50年前の憲法大論争 :保阪正康

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この本は、昭和31年に提出された「憲法調査会法案」に対しての衆議院内閣委員会公聴
会の議事録をもとに書かれたものである。この法案の提出者は、当時、首相の座にあった
岸信介であった。この法案での憲法調査会は、内閣の中に設置するものであったために、
それが一つの大きな論点にもなったようだ。
いずれにしても、今から60数年前に、憲法改正をめぐって、このような大論争が展開さ
れたことがあったことを知る人は、今ではそう多くはいないのではないだろうか。
そして今、その岸信介の孫にあたる安倍晋三首相が、憲法改正をするんだと公言してはば
からない。これが、「おじいちゃんの夢を、孫のオレが果たすのだ」と言われるゆえんな
のだろう。
このときの、議論の内容を読むと、憲法改正論者と護憲論者のそれぞれの主張が、素人で
もよくわかる内容で、憲法改正を考えるうえで、非常に参考になる。
公述人の一人神川彦松氏の主張は、まるで米英が五つのDの政策の実行を目的に日本に戦
争をしかけ、日本に無条件降伏をさせたというように受け取られるのであるが、はたして
現実はそうであったのだろうか。現実は、最初に戦争をしかけたのは日本の側であり、敗
戦が決定的になっても、戦争をやめようとしない日本のような国に対しては、そのような
国の体制や組織、指導者を、徹底的に改革する必要があり、無条件降伏させることによっ
て軍事独裁政策をとったのではないだろうか。米英が日本に無条件降伏を押し付けたよう
に主張しているが、もしあのまま日本は無条件降伏しなかったら、今日、日本という国は
なかった可能性も高かったのではないだろうか。そして、日本は、その無条件降伏をのん
だのである。無条件降伏をのまざるをえなかったまでに、無謀な戦争を続けたのは、日本
側の責任ではなかったのか。神川彦松氏の主張は、そういう現実的な経緯がまったく無視
されて、国際政治学という学問的な主張だけが独り歩きしているように思える。主権者で
あるわれわれ国民が、学問的理論だけで動くわけではない。主権者である一般国民がどう
思っているかによると思うのだが。神川彦松氏は現在の憲法は、米国の軍事独裁権力から
の押し付けだと主張するが、それを言うならば、神川彦松氏の主張もいち学者からの主張
の押し付けのようにも感じる。もし、神川彦松氏の主張するように多くの日本国民が感じ
ていたならば、当然、いままでに憲法改正の動きが一般国民のなかからも活発に出てきた
と思うが、現実は、まったくそういうことはなかった。
また、神川彦松氏は、マッカーサー原案は、秘密のうちに憲法学者も加わっていない素人
たちが一週間で作ったものとして非難しているが、そうせざるを得なかったという背景が
あった事実も知られている。権限が極東委員会に移れば、極東委員会のメンバーには、ソ
連や中国も加わる。そうなれば、天皇制の存続は不可能だったにちがいない。果たして、
多くの一般国民は、天皇制の廃止を望んでいたのだろうか。確かに、国民の一部には、天
皇制の廃止を主張するグループも存在するが、当時も今も、それは少数派であろう。今の
憲法が、マッカーサーから押し付けられたと感じているかどうかは、一部の学者や政治家
の主張ではなく、あくまでも多くの一般国民が、どう感じているかではないだろうか。
おそらく、当時の一般国民は、新しい憲法が米国から押し付けられたものだと知ったとし
ても、それを甘んじて受けたのだと思う。それまでの政府や官僚、軍関係者、学者、マス
コミ関係者、それらすべてに対して、一般国民は信用しなくなっていたのではないかと思
う。悲惨な敗戦を目のあたりにして、それまでの権威者や権力者は、まったく信用できる
ものではなかったのだと、身を持って思い知ったのだ。それよりは、敵国であっても、占
領国であっても、マッカーサーのほうに、当時の一般国民は、ずっと信頼を寄せたのだ。
そしてそれが、今まで一度も、一般国民が、米国から押し付けられた憲法だという反発の
声もなく、ずっと改正されることなく残ってきたのが今の憲法なのだと、私は思う。
一部の著名の学者がなんといおうと、政治家がなんと言おうと、それが日本の主権者たる
一般国民の意志なのだ、と思う。

日本のデモクラシーは、日本の無条件降伏によって、米国から押し付けられたものであり、
そういうのはデモクラシーではないとの主張があるが、デモクラシーの原則からすれば、
それはそのとおりなのだろうと思う。日本は、その長い歴史の中において今日まで、まだ
一度も主権者たる国民の自らの手で、なにかを勝ち取ったという歴史はないのだ。明治維
新だって、一般国民が起こしたものではなく、いわば一部の官僚組織による当時の政府に
対する反乱によって起こされた、既成組織転覆の革命でしかない。一般国民にとっては、
押しつけられたものなのだ。しからば、米国から押し付けられたという憲法を改正したな
らば、国民自ら国民主権や国民の自由を勝ち取ったことになるのかと言ったら、それもと
ても勝ち取ったものとは言えないだろう。つまり、今の憲法は米国から押し付けられたも
のであり、自ら勝ち取ったものではないという理由から、憲法改正しても、それはまった
く意味のないものと言えるだろう。
そういう意味でいうならば、日本の民主主義は、真の民主主義ではないと言えるだろう。
しかし、だからといって、明治憲法のように、天皇を元首に戻し、主権を天皇に戻すとい
うのは、まったく時代の流れと逆行することになる。そもそも、明治憲法での天皇の元首
だって、当時の薩長藩が天皇の権威を利用するために、勝手に天皇を担ぎ出したものだっ
たのではなかったのか。天皇が自ら勝ち取ったものとは言えないだろう。

まえがき
・本書は昭和31年3月に開かれた「第二十四回国会衆議院内閣委員会公聴会」の記録で
 す。意見を聴いた案件は「憲法調査会法案について」。
・昭和27年4月28日に対日講和条約が発効し、日本は独立を回復しました。それから
 4年、自由民主党幹事長の岸信介ほか60名の議員は憲法改正を目標に、内閣のなかに
 憲法調査会を設置する法案を提出するに至りました。 
・じつは当時の新聞記事を見ても、議論の内容はほとんどわかりません。公聴会があった
 ことと、3人の公述人の発言要旨が載っているだけで、各議員の質問などは出ていない
 のです。大きく扱われている記事と言えば小選挙区制が導入されるかどうかとか、ソ連
 でスターリン批判がはじまったことなど。
・法案提出者の孫が首相の地位にあり、憲法改正を念願していることを公言している現在
 にあって、あえて新書のかたちで世に問う所以です。
・公述人三人の人物紹介
 ・神川彦松:国際政治学者。東京帝国大学教授。日本の国際政治学の父とよばれる。戦
       後、教職を追われるも追放解除後「憲法改正」の論陣を張る。
 ・中村哲 :政治学者。東京帝国大学法学部卒。台北帝国大学教授。戦中は近衛文麿の
       ブレーンといわれた昭和研究会に参画。戦後は矢部貞治のもとで最初の憲
       法改正案を作成。
 ・戒能通孝:法社会学者。弁護士。東京帝国大学法学部卒。
・質問の立った議員は、
 ・自由民主党
  ・山崎厳   :内務省警保局長、警視総監を歴任し東條内閣の内務次官、東久邇内
          閣では内務大臣を務める。有名な昭和天皇とマッカーサーの会見写
          真を掲載禁止にしようとしてGHQに撤回されられた人物
  ・眞崎勝次  :元海軍少将。二・二六事件の黒幕とも噂された陸軍大将の眞崎甚三
          郎は実の兄にあたる
  ・辻政信   :昭和史にその名も高き参謀。稀有の作戦立案能力をもっていたと賛
          美する人もあれな、傲岸不遜な性格を激しく非難する人もいる
  ・大坪保雄
 ・日本社会党
  ・石橋政嗣  :書記長
  ・片島港   ・戦前からの労働運動の闘士
  ・飛島田一雄 :弁護士。代議士から昭和38年に横浜市長となった後、社会党の立
          て直しを期待されて国政に復帰
  ・茜ケ久保重光:戦前からの労働運動の闘士
  
日本人の日本にしなくてはいけません:神川彦松の公述
・いまの憲法は本来英語で書かれていた憲法である。すなわち英文の憲法であって日本語
 の憲法ではないということなんであります。この憲法がどうしてできたかということは、
 じつは占領中はまったく、ほとんどまったく日本人には知らされていなかったのであり
 ます。
・日本人はこの憲法が全然知らなかった、いわばわれわれ日本人はつんぼさじきに置かれ
 ておったのであります。
・この憲法は、ふつうの憲法と違いまして、まったく国際政治の産物なのであります。だ
 いたい憲法というのはみな国内政治の産物であり、また革命の推進力としての国内的政
 治権力の所産でなくちゃならない。ところがこの憲法に限りましては、その推進力は、
 一に外国の政治権力、軍事権力であった。ここにこの憲法の根本的の特色があるわけで
 す。
・こういうような憲法というものは、世界あってこの憲法以外にはありません。これに若
 干似ておるのは、ドイツのボン憲法「ボン基本法」だけであります。
・いまの憲法が外国の軍事権力、政治権力の所産であると申しましたが、それは言うまで
 もなく戦勝国、とくにアメリカでありますが、戦勝国の占領政策の産物なのであります。
・この第二次世界大戦というものは、無条件降伏というじつに有史以来前例のない主義政
 策のもとに遂行され、また終結いたしました。  
・世界においてだれも知らぬ者がないいうほど知られておるいわゆる五つのDの政策とい
 うものがある。五つのDの政策というものをアメリカは戦争政策とし、また占領政策と
 し、占領目的といたしたわけであります。
・その第一は、ディスアーマメント、軍備撤廃ということなのであります。これが第二次
 世界戦争における米英の中心眼目であったわけなのであります。敗戦国をして完全に軍
 備撤廃せしめるということが戦争目的の第一であり、したがって占領政策の第一であっ
 たわけであります。
・第二はディミリタリゼーション、すなわち非軍事化の政策といわれておるものでありま
 す。それがすなわち戦力を撤廃しないかぎり、戦敗国を無力にすることはできないとい
 う考えから、非軍事化という政策を考えられたのであります。
・第三は、ディスインダクトリアリゼーション、すなわち非産業化の政策、戦敗国たるド
 イツや日本を完全に非産業化する、非近代化する、できれば中世期の農業生産国にする
 というのが本来の目的であった。それをふつうモーゲンソー・プランといって、戦争中
 から世界に知れわたっておったことはご承知のとおりであります。
・ドイツおよび日本を完全に非産業化して、そして世界の資本主義市場というものを米英
 が永久に独占したいという考え方をもっておったのが第三であります。
・第四はディセントラリゼーション「非中央集権化」、すなわちドイツや日本に対して政
 治的、行政的、経済的、文化的、あらゆる面においてディセントライズしめるという政
 策をとったのであります。ドイツにおいてはそれが十分におこなわれましたが、ちっぽ
 けな日本ではおこなわれませんでした。しかしながらできうるかぎり占領軍は行政的に、
 また経済的、文化的にディセントライズいたしたのであります。
・第五がいわゆるデモクラティゼーション、民主主義化であります言うまでもなくアメリ
 カのデモクラシーを世界にしくということで、いわゆるアメリカン・オブ・ライフなの
 であります。アメリカの生活法を全世界にしいて、アメリカの経済的、政治的、文化的
 勢力を全世界にいきわたらせることが本意でありましょう。
・この五つの政策、これを実現することが米英の戦争目的であり、占領政策であったわけ
 であります。
・この五つの政策を実行しますのに、無条件降伏というこれまた前代未聞の政策でありま
 して、いまだかつておこなわれたことがなかったのでありますが、要するに敗戦国とい
 うものを一時滅亡せしめるのであります。
・すなわち戦争によって絶滅した状態に陥れて、軍事占領の間に戦敗国を思う存分あらゆ
 る方面で料理する。すなわちいま申しました五つの政策というものを思う存分に実行す
 るのが、すなわち無条件降伏であるわけであります。
・でありますからポツダム宣言にしても、また降伏文書にいたしましても、これはけっし
 て条約でも合意でもありません。これはまったく一方的な命令なのであります。
・要するにマッカーサー司令官に絶対的な軍事独裁権を与えたのであります。なにものに
 も制限されないのであります。日本とはなんら条約も合意もないのであります。まった
 くアメリカおよび最高司令官がやりたいと思うこと、またやる必要のあることはなんで
 もかんでもできる。いわば絶対的軍事独裁権をマッカーサーに与えた。そういう軍事独
 裁権をもって五つの政策を実行したのが、すなわち占領当時であったわけであります。
・この軍事占領、軍事統治の結果といたしまして、いまの憲法ができたのであります。
 戦争の半ば以後、日本を無条件降伏させた後、どういうふうに日本を治めるかというこ
 とを、国務省と陸海軍の三省の合議体でもってよく研究しておりました。
・そして終戦になりまするや、同時にその政策を次々にマッカーサーに授けたのでありま
 すが、マッカーサーに授けました権限のなかに、明らかに日本の政治制度の改革という
 一項があった。すなわちマッカーサーは初めから日本の政治制度を改革する。すなわち、
 日本に政治的革命を実行するという権限が与えられているわけであります。 
・ところが、遺憾ながら占領の年の末にマッカーサーの手からその権限は極東委員会の手
 に移ってしまったのであります。 
・日本の占領統治に関するもっとも重大な政策とか、原則とか、標準というものは、全部
 これは極東委員会が作る。ただマッカーサーはこれをインプルーブメント、それを実行
 する任にあたるという明確な協定ができて、マッカーサーは憲法に手を入れる権限を失
 ってしまったのであります。 
・ところが、アメリカにおいては、そうではなかったのであります。アメリカ本国におき
 ましては、極東委員会が発足する前に、新憲法という既成事実を作ってしまいたいとい
 う決意を固めました。
・そこでマッカーサー元帥は、このアメリカの命令と、アメリカの提供しました材料を基
 礎にいたしまして、部下を督励いたしまして、わずか一週間でいまの憲法の原案を作っ
 たのであります。
・しかも、それに関係した者は、素人でありまして、ただひとり憲法の専門家というもの
 は入っていなかった。
・これをもとにして憲法を作れ、このとおりの憲法を作れとは言わないが、しかしながら
 根本原則および基本形態というものは、全部ゆるがしてはいかぬ。もしもこの憲法を作
 らなければ、天皇の身柄も保障するわけにはいかない、天皇のからだを保障するわけに
 はいかない、こういうことを申して、日本に憲法の改正を迫ったのであります。
・できあがった憲法改正案は、マッカーサー原案とけっきょく九五パーセントまでは全然
 もとのとおりのものなんであります。これがすなわち世間でマッカーサー憲法原案と呼
 んでいるものであります。
・けっきょくいまの憲法というものは、マッカーサー憲法原案というものを日本語に逐語
 訳したものにすぎない。
・ところがこういうことをすべてみな当時は秘密にしたのであります。なぜならば、これ
 はマッカーサーが、またアメリカが、極東委員会を出し抜いて作らなければならないか
 ら、どうしても大急ぎでやらなければならない。また極東委員会の指令を無視したので
 ある。
・およそ権力や優越な軍事力によって強制されたものは、圧制の色彩を帯びるばかりでな
 く、ほんとうのデモクラシー対蹠物、アンチテーゼである。だから本来こういうやりか
 たというものが、デモクラシーであるはずはない。したがって、こんなふうにして憲法
 ができたということが、やがて日本人にわかれば、いくら日本人だってこれを変えよう
 という考えになることはわかっているから、あたかも日本人が自分の手で作ったかのよ
 うにやらなくちゃいかぬ、そのためにそういうやりかたをしたのだということを、しば
 しばマッカーサーはその後語っているわけであります。
・銃剣によって日本人に押しつけられたならば、その銃剣が存在するかぎりは存在し、軍
 隊が撤退しかつ日本人が彼ら自身が勝手にせられると、その瞬間に彼らはその憲法から
 免れるだろう、こういうことをしばしばマッカーサーは言うておる。これは当然のこと
 なんです。でありますから、マッカーサーはすべてのことを秘密のうちに運んだわけな
 んであります。
・それをいろいろ細工をして、これをあたかも日本政府が作ったように、日本人が作った
 ように、またご丁寧に明治憲法の七十三条かなんかでやったかのようにやったから、問
 題が残ったのであります。
・これはなんと言ってもマッカーサー憲法でしょう。
・マッカーサー憲法が、いつまでもそのままで残っているということは、ほんとうはマッ
 カーサーの本意ではないと私は思いますが、とにかくマッカーサー憲法原案ならほとん
 ど誤訳はない憲法なんですから、これがマッカーサー憲法でなくてどうしますか。
・こういうマッカーサー憲法にたいしては、日本国の忠良なる公民である私は、遺憾なが
 ら腹から忠誠の念をささげることはできません。
・もしほんとうにこの憲法に忠誠の念をささげる人があるとしますならば、それこそマッ
 カーサー帝国の忠良なる臣民にちがいないと私は考える。
・なんとしましても日本人は日本人の日本にしなくてはいけません。いつもまでも日本が
 マッカーサーの日本であってはいけません。

国民の意思を反映したものとみるほかはない:中村哲の公述
明治憲法はご承知のように、マッカーサーと比較しますと、ちょうど伊藤博文という人
 物がおりまして、その伊藤博文のもとで井上毅というドイツ学者が主として原文の作り
 まして、伊藤博文の名において天皇の御前会議にかけた憲法です。そうして、その天皇
 お御前会議で承認されたことから、これは天皇の作った欽定憲法だ、こう言われており
 ます。
・それと同じような意味で今日の憲法言うならば、マッカーサーに相当するものは井上毅
 や伊藤博文であります。その井上毅や伊藤博文の作った原案を国会が検討して、そうし
 て修正すべきところは修正して承認したのでありますから、それは国会の作った憲法と
 言わなければならない。
・原案をだれがもち出したかというところでマッカーサー憲法と言うのであれば、それは、
 旧憲法の場合に、伊藤博文の作った憲法だとか、井上毅が押しつけた憲法だというのと
 同じであります。
・まず現行憲法が民主主義、平和主義ならびに基本的人権の尊重にその基本的原則を貫い
 ておるということは、何人も不可とするものではない、これは当然でありまして、この
ことを内閣あるいは国会の諸子が明瞭に自覚されておるならば、今日簡単に憲法改正と
いうような問題は出てくるはずはないと思う。
・現在の憲法ほど各国の憲法に比べて民主主義的であり、平和主義的であり、しかも基本
 的人権の保障において、よその国よりも厳重であるという憲法は、私は、比較憲法上は
 これがもっともすぐれた憲法だと思います。
・改正案と申しますのは、民主主義、とくい国会の権限をある程度制限しておる、そうし
 て執行権を強化するとか、あるいは平和主義という点では、国際紛争の起こった場合の
 話し合いの政治の余地をなくして、むしろ武力的な解決に頼もうとしている、そうして
 再軍備をしようとしている。
・また基本的人権については、個々の条文について制限規定を設けていないために、一般
 の国民は、なにか基本的人権には改正案は触れていないかのようでありますけれども、
 実際には原則的な規定を設けまして、法律によってするならば、基本的人権はどういう
 ふうにでも制限しうるというふうな規定を加えているのです。
・これはたいへんな問題でありまして、旧憲法時代はまさにそうでありました。法律をも
 ってするならば、権利や自由は制限しえたのです。ところがいまの憲法でいう基本的人
 権というのは、法律をもっても制限しえないというところに、思想の自由や言論の自由
 の問題があるのです。 
・ところが戦時中は、言論や思想の統制法を次々に出しまして、そのときそのときの政治
 情勢によって言論統制や思想統制その他をやったわけです。宗教の弾圧もやっているわ
 けです。
・それと同じことを、この各改正案は共通して、法律によるならば制限していいと言って
 いるのです。そうなりますと、これは基本的人権を尊重することでなくて、基本的人権
 を旧憲法時代に戻すことなんです。
・もともと終戦後憲法を作るということは、これは連合国司令官の要請によるまでもなく、
 われわれがあの戦争の経験に基づきまして、軍国主義と独裁政治がふたたび起こらない
 ためには、どうしてもここに憲法の改正をしなけばならない、民主的な憲法を作らなけ
 ればならないということを、われわれは主張しました。
・ことにポツダム宣言によれば、日本の民主主義の復活強化ということを言っておりまし
 て、日本で民主主義の復活強化をするためには、ただ政治を民主的にするというだけで
 なく、その政治のよってきた憲法、つまり戦争中は、ひとたび事をしようとしましても、
 憲法に違反するとか、あるいは国体に違反するというと、すべて政治がやれなかった。
 そういう憲法上の制約を撤廃して、ほんとうに国民中心の憲法を作ることが終戦後の日
 本の再建の道であり、世界の大勢に合致することだったのです。 
・日本に対するアメリカの政策はすべて植民地化政策だ、こういう判断をする見かたがあ
 ります。しかし、それはやはり極端なのでありして、占領下においてアメリカのやった
 ことには、いいこともあれば悪いこともある。
・やはりアメリカは、日本に比べますと民主政治という点では先進国でありましたし、こ
 とに戦争中の日本なんかに比べたら、比較にならないわけですから、そういう意味で、
 アメリカが占領下において日本に教えたもののなかには、非常にプラスもある、欠点も
 もちろんあります。それをすべて日本を従属させるための政策であったというふうに断
 定することは、歴史を分析する仕方ではなくて、非常に独断的なものの見方だと思いま
 す。
・それでアメリカとしましても、占領下においては、アメリカ本位に日本憲法お原案を作
 っているわけではないので、それだけにいまアメリカとしましては、アメリカの都合の
 いいような再軍備を要求しようとする場合に、日本の戦争放棄をした憲法が邪魔になっ
 てきたわけです。このことは、アメリカが自分の都合のいいように憲法を作ったのじゃ
 ないということを意味しておると思うのです。
・いまの憲法のなかにある国民中心の基本的人権を尊重したり、国会が中心であったりす
 る、それを改正しようと言うのでありますから、それは、つまりいまの憲法の内容があ
 まり国民本位にできている、国民本位にできているということは、これは占領政策だ、
 こういうふうな非常に矛盾したことを言っているわけです。
・当時原案は、たしかにアメリカ側から出されましたが、これを日本の法制局なんかが折
 衝しまして、そして一応妥当な線のところまでもってきた、そしてこれ国会にかけたの
 です。そしてその国会では、百日あまり審議しまして、そして修正すべきところは修正
 し、衆議院においては四カ条、貴族院においては三カ条の条文を加えました。それから
 全面的に条文の字句を訂正しております。
・当時の議会は国民の意思を反映しなかったものだと言うならば、これは議会そのものを
 信用しないということでありまして、内閣が議会を信用しないということはわかります
 けれども、その内閣の出したそういう理由を国会が承認するというのはおかしいと思い
 ます。そして国民の意思というものは、時の国会と違うときもあるでしょうけれども、
 しかし一応国会にあらわれたものを、国民の意思と見るよりほかないと思います。この
 ことが憲法においても、国会は国民の代表機関であると言っている理由であります。 
・その議会が修正すべきところは修正し、承認した。最終的にはその議会が内容を決定し
 ているのです。まる呑み込みをしたのじゃないのです。しかも審議権そのものを動かさ
 れたということではないので、ただだれが原案を出したか、その原案をどういうふうに
 了解してこれを受け入れたのか、その責任をとったのは国民を代表する議会ですから、
 その意味で、議会が承認したものは国民の意思といわざるをえないと思います。
・本来旧憲法の手続きによって改正するならば、旧憲法の七十三条によりますと、憲法の
 改正案というものは、勅命を持って議会の議にかけるのです。それで、このマッカーサ
 ー草案というものは勅命のかたちで議会にかけられたわけですが、その場合に、旧憲法
 の改正の法的な性質としましては、天皇のみが発議権をもっておりまして、議会側が発
 議権をもっておりませんために、旧憲法における憲法改正という場合には、議会は新し
 い条項を加え得ない。出された原案を修正することはいいが、新しい条項をここに加え
 ますと、その部分については天皇の発議権を侵すことになるから、憲法改正の場合だけ
 は、普通の法律案と違いまして、新しい条項は加え得ないというのが、旧憲法の定説で
 あります。
・ところがあの議会では、相当自由に討論しまして、衆議院においては四カ条、貴族院に
 おいては三カ条加える、そうしていろいろな部分の新しい言葉を加えている。そのくら
 い自由に、いわゆるマッカーサー草案というものを検討しているわけです。であります
 から、これを簡単に、国民の自由意思によるもものではいというふうに言うことは、ま
 ちがいであると思います。
・もともとこの憲法は、日本の民主化のために作られたものです。憲法の基本精神は、こ
 のなかで言われているとおり、民主主義と平和主義とが基調になっている。そういう民
 主主義や平和主義という点では、日本は、あの終戦までは、軍国主義や独裁主義にわず
 らわされておりまして、ほんとうに民主主義や平和主義の方向に進むだけの実力をもっ
 ておりませんでした。そのために、たまたまここに憲法の力を借りてそうして民主的な
 平和的な憲法を示すところに従って、実際の社会の実情をそこまでもっていかなければ
 ならなかったのです。
・実情を憲法に合わせるということに努力しなければならないのに、逆に民主化されてい
 ない実情のほうに憲法を逆行させようとする、そうして、あたかも旧憲法時代に戻そう
 とするような改正というものは、日本のとるべき方向ではないかと考えます。
・このさい新たなる国民的立場に立って憲法に全面的検討を加える、こう言っております
 が、新たなる国民的立場とはなにか、自主的な国民的立場とはなにか。
・これは、最近アメリカお極東政策に基づいて再軍備が要求される、それに基づいて憲法
 を改正して、戦争放棄の規定を変えてしまう、そういうことではなくて、そういうふう
 な外からのいろいろな要請や圧迫がありましても、毅然としてこの平和の憲法を守り抜
 くということが、新しい国民的立場であると私は考える。その意味から言いまして、こ
 の政府の提案理由は非常に矛盾しておりまし、こういうふうな理由でもし憲法改正のた
 めの調査会を作るとすれば、末代までその恥を残すことになると思います。
・本来こういう調査会というものは、国会が発案、憲法改正の場合でも発案するのが筋で
 ありまして、内閣がほかの法律案と同じように憲法改正の発案をしても、それをもって
 ただちに憲法違反というふうには私は言えないと思いますが、しかし本来は、やはり国
 会が国民に対して発議するほどでありますから、改正案を作るという場合でも、国会の
 内部で調査会ができて、そしてそこで調査や審議がおこなわれる。ある場合にそれが発
 案されるというようなことが自然であると思うのですが、それをなぜ内閣に置くのか。
・おそらく理由としまして、国会に置いたのでは、国会議員だけの後世になってしまう、
 学識経験者などは国会の委員会だと加えられない、こういうふうに言われるのだと思う
 のです。 
・ところが学識経験者と申しましても、学識経験者全員が反対しましても、強引に通して
 しまう、こういうことでは、内閣に調査会を設けて学識経験者を二十名も入れると言い
 ましても、実際はそうした人たちの意見はあまり尊重しないのではないか。  

議会制度に対する国民の信頼はどうなってしまうのか:戒能通孝
・現在の憲法が、マッカーサー憲法かどうかという議論につきましては、私はいま論じな
 いつもりでおります。ただ、神川先生のおしゃるような理屈が、もし通るといたします
 と、日本の天皇は、自分の身の安全をはかるために、日本の国をアメリカに売ったんだ
 という結論になってくるでようでございます。
・私は、そんなふうに考えたくございません。天皇は、自分の身を守るために、みずから
 国を売ったんだ、アメリカに売ってしまったんだ、マッカーサーに売ってしまったんだ、
 こんなふうに考えたくはございません。
・なぜ、憲法調査会を内閣に置いて、その費用を国費から支出するのか、理由が薄弱であ
 ります。憲法改正は、ご承知のとおり内閣の提案すべき事項ではございません。内閣は
 憲法の忠実な執行者であり、また憲法のもとにおいて法規をまじめに実行するところの
 行政機関であります。
・内閣が、憲法を批判し、憲法を検討して、そして憲法を変えるような提案をすることは、
 内閣にはなんらの権限がないのであります。
・内閣法第五条にある「その他」というなかに憲法の改正案を含むのだというふうに言う
 のは、あまりにも乱暴な解釈でありまして、ちょっと法律的常識では許さないというふ
 うに考えているわけであります。
・憲法の改正を論議するのは、本来国民であります。内閣が国民を指導して憲法改正を企
 図するということは、むしろ憲法が禁じているところであるというふうに私は感じてお
 ります。
・元来内閣に憲法の批判権がないということは、憲法そのものの立場から申しまして当然
 でございます。内閣は、けっして国権の最高機関ではございません。したがって国権の
 最高機関でないものが、自分のよって立っておるところの憲法を批判したり否定したり
 するということは、矛盾でございます。
・内閣総理大臣以下の各国務大臣は、いずれも憲法自身によって任命された行政官であり
 ますから、したがって憲法を擁護すべきところの法律上の義務が、憲法自身によって課
 せられているのでございます。 
・こうした憲法擁護の義務を負っているものが憲法を非難する、あるいは批判するという
 ことは、論理から申しましてむしろ矛盾であると言っていいと思います。
・この憲法調査会が置かれた結果といたしまして、内閣の希望しないような改正案、検討
 が加えられるということになりますと、内閣は、おそらくその結果を無視するでありま
 しょう。内閣が希望するような憲法の改正をおこなうとすれば、結局内閣そのものが憲
 法そのものに手を触れることになってしまうのではないか、内閣が国民を動かして憲法
 改正を指導する結果になってしまうのではないかというふうに感ずるわけであります。
・この法案が提出される前に、すでに元の自由党の岸信介氏を主任者としまして改正案要
 綱のような、試案のようなものが発表されました。 
・内閣は、主権の所在点を変更するような改正案を企図すべき立場にはいないことは、確
 かだと思います。
・主権の所在というものを規定する出発点と同様に、その前提といたしましては、言論と
 か思想の自由とか、いわゆる基本的人権を含めて、つまり法律によっても制限できない
 ところの思想の自由、言論の自由、表現の自由、結社の自由というものを認めなければ、
 政治体制の決定権が国民にあるとは申せないのであります。したがって、主権の所在を
 変えるのは、当然基本的人権の問題につながっていくわけでございます。基本的人権の
 所在点を変えて、法律の制限のなかでの言論の自由、法律のよるところの、法律の監視
 のなかでお言論の自由、思想の自由というものを認めることになりますと、やはりなん
 と言っても、根本的に申しまして、憲法の改正ではなくして、むしろ改革ないし反改革
 ということにならざるをえないと思うのであります。
・日本国憲法というものは、非常に基本的なひとつの政策をもっております。これは、要
 するに戦争をしないという政策でございます。
・またこの基本的政策があればこそ、他方におきまして社会保障、それから最低限度では
 あるにせよ、健康にして文化的な生活の保障というものができるのでございます。これ
 がなかったら戦争をすることを前頭としたら、おそらく経済的な面、財政的な面から申
 しまして、社会保障は全然やめなればならないことになるのは当然の話だと思うのであ
 ります。少なくとも健康にして文化的な生活お保障というふうなことは、言えなくなっ
 てくるわけでございます。
・したがって、現在の憲法がもっておる基本政策を変えるような憲法の変更ということに
 なると、これも同じような意味におきまして、憲法の改正ではなくて、やはり変革なん
 だ。したがって、これは内閣の所管事項からはずれるというふうに考えなければならな
 いと思うのであります。
・のみならず、現在すでに内閣総理大臣も、国会のなかなどで、しばしばはっきり言って
 おられるわけであります。憲法を変えたい、その憲法を変える内容は、軍備をもつんだ
 ということを、しばしば言っておられるようであります。
・私が議員団とかたと一緒に、中国に参りまして、周恩来氏と会見したとき、当時の自由
 党に所属しておられた山口喜久一郎氏が、「中国よりも日本のほうが非常な困難があり
 ます。と申しますのは、中国はソビエトと今回の大戦ではともに戦い、ともに戦勝国と
 いう立場にあります。この関係でいうならば、アメリカと日本とは戦勝国と戦敗国お立
 場にあることはご存じのとおりです。ここに中国側よりも日本政府もしくは日本人側に
 困難があるということをご了解いただきたいと思います」というふうに述べておられま
 す。 
・これを受けまして周恩来氏は、「中国人民は日本政府と平和関係を求めています。しか
 し政府はわれわれを承認しない。この困難の根本原因は、ただし日本政府にあるのでは
 なく、その頭の上にひとり太上皇帝がいるからだと思います。すなわちアメリカがおる
 からだと思います。天皇が日本を支配しているのではなくて、アメリカが支配している、
 日本人が天皇を尊敬しても、それは自由である、しかし日本天皇の上にアメリカがおる、
 これがわれわれと日本との関係を妨げておるものである」というふうに周恩来氏は言っ
 たのであります。
・現在の日本がけっして完全な独立国ではない、文字どおりの独立国ではない。形のうえ
 では独立したような形をとっておりますけれども、じっさいにおきまして、独立の状態
 に達していないということを意味しておると思う。  
・現在独立しないのに、あたかも独立しておるということを前提にして憲法の改正を論議
 するということは、私はまちがっておると思うのであります。いかにして独立するかが
 第一でありまして、憲法の改正はその次の問題であるということにならざるをえないだ
 ろうと思うのであります。
・小選挙区の区割り制度がもし実現されるということになりますと、一方におきまして千
 数百票もとれる票がある。ところが議席は十だ。あるいは五十だ、他方には二千万票の
 投票で、しかも議席が四百五十だ、四百九十だというふうになってまいりまして、しか
 もその国会の多数で憲法の改正が押し切られてしまうということになってまいりますと、
 いったい議会制度に対する国民の信頼というものはどうなるのでございましょうか。

どのような成立の経過を経ようとも:石橋正嗣の質問
石橋
・現行憲法の制定の由来、沿革を述べられまして、こういう憲法だから改正しなくちゃな
 らないんだ、自主的に憲法に作りかえなくちゃならないんだというふうなお話があった。
・どのようなりっぱな内容をもっておろうとも、そういう経緯を経てできた憲法なんだか
 ら、なにがなんでもだめなんだ、こういうお話なのであろうかという疑問は私、もって
 おるわけです。
・現行憲法が民主主義と平和主義と基本的人権の尊重主義の三つの偉大なる原則をもって
 おるこの点については、なんら意義をさしはさぬ余地がないどころか、何人もこれを不
 可とするものでないというような断言すらしておる。
・現行憲法の三大原則、これが生命であります。これを是認しておるということは、私た
 ちに言わせれば、どのような成立の経過を経ようとも、りっぱなものなのではないだろ
 うか。
・講和条約締結と同時に、独立したと称する時期を目にしてはっきりと無効宣言でもされ
 ればいい。その勇気はない。
・当時改正の手続きとして帝国憲法の七十三条に基づいてこの改正をやった、これはおか
 しい、帝国憲法は発議は天皇のみ存しておった。にもかかわらず、ああいったかたちで
 制定して、形式だけ七十三条というふうなことを踏んでおるのだから、そういう意味か
 らも無効なんだと言うならば了解できるわけであります。

神川
・占領中にできたからいけないというのは、つまりその憲法というものが、いかに民主主
 義的にカムフラージュされておっても、また内容から民主主義憲法だと言われておって
 も、そのほんとうの性格は反対なものであって、これはまったく専制憲法であり、植民
 地憲法だということなのです。
・これはどうも日本人によく了解されていない。これはつまり無条件降伏だということを
 了解せず、また軍事占領および軍事統治というものの本質を了解されていないからであ
 ります。 
・もし平穏無事の際にああいう憲法ができたものならば、そうしてほんとうに日本人の手
 で作ったものならば、われわれといえども大賛成です。問題は先ほど私が申しましたよ
 うに、戦勝国の軍事占領、軍事統治、それは前代未聞の無条件降伏におよる武力的絶対
 独政なんです。
・国民主権が事実存在していないのにデモクラティック憲法はできるはずがない。つまり
 主権的国民が憲法制定権をもっておるということが根本の条件です。
・ところが遺憾ながら日本は軍事占領かならびに軍事統治の間におきましては主権を失う
 ておったのであります。これは一方的命令によって主権を剥奪されておったのでありま
 す。でありますから主権のない国民が主権的国民であろうはずがない、主権的国民でな
 いものがどうして憲法制定権を行使することができますか。 
・人民という条件が欠けておる、主体性が欠けておるんです。いったい主体性が欠けてお
 る憲法が、どうして民主憲法なんということが言えますか。
・とにかく日本人が堂々たる主権国民であり、事実その憲法制定権というものを行使でき
 なければ民主憲法なんかできるはずはない。
・これは占領軍が政治権力をもって作った憲法だと申上げましたが、つまり主体性が占領
 軍の権力にあったわけでしょう。そんなものがどうして日本人の憲法と言えますか。
・民主的法律とか民主的憲法というものは自律的、自主的、自治的なものでなくちゃいか
 ぬ。自分の手で書いたもので自分の法律にしたものでなければいかない。
・日本のほうでいろいろ修正したといわれますが、それはほんの枝葉末節の点なのです。
 最初から根本的原則と基本的形態には手を触れるなという絶対命令があるのですから、
 したがって日本のほうで手を触れたというのは単なる枝葉末節の点なのです。
・いくらいじくったところで枝葉末節の点だけで、じっさい根本というものは、論より証
 拠です。   
・問題は最後にだれが決定したのかということなのですから、だれが言い出したかという
 のは問題じゃない。
・最後の決定権が向こうにあったということだけは確かなのです。最後の決定権はどこに
 あったのかということが、要するに主権がどこにあったかということなのですね。
・最後の決定権が連合国にあったことはだれも疑いないでしょう。最後の決定権が向こう
 にあり、向こうが書いたようなおのがデモクラシーなんというのは絶対にありえなでし
 ょう。 
・民主憲法というものは、その国民自身の利益のためでなくちゃならない、国民自身の福
 祉のためでなくちゃならない、国民自身の目的のためでなくちゃならぬでしょう。とこ
 ろがこれは連合国の占領政策のためにやったものなのです。占領目的のために、個人政
 策を実現するためにやったものです。
・もしマッカーサー司令官が、連合国の利益を代表せずして、日本国民の利益のためにや
 ったということならば、これは反逆者ですよ、それこそマッカーサーは連合国から死刑
 に処せられたでしょう。
・それはそれがために日本は反射的利益を受けることもありますが、しかしそれは単なる
 反射的利益でありまして、けっして向こうが意図したものではない、要するにこれは憲
 法上にいう反射的利益であります。
・民主憲法がどうかということは内容の問題ではない。たとい内容が神様が作ったような
 神法であっても、その手続きがとにかく主権的国民が作ったものではなく、主権的国民
 が自分の手で書いたものではなく、主権的国民の利益のためにやったものでなければ、
 それは民主的憲法ではない。専制憲法です。
・なぜならこれは独裁君主、独裁権力者が作ったものなのですから、したがってこれは独
 裁憲法なのです。正真正銘独裁憲法なのです。植民地憲法なのであります。
・もしそういう占領時代にできたものならばそれは無効じゃないか、これはもう一刀両断
 にやってもいいのだというなら筋が立ってもいいというお話でありますが、これは国際
 法の点から申しますと、すでにもう効力を失ておると言ってよろしい。
・国際法のもっとも確立した原則のひとつはいわゆる「ポストリミニアム」の法理であり
 ます。いわゆる「戦後現状回復」と日本では訳されております。この「ポストリミニア
 ム」の法理によりますと、およそ軍事占領中にやったところのすべての法令とか処分と
 かというものは、占領が終了しますと当然失効するというのが原則であります。であり
 ますから実際軍事占領中にできましたものは、事実失効したのであります。
・日本におきまして、軍事占領中に作りましたところの法令とか政令とかというようなも
 のは、もうほとんど全部失効いたしました。    
・ただひとり憲法のみが残っておるのであります。しかしながらこの憲法といえども、国
 際法の「ポストリミニアム」の法理から見て、当然失効しておると申してよろしいので
 あります。これが近代国際法におけるもっとも確立した原則であります。
・しかしながら、国際法上の失効するということと、国内法上の失効するということは全
 然別のことでありまして、国内法におきましては、やはり国内法として失効させるだけ
 の手続きをとらなくちゃならない。 
・とにかく国内法において失効の手続きをとらぬかぎりは、有効でありますが、国際的に
 はすでにこれは失効したものである、こう考えております。
・法理から申しますならば、日本の国会がとにかく日本の国民の憲法制定権を代表してお
 るのですから、日本の憲法制定権を代表している日本の国会が無効の宣言をし、そうし
 て続いて国民投票について一応念のためにやってみて、日本の国民投票の大多数が大賛
 成と言えばそれは私はよろしい、こう思うのであります。

石橋
・私たちは押しつけられたものだと思っておらない。もし押しつけられたものであり強い
 て言うならば、それは現行憲法ではなくて日本の国民が憲法制定をする権利を確保した、
 このことが押しつけられたのかもしれない。
・なぜならば、帝国憲法には国民主権というものはご承知のとおり認められておらなかっ
 た。それが認められたのはいかなる機会かといえば、日本がポツダム宣言を受諾して無
 条件降伏をしたそのときに由来しておるわけです。だから占領軍に押しつけられたとど
 うしても言わなければ気が済まなければ、現行憲法を押しつけられたと言うのではなく
 て、国民主権を押しつけられたというふうに解釈すれば、これまた筋が通ると私は思う。
・あなたは占領軍の権力で押しつけた押しつけたとおっしゃるけれども、しからば占領軍
 の権力というものは、どこに由来して与えられたか、ポツダム宣言受諾というところで
 発生しておる。日本が無条件降伏したことによって、初めて占領軍が権力というものを
 確保したわけだ。 
・ところがわれわれは、無条件降伏した、それと同時に連合国軍もまたこのポツダム宣言
 というワクにはまったわけだ。なぜならばポツダム宣言受諾のときにその内容を両者と
 も守るということをちゃんと約束しておる。
・ポツダム宣言を受諾するときに、日本の政府は天皇の大権、統治権をそのままにしてお
 いてもらいたいと言ったけれども、それは一笑に付せられた。そしてなんと言われたか
 というと、結局国民が自由な意思で日本の政府を形成する憲法を制定する権利をもつよ
 うにしなくてはならぬのだということが、向こうの最後の要求であった。
・したがって連合国軍もこのポツダム宣言受諾に際して発した内容を、結局みずから順守
 しなくちゃならない義務をもっています。 

神川
・ポツダム宣言やあるいは降伏文書は合意だとおっしゃった。しかし、日本とアメリカの
 関係はけっして契約関係でない。すなわち無条件降伏というものの性格をよく理解され
 ないためでありまして、無条件降伏というものは、そういう契約的基礎の上に立つもの
 ではないのです。契約関係ではないのです。連合国のほうで義務を負ったということは
 ないのであります。
・民主主義は一つである。どこの国の民主主義も同じだ、なるほどアメリカの民主主義と
 いうものは、それはだいたいにおいて同じものなのでありましょう。しかしながら民主
 主義というものは、とにかくどこの民主主義も、もしそれの名に値しますならば、主権
 的国民が自分でおこない、また主権的国民が自分の手で書き、自分の利益おためにやる
 政治でなければならないということは確かだと思います。
・ところが日本の憲法というものはそうではなくて、アメリカが作った、アメリカの作っ
 たデモクラシーなんです。そんなデモクラシーというものはどこにもないのです。これ
 は無条件降伏で初めて起こった現象であるから、そんなデモクラシーはどこにもない、
 これが日本のデモクラシーは違っておると私が申すゆえんであります。
・でありますからデモクラシーの本質そのものは変わりはありませんが、日本のデモクラ
 シーというものはけっしてそういうものではない。よその国のデモクラシーとはまるで
 違ったものなのです。 

石橋
・憲法の九十九条に、国民に憲法順守の義務が課せられていないのはおかしい、そんなも
 のは世界のどこにもないと言われるけれども、結局、国民主権で国民が作った憲法なん
 です。それを国民が守るのは当たり前だから書いてないのです。
 
神川
・私はいったい国民主権というものは、みずから戦い取るべきもので外国からもらうべき
 ものではないと考えるのです。もらうような国民主権というものはあろうはずがないと
 思うのであります。
・およそ権利だろうが、自由だろうが、自分の力で戦い取らないかぎり自分のものになり
 ません。
・主権というものは、革命の力によって、自力で戦い取らなければならなぬものなのです。
 ところが日本国民というものは、そのおり革命も何もできませんでした。外国の統治で
 すから、植民地日本ですからどうして革命ができますか。いまもそうです。植民地その
 ものです。
・主権は実力です。それは他人からもらったのではできるものではない。自分から戦い取
 って初めて国民主権になるのです。ですから私はそんなものは国民主権ではないと思う。
 もう一度自分たちのものにしなければならぬ。かりにもらったものはそれでもよろしい。
 自分の努力で自分のものにしなければならない。そのする手続きが抜けている。だから
 そのする手続きをやらなければならぬ、こう申しておるわけです。

旧憲法に戻すつもりはないが:山崎厳の質問
山崎
・現行憲法におきましては、いったい日本国を代表するものが、天皇であるのか、総理大
 臣であるのか、その点すら私どもは解釈上はっきりしないと思います。
・およそ独立国として国の代表者のはっきりしないという国がありかすかどうか。あるい
 はまた現在の憲法において日本国を代表するもおはだれであるか。

中村
・主権在民の原則が憲法の調査を進める結果、改正の対象になるんじゃないかということ
 です。私は国民主権そのものがただちに改正されるものと考えませんけれども、実際に
 は国民主権の事実が、ある修正を加えられるというふうに考えます。
・いちばん問題になるのは、基本的人権の問題でありまして、人権が法律のよって制限し
 うるようになるますので、そうすると、そのときそのときの国会の情勢により、政治的
 考慮から人権が制限されるうることになりまして、これは全体として主権をもっている
 国民、その国民の個人的な権利が、そのときそのときに制限されうることになりますの
 で、これは基本的人権という概念に矛盾するわけです。
・基本的人権というのは、法律によっても国家権力にとっても制限されないというのが基
 本的人権で、こういう強い人権の思想というのは、一方において国民主権という原則が
 あるからこそ、その主権者である国民の人権は、国家権力によっても制限されないとい
 う連関性がある。したがって基本的人権が、そのときそのときの法律によって制限しう
 るというような、戦前の権利の思想と同じになりますと、国民主権がある程度制限され
 ることになるのじゃないか。  
・象徴という概念は、法学的に言えば、つまり象徴という観念は代表という観念とは違う。
 つまり代表というものは、政治的な意思に関連して言うものですが、象徴というものは
 政治関係の間で言われておるものではない。したがって政治関係において、たとえば条
 約を締結するというような場合、これは政治的な関係でありますから、この場合には天
 皇が代表者で一刻を代表すれば、天皇は条約を締結するわけではありますけれども、現
 在の天皇は象徴でありますから、政治的意思を代表しないから、内閣総理大臣が条約を
 締結するということになるので、そういう意味から天皇は、象徴であるかぎり、国の政
 治的な意思を代表しない。これは憲法の第四条にも言っておるように、天皇は国政に関
 する権能を有しない、パワーには関係しないのだというのはその意味であります。それ
 で私はなんら不自由はないと思います。
・ところが、天皇を元首にしようという改正が考えておるようですが、天皇が元首になる
 とどうなるかといいますと、現在、内閣総理大臣の名においておこわれたりすることが
 すべて天皇の名でおこなわれる。ことにこの天皇制の復活と関連して再軍備がおこなわ
 れますから、軍隊の問題はすべて天皇の名においておこなわれる。非常事態の宣言であ
 るとか、あるいか緊急命令であるとか、あるいは軍法会議なんかに関連しても、天皇の
 権威をもって言われるということがあるのではないかと思うのです。
・単に内閣総理大臣が政治的意思を代表してやっているわけですが、それをどうして天皇
 の権威によって権威づけようとするかと言いますと、それは対国民の関係において、つ
 まり内閣よりも国民に対して権威づけるために、天皇というものが利用されるわけです。
・旧憲法時代においても、天皇は実際の意思決定はやらなかった。内閣が、国務大臣が輔
 弼の責を負っていたわけですが、しかし形式的には天皇の名においてすべてがおこなわ
 れた。そういうことを再びおこなおうというのはどういうことかといいますと、国民に
 対して天皇の権威で上から命令しようということなんです。
・そうなりますと、主権者である国民に対して、なにかそれを上から押さえるような権威
 づけのものを強化しようということであって、そこに私は非常に問題があると思う。そ
 ういう意味から現在の象徴である天皇を元首に変えるということになると、やはりそこ
 で、国民主権という原則が一方において言われておっても、事実上はある程度修正を加
 えられる。この意味において、国民主権が制限を加えられるというような疑いが出てく
 るのじゃないかと思うんです。

戒能
・言論とか思想とかいう一番政治体制の決定に影響すべき基本的な諸権利になりますと、
 法律で決定されるのは困るのであります。これは基本的人権と申すことができないので
 あります。つまり国家から完全に自由である。自分自身の良心にたいしてだけ責任を負
 うという、この原則がくずれてしまうのであります。
・現在の危険がないかぎりにおきまして、国民の思想、言論の自由というものを完全に保
 障しなければならない。
・しかるにもかかわらず、一般的な条項を置きまして、そして言論、思想の自由に対しま
 しても制限を置こうという考え方になってまいりますと、基本的人権というのはやはり
 くずれてくる、基本的人権がなくなるという結果になってくるわけであります。
・しかも国民主権という概念と基本的人権という概念は離れ離れになっているのじゃなく
 て、両者不可分のものであります。もし言論の自由もなく、表現の自由もなく、結社の
 自由もないということになってまいりますと、国民自身がいかにして政治体制を決定す
 るかということは、じっさい不可能になってまいります。
・したがって、法律でこれを制限するということになってまいりますと、これは基本的に
 人権じゃなくなると同時に、国民主権でなくなるという結果になっていくことだけは明
 らかだと思うのであります。  
・国民に向かって憲法擁護の義務を課していないのは、これは当然でございます。国民は
 憲法改正の発案権をもっているわけでありまして、また改正の提案をすること、議論を
 することは自由であります。必ずしも憲法擁護の義務がないことは、これは自然である。
・公務員であればこそ、現行の憲法を擁護し、現行の憲法を守って、それを動かさないよ
 うにする努力が必要であります。しかし国民自身には、憲法擁護という義務はない。
・この国民を中心として考えてみますと、各政党は少なくとも改正案の準備をする権利が
 あるのじゃないかと私は感じているわけであります。国会とか内閣とかいう国家機関が
 憲法改正案を準備すべきじゃなくて、政党自身が準備すべきものじゃないか、政党自身
 の責任において、自分で改正案というようなものを検討すべきじゃないだろうかと思っ
 ております。 

中村
・いま改正論者が言われていることは、公共の福祉による制限というのじゃなくて、公共
 の福祉を名として法律で積極的に制限していいという、つまり法律事項にしたという点、
 これは明治憲法の場合とまったく同じだということです。
・つまり、いまの基本的人権という考え方は、法律をもっとも制限できない権利というこ
 となんです。それが世界の共通した基本的人権という観念なんです。ところが法律で制
 限しうるという立法事項と申しますか、法律事項になれば、どういうふうにでもそのと
 きの国会の意思によりまして統制法を作ることができる。これでは戦時中とまったく同
 じ、言論や思想の統制がおこなわれる。そうなれば人間の奪うことのできない権利じゃ
 なくて、そのときそのときの政治情勢で人権が制限されていくということになりますの
 で、それが問題だということであります。ですから公共の福祉による制限というよりも、
 むしろ形式のうえで法律事項になるというとこにに問題があると思います。
 
二人の旧軍人」:眞崎勝次辻政信の質問
眞崎
・憲法第九条の、交戦権などというものは双務的なものであって、国内法だけで決定しえ
 ない性質のものじゃないかと思いますが、その点はいかがでございますか。

神川
・第九条第二項お交戦権というものを、そういう意味で使った例は国際法にもないのであ
 ります。これは、おそらく素人が作った言葉だと思います。でありますから、なんのこ
 とかわからないのです。
・もしそれがほんとうに交戦する権利という意味ならば、第一項に放棄するということが
 書いてあるから、交戦権などということは書く必要はない。でありますから、学者はみ
 な交戦者の権利と解釈しておるのであります。これはやむをえないのです。交戦の権利
 というものを第一項に書いてあるですから、同じことを同じ条項に書くはずがないので
 ありますから。
・そう解釈するとおかしなことになる。日本は外国と戦争しても、戦時国際法規の利益は
 なにも受けないで、みずから辞退するのだ、つねに日本人は、戦争すれば戦時重罪を犯
 したことになるわけで、じつにおかしなことです。
・しかしながら、そんなことにはならない。なぜならば、国際法上におきまして、交戦者
 の権利はちゃんと保障されておる。すなわち正規の軍隊に属するもの、不正規の軍隊で
 ありますところの民兵、義勇兵団に属するものはもとより、「ルベ・アン・マッス」、
 すなわち群民蜂起に属しますものも、すべてみな国際法上ちゃんと権利を保障されてお
 る。権利を保障されておりますから、いくら国内法でそれを伏せたところで、いよいよ
 戦争となれば主張することもできるし、また外国がそれを犯せば、これを責めることも
 できるのであります。 
・でありますから、国際法上当然認められておるようなことを国内法で放棄したことにな
 るわけでありますが、じつはこれは不合理なことでございまして、学者が非常に解釈に
 苦しんでいるところであります。それで、これはおそらく素人の書いたものであろうと
 いうふうに判断しておるのであります。

眞崎
・六十六条の文民云々ということがありますが、こお身辺峰の大精神である基本的人権と
 は非常に矛盾した表現であると思います。
・ほんとうに日本のためになる自衛隊ができるかどうかという疑問をもたれるが、その重
 大な欠点は、文民云々などという考え方に基づく点がいちばん大きいと思いますので、
 この点に関して先生のお考えを伺いたいと思います。

神川
・アメリカでは、どういうものか、簡単に申しますと、現役軍人でないということなんで
 あります。現役軍人は「ミリタリー」でありますが、「ミリタリー」でないものは「シ
 ヴィリアン」である。でありますから、アメリカにおきましては国務大臣、大統領、そ
 の他国家の高級官吏というものは、みな「シヴィリアン」でなくちゃいけません・
・しかしながら、それは現役軍人でないという意味でありまして、マッカーサーだって、
 軍服を脱げば大統領になれまするし、マーシャルだって、軍服を脱げばすぐ国務大臣に
 なれる。 
・ところが向こうが気づかなかったのは、すでに日本には軍隊がない。したがって、
 「シヴィリアン」というのは意味をなさない。
・日本が軍隊をもたないかぎりは、それはけっきょく軍人以外の文民、「シヴィリアン」
 という意味になるのだろうと思いますが、もし軍隊を持てば、しこうしてまた現に実際
 は、日本亜は自衛隊という軍隊をもちつつあるわけでありますから、だんだんこれも変
 わってこなければならぬと思うわけであります。 
 
日本のナショナリズムとアメリカの世界戦略:飛鳥田一雄
飛鳥田
・アッカーサー元帥のほうから草案が出たのかもしれませんが、その草案は少なくとも国
 民に周知されておりました。これは新聞にも出ました。国民はこの草案を知る機会を十
 分にもったわけです。しかも、その草案を国民が見ましてから総選挙がおこなわれまし
 た。国民はこの草案を十分に検討するいとまを与えられ、現実にしたかしないかは別で
 すが、いとまを与えられて総選挙が敢行せられ、総選挙の結果、新たなる議会が召集を
 せられて、この議会のなかで現行憲法の審議が進んだわけであります。
・もしそうだとすれば、私たちはこの憲法の審議について、議会は国民の負託を受けてお
 った、こう考えてよりしいのじゃないか、こう考えるわけです。 
・マッカーサーから問題が出たということだけを強調することによって、いま申し上げた
 ように草案を知り、そのうえに総選挙があってできた議会の意思を無視するおとはでき
 ないはずです。

神川
・日本人が、まだ占領治下にあってやったことがほんとうの独立国の議会でやったことと
 同じだという錯覚に陥っておるから、そう考えておるのでありまして、だから、その錯
 覚を訂正さえすれば、なるほどこれはやりなおさなければならぬ、たとい同じものを作
 るにしても、とのかくもういっぺんほんとうの議会でやりなおさなければならぬ、こう
 考えるのが民主主義でございませんでしょうか。そういうことをやらずに、ただ占領中
 にできたもので、だいたい差し支えないからこのままにしておこう、それこそ封建的な
 考え方です。

解説 「「身体化」された議論の緊張感」:保阪正康
・今なぜ昭和31年の国会の議事録が意味をもつのか。とくに「憲法調査会法案」の第一
 回公聴会議事録が意味をもつのか。
・平成19(2007)年の現在、安倍晋三内閣は戦後レジュームの総決算を訴え、憲法
 改正を自らの内閣の重要テーマに据えようとしている。
・しかし実際に、国民の側には憲法改正を論じる空気ができあがっているとはいえない。 
 憲法を改正するのか、あるいは護るのか。それとも現実との間でどのような亀裂を生じ
 ているのか、それをまずは論じるか。
・改正するにしても旧憲法(大日本帝国憲法)に近づけようというのか、それとも人権や
 公害などあらたに問題になっているための条文をつくり、より時代を先どりする形にし
 ていくのか。そこには多様な意見があるし、今後もそうした論点が次々に浮かびあがっ
 てくるだろう。
・現在の憲法とまっすぐに向きあって論じるならば、こういう先達たちの真摯な議論は知
 っておかなければならないということになる。
・今年(平成19年/2007年)は、現在の憲法が施行されてから60年である。その
 間、日本国憲法はいちども手がふれられてこなかった。これは世界的にもきわめて珍し
 いケースだといえるが、しかし手がふれられてこなかったからには、それ相応の理由が
 あるはずだ。
・この法案によると、憲法調査会をつくる目的は、憲法の問題点を改めて調査するという
 点にしぼられていて、直接には憲法改正を目的するものではなかった。しかしその意図
 するところが社会党の反撥を抵抗を呼び、審議そのものが進まず、つまるところこの法
 案は審議未了となった。
神川彦松は、現在の憲法をまったく評価せず、あえてこれは占領憲法といってもいいと
 主張している。強力な改正論者である。
中村哲は、戦前には近衛文麿に近い昭和研究会に属するなど、いわばリベラル派という
 ことになるが、戦後は社会党を支える理論家であり、憲法改正には反対であった。
戒能通孝は、東京裁判の弁護人をつとめたこともある法学者だが、どちらかといえば社
 会党の側に近く、憲法改正には反対であった。