強欲資本主義  :神谷秀樹

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現代社会は、まさに「強欲資本主義」の時代だ。実業より虚業、実態経済より相場経済だ。
汗水流して働く人よりも、投機に長けた人が大儲けする。そしてその聖地は、アメリカの
ウォール街だ。「市場主義」とは、ウォール街主義とも言える。そしてまた、世界標準と
は、ウォール街標準とも言える。ウォール街の常識は、世界の常識に拡大し、日本もまた、
その大津波に飲み込まれている。現政府が行なっているアベノミクスもまた、その大津波
の流れとも言える。輪転機で円を刷りまくり、市場にばらまき、強引に株価をつり上げ、
「景気が良くなった」と豪語する。一部の投機家たちは、我が世に春が来たと歓喜する一
方で、汗水流して働く人々には、その恩恵はまったく感じられず、むしろ無理やり上げら
れた物価の上昇によって生活が苦しくなるだけだ。
「金融業界は脇役の徹するべき」との筆者の考えは、とても真っ当な考えであると思う。
しかし、現在の社会状況を見ると、金融が主役にしゃしゃり出ており、実業が脇役になっ
てしまっている。アベノミクスも、そうと言える。異次元の金融緩和と称して、日銀が輪
転機で円をどんどん刷りまくり、円をバラまいて円安を誘導し、それで株価上がった、景
気がよくなったと喜んでいる。まさに虚の経済だ。このような虚の経済が、長く続くとは
とても思えない。前のめりの政治、前のめりの経済。とても危うく感じる。アベノミクス
は、イチかバチかの大きなカケだ。もし、アベノミクスが失敗に終われば、日本は大変な
ことになる。そして、そのツケは、汗水流して働く一般の国民が、負わされることになる。

アメリカ経済はなぜ衰退したのか
・長い間、金融業に携わったうえで、私自身信条としてきたことがある。それは、「金融
 マンは実業を営む方たちの脇役に徹するべきだ」ということだ。主役である実業を営む
 方たちの事業構築を助けるのが金融本来の仕事のあり方であり、それこそが身分相応な
 のである。ところがアメリカの金融業界、とりわけウォール街の現状は、まったく様相
 を異にしている。
・金融資本が「主役」となってしまい、本来であれば「主役」であるはずの実業を営む企
 業(産業資本)は支配される側、即ち「資本家の奴隷」となってしまったのである。
 そして金融資本は、自らが買収した企業から、利益を搾り取れるだけ搾り取ってしまう
 のだ。彼らは「その事業」に興味を持ち「その事業」を行うために投資するのではない。
 事業は何でもよい。「純粋に金融収益を上げること」、「安く買って高く売って儲ける
 こと」、「お金がお金を生み出すこと」こそが、彼らの最終目的なのである。今や大金
 融機関の中心に座っているのは、「経営者の相談に乗るバンカー」ではなく、「スクリ
 ーンを見て証券の売買をするトレーダー」たちである。
・ウォール街のトレーダーたちは、自分の家をまるで服を着替えるように簡単に買い替え
 る。少しでも良さそうなコンドミニアムが発売されると、引越しが当たり前のようにな
 っていたのだ。自分の家も、証券のように買っては売り、鞘を抜く対象としたのだ。
・ウォール街の「強欲度の水準」は、われわれ日本人が日本人社会の中で考える「強欲」
 の感覚より、三乗か四乗のレベルにあると知るべきである。人間が作った法律の前で
 「盗み」でさえなければ、神の前では明確な「盗み」であってもまったく気にしない人
 間が著しく増えてしまった。彼らは「違法」と「合法」の境目のなかで、「合法」ー弁
 護士を数多く雇い、ルールを守っているとみなせるかぎり何をやってもいい、と考える
 人々だ。神の前でフェアであるか、否かなど問われることはない。
・ずる賢い、阿漕なビジネスのやり方は、かつては一部のスレッカラシの人間が行ってい
 たにすぎず、もちろん一般的ではなかった。しかし、今日のウォール街では、こうした
 手口こそが主流になってしまった。むしろ逆に、こうした阿漕なビジネスのやり方は
 「しなければならないこと」になり、それをやらないほうが職務怠慢であるといった風
 潮すら生まれているのだから始末が悪い。いまや名のある大手金融機関でも、こんな手
 法がビジネスの流儀になってしまっている。彼らのほとんどは、超一流と呼ばれるビジ
 ネス・スクールで学んだ経歴を持っている。だからといて人間的に立派だとは言い難く、
 学歴のみでは決して信用してはいけない。
・たとえMBAを取って経営学を学んだとしても、人間として大事なこと、職業人として
 肝心な倫理などは何一つ教えられていないようにさえ見える。残念ながら、金儲けの仕
 方ばかりを身につけて学校を出てくるようだ。
・とにかく「合法」であれば手段を選ばない。そんな金儲けをまったく恥ずかしいとは思
 わない輩ばかりが、ウォール街に集まってくる。「合法なのだから、私の稼ぎは自分に
 対するご褒美だ」とでも考えているかのようだ。しかし、これらの成功者の中には、ホ
 リエモンや村上世彰氏のように、やがて超えてはならない一線を超えて、堀の向こう
 に落ちてしまう人間が必ず出てくる。
・これまでの資本主義、そう「強欲化した資本主義」は一部の人たちが巨大な富を形成し、
 一方で大多数の人々が搾取される仕組みと化した。そうした強欲の仕組み」が崩壊しつ
 つある。万人を幸福にする経済社会を築く仕組みを新たに考え出さなければならない。
 その基本的な価値観は、「稼ぐ前に借りた金で消費する」といった節度無きものではも
 ちろんなく、また「一攫千金を夢見るギャンブラー」のような生き方でもない。現在一
 般の人々(普通の勤労者やその家族)が見直しているのは、日本では「勤労を重んじ、
 信用を旨とする」ような伝統的な価値観に添ったものであり、またアメリカでは物欲か
 ら解放され、「真、善、、美を追求すうr」建設時のアメリカ人が持っていたキリスト教
 精神の真髄のようなものになるのではなかろうか。

ゴールドマン・サックスの変質
・コストをカットするだけなら、誰がやっても財務内容は改善する。事業を切り捨てたり、
 従業員の首を切るだけで、劇的に改善する。それを事業改革などと称して、あたかも改
 革が行われているかのような幻想を周囲に振りまく。しかし、それは一時的に経営が改
 善されるだけで、数年後には必ず行き詰まる。グロース・ファクターが一顧だにされて
 いないからだ。もしこれを考慮するならば、将来の絵はいかようにでも描け、個性が発
 揮され、数字の方もすっかり違うものとなるはずだ。しかし、そのような考え方はされ
 ない。それがウォール街流の共通したやり方であり、そのやり方を世界中に広げている
 のである。
・しかし、彼らの資金を使おうとする場合、好むと好まざるとにかかわらず、彼らのこの
 考え方に合わさるしかない。他の論理で議論し、他の価値観を彼らに認めさせることは、
 ほとんど不可能かつ無駄な努力だからだ。

モノ作りができなくなったアメリカ
・日本円は、国際決済通過としては使われていなかった。第二次世界大戦の敗戦国だから
 だ。東京をシティやウォール街の金融都市と並ぶ国際金融都市にしようとしても、歴史
 的に見て非常に困難だろう。しかし、私はそれでいいと思っている。東京を国際金融都
 市にと闇雲に突っ走る、日本人が「モノ作り」を忘れて、金融事業に没頭するというの
 は、「日本人が日本人であることをやめる」に等しい愚案だと思うからだ。日本人は、
 どんな時代であっても、「モノ作り」にこだわる国民である。モノ作りが好きで、モノ
 作りが得意なのだ。無理をしてアメリカを真似る必要などまったくない。仮に真似たと
 ころで、彼らに勝てるとも思わないし、また彼等自身、自らの強欲をコントロールでき
 ずに、結局は自ら墓穴を掘り、奈落の底に転落している。

今日の儲けは僕のもの、明日の損は君のもの
・ウォール街で仕事をしていて痛感することは、限りなく大きくなってしまった人間の
 「強欲」であり、これに侵された「強欲資本主義」の広がりである。この「強欲」の拡
 張を止めるものは、市場の自然浄化と言うべきか、「崩壊」というショック療法以外に
 何もないだろう。この「強欲」という病は伝染力が恐ろしく強く、「金融のグローバリ
 ゼーション」という波に乗り、「強欲資本主義」という形でヨーロッパや日本にも、あ
 っという間に伝播してしまった。もともと「強欲」という病は、国を問わず、誰の心に
 も寄生している。それが一度発病すると、とても始末に負えない。長く、辛く、根気の
 いる治療が必要になる。
・日本企業を餌食に一儲けを企む外資と、その手先になる日本人たちがいる。それを真似
 する日本人がいる。はたしてこれがグローバル・スタンダードの「進化した金融」なの
 だろうか。これが日本の人々の生活の向上に繋がることなのだろうか。三百六十度どこ
 から見ても、「いかに人を、また企業を食い物にするか」という、品位のかけれもない
 マネー・ゲームに過ぎないだろう。
・コツコツとモノ作りに励む。このことを忘れてしまったら、それはもう日本人ではない
 とさえ私は思う。会社は唯一株主だけのもの。株主のたけだけに働く。こうした考え方
 も日本の伝統的な価値観に反する。日本人に似合うのは「会社は皆の物」という考え方
 であり、しかもそれは正しい。株主とはむしろ総じて関係者に対する責任を果たし、そ
 の上で「ボトム・ライン」「税引き後利益」に残る収益に与るべき存在だ。
・私はウォール街で働いてはいるが、ウォール街的な考え方をそのまま日本に持ち込むこ
 とには批判的だ。日本人は、日本人の心で感じ、自らの頭で考え、自分たちに相応しい
 金融システムを構築すべきである。受け入れがたい価値観を拒否する権利を当然持って
 いる。
・世界の強欲資本主義の考え方に迎合する必要がどこにあるだろう。むしろそれを拒否す
 ることによってこそ日本の存在意義がある。私は日本の人たちに、世界のわずか5パー
 セント足らずの強欲資本主義者たちから、世界の95パーセントにも達する一般庶民を
 護る砦を築くことさえ期待したいのである。なぜなら、日本人の心の中には、いまだ利
 他の心や徳を重んずる高貴な精神が残っていると信じるからである。
・なぜ、世界は「グローバル・スタンダード」に統一しなければいけないのだろうか。グ
 ローバル・スタンダードを推進している中心人物は、間違いなく米国の巨大投資銀行の
 トップたちであろう。きわめて単純化すれば、証券の世界における販売システムが、世
 界では10社にも満たない巨大投資銀行(預金金融機関の投資銀行部門)に握られてい
 るといっていい。彼らは、自分たちが扱いやすいように、あらゆる証券を「定型化され
 た商品」にしようとしている。つまり、自分たちが販売しやすいように取引条件を規格
 化するのだ。 
・巨大投資銀行は薄いマージンで、統一化した商品を大規模に扱い、ボリュームを負うこ
 とを目指す。ボリュームが膨らむほど、僅かな価格差でも巨額の収益を上げることがで
 きる。
・日本の金融機関の米国支店日本人トップは、自分が赴任している間に業績を上げようと
 する。そこで儲かりそうな業務を行うために、他行から腕利きと評判のバンカーを引き
 抜き、合意された権限で仕事を任せる。こうしたビジネス・スタイルがほとんどだが、
 これはバランス・シートを貸す大家のようなもので、引き抜かれたバンカーは店子だ。
 店子バンカーは借りたバランス・シートを存分に利用して、できるだけ大きく儲けよう
 とする。
・店子バンカーの特徴は、自分の部下たち一族郎党をワンセットで連れてくる点にある。
 彼の部下たちは、自分のボスに忠実であるけれどもバランス・シートを貸してくれる大
 家になど、これっぽっちも忠誠心を持たない。大家に対してはあたかもそれを持ってい
 るかのように振舞っているに過ぎないのだ。彼らは、毎年自分たちが上げた収益の何割
 かを報酬として受け取る。利益を上げているうちは、ボスはもちろん、一族郎党も大金
 持ちになれる。市場環境が良ければ、一人当たりの年俸は数千万ドル、数億ドルにもな
 る。しかし、バランス・シートをちう面から見ると、これは非常にリスクが高い。ハイ
 リターンのビジネスは、裏を返せばハイリスクのビジネスだからだ。ひとたび市場環境
 が悪化したり、もともと取ったリスクが顕現化すると、やがてバランス・シートが腐っ
 てくる。しかし、彼らはそこで発生した巨額の損失には無関心だ。責任も取らずに雇わ
 れた金融機関を引き払い、次の大家を見つけるだけだ。要するに「今日の儲けは僕のも
 の、明日の損は君のもの」なのである。
・この世界、誰が悪いと言ってもしかたない。ゲームに参加した以上、ババを掴んだ人の
 負けなのである。ババをつかんだ金融機関は潰れる。しかし、だからといって身ぐるみ
 はがされた投資銀行家を私は知らない。雇い主に大損をさせた投資銀行家であっても、
 だいたいは大金持ちになって、ぬくぬくとした暮らしを続けているし、そんな人間を雇
 って「一山あてたい」という金主が、後日必ずといってよいほど現れるものなのだ。
・金融の世界では人間の学習能力は低いと言わざるを得ない。おそらく、その根底には際
 限のない人間の「欲」というものがあるからだろう。残念ながら、その欲をコントロー
 ルする術を金融機関そのものは持っていない。大手投資銀行として、世界の証券市場に
 君臨する販売網を持ち、かつそのリスク管理を完璧にこなすというのは、きわめて難し
 い仕事である。金融業で最も大きなリスクは「人」と、「人の持つ欲」である。
・強欲な投資銀行家たちがプレーするゲームの結末は、いつも同じである。最後に尻拭い
 させられるのは、納税者に決まっているということだ。果たして、こんなゲームを日本
 に持ち込むことが、日本のためになるのだろうか。日本の銀行家たちは冷徹な事実を認
 めることを心情的に拒み、

強欲資本主義のメカニズム
・企業には、「永遠に発展させてゆくこと」を目標として設立されるものと、「売却して
 儲けるため」に設立されるものと、大きく二つタイプに分けられる。多くの企業は前者
 に属するだろう。しかし、後者のような会社がたくさんあることも事実だ。
・外国投資家というのは、投資銀行家にとっては、「絶好のカモ」である。「カモられる」
 企業の幹部は、たいがいは買収先を絞ってからウォール街の投資銀行を尋ねるものだ。
 企業幹部とはいえ、彼らもサラリーマンだ。「買うことが絶対的な使命」となり、「社
 長に買えなかったと報告することなど許されない」と覚悟を固めてくる。だからどんな
 高値でも買う。

資産運用ゲーム
・投資といっても、所詮は安く買い、できるだけ早く高値で売るために使っている金だ。
 彼らには将来を築くための投資を十分にする気持ちなどない。買い叩いて、コストを削
 って見せかけのキャッシュフローを増やして売る払うことしか頭にない。しかもほとん
 ど他人の金でそれをやっている。
・ファンド・マネージャーは、とにかく短期にキャピタル・ゲインを出すためだけにひた
 すら働く。10年20年かけて事業を創るという概念はない。社会に対してどのような
 貢献をしたとか、倫理観が高いとか、そうしたお金以外の要素はまったく評価の対象と
 はならない。資金を預けている資本家は「リターンが悪いのは社会的貢献をしてきたか
 らだ」というような説明を聞く耳を持たない。法律さえ守っていればあらゆることをし
 て、キャピタル・ゲインを上げることだけが目標となる。しかも、彼らはできるだけ税
 金を払わないようにするし、現在のアメリカの税制はそれを許容している。
・ウォール街は恐ろしいところである。ハーバード、イエールなど超一流の大学を卒業し
 て社会に出てきた人たちは、いったい何を学んできたのかと思う。一度お金に取り憑か
 れると人格が変わってしまう。ウォール街には、こうした人間たちが満ち満ちているの
 だ。私は、「人間にとってもっとも大切なものの多くはお金では買えない」と考える人
 間だが、「友情も信用もお金にはならない」と考える人間たちの巣窟となっているのが、
 このウォール街なのだ。
・企業を評価する指標といえば、従来は売上高、経常利益が重視されたが、近年では欧米
 流の会社は株主のもの、株主重視という考え方が広がっている。経営の教科書的にいえ
 ば、企業が将来どれだけのキャッシュフローを生み出すかを評価したものを「企業価値」
 といい、そこから負債を引いたものを「株主価値」という。従って「株主価値」の最大
 化を目指すことが優れた経営者の目標であり、ファンド・マネージャーの興味もここに
 ある。もっとも、それは歪んた発想である。
・彼らに興味があるのは、「株主の利益」と「自分の収入」だけなのだ。会社は自分たち
 だけのものであり、自分たちの儲けを最大化するために、「トップ・ライン」と「ボト
 ム・ライン」の間にあるずべての支払い義務をいかに圧縮するかに熱心に取り組む。彼
 らにとっては、これが「株主価値」を高める行為なのだ。通常の人であれば、これは文
 字通り「本末転倒」と考えるのではないか。
・ファンド・マネージャーの歪んだ興味は、しばしばどんでもない経営に走らせる。給料
 を減らす。社員を減らす。仕入先を泣かす。最大限に借入れてレバレッジを効かし、支
 払い金利を膨らませ、税金は極力圧縮する。彼らにとっては、これこそが経営の真髄と
 なるのだ。
・彼らは「目に見える現金」しか信じない。それは「経費の削減」から産まれるのであっ
 て、新商品を研究開発し、道の市場を開拓し、売上げを伸ばすことによって産まれるの
 ではない。
・アメリカでは一般従業員とCEO(最高経営責任者)との報酬格差は拡がる一方で、強
 烈な格差社会になっている。1980年米国企業CEOの平均的年収は労働者の42倍
 だったが、2005年には実に262倍に拡がった。かつては「ミリオネア」、すなわ
 ち100万ドルの報酬を手にすることが成功の証だった。しかし、人間お欲望は計り知
 れない。現在のウォール街で働く、野心的なバンカーやファンド・マネージャーが目標
 としているのは「ビリオネア」、すなわち10億ドルの資産を築くことだ。
・一方に、アメリカでは健康保険にも入れない人が4千万人いる。必要な予防接種を受け
 るとのできない子供たちもいる。これが最も発展した資本主義かもたらす社会の姿とい
 うならば、現代の資本主義は決して人間を幸福にするシステムではない。しかし、強欲
 に根ざした株主中心の考え方、そしてファンドの支配が進むことにより、世の中は間違
 いなくこの不公平な格差社会へと突き進んでいる。
・サブプライム問題の本質は、「強欲資本主義」が貧乏人からカネを巻き上げるために生
 み出したシステムであることだ。簡単に言えば、米国の住宅ブームのなかで「頭金不要」
 「当初の支払額は少額」などという甘言を弄し、給与証明も見ずに返済能力の低い個人
 に対して、目一杯の借金をさせローンを無理に組ませた。
・かつて、巨額の不良債権を抱えて経営破綻した日本長期信用銀行(現新生銀行)は国有
 化され、公的資金を投入して健康な体に戻して、リップルウッド・ホールディングス
 (現RHJインターナショナル)に10億円で売却された。長銀には総額で8兆円近く
 公的資金が投入され、このうち3兆円以上が戻らず国民負担となった。 
・ババをさんざん納税者に押し付けたあと、リップルウッドは2004年に新生銀行を再
 上場させ、2200億円以上の利益を得た。リップルウッドが新生銀行を再上場させる
 までに投資した資金は1200億円強。投資としては大成功だった。
・ウォール街とワシントンとは、昔も今もしっかりと結託している。政府の高級官僚は、
 退職すると、こぞって投資銀行やプライベート・エクイティー・ファンドに迎えられ、
 大金持ちになる機会を与えられる。また、政府は元投資銀行家を高級官僚や海外公館大
 使などに採用する。

サブプライム危機から世界同時不況へ
・「モノ作り」ができなくなったアメリカは、金融で生きていこうとした。「金融立国」
 を目指したのである。その試みは成功したかに見えた。全米の就業人口のわずか5〜
 10%程度しか占めないこの部門が、07年にアメリカの企業収益全体の4割を占める
 収益を稼ぎ出すようになったのだ。アメリカの金融部門が生み出す収益は、主に「稼ぐ
 前に借りて消費する」というアメリカ国民の消費行動、ノンリコースのローン(返せな
 くなったらなら担保物権を渡せばおしまいという借り方)での商業用不動産投資やファ
 ンドによる単純な金融収益目標の企業買収のブームなどに拠るものである。いずれも
 「借金依存」の経済であり、それは一見華やかに見えるものの、ひたずら「砂上の楼閣」
 を築いてきたに過ぎないという点に大きな問題があった。
・現在、国際金融市場で起こっているおkとを一言で表現するならば、「信用の輪がズタ
 ズタに切れていっている」ということではないだろうか。「信用の輪」とは何も難しい
 ことではない。人と人との間において「返せないお金は借りない」、「借りたお金は耳
 を揃えて返す」、「相手が返せないようなお金は貸さない」、「みやみに連帯保証人に
 はならない」といったごく当たり前のことである。しかし、世界的な空前の金余りの状
 況が続き、こうした価値観が「金融技術の発展」という美名のもとにすっかり壊されて
 しまった。低所得者向けのサブプライム住宅ローンは、このようにモラルが低下した考
 え方から生まれたビジネスの一つに過ぎない。
・サブプライム問題以降、いまでも「対岸の火事」程度の認識しか感じられない日本政府
 の罪も相当なものだ。「ゼロ金利」、「円安麻薬」、「円の逆さバブル(低金利で過剰
 なまでに価値が低回した「円」)」を放置し、低金利で安い円を借りて、海外の高金利
 資産に投資する「円キャリー取引」を促進させ、「バブル崩壊の処方箋は再びバブルを
 つくること」という誤った方策を採り続けてきた。 
・過剰流動性と強欲な人間が結びつくことは、経済にとっては歴史上もっとも最悪のコン
 ビネーションであるが、このコンビがあたかも世界を制したかのように振る舞った時間
 が、あまりのも長く続いてしまった。そしていま、金融危機は深化の度合いを強め、折
 からのインフレ圧力もあり、実体経済が傷み、世界は大不況に突入しようとしている。
・基本的にアメリカ経済は「バブルをつくっては破裂させ、破裂させては金融を緩和して、
 再びバブルをつくる」ことの繰り返しであった。違いといえば、その都度バブルはより
 大きなものとなり、崩壊のショックも一層深刻なものになるということだ。
・バブルの崩壊を再びバブルを形成することによって解決しようとするのは、安易かつか
 違った政策である。しかし、おkの政策が是正される可能性は非常に小さい。
・アメリカのGDPはその7割を個人消費に頼っている。その個人消費は、借金で賄われ
 ており、ホーム・エクイティー・ローン(自宅を担保にした借金)やクレジット・カー
 ドなど、消費者金融に大いに頼っている。景気の両輪は企業の設備投資と個人消費だが、
 アメリカに限って言えば、両輪の一つはもはや「個人消費」ではなく、「個人浪費」と
 呼んてよいくらいだった。
・アメリカの家計の有利子資産は、1999年までは有利子負債を上回っていた。同年に
 逆転し、2007年には、有利子負債は有利子資産の1.3倍となった。金余りによっ
 て融資基準が緩められた結果、家計はどんどん借り入れを増やした。これがアメリカ人
 の浪費を促進させた。アメリカの繁栄は借金に依存した「砂上の楼閣」に過ぎなかった。
・レーガノミックス以降の「浪費に頼った成長政策」は、まことに馬鹿げた経済政策であ
 る。それはなぜ破綻しなかったのか。一言でいえば、「強いドルはアメリカの国益」な
 どとスローガンさえ叫んでいれば、赤字で垂れ流したドルが、主に証券市場を通じてア
 メリカに還流し、借金の借換えが極めてスムーズに運んできたからである。産油国の黒
 字、日本の黒字、中国の黒字が資本勘定でアメリカに還流した。しかし、いよいよそれ
 も期待できなくなりそうである。ドルは、もはや世界唯一の基軸通貨ではなくなりつつ
 ある。
・アメリカ政府が現在もっとも恐れていることには、(1)サウジ・アラビアがドル・ペ
 ッグをとめること、(2)イスラエルがイランの原爆製造工場を爆撃し、その報復にイ
 ランがホルムズ海峡を閉鎖し、石油の輸送を不可能にすること、(3)経済成長が停滞
 した中国で人民の不満が爆発し、国家が大きな混乱に落ち込むこと、(4)グルジアで
 の対立に始まるロシアとの冷戦の復活、があるという。これらのいずれかが起これば、
 それは間違いなく世界を大恐慌に落とし込んでいくだろう。
・「双子の赤字」を抱えるアメリカも、「巨大な財政赤字を抱える日本政府」も、結局は
 「見かけの繁栄(バブル)」、言い換えれば「借金に支えられた砂上の楼閣」しか創れ
 なかった。その砂上の楼閣が、借り換え不能という事態を迎えて、一挙に崩壊に向かっ
 ているのである。
・本物の成長は「真の技術革新」からしか生まれないものだ。しかし、ここのところ「産
 業革命」を起こすような「真の技術革新」が生まれていない。それを「借金による浪費」
 でカバーしようとすることは根本的に間違いである。また、基本的に新たな顧客を得る
 という努力による「成長」を信じず、「努力して売上けを伸ばして手にする利益」より
 も「目先の利益」「現金」をこよなく愛するウォール街の台頭を許してしまった。良い
 モノを発明し、新たな産業革命を起こし、そのモノの製造販売で儲けるのではなく、安
 易に「会社」の売り買いで儲けようとする化け物を作り出してしまった。その結果が、
 世界で広がった深刻な所得格差、資産格差である。
・アメリカとう、おの世界でもっとも繁栄した国で、健康保険がない上に、必要な予防接
 種を受けられない子供たちがたくさんいるという。日本のような繁栄した国でも、「姥
 捨て山」と化した老人ホームを「終の棲家」とし、家族に看取られないでひっそり亡く
 なっていく老人がたくさんいる。老人ホームにも入れず小さなアパートで孤独死し、死
 後だいぶ時間が経って発見される悲惨な話も枚挙にいとまがない。これが世界でもっと
 も成長した国の実態である。
・「何のための成長なのか」、「何をもって成長と考えるのか」といった基本的な議論が
 十分になされないままに、数値目標を追いかけた結果は、より強欲な者に富を集中させ、
 お金以外の価値あるものがないがしろにされ、社会全体として格差が拡大し、決して幸
 福とは言えない状況を生み出しているのではないだろうか。アメリカでは上位10%の
 所得は年率11%で伸びてきたそうだ。しかしその同じ期間、残りの90%の人の所得
 は全く伸びなかった。おくして格差は拡大する一方だったのだ。
・ある文明史の研究家によれは、上位1%の人に富の30%が集中するとき、だいたいお
 おきな崩壊が起こる臨界点となるようである。現代の格差はアメリカだけをとってみて
 も、このレベルに達している。

バブル崩壊にいかに立ち向かうか
・アメリカの「双子の赤字」がやがて立ちゆかなくなると警鐘を鳴らした経済学者は日本
 にもいた。下村治博士である。下村博士が指摘したことは次のとおりである。
 ・消費狂いになってしまったアメリカ人と、レーガンの大減税は、虚構に虚構を重ねる
  経済政策である。 
 ・日本商品はアメリカの異常膨張に吸い込まれ、繁栄しているかのように見えるが、こ
  の異常膨張した経済に合わせて設備投資すると、これからは過剰設備がやがて深刻な
  問題になる。 
 ・財政赤字を減らすには、大幅な歳出削減と増税以外に道はない。しかしアメリカは本
  気で財政収支均衡法をやる気がない。
 ・アメリカの要求に合わせた日本の内需拡大論は、日本経済を破滅させる。
 ・ドル崩壊の危険性は常にあり、もう日本は何兆円も損をしている。
 下村博士がこのような主張をしたとき、誰も耳を傾けなかった。やがて土地バブルが起
 こり、それが崩壊して、下村博士の指摘どおりになった。だが、その後も下村博士の主
 張は無視された。それどころか「小泉・竹中時代」になると、まったくのアメリカ型強
 欲資本主義を追随する思想が日本を席捲し、「勝ち組・負け組」論が人々の心を支配す
 る勢いとなった。
・同時に「格差は正い」、「東京をウォール街のような国際金融都市にし、モノ作りより
 も金融国家となることをめざすべきである」といったことが宣伝された。現在も、その
 延長線上にあり、下村博士が提言した厳しい処方箋を受け入れようとする声は、経済界
 はもちろん、政界の中心からもまったく聞こえてこない。
・レーガン政権にとって、貿易収支の赤字の解消は急務であり、当時、巨額の対日貿易赤
 字を抱えていた日本に市場開放を強く迫った。こうした要請に応える形で、日本では
 1986年、経済政策の指針となる「前川レポート」が書かれ、内需の振興が図られた。
 それが結局大規模な不動産バブルを引き起こす根本原因となった。
・下村博士は、「前川レポートがいう体質改善というのは、働く意欲を阻害し、勤労精神・
 貯蓄精神をゆるめ、節度ある経済・財政運営の気構えをなくして、もっと気楽な気持ち
 で鷹揚にカネをばらまき、怠けて遊ぶようにしなさい、ということである。そうすれば
 生活がよくなると。これはどこかが狂っている」とバッサリ切り捨てている。実際に日
 本はバブル時代にその通りとなり、やがてそのツケを日本国民が全部支払わされること
 となった。
・バブルの発生と崩壊は、日本国民に多いな爪痕を残した。その経済的な負担は100兆
 円以上と言われている。しかし、私はお金の問題はたいして重要なこととは考えていな
 い。なぜなら、お金は損したならばまた一所懸命に働けば取り返せるからだ。お金より
 も大きな問題は「心の問題」ではないかと思う。私がもっとも心痛めているのは、バブ
 ルの崩壊あらその後の経済の立ち直りにおいて、社会の中で人と人、人と会社との間の
 「信用の輪」が切れてしまったことである。
・戦後の日本は、生産力の強化や生活水準の向上をはかるために、常にアメリカを手本と
 し「アメリカに追いつけ、追い越せ」をテーマとしてきた。その習性は、その後も少し
 も変わることなく、「アメリカ経済は一流」、「ウォール街の金融は超一流」と考え続
 けてきた。国の指導者も、民間の経営者もアメリカに傾倒し、それに異論を唱える人は
 きわめて少数派で、むしろ異端扱いされてきた。
・サブプライム問題を生じさせたアメリカの経済運営は、問題なく「三流」と評してよい
 ものである。それは、ウォール街が推進した「強欲資本主義」に端を発したことであり、
 日本はもちろん、世界のありとあらゆる国々も決して真似すべきことではない。日本人
 は、そこをしっかり押さえ、これからの国づくりを自らの心と頭で考え、そして行動し
 なければならないのである。
・アメリカは圧倒的な力を持っていて世界経済を支え、リードしてきた。これは、当時の
 アメリカ経済の節度がもたらしたものである。世界一の生産力を背景として、世界一の
 健全な経済を堅持してきたアメリカ経済であったればこそ、アメリカのドルが世界の基
 軸通貨として成立しえたのである。アメリカ経済が節度を失い始めるにつれて世界経済
 にも動揺がはじまり、ついにはIMF体制が崩壊するに至ってしまった。この状態をレ
 ーガン大統領がさらに大々的に破壊してしまったのげ現状である。
・日本の政治家は、「日米という世界一、二位経済連合時代の終焉」を明確に自覚すべき
 であろう。加えて、日本は少子高齢化が急速に進みつつあり、経済が縮小してゆくのは
 当然のことだ。日本国内で電車のる人の数は、過疎地帯に限らず、多くの地方都市では
 すでに減り始めた。今後は家の数も、自動車の数も少なくて足りるのである。
・この状況の中で拡大政策は、技術革新をする以外に望めない。市場規模が縮小する日本
 国内市場だけで商売するなら、毎年0.6%ずつ人口が減っていく社会で、どのように
 縮小均衡点を見出してゆくかということこそが、経営テーマなのである。 
・日本に課せられた課題は、現実を直視し、アメリカの子分であることも止め、身の丈に
 あった新しい生き方を見つけることではないだろうか。「ゼロ成長時代の生き方」、
 「ゼロ成長時代に目標とする新たなも指標」、何を以て成功とするのか、その成功の定
 義」を自ら考え見出さなければいけない時代にいま我々はいるのである。
・もう、要らないものを消費者に買わせたり、買わせたものはできるだけ早く陳腐化させ、
 新製品に買い換えさせるというビジネスモデルは方あきしたのではないかと思う。消費
 者は明らかに、もっと精神的な満足を求め始めている。

あとがき
・私は社会の将来を考えるとき、エコノミストよりも、宗教家や芸術家の意見をよく伺う
 ようにしている。エコノミストのほとんどは、数カ月前に起こったことの統計数学を見
 て将来を占おうとするが、それは所詮非常に無理がある。宗教家や芸術家は、その感性
 でもって将来を予見している。
・今一番日本について心配していることは、社会において「共感」(相手のこと慮り、相
 手の立場を考えること)する心が急速に失われていることだ。「人の不幸を見て哂うこ
 と」を異常と思わない人の増加が、その典型的な現象のひとつだ。
・日本もアメリカも、経済社会がバブルにまみれ、強欲と拝金主義に席捲されたときに、
 人の心から大事なものが失われてしまった。なんでもデジダル志向で、「0か1」しか
 ない。その中間を配慮できない。この思考法が社会を大きく分裂させてしまった。最悪
 のものが、お金を基準とした「勝ち組・負け組」の分類だった。
・「和の心」は失われ、人と人との繋がりは希薄となり、社会は分裂しているのではない
 だろうか。私が強欲資本主義を糾弾することにここ数年務めてきたのは、何よりも、こ
 の「社会の分裂」、「共感のない社会」という「バブルとその崩壊が生み出す副産物」
 に深刻な危機感を持ったからである。こうした社会の劣化に対して、十分な反省をする
 ことのなく、一般的に社会では未だその意味、意義を考えることもなく、「経済成長」
 という呪文が唱えられている。
・日本の政治においては、アメリカ以上に将来のビジョンが全く見えてこない。未だ「過
 去のアメリカ」を>追いかけているようにさえ見える。