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人は安定や安心ばかりを求めているのではない。安定や安心が長く続くと退屈になる。退
屈を紛らわすために、非日常を離れた臨時的な興奮や思い出に残るものを求める。つまり
はトキメキだ。人は常にトキメキを求めているのだ。
低迷する日本に必要なのは「人を呼ぶ」トキメキなのだ。世界中からトキメキを求めて日
本に押し寄せてくる。そんな「トキメキの国 日本」になってこそ日本は復活できるのだ。
目指すは「トキメキ」なのだ。

はじめに
・セ系の経済的な営みには、三つの種類がある。「物を造る」「価値を移す」「人を呼ぶ」
 だ。
・人類の文明は変わりはじめていた。「物財の豊かなことが人間の幸せだ」と信じる近代
 工業社会の考え方が崩れ、「満足の大きいことこそ人間の幸せだ」という発想が広まっ
 ていた。
・欧米の先行地域では「物を造る」営みが衰えた。それに代わって発展したのが「価値を
 移す」営みだ。物販、運輸、金融、通信などである。
・しかし、今はこれにも疲れが見える。物販な伸び悩み、運輸は格安航空に傾き、金融は
 破綻が相次いでいる。発展が続く通信の分野でも、でき事を知らせる活動よりも楽しみ
 を交わす類いが広まっている。世界は「人を呼ぶ」営みへと傾いているのだ。
・「人を呼ぶ」営みにも表裏二面がある。人を楽しませ歓ばせる積極的な方向と、人の苦
 しみや煩わしさを減らす消極的は方向とだ。後者の代表例が医療や介護、安全や治安、
 そして保険と防災、前者の典型がイベントと観光、非日常的な楽しみと歓びを与える産
 業である。
・人を楽しませる営みは、偶然にできることでも、他の真似で成功するものでもない。覚
 悟を定めて取り組み、頭脳を絞って考え、言葉を極めて人を説いてこそ、できるのであ
 る。
・現在の日本は、人を呼び人を楽しませることのやり難い世の中だ。経済成長力の低下や
 人口の少子高齢化、円高デフレなどの逆風もさることながら、企画力の低さと無責任な
 組織主義が「人を呼ぶ営み」を衰えさせるのである。
・その一因は、遠く徳川時代に遡る武士官僚の発想と体質にある。この国の歴史評価は民
 を楽しませた為政者には厳しく、民を苦しめた独裁者には賞賛的だ。
・こうした「文化的下地」を呼び起こしたのが戦後の官僚主義、特に1970年代から強
 化された没個性規格化の教育政策と東京一極集中の地域政策である。
・イベントも観光も非日常性が大切。ひと言でいい表せ、驚いきと思い出に残る印象が必
 要だ。
・人を呼ぶ営みは、一度ずつ異ならなければならない。イベントには「聖なる一回性」が
 大切である。それには「ただ一つのもの」を創作し、「ただ一回のもの」も大事だが、
 「脳を死絞って考える個性的勇者」が必要なのである。

イベントの効果
・時代が変わった。モノの時代からチエの時代になった。チエの時代には「人」が大切だ。
 まず、人を呼ぶ。客を集めるのではなく、物を積むでもなく、銭を稼ぐのでもない。ま
 ず人を呼ぶのである。
・人を呼べば、必ずそこに客(需要)がおり、物(供給)が現れ、銭(資金)が集まって
 来る。人を集めるには知恵が要り、人が集まれば知恵がでる。
・人を呼ぶためには「意」がなければならない。「意」とは、意志であり、意味である。
・「意」を実現するのは、「企て(くわだて)である。これを本来の意味での企画、つま
 りコンセプトといってもよいだろう。
・「企て」の次は「謀(はかりごと)である。「謀」とはストーリーといわれるものだ。
・ストーリーができれば、いよいよ具現化、つまり設計(デザイン)である。
・世の中には、配置図や建物の形状などハードウェア(物財)の設計だけを先にすること
 が多い。意図もコンセプトもストーリーも飛ばして、いきなり配置設計に入る場合があ
 る。
・今こそ「人」を呼ばなければならない。観光客や買い物客だけではない。働く人も、住
 む人も稼ぐ人も、費う人も、集めなければならない。
・「物財の豊かなことが人間の幸せだ」と信じる近代工業社会では、規格大量生産は最良
 の方法だ。「物財をより多く提供できる」ということは、「誰もがより豊かな物財を得
 て幸せになれる」ことを意味した。
・日本は長くモノ不足だった。狭い土地と乏しい資源に閉じ込められた日本では、節約と
 修練の美意識が育った。 
・日本人はみな、より多く電化製品、一家に一台のマイカー、そして自らが所有する住宅
 に憧れた。官僚たちは日本人の欲求と焦りを利用して資金や施設を割り当てる行政指導
 の権限を強め、増加する税収を分配して公共企業を進めた。
・戦後の成長経済では、企業経営にはさほどの知恵は要らなかった。大切なのは、仲間
 内に気に入られる気配りと、熱心に陳情して官公庁の許認可を得て確実に巨大施設を造
 る勤勉さと、恐れずに借金をして大きめの投資をする積極性、である。
・官僚や潰れる心配のない大企業の社員の間では、「最も重要なのはホウレンソウ」とい
 われた。何一つ価値を生まない組織内の報告、連絡、相談が重要な仕事だったのである。
・物財の豊かさは必ずしも人間を幸せにしない。人間の幸せには物財の豊かさよりも満足
 の大きさこそ重要である。
・日本に広まった組織は、あくまでも規格大量生産型の集団主義=無個性、無意志、無創
 造に徹していいた。要するに、この国の組織は個別の官庁や企業としても社会全体とし
 ても、「人を呼ぶ」ことのできる組織ではなくなていたのである。
・政権は七年間の六回も代わったが、政治的な決断も目に見えた改革もできないでいる。
 官僚は各自の組織の権限拡大と予算確保に汲々として、改革の情熱も愛国の精神も持ち
 得ない有り様だ。 
・今や、政権担当者を代える政局では問題は解決し得ない。増税や年金制度を変える政策
 変更でもこの国を救うことはできない。今、日本に必要なのは社会の理念と構造(体制)
 を変更する大改革、つまり新しい維新である。 
・現在の日本にはあまりにも無責任なやり方と無能な組織と無意味な事業は溢れ、多くの
 富を無駄にしている。 
・成功は幸運で起こるものではない。適確な発想(哲学)と確実は手法(科学)の産物で
 ある。 
・イベントとは、臨時的な装置と演出によって、非日常的な情報環境を創造し、多数の人
 に対して、通常では感じられない心理的肉体的な刺激を与え、特殊な情報伝達状況を生
 み出す、事業である。 
・イベントでは常に「聖なる一回性」が大切。あとのことを考えずに、ただ一回のために
 最適のものを創る。この精神こそが「人を呼ぶ」魅力であり、未来を拓く活力でもある。
・人は何のために苦労と費用をかけて行動するのか。それは非日常性を求めるからである。
・イベントは多人数を対象とする。そこにこそ人と人との触れ合う熱気が生じ、期待値が
 高まり、群衆ならではの心理効果が生まれる。
・大事なのは、真実よりも印象であり、参加者が持ち帰り、次に伝えるひと言である。
・人はなぜ舞台を見に来るのか。そこで演じられる演劇や音楽が随時変わるからだ。人は
 決して安定や安心を求めて劇場に来るのではない。日常では得られない臨時的な興奮と
 長く残る思い出を求めて劇場に来るのだ。
・人が街に出るのも同じ理由からである。遠くの繁華街に出向くのも観光地に旅をするの
 も、「舞台で展開されるイベント」を求めてである。街が繁栄するためにはイベントが
 不可欠であり、その数と質とが地域の栄枯を決める。
・知価社会で成功しようとする者は、イベントの哲学と科学を知らねばならない。これか
 らの時代にイベントを成功させるには、知価社会の真相を徹底的に研究する必要がある。  
・「物財の豊かさ」と「満足の大きさ」は、まったく違う。物財の豊かさは、客観的であ
 り、科学的であり、それゆえに普遍的でもある。 
・「満足の大きさ」は主観的であり、社会的であり、それゆえに可変的である。ある人は
 グルメ好きで高級ワインに幸せを感じるが、他の人はワインなどには無頓着だ。別の人
 はファッションに敏感だが、他の人は興味がない、といった具合である。満足は主観的
 であり、政治家や官僚や科学者が客観的に決めることはできない。
・それぞれが環境によって満足の対象と内容は大きく異なる。満足は価格的よりも社会的
 に決定するのである。 
・主観論、感情論こそ大事になった。工業社会的な科学主義は後退、知価社会的な主観論、
 感情論が力を持ち出したのである。
・近代工業社会は「額に汗してモノを造る人々」の世の中だったのが、知価社会は知恵を
 絞って社会主観を変える人々の世の中である。 
・「満足の大きいことが幸せ」という主観的社会的知価社会では、「欲しい時に手に入れ
 るのが満足が大きい」と考えられる。この結果、欲しい時にローンで消費を先取りし、
 あとで働いて返すのが有利と考えられるようになった。 
・人々は名のよく知っている商品や会社の製品なら安心して買う。「みんな使っている」
 といえば買い易い。そして前に使った商品は楽に買える、というわけだ。従って、商品
 を売るためには、大量広告によって知名度を高め、大量販売によってみんなに使わせ、
 商品名の継続性で既使感を高めるのが重要、ということになる。
・当該商品が消費市場の5%にまで普及すると、急激に意志決定コストは下がりだす。世
 間で「みんな持っているよ」「みんな食べているさ」「みんな」とはおおむね5%のこ
 となのだ。 
・市場での普及率が5%を超えると、大量生産効果が出て生産コストが下がり、販売では
 意志決定コストが低下して売りやすくなる。
・広告は人々の心理に直接働きかけて満足を拡大するものでなければならない。
・知価社会では「額に汗して物財を生産する」のと同じく、いやそれ以上に「人々の心理
 に働きかけて満足を拡大する」ことも大切である。  
・「人」が集えば「都会」になる。「都会」は「人」を集めて、「価値」を生む。知価社
 会では「都会」が主役だ。
・「都市」と「都会」は違う。「都会」は雰囲気のことであり、「都市」は施設や人口の
 規模の大きい場所である。
・知価創造的なコア・メンバーにとっての真の生産手段は、本人の持つ知識と経験と感性
 だろう。要するに、知価社会では労働力と生産手段が各人の頭脳で一体化するのである。
・知価社会の都市では、住宅地と商業施設とを分離するのではなく、混合させるべきなの
 だ。 
・この国の官僚は、古い科学的社会主義の発想に囚われ、商業地域、住宅地域、工業地域
 の線引きを墨守していた。住宅と作業場(アトリエ)を区別することも守り続けた。こ
 の結果、住宅専用地域に積み上げられた巨大な住宅団地・ニュータウンは若者から嫌わ
 れ、高齢者だけが住むオールドタウンとなり果てた。長時間の通勤を強いられる郊外居
 住者は通いだけで疲れ果て、住居では眠るだけ、隣近所との社交もなくなってしまった。
 人々は非日常的な情報環境を求めてイベントに群がり、都会は躍動する。知価社会の都
 会には「ワクワクドイドキ」のイベントが重要である。それを生み出し得る知価創造的
 な人材こそ都会のコアである。そんな人材をどれだけ集められるかで都会の盛衰は決ま
 る。都会の盛衰で国の栄枯は決まるのである。

私自身の経験と日本万国博覧会
・日本の政府は、太平洋戦争の前から規格大量生産型の工業社会を目指して、東京一極集
 中政策を採っていた。私は、国を挙げての東京一極集中政策に疑問と反撥を感じた。
 「日本は昔から関東関西の二つの焦点を持つ国である。それを取り戻さねば国土の均衡
 ある発展はあり得ない」と考えたのだ。
・日本は良くも悪くも偉くない人々が大きな仕事をした。秋田県八郎潟の干拓も、元は地
 元農民の運動だった。明治維新にしてからが将軍や大名の興した運動ではなく、薩長の
 下級武士からはじまったものである。
・世の中には、まず社長や大臣を口説こうとする若者が多いが、それは決して成功しない。
 偉くない人が大きな事を起こせる日本は、偉い人が下の者に動かされる国でもある。
・「偉くない人」が巨きな企てのできる国・日本はまた、嫉妬深いところでもある。
・「巨いなる企て」を志す者は、あまり目立った場所に立ってはならない。ましてや「俺
 がやった」などというべきではない。少なくとも事が成った後10年くらいは。
・「権限も責任も人事によって引き継がれる」日本の官僚機構は、ノウハウを継承しない
 組織なのである。  
・日本人はやはり草食系。外国人に比べるとおとなしい。
・腹の立つことよりも面白いことを好む人が多い。イベントを成そうとする者はそう信じ、
 そのように向けねばならない。「世間が不況だから」「みんなが沈んでいるから」「政
 治がもたついているから」イベントができないわけはない。イベントをすることで景気
 がよくなり、世間が浮き立ち、政治はしっかりとまとまるのである。

観光開発の思想と実行
・沖縄には家族の絆や地域社会の美風があった。日本本土が経済成長で生み出した終身雇
 用。職縁社会の戦後社会とかなり離れた状況である。 
・多目的ホールこそは戦後日本の地方行政を象徴する施設だ。多目的ホールとは無目的ホ
 ール、音楽でも舞踏でも演劇でも講演会でも「何でもできる」。だが、何をやっても
 「最適ではない」。こんなところを本拠にしては一流の劇団や楽団が育たない。音楽家
 も俳優も一流になれば東京に引き抜かれる。
・頭脳機能を東京に集中させた結果、地方は手足の機能だけになった。つまり、農業と製
 造業と建設業の現場である。政府官僚は、成長によって増加する財政収入をバラ撒くこ
 とで地方の手足機能を保とうとした。農産物(特に米)を高価に買い上げる農業助成と
 公共事業のバラ撒きである。
・「物財の豊かさが人間の幸せ」と信じられていた近代工業社会では、物財を生産する農
 林業や資源産業、製造業などの「物財産業」が主要産業だった。しかし、「満足の大き
 さこそ人間の幸せ」と考えるこれからの知価社会においては、人々の時間をより便利に、
 より楽しくする「時間産業」が重要になる。観光産業は、その中核の一つである。
・観光では「需要が供給を引っ張る」べきだ。施設を先行させると赤字となり、サービス
 が低下して観光客の失望を招く。観光客は満員による苦労のほうは厭わない。
・観光で大事なのは非日常性だ。歴史にしろ、フィクションにしろ、音楽や食事にしろ、
 非日常的でなければならない。早くいえば世界で唯一、他に比類のないものが必要だ。
 「ありふれたものだが多少優れている」という程度では観光魅力にはならない。
・観光は計測や実証ではない。情緒と心理だ。
・ハワイは1920年代まで亜熱帯農業と海軍基地だけの諸島だった。それを大観光地に
 したのはプロデュースの力だ。ハワイアン音楽のリズムを創り、ムームーのファッショ
 ンを開発し、フラダンスの演技を考え出し、ワイキキに砂浜を造った。岬の山を「ダイ
 ヤモンドヘッド」と名付けて「絶景」を宣伝した。すべて人知の創造である。
 
頽廃と衰退
・人類は、物財の供給量の限界を感じだした。もし「人間の幸せは物財の豊かさである」
 とすれば「人類の幸せにも限界がある」ことになる。  
・20世紀の最後の10年間、日本ではたくさんの博覧会が開かれ、数多くのテーマ・パ
 ークが造られた。しかし、そのほとんどが目的を達しなかった。規格大量生産に徹する
 日本では、新しい創造よりも安易な繰り返しが選ばれ、創造力の要らない下請け体制が
 広まったからである。
・髭を生やしジーパンをはいた人々が集まり若者言葉でしゃべれば、一見は前例超越型の
 創造者に見える。だが、そのほとんどは意志もコンセプトも考えない図面引きだった。
 規格大量生産体制を完成させた日本には、知恵を絞って個性を主張する習慣がなくなっ
 ていたのだ。
・80年代に入ると、日本社会全体が勤怠工業社会らしく組織化され、物も人も規格化さ
 れた。企業組織にとって使い易い会社人間が好まれ、個性や独創は扱い難いものとされ
 た。学校でも「没個性規格化教育」が徹底されていた。
・組織の人事で動く担当者と次々と来る注文をこなすデザイナーとでは、新しい創造は期
 待できない。
・イベントには個性と驚きが必要である。
・規格大量生産方式に徹した日本は、組織力の拡大と精巧さでは優れていたが、創造力と
 挑戦の気概は失われていた。つまり「知価革命」とは逆の方向に進んでいたのである。
 特に、終身雇用と年功序列が広まった大組織では、慣例に安住する知的頽廃と安定安全
 のみを追う活力の衰退がはじまっていたのだ。
・日本の官僚組織は、外の人気よりも内の評判を重んじるのである。
・1990年代から日本の大組織はみな「内志向」になり、独創と挑戦を避けるようにな
 る。国のイベントや観光開発の失敗に繋がる。
・イベントの開催を提案した人は、断固としてその目的や好みを宣伝し、押し通すべきで
 ある。「金を出すが口は出さないのが芸術文化に対する理解ある態度だ」というのは、
 文教官僚や狷狭な文化人の利権意識に過ぎない。個人であれば企業であれ公共であれ、
 資金を出す者は自分の意志を明確に発揮すべきである。  
・大勢で議論すると独創的な企画は消され、誰でも思いつく平凡な前例のあるものが残る。
 メンバーの中から技術的困難や未知の不安を言い出す者が出るからである。芸術文化に
 多数決はない。決断と説得があるのみである。
・組織の順送り人事で担当するだけの人で構成される組織には、個性的な独創など期待で
 きない。
・何よりも深刻なのは近年の猛烈な規制強化。「安全」を口実にした官僚規制で楽しみも
 面白みも乏しい世の中になってしまった。この上、夏の節電が厳しくなれば太平洋戦争
 中の「欲しがりません、勝つまでは」状態になってしまう。統制規制で権限と予算を増
 やしたい官僚たちは、そんな方向に世論を煽っている。しかも当の官僚自身が、そのこ
 とに気づいていないのだから始末が悪い。  
・「あなたの暮らしている街との違い」を説明しなければならないようなものでは、観光
 的魅力にはならない。「一見して分かり、ひと言で他人にも伝えられる違い」が必要で
 ある。  
・観光開発には、他にない非日常性が必要だ。しかし、そこに住む人にとっては、非日常
 性は「うるさい」ものでもある。それを敢えてする覚悟と、その結果としての繁栄への
 想像力が、観光開発には必要である。知価社会とは、個人も地域も、「違い」を誇る世
 の中なのである。  
・要するに、「テーマ・パーク」はテーマが大切。それを選び育てる思い入れと執念、そ
 れにコンセプトを結集して臆面もなく徹底させる経営、技術の仕組みができた時のみ成
 功するのである。
・「人を呼ぶ」のは、技術やデザインの「仕方」ではない。意志を明確にして、それに適
 したテーマを選び、統一された「仕掛け」を創らねばならない。そしてそれを長年支え
 るのは、組織的な「仕組み」である。
・残念ながら日本には、官僚主導の規格大量生産型の仕組みが広まり、個性と創造力を抑
 圧している。この国が本格的な知価社会となり、人々の楽しめる世の中になるためには、
 「仕方」や「仕掛け」に留まらず、国と企業の「仕組み」から改める必要がある。
 
上海万国博覧会と「イベント学」
・あらゆる事業にとって、まず大切なのは「志(意志)」の確立、つまり理念の明確化で
 ある。理念とは「何の目的で、どんなことを、どの程度の規模でするのか」を明確にす
 ることだ。 
・おそれねばならないのは、売名や利権に走るあまり、面白くもないことにお金を使って
 赤字になることだ。能力と意欲のない者が権限に固執するのは罪悪である。
・近代都市計画では「便利のよいところに無料の施設を造るな」が鉄則だ。大な駅の前に
 公園と造ると、たちまち人で埋め尽くされ、サービスの質が低下し、汚れた場所になっ
 てしまう。そうすると低質なサービスに耐えられる人々が残り、それ以外の人は避けて
 通る。結局はホームレスの溜まり場になるのである。
・2010年代の今、日本は経済的にも社会的にも苦境にある。経済は成長せず、財政は
 大赤字、株価も知価も下落、東北大震災の復興も遅々として進まない。その陰には、戦
 後日本型終身雇用組織の内向き志向と、何段階もの下請け制度の弊害が見られる。

おわりに
・日本は今、存亡の危機ともいうべき状況にある。それは単なる政治政局の混迷や財政の
 赤字、一部業界の衰退や国際競争での敗退などの「部分現象」によるものではない。こ
 の国の主流をなす官民大組織の時代不適合によって起こっているのである。
・戦後の日本は所得倍増計画以来、ひたすら終身雇用・年功序列の組織強化と、官僚主
 導・業界協調の官道協調体制を進めてきた。それは規格大量生産体制を確立する一方で、
 組織そのものに「死に至る病」をも植え付けた。
・21世紀の今、日本の官民大組織には、「機能組織の共同体化」「環境への過剰適応」
 「成功体験への埋没」の三つの病が明確に生じている。