里山ビジネス :玉村豊男

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里山の風景は、日本の原景色のような気がする。昔の日本人は里山的な生活によって、自
然と共生するような生活を送っていた。それが明治維新後の欧米のマネごとをして、いま
のような日本なった。近代化によって、自然を開墾し、生活範囲をどんどん拡大してきた。
それによって、確かに経済的には豊かになったと思う。けれども、失ったものも大きかっ
たような気がする。
筆者は、本書において、単一品種の大量生産というのは植民地の農業のやり方だと述べて
いる。この方法では高効率化によりコストダウンはできるが、非常に高リスクとなるとい
う。天候不順などにより、単一作物ではひとたびダメになったら全滅となる。植民地の場
合、全滅したからといって、本国の支配者は関知しない。また別の場所に新しく作ればよ
いからだ。
これは今の日本の電力行政・業界にも似ているような気がした。この場合は、支配者は東
京などの大都会で、植民地は地方だ。高効率化のために、原子力発電という単一発電方法
に依存を高めコストダウンをはかり、安い電力で我が世の春を謳歌する。原発事故で一つ
の地方がダメになっても、別の地方にまた原発を造ればよいというわけだ。
都会の人たちは、そのことを薄々感じているのだ。そしてそれに対する後ろめたさも。そ
して、「がんばろう日本!がんばろう東北!」というきれいごとで、その後ろめたさをご
まかそうとする。しかし、そうやって、ごまかしながら、今のような社会を続けていけば、
それによって失うものもどんどん増えていき、やがては自分たちの首を絞めることになる
のではないか。
元々人間は動物の一種であり、自然の中の一部だったはずだ。それを人間は忘れてしまっ
ている。人間の途方もない身勝手な活動によって、自然がどんどん壊れていっている。そ
してそれは、自分自身を壊していることにつながっているのだ。
それを考えると、筆者が行なっている里山でのビジネスは、これからの世の中のあり方の
ひとつの方向を示しているような気がする。このようなビジネスが、日本の地方のあちこ
ちで営まれ、成功するようになったら、この世の中も変わるかもしれない。
「持続するためには拡大してはいけないのです」という筆者の言葉が、重く心に突き刺さ
った。

はじめに
・今から6年前、私が個人でワイナリーを立ち上げようとしていることを知った人のほと
 んどが無謀だからやめたほうがいいと忠告し、ここでレストランをやると聞いた飲食業
 界のプロたちが口を揃えてこんなところでは客は来ないと断言した。常識外れのワイナ
 リープロジェクト。
・私にはビジネス上の計算はありませんでしたが、やりたいことのコンセプトは明確にあ
 りました。そのやりたい仕事をやり、暮らしを成り立たせるために働くことをビジネス
 と呼ぶなら、私がやりはじめたことは、「里山ビジネス」、というのがいちばん的確な
 命名ではないかと思います。

素人商売事始め
・私たちは、前の年まで、東京の代官山に小さな雑貨店を開いていました。私の絵をデザ
 インした食器や絵葉書、農園の植物のドライフラワーやリースなどのオリジナルグッズ
 と、妻がタイや中国から買ってきた雑貨や工芸品を扱うお店です。
・そもそもワイナリーに飲食の施設をつくろうと考えたのは、ワイン製造部門で確実に予
 想される大きな赤字をいくらかでも補填するのが目的でした。自家農園でブドウを栽培
 し、そのブドウでワインをつくる、という仕事を一からたちあげるとすれば、最低でも
 向こう5年間は大赤字を覚悟しなければなりません。その間は飲食のほうで利益を出す
 ことで全体の赤字を少しでも減らそうという目論見ですから、飲食部門が赤字では端か
 ら問題にならない。利益が出たとしても少しでは焼け石に水です。
・カフェは毎年少しずつ利益を出していますが、2年目は大型浄化槽の追加、3年目は外
 デッキの増設、4年目は菓子工房の新設と、毎年、利益を上回る額の設備投資を続けて
 います。そしてワイン製造のほうは、当然、赤字が続いています。

ワイナリーを起業する
・海外では、ワイナリーオーナー、という肩書きは、大金持ちのステイタスのひとつと思
 われています。現実には、ワイナリーを所有し経営することは、あらゆるビジネスの中
 でもっとも割に合わないもののひとつ、といえるのではないかと思います。だからこそ、
 使い道のないほどお金をもっている人たちがその金満ぶりを誇示するためにワイナリー
 をもちたがるのだ。少なくとも、使い道のない大金があるわけでもない、しかもこれま
 でに事業と名のつくような仕事を一度もやった経験がない定年を迎える年齢の人間が、
 いまさら起業しようとする職種ではないことはたしかです。
・最初は、小さな、趣味のブドウ畑でした。ワイナリーを自分でつくろうと考えるように
 なるまでの約10年間は、私ひとりでブドウ畑の世話をしていました。枝葉の整理、芽
 かき、雑草の刈り取りなど、ときどき友人や知人、アルバイトの若者などに手伝っても
 らうことはありましたが、剪定から消毒まで、専門家のアドバイスを受けながら、基本
 的な作業は私がやりました。
・日本でお酒をつくるには免許が必要です。日本では、酒類の製造や販売に関する許認可
 を管轄するのは税務署で、発生した瞬間からアルコールは課税の対象になるのです。
・酒造免許は、ビール、清酒、焼酎、ブランデーなど、お酒の種類によって分かれており、
 ワインは果実酒に分類されます。したがって、ワインをつくりたい人は果実酒青銅免許
 を申請することになります。
・免許を取得するには、果実酒を年間六千リットル以上製造することができる設備と施設
 を用意しなければなりません。六千リットルといえば、ワインボトルに換算して8千本。
 半端な量ではありません。
・政務書がこうした最低生産量を求めるのは、規模の小さい醸造所ばかりだと徴税コスト
 が高くつくからだといいます。また、資金的な基盤が脆弱ですぐに潰れてしまうようで
 は安定的な酒税の徴収ができないから、というのも理由のようです。
・新規にワイナリーを開設するには、ごく大雑把な目安、と考えてもらえばよいのですが、
 要するに必要な機材だけで4千万円から5千万円はかかる、ということです。
・ワイナリーを起業する場合は多額の初期投資が必要で、その償却期間を堪えるだけの経
 済的な体力が必要とされるので、ワイン製造事業を単独でおこなうことは少ないのが日
 本の現実です。

里山のビジネスモデル
・雑誌の企画を決めるときは、まず面白い企画を考えるより、ターゲットとなる読者を絞
 り込んで、最大公約数を計算した確実な企画を立てる。自分たちがやりたいことをやる
 のではなく、広告主の意向に沿った内容を考える。雑誌も出版も収益を上げなければ事
 業が継続できないのは他の分野と同じですから、収益重視のやり方は決して間違いでは
 ありません。読者が記事を面白いと思わなくても、販売部数がさほど伸びなくても、広
 告が取れて収入が経費を上回れば事業は成功です。
・ものを売り買いして利益や損失が出たとき、ほとんどの人はその利益や損失の数字に着
 目します。そのとき売り買いするもの、中身、対象物がコンテンツなのですが、数字に
 ばかり目が行くと、コンテンツのことを忘れてしまいます。なにを売り買いしても、利
 益さえ出ればよい。とくに最近、そう考える人が多くなったのではないでしょうか。
・ブドウと人間は、たがいに微妙なズレを見せながら世代交代を繰り返します。ブドウが
 代わるときには人が残り、人が代わるときにブドウが残る。うまくいけば、このサイク
 ルは永遠に持続するでしょう。できたワインは、長い時間をかけて熟成します。
・ワイナリーをつくろうと考えたとき、最初に頭の中に浮かんだイメージは、ヴィラデス
 トのある里山の斜面一帯がきれいなブドウ畑になっていて、そこで私の知らない若い人
 たちが働いている風景でした。ブドウ畑に続く一角には野菜とハーブの畑があり、どち
 らもよく手入れが行き届いていて日頃に丹精が偲ばれます。それは、五十年後、あるい
 は百年後の風景でしょうか。
・私たち夫婦が石拾いからはじめて開拓した農園が、私たちの死後どうなるかはわかりま
 せん。開墾から十年ほど経ってそれなりにまとまった姿になってきた農園を見につけ、
 やはりこの後を誰かが継いで、私たちが地面を耕すことではじまったヴィラデストの暮
 らしを、新しいかたちで後世に伝えてもらえたらうれしい、と思うようにもなったので
 す。
・農業は続けることに意味がある。その土地を絶えず耕して、そこから恵みを受けながら、
 人も植物も生き続ける。それが農業であり、人間の暮らしである。ワイナリーを中心に
 地域の人が集い、遠方から人が訪ねて来、そこでつくられたワインや野菜や果物を媒介
 にして人間の輪ができあがる。それが来訪者を癒し、地域の人びとを力づけ、双方の生
 活の質を高めていくことにつながるだろう。ワイナリーじたいはとりたてて大きな利益
 を生むものでなくても、そうした、農業生産を基盤として地域の永続的な発展と活性化
 を促すひとつの有効な装置として機能するとすれば、これほど大きな価値を実現できる
 ものは他に類がないと思う。
・私は、妻とともに農業をやろうと眺めの良い土地を探しまわり、約二年をかけていまの
 場所にたどり着きました。そこは、かつて里に住む人たちが、カイコが食べる桑の葉を
 採りに来る桑山でした。「ここだ、ここしかない、ここに決めた」この土地に立って風
 景を眺めたとき、私は思わず叫びました。
・ここしか考えられない終の棲家となるべき土地、という意味を込めて、ヴィラデストと
 いう名前を思いついたのでした。ヴィラデストという名前は、個人の家と農園の名前で
 すが、やがて誰か血縁のない後継者に受け継がれれば、食器や、ワインや、ライフスタ
 イルの、ひとつのブランドとして生き残ることができるかもしれません。
・夫婦で農園をはじめたとき、私はワイン用ブドウ、妻はハーブの栽培からスタートしま
 した。日本では手に入らない品種のトマト、ナス、ズッキーニ、ヒーマンなどを、いろ
 いろつくってみました。毎年二十種類以上、累計四十種類以上を栽培しました。それら
 の野菜は農協を通じて東京の高級スーパーに出荷したり、知り合いのレストランからの
 注文を受けて発送したりしていました。
・採ってすぐに料理するなら、曲がっていても、大きさがまちまちでも、表面が割れてい
 ても関係ありません。どこかに輸送したら絶対に味わえなくなる、商品化できない野菜
 たち、それが育った場所であるここでしか味わえない野菜の素晴らしさを知ってもらう
 ためには、畑のすぐそばにレストランをつくるしかない。
・いまの時代には、いや、どんな時代にも、採れたての野菜をその場で食べることができ
 る、しかもそれらをもっとも適切な方法で調理した最高においしい状態で食べることが
 できる店があれば、かならず人気が出るはずだ、という、確信にもとづくある種の計算
 もありました。
・タイの古都チェンマイの郊外に、広大な農園をもったリゾートホテルがあります。アジ
 アンスタイルのお洒落なインテリアの部屋の外は、一面に広がる水田でした。田んぼで
 は、水牛が水浴びをしています。キセルを銜えながらその水牛のようすを見ていた老人
 が、やおら立ち上がって鋤きを手に取りました。円錐型の藁帽子を被った、痩身に粗衣
 の、絵に描いたようなアジアの老人。遠くの田んぼには、華やかな色の民族衣装を着た
 女たちが見えます。いかにもアジアの世界です。外国ではあるが、どこか懐かしい、子
 どこの頃に見た風景のようにも思えます。
・このリゾートホテルの部屋から眺めるライステラスの風景は、もともとそこにある、な
 んの変哲もない暮らしの情景こそ、現代人の心を癒すのだということを教えてくれます。
・それは決してお客さんがいるからわざわざやっていることではなく、昔から村びとたち
 が里山で暮らしたきたあたりまえの日常を、いまの私たちが、私たちなりのスタイルで、
 毎日繰り返しているだけなのですから。
・かつて、日本人の多くは、この山がちな国のあちこちで、川の流れる低い土地に沿って
 集落をつくり、前菜で小野菜を育て、田に水を引いてコメをつくってきました。日本経
 済が発展するとともに森や林に目を向ける人が少なくなり、外国との競争に敗れた林
 業は衰退して、里山の雑木林も荒れ果ててしまいました。椎茸やシメジも、いまは工場
 でつくる時代です。
・最近は、どこかが流行るとすぐ視察に行きます。さびれていた街がユニークなアイデア
 で再生した、というようなケースの場合、その街へ行ってみると、観光客より視察団体
 のほうが多いのではないかと思われるほど、そういう人たちが集まっている。観光地に、
 黒っぽい背広の男ばかりの団体は目立ちます。しかし、これほど熱心に他の地域の事例
 を研究しても、成功した事例を真似した自分たちも成功した、という話は聞きません。
・とくに、行政が関係すると、たいていうまくいかないようです。成功した事例は、一人
 があるいは何人かのエネルギーのある個人が先導して、それに刺激されて周囲が動きは
 じめる、というパターンがほとんどです。行政がイニシアティブを握ると、採取は出て
 いたユニークな案も最後は尻すぼみのつまらない計画に落ち着いてしまう。多くの人が
 決定にかかわるため、最大公約数の答えしか出せないからでしょう。
・ヴィラデストがもし成功しているとすれば、それは私の実際の生活がそこにあるからだ
 と思います。予算や政策やダーゲットやマーケティングや、そういったもろもろの思惑
 とはまったく無縁のところで、故人私的な生活の場を、そのまま公開したのです。個人
 の生活の場ですから、そこに個性的な色合いが出るのは当然でしょう。好きか嫌いかは
 別れるかもしれませんが、元の数字は小さくても、最大公約数ではなく最小公倍数を求
 めるほうが、大きな結果になるはずです。
・地産地消といいますが、和つぃはその地産を、自分の畑でつくっているもの、軽トラッ
 クで取りに行くかもってきてもらうか、直接運搬できる範囲でつくられているもの、と
 考えています。
・産地のブランド化は、どの地域でも目標としています。また、地域ならではの特産品を
 つくりたい、という希望も共通しています。農村では元気な女性たちが、郷土に古くか
 ら伝わる産物を活かして新しい料理や食品を考え出そうと努力しています。しかし、そ
 れで地域を売り出せるような、全国に知られるようなヒット商品をつくり出すのは難し
 いものです。伝統と断絶したアイデア商品は面白いようでも長続きしませんし、かとい
 って昔からあるものを現代風に、といっても、日本ではどの地域にも同じような食べ物
 があるのです。
・そこでしかできないもの。そこへ行かなければ食べられないもの。同じものでも、そこ
 で食べるからこそおいしいもの。本当はそういうものがほしいのです。
・第一次産業の生産地は、そこへ人が来てさえくれれば魅力的な観光地に変身します。そ
 うしれば鮮度も落ちず、輸送費もかからず、中間マージンも取られず、包装代も節約で
 き、しかも産地の人や風景といっしょに楽しんでもらえるのです。
・私は、これからは生活観光の時代だと思います。観光は平時最大の産業です。戦争にな
 ったらひとたまりもありませんが、平和が続く時代なら、これに勝る産業はありません。
 観光産業というと、由緒や歴史のある土地か、なにか特別な建造物か、よほど珍しい風
 景や当植物でもなければ成り立たないと思っている人が多いようです。が、たとえ世界
 遺産はなくても、そこに生き生きとした本物の生活があれば、それだけで小さな観光は
 成り立つのです。
・自分のふだんの生活に縁のないものを観光にしても、深く心には残りません。残るのは
 記念写真かビデオだけです。私は若い頃ツアーコンダクターをしていたことがあります
 が、日本では親戚の法事以外はお寺に行ったこともない人が、パリやローマで教会ばか
 り見せられて、ノートルダムもバチカンも区別がつかなくなるのを何回も目撃しました。
・私は海外旅行をする人に、名所旧跡もいいけれど、泊まっているホテルの半径五百メー
 トル以内をまず歩いたらどうですか、と進めます。そこで生活するシーンを想像するほ
 ど、誰にでもできる街の楽しみかたはありません。
・非日常の世界に触れるのが大きな観光なら、日常を想像するのが小さな観光です。生活
 の輪郭が曖昧になり、日常の暮らしに漠然とした不安を誰もが抱いているいま、私たち
 は小さな観光を必要としているのではないでしょうか。
・たとえば都会で暮らす人が、どこか田舎の農村に行き、そこでふつうの人の暮らしに出
 会う。とくに見るべきものがないような村でも、そこにお茶を飲ませるキセのひとつで
 もあれば、漬物をつまんで休みながら、村の人と言葉を交わすことができるでしょう。
 どんな施設でもいい、なにかを食べたり飲んだりする小さな場所があれば、人に来ても
 らうことができるのです。それまでは、近くに来ても村の前を素通りしていた旅行者が、
 村の暮らしのある世界に足を踏み入れることができるのです。そして、そこで地に足の
 ついた暮らしの情景を、昔から続いてきた、そしてこれからも続くであろう、たしかな
 生活のかたちを見ることができれば、それは有意義な小さな観光になるのではないでし
 ょうか。
・観光という言葉から私たちは、観光客にお金を落とさせる商売、というイメージを抱き
 ます。たしかに大きな観光の場合はとくにそういう面が強調されますが、同時にそれは、
 来る者と迎える者がともに、尊大にならず、卑下もせず、対等の関係でつきあえば、そ
 れまで知らなかった者どうしが知り合うことができる、人と人とが交流してたがいが学
 び合うことができる、素晴らしい機会にもなるのです。
・観光とは、風光を観ることの意。それも、人と自然がたがいにかかわりあいながらつく
 りだした景色を見る、という意味です。そのために、特別の仕掛けは要りません。名産
 品も、特産物も、なにもなくても、そこに嘘のない生活があればよいのです。たとえば、
 周囲の自然と折り合いをつけならがつつましく営む、日本人の生活の原点といえる里山
 の暮らし。そのひとつの現代的なかたちを、生きたミュージアムとして示すこと。そこ
 で見る風景は、そこにしかない、そこに行かなければ見ることができない、そこで同じ
 空気を吸い、同じ光を浴びながら見るからこそ意味がある風景なのです。
 
拡大しないで持続する
・ヨーロッパでは、長いこと豚を食べて暮らしてきました。中世のヨーロッパ大陸のほと
 んどは深い森で覆われていました。森の一部を切り拓いて住みはじめた人びとは、春に
 なると豚の子どもを家のまわりの森に放ちます。子豚は草の芽や、木の実、森の中の小
 動物などを食べて成長し、秋の終わりにはドングリを腹いっぱい食べて丸々と太ります。
・豚を食べていたのはスペインだけでなく、フランスでも、イタリアでも、イギリスでも、
 もちろんドイツでも、近代にいたるまで欧州に住む人は豚のおかげで生き延びてきたの
 です。
・ところが、経済活動が活発になるにつれ、森はさらに切り拓かれ、人びとの居住範囲は
 しだいに広くなっていきます。人口が増えて町が大きくなり、交流が盛んになって道路
 ができ、建物の建設や炊事や暖房など毎日の生活に使われる木の需要も増大します。そ
 れとともに、森の境界線はどんどん後退していきました。
・近代の到来とともにいち早く産業革命を成し遂げたイギリスは、ヨーロッパでもっとも
 早く豚肉から牛肉へと食べる肉を替えた国です。森が消え町ができ、そのまわりに広い
 野原が広がるようになると、森で豚が飼えなくなり、そのかわりにできた野原で牛を飼
 うようになるわけです。 
・ヨーロッパ大陸にいまも広がる見渡す限りのなだらかな草原は、原生林を伐り尽くした
 あとの姿です。彼らはその過ちに気づいたからこそ環境保護の意識が高いのですが、森
 を伐り尽くしていく過程では、豚が飼えなくなったので冬の寒さを耐えるために必要な
 保存食の量が不足し、寒い冬には餓死者が増えた、という記録も残っています。
・つまり、森に囲まれて静かな生活を送っていた中世ヨーロッパの民は、生活の規模を拡
 大するとともに周囲の森を失い、森で飼っていた豚も飼えなくなって、自分たちの首を
 絞めていくのです。が、その中で餓死もせず生き残った勝ち組は、ますます生活範囲を
 拡大し、近代の果実を享受するようになっていきます。
・里山は、人が手入れをして生きる山です。人が暮らす里にもっとも近い山は、山菜やキ
 ノコを採りに入ったり、焚き木や落ち葉を拾いに入ったり、動物を撃ちに入ったり、ま
 た木を伐り出して利用したりと、さまざまなかたちで里の住民に利用されてきました。
 山のほうも、絶えず人の手が入ることによって整備され、森は生き生きとした姿を保ち
 ます。いわば里山と村びとは、たがいに利用し、利用される、もちつもたれつの関係で
 生きてきたのです。
・人間の生活を際限なく拡大していけば、私たちが里山の森から受ける恩恵を失うことに
 なるのは目に見えています。人と自然には、おたがいにもっと妥当な領分というものが
 あるのです。日々の営みの中で、その折り合いがうまくつく境界線を手探りで見つけな
 がら暮らすこと。里山の暮らしは、人と自然とのつきあいかたを教えてくれます。
・里山では昔から多様で豊かな農業生産が展開されてきました。斜面が多く面積が狭い、
 それぞれに条件の異なる畑では、ひとつの作物をまとめてたくさん生産することができ
 ません。少量生産だと、作物によっては出荷して流通にのせることができるものもある
 でしょうが、自家用に消費する程度の量しかできないものも少なくありません。その意
 味で里山の農業は、商品としての生産というより、生活に必要なものをつくる、という
 色彩が濃くなります。現代の生活では完全な自給自足は無理ですが、昔はほとんど歩い
 ていける範囲の中で生活に必要な食べものをつくることができ、余ったものを外に売る、
 というような農業が可能だったと思います。
・多品種の作物を少量ずつ生産するやりかたは、農産物をブランド化して全国展開する戦
 略には向きません。
・単一品種の大量生産。ブランドの周知を目指すには、たしかに適当な方法かもしれませ
 ん。が、このやりかたは、里山の暮らしの知恵が生んだリスクヘッジの工夫と比較する
 と、いかにも危険です。そもそも単一品種の大量生産というのは、植民地の農業のやり
 かたです。
・単一の作物を大面積の農地で栽培すれば、効率化した大量生産によりコスダウンは実現
 するかもしれませんが、農業の場合はある種危険な賭けでもあります。病害虫の発生や
 天候不順による収量の激減があった場合など、単一作物ではそのひとつがダメになった
 ら、全滅です。
・自然災害だけでなく、近年は私たちの身の回りで、国際情勢の変化が影響を及ぼしてき
 ます。農産物の国際価格の変動や、外国産品の流入による競争の激化など、なにが起こ
 るかわかりません。そのときにモノカルチャー的な農業をやっていると、ブランド産地
 は壊滅の危機に瀕します。セイフガードを発令して国産品を守るという対策も、自由化
 機運の世界ではだんだん通用しなくなるでしょう。
・植民地の場合は、どこかのプランテーションが全滅したら、そのまま放置しればよいの
 です。放置されたあとがどうなっても、本国の支配者は関知しません。また別の場所に、
 新しいプランテーションをつくればよいのですから。しかし、それで生活している者は
 たまったものではありません。日本の農業は、ある意味ではみずからを植民地化する
 ような政策を採用してきたといえるでしょう。
・日本全体の需給構造を見れば大規模営農という組織的な系統流通は欠かせないものであ
 るとしても、そのために中山間地の農地が放棄されてよいわけではありません。むしろ、
 これからの時代は、里山で営む小さな農業、いろいろなものを少しずつあちこちでつく
 り、山と緑の恵みを享受しながら自然とうまく折り合いをつけて営む暮らしの農業が、
 注目を浴びていると思います。
・自然がたくさんあったときは、私たちはその自浄能力に頼って生きていくことができま
 した。が、さまざまなことが明らかになったいまでは、少なくとも自然に囲まれて生き
 る里山の暮らしでは、自分たちの生活が周囲の環境に与える影響をまったく意識しない
 わけにはいきません。
・森と人との境界線を探り、周囲の自然と折り合いをつけながら暮らすための知恵が示し
 ているように、持続するためには拡大してはいけないのです。
・農業は、食べるものをつくる仕事です。土地を持っている人は、それを売れば多額の所
 得を得られますが、その所得は一時的なものに過ぎません。しかし、その土地で作物を
 作れば、お金は入らなくても食べるものは手に入るのです。しかも、毎年。
・農地を大規模化して効率よく収益を上げるといのは、少数のスタッフが大型農業機械を
 駆使する、工業的な経営が目指すものです。大量生産がコストダウンにつながるという
 のは産業革命以来の工業的な論理で、拡大を目指すのは工業でクルマやクルマの部品を
 つくるのと同じように農作物をつくろうと考える人たちです。一般に、拡大は工業的な
 意思であり、持続は農業的な感覚だと私は思います。
・私は、企業活動の目的も、本来は、持続すること、存続することにあるにではないかと
 考えています。が、現実には、とくにそのつもりがなくても、それは必然的に拡大する
 方向に向かいます。企業活動は、そもそも拡大のモーメントを内包しているのです。
・利益を求めるのは企業の属性であり、働く者がより豊かな生活を実現するためにより多
 くの収入を望むのは当然ですが、資本の論理、工業社会の論理では、ある時点から、
 持続するためには拡大しなければならなくなるのではないでしょうか。
・しかし、拡大がいずれ破滅につながるのは、里山の森が人に教えてくれたことです。農
 業的な価値観にもとづく里山ビジネスでは、できるだけ拡大しないで持続することが大
 切です。

グローバル化は怖くない
・こんなふうに世界中の経済があまりにもこんがらがってしまい、ちょっとしたことで本
 来関係のない自分たちの生活が脅かされるようないまの状態から、なんとか抜け出す方
 法はないだろうか。世界がどうなっても、自分たちだけは地に足をつけて、安心して静
 かに暮らすわけにはいかないだろうか。
・たしかに、インターネットの世界が瞬時につながる時代です。人を隔てる垣根がなくな
 り、私たちの行動半径や情報交換が一挙に拡大したのは素晴らしいことですが、でも、
 これほど一連托生になってしまうのはちょっと行き過ぎたと思っている人も少なくない
 でしょう。
・自分たちの生活を支えているものが、どこから来たのかわからない。どこでできて、誰
 の手によって、どんなふうに運ばれてきたのかもわからない。着るものも、使うものも、
 もちろん食べるものも、みんなそうなってしまいました。わからなくなったので、原産
 地を表示してみたり、原材料を書き連ねてみたり、少しでも安心できるような制度を考
 え出してみたものの、表示されている情報だって本当かどうか疑わしい。
・拡大しない持続する。持続しながら生活の質を上げる。どんなにグローバル化が進展し
 ても、それに影響されることのない生活を確立する。そんな暮らしが実現できたら、ど
 んなに素晴らしいことでしょう。
・企業規模が拡大しない里山ビジネスでは、上に立つ経営者もラクではありません。トッ
 プも部下といっしょに、いつまで経っても同じように働かなければならないのです。ピ
 ンハネもできなければ搾取もできない。全員が対等な労働者です。いや、職人、といっ
 たほうがいいかもしれない。 
・もっとラクに稼げたらいいなあ、と、思うことはきっと何でもあるでしょうが、少なく
 とも人の上前をはねたり、他人のフンドシで相撲をとろうとは思わない。カネを稼ぐた
 めにやっている仕事でも、カネを稼ぐことだけを目的とは考えず、その過程である仕事
 の作業そのものによろこびを見出すのです。そういうタイプの人は、マネーゲームとは
 無縁でしょう。
・こういう仕事観、あるいは金銭観は、日本ではむしろ伝統的なものであったといってい
 いと思います。むしろ最近の、子供の頃から金融の知識や投資の意義を教えるような風
 潮おほうが、私たちが受け継いできたDNAには馴染まないのではないでしょうか。
・手仕事でさまざまのものをつくりながら日々を実直に暮らし、汗を流さずに金銭を稼ぐ
 ことを潔しとせず、ともに生きる人や自然をつねに思いやる。里山の暮らしの知恵は、
 日本人の心の中に連綿として受け継がれてきました。
・ヨーロッパの王室には、日本の皇室ほどストイックな規範をみずから課しているところ
 はありません。武士階級も、質素と倹約を旨としています。農民や職人は、もったいな
 い、ありがたいといいながら律儀に暮らしてきました。カネを儲けるのが目的の商人で
 さえ、商いを続けるためには信用が大事と、他人に憎まれるような無理な商売は慎んだ
 ものです。
・いまは逆に情報と流通の異常な発達によって世界が著しく狭くなってしまい、たがいの
 一挙手一投足が瞬時に影響し合う、まるで世界中がひとつの小さな村になったような時
 代であるだけに、むしろ現代の私たちこそ、たがいが穏便に暮らす方法を昔の日本人か
 ら学ばなければいけないのではないでしょうか。
・拡大する経済は、かならず衝突し、争いを生みます。それでも強者の拡大する経済を弱
 者が(望まないにせよ)吸収する余地があった二十世紀まではまだしも、かつて弱者だ
 った国々が立ち上がってその経済を急速に拡大しはじめると、資源も環境も、これ以上
 は持続できそうもないことが明らかになってきています。グローバル化は、国境を越え
 たマネと資源お分捕り合戦。まっとうに暮らしている私たちが、そのとばっちりを受け
 るなどまっぴらご免です。  
・一見単なる繰り返しと思える日常の仕事に中には毎日新しい発見があり、絶えず向上を
 求める毎日の精進の中にはつねに新鮮な感動があるからです。仕事さえしていれば幸せ
 なのです。自分が職人でありたいと願う人間にとっては、自分が直接手を下してものを
 つくるということが、自分に与えられた使命であり、自分が情熱を傾ける対象であり、
 なにものにも代え難い大きなよろこびを与えてくれる時間なのです。
・その種の人間は、労働を義務ではなく、権利と捉えているはずです。仕事は自分以外の
 誰かに命じられておこなう義務ではなく、自分から進んで求める権利である。人間は死
 ぬまで働く権利があり、誰もその権利を奪うことはできない。どんな仕事に従事するに
 せよ、働くことをそう捉えることができたら、私たちは市議地を通じて自己を実現する
 ことができ、最後まで充実した人生を送ることができるのではないでしょうか。
・私自身が、複数の仕事を同時にやることで、ひとつのことしかやらない場合よりはるか
 に多くの発想のヒントを得たり、短時間に集中力を発揮できたりする経験を持っている
 ので、若い人たちにもいろいろなことをやってもらいたいのです。
・人が多ければその分人件費がかさみますが、人がある程度いなければ収益をあげること
 もできません。千人の人間が働く企業では、仕事をマニュアル化して組織的に処理しな
 ければ全体がまとまりません。かといって十人しかスタッフがいなければ、いくら少数
 精鋭でもできる仕事は限られます。  
・手づくりの世界では、そのほうが自然です。自分が興味をもてる仕事を、興味と集中力
 が続く範囲でやる。それ以上は疲れるし、やっても惰性になるからいいものはできない。  
 無理をすればたくさんつくれないことはないが、そこまでしてカネを稼ぎたいとは思わ
 ない。  
・いまでは、インターネットがあります。小さい小さい、たったひとりでやっているよう
 な事業所でも、ホームページをつくれば世界中の人が見てくれます。いや、見てくれる
 かどうかはわからないが、見てくれる可能性はある。そこが本当に優れたものをつくっ
 ていれば、本当に面白いことをやっていれば、かならず誰かがそれを発見して、発見の
 輪がまたたくまに広がります。   
・お客さんは、最初は情報だけを頼りにやってきます。やってきて、そこではじめてリア
 ルな現実に遭遇するのです。そのとき遭遇した現実が与えられた情報を裏切るものだっ
 たら、お客さんの落胆ははげしいでしょう。きっと、もう二度と来てくれません。通信
 販売でものを買う場合でも、実際に取り寄せて満足できない人が多かったら、その商品
 の寿命は長くないでしょう。知られなければ存在しない。知られてダメなら致命傷。こ
 れが情報化時代の教訓です。
・広大なる田野を讃えよ、されど狭き田野を耕せよ。これは、広大な畑を持つ者は褒めた
 たえてその怒りを買うことを避け、自分は狭い畑をつつましく耕して自分自身の心の幸
 福と安心とを守るべきであるという、小さな農家の心得を説いたものだそうです。
・大企業や投資ファンドやIT長者を批判したり攻撃したりしないで、敬して遠ざけて争
 わず、正面から衝突しないように注意しながら、自分の小さなビジネスを守る、ちょっ
 と情けない処世訓のような気もしますが、ニッチ産業の心得として読めば納得できます。
 大きな農業も大きな流通も、大きな観光も大きな会社も、日本が世界の中で生きていく
 ためには必要なものです。攻撃はしません。頑張ってください。
・でも、世界がどんなにグローバル化して、小さいものを大きいものが、大きいものをよ
 り大きなものが呑み込むような弱肉強食の格差社会になっても、そんな大勢ににはまっ
 たく関係なく、額に汗して毎日コツコツと働き、働くことそのものによろこびを見出し、
 仕事が終わったら風呂に入っておおいい湯だと唸り、ワインの一杯も飲みながら愉快な
 食卓を囲んでお笑いをする。会社は大きくならなくても、収入がそれほど増えなくても、
 自分に嘘をつかずに生きていける、そんなたしかな生活の拠点を私はつくりたいのです。
 そうすれば、たとえ大きな国の経済が破綻しても、小さな王国の暮らしは永遠に続きま
 す。