事故調査  :柳田邦男

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この本は、今から23年前の1994年に出版されたものである。当時、事故調査に関心
があり購入したのだが、ボリュームのある本であり、途中まで読んだものの、当時は仕事
に忙殺されていた時期であり、いつかは読了したいと思いつつ、そのまま本棚の奥で埃ま
みれのままとなっていた。20年以上の歳月を経て、日常に時間的余裕ができた今日、や
っと読了することができ、長年の思いを果たすことができた。
なにしろ、20年以上前に書かれた本なので、内容的にはもうかなり古い事故の内容とな
っている。しかし、事故の多くは、思いもよらなかった想定外のことが原因で起こるもの
であること。そして、その事故原因については、直接の原因の他に、その原因となった背
景についても調査しないと、本当の原因を調査したことにはならないことなど、事故調査
についての基本的なあり方について、わかりやすく解説しており、事故を起こさないため
には、どういうことに気を付けたらいいのかを考える上で、非常に参考になる。
この本では、原発事故、宇宙開発事故、航空機事故、鉄道事故、医療事故など、過去に起
きた事故など多岐にわたって取り上げ、その事故の調査について分析している。ボリュー
ムがありすぎるため、私の特に関心を持った事故について、それぞれの分野ごとにまとめ
て整理してみたのが、下記の読書記録である。
現代社会において、安全を保つことが、いかに難しいのか。自分が今日まで、大きな事故
に遭わず、大きな事故を起こさずに生きてこれたのは、ほんとうに幸運だったと、改めて
考えさせられた。

1986年に起きた、スペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故は、ほんとうにショ
ッキングな事故であった。世界中の人々が、テレビ中継されている画面を通して注目する
中で、打ち上げ後の人々の歓声の中を宇宙に向かって上昇中に、突然爆発してしまったの
である。最初は、何が起きたのかわからなかった。テレビ中継を解説していたアナウンサ
ーも、しばらく声を発することができなかった。こんなことはだれも想像もしていなかっ
た。もちろん、スペースシャトルに搭乗していた宇宙飛行士たちの命は絶望的だったこと
は、だれもが予想できた。
後の事故調査でわかったことは、原因はNASAの打ち上げ責任者の判断ミスだった。本
来、打ち上げを中止しなければならない状態だったのに、無理に打ち上げの「ゴー」を出
してしまったのだ。どうしてそのような判断ミスをしてしまったのか。その背景には、国
家としての、組織としての「メンツ」がからんでいたことだった。
このような「メンツ」がからんでの判断ミスは、なにもこのスペースシャトル・チェレン
ジャーの事故ばかりではない。我々の社会の至るところに潜んでいる。日本が先の大戦で、
無謀な戦争に突っ走ったのもこの「メンツ」であったし、その戦争をいつまでも止める判
断ができなかったのもこの「メンツ」だった。
最近、日本と韓国との関係が、戦後最悪といわれるまでに悪化しているが、これだって、
やはり双方の政府の「メンツ」から生じている。双方の政府が自分の「メンツ」にこだわ
るあまり、引くに引けなくなってしまっているのだ。冷静に考えれば、これは非常なバカ
げたことなのだが、もはやその冷静さを取り戻すことができないまでに熱くなってしまっ
た。
これはなにも国家や組織だけの問題ではない。我々個人の日常生活の中でもよく起きるこ
とだ。自分の「メンツをつぶされた」とか、「メンツがたたない」とかで、正常な判断が
できない場合が起こる。この「メンツ」というのは、非常にやっかいな代物なのだ。

この本を読んでいる間に、仙台発東京行きの東北新幹線「はやぶさ」が、時速280km
で走行中にドアが開き、緊急停止するという事故が発生した。幸いにも乗客にケガをした
人はいなかったようだ。原因は、東京から来た新幹線車両を仙台駅で清掃した際、手動で
ドアを開けられる状態にするノブを、自動側に戻すのを清掃員が忘れたことだったようだ。
これも直接の原因は「戻し忘れ」という人間のミスであるのだが、しかし、そういうミス
が起こるということは、当然予想されることである。ノブが手動側のままであったら、運
転台に警報が出て、発車できないような設計にしておくのが当然だったような気がする。
これは現場での清掃員の操作ミスもさることながら、車両の設計ミスとも考えられるよう
な気がする。清掃員の戻し忘れは、当然予想されることであるが、高度に安全性を追求し
て造られたはずの新幹線が、そんなミスに対して何の対策も取られていなかったという事
実のほうが想定外であったといえるだろう。

この本で取り上げられた福島県いわき市の総合病院で発生した、患者を取り違えてしまう
という医療事故も、時々あるようだ。この医療事故では、患者を診療室に呼ぶときに、患
者の姓だけで呼び、氏名をしっかり確認しなかったために、同姓の患者と取り違えてしま
ったものだ。初歩的なミスと言えばそれまでだが、この患者を姓だけで診察室に呼ぶとい
うのは、小さな開業医院などでは今でもよく行われている。もっとも、小さな病院では、
それでもこのような取り違いが起こることはまずないであろうが。
私が昨年、大腸ポリープ切除手術を行った総合病院では、さすがにこのような患者を姓だ
けで呼ぶということはなく、必ず「氏名」に「生年月日の月日」をプラスして呼ぶように
なっていた。診察や治療を始める前にも、医師は必ず氏名を確認していた。
しかし、それでも、最近、この総合病院で取り違え事故が発生した。取り違えといっても、
生きている患者ではなく、すでに死亡した遺体を別の遺体と取り違えて病理解剖してしま
ったのだ。原因は、いままでは患者が死亡した場合に、死亡後に患者識別用のタグを外し
ていたことにあった。今まではそれでも問題はなかったようだが、この解剖の当日は、解
剖を予定していた遺体が、2遺体あったようだ。2遺体を同じ日に解剖するというような
ことは、いままでなかったという。今後は、患者の死亡後も患者識別用のタグは、外さな
いようにするとのことだった。
ほんとに、事故というものは、いくら注意をはらっていても、めったにない事態が生じる
と、想定外の事故を誘因してしまうことを改めて感じる。医療側は言うまでもないが、我
々患者側も、このような取り違いの可能性があることをじゅうぶん認識して、医療行為を
受ける際には、氏名確認がしっかり行われたことを確認する必要がありそうだ。

近年、自動車に自動運転技術の導入が盛んになってきたが、これも将来、事故につながる
要因になるのではないかとの心配がある。自動運転の導入が進み、それが一般的になって
くると、運転者はその自動運転術を過信しがちになってくる。しかし、どんなに自動化さ
れても、それを人間が設計・製造している以上、いかなる事態においても完璧であるとい
うことはない。どうしても自動運転止めて、手動に切り替えなければならない時も生じる
だろう。その時、自動運転に慣れてしまった人間が、果たして問題なく安全に運転をする
ことができるだろうか。このことは、完全自動運転化の前の運転支援機能段階でも起こり
える。車の前に人や物があったら、自動ブレーキが作動し安全に止まるという機能を過信
していると、どんでもない事故を起こしてしまう可能性がある。私は個人的には、そんな
自動ブレーキなどの運転支援機能がないと運転があぶない状態になったら、さっさと運転
免許証は返納してしまうべきだと考える。

【航空機事故】
イースタン航空 ボーイング727墜落事故
・1975年6月、ニューヨークのケネディ空港に着陸しようとしていたイースタン航空
 のボーイング727が、滑走路の手前で雷雨にともなう激しい下降気流に遭遇して高度
 を失い、墜落炎上した。
・これは、当時まだ未知であったダウンバーストという異常な気象現象によるもので、必
 ずしもパイロットのエラーとはいえなかった。
・ただ、イースタン航空機はそういう悪気象を避けられなかったのかという観点から見る
 と、パイロットの判断に問題がないわけではなかった。
・このイースタン航空機の直前に進入降下していた同じ会社の別の便が、あまりの気流の
 悪さに着陸を断念して、ゴーアランド(着陸復航)をしていた。これに対し、墜落した
 機の機長は、着陸復航した先行機の交信を聞いて副操縦士に、「あいつはバカだな。あ
 の連中、自分で責任をとるのかな」と話していのたが、ボイスレコーダーに記録されて
 いたのである。この機長は、おれならうまく着陸してみせると考えたのであろう。そし
 て、あえて「ゴー」の考え方をした背景には、燃料節約という会社の要請や機長の腕前
 という「メンツ」の意識があったに違いない。
・かつて日本航空社長だった松尾静磨氏が、「臆病者といわれる勇気を持て」といったこ
 とがある。「ノーゴー」の判断をすると、スケジュールが遅れるため、非難されたり嘲
 笑されたりすることさえある。

KLMオランダ航空ジャンボ機衝突炎上事故
・1977年3月発生
・KLMオランダ航空のジャンボ機が、管制承認を受けずに離陸滑走を開始し、滑走路か
 ら待避が遅れていたパンナムのジャンボ機と衝突し、両機とも大破炎上、航空史上最大
 の583人の犠牲者を出した。

カナダ航空DC9の事故
・1979年に発生
・飛行中に後部隔壁破壊によりテイルコーン(胴体尾部の最先端部)が分離し、聞き一髪
 のところで生還した。
・このクラックが発生したのは、当機製造時の隔壁部組み立て時に生じたひっかき傷が起
 因であった。

日本航空ジャンボ機墜落事故
・1985年8月12日発生
・客室の後部圧力隔壁が修理ミスに起因する亀裂の進行によって破裂し、噴出した与圧空
 気の衝撃で、尾部に集中していた油圧パイプ四系統全部が切断されてしまい、操縦不能
 に陥り墜落。
・1978年の大阪空港における尻もち事故で損傷した機体後部を修理した際に、隔壁の
 下半分を新しく取り換えたが、上半分と下半分の接合部分の工事が、当て金を指定通り
 に渡していなかった。リベットを縁すれすれのところに斜めに打っていたといったひど
 いものだった。
・このため、いくつものリベットのところからひび割れが生じ、それが金属疲労によって
 拡大して、ついに隔壁が破れるところまでいってしまった。
・圧力隔壁が大坂で破損したとき、ボーイング社が修理チームを日本に派遣してきました。
 そのとき、経済性を考えて、大きい椀状の圧力隔壁を全部取り替えるのはもったいない
 から、下半分だけにしようということで、下半分を取りのけて、そこだけ新しいものに
 交換したのですが、そこでとんでもない問題が生じたのです。
・1978年当時、アメリカでは現場作業員の品質管理が非常に低下していたといわれた
 時代です。それは航空機だけではなく、自動車産業などいろいろな産業における、品質
 管理の低下という問題がいわれていた時代。アメリカ病などという言葉も出ていました。
・この日航ジャンボ機の場合も、修理作業における継ぎ目の板のあて方からリベットの打
 ち方まで、ものすぎくずさんなものだった。しかし、ボーイング社がこれで修理はOK
 ですといって、日本航空に引き渡すと、日本航空側は、ボーイング社が歴史的に持って
 いた安全性というものに対する信頼感から、念のため検査するとか、大丈夫かなという
 警戒心を抱くことなく、一通りの領収検査で大丈夫だろうということになってしまった。
・問題の圧力隔壁の修理ミス部分にクラックが生じ、それが7年間にわたって離発着を繰
 り返すうちに、いわゆる金属疲労によりわずかずつ広がって、ついに隔壁が客室内の与
 圧に耐えられるだけの強度を失って破壊されたことは、金属の破断面の精密検査から明
 らかにされている。  
・ところが、隔壁の破裂孔から空気が吹き出したにしても、なぜ尾翼や油圧系統までがあ
 のように破壊され、操縦不能という事態をもたらしたのかを、ほんとうに実証的に解明
 するには、様々な実験やコンピュータ解析などを行なわなければならず、大変が手間が
 かかる。 
・事故機の垂直安定板(垂直尾翼)が空中で破壊されて、一部は相模湾で回収された。
・少なくとも圧力隔壁が一瞬にして破壊された可能性が強いことは、生存者の証言などか
 ら判明しつつあった。
・この事故の7,8年前に香港の空港で似たような事故があったとの情報がよせられた。
 ボーイング737が滑走路端のスタート地点の脇の誘導路で待機中に、突然尾部でボー
 ンと爆発音をした。離陸をキャンセルして、整備員に調べてもらったところ、ラダーと
 エレベーター・トリムタブが破損、圧力隔壁)にひびが入っていた。まだ地上だったの
 で、客室側の与圧と外気圧との差がなく、圧力隔壁の破裂は免れたのではないかと考え
 られる。原因を調べた結果、漏れていたAPU(補助動力装置)の燃料が気化し、その
 気化ガスが爆発したということだった。APUの燃料バルブにひびが入って、燃料が漏
 れていたらしい。圧力隔壁は客室内あらの圧力に対しては強いようだが、外側からの衝
 撃に対しては弱いようで、爆発によって圧力隔壁外板はリベットが抜けて、はがれてい
 たという。
・事故機が伊豆半島南部の河津町上空に差しかかったときに発した爆発音である。河津町
 付近には、上空で大きな爆発音がしたのを聞いたという人が、何人もいる。びっくりす
 るほど大きな音だったという人もいる。圧力隔壁が破れて垂直尾翼が破壊されたときに
 発生した音である可能性は十分にあるが、気化爆発による垂直尾翼の破壊なら、「大き
 な爆発音」の説明としてはより一層自然であろう。
・この事故の調査は、結局修理ミスの真相を明らかにできないまま終わってしまった。

日本航空441便 航空路逸脱事件
・1985年10月31日 成田発モスクワ経由パリ行きの日本航空441便が、日本海
 を北上中、航法を誤って航空路を約110キロも逸脱し、サハリンに近づいた事件であ
 る。
・アメリカの航空専門家たちの話では、今回の日航機の航空路逸脱飛行は、異常なもので
 はなく、似たような航法ミスは過去何年にもわたって数多く記録されているという。
・日航機と二年前に起きた大韓航空機の運命を分けた違いの一つは、日航機の乗員はほど
 なく自分たちのミスを発見したということである。大韓航空機の乗員たちが五時間半に
 もわかる飛行を通じて自分たちのミスに気づいていたということを示す確実な証拠は何
 もない。  
・もちろん航空路逸脱は、重大なミスである。私が論じたい問題点は、ミスが生じた原因
 と背景をどうとらえるかということである。なせなら、原因と背景を正確にとらえない
 限り、有効な安全対策を導き出すことができないからである。
・現代のジェット旅客機は、ほとんどINSを積んでいる。INSは、出発前にこれから
 飛ぼうとする航空路のデータ(出発地、途中の位置通報点、目的地の緯度、経度など)
 を正しくインプットしておけば、自動操縦により非常に正確に航空機を導いていく装置
 であり、信頼度は高い。
・それにもかかわらず、なぜ航空路逸脱という事態がしばしば起きているのか。
・最大の落とし穴は、どういう飛び方(航法)を選択するかを決めるスイッチ(ナビゲー
 ション・モード・スイッチ)をはじめとするいくつかのスイッチの操作にあると言えそ
 うである。 
・ナビゲーション・モード・スイッチは、INSにかませて飛ぶか、機首方位を一定の向
 きに決めて飛ぶか、それとも無線標識の電波をとらえてその方向に向かって飛ぶかなど、
 五種類のチェンネルに分かれており、つまみスイッチで切り換えるようになっている。
・日本航空441便の場合、日本海上空に出てから、前方に雲が見えたため、乱気流に巻
 き込まれないように、ナビゲーション・モード・スイッチを【INS】モードから【G
 DG】モードに切り換え、機首方位を所定の航空路より左寄りに変えた。そして、雲の
 左側を通り抜けた後、航空路に戻るために、機首方位を今度は右寄りにセットし直した。
・機長は機の位置が所定の航空路に戻ったことを確認し、スイッチを【INS】モードに
 戻せば、あとは再び自動的に正しい航空路を飛んでいくことになる。
・【INS】モードと【HDG】モードの切り換えは、しばしば行われる操作であった。
・日本航空441便の機長は、機が航空路に戻った後も、スイッチを【INS】モードに
 切り換えたつもりで、そのまま戻すのを忘れてしまったのである。このため【HDG】
 モードにより右寄りの機首方位を維持し続けた上で、強い偏西風に流されて、東側へ大
 きく逸脱してしまった。  
・ここでさらに考慮しなければならないのは、航法を選択するという最も基本的なスイッ
 チ操作を忘れるミスは、なぜ起こるのかという問題である。  
・ジェット機の操縦というものは、自動化が進んているとはいえ、次々にチェックしたり
 操作したりしなければならないことが多い。その最中に、外的な条件が飛び込んできた
 り、いつもと違う心理的状態が生じたりすると、ポカッと大事なチェックや操作が抜け
 て、関心事が次の段階へ進んでしまうことが少なくない。
・441便について見れば、九月に日航機が太平洋上で乱気流を避けそこねて、多くの負
 傷者を出した事故があって以後、パイロットたちが乱気流回避に過敏になっていたとい
 う背景がある。
・いつもと違う心理状態が生じていたわけで、機長らの注意の向け方がアンバランスにな
 っていた可能性が強い。風のことばかり気にするあまり、他の基本的なチェック項目や
 操作に対する注意力が希薄になってしまうのである。
・また、機長はモスクワ線に慣れていたことが、裏目に出たという要素もある。そういう
 「慣れすぎ」は、注意の向け方がアンバランスになったときに、基本的なチェック項目
 や操作の一つを、うっかり飛ばしてしまう事態を引き起こしやすい。
・あとで考えてみれば、なんであんなことを忘れたのかと、理解に苦しむようなことであ
 っても、よく分析してみれば、決定的な瞬間にたまたま悪条件が重なり合ったものであ
 ることがわかってくる。「魔がさす」とでもいおうか。
・だが、このような悪条件の重なり合いというのは、複雑で密度の濃いジェット機の操縦
 においては、きわめて頻度の高い現象であって、決して運命論的なとらえ方をすべきで
 はない。肝心なことは、「魔がさした」とき、どのように「魔」を振り払うかである。
・重要なスイッチの操作と戻しについては、必ず機長と副操縦士が称呼し合って確認する
 というのも、現実的な解決策の一つであろう。
・より根本的には、コックピットにおける作業は二人または三人共同の作業なのだという
 原点に帰っての対応こそが、いま考え直さなければならない課題であるというべきであ
 る。操縦という作業は、二人または三人が役割を分担し、補い合い、相互にチェックし
 合うことによって、はじめて成果を上げることができる。たとえ誰か一人がミスをして
 も、相互チェックが完全であれば、破局に至る前に、事態を改善することができる。
・相互チェックがうまく機能するには、チームワークとコミュニケーションが大事になる。
 
航空自衛隊F15戦闘機のミサイル誤射事故
・1986年9月4日発生
・この事故は、茨城県の航空自衛百里基地で起きた。F15がスクランブルのため発進す
 る際に、一機の左翼下のサイドワインダーが、エンジンスタートにより電源オンとなっ
 たと同時に発射し、地上を275メートル滑って、基地内凹凸地点にぶつかって爆発し
 たのである。
・調査結果によると。吊り下げているミサイルの発射信号を伝達するケーブルを主翼下面
 の発射器につなげる接続器(一種のアダプター)内で、回路が絶縁不良でショートした
 ため、電流がミサイル後部の最終発射回路に流れて、ミサイルが飛び出ししてしまった
 のだという。
・戦闘機のミサイルが地上で爆発するなどということは、航空自衛隊創設以来はじめての
 ことであり、まさかそんなことが起こるとは、航空自衛隊の誰も「予想もしなかった」
 ことであろう。もっとも、この事故が起きてからわかったことなのだが、戦闘機のミサ
 イルが地上で誤射する事故は、米空軍などでは年に1回以上起きているという。

アロハ航空機天井脱落事故
・1988年4月28日発生
・大勢の観光客を乗せてハワイ島のヒロ空港を飛び立ち、オアフ島のホノルルに向かって
 いたアロハ航空のボーイング737が、高度約7200メートルで巡航中、突然、操縦
 室のすぐ後ろから主翼前後付近にかけての天井と側壁が、大きな音とともに吹き飛んだ。
・機長は直ちに緊急降下の措置をとり、近くのマウイ島カフルイ空港への緊急着陸に成功
 したが、天井が吹き飛んだときの衝撃や着陸後の脱出時の混乱などで、乗員乗客計95
 人のうち69人が重軽傷を負った。また、天井が吹き飛んだとき、スチュワーデス1人
 が機外に放り出されて行方不明となった。 
・調査の結果、事故機のボーイング737の胴体側面に通じている補強材のリベット穴部
 分に、金属疲労による亀裂がいくつも見つかった。
・この事故機の場合、破壊された胴体部分は修理など手を加えられたことはなかった。し
 かし、外板は腐食の進行で強度を失い、疲労破壊が急速に進んでいたことがわかった。
・航空機の標準的な耐用年数は、製造後20年といわれる。それ以上の25年でも30年
 でも飛んでいる機体はさらにあるのだが、その場合は、機体を総点検したりあちこちを
 修理したりして、耐空性を十分に確認したうえで、飛び続けている。
・実は、20年というのは経済的耐用年数のことで、大きな改修をしないで、従って大き
 な整備コストを負担しないで、製造時のまま飛び続けても大丈夫、という意味である。
・このような耐用年数とは別に、航空機の使い方に直結した寿命の尺度として、耐用飛行
 時間と耐用飛行回数が用いられる。設計目標値は機種によって異なりボーイング747
 は飛行回数2万回、飛行時間6万時間で設計されていた、これに対しボーイング737
 は飛行回数7万5千回、飛行時間5万1千時間と設計されていた。747は長距離飛行
 用として作られたので、飛行回数は少ないが、飛行時間は長くなると見積もられたのに
 対し737は短距離飛行用として開発されたので、飛行回数を多く、飛行時間は短く見
 積もられていりことが、数字にははっきりと現われている。   
・ジャンボ機の実機による疲労破壊試験は、なんと2万飛行時間相当分しかやっていなか
 ったことが明らかになり、耐用年数について、根本から疑問が投げかけられるようにな
 った。
・このアロハ航空の事故機のボーイング737は、1969年4月に同型機の7番目の機
 体として就航して以来、すでに19年間飛んでいたいわゆる老朽機であった。
・アロハ航空はこの機をハワイ諸島のローカル線用に、年間飛行回数が他の航空会社の2
 倍というフル回転で飛ばし続けたため、総飛行回数が通常を大きく上回る8万8千回に
 達していた。 

パリ航空ショーでのエアバスA320墜落事故
・1988年6月26日発生
・毎年パリで開かれる航空ショーで、ヨーロッバで国際共同開発された最新鋭の大型ジェ
 ット旅客機エアバスA320が、こともあろうにデモンストレーション飛行中に、観衆
 の面前で墜落事故を起こした。
・操縦はフランス航空のベテラン・パイロットが行っていた。
・事故は観衆が見守るなかを、滑走路上を超低空で通過した直後に起きた。A320は高
 度を上げることができないまま、滑走路先にある森のなかに吸い込まれるように落ちて
 行き、大破・炎上したのである。
・乗客・乗員36人の大部分は脱出したが、3人が逃げ遅れて焼死した。乗客のなかには
 子供や障害児がかなりいたため、脱出時に混乱が起き、それが3人の死者を出すことに
 なった。 
・A320といえば、最先端のエレクトロニクス技術や素材技術を動員して設計されたい
 わゆるハイテク機であって、最も進んだ自動化システムを持ち、「もうこれで事故は起
 こらない」とまで宣伝されていた機種である。
・A320のコンピュータには、ダウンバーストのように風向・風速が急激に変化するい
 わゆるウインド・シアに遭遇した場合の回避操作が記憶されていて、自動的に回避する
 ようになっている。 
・この事故原因では、自動化システムが進むなかでのヒューマン・ファクターの問題につ
 いて重要な指摘がされている。
 (1)この空港ではA320のような大型機が、滑走路上空を100フィートもの低空で
   通過してはいけないと、航空安全規則では定められているにもかかわらず、デモ飛
   行の飛行準備担当者は、最低飛行高度を規則に違反して100フィートに設定した。
 (2)フランスの航空安全規則では、有視界飛行方式で飛んでよい最低飛行高度は170
   フィートだったが、最低飛行高度を100フィートと計画したのは、この点でも規
   則違反だった。
 (3)機長も副操縦士も、この空港ははじめてだったにもかかわらず、事前に飛行テストを
  しなかった。
 (4)機長は空港を目で探しながら進入し、すぐ近くに接近してから低空・低速飛行の態勢
  を取らなければならなくなったため、急いで減速しなければならないなどの無理が生
  じた。  
 (5)操縦室内には、電波高度計が機会音で低高度を伝える警告メッセージの音声が響いた
  が、機長はこの音声にも副操縦士の注意にも耳を貸さないで、「大丈夫だ、心配する
  な」と言った。
 (6)飛行計画では、滑走路上を低空で通過するとき、恰好よく見せるため、失速寸前まで
  速度を落とし、機首を持ち上げた姿勢でゆったりと飛ぶことになっていた。このよう
  な場合、機首を上げ過ぎると失速する危険があるので、A320にはそうならないよ
  うにあ失速防止システムが備えられていた。ただ、この失速防止システムは、高度が
  100フィート以下になると作動しなくなるのだが、機長はそのことにまで気がまわ
  らなかった。
・機長が危険を感じなかった理由として、次のような点が指摘されている。
 (1)ローカル空港でも通常は、管制塔の高さは100フィート程度はあるが、この空港の
  管制塔はわずか40フィート、滑走路は800メートルしかなかった。このため、管
  制塔の高さとの関係で、機長はそれほど低空とは思わず、またエンジンを早くフルパ
  ワーにしないと滑走路を通り過ぎてしまうとは思わないという錯覚が生じた。  
 (2)機首を大きく上げた姿勢にしたため、操縦席の機長の目の位置が、地面すれすれにな
  っていた胴体後部よりずっと高くなっていた。 
 (3)機長は、A320の開発段階から参画していたので、自分はだれよりもよくA320
   を知っているという自負心を持っていた。 
 (4)自動的失速防止システムが働くのだ、安全性を維持てきるという、A320ならでは
   の特長をについてよく知っていた。
 (5)A320のすばらしさを思いっきり見せつけてやろうとする功名心が生じていた。操
  縦室に女性の見学客を入れていたことも、機長の気持ちを浮き立たせたに違いない。 
・A320は、自動操縦装置が巧妙にできているので、確かに操縦しやすく、様々な事態
 に対して、破局に至らないように防護装置が作動するようになっている。
・だからこそ、パイロットに「何をやっても大丈夫だ」という、とんでもない錯覚をもた
 らすことになる。低空で手動系で操縦しなければならないときには、従来の航空機とほ
 とんど変わるところはないのだが、そういうときでさえ、自動操縦時と同じように安全
 が保障されているかのような錯覚に陥ってしまう。  
  
ユナイテッド航空ボーイング747の胴体に大穴が空いた事故
・1989年2月24日発生
・ホノルルからニュージーランドに向かったユナイテッド航空のボーイング747が、高
 度6600メートルを越えたとき、突然胴体前部右側の貨物室ドアから二階客室にかけ
 て側壁が吹き飛び幅3メートル、上下13メートルのほぼ長方形の大穴が空いて、乗客
 9人が吸い出されてしまった。  
・事故を起こした747は、就航してから19年経っている老朽機であった。
・ただし、この事故の場合、老朽化に伴う胴体外板などの腐食や疲労破壊お問題は前面に
 出ていない。焦点になったのは、貨物室ドアのロック機構の欠陥であった。
・この事故機は、まず貨物室ドアが開いて吹き飛ぶ、そのショックでドアの上の客室壁面
 まで引きはがされてドアもろとも吹き飛んだものだった。   
・貨物室ドアのロック機構の改善について取っていた対策は不完全なものであったし、整
 備点検の仕方も不十分なものであった。このため、事故機の貨物室ドアのロック機構は、
 事故の数か月前から、ラッチのかみ合わせ不良の状態が生じていたにもかかわらず、そ
 の不良状態を発見することができなかった。そして、作業員が出発の度にドアを無理に
 閉めていたので、ラッチのかみ合わせ部分に摩耗が生じていた。加えて貨物室ドアを動
 かす電気回路にも誤作動の可能性があった。  
  
【宇宙開発事故】
スペースシャトル・チャレンジャー爆発事故
・1986年1月に発生
・スペースシャトルは、打ち上げ時に強力は推力を得るために、巨大な主燃料タンクの両
 脇に一対の個体燃料ロケット。ブースターをつけている。個体燃料ロケットの外壁は、
 四つの円筒をつないだ構造になっていて、接合部はガス漏れ防止のために合成ゴム製の
 リング(Oリング)とパテでシールされている。
・打ち上げ時のテレビ影像や写真を解析したところ、固体燃料ロケットに点火直後、つま
 りチャレンジャーがまだ発射台にいる段階で、問題の接合部から黒い煙が噴き出し、さ
 らに59秒後の上昇中には、炎が現われはじめていたことが明らかになった。
・いったい接合部に何が起こったのか。まず最初の黒い煙は、合成ゴムとパテが焼けたた
 めに発生した可能性が強いと推定された。合成ゴムとパテが焼けるということは、それ
 だけの炎あるいは熱が内部から一瞬のうちに伝わるだけの”ガタ”が生じていたことを
 示すものである。 
・そこで着目されたのは、打ち上げの数日前からフロリダ地方を襲った寒波の影響だった。
 この寒波は避寒地として知られるフロリダ地方の気温を数日にわたって摂氏零度前後と
 いう異常な低さにし、特に発射台で吹きさらしになっている右側固体燃料ロケットの表
 面付近温度は、一時は氷点下22度まで下がっていた。
・「Oリング」の合成コムは、低温になると弾力性が低下し、十分な隙間ふさぎの役割を
 果たせなくなる。しかも、そうした低温下におけるこのロケットの安全性については、
 設計基準の考慮外だったのだ。
・そうであれば、安全性確保の条件が満たされていないのだから、打つ上げを中止すべき
 であることは、素人でもわかることである。 
・ところが、NASAは発射に対し「ゴー」の決定を下した。「ノーゴー」の決断は下さ
 なかったのである。
・個体燃料ロケットの製造メーカーであるサイアコル社の打つ上げ現場責任者は、打ち上
 げ前日、異常低温の情報に驚き、これでは安全性は保証できないとして、サイアコル社
 工場の技術陣に検討を要請するとともに、NASAの責任者に対しても、打ち上げ中止
 の申し入れをした。
・サイアコル社の技術陣はほぼ全員、打ち上げに反対であったが、NASAの責任者は、
 「春が来るまで待てというのか」とまでいって、打ち上げへの同意をサイアコル社に迫
 った。サイアコル社側は、ついに折れて、副社長が同意書にサインをしたという。
・NASAの責任者がなぜ強引に打ち上げを決行しようとしたのか。その理由としては、
 @年間15回という過密なスペースシャトル打ち上げスケジュールをこなさなければな
  らないのに、今回のチャレンジャー打ち上げはすでに2度もトラブルが生じて延期し
  ていた。
 Aマコーリフ先生による宇宙からの授業を全米の子供たちが待っていた。
 Bその日は、レーガン大統領が議会における年頭教書演説でスペースシャトル計画の成
  果についても話す予定になっていた。 
・アポロ号の詳細な「飛行計画書」を読むと、飛行がある段階から次の段階に入る度に、
 必ず、「ゴー・オア・ノーゴー」の関門が設定されていた。所定のチェック項目が全部
 クリアされなければ「ノーゴー」なのである。飛行計画のいたるところに登場するこう
 した「ゴー・オア・ノーゴー」の関門を見たとき、私は、アポロ計画による宇宙飛行と
 月着陸への挑戦が、いかに慎重に石橋をたたきながら進められるようになっているかを
 認識されられたものだった。
・これまでのスペースシャトルが大事故を起こさなかったのは、何らかのトラブルが発見
 されたときに、適切に「ノーゴー」の判断がなれれてきたためであったといってもよか
 ろう。これはスペースシャトルだけの問題ではなく、どんなシステムにもあてはまるこ
 とであって、システムを破局への突入から救うのは、まさに「ノーゴー」の決断なので
 ある。
・だが、「ノーゴー」の判断は、やさしいようで難しい。とりわけ国家的要素とか会社の
 要請、あるいは対外的なメンツなどの事情がからむと、ひたすら「ゴー」に走りがちで
 ある。
・チェレンジャーの発射に、NASAの責任者が「ゴー」の決定を下したのは、技術的は
 判断からではなく、政治的な判断からであったにちがいないことは、容易に想像できる。
 そして、そういう政治的な判断、あえていうなら不純な判断こそ、アポロ計画以来のア
 メリカの友人宇宙飛行の輝かしい安全の記録を、一挙に台無しにしてしまったのである。
・NASAの責任者が、いかに日程やメンツを優先させていたとはいえこれがスペースシ
 ャトルの最初の打ち上げであったら、「春まで待てというのか」などという乱暴なこと
 はいわなかったであろう。そういう強引な判断の背景には、スペースシャトルの打ち上
 げがすでに二十四回もうまくいったという慣れからくる慢心があったに違いない。慣れ
 というのは、怖いものである。 
・いかに設計図の上で安全姓が確保されていても、製造や修理の過程におけるちょっとし
 た不注意や錯覚で、組み立てミスや部品の取り付けミスなどが生じると、それらはシス
 テムの最重要部分でないように見えても、事故の致命的な引き金となる危険性をはらん
 でいることがわかる。

【原発事故】
アメリカ スリーマイル島原発事故
・1979年発生
・この事故の引き金となったのは、二次系の冷却水を循環させる主ポンプの故障だった。
・事態を悪化させたのは、二次系の補助ポンプの給水管のバルブが、二日前の保守点検に
 際に閉められたままになっていたことだった。バックアップのシステムが働かず、二次
 系の冷却水の循環が止まってしまったのである。
・二次系の水の循環が止まると、一次系の高温水の熱交換が行われなくなるから、一次系
 の温度と圧力が上昇、加圧器の「圧力逃がし弁」が開いて、一次系の高温水の放出を始
 めた。
・ところが、「圧力逃がし弁」は故障で開いたままとなり、一次系の水はほとんど失われ、
 ついに炉心がむき出しになって溶融し始めたのである。
・運転員は弁を閉じる操作をしたとき、ランプだけは「閉」を表示したので、弁が開きっ
 放しになっていることに、なんと2時間18分も気づかなかった。
・事故前には常時数十個の警報ランプが点いていたが、運転員らは、誤動作や大して重大
 でない故障によるものが大部分だったので、そのまま「機械をだましだまして」営業運
 転を続けていた。

関西電力美浜原発冷却水漏出事故
・1991年2月9日発生
・福井兼美浜町の関西電力美浜原子力発電所二号機で一次冷却水が漏出するという事故が
 起きた。
・この事故は、蒸気発生器内の一次系細管1本が破断したために、放射能を含んだ一次系
 の高温水が二次系内に漏出するという形で生じたものである。しかし、事故の全容は、
 さまざまな要因が重なり合い、複雑であった。
・事故を構成した諸要因は次のとおりであった。
 (1)蒸気発生器内の細管の破断は、周辺を流れる二次系の水流による速い振動で金属疲労
  が進行したためであった。このような振動を防ぐために、設計上は「振れ止め金具」
  が取り付けられることになっていたが、肝心の「振れ止め金具」が、破断した細管の
  ところまで達していなかった。つまり設計通りの工事がなされていなかった。
 (2)細管の破断により溶出しはじめたとき、運転員は一次系の水圧を下げて二次系への漏
  水を止めようと、加圧器の「圧力逃がし弁」を手動で開こうとした。しかし、二つあ
  る「圧力逃がし弁」は二つとも開かなかった。
・この事故は、スリーマイル島原発事故のケースとあまりにも酷似している。
・「圧力逃がし弁」は高圧空気で開閉作動するのだが、その空気弁を定期点検時に誤って
 閉めたままにしてしまっていた。このため、いざ「圧力逃がし弁」を開く操作をしても、
 開かなかったのである。
・「圧力逃がし弁」は安全を確保するための、不可欠な装置である。正常に作動する状態
 になっているかどうかは、いつも確認しておくべきことであろう。しかし、そのような
 点検のマニュアルあるいは態勢はなかった。  
  
ソ連 チェルノブイリ原発事故
・1986年4月発生
・運転員がある種の実験をしようとしていた。それは原子炉における低出力下において、
 どれくらいの電気のパワーが取れるか、例えば緊急炉心停止とか、停電とかいろいろな
 事態があった時に、原子炉を止める。しかしそれを止めても、完全にその出力がゼロに
 なるまでにはある程度時間がかかる。その間にどれうらいの電力をその残りのパワーか
 ら取れるかということだ。
・ところがそういう実験というのは原子炉で、普段そう簡単にできるものではない。たま
 たま事故があった日は保守点検のために原子炉を止める時期にぶつかった。ちょうどい
 い、今日こそ実験しようということで、現場だけで判断した。しかもできるだけこの実
 験を一回で成功させようとした。  
・しかし、普段やっていないことをやると、炉心の緊急停止装置が働いて、原子炉がシャ
 ットオフされてしまう。それでは実験にならないから、原子炉がシャットオフされない
 で、ズルズルと低出力で動き続けるような、微妙な状態を作ろうと考えて、緊急炉心停
 止装置をオフにしてした。   
・そして実験を始めたら、原子炉が暴走してしまった。緊急炉心停止装置はオフにしてあ
 るから自動的には止まらない。もうどうしようもなくなってしまう。
・なぜ彼らはそういうことを考えたかというと、その背景には当時のソ連における官僚制
 の問題があった。なんらかの成績を上げなければいけないとか、実験データで何かを示
 していかなければいけないとか、あるいは規則にしばられてなかなか自由なことができ
 ないとか、さまざまなプレッシャーの中をかいくぐって、なにか一発いいことをしてみ
 ようと考えるとそこに無理が生じる。
 これは、社会制度とか企業の体質と密接に関係しているヒューマン・ファクターだと思
 う。 

【鉄道事故】
常磐線三河島駅事故
・1962年5月発生
・三河島事故は、まず下り貨物列車が出発信号機の赤信号を見誤って発車して安全側線に
 突入脱線したところへ、やや遅れて発車した下り本線の電車が接触脱線したため、乗客
 たちは線路上に降りて歩き始めた。
・そこへ上り電車が突っ込んで脱線大破、うち二両は築堤下に転落した。線路上の人々は
 なぎ倒されたりはね飛ばされたりして、実に160人が死亡、296人が重軽傷を負っ
 た。
・その救援活動をした住民の男の人が、テレビカメラの前で「人間が動かしている電車を、
 どうして人間が止められないんだ」と、声をつまらせて訴えていた。

国電お茶の水駅構内電車追突事故
・1968年7月発生
・1番線ホーム中央付近で、豊田行き快速電車の後尾に、後続の高尾行き快速電車の先頭
 が激突して破損。ホームは負傷者の収容と復旧作業でごった返した。重軽傷者は210
 人に上った。
・当時の首都圏の国電には赤信号区間への暴走を防ぐために、2年前にATS(自動列車
 停止装置)が設置されていたのに、なぜ後続の高尾行き電車は先行の電車がいるホーム
 に入ってきてしまったか。
・この問題を理解するには、ATSの「確認扱い」という操作に潜む”落とし穴”に注目
 する必要がある。
・ATSは赤信号の見落としや無視を防ぐために設けられた装置ではあるが、実際の運転
 では、電車の停止をATSにまかせることは稀であり、運転士の判断と操作が介在する
 ことになる。
・具体的には、電車が赤信号の手前の一定距離まで近づくと、運転台の赤ランプが点灯す
 るとともに、警報ブザーが鳴る。そのまま5秒以上放置すると、自動的に非常ブレーキ
 がかかって、電車は急停止することになるが、運転士が居眠りでもしていない限り、運
 転をATSによる非常ブレーキにまかせることはしない。運転士は、ブザーが鳴ると、
 5秒以内に確認ボタンを押して、ATSを切り、手動運転に切り替える。そして、速度
 を落として徐行しながら、自分の目で赤信号を確かめて、赤信号50メートル手前で電
 車を止める。これを「確認扱い」という。
・お茶の水駅での追突事故では、まず、先行の豊田行き電車にちょっとしたトラブルが生
 じていた。乗客の一人がドアに手をはさまれていることが、発車直後にわかったため、
 急停車の措置がとられたのである。豊田行き電車は最後尾がホームの中央付近まで進ん
 だところで停車した。 
・神田駅方面からお茶の水駅1番線ホームに入ってくる線路はカーブしているから、後続
 の高尾行き電車の運転士には、先行電車の急停車は見えない。時刻は夜だったから、余
 計に見通しは悪かった。しかし、お茶の水駅に近づいたとき、ATSが作動し、ブザー
 が鳴ったので、運転士は確認ボタンを押して「確認扱い」の運転をした。
・ところが、運転士は速度を規定通り時速45キロ以下に落とさず、ホーム手前の黄色に
 なっていた第2城内信号機を速度60キロで通過して、ホームに入ってきた。ホームの
 端に先行電車の尾部が見えないので、先行電車はすでに発車し、自分が入っていくまで
 には、ホームが空くだろうと勝手な予測を立てて、「見込み運転」をしたのである。
・ホームに入りかけてから、運転士は先行電車が途中で停止していることにテール・ラン
 プで気づき、急ブレーキをかけたが間に合わなかった。
・なぜ運転士がATSの安全性を破るに至ったか。その重要な要因として、少なくとも次
 の二点を指摘することができる。
 (1)運転士が「見込み運転」のミスをおかす前に、定刻の運転を乱すような何らかの異常
   事態が起きていて、「見込み運転」を「見込み違い」にしてしまう要因となった。
 (2)運転士は、ATSの「確認扱い」の後、ダイヤの遅れを防ぐために、「見込み運転」
   で電車を進行させることが少なくないという実態があった。 
・事故というものは、単一の原因だけで生じることは少なく、いくつかの要因の重なり合
 いによって起こることが多い。
・JRでは、「確認扱い」後の暴走を防ぐために、「確認扱い」で手動で切り替えても、
 速度が超過したり先行電車に近づいたりすると、自動的に減速・停止する「ATS−P]
 を開発し導入したが、お茶の水駅追突事故から20年も経っていることを考えると、遅
 すぎたというべきであろう。
 
東海道本線興津駅構内電車脱線事故
1986年5月28日発生
・静岡県清水市の国鉄東海道本線興津駅構内で、東京発静岡行き下り普通電車の先頭者後
 部輪が脱線した。電車には乗客350人が乗っていたが、ホームに入る直前で速度を落
 としていたため、すぐに止まり、怪我人はいなかった。
・脱線の直接の原因は、ポイントが閉じられていたためだったが、問題は、開いていなけ
 ればならないポイントが閉になっていたうえに、なぜ信号が青になっていたかにあった。
・静岡鉄道管理局の調べによると、富士通信区員4人がポイントや信号機を制御する「リ
 レー器」の交換作業をした際に、「有極リレー」と「線条リレー」をいれ間違えていた
 ことがわかった。交換作業の際に、「有極リレー」のコーナーに誤って「線条リレー」
 を挿入してしまったのである。 
・さらにもう一つのミスが重なった。興津駅の列車を運行を制御する同駅の中央制御盤に
 は、当時問題のポイントが「閉」の状態であることを示すオレンジ色のランプが点灯し
 ていた。担当職員はその色に気づいていたにもかかわらず、疑問を感じることなく、ポ
 イントの状態を点検しないで放っておいたのである。
・リレー架に「有極リレー」と「線条リレー」を入れ間違えて、ポイントを「閉」に固定
 してしまうなどというミスは、国鉄としては「予想もしていなかった」ことであったろ
 う。
・国鉄側の説明から判断すると、いずれも作業に対する「慣れ」が注意力を失わせていた
 可能性が強い。とくにランプの身過ごしについては、「ポイントが閉になっているはず
 がない」という「先入観」が、点検を怠らせた要因となっていた。
・どこの職場にもある「慣れ」や「先入観」による注意力低下、点検忘れの危険を絶えず
 自覚させるための教育訓練と職場規律の徹底の重要性を、あらためて痛感する。
・リレーの入れ間違いというミスを防ぐための設計上の配慮がなされていれば、この事故
 は起こらなかった。「有極リレー」と線条リレー」は全く目的が違うものなのに、リレ
 ー架の同じ空間にどちらでもセットできるほとんど同一サイズになっていたうえに、誤
 って入れ間違えた場合に、その場で以上を知らせる表示がついていなかった。「有極リ
 レー」と「線条リレー」の外形を、ほんの少しでも違うようにして、それぞれに該当す
 るリレー架の空間にしかはまらないようなフール・プルーフの設計にするということは
 できなかったものであろうか。
・両者の色は違うようにしてあるというが、人間というものは、赤信号と青信号を見間違
 うことがあるほど、装置の色で識別することには「弱い」のである。 
・設計の最初の段階で、人間の万一のミスに対する防御措置を講じておきさえすれば、問
 題はなかったのである。
・人間の過ちを責めるだけで事故をなくすことができるなら、とうの昔に事故は絶滅して
 いたはずである。「何故に過誤が生じたのか」「その誘因となったものは何か」という
 ところまで分析することによってはじめて、有効な教訓と対策をつかみ出すことができ
 るのである。

東海道新幹線ひかり291号車輪固着事故
・1991年9月30日発生
・ひかり291号は、東京駅を定刻の午後9時に発車したものの、その直後に15号車の
 車輪一組の固着を示す警報音とともに警報ランプが点いたため停止。
・運転士は中央列車指令所の指示に従って、警報をリセットして列車を再び発車させた。
・ところが、列車が加速しはじめると、また警報ランプが点いた。停止、リセット、再発
 車、警報作動・・・・。という事態が何度も繰り返され、7回目の警報で停止した後に、
 乗務員二人が地上に降りて、15号車の問題の車輪を点検した。東京駅から3.4キロ
 の地点だった。
・車輪固着の警報が点いたときの点検マニュアルによれば、地上に降りた乗務員が確認す
 べきことは、@ブレーキが固着していないか、A車軸の過熱にいる「軸焼け」が生じて
 いないか、の二点である。問題の車輪はこれら二点とも異常なしだった。
・「異常なし」の報告を受けた中央列車指令所は、警報の点灯は誤作動であろうと判断し、
 運転士に対し、通常通り列車を走らせるように指示した。 
・列車は警報が点灯したまま速度を上げ、最高時速225キロまで出して、小田原、熱海
 を通過したが、激しく火花を飛び散らすのが、通過駅の駅員やすれ違った乗務員によっ
 て目撃されたこともあって、念のため三島駅に臨時停車して、あらためて15号車の車
 輪を点検した。
・その結果、驚くべきことに、15号車の車輪一組が固着して回転していなかったため、
 左右の車輪ともレールに接していた部分が、摩擦で3センチもすり減って、平らになっ
 た面が長さ30センチにもおよんでいたことがわかったのだった。
・もしそのまま走り続け、何かの弾みでそのいびつになった車輪が回り始めたら、脱線の
 危険さえあった。
・車輪固着の原因は、モーターの回転を車輪に伝える駆動装置が油切れで壊れたためだっ
 たとJR東海は結論づている。
・モーターの回転を車軸に伝える駆動装置が油切れでダメになっているなどということは、
 乗務員が地上に降りてちょっと見たくらいではわからない。となると、3.4キロ地点
 で異常を発見できず、警報の誤動作扱いにしたのはやむをえないことだったということ
 になりそうだが、それでは事故の教訓を読み取りそこねてしまう。
・起こった事態は、車輪の固着だったのだが、運転席では確認できなかった。しかし、車
 輪固着の警報は作動した。となると、地上に降りて第一に確かめるべき事実は、車輪が
 回っているのか、それとも本当に固着しているのか、という点ではないか。
・ところが点検マニュアルでは、@ブレーキ固着、A軸焼け、の二点しか点検の対象にし
 ていなかった。肝心の車輪そのものの状態を目で見て確認するという項目は含まれてい
 なかった。なぜ車輪そのものの点検が考慮されなかったのか、奇妙でさえる。
・JR東海では、この事故の経過を検討した結果、点検マニュアルに、列車を車軸二回転
 分だけゆっくりと動かして車輪の回転状態を確認するという項目を追加した。
・この事故から読む取るべき一般的な教訓は、次の二つである。
 (1)異常発見のための点検マニュアルにも、時として不備がある。点検マニュアルの不備
  の多くは、どのような異常が起こりえるか、その多様なケースを想定する想像力の欠
  如に起因している。
 (2)警報を安易に誤動作として処理してしまうことの危険性である。警報が点灯したとき、
  それを誤動作として断定するには、それなりの明確に根拠がなければならない。「ど
  うも異常を確認できないから、警報の誤動作だろう」というようなあいまいな判断で
  は危険このうえない。
  
東海道新幹線ひかり238号のモータ固定ボルト脱落事故
・1992年5月6日発生
・名古屋〜三河安城間で新大阪発東京行きの新幹線ひかり238が、モーター固定ボルト
 の脱落により緊急停止し、4時間にわたって立ち往生した事故である。このため新幹線
 は5時間わたってダイヤがマヒ状態となり、上下48本が運休、91本が最高4時間以
 上遅れるという、自然災害以外では新幹線開業以来最大規模の混乱となった。
・故障を起こした車両は「のぞみ」用の新型車両だった。JR東海が調べたところ、7号
 車のモーターを台車に取りつけるボルト4本のうち3本がなくなり、残りの1本もネジ
 部分だけを残して頭の部分は千切れてなくなっていた。  
・当然のことながら、重さ400キロもあるモーターがガタが生じ、モーターから車輪に
 動力を伝える駆動装置の一部が脱落していた。
・列車が緊急停止したのは、駆動装置の一部が脱落した際に、ブレーキ用圧搾機のゴムホ
 ースを切断し、自動的に緊急ブレーキが作動したためとみられている。
・事故を起こしたのが、二か月前に引き渡しを受けたばかりの「のぞみ」型の新型車両で、
 モーターも性能をアップした新しい型のものだった。
・抜けたボルト3本のうち1本は現場近くの線路内に落ちているのが発見されたが、2本
 は見つからなかった。しかも、見つからない2本が入っているネジ穴にはゴミがたまっ
 ていて、昨日今日ボルトが抜けたものではないことをうかがわせた。
・JR東海と車両製造メーカーである川崎重工の両社の合同調査の結果、発表された統一
 見解は次のようなものだった。 
 @モーターの塗装が取り付け部を含め通常の一回塗りではなく三回塗りをしていたため、
  塗装膜が厚くなっていた。
 A塗装が乾くには通常1週間くらいかかるのに、問題の車両の場合は塗装3日後の半乾
  きの状態でモーターの台車への取り付けが行なわれた。
 B塗装が半乾きの状態でボルトをしめたため、その後の塗料の乾燥収縮により、ボルト
  とネジ穴との間にわずかな隙間ができて、ボルトの締め付け力が不足し、ゆるみが生
  じた。塗装の厚塗りがこのゆるみ効果をいっそう大きくした。
・モーターの台車への取り付けが塗装3日後という急いだ日程になったのは、モーターの
 ベアリングに欠陥があり、ベアリングの入れ替えで納期が遅れたためだった。

【医療事故】
福島県市立総合岩城共立病院での人違い中絶手術事故
・1987年9月発生
・福島県いわき市の市立総合岩城共立病院で人違い中絶手術事故が起きた。
・被害者は、はじめての子を妊娠した28歳の主婦A子さんで、切迫流産のおそれがあっ
 たため、2週間の入院治療を受けた後、1週間の自宅療養を経て、診察を受けるため産
 婦人科外来を訪れた。待合室で20人ほどの患者たちとともに順番を待っていると、A
 子さんの姓が呼ばれた。
・実は、その呼び出しはA子さんと同性で中絶手術を受けにきたB子さんのことだったの
 だが、そのときたまたまB子さんは、トイレにたってその場にいなかったため、自分が
 呼ばれたと思ったA子さんが診療室に入ってしまった。
・そこまでなら時には起こりえることだろうが、驚くべきことに医師は、患者の氏名を確
 かめなかったばかりか、中絶意思の再確認をしないなど、十分な面接もしなかった。そ
 して、A子さんを診療台に乗せると、ほとんど機械的に中絶手術をしてしまったのであ
 る。
・A子さんが疑問に感じたのは、ほとんど手術が終りかけていたときだった。いつもの診
 察と様子が違うので、医師に質問したところ、中絶されたことを知り、ショックのあま
 り叫び声をあげたが、すでに手遅れだった。
・なぜ、このような医療ミスが起きたのか。その原因を整理すると次のようになる。
 (1)A子さんが診療室に入ったとき、看護婦がAさんをフルネームで確認しなかった。
 (2)医師もA子さんをフルネームで確認しなかった。
 (3)医師はA子さんにこの日の診療内容とくに中絶の意思を再確認しなかった。
 (4)医師は患者に中絶手術を行なう場合は、患者の血圧、麻酔に対するアレルギー反応、
  胎児の心音、発育状況などを検査するのが常道であるのに、それらの検査をほとんど
  しなかった。
・いったいこの事件は、前例のない特殊なミスだったのだろうか。担当医師が特殊だった
 のだろうか。私には、どうもそうは思えない。
・患者が本人であるかどうかを「確認」するという最も基本的な行為がおろそかにされて
 しまうのは、いかなる背景によるものなのだろうか。
・重要なポイントは、現代の医療が、専門分化が進むあまり、ややもすれば部品修理業的
 になり、患者をその人間像全体のなかで治していこうとする姿勢を失いがちだという点
 にあるように思えてならない。 
・医師が診療に臨むとき、最も基本となるのは、面接である。面接は、顔および全身状態
 を見ることと言葉によるインタビューとによって構成される。そのねらいは、患者の人
 間像、生活像をとらえ、患者が苦しんでいることと求めていることをとらえるところに
 ある。それはまた、問題点がどこにあるかを確認する作業でもある。
・人違い中絶手術の経過を見ると、本来の意味における面接が行われていないことが、歴
 然としてくる。木を見て森を見ていない。木を見て山を見ていないのである。このよう
 な傾向は、医療の世界だけでなく、多くの産業界に共通する問題ではなかろうか。
  
佐賀県国立嬉野病院配管ミスによる手術中の患者死亡事故
・1987年11月発生
・当時、国立嬉野病院では、治療棟の増改築工事に伴ない、手術室天井裏の配管の位置を
 変える工事が行われた。並んで走っていた既設の笑気ガス管、酸素ガス管、吸引菅の3
 本の管の配置を変える工事をしたのだが、工事作業員が笑気ガス管と酸素ガス管とをつ
 なぎ間違えしてしまった。
・配管工事をした業者は工事完了後、配管が正しくつながれているかどうかの検査をせず、
 病院側の管理部門も受領の際に確認検査をしなかった。手術室で使う医療ガスは患者の
 命を左右するほど重要なのに、業者も病院の管理部門もその認識がなかったといわなけ
 ればならない。
・そして手術がおこなわれたのである。まず、77歳の高齢女性の骨折した右大腿骨を接
 骨する手術をしたところ、手術室内で容体が急変して死亡。手術後、スタッフは笑気ガ
 スを止め、酸素のみの供給を続けたつもりだったのだが、配管が逆になっていたため、
 酸素が切られ、笑気ガスのみが供給されるという事態になってしまったのだ。 
・酸素欠乏による死亡だったのだが、医師たちは、その時点では原因に気づかず、脳梗塞
 による突然死と判断した。
・このため、次の手術を受けた9歳の少年が、第二の犠牲となってしまった。少年は下腹
 部の手術を受けた後、やはり容体が急変して、夜になって死亡した。まったく同じ酸素
 欠乏が原因だったのだが、その時点でも病院側は配管ミスによる事故とは気づかなかっ
 た。
・病院側が配管ミスに気づいたは、三人目の患者が手術を受ける直前だった。
・この事件は、医師の単純なミスで起こったのではない。第一原因は、作業員の工事ミス
 と業者の完成工事検査の怠慢にある。そして、第二原因としては、病院側が設備の完成
 工事引き渡しを受けた際に、酸素と笑気ガスの配管が正しく行われたかどうかをテスト
 してみなかったことを指摘しなければならないだろう。
・さらに、最初の犠牲者が出たとき、医師が死因をきちんと確認しなかったことにある。
・これらの三つの段階におけるミスに共通する問題点は何かといえば、やはり「確認」と
 いう基本作業の欠落である。

熊本市民病院での患者取り違え手術事故
・1992年11月26日発生
・肺に手術を受ける予定の患者がコトもあろうに肝臓の一部を切り取られ、隣の手術室で
 は、肝臓の手術を受ける予定の患者があわや肺を切除されそうになるという、信じられ
 ないような”患者取り違え手術ミス”が起きた。
・その日、手術室に運ばれた患者二人は、ともに男性で、Aさんは肺の手術を、Bさんは
 肝臓の手術を受けることになっていた。
・手術開始はともに午前九時からの予定だった。
・病棟からすでに麻酔をかけたれてストレッチャーで運ばれてきたAさんとBさんは、ほ
 とんど同時に手術病棟の廊下に着くと、手術室担当の看護婦にカルテ類を渡して患者の
 氏名を確認し合ったうえで、患者を手術室のストレッチャーに移して引き取ってもらう
 ことになっている。
・ところが、Bさんを連れてきた病棟看護婦Mが、BさんのカルテをAさんのストレッチ
 ャー上のAさんのカルテの上にポンと置いた。看護婦Mは自分の手を空けるために、ち
 ょっとだけというつもりで、そうしたおかもしれないが、そのあたりの事情は公表され
 ていない。
・そのとき、Bさんが手術を受ける手術室担当の看護婦が出てきて、Aさんのストレッチ
 ャー上に置かれたBさんのカルテを見て、AさんをBさんと早のみこみし、Aさんを別
 のストレッチャーに移してBさんのための手術室に入れてしまった。
・一方、Aさんの手術室担当の看護婦は、廊下に残されたBさんを、ストレッチャー上に
 カルテがないのに、よく確かもしないでAさんと思いこみ、別のストレッチャーに移し
 て、Aさんのための手術室に入れてしまった。
・二つの手術室の看護婦たちは、AさんとBさんを間違えて手術室の入れた後で、廊下に
 残された空のAさんのストレッチャー上に置かれてあって二つのカルテを、それぞれ取
 りに出て再び手術室に入った。
・カルテは間違われずに手術室に引き取られたのだが、肝心の患者はまったく別人、とい
 う事態になったのである。
・二つの手術室の執刀医(肝外科医と肺外科医)は、それぞれカルテだけを見て本人と思
 いこみ、予定通りにメスを手に手術を始めた。異常に気づいたのは、肝外科医だった。
 開腹して肝臓を約五分の一切除したところ、そこにあるはずの病変が見当たらなかった
 ことから、「変だ」と思い、患者を確かめた結果、それはBさんではなくAさんだった
 のだ。
・重大なミスに気づいた肝外科医が隣の手術室に急報すると、隣で肺外科医が肝臓の手術
 を受けるはずのBさんの開胸をして、まさに肺にメスを入れようとしていたところだっ
 た。
・二つの手術室では、ただちに手術を中止し、Aさんの腹部とBさんの胸を閉じた。
・そして、本人・家族に事情を説明し、約二週間後に二人の本来の手術を行ったという・
・問題点を分析すると次のようになる。
 (1)病棟看護婦は患者の顔をよく知っているが、手術室の看護婦は知らない。したがって、
  手術室廊下での病棟看護婦から手術室担当の看護婦への患者の引き渡しは、絶対間違
  わないような確認の手順を決めておく必要がある。確認手順があいまいなうえに、看
  護婦たちが慣れからくる慢心で患者確認の重要さを忘れていたようにみえる。
 (2)手術室では、まず麻酔科医がカルテを見て患者に声をかけてから全身麻酔をかけるこ
  とになっているから、そのとき本人かどうかがわかる。ところが、麻酔科医は患者に
  声をかけていなかった。  
・現代の医療現場では患者を固有の顔(人格)を持った人間として扱うというのが、しば
 しば忘れられてしまうことがある。現代の医療は専門分化が進んだ結果、医師の眼が疾
 患ばかりに集中し、病む人間としての患者を見なくなってしまうのである。医師は患者
 の顔を見ることもなくメスをふるうというのでは、自動車の部品修理工場と変わらない。

広島市民病院での輸血ミス事故
・1992年10月22日発生
・患者は、生まれて間もない新生女児S子ちゃんだった。S子ちゃんは、10月13日に
 広島市内の病院で生まれたが、すぐにチアノーゼなどの症状が現われたため、2日後、
 広島市民病院の未熟児センターに転院。診断の結果、大動脈離断症、心室中隔欠損症と
 いう重い先天的な心臓疾患を持っていることがわかった。
・10月22日、緊急の心臓手術が行われたが、その際、血液型がB型のS子ちゃんに対
 し、A型の血液1400ccを輸血してしまった。その後、S子ちゃんの状態は思わし
 くなく、多臓器不全で死亡した。輸血ミスがS子ちゃんのその後の状態にどの程度影響
 したかは明らかにされていないが、病院側は、輸血ミスは直接死因ではないといってい
 るという。 
・なぜA型の血液を輸血してしまったのか。その原因は、血液検査の際にB型と判定され
 たのに、臨床検査技師がカードに転記する際に、A型と書き誤ったことにあった。この
 ため、輸血用血液としてA型の血液が用意されてしまった。
・そのミスは、もう一つの関門で発見されて然るべきだった。それは、手術の前日に行わ
 れた本人の血液と輸血用血液の交差試験だった。交差試験の結果は「不適合」という反
 応が出ていたのだが、検査担当者は「不適合」の反応を見落とし、「適合」と判断して
 しまった。二重のミスが生じたのである。
・この事故での問題点は以下のように指摘できる。
 (1)検査データを書き写す作業中に転記ミスが生じるのは、人間が手作業でやるかぎり避
  けられない。一人の検査技師にまかせるのではなく、ダブルチェックのシステムをつ
  くる必要がある。
 (2)輸血用血液の交差試験で「不適合」を「適合」と見誤ったというのは、担当者のプロ
  フェッショナルとしての信頼性に対する信頼感を失わせる。この交差試験を担当する
  人は、細心の注意力を持つベテランであるべきだと思う。この場合も、もう一人の検
  査技師がチェッカーとして交差試験に立ち会えば完璧だろう。

【教訓】
・コントロール装置は、操作の確実性・信頼性の向上やミスの防止をねらいとして導入さ
 れる。そして、現実に、ほとんどの場合は、その目的が達成され、めったに事故は起こ
 らない。しかし、たとえ稀にではあっても、コントロール装置をめぐり、
 (1)装置自体の欠陥、故障
 (2)操作する人間のミス
 という事態が起こり、それがとんでもない事故を引き起こすことになる。
 このうち、「装置自体の欠陥、故障」といえども、「欠陥」を持つような装置を設計・
 製造したのは人間であり、また「欠陥」または「故障」を事前に検知できるようなシス
 テムにしておかなかったのも人間であるから、これまた突き詰めれば、やはり「人間の
 ミス」ということになる。 

・一見「予想もしなかった事故」であっても、原因と背景を突っ込んで分析してみると、
 実は、それらは決して稀有の事故ではなく、きわめて日常的な「人間のミス」が関与し
 ているばかりか、装置やシステムの設計に基本的な手落ちがあったことがわかってくる。
 それにしても、安全工学的にかねて強調されてきたフェイル・セーフやフール・プルー
 フの設計というったものはまだまだ未成熟であることを痛感する。このままでは、さま
 ざまな分野で「予想もしなかった事故」が跡を絶たないといわなければならない。
・事故の要因となるような人間の判断・意思決定・行為は、いったいなぜなされたのかと
 いう、もう一つ裏にある問題まで解き明かさなければ、”ヒューマン・ファクター”の
 内実に迫ったとはいえない。 

・もちろん死亡事故を徹底的に分析し、そこから教訓を引き出すことは、それなりに重要
 である。では、それで安全への手かがりを十分につかめるかというと、必ずしもそうで
 はない。安全への手がかりを完璧につかもうと思ったら、もっと多様なアプローチが必
 要なのだが、案外見落としがちなのは、危機一髪という事態のなかで助かったとか破局
 を免れたというケースの分析である。破局に至ってもおかしくないような事態だったの
 に、なぜ最悪の事態に至らないですんだのか、そのポジティブな要因を洗い出して、よ
 り一層強化していくのもまた、安全の方策を考えるうえで重要な取り組みなのだが、そ
 ういう取り組みはほとんどなされていない。多くの場合、「大事に至らなくてよかった」
 と胸をなでおろして終わってしまう。

・機械・装置の自動化は、信頼性や性能・効率を向上させ、事故を低減するのに貢献しつ
 つあることは確かだが、しかし同時に、新しいヒューマン・エラーを惹き起こしている
 のも事実である。その意外な”落とし穴”に注意しないと、とんでもないしっぺ返しを
 受けることになる。

・頼りない人間の弱点を、いかにして機械やシステムでカバーすべきなのか。機械・シス
 テム系で安全性を保障するには、いかなる条件が整えばよいのか。もちろん、すべてを
 機械やシステムにまかせるのは、必ずしも妥当ではない。人間が役割を果たすべき部分
 はある。重要な視点は、次の二つであろう。
 (1)ヒューマン・エラーを引き起こさないような装置を作る
 (2)万一ヒューマン・エラーが生じても事故になるのを未然に防ぐフェイル・セーフのシ
   ステムにしておく
・しかし、ヒューマン・エラーを引き起こさないようにする対策とか、フェイル・セーフ
 のシステムにする対策といったものは、ある場合には設計段階において、ある場合には
 運用段階において、致命的に阻害されていることがある。そのような安全阻害要因とし
 ては、次のような問題を挙げることができる。
 (1)経費を安くあげるため、安易な設計をしたり、無理な運転方式を採用したりする
 (2)安全設計思想の未熟さ。人間に依存しすぎることの危険についての認識不足
 (3)機械や装置の技術水準自体が低い
 (4)安全規制や運転規制の不備・不徹底
  
・完全自動操縦というのは夢として語られても、それを追求しべきではないと思う。なぜ
 かというと、やはりそこで働く人間の労働意欲という問題も考えなければならない。創
 造性とか、プロフェッショナルとしてのプライド、職業意識というものをなくさないよ
 うにしないといけないと思う。また完全自動操縦となると、トラブルがあったときにど
 うするんだと。機会は人間がつくったものである以上、どう考えたって完璧とはなり得
 ない。普段から完璧な自動操縦だけをやっていると、緊急事態になったときに人間が対
 応できなくなってしまう。

・コンピュータを駆使しる現代の工学といえども、金属材料や、組み立てた装置の耐用年
 数について、完全な知識をもっているわけではない。かなりの程度、サンプル・テスト
 による予測計算に依存している。予測計算の精度はかなり高いのだが、百パーセント正
 確というところまではいっていない。

・警報とは、装置さえあればよいというものではない。警報が作動するのはどういう条件
 のときであり、それに対しどのように対応しなければならないのかということが、警報
 の対象となる人々の間に事前によく理解されていなければ、せっかくの装置も情報も活
 かされない。
・ところが、今日の都会化社会、高度技術社会における数々の警報は、警戒警報・空襲警
 報のように単純明快というわけにはいかない。戦時中にはなかった警報の類が、社会の
 あらゆる分野に氾濫しているうえに、警報の内容も伝達方法も千差万別でバラバラであ
 る。いい換えるなら、暗号情報の氾濫のなかで、人々は戸惑っているというのが、現実
 である。