酔狂に生きる :曽野綾子

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この本は今から8年前の2014年に出版されたもので、著者が82歳のときのもののよ
うだ。「酔狂に生きる」とは、どういう生き方なのか。興味を覚えてこの本を読んでみた。
「酔狂」とは、一言で言えば「物好き」のことのようだが、この本の作者がいうところの
「酔狂に生きる」とは、当時まだ女性が大学進学なんて当たり前では無かった時代に、大
学を出てすぐ小説家になる道を選んだことが「酔狂に生きる」ということだったようだ。
当時は小説家になるということは「カフェの女給に身を落とすこと」と社会から思われて
いた時代だったという。
内容的には、「これぞ酔狂な生き方」というような、目新しいことはないような気がした。
特徴的だと感じたのは、福島原発事故が起きてまだ数年後ということもあってか、「電気」
に関する記述が多かったように感じた。
私がこの本を読んで、心に残ったのは次の2点であった。
・私が何よりも求め続けて来たのは、「魂の自由人」になることだった。
・「安心して暮らせる」という耳障りのいい言葉ほど、インチキはない。


危険や不安を承知で、自由を取れるか
・人は自分だけでは生きられない。自分が生かされている国家と社会の状況、それに家族
 の愛が必要だ。
・深い感謝は別として、私は寿命に関してだけは、深く考えないことにしている。この世
 には自分で動かし難いことが多くて、私たちは自分の生を時の流れや運に任せる他はな
 い。命の期限もその一つである。
・健康に留意もするが、希望や努力は結果と完全には結びつかない。
・私は昔から、一人の人間の体験の結果としての知恵や感情を伝達することは、そもそも
 不可能だと思っている。戦争を語り継ぐということが信じられていて、それは決して悪
 い行為ではないが、現実には恐らく不可能であろうし、あまり効果もないだろう。そん
 なことができれば、人間はこんなにもよく似た形で、数百、数千年にわたって愚行を繰
 り返して来たりはしないのである。
・その結果として、私たちは二つのことが言える。一つは人間は変わらない、という原則
 である。もう一つは、人間はある程度意識的に無責任でなえればならない、ということ
 だ。後世に自分の得た教訓を生かそうなどとしたら、恐らく死ぬに死ねなくなるほど、
 思い上がるであろう。
・現代の人は、「人道」や、「人権」や、「正義」のために、行動するという。実際に行
 動している人も、もちろんたくさんいるが、言葉だけだったり、署名だけだったりする
 人が大半らしい。そこには、自分が辛いほどの大金を拠出したり、危険を承知で現場に
 出かけたりする人は、ごく少数である。
・私たちは、自分の善意の心から、ひまのある時だけ行動の手伝いに行ったり、署名した
 りすることで、自分はその行動に参加し、いわば同志になったと思う。しかしユダヤ人
 は決してそうは考えないのだ、という。ユダヤ人にとって、「同志」としての証を行動
 で見せる時には二つのものを差し出さなければならない。それは「血と金」である。同
 志という言葉自体が、血と金を表すのだという。
・人間が人生で、これが自分の行くべき道だ、と思う時、人は必ず二つのものを差し出す
 はずだ。出すのが辛いと思うほどの金か、さもなくば命である。しかしこんなことは現
 在の日本では意識の中にも上らない。むしろ破壊活動をしている人たちの方が、自分た
 ちは命を的に闘っている、と言うであろう。
・人は自分は間違えない、と思うより、間違えると思っている方が、自然で人間的だ。も
 ちろん世の中にはそうでない人がいる。自分は人倫の道を決して踏みはずさない、と断
 言し、その通り正しいことを貫ける人もいる。しかしこと自分がそのように大見栄を切
 ってしまうことが私にはできない。もしそれを守らなかった時の惨めさに耐えられない
 からである。
・私は自分が小説を書くという決心をした十代の終わりに、「酔狂」な人生を送るとを選
 んだ。当時は小説家になるということは「カフェの女給に身を落とすこと」と社会から
 思われていたから「酔狂」で説明しる以外、自分の行動を説明する方途がなかった。し
 かし酔狂などというものが言葉として消え失せ、その深い意味合いなど一顧もされなく
 なった時から、日本人は自己責任も、信念も、美学も、失ったのである。
・世の中には、経済や政治などの実際に社会を動かす仕組みの他に、いわば社会全体を動
 かす触媒作用のような力を持つ「真善美」への希求があるはずである。そえがなければ、
 人間の才能は充分に燃焼もしなければ、目的に対する方向性も持つことができない。
・「真」の希求は非常に難しい。会社や官庁や他の組織に入れば、「真」を求めようとし
 ない上役を見て矛盾を感じても、 それを公表すれば、組織の中に留まることができな
 くなり、結果的に食べられなくから誰もが黙っている。 
・「真」を見つめようとすれば、当然人間が集まるすべての所の、歪み、逸脱、権力の乱
 用、などが見えて来る。しかしそれを言う機会もなく、言ったら最低で出世が遅れ、悪
 くすると首だから、だれも言わない。
・私たちは、自由は、制度によって得られるものと思っている。しかしそうではないのだ。
 自由は私たちの眼力、それも勇気に支えられた眼力によって出発するということなので
 ある。
・「真」への到達には、勇気がいる。しかし勇気を教えなくなってから、もう半世紀以上
 が経ったから、「勇気ってなあに?」と聞く事もが出ても不思議はない。それでいて
 「いじめはいけない」と教えろ、と親も教師も社会も言う。勇気なくして、どうしてい
 じめを止めることができるのだろう。
・「勇気」が「真」と密接な関係にあり、さらにそのかなたには、「自由」とも確実に結
 びついているのだということを、多くの人は気がつかなかったのである。
・「人間は平等」と日本人は教えられたが、しかしこれはれっきとした嘘であった。およ
 そ地球上に存在する総てのものは、決して平等の運命にあずかれるようにはなっていな
 い。
・ただどんなに運命は不平等でも、人間はその運命に挑戦してできるだけの改変を試みて
 平等に近づこうとする。それが人間の楽しさである。
・世界人権宣言では「人間は、生まれながらにして自由・平等である」「人間は、理性と
 良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければ ならない」とさ
 れている。
・しかし多くの民族にとって、これは全く無理な感覚だ。なぜなら、歴史的にも現状にお
 いても、人間は長い年月にわたって簡単に理性を失い、良心などというものは初めから
 持ち合わせていない人たちも決して珍しくないことを示して来たのである。相手に良心
 があるなどと勘違いしていると、こちらが先に殺されることを、経験として知っている
 からである。
・誰もが同胞の精神を持っているなどということは、目下のところでは世迷い言だ。同胞
 の精神は同胞しか持てないものだ、と信じるのが普通なのだ。なぜなら同胞だけが運命
 共同体を受け入れるが、同胞でないものは、必ずこちらを攻撃するのである。だから同
 胞以外の者を信じるなどということは考えられない妄想である。もし見知らぬ人を同胞
 と思う時には、ガンジーのように自分が殺されることを前提に考えるべきであり、こう
 したおきれいごとにそう易々と同意できなくて自然なのである。
・「美」こそは最も深く、自由と関係あるものだ。なぜなら美は、社会状況を一応は意志
 しつつ、時には完全に内なる世界において自分だけが選択可能な世界観として力を持つ
 のである。自分が美と感じるものに、私たちは心と時間を捧げる。時には命さえも捧げ
 る。
・「安心して暮らせる」という言葉を恐れ気もなく使い出したのも、二十世紀後半の特徴
 だった。生活において「安心できること」を期待したのは依頼心を公的に許された高齢
 者であり、声高に約束したのは政治家であった。
・しかし人間はいかなる人でもいかなる場所でも、「安心して」生きられることなどあり
 得ない。それは未来永劫あり得ないことだろう。そのような根源的な非合理、非連続性
 に人間の運命が定められていることを、社会は認めない。それどころか、社会尾不備と
 して一掃できると考えた。
・近年の変貌は、私だけでなく、あらゆる人の予測の能力の範囲を超えているだろう。私
 個人は、悩むヒマもないうちに「どうせ死んじまうのだから」と思っている。利己主義
 な私は死後のことなど、どうなってもいいのである。私はうんと若い時から、色紙を書
 かされた時には「後は野となれ」と書いて来たのである。
・一人の人間の、いい意味でも悪い意味でもその人の「根性」などというものは、そう簡
 単に改変されるものではない。子供の時、青春時代、そして長い作家生活と結婚生活と、
 そのすべての時期を通じて私が何よりも求め続けて来たのは、自由だった。それも魂の
 自由人になることだった、ということである。
・人はすべて、自分の体験からものを言う。秀才はそうでないかもしれないが、だから往
 々にして説得力に欠ける。
・私の考えはまことに単純なのだ。刑務所に入りさえしなければ、私は一応の基本的な自
 由を手にしている、と言える。どこへ行くのも、どこに住むのも、何を食べるのも、誰
 と会うのも自由なのだ。これは一人の人間に与えられたすばらしい特権である。
・日本のような行き届いた自由な社会に暮らせば、自分の魂を常に自由に解放しておける
 か、と言うと、決してそうではないことは、周囲を観察していればすぐわかることだろ
 う。
・むしろ私たちの生活の周囲は、かなり病的だ。心身双方の「今日の疲れ」を明日に持ち
 越したままずっと暮らしている人もたくさんいる。企業の規模も大きく業績も安泰な大
 企業に勤めながら、自分が誰かの考えに抑え込まれている、という不安に苛まされなが
 ら暮らしている人も多い。組織が優先で、個人は自分の意見を持つどころか、組織の一
 員になり切れ、と強制される生活をしていると、精神的な奴隷の生活を送っているよう
 に感じられて来るのである。
・百パーセントの自由人などという人はこの世にいないのだ。人は誰でもいささかのしが
 らみに生きている。ただすべてのことは、程度の問題だ。
・人が完全に組織に呑まれ、その機能の一員になることを容認しなければならないとなる
 と、人間の肉体は多くの場合、そこで謀反を起こすものらしい。拒否された自己を回復
 しようとして、不眠症や、鬱病や、胃潰瘍や、ガンになる。
・高齢まで生き延びた人たちが、もしも思考するという能力を残しているなら、それは大
 きな幸せだが、自分の意志もなしに長寿を与えられているとしたら、それは手放しで喜
 べることではない。
・私を幸福にしてくれる要素は四つあるだろうという気がする。
 ・第一条件:身辺整理ができていること
       ガラクタを捨てて、家の空間を多くする。自分にとって大切なものも、私
       の死後は、娘や息子によってさえ要らない場合が多い。
 ・第二条件:老年がもうそれほど先のことを考えなくてもよくなっていること
       自分が死んだ後のことなど考えられないし、またあまり考えて口を出して
       はいけないような気もする。
 ・第三条件:他者を愛することが自分を幸せにする、という一見矛盾した真理を認める
       こと      
       この程度のことは誰でも知っていると思っていると、それがそうでもない。
       老化は利己主義の方向にどんどん傾くからである。自分だけの利益や幸福
       を追求しているうちは、不思議なことに自分一人さえ幸福にならない。
 ・第四条件:適度な諦め
       この世で思い通りの生を生きた人はいないのだ。それを思えば、日本人の
       九十九パーセントまでは、実生活において人間らしくあしらわれている。
・「ないものを数えずに、あるものを数えなさい」
・たった一つ、誰にでも間違いなく人生の成功者になる方法はある。それは自殺をせず、
 人を殺さないことだ。
・受験の失敗、失恋、倒産、天災に遭うこと、どれも大きな喪失だが、時間と生きる意欲
 があれば、不運をカバーして、前以上の幸運を手にすることもできる。しかし、自分と
 他人を殺したら、取り返しがつかない。
・戦後の日本人は、大きく三つのものから解放された。第一は戦前の封建的な社会制度と
 その圧迫、第二は貧困、第三は思想言論の統制弾圧である。
・ストレスからの解放は病気の予防に大きく影響しているというが、一方で全くストレス
 のない人間の生活などというものはないから、いささかのストレスは生き生きとした人
 間社会を作るのに有効だという説も、私はまた素人としては捨てがたい。
・長く生きればいい、というものではない。しかし長く生きられなかったら、人生で達成
 できる目的も中途半端で終わるだろうから、やはり長寿が願わしい。しかし老年をいか
 に生きるかということは、人生で個人が選ぶ最後の目標であり、芸術となった。
・長い年月を生きてきた老人は、体こそ老いて弱っているかもしれないが、たくさんの人
 生を見て来て、複雑な人生の受け止め方ができるような豊かな精神構造を備えるように
 なっているはずだ。
・何もいつもにっこり笑っていなくてもいいのに、このごろの日本人は笑い過ぎる。こと
 に接客を主な仕事とする人の笑顔は空しくて気持ちが悪い。テレビやマンガの世界ばか
 りに触れて、汗をかいたり、重かったり、疲れたり、寒かったり、怖かったり、という
 ような肉体的感覚を持つ実人生に触れなくなった人々は、どこか人間離れしてきた。
・私は高齢になったので、人の世話にならずに済む健康が何より幸福だとしみじみ感じて
 いる。そのためには、まず食事が大切だと感じているから、毎日、小説を書く合間に必
 ずおかずを作っている。
・幸福の秘訣は、受けて与えることだ、と私は知っている。私たちは受けることの方が多
 いが、何か少しでもできることを他者に「して差し上げる」生活をすることが私たちを
 幸福にする。
・しかし、今は他人には何もしない人が多い。国家や社会が、自分にしてくれることだけ
 を当然に思う。そして与えなければ困る人を見ると、「そんなこと、国の責任よ」と言
 う。素朴な人間の暮らしは、必ず受けて与えていれば、健全さを残せるのである。
・人間の後半生には、ありがたいことに立派な仕事が発生する。老化を人間らしく受け止
 め、病気があればそれに耐えることと、死という仕事を果たすことである。
・人生に終わりのあることは、最大の幸福であることを忘れてはいけない。 

人間の能力の限界など、たかがしれている
・もちろん世の中の動きは公平であった方がいいに決まっている。しかし完全な公平とい
 うことは、事実上この世ではあり得ない。
・完全な公平を期して、不公平の是正にばかり、精神と時間を費やしていると、自分自身
 がほんとうにしたかったことに捧げるはずの時間を失う。
・不公平、不平等を是とするのではないが、私たちの人生は思いのほか短い。だから急い
 で、自分の道を生きることの方が必要だ。
・才能のない人が、名誉欲や権力欲でその仕事に就かれると社会が迷惑する。
・人はめいめいが好きで得意な道を生きればいい。好きなことのない人が、実は一番危険
 で困るのである。
・個人情報をまったく知られないという社会が、本当に健全なのだろうか。個人情報を完
 全に隠そうとすることは非現実的であり、土台ムリなことと思うほうがいい。
・できもしない個人情報の完全な秘匿に血眼となり、漏洩を過剰に恐れることによって、
 行き過ぎとなった例は枚挙に暇がない。
・個人情報に対して怯えに近い反応を示す今どきの人々が、その一方で、自分の情報を公
 開することは、大好きなのだ。ブログやツイッターは流行っているのは、じつは自分の
 ことを知らせたくてたまらない人が多いことの証に見える。
・私は昔から人の仕事や生活を侵す音響、臭気、干渉などは、テロではないが、一種の暴
 力だと思っていた。
・人は、自分の思考や行動を守るために、静寂を侵されない自由があると思う。世間は実
 に多くの考え方から成り立っている。その個人の自由を守ることは、最低の礼儀だと言
 っていい。
・一般に他人のお金の使い方に関しては、女性の方が細かく、男性の方がだらしがない、
 という印象を私は持っている。男性は日常、大根一本を自分で買っていないので、お金
 の額に不感症なのであろう。人の出した金でする公共工事で手抜きをするなどというこ
 とは、事故が起きなくとも、罪は大きいものだ。将来、実力ある国家としての日本を私
 たちの子孫に残すためにも、仕事とお金の扱いには、折り目正しさが厳密に要求される。
・人間の能力の限界など、たかがしれている。疲れれば自然に、思考をやめる。新しい解
 決方法の展開など期待するほうがムリだ。

焼き尽くすほどの恋に溺れれば、必ず火傷する
・子供も中年も読書をしなければ人間にならない。テレビやインターネットの知識と読書
 のもたらす知識とはまったく質が違う。さらに日本語の文章を毎日書き、よく人と語ら
 なければならない。その訓練をした人だけが将来、自由で解放された人生を送るのであ
 る。
・世の中には「危険な恋」や「近づきすぎない方がいい間柄」という存在がある。どちら
 もほんとうは相手が好きなのだ。近寄って行きたいのだ。しかしこうした恋の周辺を考
 えると、自分が相手にとって、どうしても迷惑な場合もあるのだということもある。
・多分私は利己主義で、自分が傷ついたり、死んだりするのは、嫌なのだろう、と思って
 はいるが、一方で私は、ほんとうに好きな恋のためなら、多分死ぬのもいいとも思って
 いるのである。
・ただ私に今までそんなドラマチックなことが起きなかったのは、私の中に分裂したもの
 があって、書くものでは、思いきり自分をさらけ出す心の用意もあるが、実生活では、
 世間の片隅にひっそりと生きるのもわりと好きだからであった。
・太陽は明るく輝く眩しく熱い存在だから、その近くに寄っただけで危険なことだとは最
 初からわかっている。焼き尽くすほどの恋に溺れれば、必ず火傷する。

安心して暮らせる保証などない
・人間にすべてがわかったらおかしいのだ。人間にはわからない分野があっていいのだ。
 それだからこそ、自分にはない才能を持つ他者の存在を大切に思う。しかし世間の多く
 の学校秀才はそれを容認しない。秀才にはすべてがわかると思い、自分以外の意図の存
 在を軽視する。
・アフリカなどの土地では、自分の国の貧しい人たちにお金やものを渡そうなどという気
 持ちはほとんど誰にもない。「偉い人ほど多く盗む」ように見える。貧しい人が「清く
 正しく美しい」などということは日本の特殊事情であろう。
・それらの国が民主化どころか、二十一世紀になってもまだ一人の大統領とその一族が、
 権力を独占するような形態にあるのは、どうしてかというと、第一に大きな理由は電気
 がないからなのである。今までに百十九カ国以上見て回ったが、その間にはっきりとわ
 かったのは、「電気のない国に民主主義はない」という明確な事実だったのである。
・「安心して暮らせる」という耳障りのいい言葉ほど、インチキはない。この言葉をもっ
 とも多く使いのは政治家だが、驚くことに、老人世代も、テレビのアナウンサーも、平
 気でこの言葉を口にするのである。政治家は「安心して暮らせる」生活を約束し、老年
 は自分が「安心して暮らせる」状況を社会に要求する。現世という所には、「安心して
 暮らせる」保証だけはないということが、政治によって世の中を率いようとする人にも、
 深い体験があるはずの老人にも、教養があるということになっているアナウンサーにも、
 まだ認識できていないのである。

人生の選択は、損得で決めることではない
・一人の人間が、知的人間としてできなければならない「読み書き話し」の三つの手段が
 完成しないと、「〇国人」とは言えないことになってしまう。
・自国語でいいから、完全に読み書き語ることができる人になることが、人間の最低の条
 件である。裁判、恋愛、共同事業、人づきあい、学問研究、すべて国語で完全に読み書
 き語る能力が必要だ。
・現代の日本人で、手紙や書類で、自分の心を示せる人は実に少なくなった。下手でもい
 いから、自分の文章で、人情の機微を伝えられる能力はなくなったのだ。
・私は人生のことを「損得」の勘定で選ぶことは、マーケットで買物をする時ぐらいなも
 のだ。しかし他のもっと大切な人生の選択は、あまり損得で決めたことはない。自分が
 したいことと、自分がすべきことをするのだ、と親からも教わった。
・損とか得かということは、その場ではわからないことが多い。さらに損か得かという形
 の分け方は、凡庸でつまらない。人生にとって意味のあることは、そんなに軽々には損
 だったとか得だったかが わからないものなのだ。