で、京都を好きな人が昔の気分でうっか
 り出かけると、疲労困憊するはめに陥ります。 
・観光シーズンの京都では、駅が混みすぎて、普通に電車で移動することが難しくなりま
 した。駅のタクシー乗り場には長い行列ができて、数十分待ちはザラですし、そうなる
 と町中も渋滞して、住民の暮らしが脅かされるようになります。
・観光公害は京都だけでなく、世界中で問題になっている、きわめて今日的な社会課題で
 もあります。バルセロナ、フェレンツェ、アムステルダムといった、世界の観光をリー
 ドしてきた街を中心に、「オーバーツーリズム(観光過剰)」という言葉が盛んに使わ
 れるようになりました。
・観光による地域活性の”優等生”であったナルセロナやフィレンツェですが、今では世
 界中からやってくる観光客が、京都以上に住民の生活を脅かすようになっています。
・中でも、現代ならではの課題の筆頭が「民泊」です。有名な観光地では、民泊として運
 用することをあてこんでマンションが乱造され、相場よりもさらに高い価格で取り引き
 されます。民泊バブルが起こった結果、周囲の地価・家賃が上がり、もとからいた住民
 が住めなくなってしまっているのです。 
・民泊に泊まる客の中には一部、道端で飲食をする、隣の敷地内に入る、ゴミを始末しな
 いといった近隣への迷惑行為を行なう人が見られます。しかもそのような旅行者が短期
 間滞在してトラブルを起こしても、持ち主が不在で連絡の取りようがなく、問題は未解
 決のまま悪循環に陥りがちです。
・また、世界中どこでも、観光客は大きなスーツケースを持って移動します。それによっ
 て電車やバスが混み合うことに加え、彼らがガラガラと引きずるスーツケースの車輪は、
 案内サインが書かれている駅構内の床やプラットホーム、舗装路、そして車両を傷めま
 す。それらのメンテナンスは受け入れ側が担うしかなく、住民にとっては、税金などに
 よるコストを負担させられるとともに普段の足も邪魔をされるという、何重もの理不尽
 状態を生み出しています。
・私は「観光反対!」ということは、決して言っていません。むしろ「観光立国」には大
 賛成ですし、今後もそのための活動を続けていくつもりです。
・実際、インバウンドは日本経済を救うパワーを持っています。国際的な潮流を日本の宿
 や料理に吹き込むことによって、新しいデザインやもてなしも生まれていきます。観光
 の促進は、日本への理解を国際的に高め、日本文化を救うチャンスであり、プラスの側
 面は大きいのです。 
・ただし、それらは適切な「マネージメント」と「コントロール」を行った上でのことだ
 と強調したいのです。
・億単位で観光客が移動する時代には、「量」ではなく「価値」を極めることを最大限に
 追求すべきなのです。

ティッピング・ポイント 「立国」が「亡国」になるとき
・インバウンドは、宿泊、飲食、鉄道、バス・タクシーなど、観光業全般の売り上げ増加
 にダイレクトにつながると同時に、小売業の売り上げも促進します。小売業内での医薬
 品・化粧品のシェアは、インバウンドの増加とともに広がっています。
・観光が都市の基幹産業になる流れは、すでにニューヨーク、サンフランシスコ、パリな
 ど、欧米ではすでに通ってきた道であり、世界的にいうと新しい話題ではありません。
・しかし、日本にとって、基幹産業が重厚長大型から観光のようなサービス型に転換する
 ことは、大きなパラダイムシフトです。 
・とりわけ日本において、農村部の人口減少は深刻な問題を引き起こします。なぜならば、
 日本のシステムは労働力、エネルギー、食べ物と、生活に必要なすべてを、農村部を含
 めた地方に依存しているからです。
・都市民の暮らしを支えている地方と農村部が凋落するとなれば、経済の中心である都市
 もそれに伴なって力を落としていくことは必至です。
・人口減少と空き家問題は、間違いなく日本が抱える大問題です。その要因は複雑に絡み
 合っており「これをやればすっきりと解決します」という、即効性のある対策はなかな
 か生み出しにくい。しかしその中にあっても、成長余地が十分に残された観光産業の育
 成は、日本にとって数少ない救いの道といえるのです。
・観光名所が集中するバルセロナの旧市街は、もともと高い人口密度を持つエリアでした。
 格安航空会社や大型クルーズ船の浸透で、そのような場所に年間4千万人から5千万人
 という観光客が押し寄せるようになったことで、交通やゴミの収集、地域の安全管理な
 どの公共サービスは打撃を受けました。
・それだけではありません。土地代の高騰で、観光繁忙期に働きに来ていた労働者が滞在
 する場所もなくなり、サービスの担い手不足という事態も起こったのです。
・やがて、自分たちの仕事環境、住環境、自然環境をいかに守るかが、住民にとっては最
 優先の課題となりました。市民たちが「観光客は帰れ」というデモを行い、町中には
 「観光が町を殺す」といった不穏なビラが貼れるようになりました。
・世界的に見て、類稀なる都市再生の優等生とされたバルセロナですが、「観光公害」に
 悩まされるようになった今、むしろ「ノーモアツーリズム」の先頭に立っているのは皮
 肉なことでもあります。
・世界各国の観光地が悩まされている「観光公害」ですが、その要因は多様です。日本国
 内でいうと、観光立国戦略のもとで外国人の入国者、とりわけ中国人に対するビザの緩
 和措置が挙げられますが、世界で共通の要因としては以下のものが考えられます。
 ・新興国からの観光客の増加
 ・LCCの台頭で、海外旅行体験のハードルが著しく下がったこと
 ・SNSなど、言語の壁を超えた情報の無料化が進み、そこに「自撮り」という新しい
  自己顕示のトレンドが生まれたこと
・新興国の観光客の中で、とりわけ大きな現象は、中国人観光客の爆発的な増加です。
・中国人、特に団体客のマナーの悪さが群を抜いて目立つのは、数が圧倒的に多いので仕
 方がないかもしれません。しかし、現在の中国ではパスポートを発給されている人は、
 まだ人口の数%に過ぎないといわれており、今後、年間1千万人の単位で受給者数が増え
 ていくとされています。
・中国人の次には、やはり人口が圧倒的なインド人の観光客も控えています。インバウン
 ド数の伸びとともに「観光公害」は今後も、私たちの想像を超える規模で広がっていく
 ことが予想できます。
・ただし、「観光公害の原因は中国人である」などと決めつけることは間違っています。
 一国が経済成長を果たし、その国民が世界中に闊歩するようになると、世界各地で軋轢
 を起こすようになることは世の習いだからです。ですので、外国人が日本を駄目にして
 いる、という安易な論調に乗ってはいけません。
・もちろん、受け入れる側のキャパシティをはるかに超えて増大する中国人観光客への対
 応は必要です。しかし、それは「中国人観光客が悪い」という話では決してありません。
 観光立国を果たすには、世界の誰をも受け入れた上で、その状況をコントロールする、
 という構えが重要なのです。
・京都の風情ある町並みは、木造の町家が作っています。しかし、それらは今の時代に住
 むには古く、不便だということで、空き家化が急速に進んでいました。何とかその流れ
 を喰い止めることはできないかと、頭をひねった末に編み出した枠組みが、町家を一棟
 貸しする「町家ステイ」でした。
・現在はインバウンドブームとともに、古い町家を宿にリノベートする動きが、京都だけ
 でなく、全国に広がっています。しかし私たちが始めた当時、町家を宿泊施設として生
 かす事業が成功するとは、誰からも思われませんでした。
・ところがフタを開けてみたら、宿は予約でいっぱい、海外からのお客さんが多いだろう
 と思っていましたが、「一棟貸しのスタイルでは来ないだろう」といわれていた日本国
 内のお客さんが多かったことは、運営側の私たちにも予想外のことでした。
・今振り返ってみると、あれはおそらく”オワコン”化していた観光業に対して飽きを覚
 え、新しいスタイル求めているお客さんが多かったことの表れだったのかもしれません。
・問題は日本だけでなく、世界各国に共通するものですが、とりわけ日本において注意す
 べきは、日本ではインバウンドが爆発的に増えるまで、本当の意味での「開国」を経験
 していなかったことです。  
・今、IT革命が本格化した20世紀末から世界の潮流は激変しましたが、日本は金融、通信、
 法律、行政、教育など、社会のあらゆる面で、システムのアップデートが遅れました。
 既存の老朽化したシステムにサビが出て、埃がたまり、ガタが目立ち始めたところに、
 さまざまな国から、さまざまな人たちが、「旅行」、「観光」という名目で流入。その
 ような入国インバウンドを急に経験したことで、問題は一気に表面化しました。
・それが日本にとって、どれだけの衝撃であるかは、想像に難くありません。それゆえ観
 光を有益な産業にするためには、十分な覚悟が必要となります。これまでとは違う対応、
 方策を、クリエイティブに考え、生み出していくことが重要となるのです。 

宿泊
・2015年は日本政府が中国に対してビザ発給条件を緩和を行った年です。その前から
 円安が始まり、日本に来る外国人観光客、特に中国人をはじめとするアジアからの観光
 客の数が爆発的に増えました。
・京都の町中では、驚くべき事態が進んでいます。外国資本による「町の買い占め」です。
 中国の不動産会社が2018年に半年の期間で120軒もの不動産を買収したそうです。
 中には町家が路地に並ぶ一画を丸ごと買って、そこを中国風の名前で再開発するという
 計画まで発表されています。
・円安の状況が続いているため、外国人から見れば割安感があると考えられます。また日
 本はローンの金利が低く、不動産は定期借地ではなく私有が基本なので、一度買ったら
 永久に所有できます。
・それらの要素は、地理的な距離が近い場所にいる中国人にとっては、とりわけ有利に働
 きます。経済発展とともに上海や北京など大都市では不動産の値上がりが激しく、もは
 や価格は東京を凌ぐようになりました。要するに、日本は外国人にとって、「安くてお
 得な」不動産投資ができる場所になっているのです。
・2018年の商業地の地価上昇率のトップが、北海道の倶知安町でした。町名だけでは、
 なぜ倶知安が1位なのか、にわかにはわかりませんが、ここはニセコのスキーリゾート
 地として、外国人観光客に大人気の土地です。
・町家の宿泊施設転用は一つのムーブメントになり、京都ではその後、数百軒以上の町家
 が宿泊施設として再生されました。しかしこの数年で流れは逆行し、今は町家を残すよ
 り、小さなビジネスホテルを建設することの方が活発化し始めています。観光ブームが、
 町家保存から町家破壊へと、さらに転換しているのです。
・京都市にも古い民家の保存をうながす規制はあります。しかし重要文化財級の町家であ
 っても、それを守り抜くような断固とした仕組みにはなっていません。2018年には
 室町時代に起源を持つ、京都市内でも最古級という屈指の町家「川井家住宅」が解体さ
 れました。
・当然のことながら、事業で最も重視されるのは利回りであって、町並みの持続可能性や、
 住民の平和で健全な生活ではありません。ただ非現実的な数字をもとに回していく計画
 は、投資ではなく「投機」です。
・京都は商業地と住宅地がきわめて近いことが特徴で、それが京都のそもそもの魅力にな
 っています。名所に行く途中に、人々が日常生活を営む風情ある路地や町家が、ご近所
 づきあいというコミュニティとともに残っているのです。
・しかし、地価の上昇は周辺の家賃の値上がりにつながります。土地を持っている人であ
 れば、固定資産税が上がります。観光客は増えていても、京都市は高齢化が進んでいま
 すので、住民はそのような変化へお対応力は持っていません。家賃や税金を払いきれず
 に引っ越す人が相次げば、町は空洞化し、ご近所のコミュニティはやがて街並みととも
 に崩壊していきます。
・観光客が増えると、彼らが落とすお金で地域が潤う、というのが京都をはじめとする関
 係者の希望ですが、現在はそのような楽観的なレベルをはるかに超えています。
・「観光」を謳う京都の一番の資産は、人々が暮らしを紡ぐ町並みです。皮肉にも京都は、
 観光産業における自身の最大の資産を犠牲にしながら、観光を振興しようと一所懸命に
 旗を振っているのです。 
・観光投機に一役買っているのが、「民泊」です。既存の枠組みや既得権益に対抗する
 「シェア」の概念とともに、世の中に広まった新時代のサービスでした。
・その土地の家主が自分の家を旅人に開放することで、お仕着せの観光旅行ではなく、ま
 さしく暮らすように旅をする、という新しい時代のスタイルを提供しました。これによ
 って旅行者は、旅先での楽しさや面白さ、そして利便性を、より低コストで体験できる
 ようになったのです。
・しかし、革命的な仕組みが世の中に行き渡ると、やがて良い面が悪い面に飲み込まれて
 いくのも世の習いです。家主の中からは、当初の理念とは無関係に、この仕組みを使っ
 て「とにかく儲けよう」とする人が続出し、そこからコミュニティにとって望ましくな
 いことが次々と発生するようになりました。
・自己中心的な利用者は、早朝や深夜でも、周囲にお構いなしに騒音を出し、日常生活の
 ルールも守りません。実際に京都では家主が不在の民泊で、宿泊客の不注意から火災が
 起きています。大都市部では、雑居ビルや、マンションなどの集合住宅の中の民泊が特
 に問題化し、やがて犯罪の拠点にまで使われるようになりました。
・それでも無責任な家主は知らんぷりで、官吏も万全でないまま、ただ部屋を「回し」続
 けます。
・民泊不動産ビジネスが続くと、周辺の地価はどんどん上がり、従来からの住民は家賃を
 払えなくなって、そこから離れていきます。また地元に根付いていたパン屋さん、花屋
 さん、カフェ、レストランも、営業に行き詰まり、姿を消し、後にはコミュニティが空
 洞化した地域が残ります。
・民泊の問題は、世界中の都市に共通の問題として、人々の意識に上るようになりました。
 そしてもちろん、日本も例外ではないのです。
・民泊新法では、民泊として営業する日数の上限が全国一律で年間180日と定められま
 したが、これは地方にとってはかなりの打撃となってしまいました。
・というのも、「観光立国」が最も早急に必要とされていたのは、都会ではなく、実は
 ”田舎”と呼ばれる地方部だったからです。
・日本の田舎には美しい自然がある一方で、新しい産業機運に乏しく、仕事、雇用の問題
 とともに空き家が多い。そんな状況にあったからこそ、民泊などの新しい仕組みで活性
 化する余地もあるのです。  
・日数上限は一部の都会では確かに必要だったかもしれません。しかし、田舎ではほとん
 ど不要であり、むしろ一年中営業ができた方が都合は良かったはずです。
・イタリアは、効率やスピードを重視せず、のんびり人生を楽しみ、生活の質を高めよう
 とする「スローライフ」や、農場、農村で休暇・余暇を過ごす「アグリツーリズム」と
 いった、新しい旅の概念を発明した国ですが、近年は「分散したホテル」が注目されて
 います。
・これは、地方の小村を舞台に、複数の空き家を民泊用の「部屋」に改修し、それらが集
 まることで、全体で一つのホテルとして機能させる形態のことを指します。そこでは点
 在する「部屋」とは別に、レセプションやレストラン、朝食用バール、土産物店なども
 村内に点在させて、旅行者は村に住む人々に交って、村全体を一つのホテルのように使
 うことができます。これは人口減少と過疎化、空き家化という地方の課題を、まさしく
 観光という切り口で解決しようとする仕組みです。
・全国一律、あるいは行政区域一律の法律や条例、規制をかけることは、強い抗がん剤治
 療に似ています。悪い部分をやっつけられるかもしれませんが、周りの健康な部分まで
 傷つけてしまう可能性があります。
・一方で、もともと志も良心もなく、許認可にも無関心だった民泊物件は、そのまま闇に
 もぐるだけです。
・民泊の社会問題化は現在、世界中で起こっていることです。どの都市も、民泊が引き起
 こす問題に対して苦慮し、思考錯誤しています。
・ドイツのベルリンでは、家の面積50%以上に住民が暮らしていない家を、民泊に貸す
 ことを禁じました。 
・アメリカのサンタモニカでも住民が住んでいない家を民泊にすることは禁じられていま
 す。
・交通が発達した現在でも「秘境」として知られる四国の祖谷(徳島県三好市)で、私は
 2010年代から茅葺き古民家の一棟貸しプロジェクトを進めてきました。そのプロジ
 ェクトが浸透するにつれて、周辺に古民家や廃校をリノベートしたゲストハウス、カフ
 ェ・レストラン地域おこしのサテライトオフィスなど、さまざまな動きが続くようにな
 りました。

オーバーキャパシティ
・名所に人が押し寄せるという「オーバーキャパシティ」の問題は、世界中の観光地が抱
 える一大問題です。京都の伏見稲荷大社も、今は、インスタ映えする赤い鳥居の下に、
 人がびっしりと並ぶ眺めが常態化しています。
・ここまで観光客の数が多くなると、傍若無人な振る舞いをする人の数も増えてきます。
・オーバーキャパシティがもたらす弊害は、いくつも挙げられます。町には交通渋滞が引
 き起こされ、市民の生活に支障が出ます。旅行者にとっては、ホテル代の高騰という不
 利益も招きます。寺社、聖地などであれば、落ち着いて拝観できなくなります。神社仏
 閣の境内には深い精神性が宿っています。神の存在を感じる神社、仏の無言の静けさに
 触れるお寺。その奥深さこそ京都の神髄です。それが観光に侵されてしまうと、京都文
 化の本当の魅力が薄れてしまいます。
・日本が誇る富士山は、遠くから望むと非常に美しい姿です。しかし近づけば人だらけ、
 ゴミだらけという惨状にさらされています。
・多くの登山者が訪れることで、ゴミや登山道の破損、トイレの許容量オーバーなど、数
 々の問題が引き起こされました。山肌に「白い川」のようなものが現われて、何だろう
 と思ったら、入山者たちが用を足した後のトイレットペーパーだった、というエピソー
 ドもあります。
・そこで富士山は、2014年から山梨県と静岡県が入山料を徴収するようになりました。
 これはつまり「総量規制」の一つです。入山料は5合目以上に登る人に対して、任意で
 一人千円を求めています。
・現状では何割かの人たちが、入山料を払わないで富士山に登っており、両県の入山料収
 入も1億円以下に止まっています。もちろん、ないよりもあった方がマシですが、この
 金額でできる対策は、どうしても対症療法的ものに限られてしまいます。 
・一方で登山道や山小屋の混雑は変らず、5合目まで車でアクセスできるため、そこから
 町歩きと同じ軽装で山に登り、途中で救援が必要になる人もむしろ増えているといいま
 す。
・また、外国人登山者には入山料の徴収そのものがあまり知られていないため、自治体が
 協力金について説明した外国語パンフレットなどを用意するなどして周知を図らねばな
 らない状況です。
・入山料の導入が議論されたときは、それだけで、「登山の自由を侵すのか」「山はみん
 なのものだ」という声が上がりました。また、観光客相手の店を営む業者からは、「売
 り上げが減る」といった文句も出ました。そのような声があがると、行政や関係者は途
 端に及び腰になってしまいます。 
・そこで「任意」という中途半端な設定に落ち着いたわけですが、「任意」とは役所が責
 任を取りたくないための方法に過ぎません
・富士山は危機にさらされています。その現状と海外の観光地の動向をきちんと認識すれ
 ば、入山料の義務化を訴えるのは決しておかしなことではありません。
・そもそも世界の基準からいえば、千円という入山料も安すぎます。入山料の効果を分析
 した研究がありますが、それによると、入山料が千円の場合、その抑制効果は、たった
 のマイナス4%でしかありませんでした。試算では、マイナス30%の効果を生むには、
 入山料を7千円にまで引き上げることが必要だそうです。
・富士山は日本の象徴であり、誇りです。そのような山を守る義務として5千円、いえ1
 万円の入山料でもいいくらいです。
・兵庫県朝来市の「竹田城跡」は、雲海に包まれた朝の神秘的な光景から「日本のマチュ
 ピチュ」とSNSで拡散され、一時期、年間来場者数がブーム以前の数十倍に急増しま
 した。今はブーム時に比べると落ち着いた感がありますが、多くの人が足を運んだ結果、
 損傷が激しく、地中に埋まっていた16世紀末の天守閣の瓦が露出し、それが踏み砕か
 れるなどの被害が相次ぎました。
・竹田城跡の入場料は、現在5百円です。これも水準として安すぎます。ちなみにアメリ
 カでは、国立公園が高額の入園料を取ることはすでに「当たり前」です。竹田城跡を訪
 問する価値は、少なくとも5百円の数倍になると思われます。
・そもそも文化的あるいは環境的価値が高い場所は、入場料が少々高くても、本当に生き
 たい人たちは行きます。もし足を運ばなくなった理由として、「入場料が高いから」と
 いう人がいたなら、それはおそらく竹田城跡に大して興味を持っていない人でしょう。
・その場所の価値に見合った対価を支払う、という気持ちを醸成しないと、日本が誇る資
 産は目減りするばかりです。入場料を価値に見合った価格に設定することによって市場
 原理が働き、その場所をきちんと評価し、大事にする客が増えて、どうでもいい客は減
 ります。それによって、観光名所はレベルアップができるのです。 
・日本の行政の弱いところは、決断が主体的にできないところです。そんなときに使われ
 る典型的な言い訳は、「市民からそんな金額は取れません」、あるいは「地元の観光業
 者の不利益になります」といったものです。そんなときには、「例外の枠」を設ければ
 いいのです。たとえば市民から料金を取れないということであれば、地元の人には無料
 のパスを発行して、行き来自由にすればいい。富士山にしても、竹田城跡にしても、一
 律に入山料を徴収するのではなく、融通が効く制度を設計しればいいのです。
・日本を代表する「国立西洋美術館」「国立近代美術館」の一般入場料は5百円です。単
 純に比較して、ヨーロッパ諸国は日本の数倍の入場料を設定しています。日本の感覚で
 いえば、非常に高い入場料にもかかわらず、ヨーロッパの美術館は来館者たちを惹きつ
 けているのです。 
・美術館のオーバーキャパシティに対応するには、入場料だけでなく、予約システムによ
 る入場制限も必要です。
・日本の現状では、国立系博物館で何かの企画展がひとたび人気になれば、長い行列に悩
 まされることになります。「皆様、右にお並びください!」と拡声器で叫ぶ係員が「風
 物詩」ですが、やっと中に入ったと思ったら、人混みの中から作品を覗き見るしかない。
・「品質管理の日本」のはずが、皮肉にも美術館では管理が行き届いていないのです。
・「マネージマント」と「コントロール」とは、管理と制限をやみくもな強化のことでは
 ありません。それらをいかに「適切」に設計し、実行するかが肝要ということです。
・予約制度では、「すべての人たちが見られる」という機会は減ります。見ることができ
 ない人が出てしまうことは残念ではありますが、別の視点に立てば、それは「本当に見
 たい人が、ゆっくり見学できるようになる」ということです。 
・世界遺産となった岐阜県の白川郷には、受け入れ容量をはるかに上回る観光客が押し寄
 せ、さまざまなトラブルが生じています。これまでも整理券や外国人スタッフの配置と
 いった対策を講じましたが、それでも混乱が続いていました。そこで2019年より、
 冬季ライトアップイベントの際には完全予約制が導入され、予約がない人は入村できな
 くなっています。
・宮内庁が管理する京都の桂離宮や修学院離宮も名所ですが、これらは観光ブームが始ま
 る以前から事前申込み制を採用し、観光公害をまぬがれた成功例です。

交通・公共工事
・自家用車などの一般車両を一つの場所に集約し、そこから観光の目的に分散させる方式
 は「パーク&ライド」と呼ばれます。1970年代から世界の都市計画で採用されるよ
 うになり、すでに内外に多くの事例があります。日本では、国立公園となっている尾瀬
 がその一つです。
・尾瀬へは、群馬県側と福島県側からアクセスできますが、毎年5月から10月まで、マ
 イカーと二輪車が規制対象になっています。群馬県側と福島県側それぞれの駐車場まで
 は乗り合いバス、乗り合いタクシーで行き、尾瀬ヶ原や尾瀬沼など、国立公園に指定さ
 れた場所へは徒歩で向かうことになります。
・観光名所から遠いところに車やバスを停めさせると、不便さが増して、不満が噴出する
 イメージがあります。しかし実はその土地に、「商売」「生活」「景観」「文化」に関
 するメリットが生じるようになります。
 ・商売:町の活気が守られる。それが商売繁盛につながる。
 ・生活:町が交通渋滞や排気ガス汚染から守られる。
 ・景観:駐車場や大型バスの停留所を町中から遠ざけると、美観が守られる
 ・文化:古い町や遺跡の持つ価値を損なわずに、本来の文化的・歴史的環境を健全に維
     持できる。
・日本の観光が未だ車誘導型であるのに対し、世界の観光では「歩かせる」ことこそが、
 マネージマントの常識となっています。
・現在、日本国内の各地で起こっている観光公害は、町そのもののキャパシティを超える
 ことに起因するケースが多いという印象があります。そして町のオーバーキャパシティ
 とは、受け入れる車の量とダイレクトにつながっているのです。車社会仕様を脱して、
 都市に「歩く空間」を取り戻す動きも、世界では目立っています。
・「便利の神話」が根強い日本では、交通のオーバーキャパシティが問題になっても、行
 政がそれに触れることを怖がって、なかなか前向きな解決が示されません。商店主たち
 は「客が減る」、観光客は「名所まで歩かされるのはいやだ」と、こぞって反対します。
 しかし、そうした車中心の思考は、もはや世界の常識からはずれているのです。
・日本は基本的に「土建国家」です。観光に限らず、農業でも、スポーツでも、医療でも、
「国民のために何々を促進しよう」という機運が盛り上げれば、その議論が行きつく先は
「じゃあ道路を作ろう」と、話はいつの間にか公共工事に帰着していきます。
・これは日本という国が抱える構造的な問題です。欧米の先進国に比べ、日本では地域経
 済や雇用が公共工事に依存している割合が著しく高く、依存がもはや国そのものの仕組
 みになっているので、一朝一夕には解決が図れません。
・観光関連の工場工事依存の根本には、「道路や駐車場ができて便利になる→観光客が来
 る→地元が潤う→住民の生活がよくなる」という思い込みが強く残っています。 
・そもそも観光の場合、田園風景なり、風致空間なり、地域の美しい景観をその資源とし
 て活かすことが本来の目的としてあります。それなのに、やみくもに道路や駐車場を作
 ることによって、その景観を破壊してしまう。そこに大きな矛盾があります。
・特に災害の後になると、「安全」という名のもとに、驚くほど醜悪な構造物が建設され
 がちです。災害大国の日本では、安全と災害対策はもちろん重要な観点です。しかし、
 それが景観の軽視につながっている現状は考え直すべきこです。 
・景観への配慮をしながら土木工事をデザインすることは、現在の技術からすれば十分可
 能です。しかし残念なことに、日本では一向にそのような方向性が見られず、むしろ増
 悪さが強まっている印象すらあります。
・その現象の深層には、第二次大戦後、焦土と化した国土を前に、日本人の中に根付いた
 心理が重く横たわっているように感じられます。当時の人たちにとって、焼け跡の光景
 はあまりに悲しく苦しくて、そこからの復興の経験は言葉に表せないほど強烈だったは
 ずです。その過程の中で、国民全般に「醜悪なもの=頑丈」、「ジグザグのコンクリー
 ト=先端技術」、「自然破壊=安全保障」といった結びつきが埋め込まれてしまったの
 ではないでしょうか。
・そのメンタリティは、成熟した経済大国になった後も、弱まるがなく、むしろより強固
 な方向に向かいました。東日本大震災の後に、東北の沿岸部に築かれたコンクリートの
 防潮堤は極端な例ですが、「災害建築ラッシュ」の結果、景観に計り知れない打撃を与
 えている例はほかにもたくさんあります。
・さらに日本には「観光立国」の題目の下で、景観にダメージを与える建設が無数に存在
 します。たとえば駐車場、高速道路、アクセス道路、コンクリート歩道、橋、護岸工事、
 ガードレール、大型看板、そして大規模な「道の駅」など、「観光促進」が決まるや否
 や、それらの建設が始まります。
・町中や農村に点在する、自分だけがひそかに愛していた風光明媚な場所、そこを久しぶ
 りに訪れたら、景観に似合わない巨大な建造物ができていて呆然とした、という経験を
 した人は、この日本にはさぞ多いことでしょう。
・公共工事に税金を投入すること自体は、決して悪いことではありません。雇用の受け皿
 として公共工事が果たしている役割は小さくありませんし、むしろ、公共工事はなくて
 はいけない、増やしてもいいくくらいです。ただし、その中身については、まさに再検
 討すべき時期を迎えているのも事実です。
・たとえば視点を「建設」から「景観」に移してみると、古くなった工場などの撤去、景
 観を台無しにしている看板の撤去、電線の埋設など、やるべき公共工事がたくさんある
 ことに気づきます。
・都会の景観向上の観点では、市町村レベルで扱う公園の整備、街路樹の手入れ、看板の
 整理などがあり、自然景観の観点からは、国立公園内の高圧鉄塔の移動や、使い古した
 ダムの取り壊しなどがあります。
・肝心なことは、それらの工事に「景観保護」、あるいはすでに傷つけられている場所の
 「景観回復」の観点を、十分に反映させることです。 
・山間の宿に来てくれるお客さんは、くねくねした道路を車で走ること自体に旅のロマン
 を感じています。それなのに町からバイパスで一直線に来てしまったら、「秘境」を訪
 れる感動は半減してしまうことでしょう。
・便利さを求めることは、安全にもつながることで、その必要性は否定しません。しかし、
 その前提である景観を壊す道路や駐車場、ハコモノの建設は本末転倒です。地域観光に
 とって一番大切な資源とは、素朴で美しい風景です。その風景の中に、やみくもに道路
 を通し、さらにその工事に伴なって山と川にコンクリートを敷き詰めることは、やはり
 観光公害にほかなりません。
・公共工事を次のステージへ押し上げるには、人々の意識改革が欠かせません。「公共工
 事」の定義について、コンクリートを使った道路や護岸、ハコモノ建設といったこれま
 での認識から離れ、電線埋設や不用なダムの撤去、そして古い町並みや古民家の再生に
 まで広げることが必要です。
・「不便はすなわち悪」、あるいは「醜悪な建造物を見ても何も感じない」といった意識
 が強いままでは、国にどんな観光資源に恵まれた場所があろうとも、真の観光立国に結
 びつきません。
・残念ながら日本では、「公共工事」という名称のもとで、なし崩し的に行われる景観破
 壊が多発しています。公共工事がもたらす不条理ともいえる負の循環に気づき、それを
 直さなければ、観光「立国」のはずが、いつしか観光「亡国」へ転じていくことでしょ
 う。

マナー
・「観光公害」以前に、実はもう一つの公害が長いこと存在しています。それが「看板公
 害」です。
・名所や町にあふれる看板は、観光にも文化にも間違いなくダメージを与えています。
・観光名所を訪ねると、「入口はこちら」「重要文化財」「順路はことら」「トイレはあちら」
「土足厳禁」「禁煙」「火気厳禁」「撮影禁止」「ガラスに触るな」「売店はこちら」「駐車場
はこちら」と、最初から最後まで、際限なく看板に迎えられます。
・町中はいわずもがなで、通りを歩けば、店や商品の宣伝看板の洪水。聖域から俗域まで、
 都会から田舎まで、いたるところ看板だらけで、それが景観への大きな阻碍要因になっ
 ているのです。 
・でも今一度、考えていただきたい。果たしてそれらの看板や禁止マークは、本当に必要
 なものでしょうか。それだけでマナーは向上するのでしょうか。
・今や世界中の町が観光客であふれる時代になりましたが、それでも観光において先行し
 ている欧米では、町や文化的な空間が、看板にあふれる事態にはなっていません。
・看板公害への対応策は、以下の3点に集約できます。
 ・看板の数を減らす
 ・看板の位置を検討する
 ・デザインに配慮する
・看板の数を減らすために重複、繰り返しはやめる。看板の位置は、建物や仏像の真ん前
 ではなく、少し横にずらす。いずれも簡単な工夫です。  
・看板のデザインは、その建物、空間、背景に合った素材を使い、それらの邪魔をしない
 ことを念頭に置く。そのようなルールを、それぞれ守ればいいだけの話なのです。
・名所や社寺の看板の中で、最もポピュラーな文言が「撮影禁止」です。
・日本のお寺や美術館の中には、「写真を撮らせないこと」に命を懸けているようなとこ
 ろがあります。その姿勢は、看板や張り紙だらけの光景と深層の部分でつながっていま
 す。
・一方で世界に目を向ければ、グローバル観光時代の現代、多くの美術館、博物館で「撮
 影解禁」が主流になっています。 
・念のため補足しておきますが、ここで私がいう写真とはスナップ撮影のことで、フラッ
 シュや大げさな機材を使わない撮影のことです。フラッシュは対象物の劣化を招きます
 ので、使用禁止であることはもはや常識です。 
・写真撮影を解禁している美術館や寺院は、写真を撮ることが来館者の勉強になることを
 理解しています。誰かが写真をネットにあげたとしても、それが自分たちの持っている
 宝物の発信になるととらえています。 
・対して日本では、お寺でも美術館でも「秘仏精神」が第一とされ、それによって、日本
 の文化が国内にも海外にも発信されない事態につながっています。それではたして、禅
 寺に残る襖絵のすばらしさが広く認識されているかというと、現実はその反対です。
・今では、インターネットで検索して見つからないものは、「ない」もおとみなされます。
 そのような状況に中で、襖絵も世界から見れば残念なことに、もはや「ない」に等しい
 存在となっています。  
・「秘仏精神」に関しては、時々滑稽なケースも見かけます。たとえば京都の世界遺産、
 二条城では、保存のためにオリジナルの襖絵は取り外して収蔵庫に収め、元の場所には
 複製したものを設置しています。それでも「撮影禁止」は相変わらずで、そのための看
 板が設置され、さらに監視員まで配置されています。 
・看板公害とは、インバウンドが急増する以前から、日本の観光名所に長く存在してきた
 問題でした。最近では、世界各国から観光客を日本にお迎えしましょう、という背景も
 あり、英語、中国語、韓国語、フランス語、スペイン語、アラビア語と、看板に記され
 る言語にもキリがない状況にあります。国際的な観光機運の中で、多言語表示は、基本
 的には良いことではあります。ただし日本の場合、インバウンド増加を呼び水に、もと
 もと過剰な看板が多言語化して、2倍、3倍と増えていく事態を招きかねません。 
・さらに気をつけるべきは、観光名所や商業施設などで、マナー喚起のアナウンスを多言
 語でエンドレスに流す動きです。看板は目をそらせば見なくてすみますが、耳を直撃す
 るアナウンスからは逃れられず、それは精神的なストレスになります。アナウンスにも
 適切なやり方を取り入れなければ「視覚汚染」のみならず「聴覚汚染」も広がってしま
 います。 
・言語に限っていえば、日本語と英語、もしどうしても必要なら中国語という3か国語で
 事足ります。 
・京都と言えば祇園、祇園といえば花見小路ですが、近年はそこに「パパラッチ観光客」
 が大挙して押しかける事態になっています。日暮れ時に花見小路に行ったとき、お座敷
 の出る芸妓さんと舞妓さんを観光客が取り巻き、顔先にスマホを向けて、バシャバシャ
 と写真を撮っている光景に出くわしたことがあります。あまりのマナー違反に、思わず
 眉をひそめましたが、聞けばそのような光景がむしろ常態化しているといいます。
・祇園ではパパラッチだけでなく、スナック菓子を食べたその手で舞妓さんの着物にさわ
 る、着物を引っ張って破く、袖にタバコを入れる、といった悪質な行為も報告されてい
 ます。舞妓さんはおこぼを履いているので、着物の袖を引っ張られたりすると転ぶ恐れ
 もあり、あぶないのです。
・フィレンツェでは、サンタ・クローチェ聖堂など世界遺産の周囲で飲食する観光客が問
 題になりました。ミケランジェロやガリレオが眠る聖堂の前に、食べ残しのゴミが散ら
 かる事態に対応して、フィレンツェ市はランチの時間帯に階段や建物の周囲に水を撒い
 て、人が座れないような強行作戦に出ました。
・タイのチェンライにあるホワイト・テンプルは、敷地中が白で統一された奇妙な味わい
 の観光名所ですが、ここにも近年は観光客が大型バスで押しかけて、さまざまなトラブ
 ルを起こすようになりました。たとえば中国人女性が使用後にトイレを流さず、トイレ
 ットペーパーの塊を便器の中に捨て、係員が注意してけれど、無視して去ってしまった。
 
文化
・伝統文化を守っていくには、とるべき選択肢が二つあります。一つは、昔の様式やしき
 たりを、そのまま守っていくやり方を選ぶことです。ただ、昔のままに伝えていくやり
 方は、時に文化を化石化させ、今を生きる人たちにとって無意味なものにしてしまう恐
 れがあります。それは、生きているようで、実は生きていない文化の「ゾンビ化」とも
 いえます。
・もう一つが、核心をしっかりと押さえながら、時代に合わせて姿・形を柔軟に変化させ
 ていく方法です。これは文化の健全な継承の形ですが、核心への理解がなければ、本質
 とは異なるモンスターを生む方向へと進んでしまう恐れがあります。
・日本で稚拙化が引き起こされる原因は、インバウンドの増加だけではありません。たと
 えば国や地方自治体、公共機関などが作る「マスコットキャラ」や「ゆるキャラ」。熊
 本県の「くまモン」の大成功が典型例ですが、今や日本全国どこへ行っても、キャラク
 ターの笑顔で迎えられます。これはインバウンド向けというより、日本人を対象にした
 観光業の副産物といえるでしょう。
・「ゆるキャラ」は駅前や商店街、遊園地といった繁華街で出会えば、にぎやかで楽しい
 し、効果もあるかと思います。しかし、歴史的寺院の山門や神聖な神社の鳥居の前、境
 内、美術品の横まで「ゆるキャラ」を持ってくるとなれば、稚拙化に歯止めがきかなく
 なります。
・日本での文化の稚拙化は、世界遺産に登録された場所でも、見受けられるようになって
 います。
・文化財を管理している人たちには、「保存」と「維持」だけではなく、次世代の日本人
 と訪日外国人に、日本文化の真髄を伝える義務があります。予備知識のない観光客だか
 らこそ、質の高いものを見てもらい、その「目」を底上げする努力が必要です。
・商店街が観光化されることで、それまでの町とは関係ない業者や商品が入ってきて、そ
 の地域全体の文化や個性が消えてしまうことは、世界的な問題となっています。
・最近のヨーロッパや東南アジアでは、ユネスコの世界遺産登録を受けて、観光業で汚染
 された場所を「ユネスコサイド」という言い回しで表現するようになっています。
・世界遺産に登録されて世界中から観光客が集まるようになった後に、的確なコントロー
 ルを怠れば、途端に観光客目当てのゲストハウス、ホテル、店が立ち並ぶようになりま
 す。そうなると、昔からある景観や文化的環境が薄れてしまいます。そして、観光スポ
 ットだけでなく、住民が大切にしてきた場所まで、ネガティブに発信されてしまいかね
 ません。 
・ユネスコサイドの流れは4段階を踏んで進みます。
 1、世界遺産に登録される、あるいは登録運動が起こる
 2、観光客が押し寄せて遺産をゆっくり味わえなくなる
 3、周囲に店や宿泊施設が乱立して景観がダメになる
 4、登録地の本来の価値が変質する
・日本では、ユネスコによる世界遺産登録を、地方を蘇らせるための「万能の妙薬」のご
 とく、とにかくありがたがる風潮があります。しかし実際は、ユネスコによる世界遺産
 登録がうわさされただけで、人々が押し寄せ、管理が行き届かなくなる事態が生まれて
 おり、さらにはそうした人たちが一気に増えたり減ったりすることで、地域がダメージ
 を被る、という問題まで起きているのです。 
・群馬にある世界遺産に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、世界遺産に登録さ
 れた2014年は年間134万人近くもの来場者がありましたが、2年後はそこから4
 割減少し、2017年にはついに半数以下に落ち込んでしまっています。
・人口約5万人の富岡市にとって、富岡製糸場が持つ観光的な価値は財政面でも 地域維
 持の面でも大変重要です。一方で世界遺産登録を維持するため、その修復・管理にかか
 る費用はこの先10年で100億円にも上るとされています。それなのに、その原資と
 なる入場者数が下降線を描いていることで、目算が大きく狂い始めているのです。
・世界遺産への登録が、本当の意味で観光振興につながるのか。そこを詰めないまま、
 「世界遺産登録=観光客誘致の切り札」と短絡させるだけでは、物見遊山にやってきて、
 「失望した」と文句を拡散する人を増やすだけです。  
・人口減少が進む日本、とりわけ地方の町や村は、観光という起爆剤を持ち込まないと、
 やがて経済が回らなくなり、消滅への道をたどってしまいかねません。町の消滅は、同
 時に文化と歴史の消滅を意味します。

理念
・国際情勢の変化、政治の変化、テクノロジーの変化、価値観の変化と、日本にも変化の
 大波が押し寄せているのに、政治や行政をはじめ、企業でも教育機関でも、個人の意識
 にしても、最新の変化に対応する動きは遅く、時代に追いついていません。その最たる
 分野の一つとして、観光があります。
・日本の観光業では、前世期の高度経済成長期の「量の観光」が、いまだに根を張ってお
 り、今の時代に通用する「質の観光」については浅い理解になっている。たとえば、奄
 美大島への大型クルーズ船誘致計画は、その典型的な事例の一つです。
・観光地としての基盤が何もない町に、一気に7千人の観光客が上陸することになったら、
 いったいどうなるか。 
・候補地には、それに対応できる道路はない、駐車場はない、公共のトイレはない、とい
 う何もない状態ですから、受け入れの際には、ここぞとばかりに、お決まりの大がかり
 な公共工事が発生するのでしょう。 
・クルーズ船の客をあてこんで、大規模なショッピングモールができる。そこには、ファ
 ッションブランドのアウトレット、宝石や化粧品のディスカウント店、ファーストフー
 ドが並ぶフードコートが入る。世界各国でお目にかかる「あの眺め」です。
・そもそも大人数を1カ所に集め、買い物をさせて利益を上げることが主眼で、観光は買
 い物ブラス・アルファぐらいのもの。しかも人々が買い物で消費したお金は、ショッピ
 ングセンターの運営者を経由して、別の土地や国に流れていきます。  
・ゼロドルツアーは、この数年、特にタイを中心とした東南アジアに蔓延している悪質な
 観光スキームです。このゼロドルツアーこそは、もう一つの大きな「観光亡国」的な課
 題です。
・ゼロドルツアーの仕組みを簡単に説明しますと、中国などの旅行業者が、タダもしくは
 タダに近い激安料金のツアーを組んで、お客を大量にタイやバリ島に送り込みます。現
 地では、ほぼ強制的に宝石店などでの買い物が組み込まれ、お客はそこで町の相場とは
 かけ離れた、高い買い物をさせられます。宿泊は中国資本のホテルで、ガイドは中国人、
 バスも中国の業者と提携している会社、店の経営者も、もちろん中国人。それらの事業
 者の売り上げは、ほとんど現地に落ちることなく、中国に流れるようになっています。
 とりわけ最近は、買い物には「アリペイ」という中国の携帯電話経由の決済システムを
 使いますから、お金は直接中国に入って、現地の税金逃れにもなるし、マネーロンダリ
 ングにもつながっています。
・この話はまさに、奄美大島の大型クルーズ問題の根っこにあるものです。これまでに伝
 わっていた話では、アメリカの大手クルーズ会社がその筆頭となっていますが、外国籍
 のクルーズ船で中国人観光客を大量に島に連れてきて、乗客用に作ったショッピングセ
 ンターで買い物をさせる。施設事業者がアメリカや中国系をはじめ、外資系企業なら、
 利益は日本にではなく、よその国に流れます。乗客はクルーズ船内に泊まり、現地に泊
 まるわけではありません。そのため迎い入れる寄港地が、観光関連の収入で潤う機会が
 少ない。むしろ、税金を使って諸設備を整備した分、赤字になる恐れもあります。まさ
 にゼロドルツアーと酷似しています。
・大型クルーズ船は、宿泊も食事もエンターテインメントもショッピングも、何もかもそ
 の船の中で完結します。もし寄港地に上陸する観光ツアーを組んだとしても、その料金
 は、基本的に運営企業に行く仕組みになっている。
・ある調査によると、クルーズ船の乗客が消費するお金の56%はクルーズ船に還流する
 といわれている。一度に大量の乗客を送り込んでくる大型クルーズ船が、寄港地にとっ
 て、すばらしい消費喚起になるかといえば、実態はそうでもないのです。
・ヴェネツィアでも一時、大型クルーズ船の寄港による観光過剰が起こりました。そこで
 ヴェネツィア市が計算したところ、水、光熱インフラをはじめ、市がクルーズ船に与え
 る公共的サービスのコストの方が、寄港から得られるお金より上回っているおとが分か
 りました。    
・日本では寄港地の候補になると、足元で典型的な公共工事が発生するので、その点で推
 進したいと考える人が必ず出てきます。
・「公共工事バンザイ」という構図は、日本のいたるところで見られる、根深い問題です。
・津波の来るような場所に原子力発電所を作り、東日本大震災で教訓を得たかと思えば、
 その結果が「津波をブロックする」という名目で海岸線に巨大なコンクリートの防潮堤
 を建設することなのですから、何といっていいのか・・・。
・日本の場合、「規制さえ守ればあとは何をやってもいい」という一種のアリバイ基準に
 なっています。だから古くから町並みが残る界隈に、建蔽率と容積率をきちんと守った、
 真新しく、ピカピカなビジネスホテルが突然現われる。それで町並み全体が一気に安っ
 ぽく変って、価値を下げてしまいがちです。
・役人や企業の担当者が好む観光分析は、相変わらず「数」重点が置かれたものです。こ
 の町に観光客が5万人きました。目標の10万人を達成しました。来年は100万人を
 目標にします。などと、数を成功の指標としてしまう。
・大勢の観光客が来てくれたほうがお金を使ってもらう機会も増えるはずだし望ましいと
 なりそうですが、意外とそうではないのです。
・大型バスやクルーズ船は、短時間の滞在で次から次へと名所を回るモデルです。たとえ
 ば、岐阜県の世界遺産、白川郷をバスで訪れる観光客の平均滞在時間は40分ほどと聞
 いたことがあります。バスを降りた人が何をするかといえば、トイレを使って、駐車場
 の自販機で130円ほどの飲み物を買って、ゴミを捨て、インスタグラムにアップする
 ための景色の写真を撮って・・・とそのぐらい。つまり100円単位の客単価を得るた
 めに、町は大型駐車場を整備し、水回りなども用意しなければならない。これでは行政
 としての収支はマイナスの可能性があります。このやり方では、観光客が来たとしても、
 利益は駐車場の持ち主以外には還元されないですから。
・残念ながら大型観光に「観光コミュニティ」の精神はありません。写真を撮って帰る。
 そこには土地に対する愛情もなければ理解もない。受け入れる地域にしたって、そこか
 ら外部に発信できることは乏しいものです。
・日本では、とりわけ過疎化が進む田舎には、心をわしづかみにされたりする眺めがあり
 ます。たとえば豪雪地帯として知られる秋田県羽後町には、すばらしい景色が残ってい
 ます。「過疎」の一言で片づけられてしまいそうな小さな町ですが、ここには古くから
 伝わる茅葺き民家が数十棟も残っています。知名度がないゆえ、観光汚染にもいまだ無
 縁で、峠から眺めた繊細な田園風景は、海外の数々の名所に匹敵するものです。
・日本では観光振興というと、景観の保全ではなく、道路、大型バス用の駐車場、「何々
 物産館」といったハコモノ建設に行き着いていきます。観光振興のゴールが公共工事。
 さらにオーバーツーリズムによって汚くなった国土や混雑した町の眺めを見た人たちは、
 旅行を楽しんだとしても、どこか心の中に日本を尊敬しない気持ちを持ち続けることで
 しょう。 
・日本に必要な公共工事は、ふんだんにあります。たとえば電線の埋設が実現すれば、景
 観は劇的に向上します。高度経済成長期に護岸整備の名目で海岸線や川に流し込んだ大
 量のコンクリートも、今はエコの時代ですし、不必要な場所については、それをはがす
 工事をしてはかがでしょうか。
・日本の山奥にひっそりした土地には、すばらしい景観や文化が残り、人々が代々受け継
 いできたお祭りや食文化が息づいています。それらこそ、世界からの観光を惹きつける
 大きな魅力です。そのことに気づき、まず誇りを取り戻さなければなりません。

おわりに
・現在の日本では高齢化と少子化に伴う人口減少、地域の過疎化、空き家問題、経済停滞
 といった社会課題が山積しています。その状況の中で観光とは、地方はもちろん都会も
 含めて、日本という国を救う可能性を持つ一大産業です。 
・日本の現状は、都市も地方も中央集権的な類型が目につきます。たとえば民泊新法など、
 融通の利かない法律を、全国一律にかけてしまう。離島や小村に、大型クルーズ船や大
 型バスによる大量観光を誘導する。景観の美しい地方の町に、超高層タワーを建設する。
 どれも、底に流れるのは前世期の工業型社会の価値観であり、クリエティブな思考と多
 様性に欠けています。いつまでもそれを続けていては、観光産業お土台はますます脆弱
 なものになり、観光だけではなく国全体まで先細りしてしまいます。
・観光の分野では「放っておいたことによって起こった」事例がたくさんあります。たと
 えば市場の場合、そこに来る観光客が増えると、食べ歩き用のスナックやソフトクリー
 ム、チープな土産物を売る店が増え、逆に伝統的な食品を売る店が減るという現象が、
 世界中どこでも、必ずといっていいほど起こります。 
・これは観光に宿る「慣性」であり、エントロピーの法則です。秩序が無秩序に変わって
 いく前に適切な対策を講じなければ、伝統的な市場や商店街はやがて、つまらない観光
 通りへと転じていきます。
・あるいは世界遺産に登録された場所に、一過性の観光客が一気に押し寄せることもそう
 です。それらが地域や町にカオスをもたらすことは、もはや「予想されなかった」現象
 ではありません。
・日本にはもう一つ、特有の危ない「慣性」があります。道路工事などの公共工事です。
 その多くは、事業が地域に与える影響が正しく評価される以前に、慢性的に進められて
 いるものです。インバウンド促進の名のもとで発生する「慣性」は、道路の拡張や大型
 駐車場、歓迎ホールや資料館の建設など、新たな公共工事ラッシュを呼び、それらは日
 本の国土と景観に打撃を与えます。この原理は、あまりに根深く国のシステムの中に組
 み込まれており、観光というテーマにおいてすら、多大な影響を及ぼしています。
・伝統的な商店街を守るためには、観光客が増え始めた初期の段階で、商店街のオーナー
 たちや行政が対応策を打ち出さなければいけません。公共工事による景観への打撃を抑
 えるためには、役所の人も一般市民も、それが本当に必要な工事なのか、チェックしな
 ければなりません。 
・今のうちにマネージマントの視点を定め、コントロール技術を高めていかないと、観光
 公害、観光汚染は悪化し、ひいてはもっとも大事な資産である日本という国の魅力を失
 う事態になりかねません。