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この本は、いまから37年前の1986年に刊行されたものなのだが、内容が学生を読者
に想定して論文などの文章を書くときのノウハウについて書かれたものであり、いまでも
東京大学や京都大学などの生協の書籍販売数で上位にランキングされているようだ。
ならば文章を書くのが苦手な私にも、参考となるのではと思い読んでみた。

この本を読んでまず私がおもしろいと思ったのは、日本の学校教育についてグライダーと
飛行機を例に出して論じているところだ。日本の学校教育では、優秀なグライダー型人間
は育つかもしれないが、エンジンを持って自力で飛べる飛行機型人間は育たないという。
なるほどと思った。
このグライダー型人間を育てる教育は、いまだに綿々と続いていて、目標を与えられて、
みんな一斉にそれに向かって突き進めばよいというような大量生産時代には、とても効率
がよくて適していたのだが、現代のような目標自体をどうやって探すかが勝負となる時代
では、かえって弊害ばかりが目につく教育といえる。現代の日本の国力の衰退も、ここあ
たりに根本的な原因があるのではないかと思える。

ところで、新しいアイデアや発想を生むには寝かせる時間が必要だという。つまり新しい
アイデアの発想をつくり出すには、あまり効率を求めてはならないということである。
この点に関しても現代の日本では、国も企業も研究者などに対して、厳しく効率性を求め
る傾向があり、短期間で結果がでなければ、すぐに研究費や開発費を打ち切ってしまう。
これではすばらしいアイデアや発想は生まれないのは当たり前ではないのかと思えた。

さらに、この本の中でインブリーディングについて語られているのだが、これを読んで私
は、日本という国全体においても、このインブリーディングの弊害が起きているのではと
思った。それは東京一極集中だ。東京一極集中によって、まさに日本という国はインブリ
ーディングの弊害を起こしていると私には思える。多くの人々が皆、東京にばかり集まっ
てしまっていて、東京という同じ環境の中で、みんな同じような生活を送っている。同じ
ような生活環境でしか物事を考えないようになってしまっている。これでは、みんな似た
り寄ったりの発想しか生まれないのではないかと私には思えるのだ。これでは日本に新し
い発想など生まれるわけがない。日本という国がどんどん活力を失い続けている原因は、
ここにもあるのではないかと私は思っている。


グライダー
・新しいことをするのだったら、学校がいちばん。年齢、性別に関係なくそう考える。
 学ぶには、まず教えてくれる人が必要だ。これまでみんなそう思ってきた。
 学校は教える人と本を用意して待っている。そこへ行くのが正統的だ、となるのである。
・ところで、学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。
 自学自習ということこそあるけれど、独力で知識を得るのではない。いわばグライダー
 のようなものだ。自力では飛び上がることはできない。
・学校はグライダー人間の練習所である。飛行機人間はつくらない。グライダーの練習に、
 エンジンのついた飛行機などがまじっていては迷惑する。危険だ。学校では、ひっぱら
 れるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするの
 は規律違反。たちまちチェックされる。やがてそれぞれにグライダーらしくなって卒業
 する。 
 優等生はグライダーとして優秀なのである。飛べそうではないか、ひとつ飛んでみろ、
 などと言われても困る。指導するものがあってのグライダーなのである。
・長年のグライダー訓練ではいつも必ず曳いてくれるものがある。それになれると、自力
 飛行の力を失ってしまう。
・一般に、学校教育を受けた期間が長ければ長いほど、自力飛翔の能力は低下する。グラ
 イダーではうまく飛べるのに、危ない飛行機にはなりたくないのは当たり前だろう。
・飛行機を作ろうとしているのに、グライダー学校にいつまでもグズグズしていてはいけ
 ないのははっきりしている。
・人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分
 でものごとを発明、発見するのが後者である。
 両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基
 本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故にな
 るかわからない。
・学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんの少
 ししかしていない。
 学校教育が整備されてきたことは、ますますグライダー人間を増やす結果になった。
 お互いに似たようなグライダー人間になると、グライダーの欠点を忘れてしまう。
 知的、知的と言っていれば、翔んでいるように錯覚する。
・植物は地上に見えている部分と地下にかくれた根とは形もほぼ同形でシンメトリーをな
 しているという。花が咲くのも地下の大きな組織があるからこそだ。
 知識も人間という木の咲かせた花である。美しいからといって花だけを切ってきて、花
 瓶にさしておいても、すぐ散ってしまう。花が自分のものになったのではないことはこ
 れひとつ見てもわかる。 
・指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけ
 れども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。それを学校教育ではむしろ
 抑圧してきた。急にそれをのばそうとすれば、さまざまな困難がともなう。
 
不幸な逆説
・学校の優等生が、かならずしも社会で成功するとは限らないのも、グライダー能力にす
 ぐれていても、本当の飛翔ができるのではない証拠になる。
 学校はどうしても教師の言うことをよくきくグライダーに好意をもつ。勝手な方を向い
 たり、ひっぱられても動こうとしないのは欠陥あり、ときめつける。
・昔の塾や道場はどうしたか。
 入門しても、すぐに教えるようなことはしない。むしろ、教えるのを拒む。
 剣の修業をしようと思っている若ものに、毎日、薪を割ったり、水をくませたり、とき
 には子守りまでさせる。
 なぜ教えてくれないのか、当然、不満をいだく。これが実は学習意欲を高める役をする。
 そのことをかつての教育者は心得ていた。あえて教え惜しみをする。
・秘術は秘す。いくら愛弟子にでもかくそうとする。弟子の方では教えてもらうことはあ
 きらめて、なんとか師匠のもてるものを盗みとろうと考える。ここが昔の教育の狙いで
 ある。 
 学ぼうとしている者に、惜気なく教えるのが決して賢明でないことを知っていたのであ
 る。免許皆伝は、ごく少数の限られた人にしかなされない。
・師匠の教えようとしないものを奪いとろうと心掛けた門人は、いつのまにか、自分で新
 しい知識、情報を習得する力を持つようになっている。いつしかグライダーを卒業して、
 飛行機人間になって免許皆伝を受ける。
 伝統芸能、学問がつよい因習をもちながら、なお、個性を出しうる余地があるのは、こ
 ういう伝承の方式の中に秘密があったと考えられる。
・いまのことばの教育は、はじめから、意味をおしつける、疑問をいだく、つまり、好奇
 心をはたらかせる前に、教えてしまう。意味だけではない。文章を書いた作者について
 もあらかじめ、こまごまとしたことを教えようとする。宮沢賢治はどういう信仰をもっ
 ていたかといったことをいまの高校生は教えられる。それが幸福かどうかははなはだ疑
 わしい。親切がすぎて、アダになっている。
・数学は思考力をつけるというけれども、問題を与えられて、回答を出すのは、まだまだ
 受動的である。問題という枠の中でこそ積極的ではあるが、問題そのものは他から与え
 られたもので、自分で考え出したのではない。学校の数学は、いつも、はじめに問題あ
 りき、である。自分で問題をつくり、それを解くという数学は、普通、ついに一度も経
 験することなくして終わる。 
・ギリシャ人が人類史上もっとも輝かしい文化の基礎を築き得たのも、かれらにすぐれた
 問題作成の力があり、”なぜ”を問うことができたからだといわれる。飛行機能力がす
 ばらしかったのである。

朝飯前
・朝の仕事が自然なのである。朝飯前の仕事こそ、本道を行くもので、夜、灯をつけてす
 る仕事は自然にさからっているのだ。
・若いうちこそ、粋がって、その無理をあえてする。また、それだけの体力もある。とこ
 ろが年をとってくると、無理がきかなくなり、自然に帰る。朝早く目がさめて困るとい
 うようになる。 

醗酵
・ここでは、もう一度、我流のテーマの絞り方を披露してみる。
 文学研究ならば、まず、作品を読む。評論や批評から入っていくと、他人の先入主にと
 らわれてものを見るようになる。
・読んでいくと、感心するところ、違和感をいだくところ、わからない部分などが出てく
 る。これを書き抜く。くりかえし心打たれるところがあれば、それは重要である。わか
 らない謎のような箇所が再三あらわれれば、それも注意を要する。
・こういう部分が、素材である。ただ、これだけではどうにもならない。
 これに、ちょっとしたアイディア、ヒントがほしい。それは作品の中に求めるわけには
 いかないが、どこときまっているわけでもない。ときには週刊誌を読んでいても、参考
 になることにぶつかることがある。他人と雑談していて、思いがけないヒントが浮かん
 でくることもある。読書、テレビ、新聞など、どこにどういうおもしろいアイディアが
 ひそんでいるか知れない。  
・ただ作品をこつこつ読んでいるだけという勉強家がいるが、これではいつまでたっても、
 テーマはできない。論文も生まれない。
・テーマ、おもしろいテーマを得るには、このヒントが秀抜でないといけないが、それが、
 なかなか思ったところにころがっていないから苦労する。
・それでは、アイディアと素材さえあれば、すぐに醗酵するか、というと、そうではない。
 これをしばらくそっとしておく必要がある。
・では、どのくらい寝かせておけば、醗酵するのか。これが一律には行かないところが、
 ビール作りとは違うところで、ひとによって、また、同じ人間でも、場合によって、醗
 酵までに要する時間が違ってくる。
・しかし、もうよろしい、醗酵が始まったとなれば、それを見過ごすことは、まずないか
 ら安心してよい。自然に、頭の中で動き出す。おりにふれて思い出される。それを考え
 ていると胸がわくわくしてきて、心楽しくなる。そうなればすでにアルコールの醗酵作
 用があらわれているのである。
・くりかえし、くりかえし、同じようなことをしていると、だいたい、どれくらいすれば
 醗酵が始まるか、見当もつき、心づもりをすることができるようになる。
  
寝かせる
・だいたい、夜、寝る前に、あまり深刻なことを考えるのはよくない。寝つきを妨げる。
 眠ろうとすると、かえって、あとからあとからいろいろなことが頭に浮かんでくる。こ
 ういうときに、妙案があらわれるのは難しい。
・寝る前には、あまり、おもしろい本を翼のも考えものである。いつまでも刺激が尾を引
 く。心が高ぶって、寝つきが悪い。おそくなってから、コーヒーや紅茶を飲むのはいけ
 ないのは知っているのに、興奮するような本を平気で読んでいる人がいる。なるべく、
 頭を騒がせないことだ。そして、朝を待つ。
・われわれの多くは、この朝のひとときをほとんど活用しないでいるのではあるまいか。
 いやしくも、ものを考えようとするのであれば、目をさましてから、床を離れるまでの
 時間は聖なる思いに心をこらすことを心掛けるべきであろう。
 そのためには、タネがいる。ぼんやりしていたのでは、何も生まれない。考えごとがあ
 るから、着想が出てくる。
・よく、”朝から晩まで、ずっと考え続けた”というようなことを言う人がいる。いかに
 もよく考えたようだが、その実は、すっきりした見方ができなくなってしまっているこ
 とが多い。こだわりができる。大局を見失って、枝葉に走って混乱することになりかね
 ない。
・このごろは少なくなったが、昔は、ひとつの小さな特殊問題を専心研究するという篤学
 の人がよくいたものである。わき目をふらず、ひとつのことに打ち込む。研究者にとっ
 て王道を歩んでいるようだが、その割には効果があがらないことがしばしばである。
・やはり、あたため、寝させる必要がある。思考の整理法としては、寝させるほど大切な
 ことはない。思考を生み出すのにも、寝させるのが必須である。  
・努力をすれば、どんなことでも成就するように考えるのは思いあがりである。努力して
 も、できないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。幸運は寝て待つのが
 賢明である。ときとして、一夜漬けのようにさっとでき上がることもあれば、何十年と
 いう沈潜ののちに、はじめて、形を整えるということもある。いずれにしても、こうい
 う無意識の時間を使って、考えを生み出すということに、われわれはもっと関心をいだ
 くべきである。

カクテル
・ひとつだけだと、これがうまく行かないと、あとがない。こだわりができる。妙に力む。
 頭の働きものびのびしない。
 ところが、もし、これがいけなくとも、代りがあるさ、と思っていると、気が楽だ。テ
 ーマ同士を競争させる。いちばん伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな
 ふうに考えると、テーマの方から近づいてくる。
・自分だけを特別視するのは思い上がりである。ほかに優れたものはいくらでもある。
 小さな独創にかまけて、これを宇宙大と錯覚、先人の業績が目に入らなくてはことであ
 る。ものを考える人間は、自信をもちながら、なお、あくまで、謙虚でなくてはならな
 い。 

エディターシップ
・編集者は自分では原稿を書かない。書いてもよいが、編集者は書けるかどうかで評価さ
 れるのではない。他人の書いたものをいかにまとめか、また、そのために、だれに何を
 書かせるか、ということの創造性に命をかける。
・思考における思いつき、着想は、第一次的なものである。これだけで独立して意味をも
 つこともある。そういう場合にはへたに余計なものを混じえたりしない方がよい。
 ところが、単独ではさほど力をもっていないようないくつかの着想があるとする。その
 ままにしておけば、たんなる思いつきがいくつか散乱しているに過ぎない。
・それに対して、自分の着想でなくてもよい。おもしろいと思って注意して集めた知識、
 考えがいくつかあるとする。これをそのままノートに眠らせておくならば、いくら多く
 のことを知っていても、その人はただの物知りでしかない。
・”知のエディターシップ”、言いかえると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がど
 れくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかに組み合わせて、
 どういう順序に並べるかが緊要事となるのである。
・おいしいカクテルをこしらえるには、絶妙なコンビネーションをつくる感覚が求められ
 る。ありきたりのもの同士を結び合わせても、新しいものになりにくい。一見、とうて
 い一緒にできないような異質な考えを結合させると、奇想天外な考えになることがある。
  
触媒
・編集の機能を、表現する筆者と、受容する読者との手をつながせることにあるとするな
 らば、エディターシップは、自分の個性や才能を縦横に発揮してケンランたる誌面をつ
 くり出すことにあるのではない。
 むしろ、自分の好みなどを殺して、執筆者と読者との化合が成立するのに必要な媒介者
 として中立的に機能する。
・新しいことを考えるのに、すべて自分の頭から絞り出せると思ってはならない。無から
 有を生ずるような思考などめったに起こるものではない。すでに存在するものを結びつ
 けることによって、新しいものが生まれる。
・まったく何もないところにインスピレーションが起こるとは考えられない。さまざまな
 知識や経験や感情がすでに存在する。そこへひとりの人間の個性が入っていく。すると、
 知識と知識、あるいは、感情と感情とが結合して、新しい知識、新しい感情を生み出す。
 その場合、人は無心であることがのぞましい。
・ものを考えるに当たって、あまり、緊張しすぎてはまずい。何が何でもとあせるのも賢
 明ではない。
 むしろ、心をゆったり、自由にさせる。その方がおもしろい考えが生まれやすい。没個
 性的なのがよいのである。 
・このごろ発想ということばが用いられる。発想がおもしろい、おもしろくないと言う。
 発想のもとは、個性である。それ自体がおもしろかったり、おもしろくなかったりする
 のではなく、それが結びつける知識・事象から生まれるものがおもしろかったり、おも
 しろくなかったりするのである。発想の母体は触媒としての個性である。
・発想が扱うものは、周知・陳腐なものであってさしつかえない。そういうありふれた素
 材と素材とが思いがけない結合・化合をおこして、新しい思考を生み出す。発想の妙は
 そこにありというわけである。 
 発想のおもしろさは、化合物のおもしろさである。元素をつくり出すことではない。
・寝かせおく、忘れる時間をつくる、というのも、主観や個性を抑えて、頭の中で自由な
 化合が起こる状態を準備することにほかならない。ものを考えるに当たって、無心の境
 がもっともすぐれているのは偶然ではない。ひと晩寝て考えるのも、決して、ただ時間
 のばしをしているのではないことがわかる。 

セレンディピティ
・中心的関心よりも、むしろ、周辺的関心の方が活発に働くのではないかと考えさせるの
 が、セレンディピティ現象である。
 視野の中心部にあることは、もっともよく見えるはずである。ところが皮肉にも、見え
 ているはずなのに、見えていないことが少なくない。”見つめるナベは煮えない”は、
 それを別の角度から言ったものである。
・視野の中心にありながら、見えないことがあるのに、それほど見えるとはかぎらない周
 辺部のものの方がかえって目を引く。そこで、中心部にあるテーマの解決が得られない
 のに、周辺部に横たわっている、予期しなかった問題が向こうから飛び込んでくる。
・人間は意志の力だけですべてをなしとげるのは難しい。無意識の作用に負う部分がとき
 にはきわめて重要である。セレンディピティは、われわれにそれを教えてくれる。
   
情報の”メタ”化
・一事情報をふまえて、より高度な抽象をおこなう。”メタ”情報である。さらにこれを
 もとにして抽象化をすすめれば、第三次情報ができる。”メタ・メタ”情報というわけ
 である。このようにして、人為としての情報は高次の抽象化へ昇華していく。
・思考、知識についても、このメタ化の過程が認められる。もっとも具体的、即物的な思
 考、知識は第一次的である。その同種を集め、整理し、相互に関連づけると、第二次的
 な思考、知識が生まれる。これをさらに同種のものの間で昇華させると、第三次情報が
 できるようになる。
・第一次的な情報の代表に、ニュースがある。新聞の社会面には主としてこの第一次情報
 が並んでいる。そのもつ意味もはっきりしないかわりに、解釈をしなくても、それが伝
 えようとしていることはわかる。理解が容易である。
・同じ新聞でも、社説は、そういう多くの第一次情報のニュースを基礎に、整理を加えた
 もので、メタ・ニュース、つまり、第二次情報である。
・いわゆる論文は、一次的情報であってはならない。第二次情報でもなお昇華度が不足で
 ある。第三次的情報であることを必要とする。書くにも高度の抽象性が求められるし、
 読んで理解するにも専門的訓練がなくてはならない。
・人知の発達は、情報のメタ化と並行してきた。抽象のハシゴを登ることを怖れては社会
 の発達はあり得ない。 
・思考や知識の整理というと、重要なものを残し、そうでないものを、破棄する量的処理
 のことを想像しがちである。
 もちろん、そういう整理もあるけれども、それは、古い新聞、古い雑誌を、置場に困る
 ようになったからというので、一部の入用なもの以外は処分してしまうのに似ている。
 物理的である。
・本当の整理はそういうものではない。第一次的思考をより高い抽象性へ高める質的変化
 である。いくらたくさん知識や思考、着想をもっていても、それだけでは、第二次的思
 考へ昇華するということはない。量は質の肩代わりをすることは困難である。
・一次から二次、二次から三次へと思考を整理していくには、時間がかかる。寝させて、
 化学的変化の起こるのを待つ。
 そして、化合してものが、それ以前の思考に対して、メタ思考となるのである。  
・抽象のハシゴを登っていくのは哲学化である。
 われわれの民族は古くから、多くの歴史的記録を残している。ところが、これを歴史論、
 歴史学に統合するのに欠かすことのできない史観がはっきりしていなかったうらみがあ
 る。第一次的歴史情報には恵まれていても、これをメタ化して、二次、三次の理論にす
 る試みはあまりなかった。

カード・ノート
・知識を集めるときに、系統的蒐集ということが大切である。なんでも、おもしろそうな
 ものは片端からとり入れたりしていると、雑然たる断片的知識の山ができてしまう。
 調べる前よりもかえって頭が混乱してくる場合すらある。
・調べるときに、まず、何を、何のために、調べるかを明確にしてから情報蒐集にかかる。
 気がせいていて、とにかく本を読んでみようというようなことでとりかかると、せっか
 く得られた知識も役に立たない。 
・何かを調べようと思っている人は、どうも欲張りになるようだ。大は小を兼ねるとばか
 り、なんでも自分のものにしようとする傾向がある。これでは集まった知識の利用価値
 を減じてしまう。対象範囲をはっきりさせて、やたらなものに目をくれないことである。
 これがはじめのうちはなかなか実行できにくい。
 つまり、調べにかかる前に、よくよく考える時間をとらなくてはならない。あまり充分
 な準備もなしに、いきなり本などを読み始めると、途中で計画の練り直しを余儀なくさ
 れたりする。
・読書ノートといった、特別のテーマをもたないで、何かおもしろいこと、あるいは将来、
 役に立ちそうなところを、書き抜くノートもある。
 ノートでもやはり
 たくさん書きすぎないように心掛けないと、いたずらにノートの量の増大を喜ぶだけと
 いった結果になりかねない。
 細かいことをノートすると、すぐあとに、それよりいっそう重要と思われることがあら
 われる。これは逃せないとノートをとると、そのあと、もっと大事な知識が出てくる。
 これも無視できない。こういうことをしていると、そのうち、本を全部引き写してしま
 うようなことになりかねない。
・借りた本では論外だが、自分の本なら、読むときに、鉛筆でしるしをつけて読み進める
 のもよい。 

つんどく法
・カードでもなく、ノートでもなく、知識を蒐集し、これをまとめて、論文にするのに、
 多く行われているのが、当てってくだけろ、の無手勝流の読書法である。
・まず、テーマに関連のある参考文献を集める。集められるだけ集まるだけ読み始めない
 でおく。これだけしかない、というところまで資料が集まったら、これを机の脇に積み
 上げる。これを片端から読んでいくのである。よけいなことをしていては読み終えるこ
 とができない。メモ程度のことは書いても、ノートやカードはとらない。
 すべては頭の中へ記録する。もちろん、忘れる。ただ、ノートをとったり、カードをつ
 くったりするときのように、きれいさっぱりとは忘れない、不思議である。
 どうやら、記録したと思う安心感が、忘却を促進するらしい。
・読み終えたら、なるべく早く、まとめの文章を書かなくてはいけない。ほとぼりをさま
 してしまうと、急速に忘却が進むからである。本当に大切なところは忘れないにしても、
 細部のことは、そんなにいつまでも、鮮明に記憶されているとはかぎらない。
・たくさんの知識や事実が、頭の中で渦巻いているときに、これをまとめるのは、思った
 ほど楽ではない。まとめをきらう知見が多いからである。しかし、ノートもカードもな
 いのだから、頭のノートがあとからの記入で消える前に整理を完成しなくてはいけない。
・本を読んで、これを読破するのだから、これをつんどく法と名付けてもよい。普通、つ
 んどくというのは、本を積み重ねておくばかりで読まないのを意味するが、つんどく法
 は、文字通り、積んで、そして、読む勉強法である。そして、これがなかなか効果的で
 ある。昔の人は多くこの方法によっていたのではないかと想像される。
  
手帖とノート
・何か考えが浮かんだら、これを寝かせておかなければならない。ちょっと頭の片隅に押
 しやっておく手もあるが、ひょっとすると、そのままガラクタとともに消えてしまいか
 ねない。そうなってはせっかくのアイディアが惜しい。
 忘れないように寝かせておこう、などと思うと、ついつい、つついてみることになって、
 寝かせたつもりが、寝かせたことにならない。
・これでよし、と安心できないと、寝かせたことにならない。しばらくは、忘れる。しか
 し、まったく忘れてしまうのも困る。忘れて、しかも、忘れないようにするにはどうし
 たらいいのか。それが問題である。
・記録しておく。これが解決法である。
 書き留めてある、と思うと、それだけで、安心する。それでひととき頭から外せる。
 しかし、記録を見れば、いつでも思い出すことができる。考えたことを寝かせるには、
 頭の中ではなく、紙の上にする。
・何か思いついたら、その場で、すぐ書き留めておく。そのときさほどではないと思われ
 ることでも、あとあと、どんなにすばらしくなるか知れない。書いておかなかったばか
 りに、せっかくの妙案が永久に闇に葬られてしまうということになっては残念である。
・いちばん簡便なのは、手帖をもち歩くことだ。普通の手帖でいい。ただ、一日ごとの欄
 をすべて、着想、ヒントの記入に使うのである。
・この手帖の中で、アイディアは小休止する。しばらく寝かせておくのである。ある程度
 時間が経ったところで、これを見返してやる。すると、あれほど気負って名案だと思っ
 て書いたものが、朝陽を浴びたホタルの光のように見えることがある。
 つまり、寝かせている間に、息絶えてしまったのである。そうなったら惜気もなく捨て
 る。 
・見返して、やはり、これはおもしろいというものは脈がある。そのままにしておかない
 で、別のところでもう少し寝心地をよくしてやる。
・別のノートを準備する。手帖の中でひと眠りしたアイディアで、まだ脈があるものをこ
 のノートへ移してやる。
・こういうノートをつくって、腐ったり死んだりしてしまわなかった手帖の中のアイディ
 アを移してさらに寝かせておく。醗酵して、考えが向こうからやってくるようになれば、
 それについて、考えをまとめる。機会があったら、文章にする。
 
メタ・ノート
・メモの手帖から、ノートに移すことは、まさに移植である。そのまま移しているようで
 あっても、決してそうではない。多少はかならず変形している。それよりも、もとの前
 後関係から外すことが何より、新しい前後関係、コンテクストをつくり、その中へ入れ
 ることになる。
・コンテクストが変われば、意味は多少とも変化する。手帖の中にあったアイディアをノ
 ートに移してやると、それだけで新しい意味をおびるようになる。もとのまわりのもの
 から切り離されると、それまでとは違った色に見えるかもしれない。
・このノートにある思考、アイディアをさらに、もう一度、ほかへ移してやる。寝かせて
 いる間にもう眠ってしまい目をさまそうとしないものも出てくる。そういう中にいつま
 でも放置するのは望ましくない。まだ生きているもの、動き出そうとしているものは、
 新しいところへ転地させてやると、いっそう活発になる可能性がある。
・ノートにもとづいて、その上にさらにノートをつくる。あとの方をメタ・ノートと呼ぶ
 ことにする。  
・メタ・ノートへ入れたものは、自分にとってかなり重要なもので、相当長期にわたって
 関心事となるだろうと想像されるものばかりのはずである。だからといって、毎日のぞ
 いてはいけない。記録してあるというので安心する。しばらく頭から離す。さらに関心
 もいったんその問題から解放する。そうすると思考はひっそり大きくなったり、あるい
 は、消えるらしい。
・いかなるときも、この手帖を手放さない。何か気づいたり、おもしろいことを聞いたり、
 読んだりしたら、あとでと思わずその場で書き留める。
 それがメモの鉄則である。そのとき書けなかったことをあとで書くのは、たいへん困難
 である。 

整理
・これまでの教育では、人間の頭脳を、倉庫のようなものだと見てきた。知識をどんどん
 蓄積する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさんのものが詰まっていれ
 ばいるほど結構だとなる。
・倉庫としての頭にとっては、忘却は敵である。博識は学問のある証拠であった。
 ところが、こういう人間頭脳にとっておそるべき敵があらわれた。コンピューターであ
 る。
・コンピューターの出現、普及にともなって、人間の頭を倉庫として使うことに、疑問が
 わいてきた。コンピューター人間をこしらえていたのでは、本物のコンピューターにか
 なうわけがない。
・そこでようやく創造的人間ということが問題になってきた。コンピューターにできない
 ことをしなくては、というのである。
・コンピューターには倉庫に専念させ、人間の頭は、知的工場に重点をおくようにするの
 が、これからの方向でなくてはならない。
・それには、忘れることに対する偏見を改めなくてはならない。そして、そのつもりにな
 ってみると、忘れるのは案外、難しい。
・平常の生活で、頭が忙しくてはいけない。人間は、自然に、頭の中を整理して、忙しく
 ならないようになっている。睡眠である。
・朝、目を覚まして、気分爽快であるのは、夜の間に、頭の中がきれいに整理されて広々
 としているからである。何かの事情で、それが妨げられると、目覚めが悪く、頭が重い。
・いまの人間は、情報過多といわれる社会に生きている。どうしても不必要なものが、頭
 にたまりやすい。夜の睡眠ぐらいでは、処理できないものが残る。これをそのままにし
 ておけば、だんだん頭の中が混乱し、常時、「忙しい」状態になる。ノイローゼなども、
 そういう原因から起こる。
・さあ、忘れてみよ、と言われても、さっさと忘れられるわけがない。しかし、入るもの
 があれば、出るものがなくてはならない。入れるだけで、出さなくては、爆発してしま
 う。
・勉強し、知識を習得する一方で、不要になったものを、処分し、整理する必要がある。
 何が大切で、何がそうでないか。これがわからないと、古新聞一枚だって、整理できな
 いが、いちいちそれを考えているひまはない。自然のうちに、直観的に、あとあと必要
 そうなものと、不要らしいものを区分して、新陳代謝をしている。
・頭をよく働かせるためには、この”忘れる”ことが、きわめて大切である。頭を高能率の
 工場にするためにも、どうしてもたえず忘れていく必要がある。
・忘れるのは価値観にもとづいて忘れる。おもしろいと思っていることは、些細なこと
 でもめったに忘れない。価値観がしっかりしていないと、大切なものを忘れ、つまらな
 いものを覚えていることになる。 
 
忘却のさまざま
・忘れるには、ほかのことをすればいい。ひとつの仕事をしたら、すぐそのあと、まった
 く別のことをする。それをしばらくしたら、また、新しい問題にかかる。長く同じこと
 を続けていると、疲労が蓄積する。能率が悪くなってくる。ときどき一服してやり、リ
 フレッシュする必要があるのはそのためだ。しかし、別種の活動なら、とくに休憩など
 しなくても、リフレッシュできる。
・勉強家は朝から晩まで、同じ問題を考えている。いかにも勤勉なようだが、さほど効率
 はよくない。 
・汗を流すのが忘却法として効果があるようだ。気分爽快になるのは、頭がきれいに掃除
 されている、忘却が行われている証拠である。適度のスポーツは頭の働きをよくするた
 めに必須の条件でなくてはならない。
・汗を流すまでは至らないが、散歩も躰を使うことで、忘却を促進する効果がある。これ
 は古くから人々に注意されてきているようだ。 
・気にかかることがあって、本を読んでも、とにかく心が行間へ脱線しがち、というよう
 なときには、思い切って、散歩に出る。歩くのも、ブラリブラリというのはよろしくな
 い。足早に歩く。しばらくすると、気分が変化し始める。頭をおおっていいたもやのよ
 うなものが少しずつはれて行く。
 三十分もそういう歩き方をすると、いちばん近い記憶の大部分が退散してしまう。さっ
 ぱりする。そして、忘れていた、楽しいこと、大切なことがよみがえってくる。
  
時の試練
・”時の試練”とは、時間のもつ風化作用をくぐってくるということである。風化作用は言
 い換えると、忘却にほかならない。古典は読者の忘却の層をくぐり抜けたときに生まれ
 る。作者自ら古典を創り出すことはできない。
 忘却の濾過槽をくぐっているうちに、どこかへ消えてなくなってしまうものがおびただ
 しい。ほとんどがそういう運命にある。きわめて少数のものだけが、試練に耐えて、古
 典として再生する。持続的な価値をもつには、この忘却のふるいはどうしても避けて通
 ることのできない関所である。
・この関所は、五年や十年という新しいものには作用しない。三十年、五十年すると、は
 じめてその威力を発揮する。放っておいても五十年も経ってみれば、木は浮かび、石は
 沈むようになっている。 
・とくに努力しなければ、古典化は三十年も五十年もかかる。その時間を短縮するには、
 忘却を促進すればよい道理である。自然に忘れるのにまかせておかないで、忘れる努力
 をする。頭の中をたえず整理し、忘れやすいようにするならば、忘却の時間はいちじる
 しく短縮できるであろう。
・一時の思いつきは、当座は、いかにもすばらしい。メモに書く。書けば安心する。安心
 すれば忘れやすい。しばらしくて、見返す。ほんの十日か二週間しかたっていないのに、
 もう腐りかけているのがある。どうしてこんなことをことごとく書きつけたりしたのか
 と首をひねる。風化は進んでいるのである。
・思考の整理には、忘却がもっとも有効である。自然に委ねておいては、人間一生の問題
 としてあまりに時間を食い過ぎる。それかといって、生木の家ばかりいくら作ってみて
 も、それこそ時の風化に耐えられないことははっきりしている。
・忘れ上手になって、どんどん忘れる。自然忘却の何倍ものテンポで忘れることができれ
 ば、歴史が三十年、五十年かかる古典化という整理を五年か十年でできるようになる。
 時間を強化して、忘れる。それが、個人の頭の中に古典をつくりあげる方法である。
 そうして古典的になった興味、着想ならば、かんたんに消えたりするはずがない。
 思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である。
   
すてる
・知識は多ければ多いほどよい。いくら多くのことを学んでも、無限といえるほどの未知
 が残っている。とにかく、知識を仕込まなければならない。
・しかし、それに気を取られて、頭の中へ入った知識をどうするか、についてはあまり考
 えることがない。それでもの知りができる。もの知りは知識をただ保有しているだけ、
 ということが少なくない。 
・ただ知識があるだけでは、少なくとも、現代においては力にはなり得ない。知識自体で
 はなく、組織された知識でないとものを生み出す働きをもたない。
 そればかりではない。知識の量が増大して一定の限度を越すと、飽和状態に達する。あ
 とはいくら増やそうとしても、流失してしまうのである。だいいち、その問題に対する
 好奇心が薄れてきて、知識欲も低下する。
・二十年、三十年とひとつのことに打ち込んでいる人が、そのわりに目覚ましい成果をあ
 げないことがあるのは、”収穫逓減”を示している証拠である。 
・家庭でガラクタが増えてくると、すてる。古新聞古雑誌がたまって場ふさぎになる。た
 まってくると、屑に払ってしまう。これにためらいを感じる人はあるまい。そんなもの
 をとっておいたのでは、人間の住むところがなくなってしまう。
・一般に年寄りはガラクタを大事にする傾向がある。菓子折の杉箱がみごとだと言って空
 箱を保存する。空箱が山のようになる。若い人はそれをすてよというが、老人はもった
 ないと言って譲らない。 
・新聞雑誌なら古いものはゴミにする人も、書物だと、簡単にチリ紙交換に出したりしな
 い。ひょっとするといるかもしれないという気持ちが手伝うのであろう。しかし、いよ
 いよ本があふれてくると、パニック状態に陥って、何でもかんでも棄ててしまえ、とい
 う衝動にかられる。よく考えもしないで、手当たり次第に整理する。
・こういう後悔をしなくてはならないのは、日ごろ整理の方法を考えたことがないからで
 ある。集めるのも骨であるけれども、すてる、整理するのは、さらにいっそう難しい。
・まず、いくつかの項目に分類する。分類できないものを面倒だからというので、片端か
 ら棄てるのは禁物。
・この分類されたものを、じっくり時間をかけて、検討する。急ぐと、ひそんでいる価値
 を見落とすおそれがある。ひまにまかせてゆっくりする。忙しい人は整理に適しない。
 とんでもないものを棄ててしまいやすい。
・整理とは、その人のもっている関心、興味、価値観によって、ふるいにかける作業にほ
 かならない。価値のものさしがはっきりしないで整理をすれば、大切なものを棄て、ど
 うでもいいものを残す愚をくりかえすであろう。
・本はたくさん読んで、ものは知っているが、ただ、それだけ、という人間ができるのは、
 自分の責任において、本当におもしろいものと、一時の興味との区分けをする労を惜し
 むからである。 
・たえず、在庫の知識を再点検して、すこしずつ慎重に、臨時的なものを棄てていく。や
 がて、不易の知識のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりう
 るはずである。
・これをもっともはっきり示すのが、蔵書の処分であろう。棄てるのではないが、本を手
 放すのがいかに難しいか。試みた人でないとわからない。ただ集めて量が多いというだ
 けで喜んでいてはいけない。
 
とにかく書いてみる
・気軽に書いてみればいい。あまり大論文を書こうと気負わないことである。力は入ると
 力作にならないで、上すべりした長篇に終わってしまいがちである。いいものを書きた
 いと思わない人はあるまいが、思えば書けるわけではない。むしろ、そういう気持ちを
 すてた方がうまくいく。論文ではなく、報告書、レポートでも同じだ。
・まだまだ書けないと思っているときでも、もう書けると、自分に言いきかす。とにかく
 書き出すと、書くことはあるものだ。おもしろいのは、書いているうちに、頭の中に筋
 道が立ってくる。  
・ひとつひとつ、順次に書いていく。どういう順序にしたらいいかという問題も重要だが、
 初めから、そんなことに気を使っていたのでは先に進むことはできなくなる。とにかく
 書いてみる。
・書き進めば進むほど、頭がすっきりしてくる。先が見えてくる。もっともおもしろいの
 は、あらかじめ考えてもいなかったことが、書いているうちにふと頭に浮かんでくるこ
 ともある。
・書き出したら、あまり、立ち止まらないで、どんどん先に進む。こまかい表現上のこと
 などでいちいちこだわり、書き損じを出したりしていると、勢いが失われてしまう。
 とにかく終りまで行ってしまう。そこで全体を読み返してみる。こうなればもう、訂正、
 修正がゆっくりできる。
・書き直しの労力を惜しんではならない。書くことによって、少しずつ思考の整理が進む
 からである。何度も何度も書き直しをしているうちに、思考の昇華の方法もおのずから
 体得される。
・思考は、なるべく多くのチャンネルをくぐらせた方が、整理が進む。頭の中で考えるだ
 けではうまくまとまらないことが、書いてみると、はっきりしてくる。書き直すとさら
 に純化する。ひとに話してみるのもよい。書いたものを声を出して読めば、いっそうよ
 ろしい。  

テーマと題名
・だいたい、修飾語を多くつけると、表現は弱くなる傾向をもっている。「花」だけでい
 いところへ「赤い花」とすると、かえって含蓄が小さくなる。「燃えるような真っ赤な
 花」とすると、さらに限定された花しか伝えなくなる。
 修飾語を多くすれば、厳密にある場合もあるけれども、不用意に行うと、伝達性をそこ
 ないかねない。厭味になることもある。
・表現をぎりぎりに純化してくると、名詞に至る。まず、副詞が削られる。研究論文の題
 目、その他の題目に、副詞(きわめて、すみやかに、など)の用いられていることは例
 外的であろう。
 副詞の次には、形容詞もぎりぎり必要なものでない限り、落とした方が、考えがすっき
 りする。削って最後に名詞が残るというわけである。
 思考の整理は名詞を主とした題名ができたところで完成する。
・さきの長い題だと、それだけでもうわかったというので、読もうという気にならないか
 もしれない。  
・学術的研究だけでなく、一般の書物の題名になると、さらに、内容を推測する手掛かり
 にはなりにくい。新しい本の題名を見て、それをどういう本だときめることは多くの場
 合、危険である。
・とにかく、題名、書名はくせものである。ことに外国の本の題名だけ見て、これはこう
 いう本であると断定するのはたいへん乱暴である。題名の本当の意味ははじめはよくわ
 からないとすべきである。全体を読んでしまえば、もう説明するまでもなくわかってい
 る。  
・実際に、本の題名などは、中身がすっかりでき上ってしまってから、最後につけられる
 ことがすくなくない。
・題名ひとつで、文章が生きたり、死んだりする。それほど重要なものである。テーマを
 明示したり、あるいは象徴したりするからである。
・アメリカで出た論文作成の指導書に、
 「テーマはシングル・センテンス(一文)で表現されるものでなければならない」
 という注意があった。おもしろいとおもったから記憶に残っている。
・一文で言いあらわせたら、その中の名詞をとって、表題とすることは何でもないはずで
 ある。思考の整理の究極は、表題ということになる。
   
ホメテヤラネバ
・考えごとは、いつまでたってもらちがあかないことが少なくない。同じところを堂々め
 ぐりしている。そのうち、これはダメかもしれない、と思いだす。
 そんな場合、思い詰めるのはよくない。行き詰ったら、しばらく風を入れる。
 そして、かならず、できる、よく考えれば、いずれは、きっとうまく行く。そういって
 自分に暗示をかけるのである。
 間違っても、自分はダメなのではないか、いや、ダメなのだ、などと思い込まないこと
 である。
・とにかく、できる、できる、と自分に言い聞かす必要がある。たとえ口先だめでも、も
 ういけない。などと言えば、本当に力が抜けてしまう。自己暗示が有効にはたらくのは
 そのためである。
・思考はごくごくデリケートなものである。いい考えが浮かんでも、そのときすぐにおさ
 えておかないと、あとでいくら思い出そうとしても、どうしても再び姿を見せようとし
 ない場合もある。
・せっかくこれはと思った着想などを、ほかの人からにべなく否定されてしまうと、ひど
 い傷手を受ける。当分はもう頭を出そうとしない。ひょっとすると、それで永久に葬り
 去られてしまいかねない。
・そういう体験を何度も繰り返していると、ひとの考えに対して、不用意なことばを慎ま
 なくてはならないと悟るようになる。
・自分の考えに自信をもち、これでよいのだと自分に言い聞かせるだけでは充分ではない。
 ほかの人の考えにも、肯定的な姿勢をとるようにしなくてはならない。どんなものでも
 その気になって探せば、かならずいいところがある。
 
垣根を越えて
・インブリーディングということばがある、同系繁殖、近親交配、近親結婚のこと。
 ニワトリでも同じ親から生まれたもの同士を交配しつづけていると、たちまち、劣性に
 なってきて、卵もうまなければ、体も小さくて、弱々しいものになってしまう。
 人間でも同じことで、近親結婚はおもしろくない遺伝上の問題を起こす。それでどこの
 国でもごく近い関係にある親族や同族の結婚を禁止している。インブリーディングはそ
 れほど危険なのである。
・企業などが、同族で占められていると、弱体化しやすい。それで昔の商家では、代々、
 養子を迎えて、新しい血を入れることを家憲としたところが少なくない。似たものは似
 たものに影響を及ぼすことはできない、という。同族だけで固まっていると、どうして
 も活力を失いがちで、やがて没落する。
・新しい思考を生み出すにも、インブリーディングは好ましくない。それなのに、近代の
 専門分化、知的分業は、似たもの同士を同じところに集めた。
・専門が確立すると、ちょうど、軍艦のようなもので、外部との交渉が絶えて、洗練化が
 進む。人々の関心は中枢部へ向けられる。ちょうど、列車の乗客が、先頭の最後尾の車
 輛に乗りたがらないで、混んでいても、中央のハコに集まるようなものである。専門分
 野内におけるインブリーディングがこうして起こる。当然、創造力が衰えてくる。
 その傾向は早くから気づかれていたけれども、中央から、端のハコへ移ろうというもの
 好きは少なかった。まして、ほかの列車へ飛び移ろうというのは自殺的行為だと見なさ
 れる。賢明な人は真ん中に収まっているに限る。
   
三上・三中
・中国の欧陽修という人は、一般的には「三上」ということばを残したとして、はなはだ
 有名である。 三上とは、馬上、枕上、厠上である。
・これを見ても、良い考えの生まれやすい状況を、常識的に見てやや意外と思われるとこ
 ろにあるとしているのがおもしろい。
・朝、トイレへ入るときに、新聞を持ち込んで丹念に読むという人がいる。トイレの中に
 辞書をおいている人もある。辞書があるのは読書をするためでもあろうか。いずれにし
 ても、トイレの中は集中できる。まわりから妨害されることもない。ひとりだけの城に
 こもっているようなものだ。  
・ものを考えるには、ほかにすることもなく、ぼんやり、あるいは、是が非でもと、力ん
 でいることは、とくに心をわずらわすほどのこともない。心は遊んでいる。こういう状
 態が創造的思考にもっとも適しているのであろう。 
・三上を唱えた欧陽修は、また、三多ということばも残している。これもよく知られたこ
 とばである。
 三多とは、看多(多くの本を読むこと)、做多(多くの文を作ること)、商量多(多く
 工夫し、推敲すること)で、文章上達の秘訣三カ条である。
・これを思考の整理の方法として見ると、別種の意味が生ずる。つまり、本を読んで、情
 報を集める。それだけでは力にならないから、書いてみる。たくさん書いてみる。そし
 て、こんどは、それに吟味、批判を加える。こうすることによって、知識、思考は純化
 されるというのである。文章が上達するだけではなく、一般に考えをまとめるプロセス
 と考えてみてもおもしろい。 
・散歩中にいい考えにぶつかることは、古来その例がはなはだ多い。ヨーロッパの思想家
 には散歩学派が少なくない。散歩のよいところは、肉体を一定のリズムの中におき、そ
 れが思考に影響する点である。
・以上の三つ、無我夢中、散歩中、入浴中がいい考えの浮かぶいい状態にあると考えられ
 る。いずれも「最中」である。
 
知恵
・本に書いていない知識というものがある。ただ、少し教育を受けた人間は、そのことを
 忘れて何でも本に書いてあると思いがちだ。本に書いていなくて有用なこと、生活の中
 で見つけ出すまでは、だれも教えてくれない知識がどれくらいあるか知れない。
・若いうちは健康のありがたさを知らない。中年になると、そろそろ体が気になり出す。
 健康にいいということに関心を持ち出す。
 ある調査によると、いまの日本人は十人に九人強が、結構保持に深い関心を持っている
 という。高齢化社会になればますますこの傾向は強まるだろう。
・老化は、端末から始まる。足と手、指をよく動かすようにする。歩いて、手はものをこ
 しらえたり、字を書いたりし、遊ばせないようにしなくてはいけない。指ではことに小
 指を動かすと内臓がよくなる。  
・あるアメリカの社会学者が、死亡の時期の研究をして、誕生日の前しばらくは死亡率が
 ぐっと下がる。誕生日のあと、急上昇するという一般的現象を見つけた。
 どうして、誕生日の前後で、老人の死ぬ率に際立った変化が見られるのか。興味をもっ
 て調べたその学者によると、誕生日を祝ってもらえるという期待がある。それを楽しみ
 にしていると心の張りができる。それが、誕生日がすんでしまうと、目先、生きがいと
 するものがなくなってしまう。そのすきに乗じて病気が勢いをもり返す、という例が多
 いから、さきのような数字になってあらわれるのであろう。
・こういう断片的な知識、大部分が耳学問である。それを散らしてしまわないで、関連あ
 るもの同士をまとめておくと、ちょっとした会話のタネくらいにはなる。知らない人は
 たいへん詳しい、と感心してくれるかもしれない。
 知識というものは、心掛け次第で、とくにまとめようとしなくても自然にまとまってく
 れるものだ。 

ことわざの世界
・サラリーマンが仕事がおもしろくない。上役に叱られた、というようなことがあると、
 ほかの人のしていることがよさそうに思われる。自分のやっている仕事がいちばんつま
 らなそうだ。思い切ってやめてしまえ、となる。
 商売変えをしたところで、同じ人間がするのである。急に万事うまくいく道理がない。
 またおもしろくなくなる。すると、またも、ほかの人の職業がよさそうに見える。こう
 いう人はいつまでたっても腰が落ち着かない。
・こういう例は世の中にごろごろしている。それなのに、相変わらず、同じことを繰り返
 す人があとからあとからあらわれる。めいめいの人にほかの人の経験が情報として整理
 されていないからである。 
 整理されていないわけではない。ちゃんと、ことわざという高度の定理化が行われてい
 るのに、それを知らないでいるためである。
・商売をする人、投機をする人は、ものの売り買いのタイミングを見きわめるのに見の細
 る思いをする。もうよかろうと思って、売買すると、早すぎる。それに懲りて、こんど
 は、満を持していると、好機を逸してしまう。もっと早く決断すればよかったと後悔す
 る。商売の人は、たえずこういう失敗を経験している。そのひとつひとつは複雑で、そ
 れぞれ事情は違う。ただ、タイミングのとりかたがいかに難しいか、という点と、自分
 の判断が絶対的でないというところを法則化すると、”モウはマダなり、マダはモウな
 り”ということわざが生まれる 
・学校教育では、どういうものか、ことわざをバカにする。ことわざを使うと、インテリ
 ではないように思われることもある。しかし、実生活で苦労している人たちは、ことわ
 ざについての関心が大きい。現実の理解、判断の基準として有益だからである。
・ものを考えるに当たっても、ことわざを援用すると、簡単に処理できる問題も少なくな
 い。現実に起こっているのは、具体的問題である。これはひとつひとつ特殊な形をして
 いるから、分類が困難である。これをパターンにして、一般化、記号化したのがことわ
 ざである。 
・個人の考えをまとめ、整理するに当たっても、人類が歴史の上で行ってきた、ことわざ
 の創出が参考になる。
 個々の経験、考えたことをそのままの形で記録、保存しようとすれば、煩雑にたえられ
 ない。片端から消えてしまい、後に残らない。
・一般化して、なるべく、普遍性の高い形にまとめておくと、同類のものが、あとあとそ
 の形と照応し、その形式を強化してくれる。
 つまり、自分だけの”ことわざ”のようなものをこしらえて、それによって、自己の経験
 と知見、思考を統率させるのである。
 そうして生まれる”ことわざ”が相互に関連性を持つとき、その人の思考は体系をつくる
 方向へ進む。 
・そのためには、関心、興味の核をはっきりさせる。その核に凝集する具体的事象、経験
 を一般的命題へ昇華して、自分だけのことわざの世界をつくりあげる。
 このようにすれば、本を読まない人間でも、思考の体系をつくり上げることは充分に可
 能である。

第一次現実
・現実には二つある。知恵という”禁断の実”を食った人間には、現実は決してひとつでは
 ない。
・われわれがじかに接している外界、物理的世界が現実であるが、知的活動によって、頭
 の中にもうひとつの現実世界をつくり上げている。
 はじめの物理的現実を第一次的現実と呼ぶならば、後者の頭の中の現実は第二次的現実
 と言ってよいであろう。
・かつては、主として、読書によって、第二次的現実をつくり上げた。読書人が一般に観
 念的であるのは、外界にじかに接するかわりに、知識によって触れていたからである。
 思索も外界を遮断するところにおいて深化させられることがあり、やはり、第二次的世
 界を築き上げる。
・しかし、大部分の人間は、ほとんど第一次的現実によってのみ生きていた。それでは本
 当に現実に生きることにはならないのも早くから気づかれていて、哲学への志向が生ま
 れた。
 人間の営為はすべて、第二次的現実の形成に向けられていたと考えてもよいほどである。
 第一次的現実をはっきり認識するためには、それを超越した第二次的現実の立場が必要
 である。
・従来の第二次的現実は、ほとんど文字と読書によって組み立てられた世界であった。
 ところが、ここ三十年の間に新しい第二次的現実が大量にあらわれている。そのことが
 なお、充分はっきりとは気づかれていない。
 テレビである。テレビは真に迫っている。本当よりもいっそう本当らしく見える。
・本を読んで頭に描く世界が観念の産物であることは誤解の余地が少ない。ところが、ブ
 ラウン管から見えてくるものはいかにもナカナマしい。
 現代人はおそらく人類の歴史はじまって以来はじめて、第二次的現実中心に生きるよう
 になっている。これは精神史上ひとつの革命であると言ってよかろう。
・現代のように、第二次的現実が第一次的現実を圧倒しているような時代においては、あ
 えて第一次的現実に着目する必要がそれだけ大きいように思われる。人々の考えること
 に汗のにおいがない。したがって活力に欠ける。意識しないうちに、抽象的になって、
 ことなの指示する実体があいまいになる傾向が強くなる。
 現代の思想がいかにもなまなましそうな装いを見せ、映像によって具体的であるかのよ
 うな外見をしてはいるけれども、現実性はいちじるしく希薄である。
・学生が社会へ出て、本から離れると、そのとたんに、知的でなくなり俗物と化す。
 知的活動の根を第二次的現実、本の中にしかおろしていないからである。第一次的現実
 に根ざした知的活動には、飛行機を要する。グライダーではできない。学生の思考と社
 会人の思考との間には、グライダーと飛行機の違いがある。
・社会人は、ものを考えようとすると、たちまち、行動の世界から逃避して本の中にもぐ
 り込む。読書をしないと、ものを考えるのが困難なのは事実だが、忙しい仕事をしてい
 る人間が、読書三昧になれる学生などの真似をしてみても本当の思索は生まれにくい。
 行動と知的世界とをなじませることができなければ、大人に思考にはなりにくいであろ
 う。
・思考の整理ということから言っても、第一次的現実、本から出発した方が、始末がいい。
 都合よくまとまりをもってくれる。
 第一次的現実から生まれる知恵は、既存の枠の中におとなしくおさまっていない。新し
 いシステムを考えないといけないことが多い。社会人の思考が散発的アイディアに終わ
 りがちなのはそのためであろう。
・歩きながら考える、というのは、第一次的現実の中における思考である。生活を中断し、
 書物の世界に没入して、ものを考えるのとは質的に違う。
 われわれの知的活動が、とかく、模倣的であり、真に創造的でないのは、このナマの生
 活との断絶に原因があるのではあるまいか。
・仕事をしながら、普通の行動をしながら考えたことを、整理して、新しい世界をつくる
 これが飛行機型人間である。
 日本人の知的訓練が、多く他者に引かれてはじめて動き出すグライダータイプであった
 ことが、第二次的現実のなかでの知的活動のみを認める傾向となっている。
・汗のにおいのする思考がどんどん生まれてこなくてはいけない。それをたんなる着想、
 思いつきに終わらせないために、システム化を考える必要がある。
 真に創造的な思考が第一次的現実に根ざしたところから生まれうることを現代の人間は
 とくと肝に銘じる必要があるだろう。