「アラブのこころ」   :曽野綾子

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 この本は、今から30年ぐらい前の1976年頃に書かれたものであるから、当時の状況と今の状
況とでは、かなり違っているのかもしれない。しかし、30年前と同じように、今もアラブ世界は日
本から見ると未だに未知の世界、未知の社会である。
 30年前とは言え、一人の女性がその未知のアラブ世界を旅して、自分で見聞きしたアラブの実情
を記したこの本は、今でも価値があると私には思える。この本が出版された当時は、この本は「アラ
ブの告発の書」であると評されたり、「アラブをけなした、けしからぬ書」と非難されたりしたらし
い。それだけこの本は、アラブの現実を包み隠さず正直に書き述べたものであったと、言えるかもし
れない。
 アラブに関して、私はほとんど知識を持たない。持っている知識と言ったら、アラブ社会ではお酒
は禁止とか、豚肉は食べないとかぐらいであろう。アラブ社会での女性の扱われ方についての知識は、
ほとんど持っていなかったので、とても興味深かった。今でもこのような伝統が続いているとしたら、
現代の日本の女性は、アラブ社会でやっていける人は少ないであろう。アラブ人と結婚する女性は、
相当の覚悟が必要であると言える。
 アラブ世界と日本とでは、その自然環境は両極端にある。人間の習慣や考え方は、自分の生まれ育
った自然環境に大きく影響を受ける。アラブ人と日本人とでは、思考のベースが全く異なっているの
であろう。我々日本人は、常に自分たちが標準であると思いがちであるが、実際には、日本社会のほ
うが、特殊であることが多いらしい。アラブ社会が異質なのではなく、日本社会が特殊なのかもしれ
ない。我々はとかく外国人と言えども、それほど日本人とは違わない。話し合えば分かり合えると、
思いがちであるが、そうでない場合が多いことを、十分認識しておくべきなのであろう。

乾いた国への誘い水
 ・砂漠の上空は、雲ひとつなく晴れ上がっているというのは嘘であった。我々はしばしば、濃い雲
  の中を飛んだ。そして雲が切れた時に見下ろすと、下は、白々とした、黄色い、時には、微かに
  赤味を帯びた砂漠であった。よくもまあ、これほど水のない土地がつづくのだろう、と思うほど
  の砂漠であった。
 ・「つまりエジプトは一本なんですよ。ナイルに沿って緑が一本の糸のようにつながっている。そ
  れだけがエジプトなんですよ。ほかの土地はいくらあっても、不毛の土地だから、使いものにな
  らないんですよ。」たとえ国家の全面積の八割が山地であろうと、そこに植林をして緑化できる
  日本とは、全く何もかも違う国家なのであった。
 ・日本人はさまざまな点でアラブ人たちと正反対の極にあるように見えるが、その違いの一つは、
  日本人は口では自分の周囲の状態にさまざま文句をつけるが、究極的には、他人を信じ、努力を
  信じる楽観型なのに対して、アラブ人は最後まで、他人を信じず、「愛」も人為的なものも信じ
  ない絶望的な姿勢に立っているということである。しかし、そのような姿勢は決してすぐさま、
  精神の不毛につながったりはしない。彼らの運命論的考え方は、長い間の彼らの苛酷な生活のな
  かでつちかわれたものであったが、同時に彼らの保身の術ともなった。
 ・普段、私は自分が女であることなどと、あまり意識したことはなかった。男の人の多い社会で暮
  らしていると、いいか悪いかわからないが、よけいな女らしさなど持ち合わせているとお荷物に
  なるばかりだから、中性的な精神を持っているほうが楽であった。しかし、アラブを旅行すると
  なるといやでも、自分が女であることを確認しないわけにはいかなかった。国によって差はある
  が、アラブ諸国の中には、未だに、女が、男に連れられないで外を出歩くなどということは考え
  られない、という国が多いのである。
 ・アラブには、未婚の母などはほとんどあり得ない。娘が女として一人前になると、間もなく顔を
  かくすようになる。どこか外へ出る時には、必ず、父か兄弟の護衛がつく。なぜ女たちを守るか
  というと、それは彼女らがあまりに強い性的欲求を持っているからだ、と思われている。
 ・男は女より優位にある。というのは、神がお互いの間に優劣をつけたもうたからであり、また男
  が金を出すからである。それゆえ、善良な女は従順であり、神が守りたもうたものを留守中も守
  るのだ。逆らう心配のある女たちにはよく説論し、寝床に放置し、また打っても良い。もし彼女
  たちが言うことを聞くなら、それ以上の手段にはしってはならない。まことに神には高く、かつ
  偉大であらせられる。
 ・イスラムの男は、キリスト教徒とユダヤ教徒の娘となら、相手がキリスト教、ユダヤ教を信じて
  いるままで結婚できる。しかし、その他の宗教の場合は、イスラムに入信しないといけない。イ
  スラムの女は、異教徒と結婚できない。

黒と白の人間
 ・イスラム教徒たちが日常守るべきことで、日本人がすぐ口にする特徴は、彼らが酒を飲まないこ
  とと豚肉を食べないことである。
 ・アラブ人の心を語るとき、日本人はかなり厳しい口調となる時があった。そして、その中には、
  もちろん、アラブ人を単純に責めている人もなくはなかったが、むしろ、彼らと日本人との間に
  横たわる、どうしようもない、本質的な違いについて、冷静な分析と悲しみをこめて語る人の方
  が多かった。
 ・アラブからみたら、日本人は、態度が不明確で、しかも突然変わるから困る、という印象を受け
  ているらしい。「日本人は、楽観的なんですなあ。話し合えばわかる、と信じている。建前とし
  ては結構である。日本人同士なら、できなくてもそれを続けて、努力していくことはいいことで
  す。」
 ・アラブの割算は、2で割るだけです。自分か、お前か、どちらの言い分が通るか。しかし、日本
  人は3以上で割る。相手と自分以外の立場というものがある。そういう姿勢はかつて、アラブの
  間にはないんです。アラブの間では、懐疑的な人間なんて、これっぽっちも美徳じゃない。負け
  ても、そこに、何がしかの意味がある、なんて考えは存在しない。負けたらそれでダメなんです。
  ですから、要するに勝つ側に立てばいい。ムリもないですな。それが砂漠に生きる者の原理なん
  です。砂漠はもともと生きるには厳しいところです。謙譲な美徳なんて発揮していたら存在して
  いけませんからね。時には身内の人間だろうと、自分の生を脅かすものは、追っ払わなきゃいけ
  ない。
 ・日本人は、精神と物質を、一応切り離して考えるんです。それどころか、時には、物質が精神を
  けがすような感覚を持つ人さえいる。しかしアラブの人はそうじゃありません。もし本当に、日
  本は石油がいるんで、アラブ諸国と仲よくしておきたいんだったら、女房にみやげを買うのと同
  じです。しじゅう連絡を保って、その心を具体的にあらわすのが当たり前だと思っている。日本
  の政治家にはそれがわかっていない。必要になってから、急に親しくなろうとしても、アラブで
  はことにダメなんです。 
 ・日本人以外のアラブの人たちと付き合っている間、私は時々、奇妙な捕われの気分になることが
  あった。それは相手の言う時間が、まことにその通り運ばないからである。東南アジアにも、中
  南米にも、インドにも数回ずつ行っているから、私は、時間が守られないことについては、かな
  り馴れてもいたし、むしろその気楽さを楽しめるほうだった。しかしアラブ人と時間について語
  り合っていると、虚空を手で掴むような頼りない思いになる。
 ・私は常日ごろ、気の長い人を尊敬していた。気の短い人間は、一見有能なようだが、長い目で見
  て、判断をあやまったり、エネルギーの使い方のロスが多すぎるように思うのである。しかし、
  アラブ通に言わせると、アラブ人は決して気が長くはない、という。
 ・アラブでは、男たちは娘や妻がふしだらにならないよう、或いは現実にふしだらなことがなくて
  も、あらぬ噂を立てられぬよう、厳重にとりしまる。万が一、そういうことが起きると、身内の
  男が、彼女を殺さねばならないことになる。そのようにして一般的な男から見て、初婚の相手は、
  処女であることに決まっており、新婚の夜に、処女のあかしをつけたハンカチを客に見せるとい
  う習慣は、まだ完全になくなっているというわけではないらしい。したがってそのような社会で
  は婚前交渉などというものは、論外である。
 ・一般にアラブの男は、ひどくやきもちだから、子供をほめることがいけないと同様、日本人のよ
  うに他人の妻を美人だと言ったり「奥さんはお元気ですか」と尋ねたりすることも、その夫の嫉
  妬をかき立てることになるので、慎むべきこととされている。
 ・コーランの「食卓の章」というのに、女と交わった時には、水を見つけられなかったら、清い砂
  を使って、顔と手をこすれ、というのがある。これは、夫婦の間で性的交渉を持った後には、頭
  から足まで、洗い清めねばならない、ということになっているあらである。
 ・しかし、別の日本人は、情夫と共謀して自分の夫を殺したケースの処刑を見ている。13年ほど
  前のことであった。刑の執行は金曜日の昼、集団礼拝の終わった直後であった。女は聖書にある
  通り、石打ちの刑に処せられた。ベールをかぶって公衆の前に引き出され、獄吏が山と積まれた
  拳大の石を投げて殺すのである。数分で倒れたが、医者が「まだだ」と言うと、さらにこと切れ
  るまで打ちつづけた。男の方は女が息途絶えた直後に首を切られた。

ラクダに関する夢と現実
 ・いったいラクダはどのくらいの速度を持つものなのだろうか。普通の早さでは、それは時速
  6.4キロくらい、明らかに人間より速い。並足と速歩で、時速9.6キロ。速歩で通せば
  12.8キロ。短い距離の全速は20キロにおよぶという。荷を乗せたラクダは普通時速6キロ
  近い速度で進む。そして人々は32キロごとくらいに一度ずつ休止するというから、約5時間ご
  とに停まるのである。もちろん、移動は冬は昼間、夏は夜である。
 ・果たしてラクダは、水がいらない動物だろうか。冬の間、草を十分に食べさせていれば、ラクダ
  には全く水をくれてやる必要はない。少しずつ暖かくなってきたら、7日から9日に一度。もっ
  とも暑い時には、できれば2日に1度与える。
 ・私たち日本人は、たとえば、隣人とどうにもうまく折り合いがつかなくなった時、最終的には、
  国家に頼ろうとする。「出るところに出て」「法の裁き」によって決着をつけようとする。しか
  し、アラブ人は、最終的には、自分の力でなんとかする。

闘う人々の横顔
 ・私は日本のよさも認めないわけにはいかない。ごく一部を除いて、官吏の汚職が極端に少ないこ
  と。小学校しか出ていなくても総理大臣になれる信じられないほどの実力主義。これほどに平均
  化され、しかもさらにその傾向を政治的にも進ませようとしている思い切った税制によって、き
  わだった金持ちも貧乏人もいないこと。女でも夜の町を歩ける治安が維持されていること。完全
  ではないが、全体主義国では考えられない言論の自由。ざっと思い浮かべてもこれらのことは日
  本人だけが当たり前と思っているが、外国の多くの国では、とうていたやすくは望み得ないもの
  なのである。
 ・私が今までに会った外国人のうちで、中国人とパレスチナ人が、個人的意見では統一された見解
  を本音より建前で述べる性格が著しく強いという点で類似性を持っているように見えた。
 ・「砂漠の民」には思いやりがない、ということは、私がいつも聞かされてきた話だった。そして
  私はここで次のことをはっきりさせておくべきであろう。譲り合うのがいい、と日本人が考える
  ことは自由である。しかしこの地球上の恐らく大多数の人間は、譲り合うことになどいささかの
  意義を認めていない、ということもはっきり確認すべきなのである。
 ・譲るという姿勢を通じてマルクスを考えると、マルクスの言う暴力革命や階級闘争は、あきらか
  に、譲る階級は徹底的に譲らされるという社会観に立っており、従って譲る側に廻ると損だとい
  う考え方をしている。それは人間が太古以来生き延びてきた根本の姿勢と、少しも矛盾してはい
  ない。人間は本来、譲らないものなのである。中国、ソ連、インドなど、私の知っている数少な
  い国でも、それぞれの理由で、譲ることが美徳という政治の姿勢など昔からとってはいない。ま
  さに、アラブ諸国こそ、その人間の原型を保っており、日本人の方が異様だということさえ言え
  るのかもしれない。