散歩写真のすすめ :樋口聡

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本屋さんでこの本のタイトルを目にして、思わず本を手に取ってしまった。まさに自分が
日頃、趣味の一つとして楽しいでいることだったからである。
散歩や散策にはいろいろは効用があると思っている。肉体的な健康にもいいし、気分転換
になり心の健康にもいい。しかし、ただ散歩や散策するだけではだんだん飽きがくる。
これがカメラを片手に行なうだけで、その楽しさがぜんぜん違ってくる。散歩途中で見つ
けた花々にカメラを向けたり、思わず見入った風景にカメラを向けたりしていると、日常
の嫌なことも忘れられる。
写真にコメントを添えて残していけば写真日記にもなり、自分の思い出作りになる。知ら
ず知らずのうちに、自分誌が出来あがっていく。これも楽しみにひとつになる。

はじめに
・世はスローライフの時代。何もかもかっちりきっかりしていなくてもいい。写真もはっ
 きりくっきりしていなくてもいい。何を撮るのか明確にしすぎなくてもいい。いわんや
 何かを犠牲にして写真を撮るなんてありえない。ゆったりした生活のかたわらにカメラ
 があって、その人の時間が豊かになるとしたら、素晴らしいではないか。
 
散歩写真とは
・散歩して写真を撮る、ただそれだけのことで何を大げさに、と思われるかもしれない。
 しかし、散歩という世界は深く、写真という世界もまた、それはそれで奥深い。深い世
 界と深い世界がひとつになって、深くないはずがないし、楽しくないはずがない。それ
 が散歩写真のスタートラインである。
・散歩ができる人は幸いだ。本心からそう思う。散歩する人には少なくとも、余裕がある。
 そして行動力と好奇心が備わっている。
・散歩とは、気の向くまま歩きながら、見たり聞いたり考えたりするひととき。のんびり
 しているように見えるかもしれないが、身体はある種の運動に勤しみ、頭脳はある種の
 思索に興じている。活動的でありながら、知的な行為でもあったのだ。
・散歩写真とはつまり、プロが仕事として携わるような写真の撮り方とは少し違う。きっ
 ちりかっきり作り込んだ写真ではない。それほどじっくり作り込んで撮るものでもない
 らしい。日常の光景を深く洞察し、そこに愛着を見出し、切り取りたい衝動を感じる者
 が散歩写真家となるのである。そして散歩写真家とは、愛着のある日常の光景をコレク
 ションする人である。
・カメラは日常化している、その日常化したカメラで日常を撮るのが、散歩写真の第一歩
 である。何気ない散策の何気ない一枚、そんな写真が無理なく撮れるようになることが
 目標である。散歩が非日常でないように、写真が非日常でないような日々が、散歩写真
 にとってあるべき姿である。
・散歩に出かける。散歩に目的はない。人によっては暇つぶしかもしれないし、運動不足
 の解消であるのかもしれない。写真医よって散歩を、散歩によって写真を、より深める
 ことができれば、日常を芸術的空間とすることも不可能ではないのである。
・人は対象の中に自こと響き合うものを感じだとき、シャッターを押すものだ。つまり切
 り取った光景というのは自分が選び取ったものにほかならない。自分で選び取ったもの、
 自分が肯定したものは、自分をも肯定してくれるはずである。
・立ち止まっては花々に目をやり、光の美しさに心打たれるというライフスタイルが、せ
 っかちな現代人にひとときの清涼をもたらすのである。
・散歩写真を撮る。自分が見てきたこのコレクションさえていく。それは自分史をつく
 るという行為にほかならない。言い換えれば「自分誌」でもある。
 
入門篇
・デジタル一眼レフとコンパクトデジタルカメラの違いは速写性ではないかと思う。コン
 パクトデジタルカメラの場合、シャッターを押してから実際にシャッターが切れるまで
 1秒程度のタイムラグがあるが普通だ。
・土曜、日曜の午後、電車に乗って少し遠くまで散歩に出かけ、ある街を自由に歩き回る。
・風景コレクション、建築散歩、文学散歩、博物館巡り、ギャラリー巡り、スタンプラリ
 ーなどなど、ユニークな、あるいはポピュラーなテーマを持って行なう散歩。自分のテ
 ーマを持つべく日々精進してもいいが、今ある興味・関心を連続させて散歩写真に持ち
 込んでみてはどうか。
・今いる場所のことを何も知らないなんて、なんとつまらない日常なのだろう。
・私はどんな風景写真でも、通行人が写っていて初めて風景となると思うし、その逆に人
 物写真も風景のないスタジオなどで撮ったポートレートでは味気ないと思っている。
・ひとくちに写真日記と行っても幅広い。しかし、そこから浮き彫りになるのは、自分が
 そのとき何を見て興味を惹かれたかであり、どういう心持ちであったかということであ
 る。
・散歩して、写真を撮る。そこに一文を添えよう。たとえ何かひとつ、出会った動物、出
 来事、ユニークな人物を詳細に描写してみよう。どこで何を食べたのか。それはいくら
 で、美味しかったか。どんな味だったかというものでもいい。
・散歩写真は自分のために撮る写真である。つまり、撮り方がわからないときに巨匠の写
 真を模倣するのは構わないが、何も写真集や雑誌、絵葉書の通りに撮る必要はまったく
 ないのである。そのような写真が完成型だと思わなくてもいい。
・散歩写真では、自分に好評な写真を撮ることがゴールである。自分が見ていて楽しい、
 嬉しい、癒される写真を撮るのであって、人がどう思うかを基準にあれこれ考えてとる
 のではない。

散歩写真日記
・俳句を詠むように撮ってみよう。
・シャッターを押す。それは白紙のノートを前にしたときの心境と同じである。まずは何
 かお題を貰わないと取りかかるのにもひと苦労である。
・充実の地元のそぞろ歩きにカメラを同伴し、気の向くままにカメラを向ける。今ここで
 撮ったものが一年後にまだあるとは限らない。そう思うと、日常と身辺は撮るに値する
 光景に違いない。
・初めてカメラを手にした人があちらこちらのあれこれを撮りたくるように。そういった
 時期を過ぎて、自残なまなざしで日常の身辺を記録できるようになれば、それがいちば
 ん自然なのであろう。
・だからいつもどこでもカメラを持って、撮るという行為に馴染もう。日常化したカメラ
 は自分がいつも来ているもの見ているように撮るはずである。