七三一部隊  :常石敬一

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この七三一部隊の行った蛮行を知ったとき、身の毛のよだつ思いがした。よく「この世の
中で一番怖いのは人間そのものだ」と言われるが、まさにそんな気がした。
この七三一部隊の行った蛮行は、あのドイツ・ナチス政権下で行われたユダヤ人の大虐殺
(ホロコースト)に匹敵する行いだろう。ナチス政権下においても、怖ろしい人体実験が
行われていたと聞く。ナチス政権下では、ユダヤ人に対して極端な人種差別が行われ、ユ
ダヤ人を人間として見なさず、おそろしい蛮行が平気で行われたようである。
七三一部隊においても、中国人に対して同様の人種差別の感覚があったのではないかと想
像する。そしてまた、そこには「個人は国家より下位である」という、強い国家主義の存
在がある。「国のため」「天皇のため」という言い訳が、本来なら決して行わない蛮行を
正当化したのだ。
このような蛮行は、なにも戦時中ばかりではない。戦後から半世紀経った時点において発
生したオーム真理教による地下鉄サリン事件においても、同じような構図が見られた。高
学歴のエリート医師たちが、その知識を使って猛毒サリンを密かに製造し、無差別な殺戮
を実行したのだ。そこには、七三一部隊と同じような「尊師のため」という正当化が行わ
れたと想像する。
そして、さらに驚いたのは、七三一部隊でそのような蛮行を行った医学者たちが、終戦後、
日本に戻り、医学界の要職に就いていたということだ。中国でおぞましい人体実験を行っ
て人を殺していた医学者たちは、日本の医学界に紛れ込み、平気な顔で医療行為を行って
いたという。今の日本の医学界には、そういう歴史があることを忘れてはならない。
戦後70年、今の日本は、過去の戦争の悲惨さが、すっかり薄れてしまっている。現在の
安倍政権には、そのような戦争を肯定するかのような動きすらある。昨今の「特定秘密保
護法」や「集団的自衛権行使容認」などの政府の動き見ても、そこには「個人より国家が
優先」という国家主義的思想が鮮明になってきている。安倍政権が言うところの「この道
しかない!」は、もしかしたら戦前の「国家主義の道しかない」ということなのしれない。
そうだとすると戦慄を覚える。

半世紀後
・七三一部隊というのは、1936年から1945年まで中国のハルビン近郊の平房に存
 在した「関東軍防疫給水部」の本部のことだ。隊員数3千人弱で、10年間に2千とも
 3千とも言われる人を人体実験によって殺害していた。人体実験の目的は、病気の原因
 の解明や生物(細菌)兵器開発のためとされていた。
・七三一部隊は生物兵器を実際に使用していた。攻撃した相手は旧ソ連であり、中国だっ
 た。また未遂に終わったが、1944年初夏にはサイパン島のアメリカ軍に対してペス
 ト菌攻撃を実行しようとした。生物兵器の戦争での使用は1925年に調印されたジュ
 ネーブ議定書で禁止されており、日本はこの議定書の調印式に加わったが、批准するの
 は1970年になってからのことだった。
・アメリカ軍は七三一部隊での人体実験の事実を、ソ連からの通報によって知ることにな
 った。
・憲兵隊は、逮捕したが有罪にする決め手がなく、しかし釈放もできない中国人について、
 ハルビンの七三一部隊に送るのだ。送られれば、人体実験の結果として殺害され、戻っ
 て来ることはあり得ない。
・結局、人間は理性が失われると、こんな残酷なことを平気でしてしまう可能性があるの
 だ。
・私たちは歴史を学ぶのではなく、歴史から学ばなければならないのではないでしょうか。
 そしてそのことを過去のあやまちとしてとらえるのではなく、私たち人間の問題として
 自分の中でとらえ直さなければならないのではないでしょうか。

資料隠匿
・日本において七三一部隊については、その存在、そこでの人体実験の遂行、そして部隊
 による生物(細菌)兵器の開発・使用などについて、1980年代以降、一般に知られ
 るようになってきた。
・七三一部隊による人体実験や生物兵器攻撃は、アメリカでは証拠に基づく周知に事実と
 考えられている。またアジア諸国においては、日本の侵略の象徴として中学・高等学校
 で教えられている。

石井四郎
・石井四郎は1920年に京大医学部を卒業し、陸軍軍医となった。
・医学者たちが競争に夢中になるのは、一つにはゲームの感覚があるのだろう。と同時に、
 大学の名誉という大義名分がある。これによって、多少の荒っぽいことも許されると錯
 覚してしまうことが起こる。つまり、研究は本当は自分の興味、そしてそれを発表する
 ことで得られるかもしれない自分の名誉のためにやっているにもかかわらず、大学の名
 誉のためにやっていると自らに言い聞かせることで、普通であれば自分に許さない行為
 でも、その口実の下に行ってしまうことが起こる。これが自分の所属する組織の名誉で
 はなく、一般的意味での医学の進歩のためというのであれば、医学者は皆同じ土俵の上
 にいるので、他の競争相手の研究者とそう違った特別のことはできない。
・被害者を殺すことを前提としている人体実験が許されないのは、やっている医学者自身
 がよく認識しているところだ。その認識に目をつぶり、あえて人体実験をするためには、
 何らかの言い訳が必要となる。逆に、言い訳を提供すれば、許されない人体実験でも道
 徳的問題から解放され、ためらいなくやってしまえるということも意味する。戦前の日
 本であればオールマイティに近い言い訳が、「国のため」であり「天皇のため」だった。

人体実験
・日本軍は中国で、1931年以降15年間で2千万人の中国人を殺したと言われている。
 その割には戦犯容疑で捕虜となったのが1109人とは少ない気がする。
 これは、1945年の日本の敗戦によって侵略が終わってすぐ、中国で再び国共内戦が
 始まったことが原因だった。国内の混乱のため日本人戦犯の摘発に手が回らず、その間
 に戦犯に該当しそうな日本人の多くが日本に帰ってしまったという事情があった。 

実戦使用
・1942年4月、日本軍は上海に近い地域で生物兵器作戦を開始した。この時は、南京
 の多摩部隊で増やしたコレラ菌を試験管に入れ、それを冷蔵庫に保管して飛行機に積み、
 目標地点に到着すると、そこで一気に投下した。この作戦では、1万人以上の被害が出
 た。赤痢とペストの患者も出たという。結局、コレラ患者を中心に1700人以上が死
 亡した。本来であれば、これは石井たちの大成果だ。だが、犠牲者のすべては日本兵だ
 った。日本軍が自ら生物兵器攻撃を行った地域に誤って踏み込んでしまったのである。
 非常に短時間のうちに、1万人以上にのぼる患者を出した。被害にあった日本兵は上官
 から、中国の生物兵器攻撃だと教えられたという。
・七三一部隊では、細菌爆弾や砲弾の改良や性能を調べるための屋外実験場を、部隊から
 西に200キロの安達に持っていた。安達実験場での残酷な爆弾実験は、新型爆弾の開
 発が追い込みにかかる1943年末以降活発化したことが、証言や資料からわかる。
・細菌爆弾の屋外実験は悲惨なものだった。これら爆弾実験では、1回に10人が犠牲と
 なるのが普通だった。10人の犠牲者は、半径10メートルの円形状、約6メートル間
 隔で打たれた杭に縛りつけられた。その真ん中、あるいは数十メートル離れた所でペス
 ト菌や炭疽菌の細菌爆弾を炸裂させ、それに感染するかどうかといった「実験」が行
 われた。炭疽菌爆弾の場合には、犠牲者は榴散弾の弾子で負傷し、血だらけとなる。犠
 牲者は怪我で死亡することのないよう、臀部以外の身体は布団でくるまれていた。弾子
 による傷口から炭疽菌が体内に入る。犠牲者は担架で部隊に運ばれ、そこでどのような
 傷であれば感染が起こるか、何日間で発病するか、そしてどのように死んでいくかも観
 察された。多くの場合、全員が感染し、数週間以内に死亡している。最後には内臓のど
 の部分が最もダメージを受けたかを明らかにするために、解剖された。

朝鮮戦争
・当然中国側は「防疫給水部」の実態を、つまり中国人が人体実験の末に殺されていたこ
 とを知っていた。それなのに彼らが当時そのことをあまり追求しなかったのは、日本軍
 の力によって抑え込まれていただけのことだ、ということは日本側も承知していただろ
 う。
・1950年6月、朝鮮半島の南北間で戦争、すなわち朝鮮戦争が始まった。
 翌年1951年に北側の外務大臣は、国連軍の中心である米軍による生物兵器攻撃のた
 めに挑戦北部でペストが流行している、という非難声明を出した。1952年6月、北
 側と中国によって組織された科学調査団が、ペストの流行地域に入った。調査団にはイ
 ギリスやイタリアなど、非共産圏諸国の科学者も加わった。
・調査団の結論は、朝鮮半島およびそれに隣接する中国東北部で展開されている生物戦は、
 かつて七三一部隊が行ったのと同じ方法によるものだ、というものだった。
・アメリカが石井たちに戦犯免責を与えて石井のネットワークの人体実験を含む研究デー
 タを独占的に入手した。 
・朝鮮半島でアメリカ軍が生物戦を行ったかどうかは、今日でもはっきりしない。状況証
 拠は多くあるが、決定的なものはない。
・アメリカが石井のネットワークの研究データを独占したのは、自国の生物兵器研究開発
 にとって有効だったからだ。いわゆる先進国や大国は、1930年代には生物兵器の研
 究に取り組んでいた。しかしアメリカは他国と比べると大きく遅れ、生物兵器開発のプ
 ロジェクトを開始したのは、1941年になってからだった。  
・日本、ドイツ、旧ソ連、イギリス、アメリカ、それにカナダの6カ国のうち、人体実験
 を行っていたのは日本とドイツ、それに旧ソ連だった。英・米・加は人体実験は行って
 いなかった。人体実験を行っていた国に共通しているのは、人に対する生物兵器の行っ
 ていたことだ。それ以外の国では、人が感染する病原体の研究は行っていたが、兵器開
 発は、対動物・対穀物用に限定されていた。
・対人用兵器の開発をしていなかった国では、対動物・対穀物用の生物兵器の開発を行っ
 ていたが、対動物用ということでは、英・加共同で炭疽、米・加共同で牛疽を使った兵
 器を開発していた。これ以外に米国では、終戦の年には穀物その他を攻撃する枯葉剤の
 開発に成功し、日本に対していつでも使える状態となっていた。使用しなかったのは、
 日本の水田を攻撃して稲の収穫に大きな影響を与えれば、終戦後その分だけ多く日本へ
 の食糧援助の必要が生じるだろう、という判断からだった。
・1945年以降アメリカでは、キャンプ・デトリックで対人用生物兵器の開発が行われ
 るようになった。これは石井のネットワークの研究データを引き継いだことも影響した
 と思われる。こうした研究開発の結果として、朝鮮戦争当時は生物戦の試行が可能な段
 階に入っていたと言える。
・朝鮮戦争でアメリカ軍は一時、原爆の使用も考えたという。そしてそのことが、マッカ
 ーサー将軍の解任につながったと言われている。彼がもし生物兵器を有効な兵器と判断
 していたら、それを使用していただろう。だが、その朝鮮戦争で、生物兵器は戦略的に
 戦略的には役に立たない兵器だという評価が確立した。戦前の石井機関での大規模な研
 究開発、またそこでの人体実験等の研究データを受け継いだアメリカの努力にもかかわ
 らず、生物兵器は戦略兵器へのブレークスルーを成し遂げられなかったのだ。
・ベトナム戦争でアメリカ軍が1961年から72年まで展開した枯葉剤の使用は、朝鮮
 戦争までのものとは違った新しい形の生物戦だった。すなわち、稲や麦といった一定の
 穀物を枯らすのではなくジャングル全体を枯らす、つまり生態系を徹底的に破壊したの
 だ。しかしこれは世界中の世論の反発を浴びた。
・1972年頃までにわかった生物兵器の弱点は、感染をコントロールできないことだっ
 た。また人が培養した病原体は天然のものと比較すると、感染力も、環境に適応する能
 力も低かった。それゆえに役に立たない兵器だった。しかし、これらを一変させる新し
 い技術が、1972年に開発された。遺伝子組み替え技術だ。
・現在進行中の人の遺伝子地図の解明が進めば、特定の人種や、特定の遺伝的特性を持っ
 た人に対してだけ有効な生物兵器の開発も不可能ではない。生物学や医学の研究は外見
 的には、それが軍事目的のものか、非軍事的なものかはわからない。軍事と非軍事とわ
 けるのは、極端なに言えば、研究者の判断や意思だけだ。
   
戦後日本
・七三一部隊の技師たちは、京都大学医学部およびその系列の大学から派遣された人が多
 く、戦後すぐにも京大とその周辺の大学に落ち着いた。彼らのうち何人かは1960年
 代末から70年代にかけて、医学部長や医科大学長、薬科大学長などに就任した。
・一方、軍医の場合はそう簡単ではなく、戦後、国立病院の医師等の、公的な職に就くこ
 とは許されなかった。そのため、後に「ミドリ十字」を興す、元軍医は敗戦からしばら
 くの間は郷里で開業医をしていた。ミドリ十字社は、1980年代後半からその生産す
 る血液製剤によって多数の血友病患者をエイズの原因ウイルスであるHIVに感染させ
 たという疑いで、裁判の被告の一社となっている。
・これは元来、西欧の習慣であるが、医者というのは専門職人として社会的に尊敬されて
 いる。それはつまり、医者は社会に対して「人の生命を助ける、苦痛を軽減する」と宣
 言、つまり約束している人々だということだ。その宣言を、約束を守る限りで、医者は
 社会的に尊敬されるのだ。ところが七三一部隊の、また石井が作り出したネットワーク
 である石井機関の医学者たちは、その結束を自ら放棄し、医師の宣言を踏みにじったわ
 けである。石井のために働き、人を殺した医学者の多くが、戦後の日本で医者として活
 動している。そのうちの何人かは、医学界で学長、学部長あるいは研究所長などに就任
 している。医者としての最も基本的な社会的約束を破った同僚を受け入れることは、受
 け入れた側も、つまりこの場合は日本医学界もまた、その時点で医者の宣言を破棄した
 ことになるのではないだろうか。
・日本の医学界は二重の過ちを犯したと思っている。一つは、石井の事業に医学界として
 加担したことだ。もう一つの過ちは、その戦前・戦中の犯罪行為を隠し、あるいは無視
 し、それに加わっていた人々を迎え入れたことだ。
・医者以外の科学者による犯罪について見てみよう。例えば物理学だ。原爆開発を例にと
 れば、物理学者が原爆を作ったとしても、その使用を決めたのは政治家だった。また、
 実際に広島・長崎に運んで投下したのは、軍人だった。 
・なぜ日本政府は七三一部隊の存在とその蛮行を認めないのか。敗戦直後、日米合同で
 七三一部隊隠しが行われたことが最大の原因である。それよって日本は、人体
 実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、
 石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。
・日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう一つの
 存在がある。それは昭和天皇の存在だ。石井ネットワークで研究していた医学者たちが
 異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理
 では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を
 行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のた
 め」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納
 得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることが、お上
 の名誉を傷つけることになるわけだ。
・この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補
 償は何もされていない。おそらくそれは、日本という国の持つ、一つの強固な構造から
 くる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構
 造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対しては決し
 て補償しないという態度がとられることになる。
・日本人は敗戦直後、一億総懺悔というあいまいな形で責任を取った気になり、その後の
 半世紀、個別の事実の発掘はあまり行ってこなかった。それどころか事実を覆い隠すこ
 とを行ってきたと言わざるを得ない。
・日本は軍人恩給はある。しかし戦争犯罪行為に対する個人補償はほとんどされていない。
 日本人は一人ひとりは決して無責任でも、不道徳でもない。しかし国全体となると、ど
 うしてこうまで無責任かつ不道徳になり得るのだろう。多くの日本人が国のために努力
 すればするほど、ますますおかしくなっていく。すなわち、誠実な個人が集団で真面目
 に不道徳な国を作る、という構図になっているのはなぜなのか。

あとがき
・科学には大きな力がある。そうした大きな力を持った科学を研究する人は、専門バカと
 いう社会性を欠いた人であってはいけない。自分の判断で行動できず、他人の言いなり
 になる人も科学者となる資格を欠いていると言わざるを得ない。社会性や教養などとい
 うものは、学校で教えられるものではないだろう。それらは基本的には自分で身につけ
 るものだろう。だが現在の詰め込み教育のありようからすると、せめて受験教育から解
 放された大学でそうしたものを身につける手伝いをする必要がありそうだ。
・なぜすぐに道徳や倫理を持ち出す日本人が、敗戦から半世紀たって国会で「不戦決議」
 をすることになるだろうか。これには今日まで、たとえ口では侵略戦争を反省する言葉
 を吐いていても、実際には何もしていないという経緯がある。反省は、具体的な行動が
 あって初めて相手を納得させることができる。半世紀間、口先で反省を述べるだけで、
 具体的には何もしてこなかったのが日本だ。そして侵略されたアジア諸国は、そうした
 日本に対して不信感を募らせてきた。それゆえ今頃「不戦決議」が必要となったのだ。
 本当は今さら「不戦決議」をする必要のない国を作るべきだろう。その手始めとして、
 侵略や戦争犯罪の具体的な事実を一つ一つ掘り起こし、確認していくことを、今後も続
 けていきたい。