ヒトラーの経済政策   :武田知弘

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ヒトラーと言えば、悪の代名詞のように言われるが、ヒトラーが政権を取った当初は、そ
れまでの不安定な政権とは異なり、矢継ぎ早に経済政策を行うなど、財政的に困窮してい
たドイツ国民にとっては、待望の政権だったようだ。そして、その経済政策も当初はうま
く行き、独裁政権でありながら、ドイツ国民から多大な支持を得るようになっていった。
このあたりは、現在の日本の政権と似たところがる。
もし、ヒトラーが軍拡主義に走らなければ、今のような評価とはまったく異なった評価と
なっていたかもしれない。
しかし、どの独裁政権もなりがちなように、ヒトラーも初期の成功に気をよくして、第一
次世界大戦の敗戦で失った領地を奪回するという、前のめりな政策に突き進んでいく。
意見する者は排除し、中央銀行を国有化して国債を濫発、「勝利か滅亡かだ」という一か
八かの極端な性格をむき出しにして突き進んだ。このあたりも、「この道しかない」と突
き進む、どこかの国の首相によく似ている。
国の財政と戦争は、密接に関係している。国の財政が困窮すれば、それを打開するために、
戦争に突き進むという例は、過去に幾度となく繰り返されてきた。「国民のため」と言わ
れながら、気が付いたら戦争の中に放り込まれていた、ということにもなりかねないこと
を、肝に銘じておかなければならない。

まえがき
・アドフル・ヒトラーやナチスという存在は、後世において「全否定」に近い評価をされ
 てきた。が、彼らは、一時的にせよ、ドイツ経済を崩壊から救い、ドイツ国民の圧倒的
 支持を受けていたこともあるのだ。
・ヒトラーが政権を取ったとき、ドイツは疲弊しつくしていた。ドイツという国はボロボ
 ロの状態になっていたのだ。しかし、ヒトラーが政権を取るや否や、経済は見る間に回
 復し、2年後には先進国のどこよりも早く失業問題を解消していたのである。
・思想的な是非はともかく、経済政策面だけに焦点を当てた場合、ヒトラーは類まれなる
 手腕の持ち主ということになるだろう。ドイツ国民も、ヒトラーやナチス・ドイツに対
 して決して悪い印象を持ってはいなかった。つまり、戦争を起こさなければ、ナチス・
 ドイツは国民にとってもっともいい国だったということである。
・ナチス・ドイツは、共産主義でもなく、資本主義でもない、独自の経済路線を敷いてい
 た。資本主義の活力を活かしながら、過度な競争、大企業の横暴な振る舞いは、制限を
 かける。社会主義のようにすべてを管理することはしないが、社会のセーフティーネッ
 トはしっかり整えていく。

ケインズも絶賛したヒトラーの経済政策とは
・1940年、ナチス・ドイツのフンク経済相は「欧州新経済秩序」という計画を発表し
 た。「欧州新経済秩序」というのは、簡単にいえばドイツのマルクをヨーロッパの共通
 通貨にしようというものである。
・第一次世界大戦後ハイパーインフレに襲われ、その後、経済がようやく立ち直りかけた
 ときに世界恐慌の影響をもろにかぶったドイツは、通貨にことさらに敏感だった。そし
 てたどり着いたのが「欧州新経済秩序」というわけである。
・ヒトラー政権誕生直後、金や外貨の保有量が底をつきかけていたナチス・ドイツは、独
 特の通貨政策を行った。金本位制から脱却し、ドイツの持つ資産や労働力を基準にして、
 通貨を発行したのだ。外国との値以下の交換は、各国との協定によって決めるという今
 の管理通貨制のような方法を取っていた。このシステムは、各国の経済学者などから、
 「すぐに破綻する」「激しいインフレが起こる」などといわれていたが、破綻もしなけ
 ればインフレも起こらなかった。
・ドイツは、ナチス以前から通貨対策には長じていた。ドイツは、第一次世界大戦前には
 植民地を持っていたが、植民地にはドイツ本国と同じ通貨を流通させていたのだ。本国
 と植民地の通貨が同じということは、種出入などにおいて非常に便利であった。これは
 ドイツだけが採っていた通貨政策である。ほかの欧米諸国は、自国と植民地は別の通貨
 を使っていたのだ。

600万人の失業問題を解消
・1929年10月、世界はかつてない試練を経験する。世界大恐慌である。永遠に続く
 かと思われた資本主義経済の繁栄は、もろくも崩壊、都市という都市には失業者があふ
 れ、自殺者や物乞いになるものが相次いだ。この未曾有の経済危機で、もっとも大きな
 被害を受けたのはドイツである。
・経済基盤が弱かったドイツは、たちまち混乱し、国内第2位のダナート銀行が倒産する
 など深刻な金融危機を招き、やがて、大不況に突入した。国内総生産は35%も減少し、
 失業者が激増、1932年には約560万人を数えた。実に労働者の3人に1人が失業
 していたのである。
・そのときに登場してきたのがヒトラーなのである。ヒトラーは、政権の座についた3年
 後、失業者を160万人規模まで減少させ、世界恐慌前の1928年の状態にまでドイ
 ツ経済を回復させた。1936年の実質国民総生産は、ナチス政権以前の最高だった
 1928年を15%も上回っている。これは世界恐慌で大きな被害を受けた国のなかで
 は、もっとも早い回復だった。
・ヒトラーは政権を取った2日後に、新しい経済計画「第一次4ヵ年計画」を発表した。
 つまりヒトラー政権にとって、最大の懸案事項は経済政策だったのである。この第一次
 4ヵ年計画の内容は、一言でいえば、「底辺の人の生活を安定させる」ということであ
 る。これはナチスにとって結党当初からの一貫したテーマである。
・インフレにしろ、恐慌にしろ、経済危機が起きたとき、もっとも被害に遭うのは底辺に
 いる人たちである。そういう人たちが増えることで、また治安が悪化し、社会は不安定
 になる。その悪循環を断ち切るためには彼らをまず救ってやることだと、ヒトラーやナ
 チスは考えたのである。
・ユダヤ人迫害や武力侵攻などばかり取り上げられるナチスであるが、彼らにこういう
 面があったことを無視することはできない。彼らが熱狂的な支持を得たのは、ここに最
 大の理由があるからだ。 
・ナチスというのは、そもそも労働者のための党であり、大衆政党を目指していたわけだ。
 そのため、まずはドイツ社会最大の問題である失業にその全力を傾けていたのである。
・ヒトラーは政権を取ると、まず一心不乱に失業対策を講じ、それを成功させることで、
 巨大な権威を獲得することになったのだ。
・ヒトラーがどうやって失業を減らしたのかというと、高速道路アウトバーンをはじめと
 する公共事業によってである。ヒトラーは、6ヵ年で全長1万7千キロの高速道路「ア
 ウトバーン」を建設すると発表したのだ。工事が始まって3年後には1千キロが開通し
 た。戦争中も工事は続けられ、終戦時までには4千キロになっていた。このアウトバー
 ンをはじめ、再軍備、都市再開発などで、ドイツの失業率は一気に低下したのだ。
・ヒトラーは資金捻出のために、世界的に有名な金融家のシャハト博士を掻き口説いた。
 ドイツ帝国銀行の総裁、経済大臣の重要ポストに非ナチス党員であるシャハト博士を就
 かせたのだ。シャハトは、第一次世界大戦後のハイパーインフレを収束させた伝説の人
 である。 
・シャハトのやったことは、いたって簡単である。国債を発行し16億マルクの資金を捻
 出し、前期に追加計上された公共事業費の未消化分6億マルクと合わせて22億マルク
 を作ったのだ。しかし、これは実はだれにでもできることではなく、シャハトにしかで
 きなかったことなのである。というのも、ドイツは第一次世界大戦後、莫大な賠償金を
 支払うために、紙幣を乱発し天文学的なインフレ「ハイパーインフレ」を起こしている。
 これは、ドイツ経済を崩壊させ、国民生活を大混乱に陥れた。その記憶がまだ生々しい
 ときに、インフレを誘発する国債を発行するなど、普通のドイツ人にはできるものでは
 なかった。  
・シャハトはドイツ帝国銀行の総裁に任命されると、現段階のドイツ経済を検証し、どの
 程度なら国債を発行してもインフレが起きないかを計った。そして16億マルクという
 数字をはじき出したのだ。
・ヒトラーというと、独断的な政策運営をしていたと見られがちである。しかし、実際の
 ヒトラーは、有能な人材を見つけ、大仕事を任せるということも多かったのだ。
・経済政策は、政策の中のカナメの部分である。その重要な部分を。ナチスは自分たちで
 勝手にやらずに、当代一流の専門家を招いて当たらせたのだ。シャハトとヒトラーは、
 軍備の点で意見が合わないようになり、最終的には袂を分かつことになった。
・アウトバーンは失業対策としても様々な工夫が凝らされていた。建設費の46%が労働
 者の賃金に充てられていた。これは驚異的な数字である。たとえば日本では今でも失業
 対策(景気浮揚対策)として、高速道路の建設が進められているが、ゼネコンなどの企
 業や地主に払われる金が非常に大きく、労働者に支払われる賃金は微々たるものである。
 アウトバーン建設では、まず労働者の賃金が決められ逆算して予算が組まれた。またナ
 チスの作った労働戦線という組合が企業を監視していたため、労働者のピンハネをする
 ことは許されなかった。また公共事業で買収する土地は、その公共事業計画が決定され
 たときの値段を基準にされることになっていた。そのために、公共事業が決定したとた
 んに地価が上がり、不動産やが一儲けするということができなくなったのだ。
・なぜナチスの公共事業だけが目覚ましい結果を生み出すことができたのか。まずナチス
 の公共事業は、その支出の多くが労働者に振り分けられるようにされていたことである。
 アウトバーンの建設では、建設費の46%までが労働者の賃金になっている。労働者の
 取り分が多くなるということは、経済的にも景気対策としは「正しいこと」なのである。
 公共投資においては、投資した金が、貯金に回される額が少なければ少ないほど、景
 気への効果は高い。労働者の場合、低所得者が多いので、賃金のほとんどは消費に回さ
 れる。その消費がまた景気の効果を生み出すのである。
・一方、日本の公共事業の場合、地主や大手ゼネコンに支払われる金が大きい。建築費は、
 大手ゼネコンから中堅業者、零細業者という具合にピラミッド式にお金が流れて行くよ
 うになっているため、労働者の取り分は非常に少ない。つまり日本の公共事業では、投
 資したお金は地主や大手ゼネコンの蓄財に回るので、あまり消費拡大にはつながらない。
 その結果、景気への波及効果はほとんどないのだ。 
・また、日本の公共事業の場合、アウトバーンと同じ「道路」が中心ではあるが、全国の
 交通網はひととおり整備されており、ことさらに必要がない道路ばかり建設された。だ
 から産業の活性化につながらなかったのだ。
・ナチスの雇用政策で興味深いのは妻や子供がいる中高年の雇用を優先していることであ
 る。一家の大黒柱を雇用すれば、とりあえずその一家は飢えずにすむ。それは社会心理
 の上でも安定につながる。しかし雇用を市場に任せていれば、中高年の雇用はあまり守
 られない。同じ能力ならば、企業は若い人を雇いたがるからだ。なので、ナチスは、そ
 の部分にテコ入れしたわけである。
・発足当時ナチス政府は、女性は家庭に帰そうという政策を採った。男性の多くが失業し
 ていたので、女性よりも男性の就職を優先させたのだ。当時は、女性の賃金のほうが安
 かったので企業は女性を雇うケースが多かったが、これをやめさせてなるべく男性を雇
 うよう働きかけたのだ。
・物価の乱高下は、社会を不安にする。物価の安定はナチスにとって切実かつ緊急な問題
 だった。ヒトラーは政権を取るとすぐに穀物価格安定法という法律を作って、穀物の価
 格を固定した。これは農産物の暴落を防ぐための処置であった。もちろん、まったく固
 定してしまうと、農家の向上意欲も損なうし、消費者側からの反発もあるので、市民の
 所得レベルを見ながら最低価格を設定するという方法が採られた。その価格以上であれ
 ば、売買していいという設定である。
・ナチスは半年間、都会の青年有志を農業支援に赴かせた。最近、日本でも都会人がボラ
 ンティアを兼ねた農業体験をする「援農」がときどき行われているが、それをおおがか
 りにしたものだといえる。1933年から1935年の2年間で、平均10万人の青年
 が農村に行っている。農家は、宿泊場所と食事だけを提供し、青年たちには職業紹介失
 業保険局から若干の給料が支払われた。これは農業支援に加えて、青年の非行防止の意
 味もあった。当時の中高年の雇用を優先したため、職を失った青年が多かった。やるこ
 とがなくなった青年が非行に走るのを防ぐために、農村で勤労させようというわけであ
 る。
・オリンピックをビジネスチャンスと捉え、巨大なイベントにしようとした最初の国がナ
 チス・ドイツだといえる。ナチスは、オリンピックに様々な新趣向を持ち込み、世界的
 な大イベントに変貌させた。そして「ドイツの復興」と「ナチスの威信」を世界中に向
 けて発信し、各国の投資家たちの投資意欲をかき立てたのだ。 
・またナチスは、オリンピックを盛り上げるために聖火リレーを導入した。古代オリンピ
 ックの発祥地であるオリンピアで五輪の火を採火し、トーチで開会式のメインスタジア
 ムまで運ぶというこの聖火リレー、実はこのベルリン大会が起源なのだ。ドイツ人は、
 お祭りのときにたいまつを使う。それがヒントになって、聖火リレーが考え出されたの
 だ。  
・ヒトラーが政権を取ったとき、ドイツは少子化問題も抱えていた。また当時は560万
 人もの失業者がおり、若くても職に就けない者が多かった。結婚したくてもできない若
 者が多数おり、それが出生率を下げる要因のひとつになってたのだ。この問題を解決す
 るため1933年、ナチスは政権を取るとすぐに、結婚資金貸付法という法律を施行し
 た。これはお金のない人が結婚するときに資金を貸し付ける制度で、1千マルクを無利
 子で借りられた。当時の1千マルクは労働者の半年分以上の賃金だった。今の日本に置
 き換えるなら、百数十万円から200万円程度というところだろう。またこの貸付金は、
 子供を1人産むごとに返済金の4分の1が免除され、4人産んだ夫婦は全額返済免除と
 なった。その結果、出生率は20%も上がった。
・ナチスは、突撃隊という私設軍隊のようなものを持っていたが、これは若者たちに住む
 場所と食べ物を与えるという意味もあったのだ。この突撃隊は、多いときには400万
 人もいた。若者の失業者がどれほど多かったか、ということである。
・ナチスの経済政策の特徴は、大きな目的は定められているが、そのやり方は柔軟に選択
 していく、というものであった。ナチスは社会主義と資本主義のいいとこ取りのような
 経済思想を持っていた。また大きな政策の転換も何度かあった。当初、ナチスは、その
 社会主義的政策の一環として大手普通銀行や大企業の多くを国有化した。これは金融危
 機で瀕死になっていた銀行や企業を救済する意味があった。しかし、1937年には、
 国有化した大手普通銀行を民間に戻した。これは企業を国有化すると、効率が悪いとい
 うことがわかっていたからである。ナチスは効率ということを非常に重視していたので
 ある。
・ナチスはさらに巧妙なことに、ただお金を出しっぱなしにしているわけではなかった。
 投資した金を回収するシステムも作っていたのだ。ナチスは、景気対策で企業の業績が
 上向きになったのを見て、配当制限法という法律を作った。これは企業は資本の6%以
 上の配当をしてはならない、というものであった。もし6%以上の利益が出た場合は、
 公債を購入することが義務づけられたのだ。そのため、公共事業で投資した金は、国庫
 に戻ってくる仕組みになったのだ。
・「ナチス・ドイツは、市民生活を犠牲にした国家」というイメージがある。しかし、こ
 れは戦後、連合国側が植え付けたイメージである。実際のところ、市民はナチスに対し
 てそれほど悪い印象は持っていなかったのだ。ナチスの時代(戦争開始以前)は、景気
 もよく、治安も目に見えてよくなっていた。娯楽や福祉制度も発達し、決して住みにく
 い国ではなかったようだ。

労働者の英雄
・ナチスは世界に先駆けて8時間労働を法的に実施している。この法律は、現在のドイツ
 にも生きている。ナチス時代、労働者の休日は、年間で平均して1週間程度延びた。国
 際的に見てもこれはかなり進歩的なことであった。 
・世界中で親しまれている車「フォルクス・ワーゲン」、日本でも知らない人はほとんど
 いないだろう。このフォルクス・ワーゲンは、実はナチスの労働者のための車として開
 発したものなのである。フォルクス・ワーゲンという名称は、ドイツ語で「大衆車」と
 いう意味なのだ。  
・ナチスは、アウトバーンなどの公共事業、大々的な再軍備を行ったのだから、さぞや税
 金は高かったろう、と思われるかもしれない。しかし、事実はその逆である。ヒトラー
 は政権を取るや否や大減税を行っているのだ。1933年の減税規模は、国家、地方合
 わせて税収の1割にも相当する。今の日本で税収を1割減税するなどということはとて
 もできないだろう。  
・ヒトラーは思い切った減税をやり、また思い切った公共事業をやったからこそ成功した
 わけである。この思い切りこそが、ヒトラーの経済政策成功の大きな要因だといえる。
・ヒトラーの減税政策が功を奏したのは大企業や資本家には増税し、労働者には減税をし
 た、ということも要因のひとつである。
・日本の場合、近年、高額所得者、資産家には大減税を行い、中間層以下のサラリーマン
 には増税に次ぐ増税を行っている。これでは格差社会ができて当たり前であるし、社会
 が暗くなって当然である。   
・ヒトラーは国会議員やナチスの党員が私企業の役員になることを禁止し、退職した後に、
 私企業に再就職することも禁じた。また将来的には公務員にもその規則を作るともりだ
 ったようである。  
・ヒトラーは若いころ感じた世の中の矛盾や不条理なことを、年齢を重ねてからも忘れず
 にそれを是正しようとした。良くも悪くも、非常に純粋で、ストレートな人でもあった
 といえるだろう。そのストレートさが、また大きな災いをもたらすことにもなったのだ。

ヒトラーは経済の本質を知っていた
・第一次世界大戦で、ドイツは敗北をしてしまう。そして講和条約としてベルサイユ条約
 が締結される。このベルサイユ条約こそが、第一次世界大戦後のドイツを絶望にたたき
 落とし、ナチスが生じた要因でもある。
・ベルサイユ条約は、ドイツにとって過酷なものだった。ベルサイユ条約231条では、
 第一次世界大戦の責任は一方的にドイツにあると規定され、232条ではドイツは連合
 諸国が受けた損害を賠償しなければならない、とされた。植民地はすべて取り上げられ、
 人口の10%を失い、領土の13.5%、農耕地の15%、鉄鉱石の鉱床の75%を失
 った。この結果、ドイツ鉄鋼生産量は戦前の37.5%にまで落ち込んだ。賠償金は、
 およそ330億ドル、ドイツの税収の十数年分というめちゃくちゃなものだった。
・第一次世界大戦開戦のとき、ドイツはそもそも戦争を欲してはいなかったのである。第
 一次世界大戦は、オーストリアの皇太子がサラエボで暗殺されたことに端を発している。
 オーストリアがサラエボに宣戦を布告したために、同盟関係に引きずられてドイツも参
 戦したようなものなのだ。イギリス、フランス、ロシアなども、これといった深刻な対
 立はないまま、張り巡らされた同盟条約のために参戦していった。
・第一次世界大戦では、連合国側も国力が疲弊し尽くしていた。各国の国民は、怒りをぶ
 つけられる相手を求めていたのだ。その矛先は、敗戦国の向けられることになった。し
 かし、敗戦国の主要国であるオーストリア、オスマン・トルコは解体され、唯一残った
 大国はドイツだけだった。なので、ドイツ一国が連合国の国民の不満のはけ口になった
 のだ。  
・ベルサイユ条約の賠償金は、そのおおきさもさることながら、支払い方法もドイツにと
 っては過酷なものだった。毎年の定期払いのほかに、ドイツの輸出製品に26%の輸出
 税をかけて連合国が受け取るというものだった。これはドイツ製品の国際競争力を大き
 く損なうものであり、ドイツの経済復興を大きく妨げるものとなった。  
・ベルサイユ条約のため、ドイツ経済は崩壊に陥った。戦争で産業が疲弊した中で、莫大
 な賠償金を課せられたドイツ政府は、企業に対して特別税、相続税、贅沢品への課税な
 どありとあらゆる課税をしたが、追いつかなかった。仕方なく紙幣を増刷することでそ
 の難を逃れようとした。しかも、そういうときに、フランスがルールを占領するという
 事態が起きた。そのため、ドイツの通貨の価値は急暴落し、天文学的なインフレが生じ
 たのだ。マルクは外貨に対して価値を下げて行く。なので、有力な外貨であるドルやポ
 ンドを持っていれば、ドイツの資金をただのような値段で買い取ることができた。その
 なかには、国際的なネットワークを持つユダヤ人実業家が多数含まれていた。それがユ
 ダヤ人迫害のひとつの要因になった。  
・誤解されがちであるが、ヒトラーは武力革命などによって政権を取ったわけではない。
 ヒトラー政権の誕生は、選挙と法律による合法的な手続きによるものなのであった。
 ナチスは国民から待望された政党だった。
・ヒトラーは政権と取るとすぐに、全権委任法という法律を成立させた。これはナチスの
 独裁体制を敷くというものであり、ナチスを暴走させた元凶とされている。しかし経済
 政策的な面を考えた場合、この独裁体制こそが、成功の要因だといえるのだ。
・なぜドイツ国民がナチスの独裁体制を受け入れたのか。現代人にとっては疑問の残ると
 ころである。これには大きくふたつの理由が考えられる。まず第一に、ドイツの国民は
 それまでさんざん困窮した生活を送ってきて、事実上の餓死者も出るような状況が続い
 てきたので、「とにかく仕事と衣食住をくれるんだったら、多少の統制は我慢しよう」
 と考えたのだろう。
・頻繁に政権担当者が代わったために、有効な手立てを打てなかった。失業は増大し社会
 は混乱、治安の悪化を招いた。それにごりごりしていたドイツ国民は、強い政権を望ん
 ていた。
・独裁体制は、独裁者が賢明なときにしか有効に機能しない。もし独裁者が暗愚な場合、
 国が落ちて行くスピードもまた尋常ではない。ナチス・ドイツの場合も、全半期は社会
 目覚ましい発展をもたらしたが、後半期に戦争を始めてからは、ブレーキが利かず、坂
 道を転がるように転落していった。
・「ナチスは全体主義」といわれる。しかしそれは誤解である。ナチス・ドイツの政治経
 済思想を大まかにいえば、資本主義と共産主義の中間のようなものである。
・資本主義は、個人の自由な発想を取り入れることができ経済の効率的な発展につながる。
 しかしただ利己を追い求めるだけで、深刻な格差が生じれば、階級闘争に発展し、かえ
 って社会的には不経済になる。個人の創意工夫を生かしながら、階級によるいがみ合い
 が生じないように、富の配分をする、それが理想の経済体制だ。これは、第二次世界大
 戦後に、先進各国が採れるようになった修正資本主義の先駆けだともいえる。
・ナチスの結党の動機は、他国を侵攻しようとか、ユダヤ人を迫害しようというようなも
 のではなく、国民の生活、福利増進を第一に考えていたということである。

天才財政家シャハトの錬金術
・ナチス初期の経済政策の成功は、このシャハトという財政家の力によりものが大きい。
 ナチス前半期の経済政策の多くはシャハトが発案、実行したものである。
・シャハトはドイツ民主党の設立メンバーでもあった。行き過ぎた左翼や右翼に警戒感を
 持ち、穏健的で現実的な政党を望んでいたのだった。ナチスというと極右政党のように
 思われるが、当時のドイツの政治地図から見れば決してそうではない。むしろ、右と左
 の主張を取り入れている穏健な政党といえたのだ。
・ヒトラーのユダヤ人に対する考え方にもそう違和感は感じなかった。当時のヒトラーは
 まだユダヤ人を迫害する政策までは打ち出してはいなかったし、シャハトも「ドイツは
 ドイツ人によって運営されるべきだ」と考えていたからだ。
・シャハトは、ナチスを利用することで、ドイツの経済を立て直したいと考えていた。こ
 れまでの政権は不安定で優柔不断だったので、なかなかシャハトの思うどおりに経済政
 策をさせてくれなかった。ナチスなら自分の思うとおりのことができる、と考えたのだ。
・シャハトがまず行ったのは、ヒトラーの発表したアウトバーンなどの公共事業費の費用
 を捻出することだった。国債を過大に発行すれば、インフレが起きる。しかしまったく
 国債を発行せずに国がお金を使わなければ景気はよくならない。そこでシャハトはドイ
 ツの経済状態を見通して、インフレの恐れがなく発行できる国債の額をはじき出したの
 だ。 
・数々の画期的な経済政策で、見事にドイツを復興させたシャハトだが、彼は一体どんな
 経済理念を持っていたのだろうか。彼の経済理念は、一言で語るならば「理念がないの
 が理念」というところである。「経済政策は科学ではない。ひとつの技術である。だか
 ら確固不動の経済方策や不変の経済法則について云々するのは誤りである。経済政策家
 は不可能に見えるものも可能にすることができねばならない」
・シャハトは、特定の経済思想を信奉するのではなく、経済の動きを見つつ、失業者が増
 えないように、景気が悪くならないように、適切な手を打っていく。その手法は、ある
 ときは、社会主義的であり、あるときは資本主義的であり、あるときは伝統的な商習慣
 を重んじたものであったする。
・貿易黒字というと、国の栄えている数値のように思われがちである。日本などは特にこ
 の数値を誇りにして、今までやってきた感じがある。しかしシャハトのいうとおり確か
 に貿易というのは、売った分買わないと、損である。自分の国から物が出て行っている
 のに、入ってくるのは金だけである。その金は、国外で使わない限りは、国内の物価を
 上げる役目しか果たさない。日本が世界中で物を売りまくっているのに、大して豊かな
 生活ができないのは、ひとつはここに理由があるのかもしれない。   
・シャハトはドイツの経済を復興された最大の功労者である。しかし、ヒトラーやナチス
 幹部たちは、次第にシャハトを疎ましく思うようになっていった。というのも、シャハ
 トは口うるさい金庫番だったからだ。ヒトラーやナチスの幹部が、金を使いたくても、
 シャハトがウンといわなければ使えないのである。特に輸入や軍備に関してシャハトは
 うるさかった。あなどれない程度の軍備は必要だが、それ以上の軍費を出そうとはしな
 かった。  

ヒトラーの誤算
・ユダヤ人問題は宗教上の問題とされる。しかしまったく純粋な宗教問題というわけでは
 ない。その根底には経済上の要因も多分に含まれているのだ。そもそもユダヤ人の迫害
 は、ナチスが始めたものではない。聖書の時代からずっと続いていることである。
・ユダヤ人が迫害される原因のひとつに「金融業」がある。ユダヤ人は、昔から金貸しが
 多かった。中世、キリスト教では金貸しは禁止されていたので、金を借りようと思えば
 ユダヤ人の金貸しを利用するしかない。そして、キリスト教の民衆はユダヤ人金融の高
 い利子に苦しめられることになる。それが社会問題となり、「ユダヤ人追放」のという
 ことになるのだ。  
・なぜユダヤ人に金貸しが多いかというと、ユダヤ人は2千年前から国土を持たない流浪
 の民なので、土地に根づいた商売をすることができない。手っとり早く稼ぐためには金
 貸しになるしかなかったのだ。流浪の民だから金貸しになる、その金貸しが嫌われて土
 地に人から迫害され放浪の旅に出る、というパターンを2千年の間、繰り返してきたの
 である。  
・第一次世界大戦前後のドイツでは、ユダヤ人の人口は全体の1%にしか過ぎなかったが、
 政治家や大学教授のかなりの割合を占めていた。金融業、百貨店など経済関係の支配率
 も高かった。第一次世界大戦前後、ユダヤ人の平均収入は、他のドイツ人の3〜4倍も
 あったという。もちろん、それはドイツ人たちの嫉妬、嫌悪の的になっていく。
・ドイツ人とユダヤ人の収入の差、社会的身分の差は、敵対感情を生むようになる。また
 第一次世界大戦後、ドイツが襲われた天文学的なインフレのときに、多くのユダヤ人が
 大儲けしていたことも、嫌われた原因となった。「ユダヤ人はドイツ人の困難に乗じて
 儲けた」反ユダヤ主義者の謳い文句は、こういう背景から生まれたのである。
・ヒトラーは政権を取ると「ユダヤ人迫害政策」を打ち出した。まずは公職からユダヤ人
 を追放し、やがて経済活動からも締め出し、最後には国外追放にかかった。しかし、ユ
 ダヤ人を追放しようとしても、ユダヤ人を受け入れてくれる国がなかったのである。世
 界各国は、ナチスのユダヤ人迫害政策を非難はしたが、だからといってユダヤ人に手を
 差し伸べるわけでもなかったのだ。世界恐慌でたくさんの失業者を抱えていた欧米諸国
 は、ユダヤ人移住の制限をおこなっており、一部の国ではユダヤ人流入に対する激しい
 デモも起こっていたほどだ。  
・ナチスはユダヤ人の扱いを決めかねているうちに、オーストリア、チェコスロバキア、
 ポーランドなどを侵攻し、支配下に収めることになった。しかし、これらの国々は、ユ
 ダヤ人の多い地域である。つまりヒトラーはユダヤ人を追い出そうとしているのに、行
 く先々で大量のユダヤ人を抱え込む羽目になってしまったのだ。しかも金持ちの ユダ
 ヤ人たちは、早々に逃亡しているので、残っているのは貧しいユダヤ人ばかりであった。
 その結果、多くの罪もないユダヤ人たちがナチスの迫害の犠牲になったのである。
・ナチスは、極端な領土拡張政策を採った。ありていにいえば、周辺国への侵攻である。
 後世の目から見れば、なぜあれほど急激に周辺国に侵攻していったのかが奇異に映るだ
 ろう。しかし、ナチス側に立って見ると、事実は少し違ってくる。彼らにとっては「侵
 攻」ではなく「奪回」なのである。ドイツはベルサイユ条約で植民地を全部取り上げら
 れ、国土も大幅に割譲させられた。ベルサイユ条約の破棄を掲げていたナチスにとって、
 旧領土の奪回は「公約」でもあったわけだ。
・当時の欧米諸国は、保護貿易を採る傾向があった。1929年の世界恐慌の影響で、貿
 易をして自国の利益を流失するよりは、あまり貿易せずに自国を守ろうという気運が満
 ちていたのだ。植民地をたくさん持っている国は、ことさらに貿易をしないでもやって
 いける。しかしベルサイユ条約で植民地を全部取られているドイツとしてはとてもやっ
 ていけない。貿易を縮小されれば、食料にさえ事を欠くようになってしまう。そこで生
 活圏を得るために、第一次世界大戦以前に持っていた領土、植民地を奪還するというの
 が、ナチスの目標のひとつだった。  
・軍備拡大をしたかったヒトラーは、ドイツ帝国銀行を国有化してしまった。通貨を発行
 する中央銀行というのは、だいたいどこの国でも政府から独立しているものである。つ
 まり、政府のお目付け役として中央銀行は存在しているのだ。しかし、その中央銀行を
 政府の直属としてしまえば、チェック機能が働かなくなってしまう。ヒトラーはそれを
 してしまったのである。ヒトラーは当然のように公債を濫発し、莫大な軍事費を支出す
 ることになった。この公債の濫発がナチス崩壊の一因となっていった。  
・借金が直接の原因で崩壊した国はない。しかし財政が破綻し、それが原因で眠症の反乱
 が起きたり、他国に攻め込まれたりして崩壊した国は数知れないほどある。多額の借金
 の不安を逃れるために、戦争を行い続けるしかない状態になっていったのだ。
・「この戦争では勝利か滅亡しかない」これは、ヒトラーの一か八かという極端な性格を
 表したものであるが、ナチス・ドイツの財政状況を示す言葉でもある。ドイツが負けを
 認め和平をした場合、莫大な公債はその価値を失い、想像を絶するようなインフレを引
 き起こすだろう。そのためドイツ軍は敗走をすることは許されず、各地で無理な戦闘を
 繰り広げ、最終的に壊滅していったのである。ナチスは軍備のために莫大な借金を背負
 い、その借金のために崩壊したといえるのだ。

あとがき
・ヒトラーの経済政策の基本原理は非常に単純である。「生活に困っているものをまず助
 ける」ということだ。これは経済の理に適っているものでもある。生活の困っているも
 のは、もしお金が入ったらそのほとんどを生活費として使う。それは消費を喚起するこ
 とになる。つまり生活に困っているものを助ければ、消費が増え、社会全体が活性化す
 るのだ。景気を喚起するために財政出動するとき、もっとも効果があるのは、低所得者
 層にむけて支出することだ。それを明確に実証したのが、ヒトラーだったといえるだろ
 う。
・20世紀の終わりに、共産主義が崩壊して以降、世界各国は「資本主義こそが最上の経
 済社会システム」とばかりに、こぞって利益優先主義を採ってきた。しかし共産主義が
 崩壊したのは、資本主義が優れたいたからではなく、共産主義が自滅しただけなのであ
 る。「共産主義の崩壊」イコール、「資本主義のやり方がすべて正しい」ということで
 はないのだ。にもかかわらず、各国は企業や投資家の利益が最優先される社会を作って
 きた。その結果が、現在の経済危機、金融危機ではないだろうか。
・初期のナチス・ドイツ経済相シャハトが言ったように、国際経済に一人勝ちはあり得な
 い。どこかの国だけが潤って他の国が困窮するような状態は、一時的には生じるかもし
 れないが、長くは続かない。その矛盾はやがて恐慌や戦争という形で、噴き出すことに
 なる。その結果、国際社会はより多くの代償を支払わなければならない。