イラク戦争(検証と展望) :寺島実郎

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この本は、今から20年前の2003年に刊行されたものだ。
イラク戦争といえば、2001年の9月1日に発生したアメリカ同時多発テロ事件に端を
発し、「テロとの戦い」を旗印に、アフガニスタン戦争に引き続き起こった戦争だった。
確かに、テロリストに乗っ取られた旅客機がマンハッタンのワールドトレードセンタービ
ルに次々突っ込んだ映像はきわめて衝撃的だった。
しかし、だからといって、潜んでいるテロリストを引き渡さないとの理由で、アフガニス
タンという独立国に勝手に軍事侵攻して、その国の政権を崩壊させるということが、果た
して認められるものだろうかと当時は疑問を感じたものだ。
さらに、大量破壊兵器を隠し持っているとの理由で、イラクにも軍事侵攻して政権を崩壊
させた。しかし、いくら探しても、大量破壊兵器などというものは発見されなかった。
後になってみれば、大量破壊兵器の存在というのは、戦争をやりたい一部の人たちがつく
り出した単なる口実づくりにすぎなかったのだ。
冷静に考えてみると、当時のアメリカは、まさに現在のウクライナ戦争におけるロシアと
同じだったと言えるのではないのか。
現在起きている、ロシアが自国民保護を自由に一方的にウクライナに軍事侵攻したように、
アメリカは一方的にアフガニスタンに軍事侵攻し、そしてまた一方的にイラクに軍事侵攻
したのだった。
そして忘れてならないのは、当時の日本の小泉政権は、その一方的に軍事侵攻したアメリ
カを、まっさきに支持表明し、アメリカ追随を明確にした。
そして日本は、戦後初めてPKO活動以外での自衛隊派遣を行い、有志連合の一員として
イラクへの侵略戦争に参加したのだ。
さらつけ加えれば、このイラク戦争で米軍は、大量の劣化ウラン弾を使用したと言われて
いる。そしてまた、今回のウクライナ戦争においてアメリカは、劣化ウラン弾をウクライ
ナに供与することを決定したらしい。
イラクでは、劣化ウラン弾使用による影響で、白血病の罹患率や奇形児の出生率が増加し
たという報告もあり、その影響はいまだに明確にはなっていようだ。
広島・長崎の原爆被害および福島原発事故において放射性物質の恐ろしさを充分に知る国
として、このことを黙って見ていていいものだろうか。
また、日本が、イラク戦争において侵略者側に加担したというのことを、現在、ウクライ
ナ戦争を目にしている我々日本人の中で、認識している人はどの程度いるのだろうか。
イラクへの侵略戦争に加担した国のわれわれ日本人は、イラクの復興とその未来に、重い
責任があることを決して忘れてはならないだろう。


はじめに
・2003年3月に起こった米英軍によるイラク攻撃とは何だったのか。
 アメリカ軍によってイラクの人びとは独裁から、また世界は大量破壊兵器とテロ組織の
 脅威から解放されたのではないか、という声もあるだろう。
・しかし、独裁者を倒したアメリカに感謝するはずのイラク人たちは、制圧から一週間も
 かからないうちに反米デモを繰り広げるようになった。
 独裁政権の後の訪れたのは、戦前に約束されたようなデモクラシーではなく、無政府状
 態にすぎなかった。 
・イラク全土を制圧した後も、大量破壊兵器の痕跡は見つかっていない。
 イラク政府が国外のテロ組織と結びついた証拠も、核開発の跡もない。
 イラクは国際平和に対する脅威だったといえるかどうか、その点さえも疑わしい。
・対テロ戦争の一環とか大量破壊兵器の排除などといった戦争の正当化に根拠があったの
 か、疑問が残る。 
 国連の決定もなしに、現実に脅威があるかどうかもわからない政府を、一方的な先制攻
 撃によって倒してしまう。
 こんな戦争とも呼べないような一方的な破壊が、なぜ起こり、この時代にどのような意
 味を持つのか。
 戦争終結から三カ月近くたった今、改めてこの戦争を筋道立てて考え直したい。
 
総論「イラク戦争」を総括する

「不必要な戦争」を拒否する勇気と構想寺島実郎
・多くの人は、9.11の同時以降のテロの展開として「イラク戦争」が浮上したと考え
 がちである。
 しかし、ブッシュ政権は9.11の直後からイラク攻撃を検討していた。
 9.11とイラクの関係さえまったく検証されていない段階においてである。
・伏線として「PNAC」の存在を指摘せざるを得ない。
 彼らの主張は、
 「軍事力を背景に市場経済と人権と民主主義という価値を世界に定着させる」
 というアメリカ至上主義的論理に特色づけられ、それが2002年9月にブッシュ政権
 が発表した「新外交ドクトリン」に反映されたことは間違いない。
 そしてPNAC設立当初から「サダム・フセイン政権打倒」が主要な活動目標の一つと
 されていたのである。
・つまり、9.11が起こったから「アフガン攻撃」があり、次なる帰結として「イラク
 攻撃」が浮上したのではないのである。
 初めにイラク攻撃シナリオがありきで、ブッシュ政権のそうした特異な性格を見失って
 はならない。 
・湾岸戦争の怨念をひきずった屈折した心理と役割意識肥大症ともいうべきアメリカの価
 値への陶酔、それを「新しい帝国主義」と呼ぶ人もいるが、我々は今そうしたゲームに
 付き合わされているのだ

・9.11の直後、ブッシュ大統領は衝撃のあまり「これは犯罪ではなく戦争だ」と叫び、
 アフガン攻撃に至る政策を選択した。
 あの時点での米国民の衝撃と怒りを考えたならば、やむを得ない選択だったかもしれな
 い。
・しかし、時間の経過とともに判明してきたことは、やはり9.11は19人のテロリス
 トによる組織犯罪であり、こうした人道に対する卑劣な犯罪行為を裁く国際刑事訴訟シ
 ステムの構築に米国こそ先頭に立つべきであろう。
・ところが、驚いたことにブッシュ政権は「ICC」への参画を拒否した。
 「自分を国際ルールで縛らないでくれ」というユニラテラリスズム(自国中心主義)
 極まるはなしなのである。
 テロという暴力に対して戦争という暴力で回答が得られると米政権は考えているのであ
 る。
・「大量破壊兵器」「国連決議違反」という戦争の理由も、熟慮すれば首尾一貫したもの
 ではない。
 国連法理に基づく正義の戦争も実はそれほど筋道が通ったものではない。
 また、仮にイラクが大量破壊兵器を保有していたとしても、大量破壊兵器を保有してい
 る国はイラクだけではない。
 米国自身が最大の保有国であり、使用実績も際立っている。
 「大量破壊兵器の廃棄」を求めるならば、世界全体から脅威を取り除くための制御シス
 テムこそ議論されねばならない。
・圧倒的軍事力と経済不安の谷間に生まれるのが「力の行使」への誘惑である。
 PNACのT・ドレーニー副事務局長などは、
 「力を積極的行使するよう政府に働きかけ、米国の原理原則を世界に広めることが目標」
 といってはばからないが、世界はこの認識に基づくブッシュ政権の行動にひきずられて
 いるのである。 

・ブッシュ政権がイラク攻撃に躍起になる本質的理由が、「石油支配」などという単純な
 構図ではないからこそ厄介なのである。
 「イスラム中東世界を現代世界に変革」すると本気で思い込み、米国流の人権と民主主
 義の旗を世界に翻らせ「新しいアメリカの世紀」を創ることを夢見る意図が横たわって
 いるのである。
・かつての帝国主義が、領土や資源の支配を意図したエネルギーを発散していたのに対し
 て、「人権と民主主義のための十字軍」的な思い入れに陶酔しているという意味におい
 て「新しい帝国」の出現なのである。
・そして、この思い込みが途方もない危険性を内包しているから問題なのである。
 ブッシュ政権は、2002年9月に発表した外交ドクトリンにおいて、驚くべきキーワ
 ードを提示した。「先制攻撃権」という概念である。
 テロのような背後から虚をついて襲いかかる卑劣な行為に対しては、その芽を持った対
 象に先制攻撃を有するという論理である。
 しかい、この論理は世界秩序を液状化させ際限ない戦闘を誘発するものである。
・米国が突入しようとしているイラク攻撃という戦争は、本当の敵を見失った戦争である。
 テロ、ゲリラなど正規軍の戦いの対象となりにくい「非対称戦争」といわれる時代に、
 仮にイラクを短期間に屈服させ体制転換させたとしても、問題の解決に近づくであろう
 か。 
 むしろ、逆であろう。多くのイスラム諸国の人々の米国への憎しみを増幅し、世界中の
 人々は米国への嫌悪と軽蔑を深めるであろう。
・2003年2月に世界中で繰り広げられた1000万人を超す人々による反戦デモは、
 「21世紀の地球をどう制御するか」についての真剣な意思表示であり、これまた新し
 い時代を暗示するものである。
・その中で、日本の沈黙と屈折が際立つ。
 首相も外相も、国際社会の動向を見極めることが政策の基軸であると語り、「あいまい」
 であることが「国益と説明した。
 そして、「イラクに間違ったメッセージを伝えないため」として、結局は米国を支持し
 てイラクに圧力をかける政策に加担することを選択した。
 「国際社会の一致団結によるイラクへの圧力」を語りながら実態は米国支持を強く滲ま
 せた。   
 国連決議なしの攻撃さえも視野に入れ、この国は不条理な戦争支持に向けて舵を切った。
・多くの日本国民は「結局はアメリカについていくしかない」日本の選択に無力感という
 か、「しかたないだろう症候群」に襲われている。
・真摯に思考し行動する先達として敬意を抱く「岡本行夫」から
 「我々の選択肢はアメリカかイラクかである」 
 という率直な発言があったが、大量破壊兵器を隠し持つかもしれぬイラクと半世紀以上
 もの同盟国たるアメリカのどちらを支持するのかといわれれば、多くの国民の選択は自
 ずと明らかである。
 しかし、我々の前にある選択肢はそんな不毛なものであろうか。
・その後、政府関係者の国民向けの説明において、そこはかとない説得力を持ちつつある
 のが 
 「北朝鮮の脅威を抱える日本において、米国との連帯は不可欠である」
 という論理であり、米国の核の傘によって守ってもらわざるえない日本にとって、少々
 筋道が通らなくてもアメリカについていくしか選択肢はないだろうという認識である。
・私は、米国の核抑止力に身を置くことが現実的という固定観念を脱却し、日本の安全保
 障にとって有効かつ現実的な新たなる構想をいかに構築できるかが鍵であると考える。
・冷静にいえば、「北の脅威」は冷戦期のそれとは性格を変えている。
 つまり、北朝鮮の背後にソ連東側が存在し、北朝鮮の行動に東側が呼応して体制転換の
 脅威となっていた時代とは異なり、「ならず者国家」として自暴自棄の単発攻撃を仕掛
 けてくる危険が問題なのであり、現実にはいったん不当な攻撃が実行されたならば、そ
 の瞬間に北朝鮮の孤立と崩壊は決定的となるであろう。
・米国の核抑止力だけに期待するよりも、日本の原理原則としての「非核平和主義」に徹
 し、大量破壊兵器の廃絶を執拗に訴え続けるという「持たざる国の強み」を生かし切る
 べきであろう。  
・それでは、イラク攻撃が差し迫っているといわれる今、日本がとるべき政策はどうある
 べきか。私は次のように考える。
 1、イラクへの武力攻撃を支持しない。
   国連の新しい武力行使容認決議があってもなくても、憲法によって「紛争の解決手
   段として武力を用いない」ことを国是とする日本の原則を貫くべきである。
 2、日米同盟を外交基軸とする国として、米軍が中東に行動を起こす際、日本の基地を
   使用することは許容する。
   同盟責任としては、在日本米軍基地を提供し、駐留経費の七割を日本側が負担する
   という現実で十分である。
 3、イラク攻撃に関しては、直接間接の軍事支援もしないし、戦費分担もしない。
   アフガン攻撃時の「テロ対策特別措置法」を拡大解釈したり、新たな法律によって
   イラク攻撃に加担すべきではない。
 
この戦争から見えてきたこと
・あれほど強調された「大量破壊兵器」はどうしたのだろうか。
 少なくとも、イラクは大量破壊兵器を使わなかった。
 そして、米国が攻撃理由としていた「500トンの化学兵器、3万発以上の化学兵器用
 弾頭、炭そ菌などの病原体」は発見されていない。
・「イラクの民主化」も、もし本気でイラクに民主的選択による政権を創りだすことを志
 向するのであれば、人口の六割以上を占める「シーア派主導の政権」さえ容認せざるを
 えなくなるだろう。  
 米国の傀儡政権が成立し、米国の思惑どおりに機能すればするほど、イラクの民衆やア
 ラブ諸国までも離反し、「反米テロ」を誘発する危うい事態が現出するであろう。
・戦争という究極のパワーゲームを目撃すると、米国の「力の論理」が支配する時代の到
 来と考えがちとなる。
 もはや国連などの国際機関や集団安全保障システムは機能しないという議論さえ存在す
 る。 
 しかし、それは正しくない。世界は着実に国際法理と国際協調システムが機能する時代
 へと向かいつつある。
・イラクの「戦後復興」にしても、「中東和平」にしても、結局は米国だけで仕切りきれ
 る時代ではなく、やがて国際協調による正当性が求められてくるであろう。
 曲折を経ても、21世紀の世界は、全員参加型の国際法理に基づく国際協調システムを
 志向して歩み出していくといえる。
・改めて、イラク攻撃を実行したブッシュ政権を注視してみて、我々は極めて特異な政権
 の思い詰めたようなシナリオに付き合っているということを確認せざるをえない。
PNACに代表される俗に「ネオコン」(新保守派)といわれる人たちの影響力が極端
 に強い政権という特色をブッシュ政権が有していることは間違いない。
 米国の力(軍事力)で米国の理念(民主主義)を実現することに使命感を抱く人たちが
 存在すること自体、驚くに値しない。
 しかし、これらの人が政権の中核を占め、9.11への米国民の衝撃と恐怖心をテコに
 米国の政策を主導する流れを形成していることに驚かされるのである。
 国民の恐怖心と不安を土壌にして「腕まくりしたアメリカニズム」が吹き荒れるという
 意味で、我々が目撃しているのは「新しいマッカーシズム」だといえよう。
・米国という国の本来の姿は、「移民の国」としての伝統に由来する「開かれた国」であ
 った。他民族、多宗教を許容し、様々な人々に新規参入のチャンスを提供する「機会の
 国」でありそれがこの国の新たなる成長をもたらしてきた。
 しかし、米国は今、偏狭な価値観を掲げた放漫で排他的な「閉ざされた国」へと舵を切
 りつつある。 
・1950年代の初頭に、「共産主義の脅威」に脅える社会心理を背景に「反共パラノイ
 ア」ともいえるマッカーシズムが吹き荒れたごとく、現在我々が目撃しているのが、瞬
 間風速的な政治思潮のうねりだと認識すべきであろう。
  
・もう一つ、イラク戦争の経緯の中で、白日の下に曝け出されたのが、日本なるものの実
 像である。
 結局、この国の政府は国連の決議を無視した米国の武力攻撃を「支持」するという選択
 しかできなかった。
 そして、この国の国民も、
 「北朝鮮の脅威に晒されている日本は、米国に軍事力に頼るしかなく、少々不条理な戦
 争であっても米国を支持するしかない」
 という論理に引きずられて政府の選択を追認する心理に陥っている。
 この構図こそ日本の現実であり、誤魔化することのできない自画像なのである。
・つまり、戦争という非常事態への対応において、この国の本質が露呈したということで
 あり、いかに取り繕おうが「日本はアメリカ周辺国でしかない」という事実を証明して
 みせたわけである。 
・この瞬間、戦後踏み固めてきたはずの「武力をもって紛争解決の手段としないとする平
 和主義」や「国連中心の国際協調主義」が便宜上のものにすぎず、米国の都合によって
 はいかようにも修正されかねない性格のものだということを自ら認めてしまったのであ
 る。
・最も驚くべきことは、日本は自らを「アメリカ周辺国」と置く構図を変革する問題意識
 も意思もないことを示したことである。
 「長い物には巻かれろ」「勝てば官軍」として、受身で米国の「力の論理」を受け止め
 る卑しさを自覚することもなく、この国は進もうとしている。
・戦後の半世紀、踏み固めてきたはずの憲法理念さえ無視して、「アメリカの戦争」に拍
 手を送る姿に、「所詮、日本はアメリカについていくしかないのか」という諦念と自虐
 の心理を若者に与えたのではないか。
・アジアの目線から見たとき、期待できるアジアのリーダーと映ったであろうか。
 中国の台頭での中で、アジアの人々は、中国への警戒を内包しながらも、これからのア
 ジアをリードする国がどこになるのかを意識している。
 「仮に日本が国連の安保常任理事国になったとしても、それは米国の一票を増やすにす
 ぎない」とアジアの人々は日本を見ている。
・中国は、イラク戦争に対しても「米国との関係を決定的に損なわない範囲において、イ
 ラク攻撃に反対する」という姿勢を貫くことによって、アジアの人々にも「主体性」を
 印象づけた。
・独立国に外国の軍隊が長期にわたり駐留することは異常なことだ、という常識。
 戦後半世紀を経て「冷戦」が終焉しても、米国基地の縮小と地位協定の改定を問題意識
 として示さないような国を国際社会は一人前の大人の国と認知するであろうか。
・米国は、自らの世界戦略とその時点で国民世論の枠内でしか日本を守らないという常識。
 日本に「有事」があれば、日本のために駆けつける「善意の足長おじさん」ではない。
 そのことは、尖閣諸島を中国が武力占拠するという事態が起ったと仮定してみれば、容
 易にわかるはずである。
 米国は、自国の青年の血を流してまで、日中間の領土問題に介入すると期待するほうが
 おかしいのである。
・21世紀の日本外交にまず問われるべきは、米国への過剰依存と過剰期待を脱却して国
 家としての「主体性」を取り戻すことである。
 「対米関係の再設計」、それこそが我々の世代の課題であり、歴史的アナロジーでいえ
 ば、これは明治期日本の「条約改正」にも匹敵する「現代の条約改正」だと思う。
 
・「イラクに誤ったメッセージを送らないために」として、米国の真意が「イラク攻撃」
 にあることを十分に認識しつつ、残忍な虐殺をもたらす流れを支持した人たちの責任は
 消えることはない。
 「強いモノ」(米国の為政者)そして「時代の空気」へのおもねりと打算、小心なズル
 賢さを私はそれらの人たちに見た。
・東大の「田中明彦」教授は、
 (1)米国のイラク攻撃は正当
 (2)安保理決議はあったほうが良いが、無くてもよい
 (3)日本は米国の足り場を支持すべし
 との三点を事理を尽くして説明され、傍らの「北岡伸一」教授も大筋同意見だった。
・このような人たちが、不条理な私刑にすぎない戦争、権益漁りを正義と言いくるめた殺
 戮を「正当」と支持するような国へと日本を導いたのである。
 いかに言い逃れようとも不条理な殺戮に繋がる流れを支持したのである。
  
イラクを取り巻く中東世界小杉泰
・1991年の湾岸戦争は、イラクが小さな隣国クウェートを占領・併合したことに対し
 て、米国を筆頭とする多国籍軍が大規模の攻勢をしかけた戦争であった。
 大儀として、「クウェートの主権回復」が掲げられ、敗北したイラクは、クウェートか
 ら撤退を余儀なくされた。
・この戦争は、米国の戦争決断に当時のソ連も協調するという、冷戦期には考えられない
 態勢でおこなわれた。
 国連においても、かつては対立する陣営が拒否権を発動し合って機能不全に陥っていた
 安保理が、イラクに対する制裁と武力行使に合意するという画期的な事態となった。
・それだけに、戦争の規模も大きく、イラクには大量爆撃が加えられた。
 40日にわたって大規模な爆撃がおこなわれ、10万人とも20万人とも言われる犠牲
 者が出た。 
 抵抗するすべもなく人びとが殺され、怒りと恨みが中東全体に広がり、蓄積した。
・その「怨嗟」を体現するように、21世紀の最初の年の9月、「同時多発テロ事件」が
 米国でおきた。 
 これを過激派による米本土攻撃とするならば、通常のゲリラ戦では考えられない深甚な
 被害を米国に与えのものとなった。
・これに対して、ブッシュ大統領は、ただちに「これは戦争である」と宣言し、「対テロ
 戦争」を開始した。まずは、アフガニスタン戦争である。
・当時のアフガニスタンはタリバン政権が実効支配していたが、その庇護下に「同時多発
 テロ」の首謀者であるビン・ラーディンおよび彼の組織アルカイダが活動していた。
・米国は、その引き渡しを要求し、タリバン政権が拒むと、両者を同罪としてアフガニス
 タンを攻撃した。  
・年が明けると、ブッシュ大統領はイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と宣言した。
 対テロ戦争の次の標的が定められたと言える。
・ブッシュ政権は、イラクを攻撃する理由として、主として、イラクの大量破壊兵器がも
 たらす脅威をあげた。
 心理的に言えば、イラクが開発した大量破壊兵器(特に、生物、化学兵器)がアルカイ
 ダなどの手に渡り、米国攻撃に使われたらどうするか、という恐れが大きな要素となっ
 ていた。
 少なくとも、同時多発テロ事件を経験した後の米国人にとって、この恐怖感はきわめて
 リアルなものであった。
・2003年3月に、国連での調停を振り切って、米英軍がイラク攻撃を開始すると、
 これは「イラク戦争」と呼ばれ、わずかな抵抗を粉砕して、およそ3週間で米英軍が首
 都を制圧、全土を占領下に置くことになった。
・1990年にイラクがクウェートを占領したとき、米国は多国籍軍を形成し、湾岸戦争
 を主導した。 
 当時の国際世論のなかには、経済封鎖を強化してイラクの撤退を促すという主張も強く
 あったが、米国は戦争の道を選んだ。
 米国はイラクがクウェートを占領すると、さらに南進してサウディアラビアの油田を襲
 うことを恐れて、直ちに湾岸への派兵を決めた。
・イラク攻撃の理由は、石油だけではありえない。
 しかし、「石油がなければ、大国は私たちに興味を持たないであろう」というアラブ人
 の認識は正しいであろう。
 実際、バグダッドを占領した米軍は、石油省の建物だけを警備し、他の省庁が略奪者に
 よって略奪、放火されるにまかせた。
 この事実は、「やはり石油が目的だったか」との鮮烈な印象を残す結果となった。
  
目覚める「社会」(戦後イラクにおける宗教勢力)酒井啓子
サダム・フセインの行方もわからず、いまだ「大量破壊兵器」も発見されていない状態
 で、アメリカは5月初頭、イラクに対する戦争の終結宣言を行った。
 戦闘終結から約1カ月後の状況を見る限りでは、国内各地でいまだ略奪と破壊が続き、
 街区ごとに自警団が設置されて、市民は生活を自衛するしかない状況だ。
・市民生活においても、都市部で多少は電気や浄水が復旧したとはいえ、電話はほとんど
 通じない。 
・ポスト・フセインの政権構想も遅々として進まず、官僚機構の回復はもちろん、イラク
 人によって構成されるはずの暫定統治機構の設置も予定より大幅に遅れている。
・こうした混乱は、「予想外の事態」では決してない。
 イラク国民のほとんどが、フセイン政権に対する反発と不信を抱きながらも、それに対
 して徹底的に抵抗することがなかったのは、フセインによる恐怖政治もさることながら、
 フセイン政権が維持してきて社会治安、国民統合が、政権の崩壊によって一挙に失われ
 るのではないかと、懸念したからであった。
・またアメリカを含めた関係諸国が、湾岸戦争以降イラクのフセイン政権に対して決定的
 な打撃を与えることをしないできたのも、結局は「フセイン後」に安定が期待できない
 からであった。  
・2002年1月の「悪の枢軸」発言以来、アメリカがフセイン政権の転覆を本気で明言
 してきたことで、イラク国民や在外のイラク亡命者、あるいは周辺諸国は、ようやくア
 メリカが「フセイン後」に何か展望を見出したのだろう、と考えた。
・だが実際に戦後明らかになったことは、やはりアメリカはそうしたことを考えていなか
 った、ということだった。 
 次期政権候補の不在や略奪、インフラの崩壊などは、誰しも考えつく帰結であるのに、
 アメリカはそれに対して何も手だてをしていなかった。
・そのこと自体が、「アメリカは意図的にイラク国土と人心の崩壊を目的としている」
 という対米不信感情を、イラク人のみならずアラブ諸国全般にも、植え付ける結果とな
 っている。 
 そして、国民の間で口をついて出る言葉は、「フセイン時代のほうがよかった」。
 
ラムズフェルドの戦争(次なる戦争への序章)小川和久
・私はイラク戦争を、それを推進した国防長官の名前をかぶせて「ラムズフェルドの戦争」
 と呼んできたが、それは湾岸戦争後の軍事革命(RMA)に裏づけられた三つの特徴に
 よって成り立っている。
 すなわち、精密誘導兵器による圧倒的な空爆、情報機関と特殊部隊の大量投入、必要最
 小限の地上部隊による電撃作戦、である。
・この新しいタイプの戦争が、従来型の戦争に比べて「安上がり」で「犠牲の少ない」も
 のであるほどに、米国が戦争に訴える可能性が高まるのではないかというのは、もっと
 もな懸念である。
 そして、イラク戦争に勝利した米国が「次なる目標」と名指す北朝鮮に矛先を向けると
 き、日本が無関係でいられることはありえない。

・湾岸戦争で、イラク軍は戦死者10万人以上(推定)、捕虜8万5千人以上を出した。
 対する多国籍軍は、戦死者は約300人(うち米軍は女性兵士11人を含む148人)
 にとどまるという圧倒的な勝利を手にした。
・これを受けたRMAが進むなか、米国は安上がりで犠牲の少ない「ラムズフェルドの戦
 争」に傾斜していく。
 その効果を証明したのが、アフガニスタンにおける対テロ戦争だった。

・私は開戦当初から、報道などで市民の目に触れるのは全体の20%ほどで、隠された部
 分が次第に姿を現してきて戦争は終わる、と述べてきた。
 目に触れる20%ほどとは、バクダッドにいるジャーナリストや米英地上部隊に同行す
 る従軍記者と、カタールの中央軍司令部の記者会見から伝えられる戦況で、これは空爆
 と地上部隊による作戦の一部でしかない。
・空爆にしても、B2ステルス爆撃機、英国からのB52戦略爆撃機による重要目標への
 ピンポイント爆撃や、一般市民に被害の出にくい地域に展開する共和国防衛隊に対する
 猛烈な絨毯爆撃については、ついに伝えられることはなかった。
・その共和国防衛隊を含む38万人のイラク軍が抵抗らしい抵抗もなく崩壊したのには理
 由がある。  
 それは第一に、発展途上国の軍の典型的な在り方として、存在の目的が国内治安の確立
 にあったということだ。
 質量ともにそれなりの軍事組織が国内に展開していれば、それだけで国民を黙らせるに
 は充分である。
 しかし、外敵、特に米国のような先進国の軍隊との戦闘に耐えられるような教育訓練を
 怠ることになった結果、総崩れとなったと考えてよい。
・湾岸戦争での敗北体験も、イラク軍の崩壊を早める原因となったと考えられる。
 イラク軍将兵のかなりの部分が、湾岸戦争での捕虜体験を有していたり、それを聞いて
 いたはずだ。 
 米軍に投稿しても虐待されることなく、むしろ食糧などを与えられたと聞かされていれ
 ば、劣勢となったとき米軍に投稿するのは人情だろう。投降や離反を呼びかける米軍の
 心理作戦も、その意味でイラク軍には有効だったと思われる。
 
米英のイラク侵略後の中東政治:ムハンマド・サイイド・サリーム
・公表された侵略の目的とは、国連安保理決議に違反してイラクが所有する大量破壊兵器
 の排除であった。
 国連安全保障理事会は査察体制を確立し、査察プロセスは十分な状態で進行し、安全保
 障理事会はイラクに対するいかなる軍事攻撃も承認していなかった。
 それにもかかわらず、米英は、イラクがテロリズムとの疑わしきつながりによってアメ
 リカの脅威となっているとして、イラクの武装解除が目的であると主張し、イラクに対
 する軍事侵略を開始した。
・2003年5月末には、ウォルフォウィッツ国防副長官は、大量破壊兵器に焦点を当て
 るという英米の決定は開戦を正当化するために採用された「官僚的」な理由だったと主
 張している。それは「全員が同意しうる唯一の大儀」だったからである。
・米英は、侵略の目的はイラクの武装解除であり、イラクの大量破壊兵器が脅威であると
 主張した。 
 しかしながら、イラクが大量破壊兵器を所有していなかったことが判明した。
 また、仮に所有していたとしても、イラクの体制が敗北に直面する状況になってからも、
 侵略軍に対してそれらの兵器が使用されることはなかった。
・米英は、イラクが大量破壊兵器を所有していることについては査察官も知っていると主
 張し、またイラクは査察官に積極的にかつ無条件に協力しなければならないと要求した。
 彼らは自分たちの有している情報がイラクで隠蔽されていることをその論拠とした。
 そして、イラクは査察官に積極的にかつ無条件に協力していないと主張した。
・しかし、米英はイラクを占領した際に、査察官のイラク帰還を阻んだうえに、またいか
 なる大量破壊兵器も発見できてきない。
 このことから確証できることは、侵略がイラクの武装解除という口実を超えた目的を達
 成するためであったということである。
   
・イラク占領とイラク文明の破壊によって、同国を含むアラブ世界で反米主義と急進派が
 再び力を取り戻した。 
 すでに、イラクでは米兵への襲撃が増加している。
 これらの襲撃に対する米軍の反応は、パレスチナ人に対するイスラエル軍の反応を想起
 させるものであり、アラブ人の思考においては二つのケースは類似するものとして映っ
 ている。
・アメリカはイラク占領によって中東における地域大国ともなった。
 アメリカは今や、イランとシリアの隣国となったのである。
 両国に対して、イランの原子力計画とシリアの中東和平プロセスにおける影響力を終焉
 させることを目的に、アメリカは強い軍事敵圧力をかける可能性が非常に高い。
・すでに、駐イラク米軍は高まりつつある抵抗に遭遇している。
 イラク情勢の複雑さやイラクの歴史的・民族的な特徴の下では、イラクにおけるアメリ
 カのプレゼンスは困難な戦いに直面するだろう。
 イラクにおいては、アメリカが第二次世界大戦に日本で確立させたよう民主主義システ
 ムを作り出すことは困難であろう。
  
米国のイラク征服とパレスチナ:アッザーム・タミーミー
・平均的なパレスチナ人は、他者を評価する際の基準を、彼らの故郷と土地を占領するイ
 スラエルに対する対抗姿勢の度合いに置いている。
・湾岸戦争中のイスラエルに対するイラクの敢然たるミサイル攻撃は、わずかな戦果しか
 あげなかったにせよ、多くのパレスチナ人がバクダッドの政権に対して一目置くきっか
 けとなった。 
・もちろん、同じく彼らの多くがクウェートへのサダムの冒険が、パレスチナ人にとって
 の莫大な経済的損失と深い傷を残す結果を招いたと考えてはいるが、しかし、やはりこ
 こで重要なのはサダムこそが初めてイスラエル攻撃に踏み切ったという認識なのである。
・今回の戦争においては、ほとんどの人がイラクとパレスチナの関係性を指摘している。
・短期的・中期的には、イラクの占領はパレスチナの大儀にとっては快適な含意を持って
 いる。 
 バクダッドの政権転覆は、パレスチナから経済的にも精神的にも最大の支援政府を奪う
 のみならず、イラク政府が崩壊するまで比較的強硬な立場をとってきた他の政府の地位
 をも弱体化させている。
・シリアに対する米国の圧力はすでに高まっており、シリア側の譲歩のサインも見え始め
 ている。 
 シリアは、越境し入国したとされるイラクの政治家と科学者を米国に引き渡すことを求
 められている。
 
アラブ世界における民主化の構造的矛盾臼杵陽
・米英によって強行されたイラク戦争は「イラクの自由」と名づけられ、イラクに民主主
 義をもたらすことを名目にされた。
 サダム体制が瓦解し、アメリカはその勢いを買ってシリアをはじめとする周辺諸国にも
 ドミノ倒しのように自由で民主的な政治体制をもたらすなどと云々されたこともあった。
 しかし、アメリカ合衆国が提唱しているアラブ世界の民主化論に対してはアラブ民衆の
 あいだでは素朴なレベルでの不信感が渦巻いている。
・そもそも、アラブ諸国のうちでアメリカ合衆国がもっとも信頼している同盟国はエジプ
 ト、サウジアラビア、そしてヨルダンである。
 ところが、エジプトは名目上共和制ではあるが「選択なき選挙」に基づく大統領選出の
 過程を見れば、決して民主的な政治体制などと呼ぶことができない。
 サウジアラビアとヨルダンは王制である。
 つまり、親米のアラブ諸国は必ずしも民主的体制ではない。
 さらに、アラブ(ペルシア)湾岸の産油国を見れば、ほとんどが王制あるいはアミール
 (首長)制である。 
 アラブ諸国の政治体制の安定維持という観点から見れば、民主主義あるいか民主化は政
 治的なアジェンダとはならなかった。
 少なくともアメリカ合衆国にはそのようなアラブ諸国の権威主義的な政体を体制安定の
 名目のもとに黙認してきた歴史がある。
 何を今さら民主化か、というアラブ民衆の感情も広がっている。
・イラク戦争後のアラブ世界は絶望的ともいってもいい知的状況下にある。
 多くのアラブ知識人が分断されたアラブ世界の状況を悲観的に語る。
 イラク戦争におけるアメリカの「勝利」の前になすすべもない無力感と挫折感。
 民主的とはいえない政治指導者は、次は自分だ、という恐怖におびえている。
 そもそもが、民衆の抵抗もなく、いとも簡単に崩壊するイラクのアラブ民族主義に基づ
 く政体とはいったい何だったのだろうと素朴な疑問さえ浮かびあがる。
・アラブ世界に民主主義が根づかないという言説は、欧米における自由民主主義を理念型
 として想定し、その理念型からは遠いという前提があるように思われる。
 そもそも、アラブ世界では民主主義的な政治体制が必要だという言説は現在では広く受
 け入れられている。 
 しかし、その際、民主主義の内実が問題になってくる。
 というのも、国家に対する市民社会の拡大なり政治参加なりの要件を満たすか否かだけ
 で民主主義の成熟が問題とされるとなるとアラブ世界には民主主義は存在しないという
 ことになってしまうからである。
・アメリカがイラクを攻撃する際、民主主義や自由をたんなる戦争の正当化のためのシン
 ボルとして操作したとしても、そのような議論はアラブ世界とは直接的には関係がない。
 アラブ世界にはすでに「民主主義」的な伝統があるという場合、それはイスラム的な伝
 統に沿った民主主義であることもある。
 例えばシューラーである。「協議、相談」とも訳されるイスラム的な決定システムを欧
 米型の民主主義と違うということで「民主的」ではないと決めつけることはできない。
 なぜならば、そのような代議制的な決定システムを通じて、より多くの人々の政治参加
 が保証されているとするならば、それを「民主的」ではないと断定することはできない
 からである。
・現在イラクを占領しているアメリカ当局が直面している問題も、構造的な矛盾を孕む問
 題であるともいえる。 
 アメリカ的議会制民主主義がイラクに導入された場合、そのシステムを通じてイスラム
 的な価値を主張し反米的な姿勢をとるシーア派の政党が政権をとるとなると、アメリカ
 はその民主的ルールにしたがって決定された民主的な政権を正当な政権として承認する
 のであろうか。

「非対称の戦争」を忘れたアメリカと中東再植民地化の危機内藤正典
・フセイン政権とバース党の支配体制は一瞬にして消滅した。
 アフガニスタン侵攻と同じように、アメリカの「敵」は降伏もせずに消えた。
 アメリカは、実質的に「勝利した」ことを宣言したが、強権的な体制の「あの消え方」
 に注意を払う人は少なかった。
 独裁者たちが一瞬にして消えたのは、クルド人やシーア派だけでなく、多数の国民がバ
 ース党体制に正統性を認めていなかったことを示している。
・反逆すれば苛烈な弾圧を受けることは誰でも知っていたから、国民は沈黙していたにす
 ぎない。 
 バース党員は体制が消滅すれば復讐の標的になることを熟知していたので、独裁者の逃
 亡と同時に「市民」に紛れ込んでしまった。
・アメリカは、「ならず国家」との戦争という「対称性」を誇示してみせたが、国民が正
 統性を認めていなかったイラクは、到底アメリカと対称的な国家の体を成していなかっ
 た。 
・フセイン政権下のイラクは、北部に集中する民族集団としてのクルド、南部に拠点を持
 つ宗派集団のシーア派ムスリムという巨大な集団を力で抑えることによって体制を維持
 してきた。
・核となるフセイン一族や重臣がティクリートという同じ地域の出身者からなり、そこに
 バース党のピラミッド型の組織が重なり、各種の諜報機関や、警察・軍事機構を重ね合
 わせることによって重層的支配構造をもってはいたが、頂点が消滅すれば、体制を維持
 するための装置は連鎖的に崩壊する仕組みになっていた。
・アメリカは、圧倒的な軍事力によって、その頂点と重層的な軍事・警察機構を破壊した。
 それが今回の「戦争」である。
 その結果、力で抑圧されてきた集団と個人は、解放による自由と無秩序を得た。
   
・だが、フセイン政権のイラク再建が中東地域の安全保障に対して何をもたらすかが問わ
 れなかった。
 戦争前から、トルコ、シリア、イランの三国は、イラク領土の不可分・不可侵で一致し
 ていた。
・その理由は、
 第一に、アメリカが軍事力で中東の地図を塗り替えるという帝国主義的支配に対する拒
 絶である。 
 第二に、地図の塗り替えによって、中東諸国家の領域の中に封じ込められた問題が暴露
 されることへの懸念である。
 民主主義が成立していないこと。
 表現の自由や思想信条の自由が保障されていないこと。
 それどころか国家そのものが王族や独裁者の私有物にすぎないという事実。
 クルドを始めとするマイノリティへの抑圧の事実。
 これらの事実が暴露されることは、中東諸国にとってパンドラの箱を開けることに他な
 らない。
・アメリカは、フセイン政権下で辛酸をなめてきたクルドの後ろ盾となって北イラクを制
 圧した。 
 対米協力への見返りとして、クルド勢力はキルクーク油田の利権と分離独立を視野に入
 れた自治の拡大を要求するだろう。
 彼らの分離主義運動が、多くのクルド人口を抱えるトルコ、イラン、シリアなどに波及
 することによって、民族運動が活発化することを近隣諸国は恐れている。
・今回の戦争の結果、イラクの領土が実質的に北部のクルド地域、中部のスンナ派アラブ
 地域、そして南部のシーア派アラブ地域に分割される事態になるなら、それが近隣諸国
 の人々に何をもたらすのかを想像しなければならない。
・歴史の一断面だけを切り取って、クルドの自治を否定してきたことを人権抑圧と弾劾す
 ることは可能だが、その結果として新たな犠牲者が増えることに誰が責任を取るのか。
 北イラクにクルド政権が誕生すれば、近隣諸国の悪夢は現実のものとなる。
 アメリカをバックとしたクルド政権の樹立は第二のイスラエルの誕生を想起させる。
 統治者としてのアメリカは、かつてシオニストの背後にあったイギリスと二重写しにな
 る。
 アラム民族主義者、トルコ民族主義者、そしてイスラム主義者も、アメリカが公然と中
 東を支配することを許さない。
 北イラクが第二のイスラエル化することは、そこに第二のパレスチナ問題が発生するこ
 とを意味する。
 アラブ系住民、トルクメン系の住民は、クルドとアメリカの支配を受け入れないし、イ
 スラム勢力も抵抗を続けることになるだろう。
・アメリカはシリアをすでに「テロ支援国」と規定していたが、ラムズフェルド国防長官
 はイラク政府要人を匿っているとして、さらに恫喝した。
 パウエル国防長官は攻撃を計画していないとしながらもアメリカへの協調を迫った。
 イラク南部のシーア派はアメリカ主導の暫定統治に強く反発している。
 彼らは同じシーア派のイランと近い関係にあるが、ブッシュ大統領は、2002年に
 「悪の枢軸」と名指しして以来、イランを打倒すべき体制のリストに載せている。
・結局のところ、アメリカは、9.11の攻撃が無数の個人による増悪のネットワークに
 よるものであったことを理解できなかった。
 「非国家主体によるテロ」と戦うと宣言したにもかかわらず、タリバン政権との戦争、
 フセイン体制との戦争、いずれもアメリカが倒したのはテロリストそのものではなく国
 家体制であった。
 同時に、民間人に多くの理不尽な犠牲を強いることで、増悪の「非対称性」を拡大した
 のである。

イラク戦後復興・支援体制(アフガニスタンのケースとの比較)田中浩一郎
・和平プロセスをアフガン人の手で立ち上げ、国際社会の復興支援を通じてその達成を目
 指すアフガニスタンと、占領下で米軍が政権構想を主導し、復興支援への参画を国際社
 会に要求するイラクでは、その本質的な差は隠しようがない。
 それゆえに、道程もまったく別個のものとなる。
・軍事力の行使による破壊は容易いが、復旧には時間と労力を要することを各地での経験
 が教えてくれている。
 戦費をためらいなく調達する国も、復興となると途端に財布のヒモが堅くなることも真
 である。
・湾岸戦争に比べて安上がりと言われた対テロ戦とアフガン復興支援との関係がそうであ
 ったように、一カ月余りの戦闘で750億ドルが費やされる一方でORHAに割り当て
 られた予算はこれまでのところ24億ドルにすぎない。
 これがイラクの未来像を形作るひとつの現実である。
 だが、危惧されたとおり今回も忘却の波に飲み込まれつつあるアフガニスタンに比すれ
 ば、イラクは注目を集め続ける部類であるだけましなのかもしれない。
 
帝国アメリカのゆくえ

帝国の戦争は終わらない(世界政府としてのアメリカとその限界)藤原帰一
・なぜこの戦争を始めたのか。
 もちろん大量破壊兵器のためではない。
 2002年夏、イラク攻撃がアメリカで議論されはじめたとき、大量破壊兵器という理
 由づけはほとんど見られない。
 また、どれほど石油利権とブッシュ政権が近い関係にあっても、この戦争をイラクの油
 田のためだけだと考えるのは、一種の矮小化だろう。
 その荒唐無稽なもの言いも含めて、ワシントンから見たイラク介入とは、世界民主化の
 最終段階にほかならないからだ。
・アメリカが関わると世界が自由になる。
 これが、ワシントンの新しい常識になった。
・しかし中東は例外だった。
 政府の多くは「アラブの王様」の支配か、イラクやシリアのような、社会主義や反米的
 政策に傾斜した政権だった。
 2001年に起こった9.11事件は、アメリカにおける中東への懸念をさらに高めた。
・中東民主化は、この構図を変える政策に他ならない。
 イラク、シリアやイランの政府を倒し、中東に議会制民主主義を拡大すれば、世界の民
 主化と市場経済への移行はほぼ完成する。
 親米政権の増大とともにイスラエルの安全は保障され、アラブの王様や独裁者に振り回
 されることなく石油供給も確保できる。
 民主化という理念は、実利にもかなっていた。
・そして、冷戦後の世界では、アメリカに対抗できる国家も機関も存在しない。
 国連という制度はあっても力はなく、アメリカの力に頼らなければヨーロッパでも東ア
 ジアでも安定など保てないからだ。
 この力の集中を背景に、国連や同盟国の意図を振り切って、イラク作戦は進められた。
・もちろん、アメリカ社会の自衛とか、イラクの解放などといった強弁には、国際的な正
 統性がない。 
 国連の査察が続けられるさなかに、ブッシュ大統領が一方的に最後通告を行ったという
 手続きひとつを見ても、国際的な授権のない戦争であることが明らかだ。
 通常の国際関係からいえば、アメリカのイラク攻撃は侵略戦争にすぎない。
・だがブッシュ政権から見れば、アメリカの戦争が侵略になるはずはなかった。
 加盟国に共産主義国、独裁政権、ならず者国家を含む国連の決定に、どうして従わなけ
 ればならないのか。
 どこまでアメリカは我慢しなければいけないのか。
 民主政治を支える市民のつくったアメリカ憲法が、国連の決定に優先するのは当然では
 ないか。
・そこにあるのは、世界を支配する権力と、権利と、責任をアメリカが持っている、とい
 う世界観である。
 世界全体の将来を考えて、その立場から来る責任を自覚した行動をアメリカがとろうと
 するとき、国連は、ごく私的な利害に基づいて世界各国がアメリカの足を引っ張るとこ
 ろとしか映らない。
 ここでは、アメリカが普遍性を持った正義と責任がる権力であり、「世界」とはそのよ
 うな正義と権力に服するべき存在として捉えられている。
 
・アメリカ以外の各国は、アメリカの正義を信じてはいなくても、その力には逆らうこと
 ができず、国際機関や条約よりも対米関係を優先せざるを得ない。
 そしてデモクラシーとはいいながら、その頂点に立つアメリカ政府は、世界の人々の意
 見には左右されない点で民主主義とは逆行する専制的権力を保つのである。
・正義と力を独占し、その力の行使によって世界が救われると信じて疑わないアメリカは
 逆らうことのできない各国の協力に支えられて、デモクラシーの帝国とも呼ぶべき存在
 となった。 
・そして、イラクへの侵攻は、形骸化し力の支えを失った国連に代わって、アメリカが世
 界政府としての役割を果たす帝国の戦争となった。
 自国に直接の危害が加えられたのではないときに、将来の危険を含めて世界秩序への脅
 威とみなし、その脅威に対抗する方法としても軍事的圧力や抑止ではなく、実戦によっ
 てそこにある政府を倒してしまうのである。
・9.11事件と、その後のアフガン侵攻の場合は、それでもアメリカ国民に加えられた
 暴力に対して立ち向かう性格が残されてはいた。
 テロ行為に対する自衛としてタリバン政権を倒す戦争が合法的といえるのかは極めて怪
 しいが、国際政治の伝統における自衛行為としてその行為は正当化されていた。
・今回のイラク攻撃は、さらに一歩踏み込んだものだ。
 ブッシュ大統領は、イラクへの攻撃についてもアメリカ市民の安全を保つためであると
 主張しているが、この予防的先制攻撃を自衛戦争として認める国は、アメリカのほかに
 は少ないだろう。
 だが、少ないところでアメリカは困らないのである。
・帝国の戦争には、植民地統治の時代のような特徴もある。
 この戦争の目的として、ブッシュ大統領は、イラクの民主化と中東地域への民主主義の
 拡大を唱えた。
 イラクの国民から民主化のために戦争してくれという要請が伝えられたわけではない。
 無法な権力によって踏みにじられた人々が解放軍の訪れを待っているという仮定の根拠
 も怪しい。
 頼まれもしないのに戦争によって民主主義を広げようというのである。
・他の地域の諸国が何を期待し、何を望むのかにかかわりなく、その考える原則を国外に
 適用し、それに抵抗する勢力を軍事力によって排除する。
 こんなアメリカの行動は、もはや単独行動主義などという形容を逸脱した、世界政府を
 代行する行為といっていい。 
 それを露骨に示したのが、今回の戦争が勃発するに至った過程である。

・これまでの国際関係の常識で考えれば、アメリカのよるイラク攻撃は、アメリカ外交の
 壊滅的な失敗のなかで展開された。
・まず、国連による授権を得ることができず、アメリカが国連から孤立した状況を衆目に
 さらした。  
 もともと、この戦争を国連に認めさせることは難しかった。
 大量破壊兵器の廃棄とかテロへの対抗ではなく、フセイン政権の打倒が当初から目標だ
 ったからだ。
・1991年の湾岸戦争でフセイン政権を倒さなかったことが政策の誤りだと考えるグル
 ープが、共和党に政権が戻ったのを機会としてイラクの体制転覆を実現しようと試みた
 こと、これがこの戦争の実態である。
・ブッシュ政権には、国連と協議せずに単独行動をとるオプションもあった。
 だが国連がオーソライズしなければ、軍事行動において、アメリカはともかく、アメリ
 カ以外の諸国、ことにイギリスの参加を確保することは難しい。
 パウエル国務長官を主軸とした国連安保理における政治工作は、ブレア政権の要請に応
 えたものだった。 
・安保理が関与することなくアメリカが戦争を行なえば、安保理の機能と威信は大きく損
 なわれてしまうが、かといって政権打倒を目的とした戦争を安保理として認めることは
 できない。
 ここで生まれた妥協が、大量破壊兵器に関する国際査察であった。
・1998年以後、イラク政府は査察に応じてこなかったから、さらに条件の厳しい国際
 査察を要求すれば、イラクが拒否し、妨害する公算が強い。
 そして国際査察をイラクが妨げたのなら、「政権打倒」よりも国連の受け入れやすい軍
 事行動の根拠となる。
・開戦前に国連が関与することで、基本的にはアメリカの戦争に過ぎない戦争に、名目的
 ではあれ、国際制度の名残を留めることはできる。
 こうして1441決議が安保理の一致した支持を獲得し、名ばかりとはいえ、戦争の根
 拠は政権転覆から国際査察に移っていった。
・ところが、イラクは査察を受け入れた。
 目立った妨害も行なわず、兵器の隠匿も暴かれなかった。
 査察の妨害だけでは戦争を始めることが難しくなったため、アメリカの唱える目的は、
 国際査察からイラクの武装解除へと微妙に変わってゆく。
 仮に査察を受け入れたとしても、大量破壊兵器が残されているのなら、やはり戦争が必
 要だ、という論拠である。
・だが、いったん国際査察が始まると、その成果を待つべきではないかという議論も生ま
 れた。  
 査察の中からイラクの違反行為が出てこないため、国際査察を理由とした開戦は難しい。
 パウエル国務長官が安保理で披露した証拠物件は、かえってアメリカが決定的な証拠は
 持っていないとの心証を安保理理事国に広げる結果となった。
・こうして、どうせアメリカがするに決まっている戦争が、査察によって遅らせることも
 できる戦争へと次第に変わっていく。
 国連を利用する意志はあっても、その国連に政策を左右されることは考えていないワシ
 ントンにとって、これは見込み違いだった。
 ブッシュ大統領は、国連との妥協を探るのではなく、国連を誹謗するかのような言動に
 走る。 
・ブッシュ大統領は、
 「アメリカがサダム・フセインに立ち向かうのを国連が手助けしないのなら、国連は、
 役立たずで、あってもなくても関係ない、弁論部みたいなものとして、歴史のなかに消
 え去ってしまうだろう」
 と述べた。
・国連に対して誰がボスなのかを迫る言動が、結果としてはアメリカの孤立を促進するこ
 とになった。 
 安保理の討議では、アメリカとイギリスの二国だけが決定的に孤立し、ほとんど袋叩き
 のような非難にさらされた。
 両国の提起した議案は、フランスの拒否権発動どころか多数派さえ獲得できそうもない
 ために、採決に持つ込むことさえできないという醜態を招いてしまった。
・アメリカが国連から孤立したことの意味は大きい。
 国連という、力はないが法と制度を持つ機関と、アメリカという、それだけでは正統性
 を持たないが意志を通すための権力は持つ国家が離れてしまい、世界の力と制度が分裂
 したからだ。 
・国連決議に反対したドイツ・フランスは、アメリカの中心的な同盟国である。
 NATOは、イギリスを扇の要として、大陸部のフランスやドイツとアメリカをむすび
 つける構成をとっており、大陸部とアメリカの関係には緊張があった。
 ドイツはアメリカに近い立場をとることが多かったが、今回の安保理決議をめぐる紛争
 では、フランスとドイツはともにアメリカに反対している。
 そして結果からいえば、アメリカは、独仏両国の反対を押し切ったばかりか、国連決議
 を葬ることによって対米協力を貫いたイギリスと要望も無視した。
 イラク攻撃を準備する過程で、NATOを支える同盟は寸断されたのである。
・戦争準備の過程で、ブッシュ政権は、アメリカは「有志諸国の連合」とともに行動する
 という発言を繰り返した。
 これは、アメリカと協力する意志のある国とは一緒に行動するという意味であり、具体
 的には既存の国際組織や同盟の枠のなかで行動しようとは考えないという選択になる。
 反対する国は有志に加わらなければよいだけだ。
 アメリカに協力しない選択は同盟国に残されていない。
 そして協力しない国が出たところでアメリカが不利益を被ることはないという判断が、
 その裏にある。
・このうえない強気の政策といっていい。
 イラク攻撃直前のアメリカは世界から孤立したが、アメリカから見れば、世界がアメリ
 カから孤立したのである。  
・イラク攻撃の準備にあたってもっとも驚かされたのは、中東諸国の判断を顧慮していな
 いことである。
 今回の作戦行動においてはクウエートを除いたアラブ諸国すべてがアメリカの軍事行動
 批判し、トルコ議会が米軍の基地使用を拒絶する事態も生まれていながら、そのような
 中東諸国による批判を顧慮した跡がない。
・イラク戦争は、力と正義を信じるアメリカによる中東と世界の解放のための戦争だった。
 そこでは中東と世界とアメリカの間にどのような現実の壁があるのか、一切自覚されて
 いない。 
・それはちょうど、実態はともかく映画の中ではアラブの解放の一助となると信じて大量
 も虐殺もいとわない「アラビアのロレンス」のような、理想主義者だけが行うことので
 きる、無知ゆえに残虐な暴力と重なるものだろう。
 無知なるものがそのような力を持ち、相手を改造できると楽観し、思い上がった暴力を
 駆使するとき、老人たちの策謀をはるかに超えた残酷な災害が生まれてしまう。
 イラクにアメリカの加えている蛮行は、いかにもコロニアル(植民地風)な、帝国だけ
 が駆使できる暴力なのである。
・イラクの人々がどのように米軍を迎えたか、はっきりしたことはいえない。
 だが、解放軍として米英軍を歓迎したイラク国民も少なからずいたことは、おそらく事
 実だろう。
 日頃の苦難が終わるのではないかという希望的な観測が、新たな権力者への迎合ととも
 に現れたとしても不思議ではないからだ。
・だが、この解放者を自任する権力は、実際にその土地に新たな自由を築くことよりも、
 解放を喜ぶ人々の映像を本国に向けて映すことの方が重要だった。
 バクダッド陥落直後には無政府状態が広がり、犯罪と暴力も広がりながら、五月末には
 政府を樹立するなどという構想を発表したのもその一端である。
 もちろんそんな構想が実現するはずもなく、米英による直接統治が当面続く方向に向か
 った。  
・たが、問題はそこにあるのではない。
 政府を破壊したあとのアメリカが、政府に壊された後の社会に責任ある対応をする意志
 など持たないことを、この事件は示している。
・日本政府は、戦争を支える一員となった。
 イラク政府の「大量破壊兵器」は、朝鮮半島の同様に比べれば明らかに重要性の低い問
 題であり、国際協力の枠のなかでイラク問題に取り組むという声明も繰り返された。
 それでも国連による査察が続くなかでアメリカが最後通告を行うと、日本政府はそれを
 支持したのである。
 国連も最後は決議するだろうとか、アメリカも最後は戦争しないつもりだとか、そんな
 愚かな希望的観測も聞こえてきた。
 戦争が終わったのちは、「勝ち組」ついた喜びと、その賢さを自慢する声ばかりが響く
 ことになった。

ブッシュ・ドクトリンのゆくえ菅英輝
・ブッシュ・ドクトリンの骨格は、以下に要約できる。
 第一に、テロリストのみならず、「テロ支援国家」も軍事攻撃の対象とみなす。
 しかも、ある国がテロリズムを支援しているか否かの判定は米国が下す。
 第二に、善悪二元論的世界認識を特徴としている。それゆえ、ブッシュ政権の「対テロ
 戦争」は悪との十字軍的な戦いとして位置づけられる。
 第三に、伝統的な抑止概念はテロリストには効果的に機能しないとの考えにもとづき、
 先制攻撃を正当化した。
 第四に、アメリカ単独主義の傾向が顕著なことである。
 第五に、軍事力へのフェティシズムを指摘することができる。
 彼らのメッセージは、「下手な気を起こさせない」である。
・ブッシュ政権の外交は、それが「対テロ戦争」に向けられるものであれ、体制転覆を目
 標とするものであれ、「正義の戦争」として遂行されている。
 大規模空爆により米兵の犠牲を極小化するハイテク戦争は、米国内の受け止め方と世界
 の反応との間のミスマッチを生み出す。
 米国民にとって、この種の戦争はテレビや映画の中の戦争、すなわち「ヴァーチャル・
 ウォー」である。
 しかし、大規模空爆は多くの民間人の死傷者を出す「リアル・ウォー」でもある。
・ブッシュ・ドクトリンの担い手たちは、米外交の目的は「米国の物資的利益と諸原則に
 合致した国際秩序を保持し、拡大すること」であるという。
 しかし、それが何であるかを米国単独で判断し、それに反攻する国々は敵であり、軍事
 力によって排除されなければならない、と主張する。
 こうしたブッシュ・ドクトリンの論理とイデオロギーでは、世界の世論の支持を獲得す
 ることはできないだろう。 

ネオコンたちの戦争:西村陽一
・ブッシュ大統領自身はネオコンではない。しかし、イラクをめぐる大統領の発言は、し
 ばしばネオコンの影が見られる。
・ブッシュ氏は、
 「イラクの解放は希望と進歩をもたらし、中東を変革する自由の力を示す」 
 「イラクの新体制は中東の国民を勇気づける劇的な前例となる」
 と強調した。
・米国には自由と民主主義、市場経済を世界に広げる責務があり、しかも、実際に世界を
 変える力を持っている、とネオコンは確信する。
・フセイン政権の転覆とイラクの民の民主化がドミノ倒しのように中東を民主化していく、
 という信念に貫かれた大統領演説は、ネオコンの楽観的な世界観がくっきりと投影され
 ていた。 
・ブッシュ政権には、本来のネオコンといえる幹部は20人に満たないと言われている。
 しかし、ブッシュ大統領以下、政権内にネオコンの理解者や同調者は多い。
・ネオコンの主張の特色は、
 @世界を善悪二元論的な対立構図でとらえ、外交政策に道義的な明快さを求める
 A中東をはじめとする世界の自由化、民主化など、米国の考える「道義的な善」を実現
  するため、米国はおのれの力を積極的に使うべきだと考える
 B必要なら単独で先制的に軍事力を行使することもいとわない
 C国際的な条約や協定、国連などの国際機関は、米国の行動の自由を束縛する存在とし
  て否定的にみなし、国際協調主義にはきわめて懐疑的
 といった点だ。
・一連の主張のなかでも最も先鋭的な先制攻撃論は、ブッシュ・ドクトリンといわれる現
 政権の国家安全保障政策に採用されている。
・共和党にはチェイニー、ラムズフェルド両氏の強硬派ナショナリスト、勢力均衡を重ん
 じる伝統的な保守派(ヘンリー・キッシンジャー元国務長官ら)、穏健な国際協調派
 (コロン。パウエル国務長官ら)など、様々な潮流が渦巻いていた。
 ブッシュ政権発足直後、根イコンはそうした潮流のひとつに過ぎなかった。
・しかし、2001年の同時多発テロを機に、チェイニー、ラムズフェルドの両巨頭がネ
 オコンの強力な庇護者となり、政権の力関係が大きく塗り替えられた。
 かねがねイラクを「父親がやり残した仕事」と考えていたブッシュ大統領はこの潮流に
 乗った。 
・ネオコンは、イラクが民主化すればシリアやイランなどにも変革が広がるという長期的
 な「民主化ドミノ論」を強調する。
 同時に、米軍の圧勝を前に北朝鮮を含む「ならず者国家」の指導者たちが委縮して、お
 のれの振る舞いを改める、という即効性の「戦勝効果」に期待をかける。
 「シリアは変わらなければならない」
 「北朝鮮に対する軍事オプションを排除してはならない」
 世界がネオコンの一挙手一投足に敏感になっているのを承知のうえで、こうした発言を
 繰り返しているのは、「今のうちにイラク戦の衝撃と恐怖による弾みを利用する」ため
 である。 
・米国の経済と世論がコストと時間のかかるネオコンの中東・世界秩序の再編計画をどこ
 まで許容できるか。
 再選をめざすブッシュ大統領が軸足をどの程度まで国内経済問題に移すか。
 これからのネオコンの影響力を占うには、こういった点と並んで、ブッシュ政権が公平
 な仲介者として中東和平にどこまで踏み込めるか、という要素が大きい。
 その意味で中東和平はネオコン浸透度のリトマス試験紙になる。
 と同時に、中東和平が進むかどうかという問題は、国際社会がイラク後の米外交の成否
 をはかる基準にもなっていくだろう。
 
アメリカ愛国主義の生理構造越智道雄
・世界の160を越える国々からアメリカへ移住してきた人々は、新しい母国に対しては、
 日本のような「民族国家」の国民とは異質な国家感情を持っている。
・日本では日の丸を掲げる家はほとんどないが、これは無理にそんなことをしなくても、
 日本は間違いなく自分の母国であるという意識があるからだ。
 また、日の丸を掲げなくても、周りはそれをわかっているという「甘え」がある。
・しかしアメリカ人は、国家が危機に瀕するたびに星条旗を掲げ、国歌を斉唱しないとア
 メリカ人である気がしないし、周りも非国民視する。
・アメリカは「民族国家」ではなく、彼らが移住し、選び取った「他民族国家」だからで
 ある。  
 周りに自分が非国民でないことを常にわからせないといけないので、星条旗と国家の氾
 濫となる。
・私たちは生まれながらに日本人だが、アメリカ人は、特に有色人種のアメリカ人は、自
 分がアメリカ人であることを常に「クレイム(要求)」しないといけないのである。 

・母国の貧窮を逃れてアメリカに移住してきた人々、特に有色人種の場合、星条旗=国歌
 症候群は深刻である。
 そこで、愛国主義は移民の国籍取得の取引材料に使われる。
 移民には戦争こそ国籍取得のチャンスだった。
・アメリカは下層労働力が不足するたびに移民枠を増やすうちに、いつの間にか多民族国
 家になったのであって、最初から他民族国家だったわけではない。
 下層労働力の不足は、軍隊においてこそ深刻だった。
 総人口の11%にすぎないアフリカ系が、米軍の40%を超え、コリン・パウエル現国
 務長官が、湾岸戦争時点で黒人では最初の統合参謀本部議長を務めたのも、膨大な黒人
 兵士への配慮が背景だった。 
 ヒスパニック兵士やアジア太平洋系兵士も入れれば、米軍は有色人種兵士が過半数をゆ
 うに超えており、ブッシュ大統領とその支持勢力がほとんど独裁国なみの愛国主義を国
 民に強要してきたのも、一部はこの有色人種兵士らへの猜疑に起因しているだろう。
 しかし有色人種兵士とその家族は、愛国主義を標榜しなければ生活が危うくなる。
・国民の「アメリカ・クレイム」衝動、それを浮遊力にさらなる愛国主義表明を迫る政府
 や指導層、この閉ざされた循環運動がアメリカの愛国主義の生理的構造である。
  
双子の赤字問題の再燃(アメリカ経済のアキレス腱)柴田徳太郎
・「対イラク戦争」開始前のアメリカでは、
 「戦争が長期化すれば経済は悪化するが、短期で終結すれば経済は回復に向かう」
 という予想が支配的であった。
・現実に戦争は短期で終結したが、この事前予測は当たったのであろうか。
 確かに、バクダッド陥落などを受けてアメリカの株価は16%上昇した。
 だが、他方で不安材料も存在する。
 企業の景況感の回復は遅れている。
 対イラク戦争終結による消費者心理の好転が、個人消費押し上げにはそれほど結びつい
 ていないことが明らかとなった。
 「対イラク戦争」が早期に終結したにもかかわらず、景気が急速に回復に向かう兆しは
 見えていない。
・こうした状況は、湾岸戦争直後と類似している。
 湾岸戦争のときには、戦争終結でいったん消費者心理は回復したが、失業率の上昇で再
 び悪化し、低空飛行を続け、父ブッシュ元大統領の再選を妨げる要因となった。
 息子のブッシュ現大統領は父の二の舞になることを恐れている。
・そこで、ブッシュ政権が打ち出した政策が「追加減税」である。
 「減税」によって不況からの脱却を図るという手法は、これまでも何度か試みられ、成
 功を収めてきた政策である。 
・だが、今回の「追加減税」策はあまり評判が芳しくない。
 父ブッシュ前大統領が選挙公約に違反してまで増税を行ない、実現の基礎を築いた連邦
 財政の黒字化という遺産を、息子のブッシュ現大統領が再選のために食い潰そうとして
 いるのである。
・ブッシュ政権の減税と軍拡は、深刻な財政赤字を再燃させる危険性を孕んでいる。
 さらに重大な問題は、この財政赤字拡大が80年代にも増して深刻化する経常収支赤字
 拡大という環境下で発生しているということである。
 
国際社会と平和構築

造反無理(この、利を尽くさぬ戦争について)最上敏樹
・パウエル国務長官が演説の中で、イラクは「いやいやながら」査察に応じているだけだ、
 と強調し非難した。
・そうか、態度の悪さが問題なのか。
 だとすれば、こののちに仮にイラクがすべての大量破壊兵器や関連文書を提出したとし
 ても、態度を改めぬ限り、査察に応じたと認めてはもらえぬことになるだろう。
・「いやいやながら」といった設定は、その後も米国政府から聞こえてきたし、日本の国
 連大使も演説の中で、イラクは態度を改めなければならないと唱和した。
・査察の根拠である安保理決議1441には、イラクが即時かつ無条件に査察に応じるこ
 とと規定されているから、応じ方を問うことが全く的はずれなのでもない。
・問題は、しかし、不承不承であることが戦争を始める正統な原因になりうるかどうかで
 ある。
・せきたてながら査察を進めなくてはならない立場の人間としては、少しでも不協力があ
 れば苛立ちを覚えるだろう。
 しかし、そのように査察を進める立場から不協力を非難することと、武力行使に踏み切
 るために不協力を非難することは、決定的に異なる。
 前者が一応査察の遂行を前提にしているのに対し、後者はもはや査察の問題ではなく、
 その打ち切りであり、査察に応じなかったことに対する制裁あるいは懲罰だからである。
・武力行使するなら新決議が必要だといわれてきたのも、そのことと無関係ではない。
 つまり、武力行使ないし懲罰であるなら、まさしく国連(安保理)の専権事項であるし、
 内容的にも重いことであるから、安保理による意思決定が不可欠なのである。
・漠然と、安保理決議の不遵守があれば有志が随意に制裁してよい、などというルールは
 国連憲章にはない。   
 安保理決議があらかじめ制裁的な武力行使を規定しているか、もしくは、それを規定し
 ていなければ問題を国連憲章そのものに戻すか、いずれしかないのである。
 国連憲章そのものに戻すとは、問題の義務違反が国連憲章に定められた「平和に対する
 脅威」あるいは「平和の破壊」に該当するかどうかを決め、該当するとすれば、それに
 対してどういう措置をとるかを決めることを意味する。
・もっともブッシュ大統領によれば、「問題は攻撃の正当性ではなく、われわれの意志で
 ある」 
 なるほど、それなら理を尽くす必要もない。
・合法でありさえすれば何でも許されるということではない。
 手続きや根拠が、多国間主義の最低限の要件であり、それを軽視することはすなわち、
 多国間主義の否定に通ずることが問題なのである。
 「違法な」武力行使は、単に国際法に反するだけでなく、大国間主義への挑戦でもある
 のだ。 
・今回の事態の中で、フランスが造反している、といった捉え方が一般的には多かった。
 それならば造反有理である。
 しかし、本当に造反したのは米英両国ではなかったのか。国際法に造反し、多国間主義
 に造反し、世界的民主主義に造反したのではなかったのか。
・その場合、いまだ理を尽くしていないという意味で、造反無理と言うほうが実態に即し
 ている。 

テロ・反テロの国際政治宮坂直史
・9.11テロ以後のブッシュ政権の反テロ言説は、1980年代のレーガン政権のそれ
 を想起させる。
 当時、アメリカは相次ぐテロに手を焼き、その反テロ熱狂は頂点に達していた。
 レーガン政権は、テロリズムを文明の民主主義の敵と位置づけ、全体主義やファシズム
 と同列において非難し、超大国の名誉にかけてテロと戦う演説や声明を繰り返した。
 今日のブッシュ政権の言説と面白いほどよく似ている。
・とくに80年代前半はソ連、共産主義国家の攻勢をテロリズムそのものといっていた。
 さらにソ連をテロ国家というのでは飽き足らず「悪の帝国」と呼んだ。
 特定の国に対してインパクトの強いレッテルを貼る伝統は、クリントン政権の「ならず
 者国家」、ブッシュ政権の「悪の枢軸」へと承継されている。
・では国際的なテロ対策で何をすべきか。
 国連安保理決議で示された具体措置、各国が実施すべきガイドラインは打ち出されてい
 る。  
 各地域機構、二国間枠組みで言及されているように、反テロ措置が技術的にできない国
 に対しては他国が支援する。そして常に対策全体をレビューすることである。
・そして国際的なテロ対策を進展させ、制度化を強化するためには、そのベースとなる反
 テロ国際規範を維持することが必要になる。そのための条件は二つあるだろう。
 第一は、長期化する「領土的テロリズム」の解決である。
 これは、一定の土地の所属や統治形態が争われる民族的もしくは宗教的紛争の枠内で行
 使されるテロである。
 第二は、「観念的テロリズム」の中でもとくに大量破壊兵器テロとネットワーク化の阻
 止を国際社会が共通の課題として引き続き設定し、情報・捜査協力の改善に取り組むこ
 とである。 

世界同時デフレの危険性金子勝
・問題は、アメリカ経済の悪化が際限のない戦争をもたらす危険性である。
 2002年11月の中間選挙はその先例である。
 2001年12月のエンロン社の経営破綻と翌年7月のワールドコムの破産を頂点にし
 て、アメリカ大企業の会計粉飾や背任がつぎつぎと明るみに出る一方、ブッシュ政権の
 主要なメンバーは汚職献金や不正会計疑惑を抱えているために、支持率が低下する傾向
 を見せていた。
・こうした状況を「打開」すべく、大統領上級顧問カール・ローブは反サダム・キャンペ
 ーンに切り換えて、中間選挙で地滑り的に勝利を収めたのだ。
 戦争準備や戦時中の大統領は、国家元首として支持率が飛躍的に高まることを熟知した
 戦略であった。
 今後、ブッシュが大統領再選を果たすには、経済がアキレス腱になっている。
 ブッシュ政権がそう簡単に戦時体制を手放すとは考えられない。
・ブッシュ政権は、反テロの名の下に、証拠もなしにアフガンからイラクへと戦争をつぎ
 つぎと仕掛けてきた。 
 さらに、北朝鮮・シリア・イランが次のターゲットになるとの懸念が広がっている。
 この一連の戦争はグローバリゼーションの一つの帰結だと考えなければならない。
・多くの論者は、9.11同時多発テロの背景の一つとして、グローバリゼーションがも
 たらした経済格差をあげている。
 だが、その後のブッシュ政権による単独行動主義的戦争行為も、またグローバリゼーシ
 ョンの落とし子であることを忘れてはならない。
・単独行動主義は、グローバリゼーションの結果「一人勝ち」したアメリカの経済力と軍
 事力を背景にして、そのパワーにふさわしい国際的秩序を手に入れようとする衝動を体
 現しているからだ。  
 それと同時に、アメリカのバブル崩壊による経済危機を軍事的ナショナリズムで乗り切
 ろうとする衝動でもある。
 実際、ブッシュ政権は過激なサプライサイド信仰であるだけで、経済政策の運営能力に
 欠けている。
 平時になれば経済失政から急速に支持率が低下する。
 そうなるたびに、ブッシュ政権は軍事カードを背景にしてナショナリズムを動員しよう
 とする。
 戦時になれば決まって大統領支持率は上昇するからである。

大西洋同盟の挫折 漂流するNATO(ドイツからの視点):三浦元博
・米英軍がイラク侵攻を開始した直後、硬い表情でテレビに登場したドイツ首相シュレー
 ダーは、「誤った決定がなされました」と明言し、「戦争のロジックが平和の機会を打
 ち砕いてしまったのです」と述べて、苦渋の色をにじませた。
・ブッシュが開戦を宣言するや失語症からにわかに立ち直り、「理解と支持」を居丈高に
 叫び始めた小泉政権の迎合ぶりとは、国際政治の理念と志操において比ぶべくもなかっ
 た。 

・対イラク開戦に備え、米国が要請したNATOとしてのトルコ防衛の発動に、独仏両国
 とベルギーの三国が反対した際、「三カ国が反対しても、残る十六カ国が応分の貢献を
 してくれれば結構だ」と言ってのけたラムズフェルドのシニカルな態度は、彼はもはや
 NATOの集団的枠組みでは思考していないことをあらためて見せつけた。
・脱政治化=軍事化に傾斜する米国外交にとって、多国間条約であるNATOは自由行動
 を制約する障害でしかない。
 NATO同盟の原則であった多国間ルールは破棄し、二国間ベースで随伴する国々を従
 えて、米国の意思のみによって戦争政策を決めようというブッシュ政権の行動原理が、
 ここには明白に示されている。
・ナチズムと国家の破綻を経験し、冷戦時代には分断国家として東西対峙の最前線に立た
 されたドイツには、戦争に対する強い国民的アレルギーがある。
 アフガニスタンからイラクへと直線的に盲進する米国の行動に、ドイツをはじめヨーロ
 ッパ市民は眉をひそめていた。
・当時の世論調査では「米国は対テロ戦争において、主として国益で行動している」と考
 える市民が、フランスで80%、ドイツで85%、親米の英国でさえ73%に上がって
 いた。
・シュレーダー首相は、イラク攻撃開始後のインタビューでも、「戦争体験が諸国民の集
 団的意識に深く根を下ろした」大陸ヨーロッパは、政治の手段としての戦争の扱いに極
 めて慎重であるのに対し、「自国内でこのような戦争を経験したことのない国民は、戦
 争へのアプローチ理解が異なる」と述べている。
・シュレーダー首相は、「武力行使はわれわれ(米国)がやる。その後始末は君たちがや
 れ、などという分業はあり得ないことをはっきりさせておく必要がある」と語り、米国
 の”下請け”を拒絶する姿勢を示している。
  
ロシアのジレンマ:石郷岡建
・ロシアのプーチン大統領は、このテロ事件後ただちに、ブッシュ政権の全面支持の立場
 を表明し、米国の「テロとの戦争」を支援するとの態度を打ち出した。
 米軍部隊が中央アジアに駐留することにも反対しなかった。
 旧ソ連時代には考えられない米国協調路線の始まりで、ロシアの国家戦略の大転換とい
 われた。
・しかし、「イラク戦争」では、プーチン政権は態度を一変し、戦争反対の立場を打ち出
 した。仏独と「反戦三国連合」を結成した。
 もっとも、プーチン政権の動きを注意深く見ると、「テロとの戦争」から「イラク戦争」
 にかけて、微妙な気持ちの揺れがみられる。
 今なお、どのような態度をとるべきか悩んでいるのが実態かもしれない。
・プーチン政権の揺れの裏には、9.11テロ事件後、「対アフガニスタン軍事作戦」か
 ら「イラク戦争」へと、矢継ぎ早に、軍事力を前面に押し出すブッシュ政権への疑念が
 広がったことがある。
 対アフガニスタン軍事作戦は「テロとの戦争」の一環として支持できるとしても、対イ
 ラク戦争の目的は何か?「テロとの戦争」というよりは、米国の新国家安全保障戦略の
 展開であり、一極支配の強化ではないかとの疑念でもある。
・ロシアは、この大きく変わり始めた米国と、どう付き合うべきか、そして、強大な軍事
 力を背景とする米国の単独行動主義を、どのように抑えるか。
 ロシアの長い模索が始まったともいえる。
・ブッシュ政権が誕生した2001年1月、米露関係は好調な滑り出しとは必ずしもいえ
 ない暗雲が漂っていた。
 クリントン前政権が築いた対露積極関与政策を、ブッシュ政権チームは評価していなか
 った。
 前政権とは異なる対露強硬政策を展開したいとの願望があったのだ。
・それでも、ロシア国内ではブッシュ共和党政権に期待する声が強かった。
 ロシアでは、歴史的に、対露強硬派の共和党政権との方がうまくいくとの言い伝えがあ
 る。 
 ブッシュ政権の冷たい姿勢も、そのうちに、変化するだろうとの見通しでもあった。
・この共和党政権とはうまくいくという理解の裏には、人権や民主主義などの理念や理想
 を掲げる民主党は、概して、ロシア世界を理解せず、どこかで衝突する。
 その一方で、理念よりも、国益など現実主義的利益を重視する共和党とは、立場があい
 入れなくとも、利害の取り引きで、双方は一致することができるという考えに基づく。
・プーチン大統領は、旧KGB出身で、ロシア国家の再生を最重要視する国家主義者だ。
 理念や理想主義外交よりも、現実主義的外交の方が国家を救うとの考え方が強いと見ら
 れている。 
 そして、プーチン大統領は、ブッシュ政権の誕生直後の対露強硬姿勢にも、感情的な反
 応をすることなく、冷静に対応した。
・プーチン大統領は米国の一方的行動に、それほど反発しなかった。
 表面上は、ブッシュ政権の政策を「誤り」としながらも、エリツィン前ロシア大統領や
 ゴルバチョ元フ大統領らの前任者たちとは違って、米国の立場に感情的に反発し、対米
 姿勢を見せるという路線をもはやとらなかった。
・正確にいえば、ロシアは米国と徹底的な対決をする力も能力もないと醒めた認識が、プ
 ーチン大統領にはあったというべきかもしれない。
 プーチン大統領の国家目標は、ソ連崩壊後に混乱を続けるロシア経済と国家の立て直し
 であり、米国との対決する暇も余裕もないというのが本音だったろう。
・しかも、市場経済導入の経済改革がロシア国家再建にとって必要不可欠であり、欧米経
 済への統合がロシアの至上命題と考えていた可能性が強い。
 ひとことで言えば、米国の助けを借りなければ、ロシア国家の再生はおぼつかないとの
 認識だったのだ。
・プーチン大統領は、米国とともに行動すると声明するにより、従来の対米警戒路線から、
 対米協調路線へと明確に舵を切った。
 ロシア国内では反米感情や米国への警戒感があるにもかかわらず、米国支持がロシアの
 国家利害に甲地するとの考えたのだ。
・その背景には、ソ連崩壊後、急速に増大するイスラム過激主義とチェチェン問題があっ
 た。 
 チェチェン紛争は、もともと民族独立・分離主義の問題で、イスラム過激主義の問題で
 はない。
・しかし、ロシア軍の抑圧に対し、チェチェン民族主義運動がイスラム過激主義へと傾斜
 し、チェチェン紛争はイスラム紛争の色彩を深めていた。
 チェチェンの過激派武装組織は、ビンラディン氏率いる「アルカイダ」など国際イスラ
 ム過激派組織から資金援助やゲリラ訓練などを受けるようになっていた。
・プーチン政権は、このイスラム過激派組織への戦いで、米国と共闘し、さらに対米関係
 改善からの世界経済へのロシアの統合を狙った。
 このプーチン政権の米国支援はブッシュ政権の気に入るところとなり、米露関係は急速
 に親密になっていった。  
・2002年5月、プーチン大統領とブッシュ大統領はモスクワで首脳会議を行なった。
 表向きのテーマは戦略核兵器のいい幅削減問題だったが、その裏でふたつの話し合いが
 行われた。ひとつが米露エネルギー協力合意であり、もうひとつがイラク問題である。
・ブッシュ大統領は「テロとの戦争」の延長線上にある「イラク攻撃」を説明し、プーチ
 ン大統領はこれに疑問を投げかけた。
 それでも、プーチン大統領は、この段階では、イラク戦争絶対反対の立場ではなかった。
 米露協調路線を打ち出しながら、どうにかして米国との合意を見い出し、妥協しとうと
 考えていた可能性が高い。 
・しかし、イラク戦争の準備が進むなかで、しだいに米国への支援・協調路線は疑問・警
 戒へと変わっていった。
 ロシア国民の8割以上がイラク戦争に反対しており、イスラム系住民がロシア国民の3
 割近くを占めているという国内事情もあるが、米国内部の新保守主義(ネオコン)およ
 びラムズフェルド米国防相らの軍タカ派の勢力が勢いづいたことに、危惧の気持ちを抱
 い可能性が強い。
・国家の維持を最重要視する現実主義者のプーチン大統領にとって、強大国の米国と対決
 するのはロシア国家の利益に反する。
 しかし、その一方で、ネオコンや軍タカ派が勢力を強める米国にロシア国家の招来を任
 せることは危険という意識が強まったのだ。
 
ポスト・「イラク戦争」の朝鮮半島平岩俊司
・2002年9月の小泉首相訪朝による日朝首脳会談とその結果としての日朝平壌宣言は、
 北朝鮮問題解決にとって大きな意味を持っていた。
 宣言では、双方が「互いの安全を脅かす行動」をとらないこと、「日本国民の生命と安
 全にかかわる勘案問題について」、北朝鮮側が「再発防止のための適切な措置」をとろ
 こととともに、国交正常化後、双方が適切と考える期間にわたって、日本側から無償資
 金協力、低金利の長期借款、国際機関を通じた人道主義的支援などが提供されること、
 朝鮮半島の核問題の「包括的な解決のため、関連するすべての国際合意を遵守する」こ
 となどが謳われた。
・会談を前後して小泉首相は繰り返し北朝鮮が国際社会の責任ある一員となることの必要
 性を強調したが、日朝平壌には北朝鮮が国際社会の一員となる術が示されていたし、そ
 れはまた冷戦体制の崩壊によって北朝鮮が直面した二つの危機を同時に回避する術でも
 あった。
・しかし、拉致問題をめぐって日朝関係は複雑化し、水面下の交渉を別にすれば、第12
 回日朝国交正常化交渉を最後に中断し、核問題の紛糾を契機として北朝鮮は瀬戸際政策
 を開始したのである。

・バクダッド陥落の2003年4月、北朝鮮外務省スポークスマンは、「米国が対北朝鮮
 政策を大胆に転換する用意があるなら、我々は対話の形式にこだわらない」として、そ
 れまでの姿勢を変化させ、多国間協議受け入れの可能性を示唆した。
 米国との二国間交渉にこだわってきた北朝鮮の態度を改めさせたのがイラク戦争の帰趨
 であったことは間違いない。
・イラク戦争は北朝鮮に二つの衝撃を与えた。
 第一に、米国の圧倒的な「力」を目の当たりにし、ある種の恐怖感を感じたことは間違
 いない。 
 とりわけ、いったん戦端が開かれれば、米国は金正日体制崩壊を目指して軍事行動を起
 こす可能性が高いことを認識せざるをえなかったはずである。
 第二に、イラクが大量破壊兵器についての国際的査察を受け入れたにもかかわらず、攻
 撃を受けたことも大きな衝撃であったといってよい。
 米国の「強い意志」の前には、国連でさえその行動を抑止しえないことを認識させられ
 たはずである。 

・北朝鮮がNPT脱退の正式発表期日に、多国間協議開催をめぐる水面下での交渉が進め
 られていた。
 米政府当局者がニューヨークで北朝鮮側と接触し、米朝日韓中ロによる六者協議の開催
 を提案していたのである。
・しかし、米国の提案が六者協議であったにもかかわらず結果的に米朝中三者協議となっ
 たことは後の展開から興味深い。
・米朝中三カ国協議では、北朝鮮側が米国側に対して「核兵器保有」と「使用済み核燃料
 棒の再処理終了」を示唆したため、状況は複雑化したのである。
・三日間にわたる協議にもかかわらず、三カ国代表が同じテーブルに着いて実質協議を行
 なったのは初日だけで、米中、中朝が個別に協議を行うという形態だったという。
 米国と北朝鮮の姿勢に根本的な変化がない三者協議には当初からある種の限界があった
 と言わざるを得ない。
・結局、協議の結果明らかになったのは、北朝鮮が「寛容な解決策」を提案したという事
 実のみである。
 「寛容な解決策」との文言にもかかわらず、日本との国交正常化を求めたこと以外、北
 朝鮮のそれまでの主張を大きく変えるものではなかった。
・三者協議中、朝鮮中央通信は、「国と民族の自主権を守るためには、ひたすら強力な物
 理的抑止力がなければならない」と主張し核兵器保有への意欲ともとれる北朝鮮の姿勢
 を見せた。 
・問題となるのは、軍事オプションも辞さないとする米国と徹頭徹尾平和的解決を目指す
 韓国との温度差である。
・経済制裁の実質的な効果については疑問視せざるを得ないのも事実である。
・中国外務省スポークスマンは、北朝鮮の核問題について「対話で解決すべきであり、事
 態を複雑化させるすべての行動に反対する」とコメントし、その後ロシアを訪問した胡
 錦濤国家主席は、プーチン大統領と会談し、「武力による圧力、武力行使のシナリオは
 受け入れられない」との姿勢で一致した。
 北朝鮮が繰り返し「経済制裁は宣戦布告とみなす」としていることから、経済制裁に対
 する中ロ両国の姿勢は消極的にならざるを得ない。
  
アメリカの世界戦略を補完する日本外交
(親米派と自主・野心派の同床異夢):佐々木芳隆
・ブッシュ政権が9.11後に強行したアフガン戦争、続いて反テロ戦争の第二段階と位
 置づけたイラク戦争の節々で、日本の小泉純一郎政権は全面的な対米追随姿勢を取った。
 多くのマスコミ報道で、その一本調子の日本政府方針の背景に「トラウマ」があるとさ
 れた。
・1990−91年の湾岸危機・戦争の際、米軍を中心とする多国籍軍への支援に110
 億ドル、湾岸周辺諸国への経済協力に20億ドル、計130億ドルの巨費を拠出した。
 だが、国際社会では「カネとモノ」の協力しかしない国という低い評価に甘んじさせら
 れ、それの心の傷となって「ヒト」の面での協力にこだわりを持つようになった。
 そういう文脈で繰り返し喧伝されたのだ。
 これには自衛隊海外出動をしかたのないことと認める響きがあった。
・1990年10月、湾岸危機が深まるなかで閣議決定された「国連平和協力法案」が、
 国会に提出されてから一ヵ月もたたないうちに「廃案」となっていた。
・時の海部俊樹首相は、イラクがクウェートに侵攻した1990年8月以降、父ブッシュ
 大統領から、
 「掃海艇や給油艦を出してもらえればありがたい」
 「日本の自衛隊が輸送や医療などの面で多国籍軍の後方支援に参加すれば歓迎される」
 などと働きかけられた。
 これを受けて作成された「国連平和協力法案」の趣旨は、国連安保理決議の裏打ちを前
 提とする多国籍軍の戦争でも、自衛隊は後方支援に出動できるというものだった。
・アフガンやイラクの戦争で日本政府がやったこと、あるいはやろうとしたことは、10
 年以上も前に廃案になった法案にすでに書かれていたのだ。
・もとより、アフガン戦争もイラク戦争も日米安保条約そのものからすれば、枠外の事態
 だった。 
 小泉政権はその限界を超えた場所に、限界を超えた任務を与え、自衛隊を出動させたの
 である。
 根拠はアフガン戦争向けのテロ対策特別措置法という、にわか造りの時限立法だけだっ
 た。
・国連安保理が米国の武力行使を容認する新たな決議を採択するかどうか見極めてから態
 度を決めると小泉首相がだんまりを決め込んでいた時期のことだ。
 首相と密接に連絡を取り合い役割分担に徹していた山崎拓自民党幹事長は、米国が戦争
 に突入するにしても、せめて屁理屈でもいいから国連との糸を切らずにやってほしい、
 そうでなければ日本はついていけなくなると訴えていたのだ。
 安保理決議が採択できないでも対米支持を表明する前提で、すでにこのころから悪知恵
 をめぐらしていた証拠でもある。
・2003年3月、結局、新たな安保理決議を抜きにして、米国はイラク攻撃に踏み切り、
 小泉首相は間髪入れず米国支持を表明。
 またアフガン戦争向けのテロ対策特別措置法に基づいてアラビア海に展開した開城自衛
 隊の給油艦隊が、米第五艦隊の大型補給艦に燃料を洋上給油し、その大型補給艦が対イ
 ラク作戦に参加途上の、あるいは参戦中のさまざまな米戦闘艦に洋上給油する形で、間
 接的に参戦していた。
 小泉首相の対米支持表明や米軍の戦争に対する自衛隊の後方支援は、国連憲章や憲法に
 由来する基本ルールをかいくぐって実行されたと言っていい。
・2001年9月、自衛隊統幕事務局長と在日米軍副司令官が日本有事に対処する日米共
 同作戦計画(OPLAN)の更新版に署名した。
 さらに日本周辺有事に対応する共同計画の作成も進んでいる。
 小泉政権が武力攻撃事態対処法の成立、安全保障会議設置法や自衛隊法などの改定を急
 いだのは、こうした軍事ベースの進捗を法的に裏打ちしようという要請に背中を押され
 てのことだった。  
・重大な共同計画の概要さえ機密のベールに隠され、武力攻撃事態対処法の国会審議の場
 でさえ、まったく説明されなかった。
 これらの事実はもっと危機感をもって国民に警告されていい。
・米国は米戦略を補完するという枠組みと限度の範囲内で、日本の能力と役割の拡大を求
 めている。 
 これに対し日本側には大まかに言って、「対米順応型」「対日要求値切り型」「自主・
 野心型」「自主・自己規制型」それに「非武装中立型」などがある。
・小泉首相は主流派に多い「対米順応型」に分類できるだろう。
 順応することが本旨だから、日本の安保政策に関する首相なりの原則や構想は希薄に見
 える。 
・気になるのは「自主・野心型」の動向、自衛隊の能力が一つひとつ肥大していく限りに
 おいて、米国の対日要求の流れに乗って動く人たちだ。
 多くの場合、米側に水面下で働きかけて、対日要求を引き出すマッチポンプ手法を好む。
 米戦略補完の枠組みの限界線までいけば豹変する可能性を秘めるが、表向きは親米派の
 ように振る舞っている。真の親米派と同床異夢の勢力である。
・戦前、日本の軍国主義勢力は天皇の統帥権を権威の源泉として無理な要求を押し通した
 が、今やこうして米国をお墨付きの発行元に仕立てる動きに警戒の目を向けなければな
 らない。 

・唯一の軍事超大国となった米国のブッシュ政権が、敵対国家やテロリスト。グループに
 対する先制攻撃の国家安全保障戦略を始めて適用したのが、イラク戦争だった。
 根底にあるのは、必要と考えれば米国単独でも行動する一国超大国主義であり、国際社
 会における政治、経済、軍事、先端技術面での圧倒的な優位への自負である。
・こうした米国の突出が貫かれれば、国際協調体制や既存の国際法体系が打撃を受けるの
 は間違いない。 
 日本はいたずらな対米追随をやめ、安保政策に関する日本なりの賢明な原則や構想に立
 って米国にものを言わなければならないだろう。
 
胡錦濤時代の中国の北朝鮮政策(三者会談のゆくえと中国の計算)朱建栄
・中国からすれば、北朝鮮の核開発は最悪のシナリオだ。
 それが台湾、日本を含め北東アジア地域内の核開発競争を招く引き金になるのは必至で
 ある。
・アメリカが軍事力を北朝鮮に仕向けてくれば、中国の隣接地域で戦争が勃発するという
 リスクを負うだけでなく、平壌への経済制裁などに加わるよう米側から北京に圧力を強
 めてくる可能性があり、膠着が長引けば、米側が中国を封じ込める軍事態勢を形成して
 いくことにすらなりかねない。
・しかし中国は、単独でこの問題の解決に乗り出したくない一面がある。
 ブライドの高い朝鮮民族に自ら圧力を加えれば、中国と朝鮮半島との関係に残る後遺症
 が強く、国境地域に200万人以上の朝鮮民族が住んでいることへの配慮も必要だ。
・すでに延辺自治州などに10万以上と見られる「脱北者」が押し寄せてきており、中国
 が核問題で露骨な圧力を加え、平壌から30万、50万の「経済難民」を放出するよう
 なことにでもなれば、たまったものではない。  
・2003年4月に始まったアメリカ・北朝鮮・中国を含めた三者会談は、中国外交にと
 っても三つの重要な象徴的な意義がある。
 第一、それは中国が久しぶりに朝鮮半島の安保問題をめぐる交渉に返り咲いたことを意
    味する。
 第二、中国は片方に与する形ではなく、米朝交渉の立会人という役を進んで引き受けた。
    今回は史上初めて、朝鮮半島問題で仲介・調停役を務めることになった。
 第三、ケ小平時代以来、中国外交は経済重視の余り、国際交渉の舞台でイニチアチブを
    取ることはめったになかった。それに対して、今回は進んで、朝鮮半島の大規模
    破壊兵器の除去というきわけて難しい課題に取り組むとして、米朝双方からぎり
    ぎりの妥協点を引き出して三者会談にこぎつた。
・胡錦濤指導部は、北朝鮮との「伝統的友好関係」に縛られることなく、中国自身の国益
 重視に徹しようと務めている。そして単に裏方をやるだけでなく、三者会談の一角を占
 め、東南アジアないし日韓との自由貿易協定(FTA)を一段と積極的に推進するなど、
 「顔の見える、責任ある大国外交」も模索しているように見受けられる。
 
アジア太平洋地域の対テロ包囲網と米国のプレゼンス竹田いさみ
・ASEAN加盟国に見られるイラク戦争への対応と対米関係は一様ではない。
 イスラム教徒を多数抱える東南アジア地域で、アメリカのイラク戦争へ明確に反対した
 のはマレーシアとインドネシアの二カ国であった。
・マレーシアのマハティール首相は、2003年3月、国会での審議でアメリカを「卑怯
 で帝国主義的だ」と辛辣に批判し、イラク開戦の日は
 「超大国が同盟国とともに、防衛力のない国(イラク)を攻撃した点で、歴史的にみれ
 ば暗黒の日である」 
 と形容した。
・マレーシアはアメリカの一極主義に反対し、イスラム世界への武力介入に反対の姿勢を
 とる。 
・イスラム教徒が人口の八割を超えるインドネシアでは、アメリカのイラク戦争を肯定す
 ることができない。
・9.11事件以前からジャカルタでは反米デモが日常化しており、その理由も実にさま
 ざまである。
 メガワティ政権は対米関係を改善して、経済支援などを引き出したいが、国内のイスラ
 ム勢力の反発を恐れて思い切った対米協調関係を打ち出すことができない。
・フィリピン国内では、米軍のプレゼンスに対して根強い反対があり、アメリカ軍が安定
 した前方展開基地を建設することが困難となっている。
・タイは、対米軍事演習を毎年実施しており、伝統的に親米の立場を一貫して持つ。
 しかしアメリカの軍事プレゼンスを国内で飛躍的に高めることは、対イスラム諸国との
 外交関係でバランスを欠くことになるため、タクシン首相がアメリカ軍の前方展開部隊
 を受け入れる可能性は低い。
 イラク戦争に対するタイ政府の曖昧な立場を振り返れば、大規模なアメリカ軍を恒常的
 に受け入れる可能性が低いことを理解できるであろう。
・シンガポールは、東南アジアにおける対テロ包囲網の形成を最も熱望している国家だ。
 国際的な対テロ包囲網を整備する上で、シンガポール政府が期待をよせているのがアメ
 リカ軍のプレゼンスである。
 米海軍の第七艦隊の実質的な母港化を図るため、チャンギ空港付近に大規模な海軍施設
 を建設したことからも、アメリカ軍の前方展開に諸手を挙げて賛成している。
 しかし、国土があまりにも狭く、大規模なアメリカ軍を受け入れる物理的な余裕がない。
 シンガポールは自国の空軍でさえ領空で自由に演習することがかなわないため、わざわ
 ざオーストラリアに空軍の練習基地を建設している。
  
・アジア太平洋地域では新たな三国同盟が成立しようとしている。
 イラク戦争に参加したアメリカ、イギリス、オーストラリアのアングロサクソン系同盟
 国は、軍事力を柱にした反テロ国際包囲網の構築で合意しており、アメリカとオースト
 ラリアの軍事的提携関係が強化されつつある。
・東シナ海から東南アジア海域の戦略的重要性が増すのであれば、中長期的にアメリカの
 軍事的プレゼンスがオーストラリアを軸に、シンガポールを中継基地として活用しなが
 ら増大することは否定できない。
・単独主義に支えられたアメリカの外交・軍事戦略を、アジア地域でバランスさせるには、
 多国間主義による対米抑止戦略意外に方法が見当たらない。
 もちろん、二国間主義のアプローチを駆使して、忠実な同盟国である日本がアメリカ単
 独主義を抑止する選択肢もあるが、現実的ではないであろう。
 外交・軍事戦略で対米抑止するのであれば、日本外交のパートナーであるオーストラリ
 アやイギリスと連携するなど、柔軟なアプローチが必要となる。
   
リヴァイアサンの気楽な戦争:グナワン・モハマド
・結局のところ、イラク戦争は、強力な米軍と戦うにはあまりにも非力な国に対する戦争
 であった。
 ある意味で、奇妙な、馬鹿げた戦争である。
 アメリカという、世界に比類のない規模の軍事予算を有し、世界でもっとも豊かな経済
 ともっとも進んだ兵器産業を擁する超大国が、湾岸戦争の敗北ですでに疲弊しきった一
 国家に脅威を感じている。
・インドネシアに住む人間の多くは、イラクにサダム・フセインにも心情的に傾倒してい
 ないけれど、このところは当初からずっとわけのわからない思いだった。
 サダムが手にしていたのは、国連の査察を拒否できないまでに追い詰められた一共和国
 であり、当時も今も強固な産業基盤を持たない経済弱国であり、人口規模では米国のわ
 ずか一割の国民であり、自国民の大部分に憎まれていた体制である。
 恐るべき兵器を備えていたかもしれないにせよ、ペンダゴンの戦略家に言わせれば、す
 ぐに内倒しうる政権であった。
 サダムがなぜ脅威となりうるのか。
・イラク戦争は、戦う大義を見つける前に終わってしまった史上初の戦争だったというこ
 とだ。 
 これはおそらく、この戦争が敵と戦うための戦争ではなく、敵をつくり出すための戦争
 だったからである。

メディアの中の「イラク戦争」

報道からのプロパガンダへ金平茂紀
・戦争報道においては「ベトナム戦争症候群」といわれるものが長い間、米軍の対メディ
 ア観を支配していた。
 ベトナムの戦場で起きた残酷なシーンが、テレビを通じて家庭に持ち込まれ、反戦世論
 に火をつけたと言われている。
・1991年の湾岸戦争では、「パック・ジャーナリズム」という批判を浴びた米軍管理
 下の報道や、前線でのきびしい取材規制で、軍と米メディアの対立が一気に高まる局面
 もあった。 
・その後、旧ユーゴスラビア諸国の紛争や、ソマリアでの米軍の軍事作戦の失敗などがメ
 ディアを通じて報道されるのと並行して、米軍は真剣に「メディア戦争」の研究に力を
 注いだ。
・経験則で言えることだが、おもしろいテレビCMは商品の中身を決して伝えない。
 商品メーカーの好ましいイメージを植え付けることが最も追求されるからである。
 これが今次のイラク戦争で適用されればどうなるか。
 戦争遂行者の好ましいイメージを植え付けること。
 このことが最需要事項として追求される。
・あのバグダッド市中央の広場のフセイン像引き倒しシーンは、どのように「定着」化さ
 れたのか? 
 冷戦終結の象徴=ベルリンの壁崩壊や、東欧諸国のさまざまな解放シーン、ソ連崩壊の
 際のレーニン像倒壊の「イメージ」を、まるで模倣したかのようなフセイン像引き倒し
 劇は、しかしながら、米軍のかけたロープと米軍用車両の牽引によって引き倒されたの
 であり、その作戦を命じた米軍の意思決定者がいたのであり、そしてそれは、イラク市
 民ではない。
 しかし、イラク市民の歓喜が、メディアの報じる「我々」のストーリーとして繰り返し
 繰り返し伝えられる。壮大な解放劇として。
 今や、イラク戦争の最も象徴的な映像は、あのフセイン像引き倒しのシーンなのである。
 イメージ(映像)が想像力を駆逐するのだ。想像力が駆逐されると、現実に起こってい
 ることのりありてぃ(本当らしさ)が失われる。
・イラク市民の被害に関する映像は米メディアから、特にテレビ・メディアから徹底的に
 排除された。 
 両腕を失って家族16人を殺されたアッバス君の映像を米国民はほとんど知らない。
 病院にあふれる市民の被害者の映像は流れない。
・米メディアの編集責任者たちは、その主張に納得し「自己検閲」を行なったのである。
 それらの映像は、米国では「報道」ではなく、「プロパガンダ」という言葉で呼ばれた。
 それらに代わって放送されたのは、電撃的な作戦によって救出された米軍女性兵士捕虜
 ジェシカ・リンチ上等兵の映像と家族らの喜びの記者会見であり、フセイン宮殿の攻略
 生中継であり、米兵士に「サンキュー!」と駆け寄るイラク市民の映像であり、自国の
 歴史遺産を略奪する「野蛮な」イラク市民の映像だった。
・米メディアは最高の利便を与えられた代わりに、メディアとしての本性を失ったのでは
 ないか。 
 彼ら自身が使っていた言葉をあえて用いれば、米メディアは巨大な「帝国」の「プロパ
 ガンダ」と化したのではないか。
・ハナ・アーレントが、今から35年も前に、ナチズム、とりわけ強制収容所のホロコー
 ストについて記した大著「全体主義の起原」のなかの言葉は、今のアメリカで読むには
 重すぎる。
 「一人の人間がかつてこの世に生きていたことがなかったかのように生者の世界から抹
 殺されたとき、はじめて彼は本当に殺されたのである」
 
日本のメディアとオルタナティブ・メディア桂敬一
・日本でもメディア間の路線の対立が、「イラク戦争」をはさんで際立つものとなってき
 た。
 なかでも「読売」「産経」の報道・論評における米国支持と、その方向に小泉内閣を駆
 り立てていく熱心な督励とが目立つ。
・「読売」の第一の特徴は、無条件の米国支持を早くから社論としてうち出していること
 だ。
・開戦前のヤマ場、安保理における査察団追加報告後の外相協議で、米パウエル国務長官
 と仏ドビルパン外相の各演説のあと、査察継続派が多数を制したが、
 これを受けた「朝日」の社説が
 「イラク査察 戦争回避が多数派」
 に対して
 「読売」社説は
 「イラク攻撃 小泉首相の決断(米国支持)を支持する」
 となり、開戦直後の社説は
 「イラク戦争の早期解決を望む 非はイラクにある」
 となる。
・第二として「読売」は、イラク戦争における米国支援の理由に北朝鮮の脅威を早くから
 挙げ、その面から米国支援が(国益)に適うとする報道・論評を、一貫して繰り返して
 きた。 
・「読売」の第三の特徴は、「国益」追求が包括的であり、単にイラク戦争の遂行や戦後
 の復興政策などをめぐる米国支援のあり方だけに問題を止めず、米国の力の勝利に基づ
 く今後の国際社会の秩序の変更と、それへの日本の積極的参加、そのような日本となり
 得るための国家体制のつくり替えなどの提言まで、この間のすべての論議の中に綿密に
 織り込んでいる点が、見逃せない。
・アメリカは、イラクの戦後復興政策の推進に関しても、国連中心の多国間協議に拠ろう
 とはしていない。
 このように身勝手なグローバリズムを追求していくならば、アメリカは、かつて国際連
 盟の制止を振り切りって中国侵略に走り、占領地に傀儡政権づくりまでやった日本が犯
 したのと同じ過ちをくり返し、結果的に世界に、果てのない災厄をもたらしかねない。
 そのような過ちを繰り返すなと、政府が言えないのなら、日本のメディアこそが歴史的
 経験に立ち、また市民の声、世界の世論を背景に、必要な説得を試みるべきではないの
 か。 
 実際、世界の市民運動は、市民メディアの活動をさらに充実させ、イラク戦争後に築か
 れるべき新しい地域社会と国際社会のあり方、その可能性を、多面的に追求しつつある。
・日本のメディアと市民がその方向に合流にしていくならば、日本にも新しい未来が約束
 されるだろう。 
 反対にアメリカに追随していくだけならば、日本はふたたび世界の孤児に転落する恐れ
 がある。

バグダッドのグラウンド・ゼロに立って広河隆一
・イラク戦争の報道では、日本の大手メディアの多くは開戦前から、開戦を前提とした番
 組や記事の作り方をしていた。
 そして開戦後は米英軍の攻撃の解説に終始した。
・日本の大手メディアは、爆撃される側にはいかなるスタッフも送り込まなかった。
 ただ従軍記者として米国の部隊に同行して取材したのである。
 フリーランスの
 ジャーナリストだけが誤爆や傷ついた人たちの有様を伝えていたが、全体の報道量は圧
 倒的に米英側、つまり攻撃する側のものだった。
・トマホークは数メートルの誤差しかない精密兵器といわれるが、標的から数メートル外
 れただけで、数百メートル先まで飛んでいって、民家を爆破してしまうという例もある。
 爆撃する側から言えば誤差は数メートルでも、爆撃される側から言えば、誤差数百メー
 トルになる場合もある。
 また爆撃の規模が大きいため、命中しても周囲の民家が破壊される例も目にした。
・2001年10月のアフガン戦争のときは、男性が髭剃りをしたり、女性がブルカをぬ
 いだり、民衆が音楽を聴いたり映画館に殺到する光景が何度も流されていた。
 しかし、実際私がその後に現地に行ってみると、髭を剃った男性はほとんどいないし、
 解放軍であるはずの北部同盟の兵士たちはみな髭をたくわえてた。
・今のカブールは島のようなもので、その周囲は群雄割拠の戦国だ。
 地方に行く山道では襲撃の危険と隣り合わせだ。
 特に外国人NGOやジャーナリストはお金があると思われて狙われる。
 フランス人のNGOの女性が、持ち金を奪われ、レイプされてしまったこともあった。
 今のイラクでもそのようなことが起こっている。
・新生イラク政権は爆撃と占領によって作られたという意識はこれから人びとの心に植え
 込まれ、抵抗運動も活発化するだろう。
 特にシーア派イラク教徒に、そうして傾向が強い。
 アメリカはイスラム教徒と力で対峙するのではなく、どうやって共存、協調していくか
 を考えていかなければならないが、それは困難だ。
・今回の戦争で、気に入らない国があれば、国際世論の反対があろうともアメリカは力で
 ねじ伏せていく国だということも私たちは思い知らされた。
 どうしたらアメリカの暴力から身を守れるかと世界の多くの国々が考え始めている。
 国連も当てにならないとなると自爆テロしかないという発想が増えてくることになるだ
 ろう。  

・開戦の二カ月前にバスラを訪れ、湾岸戦争で投下された劣化ウラン弾による白血病治療
 の現場を見てきた。
 バスラは白血病の発生率が非常に高かった。
 今回の戦争で米国は湾岸戦争の数百倍の劣化ウラン弾を使用したと指摘する学者がいる。
 これから数年たって、人びとが戦争を忘れた頃、白血病は爆発的に増えるだろう。
・湾岸戦争での死亡者の90%以上が子どもと女性だった。
 米軍は浄水施設や発電所を爆撃した。
 そのことで水が汚染され、子どもが死んでいく。
 だから今回「人間の盾」が浄水場や発電所といった社会インフラ施設に立て籠もったの
 だ。 
・バスラの浄水施設や発電所は爆破されたが、バクダッドは爆破されなかった。
 それは「人間の盾」がいたからとも考えられるが、次のような見方もできると思う。
 第二次大戦のとき、米軍は日本本土を攻撃する際、化学兵器でコメの生産を破壊する計
 画が持ち上がった。
 しかし、占領後、米軍が日本人の生活の面倒を見なければならなくなるとき、コメが全
 滅していたら負担は莫大なものになる。
 その責任を占領軍が負わなければいけなくなることを避けるために、化学兵器の使用を
 見合わせたそうだ。
・バクダッドの場合も同じだと思う。
 浄水施設と発電所を空爆対象から外したのは、アメリカが占領後に負う責任を少なくす
 るためだったのだ。  
・今回の戦争では米軍を支持し後方支援をした以上、我々は加害者になっている。
 加担した以上、イラクで何が起こったかを早急に調査検証する義務がある。
 国際公聴会のような動きに積極的に参加していく必要がある。
 さらに救援を届けるべきところに送り届けなければならない。
 
湾岸戦争と「イラク戦争」(「見せない戦争」から「見えない戦争」へ)川村晃司
・1991年冬、世界中のメディアの眼は湾岸地域に注がれていた。
 そこには世紀末の戦場があった。「湾岸戦争」と呼ばれた戦争が・・・。
・しかしメディアが伝える戦況報道については、TVゲームのような戦争だと言われた。
 米軍戦闘機に据え付けられたモニターカメラで、視聴者は、爆弾やミサイルが目標に到
 達する直前までを目撃できた。
 その先の目標地点で具体的に起こっていた出来事については、米軍やイラク側の発表報
 道という情報に多くを依拠していた。
 そこでは戦争報道の宿命でもある「見せない事実」が進行していた。
・米軍は作戦司令部となった、サウジアラビアのリヤドでの記者会見で軍事目標に限定し
 たピンポイント攻撃の精度と成果を、TVモニターの枠の中で誇示していた。
 そして、報道陣の不満をよそに戦場取材は「代表取材」というプール制度で、メディア
 に対する検閲機能もシステム化していった。
・これはベトナム戦争での自由に「見せる報道」の「失敗」から学んだ教訓を生かしたも
 のであった。
 それでも記者たちはこぞって、代表取材に指名されるように競いあった。
 米軍とともに戦場に行くことで、湾岸戦争を取材しているという実感を確かめているか
 のようであった。
・米国は、湾岸戦争後に報道機関から代表取材に対する抗議を受けた。
 このため、イラク戦争ではこうした戦場記者心理を巧みに逆手にとり、記者が同行する
 部隊を米軍側が選定する形で従軍取材を認めた。
 そのねらいは、TVモニターの中に閉じ込めた「見せない戦争」から、あたかも戦争が
 見えているかのごとくメディアを誘導していくことで、「見えない戦争」を遂行するこ
 とにあったのではないだろうか。
 いわば、米軍はイラクとの地上での戦いとともに、一方ではメディアを相手にした、も
 うひとつの戦争を戦っていたのだ。
 その結果は、軍事的には成功したものの、情報への危機感を深めたことも事実である。
・今回、600人以上の従軍記者の誰一人として、米軍が劣化ウラン弾を使用した戦場で
 取材した者はいなかった。
 あるいは特定できる記事やレポートを伝えた記者もいなかった。
 もちろん従軍取材のルールというガイドラインが米国防総省からメディア各社に出され
 ていたが、米軍のスポークスマンは、イラク戦で、「少量だが劣化ウラン弾を使用した」
 と堂々と認める発言をしていた。
 その言葉には従軍記者がどんなに戦場と多角的に向き合おうとしても無理だ、という米
 軍のメッセージが込められていたように私には思えてならなかった。
・湾岸戦争で最大の民間人犠牲者を出した、バクダッド西部アミーリア地区のシェルター
 爆撃は、イラク側に大きな衝撃を与えた。
 と同時に、湾岸戦争を見える形にした決定的な局面をもたらした。
 米軍はこのシェルターを軍事通信施設だと誤認して、1000キロ爆弾を二発落とした。
・私は急いで現場に駆けつけた。
 シェルター内から死者が運び出されてきていた。
 真っ黒に焼け焦げた屍体に水がかかる。ジュッと湯気が立ちのぼる。
 無残な死体はほとんど女性と子どもだった。
 なかには性別さえ見分けがつかない赤ん坊の死体も並んでいた。
 私はこのとき、いったい何人がこのシェルター爆撃の犠牲になったのかを自分の眼で確
 認しようと、じっと死体の数を数え続けた。屍体の臭気で吐き気をこらえながら・・・。
 私を案内してくれた情報省の検閲官は涙を流し幼児の死体の脇で咽吐していた。
・最終的に406人の犠牲者を出したシェルターは、スウェーデン製で設計仕様書もあっ
 た。このシェルターは1980年にイランのミサイル攻撃に備えた民間施設として建設
 されたものだった。
・なぜ米軍は誤爆したのか。
 「疑わしき施設は叩く」という粗い軍事戦略だっただけなのか、米軍は以前からの情報
 収集で民間用シェルターと半ば承知のうえで攻撃を実行したのではないか、というのが
 取材から得た私の実感である。
 軍事施設ではないかという疑惑情報があったにせよ、米軍の破壊力の前ではシェルター
 など脆いものだとイラク政府と市民に見せつけ、恐怖を煽り、厭戦感情を高めるという
 心理作戦、つまり、米国は確信犯だったのではないか。
・米軍の誤算はこの古いシェルターの中に、これほど多くの民間人が潜んでいるという想
 像力を持てなかったことではないか。
・このシェルター爆撃は、イラクの停戦受諾に向けた湾岸戦争の象徴的な転換点となった。
 戦時下のイラクで、私自身が精神的に最も参ったのも爆撃による「音の恐怖」であった。
 滞在していたホテルの前にミサイル攻撃があった時には「ドゥカァーン」と、くぐもっ
 たような大音響が拡がり、自分の心臓が直撃されたような衝撃を感じた。逃げ場がない
 のだ。
 こうして衝撃と恐怖を与える作戦は、イラク戦争ではメディアに対しても直接向けられ
 た。
・パレスチナホテルの前のフセイン像は一年前に建てられたばかりのもので、なんら象徴的
 なものでないことは市民の多くが知っていた。
 一時は本当にフセイン像かどうか疑わしいとさえ指摘された。
 市内中心部に建てられていたフセイン像と顔が似ていないのだ。
 私自身イラクにはこれまで15回の入国経験があり、パレスチナホテルや、その前のシ
 ェラトンホテルによく宿泊していたが、この場所は街の中止部から離れた外国人向けの
 ホテル地区なのだ。
・こうした事情をアラブ系メディアは知っていた。
 その結果フセイン像の倒壊はことさらアップの映像が目立つニュースとして世界に配信
 された。
 実際には100人程度の群衆が集まって、または集められていたにすぎないというのが
 倒壊劇の実相だった、と思われる。
・「今、自分は独裁政権崩壊の歴史的場面を伝えている」と思った瞬間に、歴史の証言者
 としての国際報道記者は「新たな権力者がどこかで微笑んでいる姿」を脳裏に想い描い
 ておかなければいけない。 
・戦争報道の死角は、取材する記者自身の自己満足のなかにこそ隠されているのだ。
 イラク戦争では日本人記者たちも検閲緩和により、日本語でレポートすることが許され
 た。
 しかし、見えない戦争の本質をどこまで迫れたか、戦場記者の資質も検証されなければ
 ならない。
・12年前の湾岸戦争後、バグダッドに入って米軍ピンポイント爆撃の正確さを検証した
 米国のラムゼイ・クラーク元司法長官は、
 「正確さは60%程度、米軍の爆撃は盲腸を切ろうとして首を切ってしまったような外
 科手術だった」
 と嘆いた。
 米英両国は、イラク攻撃の根拠としてきた大量破壊兵器の脅威をメディアに対して誇張
 し過ぎたのではないか、という声がある中で、米軍の占領統治がはじまった。
 イラク戦争では湾岸戦争当時より精度と破壊力の高い誘導兵器が使われたが、民間人犠
 牲者の数は不明のままだ。

だれの側に立って伝えるのか?(空爆下のバグダッド取材で感じたこと):絹井健陽
・イラク人は非常に親日的だが、今回の戦争で日本が米国を支持していることを実に多く
 の市民が知っていた。
 「なぜ、日本は米国を支持するのか」
 と聞かれたことは、これまでも多かった。
 しかし、ただ理由を知りたいだけという聞き方だった。
 そして、彼らは腑に落ちない様子で二つの地名をしばしば口にする。
 「ヒロシマ、ナガサキ」
 だ。
 「米国に原爆を落とされた日本人が、なぜわれわれの気持ちをわかってくれないのか」
 彼らはそう言いたいのだ。
・現地から毎日のように、日本のテレビの中継リポートをしていた私だったが、バグダッ
 ドに入る前から取材の方針はすでに固まっていた。
 それは、「攻撃される側から見た空爆や戦争」への視点で取材し、伝えるということだ
 った。 
・しかし、バグダッドという、間違いなく一方的に攻撃される、空爆される、殺される側
 の街に自分は今いるにもかかわらず、その炎や煙の下で恐怖にさらされる市民の人たち
 の怯え、苦悩、表情をしっかりとつかむことができないでいる。
 炎や煙の映像は撮ることができても、かれらの顔や思いをどうすれば撮ることができる
 のか。
・もちろん、空爆が起きた後の現場や病院の取材は、ほとんど毎日のようにできた。
 倒壊した家屋や負傷者が運び込まれた病院に取材で、一般の人たちの被害の概略はわか
 る。インタビューもできる。
・だが、それらは基本的にこちらから主体的に選んで取材できるのではなく、あくまでも
 「イラク情報省が選んで、その管理下で報道陣に公開している現場」に過ぎない。
 ときに空爆被害の現場さえ隠し、取材できないことが何度もあった。
 空爆の現場を勝手に取材・撮影したというだけで「国外退去」となったジャーナリスト
 もいた。
・私は、そうした情報者が用意した取材以外にも、できるだけ一人で毎日街を回って
 「隠れて」取材した。
 だが、それでも限界はある。
 そしてそうした行動をあまり取り過ぎると、自分も拘束されたり、国外退去となってし
 まう可能性があった。
 私は、イラク当局から見れば、「スパイ」とみなされてもおかしくない状況だった。
 私が取材したイラク人まで逮捕・拘束される心配もあった。
 一般の人たちへの「独自取材」が本当に難しい国だった。
・空爆を避ける手段だけでなく、生活のすべてにおいて「選択肢」というものがバグダッ
 ド市民には、ほとんどない。 
 独裁政権に対して、直接声を上げることもできない。
 外に向かって自分たちの本当の意思を伝えることも、イラクから脱出することもできな
 い。
 彼らの「逃げ場所」は、愛する家族とともに家の中で寄り添うしか方法がなかったのだ。
 そして、その唯一の逃げ場所だった彼らの家に、爆弾やミサイルが「無差別に」襲いか
 かった。
・空爆の恐怖や被害は、直接ミサイルや砲弾が直撃するだけではない。
 炸裂した爆弾の無数の破片が周囲数百メートルにまで無差別に飛び散る。
 そして、その破片が目に突き刺さり、内臓をえぐり出す。
 病院に収容されたほとんどの人が、その砲弾やガラスの破片で負傷した人たちだった。
・「精密誘導爆弾」や「ピンポイント爆撃」の真の実態は、彼ら「殺される側」が感じる
 恐怖と、傷ついた身体、そしてもの言わぬ遺体にしか存在しない。
  
・今回、米軍の従軍取材側から映し出される映像で、「生中継される戦争」と言われた。
 だが本当に「戦争」が中継されたのだろうか。
 米軍側では、たしかに「戦闘」は中継されたかもしれない。
 進軍する戦車や次々に撃ち込む砲弾はテレビに映し出されたのかもしれない。
 しかし、その戦闘や砲弾で傷つき死んでいくイラク市民たちの姿はどれほど映し出され
 たのだろうか。
 兵士ではく、イラクの一般の人たちの顔や表情が、本当に世界に「中継」されたのだろ
 うか。
・それはバグダッド側も同じだった。
 いままさに、この瞬間に空爆にさらされている人たちの恐怖を、自分はどう感じ取って
 伝えることができるのか。
・「戦争」の映像とは、戦車が進むところや砲弾が炸裂するシーンだけではない。
 「戦闘」は「戦争」の一部分でしかありえない。
 従軍取材が殺す側の軍隊の「撮影班」となれば、「戦争を起こす側の正統性をフォロー」
 映像だけが世界に伝えられ、殺す側の国の「広報メディア」となるだけだ。
・米軍の装甲車でフセインの銅像が倒されるシーンが、この戦争の象徴的な一枚の写真、
 映像の一瞬だとすれば、それまで伝えてきた「従軍取材」や「バグダッドからの報道」
 はいったいどんな意味があったというのだろうか。
 ベトナム戦争のような、ある決定的な、象徴的な一枚の写真、一つの映像は、この戦争
 ではなかったといえるのかもしれない。
・今回の戦争では、空爆の犠牲者やイラク兵の死者の数すら明らかになっていない。
 また劣化ウラン弾などの被害も今後間違いなく出てくる。
 この戦争の意味を問うために検証すべきことはまだたくさん残っている。
・「何を、何のために、誰のために」取材するのか。そして、「どちら側に立って」伝え
 るのか。    
 戦争を伝えるメディアは、巨大な国家の軍隊の装甲車に密着し、その背後からライブ中
 継する体制を整えるよりも、一方的な攻撃にさらされる市民たちの前にどう立つのか、
 どうやって現場から伝えられるかを追求するしかない。
 
「イラク」護の世界を見すえて:寺島実郎、定森大治、小杉泰、藤原帰一、李錘元

開戦と終戦のプロセス
・宮澤喜一さんは朝日新聞のインタビューでズバリ、「これは報復戦争だ」と言い切りま
 した。
 9.11事件とイラクの関係は一切検証されていませんが、アメリカ人の深層心理にお
 いて、これは9.11の報復戦争だったと言うんですね。
・PNACというシンクタンクの存在に象徴されるような、ブッシュ政権の特殊な性格が
 ある。 
 この政権の中核には、1997年にワシントンで作られたPNACの発起人の人たちが
 名と連ねている。
 彼らは、クリントン政権の外交・安全保障政策に異議を唱えた人たちで、アメリカの圧
 倒的軍事力でアメリカの理念、つまり「デモクラシー」を実現していこうという考え方
 をもっている。
・彼らの主張が今回、実現化されたわけですが、それは二つの皮肉が前提となって初めて
 可能になった。
 一つは大統領選挙制度の皮肉で、本来は総得票でゴアのほうが勝ったのにブッシュ政権
 が成立した。
 二つ目は、9・11事件が起こったという皮肉。
 いくらブッシュ政権の中で「ネオコン」と言われるような人たちが主流派を形成してい
 たとしても、この事件がなければイラク戦争まで持っていけたとは思えません。
・私はニューヨークのユダヤ系の人たちとも付き合いが深いのですが、今般、開戦を前に
 して東海岸を回った時に、印象深く感じたことがあります。
 中東和平の推進に賛成し、イスラエル労働党を支援し、極めてバランスのとれた中東認
 識を持っているようなユダヤ人たちでさえ、不思議な沈黙を決め込んでいる。
 「これはイスラエルのための戦争なのだ」ということを隠しているかのようです。
 この利口な沈黙がブッシュ政権の戦争を支えたファクターの一つになっているのではな
 いか。 
・湾岸戦争後とイラク戦争後とでは経済面で大きな違いがあって、湾岸戦争後の時は、当
 時のマルクに対してドルが急騰しました。
 今回のイラク戦争後はユーロに対してドルが急落しているのんですね。
 もちろん唯一の基軸通貨としてのドルという構図が崩れてきているということが根底に
 ありますが、ドル離れが加速されていることは無視できない動きです。
・圧倒的な力の論理によって、世界はアメリカの一極支配という構図に向かいつつあるか
 のように見えます。  
 確かに軍事的には一極かもしれないが、経済的にはアメリカのコントロールを超えた
 「多極化」という構図が見えてきている。
 世界はアメリカにとって思うに任せぬ状況にある。
 つまり、大きな歴史の潮流としては、世界は、重層的な多参加型システムへと移りつつ
 あるのではないか。

・開戦前の時点で、イスラエルとアメリカの情報は、必ずしも一致していなかった。
 「イラクの大量破壊兵器の脅威はない」という認識が、すでにイスラエル閣議レベルで
 共有されていたのです。
 イスラエルの情報機関、軍部はこれまで公式、非公式の場で語ってきた脅威とは、第一
 にイラン、第二にシリア、そしてイラクという順序です。
 今回のイラク戦争がイスラエルの国益にとってどういうものかということは、イスラエ
 ル自体まだ測りかねているのではないか。
 利口な沈黙と言い切れるか疑問です。
・アメリカは、心理的には9.11事件への「報復戦争」としてイラク戦争を戦ったとい
 う話ですが、中東の人々からすれば、9.11事件そのものが、湾岸戦争の報復として
 行われた。 
 一つには、湾岸戦争でアメリカは多くの市民を爆撃で殺してしまった。
 そのことに対する怨嗟が中東には溜まっていて、テロ組織の基盤を形成している。
 もう一つは、9.11に関与したとされる人々は、湾岸戦争後にアラビア半島を占領し
 続けているアメリカ軍を追い出すという論理を述べているわけですが、イスラム世界の
 人々はアメリカ軍は立ち去るべきだという主張に少なからず共感していた。
 湾岸戦争の怨嗟が9.11を引き起こし、その報復としてイラク戦争があったとすると、
 まさに報復合戦で展開してきている。これは深刻です。
・開戦の三週間ほど前もアラブ首脳会議が開催されて、武力ではなく対話による解決、中
 東全域からの大量破壊兵器の排除、イスラエルの核も含めてという意味です、といった、
 アラブなりのコンセンサスをつくったわけです。
 これが国際社会からは完全に無視された。
 アラブの域内秩序も無力化してしまった。
・なぜこれほど戦争に対する慎重な判断や留保がアメリカの中にないかと言えば、ごく単
 純なことで、アメリカが戦争に勝てるからです。
 より正確に言えば、味方の犠牲を最小限に抑え、短期の戦闘で勝つことができる。
 まず軍事技術から見てアメリカが明らかに攻撃優位に立っています。  
 防御優位に立っている時は戦争の合理性は低いですが、いまは逆です。
 もう一つは力関係で、アメリカに軍事力が集中しているので反撃がこわくない。
 戦争に負けないのですから、戦勝のもたらす変化を積極的に利用すべきではないかとい
 う議論が出てくる。
 戦争に対する敷居が下がるわけです。
 そうなってくると、中東に問題があるから軍事行動が起こったというより、アメリカが
 戦闘を起こす意志さえあれば、戦争をはじめ、勝つことができる。
 イラク戦争は、そうした状況が生まれていることを世界に見せつけた事件だったと思い
 ます。

・アメリカの中でも、クリントンーゴアの民主党の系統は、多国間主義に近い秩序イメー
 ジを抱いていたと思うのですが、選挙で敗北してしまい、アメリカの単独主義による世
 界秩序の再編という構想が前面に出た。
 その最たるものが先制攻撃ドクトリンです。
 それを実行する格好のターゲットがイラクだった。
 そういう意味からすると、イラクはアメリカの構想を実現する上でのテストケースであ
 り、今後の戦略構想の土台的な存在出だったと思います。
 アメリカは、国連をはじめ世界が反対したにもかかわらず、戦争に踏み切って、勝利し
 たわけですが、そのことは、単独行動主義と先制攻撃ドクトリンを掲げるネオコンにと
 っては、結果的に好都合だったという、逆説的な印象をもちます。
 
「イラク戦争」後の世界秩序
・アメリカは、イラクに新しい統治機構をつくることができない状態が続いています。
 暫定統治機構、かつての政府組織、地方権力という三つがバラバラの状態で、無政府状
 態が続いている。
・アメリカとしては現地の政府をつくり、そこに統治を任せて撤退したいわけですが、そ
 れがうまくできない。 
 これだけなら、「この戦争は失敗だった」とか「軍事的に勝っても政治的には成功して
 いない」という議論が出てきても不思議ではないはずですが、そうもなっていません。
 アメリカは、そうした失敗を覆い隠すことができるほど強い立場に置かれているわけで
 す。
・民主党は、戦争が終わったら内政の季節になる。そうなったら我々がブッシュを叩く番
 だと、待ち構えていた。
 ところが、終戦直後に、共和党保守派の主張を大胆に体現した減税法案が通過します。
 ブッシュ政権が内政でも依然として強いわけです。
・戦争に反対したドイツは、フランス以上の「いじめ」に遭っています。
 サミット前の外相会議でも、パウエル国務長官はシュレーダー首相と三分しか会おうと
 せず、対独関係を修復する姿勢はアメリカにない。
・逆に小泉首相は、ブッシュの別荘に泊めてもらえた。
 同じ別荘に行った江沢民も泊めてはもらえなかった。
 それが霞が関の喜び、勝ち組について喜びになっている。
 アメリカと同盟諸国との国際関係は、もはや国際関係ではなく、アメリカがすべてのカ
 ードを握り、それにどれだけ各国が接近するかという競争になっています。
・中東の各国にしてみれば、自分たちの目の前で政府が潰されたことの影響力は強いわけ
 で、世論が何と言おうが、アメリカに逆らうことがどういう代償を伴うのかが明確にな
 った。
 ですから、戦争が終わったあとで、アメリカがシリアに対して脅しをかけたとたん、シ
 リア政府は協力を申し出ました。
 
・ネオコンたちは「世界」とか「国際秩序」とか「変化」という言葉を使いながらも、彼
 らの主な関心は米欧や中東地域などのパワー間関係であって、アフリカは全く視野に入
 っていない。
 彼らが「世界」と考えているのは、グローバルな秩序というよりも、アメリカの利益に
 直接絡んでくる地域であって、限定的に選択的な介入と対応で、アメリカが秩序を維持
 できる地域であると言ったほうがいい。
・国際政治の長い歴史から見ると、強烈な一極パワーができた時に、二つの行動様式が現
 れます。
 バランシング(勢力均衡)するか、それともバンドワゴン(便乗)するかですね。
 いまのアメリカの力の大きさと、アメリカ自身が持つ普遍的な性格からすれば、古典的
 なバランシングが成り立たない。
 現在見られるのは、中に入ってバランシングをとっていくか、短期的にバンドワゴンし
 ながら、長期的にバランシングを考えていくかしかありません。
・いまのアメリカは何も提示していないのではないか。
 アメリカにあるのは、「カウボーイ・メンタリティ」にすぎない。
 悪漢をこらしめる保安官きどりで、悪をこらしめる正義とか、報復の美学の男らしさと
 か、カウボーイ映画のストーリーが我々の目の前で繰り広げられているだけです。
・いま注目すべきは、ICC(国際刑事裁判所)構想です。
 これは、これからの世界秩序を考える時のメルクマールだと思います。
 国境を越えた組織犯罪や人道に対する犯罪を裁く常設の裁判所ですが、すでに90カ国
 以上の国が批准して、今年三月にハーグに設置されました。
 テロとの闘いということを本気でやるなら、テロの芽になりそうな国に先制攻撃をかけ
 るのではなく、こういう国際刑事訴訟的な仕組みこそが重要になってくる。
・ところがブッシュ政権は、この構想から下りてしまった。
 アメリカの国民が刑事犯として逮捕されて不公正な裁判の犠牲にされるのを拒否すると
 いう理由です。  
・イラク攻撃に参加した英国も、隣国の韓国もICCに参加していますが、日本は批准し
 ようとしていません。  

・イラク戦争後のいま、「戦後の日本とは何だったのか」ということが試されていると考
 えています。
 つまり戦後の日本は、武力をもって紛争の解決手段としないという基軸と、国際社会の
 中で国際協調システムに参画していくことで、名誉ある地位を得たいという二つの基軸
 をもっていたわけですが、いまご都合主義的にそれを後退させようとしている。
 そのことに対する本気度が試されている。
 こういう時に瞬発力が問われているのです。
 
中東世界への影響
・そもそもイラクの人々は民主主義を知らないという前提が、アメリカ側にも、国際社会
 にもあったと思いますが、これが間違っていたことが戦争が終わってから非常にはっき
 りしてきました。
・イラクは民主主義を経験していませんが、民主的な政治を求める声が非常に強く表面に
 出てきました。
 国民の間には独裁者や強権的支配者が勝手にやっているのは、もううんざりだという思
 いがあり、民主主義を求める声の元種となっています。
 このような声は、イラクにとどまらず、中東に満ち満ちている。
・一方、アメリカの占領政策は民主化を錦の御旗にしていながら、安定した政権もつくら
 なければならないわけで、民主主義は最優先事項ではない。
 下からの圧力としては民主化に向かって、ものすごい勢いがあって、同時に当時の仕組
 みがこわれていますから、いまは非常に混沌とした状態になっていると思います。
・イラクはずっと経済制裁や外圧下にありましたが、それによっていちばん被害を被った
 のは国内の民主主義派です。
 これまでも、ナショナリズムは育つことができました。
 イスラム勢力は、潰されても潰されても頑張ってきた。
 しかし、いわゆる近代的な民主主義派が、いちばん育たなかった。
 したがって、これから統治を担うべく出てくるのは、アメリカからすれば意に沿わない、
 シーア派を中心としたイスラム勢力だと思われます。
 その時に、どう対処するかが、深刻な問題でしょう。
・冷戦期、「親米」はわかりやすく、イスラエルをはじめ、イスラエルと和平したあとの
 エジプト、長らく同盟関係にあるサウジアラビアも親米だった。
 ところが9・11以降、そのサウジアラビアに対して、「ビン・ラーディンを生むよう
 な国は異質である」というバッシングがあからさまになされている。
・テロについては、湾岸戦争があり、9.11があり、アフガニスタン、イラクと戦争が
 続いてくると、次にもう一回テロの側の報復があると見ざるを得ない。
 テロを行なうのは、もともと地下組織ですから、全貌を知るのは容易ではありません。
 アメリカは、9.11以降、あたかも巨大なアルカイダというテロ・ネットワークが世
 界中にあるかのように前提していますが、非常に疑わしい。
 小さな急進派のグループがたくさんある可能性も高い。
・ビン・ラーディンは、サウジ政府の要請を受けてアメリカ軍がアラビア半島に駐留して
 いるのですら「占領だ」と言っているわけですが、いまイラクにいるアメリカ軍は名実
 ともに「占領軍」です。
 このことが、どれだけのインパクトをもたらすか。
・イラク戦争の終わり方がある意味で不幸だったと思うのは、イラク軍が相当抵抗するの
 ではないかという期待があったにもかかわらず、実にあっけなく負けてしまった。
 そのため、戦争直後に中東全域に激しい無力感が拡がった。
 占領軍がいるということと、その無力感があわさったところに、テロを支える土壌が形
 成されている点に、非常に不安をおぼえます。
 
・私は大国の論理の痛ましさと浅ましさを、しっかり問題意識として持たなければいけな
 いと思います。
 そもそもイラクというのは、1921年にイギリスがつくった人工国家で、大国の論
 理によって振り回され続けていた結果、また再び再植民地化という言葉さえ使われるよ
 うな力学の中に置かれている。
・その中で日本人としてイラクという国の将来を見る視点を考える際に、1951年にサ
 ンフランシスコ講和条約が結ばれたときの、インドの立場はとても参考になるはずです。
 インドは、日本に駐留しているすべてのアメリカ軍が引き上げるならサンフランシスコ
 講和条約に参加して署名してもいいという、アメリカにしてみれば驚天動地の条件をつ
 けた上で、サンフランシスコ条約には署名しなかった。
・インドは、翌1952年に単独講和に応じてくれた。
 実は、このことが、日本の戦後の国際社会への復帰にとって、大きなきっかけとなった。  
 日本は戦後、アメリカとの二国間関係の中で復興、成長して今日に至っていると考えが
 ちですが、アジアから決して孤立していなかった。
 日本側が、アジアの国に一員だと意識したことはほとんどないにもかかわらず、たとえ
 ば、インドという国が果たしてくれた役割は実に重要なのです。
・いまこんな話をするのは、イラクに対して日本が拠って立つところは何かというときに
 示唆的だからです。
 いまは、日本人が列強模倣の名誉白人的な自己意識で胸を張っている時ではなくて、も
 う一つ違った目線からイラク、北朝鮮についても同じと思いますが、問題をとらえて、
 大国の論理の中で見様見真似のゲームに参加していくのではない視点が問われているの
 ではないか。 
 日本は、アメリカの政策をアメリカのフィルターを通して賛成していくのではなくて、
 適切な距離感をもって、特にアジアの目線を強く意識して、この問題に関わっていかな
 ければいけないんじゃないか。

朝鮮半島問題への波及
・北朝鮮の媒体で「イラクの次は北朝鮮」という心理には、アメリカの政策はほぼ規定方
 針であって、どんな譲歩をしても避けられないというメッセージが隠されている。
 その際、「イラクは大量破壊兵器を放棄して国際社会やヨーロッパに外交的模索をすれ
 ばするほど押し込まれた。
 結局大量破壊兵器を放棄したがゆえにイラクはやられたというものです。
・アメリカは、経済制裁など、圧力を加えれば北朝鮮はさらに弱体化して完全に折れてく
 るか、あるいは崩潰に近いような形になると期待しています。
・しかし、まだ不確実な要素があるうえに、崩壊のスピードよりは核大国化のスピードの
 ほうがいまのとこる速い。
 中国が完全に北朝鮮への補給路を断てば別ですけれども、中ロの首脳会議で圧力に反対
 すると明言しましたので、おそらく完全に圧力を加えることは中国はしない。
  
・アメリカの強硬派が言っているのは、寧辺の核施設への限定的な攻撃です。
 アメリカから見ると、核兵器を一つか二つ持っている可能性は非常に高いけれども、政
 治的な脅威にはなっても、純軍事的に考えるとまだ深刻な脅威ではない。
 ただ、それを六つ以上増やすとなると、戦略的に重大な状況であり、軍事的に阻止した
 い。
 となると、再処理施設は目に見える地上にある施設なので、それをピンポイントで攻撃
 するということです。
・これはサージカル・ストライクで寧辺だけで狙ったものだ」ということを明確に伝えた
 上で攻撃を行なった場合、北朝鮮が自殺行為に等しい全面戦争にうって出る可能性はな
 いかもしれない。 
 北朝鮮自身は体制の生存にプライオリティを置いているので、寧辺が叩かれても自殺行
 為である戦争にはおそらく走らないだろうとアメリカの強硬派は考え、軍事行動を実際
 に検討する向きもあります。
・イラクとちがって北朝鮮がちがうのは、サージカル・ストライクをしても、地中にかな
 りの兵力をもっているので、防衛力を保つことができることです。
・アのメリカの強硬派が1994年以来、言っていることは、寧辺の核施設を叩くうえで
 いちばん厄介なのは、休戦ラインに前方配備されている1万5千門の野戦砲と4千門の
 ロケット砲です。
 それもかなりの部分が半地下か地下に陰蔽されている。 
 これを一度に叩くには、バンカーバスターを使うしかない。
・米第二師団1万7千人がソウルと休戦ラインの間に配備されていますので、彼らはその
 射程距離にいて、直接の影響を蒙るし、むろんソウルも壊滅的な被害に遭う。
・在韓米軍を漢江以南にとりあえず退いて、かなりの部分をハワイなどに持っていく。
 それが実現すれば、あとは破壊力を揃えて、休戦ラインの北部をどの程度無力化するの
 か。 
 瞬時に七割、八割を無料化できるとペンダゴンがシミュレーションをしていれば、サー
 ジカル・ストライクに踏み切る可能性も否定できません。
・朝鮮半島の戦争で、しかも韓国がかなり強硬に反対をした場合に、アメリカがコストを
 覚悟してまで戦争に踏み切るというのは、国内政治的には相当高度な判断・決断を必要
 とします。 
 そこでちょっとでもしくじった場合には、韓国、日本にすぐ影響するような状況で、
 とりわけ日本にも直接飛び火するような被害が予想される中で、それを封じ込められる
 自信なしにはできない。
・イラク開戦に当たっては、イスラエルが攻撃され、被害が出れば、アメリカも「この戦
 争は何だったのか」というふうに批判されますから、スカッドの無力化を図るなど、イ
 スラエルに対する被害を事前に綿密に計算して、封じ込めたうえで戦争に踏み切ったわ
 けです。 
・朝鮮半島では、軍事的にある程度可能性があるとしても、踏み切るような国内政治的な
 動機がどの程度強いか。
 アメリカの世論は、金正日は悪者だというイメージは持っているでしょうけれど、金正
 日を叩けとまでいくかどうかは、可能性は必ずしも高くはないと思います。
・より根源的な課題は、アメリカの判断によって、この地域が揺さぶられ続けることから
 の脱却です。 
 朝鮮半島の問題は、そこに住む人たちが主体的に判断・選択すべきであり、つまり日本
 としては韓国の人たちの判断を大切にすることが基軸でなければならない。
・アメリカのアジア政策の基本性格ともいえる「分断統治」、すなわち、内部対立を助長
 してみずからの影響力を高めるというやり方に適切な距離をとることが大切です。
 アメリカの役割も大切ですが、ロシア、中国を招き入れた東アジアの重層的な多国間の
 意思疎通スキームを構築していく努力が何よりも求められます。
  
「イラク戦争」報道をめぐるメディア検証
・ハイテク技術を駆使した、いわばテレビゲームのような戦いでは、地上戦の現場を見る
 だけでは戦況を十分に判断できない。
 ジャーナリズムの原点であるはずの現場主義の妥当性というか、現場にどこまでこだわ
 るのかという問題が浮上してきた。
・これまでの戦争取材との比較ですと、ベトナムの場合は、言うなれば自由取材で、
 どちら側についてもそれなりに取材できた。
 湾岸戦争に関して言えば、38日間の空爆と、100時間の短い地上戦がありましたが、
 代表社だけの従軍取材と独自取材しかなかった。
 アフガン戦争については、地上戦に関しては特殊部隊による作戦なので取材できなかっ
 た。
 今回のイラク戦争は、空爆とほぼ同時に地上戦が始まったことで、従軍取材という方法
 が取り入れられました。
・従軍取材に関して、湾岸戦争時、マルコム・ブラウンという記者が、
 「取材に加わる記者はみんな国防総省の無給職員である」
 と言い切っています。
 今回の従軍取材も、記者が無給職員に成り下がったということは言えると思いますが、
 私としては、今回の従軍取材の是非については、それ以外の選択肢を考えれば、受けざ
 るを得ないと考えています。
・今回は独裁政権のイラクという不正義、それに対抗して査察を見限った米英による不正
 義という二つの不正義があって、イラクへの査察継続を訴え続けながら、イラクの政権
 を守れとは言えないという、非常に難しい時期が続きました。
 日本の新聞は、そうしてジレンマを抱えながらいろいろな主張をしましたけれども、結
 局は大量破壊兵器の重みに流されたのが実情だったと思います。
・テレビ朝日の川村晃司コメンテーターは、湾岸戦争での報道体験から、ベトナム戦争は
 自由取材を奨励した「見せる戦争」で、湾岸戦争は代表取材で報道規制が強かった「見
 せない戦争」であるのに対して、今回の「イラク戦争は」、あたかも見えているようで
 いて実際にはメディアをある方向に誘導しただけの「見えない戦争」だと言っています。
・確かに一面的な報道が多く、たとえば被害者の視点は攻撃者のそれに比べて乏しく、バ
 ランスの欠けていたとは言えないでしょうか。
・確かに「見えない戦争」という側面が非常に強かったと思いますが、メディアのせいだ
 けにするのも酷な気がします。
 今回のイラク戦争の全貌はいずれ明らかになるでしょうが、水面下の情報攪乱、特殊部
 隊、破壊工作、暗殺など広い意味での特殊作戦、あるいは隠密作戦的なものが、事前に
 少なくとも半年ぐらい続けられた。開戦前にすでに、イラク軍の指揮系統や政治的ネッ
 トワークを破壊工作で寸断し逆宣伝もして、暗殺まで行ったといわれます。
・この戦争の報道について決定的に欠けていたと思うのは、この戦争についての解釈でし
 た。 
 もしメディアに役割があるとすれば、戦争について考えさせるようなきっかけを読者や
 見る側に与えることでしょう。
 でもこの戦争の意味については、たぶん報道する側も、テレビでコメントしている我々
 の側も、よくわからなかったし、自信もなかった。
 その問題から逃げていたという気持ちからが、自省を込めてしております。
・結局は朝日新聞は「空爆やむなし」で戦争支持ではなかったのか。
 テレビ局でも、「本当は・・・、イラクは叩かなくちゃしょうがない」「あの政府がよ
 くないことはみんなわかっている」とか、「大量破壊兵器があることは誰でも知ってい
 る」という「常識」が流されていた。 
 それは解釈じゃなくてメディアの雰囲気です。
 受け入れざるを得ない状態が自分から受け入れにくいものだとすれば、それに正当性が
 あるんだというふうに読み替えて自分で自分を騙すのです。
 そんな解釈にもならない、流れに乗っかっただけの観念を抱えた人たちが、他方では犠
 牲者の視点が大切だと宣伝するわけです。
 
・時代の空気が既成事実の後追いモードに入るとき、真に問われるのが「知識人の役割」
 だと思います。
 イラク戦争を前後して、何回もの討論に参加したが、この国の社会学者や地域専門家、
 評論家という人たちの虚弱さを再認識しました。
 知識はともかく、条理とか理念についての魂の基軸がない。
 そして歴史の進歩についての思考さえない。
 自己保身と当面のつじつま合わせだけで発信している。
・失望と怒りが込み上げてくるのですが、視点を変えて、情報の回路ということに関して
 発信しておきます。
 今度の戦争の大きなキーワードが「情報支配力」ということでした。
 開戦と同時に、イラクは完全にブラインド状態に置かれ、アメリカは衛星でモニターし
 て、ピンポイントで精密誘導兵器を撃ち込んでいくような戦争をやっている。
 ある意味ではハンディキャップ戦もいいところです。
 情報の支配力という意味では、「戦争」とは言えないというのが専門家の話です。
・日本の惨めさというのは、アメリカから開示されてくる情報を頼る以外にないというこ
 とです。たとえば大量破壊兵器についても、イラクは500トンの化学兵器と3万発の
 弾頭をもって云々という話を、日本の外務大臣を含めて、懸命に説明していたわけです
 が、それはアメリカが言っているから信用できるという話に過ぎない。
 この国には、情報の多様な回路から時代を認識することに対する布石が一切ない。
・日本は、近隣の北朝鮮の問題一つとってみても、自前で問題を認識するだけの情報イン
 フラをもっていない。  
 シンクタンクから国家の情報の収拾分析システムまで含めて、まさにアメリカというフ
 ィルターを通じてしか世界を認識しない中で議論している。
・「バンドワゴン」じゃなくて、「バランス」をとろうとするならば、たとえごまめの歯
 ぎしりでも、自分たちの情報の基盤をつくるための努力をしていかなかったら、発信も
 なにもできたものではない。
 いわんや、違った政策シナリオや違った視点からの問題提起というものは、できるわけ
 がない。 
・情報というものについて、この戦争から、いたましいほどに教えられたものは「自前の
 情報」「自前の思考」「自前の判断」の大切さです。