バカの壁  :養老孟司

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学校での試験の正解は一つであるが、世の中の問題の正解は一つではない。世の中は、そん
なに単純には、できていないからである。しかし、人はそれに一つだけの正解を求めようと
したり、正解を一つだけにしようとする傾向がある。そのほうが、その人にとって都合がよ
かったり、苦労しなくて済むからである。
情報化社会の現代においては、人々は、世の中のことについては、大概知っているような錯
覚にとらわれている。しかし、それは錯覚であり、物事の本質を知らないまま暮らしている
ことが多い。今回の福島の原発事故についてもそうである。原子力発電や放射能について、
知っているようで、実は何も知らなかったということを、思い知らされた人も多いのではな
いだろうか。我々は、世の中の「常識」と言われるものを、そのまま鵜呑みにして、あまり
疑うことなく、物事の本質を知ろうとしないまま、脳天気に過ごしてきたということはない
だろうか。
さらに、人間の欲望とは厄介なものである。人間にも動物にも欲はある。食欲、性欲など単
純な欲は、人間も動物も同様である。これらの欲は、遺伝子的に制御がついており、いった
ん満たされれば、とりあえず消える。しかし、脳が発達した人間には、この単純な欲以外の
欲も備わった。そしてこの欲は、制御がついていない。「もっともっと!」と、際限がない
欲である。
この制御がない、ブレーキのない欲が原因となって、やがては人類は、滅亡するのではない
だろうか。そんな気がしてならない。

まえがき
・もともと問題にはさまざまな解答があり得るのです。そうした複数の解を認める社会が私
 が考える住みよい社会です。でも多くの人は、反対に考えているようですね。ほとんどの
 人の意見が一致している社会がいい社会だ、と。
・人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。とりあえずの答えがあるだけです。私
 はそう思っています。でもいまの学校で学ぶと、一つの問題に正解がひとつというのが当
 然になってしまいます。本当にそうか、よく考えてもらいたい。

「バカの壁」とは何か
・自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存
 在しています。これも一種の「バカの壁」です。
・当たり前のことについてのスタンスがずれているのに、「自分たちは知っている」と思っ
 てしまうのが、そもそもの間違いなのです。
・日本には、何かを「わかっている」のと雑多な知識がたくさんある、というのは別ものだ
 ということがわからない人が多すぎる。
・現代においては、そこまで自分たちが物を知らない、ということを疑う人がどんどんいな
 くなってしまった。皆が漫然と「自分たちは現実世界について大抵のことを知っている」
 または「知ろうと思えば知ることができるのだ」と思ってしまっています。
・本来、人間にはわからない現実のディテールを完全に把握している存在が、世界中でひと
 りだけいる。それが「神」である。この前提があるからこそ、正しい答えも存在している
 という前提ができる。それゆえに、彼らは科学にしても他の何の分野にしても、正しい答
 えというものを徹底的に追及出来るのです。唯一絶対的な存在があってこそ「正解」は存
 在する、ということなのです。
・ところが、私たち日本人の住むのは本来、八百万の神の世界です。ここには、本質的に真
 実は何か、事実は何か、と追及する癖がない。それは当然のことで、「絶対的真実」が存
 在していないのですから。これは、一神教の世界と自然宗教の世界、すなわち世界の大多
 数である欧米やイスラム社会と日本との、大きな違いです。
・「常識と雑学を混同している」とは、こういう状況を指しているのです。膨大な「雑学」
 の類の知識を羅列したところで、それによって「常識」という大きな世界が構成できるわ
 けではない。しかし、往々にして人はそれを取り違えがちです。

「個性を伸ばせ」という欺瞞
・人間の脳というのは、こういう順序、つまりできるだけ多くの人に共通の了解事項を広げ
 ていく方向性をもって、いわゆる進歩を続けてきました。マスメディアの発達というのは、
 まさに「共通了解」の広がりのそのものということになります。
・ところが、どういうわけか、そうした流れに異を唱える動きがあります。「個性」の尊重
 云々というのがその代表です。
・しかし、これは前述した「共通了解」を追求することが文明の自然な流れだとすれば、お
 かしな話です。明らかに矛盾していると言ってよい。多くの人にとって共通の了解事項を
 広げていく。これによって文明が発展してきたはずなのに、ところがもう片方では急に
 「個性」が大切だとか何とか行ってくるのは話がおかしい。

万物流転、情報不変
・知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わっ
 てしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までとほとんど同じ世界でも。

無意識、身体、共同体
・昨今は不況のせいで、どこの企業でもリストラが行われている。しかし、本当の共同体な
 らば、リストラということは許されないはずなのです。リストラは共同体からの排除にな
 るのですから、よほどのことがないとやってはいけないことだった。
・本来の共同体ならば、ワークシェアリングというのが正しいやり方であって、リストラは
 昔でいうところの「村八分」。だから、それを平気でやり始めているあたりからも、企業
 という共同体がいかに壊れているか、ということがわかる。
・オウム真理教の問題では彼らをもはや日本人とは受け止めていない。マンションにやって
 来られては迷惑だ、というのはわかるけれども、地方自治体までもが転入届を拒んでいる。
 完全に共同体から排除してしまおうとしています。彼らの子供には何の責任もないのに学
 校に行けないようにした。これもかつでは考えられなかった共同体の崩壊の表れでしょう。
・彼は、一貫して「人性の意味」について論じていました。そして、「意味は外部にある」
 と言っている。「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存
 在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に
 周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、
 意味を意味出せる場はまさに共同体でしかない。
・現代人においては、「食うに困らない」に続く共通のテーマとして考えられるのは「環境
 問題」ではないでしょうか。環境のために自分は共同体、周りの人に何ができるか、とい
 うこともまた人生の意味であるはずなのです。
・年々、自殺者が増えているということは、直接的には不況などが原因になっているとはい
 え、突き詰めれば人生に意味を見いだせない人が増えている、ということに他なりません。
・意味を見いだせない閉塞感が、自殺を始めとした様々な問題の原因となっています。日本
 のサラリーマンは大半が天変地異を期待している。もはや自分の力だけでは閉塞感から脱
 することができない、という無意識の表れでしょう。実際には意味について考え続けるこ
 と自体が大切な作業なのです。
・人間は悩むのが当たり前で、生きている限り悩むものなのです。それなのに悩みのある
 こと、全てがハッキリしないことをよくないことと思い、無理やり悩みをなくそうとした
 挙 句、絶対に確かなものが欲しくなるから科学なり宗教なりを絶対視しようとする。
・我々は脳化社会に暮らしていますが、そういう自覚ができていない。いつのまにか、身体
 を忘れ、無意識を忘れ、共同体を意識しないままに崩壊させてしまっている。今の状態が
 昔から不変で当たり前のように思っている。
・オウム問題、外務省を始めとした役所の問題、多くのことの根はここにあるのではないで
 しょうか。ここの社会問題についての原因探しも必要ですが、結局のところ、それを生み
 出している土台はなにか、ということについての議論がなされていないように思います。
・都市化が起こったときの一番の大きな影響は、本来、十代の半ばで職業につくはずだった
 若者たちが、職業につかないで大学に行って遊ぶ暇ができたことです。これが大学紛争の
 原因です。この時、初めて人類の若い人に余暇ができた。
・つまり、それは働かなくちゃ食えないという状態が前提だったのに、働かなくても食える
 という状態が発生してきた。
・ホームレスというのは典型的なそういう存在です。ホームレスを生み出すのは必ず都会で
 す。ホームレスは否定的に見られるし、蔑まれたりもします。しかしよく考えると、実は、
 それは私たちが子供だった頃には理想の状態だったはずなのです。何せ彼らは「働かなく
 ても食える」身分なわけですから。

バカの脳
・客観的に測りやすい「記憶力」。これを機械的な記憶力で測っていたら、世間でいうとこ
 ろの「賢い」人が一番になれるわけではない。大概、一番優れているのは、実は社会生活
 に適応できないようなタイプの人です。
・何かの両力に秀でている人の場合、別の何かが欠如している、ということは日常生活でも
 よく見受けられます。これは脳においても同じようです。
・社会的に頭がいいというのは、多くの場合、バランスが取れていて、社会的適応が色々な
 局面でできる、ということ。逆に、何か一つのことに秀でている天才が社会的には迷惑な
 人である、というのは珍しい話ではありません。
・脳は、往々にして運動に対して抑圧的な働きをします。あくまでも一般論ですが、小学生
 ぐらいで活発で運動のできる子はあまり勉強ができないし、勉強ができる子は運動が苦手
 だったりすることが多い。
・昨今問題になっている「キレる」という現象については、実はかなり実験でわかってきて
 います。結論から言えば、脳の前頭葉機能が低下していて、それによって行動の抑制が効
 かなくなっている、ということなのです。
・我々が「意思」、もっと平たく言えば、「やる気」などと呼んでいるところに問題がある
 人は、この折り返し点=前頭葉のところに問題がある。この前頭葉機能が低下している時
 には、無気力の状態になる。

教育の怪しさ
・近年、学校での「ゆとり教育」とか「自然学習」といったものが盛んに唱えられるように
 なりました。こうした動きは、一見、これまで述べてきた「身体」なり「無意識」なり、
 「自然」なりを意識させることに繋がるように思えるかもしれません。が、実際にはまっ
 たく意味がない。頭でっかちになっている。小学校で、必ず自然学習なんて言って申し訳
 程度に田舎に連れて行くけれども、ある種の骨抜きでしかない。
・教育現場にいる人間が、極端なことをしないようにするために、結局のところ何もしない
 という状態に陥っているという現実があります。実際には、物凄く厳しい先生は、生徒に
 嫌がられるけど、後になると必ず感謝される。それが仮に間違った教育をしても、少なく
 とも反面教師にはなりうるということになる。が、最近ではそんな厳しい先生はいなくな
 ってきた。下手なことをして教育委員会やPTAに叩かれるよりは、何もしないほうがマ
 シ、となるからです。
・反面教師になってもいい、嫌われてもいい、という信念が先生にない。なぜそうなったか。
 今の教育というのは、子供そのものを考えているのではなくて、先生方は教頭の顔を見た
 り、校長の顔を見たり、PTAの顔を見たり、教育委員会の顔を見たり、果ては文部科学
 省の顔を見ている。子供に顔が向いていないということでしょう。
・よく言われることですが、サラリーマンになってしまっているわけです。サラリーマンと
 いうのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない。職人というのは、
 仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任をもたなくてはいけない。
・現在、こういう教育現場の中枢にいるのが所謂「団塊の世代」です。大学を自由とか何と
 か言って闘ってきた世代の人がそうなっちゃっているというのはおかしなことに思わる
 かもしれません。が、私は学園紛争当時から、彼らの言い分を全然信用していなかった。
 案の定、その世代が今、教師となり、こういう事態を生んでいる。
・問題は生徒の将来ではなくて、ごく小さな共同体の論理が先行している。だから「退学」
 は言葉通り、生徒の追放、その後のフォローは無い。どこかリストラという形で社員を追
 放する会社にも似ています。
・そもそも教育というのは本来、自分自身が生きていることに夢を持っている教師じゃない
 と出来ないはずです。突き詰めて言えば、「おまえたち、僕を見習え」という話なのです
 から。要するに、自分を真似しろと言っているわけです。それでは自分を真似しろという
 ほど立派に生きている教師がどれほどいるのか。結局のところ、たかだか教師になる方法
 を教えられるだけじゃないのか。
・私は、学生に人間の問題しか教えない。これは面白いことだ、と自信がある。解剖は解剖
 で面白いから、教えろ言われれば教えるけど、二の次。いずれにせよ、自分が面白いと
 思うことしか教えないことははっきりしている。
・学問というのは、生きているもの、万物流転するものをいかに情報という変わらないもの
 に換えるのかという作業です。それが本当の学問です。そこの能力が、最近の学生は非常
 に弱い。
・逆に、いったん情報化されたものを上手に処理するのは大変うまい。これはコンピュータ
 の中だけで物事を動かしているようなものです。すでにいったん情報化されたものがコン
 ピュータに入っているだけだから、コンピュータに何をどうやって入れるかということに
 は長けている。
・情報ではなく、自然を学ばなければいけないということには、人間そのものが自然という
 考えが前提にある。ところが、それが欠落している学生が多い。要するに、医者なんて言
 うのは、逆に言えば、そういうヒトそのもの、自然そのものを愛する人じゃなきゃできな
 いのに、現状はそうではない。
・一種の知的好奇心というか、無責任と言えば無責任なのですが、己の日常とは別の世界を
 見て自分で何か考える。こういう姿勢が当たり前だったように思います。
・こんな穴蔵みたいな教室で、俺みたいな爺の考えを聞いているんじゃない。さっさと外へ
 行って、身体を使って働け、と。そのほうが絶対にまともだと思うのです。実際には、彼
 らは働くどころか一時間目から寝ていたりするのですが。これはもう意識的世界が中心に
 なっているということなのです。意識的世界なんて言うのは屁みたいなもので、基本は身
 体です。それは、悪い時代を通れば必ずわかることです。身体が駄目では話にならない。
・意識的世界なんて屁みたいなもので、基本は身体です。それは、悪い時代を通れば必ずわ
 かることです。身体が駄目では話にならない。
・ 腹が減っては戦はできない、というのは真理です。江戸の侍が「武士は食わねど高楊枝」
 と言うけれども、そんなものは江戸だから言えることに過ぎない。侍が飯食わないで侍の
 仕事ができるかと言えば、答えは明白、天下太平になってしまっているから、そこらへん
 に気がつかなくて呑気に言っているだけ。
・子供が今育っている環境は、私たちが育った環境と非常に違う。テレビは生まれたときか
 ら身近にあるし、体を使わないというのが非常に目立ちます。別に生物として子供が運動
 嫌いになってきたというわけではない。実際には子供たちを連れて山に行くと本当によく
 動いている。もともと子供は放っておいても動くものなのです。
・部屋に籠っているのは、単に動き回る、暴れまわる機会が与えられないだけなのだ、とい
 うことが逆によくわかる。大人にしてみれば、危ないから家の中で何かをしてくれたほう
 がずっといいんだなんて考えてしまう。それで団地なんかにいたら、虫に会うわけでもな
 いし、何もできない。ちょっと子供は不自然に育ってしまう気がする。

一元論を超えて
・合理化、合理化という方向に進んできて、今もその動きは継続している。が、それだけ仕
 事を合理化すれば、当然人間が余ってくるようになる。この余ってきたやつは働ないでい
 いのか。仮に、その分は働かなくてもいいという答えを出すなら、今度は働かない人は
 何をするのかということの答えを用意しなければならない。
・退社後、毎日が日曜日で何もすることがない老人は、それに近い状態です。しかし、彼を
 理想の境遇だという人はもはやなかなかいない。そのへんのことをまったく考えないまま、
 よく言えば無邪気に、悪く言えば無責任でここまで来た。にもかかわらず、いまだに合理
 化と言っている人の気が知れない。
・しかし我々は、何をどうシェアすべきかを真面目に考えるべきです。これは所得の再配分
 というふうに言い換えてもいいのですが、それだけでなくて仕事の配分をしなくてはいけ
 ない。
 ・純粋に機能主義をとれば、その人でなくてはできないことというのが、仕事によっては
 確かに存在している。その人にそれをやらせるとしても、それに対してどれだけの人がそ
 れをサポートして、そこから上がってくる収入なら収入をどういうふうに分配するかとい
 うのが、これからの社会の公平性を保つ上で非常に大きな問題です。
・人間をどういう状態に置いたら一番幸せなのか、ということは、政治が一番考えているべ
 きテーマです。実際には学者、哲学者が議論することが多いようにも思えますが、これは
 あまり意味がない。しみじみ思うのですが、学者はどうしても、人間がどこまで物を理解
 できるかということを追究していく。言ってみれば、人間はどこまで利口かということを
 追いかける作業を仕事としている。逆に、政治家は、人間はどこまでバカかというのを読
 み切らないといけない。しかし、大体、相手を利口だと思って説教しても駄目なのです。
 どのぐらいバカかをいうことが、はっきり見えていないと説教、説得はできない。相手を
 動かせない。従って、多分、政治家は務まらない。
・欲というのは、現代社会ではあまり真剣に議論されていない。欲を欲だと思っていない人
 が非常に多い。欲を正義だと思っている。要するに、人間の欲を善だというふうにしてし
 まうと、行き着く先は、鈴木宗雄氏とか、いわゆる金言政治家みたいになってしまう。
・欲というのは単純に性欲とか食欲とか名誉欲とかではなく、あらゆる物は欲だといえる。
 権力指向ももちろんよくの表れでしょうが、学問では、それが理屈とか思想という形で
 出てくるのです。ジャーナリズムにおいても、ある意味では多くの人の意見を自分た
 ちの考えで統一しようという欲が裏にある。
・結局、そう考えていくと、全てのものの背景には欲がある。その欲を、ほどほどにせいと
 いうのが仏教の一番いい教えなのです。誰でも欲を持っているので、それがなければ人類
 が滅びてしまうのはわかっている。しかしそれでも野放図にやるのは駄目だと。
・欲にはいろいろ種類がある。食欲とか性欲というのは、いったん満たされれば、とりあえ
 ず消えてしまう。これは動物だって持っている欲です。ところが、人間の脳が大きくなり、
 偉くなったものだから、ある種の欲は際限がないものになった。金についての欲がその典
 型です。キリがない。要するに、そういう欲には本能的なというか、遺伝子的な抑制がつ
 いていない。すると、この種の欲には、無理にでも何か抑制をつけなくてはいけないのか
 もしれない。
・欲望が抑制されないと、どんどん身体から離れたものになっていく。根底にあるのは、そ
 の方向に進むものには、ブレーキがきかない、ということです。
・乱暴に言えば、こんなことを心配しても出だしはできないのだから、とりあえず人間の脳
 から出る欲が、外的要因によって否応なく制限されるまで待つしかないのかもしれません。
 しかし、それをやっているうちに取り返しのつかないことが起こる可能性が高い。その代
 表例が環境破壊です。それを防ぐには、実の経済に根を下ろさなくてはいけないのではな
 いか。虚の経済とは切り離してしまう。実の経済はきちんと動いているから、金の取り合
 いはおまえら自由にやってくれ、といいたいところです。
・ところが実際には、無駄にお金を回し続けないと経済は成り立たない、という思い込みが
 世界の常識になっている。実の経済と虚の経済があるということは常識になっていない。
・都市宗教は必ず一元化していく。それはなぜかというと、都市の人間は実に弱く、頼るも
 のを求める。百姓には、土地がついているからものすごく強い。その強さは、例えば成田
 闘争を見ればわかる。もう何十年も国を挙げて立ち退きを迫っても、頑として動かない。
 これに限らず、昔から支配者は百姓をぶっつぶそうと思って大変な苦労をしてきた。
・江戸時代でも、士農工商と支配階級を固定化して、武士だけに武器を持たせ、徹底的に有
 利にしておいて、やっと百姓とのバランスが取れていた。それぐらい、都会の人間という
 のは弱い存在なのです。
・この強さは、人間にとっては食うことが前提で、それを握っているのは百姓だということ
 に起因しています。なにも難しい話ではない。修正直後の混乱期に、高い着物を一反持っ
 て行って、米は少ししかこれないということはざらでした。そんなことは、私の世代では
 体験的にわかっていることです。
・基盤となるものを持たない人間はいかに弱いものか、ということの表れです。しかし、今
 はほとんどの人が都会の人間になっていますから、非常に弱くなった。その弱いところに
 付け込んでくるのが宗教で、典型が一元論的な宗教です。
・この辺りの硬直性を見ると、考え方が戦前に近くなっている人が増えているような気がす
 る。一神教的な考え方は日本の中にだってたくさんあります。
・原理主義が育つ土壌というものがあります。楽をしたくなると、どうしても出来るだけ脳
 の中の係数を固定化したくなる。それは一元論のほうが楽で、思考停止状況が一番気持ち
 いいから。