小さくともキラリと光る国・日本 :武村正義

この本は、いまから30年前の1994年に刊行されたものだ。
この本の著者である政治家・武村正義氏の政治理念が「小さくともキラリと光る国」を目
指そうであった。
「小さくとも」とは、とくに軍事的な意味においてであり、軍事的規模をどんどん大きく
していく必要はないと主張していた。
「キラリと光る」とは、品格、凛々しさであり美しさであった。
かつては自民党においても、このような政治理念を語る議員がいたのだ。
しかし現在の自民党を見ると、これとは真逆だ。
集団的自衛権の行使を容認し、防衛費を2倍に増やし、敵基地攻撃能力も保有する世界有
数の軍事大国になってしまった。
また、30数年前にも「リクルート事件」「東京佐川急便事件」「大手ゼネコン贈収賄事
」など腐敗政治は続発していた。
著者の武村氏は「政治の腐敗の根源は中選挙区制にある」と考えていた。
しかし、その中選挙区制から小選挙区制に移行した現代においても政治の腐敗は後を絶た
ない。つまりは政治の腐敗の原因は選挙区制ではなかったということだ。
当時からいろいろ政治改革が叫ばれたが、結局、自民党にはまったく自浄能力がなかった。
安倍・菅・岸田政権時代になっても「森友学園問題」「加計学園問題」「桜を見る会問題」
「旧統一協会問題」そして「パーティー券裏金問題」と腐敗政治のオンパレードだ。
イギリスのサッチャー前首相は「政治改革は泥棒に縄をなわせるようなものです」と言っ
たというが、まさに自民党政権に政治改革をやらせることは「泥棒に縄をなわせる」こと
なのだろう。
このような政治腐敗に対する唯一の対策は、時々政権交代を行ないそれまでの政治をリセ
ットすることしかないだろう。
野党に自民党のような政策が描けるのかという話も出るが、自民党時代の法律や政策をリ
セットするという政策だけでも大きな意義があると思う。


まえがき
・日本の政治にいま求められているのは何だろう。
 私は「理想を語ること」ではないかと思っている。
 日本の政治家が理想を語らなくなって久しい。
 戦後、日本の復興を目指した人たちは、それぞれに日本の進む道を大いに語ったものだ。
 政党を問わず、政治家は理想を国民に訴えた。
・いつごろからだろう。政治家が理想を語るのは「青くさい」「きれいごと」」と見られ
 るようになったのは・・・。 
 私が国会議員になったのは昭和61年(1986年)だった。
 そでにそういう風潮はできあがっていた。
 理想を語っても、自民党の幹部は、ほんの一部の人を除いて、聞き流していた。
・その2年後、「リクルート事件」が起こった。
 国民の厳しい批判を浴びたにもかかわらず、その体質が変わる気配は見られなかった。
・40年近く自民党の一党支配が続き、当選回数主義、数の論理といったシステムが固定
 化されていくうちに、理想を語ることは忘れ去られてしまったようだ。
 派閥の論理が、そうした声をつぶしていたと言ってもいいだろう。
・「数と力」を得るためにカネとポストを追い求める。
 そこに政治構造の腐敗が生まれ、それを示すかのように政治家のスキャンダルがつぎつ
 ぎと明らかにされていった。 
 一度、カネとポストを求めるレールに乗ってしまうと、なかなか降りられないものだ。
・これは政治家に限ったことではない。
 高度経済成長のもとで、日本人は欲望を大きく膨らませていった。
 政治家のスキャンダルは、こうした社会を背景として生まれたと言っていい。
・世界の動きは急だ。
 東西ドイツの統一、ソ連崩壊によって東西冷戦は終わりを告げ、イデオロギーの対立が
 政治の舞台から消えていった。
・だが、日本は依然として55体制と呼ばれる政治構造のままであった。
 そして「金丸事件」。
 日本の政治構造の生々しい矛盾があらためて国民の前に一挙に明らかにされた。
 政治改革の遅れに国民の批判は集中した。
・私は世界に対する日本の貢献でもっとも有効な方法として、環境貢献を考えている。
 そして日本の国づくりは、国のすみずみからのまちづくりの総和によって実現すべきも
 のと思っている。

政治を変える
・思えばリクルート事件が起こって5年半もの時が流れた。
 その後もあいつぐ政治スキャンダルの続発。
 それでも政治改革は実らない。
 国民があんなに反対した消費税や、国会があんなにもめたPKO法案が成立したのに、
 政治改革だけどうして実現できないのか。
・数年前、イギリスのサッチャー前首相は東京で講演を行い、「政治改革は泥棒に縄をな
 わせるようなものです」と言った。
 とにかく政治改革は政治家にとっても避けて通りたい厭な仕事であることだけは間違い
 ない。 
・それだけに、この仕事をできるということは画期的なことである。
 そのことだけで政治に良心があり、自浄能力があると言えるからであり、同時に自らに
 とっても至難の仕事を成し遂げられることが、その他のさまざまな課題に立派にチャレ
 ンジしていく能力を内外に立証することにもなるからである。
・国民は選挙制度改革など望んでいるのではない。
 求めているのは腐敗防止なのだという批判があることも承知している
 政治家たちが勝手に選挙の土俵づくりばかりを議論している、というような印象を与え
 たことは否めない。
・ただ、政治改革のど真ん中に選挙制度改革という大きなテーマが存在することは、紛れ
 もない事実だ。  
 このテーマを抜きにして政治改革を語ることはできない。
・腐敗防止。実はそのためにも、選挙制度を改革する必要があったのだと私は言いたい。
 世界に例のない中選挙区制というシステムに腐敗を生む根源があると考えるからである。
・中選挙区制においては、政権をめざす政党は一つの選挙区に二人から四人ぐらいの候補
 者を立てざるを得ない。  
 そうしないと議席数で過半数を制することができないからだ。
・戦う相手は同じ政党だから同士討ちである。
 どこかで違いを示さなくてはいけない。
 そこで地元に対するサービス合戦、利益誘導競争に走る。
 肝心の国政のことや世界のことなどそっちのけである。
 これを繰り返していくと、政治家の頭は空っぽになってしまう。
・もちろん選挙制度が改革されたからといって、政治改革のすべてが実現するわけではな
 い。
 もうひとつの大きな柱は政治とカネのシステムにメスを入れることであり、それが政治
 資金制度の改革である。
・まず政治にカネをかけない努力が必要である。
 たとえ必要なカネの関係についても、その収支をガラス張りにしていくことが大事であ
 る。
 企業献金から個人献金への決断に加え、金丸事件に見られたような献金のルールの抜け
 穴をふさぎ、違法献金の没収や公民権停止を含めた罰則を強化していくことが必要であ
 る。
・企業による政治献金の問題
 政治家個人に対する季語湯献金が制約されたことは事実だが、依然としてゼネコンなど
 からの献金は、政党を中心として残されている。
 政治活動全体に対し禁止するという方向へ議論が進んでいっていいように思う。
・使途不明金の問題
 政治家に渡すために裏金を捻出する。
 その温床となっているのが使途不明金だ。
 税制上は、使途不明金は課税されているが、外国にも例があるように制裁的な重課税に
 踏み切るのも一つの方法であろう。
・刑法の問題
 政治家は収賄ではなかなか捕まらないと言われる。
 刑法197条の定められた収賄罪の条項は非常に厳格であり、いわゆる職務権限が明確
 にならなければ、この法は適用されない。
 国会議員という身分だけで、企業に便宜を図ったり、そのことで献金を受けても刑法上
 は立件しにくいのである。
 だから「大臣や政務次官に就任したときと、国会で公式に発言するときだけ気をつけれ
 ばいいんだよ」というような”常識”がまかりとおることになる。
・連座制の問題
 イギリスの百年前の腐敗防止法は、連座制を徹底的に強化することから始まった。
 末端の運動員にいたるまで、一人でも陣営内から違反者が出た場合には、候補者が失格
 する。この制度によって、深いが激減したといわれている。
 この制度を大胆に取り入れるためには、いわゆる「おとり」をどう防ぐか、また故意で
 はない違反をどう扱うかの問題があり、さらに時間のかかる日本の裁判制度の壁にぶつ
 かってしまう。
 どんな違反を起こしても、裁判に時間をかけることによって任期を全うする、さらに重
 ねて立候補する例が少なくない。
 憲法改正が必要だが、ドイツのように選挙裁判所を設けるのも一つの方法である。
 もう一つは、選挙違反と当選無効を第一義的に行政争訟として迅速に処理する道を開く
 ことである。その結果に異議があれば、当然裁判所で争う。
 
・連立政権のいいところは何といっても大きな政治課題に向けて複数の政党が協力し合う
 ことだ。
 互いに異なる主張を持つ政党が寄り合うのだから、一党支配のときよりは合意をとりつ
 けるまでに時間や手間がかかる。
 だが、その一方で合意にいたるまでの討議は不可欠であるし、緊張感がある。
 密室でいつの間にか”根回し”で結論が出るというシステムではない。
 結果として政治の透明性は増したと言えよう。
・従来の自民党も、一つの”連立政権”であるといわれた。
 五つか六つの派閥の集まりが、競争し合っている集団という見方だ。
 その多様さが国民に安心感を与えていたかもしれない。
・ところが、挙党体制の時代が十年以上も続くことで、総理総裁でない人物が実権を握る
 という二重構造が存在することになった。
 その結果、政治が不透明になり、これが自民党が信頼を失う原因の一つにもなった。

・私自身、知事時代の12年間は、幸運にもカネの問題からいっさい逃れることができた。
 ところが国会議員になると、相当に覚悟はしていたものの、予想以上にカネが必要な現
 実にぶつかった。
・学生時代、「政治は最高の道徳である」と学んだ。
 同時に、「政治家になるのは悪魔と握手するようなものだ」という言葉も覚えている。
・なるほど国会議員になってからの我が身を振り返ると、まさにそのはざまで悪戦苦闘を
 続ける日々であった。
 悪魔と握手をしたい誘惑にかられ、いや、政治家の道徳はとうなると自問する。
 いやでも自分自身の政治家とカネの矛盾を抱え込んでいるのを自覚するのである。
 率直に言って、悪魔の落とし穴にはまる寸前まで行っていたかもしれない。
 このままでは、リクルート事件や佐川急便も、明日は我が身ではないかと思えてきた。
   
・カネ、派閥などと並んで、当選回数主義は自民党の病の一つだったと言ってもいい。
 もしこうした病気から立ち直ることができれば、自民党は一気に蘇生し、長き続きする。
・考えてみれば、党の改革は選挙制度などの法律改革とは関係なく、やろうと思えば、た
 だちにできたはずである。
 リクルート事件の時にも、みんなが本気で取り組んでいたならばできたはずだ。
 それなのにできなかった。
・カネの問題、派閥の問題もそうだ。
 自民党の誰もがこれではいけないと思っていた。
 なのに直せない。
 表に出ないことだから、法律スレスレであっても、どうせみんながやっているからいい、
 そのことに触れないことが政治家の常識だと考えているからだ。
 それを正さなくてはと思っていても、自ら血を流す決断ができない。
 結局、ずるずると体質は引きつがれていく。
・いずれにせよ、世間一般の常識を超越したルールが政界の常識としてまかりとおるのを
 許しておいて、政治を改革するというのは無理な話である。
・小選挙区制になると、これまでよりカネが飛び交う選挙戦になるのではなか、という指
 摘がある。 
 欲望を断ち切ることのできない人間の社会である以上、それはないとは言い切れない。
 しかし全体としては、カネがかからない方向に、あるいはカネの使い道が透明化してい
 く方向に進むと考えている。
・ただ、私の経験からも、残念ながら、選挙においてまだ情緒的な要素が非常に強く残っ
 ているのではないだろうか。
 エモーショナル(感情的)な判断で投票する傾向が強い。
・だから、選挙に勝つには、一人でもたくさんの人と握手をしなければならないとか、
 お辞儀は深々と、極端な場合は土下座までするという作戦が出てくる。
 酒を飲み交わし、ご馳走をして集票するなどといった構造も残っている。
・理想の姿としては二大政党だろう。
 小選挙区制導入は、まさに二大政党によって選挙が争われ、その結果を政権交代に反映
 させていくという考え方に立っている。
・それは私も肯定するが、現実に比例代表制が並立されている以上、いくつもの政党が生
 まれる。 
 有権者の価値観が多様化している状況下ではそれでいいと考えている。
・アメリカやイギリスに代表される世界の小選挙区制の国は、まだかろうじて二大政党の
 ままだ。本当に、「かろうじて」なのである。
・カナダ、そしてインドも小選挙区制の国だが、しだいに多党化しつつある。
 地域政党も多い。
 小選挙区制だからといって必然的に二大政党となるわけではない。
 現にこのように、これまで二大政党だった国にも変化が出てきている。
・これだけいろいろな考え方が自由に語られる世の中になって、すべての政策を二つの政
 党に集約するのは無理なのかもしれない。
 国会で最終的に議決をとるときには、もちろん二つに分かれざるを得ないが、政策の考
 え方はいくつあってもいい。
・選挙制度が小選挙区制に変わろうと、政界再編が進もうと、民主主義であることには変
 わりはない。
 民主主義社会の大原則は、多数決。
 過半数を制した勢力が政権を握り、政策を実行に移す。
 言い換えれば、過半数さえ取れば政権を握ることができる。
・そこから、政策などはそっちのけど、まず数を揃えることを優先させるという考え方を
 とる人たちが出てくる。 
 これが「数の論理」と呼ばれ、自民党の総裁レースなどがその典型であった。
 民主主義のルールを逆手にとった権力掌握術とくことだろう。
 同じようなことが、二大政治勢力時代にも続くことになる。
 警戒しなければならないのはイタリアのように政党の特定のボスの取引で合従連衡が行
 われることである。
 政策不在の密室の工作が主流になることだけは避けなければならない。
・多数決は、つきつめると人間社会をどう治めていくかという方法論である。
 大多数の合意と納得のうえで政治を進める。
 これが民主主義の本質であり、これに代わる新しい政治のルールはいまのところないの
 だ。 
・しかし、多数決がときどき間違うことがある。
 また多数のゆえに横暴に走ることがある。
 消費税の導入はそのケースかもしれない。
 あのときは、政治家が「やりません」と約束しておいて、やったのがいけなかった。
 そのせいもあって、五年前の導入のときは、反対、反対の大合唱となった。
・いまでもまだ反対の声はある。
 だが、消費税の必要性は、かなりの理解を得るところにまではきたのではないか。
 大衆こそ短期的には、やや間違った判断をしても、最後には正しい判断を下すと、私は
 信じている。 
・政治家が嘘をついた点については、政治家自身が大いに反省しなければならない。
 昭和61年(1986年)だった。当時の中曽根総理は選挙中、明確に「大型間接税の
 導入はしません」と言った。
 自民党の方針としても「導入せず」と発表され、選挙運動中の私のところにも党から指
 示がきた。そのことを堂々と公言して選挙を闘えという内容だった。
 その年の総選挙は、自民党が3百議席を獲得するという圧勝だった。
 質問を受け付けるというので、私は真っ先に手をあげた。
 「最近、新聞を見ますと、やらないと公約したはずの大型間接税を導入するかのごとき
 報道がしばしば出てまいります。私個人としては、早晩、間接税を導入しないと日本の
 財政はもたないと思っています。しかし、あれだけ明確に言い切った以上、してはなら
 ないと思うのですが、いかがでしょうか」
 総理は答えた。
 「それは私に任せておいてください。信じてついてきてください。政治にはいろいろ
 な知恵が必要なのだということを、みなさんも理解しなくてはいけない」
・当初は売上税と呼ばれた消費税はここからスタートした。
 その結果、平成元年七月の参院選は、リクルート問題もからんで、自民党は歴史的な大
 敗を喫した。 
・基本的には新たな税負担は嫌だという有権者の反応があったのだろう。
 そこに加えて、「やっぱり嘘をついたじゃないか」という批判もかなりあった。
・政治家の立場から見ると、国民世論の中にも疑問を感じることはままある。
 国民が主権者であり、政治の主人公であることは言を待たない。
 だが、政治に毎日関心を持ち、勉強するほどの余裕はないというのが国民の大多数では
 ないだろうか。 
 自分の生活で精一杯という人もいる。
 だから、何か問題が持ち上がっても、直感的に判断する場合も出てこよう。
・そういうときには、判断材料を正直に提出し、根気よく時間をかけて、理解を深めても
 らう以外に方法はない。 
 その努力を避けて、結果的にせよ、嘘をつくということはあってはならない。
・国民大衆の理解、納得を無視して政策を決定していくなら、民主主義は終わりである。
 時間、手間がわずらわしいのは当然と思わなくてはならない。
・国会の中も同じである。
 反対するグループ、党に対しても同様の姿勢で臨まなくてはいけない。
 反対勢力を説得するのは時間がかかって面倒だと、一方的に審議を進める方法は、民主
 主義のルールになじまない。
   
「さきがけ」の結成
・政界には、表面化しない話が多い。
 政権が変わったり、新しい派閥が結成されるときなどはとくにそうだ。
 それが、国民の側から見れば政治家の行動はわかりにくいという印象を与えてきたこと
 は事実だろう。
 ポストをめぐってよからぬ噂が流れたこともある。
・時と場合によっては秘密を守ることが重要なこともある。
 外交がそうだし、特定の人に利益を与えないために金利政策や証券対策なども秘密が必
 要だ。 
・だが、いったん事が明らかになった場合にはプロセスを説明することが必要だ。
 政治を国民に考えてもらう材料にもなる。
 
・平成元年(1989年)、リクルート事件で竹下内閣が総辞職し、宇野政権、海部政権
 と続いていくが、そのさいにも私たちは”政治改革を推進する人を総理に”という行動を
 起こした。
 自民党内には議員たちのいろいろな会があるが、われわれはもっとも活発な活動を続け
 てきたという自負を持っていた。
 いわば同志的な雰囲気が育まれてきた。
 風当たりが強くなればなるほど、ますます結びつきは強くなった。
・風当たりが強いということでは、竹下政権後の総裁選びで私たちが伊藤正義氏を擁立し
 ようとしたときがそうだった。
 所属する派閥のボスではなく、他派閥の人を推したのだから、幹部はカンカンだ。
・私自身も、ソ属していた安倍派の幹部からこう怒鳴られた。
 「派閥というのは親分が右向けといったら右を向き、左向けと言ったら左を向くもんだ。
 それに従えないようなら、派閥から出ていけ!」
・私は反論した。
 「なぜ、あなたにそんなことを言われなきゃいけないんです。安倍さんが出ていけと言
 うなら出ていくが、あなたに言われる筋合いはない。第一、派閥はそんな親分子分の集
 団だとは思っていませんよ」
・しかし、私たちの発言や行動を裏切るようにして、スキャンダルは続発した。
 佐川急便事件、金丸事件。
 それでも党内には、改革反対の人が依然として大きな勢力を保っていた。
 
・政治理念
 @憲法を尊重する。時代の要請に応じた見直しの努力も傾ける。
 A侵略戦争を繰り返さない決意を確認し、政治的軍事的大国主義をめざすことなく、
  世界の平和と繁栄に貢献する。
 B美しい日本列島、美しい地球を将来世代に継承する。
 C日本の文化と伝統の拠り所である皇室を尊重するとともに、政治の抜本的改革を目指
  して、健全な議会政治の確立を目指す。
 D自立と責任を時代精神に据え、社会的公正が貫かれた「質実国家」を目指す。
・戦後の日本の平和と繁栄は、やはりこの憲法があったからだという認識を全員が持った。
 半世紀近い歩みの中で憲法が果たしてきた役割を、肯定的に、しかももっと積極的に評
 価していこうということだ。
・戦後、日本では第二次世界大戦の反省がきちんと行われていなかったのではないかと思
 う。
 敗戦国となり、日本は事実上、アメリカの占領下にあった。
 その間、極東軍事裁判が始まり、戦争犯罪人が裁かれたが、これは戦勝国による一方的
 な判決であったと見ていい。
 われわれ日本人は、ただ固唾をのんで見守るしかなかったのである。
・日本人自身による戦争への反省がきちんと行われるゆとりもないまま、世界は一挙に二
 極化して東西冷戦と呼ばれる情勢となった。
 そして、隣国で朝鮮戦争が始まった。
 日本は、吉田茂首相の路線で、アメリカ側すなわち西側陣営の一員となり、やがて安保
 条約によってがっちりと冷戦構造の中に組み入れられていく。
・遅いけれども、いまこそ、あの戦争とは何だったのか、日本の戦争責任とは何かという
 総括と反省をする必要がある。
 日本がアジア各国に大きな被害を与えた責任をもう一度改めて認識するとなしに、これ
 からの日本が堂々と胸を張って再出発することはできないと思う。
・西ドイツでは戦争の総括が厳しすぎるくらい行われていた。
 ナチスがユダヤ人に対してとった非人道的行為を徹底的に反省していた。
 国際的にもその姿勢をはっきり打ち出しているし、国内の政治や教育のレベルでも具体
 的な方法で取り組んでいる。
・それに比べて日本は責任を問う努力を放擲してしまった。まだ不十分である。
 国会の中ですら戦争肯定論が堂々とまかり通っている。
 テレビ、映画、出版物などを見ても、あの戦争を肯定したり、美化した作品が少なくな
 い。  
・こうした日本の現状に目を向け、二度と侵略戦争はしない、軍事大国の道は歩まない、
 軍事大国につながるような軍事パワーを持つ政治大国の道を求めない。
 そういう決意を持とうという結論に達した。
・まず日本が量よりも「質」に目を向け、「実」のある生活を実現していく必要があるの
 ではないだろうか。「質実国家」の提唱である。
 少し固い言い方をすれば、環境保全型の社会経済システムということになろうか。
・国家だけでなく、国民の一人ひとりが、物質の量や形の虚栄を追い求めるのではなく、
 「質実」を考えるときにきていると思っている。
  
まちづくりから国づくりへ
・国づくりを考えるとき、私は「国の豊かさは地方の総和である」と考えている。
 それぞれのまちが、個性あふれる豊かさを実現する。歴史的にも文化的にも、地域が個
 性豊かなまちづくりをする。
 それが全国各地で繰り広げられたとき、国はほんとうに豊かになるという考え方だ。
・国づくりには二つの方法がある。
 国全体からまちづくりを考えていく方法と、地方の積み上げから国づくりを考える方法
 だ。 
 前者は効率的ではあるが、すべてのまちが画一的になる可能性は大きい。
 後者は、やや効率性に欠けるが、個性は強調される。
 私は後者がまちづくりの基本だと思う。
・日本が世界でキラリと光る国を目指すように、地方の日本の中でそれぞれがキラリと光
 るまちづくりを目指す。「顔」のあるまちになる。
 それが、競い合うようになることが国の豊かさに結びつくのである。
・ところが、これまでの日本のまちづくりは自治のまちづくりではなかった。
 日本から個性ある街並みがつぎつぎと姿を消す。
 戦後日本の経済成長を象徴するように能率、効率本位のまちづくりが行われていた。
 日本全体を効率的にとらえた発想の産物である。
 中央からのまちづくりの発想が強すぎた。
・憲法で言う地方自治の本旨とは、「地方のことは地方で決める。地方のことは国は口や
 手を出さないこと」だと私は思っている。  
 もちろん国と地方は対立する関係ではなく、ともに協力していく立場にあることは言う
 までもない。
・これまでが、あまりにも国主導の地方行政が行われてきたのである。
 国と地方の関係がアンバランスであった。
 たとえば霞が関にある中央官庁と地方自治体の役所を比べて「お上」と言えば中央官庁
 を指す。
 国があまりにも地方に大きな影響力を持っていた結果だ。
・原則としては、国は地方が自主的にまちづくりができるようにするための条件を整備し
 ていくべきだ。 
 規制緩和、行政改革によって地方に活動の自由を与える。地方分権である。
・地方分権が推進されると中法の仕事は減り、行政改革も同時進行することになる。
 まず地方から中央の重しを取り除くことから、まちづくりを始めなければならない。
  
小さくともキラリと光る国
・戦後日本の出発点は廃墟であった。
 どん底の国から日本は立ち上げざるを得なかった。
 国民は生きることが精一杯で、国家も経済の再建というただ一点に集中して走ってきた。
・戦後まもない時期に、吉田茂首相を中心に日本の対外的な政治の枠組みがつくられた。
 過去の戦争の反省に立ちながら、自衛のために許される最小限の軍事力、それに昨日ま
 で戦った相手のアメリカと協調して日米安全保障という体制を選択した。
 これが吉田内閣によってつくられた日本の骨格である。
 その中で経済の復興、成長へとひた走りに走ってきた。
・しかし気がついてみると、1990年のイラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争
 に象徴されるように、世界が一致協力して行動を起こすとき、日本は仲間に加わること
 ができなかった。
 世界から、日本の一国平和主義を批判され、残念ながら、ただカネだけ出す国であると
 見られた。
・これは日本人にとって、たいへんショッキングな出来事だった。
 戦後のわれわれの生き方に水をかけられて、一瞬ハッと立ち止まったのではないだろう
 か。
 経済大国と自画自賛していた日本人が、国のあり方を考えさせられる場に戦後初めて立
 たされたのである。
・”エコノミック・アニマル”と世界から言われても、それは羨望から発せられる言葉と思
 っていた。
 経済成長こそが世界に誇り得る「日本の顔」と考えていた。
 ところが、いざ真っ正面から日本の進路が問われたとき、その誇りは各国の非難の前に
 もろくも崩れ去ってしまった。
 「顔」があると思っていたのに、世界は日本を「顔のない国」と見ていた。
・過去半世紀、われわれ自身は胸を張って語ることができる「顔」を作り出すことができ
 なかった。 
 むしろ「顔」を失ってしまったのかもしれない。
 世界の国々からは、日本は経済発展の著しい国だという認識は持たれているものの、
 いったに日本はどういう国なのか、何をしようとしているのか、どんな理想に向かって
 舵を取っているのか、さっぱりわからないという批判にさらされている。

・まず問われるのは私たち日本人一人ひとりの生き方である。
 あふれる物や便利さや飽食の中で、私たちは健やかさを失ってきてはいないか。
 先人が持っていたと言われる品位や凛々しさはどこへいったのか。 
 知識はいっぱい詰め込んでも、この世をしっかり生きていく知恵を持ち、人の道をわき
 まえているだろうか。
 「浮華」に生きて「質実」を忘れてはいないか。
・何よりも「キラリと光る国」は日本人一人ひとりの生き方にかかっている。
 人間として世界の多くの人々に何を感じさせ、それなりの評価を受ける存在になること
 が基本である。 
・もっと格好よい車が欲しい。もっと格好いい服が着たい・・・。
 そのためには、カネが欲しい。ポストが欲しい。
 それが最近の日本の社会だ。
 そうした欲望全開型の社会を背景にして、つぎつぎと政界スキャンダルも発生してきた
 と私は思っている。
 リクルート事件、共和事件、東京佐川急便事件、そして大手ゼネコンの贈収賄事件と、
 数え上げていくだけでもきりがない。
・これまでの政界、とりわけ自民党は日本社会の縮図であったと言っても言い過ぎではあ
 るまい。 
 政治家になるときには、誰もがみんな、国家、国民、そして世界のために働こうという
 理想を持っていたはずなのだ。
・ところが、現実の政治構造の中に身を置くうち、いつしか理想を追求していくことを忘
 れてしまう。
 とりあえず、政治資金を集め、ポストを駆け上がることが目標になる。
 理想の実現はその後だと考えてあくせくしているうちに、本来の目標は遠い彼方に霞ん
 でしまっているのである。
・政治家の使命は、世の中の悪いところを変え、社会を少しでも理想に近づけることであ
 る。 
 政治家は、つねに理想を掲げ、なおかつ現実主義者でなくてはならないと私は思ってい
 る。
・ちいさくともキラリと光る国を目指そう。
 「キラリ」とは何かというと、それは品格であり、凛々しさであり、美しさである。
 経済大国であっても、うぬぼれの強い、薄っぺらで、卑しい、と言われるような国であ
 ってはならない。
・小さくともいいということは、とくに軍事的な意味においてである。軍事的規模を経済
 にあわせてどんどん大きくしていく必要はないということだ。
・どんな形にせよ国の権勢を広げていくような、一種の覇権主義を否定したい。
 戦後の日本には、そんなことを考えている人はほとんどいないと思われるが、アジアの
 諸国では、第二次世界大戦の経験から、いまだに日本の姿勢を疑問視している人々が少
 なくない。 
・日本の国土は小さい。それでよいのだ。
 われわれの先人もこの小さな島国で生きてきたではないか。
 大きくしたいとか、他国を影響下に置こうなどと考えてはならない。
 この小さな国で、あらん限りの知恵をしぼり、立派に生きて行こうではないか。
・日本も世界各国並みに軍事的貢献を行っていくべきだという積極的な主張が少しずつ増
 えてきている。 
 なかには、憲法も思い切って変えようという意見、あるいは変えないまでも解釈だけで
 かなりの軍事的貢献ができるという主張もある。
 それぞれに、耳を傾けるに足る主張である。
 一概に間違っていると、言い切れるものでもない。
・だが、しかし、これだけは、みんなでしっかり考えよう。
 国民の一人ひとりが「来し方」を振り返り、「行く末」を見つけて間違いのない結論を
 出していかなければならない。
・これまで身につけてきた着物と帯とをかなぐり捨てて、鎧兜に身を固め、銃を構えて国
 際社会に乗り込んでいくしか道がないのだろうか。
 私は非軍事的分野こそ、世界が日本の積極的な登場を切実に期待していると考えている。
 この分野こそ、何よりも鋭い眼を向け、真摯に可能性を探るべき時がきていると信ずる。
・世界の指導者も、国連も、目の前の軍事的衝突をどう解釈するかということに追われて
 おり、日本もまた国連加盟国の一員として無関心でいられないのは当然である。
 しかし、かといって国連に加盟するすべての国が、紛争地域に駆けつけたところで、容
 易に火は消せるものではない。
・地域的な紛争の原因は、民族問題、宗教的対立などさまざまな問題を抱えている。
 しかし、その背景に貧困という問題が存在していることに目をつむることはできない。
・不幸にしてそれぞれの国の間には大きな貧富の差がある。
 富める国と貧しい国の差は拡大するばかり。
 日本や欧米の先進27カ国で世界の富の80パーセントを占めてしまった。
 人々のマジョリティは貧しい側に置かれている。
・この差を縮めていかないかぎり、紛争の種を永遠になくすことはできないのではないか。
 世界の指導者たちは、国内の政治や、自国の経済問題の解決に追われていて貧しい国々
 の問題に目を向ける余裕がない。
   
・最近は国連を語るとき、安全保障の側面だけが突出して議論される傾向がある。
 冷戦終了後は、世界各地で頻発する地域紛争をどう収めるかということが国連のきわだ
 った仕事になってきているからである。
・日本でも、常任理事国入りが大きな焦点になってきている。
 私は無理してなろうとしている印象は与えないようがよいと思う。
 請われれば堂々とその役を引き受ければいい。
 そして、アジアの一員として、世界の貧しい百数ヵ国の声を代弁するユニークな常任理
 事国として大いに活躍すればよいと思う。
・私は「地球政府」と「地球議会」の構想を真剣に議論する時期にきていると思う。
 主権国家の集まりでは、理性的な世界意志の形成は遅々として進まないと思うからであ
 る。 
 とくに利害が錯綜していたり対立している場合、さらにはグローバルで長期的には人類
 の存亡がかかわるような問題については、国家を超える何らかの政治意志の働きを認め
 ざるを得ないところにきているということである。
 
あとがき
・人間は大自然の摂理の中で、動物の一つの種として生かされている。
 絶妙な生態系の秩序の中で私たちは生きているのだ。
 この絶妙な秩序というのは、人間を超える存在ではないかと思う。
 神の世界、仏の世界、表現は、思いによって違うが、宗教の世界だと思っている。
・人間は小さな、か弱い存在だということを、忘れているのではないだろうか。
 この世に忽然と現われ、たくさんの人と出会い、あるときは喜び、あるときは怒り、悲
 しむ。 
 そして数十年の人生を終えて、再び忽然と消えていく。
 それが人間である。
・人間の存在の小ささを、自ら意識しつつ、限られた人生をいかに魅力的に、いきいきと
 生きていくか。
 小さくともキラリと光る国、それは一人ひとりがいきいきと輝いている国である。