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この本を購入したのは2000年(平成12年)頃だった。当時の私は、仕事関係で、強
いストレスを抱えていた時期であり、本屋でこの本のタイトルを目にして、無意識に手が
伸び、購入した。本のタイトルからすると、なにやらストレスについての解説とその対処
法が書かれたもののように思ったのだが、読んでみると、そうではなかったので、途中で
読むのを止めてしまっていた。今は、あまりストレスを感じない生活となったが、ほんと
うはどんな内容の本だったのか気になり、再度読み直してみる気になった。

筆者は医者だったのだが、どうも医者という職業には、あまり向かなかったらしい。途中
で医者を辞めて作家になったようである。この本は、筆者がまだ勤務医だった頃に、スト
レスについて興味を持ち、カナダにあるストレス研究所へ海外留学したときの体験を、小
説風にまとめたもののようだ。
筆者は、勤務医時代の当初から、「そもそも病気とは何なのか」とか「病気が治るとはど
んな状態をいうのだろう?」と悩んでいたようであるから、医者としては、ちょっと規格
外だったのかもしれない。もっとも、それだけある意味で、根が真面目で真剣に病気とい
うものと向き合おうとしていたのではないかとも思える。
最近またテレビで、「ドクターX」というドラマが放送されているが、このドラマでは、病
院という組織をおもしろ可笑しく表現しているが、この小説を読んで、筆者が勤務してい
た病院は、まさにこんな状態なのではなかったのかと思えてしまった。筆者が医者という
職業に見切りをつけたのも、この辺りにも理由があったのかもしれない。
カナダのストレス研究所では、いろいろ貴重な体験をすることができたようで、本人はも
う少しストレスの研究を続けたいと思ったようだが、かんじんのストレス研究所が解散さ
れることになり、日本に戻って、元の神奈川県内の県立病院の勤務医に復職となったよう
だ。
本書は、小説風でありながら、ところどころで、ストレス、胃潰瘍、不眠症、円形脱毛症、
蕁麻疹、自律神経失調について、医者らしい解説も入っており、そういう面でも参考にな
る内容だ。
筆者は1982年に医者を辞めて、作家・医療ジャーナリストの道に進んだようだ。筆者
の代表的著書である「ぼくが医者をやめた理由」や「ボクが病気になった理由」はテレビ
ドラマ化や映画化されたことがあるようだ。しかし、筆者は2004年に56歳で他界し
ている。肝臓がんだったらしい。
今は、筆者の著書は中古品でしか入手ができないようだ。そういう点でいうと、今手にし
ているこの本は、もう入手が困難な貴重な本なのかもしれない。

モントリオール国際ストレス研究所
・1978年11月、ぼくはカナダの東部、モントリオールにやってきた。ストレス学の
 研究をするためである。

糖尿病のマスク
・内科研修医の期間を終えて、ぼくは胸部疾患の専門病院に呼吸器内科のスタッフとして
 勤めはじめた。肺や気管支の病気に、とりたてて興味があったわけではない。なんとな
 く成り行きで、そうなった。強いて言えば、その病院のロケーションが素敵だった。海
 の見える小高い丘の上に立っていたから、という程度の動機である。
・呼吸器内科のエキスパートになるためには、胸部レントゲン写真の読影、気管支ファイ
 バースコープの操作、緊急時の呼吸管理、抗生物質や抗ガン剤の適切な処方など、腕を
 磨かなければならないことは山ほどある。
・しかし、最初から志が低かったせいか、それら専門技術の習得訓練にぼくはあまり熱心
 ではなかった。そしてその結果、当然のごとく検査手技は下手。とりわけ、気管支ファ
 イバースコープの技術は、自分で言うのもなんだが、ひどかった。
・気管支ファイバースコープというのは、胃カメラをもっと細く短くしたような棒状の検
 査器具である。その棒の先を喉頭から声帯を通し、気管から気管支の中に入れる。それ
 でたとえば、肺癌病巣の正確な位置、またその細胞の性質などのついてのチェックをす
 るわけである。 
・肺は胃のように単純な袋構造ではない。まるで大きな樹木のように、幹にあたる気管か
 ら気管支が複雑に枝分かれしている。その解剖学的な位置関係がちゃんと頭に入ってい
 なければ、どのあたりの気管支を見ているのか、すぐにわからなくなる。検査としての
 意味がなくなるのだ。ぼくは帰還し分岐に関する解剖学的な知識は、とりあえず持って
 いた。にもかかわらず、この検査がうまくできなかった。
・気管支ファイバースコープの検査をするときには、額帯鏡、耳鼻科のお医者さんがいつ
 も頭に付けている丸い鏡を使う。それで光を集め、喉頭鏡で喉の奥を見ながら、ファイ
 バースコープの先端を進めて行くわけである。ぼくは、この額帯鏡の使い方が下手だっ
 た。何度やってもうまくいかない。光をちゃんと収斂させることができないのである。
 検査の準備段階で、すでにアウトということだ。
・気管支ファイバースコープの技術はひどかったが、その他の処置は、まあそれなりには
 こなせた、と思う。喘息発作で苦しんでいる患者に気管支拡張剤を使う。すると、それ
 まで土気色だった顔に、すうっとピンクが射し、浅く早かった呼吸がみるみる穏やかな
 ものになる。
・患者の状態を的確に判断し、治療の手段をもっていたからこそできたのだ。そんなとき、
 まがりなりにも技術があってよかったな、とは感じた。しかし、そういった技術が、世
 間で信じられているほど、また医者自身が言うほど「たいしたことだ」とは、とても思
 えなかった。技術は無いよりあるこしたことはない。だが、しょせんその程度のものと
 いう感じだった。だから、医者同士、技術の優劣を競い、威張ってみる。くやしがって
 みせる、そんな感情も希薄だった。たいした努力もしないまま、「できないものは仕方
 ない」と開き直っていた。 
・喘息の発作、それ自体をとりあえず抑えることは可能だ。だが、つぎの発作が起こらな
 いようにするのはむずかしい。十二指腸潰瘍の痛みをとることはできる。だが、潰瘍そ
 のものはしつこい再発を繰り返す。それでいきなり死にはしないが、病気そのものが治
 るということもない。「そもそも、病気とは何なのか・・・」、「病気が治るというの
 はどんな状態をいうのだろう?」。いろいろ考えれば考えるほど、わけがわからなくな
 っていった。ただ、この手のことは、いわゆる医療技術、テクニックでは解決できない
 はずだ。気管支フェイバースコープがうまくできないという心理的トラウマのせいだろ
 うか、ぼくはわりと本気でそう思っていた。
・はっきり言って、ぼくは頭の回転が鈍い。記憶力は、もう最悪。手先の不器用さについ
 てはあらためて言うまでもあるまい。運動能力に秀でているということもない。博打の
 才能もない。人との距離感のとり方も稚拙である。それで姿かたちでもよければ、まだ
 救いがあるだろうが、残念ながら、ちんちくりんの部類。それこそ、なぁーんにも取り
 柄がないのである。謙遜しているわけではない。冷厳たる事実なのである。
・過去の出来ごとを思い浮かべても、「恥かしきことのみ多き人生」。自分の思い通りに
 ことが運んだためしなど一度もない。人から上等な評価を受けるという経験もほとんど
 なかった。 
・天才の多くは、おおむね27歳までに、その才能の片鱗を見せる。子どもの頃、何かの
 本で読んだその記述が、いつも頭の片隅にひっかかっていた。そしてそのとき、ぼくは
 まさに27歳だったのだ。
・それこそ「もおー、サイテー」な人間が、自分を天才に擬する滑稽さについての自覚は、
 さすがにあった。だが、現実の自分には何もないからこそ、自らを慰撫し、ひそかに自
 惚れることでしか、精神の安定を保つことができなかったとも言えるのである。一等賞
 をとりたいというのとは少し違う。他人と比較してどうこうというのではなく、ひたす
 ら自分自身で心底納得したいという類の感情だ。
・うつうつと心楽しまぬ日々、それで真剣に煩悶苦悩でもしていれば、まだ上等だった。
 だが実際には、けっこう気楽な毎日。昼間は草野球に精を出し、夜は夜で酒場にせっせ
 と通っていた。まあなんとも、いいかげんな奴であったのだ。
・慢性の病気を持った人は、経過が長く病状の振幅も比較的小さいから、具合がいいのか
 悪いのか、自分でわからなくなることがあるらしい。「いかがです。お変わりないです
 か?」と医者に尋ねられても、どう答えていいのかわからない。だから、「変わりあり
 ません」と、おうむ返しの返事をする。 
・膵臓から分泌されるインスリンというホルモンの分泌能力が低下すると、食べ物の糖代
 謝がスムーズにおこなわれなくなる。腸管から吸収される糖分は、有効なエネルギーに
 転化されないまま、むなしく血液中をぐるぐるとめぐっているだけだ。ただおとなしく
 回っているだけならいいが、そんな状態が長く続くと、全身の血管、とりわけ腎臓とか
 網膜の奥の微細な血管が壊されてしまう。糖尿病というのは、そういう病気である。そ
 して、多くの場合、インスリンの分泌能力の低下は、カロリー過剰摂取、つまり食べ過
 ぎによって膵臓がオーバーワークになり、へたってしまうことによって起こる。
・糖尿病をインスリン不足によってのみ起こると考えてはならない。糖尿病はしばしばA
 CTH、STHあるいはCOLといった適応ホルモンの過度の生産によっても起こりう
 る。これらのホルモンはみな、血糖を上昇させる傾向をもっているのである。潜在的な
 糖尿病が、はっきりと表面化するかどうかは、その人のストレスに対する反応性と密接
 に関係しているのである。
・鬱病の薬で、糖尿病が治ったこともある。抑鬱状態というストレス刺激に対抗するため、
 適応ホルモンを普通の人より余分に分泌する。それが血糖を押し上げていたと考えられ
 る。
・鬱病の病的身体表現は糖尿病だけとはかぎらない。人によっては十二指腸潰瘍あるいは
 狭心症でもいいのである。こういった病態を「仮面鬱病」と呼ぶこともある。糖尿病で
 マスクされた(隠された)鬱病という意味である。

イリコロ院長
・オルガ・エルマ。かなりの長身だ。180センチ近くあるのではなかろうか。からだは
 大きいが、顔にはまだあどけなさが残っている。髪の色は茶色。瞳はグレーがかったブ
 ルーだ。彼女はぼくの実験助手だという。
・これまでぼくは部下とかアシスタントといった類のものをもったことがない。病院での
 診察の際は、看護婦さんがいろいろ手伝ってくれる。だが、本来医者と看護婦とは違っ
 た業務をする職種、上司部下という関係ではないと認識していた。アシスタントなんて、
 慣れないものをもたされて大丈夫かね。
・ピコ・サルバトーレ博士。ベルギーから来た研究者だという。彼とは、隣のD実験室を
 共同で使うことになっている。オルガはわれわれふたりの共同のアシスタントを務める。
・ストレス学説と出会ったのは、患者の診察を通じてだった。これまでの医学知識では説
 明できないいろいろな病状経過が、このコンセプトを使えば解決できる。そう思ったの
 がはじまりだ。だが、実験を繰り返しているうち、患者のためというより、ストレス学
 説それ自身のもつ面白さにのめり込んでいった。この研究が仕事になるなら、それはそ
 れで素敵かもしれないと考えるようになった。しかし、「生涯を研究にかける」という
 イメージではない。もっとなんというか、たんに楽しいから勉強したいという感じであ
 る。ぼくはその頃、ストレスに淫しちゃっていたのである。
・ぼくは田中益男院長にあまり好感をもたれていなかった。というより、はっきりと嫌わ
 れていた。彼も、そのことを隠そうとはしなかった。神奈川県には七つの県立病院があ
 る。つまり病院長は七人だけということだ。同期の医者が50人いて、そのうちのひと
 りがなれるかどうかぐらいの確率だ。その狭き門をくぐり抜けたのだから、まあおめで
 たいことなのだろう。だが、外科部長のとき、彼自身院長への道が開かれていると思っ
 ていなかったはずだ。それがめぐり合わせというか、他の県立病院の就任したばかりの
 院長が急死するというハプニングから、たなぼたで院長になっちゃったのである。ラッ
 キー、その程度のことのはずだ。
・ぼくには、院長という役職がそれほど素晴らしいものとは思えなかった。医者は管理者
 になるより、現場で患者と相対しているのがいちばんいい。それまでの言動から、彼自
 身もそう考えていると思っていたからだ。   
・院長就任後、短期間の内に180度転換、彼は聞く耳もたぬ、たんに威張りたい人にな
 ってしまっていた。その変化に、ぼくは気づかなかった。
・院長は、過敏性腸症候群だったのである。過敏性腸症候群というのは、腸の細胞組織に
 はとりたてて問題がないにもかかわらず、便秘と下痢を交互に繰り返し、おなかの痛み
 や漫然とした不快感を訴える病気である。ガンができているわけでも、炎症を起こして
 いるわけでもないのに、腸管が勝手に過敏反応をしてしまう。精神的なものが腸の働き
 に大きな影響を及ぼす。緊張した腹を立てたりすると、自律神経のバランスが崩れ、と
 たんに腸が激しく動きはじめるのである。典型的なストレス病ということができよう。
 患者にしてみれば不快このうえないが、この病気で生命をとられることはない。   
・考えてみれば病院というのはおかしな社会だ。もちろん、院長以下ぼくのようなペーペ
 ーの医局員までの序列は厳然としてある。とりわけ、大学病院でのそれはきつい。教授
 が人事権、論文提出権を握っているからだ。彼らは、その権力をちらつかせながら医局
 員を統治する。医局組織の一員という立場に立てば、そうなる。だが一方で、医療現場
 でのひとりの医者としてみたとき、院長であろうがぼくであろうがイーブンな立場とい
 う考え方が強い。もちろん、経験による医療技術の巧拙の差はあるが、それはまた別の
 問題だ。だから、「病院内での出世なんかどうだっていい」、「医者の値打ちはいかに
 患者を診るかにある」。そう腹をくくれば、何も恐いものはない。上におべっかいを使
 わないからといって、くびになるということはまずない。また、たとえ病院を追い出さ
 れたとしても、医師免許証があるかぎり、とりあえず食べるのに困るということはない。
・ストレスというと、すぐに有害とイメージする人が多い。だが、ストレス反応は、ぼく
 たちが生きていくために必要不可欠な防衛反応のひとつなのである。からだの外からス
 トレス刺激が加わると、それらは神経信号によって、まず大脳皮質で感知、認識され、
 脳の底の部分にある視床下部から脳下垂体に伝えられる。脳下垂体からはACTH(副
 腎皮質刺激ホルモン)が分泌され、副腎皮質の働きを活発にする。そして、副腎皮質か
 ら出るホルモンがストレス刺激に対抗する。つまり、ストレス回路、大脳皮質→視床下
 部→脳下垂体→副腎皮質というサイクルを回して、からだを守るというのがストレス反
 応本来の意味なのである。   
・このストレス反応の需給バランスが崩れた状態になると、心身にいろいろな不具合なこ
 とが起きてくる。どんなトラブルが起きるかは、人によって千差万別だ。ただ、その人
 にとっての弱点が攻められる傾向がある。呼吸器が弱い人は喘息に、心臓に不安を持っ
 ている人は狭心症。人によっては腸にという具合である。
・副腎というのは、左右の腎臓の上にちょこんとくっついている小さなホルモン器官で、
 表面が皮質、内側が髄質という二重構造になっている。この器官から分泌されるホルモ
 ンはすべてストレスと関係しているのだが、とりわけ皮質から出るステロイドホルモン
 は、ストレス刺激に対して重要は働きをする。そのため、このホルモンを特別にストレ
 スホルモンと呼ぶこともある。   

恋愛胃潰瘍の作り方
・胃腸はストレスに敏感だ。ぼくたちはよく、「食べる元気があれば大丈夫」、「何も食
 べる気がしない」といった具合に、食欲を指標に心身の調子を測る。精神的な圧迫感を、
 「胃が痛くなるようなプレッシャー」と表現することもある。あるいはまた、いらいら
 しているとき、いきなり便意を催す。吐き気がする。多くの人がそんな経験をもってい
 るはずだ。  
・現在、ストレスによる消火器疾患として、消化性潰瘍、潰瘍性大腸炎、過敏性腸症候群、
 神経性食欲不振症(いわゆる拒食症)。過食症はこの逆バージョン)、神経性嘔吐症、
 腹部膨満症、空気嚥下症といった病気がリストアップされている。なかでも、胃や十二
 指腸の消化性潰瘍は、ストレス病の代表格としてよく知られている。  
・食べ物を消化するため、胃の中では1日2,3リットルもの胃液が分泌される。この中
 に、胃酸とよばれる塩酸成分が含まれている。pH2.0前後というから、かなり強い酸
 性物質だ。げっぷとともに喉元までせり上がってくる酸っぱい液、いわゆる胸やけを起
 こすもとになるものを想像してもらえばいい。皮膚にかかるとぴりぴりする。「そんな
 強烈な刺激物だと、胃の粘膜を壊してしまうのではないか」と心配する人がいるかもし
 れない。もっともな疑問である。だが、人間のからだというのはよくしたものだ。健康
 な状態のとき、胃の粘膜には胃酸に冒されない防御機構が備わっているのである。
・しかし、強いストレスが加わると話が違ってくる。しばしばこの粘膜防御システムが作
 動しなくなり、胃酸が自分の粘膜をかなり深い層まで食い破ってしまう。消化性潰瘍、
 いわゆるストレス潰瘍を作ってしまうのである。情緒的な葛藤の強いとき、胃の内部粘
 膜は鬱血し、その表層にできたわずかな傷から出血が見られることよくある。そしてそ
 れが潰瘍形成へとつながっていくのである。
・オルガはカナダ中西部のアルバータ州エドモントン市の出身で、23歳。祖父母の代に
 フィンランドから移住してきたと話していた。トロント大学で生物学を専攻。この研究
 所の実験助手として働いてお金を貯め、近い将来マギル大学の医学部に入りたいという
 希望を持っている。   
・ぼくがはじめて十二指腸潰瘍と診断されたのは17歳、高校2年生のときだった。その
 頃ぼくは、なんだかよくわからないが、いつもいらだっていた。自分が何者なのか、何
 をしたいのか、自分の将来像をまるっきり思い描くことができなかったからだと思う。
 とりあえず学校に通ってはいたが、いつも気分が落ち込み気味。ごく親しい友人、2,
 3人と話すほかは、ほとんどの時間、図書館で本を読むか、喫茶店でぼんやりとするか
 して過ごしていた。やがて、空腹になると胃の痛みが襲ってくるようになった。何か食
 べ物を口に入れると、とりあえず病状はおさまる。だが、つぎの日また・・・。そんな
 繰り返しだった。そして神経を集中させようとすると、痛みは一層ひどくなった。医者
 には一度行って胃薬をもらったが、ちょっともよくならなかった。これは、胃のトラブ
 ルであるには違いない。だが、心のトラブルとも関連しているらしい。それが具体的に
 どんなものなのかはよくわからなかったが、ぼんやりと、そう感じていた。 
・ストレスによって消化性潰瘍になりやすい人は、独立心と依存心の間で葛藤するメンタ
 リティを持っている。つまり、表面的には野心的で活発に活動するが、無意識のレベル
 では、人から愛されたい、世話をしてほしいという依存欲求が強い。  
  
不眠症の治し方
・不眠には、大脳の興奮性が異常に亢進したため、ちょっとした刺激を敏感に感じてしま
 うケース。それと、大脳の異常性はそれほどでもないにもかかわらず、刺激の方が強す
 ぎるために眠れないケース、この二通りが考えられるわけです。大脳の奥まった部分に
 視床下部というところがあります。そこが睡眠に関する指令を出す中枢なんですよ。こ
 の視床下部の睡眠中枢を、1秒間に8回程度刺激すると睡眠状態に入るんです。でも、
 それ以上の頻度だと、逆に目が覚めるように働くんです。この刺激は、大脳皮質から網
 様体賦活系と呼ばれる繊維によって伝えられるんです。逆に言えば、大脳皮質が刺激を
 刺激として認識しなければ、睡眠中枢も働かないという理屈になります。したがって、
 大脳皮質が視床下部に送る刺激信号を毎秒8回以内に収めれば、安らかな眠りにつける
 というわけです。  
・過緊張のストレス状態を脱するため、いろいろな心身のリラックス法がある。瞑想もそ
 うだし、生体エネルギー法、自律訓練法・・・それらなみな、それなりの理屈の上に成
 り立った方法だ。だが、その効果に関して、ぼくはそれほど楽観的な見方をしてはいな
 かった。実際の治療に応用したこともあるが、「いい場合もあるし、そうでない場合も
 ある」というのが実感だった。  
・精神医学のテキストによると、不眠には基本的に三つのパターンがあるという。「寝つ
 きが悪い」、「眠りが浅い(夢をよく見る)」、「朝早く目が覚める」。ぼくは、寝つ
 きはそれほどいいほうじゃない。夢もよく見る。熟睡感のあるときは少ない。それでも
 ぼくは、自分が不眠症だと考えたことはない。  
・眠れないという状態は誰もが経験したことがあるのではなかろうか。たとえば、明日は
 遠足だからと更新していつもの時間に眠れない。また、恋をして明け方まで悶々と寝返
 りを繰り返す。これらも不眠には違いない。だが、不眠症、「症(病気)」がつくかど
 うかは、その状態を自分が病気と認識するかどうかにかかっているような気がする。  
・ストレス学の立場から不眠を解析すると、つぎのようになる。心身が興奮して眠れない
 とき、つまり、副腎からストレスホルモン−アドレナリンとステロイドホルモンが過剰
 に分泌されているときは、とりあえずその状態をあるがままに受け入れればいい。そう
 すれば、そのうちからだのほうが疲れ、ストレスホルモンの分泌が下がり睡眠を要求し
 はじめる。だが、それを病的な状態だと思い込むと、その気持ちがまたストレス刺激と
 なり、身体的には疲れているのに、ストレスホルモンだけは分泌し続ける。いつまでた
 っても精神は鎮静しないという悪循環にはまってしまう。
・また悪いことに、ストレスホルモンには一種酔い心地に似た状態を引き起こす作用があ
 る。辛いの半分、高揚している感じが半分、自分のストレスホルモンで中毒になってし
 まうということがあるのだ。それで余計に逃れられなくなる。アルコール依存なら、目
 の前に敵、酒瓶が見えているぶん闘いやすい。だが、からだの内部で起きているストレ
 ス中毒は非常に自覚しにくい。ストレス治療がやっかいな理由のひとつは、このあたり
 のことなのである。  
・不眠症は、意識的であれ無意識であれ、自分で作り、自ら出口の見つからない回路には
 まっていく。そうなると、なかなか自力での脱出はむずかしい。そんなとき、友情の押
 し売りでも、大いなる勘違いトントン肩叩きでもなんでもいい、外からの刺激が必要ら
 しい。それですべてが解決するわけではもちろんないが、突破口のヒント、きっかけぐ
 らいにはなるかもしれない。ただそのとき、もっともらしい理論はふりまわさないほう
 がいいようだ。不眠構造のほんとうのところなんて、結局は論理解明できないからだ。
   
秘書ウィーズの円形脱毛症
・円形脱毛症というのは、基礎になる皮膚病がないにもかかわらず、突然、円形または楕
 円形の脱毛巣が現れる状態だ。頭髪部分にもっとも多く発生するが、人によっては眉毛
 や陰毛部分にできることもある。その原因として、自律神経失調、ホルモン異常、自己
 免疫疾患など、いろいろと言われているが、たしかなところはわかっていない。ただ、
 精神的なストレスが、その発病と経過に深くかかわっていることは間違いないらしい。
 治療法も確立されていない。心理療法、人工陽光照射、塗り薬や飲み薬など様々な試み
 がなされているが、みな決め手に欠けるというのが現状だ。
・急激な気温変化もストレス刺激のひとつ。ストレス反応を起こし、心身のねじれが取れ
 たり緩んだとしても、なんら不思議ではないのである。実際、季節の変り目に体調を崩
 す患者は少なくない。
・きっぱりと言う人がいるが、この「きっぱり」がいいところでもあるが、また同時にス
 トレス状態に陥らせる一要因でもある。

蕁麻疹とアイデンティティ
・蕁麻疹というのは、なんらかの理由で毛細血管から血液中の成分が漏れ出すことにより、
 皮膚表面に膨疹が生じる状態だ。その原因として食物アレルギーや物理的な刺激などい
 ろいろなことが言われるが、ストレスもそのひとつである。蕁麻疹自体はそれほど心配
 な病気ではないが、病変が粘膜部分まで及び、呼吸や心臓の働きまで影響が出ているの
 は、あまりいい兆候ではない。
・ショック状態とか炎症アレルギーの治療にステロイド剤が非常に有効であるおとは、医
 者なら誰でも知っている。だがその分、この薬は副作用も強烈だ。使い方を間違えると、
 全身の血管が脆くなり、肝臓の機能が悪くなったり、はたまた精神状態が非常に不安定
 になるということもある。これらの深刻な副作用は、ステロイド剤を風邪薬や胃腸薬と
 同列に考えて取り扱うことによって引き起こされる。ステロイド剤も薬であることに違
 いないが、同時にこれは生理的な物質、腎臓の上に帽子のようにくっついている小さな
 内分泌器官、副腎皮質から分泌されるホルモン、つまり、もともとからだの中にあるも
 のなのである。
・人がストレス刺激にさらされると、この副腎からのホルモンがさかんに分泌され、スト
 レス状態に対抗しようとする。そのとき、必要かつ十分な量が分泌されれば問題はない。
 だが、ストレス刺激が非常に大きいようなとき、分泌量が追いつかず、そのひずみが心
 身の不調として現れるのだ。そんなとき、不足分をステロイド剤でうまく補ってやれば、
 その場はしのげる。とりあえず急性期をしのげば、からだが本来もっている適応力がふ
 たたび機能しはじめ、うまく適応していけるのである。そして、その不足分の見極めさ
 え間違えなければ、副作用はほとんど問題にならない。
・お金持ちの家、あるいは名家に生まれたことを鼻にかける神経が、ぼくにはあまりよく
 理解できない。貧乏な家に生まれたことを恨むというのはまだ少しわかるが、それとて
 仕方のないことだと思う。結局、自分は自分でしかないと思って生きるほかない。
・同じように、日本人として、第二次世界大戦中の中国での残虐行為に対する責任を問わ
 れても、一般論としての善し悪しは言えるが、自らの痛みとしてとらえるという感受性
 は、正直言ってぼくにはない。想像はできるが体感はできない。自分がした行為に対し
 ては、責任がある。そうでないことには責任がない。というより、とりようがないと思
 うのだ。だから、他人に対するときも、彼女がユダヤ人だから、ドイツ人だから、また
 中国人だからという発想はあまりない。基本的にその人が好きか嫌いかだけである。
・ぼくたちのからだは、自己(セルフ)と非自己(ノンセルフ)を識別する能力が備わっ
 ている。自己と認識できるものは取り込み、非自己は排除する。そうすることによって、
 内部環境をいつも一定に保ち、生存を維持するのである。生理的アイデンティティ保持
 システムと言ってもいいだろう。  
・蕁麻疹の発症は、この自己と非自己お認識システムが狂ってしまった状態と考えればわ
 かりやすい。たとえば、サバで起こる蕁麻疹。ふつうサバのタンパク質は人間には「自
 己」と認識され、栄養分として体内に取り込まれる。だがときどき、それを非自己と思
 い、ほんとうはしなくてもいい排除反応を起こす。それが皮膚のぶつぶつ、蕁麻疹のか
 たちで現われてくるわけだ。
・ひとつの生命体がもつこのシステムを、社会集団になぞらえて考えるとどういうことに
 なるだろう。血縁、地縁、民族、国家といったものは、その仲間内(自己)を外敵(非
 自己)から守るための防衛システム。それを作動させ、内部的な安定を保つ。そうすれ
 ば、人びとは自らのアイデンティティを確認し、安心できるということになるだろうか。
・だが、たんなる安定だけで社会がうまく機能しないことは、多くの歴史的な事実が示し
 ているとおりだ。安定状態が長く続くと、どうしようもなく澱がたまってくる。だから
 時々逸脱することによって、その澱をふるい落とす。戦争なんてものは、そのふるい落
 とし作業だとも考えられる。
・定着、安定へのこだわり、また、根なし草的な生き方。どちらを選んでも、なんらかの
 形でストレス、アイデンティティへの揺さぶりはかかり続ける。どちらがよくてどちら
 が悪いというものでもなかろう。結局は、その人その人が、より生きやすいほう、つま
 り、ストレスに対して防御しやすいほうを選ぶしかないのかもしれない。あるいは、自
 己と非自己、定着と放浪といった具合に、クリアカットに二分してしまうことがそもそ
 もおかしいのかもしれない。現実に目を向けるとき、自己と非自己とのグラデーション
 部分を無視できないことがわかる。いやむしろ、そのあたりが緩衝帯になってこそ、ぼ
 くたちの生命も国家もどうにか存在しているような気さえするのである。

ドクター・セリエの高血圧
・あがるという状態は、生理的に見ると全身の血液循環の問題と考えることもできる。た
 とえば、運動をするとき、ぼくたちの筋肉は多量の酸素を必要とする。その要求に応え
 るため、心臓は拍動する回数を増やすことによって心拍出量を増加させる。これは、合
 理的な反応である。だが、多くの人の前で喋るときには、それほど酸素量はいらない。
 にもかかわらず、大脳皮質がその行為をストレス刺激として認識、ストレス回路を回転
 させはじめると、おかしなことになる。交感神経が興奮し、ときっどきっどきっと、か
 らだが生理的には要求していない量の血液を猛スピードで循環させる。つまり、オーバ
 ーフローの状態となる。それで、余分の血液が頭の血管にも激しく巡り、かーっとオー
 バーヒートしてしまうわけだ。過剰適応反応である。
・心筋梗塞や狭心症になりやすい人の性格を分析すると、「競争心が強い」、「中途半端
 が嫌い」、「待たされると、すぐにイライラする」といった傾向がはっきりと出るとい
 う。
・七十歳をすぎる頃から、生に対する執着が強く表面に出る患者が多いような気がする。
 三十代や四十代のときは、七十年も生きれば、もう十分だろうと考えることができる。
 それが、実際にその年齢に達すると、「もっと生きたい」と願う。その後の余生がけっ
 して安楽なものでなくても、そう思うものらしい。そのパワー、生存本能が生物種とし
 ての人類を生き延びさせてきたのだろう。

自律神経が失調するとき
・自律神経系というのは、活動時に作用する交感神経と、安静状態を保つときに作用する
 副交感神経とが相拮抗、うまくバランスをとりながら働いている。セリエ博士は、いつ
 も交感神経を研ぎ澄ましているような人だった。彼の高血圧などは、はっきりとその副
 産物だろう。それが、今回の病気をきっかけに、七十年間緊張し続けた交感神経が、ぷ
 つんと切れてしまったという感じなのである。さらに悪いことに、その傷を副交感神経
 が慰撫しているという雰囲気でもない。ただただ疲れ果て、交感神経の働きがなくなっ
 た跡には、ぽかーんと空隙ができてしまっただけ、そんな風に見えるのだ。自律神経の
 バランスの崩れなんて生易しいものではなく、究極の自律神経失調状態である。それが
 ストレス起因であることは言うまでもない。