自衛隊の転機  :柳澤協二

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戦争とは、国が他国に対して自分の国の意思を、武力を使って力ずくで相手国に押し付け
ることだ。いくらその戦争が、正義の戦争だと言っても、本質は変わらない。自衛隊に武
力を使わせるということは、それは国民が、自衛隊に対してそういう命令を出すことだ。
今回の集団的自衛権行使容認に伴う安保法制の改正によって、日本が直接攻撃されなくて
も、相手を攻撃することが可能になった。それも、ときの内閣の決定によって行うことが
できる。これは、日本が戦争に向かって大きく踏み出したと言えるだろう。
米国が、親切心で日本を守ってくれていると、勘違いしている人たちが多くいるようだが、
それはまったくの誤解だ。米国が日本を守っているように見えが、実際は、日本にある米
軍基地を守っているのである。そして米軍基地が日本にあるのは、日本を守るためではな
く、米国の世界戦略として、どうしても米軍基地を日本に置いておく必要があるからであ
る。米国の親切心からではない。日本に米軍基地を置くことが、米国にとって利益になる
からだ。
もし、日本に米軍基地を置くメリットがなくなったなら、米国はさっさと日本から米軍基
地を引き揚げるだろう。そうなったとき、日本はどうすべきなのかを、考えておく必要が
ある。そういう点から考えて、必要最小限の軍事力である自衛隊は、必要であると私は考
える。しかし、他国から攻撃される前に攻撃するような軍隊は必要ない。ましてや、他国
にまで派兵するような軍隊や、他国と競い合うような軍事力は必要ない。「攻め込んでき
たら黙ってはいませんよ」という国としての姿勢があれば、それでじゅうぶんだと思う。
米国が日本が守ってくれているのに、日本は米国に対して何もしていないと誤解している
人々も多いようだ。安倍政権の強引とも言えるやり方によって、新たに改正された日米ガ
イドラインでは、日本は地球の裏側まで行って米軍に協力すると書かれている。これに対
して、米軍は、もし日本が他国から攻撃されたら、まずは自衛隊が主体的に防衛を行い、
米軍は支援・補完するとだけ書かれているとのことだ。日本は、米軍に基地を提供し、米
軍の駐留費用を負担し、さらに安倍政権によって、地球の裏側まで行って米軍に協力しな
ければならなくなった。これでは、日本はまるで、米国の属国になったに等しい。日本が
米国に対して何もしていない、などというのはまったくの誤解であり、逆に甚だ不平等な
関係になっていることを、しっかりと直視すべきだ。
日本も、他の先進諸国と同様に、現実主義でいくべである。日本は、アメリカや中国のよ
うな大国ではないのだ。アメリカの真似をして「世界の警察官」になる必要はないし、な
れるだけの力もない。また、「世界の平和のために」などというような、「青臭い正義心」
が通用するほど単純な国際社会ではない。「正義心」だけで、自国のメリットにならない
ような事柄に、首を突っ込むようなことを、日本はすべきではない。他の先進国だって、
自国のメリットにならないことには、手は出さないのが現実なのである。
「自衛隊は憲法違反であり無くするべきだ」と主張する人々もいるが、それは理想論であ
り、現実の国際社会を直視すれば、そんな理想論がまかり通る世界ではない。かと言って、
自衛隊を海外に出して、戦争ができるような軍隊にする必要もない。今の自衛隊は、「専
守防衛」という絶妙なバランスの上に成り立っているのであり、それは戦後70年の間に
日本が積み上げてきたものだ。その重みをしっかりと認識すべきだ。

はじめに
・自分なりのイラク戦争を総括してみると、日米同盟という「大義」はあっても、それは
 「無駄な戦争」であり、少なくとも、他に選択肢のあった戦争だった、ということだっ
 た。
・集団的自衛権行使をめぐる解釈改憲や、安保法案の強行採決など第二次安倍内閣の動き
 を見ると、振り返って検証しなければならないことが放置されたまま、ものごとが進め
 られているように思えてなりません。
・集団的自衛権行使や安保法制をめぐる政府の説明や進め方を見ていると、とても国民の
 理解や支持を得られているとは言い難い。
・どこの国もそうですが、軍事組織は、国民の理解なくしては存在し得ません。憲法九条
 を擁するわが国では、なおさらです。自衛隊は、国民が理解も支持もできないことは、
 決してできないのです。もしそれをやってしまったら自衛隊も、国民も不幸になります。
・ときの内閣は民意によって選ばれているのだから、そのトップである総理大臣が決めた
 ことは国民が決めたことだという人もありますが、首相イコール国民と考えるのはやは
 り無理があります。自衛隊の最高指揮官は総理大臣です。軍隊というのは、指揮官の命
 令にはすべて従う組織です。どんな命令であれ、逆らうことはできません。だからこそ、
 指揮官は、自分の命令が、本当に「国民の負託」によるものかを厳しく重く検討しなけ
 ればなりません。 
・わかりにくさや無関心のせいか、どうも自衛隊員は一般国民から心理的に遠い存在に映
 るようです。だから、武力行使や海外派遣などの命の危険にさらされる任務について議
 論するときも、当の自衛隊員がどう感じているか、何を考えて日々の過酷な訓練を行っ
 ているかに思いを馳せる人はあまりいないように思います。もっとはっきり言うと、自
 衛隊員に世間が向ける目には、偏見の色が含まれていると感じています。
・自衛隊にとって一番必要なのは、国民に理解され、支持されること。それに尽きると思
 うのです。 
・論理的整合性も、大局に立った行動指針もないままに進められる現在の安保法制の議論
 には、「そもそも政治は自衛隊をどう使い、どう国を守って、いかに国際社会に貢献す
 べきだと考えているのか」という視点が決定的に抜け落ちています。そこにあるのは、
 現場の実感やリスクを冒してでも成し遂げなくてはならない大義ではなく、「政治の論
 理」です。
・自衛隊の海外派遣を実現するための憲法解釈も、特措法の制定も、日米同盟の維持を外
 交上の至上命令とする歴代内閣のもとで、「憲法の範囲内でどこまでやれるか」という
 観点でしか考えてこなかった。
・ときの政権の存続にとって損か得かといった観点や、アメリカからどう見られているの
 かという、きわめて内向きな視点で作られてきた法制が抱え込んできた矛盾が、いつど
 んな形でリスクとして自衛隊に降りかかってくるのか、新しい安保法制が成立すれば確
 実に高まる危険とどう向き合うのか。そして、国民にも、国際社会にも理解され、支持
 される「自衛隊の使い方」とはどのようなものであるか。 

自衛隊を取り巻く矛盾
・自衛官は戦争がどんなものか理解しているからこそ、戦争を望まない。しかし、仮に戦
 争が起これば、自分たちが真っ先に行かなければならないという立場にある。一方、日
 本の中では、自衛官という日本人とは別の人種がいて、戦争をしたがっているというよ
 うな風潮で受け止められる。
・発足当初から現在まで、「自衛隊は違憲か合憲か」という議論は続いていますが、これ
 まで最高裁判所は、憲法九条との関係における判断を示していません。私が仕事をして
 きた歴代の自民党政権は、憲法の下で行使できるのは、日本が武力攻撃を受けた際の個
 別的自衛権であって、集団的自衛権は憲法の許容する限度を超えるため、行使できない
 とう見解を釣り続けてきました。
・自衛隊の海外派遣は、大きくいって三つの矛盾を抱えています。第一に、自衛隊は、外
 征軍としてデザインされてはいません。自衛隊の師団の規模(約7千〜9千人)は、米
 軍などと比べて半分程度の人数しかありません。国内で戦うことを前提としているため
 に、補給などの後方支援部隊の規模を小さくしているためです。第二に、隊員の心構え
 です。9.11同時多発テロに代表される国際テロの時代には、事情が変わってきまし
 た。相手は、欧米との戦いそのものを目的とする集団です。イラク戦争は、その対決の
 構図を結果として固定するものとなりました。米軍を中心とする多国籍軍の占領に反発
 する集団のなかから、いまのイスラム国(ISIL)のような過激派勢力が生まれてい
 ます。もはや人助けという善意が通用しない時代を迎えているのです。そのなかで、自
 衛隊が戦っていけるのかどうか、新たな覚悟が求められています。第三に、憲法との整
 合性です。憲法九条の下で生まれた自衛隊は、軍隊ではないとされています。特に、海
 外で戦闘することを想定していません。自衛隊法によれば、海外での交戦は、「武器の
 使用」であって、国家意思による戦闘(武力の行使)ではありません。「武力の行使」
 が認められているのは、防衛出動命令を受けた自衛隊だけで、それ以外の交戦は、自衛
 官による武器使用の権限として法律が作られているのです。自衛官の権限ですから、そ
 の結果もまた、自衛官個人に返ってきます。軍隊の戦闘であれば、上官の命令に従う限
 り、個人の責任の問題は発生しません。しかし、軍隊もなく、海外での武力行使も予定
 していない憲法の下では、警察官が国内で自国民に向かって武器を使用するのと同じ法
 理が働かざるを得ないのです。これは、政府の命令によって派遣される自衛官にとって、
 不条理きわまるものだと思います。
・自衛隊に海外で武器を使わせるのであれば、現場の現実に則した法整備、すなわち憲法
 改正が必要なはずです。その前に、そもそも自衛隊にそういう任務を与え続けるかどう
 かを、真剣に考えなければなりません。  
・今日、中国の台頭によりアメリカの力が相対的に低下していることが懸念されています
 が、日米同盟の本質は、日本がアメリカの拠点となる米軍の基地を提供し、アメリカが
 それを使って世界戦略を実行することにあると考えています。だから、専守防衛の自衛
 隊が日本列島と周辺海域を防衛することがその本質的要請にこたえることになる。その
 関係はいささかも変わっていないのであって、アメリカがやるような遠隔地での戦闘任
 務の肩代わりが求められているわけではないと確信しています。
・今回の安保法制では、「非戦闘地域」の基準さえ捨てて、「現に戦闘行為が行われてい
 る現場」でなければ自衛隊が活動できるようにしています。そして、その「戦闘の現場」
 も法的には相手が国または国準である場合の交戦ですから、「イスラム国」が相手なら
 「戦闘の現場」そのものが存在しないことになる。まさに何の歯止めもない、というこ
 とです。
・これまで、武力行使の要件は「わが国に対する攻撃があるかないか」というものでした
 が、今度は「わが国に対する攻撃がなくても武力行使できる」ようにした。これが、集
 団的自衛権のポイントです。日本が攻撃を受けていないのに、存立危機事態になるとい
 うことは、本来あり得ないことです。ですから、これまでの政府は存立危機事態の具体
 的な基準を示すことができていません。もし基準があるというなら、それを法律として
 しっかりと明記しなければならない。武力行使の基準を、法律ではなく、時々の政府の
 判断だけに委ねるのでは、国民もにわかに納得できないでしょうし、実際に戦うことに
 なる自衛隊の士気にも影響します。
・集団的自衛権は、アメリカの抑止力を維持するためには日米同盟がより一体化している
 ことを示す必要があるという発想から導き出したものですが、この発想の問題点は、冷
 戦時代の「抑止力」という時代遅れの考え方から抜け出せていない点です。つまり、抑
 止力が高まれば戦争に巻き込まれることがなくなるという単純で一方的な論理です。し
 かし、今回の安保法制における抑止力の内実が何かと言えば、それは「アメリカの船を
 守る」という話で終わっているのです。つまり、アメリカの船を守るという単純なシン
 ボルによって日米が一体であるということを示せば、抑止力が高まり、アメリカが助け
 に来てくれる。それが、いま言われている抑止力なのです。
・抑止力とは本来、もし相手が攻撃してきたら、それに対してこちらは報復する能力と意
 志があるということを相手側が理解していることで成り立つものです。したがって、
 「戦争に巻き込まれないから安心だ」と言っていては抑止力にはならないのであって、
 「戦争になっても恐れずに報復の一撃を加える意志と能力がある」と言わなければなら
 ないのです。  
・戦後70年、実際には抑止力だけで日本の平和が守られてきたわけではありません。こ
 れまで日本が、他国の戦争に自ら巻き込まれるような政策をとってこなかった等、様々
 な政治的要素が関係しているのです。
・結局、日本の平和を守るのはアメリカの抑止力だから、日米同盟を強固にすれば日本が
 安全になる。そのために必要ならばアメリカの軍艦を守り、アメリカのために血を流さ
 なければならないという思考でどんどん深みにはまっていく。「アメリカの抑止力」は、
 日本の安全保障戦略の唯一のキーワードであり、すべてがそこに収斂して思考停止する
 「バカの壁」になっているということです。その壁を乗り越えなければ、日本の未来の
 ために豊かな発想は出てきません。仮に、日本の奉仕によってアメリカの来援を確実に
 したいのであれば、アメリカの国益を左右するほどの奉仕をしなければならない。米艦
 の一隻や二隻を守るだけ済む話ではないのです。
・自衛隊の活動をこれ以上広げるのであれば、本来、憲法を変えるしかない。しかしそれ
 は、自衛隊員のリスクを覚悟させることを意味します。国民に問われているのは、そう
 までして自衛隊を海外に送る覚悟があるのかどうかということです。
 
前線からの問題提起
・現在のPKOはもっとすごいことになっています。本来は、その国家の責任であるはず
 の「住民保護」がPKO筆頭マンデートになっているのです。政府系の武装組織が住民
 を蹂躙している状況では、ルワンダのように見捨てるのではなく、国連が「中立性」を
 かなぐり捨てても武力介入する交戦主体となるマンデートを、安保理が与える時代にな
 っているのです。南スーダンPKOがまさにこれです。その隣のコンゴ民主共和国では、
 悪さをしそうな武装組織をあらかじめ特定して完全に無力化する。つまり、正当防衛的
 な戦況にならなくても、強制的に殲滅するマンデートが与えられているのです。つまり、
 PKOが先制攻撃できる時代になっているのです。
・いま事件が起きるとしたら、PKOの現場です。南スーダンです。自衛隊の海外派遣に
 対する日本国民の「アレルギー取り」に使われてきたPKOの世界が、いま、一番危な
 くなっている。そこに送られる自衛隊員、陸自が一番リスクを負っている。
・どうしてPKOに出さなければならないのかをよく考えなければなりません。先進国の
 責務、などとよく言いますが、いま、先進国はPKOに自国の軍を出さなくなっている
 んです。「住民保護」が筆頭マインデート化し好戦化していますから、利害関係のない
 た国の民を傷つける可能性が大きいミッションにどれだけコミットできるのか。そのリ
 スクと人道主義を秤にかけるのが、PKO兵力提供国家ですが、いまはリスクの方が
 格段に大きくなっている。  
・これから国連PKOのスタンダードになるは住民保護ミッションが頻発するアフリカな
 のです。現在、国連のPKOだけで八つか九つあるでしょう。その最前線の一つが南ス
 −ダンなのです。住民保護にために当事者である国家を差し置いて交戦主体になる今日
 のPKOでは、先進国が部隊を送ることは期待されていないのです。そこに自衛隊が行
 かされているわけです。
・南スーダンに関しては、いまだに停戦合意が破られたら帰ってこいという話を国会でや
 っています。ここに自衛隊を送ったのは民主党政権のときですが、既に、何度も合意が
 破られています。でも、帰ってきてないでしょう?当たり前です。帰ってこられないん
 です。だって、帰るということは住民を見放すことですから。そうやすやすと帰るなら、
 最初から来るな、ということなのです。だから、現場の責任者は、引くとは言えない。
・そもそも軍隊の組織というのは不条理なもので、指揮官というのは独裁者なのです。危
 機の状態と向き合う仕事なわけですから、自衛隊であろうと、どこかの軍隊であろうと
 指揮官というのは独裁者にならないといけない。いちいちみんなの意見を聞いていられ
 ないわけです。そこで大切なのは「統率」という言葉なのです。統率とは指揮官の言う
 ことを、隊員に納得させることでもあります。「あなたのやることなら一緒にやりまし
 ょう」と隊員に思わせることが重要なのです。つまり、任務意識を合一させる。任務意
 識をただ理解させるということではなく、任務に対して忠誠心を持たせて、「一緒にや
 ろう」という気持ちにさせるのです。それともう一つは、「首相の命令は国民の命令」
 だと思わなければいけない。その理屈は隊員には教えるけど、隊員は我々のように必ず
 理解するとは限らないわけです。だから、最後は「うちのボスが行けと言っているんだ
 から、行かなければならない」と納得させるしかありません。
・仮に国民から「自衛隊は、高い給料をもらって何をやっているんだ。サボっているので
 はないか」と言われたときにはなんと答えるか。基本的には、我々自衛隊は訓練をや
 っていると答えます。危険な状態になっても任務を達成できるように日々、訓練してい
 るのです。危険な状態になることを覚悟の上で、危険な訓練をしている。実は自衛隊は、
 これまでに1500人の訓練死を出しています。1500人を60で割ると、1年あた
 り25人の隊員が訓練で亡くなっている。
・だから指揮官の任務としてもうひとつ大切なのは、訓練をしていないこと、訓練しても
 できないだろうというようなことを任務として与えられたときは、きちっとお断りしな
 ければいけないということです。それが指揮官の責任です。危ないと思ったら「いまの
 自衛隊の訓練、実力ではとても派遣できません」と、はっきり政治家に言わなきゃいけ
 ない。政治家に言うということは、国民に対して言うということです。
・憲法的な問題点を指摘すると、ずばり、それは日本では憲法上「軍法」が作れないとい
 うことです。自衛隊に限らず、ある国の兵士が過失を犯しても、他国の軍法で裁かれる
 ことはありません。だから、過失を犯した兵士の処遇は、各国の軍法に任せるしかない
 のです。それは、現地社会の人心掌握が作戦の遂行を左右する非対称戦では、決定的に
 意味を持ちます。現地の人たちが納得できる「言い訳」が必要なんです。つまり、「あ
 なたたちの国の法からは訴追免除されているけど、我々の軍法のほうが厳しいし、迅速
 に審判するから、許してね」と。軍法の実際の運用は必ずしもそうならなくても、自信
 をもって、こう言い訳できる体制が必要なのです。つまり、軍法のない自衛隊は海外で
 は使えない。軍法を作るには、憲法を改正しなければいけない。逆に言うと、自衛隊の
 根本的な法的地位を国民に問うことなしに、自衛隊を海外に送ってはならないのです。
・五大国同士が直接戦火を交えることは、もうほとんど考える必要はないでしょう。まあ、
 日本がアメリカの軍事基地である限り、そして、尖閣あたりで、日本自身が、中国に
 「自衛権」を行使する口実を与えない限り、日本の国土が中国に「侵略」されることは
 ないでしょう。だから、中国の「漁民」や警察権による挑発行為に、日本が自衛隊で軍
 事的に乗らない限り、大丈夫。日本は、外国人犯罪として、絶対に「シームレス」に対
 応してはいけないのです。特に日本は、他の国以上に国際法上の「武力の行使」につい
 て気をつけなければなりません。国際憲章では、第二次世界大戦の敗戦国である我々は
 依然、敵国、いわば、「保護観察」の身なのですから。 
・独立だけを言っていたら平和はなくなるのです。みんなが自由であったら、必ず万人が
 万人の敵になる。だからそのために自分の主権というものを制限するしかない。独立と
 平和は両立しにくいけど、両方必要に決まっているのですから。日本、アメリカ、中国
 など様々な国があるなかで、自分の主権をある程度制限して譲るべきところと、何とし
 ても主権を守らなければいけないところをきちんとわけて国民に説明する責任が首相
 をはじめとする政治家にはあると私は思っているのです。   
・「日本はアメリカのポチになるのではないか」と心配する人もいます。しかし、アメリ
 カの力は大きいので、まったく無視するわけにはいきません。やはりアメリカ中心の流
 れで当分はいかざるを得ないというのが、現状でしょう。そんななかでも、日本は独特
 な国、世界にリスペクトされる国であるという独立心は持っていると思います。   

いまこそ自衛隊から平和を問い直す
・自衛隊員は、入隊時に「わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法
 及び法令を遵守し」、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、も
 って国民の負託にこたえる」と宣言します。つまり、日本を守るためには命を張ると言
 っているわけです。
・自衛隊は本来軍隊であるべき、という感情は、憲法九条と正面から衝突するものです。
 とはできません。しかし、その積もり積もった不満があるからこそ、今回の安全保障論
 議に自衛隊から支持の声が出ているのかも知れません。しかし、今回の法制は、依然と
 して、自衛隊が軍隊でないことを前提にしています。その状態のまま海外で軍隊並の武
 器使用を含む任務を与えるものであって、いわばその矛盾を拡大再生産しようとするも
 のになっています。
・自衛隊の論理では、最高指揮官である総理大臣の命令は国民の命令です。しかし、当然
 のことながら、総理大臣と国民は別物であり、総理大臣が命令したからそれでよい、と
 いうのは、やはり違いのではないかと思います。
・軍隊として扱われないという現実は、戦争をしてこなかったことと裏表の関係にありま
 す。戦争をしない自衛隊は、やはり「特別職国家公務員」であって、「軍人」ではない。
 そういう自衛隊を、災害派遣を通じて国民が支持し、信頼してきた。一方、戦争するこ
 とは国民が容易には納得できない。国民が支持し、信頼する戦争があるかどうか、とい
 うことになるでしょう。私は、ないと思っています。だから、私は一貫して、憲法とと
 もに存在す自衛隊という名の集団に愛着を持ち、それを維持したいと思ってきたわけで
 す。戦争というのは、国が他国に対して自分の意思を押し付けるために武力を使うこと
 です。力ずくで相手の意思を変えるということです。国民は、日本がそういう国になる
 ことを、決して受け入れないだろうと思っています。
・そもそも日米安保体制は、日本がアメリカに基地を提供し、アメリカは日本と極東の安
 全を守るということで成り立っています。実際、日本の基地は、米軍のグローバルな展
 開にとって必要不可欠な存在であり、「日本を守ってもらっている」というような後ろ
 めたさを感じる必要はまったくありませんし、基地の数や駐留費も含めて、日本側の負
 担は大変なものです。日本から見れば、自国内に米軍基地があるということは、日本へ
 の攻撃に対する「人質」となるわけです。米軍が日本を守るのは、日米同盟があるから
 ではなく、米軍基地が日本に存在するからです。つまり、極論として軍事的に割り切っ
 た言い方をすれば、もし日本が「守らないでいい」と言っても、アメリカは日本を守り
 ます。
・米軍基地の存在は、「だからアメリカが守ってくれる」ということと同時に、「自国内
 の米軍基地が攻撃される」というリスクも抱えていることを忘れてはなりません。アメ
 リカの基地は、日本を守るためだけにあるのではなく、他の国や地域を防衛し、場合に
 よっては自ら武力介入をしていく足掛かりとしても使われる。それゆえ、「基地がある
 からアメリカの戦争に巻き込まれるのではないか」という批判が繰り返されてきました
 が、それは根拠のないことではなかったのです。一方、そうした基地の使い方を否定す
 れば、アメリカが日本の基地を守る理由がなくなって、日本を守らないかもしれない。
 日米安保体制とは、そのようなバランスの上に成り立っているのです。
・自衛隊を海外に送らなければ関係が揺らいでしまうほど、日米同盟が弱体化しているか
 といえば、そんなことはありません。自衛隊と米軍の装備や情報ネットワークの共通性
 は、おそらく世界中のどの国よりも進んでいます。しかし、日本政府は、アメリカが行
 くところに自衛隊がいなければ同盟維持に支障をきたす、という認識になってしまって
 います。憲法の範囲内で、アメリカが望むことを日本がやります、ということならとも
 かく、自衛隊派遣そのものが自己目的化してしまっているのが問題です。 
・アメリカが日本を守るのは米軍基地を守ることですから、そこで同盟の最低限のバラン
 スがとれているはずです。しかも、日本は基地だけでなく、駐留経費も出し、電波の割
 り当てや空域の使用でも便宜を図り、近隣有事では国のインフラをあげて支援する周辺
 事態法があるなど、すでに日本の持ち出しが多いという意味の片務性があります。
・2015年4月に改定された新しいガイドラインでは、日本に対する武力攻撃が発生し
 た場合の対処として、ミサイル防衛であれ海域、空域、離島を含む陸上の防衛であれ、
 すべて、自衛隊が「主体的に」行い、米軍は「支援・補完する」と書いてあります。
 日本は自分で守れ、何があったら支援してやる、ということです。何をしてくれるかは、
 はっきりしない。他方で、日本側は、地球の裏側まで行って米軍に協力すると書いてあ
 る。ここまでくれば、日本が一方的に持ち出しになる片務性で、まるで属国というべき
 不平等です。湾岸戦争ときは、130億ドルの戦費をアメリカに払って、イラクのとき
 も、復興のために資金50億ドルの戦費を出しています。アメリカのATMだったので
 す。今度は、フルタイムでアメリカのお手伝いをするわけです。
・同盟関係において、サービスのしすぎは不健全です。「同型を強化する」というならば、 
 まず本来の日米同盟の原点に立ち返ることが必要ではないでしょうか。「北朝鮮の脅威
 から守ってもらうためにはアメリカに協力しないと」という発想では、新しい脅威が出
 てくる度に、「守ってくれるアメリカのために何でもやります」ということになってし
 まいます。そして、憲法の範囲を逸脱してことを自衛隊にやらせるために、まやかしの
 法整備でごかまさざるを得なくなる、ということが繰り返されていくのです。
・今日の政府の 発想は、逆に、サービスしておかなければいざというときにアメリカが
 助けてくれない、「見捨てられるかもしれない」という心配をしているようです。逆に
 野党のほうは、集団的自衛権の行使や後方支援をすればアメリカの戦争に巻き込まれる
 という批判をしています。どちらも、自分の戦略を持たないアメリカありきの発想です。
 アメリカのような超大国と組めば、「見捨てられ」と「巻き込まれ」両面の心配が絶え
 ません。戦争をするかどうかを決めるのは、その能力を持った超大国だからです。こう
 した不健全な関係を良しとしないのであれば、あめりかとの同盟の特質を知り、それに
 振り回されない独自の戦略眼を持たなければならないでしょう。「抑止力、抑止力」と、
 お題目のように唱えていては、見えるはずのものも見えなくなってしまうのは当然です。
・カンボジアのPKOからこのかた、海外に行っても一発も弾を撃たなかった自衛隊は、
 少なくとも、日本が戦後70年間をかけて培ってきた「非戦ブランド」を守ってきまし
 た。イラクで言えば、確かにサマーワの人々に「自衛隊は一発も弾を撃たなかった」と
 いう記憶は残っていると思います。また、規模は小さくとも、現地の雇用に貢献し、地
 域の経済的支援に役立った功績も挙げられるでしょう。しかし、それ以上の積極的なプ
 ラス面が日本にもたらされているとは、とても言えません。
・イラクに600人の自衛隊を送り、2年半発動したその成果はどこにあるかと考えると、
 外交的成果、経済的成果、政治的成果、そのいずれも日本にはほとんどなかったと言え
 るでしょう。自衛隊派遣ありき、という流れがこの先も続くのであれば、日米同盟とい
 う観点のみならず、イラクへの自衛隊派遣が日本にとってどういう成果があったか、と
 いうことについても検証する必要があります。今後、新しい法律で自衛隊を海外に出す
 のであれば、自衛隊が達成すべき任務の目標は何か、それによって、日本が政治的に、
 あるいは経済的に何を得るのか、ということをはっきりさせなければなりません。
・イラク戦争でアメリカが掲げた大義のひとつは、イラクの民主化と人権の回復による中
 東の安定化。サダム・フセインという「悪の枢軸」の一角を排除すれば中東、ひいては
 世界が民主化し安定するはずであった。しかし、イラク戦争の「大義」であった、中東
 地域の安定そのものがイスラム国(ISIL)などの出現によって台無しになってしま
 っている。もう一つの「大義」であった大量破壊兵器の問題は、北朝鮮問題を抱える日
 本からずれば他人事ではない面があったわけだが、結果的に事実無根でした。つまり、
 日本がイラクに自衛隊を送った「大義」は達成されておらず、むしろさらに混乱を深め
 ています。実際のところ、当時の官邸で行われていた議論に、そもそもイラク戦争で日
 本がどのような「大義」を掲げるのか、という話は出てきませんでした。イラク戦争は
 ブッシュ大統領の最重要テーマでしたから、そこに異本が何らかの形で入って手伝うと
 いうことが、日本政府にとって必要不可欠なミッションだったのです。つまり、日本自
 身が「イラクをなんとかしなければ」という動機を持っていたわけではありません。も
 し、本当にそういう「大義」が日本にあれば、もっと多くの兵力を派遣したはずです。
 しかし、何らかの「大義」がなければ、自衛隊を海外に送り出すことはできないでしょ
 う。    
・日本ならではの「ブランド」の一つは、原爆を落とされた国土がめちゃくちゃになった
 のに、その後経済大国として復興してきたすごい国だ、というものでしょう。そしても
 う一つ、戦後70年間、戦争に自ら参加していない平和大国のイメージです。自衛隊は
 海外でも弾を一発も撃たないことにより、そのブランドを守ってきました。ます自衛隊
 ありきではなく、そのブランドを効果的に使うにはどうすればいいか、ということを考
 えなければなりません。
・いまの現実は、以前のような典型的な停戦合意型のPKOとはまったく違います。住民
 保護をすれば、武装勢力と敵対し、現地で戦うことになるでしょう。実際、私が話を聞
 いたNGO関係者のほとんどが、「自衛隊が出ていないからこそ、現地でなんとかやれ
 ている」という意見でした。むしろ拙速な派遣はいまは避けておいたほうがいいし、あ
 わてて乗り出す必要は全くありません。中途半端な武器使用に踏み出すのが一番危険で
 す。日本がやるであれば、武器を使わないでいい前提の業務に徹するべきだ、というの
 が現在の私の考えです。
・このような考えに対して、「一国平和主義」という批判があります。自分だけ平和であ
 れば世界がどうなってもいいのか、ということを言いたいのでしょう。しからば、現実
 に何をするかといえば、「自衛隊を出す」ということしかありません。「各国が軍隊を
 出して危険な役割を担っているから、日本もそうしなければ世界から相手にしてもらえ
 ない」という理屈です。しかし、これこそ「お付き合い」の発想です。「みんながする
 から日本もする」のではく、日本として何をすべきかを考え、日本ならではのやり方を
 するというのも、立派な姿勢だとだと思います。もはや先進国はPKOに軍隊を出さな
 い傾向にあります。いまさら、皆がやっているからと言って日本が自衛隊を送るのは、
 周回遅れの感が否めません。
・イラク派遣によって、湾岸戦争のトラウマからは脱却できたはずなのですが、その延長
 線上で今回のような安保法案が出てきたということは、海外派遣をやり続けなければト
 ラウマがよみがえるような精神構造にあるということです。しかし、トラウマから脱却
 するために、むしろ「自衛隊を海外に出さない」とはっきり言った上、では日本として
 非軍事で何ができるのか、ということを追求していくのも一つの方法ではないでしょう
 か。
・まずは、非軍事の部分で何ができるかということについての議論を始め、実体験を通じ
 て経験を蓄積していくことが重要です。ソフトパワーのノウハウを持っている日本の
 NGOの活用も視野にいれるべきですが、現地での活動は危険を伴いますから、
 NGOのメンバーを対象にした十分な情報提供と事前に訓練、さらには、何があったと
 きの大使館などとの連絡や、政府のサポート態勢の整備も必要です。
・どうも、政府の役人は、政府以外の人間がやることに冷淡です。こうした発送を転換し
 てNGO・ボランティアが主役という意識になれば、役立つ分野は山ほどあるだろうと
 思います。 
・これまで自衛隊は、カンボジアに始まり、東ティモール、ゴラン高原、ハイチ、南スー
 ダンでのPKOやイラク派遣を含め、20年以上にわたって30回近い海外活動を行っ
 てきています。参加人数は延べ4万人にのぼり、憲法の制約を超えない範囲での活動の
 ノウハウも蓄積されつつあります。それによる知恵やノウハウの提供が多額の資金援助
 とセットになれば、活動全体の政治的方向性を規定するリーダーシップをとることも不
 可能ではないはずです。
・自衛隊の海外派遣が国際社会における日本の存在感を高め、さらに日本が国際秩序の安
 定に貢献する役割を果たすようにするには、発想の転換が必要です。これまでのように、
 フォロワーの立場で国際社会と付き合う姿勢を続けるのであれば、「みんなが出してい
 るのに、日本だけ自衛隊を出さなくていいのか」という考え方になってしまうでしょう。
 しかし、「お付き合い」で自衛隊を出していく限り、たとえ「もう引き上げたい」と思
 っても「リーダー」や「みんな」が引くまでは、派遣のゴールは見えません。「現地の
 人たちが身の危険なく、安心して暮らせるようになるまで」という目標は、何十年かか
 っても達成できないかもしれませんし、それではいつまでたっても撤退できません。
 「みんなが決めなければ自分は何もできない」という部分が、自衛隊にとって、おそら
 く一番大きなストレスになると思います。本来ならば、撤退できる目標をどこに置くか、
 ということがわからなければ、政府は派遣を決定することはできないはずなのです。
・平和を達成するためには、現実問題として、ある程度は軍事的手段が必要だという前提
 も必要でしょう。しかし、それは日本がやらなければならないことなのか、という疑問
 があります。安倍首相が掲げる積極的平和主義の問題点もそこにあると言えるでしょう。
 もし異本が軍事的役割を果たしていくのだとすれば、まず、これまで現地の人を一人も
 殺していないという日本の非戦ブランドを捨て去るというデメリットが生じてしまいま
 す。そして、日本にふさわしいかどうかということで言うならば、70年間戦争をして
 いない日本に軍事的役割を果たすだけの準備がないという一つの表れは、軍法会議もな
 いのに軍隊的な仕事を海外でさせようという発想です。軍法会議がなければ、現実はと
 もかく法制上は、戦場で敵あるいは敵と間違えて住民を撃った自衛官が「殺人罪」で裁
 かれてしまう、ということになってしまいます。 
・もし海外で武器を使うならば、軍法会議が必要になる。だが、憲法の制約上、軍法会議
 は設置できない。であるならば、自衛隊を海外に出すためには憲法を変えないといけな
 い。そんな常識もない政治家が、「まず自衛隊の派遣ありき」で政策を決めようとして
 います。そうなってしまった理由の一つに、私自身も含めた防衛官僚が「一体化論」な
 どを使うことで、政治家が軍事を考えなくともいいようにしてきたということもあるで
 しょう。しかし、もはや、そのようなごまかしをしている場合ではありません。
・時代がどう変わろうと、シビリアンコントロールで最も大事なのは、軍の使い方を誤ら
 ないということです。積極的に軍を使わなければならないという発想を前提にしてシビ
 リアンコントロールを考えていけば、軍を使うという主張がどうしても強くなる。それ
 が、いまの日本の状況だと思います。安倍政権かの下、防衛省設置法12条廃止によっ
 て文官統制がなくなるという状況において軍事のプロフェッショナルである自衛隊が政
 治の無理な命令をどう断れるか。言い換えれば、軍の暴走ではなく政治の暴走を誰が止
 めるのか、ということが、現在の日本におけるシビリアンコントロールの一つの課題と
 言えるでしょう。 
・国民が理解しないことを自衛隊はできないし、もしそれをやったら自衛隊にとっても国
 民にとっても不幸なことになる。
・もし憲法を変えるのであれば、「自衛隊が存在することがわかる」憲法にしてもらいた
 い、ということです。自衛隊の運用を変えるために憲法を改正するのではなく、自衛隊
 が国民に支持されているのであれば、自衛隊の存在を守るために、きちんとそれを憲法
 に書いてほしいと思います。
・そしてもう一つ、やはり国を守るのは国民なのだ、という意識を持ってほしい。自衛隊
 だけで国を守ることはできないのです。安倍首相は、「アメリカの船を守ることによっ
 て国民の命と財産が守られる」と言いますが、そんなおかしな話はありません。国民の
 命と財産を守るのは国民自身だ、ということが、本来の国の精神であるべきですし、そ
 こを憲法にしっかり書いてもらいたいと思います。いまは、国を守るのは自衛隊の仕事
 だと、自分には関係ないこととしてとらえている人がほとんどかもしれませんが、それ
 では、自衛隊は特別の下請け業者のような扱いと変わらないことになってしまうでしょ
 う。そうではなく、国民が自助の精神を持ち、それを自衛隊が代表するという構成が必
 要です。
・日本に最もふさわしいのは、やはり「専守防衛」です。専守防衛というのは、正確には
 軍事用語ではありません。進んで戦争はしないという政治的なメッセージとしての意味
 があったと思います。つまり日本は、自らの国土を守ることに専念する、それで足りな
 い部分、すなわち、敵基地を攻撃し、あるいは的に破滅的打撃を与えることによって威
 嚇し、攻撃を抑止する機能は、米軍に期待するということです。「専守防衛」は、外に
 向かって日本が他国に脅威を与えるような軍事大国にはならないというメッセージであ
 り、国内に向かっては、憲法のもとで、自衛隊の存在と日米安保体制とを両立させるキ
 −ワードとなりました。  
・日本は、大陸に接近した細長い島国です。島国というのは、いきなり戦車が押し寄せて
 こないという点では利点になりますが、船を使えばどこからでも攻めておられるという
 意味では欠点となります。さらに、人口と産業基盤が海外線に沿って集中しています。
 ついでに言えば、原発もそうです。上陸した敵を迎え撃つような国土の奥行きがありま
 せん。本気で攻めてこられたら、これらのインフラを奥地に退避させられないのです。
 そして、資源に乏しく海洋の交易路を絶たれたら生存できないという特徴を備えていま
 す。 
・憲法改正についての議論で気になるのは、必ず出てくる「アメリカに押し付けられた現
 在の憲法はけしからん」という意見です。しかし、「押しつけられたからよくない」と
 いうのなら、とっくに変えていなければならなかったはずでしょう。ところが、押しつ
 けられたものを日本国民は独立を回復したから60年以上、ずっと受け入れてきた、そ
 の事実のほうがよほど重いと思います。憲法をどうするかをかんがえるならば、九条に
 限らず、戦後70年間の日本の歩みを一つひとつ総括するなかで結論を出すしかない、
 ということなのだと思います。
・これからは、政府が余計なことをするよりも、国民同士が交流に委ねるべきだと思い
 ます。そのためには、日本政府が、外国に対してではなく日本国民に対して謝罪し、
 「政府の行為によって戦争の惨禍をもたらしたこと」について反省すべきです。そのう
 えで、あの戦争と戦後の平和国家としての歩について、国民の総括を求めなければなり
 ません。個々の国民にとっては、親が悪いことをしたといって謝罪する謂れはありませ
 ん。しかし、主権者としてかつて自分の国がどれだけ間違っており、当時の国民がなぜ
 それに協力したかという「錯誤」と「加害」の事実を知る必要があると思います。国民
 にも、それを知る「覚悟」が求められます。
・戦争が力による国家意志の強制であるとすれば、相手より強い力によって戦争をしない
 ことを強制するのが抑止です。抑止を貫くためには、相手より強くあり続けなければな
 りませんが、果たしていまの日本に、その余力があるのだろうか。さらに、抑止が破れ
 て戦争になった場合、より大きな報復を加える能力も必要です。日本にそのような力は
 ありませんから、依然としてアメリカに助けを求めなければならないでしょう。問題は、
 アメリカが日本の報復戦争に加担する意思を持っているかどうかです。私は、ないと思
 います。いま、「抑止力」論者たちが想定している相手国は中国です。しかし、これだ
 け経済の相互依存が進むなか、中国を殲滅すれば、アメリカの生存が成り立たない。中
 国のほうも同じです。つまり、米中が本気で戦争をする動機が失われるなかで、紛争を
 拡大しても力で勝ち続けるという意味の抑止構造が本当に存在しているのか、この疑問
 を解決しなければならないと思います。
・一方、両国ともに、本気で戦争をしないことはうすうす気が付いているはずです。そう
 すると、本気の戦争にならないのであれば少しくらい悪さをしてもいい、という誘惑に
 かられることが心配されます。中国が南シナ海でやっている「力による現状変更」には、
 そうした思惑が感じられます。しかし、軍隊を出しているわけではないので、アメリカ
 も、軍隊で対抗措置をとることはできない。これが、抑止の「隙間」です。求められて
 いるのは、抑止の「延長」ではないのです。
・では、中国の挑発行為にどう対応するか。日本ではまず、海上保安庁が島や海洋を守っ
 ており、その背後に自衛隊がいます。力の拡大競争につなげないという意味では、抑止
 力で対応するべきではありません。むしろ、現場で海保などが粘り強く抵抗することで
 相手の目的を簡単に達成させない「拒否力」を発揮すべきです。また、それを背景に両
 政府間の合意形成を図るなど、政治的な危機管理の課題として取り組んでいく。国防に
 おける自衛隊の存在はそういう形で活かされているし、今後もそのようにあり続けるべ
 きです。 
・世界の平和と安定のために何をすべきか。いまの憲法の「まやかし解釈」では、対テロ
 戦争や住民を守るPKOの現実に対応することはできません。したがって、まずは、自
 衛隊が海外でやるべきことは当分の間はない、というのが結論です。
・中東で軍隊に求められているのは、イスラム国の掃討です。そこに自衛隊を派遣して後
 方支援をするなら、日本もまたイスラム国の敵であることを自ら示すことになります。
 いまやそれは、中東から見た日本の立ち位置として、かえってまずい。アメリカの側に
 いることは、イスラム国から敵とみなされることだからです。掃討作戦の見通しも明る
 くありませんが、やがて掃討作戦が終了するときが来るならば、次に求められるのは和
 解であり、再建です。そこで必要なものは、アラブの強権的な政権や、空爆を続ける欧
 米とは違う立ち位置を守ってきた国が主導することだと思います。私は、日本という国
 がそういう国であってほしいと考えます。

おわりに
・私が望む国は、すべての国民が自己実現の機会を与えられる国です。自分にとって大切
 な価値とは何かを考え、確信をもってその実現に向け努力していくこと。そのプロセス
 が自己実現だと私は考えます。憲法を変えたいという自己実現も、不定されるべきでは
 ありません。しかし、自己実現は、他の犠牲の上に成り立ってはいけないと思います。
 私が自衛隊員のリスクにこだわる最大の理由は、そこにあります。