団塊の世代     :堺屋太一

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この本は、1975年頃に書かれたものである。「団塊の世代」という言葉を産み出し、
この世代が、日本の将来に何をもたらすのかを予測して、それを小説というかたちで書い
たものである。そしてその予測は、今読んで見ても恐ろしいほどに的中している。
団塊の世代からひと回り遅く生まれた私から見て、団塊の世代はとても恵まれた世代だと
感じた。そして、団塊の世代が通り過ぎた跡は、まるで「イナゴの大群」が通り過ぎた跡
のように、何も残っていなかった。そこには、食い散らかされた荒涼とした荒地が、残っ
ているだけであったというのが実感である。
筆者はまた、この頃から既に原子力発電を含むエネルギー問題について危惧していた。諸
外国が石油に替わるエネルギー源として、太陽熱や地熱、海洋エネルギー、風力エネルギ
ーの利用技術の開発に乗り出しているのに対して、日本はすっかり立ち遅れてしまったの
である。そして、その主な原因は、日本国民のエネルギーに対する無関心さにあったとし
ている。この日本国民のエネルギーに対する無関心さは、3.11の東日本大震災まで続
いてきた。そして、やっとこの3.11大震災による福島第一原発事故で、人々は初めて
エネルギーに関心を持ち始めたと言える。それまでは、エネルギーに関しては全く無関心
で他人任せだったのだ。
この国民の無関心さが原因となっているのは、エネルギー問題だけではない。今の政治腐
敗の原因にもなっている。どうしようもない今の政治は、この国にとって、まさに危機的
状態である。

まえがき
・団塊の世代が人生の前半を過ごした30年間(1960年〜90年)に、日本の一人当
 たりの国民所得は、26.3倍にもなった。
・団塊の世代は、経済成長を当然と感じるようになった。「明日は今日より豊かだ」と信
 じ、先輩たちの作った体制と組織と習慣に全幅の信頼を置いた。
・団塊の世代は、先輩たちの築いた体制と組織を信じ、現在の仕組みと仕方が永久に続く
 と考えた。それは終身雇用であり、年功賃金であり、夫婦と子供二人の「標準家庭」で、
 都市近郊の住宅団地の持ち家で暮らす平和な家庭である。
・団塊の世代は平等主義になった。団塊の世代が平等に安堵したわけではない。むしろ、
 平等社会の中での「小さな差」に競争意識を燃やした。それが受験勉強であり、職場に
 おける長時間勤務であり、持ち家のための貯蓄である。団塊の世代は、いつも「何かを
 せねば」という焦りと、「周囲に嫌われたくない」という慎みを持って来たといえるだ
 ろう。
・団塊の世代は「何かをせねば」という焦りに取り付けれている。生まれながらにして高
 度成長を体験し、社会人になった当初に万国博と未来学で壮大な夢を見せつけられた彼
 らは、長くそんな気持ちを持ち続けていた。
・年金を併せて以前の収入の7割にでもなれば、相当に豊かな暮らしが楽しめるはずだ。
 必要な支出が大幅に減っているからである。
・60代になった団塊の世代が、年金受注者であると同時に、納税者でもあれば、日本の
 財政もまた安泰にすることができる。60歳を過ぎれば定年退職、あとは年金と蓄えの
 取崩しで生きていくべし、というのは近代工業社会の特有のモデル、これからの知価社
 会では、違った考えが必要である。
・団塊の世代の未来は、決して暗くない。ここで大事なのは、この世代は子や孫のためで
 はなく、自分自身の楽しみと誇りのためにお金を使うべきだ、ということである。

予機待果
・第二次世界大戦が終わってから「石油ショック」までの28年間、日本経済は「奇蹟」
 といわれる程の高度成長を続けた。特に、その後半、1960年代から70年代初めに
 かけての高度成長は、「凄まじい」としかいいようのないものだった。
・それは、「二十世紀は日本の世紀」という未来学者の予言と信じ、あまりにも巨大であ
 まりにも高度な未来予測に仰天し、全てを踏みつぶして前進し続ける経済成長に腹を立
 てつつも、全ての日本人が成長に向かって突っ走った時代であった。企業は先行投資に
 狂奔し、個人は土地を求め家を立て急いだ。「誰もが成長に遅れることを恐れ、借金の
 増加を恐がらない」そんな時代だ。
・「明日は今日より」「来年は今年より、より豊かになるに違いない」誰もがそう信じ得
 た時代であった。
・だが、無限の成長を信じ、かつその信念に従って行動するのは、所詮、「神を恐れぬ所
 業」だったのかも知れない。間もなく、はるかに遠い中東の地で起こった小さな戦争が、
 日本経済の巨大な成長を、いとも簡単に止めてしまったからである。
・「石油ショック」とそれに続く世界的不況の営業は強烈であった。少なくとも、その当
 時はみなそう思った。それは、日本経済の高度成長の終焉を十分に印象付けたかに見え
 たものだ。
・国や地方自治体の財政構造も、企業の借金経営体質も、終身雇用と年功序列型賃金体系
 も、教育熱と肌な好みにうかされた消費のパターンも、ほとんど変わりはしなかった。
 そして何よりも、高度成長に慣れた人々のセンスが全く変わっていなかったのである。
・誰もが「安定成長への転換」を語りながら、「明日は今日より豊かなはずだ」という信
 念を捨てようとはしなかったのだ。
・アメリアや中東向けの輸出の拡大をテコとした、いわば他力本願的な景気回復を、日本
 固有の制度や慣習、日本人自身の性格や実力のせいだと考えた者が多かったとしたら、
 「自信過剰」のそしりはまぬがれまい。
・日本民族は、終戦直後の1947年から49年にかけて、空前絶後の大増殖を行なった。
 この3年間に生まれた日本人はその直前よりも20パーセント、直後より26パーセン
 トも多いのである。通常ごく安定的な動きをする人口構造においては、これほどの膨ら
 みはきわめて異常なものであり、経済と社会とに大きな影響を与える。
・彼らが通過した後には多くの過剰設備と過当競争とを残すことにもなった。
・高度成長による雇用の拡大によって就職難と失業の危険から免れ得たのは、この世代の
 幸運であったろう。反面、彼らが若年労働力を大量に供給してくれたことは、日本産業
 の発展にとっても有難かったのである。

三日間の叛乱
・「出世コース」からはずれた者は、たとえ誘いかけても、こうした会合に出て来ること
 は滅多にない。職場という経済組織以外に帰属する組織をもたない日本人社会では、企
 業内での出世競争の優劣が、人生そのものの評価をさえ決定するという奇風ができてし
 まっているのである。
・社会体制についても、政治運営に関しても、また個々の具体的政策においても、ほとん
 ど全ての日本人は不満と批判ばかり語っているのだ。しかもそれは現在の社会や政治や
 政策から、最も多くの恩恵を受けている者において最も著しい。全ての者が自らを被害
 者に仕立て上げ、見えざる加害者、恐らくは実在しないであろう加害者、に対して憤る。
 それが1980年代の日本お特徴なのである。
・自分自身が他の連中よりずば抜けて優れているとは考えていなかったが、企業が与えて
 くれるはずの将来には夢を持っていた。高度成長時代には、誰もが生涯の安定を確信し、
 「明日は今日より豊かになる」と信じることができたのである。
・中堅管理職は、その現在の地位のほかに将来のより高いより早い出世を期待しているだ
 けに、そんな集団行動はできない。つまり、失いものがあるため、団結できない人種な
 のである。

ミドル・バーゲンセール
・富裕でもないが、特に貧しいわけでもないと思っている。妻と二人の子供にはまずまず
 体裁の悪くない程度の生活をさせるだけの収入があり、一戸建ての小住宅と多少の証券
 類と自分では「ちょっとしたものだ」と思えるほどの焼き物のコレクションとを持って
 いる。
・もっとも、住宅には、今なお購入価格の三分の一ほどの分割払いのローンがついてはい
 たが、それも併せて「中産階級」らしい経済状態なのである。この点は、外国の「ミド
 ルクラス」と日本の中産階級とを、全く違うものとして認識していた。
・1960年代の日本は素晴らしい高度成長と安定した社会秩序とに恵まれていた。それ
 に続く70年代は波乱に満ちていた。国際通貨制度の変革、「石油ショック」、ウォー
 ターゲート事件とロッキード疑獄、そして繰り返された不況と好景気、トラブルと喝采
 と、欲求不満と熱狂が共存し、落着きのないマスコミ世論に全国民が踊った。今、人々
 はその時代を「動揺の70年代」という。
・だが、80年代には輝きも熱狂もなかった。深刻な長い不況と力なく短い回復期が交互
 に生じ、政治は喧しい論争の中で混乱し、話題と流行はとぎれとぎれの短命に終わった。
 企業は人減らしと経費削減とに努力を集中し、人々は小さな利益の追求と身の回りの不
 平とにしか関心を持たなくなった。そんな「憂鬱な80年代」だったのだ。
・「低成長経済に適した体質が整えば、日本は安定した成熟社会に発展するだろう」と多
 くの政治家や学者が、そう宣言していた。だが、90年代に入ってみても、「安定した
 成熟社会」はできそうにはない。依然として、企業の、そして日本経済の体質改善が叫
 ばれているし、日本商品の国際競争力の低下も続いている。政府は今年もまた、一層の
 耐乏生活を国民に求めていたし、各企業での人減らしと経費削減をさらに進めねばなら
 ないらしい。
・坂の上の雲にあこがれ、その坂を上りつめてみれば、それは何の意味もないものであっ
 た。そこで日本人が見出したのは、さらに遠くそびえる次の山だけだったのである。
・ここまで切りつめ、これだけ下げればなんとかなる、と思って努力してみても、その下
 りた線でまたさらに問題が出て来る。まりで、限りなく耐乏化と希望の放棄を迫られて
 いるようにも見えるのである。
・高度成長時代には、企業はみな土地投機と同じように人材にも投機していたのだ。土地
 と同様、人材も不足すると宣伝されていたためだ。つまり、あの全ての者が高度成長の
 夢と驚くべき巨大な未来図に酔いしれていた時代には、人間の需要にも膨大な投機需要
 が生じていたのである。
・ところが一旦過剰になると、投機需要がなくなるばかりでなく、それまでに抱え込んだ
 余剰分まで慌てて吐き出すために、恐るべき供給過剰と値下りが生じる。このことは、
 土地についても、人材についても同じなのだ。ただ違う点は、人材投機の後遺症は土地
 投機よりはるかに深刻なことだ。不急不要の土地は単に金利と固定資産税とを負担させ
 るだけだが、不要な人員を抱えることは余分な給与の負担となるだけでなく、組織を歪
 め、志気を低下させ、紛争を生む原因にさえなるからである。
・会社の世話にならずに辞めていった、かつての同僚たちの顔を次々と思い浮かべてみた。
 次いで、一旦は出向しながら、その出向先を辞職した連中を思い浮かべた。その中には、
 知人や人材銀行などの紹介で、まともな企業に再就職した者もいるにはいる。だが、そ
 の数は多くはなさそうだった。40代の大学卒業者を新たに求めている企業は滅多にい
 ない。そんな会社があれば、個人的に捜すまでもなく、銀行か商社か大手メーカーの人
 事部が探し出して、「持参金」付きの出向者を押し込んでしまうはずである。
・仲間が集まって、小さな会社を始めた者もいた。だが、たいてい長くはもたなかったよ
 うだ。この種の零細企業は、設立者たちが前に勤めていた会社に頼って仕事を廻しても
 らうのが常だったが、2、3年でそれも切れるらしい。元の勤め先が義理を果たしてく
 れるのは、せいぜいそのくらいの間だろう。
・どこの会社もわけのわからぬことに巨額の費用を費やしているのに驚いたことがあった、
 その頃すでに、全企業の使う「交際費」が総株式配当の2倍にも達し、特殊株主、つま
 り総会屋に支払われる対策費が全役員賞与を上回っていたのである。
・昭和初期の不況期に採られた帰農政策とういうのは、大家族主義を前提とした失業者の
 潜在化対策に過ぎない。当時の都市勤労者の大部分は農村から出稼ぎに来た農家の次、
 三男だったから、勤め口がなくなれば農村に帰れた。農村では顕在だった大家族制度が
 彼らを迎い入れてくれたからだ。彼らは、農業を手伝いながら、二、三年は乏しい収穫
 を、父母、兄妹で分け合って生きられたのである。だが、1990年代の今は、農家に
 大家族制度はなくなり、農業は近代化され、潜在失業者を吸収する機能を失っている。
 その上、今、問題になっている過剰人員は、農業の手伝いができる農村から来た出稼ぎ
 人ではなく、大学卒の中高年層なのだ。到底帰農政策で救えるものではない。
・20年前ならまだ、本人にその気と才能があれば、退職金で小さな商店や喫茶店を開く
 ことぐらいできたが、今はそれも過剰気味で、大規模店舗や巨大チェーンに対抗するこ
 とは容易ではないのである。

民族の秋
・今、自分の持っている証券類や定期預金に退職金を合わせても、郊外の小住宅を購入す
 るにも足りないことが明瞭になったし、30年間積み立てた年金も老夫婦の生活にさえ
 不十分に思えた。まして、子供たちに何がしかのものを残してやるなどということは、
 全く不可能だった。
・年功序列賃金体系の崩れた今日では、年をとるほど生活は苦しくなる。
・1990年代に入ってからの日本経済は、石油に振り回されている観がある。昔、起こ
 った「石油ショック」や、その直後に通産省の役人が書いた小説「油断!」の予測のよ
 うな、「突然の大幅な石油供給の減少」という事態は、幸いにもその後生じてはいない。
 ただ、現在は、それ以上に重大ともいえる事態が進行しているのである。つまり、徐々
 にではあるが確実に、世界の石油資源が枯渇しはじめたのだ。
・20数年前、世界の石油資源の枯渇を警告した本を読んだことがある。その本では、当
 時発見されている世界の石油資源はこのままの調子で使っていても27年で全部なくな
 る。もし世界の国々が経済成長を続け、石油使用量を増大させるならば、それよりずっ
 と早く資源が枯渇してしまうだろう。
・あの頃から既に20数年経ち、その間に世界の石油使用量は1.5倍にもなっているの
 に、石油は今なお当時よりもはるかに大量に織り出され、使われている。つまり、20
 年か30年ぐらいで地球上の石油資源が尽き果てるという悲観論者の予測ははずれてい
 たわけだ。
・1970年代の中頃から、欧米諸国は石油に替わるエネルギー源の開発・利用に全力を
 上げた。全ての国々が、乱暴に思えるほどの勢いで原子力発電所を建設し、石炭の利用
 を拡大した。太陽熱や地熱、海洋エネルギー、風力エネルギーを利用する技術の開発に
 も、巨大な資金と多数の人材を投入してきた。だが、日本はそれに立ち遅れてしまった
 のだ。
・理由はいろいろあった。だが最大の原因は、国民の間のエネルギーに対する危機感が乏
 しかったことだ。あるいは、国民大衆に対して、納得のいく説明を十分にしなかった関
 係者の努力と技倆の不足に責任があったのかも知れない。日本では、エネルギー問題の
 重要性を説く論調よりも、原子力発電所や石炭公害の危険を主張する論評の方が、はる
 かにマスコミに受けていたのである。
・80年代後半に至って、日本人がようやく事の重大性に気づいた時には、世界の主要な
 ウラン資源も、新エネルギー技術の特許も、ことごとく外国に抑えられていたのである。
 それでも、1980年代後半から90年代にかけての約10年間、日本は石油に替わる
 エネルギーの開発に、かなり大胆な政策をとった。原子力発電所の建設は各地で軌道に
 乗り出したし、石炭のガス化利用も急速に増加した。山頂の荒地を利用した太陽熱発電、
 各家庭の冷暖房を太陽熱で行う「太陽の家」なども普及し出した。特に、日本に豊富に
 存在する地熱エネルギーの開発には力が注がれた。日本の石油依存度が、68パーセン
 トまで低下できたのは、専らこの頃の努力のせいだ。
・多くの企業、団体で、30年あまり前の高度成長時代に大量に採用した人々が、定年期
 に入りつつあるため毎年多数の退職者が出はじめた。しかもその多くが、30何年かの
 永年勤続者だからその退職金は膨大な額にのぼるのである。このため「退職金倒産」を
 する企業さえ現れた。中には支払い切れない退職金を長期の割賦払いにしている会社も
 あるのだ。
・今日の老人問題はその対策費の金額によって解決できるものではなく、その施策の内容
 ややり方にかかわっているからである。老人たちを家族から引き離し、職と夢を奪い取
 っておいて、多少の年金さえ与えればよいと考えるのは官僚的経済主義者だけであろう。
 さらにまた、今日の国民生活の実態、我々庶民の苦しい日々の家計を見るならば、働く
 者の乏しい収入の中から増税によって負担限度を超えた強税を取り上げ、無為な老人た
 ちのご機嫌取りにばら撒こうという精神にも問題がある。
・一旦できてしまった生活水準は、たとえ所得水準が下がっても引き下げられないという
 のが経済学の公理である。
・あの高度成長時代、いやそれに続く70年代・80年代の、まだまだ日本に力のあった
 頃を無為無策に過ごしてきたところに責任がある。先のことを考えないで、福祉だとか
 レジャーだとかで民族のバイタリティーをことごとくその日の消費に使ってしまった。