「何もなくて豊かな島」 :崎山克彦

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 この本の筆者は、30年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、フィリピンにある周囲2kmの小
島カオハガン島を買い、そこに住んでいる60家族360人の島民と共に暮らし始めた。そこの島民
は、なにもない貧しい暮らしではあるが、とても幸せそうに見えた。そこには、ほんとうの幸せな暮
らしとは何かを教えてくれるものがあった。
 私はこの本を読むのはこれで二度目である。私が最初にこの本を手のしたのは、今から6、7年前
で、当時は、慣れない仕事に追われ、心がとても疲れ切っていた時期であった。書店で何となく目に
入り、無意識に購入し読み始めたら、つい夢中になって読んでしまった。読み終わると、なんか心の
固さがとれたような気がした。そして、いつの日か、自分もこれに近いような暮らしがしたいと憧れ
をもつようになった。
 これは宗教の世界にも通じるものであるような気がするが、人が幸せを感じるためには、できるだ
け自分の欲望を小さくすることであるということが、この島民の暮らしぶりから教えられる。人間の
欲望は際限がなく、一つの欲望が満たされると、すぐに次の新しい欲望が生まれてくる。そして、そ
の新しい欲望は満足するのがどんどん難しい欲望になっていく。このため、人はいくら欲望を満たし
ても、満ち足りた心境になることはなく、常に不満を抱えて生きることになるのである。宗教におけ
る修行僧などは、この欲望を打つ負かすために修行をするのであろう。
 現代社会は人間の欲望を刺激する情報で満ち溢れている。そういう環境の中で生きているうちは、
自分の欲望を小さくするというのは、なかなか困難だと思う。そういう欲望を刺激する情報を断ち、
静かな環境の中で暮らすことによって、はじめて自分の欲望を小さくできるのではないかと思う。
 今のまま人間が欲望を増幅し続けていけば、やがては地球の資源を使い果たし、地球の環境を破壊
しつくし、人類は自分たちの欲望のために滅亡していくのだろう。
 私はこの本を読んでからは、自分の生活はできるだけシンプルなものにしようと誓った。この島民
たちほどのシンプルさにはできないが、ほんとうに必要なもの以外のものは欲しないことにしよう、
今持っているものは最後まで使い切るようにしようと心掛けるようになった。

カオハガン島までの長い航海
 ・私は全人生を会社に捧げるというタイプの人間ではないし、また、会社におんぶして過ごそうな
  どと考えたことも一度もない。いつかは会社を離れ、自分の人生を自分で歩み始めなければなら
  ないと最初から思っていた。52歳になったばかりの年に会社を辞めてしまった。その数年前か
  らから私は女房と別居していた。仲の良い夫婦と思っていたが、もつれてきた糸は元に戻らない
  ことがはっきりしてきた。ふたりの子どもも成人したし、親子の関係は何があっても変わらない。
  むしろ自分の生き方を貫いたほうが子どもたちのためにもいいと思った。
 ・その時、私は53歳、これから20年、いやひょっとすると30年近くも元気に過ごせるかもし
  れない。それは、学校を出て働きだしてからと同じくらいの長い時間だ。これからをどうして過
  ごすか真剣に考えた。
 ・30年も続けた「ビジネス」を中心とした生活から、抜け出したかったのかもしれない。なにか
  違う価値観を求めて生活したかったかもしれない。仕事の合間に考えることではなく、考えるこ
  とを中心に生活がしたかったかもしれない。
 ・やはり島に行こうと心に決めた。島に行くということの目的は何なのだろう。美しい南の島で、
  きれいな空気を吸い、風に吹かれて楽しい生活をしたい。確かにそれが正直な動機だ。しかし、
  それだけではいけない。これからの人生は長い。なにか「仕事」をしていくことが必要だろう。
  生活のため、お金を得る仕事ではなく、自分のやりたい仕事。今までの人生での経験で、これだ
  けはやらなければいけない、と思った仕事。営利のビジネスがやらない仕事。皆が楽しくなる仕
  事。未来に少しでも役に立つ仕事。

南西の風「ハバガット」の吹く季節
 ・日本人は一人一日平均どのくらいの水を使っているのだろうか。帰国した際に、東京都水道局に
  聞いたところ、東京都民は家庭で毎日ひとり平均246リットルの水を使っているそうだ。この
  計算が本当なら、日本人4人が二ヶ月間島で生活したら、私のタンクの水はなくなってしまう。
 ・基本的に島民たちは水を無駄に使わない習慣が身についているのだ。一家族平均6,7人。一家
  族で一日20リットルの容器3本、つまり60リットルくらいの水を使うそうだ。日本人ひとり
  が一日で使う量で、なんと島民の一家族が、4日間生きてゆけるのだ。日本人は島民の25倍近
  い水を使っていることになる。しかも、乾季になると、一家族で1日20リットルくらいしか使
  わないというから、いかに日本の人たちが水をたくさん使うかがわかる。
 ・日本から島に遊びにくる人たちに、いつも、シャワーの水の使い方について次のようにお願いを
  している。「身体に水をかけたら、一旦止めてください。身体を洗い終えてから、また水を出し
  てください。」カオハガンにいると、私はいつもそうしているが、たまに東京に帰って数日たつ
  と、水を出しっぱなしでシャワーを浴びるように戻ってしまう。
 ・日本では、たいていの場合、一家の主人のすることは「職業」としての仕事でお金を稼いでくる
  だけ。その他の仕事、日常生活をしてゆくための仕事はあまりしないし、また、できないのが普
  通のようだ。ところが、島の男は、自分の生活に必要なことは、見事なまで全部自分でやってし
  まう。一人で一隻の船を作り上げてしまう。古くなった自分の家を取り壊して、新しい家に建て
  替えてしまう。何ひとつ紙に書くこともなく、すべて自分の頭に組み込んである感じで、すらす
  らと「我が家」を作り上げていく。
 ・こちらの男性は、奥さんからみれば実に頼もしい存在にちがいない。事実、日本から島に来た、
  若くて美しい女性たちから「島の男の人って頼もしいわね」という、意外なコメントを何回も聞
  いた。必要なことは全部やってくれ、他人に頼る必要はまったくない。島の男が、洗練さて、お
  金を稼いではくるが、家のことは何もしない、何もできない日本の男性よりも、頼もしく、やさ
  しく感じられるということなのだろうか。
 ・男は、人間は、自分と自分の家族の生活に必要なあらゆることを、一人でできるということが、
  一番なのではないかと。それが、小さいけれどもしっかりとした自信と、落ち着きと、豊かさを
  生み出すのだと思うのだ。確かに、島の男は「職業」としては、たいしたことをしていないかも
  しれないが、自分の生活に必要なこと、自分の生活を少しずつ豊かにすることに必要なすべ
  てを知っているのだ。
 ・カオハガンでは夫婦が理屈なくナチュラルに結ばれており、そして、家族がこれまた自然に、生
  きることの中心単位になっている。私自身、島に来る前の何年間か日本で一人で生活していたが、
  特に不自然に感じることはなかった。しかし、カオハガンでは、やはり男と女がひとつの単位に
  なって生きていくものなんだなということを強く感じる。不便だからとか、寂しさだとかいうこ
  とではない。何かそうあるのが当然のように思えるのだ。
 ・発達した社会では、国、会社、地域社会、学校などいろいろなものに複雑に関係し、人は生きて
  いる。その中で家庭というものの存在が薄くなってくる。カオハガン島は、最小単位「男と女」
  「家族」といった複数で、何かを築いていく、創って行く、そんなことを自然に感じる世界なの
  だ。

北東の季節風「アミハン」が吹きはじめる
 ・自分のすきなところに家を建て、自分の住みたいところに勝手に動かし、多くも持たず、自然を
  友に生きていく。これは、ほんとうに「自由」な生き方だ。それは、我々の住生活の理想のかた
  ちなのだろう。そんなところから、自由な心休まる生活が始まるのだと思う。
 ・島にいると、ふっと自然の中に吸い込まれてしまう「時」がある。昼下がり、ココ椰子の木陰で、
  ゆらり、ゆらりとハンモックに揺られ、心地よい風に身をまかせている時。夕暮れの浜辺で流木
  に腰をおろし、西の海に沈んでいく太陽を見ている時。そうした時、自然の大きさ、美しさ、不
  思議さの中に、自我が吸い取られてしまう。時間が止まり、自然の「ゆらぎ」に身をまかす。何
  もしない。何も考えない。その瞬間が、ゆっくりと充実して流れていく。
 ・島では、特にしなければならないことはほとんどない。その日、その日の、暑さ、風、潮などの
  自然、そして人との出会いの中で、一日がなんとなく過ぎて行く。穏やかに過ぎて行く。ものを
  書く。気が向くと本を読む。じっくりと考える。泳ぐ。気功のの体操をする。水彩画を描く。犬
  と遊ぶ。人と出会う。小さな島だから、会う人は皆顔見知り。世間話をする。
 ・自然に身をゆだねると、良い時が過ぎて行く。先のことなど考えず、今のこの時を生きて行くの
  だ。「何と単調な、意味のない生活なんだ」と思われるかもしれない。しかし、島には島の時間
  が流れ、島特有の文化があるのだ。
 ・都会では、時間に追われて仕事をし、食事をし、金を貯め、時間に追われて旅をしがちだ。しか
  しカオハガンはちがう。自然を押し退けて、物の「量」を求める文化ではなく、自然に身をゆだ
  ねて、時間の「質」を楽しんでいるのだ。西の空を茜色に染めて陽が沈む。太陽が海に沈んでい
  く雄大なドラマを見ていると「ああ、一日が終わったんだなあ」というホッとした気持ちと、一
  日の終わって行く寂しさを感じる。
 ・朝になると、東の空を真っ赤に焼いて太陽が昇る。昨日沈んだ太陽が、水平線から、再び昇って
  来るのだ。新しい一日が始まり、新しい時間が始まるのだ。毎日繰り返されるそんなシーンを眺
  めていると、時間は「過ぎ去っていく」のではなく、「繰り返している」のだと、確実に感じる。
 ・島の人たちは、自然の中に身を置き、自然をしっかりと観察し、自然と身体をすり寄せ合って生
  きている。その中で島民は、過ぎ去るのではなく「繰り返す」時間感覚を身に付け、生きるよう
  になるのだ。砂が直線的に落ちる「砂時計」の時間ではなく、太陽の影が円を描く「陽時計」の
  時間を生きていくのだ。
 ・今日、何かが出来なくても、時が熟せばそれをする「時」が必ずやってくる。あせることはない。
  ゆったりと、今を生きていけばいいのである。あわてることもなく、怖れることもないのだ。
 ・高齢のお年寄りが何人かいる。皆、実にゆったりと、自由な生活をしている。自分で魚を捕り、
  自分で炊事をし、ゴザを編み、酒を飲み、煙草を吸い、踊り、自分のできる範囲で、自信を持っ
  て生活を楽しんでいるように映る。衰弱や病気、死などを怖れるという、受け身で消極的な生き
  方はしていない。人が死ぬのも自然のサイクルであり、また新たな生命になって生まれて来るこ
  とを感じているにちがいない。
 ・今では、私も、この「循環する時間」を身体で感じるようになってきている。自然のリズムに添
  って逆らわずに生きることは、ほんとうに心が休まる。
 ・カオハガンの生活には、いわゆる「情報」はほとんどない。物も少ない。物も情報も少ないから
  生活は簡単になる。そして、大きな海と空と風に囲まれ、自然の驚異、美しさ、大きさに接して
  生きている。そうすると、人は「大きな、大切な」何かを感じ、それを時間をかけてしっかりと
  考えるようになる。私もカオハガンに来て、いろいろなことをゆっくりと考えるようになった。
  日本の忙しい生活の中では浮かんではすぐに流れ去ってしまった「思い」を、ゆっくりと考える
  ようになった。自分でじっくりと考える。すると徐々に自分の考えがしっかりと固まり始める。
 ・日本に帰ってきて見聞きする、いろいろな人生の先輩たちの思想、経験の中に、自分の考えてい
  たことがはっきりと見えてきたり、「これでよかったんだな」と思えたり、自分が気がつかなか
  った道が見えてきたりするのだと思う。これはとてもうれしいことだ。
 ・日本にはメディアの情報が溢れている。日本で忙しいサラリーマン生活を送っていた時にもたく
  さんすばらしい情報があったに違いない。しかしそこから何か大切なものを学び取ることはあま
  りなかったように思う。何かが吹っ切れたりする情報に会うことはあまりなかった。今、たまに
  日本に帰ってくると、それをよく感じるのだ。
 ・これは受け手の問題なのだ。物と情報過多の中で、考える時間と心の余裕をなくし、せっかくの
  情報をトイレの水洗のように、ただ流れるにまかしてしまっているのだと思う。人生の指針とな
  るような情報は多く存在しているのだが、それを見つける、それを感じる余裕を失っているので
  はないのか。
 ・日本に帰ってきて本屋をゆっくりと見て回るのが楽しみだ。よくどっしりと書かれた本が少なく
  なったと言われるが、そうでもないと思う。何冊か買って島に持って帰り、風に吹かれてゆっく
  りと読む、するといろいろな美しいものが見えてくる。
 ・島でゆっくりとした時間を持ち、かつ情報の多い日本で良い情報を得ることができる今の生活が
  とても幸せだと思うのだ。
 ・サラリーマンを辞めて一番よかったと思っているのは、通勤の満員電車に乗らないですむことだ。
  でも、たまに、どうしてもその時間に人と会わなければならなくて満員の電車に乗ることがある。
  押すつもりはないが、どうしても人に触り人を押す。そんな時、鋭い狂気に満ちた反応が返って
  くる。恐ろしさを感じる。きっと自分もそんな生活をしていたのだろうと思う。
 ・日本の食事はおいしい。私は昔は大食いで有名だったが、最近はあまり量をとらないようにして
  いる。でも、日本に少し長くいると、食べた後、腹にたまってもたれる。ちょっと体操をしたく
  らいではどうもこの不快感は直らない。なにかナチュラルでない不健全さをいつも身体に感じて
  暮らすことになる。
 ・自分が何か他人に対して自然に振る舞えないようになってくる。顔がこわばり、何か壁を作って
  しまうのがわかる。

乾季、そして島の夏
 ・言葉というものは不思議なもので、どんなに勉強しても通じない人がいる。逆に、英語もビサヤ
  語もできないのに、もう百パーセント島民の中に溶け込んでしまう人もいる。相手を愛する心、
  「言葉なんて知らなくてもいい」という度胸が一番大切なのだ。私も仕事でいろいろな国を旅し
  てきた。英語があまり通じない国に行くとへたに英語は使わず、日常の会話はいつも日本語で通
  した。人間同士だと腹をくくり、手振りを交えて普通に話すと、けっこう通じるものなのだ。

新しい風
 ・私は第二次世界大戦後の東京で少年時代をおくった。戦争が終わり進駐してきた米兵の運んでき
  たアメリカとアメリカ文化がキラキラと輝きまぶしかったものだ。今、カオハガンの島の人たち
  には、きっと我々の「北」の文化がまぶしく映っていることだろう。その時、また小さかった私
  には、自分たちの生活、自分たちの文化がいかに貧しく思えたことか。カオハガンの人たちは、
  ただただ島の生活は貧しいと思っている。そして、「北」のような生活をしたいと憧れている。
  そう思うのは自然なことだ。
 ・「わたし貧乏でかわいそう」島の人たちは口ぐせのように言う。マクタンに家を持ち、月曜から
  金曜までを島で過ごしている小学校の先生は、毎日島の人たちが潮の引いた海に出て、自分たち
  がその日に食べる魚や貝を捕りに行くのを「かわいそうで、見ていられない」と言う。しかし、
  私にはそうは思えないのだ。たしかに彼らの持っている「もの」は少ない。日本の人のおそらく
  数百分の一も持っていないだろう。しかし彼らはゆとりを持って生活をしている。あくせく働く
  こともないし、あせることもない。島のみんなが知り合いだし、どんな人も島の社会で役割をも
  っている。島には何人かの知能の遅れた人がいる。生活自体がシンプルだから、彼らも一人前に
  自活できる。誰も差別をしない。私の目には、カオハガンの人たちはいつもハッピーな生活を送
  っているように映るのだ。事実彼らの目はいつもやさしく輝いている。
 ・人間の「幸福」の尺度は、次の方程式で測れるという。
       幸福=(財)/(欲望)
  欲望が分母で、その人の持っている物、財産が分子だ。その価の大きい時、人は「幸せ」を感じ
  る。
 ・人は幸せをつかもうとして金を貯め、物を、財産を増やそうとする。しかし、財産が貯まりはじ
  めると、それにつれて欲望もそれ以上に膨れてくる。そして更にその欲望を満たすために努力し
  て金を稼ぐ。しかし、また欲望が膨れ上がる。いつまでたっても心の幸せはつかめない。
 ・この考えはとても面白いと思う。考えてみると、確かに、我々が身体ごとどっぷりと浸かり、当
  然のことと思ってきた「幸せ」とは、分子(財産)を大きくする幸せだったのだ。また、皆がそ
  う思わないと、近代資本主義経済はなりたたない。物を大量に作り、大勢の人がそれを買い、消
  費しないと近代資本主義は成立しないのだ。もともと人間の欲望には限りがない。それに周りが、
  モデルチェンジを繰り返し「消費は美徳だ」と煽りたてる。皆が脇目もふらず働き、金を貯め、
  物を買う。
 ・最近になって、物の溢れる生活の中で、大勢の普通の人が「ほんとうに我々は幸せなんだろうか」
  と感じるようになった。そして同時に、この大量の消費文明自体が地球環境を悪化させるという
  ことがわかってきた。そして、それが、人類を滅亡に導くというシナリオにも繋がりかねないの
  だ。
 ・ではどうすればいいのか。分子(財産)を大きくしようとするのではなく、分母(欲望)を小さ
  くすることだ。分母を小さくすれば、欲望を小さく押さえれば、その結果心の幸せは大きくなる。
 ・この物質的欲望を小さくするということは、今の「北」社会の中に住む我々にとってはとても難
  しいことだ。しかし、同時に、とても大切なことなのだ。周りに踊らされることなく、自分の欲
  しいものだけを所有し自分らしい生活をする。ゆったり、自分の出来る範囲で余裕を持った生活
  をする。欲望を小さくするところに幸せは存在するのだ。
 ・そしてまさにこれはカオハガン島に住む人たちの生活なのだ。彼らは多種大量の物が手に入る環
  境にない。こんないいものがあるんだと日常刺激を受け続ける環境にない。その中で物に対する
  欲望は強くは芽生えず、心の安定した生活を送っているのだと思う。
 ・これが私がカオハガン島で学んだ一番大きな教訓だ。今「北」の人たちが何かいらだちを覚えて
  いるのはこのことなのだと思う。これが、私たちが「南」から学ぶことができる大きな教訓なの
  だと思う。そしてこの考えかたは、今後も地球環境をバランスがとれたものとして維持するため
  にも最も大切なことなのだ。
 ・考えてみると、私がカオハガン島でやりたいと思っていることのひとつは、そこに理想の「やす
  らぎの場」をつくることではないかと思うのだ。もちろん、その「やすらぎの場」の確固とした
  イメージはない。が、幼い頃の記憶、少年のころの夢、友人たち、そしてこれからの世界はどう
  あるべきかという思い、等々。そんなすべてがベースになっているはずだ。
 ・まず私は自分でカオハガン島に住んでみたかった。今まで生きてきた環境から大きく離れた、価
  値観の異なる世界で生きてみたかったのだ。私は戦後日本が廃墟の中から立ち直り、急速な経済
  復興をとげ、裕福な社会になった時代に生きてきた。生き生きとした良い時代だったと思う。し
  かし、物が溢れ、心のゆとりを失った現在の生活が良いとは思っていない。これからの自分のま
  だまだ長い人生を、そのままその中で生きてみたいとは思わない。
 ・インドには、「人生には学びの時期、社会に生きる時期、社会で学んだことを社会に返す時期が
  あり、そしてそれを経て自分だけの世界を得るために森に入る」という考え方があるらしい。私
  は、まだ現世を離れて森に入る心境ではないが、新しい環境に入りそこでじっくりと考え、学ん
  だ何かを社会に返したいという気持ちはあったかもしれない。
 ・新しい環境は身体のためにも良いにちがいない。毎日海から吹くきれいな新鮮な空気を吸い、気
  が乗ればいつでも海で泳ぐことができる。ゆっくり一日中本を読んでいたい。スキューバをつけ
  て何時間も浅い海に入って魚の生態を眺めていてもいい。
 ・「勤めに出るようになって、お金の余裕も少しできてきた。欲しいものも手に入るようになった。
  が、何か満たされない。やはり、人と人とのほんとうの触れ合いがないからだと思う」「今の、
  お金や物がすべてという世の中は間違っていると思う。それに巻き込まれず、何か自分の生き方
  を見つけたいと思い焦るが、何をしていいのかわからない」若い人たちの中にこんな考えをもっ
  ている人が少なくないようだ。そして何かを求めてカオハガン島に来てくれたんだと思う。
 ・今、優秀な若い人たちが自分のために金を稼ぐだけでない。何かの行動を求めている。若い純粋
  なエネルギーを、自分が意義あると信じられるものに使いたいと思っている。僕らの世代は何か
  盲目的に「会社」を「社会」との唯一のつながりと考え仕事をし、働いてきた。またそれがその
  まま世の中のためになっていた時代だったと思う。
 ・今はそう考える若い人は少ないのではないのか。そういう単純な時代ではないようだ。会社で働
  くということ以外に、社会、世界とより直接結び付く何かを求めているような気がするのだ。こ
  れはすばらしいことだし、もしその道を見つけることができれば本人にとっても、とてもハッピー
  なことだと思う。
 ・世界中の人たちみんなが、一つの地球で、お互い助け合い、生きていかなければならない時代に
  なる。地球上にはいろいろな人たちが住んでいることを知らなければならない。この数百年を支
  配してきた自然を排した技術物質至上主義が、今、行き詰まっている。そうでない文化がたくさ
  んあることを知ってほしい。地球が壊れやすい環境にあり、われわれの生活の仕方いかんで人類
  が滅びるかもしれない。そんな時代に生きるための価値観を見いだしてもらいたいのだ。そして
  自分たちの周りを見直し、何かを始めてもらえばこんなにうれしいことはない。