とらわれる生き方 あるがままの生き方 :大原健士郎

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この本は、いまから25年前の1996年に出版されたものだ。
この本の著者は、精神科医で、自殺研究の第一人者として知られ、森田療法の継承者であ
ったようだ。
森田療法というのは、森田正馬により創始された精神疾患に対する心理療法であり、不安
障害、強迫性障害などの神経症に対して主に行われる心理治療方法だという。
昔に比べ、物質的には豊かになったと言われる現代社会は、その一方では、人間関係がま
すます複雑になり、生きづらさが増している。現代社会に生きるに我々は、多かれ少なか
れ神経症的な症状を抱えながら生きている人が数多くいると想像される。
神経症というのは、心がある一つのことに異常に固執してしまい、神経が疲れ果てしまっ
た状態のことを言うらしい。神経症になる原因としては、親からの遺伝や、小さい頃の親
の養育状態などからも影響を受けると言われており、完全欲が強い人に多いと言われてい
るようだ。
こういう心の問題というのは、自分で何とかしようと思っても、心はなかなか自分の思い
通りにはならない。何とかしようと思えば思うほど、ますます悪化していくことが多いと
いう。
この本で述べられていることは、とにかく、そういう状態になったら、その状態を自分で
なんとかしようとせず、そのままにして、つまり「あるがまま」にして、日常のやるべき
ことを、できるだけたんたんとやり続けることが大事だということらしい。日常のやるべ
き行動をしっかりやり続けていれば、心の不調も徐々に改善されていくという。
これを読んで私は、ケガなど身体的な故障時のリハビリテーションとよく似ているなと思
った。身体も、ケガなどして、しばらく動かさない状態が長く続くと、元のようには動か
なくなってしまう。そのとき、毎日、少しずつ少しずつ動かすリハビリをし続けていると、
徐々にではあるが、やがてもとのように動くようになってくる。自然治癒力が働くのだろ
う。心の故障も、それと同じなのだと私はこの本を読んで思った。
しかし、こころの病は複雑怪奇だ。この神経症の他に、心身症、うつ病、パニック障害、
適応障害、総合失調症などなど、それぞれどう違うのか、私にはさっぱりわからない。
しかし、この本を読んで、神経症とうつ病は違うのだということは、なんとなくわかった
ような気がした。
この本を読んで、私も、あまり一つのことにとらわれることなく、あるがままに生きてい
きたいものだと思った。


まえがき
・人間はもともと動物なので、本質的にそうそうまじめなわけではない。仕事や勉強が対
 好きな人はいない。いやだけれども、やらねばならないので、仕事や勉強をするのであ
 る。いやであってもやっているうちに、成績も上げり、人にほめられるし、出世はする
 し・・・で、二次的に喜びを得られるようになるのである。
・生まれつき働き好きな人間など、いやしない。真の仕事ならどんなものであっても必ず、
 まじめにそれに没頭すれば、間もなく興味が湧いてくるという性質を持っている。人間
 を幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功とのよろこびである。
・気分に逆らうのは判断力のなすべき仕事ではない。判断力ではどうにもならない。そう
 ではなく、姿勢を変えて、適当な運動でも与えてみることが必要なのだ。
・心は、自分の思いどおりにはならない。悲嘆に暮れている人がいくら自分を叱咤激励し
 ても、朗らかな気分にはならない。どうにもならない気分はいじらずに、あるがままに
 受け入れ、やるべきことをやるのである。それは、できる。健康人らしい行動していれ
 ば、やがて心も健康になっていくのである。
・良いことにとらわれることは、一向に問題はない。それどころか喜ぶべきことである。
 人生における価値は一つではない。有意義なことに大いにとらわれてよいし、とらわれ
 るべきである。 
  
「ふつう」であることのむずかしさ
・神経症とは、心理的なストレスから起ってくる軽い心の病気のことである。精神病に比
 べて、非常識な言動や行為はなく、自殺とか反社会的な行動もない。しかし、本人は重
 病だと思っている。
・神経症には、いくら頭が痛い、どこそこが具合が悪い、といっても、その訴えに相当す
 る器質的な病気がない。器質的な病気では、たとえば頭が痛いときに脳波をとったりレ
 ントゲンをとると、病変が発見できる。神経症では、いくら調べても何も出てこない。
 病気でもないのに、病気だ、病気だと騒いでいるわけである。
・人間は不安そのものなのだ。いずれ死ななければならないけど、少なくとも今日明日は
 大丈夫だ。そういう保証があれば、不安は不安として抱えながらも、一日をがんばって
 有意義に過ごすように努力するわけである。それが、ふつうの人の生き方である。
・神経症の人は一点集中主義で、それさえどうにかなれば、他人よりも自分はずっと優れ
 ていると思っている。彼らには「ふつうであること」のむずかしさが見えていない。し
 かし、これは現代人に共通した傾向ではないだろうか。人よりいい点数をとろう、人よ
 りいい大学を出よう、人より出世しよう、人より金儲けしよう・・・すべて人と比較し
 て、それ以上であろうとするわけで、”ふつう”では我慢できない心性が育っている。
 しかし、競争のあげく何を手に入れただろうか。戦い疲れて、結局は「ふつうであるこ
 と」の良さに気づきつつあるのが、現代ではなかろうか。
・イヤな上司で、こんちきしょうと心の中で思ってもいいから、「おはようございます」
 からはじまって、にこやかに挨拶し、ふつうの対人関係を結ぶことが大事なのだ。
・神経症の人は、まず心を治して、それから健康な行動をとろうとする。それではうまく
 いかない。健康人になりたければ健康人らしくふるまうというのが、森田療法のモット
 ーである。自分の力でどうにもならない心をいじめるのはやめて、どうにかなる行動の
 ほうを健康人らしく行なおうではないか。目的本位、行動本位の生活をしようではない
 か。
・仮面というと、自分を欺いているからイヤだと思う人がいるが、われわれはいつも仮面
 をつけ替えて生きているのである。本心で生きるより、そっちのウエートのほうが高い
 かもしれないのである。
・神経症は、ふだん何も意識しないでふつうに生活しているような部分に、異常に関心が
 向いて、生活のリズムが狂っている病気と言える。人間はリズムで生活をしている。睡
 眠、呼吸、心臓、体温、便通、女性の生理もそうである。その生活リズムが崩れると、
 体のリズムが崩れてくる。体のリズムが崩れると、気分のリズムも狂ってくる。まずリ
 ズムづくりが大事なのである。
・人間らしい生活は起きているときにするもので、睡眠は心理的にいうと死と同様である。
 「眠りたい、眠りたい」と言っている人は、「死にたい、死にたい」と言っているよう
 なものだ。ふつうは「死にたいですか」と尋ねられれば、「とんでもない」と答えるの
 が当たり前である。それなのに不眠派だけは「長生きするために死にたい(眠りたい)」
 と妙なことを言っていることになる。「早起きは三文の徳」というが、眠りが少なけれ
 ば少ないほど得をする、人生それだけ長生きをするのだ。そのくらいの気持になれば、
 不眠症というのは自ずからよくなる。
・規則正しい、リズムのある生活が大切である。ちょっとしか寝られないなら、それをあ
 るがままに受け入れ、少ない時間枠で規則的に寝ればいいのである。最悪なのは、毎日、
 寝たり起きたりの時間が不規則な生活である。それがバラバラだと、体にリズムができ
 てこない。いつお腹をすかしていいのかもわからない。それとともに、心も揺れ動いて
 くる。
・森田療法の基本的な理念は、「あるがままに生きる」ということである。「あるがまま」
 に生きるというのは、泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑うということではない。
 笑いたい気分や泣きたい気分を「あるがまま」に受け入れて、今なすべきことをやるの
 が「あるがままに生きる」ということである。気分をいじらず、しかも目的をもって、
 行動本位に生きる姿勢のことである。
・仕事や勉強があるけど気分が乗らないからやらない、というのではなく、乗らない気分
 を認めながらも目的を達成することが大事なのである。
・人間の心というものは、自分の力ではどうにもならないものである。憂うつなときに、
 晴れやかな気持ちになれと、自分自身を鞭で打ってみてもしょうがない。
・患者はよく「自信がない」と言う。勉強にも自信がない。仕事をするにも劣等感の塊だ。
 こういう思いが消えてしまいさえすれば、人にも負けないのに、と思う。劣等感の塊な
 のに、強烈な優越感も持ち合わせている。
・いくら頭で考えても自信は出てこないという。自信というものは、実行して体験的に理
 解していく以外に、できるものではない。人前に出てしゃべるのが不安で不安でしょう
 がないと、いくら自分の部屋の中であれこれ考えていても、それこそしょうがない。ビ
 クビクしながらも、人前に飛び出していって話をする。そうすると、以外に話せること
 に気づく。
・自信というのは、非常に具体的なものだということである。だから、行動が非常に大事
 だというわけである。
・その人の価値は行動と実績で決まるということである。いくら善良な考えをもっていて
 も、実行に移さなければ意味がない。
 
「死」を考えるとは「生」を考えること
・たとえ八十歳で死のうと、百五十歳で死のうと、宇宙の大自然から見ると、本当にまば
 たきするだけの時間である。若いときから一生懸命勉強もし仕事もした。知識も豊富に
 なった。ずいぶんいい音楽を聴いたし、いい小説を読んだ。自分なりの生き方をしてき
 て、人にも誇れるような人生を送ってきた。そのあげく、死んでいかなければならない。
 人間は、生まれてすぐに死の宣告を受けている存在である。考えてみれば、非常に悲し
 いことである。
・しかし、おずれ死ぬにしても、蓄積してきたものを次の世代に譲り渡すことができる。
 そうすることによって、いつまでも生きられる、と私は思う。有意義に、楽しく人生を
 送ることができれば、それがそのまま次の世代につながっていく。
・ロサンゼルスで、金持ちに自殺が多いか、貧乏人に多いか調べたところ、金持ちに自殺
 が多いという結果が出た。矛盾しているように見えるかもしれないが、お金と余暇がた
 っぷりあっても、生きる目標がなければ、ちょっとしたストレスにも人間は弱いものな
 のである。たとえ貧乏で明日の食事をまかなう金がなくても、生きる目標さえしっかり
 していれば、自分から挫折することはあまりない。
・日本の老人は、人間関係を大事にしながらも、子どもに言うべきことは言う姿勢が必要
 なのではないだろうか。「いまどきの若い者は」と憤る気勢も大事だし、子どもたちは
 子どもたちで、老人に対する役割意識をもたなければならないだろう。ところが、いま
 の老人は、いかにも若い人たちに遠慮しすぎるし、若い人たちも老人を無視しすぎてい
 る。両者とも決してそれで幸せだとは思えない。
 
じたばたしても何もはじまらない
・不安がない人はいない。不安だからこそみんな、将来に備えて貯金はするし、健康診断
 を受ける。赤信号なら止まって、左右を見回し、青信号になったら渡る。これは不安を
 実生活に生かしているわけである。本人はべつに、不安を強く意識してそうしているわ
 けではない。漠然と不安を感じながら、それを建設的に生かしているのである。
・自殺を考えたことのない人は教養のない人である。人間は折に触れて、悲嘆に暮れ、死
 にたいとまで思う。それは、みんな同じである。それが、ふつうである。ところが、そ
 の悲しみを心の中に抱きながら建設的な生活をするのも、ふつうの人間のやることなの
 である。
・いい死に方をしたいと思うのは、私も同じである。しかし、いくらいい死に方をしよう
 と準備しても、決して望むような死に方につながらない。というのは、いい死に方とい
 うのは、いい生き方の延長線上にあると思うからである。
 
悪い癖は薬を飲んでも治らない
・心というのは常にいろいろな方面に向かって働いているときは、結果的にみると、安定
 し落着いている。それは、まるで自転車に乗っているようなものだ。自転車に乗って石
 ころや左右の揺ればかりに目が向いたり、遠くのほうや目先ばかり見ていても、うまく
 こぐことはできない。それと同じように、心を使ってすべての状況に対して注意を払う
 ことが大事なのだ。
・神経症の人の場合は、水たまりがあると水たまりにだけ考えがいったり、来もしない自
 動車のことばかり気にしたりする。ふつう、自転車をこんでいるときには何も考えてい
 ないようで実は周囲にものすごく気を配っている。
・人生も同じようなことで、一つのことだけに価値を置いてはダメなのだ。バランスのと
 れた人間になる必要がある。 
・自分の心は、自分ではどうすることもできないことだってあるのだ。突如として不安が
 襲ってきたり、気分がすぐれなかったり憂うつだったりしても、人前に出たときにはニ
 コニコ笑っていることだってできるのだ。
・ニコニコしていれば、この人は気持ちのよさそうだと周囲の人から見られるわけだよ。
 たとえ気持ちがよくたって 、仏頂面をしていれば、何か不機嫌そうだとか憂うつそう
 だとか見られる。人間関係を健康に保とうとすれば、まず健康人らしい態度を身につけ
 るが大事になってくる。
 
「とらわれ」からの脱却を
・「長生きをしたい」「金持ちになっていい家に住みたい」「出世したい」「人に認めら
 れたい」「ほめられたい」「知識を深めたい」「向上発展したい」といった、もろもろ
 の欲望を総称して「生の欲望」といいます。
・この「生の欲望」に沿って健康的な生活をしている人が、健康人です。つまり、神経質
 傾向を実生活に生かしているのです。神経質は出世型の性格だと言われる所以も、ここ
 にあります。
・ところが、何かのきっかけで、それまで外に向かって建設的に活動していた精神的エネ
 ルギーが向きを変えて、自分の心身の変化に方向転換してくることがあります。
・自分でも愚かな考えに支配されていることはわかっていますから、この考えを追っ払お
 う、追っ払おうと苦しみます。そうすればするほど、尖ったものが気になり出します。
 気になると、ますます神経がそれに集中し、視野がせばまって他のことに頭が働きませ
 ん。そうなるとさらに気になり、それに神経が集中し、という悪循環がはじまります。
 そして、にっちもさっちもいかなくなったのが「とらわれ」の状態です。
・「とらわれ」の状態が、取りも直さず神経症なのです。悪循環を打破し、「とらわれ」
 から脱却する方法が森田療法です。つまり、非建設的な「死の恐怖」を、元の建設的な
 「生の欲望」に向きを変えてやる操作が森田療法ということになるわけです。
・森田療法では、尖ったものが恐ろしいのは当たり前のことだ。恐ろしい気持ちを追っ払
 おうとはせず、それから逃げないで、気分はいじらずにそのままにして、健康人らしく
 行動しようと示唆します。健康人らしく振る舞い、よい生活習慣が身につけば、やがて
 は心も健康になるのです。

劣等感の塊が、実はブライドの塊
・神経質の人は、すべてに神経質であればいいのに、くだらない一つのことに神経質で、
 あとのことはまったくずぼらだということがよくある。
・神経症の人は、劣等感の塊のように思っているらしいが、よく自己分析してみると、虚
 栄心の塊のようなところがある。 
・いくら嘆いても、いくら慰められても、事態は好転しない。現実は素直に認めて、あき
 らめるべきことは積極的にあきらめ、やるべきことをやるという姿勢をつくることだ。
 現実をあるがままに受け入れ、現在やるべきことを目的本位にやっていくことだ。
・上を見ればきりがないし、下を見れば、これまたきりがない。
 
「自分さえよければいい」という考えを変える
・神経質の人は、ある点には非常に神経質だけれど他の点にはあまり注意が向かないとこ
 ろがある。
・神経質の人は、いろいろなことに気を配っているから非常に疲れる。それで一つのこと
 に神経を集中させ、他のことはそのままおいて精神的な安定を得る。これを防衛単純化
 というのだが、そうすれば気が楽になるし安心感をもてる。
・一番アンバランスな例は不潔恐怖症の人で、朝から晩まで手を洗っている。ばい菌がつ
 くからといって、テーブルにも頭にも触れない。石?をつけて、ごしごし洗っている。
 なのに髪の毛はバサバサで、フケだらけ、ワイシャツは汚れっぱなし。不潔恐怖症くら
 い不潔な人はいないと言われている。
・本人は、自分は神経質で非常に気苦労が多く完全欲が強いので、もう少しゆったりした
 気持ちになれないものかと嘆き悲しんでいるのだが、第三者からは、身なりもかまわな
 いし対人関係もそっちのけで、何と鈍感な人だろうと見られたりする。
・神経質の人は、うまくいかないとみんなに疎外されたとひがみっぽくなる。自分本位で
 強情な面があるから、人の言うことはあまり聞かない。自己中心で、自分さえよければ
 人のことはどうでもいいという性格である。
・うつ病になりやすい人と神経症になりやすい人の性格を比べてみると、いくつかの特徴
 がある。違いの一つをあげると、うつ病になる人は他人本位なのだ。自分のことはさて
 おいて、まず親のため家族のため学校のため社会のため、と考える。ところが神経症の
 人は、家族よりも何よりも自分のことなのだ。学校のことも会社のことも大変だ大変だ
 と騒ぐけれど、いつも自分中心に騒いでいる。極端な言い方をすれば、人はどうでもい
 い。自分さえよければいいという姿勢なのだ。
・うつ病の人は、やることなすこと他人本位だから非常に同情をひく。家族のため申し訳
 ないという、あるいは会社のために申し訳ないと泣くのだ。神経症の人が泣くのは、も
 う悔しくてしょうがない。どうして自分がこんなふうになったのだろうか。親のせいじ
 ゃないか。会社のせいじゃないかと自分のために泣いている。だから、神経症の人は周
 囲の人から嫌われる。
 
人生は思いどおりにならないことが多いもの
・人生は、思いどおりにならないことのほうが多いわけだ。よく自殺願望の人に見られる
 のは一つの価値にしか目が向かない、他のものにはまったく盲目であるということだ。
 他の人はまた顔を洗って出直すという姿勢になるわけだけれど、自殺願望の人にはそれ
 ができない。一つがダメだったら、もうダメだとなってしまう。人生には何の価値もな
 いとあきらめようとする。
・自分の能力が劣っているのであれば、逃げ出すんじゃなくて、がんばらなければしょう
 がない。がんばって補わないとダメなのだ。
 
幸せになる、ならないはそれぞれの努力から
・神経症の人はとくそうなんだけど、一つの価値に盲目になるのだ。恋愛とか結婚だとか
 に盲目になってくると、人生の他の価値に目が向かなくなってくる。
・確かに人生において恋愛は大事だし、結婚も大事だけど、自分が好きな人と結婚しさえ
 すれば幸せが約束される、なんて思うのはちょっと浅はかだ。結婚しないよりもしたほ
 うが、子どもをつくらないよりはつくったほうが、幸せになる確率は高いかもしれない。
 しかし、何かの拍子に、結婚できないような体になることだってありうるのだ。
・けれど、そんな場合でも、生まれてきた以上は、自分の存在価値を高め、人の役に立っ
 て、生きていてよかったと言えるような自分になる努力は必要になってくる。
・別に神経質だからって、恥ずかしいことは一つもないのだ。右のほっぺたにあばたがあ
 るとか、あるいは人前で緊張するとか、そういうことは決して人に迷惑をかけることじ
 ゃないし、恥ずかしいことでもない。神経質のために、やるべきことをやらないってい
 うのが恥ずかしいことなのだ。
・失恋したっていいのだ。その恋が実らなくたって、次の恋のときにそれを生かせばいい
 わけだ。自分が成長すれば、それに伴って相手もそれ相応の人が選べる。
・若いときに結婚しなくたって、多少年をとってから、よりよい人が見つかる可能性もあ
 るわけだし。結婚なんて焦ることはないのだ。
・結婚することは大事なことかもしれないけど、それがすべてじゃないってことを考えて
 おかなければダメだ。もっと大事なことはいっぱいあるのだ。結婚しない人がみな不幸
 かといえば、そんなことはない。結婚したらみんな幸せになるかというと、そういうこ
 ともない。幸せになる、ならない、というのはその人の努力だと思うし、ものの考え方
 だ。

逃げずに徹底的にのめり込むことも必要
・人間は生活の知恵から、神という完全無欠な存在を創った。われわれは、お互いに欠点
 だらけの人間だ。神や神の教えにいくら接近しても、人間は人間なんだ。完全無欠とい
 うわけにはいかない。
・人間的に言うと、「もう絶対に神を穢しはしない」と胸を張って断言する人よりも、い
 つも「また、失敗しはしまいか」とオドオドしながら生活をしている人のほうが、好感
 をもてる。
・人生は失敗の連続だ。ことほどさように失敗が多いのだから、折にふれて失敗しないよ
 うに自戒することはいいことじゃないかと思う。涜神恐怖から逃れようとするのではな
 く、この際、徹底的に涜神恐怖にのめり込んでいったらどうだろう。開き直ると、自ず
 から道は開けると思う。

人との出会いを楽しいものに変えていく
・一つのことで自分の希望がかなえられないからといって、死んだほうがいいと考えるの
 は愚かだ。就職や恋人を獲得するにしても、目的が達成できないとすぐに生きるか死ぬ
 かとなるのは、よくない。それは、人間が未熟な証拠だ。人生の価値は非常に多様なの
 だから、かなえられないからといって大騒ぎするのはおかしい。自分の求めているもの
 をすべて獲得できれば、それに越したことはないけれども、いつも獲得できるとは限ら
 ない。ぺしゃんこになっても、またすぐ盛り返していく姿勢を身につけなければ、これ
 から生涯、ずっと劣等感の塊になって終わるだろう。
・面白いことに自殺既遂者よりも未遂者のほうが多い。自殺を企てる人は、助けを求めて
 いる。何とか自分を助けてもらいたい、そういう気持ちがあるのだ。
・自殺をするのは、本来の目的じゃないのだ。死ぬほど苦しんでいる、どうにかして自分
 を助けてもらいたいという気持ちがあるのだ。だから遺書も目につく所に置いておき、
 自殺を企てる前に家に電話する。何とか助けてもらいたいという心理が、片方にある証
 拠なのだ。それは女々しいとか、間違っていることではないのだ。
・本来から言えば、死んでいく人に遺書なんていらない。自分の身も心もなくなるわけで、
 何々して下さいと書いたって、生きていてもあまり言うことを聞いてくれないのが、死
 んだからといって言うことを聞くとは、とても思えない。
・うつ病は、そう長く続くものではない。時々出てきても治ってしまえば正常なんだけれ
 ども、正常なときでもウジウジしているところがあるのだ。病気のときは、病気を治せ
 ばいい。病気でないときは病人顔しないで、ぜひがんばってもらいたい。
 
生きる目標があれば、たいていの苦難に耐えられる
・神経症の治療をダラダラと続けていると、立ち直りが悪くなってしまう人が多い。四十
 歳、五十歳くらいになると素直さがなくなってくる。会社でも家庭でも、人に命令され
 ることはあまりない。入院しても自分より若い人が多いから、「この若造が」などと反
 撥する人もいる。そうすると素直な気持ちがなくなってくるから、自分一人のこともで
 きなくなり、薬漬けになって社会復帰が遅れてしまう人が多い。
・うつ病というのは、間脳というホルモン系統をつかさどる中枢機能に障害が起こるわけ
 だから、その機能を整えてやればよくなる。
・うつ病と診断されると、薬を飲んでたっぷり休養をとって仕事から離れて生活していれ
 ば治るというのが、一般的なアプローチだ。
・うつ病を「叱ってはいけない、励ましてはいけない」ということで、優しく暖かく保護
 するという治療法が一般的だ。
・ところが、うつ病にもいろいろなタイプがあって神経症性うつ病というか、神経症のよ
 うになってきた人はこれではダメなのだ。優しくすればするほど、うつ病なのか怠け者
 なのかわからない状態で推移していく。
・うつ病とかある種の神経症だと、なかなか起きない。放っておくと一カ月でも二カ月で
 も寝ている。神経症のタイプは、正常人も同じだが、とても一週間と寝ていられない。
 起きて何かしたくなる。これは「生の欲望」がある証拠だろうと思う。
・人間にとって大事なことは、個人個人の生きる目標だ。
・一般論から言えば、結婚しても給料が多くないから、苦労しながら生活設計を立ててい
 く。子どもができるし将来は家も建てよう、会社では平社員だから出世もしたいなどと
 考えて、一生懸命働くわけだ。そういうときには、苦労を苦労と思わない。苦労するか
 らうつ病やノイローゼになるなら、そういうときに発病しるはずだが、実際は発病しな
 いものだ。
・しかし生活にも困らなくなり、恥ずかしくない地位にもついた、これからの老後を妻と
 一緒にどう送ろうか、ゆとりをもって遊べるうちに遊ぼうが、そういうふうに仕事以外
 に人生目標をすり替えてしまうときが危険だ。
・生きがいというのは、遊びからは生まれてこない。一年に二回の海外旅行をするために
 お金を貯めるとか、ゴルフに行くとか、それはそれでいいが、生きがいにはならない。
 人生も目標というのは、仕事や勉強を通じて自己実現を図ることだ。
・神経質を生かすためには、何事によらずそのものの本来の姿を見極めて生かすことが大
 事なのだ。
・己の性を尽くすというのは、自分がどういう存在価値をもっていて、どうすれば一番自
 己実現できるか、世の中のために役立つことができるか、と常に考える必要があるとい
 うことだ。その場合、カラオケを一生懸命やって上手だ上手だと言われて得意になって
 も、それだけでは己れの性を尽くすことにはならない。たとえ能力がそこそこでも、人
 の役に立ち社会の役に立つことが大事だ。
・自分についてそう考えると同じく、他人についても、その人はどういう存在価値があり、
 その人をどのように生かしていくか考えるのが大事だ。自分の人生目標を設定して、そ
 れに向かって努力することで心の健康を保つことができるのだ。
・ロサンゼルスの自殺を研究している学者が、自殺したい人は金持ちに多いのか貧乏人に
 多いのかを調べた。一般的には、金持ちは豊かで何一つ不自由ないが、貧乏人はお金に
 困っているから貧乏人に多いだろうと考えたのだが、結果は逆に出た。豊かになって人
 生目標を失うと、ちょっとしたことでも動揺する。貧乏であっても人生目標が設定され
 ていれば、その目標に邁進できる。
・人生目標は生まれつきもっているものではないし、自然に生まれてくるものでもない。
 自分でつくらなければならない。
・もう一つは、生活リズムを崩さないように規則正しい生活を送るということだ。リズム
 を崩せばまず身体に変調をきたす。それと同時に、心のリズムも狂ってくる。病気にな
 りやすい人は、その過程で発病してくる。
 
「必ず治るんだ」という希望を
・人間だから、生きていく上には不安も悩みもつきまとう。建設的なことにその不安だと
 か悩みを使えばいいものを、病気でもないのに病気だと騒いでいれば他のことに頭は向
 かない。
・うつ病と神経症はまったく違う。神経症は病気でもないのに病気だ、病気だと言って病
 気の中に逃げ込んでいる。うつ病というのは、れっきとした病気なんだ。頭の中に間脳
 というホルモン系統をつかさどるところがあるけれども、その機能が崩れてしまう。だ
 から、その機能調節をしなければダメで、そのために抗うつ剤を飲むのだ。
・うつ病と神経症を専門家が見分けるポイントは、一つは睡眠だ。うつ病は、九十パーセ
 ント以上が不眠症になる。神経症は必ずしも不眠にはならないけれど、寝つきは悪い。
 しかし、睡眠はたっぷりとっている。ところが、うつ病の人は寝つきはまあまあだけれ
 ども、朝早く目が覚める人が多い。少し寝たあとは眠れない。本当の意味の不眠症なの
 だ。だから、うつ病の人は睡眠薬が必要で、神経症の人は、薬はあまり飲まないほうが
 いい。もう一つ、うつ病の人には気分の変調というのがある。神経症の人は、年中グチ
 グチ言っている。ところが、うつ病の人は気分がガラガラ変わる。気分の日内変動とい
 うのだが。
・神経症は自殺のことは考えるけれども、自殺はあんまりしない。うつ病の人は、自分は
 生きていても仕方がないと思うと、すっと自殺に傾斜していく。性格も神経症とうつ病
 は違う。神経症は自分本位で、うつ病の人は他人本位だ。うつ病では憂うつの度合いが
 非常に強い。神経症は、本当の意味での憂うつ感というのはない。
・どうして神経症になるかというと、一つは小さいころから神経質傾向というのがある。
 これは親からの遺伝もあるし、親の養育態度にも影響されることもある。物事に対して、
 取り越し苦労で完全欲が強い。負けず嫌いだし律儀な性格なのだが、小心者といわれる。
 それが、学問や仕事に生かされれば、非常にいいのだが。
・神経症というのは、精神病ではない。精神病の中でも、分裂症はなかなか治りにくいけ
 ど、うつ病は薬を飲めば大半の人は治る。しかし神経症は薬を飲んでも治らない。一週
 間安静にのんびり過ごしたって治らない。気分は気分としてやることはやる、そういう
 生活習慣を身につけないと治らない。放っておけば、どれだけ続くか予測できない。
 ヘタをすると、十年も二十年も神経症が続いている人がいる。
・私は五十歳であろうと六十歳であろうと、やりようによっては神経症を治すことができ
 ると思っている。五十歳ぐらいになると、だいたい、性格・人格が硬くなってきている
 からなかなか素直になれないし、先生方から指導を受けるといっても、自分よりもかな
 り若い先生から受けるわけだから、言われれてもなかなかそのとおりに動けず、結果的
 に治りが悪い人が多い。
・世の中で指導的立場に立っている人は、多かれ少なかれ神経質だったと思う。しかし、
 それを実生活の中で自然に克服していったわけだ。