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先がまったく見えない世の中においても、確実に決まっていることがある。それは「人は
必ず死ぬ」ということである。長いか短いかの個人差はあるが、人にはいつか必ず死とい
うものが訪れる。
しかし、その必ず訪れるであろう死に対して、なかなか真っ直ぐに向き合えない、向き合
いたくない、というのが心情である。死に関することを考えたり話したりすることが、な
んだか「縁起でもない」こととして避けられてしまう。
また、社会に核家族化がすっかり浸透したために、家族などの死に接する機会も少なくな
った。このために、一生の間に人の死に直接接するという機会は、ほんとうに少なくなっ
てしまった。
このために、いざ身内の者が死んだときに、何をどうすればよいのか、わからないという
のが大方の人の実態ではないだろうか。人の死後に行うことは葬式だけではない。そこに
はやらなければならない、いろいろな手続きが発生する。
この本には、人の死後にやらなければならいことが具体的に記されていて、とても参考に
なる。

プロローグ
・人が一人死ぬと、処理しなければならない問題はたくさんある。それをこれまでは残さ
 れた家族がこなしてきたわけだが、今日ではなかなかそうはいかなくなっている。人の
 死はいまどうなっているか。納得して死ぬためには、何をどう決めておかねければなら
 ないか。きちんと考えておかなければならない時代になったと思う。
 
現代の死の風景
・良い死に方、大往生とは何か。私は、「長患いせず、大きな傷み苦しみを伴わずに、生
 の終わりを迎えること」と定義している。医師、家族に見守られて生の終焉を迎えるこ
 とはあっても、結局死ぬのはただひとりである。誰も一緒に死んであげることはできな
 い。死出の旅というのは「ひとりぼっち」なのだ。
・バブル景気に歩調を合わせるかのように、葬儀業界は「絢爛豪華・高価格かつ画一的と
 いった路線を走り続けたが、そのアンチテーゼとして表れたのが「地味・低価格・個性
 的、つまり自分らしい」というニーズである。
・利用者の側も、宗教や心の問題とはまったく無関係に、世間体をつくろい見栄を張るた
 めに「院号居士号」を求め、それでも高いお金は払いたくない、といった人も多いので
 はないか。
・人知れず死ぬことが、そんなに不幸なことか。死ぬほど身体的なダメージを負っている
 とき、人なんかいない方がよい。
・人知れず死ぬことが不幸で、大勢の人々に見守られて死ぬことが幸せだ、という思い込
 み自体が間違いではないか。
・老人世帯のうち約60%の高齢者が若年者と別の住まい方をしている。したがって人知
 れず死を迎えるのは当然のことで、これを不幸だとか、哀れだ、悲しいことだ、という
 ような発想では、21世紀という時代を生きることも死ぬこともできなくなる。
・「葬儀をしない葬儀」を求める人には、現存する葬祭場は不向きである。数十万円、否、
 数百万円という葬儀を受注するために、業者は多額な投資をして付加価値をつけ、絢爛
 豪華な葬祭場を準備しているのに、何もいらない金をかけない葬儀が歓迎されるわけは
 ない。
・多くの人が病院で死ぬ時代を迎え、葬儀は葬祭場で執り行うようになってきた。すると
 霊柩車の出番は増え、一人の死者に対し、病院→自宅→葬儀会場→火葬場の計三回の需
 要が発生することになる。
・遺体は白ナンバーの車両で搬送してはならない。要するに、許可を得ている霊柩車でな
 ければならない、と貨物自動車運送事業法で定められている。
・「家族や近い親族が亡くなったので自家用車で火葬場に遺体を運んだ」という行為が法
 律違反になるかというと、それは大丈夫である。
・「葬送バブル」も人並みにはじけた。葬儀社や墓地・寺は好不況にあまり作用されない
 といわれた時代もあったが、それは昔日お夢物語だ。今後、いわゆる葬儀お価格はどん
 どん下がっていく。
・人が亡くなったとき、まず遺体の搬送の手配をすることになる。たいていの場合、病院
 で亡くなるわけだが、多くの病院には指定または出入りの葬儀社がいて、婦長・事務長
 から紹介される。ここが運命の岐路である。最近は、病院と密着(癒着)した葬儀社は
 減少傾向にあるが、その構造はいまだ健在であるから、気をつけた方がよい。
・利用者は賢くからなければならない。とりあえず自宅までの遺体搬送を発注し、その後
 の葬儀などについては、関係者が集まってから決める、といって、一旦お引き取りいた
 だく。
・他に適当は業者がいなければ、企画書や見積書を十分検討して、その業者に発注する。
・病院専属業者しか選択の余地のない場合の利用者の知恵としては、自宅までの搬送を発
 注し、自宅に着いたら運賃の精算をする、という方法がベストだ。
・人が亡くなれば祭壇が飾られ、大勢の人が集まり、僧侶の読経や焼香などの儀礼を経て、
 きらびやかな宮型霊柩車で火葬場へ搬送される。ここでも僧侶の読経、焼香があり、そ
 して火葬炉に点火され約1時間後には白骨と化し、骨揚げと称して「骨ツボ」に納めら
 れて、多くは家族のもとに戻り「新ボトケ」となって家族の礼拝の対象となる。
・葬儀が葬儀のすべてではなく、人が死ねば必ずしなければならないこと、すなわち遺体
 の処理、生活をしていた「場」の後始末、死亡届にはじまる諸々の法律上の手続き、こ
 れらこそが「葬儀」の基本で原点だ。
・人の死に遭遇したとき、残された人々が何をしなければならないか、といえば@遺体の
 処理、A生活の場の後始末・処理、B社会関係の生産の3点に凝縮される。
・坊さん抜き、つまり宗教儀礼抜きの葬儀も珍しくなくなった。その理由は、現代の日本
 人の文化や死生観に立脚した葬送の中で、宗教儀礼要件でなくなった、ということに尽
 きる。

現代のお墓事情
・墓の機能には大きく分けて二点あると思う。第一は遺体、つまり人間の「物」としての
 部分の最終処分場ということ、第二は人間がこの地球上に存在したという事実を存在証
 明する文化装置である。
・死体を土葬も火葬もしないで放置したら、墓埋法以外の法律、たとえば刑法第190条
 の死体遺棄罪などにより処罰される。しかし、火葬後の焼骨は、自分の住居に何年何十
 年そのままにしておいても、何の咎めもない。
・最近では、焼骨を火葬場で処理してくださいとお願いすると、一筆書けばOKと引く受
 けてくれる火葬場が徐々に増えている。一筆書くのは、後日、死者と関係のある人から、
 叔父のお骨、叔母のお骨を返してくれ、といった苦情を受けることがあるので、その際
 の言いわけが必要ということである。
・少なくとも死体の最終処分機能としてのお墓は、作りたくなければ作らなくてもすむと
 いうことになる。
・「墓」は売買するこのではなく、「貸し借り」の関係になり、賃料(使用料)は前払い
 だが、管理費を数年滞納すれば使用権そのものが消滅する。要するに、初期投資以上の
 維持費がかかるという性質の権利、それが「墓」ということになる。
・10年前くらい前までは、「自分の死後、大金をかけて墓を建てるのは経済的にたいへ
 んだろうから、せめて自分の入る墓くらい自分で建てて、子どもたちに迷惑をかけない
 ようにしよう」と考える人が多かった。最近は、墓は、建てるとその後の墓守(管理)
 がたいへんだから、と利用者が賢くなった結果、管理不要の墓を準備しておきたい、と
 いう人が増えてきた。
・いわゆる合葬墓(永代供養墓)は、設置経営主体である寺院などがあらかじめ、将来へ
 向けて必要な使用料、供養・管理の費用の前払いを受けているので、家族などが墓の管
 理をしなくても、半永久的に面倒をみてくれるというものである。

人の死後にしなければならないこと
・まず、少子化である。家族をつくらない。その結果親戚がいない、従兄弟のない人だっ
 て少なくない。人は、農村から都会へ出る。都会に出た人はどんどん流動化し、死後事
 務の受け皿たりえない。
・従来死後事務を下支えしてきた仕組みの崩壊が、都会でも農村でも着実に始まっている
 のである。
・人が死ぬとどのような仕事が生じるか。もちろん最大の死後事務は、いわゆる葬儀であ
 る。いってみれば「からだ」お後始末ということになる。
・次は暮らしの始末である。ひとり住まいは当たり前で、住んでいた家は片付けて、借り
 ていたものなら返還する。故人所有のものなら、子どもや親族が住むこともあるが、大
 多数のケース、特に農山村部では空き家になり、定年後に子どもが戻ってくることもあ
 りが、大部分は取り壊される運命にある。
・20年くらい前なら、道具屋(古物商)を呼んで整理してもらえば、何かしらの収入に
 なった。今日では、何がいちばん高いかといえば、片付ける手間賃と最終処分費だ。労
 力もお金もばかにできない。
・現在は国民皆年金で、60歳を過ぎて亡くなった人のほとんどは年金の受給をしている。
 この資格喪失手続きは、「死にました」と単に死亡届けを出すのなら簡単だが、年金の
 種類や諸条件によっては未受給年金がもらえる場合もあるで、慎重に期したほうがよい。
・定年後、多くの人が加入している国民健康保険だって、手続きをすれば、葬祭費などと
 いう名称で見舞金がもらえる。手続きをしないともらえない。
・酒の販売や飲食店の営業免許、さらに医者・看護士・保健士・薬剤師など免許の返還、
 自動車や電話加入権の名義変更、税金、特許や鉱業権などがあればその名義も変えなけ
 ればならない。
・生命保険・郵便局の簡易保険がある・それだけではない。銀行の預金やカードの精算、
 住宅ローンの整理、クレジット・カードの解約をしなければならない。これをしておか
 ないと、死後も請求が来る。
・財産がなければ問題ないが、多少でもあれば、遺言でもない限り、これの配分は大仕事
 だ。
・今日、死亡者の90%以上は病院で息を引き取る。医師の「ご臨終です。誠に残念です。
 精一杯努力したのですが・・・」との言葉。ここからすべてがはじまる。病院に長居は
 無用だから、まず遺体搬送の段取りをする。ここで葬儀社の手を借りるには注意がいる。
 とりあえず、病室から施設内の霊安室まで搬送する。ここでしなければならないことが
 二つある。生物学的な死の証明と、社会的な死の確認である。人の死は二つのシステム
 で確認するのが、日本の瀬尾度である。
・とにかく、暴飲で死亡診断書をもらわなければ、先へ進めない。万一、死の瞬間に医師
 が立ち会っていない場合でも、24時間以内に診察をしていた患者で死亡原因に特段の
 疑義がなければ、その医師が死亡診断書を書いてよいことになっている。
・それ以外の場合は、医師の死体検案を受け検案書の交付を受ける。これは、死亡診断書
 と同様の効力をもつ。
・医師は検案した結果、異常が認められた場合は所轄警察署に届け出なければならない。
 この場合は、警察官は医師の立会いのもとで検死を行ない、戸籍法上、死亡診断書と同
 様の効力を有する検死調書が交付される。外形診察だけで死因が判明しない場合、司法
 解剖に付すことになり、遺体が遺族に返還されるには数日を要する場合がある。
・生物学上の死の証明を受けて、法律上の死の確認をするのが死亡届である。死亡届の提
 出には、死亡診断書などの証明資料が必要となる。死亡届の義務者は
 (1)同居の親族
 (2)その他の同居人
 (3)家主。地主または家屋もしくは土地の管理人
 となっており、この順序で脂肪の届出をしなければならない。
・要するに家族中心主義の現在の制度では、まず同居の家族・親族に届け出義務があり、
 いなければ他人の同居人、それもいなければ大家さんなどの関係者という順序で届け出
 をしなければならず、非同居の親族も届け出ができる。
・死亡届は、死亡した場所の市区町村役場、死亡者本人の本籍地のほか、届出人の住所地
 でも提出できる。
・生命保険の受け取り手続きや銀行取引の解除など急を要する場合は、本籍地で届け出を
 するのがよい。死亡届は24時間365日受け付ける。ただし市町村役場の出張所や支
 所では受け付けない。
・日本の制度では、生物学上の死の証明と、法律上(戸籍上)の死の証明の両方が完備さ
 れてはじめて、法律上の死後事務が開始される。
・死亡の届け出は戸籍法により、埋葬または火葬の許可申請は墓埋法による。許可の申請
 先は死亡届と同じ市町村長宛である。この許可を得なければ、火葬はできない。また、
 埋火葬許可をもらっても、死亡後24時間経過しなければ、埋葬(土葬)も火葬もして
 はならない。
・10年くら前までは、自分が暮らしていた場所の始末を自己責任でしようとか、しなけ
 ればならないなど、夢想だにしなかっただろう。しかし今日では大なり小なり、自分が
 長年暮らした場所の最終的整理について考えておかなければならなくなった。「核家族
 化」のもたらした結果である。
・日本は、物を捨てても時間(労賃)を倹約する文化の時代へと大転換した。かつて、格
 式のある家系では、タンス、鏡台など何代も同じ物を使い込んできた。今やはかなき夢
 の時代だったともいえる。
・捨てる文化の善し悪しを論ずることにあまり意味はなく、要は人の生き方として、何を
 選択するかの問題である。家系・家族の絆を中心とした社会から、個人を中心に動く社
 会へ転換したからには、生活を支える道具も一代限りにならざるを得ない。
・死者宛に配達される郵便物はどうすればよいか。その解決方法はいたって簡単である。
 郵便局に「受取人死亡につき差出人に戻すよう」届け出をすれば、差し出された郵便物
 はその旨の付箋をつけて戻される。これは結果的に死亡通知となり、有効な方法である。
・年金の未受給分の受注についてはハードルが高い。わかりにくい面が多いので、最寄り
 の社会保険事務所、または市区町村役場などに相談するとよい。
・医療保険(国民健康保険などの社会保険)では、それぞれ名称は異なるが、被保険者本
 人および同一保険加入者が死亡した場合、見舞金が支給される。
・死後には必ず、銀行口座の整理をしなければならない。これが想像以上にやっかいな仕
 事になる。まず、相続人探しから始まり、相続人全員の承諾(印鑑証明書添付)がなけ
 れば、たとえ数万円の預金の整理もできない。
・多くの人がクレジットカードを持っている。このカードも、死ねば返却し、死亡解約の
 届け出をカード会社にしなければならない。
・住民税は、個人も法人も含めて、住所地を持っている限り必ず課税される税金である。
 所得があってもなくても最低の税金がかかる。前年度所得を課税標準とし、毎年1月1
 日現在の住所地の自治体に課税権がある。納税義務者は誰か。当然、死者の財産を相続
 した者、相続する権利を有する者(法定相続人)となる。
・所得税も、前年1月1日から12月31日までの所得を翌年3月15日までに納付する
 ことになっている。
・運転免許証は死亡により返還してもよいし、しなくてもよいということだ。期限を経過
 すれば失効するわけだし、返還受領業務の煩雑さも大きいようだ。
 
遺言は公正証書で
・公正証書は、早く言えば裁判の判決と同じ効力を生じる。
・自筆遺言は文字通り「自筆」でなければだめで、ワープロでは法律的に効果はゼロであ
 る。
 
生前契約のしくみ
・葬式を出す権利(通常は責任)は誰にあるかご存知だろうか。第一順位は、死者本人が
 生前に「誰か」を指定してある場合は、その指定された人(機関)に優先権がある。
・死後事務生前契約の原点は、自分が生涯稼いだ(先祖から引き継いだ財産も含め)財産
 の一部またはすべてを活用して、「自己の生を、自己責任で自己流に全うする」ことを
 サポートする仕組みである。
・受託機関はすなわち家族だから、自ら行うことが可能なことは、アドバイザーなどが自
 前でどんどん実行するが、それ以外の遺体の処理などは専門業者に発注し、その成果を
 チェックすることになる。
・契約完了した方には24時間の緊急通報の電話番号を記したカードをお渡しし、緊急事
 態が発生しその事実が受託機関に伝われば、生前に定められた方法・手順により、着実
 に仕事を進める。