沈黙の春 :レイチェル・カーソン

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この本は、今から50年以上前の1962年に、アメリカで出版されたものである。除草
剤や殺虫剤などの化学薬品によって、自然環境が破壊されていく問題を取り上げたもので
あるが、50年以上経った現在においても、この問題は解決されたわけではない。当時に
比べ、さらに多種類の化学物質が、人間の手によって生み出されて、化学薬品の海の中に
ある現在は、もっともっと深刻な状況になっているのではないだろうか。
私はこの本を読んで、福島原発事故が思い浮かんだ。この本では、問題とし取り上げてい
るのは化学薬品であるが、福島原発事故によって大量に放出された放射性物質の問題も、
同類のような気がする。化学薬品を放射性物質に置き換えて考えてみると、福島原発事故
の深刻さが、さらに深まる。
この本を読むと、人間は己の欲望を満たすために、母なる地球の環境を痛めつけ続け、最
後には、この地球を生命の住めない環境にしてしまう未来を、思い浮かべてしまう。人間
とは、なんと愚かな生き物なのだろう。

まえがき
・未来を見る目を失い、現実に先んずるすべを忘れた人間。そのゆきつく先は、自然の破
 壊だ。
・私は、人間にたいした希望を寄せていない。人間は、かしこ過ぎるあまり、かえってみ
 ずから禍いをまねく。自然を相手にするときには、自然をねじ伏せて自分の言いなりに
 しようとする。

明日のための寓話
・病める世界。新しい生命お誕生をつげる声ももはやきかれない。でも、魔法にかけられ
 たのでも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍いだっ
 た。 

負担は耐えねばならぬ
・二十世紀というわずかの間に、人間という一族が、おそるべき力を手に入れて、自然を
 変えようとしている。ただ自然の秩序をかきみだすのではない。いままでにない新しい
 力、質の違う暴力で自然が破壊されていく。
・核実験で空中にまいあがったストロンチウム90は、やがて雨やほこりにまじって降下
 し、土壌に入り込み、草や穀物に付着し、そのうち人体の骨に入り込んで、その人間が
 死ぬまでついてまわる。だが、化学薬品もそれに劣らぬ禍をもたらすのだ。畑、森林、
 庭園にまきちらされえた化学薬品は、放射能と同じようにいつまでも消え去らず、やが
 て生物の体内に入って、中毒と死の連鎖を引き起こしていく。  
・いまこの地上に息吹いている生命が作り出されるまで、何億年という長い時が過ぎ去っ
 ている。発展、進化、分化の長い階段を通って、生命はやっと環境に適合し、均衡を保
 てるようになった。
・何千年という時をかけて、生命は環境に適合し、そこに生命と環境の均衡ができてきた。
 時こそ、欠くことのできない構成要素なのだ。それなのに、私たちの生きる時代からは、
 時そのものが消え失せてしまった。めまぐるしく移り変わる、いままで見たこともない
 ような場面、それは、思慮深くゆっくりと進む自然とは縁もゆかりもない。自分のこと
 しか考えないで、がむしゃらに先をいそぐ人間のせいなのだ。
・いまや人間は実験室のなかで数々の合成物を作り出す。自然とは縁もゆかりもない、人
 工的な合成物に、生命は適合しなければならない。時間をかければ、また適合できるよ
 うになるかもしれない。だが、時の流れては、人の力で左右できない。自然の歩みその
 ものなのだ。ひとりの人間の生涯のあいだにかたがつくものではない。何世代も何世代
 もかかる。
・毎年五百もの新薬が巷に溢れ出る。実のたいへんな数であって、その組み合わせの結果
 がどうなるのか、何とも予測しがたい。人間や動物のからだは毎年五百もの新しい化学
 薬品に何とか適合していかなければならない。
・一度ある殺虫剤を使うと、昆虫のほうでそれに免疫のある品種を生み出す。そこで、そ
 れを殺すためにもっと強力な殺虫剤をつくる。だが、それも束の間、もっと毒性の強い
 ものでなければきかなくなる。
・核戦争が起これば、人類は壊滅の憂目にあうだろう。だが、いますでに私たちのまわり
 は、信じられないくらいおそろしい物質で汚染している。化学薬品スプレーもまた、核
 兵器とならぶ現代の重大な問題と言わなければならない。植物、動物の組織のなかに、
 有害な物質が蓄積されていき、やがては生殖細胞をつきやぶって、まさに遺伝をつかさ
 どる部分を破壊し、変化させる。未来の世界の姿はひとえにこの部分にかかっていると
 いうのに。
・農作物の生産高を維持するためには、大量の殺虫剤をひろく使用しなければならない、
 と言われている。だが、本当は、農作物の生産過剰に困っている。
・一つの問題を片づけようとしては次から次へと禍いをまねいてきた。こうしたことは、
 私たち現代の生活に特徴的だといっていい。人類がまだ地球の歴史に登場するまえ、そ
 のころ昆虫はすでに地球に生息していた。いろんな種類がいて、豊かな適応力をそなえ
 ていた。やがて人間があらわれると、昆虫は人間と衝突しだす。
・農業も原始的な段階では、害虫などほとんど問題にならない。だが、広大な農地に一種
 類だけの作物を植えるという農業形態がとられるにつれて、面倒な事態が生じてきた。
 単一農作物栽培は、自然そのものの力を十分に利用していない。それは、技術屋が考え
 る農業のようなものである。自然は、大地にいろいろ変化を生み出してきたが、人間は、
 それを単純化することに熱をあげ、そのあげく、自然がそれまでいろんな種類のあいだ
 につくり出してきた均衡やコントロールが破壊さえてしまった。
・自然にそうなるにせよ、また人為的な原因があるにせよ、昆虫や植物はたえまなくどこ
 からか入ってくるだろう。隔離した化学薬品を大量撒布してみても、莫大な費用がかか
 るばかり、あまり効果があがらない。ただ一時しのぎにすぎない。
・いますでにわかっていることは、少なくない。それなのに、私たちはその知識を十分利
 用しようとしない。大学では生態学者を養成し、政府関係にも生態学者はいる。それな
 のに、滅多にかれらの言葉に耳をかそうとしない。化学薬品の死の雨が降る。ほかにど
 うしようもないではいか、と、知らん顔をしている。
・土壌、水、野生生物、そしてさらには人間そのものに、こうした化学薬品がどういう影
 響を与えるのか。ほとんど調べもしないで、化学薬品を使わせたのだった。これから生
 まれてくる子どもたち、そのまた子どもたちは、なんと言うのだろうか。生命の支柱で
 ある自然の世界の安全を私たちが十分守らなかったことを、大目にみることはないだろ
 う。
・どんなおそろしいことになるのか、危険に目覚めている人の数は本当に少ない。そして
 いまは専門分化の時代だ。みんな自分の狭い専門の枠ばかりに首を突っ込んで、全体が
 どうなるのか気がつかない。いまは産業の時代だ。とにかく金を儲けることが、神聖な
 不文律になっている。殺虫剤の被害が目に見えて現れて住民が騒ぎ出しても、まやかし
 の鎮静剤をのませられるのがおちである。

死の霊薬
・人間という人間は、母の胎内に宿ったときから年老いて死ぬまで、おそろしい化学薬品
 の呪縛のもとにある。だが、考えてみれば、化学薬品が使われだしたから、まだ二十年
 にもならない。それなのに、合成殺虫剤は生物界、無生物界をとわず、いたるところに
 進出し、いまでは化学薬品の汚染をもうくらないもの、ところなど、ほとんどない。
・DDTが人間には無害だという伝説が生まれたのは、はじめて使われたのが戦時中のシ
 ラミ退治で、兵隊、避難民、捕虜などにふりかけたことも影響している。大勢の人間が
 DDTに直接ふれたのに、何も害がなかったので、無害だということになってしまった
 のである。
・DDTをのみこめば、消化器官にゆっくりと浸透し、また肺に吸収されることもある。
 一度体内に入ると、脂肪の多い器官、たとえば副腎、睾丸、甲状腺にもっぱら蓄積する。
 また、肝臓、腎臓、さらに腸をつつんで保護している大きな腸間膜の脂肪にも、かなり
 の量が蓄積される。 
・いろいろな化学薬品が相互に作用しあうとき、どういうおそろしいことになるのか、こ
 れについては、いままではほとんど何も知られていなかったといっていい。
・人間のからだは、いまやさまざまな化学薬品にさらされている。だれでもすぐに思いう
 かべるのは、薬だ。
・除草剤は植物だけに害をあたえて動物とは何も関係ない、このような伝説ができあがっ
 ているが、残念ながら事実はそうではない。除草剤といわれるものはいろいろな種類の
 化学薬品であって、植物と同じように動物の組織にも影響をあたえる。その影響は、種
 々様々である。 
・放射線が遺伝にどんな危険な作用を及ぼすか。みんな戦々恐々としている。そのくせ、
 化学薬品をいたるところにばらまいておきながら平気なのは、どういうわけなのだろう。
 化学薬品もまた、放射線にまさつとも劣らぬ、おそろしい圧力を遺伝子に加えるのに。
 
地表の水、地底の海
・自然資源のうち、いまでは水がいちばん貴重なものとなってきた。地表の半分以上が、
 水、海なのに、私たちはこのおびただしい水を前に水不足に悩んでいる。海の水は、塩
 分が多く、農業、工業、飲料に使えない。世界の人口の大半は、水飢饉にすでに苦しめ
 られているか、あるいはいずれおびやかされようとしている。自分をはぐくんでくれた
 母を忘れ、自分たちが生きてくのに何が大切であるかを忘れてしまったこの時代。水も、
 そのほかの生命の源泉と同じように、私たちの無関心の犠牲になってしまった。
・化学薬品汚染のおそるべき豪雨は、私たちの水路に流れ込む。そして、これらの化学物
 質が家庭からの雑排水、工場の排液と複雑に結合すると、もはや普通の浄化装置の手に
 はおえない。かたく結びついてしまって、ちょっとやそっとでは、分解できない。どう
 いう物質が見きわめることさえできなくなる川のなかには、想像もつかないくらいさま
 ざまな汚染物があり、それは組み合わさって沈殿する。
・こうした汚染そのものは、実際に目に見えることが少ない。年百、何千匹という魚が死
 んでみて、はじめてわかる。だが、少しもわからないこともある。いや、そういうとき
 のほうが多いのだ。
・放射性廃棄物が川に流れこむ量は、ますますふえてきている。放射能のイオン化によっ
 て、元素の転位が起こりやすくなり、化合物の性質がかわり、予想もできないばかりか、
 私たちの手におえないようなことになる。
・水は、生命の輪と切り離しては考えられない。水は生命をあらしめているのだ。水中に
 ただよう植物性プランクトンの緑の細胞にはじまり、小さなミジンコや、さらにプラン
 クトンを水からこして食べる魚、そしてその魚はまたほかの魚や鳥の餌となり、これら
 はミンクやアライグマに食べられてしまう。一つの生命から一つの生命へと、物質はい
 つ果てるともなく循環している。水中の有用な無機物は食物連鎖の輪から輪へと渡り動
 いていく。水中に毒が入れば、その毒も同じように、自然の連鎖の輪から輪へと移り動
 いていかないと、だれが断言できようか。
・人間は、同じ一つの世界に住みながら生物との共存をいやがった。
・どこまでもたち切れることなく続いていく毒の連鎖、そのはじまりは、小さな、小さな
 植物、そこに、はじめて毒が蓄積された。そう考えても間違いないだろう。だが、この
 連鎖の終点、人間は、こんなおそろしいことがあろうとはつゆ知らずに、魚を釣り上げ
 てきて、夕食のフライにする。
・地表の水、地底の海が殺虫剤や化学薬品で汚染する。すると、有毒な物質が、私たちの
 水道に混ざる。だが、それだけでない。有毒な物質とは癌の原因にもなりうる。
・自然界では、一つだけ離れて存在するものなどないのだ。私たちの世界は、毒に染まっ
 ていく。

土壌の世界
・地球の大陸をおおっている土壌のうすい膜、私たち人間、またそこに住む生物たちは、
 みなそのおかげをこうむっている。もし、土壌がなければ、いま目にうつるような草木
 はない。草木が育たなければ、生物は地上に生き残れないだろう。
・土は、生物をつくったのだと言えなくもない。はるか、はるかむかし、生物と無生物と
 の、不思議な秘密にみちた交わりから、土がでてきた。
・生物は魔法に等しい力を発揮し、生命のない物質を少しずつ、ほんの少しずつ土に変え
 ていった。
・生物が土壌を形成したばかりでなく、信じられないくらいたくさんのさまざまな生物が、
 すみついている。もしも、そうでなければ、土は不毛となり死にはててしまう。無数の
 生物がうごめいていればこそ、大地はいつも緑の衣でおおわれている。
・土は、たえず変化してとどまるところを知らない。土もまたはじめもおわりもない循環
 のプロセスの一部となっている。
・悲しむべきことにこの土壌の生態学とも言うべき、きわめて大切な分野に目を向けるも
 のは、科学者といえども数少なく、いわんや防除業者にいたっては、言わずもがな。土
 などいくら毒をぶちこんでも、どうでもない、などと言っては化学薬品をばらまいてい
 る。土壌という独自な世界は、ほとんど見向きもされなかったのだ。

みどりの地表
・水、土、それをおおう植物のみどりのマント、こうしたものがなければ、地上から動物
 の姿は消えてしまうだろう。現代に生きる私たちはほとんど考えてもみないが、植物が
 なければ人間も死滅してしまうのだ。植物は太陽エネルギーを使って、私たちの食糧を
 つくっている。そのくせ、人間は植物について勝ってきわまる考えしかもっていない。
 何か直接自分の役に立つとなると、一生懸命世話をするが、気にくわないと、そしてま
 たときにはべつに理由もなく、すぐにいためつけたり、ひっこぬいたりする。もちろん、
 人間や家畜に有害な植物もあれば、作物を押しのけてはびこるものもある。だが、それ
 以外のものでもたまたまいらないときによけいなところに生えているという、勝手な理
 由だけで目のかたきにされる。無用な植物の仲間というだけで、ひっこぬかれることも
 ある。
・植物は、錯綜した生命の綱の目の一つで、草木と土、草木同士、草木と動物とのあいだ
 には、それぞれ切っても切り離せないつながりがある。もちろん私たち人間が、この世
 界をふみにじられなければならないようなことはある。だけど、よく考えたうえで、手
 をくださなければ。忘れたところ、思わぬところで、いつどういう禍いをもたらさない
 ともかぎらない。だが、いまこのような謙虚さなど、どこをさがしても見当たらない。
・技術文明がつくり出す不毛な、身の毛もよだつ世界は、私たちと同じ人間仲間の技術者
 のせいなのだと考えると、とても我慢できない。
・ただ野生の花は美しい、という理由だけで、道ばたの草木を守れ、と言っているのでは
 ない。秩序ある自然界では、草木はそれぞれ大切な、かけがえのない役目を果たしてい
 る。道ばたの生垣になっている低木や畑と畑との堺に植えている草木は、小動物の住処
 となったり、また鳥が巣をかけたり、餌をあさるところなのである。
・このような植物は、また野生のハチや、そのほかの授粉昆虫の生息場所となる。そして、
 私たちは、ふつう考えているよりもはるかに多く授受粉昆虫のおかげをこうむっている。
 農夫さえも、野生のハチがどんなに大きな働きをしているのかよく知らずに、みずから
 自分の見方を滅ぼすような愚かなことをしている。野生の植物はもちろん、農作物でも、
 授粉昆虫のおかげをある程度、あるいは全面的にこうむっているものがある。
・牧草、低木、森の木が繁茂していくのは、たいてい昆虫があたりを活躍してまわるから
 なのだ。もしもこうした木や草が枯れてしまえば、野生動物はもちろん、牧場の家畜も
 餌がほとんどなくなってしまう。人工栽培一点ばかりで化学薬品をまき、垣根や草をと
 りはらってしまえば、授粉昆虫はもはや逃げかくれところもなく、生命と生命を結びつ
 けている糸がたち切られてしまうだろう。
・こうした昆虫たちが、私たちの農業、私たちのなじんている自然環境に欠くことができ
 ず、どれほど人間の役に立っているのか知れないのに、私たちは、ただやみくもにその
 生息地をうちこわして平気な顔をしている。
・自然は、寸分も狂わず正確に動いているのだ。こうした自然の神秘を見つめてきた人が
 十分いないことはない。しかし、自然を化学薬品の洪水のなかにひたす命令を下す人間
 はまた別の人間なのだ。   
・自然を守ろう、野生動物のすみかを傷つけないようにしよう、などと言っている人たち
 は、どこに姿を隠してしまったのか。彼らの多くは、自然保護は大切だと言いながら、
 結局は除草剤は<無害>だ、殺虫剤に比べれば、そんなに有毒ではない、などと言う。
 しかし、除草剤が雨あられと森や畑に、湿原や放牧地に降りそそぐとすれば、野生動物
 の生息地には大きな変化が起こり、すべてが永久に破壊されないともかぎらない。動物
 の住処を壊したり食糧を奪うほうが、長い先を考えれば、じかに殺すよりはるかにたち
 が悪いとも言えよう。
・除草剤を果てしなく使っていたら、どうなるだろう。いますぐ目に見えなくても植物界
 にはおそろしい影響があとまで残るだろう。
・除草に悩まされたら、植物を食べる昆虫の働きを、もっとよく注意してみるのだ。牧場
 を管理していく科学は、こうした可能性をいままであまりにも無視してきた。

何のための大破壊?
・自然を制服するのだ、としゃにむに進んできた私たち人間、進んできたあとを振り返っ
 てみれば、見るも無残な破壊のあとばかり。自分たちが住んでいるこの大地を壊してい
 るだけではない。私たちの仲間、いっしょに暮らしているほかの生命も、破壊の鋒先を
 向けてきた。
・化学薬品による虫害防除にはつぎからつぎへと莫大な金がつぎこまれている。それなの
 に、野生生物がいったいどのくらい被害を受けているのか、それを調査する費用ときた
 ら、ほんのわずか。
・殺虫剤は、相手かまわず皆殺しにする。ある一種類だけを殺したいと思っても、不可能
 なのである。だが、なぜまたこうした殺虫剤を使うのかといえば、よく効くから、劇薬
 だからなのである。これにふれる生物は、ことごとく中毒してしまう。でも、いったい
 この動物のうちどれが私たちに害をあたえるというのだろうか。むしろ、こうした動物
 たちがいればこそ、私たちの生活は豊かになる。だが、人間がかれらにむくいるものは
 死だ。苦しみぬかせたあげく殺す。
・生命あるものをこんなにひどい目にあわす好意を黙認しておきながら、人間として胸の
 張れるものはどこにいるであろう。

そして、鳥は鳴かず
・進歩という名のもとに私たちは、悪魔のように昆虫を駆除しながら、結局自分たち自身
 その犠牲になろうとしているのではないのか。ただその場かぎりのことを考えながら、
 あとで虫たちがまた出てきた時には手のほどこしようもない。
・世界いたるところから、鳥が危機に瀕している、との声がとどく。そのところどころで、
 事情はさまざまだ。だが、どの報告にも繰り返されているテーマがある。殺虫剤が登場
 したために、野生生物に死がしのびよる、というテーマ。
・私たち人間に不都合なもの、うるさいものがあると、すぐに、<みな殺し>という手段
 に訴える。こういう風潮が増えるにつれて、鳥たちはただ巻き添えを食うだけでなく、
 しだいに毒の攻撃の矢面に立ちだした。鳥が集まるのをうるさがった農夫たちは、危険
 このうえもない薬品を空からまくようにまでなってきた。だが、薬品を空からまくよう
 なことをすれば、人間、ならびに家畜や、野生生物にあとあとまで危険を残す。
・静かに水をたたえる池に石を投げ込んだときのように輪を描いてひろがっていく毒の波、
 石を投げ込んだ者はだれか。死の連鎖を引き起こした者はだれなのか。
・空飛ぶ鳥の姿が消えてしまってもよい、たとえ不毛な世界になっても、虫のいない世界
 こそいちばんいいと、みんなに相談もなく殺虫剤スプレーをきめた者はだれか。そうき
 める権利がだれにあるのか。
・自然の美しさ、自然の秩序ある世界。こうしたものが、まだまだ大勢の人間に深い、厳
 然たる意味をもっているにもかかわらず、ひとにぎりの人間がことをきめてしまったと
 は。

死の川
・ひろい森林地帯ではどこでも、最近の化学的昆虫防除のため、魚の生命が脅かされてい
 る。樹海の下では、川が流れ、魚がすんでいるのだ。
・魚の死ぬ順序は、いつもきまっていた。森林いっぱいにDDTの匂いがたちこめる。
 川の水面に油の膜ができ、両岸にそってマスの死体が浮び上がる。解剖してみると、死
 んだ魚からも、まだ何とか生きている魚からも、その組織中にDDTが検出できる。
 魚の餌である水棲昆虫が極端に減少することが大打撃となる。調査区域では、水棲昆虫
 やそのほかの川底動物相が平均個体数の十分の一に減少していることが多い。こうした
 昆虫は、マスの生命に欠くことのできない食糧で一度いためつけられると、昆虫の個体
 数はなかなかもとどおりにならない。
・魚でも人間でも、生理上の負担がかかるときには、それまでに蓄積された脂肪分が組織
 のエネルギーの源泉となる。こうしたことを考えれば、産卵期の魚がとくにやられたの
 は不思議ではない。組織中に蓄積されていた致死量のDDTがそのとき猛威をふるった
 のだ。
・解決の道はないのだろうか。森林を守るとともに、魚を保護する方法はある。川という
 川が死の川となるのを手をこまねいて眺めているのは、絶望と敗北主義に身をゆだねる
 ことにほかならない。これにかわるものとして、今日すでに人類の知っている方法をも
 っとひろく活用し、さらに工夫をこらし、もっとほかの方法も発展させなければならな
 い。化学薬品を撒布するよりも、こうした自然そのものにそなわっている防除力こそ、
 十分に活用されなければならない。
・新しく有機殺虫剤が発見され、ひろく撒布されるようになると、魚が大きな被害を受け
 るのは避けられない。今日使われる殺虫剤は、塩素系のものが多いが、それに対して魚
 はとても敏感なのである。そして、何百万トンという毒薬が地表にまかれれば、陸地と
 海のあいだを休みなく動いている水は、汚染せざるを得ない。
・海は? いろんな川が同じような毒を運んでくるとすれば、どういうことになるのだろ
 うか。いまはただ推測できるにすぎないが、河口や、塩性湿地や、入江など、陸に近い
 海が殺虫剤でどのくらい汚染するのか、ということは、ますます大きな問題となってき
 ている。川から汚染した水が流れ込むばかりではない。蚊やそのほかの昆虫を防除しよ
 うとしてじかに殺虫剤撒布をすることが多い。
・入江とか、河口とか、塩性湿地とか、陸に近いところは、生態学上きわめて重要なひと
 つの単位になっている。さまざまな魚、軟体動物、甲殻類の生命とわかちがたくつなが
 ってるから、この一帯が生物にとって生息不可能になれば、私たちの食卓から、こうし
 た海のご馳走は姿を消してしまうだろう。
・水もあたたかく外海の荒波もとどかぬ、食物の豊かな入江がなければ、魚は育たないだ
 ろう。それなのに、革からは殺虫剤の毒が流れ込む。塩性湿地には空からじかに殺虫剤
 をふりまいてみんな平気でいる。成魚にくらべ幼魚ほど化学薬品の毒の影響を受けやす
 い。
・殺虫剤のためにプランクトンが事実上全滅することがある。芝生とか、畑とか、道ばた
 にかける除草剤には植物性プランクトンをいためる毒薬がある。塩性湿地にもこの危険
 な除草剤をまいたりするが、十億分のいくつかで致死量となる薬品もある。
・普通の殺虫剤でいい。幼生は敏感で、ごくわずかの分量で死んでしまう。致死量以下の
 分量でも、結局幼生が死ぬことがある。成長率が鈍るためだ。幼生は有毒なプランクト
 ンの世界にそれだけ長くとどまることになり、一人前になれる率がそれだけ減るわけな
 のだ。 
・軟体動物の成体は、直接毒にあたって死ぬ心配が少ない。少なくともある種の殺虫剤に
 ついては、そう言っていい。だが、安心はできない。毒は、カキやハマグリやマテガイ
 などの消化器官や組織に濃縮する。私たちは、カキやハマグリやマテガイなども、普通、
 まるのまま食べる。またなまで食べることも多い。
・殺虫剤をまいたために、川や池で何千何万という魚や甲殻類が死んだ。二度と繰り返す
 べきではない、すさまじい光景。だが、目には見えないところで、殺虫剤は恐ろしい破
 壊の歩みを進めている。川の流れにのって河口から吐き出され入江に達した殺虫剤は、
 もっと大きな、はかり知れぬ禍いをもたらすかもしれない。いろいろ問題が生じている
 が、今わかっていること、解決できることは少ない。明らかなのは、畑や森の水を集め
 て流れる川が海へと殺虫剤を運んでいるということだ。恐らく大きな川という川は汚染
 していると言っていい。だが、果たしてどういう化学物質で汚染しているのか、全部で
 どのくらいの分量になるのか、見極めることはできない。海についてときには極めて希
 薄な状態になっているので、成分を検出できる確実な方法も現在はない。長い途を旅し
 ているうちに化学薬品は変化を起こすにちがいないが、果たして毒性が強くなるのか、
 弱くなるのか、知るすべもない。また、化学薬品がたがいにどういう作用を及ぼし合う
 のか、これも未知の領域だ。海にはいろいろな無機物があって混ざり合ったり運ばれた
 りしているから、そこに有機物が入ると特に緊迫した事態になる。
・淡水、海洋漁獲は大切な資源だ。たくさんの人たちの生活、健康にかかわるきわめて重
 要な資源なのだ。私たちみんなの水に、川に湖に海に化学薬品が入ってきて、禍を及ぼ
 しつつあるのは、もはや疑うまでもない。もっと有毒な薬品を、もっとよく効く薬品を、
 と求めることをやめて、、その開発費用のごく一部でも建設的な研究に振り向ければ、
 危険度の少ないものを使って、みんなの水から毒をしめ出せるかもしれない。だが、こ
 との真相を知って、みながそのような声をあげる日はいつのことか。
 
空からの一斉爆撃
・昔は、毒薬には頭蓋骨と二本の骨を十字に組み合わせた印をつけ、滅多に使うこともし
 なかった。やむをえず使うときには、目的物以外には絶対ふりかからないように注意に
 注意を重ねたものだ。ところだ、第二次世界大戦後、新しい合成殺虫剤が出まわり、飛
 行機は生産過剰となり、かつての用心深さは地を掃い、勝手気ままに何のみさかいもな
 く、空から、もっと恐ろしい毒薬を撒き散らしている。目指す昆虫や植物だけでなく、
 人間であろうと人間でなかろうと、化学薬品がふってくる範囲にあるものはみな、この
 毒の魔手にかかる。森も、畑も、村も、町も、都会も差別なくスプレーをあびる。
 
ボルジア家の夢をこえて
・私たちの世界が汚染していくのは、殺虫剤の大量スプレーのためだけではない。私たち
 自身のからだが、開けても暮れても数かぎりない化学薬品にさらされていることを思え
 ば、殺虫剤による汚染など色あせて感じられる。絶え間なくおちる水滴がかたい石に穴
 を開けるように、生まれおちてから死ぬまで、おそろしい化学薬品に少しずつでも絶え
 ずふれていれば、いつか悲惨な目にあわないとも限らない。わずかずつでも、繰り返し
 繰り返しふれていれば、私たちのからだの中に化学薬品が蓄積されていき、ついには中
 毒症状に陥るであろう。いまや、だれが身を汚さず無垢のままでいられようか。外界か
 ら隔絶した生活など考えられこそすれ、現実にはあり得ない。うまい商人のくちぐるま
 にのせられ、影で糸を引く資本家に騙されていい気になっているが、普通の市民は、自
 分たち自身で自分のまわりを危険物でうずめているのだ。恐ろしい死を招くものを手に
 しているとは、夢にも思わない。
・いまや、毒薬の時代。人を殺せる薬品を店で買っても、だれひとりあやしむ者はいない。
・わずか二、三分でもいい。どんな薬品がスーパーマーケットにあるか探してみよう。た
 いして化学の知識がなくてもいい。おそろしい毒薬がならんでいるのを見れば、どんな
 の無神経な者でも愕然とするだろう。 
・殺虫剤の売場に大きな骸骨の印でもぶら下げておけば、お客さんも用心するかもしれな
 い。だが、普通とかわらぬ、こぎれいな売場。通路の反対側にはピックルスやオリーブ
 油、化粧石鹸や洗剤などが積み上げてあるその場に、色とりどりの殺虫剤がところ狭し
 と並んでいる。子供が手を伸ばせばすぐに届くところに、びん入りの殺虫剤が並んでい
 る。子供がひっくり返す。まただれかがうっかり床に落としでもすれば、たちまち劇薬
 はあたり一面に飛び散る。畑で薬品を撒布した人に痙攣を起こさせたのと寸分違わぬ化
 学薬品だ。誰か買って家にもって帰れば、また同じようなことにならないとも限らない。
・台所用の殺虫剤も、誰でも使えるように、また使いたくなるように、いろいろな工夫し
 てある。また殺虫剤に両面ひたした、白、または好きな色の紙を台所の棚にはることも
 できる。虫を殺すにはどうしたらよいか、家庭で手軽にできるように「使用法」のパン
 フレットを配る会社もある。ちょっとボタンを押すだけで、戸棚や部屋のすみや、幅木
 の陰や床の隙間のような手の届かないところまで、殺虫剤を噴霧させることもできる。
・蚊やダニなどに悩まされればローションとかクリーム状の殺虫剤を皮膚にぬったり、ま
 た衣類に殺虫剤をふりかければよいという。これらのうちには、ワニス、ペンキ、合成
 繊維を溶解するものがあるから注意してほしいと言うが、人間の皮膚は?みんな大丈夫
 だとひとりぎめしている。いつでも虫たちを追いはらえる殺虫剤。入用くにはポケット
 用の殺虫剤を販売している高級な店があり、ハンドバックにも入れられれば、海水浴、
 ゴルフ、釣りにも理想的だと宣伝している。
・そのワックスで床をみがいておけば、その上を這う虫はみんな死んでしまう。そんなも
 のもある。リンデンにひたした細長いきれを押入や洋服袋にかけたり、事務所のロッカ
 ーに入れておけば、半年間は虫に食われない。いろいろなことができる。
・庭の手入れといえば、いまでは猛毒と切っても切り離せない。どこの荒物屋でも、どこ
 の園芸器具店でも、どこのスーパーマーケットでも、ありとあらゆる効能書きの殺虫剤
 が並んでいる。新聞の園芸欄、園芸雑誌はだれでも殺虫剤を使うものときめているので、
 使わないといけないような気がする。
・だが、植木屋や、庭いじりの好きな人たちに、殺虫剤の恐ろしさをPRする努力がどれ
 ほどなされただろうか。むしろその逆で、あとからあとへと新しい便利な道具が出てく
 るから、芝生や庭にどうしても毒薬を使うようになり、それにつれて、毒薬にふれる度
 合いも増える。 
・殺虫剤を撒布する装置のついた自動芝刈機がある。押して歩くと煙霧状の殺虫剤が出る。
 エンジンからは、ガソリンの有害な煙が出る。それと、何も知らない郊外居住者がスプ
 レーすべく選んだ殺虫剤の細かい粉が混ざり合い、庭の上空はどんな都市にもまけない
 くらい汚染してしまう。だが、庭いじりのとき使う殺虫剤、過程で使う殺虫剤がどれほ
 ど危険か、ほとんど何の声もきかれない。薬品の入れ物に注意書が貼ってあるといっても、
 小さな字で印刷してあるので、面倒くさがって読む人はほとんどいない。
・荒物屋や園芸店で使用書をもらっても、その薬品を使ったり触れたりすればどんな危険
 があるのか、本当のことを書いてあるのは、ほとんどない。たいがい親子が楽しそうに
 除草剤を芝生にまいている。そのそばで犬とじゃれまわる小さな子供たち、そんな絵が
 描いてあるだけだ。
・私たちの食物にも化学薬品の残留物が付着しているのではないだろうか。はげしい議論
 の的となるところである。残留物などたいしたことはない、と見くびったり、また頭か
 ら否定するのは工業会社関係の人たちだ。また、殺虫剤がついた食物はいっさいいけな
 いなどというのは、行き過ぎの狂信家だ、とみなす傾向がある。いったい真相はどうな
 のだろうか。 
・普通の家庭の食物、例えば肉とか、動物脂肪の製品には、塩化炭化水素の残留物がもっ
 とも大量に含有されている。これらの化合物の脂肪によく溶けるためである。だから、
 肉に比べれば、果物とか野菜に残留する分量は幾分少ない。でも、洗ったぐらいではと
 れない。レタスとかキャベツなら、外側の葉を取り除き、果物なら皮をむかなければな
 らない。煮たり焼いたりしても、薬品の残留物はなくならない。
・化学薬品の洗礼を受けていない食事を取ろうと思うならば、文明生活とはほど遠い、人
 里離れた未開の国へ行くほかないだろう。 
・私たちの食物に塩化炭化水素が入るのは、作物スプレーにこの系統の殺虫剤が使われる
 限りは避けがたい。それでも、薬品の容器に貼ってある使用法を農夫が守れば、残留物
 は食品薬品管理局がきめた許容量を超えることはないだろう。この今日容量がはたして
 <安全>かどうかはさておき、農夫たちはたいがい許容量など守らず、また刈入れ間近
 に薬品をまいたり、一種類の殺虫剤で十分なのにいくつもの薬品を併用したりする。も
 ともと、使用法があまり小さな字で印字してあるので、一般の人と同じように農夫たち
 も読もうとしない。
・一つ一つの薬品について汚染の最大限許容量を管理局ではきめて、<許容量>と呼んで
 いるが、この方法にも明らかな欠点がある。許容量も、現在の状況では、ただ名目上の
 安全に過ぎないのに、許容量が決まっているのだから、ただそれを守っていればよい、
 ということになる。私たちの食物に少しなら毒をふりかけてもよろしい。このおかずに
 もちょっと毒を、あのおかずにもちょっぴり。毒が安全で、毒をふりかけるほうがいい
 などということはあり得ないと多くの人が反対したのも当然である。
・許容量を決めるのは結局、みんなの食品が有毒な化学薬品で汚れても、作物の生産者や
 農産物加工業者が安い費用で生産できなくてはならない、という考えが根本にあるのだ。
 そして、消費者の手に有毒な食品がまわらないようにするためには、特熱の管理の機関
 を設けなければならない。その維持費、税金を払わされるのは、結局消費者なのだ。
・市販されている化学薬品の性質について、もっと消費者を啓蒙する必要がある。さまざ
 まな殺虫剤、殺菌剤、除草剤が店先に溢れていて、消費者は、どれを買ったらよいのか、
 困惑ばかりなのだ。どれが劇薬で、どれが比較的安全が知るすべもない。

人間の代価
・事態はいまやきわめて複雑だ。さまざまな形態の放射前や、あとをたつことなくつくり
 出されてくる化学薬品の流れ。この先どうなるのか、見通すこともできない。直接、間
 接的に、個別的に、集合的に押し寄せる化学薬品。私たちの世界は化学物質の波をかぶ
 ってずぶぬれだ。殺虫剤などほんの一部にすぎず、いまやいたるところに入り込んでい
 る化学薬品は、形もなく、曖昧模糊としてとらえるすべもなく、不吉なかげを投げかけ
 る。化学薬品などに一生身をさらせばどういうことになるのか、人間のからだがいまま
 で経験したこともない相手であれば、なんとも言えない。恐るべきことだ。
・私たちはみな絶えざる恐怖にとりつかれている。そのうち何者かによって環境がひどく
 破壊され、人間はかつて滅んだ恐竜と同じ運命をたどるのではないか。そしてもっと困
 るのは、最初の徴候が現れる二十年前、あるいはそれ以前にすでに私たちの運命が定め
 られているかもしれないのだ。
・川からは魚が姿を消し、森や庭先では鳥の鳴き声もきかれない。だが、人間は? 人間
 は自然界の動物と違う、といくら言い張ってみても、人間も自然の一部にすぎない。私
 たちの世界は、隅々まで汚染している。人間だけ安全地帯へ逃げ込めるだろうか。
・化学薬品が生物に与える作用は長い期間にわたってつもり重なっていき、ある人間が一
 生の間にどのくらい化学薬品に身をさらしたか、その総計がすべてを決定するという。
 だが、まさにそのために、危険なことがなかなかわからない。ただ漠然といつか災難が
 ありそうだと言われても、それに冷淡なのは人情だ。
・人間のからだの神秘に満ちた動きに少しでも目を向けてみれば、原因と結果が単純に
 つながっていて、原因から結果へと直接たどれることは滅多にないことがわかる。原因
 と結果は、空間的にも時間的にもかけ離れている。病気や死亡の原因を突き止めようと
 思えば、見た目には関係もない、いろんな分野の研究成果を集めて、はじめてわかるこ
 とが多い。
・私たちは、いつもはっきりと目に映る直接の原因だけに気を奪われて、ほかのことは無
 視するのが普通だ。明らかな形をとって現れてこない限り、いくらあぶないと言われて
 も身に感じない。
・塩化炭化水素の殺虫剤がきわめて危険なのは、肝臓に影響を及ぼす点である。からだの
 中にはいろいろな器官があるが、なかでも特異な存在が肝臓なのだ。その自由自在の活
 躍ぶり、かけがいのない機能、まさにほかに比べられない。生命のさまざまな活動を統
 括しているこの肝臓が少しでもきずつけば、恐ろしいことになる。脂肪を消化する胆汁
 を出すばかりでなく、その占める特殊な位置のため、また血液循環の通路にあたるため
 に、肝臓に供給される血は消化器系からじかに送られ、主な食物の代謝と深い関係があ
 る。たとえば、肝臓はグリコーゲンという形で糖分を蓄積し、たえず一定量のグルコー
 スを吐き出しては、血液内の糖分を正常なレベルに保っている。からだのタンパク質を
 合成するのも肝臓で、血液凝固と関連する、血漿の主な要素も含有している。肝臓はま
 た血漿中のコレステロールを適当量に押さえ、男性・女子ホルモンが過剰になると、不
 活性化する。また、たくさんのビタミンの倉庫で、ビタミンのなかのあるものは、逆に
 肝臓自身の正常な働きを助けている。
・肝臓が正常に働かなければ、からだは無防備そのもので、たえずいろいろな毒が侵入し
 てくる。健康なからだ自身も物質代謝のときに有毒な物質を生み出すが、肝臓がすばや
 くその毒を抜き去って、害を未然に防いでしまう。外部からの毒にも、肝臓は活躍する。
・肝臓が殺虫剤でいためつけられる。すると、解毒作用が失われるだけでなく、そのほか
 広い範囲にわたるさまざまな機能が故障してくる。影響は種々様々で、それも直接現れ
 ることがなく、何でまたこんなことになったのか、本当の原因がわからないことも多い。
・肝臓をいためる殺虫剤がひろく使われるようになってから、肝炎が急に増えてきたのは、
 興味ある並行現象である。
・実験動物などと違って人間の場合には難しいが、肝臓病が増えた事実と、肝臓をいため
 る有毒な物質があたりに蔓延していることを考えれば、この二つの事実のあいだには何
 か関係があるかもしれない、というのは常識だろう。塩化炭化水素が主な原因かどうか、
 それはさておき、明らかに肝臓の害になる有害な物質に肝臓をさらして、病気に対する
 対抗力を弱めるのは、賢明とはいえない。
・なぜまたある人はほこりや過分にかぶれるのだろうか。ある毒に敏感に反応するのはな
 ぜか。ほかの人たちは何でもないのに、ひとりだけ伝染病にかかるのはどういうわけか。
 現在の医学では説明のつかない謎なのだ。説明できないからといって、無視することは
 できない。そしてまた事実、たくさんの人たちが、苦しんでいる。
・殺虫剤中毒という問題全体が、複雑怪奇なのである。実験室で厳重に管理した状態で飼
 われている実験動物と違って、人間はさまざまな化学薬品の洗礼を受けている。いろい
 ろな系統の殺虫剤同士、また殺虫剤と他の薬品は互いに作用し合い、恐ろしい事態を引
 き起こしかねない。土壌に入っても、水や人間の血に入っても、もともと互いに関係の
 ない化学薬品が組み合わさり、目には見えない不思議な変化を起こして、毒性を発揮す
 る。 
・いまや人間はいろいろな薬品を作り出し、地上に溢れている。これらの薬品の組み合わ
 せを一つ一つ考えていったらきりがなく、だれがその可能性すべてを見通せるだろうか。
 はじめは無害と思われていた化学薬品でも、ほかとの組み合わせしだいで、急に恐ろし
 い毒を持つようになる。

狭き窓より
・エネルギー生産という基本的な働きは、ある特定の器官ではなく、からだのあらゆる細
 胞で行われる。生きている細胞は、炎と同じで、燃料を燃やしてエネルギーを生産し生
 命を維持していく。といっても、これは比喩で、実際には体温というごく低い熱で細胞
 が<燃える>。だが、この目立たない小さな火花が何十億と集まって、生命のエネルギ
 ーの火となるのだ。この火花が消えれば、<心臓は脈打たず、重力をふり切って大空め
 がけて伸びていく木も生長をやめ、アメーバーは泳ぐこともできず、いかなる感覚も神
 経をつわたることなく、人間の頭脳に考えがひらめくこともない。
・統計局がもっぱら調べようとしているのは放射能の影響だが、放射能と寸分違わない力
 のある化学薬品がたくさんあることを忘れてはならない。いまに化学薬品が奇形児の原
 因になるのではいか、人口統計局の統計を見ると心配になる。私たちの住んでいる地球、
 そればかりか私たちのからだそのものに、いろいろな薬品がしみこんだまま抜けない。
・化学薬品は、また生殖細胞だけでなく、生殖細胞を形成している組織にも宿るものと推
 定される。さまざまな種類の鳥は哺乳類の生殖器官に殺虫剤の蓄積が見られた。
・生殖器官に化学薬品が蓄積するためか、哺乳動物でも、実験してみると、睾丸が萎縮す
 る。 
・人類全体を考えたとき、個人の生命よりもはるかに大切な財産は、遺伝子であり、それ
 によって私たちは過去と未来とにつながっている。長い長い年月をかけて進化してきた
 遺伝子のおかげで、私たちはいまこうした姿をしているばかりでなく、その微小な遺伝
 子には、よかれ悪しかれ私たちの未来のすべてがひそんでいる。とはいえ、いまでは人
 工的に遺伝がゆがめられてしまう。まさに、現代の脅威といっていい私たちの文明を脅
 かす最後にして最大の危険なのだ。
・ここでまた化学薬品と放射線が肩を並べ合う。この両者の著しい並行関係を無視するわ
 けにはいかない。放射線をあびた生物の細胞は、さまざまな障害を受ける。正常に分裂
 していけなくなったり、また、染色体の構造が変化することもある。遺伝物質の担い手
 である遺伝子が突然変異を引き起こしつぎの世代に新しい変化をもたらすこともある。
 放射線にとくに敏感な細胞は、即座に死滅するか、あるいは何年か経つうちに癌細胞に
 かわる。 
・化学薬品にも放射能と同じ力がひそむことを知る人はどれほどいるだろうか。ほかなら
 ぬ医学や理学を研究している人でも、真面目に耳を傾けようとしない。こうしたことを
 考えれば、化学薬品を(実験室内ばかりでなく)やたらとみんなが使えばどうなるか、
 いまなお正しく理解されていないのも当然と言っていい。だが、いつまでも呑気にかま
 えていることは許されない。
・環境の放射能が人間に潜在的な影響力をもつことを認める科学者でも、突然変異誘発性
 の化学薬品にも同じ力がひそむことは、真面目に取り上げない。放射能がからだの内部
 まで浸透すると騒ぎ立てても、化学薬品が胚細胞に達することは信じようとしない。
・薬品会社の製品は、毒性検査を受けなければならない。法律で決められている。だが、
 遺伝関係にどういう影響を与えるのか、そこまでの綿密な検査は、要求されていない。
 すべては野放しのままだ。

四人にひとり
・生命が誕生する前から危険な物質は環境にあった。だが、やがて生命が芽生え、かぎり
 なく数も種類も増えてきた。でも、破壊的な力に対する生命の適応の結果で、滝応力の
 ないものは滅び、抵抗力のあるだけのものが生き残ってきた。それも、何百万年という
 長い時をかけて。まさに悠長な自然そのものの歩みだった。
 工業時代の夜明けとともに、いろいろな変化が起こった。それでもますますめまぐるし
 く移り変わっていく。新しい化学的・物理的な因子が人口の環境をつくりあげたかと思
 うと、自然の環境を押しのけ、自然にかわって、生物に影響を及ぼしだした。自分自身
 がつくりだしたくせに、発癌物質は手におえなくなり、人間は自分の身を守ることがで
 きない。長い月日をかけて生物的遺産が進化してきたのと同じように、新しい条件に適
 応するのにもひまどるのだ。だから、恐るべき力をもった化学物質は、からだの守りの
 固まらぬすきに乗じて、やすやすと私たちのからだの中に入ってくる。
・二十世紀になると、無数の化学的発癌物質があらわれ、人間は、いやがおうでも毒にと
 りかこまれて生活しなければならなくなった。人間をとりまく世界はすっかりかわった。
 おそろしい化学物質を使って働いている人たちにかぎらない。ありとあらゆる人々にま
 わりに、まだ生れおちない子供のまわりに、恐ろしい化学物質がしみこんでいる。だか
 ら、いま不治の病がふえてきているのも、当然といえば当然の話なのだ。
・癌とかんけいのあることがわかった最初の殺虫剤は、砒素系のもので、砒素カルシウム
 などの化合物の殺虫剤があるが、砒素と癌との関係は古い。砒素に身をさらすとどうい
 うことになるのか。
・新しく現れた有機殺虫剤にも発癌物質があるが、たとえば、ダニ防除にみんなが使う薬
 品がそれである。それを見れば、法律があって安全だというのも、たいしてあてになら
 ないことがわかる。はっきり癌になることがわかっている化学薬品がそこらに出まわっ
 て四、五年した後に禁止する法律ができる。
・癌など、すぐに表面に現れることがなく、少しずつ大きくなってきる。1922、3年
 ころ、時計の文字盤に蛍光塗料をぬっていた女工員の骨に癌が発生したのは、十五年以
 上もたってからのことだった。筆も舐めるたびに、少しずつラジウムがからだの中へ入
 っていったのだ。化学的発癌物質に職場でだえずふれたために癌になるときには、十五
 年から三十年の潜伏期がある。
・悪性腫瘍の潜伏期はたいてき長いといわれるが、例外はある。今日だれ知らぬ者がない
 この例外は、白血病だ。広島の原爆で生き残った人たちは、放射線をあびてからわずか
 三年後に白血病が発生している。そして、いまでは、潜伏期がいちじるしく短くなると
 考えていい根拠がある。ほかの種類の癌も、そのうち潜伏期が短くなるかもしれないが、
 現在では、まだ白血病だけが例外といっていい。
・細胞分裂というごくふつうの、だがなくてはならないプロセスが変化し、なじみのない、
 死をもたらすものとなるのはなぜか。これこそたくさんの科学者が心血をそそぎ、琴線
 莫大な金額をついやして研究してきた問題にほかならない。正常な核分裂が狂いだして、
 癌という支離滅裂な増殖が起こるようになるのはなぜか。どういう変化が細胞内に起こ
 るのだろうか。
・放射能や化学的発癌物質を少量ずつ繰り返し摂取すると、正常な細胞の呼吸作用が破壊
 され、エネルギーが奪われる、という。そして、一度こうした状態になると、もうもと
 へはもどらない。
・癌の潜伏期がたいてい長いのは、無数の細胞分裂が打撃をうけ、呼吸作用が醗酵作用に
 おきかわるのに時間がかかるためなのだ。醗酵に切り替わるまでの時間は、動物の種
 類にとってさまざまである。たとえば、ネズミでは短く、発癌も早い。人間の場合は長
 く(何十年というときもある)、悪性腫瘍はゆっくりと進行する。
・癌に至る別の道は、染色体による。染色体を傷つけ、細胞分裂をかきみだしたりして、
 突然変異をまねく因子は、いずれにせよ危険なのだ。いかなる突然へにでも、発癌の原
 因になる可能性をはらんでいるという。突然変異という生殖細胞に関係し、未来の世代
 に影響が現れる問題だと普通考えられるが、からだの細胞内部の突然変異ということも
 ありうる。
・放射線や、放射線と同じような性質の化学薬品に身をさらすとたいてい白血病にかか
 る、そのわけは、簡単に説明できる。物理的・化学的突然変異因子の襲撃を主にうける
 のは、ちょうどか活発な分裂をしている細胞で、このような細胞はいろいろな組織の内
 にあるが、とくに血液をつくる組織のなかに多い。骨髄は、赤血球をつくる主な器官で、
 一秒間に一千万個の赤血球をその人間が生きているかぎり血管に送りつづける。白血球
 ができる場所は、リンパ腺や、ある種の骨髄細胞だが、その個数は時と場合によってさ
 まざまで、変化がはげしいが、やはりおどろくほど数が多い。
・突然変異誘発物で癌の原因となるものには、ほかにウレタンがある。妊娠中のネズミに
 ウレタンを与えると、肺癌になるばかりでなく、生まれた子ネズミも同じように癌にな
 る。
・間接的な原因から癌になることもある。発癌物質でないようなものでも、からだのある
 器官の機能に障害を与えて、癌が発生しやすい条件をつくりあげる。ことに生殖器官に
 関係のある癌はそうで、性ホルモンの均衡がくずれと癌があらわれる。このような障害
 物は肝臓の働きを弱めて、性ホルモンの正常レベルの低下をまねくことが多いのだ。
・性ホルモンは、ふつうからだの中にあって、さまざまな生殖器官と関係しながら成長を
 促進している。しかし、あまりたくさんホルモンができないように、体内で調整がおこ
 なわれる。そして、片方が過剰にならないように男性ホルモンと女性ホルモンの調整を
 しているのは、肝臓である。
・私たちの身の回りには、癌の原因になる化学薬品(殺虫剤を含む)が勝手にばらまかれ、
 私たちがそれらに身をさらす具合もさまざまだ。姿もいろいろ変えておそいかかる。
・一つだけ取り出してみれば、癌の原因にならないかもしれない。だが、一つ一つが(安
 全量)でも、他の(安全量)で天秤がいっぱいになっていたら、少し加わっただけでも
 たちまち片方へ傾くにちがいない。
・さらに困ったことに、一つ化学物質はほかの化学物質に反応を起こさせ、その作用を変
 えてしまう。癌が発生するときには、二つの化学物質が補足的に作用し合うことがある。
 ある物質が、細胞や組織を発癌に敏感にさせ、やがてそこにほかの刺戟因子が加わると、
 真性の悪性腫瘍になる。
・水道が放射性物質で汚染しているのも、問題だ。水にはこのほかにさまざまな化学物質
 が混ざっている。そこにイオン化放射線がおそいかかると、原子の配列がみだて、どう
 いう新しい化学物質が生まれるか、予想もつかない。
・合衆国で水道汚染を専門に研究している人たちは、洗剤が悩みの種だ。町や村の水道は
 いまではことごとく洗剤でよごれていて、それを取り除く方法はまだない。発癌性の洗
 剤はわずかしか確認されていないが、消化管が内壁に入り込み、そこからおそろしい化
 学物質が入って暴力をふるうような変化を組織にあたえて、間接的な発癌の原因になる。
 だが、このようなことを先の先まで見越して、身の安全を守れる人がいったいいるだろ
 うか。
・癌の原因となる物質をあたりにばらまいておいて、みんな平気でいる。私たちみんなが
 <発癌物質の海>のただなかに浮いているとはある学者の言葉だ。
・なぜまた、癌について、予防という常識的な対策をすぐにもとろうとしないのか。おそ
 らく、<癌の犠牲者をなおすという目標のほうが、予防というよりもセンセーショナル
 で、魅力もあり、やり甲斐もある、そのためか。だが、癌が発生しないように予防する
 ほうが、癌にかからせておいてから治すより、明らかに人間的であり、またはるかに効
 果的ではないのか。
・いますでに癌の犠牲となったもののために、癌治療の研究が押し進められなければなら
 ないのは言うまでもないが、そのうち突然、特効薬が見つかって、一撃のもとに癌を倒
 せるなどと期待させるのは、人類のためにならない。癌制服というような時は、すぐに
 なこないだろう。私たちは、ただ一歩一歩ゆっくりと前進しなければならない。癌の原
 因になるものを野放しにしておきながら、癌の薬を見つけようと大がかりな対策を広げ
 てはすべての望みを託し、治療の研究に莫大な費用をかけるばかりで、予防という絶好
 の機会は捨ててかえりみない。
・大部分の発癌物質は人間が環境に作意的に入れている。そして、その意志さえあれば、
 大部分の発癌物質を取り除くことができる。化学的発癌因子が私たちの世界に入ってく
 るには、二つの道がある。一つは、皮肉なことに、みんながもうちょい、楽な生活を求
 めるため、もう一つは、私たちの経済の一部、ならびに生活様式がこのようなおそろし
 い化学薬品の製造や販売を要求するため。
・現代の社会から、化学的発癌物質を全部取り除けるだろうなどと考えるのは、あまりに
 も非現実的と思われるかもしれない。だが、多くは、私たちの生活に不可欠なものとは
 かぎらない。それらを取り除けば、私たちの上にのしかかる発癌物質の圧力も大幅に減
 り、四人にひとりがいずれ癌になるという脅威も、少なくとも大幅に弱まるだろう。不
 退転の決意をもってなすべきことは、何よりも、発癌物質を取り除くことだ。私たちの
 食物、私たちの水道、私たちのまわりの空気、すべてが発癌物質で汚染している。食物、
 水、空気、どれも私たちがいつも身にふれるものであれば、危険はこのうえなく大きい。
 ごくわずかずつ、繰り返し繰り返し何年も何年も私たちのからだに発癌物質がたまって
 いく。

自然は逆襲する
・私たちは、世界観を変えなければならない。人間がいちばん偉い、という態度を捨て去
 るべきだ。自然環境そのものの中に、生物の個体数を制限する道があり手段がある場合
 が多いことを知らなければならない。そしてそれは人間が手を下すよりもはるかに無駄
 なく行われる。

迫り来る雪崩
・これでもか、これでもかと化学薬品をまききちらしたために、昆虫個体群の弱者は、滅
 んでいこうとしている。生き残ったのは、頑健でまた適応力のあるものだけで、かれら
 は私たちがいくら押さえようとしても執拗にたちむかってくる。
・私たちは心をもっと高いところに向けるとともに、深い洞察力をもたなければならない。
 残念ながら、これをあわせもつ研究者は数少ない。生命とは、私たちの理解をこえる奇
 跡であり、それと格闘する羽目になっても、尊厳の念だけは失ってはならない。生命を
 コントロールしようと殺虫剤のような武器に訴えるのは、まだ自然をよく知らないため
 だと言いたい。自然の力をうまく利用すれば、暴力などふるうまでもない。

べつ道
・<自然の制服>、これは、人間が得意になって考え出した勝手な文句に過ぎない。生物
 学、哲学のいわゆるネアンデルタール時代にできた言葉だ。自然は、人間の生活に役立
 つために存在する、などと思いあがっていたのだ。