定年前後の「やってはいけない」  :郡山史郎

今から考える終の棲み家 (平凡社新書) [ 大沢久子 ]
価格:792円(税込、送料無料) (2019/12/12時点)

92歳。小さなしあわせを集めて生きる [ 吉沢久子(評論家) ]
価格:1571円(税込、送料無料) (2019/12/12時点)

老いを生きる暮しの知恵 (ちくま文庫) [ 南和子 ]
価格:726円(税込、送料無料) (2019/12/12時点)

豊かな節約暮らし (60歳からのスロ-ライフ) [ 丸田潔 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2019/12/12時点)

知ってトクする定年後のライフプラン [ 柴崎照久 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2019/12/12時点)

自分を抱きしめてあげたい日に (集英社新書) [ 落合恵子 ]
価格:792円(税込、送料無料) (2019/12/12時点)

この本の筆者の主張は、おおかたはそのとおりなのであろう。しかし、そこかしこに賛同
できない部分が垣間見られる。それは根底において、筆者はやはり、社会的な成功者であ
り、ほんとうの一般庶民層ではなく、上の裕福な層にいる人だからなのだろう。知識とし
ては、一般庶民のことを知っているのだろうが、実際には自分自身は一般庶民としての暮
らしの経験はないのではと思われる。
一番違和感を持ったのは、「高齢者は医療費を10割負担にすべきだ」という主張だ。筆
者は、そうすればできるだけ病院に行かないように一生懸命健康管理をするに違いないと
主張するが、だれもが好き好んで病気になっているわけではない。一生懸命健康管理をし
たからといって、病気になるときはなるのである。高齢者は、高齢者ゆえに病気になる率
が高まるのである。もし、高齢者の医療費負担を10割にしたら、病気になっても医療を
受けられない高齢者が続出するであろう。この主張は、自分は医療費が10割になっても
さして負担に感じない人の、とても「乱暴な主張」だと思う。とても庶民から出る発想で
はない。
それに本書では、最初から最後まで、「仕事」「稼ぐ」という言葉があふれていて、まる
で一生働き続けないと不幸になるぞと、脅迫されているように感じる。確かに、仕事を続
けられる人は続けるほうがいいのだろう。しかし、なんらかしら仕事を続けたいと思って
も仕事が見つからない人もいる。筆者のいうような高齢者でも「体を壊さない程度の仕事」
というのは、そう簡単には見つかりそうにもない。労働の対価があまりにも安く、労働搾
取ではないかと思えるような仕事も多い。一般庶民にとっての現代社会は、筆者のような
成功者が思い描く社会とは少し違いのではないかと思う。

定年後うまくいく人、いかない人はどこが違いのか?
・人勢紹介会社を経営していて、これまで会った求職者の数は3000人以上。そうした
 たくさんの人を見ているうちに、定年後あっさり仕事が見つかる人見つからない人、再
 就職できても毎日が充実している人とそうでない人との違いが、だんだんわかるように
 なってきた。
 ・やりたい仕事、給与にこだわり、転職を繰り返す
 ・年金がもらえるまで、会社の雇用延長制度を利用する
 ・過去の人脈を頼りに、仕事を紹介してもらおうとする
 ・何かに役立てようと、資格・勉強に時間とお金を使う
 このような、多くの人を見てきてわかった定年前後の「やっていはいけない」ことを、
 仕事やお金、健康、人づきあいなど、さまざまな面からまとめた。
・「定年後=隠居」と考え、仕事せずに暮らしていくための「老後に必要なお金」を計算
 するよりも、少しでも働いて日々の生活費を稼ぎ、これから先の人生に楽しみを見出し
 ていくほうが、ずっと幸せになれる、というのが私の考えだ。 

「働かない老後」から「働く老後」へ
・1970年代半ばと比較したら、定年後の暮らしはまったく別のものになった。当時は
 ちょうど60歳定年への移行期で、55歳で定年退職する人のほうがまだ多数派だった。
 あの頃に定年を迎えた先輩たちは、戦後の復興と高度経済成長期を支えたのだから、誰
 からも「お疲れさまでした」とねぎらいの言葉をかけられて当然だった。現在の55歳
 と比べたら、肉体的にも精神的にも20歳ぐらい年配に見えた。
・当時は、これからは趣味や読書に没頭し、たまに夫婦で旅行に出かけ、孫の面倒をみる
 ・・といった穏やかな余生が想像できた。当時は何よりも経済的に恵まれていた。高度
 経済成長は終わっていたとはいえ、右肩上がりの経済は依然として続き、現在よりはる
 かに成長率が高かった。経営が安定していたから、中小企業も含めて約9割の会社に退
 職給付制度があり、退職一時金は2000万円以上あった。大企業であれば3000万
 円以上も珍しくなかった。それに毎月の年金がある。公的年金と企業年金を合わせれば、
 現役時代に受け取った月給の6割以上となって生活には困らなかった。
・利子収入があったことも大きい。普通預金でも年利3%前後の時代だから、定期預金に
 退職金を預けておけば年100万円前後の利子を受けることができた。  
・しかし、10年先、20年先ではどうだろうか。その頃に定年を迎える世代で、悠々自
 適を実践する人はおそらく少数派に違いない。「定年退職したら働かない」というライ
 フプランは成り立たなくなるだろう。現在でも中小企業で退職給付制度がある会社は7
 割ほどに減り、退職金の平均はこの15年で1000万円ほど減ったといわれる。昔ほ
 ど定年時点での蓄えはなく、そのうえ金利はほぼゼロ。それでも退職金や厚生年金があ
 る人たちは、経済的に恵まれている。いまや4割近くを占める非正規社員には、退職金
 や厚生年金とは無縁の人も多い。基礎年金だけなら、満額受給でも月6万5千円ほど。
 働かなければ暮らしていけない。
・現在でも、65歳以上で働いている人は2割ほどいて、年々増え続けている。「定年を
 迎える=働かなくなる」という認識はもう改めたほうがいい。 
・100歳を超えた人にお会いすると、不思議なほどみんな幸せそうに見える。ただし、
 長生きには十分な準備が必要となる。この準備を怠ると「老後破綻」「下流老人」とい
 った事態に見舞われる。超高齢社会になるにしたがって、それがだんだん明らかになっ
 てきた。 
・現在は、企業の金銀制度が当時とはまるで違う。バブル崩壊とともに右肩上がりの経済
 は過去のものとなり、終身雇用と年功序列が維持できなくなった。リストラが日常的に
 起こり、成果主義や役職定年制の導入によって定年に近づくほど収入は減る傾向にある。
 大企業でさえ、かつてほど安泰ではなくなってきた。日本の代表的な企業が経営破綻に
 至ると、30年前に誰が想像できただろうか。定年まで無事に勤め上げても、その後に
 経営が破綻したら、本来受け取るはずだった企業年金が満足に支払われない可能性もあ
 る。いまや企業年金はまったくあてにできない。
・人間はこの世に生まれ落ちた瞬間から、長い年月をかけてさまざまな能力を身につけて
 いく。しかしそれは45歳前後でピークを迎えるという説がある。私はこの考え方に経
 験的に納得している。45歳を過ぎると、新しい能力はほとんど身につかない。だから
 再就職支援の一環で、50歳を過ぎた人に新しいスキルを習得させるのは間違いだと私
 は考えている。その代わりに、いまある能力を磨いたり熟成させたりはできる。しかし
 それもいずれは衰えていくから、若い頃より活躍することが難しくなる。つまり、人生
 の前半戦と後半戦は、戦い方がまるで違う。そのことを強く認識しなくてはいけない。
・第2ハーフは、何よりも気楽であることが大きい。家庭人としては、住宅ローンを払い
 終え、子どもが大きくなって、義務感や責任感から少し解放される。仕事で失敗しても、
 若い頃のように上司にガミガミ叱られることもない。年齢が年齢だから、周囲も大目に
 見てくれる。
・第2ハーフに入ると、競争意識がだんだん薄れてくる。健康状態や家庭環境などの諸条
 件が大きく違えば、そもそも競争関係にはならない。むしろ、お互いの不足を補い合う
 ような「共存社会」と呼べるのが第2ハーフだろう。「競争社会」から「共存社会」へ
 の意識を切り替え、元気なうちは働き続ける。そういう第2ハーフが実践できれば、健
 康にもつながり、経済的な不安も解消されるだろう。

定年後の「やってはいけない」
・定年後に仕事が見つかる人と、見つからない人。そこにはどんな違いがあるだろうか。
 私が見たところ、定年を迎えた時点で自分の職業人生を一度リセットし、改めてキャリ
 アの再スタートを切れる人は比較的早く再就職の口が見つかる傾向が強い。逆にいえば、
 いつまでも定年前の地位や収入、仕事の内容にこだわってしまう人は仕事探しに苦労す
 る。
・定年後の仕事探しは、退職から時が経てば経つほど見つからなくなる。求人側の会社は
 即戦力を求めているので、職場から離れる時間が長くなると「ブランクがあって果たし
 て戦力になるだろうか」と考えるのだ。
・定年後の再就職は、それまでの地位や収入、仕事の内容ときっぱりと決別しなければよ
 い結果は生まれないということだ。定年を迎えたら、もう一度新入社員になったつもり
 で、待遇にあまりこだわらず、何でもチャレンジしてみるのがいいだろう。新卒社員の
 初任給は20万円程度と考えれば納得がいくはずだ。
・いろいろ人を見ていて思うのだが、大企業にいて定年前のポジションや年収が高かった
 人ほど、頭の切り替えができない傾向が強いようだ。私の経験上、頭の切り替えができ
 ずになかなか再就職できないのは、大企業の部長や、大企業から出向して子会社の社長
 を務めていたような人である。子会社の社長は「社長」といっても、会社の実質的な経
 営権は親会社に握られているので、経営のエキスパートとはいいがたい。親会社の社長
 のように会社を離れたあとは講演活動をおこなったり、経営のプロとしてほかの企業の
 経営に関与したりすることも難しい。彼らは定年間近になって、ようやく再就職の相談
 にやってくる。そして、「いまの年収2千万円からうんと城乾を下げてもいい。1千万
 円くらいでも構わない」などとそろって口にする。本人としては大幅に譲歩したつもり
 だろうが、それでもまだ自分の要求が高すぎるということに気付いていない。
・定年後になかなか頭が切り替えられない人が抱えている大きな問題の1つは、定年前の
 高い年収にこだわってしまうことだ。加えて、高給をもらっていた人はとかく「自分に
 は能力がある」「自分は人材として価値が高い」と錯覚してしまっている。それも頭の
 切り替えができないことに拍車をかける。
・ビジネスマンの場合、会社のそのポジションに給料を払っていたのであって、その人に
 払っていたわけではない。「俺は社長だった」「私は部長だった」といっても、それは
 その組織のなかだけの単なる役割分担に過ぎない。会社を運営するうえで、役員や部長
 が”機能”として必要だから人材を配していただけのこと。会社から離れてしまえば、
 その人の価値はいったんゼロに戻ってしまうと心得るべきである。極端なことを言えば、
 そのポジションは誰がやってもよかったのだ。現実を直視してみると、自分がやめても
 次の誰かがそのポジションを務め、会社は以前と変わりなくまわり続けていることがわ
 かる。
・大企業の部長や子会社の社長が再就職しにくい理由は、頭の切り替えができずに高い待
 遇を求めてしまうことだけにとどまらない。そもそもほかの企業が求めるレベルにその
 人のスキルや能力が達していない、というケースも非常に多いのだ。 
・定年後の仕事探しでは、好待遇を求めても大半はうまくいかない。が、元のポストや待
 遇にこだわらなければ仕事は見つかる。しかも最近は若年層の人口減少が進み、人材不
 足を解消するため高齢者を積極的に雇用しようという気運が急速に高まっている。これ
 は高齢者にとって「神風が吹きはじめた」と捉えてよい。 
・正社員だけでなく、契約社員やパートまで含めて考えるならば、高齢者の雇用環境はこ
 れからも向上していくと思われる。それを踏まえて、定年後の職探しは柔軟に構える姿
 勢が不可欠だ。社会は高齢者の働き手を必要としているのだから、定年前までのキャリ
 アやポスト、待遇にこだわらず、広がり続けている再雇用のチャンスを確実にものにし
 ていきたい。
・私は、役職定年制は極めて理にかなった制度だと考えている。長年、企業のなかで同僚
 や部下たちの働きぶりを見てきて、最も創造的な仕事ができる年齢は30代前半から
 40代前半だと感じてきた。45歳を超えると新しい技能の習得などが難しくなり、知
 力や体力も徐々に衰えていくものだ。
・30代から40代前半まではまだ伸びしろもあるが、それ以降は能力の向上など期待で
 きない。しかも40代後半以降の世代は、世の中がどんどん変わっていくなかでも古い
 知識や常識で対応してしまうことが増えているので、年齢を重ねるとともに時代の趨勢
 からの乖離が大きくなっていく。
・管理職は50歳を過ぎたら、これから能力のピークに達しようとしている後輩たちに道
 を譲るのが賢明な選択である。そのほうが人材の成長を促せるし、組織も活性化できる。
 いつまでも50代の管理職がいると、その古い考え方、古い価値観、古い知識が足かせ
 になり、30代、40代の創造性を引き出すことが難しくなってしまうのだろう。役職
 定年制は、人材の若返りを実現するために必要な制度なのである。
・もしあなたが「60歳でひと休みして、充電してから再就職先を探そう」と考えている
 のだとしたら、思い直してほしい。なぜなら「定年後のキャリア形成において、ブラン
 ク期間はデメリットでしかないから」だ。 
・定年後の人生は長い、それゆえ、少しくらい時間を無駄づかいしてもいいだろう、とい
 った思考になりがちだ。これがいけない。仮に仕事もしないまま2〜3年、のんびり過
 ごしたとしよう。そのブランクは再就職活動に際、まず間違いなくあなたの足を引っ張
 ることになる。
・再雇用制度を受け入れた人の話を総合すると、現実的な年収は定年前の4〜5割くらい
 になるらしい。なかには「定年前と仕事内容も労働時間も同じなのに、月給が100万
 円から10万円になった」と嘆いている人もいる。59歳と60歳で能力が急に落ちる
 わけではないのに、60歳の誕生日を迎えたとたんに給料が半分程度になってしまう。
 仕事内容も勤務時間も定年前とまったく一緒であり、仕事もそれなりにこなせている自
 負があるのに、肩書も権限も与えられない。いくら退職金をもらっているとはいえ、実
 にナンセンスな話になる。こうなると再雇用制度とは、熟練の労働者を”買い叩く”制
 度のようにも思えてくる。再雇用制度を採用している企業が圧倒的に多いのは、それが
 企業側にとってもっとも都合がいいシステムだからにほかならない。
・先に挙げたような待遇では、再雇用で働く人のモチベーションもさすがに落ちる。私の
 よく知る企業では、再雇用制度のもとで1年ごとの契約更新を無事に乗り切って。65
 歳まで務め上げる人はわずか1〜2割といったところ。私には継続雇用制度、とりわけ
 再雇用制度はまやかしにしか思えない。
・定年後の人生では、複数の仕事を持って個人事業主のように働き、収入を積み上げてい
 くのが理想的だ。雇用延長はこうした働き方を実現し、収入を確保するまでの単なる保
 険に過ぎない。保険があるうちに一日でも早く定年後のワークスタイルを確立したいも
 のだ。
・支援会社による再就職支援サービスが定年間近や雇用延長中の人材の再就職につながる
 ケースはほとんどない。支援が再就職に結びつかない理由としては大きく2つある。
 1つは高年齢者に教育を施しても効果があまり得られないことだ。私の会社でも「高齢
 者の再就職」をテーマに研究プロジェクトを進めたことがある。また「定年退職者新卒
 制度」というのを考案し、定年退職した人にもう一度職業人生の振り出しに戻ってもら
 い、新卒として入社するための「研修」を実施したこともある。しかし、たどり着いた
 結果は「高齢者への組織的かつ効果的な再就職支援活動は不可能」というものだった。
 リクルートの調査でも、45歳以上の人に新しいスキルをマスターしてもらうのは不可
 能、という結論が出ている。 
・長い間1つの会社のなかで働いていると、「年収で1千万円以上もらうのが当たり前」
 「自分の価格は自分で決める。目安は今の給与額」といった感覚が染みついてしまう。
 しかしながら、再就職市場において人材の価格(給与額)を決めるのは、あくまでも企
 業側だ。そのことを十分に理解しておかないと、定年後の出だしでつまずくことになる。
・定年退職から何年間かキャリアのブランクが生じてしまうと、再就職が非常に難しくな
 る。だからこそ定年後の仕事探しは「お金」から入るではなく、どのような条件を提示
 されても「とにかく働く」という気持ちでまず受け入れてみることが肝要だ。まだ自分
 が誰かの役に立てることに喜びを見出し、社会とのつながりを維持していく。そんな姿
 勢で働き続けていれば、努力次第で自分の能力やスキルを活かせるチャンスを広げてい
 くことも可能である。 
・定年退職後の就職であるから、正社員の身分になるのは難しいかもしれない。フルタイ
 ムの仕事に就くのも、そうたやすいことではないだろう。見つかるのは、週1日とか2
 日程度の勤務で、拘束時間も1時間、2時間というような、細切れの仕事ばかりである
 可能性は高い。現役時代から見れば、高齢者の仕事はいわば「副業」ばかりの世界に映
 るかもしれない。しかし定年後は、どんな仕事であろうと積極的に拾っていく気持ちが
 なければ、なかなか活躍の場は広がっていかないだろう。 
・生涯にわたり、本業だけで高収入を得られるのは医師や弁護士、公認会計士といった特
 別な専門職だけである。多くの人は、定年を迎えて再就職しても前職より収入が下がり、
 月収5案円、10万円といった副業のような仕事しか見つからなくなるものだ。
・少子高齢化の日本では高齢者も働き手として期待されている。15〜64歳の生産年齢
 人口は下がる一方だから、今後、高齢者が働き続ける機会はますます広がっていくだろ
 う。ただし、肉体的にきつい仕事は選択肢から外したほうが賢明だ。高齢者は体力が低
 下し、反射神経が鈍るなど身体機能がだんだん衰えていく。重い荷物を運ぶような仕事
 や、長距離を走るドライバーの仕事などは避けたほうがよいだろう。あくまでも体をい
 たわりながら、できるだけ長く働き続けられる仕事を選び、定年後を充実させてもらい
 たいと思う。
・個人事業主のようにいくつかの仕事を掛け持ちして収入を増やしていくことを推奨して
 いるが、起業だけは決しておすすめしない。実は私自身も定年後に起業しているが、も
 しいくらいの知恵があれば、起業していなかったと思う。起業とは文字通り「事業を起
 こす」ことだ。ここでは法人化しているかどうかに関係なく、従業員を抱えたり、オフ
 ィスや店舗を借りたり、機材を買い入れたりなど、大きな初期投資やランニングコスト
 が必要なケースを「起業」、自分の身1つでフレキシブルに動けるフリーランス的な働
 き方を「個人事業」と呼ぶことにする。  
・そもそも起業は、職業の選択肢とはいえない。通常の人であれば、軽々しく近づいては
 いけない領域だ。起業とは、体力も胆力も満ち溢れた30代までに挑戦すべきもので、
 運と才能に恵まれたごく一部の人だけが成功するものだと、私は思っている。定年退職
 後に起業を志すのは、60歳を過ぎてからメジャーリーグの選手を目指すのと同じくら
 い無謀なチャレンジだと理解したほうがいい。
・会社を立ち上げ、回していくには資金がかかる。金融機関から融資を受けたり、友人・
 知人から出資を募ったりなど、資金の調達方法にはいくつかのパターンがあるが、どれ
 を選択しても後始末は厄介だ。これらはすべて「借金」だからだ。借金に追われながら
 定年後の人生を送るなんて、私は絶対におすすめできない。「それならば、他人のお金
 をあてにせず、自己資金で起業すればいいじゃないか」という人もいるかもしれない。 
 しかし、これは高齢者にとって、極めて危険な発想である。高齢者は退職金というまと
 まったお金を持っている。だから、起業を志す場合、自己資金を投入してしまうケース
 が多いのだ。とはいえ私の知る限り、退職金をつぎ込んで会社を興した人の99%が失
 敗に終わっている。
・退職金とは本来、ケガや病気で働けなくなったときに自分と家族を守るための備えとし
 てとっておくべきものである。いちかばちかの勝負につぎ込むべきものではない。
・若いときなら人に迷惑をかけてもまだ許される。失った信用はまた取り戻せるかもしれ
 ない。しかし、歳をとったら自分を担保にできない。高齢者は人生の残り時間も少ない
 ので、まわりに迷惑をかけても取り戻す時間はない。高齢者が留意すべき唯一の要件は
 「人様に迷惑をかけない」ことだと、私は考える。
・定年後の人材に企業が期待している特有の要件がある。それが「安い」「やめない」
 「休まない」という”3つのY”だ。「安い」というのは給与面で高望みしないことで
 ある。もちろん「やめない」ことも重要だ。高齢者のなかには年金や退職金が十分あっ
 て、生活費を稼ぐためにあくせく働く必要のない人もいる。とくに定年を迎えるまでバ
 リバリ活躍していた人は、それなりに蓄えもあるだろう。そうした人は定年後、せっか
 く新たに仕事をはじめても、数日ほど働いてみたところで「業務内容や待遇が考えてい
 たのと少し違う」と、簡単にやめてしまうことがある。せっかく採用しても数日でやめ
 られてしまっては、採用活動に要した手間や時間、費用がすべて無駄になってしまう。
 そのため採用担当者は「この人はきっとやめない」と信じられる人材を、どうにかして
 見極めようとしているのだ。そして「休まない」こと。高齢者は体力の衰えとともに、
 疲労の回復も遅くなってくる。とはいえ「疲れが抜けないので、今日は休みます」など
 と当日になって連絡してきて、突然仕事を休まれると、企業は人員配置が予定通りに進
 められなくなってしまう。もちろん「やってみたものの、体力がついていかないから」
 と急にやめてしまうのもご法度だ。
・企業がこれほどまでに転職3回以上の人を嫌う理由は明確だ。転職回数の多い人は「や
 めグセがある」「我慢ができない」「協調性がない」と見なされるからである。企業は、
 いったん採用した人材には定年退職か、止むを得ない解雇を除き、できるだけ長く勤め
 てほしいと考えている。新しい仕事や職場に慣れ、戦力として貢献してもらえるように
 なるまでには、ある程度の時間がかかる。また、求人広告費や人材紹介会社への紹介料
 といったコストも発生している。すぐにやめられてしまうと、企業は多大な損失を被る
 ことになる。だから、企業としては履歴書に3回以上の転職歴があると、どうしても慎
 重にならざるを得ない。定年前の人には、「3回」という転職回数は致命的であると心
 してほしい。  
・かつては残業代が給料のなかで少なくない割合を占め、ビジネスマンもそれを頼りに生
 活していたところがあった。ところが、そんな時代はもはや遠くに過ぎ去り、残業時間
 の削減、すなわち残業代の削減が加速する方向へと着実に向かっている。残業時間が減
 るのであれば、その時間をほかの仕事に当てて少しでも稼ぎ、生活を豊かにしたいと思
 う気持ちはわからなくもない。だが、そうであっても副業に手を出していいのは、生活
 が立ち行かないほど困窮しているなど、やむを得ない場合のみであるべきだ。しかも本
 業に差し障りが出ず、健康も損なわない週末のアルバイト程度にとどめておきたい。   
・「意に沿わない異動の内示が出たのですが、転職したほうがいいでしょうか」と尋ねて
 くるビジネスマンは、思いのほか多い。そんなとき、私はいつも「会社の命令に従いな
 さい」とアドバイスしている。異動は自分の意志とは関係ないところで決まることが多
 いので、納得できる場合もあれば、できない場合もある。しかし、どんな異動でも受け
 入れたほうがキャリアの幅が広がるし、思いもよらない楽しみがついてくることもある。
 だから、まずは社命に従い、やるだけやってみることが大事だ。異動を断りでもしたら、
 必ずといっていいほど後の昇格・昇給などで痛い目に遭う。
 
いますぐにはじめる暮らしの見直し方
・第2ハーフで無駄になるものの筆頭にクルマがある。子どもが成長して家族で出かける
 機会もめっきり減り、終末の買い物か、または夫婦でドライブする程度であれば、大型
 のSUVや7〜8人も乗れるミニバンは必要ない。軽自動車でも十分だが、それではち
 ょっと物足りないと思うのであれば、1000〜1500cc程度のコンパクトカーに
 乗り換えたい。 
・仕事や家庭の事情でクルマを手離せない場合もあるだろうが、本来、定年後はどタイミ
 ングで免許を返納するかを考えなければならない。どうせ乗るのは週末くらいというな
 ら、いっそうマイカーを処分してレンタカーやカーシェアリングを利用する選択肢もあ
 る。クルマがなければ外出の機会が減り、外食など遊興費も減るだろう。
・住まいについても同じことがいえる。子どもが2〜3人もいればそれなりの部屋数が必
 要だが、子どもが巣立って夫婦2人の生活になったら大きな家は必要ない。いまの家を
 売り払い、もっと小さな家やこぢんまりとしたマンションに住み替えることも検討に値
 する。ただし、戸建てからマンションへの住み替えには注意が必要だ。マンションは1
 つの敷地を複数の世帯で分けるため、土地そのものの面積は狭くなる。しかし建物自体
 の減価償却年数は、戸建て22年に対しマンションは47年。つまり戸建ては20年も
 すれば土地そのものしか税金がかからなくなるのに対し、マンションは40年経っても
 資産価値があるとみなされる。したがって、住み慣れた郊外の戸建てを売って都心に近
 い小さなマンションに移ったら、かえって税金が高くなる可能性が高い。さらにマンシ
 ョンでは管理費や修繕積立金も必要だ。クルマがあれば駐車場代もかかる。月々の出費
 は戸建てのときより高くなる。
・宝くじがギャンブルの一種だという認識はお持ちだろうか。ギャンブルはお金に相当余
 裕があるときに、余暇としてたしなむべきものである。たとえ年に1回程度とはいえ、
 毎度のように何千円、何万円もつぎ込むのはかなり心苦しくないだろうか。できるだけ
 無駄を省きたい。第2ハーフの生活で、ギャンブルは最も避けたいものの1つだ。
・ヒトは、自分が誰かの役に立っていると思うことで幸せを感じられる生き物だ。幸せに
 なると、精神的にボジティブになれる。規則正しい生活を心がけながら、肉体的にも健
 康にいい。 
・老後は年金で悠々自適に暮らせるというのは大いなる幻想だ。私は、年金制度はいずれ
 破綻すると思っている。少子化による人口減少と高齢者の増加、経済成長の停滞や減衰
 による労働人口の減少・・・。働く世代の保険料で高齢者を支えるという当初の制度設
 計はとっくに崩れている。政府もこれまで支給の減額や厚生年金の被保険者資格の延長
 など、さまざまな方法で見直しを図ってきたが、それでも数十年後まで持続可能な制度
 になったとはいいがたい。なかでもいちばんの変化が、2001年からはじまった積立
 金の自主運用だろう。
・GPIFの資産運用の内訳を見ると、国内債券と株式が約55%、外国債券と株式で約
 36%。つまり国内の景気だけでなく、海外の景気や為替相場によっても収益が大きく
 左右されるということだ。いまは好調なアメリカ経済に引っ張られて国内経済も好調だ
 が、この先どんな情勢の変化が起こるかわからない。それによってはいまの年金積立金
 がすべて吹っ飛ぶこともあり得るのだ。 
・2017年、自民党の一億総活躍推進本部が「65歳までは完全現役、70歳まではほ
 ぼ現役」という提言を発表した。それによって高齢者も働ける環境が整うとすれば嬉し
 いことだが、一方でこれは年金支給開始年齢を引き上げる布石とも見られている。現在、
 企業には雇用延長の制度があるが、おおむね65歳まで。もともと定年から年金支給開
 始までの空白を埋めるために生まれた制度だが、支給開始が70歳からになれば、再び
 5年間の空白期間が生まれることになる。果たして、70歳まで雇用を延長しようとい
 う企業はどのくらいあるだろう。
・遺産相続の問題もある。近頃は親の遺産を巡って家族が争うのを「相続」ならぬ「争続」
 というそうだ。少々古いデータになるが、裁判所の「遺産分割事件表」を見ると、平成
 12年に全国の家庭裁判所に持ち込まれた相続に関する事件は約1万2千件。さぞかし
 高額な遺産を巡っての争いかと思いきや、解決した判決のうち約75%が5千万円以下
 の相続だった。土地家屋も含めての金額を考えると、意外にも庶民的な金額だ。「大金
 持ちは遺言書を残すから争いになりにくい」とか「そもそも日本には億単位の資産を持
 つ人が少ないからだ」などともいわれるが、遺産を巡る争いは決して金持ちだけの問題
 ではないということは肝に銘じておきたい。
・定年とは要するに「不要になった社員に退場してもらう」ための制度である。別のいい
 方をするなら、「これまでと同じ給料を払ってまで会社にいてもらいたい人材ではない」
 と判断されたということ。経営者の立場からすれば「会社にも新陳代謝が必要であり。
 そのためにはある程度の年齢に達したらいったん退場してもらうしかない」という考え
 にもなるだろう。世知辛いようだが、やむを得ないことだと思う。とはいえ働く能力そ
 のものがなくなったわけではない。新しいスキルを身につける能力は45歳をピークに
 衰え、体力も以前落ちてはいるが、これまでに培った経験、技能を持ってできる仕事は
 まだまだある。
・第2ハーフの生活に必要な金額は夫婦で月27万円。子育てやローンが終わり、暮らし
 のダウンサイジングさえ済ませておけば、困るほどの金額ではない。それに会社という
 組織のしがらみから離れた身であれば、あとは純粋にやりがいとか社会貢献を基準に働
 くことができる。  
・それに働くことは健康にいい。定年退職後、無職になった夫が常に家にいることが原因
 で、妻がストレス症状を訴えるようになるのを「主人在宅ストレス症候群」もしくは
 「夫源病」というそうだ。逆に不満を抱いた妻から小言を浴びせられ、夫が体調を壊す
 「妻源病」もあるという。
・生活リズムの乱れから起こる病気もある。運動不足による肥満や体調不良はもちろんだ
 が、社会との接点がない孤独感からうつ病になったり、時間を持て余してアルコール依
 存症になったり、認知症になったりする人もいるという。そのような状態にならないた
 めにも、思うような仕事が見つからないからと家に閉じこもるのではなく、一日2時間
 のアルバイトでもいいから、何か社会のためになることをしたほうがいい。それが結局
 は自分のためにもなるということだ。
・確かにクレジットカードは便利だ。しかし忘れてはいけないのは、クレジットはあくま
 でもカード会社からの借金だということだ。一括払いでの買い物は別として、キャッシ
 ングの場合には金利の支払いが必要になる。ほとんどのカード会社は年率金利を15〜
 18%に設定しているので、仮に年利15%のカードで10万円引き出し、1カ月後に
 返済するとすれば、10万円×1か月分の金利1.25%=1250円の利息が加わる
 ことになる。返済にリボ払いを選ぶことも、銀行口座を利用したカードローンも同じだ。
 とくにリボ払いは月々の返済額が低く抑えられるため、収入が低い人ほど利用しがちだ
 が、支払う期間が長くなるほど金利も上がる。現役時代の生活水準を保つためにクレジ
 ットカードを利用し、返済しきれなくなって自己破産した高齢者が増えている。
・定年後の仕事に、前職で培った人脈を活かそうと考えている人がいる。ビジネスマンに
 とって人脈は確かに有用なものだ。しかし、定年前の人脈は仕事に使ってはいけない。
 というより、ほぼ役に立たないので、あてにしないことをおすすめする。前職で集めた
 名刺はすべて捨ててしまおう。定年後は、定年前と全く違った仕事に就くことも多い。
 それなのに過去の人脈を引きずっていると、厄介ごとを持ち込まれることさえある。
・交友関係を大切にするのはいい。高齢者にとって孤立や孤独は禁物なので、人が集まる
 場所に行くことは必要だ。囲碁や将棋などの趣味仲間、なじみの居酒屋の仲間などは、
 孤立や孤独を遠ざけてくれる。しかし、第1ハーフの仕事の人間関係を第2ハーフに持
 ち込むのはやめたほうがいい。
・私は、人生の第2ハーフでは葬式には行かなくていいと考えている。もちろん、家族や
 親戚など、立場上参列しなければならない葬式は別だ。その場合はむしろ運営を手伝う
 ことが世間体を保つことになるし、人手としても役立つ。また、学校の同級生など本当
 の友人の葬式も、参列しないと心残りだろう。だが仕事上の知人の葬式は、たとえ会社
 の先輩などであっても、私は一切行かないことにしている。「体調がすぐれない」「最
 近は足腰が弱っているので」など、高齢者には断る理由はいくらでもあるし、理由をい
 わずにただ「欠席します」と伝えるだけでもいい。 
・「葬祭」は故人を忍ぶ儀式である。弔意を示すなら弔電や供花で伝わるだろう。会社員
 時代にはお世話になった人だとしても、その関係は定年で終わってしまったのだから、
 陰からひっそりと冥福を祈ればいいと思う。
・「義理を欠く、礼を欠く、恥をかく」のは高齢者の特権である。葬式をおこなうのも参
 列するのも自由だが、まわりを巻き込まないでもらいたい。   
・私も自分の葬式に友人、知人が集まることを望んでいない。時間と交通費をかけて私の
 葬式に来るくらいなら、その時間を仕事に使ってほしいと思う。もしくは翌日の仕事の
 ために休息をとってほしい。そして、心のなかでそっと冥福を祈ってくれたなら、それ
 が私にとって最高の弔いだ。 
・家族葬が増えているのも、義理で葬式に呼ぶのはやめようという時代の流れだろう。家
 族葬では通夜や告別式、火葬などは一般葬と同様におこなわれるが、出席者は家族や親
 戚、本当に親しい友人だけとなる。仕事の関係者などに対しては、故人の遺志として弔
 問や香典などを断るケースが多い。
・葬式は近親者のみの質素なものに変わってきている。形ばかりの一般葬や社葬だけでな
 く、家族葬、通夜を行わない一日葬、火葬のみを執り行う直葬など、選択肢は多様化し
 ている。
・名刺を捨て、年賀状をやめたら、葬式もやめる、あるいは質素にするといい。
・楽しいことならやる。義理やしがらみであればやらない。第2ハーフを生きるうえでは、
 必ずこの「楽しいかどうか」を選択の基準にして決めるようにしたい。同窓会は楽しい
 なら行く、楽しくないなら行かない。葬式は行きたければ行けばいいが、弔意を示すだ
 けなら行く必要はない。「義理を欠く、礼を欠く、恥をかく」は高齢者だけに許された
 特権であることを忘れないでほしい。
・私が現役でビジネスマンだった頃は、親が定年を迎えたら子が養うという社会構造があ
 った。日本は公的年金も賦課方式あり、現役時代の保険料が年金給付の財源となってい
 る。子の世代が親の世代を養う構造になっているのだ。それは本質的に間違っている。
 中国から輸入された儒教に「孝」、すなわち「子は親を敬い、親は子を心配する」とい
 う考え方があり、その影響で日本でも親孝行が奨励されるようになったに過ぎない。本
 来、生き物は親のためには何もしない。親は子どもの面倒をみて、子どもは孫の面倒を
 みる。そうやって世代交代が続いていく。親は、子の犠牲になるのが自然界の基本原理
 であって、子が親を養う生き物は人間だけである。
・日本の医療費に59.3%に当たる約25兆円は65歳以上の高齢者が占めており、こ
 れが健康保険の財政状況を圧迫している。私は、高齢者は医療費を10割負担とするべ
 きだと思っている。そうすれば、できるだけ病院に行かないようにと、一生懸命に健康
 管理をするに違いない。逆に若者は病院に行かないから1割負担として、病院に行かせ
 たほうがいい。 
・介護保険制度は「高齢者は社会が世話をする」という理念のもとにはじまった。しかし、
 国庫負担の急激な増加のため、徐々にサービスが制限されていった。現在は在宅介護を
 促す方向に制度が変更され、「家庭と介護を切り離す」という理念の形骸化が批判され
 ている。
・このような社会制度は、早急に見直さなければならないと私は思う。しかし、それをた
 だ待っているわけにはいかない。まずは介護されない人生を目指して、仕事をして健康
 を維持し、子どもの迷惑にならないように稼ぐことである。一方で、親として子どもの
 面倒は見なければならない。子どもが頼ってきたら世話をするのが親の務めであり、自
 然界の生き物もそれは同じだ。理想をいえば、家族は少しくらい疎遠なほうがいい。少
 なくとも、子どもが独立して離れていったのに、親のほうから「遊びに来い」「孫の顔
 を見せに来い」などと介入するのはよくない。子どもが親のもとから離れていくのは自
 然なことなのだと悟り、必要以上に世話を焼くのは避けたほうが賢明だろう。
・欧米では、高齢者は社会が面倒をみるという社会構造になっている。高齢者用の住宅も
 あり、親は高齢になっても子どもとは分かれて暮らすのがふつうだ。それで親子関係が
 疎遠になるかといえば、そんなことはない。クリスマスや誕生日などにはみんなで集ま
 って楽しいひとときを過ごし、病気など困ったときにはどんなに離れていても駆けつけ
 る。やはり子どもや孫とは適度な距離を保ち、お互いに自立するのが一番いい。
・企業が求める「即戦力」とは、実務ができるひとを指す。だから第1ハーフのうちから、
 身の回りのことは「何でも自分でやる」ということを意識しておくことが重要だ。「何
 事も」のなかには、仕事だけでなく、家事なども含まれる。掃除をする。洗濯をする。
 裁縫をする。自分の食事は自分でつくる。出張の荷物は自分で用意する。私も若い頃は
 妻に海外出張の準備を頼んでいたが、必要なものが入っていなかったという失敗が何度
 かあり、以来、荷造りは自分でするように意識を変えた。
・転職や再就職のために資格取得を目指す人がいるが、役立つのは医師や看護師、薬剤師、
 弁護士、司法書士、行政書士、税理士、公認会計士など、その職務に必須の資格だけで
 あり、ビジネスの世界では無意味だ。日本の大学でも経営学を教えて卒業すればMBA
 (経営学修士)と称しているが、実際に役立つことは皆無に等しい。理由は、ビジネス
 を教えるのに、ビジネスマンが教えていないからだ。理系の大学院卒業か、海外有名大
 学のMBA以外の資格は無駄である。    
・第2ハーフの勉強は「趣味」と割り切ったほうがいい。自分が楽しむために学び始める
 のは大いに賛成する。資格取得も趣味の一環としてならいいが、仕事のためにというの
 はやめたほうがいい。45歳を超えると新しいスキルは身につかない。そんな時間があ
 るなら、仕事をしていたほうがよほど社会の役に立つ。
・そもそも定年後に「暇になったから」と勉強をはじめ、それで取れるような資格は難易
 度が低いと考えるべきだ。そんな資格を取っても、再就職の際のアピールになったり、
 収入増につながったりはしない。
・ビジネスの世界では、ほかのどんな資格を持っていたとしても、金儲けにはほとんど役
 に立たない。第2ハーフにおけるビジネスの勉強は、仕事を通じておこなわれる。いろ
 いろな人と会って影響を受けたり、仕事上のトラブルに直面して解決したりしながら、
 実体験で学んでいくものなのだ。仕事をすることで人や社会と関わり続けるなかには、
 喜びもあれば、悲しみや苦しみも味わうだろう。そのような体験によって人生は充実し、
 人は成長するのである。
・文部科学省は「社会人の学び直し」を推進しようとしている。政府は2017年に一億
 総活躍社会の実現を目指して、「人生100年時代構想会議」を発足させた。「いくつ
 になっても学び直しができ、新しいことにチャレンジできる社会」をつくりたいとして
 いる。社会人が仕事に必要な知識や技術を学び直すために、大学が活躍するというわけ
 だ。実にバカげている。これほど間違った話を見過ごすわけにはいかない。
・そもそも日本の大学は学問の研究・教育機関であり、教養を深める場として日本の発展
 に大きな貢献をしている。しかし、社会人が本当に必要とする知識や技術は教えられな
 い。なぜなら大学では、どんな仕事にも必要な「実務をこなしながらスキルを向上させ
 る」という実践的な訓練ができないからだ。社会人が大学に再度入学したところで、教
 養を深めることができても、実務者としての能力を向上させるのはまず無理だ。
・45歳を過ぎたらどんな学びもなかなか身につかないのだから、高齢者はあえて学び直
 す必要などない。新しいことは学べなくても、社会の大きな部分の動きはあまり変化し
 ないから、高齢者はいままでの知識と経験で十分に仕事をしていける。
・定年退職して時間を持て余している人が大学と関係を持つのであれば、学びに行くので
 はなく、逆に教えに行くべきではないだろうか。学生ではなく、講師になるのだ。大学
 側も、社会人の基礎を学校で教えるというなら、講師として高齢者を積極的に採用すれ
 ばいい。電話のとり方、挨拶の仕方、会社の仕組み、稟議書や企画提案書の書き方など、
 社会人の基礎スキルを教えるのは、現状では企業に委ねられているが、それを大学で高
 齢者が教えるようにすれば、個々の企業が新入社員の研修に費やしている膨大な時間や
 経費を高齢者の再雇用に転換できる。企業の負担は減り、高齢者の雇用機会を増やすこ
 とにもつながる。まさに一緒両得である。
・定年退職で仕事をやめたあとは、退職前以上に運動を心がけたほうがいい。毎日会社に
 通勤することもなくなり、1日の運動量がガクンと落ちてしまうことが多いからだ。そ
 の点、定年後も仕事を続けていると外出が多くなり、運動量も増えるだろう。仕事をし
 ている以上、そう頻繁に休めないので、健康維持にも気を使うようになる。高齢者にと
 って、仕事は最高の健康法ともいえる。  
・このままでは国家財政はいずれ社会保障に食いつぶされてしまう。国民の健康寿命を延
 ばすことは、国にとっても喫緊の課題となっており、国は2025年までに健康寿命を
 2歳以上延ばすという目標を掲げている。高齢者1人ひとりの健康寿命が延びれば、医
 療費の圧縮につながるというわけだ。高齢者にとっては、自分が元気に仕事をするため
 にも健康維持は大切だが、日本のためにも努力する必要があるといえるだろう。
・健康を維持するための運動なら、スポーツジムに通わなくてもできる。1駅、2駅ほど
 電車に乗らずに歩くとか、エレベーターを使わずに会談を上り下りするとか、気軽に体
 を動か手段は無料でいくらでもあるのだ。第2ハーフでは、無料でもできることにお金
 を支払うことはやめるべきだ。 スポーツジムに支払うお金があるなら、毎日仕事帰り
 に1駅手前で降りて、道すがら本を買ったりしてはどうだろう。
・どんなに健康維持に努めても、人間は病気にかかるときはかかってしまう。もちろん生
 まれつき病気になりにくい人はいるだろうが、一生で一度も病気にならない人はほぼい
 ない。 骨や皮膚、内臓、眼、脳、神経、血管・・・人間の体は無数の部品が組み合わ
 さってできているのだから、精密機械とほぼ同じと思っていい。すべての部品は年を経
 れば劣化するし、部品が1つでもおかしくなれば全体に影響が出る。調子が悪くなれば、
 機械と同じように修理(治療)しなければならない。そして、何より重要なのは、日ご
 ろからメンテナンスを欠かさないことだ。
・高齢者になっても、会社で働いていれば会社負担で事業者健診を受けなければならない。
 また国民健康保険の人も、各地方自治体が実施している一般健診や生活習慣病予防検診、
 40〜74歳の人が受かられる特定健診などを受診できる。
 ・肉体面では調子が悪いと思ったら早めに受診し治療することが大切だ。また、仕事を
 通じて社会の役に立っていると実感することで精神的に健康でいられ、家庭円満にもつ
 ながる。定年後、仕事をせず家に引きこもるのは最もよくない。やはり仕事をするのが
 いちばんいい。 
・家族、とくに子どもには迷惑をかけないことが大切だ。子どもが独立したらできるだけ
 離れて暮らす。気持ちの上では親密であっても、互いに独立した存在として暮らすほう
 がいい。
・高齢者になってもお洒落をする気持ちは大切だ。
・クルマはできれば手離す方向で考えたいが、生活上の必要や、たまには気晴らしに運転
 したいこともあるだろう。そんなときは小さなクルマでゆっくりとした運転を心がけよ
 う。ただし、なるべく近距離にとどめたほうがいい。
・もうビジネス書は読まなくていい。歴史物でも文学でも、興味のおもむくまま読みたい
 ものを自由に読もう。
・百薬の長をやめる必要はない。健康を考えると適量をたしなむ程度にするのがいちばん
 だが、歳をとると自然に酒量は減るのであまり心配しなくてもいい。
・掃除、洗濯、料理など、身の回りのことができるようにしよう。
・ゴロ寝とテレビは最高だ。ただし毎日それだけで過ごすのはよくない。普段は仕事をし、
 ゴロ寝は休日に体を休めるためものと考えよう。
・目的地を決めて歩いてもいいが、目的のない散歩も楽しい。おまけに健康にもいい。
・日頃から慎ましい生活を心がけていれば、よけいなお金は必要ないので、余ったら貯め
 ておけばいい。  
・焦らず、おそれず、あきらめず、笑顔でやる。

人生100年時代を生きるヒント
・なぜ働くのか。お金のため、健康のため、と理由はいろいろあるが、最も重要なのは、
 人間は他人や社会の役に立つことで幸せを感じる生き物だということだ。
・第2ハーフでは、厳しい出世競争はすでに終わり、子どもも巣立っているので、家庭や
 社会への責任が軽くなる。自分がやりたいことだけをやればいい。第2ハーフは誰かの
 役に立つという幸せだけを追求して働けるということだ。社会に貢献しながら、自分自
 身も楽しんで働き、「働く」本来の意味も第1ハーフ以上に実感できる。 
・人間は社会のなかで生きている。社会のなかで生きるということは、社会のために働く
 ということだ。社会の貢献する仕事をしなければ、人間は社会の一員にはなれない。逆
 にいえば、何らかしらの仕事を持ち、誰かのために働いているのであれば、社会の役に
 立っていない人間など存在しないのである。
・高齢者は長い人生を通じて豊富な知識と経験を得ているので、新しく遭遇するさまざま
 な場面を若い人以上に楽しめる。健康への不安はあるし、お金の不安もあるだろうが、
 だからこそ私は「働く」ことを推奨しているのだ。傍を楽にする仕事であれば、どんな
 仕事であっても社会の役に立っている。そこでやりがいや幸福感を感じることができ、
 さらに収入も得られるのであれば、こんなに素晴らしいことはない。
・高齢者の幸せは「お金」ではなく、「社会とのつながり」から得られる。高齢になれば、
 飲食にも若い頃ほどの量は必要ない。すると必然的にかかるお金も少なくなる。私は毎
 日出勤しているが、お昼の弁当やサンドイッチは5百円程度で買えるから財布の負担に
 はならない。一杯ひっかけるとしても2千円程度だ。「お金がないから」とマイナスの
 意識で切り詰めるのではなく、楽しみながら結果的に切り詰められるので、心に負担を
 感じない。だからお金はそれほど問題にならない。働くことで手足を動かし、メリハリ
 やリズム感のある生活を心がければ健康でいられるから、医療費の心配もせずに済む。
・高齢者にとって大切なのは、社会との接点を持ち続けることだ。だからこそ働くことが
 重要なのである。働いていれば、社会から孤立することなどあり得ない。そして社会と
 の接点を持つことにより、心も刺激を受ける。誰かの役に立つことができたり、楽しん
 でもらえたりしたなら、それは自分の心にも喜びとして返ってくる。
・もちろん高齢になると能力が落ちていくことは事実だ。ただ、それは「高齢者には能力
 はない」という意味ではない。正確に言えば、若い頃の自分といまの自分を比べてみた
 ら、能力が落ちたところもある、というだけのことである。
・足腰が弱ったなら、その状態でどうやって生きていくかを考えればいい。そこから新鮮
 な体験が生まれる。私も足腰が弱いからといって落ち込むことはないし、不幸だと考え
 ることもない。むしろ、違う世界が見てきたことを楽しんでいる。すると人生はさらに
 楽しくなる。
・高齢者は、本質的に誰でも幸せになれる。老後は決して、悲しいものでも、虚しいもの
 でもない。どうせ、人はいつか必ず死ぬ。それは仕方のないことなのだから、老い先を
 悲観しても、あまり意味はない。生きられる人はできるだけ長生きすればよい。そして、
 働き続ければよいのだ。働けば、働かないよりもはるかに面白い人生が送れることは間
 違いない。ただ、若い頃と比べて能力が落ちたことは事実なので、高齢者はやはり高齢
 者向きの仕事をすべきだ。
・60歳で実質定年を迎え、入社から定年までの道のりをまるで短距離走のように全力で
 走り終えても、定年後にはさらに30年、40年という長い時間が待っている。実際の
 人生は、決して短距離走のようなハイペースで走り切れるようなものではない。90年、
 100年という時間は、周到なペース配分と持久力がなければとても乗り切れない長距
 離走だ。もちろん、定年はゴールではない。そもそも「定年後の新しい人生」などとい
 うものは存在しないし、当然生まれ変わることもない、そのことを忘れてはならない。
・第1ハーフを全力疾走すれば第2ハーフは走らなくてもいいかのような幻想が広がって
 しまった。いま一生懸命働けば、老後は働かず、楽しく過ごせる。そんな未来像は、た
 だの幻想に過ぎない。「ゴールしてしまえば楽になると思っていたのに、ここからさら
 に走り続けなければならないなんて」、現実を知り、呆然とする人も多い。そう、あな
 たは幻想を見せられ、だまされていたのだ。 
・「定年」とは社会がつくった便宜上の区切りである。端的には、雇用者側が、その会社
 で働ける年限を示した規定に過ぎない。要するに、会社の都合にもとづいてつくられた
 制度ということだ。「定年」の名のもとに会社を追い出された人が、その後どうなるか
 といえば、会社も、社会も、I年金という制度上の手当てを除けば」基本的に配慮しな
 い。そして会社を退職する本人も、残念ながら定年の意味についてはほとんど考えてい
 ない。「定年に達したら、もう働かなくていいだろうな」くらいの認識である。しかし、
 現実はそうではない。定年前に蓄えた財産を切り崩しつつ、年金だけで暮らしていける
 ほど、これからの日本社会は甘くない。 
・「定年後は悠々自適に暮らすよ」と、かつて会社の先輩はいっていた。そうした「定年」
 が実在した時代も確かに昔はあった。でも、現在の日本ではもはや成立しない生き方で
 ある。我々は、「定年後」も働かなければならないのだ。真の「定年」は、働くことを
 やめる年齢ではない。人生の終わりのことだ。死を迎え、極楽(天国)に行くときこそ
 が、本当の「定年」である。 
・現在、制度上の定年前後における50〜70代の多くは、現役を引退してからの「老後」
 を年金などの国の制度に頼って生きるものと考えている。制度に頼っていれば安定した
 老後が送れると信じ込んでいる。自分の人生であるにもかかわらず、その姿勢は受動的
 だ。自分から能動的に考える意識がない。受動的な人生など、果たして人生と呼べるだ
 ろうか。
・能動的な心構えなしに定年を迎えると、その後の人生は決してバラ色ではないことを肌
 で実感するだろう。そのときになって「なんだ、話が違うじゃないか」と叫んでも、時
 すでに遅しである。
・制度としての定年は「いままでご苦労さま、もう働かなくてもいいですよ」という感謝
 の印ではない。会社から放り出すための口実なのである。アメリカでは能力がなければ
 「明日から会社に来なくてもいい」と即座にクビを切られるが、日本では大きな問題を
 起こさない限りクビにはならない。代わりに、定年制度が「あなたはもう不要です」と
 いい渡す。  
・日本の定年制度は、見方を変えるなら、自分の能力が次第に落ちていき、やがて会社か
 ら必要とされなくなるという現実に気付けるチャンスなのだ。定年は時期が決まってい
 るので、定年後に向けた準備を始める際の指標にもなる。その意味では、現行の定年制
 度にもいいところはあるといえる。
・外国にも日本の定年に似たものはあるが、悠々自適で老後を過ごせるのは大金持ちか、
 役人や軍人など潤沢な年金が支給される一部の人たちのみだ。大多数は死ぬまで働いて
 いる。自分の年齢や能力を冷静に見極めながら、働き方を変えたりしながら、できるだ
 け仕事を続ける。日本もようやく、そういう時代になりつつある。「社会に生きる人間
 は、働きつづけなければならない」という本来の姿に、いま日本は戻っていく途上にあ
 る。
・自分の身の回りのことは何でも自分でこなしてほしい。そのためにも、第1ハーフのう
 ちから自分に関わる物事を他人に任せないクセをつけておくべきだ。少なくとも「何で
 も自分でやろう」という意識を持つこと。これは極めて大切だ。「何でも」とは、仕事
 のことだけでなく、家事やその他の雑事にも当てはまる。私は単身赴任が長かったため、
 たいていのことは自分でできる。皿を洗ったり、洗濯物をたたんだりも全部自分で済ま
 せる。要は、自分以外の何かに依存しないことである。依存してしまうと、自分の人生
 の舵を、自分で取ることなどできない。
・当然、子どもの世話になるのもいけない。現在は核家族化し、子どもが家庭を持ったら
 同居しない時代である。自分の体が動かなくなったときだけ世話をしてくれというので
 は、明らかに都合がよすぎる。子どもは親の犠牲になってはいけない。むしろ親が子ど
 もの犠牲になるべきだ。これが自然の法則である。
・同様に、社会のシステムに依存するのもよくない。年金制度な若者、すなわち子どもや
 孫の世代からの搾取で成り立っているのだから、頼りにするのは間違っている。少子高
 齢化が加速していく日本では、今後若者の負担がますます重くなっていく。いまの40
 代が定年を迎える頃には、年金をはじめとするさまざまなシステムが成り立たなくなる
 だろう。そのとき社会制度を頼りにしている高齢者は、果たしてどうやって生きていく
 のだろうか。だからこそ、高齢者は若者や社会に迷惑をかけず、可能な限り自分の力で
 生きていかなければならない。「年寄りを大事にしろ」ではなく、むしろ高齢者のほう
 から大事にされる努力をすべきだ。その努力の1つとして、何歳になっても誰かのため
 になる仕事を続け、自分のことは自分でする。 
・自分で舵を取り続けるには、いうまでもなく体調管理も重要だ。働くことはほかの誰か
 を楽にするだけでなく、健康を維持する、つまり自分自身を楽にすることにもつながる。
 もちろん人間は、いかに健康に気を配っていても、どきには病気になってしまう。私自
 身もさまざまな病気を患った。運悪く事故に遭い、命を落とす人も多い。大病や事故で
 介護を受ける身になってしまうことも当然ある。それはこの世に生きている以上、コン
 トロールできないことだと受け入れるしかない。とはいえ、それは舵取りを誰かに委ね
 ることとは違うので、勘違いしてはならない。
・自分の人生は、自分自身が主導権を握ってこそ楽しくなる。他人に頼らず、制度に甘え
 ず、自分の面倒を自分でみながら、できるだけ長く働き続ける。どんなシチュエーショ
 ンであっても自分で考え、自分から行動を起こして生きていく。
 
おわりに
・もちろんすべての人が好きなことを好きなだけ働いて、楽に暮らしていけるほど日本国
 は豊かではないでしょう。ただ、世界には、日本より貧しい、不自由な国は、たくさん
 あります。日本で生まれ、日本で暮らしていることは幸せです。
・私たちの働く環境は、いま大きく変化しつつあります。いや、変化してしまった、とも
 いえるかもしれません。基礎工事の内容や中身が変わってしまったのに、それに気付か
 ず、その上に建物を造ったり、まわりを車で走り回ったりすれば、陥没して転落しかね
 ません。働くことは、人生の基礎工事でもあり、社会の基礎工事でもあります。
・1人ひとりの人生の、そしてみなさまの社会の基礎工事である働き方の実態を正しく理
 解することは、自分が幸せになり、まわりの人たちを幸せにするために大切なことだと
 思います。