老後に本当はいくら必要か  :津田倫男

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老後のために、いったいいくらぐらいお金の蓄えがあったらいいのだろうか。だれもが持
つ疑問であり心配事である。備えはたくさんあればあるほどいいのだろうが、だれもがた
くさんの蓄えを持てる社会ではない。それに、老後に必要な蓄えは、ひとそれぞれ異なる。
生活レベルのあまり高くない人は、それほど多くの蓄えがなくても済むかもしれない。し
かし、生活レベルの高い人は、それ相応の多くの蓄えが必要となるだろう。
生活レベルは、一度高くすると下げることはなかなか難しい。現役時代に収入が多くレベ
ルの高い生活を送っている人は、老後に収入が無くなったからと言って、簡単には生活レ
ベルは、なかなか下げられないだろう。生活レベルを下げるには相当の苦痛が伴う。
それに問題なのは、年金制度が破綻しないで続くかどうかである。大金持ちを除き、年金
がなくても老後を暮らしていける人は、少ないのではと思う。あてにならないと言いなが
らも、一番あてにせざるを得ないのが年金というのが現実ではないだろうか。
さらに、お金の問題と同時に老後に必要なのは「生きる気力」を失わないことである。い
くら老後の蓄えがあっても、「生きる気力」を失ってしまっては、どうにもならない。
「生きる気力」、つまり「生きがい」は、趣味だけの毎日からは生まれてこないというの
が、筆者の主張である。自分のためだけの人生ではなく他者のため、自分の身を捨ててで
も、誰かのために尽くしたいという気持ちが「生きる気力」となるという。

老後資金に最低必要額はあるのか?
・定年退職者には三つの心配があると言われる。
 @生き方の問題:毎日をどう過ごすか
 A夫婦の問題 :配偶者との関係を見直すべきか否か
 B経済の問題 :老後をどう食いつないでいくか
・少子高齢化の進む日本社会では、北欧に似て、高齢者に対する生活保障が今以上に進む
 可能性が高いと思われるからだ。と、すれば現在は、高齢者に対する生活保護や医療保
 障・保険の制度が手厚くないからといって、将来のことはそれほど心配することはない
 かもしれない。
・ならば、老後にいくらあれば安心して生活ができるのだろう。大変な難問である。わず
 か2000万円程度の蓄えでは全然たりないとも言えるし、1億円あっても安心できな
 いと言うことも可能だ。となれば、ほとんどのサラリーマンは老後に大いなる不安を抱
 くことだろう。

高利回りの運用はもうやめよう!
・経済指標を細かく、あるいは巨視的に追いかけていても経済危機、金融危機の勃発を正
 確に予言することなど、この世の誰にもできないと言ってよいだろう。素人投資家とし
 ては、「経済リスク」は不可避であると知るべきである。
・経済という得体の知れない怪物の動きを予測し、先回りしようとすることは時間の浪費
 かもしれない。
・個人が、デイトレーダーとして外国為替相場で勝負しようとしても、長期的に勝つのは
 大変難しい。知的余興として楽しむことはあっても、生活の糧として財産を賭けるのは
 私は反対だ。
・為替でリスクを取ろうとする場合は、金利(債券)や株でリスクを取るよりも大きな損
 を覚悟する必要がある。
・注意しなければならない金融商品への指針
 ・プロの投資家が口をすっぱくして熱心に進める商品は買わない。
 ・自分でロジックを理解できない商品は避ける。
 ・誰もが先を争って買う商品は見向きもしない。
 ・得をしたという人の話は参考にしない、損をした人の話を聞く。
・0.01%の定期預金も、元金が減る可能性が低いという点では悪くない。しかし、今
 後、起きるかもしれない銀行倒産を視野に入れると、元本保証される一行1000万円
 までに留めておいたほうがよさそうだ。
・国債は原本保証、低利回りの代表的商品だが、日本の財政が破綻する可能性を考慮する
 とややリスキーだ。

カネの計算で一生を終えるつもりですか?
・ともかく、いざ惨事に当たって嘆いてみても仕方がない。最善を尽くして生き残りを図
 るしかないのだ。ならば、その惨事を心配して、毎日を過ごすのは果たして正しい生き
 方だろうか。
・この世には、邪悪な意図で人々の幸せを踏みにじろうとする人々や集団が残念ながら存
 在する。そうした勢力が伸長しようとする姿勢を見せた場合には俄然として立ち向かう
 必要があるが、起こるかもしれない事件や現れるかもしれない悪人に毎日怯えて暮らす
 のはナンセンスだ。
・あなたが男なら、そして家計の主たる収入をもたらす人であるならば、子供たちが学校
 を卒業して、就職するまでの経済的負担が耐える蓄財をすることに、とりあえず専念し
 たらどうだろう。
・蓄財の余裕がない、まだ、住宅ローンが残っている、という場合には、子供たちが卒業
 するまでの学資さえ確保できれば何とかなるだろう。
・あなたが先に逝った倍、残された妻や夫はあと何年生きるかを考えても、どうせ正確な
 予測は無理だ。ならば、5年ほど他の収入がなくても生きていける資金を確保すること
 を考えたらどうだろう。年間1人で暮らすための最低生活費が200万円だとすれば、
 5年分で1000万円である。
・老夫婦の最低生活費が年400万円なら、10年生きるとして4000万円。けっして
 すくなくはないが、年金収入が1人当たり大雑把にいって、年200万円あるなら、2
 人で年間400万円。収支がチャラになる計算だ。
・要は30年先のことを心配せず、当面10年、15年の算段をせよ、ということである。
・肉体的には要介護、要入院といった状況にならないよう、日頃から気をつけるというこ
 とになる。そのためには暴飲暴食を慎むことはもちろん、適度な運動や他人との交際が
 不可欠となろう。人に会わずに家に閉じこもっていると、精神面でも脆さが増してしま
 う。
・老年の適度な運動には、歩行が最適だ。少し速いペースで毎日、30分歩くというだけ
 でかなり効果的な健康法となる。
・精神を安定させるには次の3つのポイントがある。
 ・孤独にならないこと
 ・自分の感情を客観視すること
 ・弱気にならない。楽天的でいつづけること
・孤独感を紛らわせるために人と群れている、そのためだけに他人と一緒にいるというケ
 ースが存外多いのではないだろうか。しかし、本当の孤独感は他人といても癒されるこ
 とがない。孤独には自分で立ち向かわなければならないのだ。
・ひとつのお薦めは、読書である。生身の人間と接していても孤独感を感じるなら、ヴァ
 ーチャルな世界で連帯を求めるという方法もある。音楽、映画、演劇を楽しむこと、ス
 ポーツ、ボランティア活動にいそしむことなども孤独の解決法である。人と無理をして
 話さなくても、音、映像、舞台の上で繰り広げられる世界に身を浸すことで癒される孤
 独もある。スポーツは、見ても実際に行なっても癒しの効果がある。
・喜怒哀楽の感情のうち、喜びと楽しむはいくらあってもかまわないようだが、過剰にそ
 れに浸りこむと反動が怖い。山高ければ谷深し。神仏でもなければ、常に心をポジティ
 ブな状態に保っておくことは難しい。無理をしてそれをやろうとすると必ずその反動で
 ネガティブな感情に襲われる。何事もほどほどに、喜びも悲しみも怒りも憂いも楽しみ
 も、適度に味わってそれを手放すことが大切なようだ。
・そして最も大切なことは、弱気にならない、精神的に落ち込まないということだ。一般
 的に精神状態は、体調ときわめて高い相関関係にある。病は気から、とも言う。体が元
 気であるうちは、たいていの弱気の虫は撃退できる。そのためには体調維持には、若い
 頃に増して気を使う必要がある。
 
大金持ち以外は不都合な現実だらけ
・かつて大手証券会社による「損失補填」という悪弊があった。その本質は大金持ち優遇
 ということである。大金持ちとは個人とは限らない。法人や団体(宗教団体、労働組合
 など)も大金持ちの範疇に入る。
・大金持ち優遇には、二つの側面がある。第一に、小金持ちや貧乏人に対するのと違い、
 大きく設けさせようにすることだ。大金持ちに対しては、取引が失敗して損をさせた時
 は、必ずその損の埋め合わせをするということである。
 第二の優遇点は、小金持ちや貧乏人の場合とは違い、彼ら(大金持ち)にしか流さない
 情報(すなわち、旨い話)があるということだ。おいしい情報は、小金持ちにはけっし
 て入って来ない。
・アナリスト氏たちは大金持ちにばかり情報を流すのではない。大金持ちにリスクを負わ
 せることができない自分もそのおこぼれに与って儲けることができないから、ただそう
 いった理由だけで大金持ちに「特別」は情報を渡すのだ。
・大金持ちには三つの種類がある。
 ・成金
 ・起業フループとその閨閥
 ・支配層
・大金持ちが個人的にケチであるというのと同様に、大金持ち法人の駆られも非常にケチ
 で独善的である。企業の社会的責任が云々されるが、彼らにとっては企業グループの維
 持、成長が最優先課題であり、社会的責任云々も自らが糾弾されないための「おためご
 かし」に過ぎない。
・一般大衆から見た大金持ち企業の姿は、自己利益を優先する、鼻持ちならない姿にほか
 ならない。
・こうした大金持ち企業は、ベンチャー企業の買収には興味はあっても支援には無関心、
 あるいは敵対的な態度を取ることが多い。ベンチャーは買うか、潰すか、どちらかとい
 うことだ。
・自分たちにとって脅威となる商品やサービスを提供する小さな企業が現れると、それが
 ベンチャーと呼ばれるのか中小企業なのかは関係なく、取り込む(資本的にも支配する)
 か、無関心を装って市場から締め出す(倒産させる)といった行動を取ることが多い
・大金持ち企業は、メーカーだけに留まらない。大銀行、大手証券会社、老舗保険会社な
 どもこの範疇に入る。日本の大企業は、ベンチャーや中小企業が生活圏としている小さ
 な隙間市場にも、これでもかこれでもかと入り込んでくる。
・そうした大金持ち企業が一般投資家や小金持ちに与える影響を考えると、「彼らのため
 に市場が歪められる、投資機会が限られてしまう」という問題が発生する。
・大金持ち個人及び企業に得をさせるために証券会社や銀行や保険会社などは、特殊な市
 場をつくり出した。
・こうした特殊市場には、一見さんお断り的な参入障壁が張り巡らされており、一般投資
 家や小金持ちは容易に参加させてもらえない。それでも個人として投資、金融市場に参
 加したいと思われるなら、ハンディ覚悟で臨まれる必要がある。
・薬が貰えず寿命を縮める高齢者がいる。収入が乏しく餓死も覚悟する生活保護者家庭が
 ある、といった状況を放置して、不要なミサイルや潜水艦を外国から買ったり、誰のた
 めに使われるかわからないODAを増額するといった選択はありえないはずだ。
・もしそうした極端が貧富の差を正当化する理論があれば、それこそ究極の勝ち組、負け
 組論争であろうし、そうした主張をする人々は、恐怖と暴力に支配はれる独裁(戦前の
 日本やドイツはそうだと言われている。現在でもそうした状況にある国は多いだろう)
 や大混乱後の生き残りを意図するような組織のメンバーではないかと疑われても仕方が
 ない。
・米国に限らず、欧州の製薬会社も、それぞれの国の政治家や政治団体に巨額の寄付をし
 ていることはよく知られている(日本も例外ではないと思う)。彼らにちって、薬は手
 に入りづらく、高ければ高いほどよい。薬が効くか、効かないかは彼らにとって実はど
 うでもいいのだ。要は、政府がそう宣伝し、大衆が効くと思って高額の薬を買うという
 状況を維持、拡大することが大切なのである。薬が安く手に入り、治療も必要なだけ受
 けられるという制度は、国民には利益があるが、製薬会社や大病院にとっては必ずしも
 そうではない。
・悪い変化は、富の集中と、権力の集中が、リーマンショックを経て、皮肉なことにます
 ます強まっていることだ。欧米を中心に多くの証券会社、銀行が倒れ、現在でも倒れつ
 つある中で、一部の金融機関グループだけはその力を増している。そして、世間が驚く
 ような横暴を続けている。
・政治のリーダーシップ不在でここまで悪化した日本のポジションに、憤りを感じている
 若者は多い、と想像する。彼らは、従来の若者(つまり、現在の30代以上)と違って、
 エスダブリッシュメントには批判的だと推測される。生活満足度調査、生きがい調査な
 どで肯定的な数値が低いのは、彼らが「諦め」に支配されているからではない。不満と
 改善への強い欲求を秘めた層なのだ。そう考えないと、政治かも企業人も痛い目に遭う
 だろう。

定年後を心配しないでよい七つの理由:現実論
・自営業者の場合には、公的年金は一階部分(国民年金)しかないので、残念ながらわず
 かだ(年間約75万円)。夫婦で約150万円。しかし、自営業者の場合には生涯現役
 を貫くこともできるので、サラリーマンよりも細く長く生きてゆくことが可能だ。
・サラリーマンの場合は、年金の二階部分(厚生年金)、大企業の場合には各企業が独自
 に実施している三階部分(企業年金)も充実しているので、金額は自営業者よりも多い
 (国民年金に上積みで年間約20万円。夫婦で約40万円。
・食費については外食を減らす、「中食」にシフトする、自炊する、自家菜園で野菜や果
 物を手に入れるなどがあるが、下手をすると外食よりもコストがかかってしまう場合が
 ある。
・交通費の削減には、車の乗り合いを行なうことも合理的だ。移動といえば、自家用車よ
 りも公共交通機関、あるいは自転車が経費削減には有効だ。究極のエコカーは徒歩、あ
 るいは自転車だ。歩けるところはなるべく歩いてゆく、自転車で往復可能なところは自
 転車を優先的に使う、といった工夫で交通費はかなり浮かせることができる。
・光熱費ならば、不要な電気、電灯は消す、冷蔵庫以外の電化製品のコンセントをこまめ
 に抜くといった作業で、そうとう電気代を浮かせることができる。テレビを見ないとい
 うのも節約の定番だ。
・図書費は図書館を利用することで相当節約が可能だ。最近では少し待てば新刊本も図書
 館から借りることができる。
・定年前は誰にも頼るべき組織があった。会社であれ、役所であれ、団体であれ、それが
 定年で一挙になくなると誰しも寂しくなる。それが、用もないのに会社に顔を出す、会
 社の側をうろついてかつての部下や同僚を探して飯を食う、といった行動に現れるのな
 ら不幸だが、いつまでもこうしたことをしているわけにはいかない。
・ひとりとは、孤独とは、実は楽しいことなのだ。とはいっても、いつも孤独だと寂しさ
 を通り越してウツになってしまう。要はバランスの問題だ。ひとりで時間を過ごす、孤
 独に耐えてむしろそれを楽しむ、ということを繰り返しているうちにそれが日常になう
 ということだ。
・自分だけ突出するのは恥ずかしい、人と違いことはしたくない、仲間はずれにされない
 ように自分の好悪、テイストをかくして大勢に合わせる。こうした無意味、無駄なこと
 がもう不要になるのである。高齢者、熟年は他人の思惑に囚われず、好きなことをした
 らよいのだ。仮にその結果、太く短い人生になろうとも、子どもが巣立って、配偶者の
 生活にもある程度目処がつけば、後は人生を豊かにするも貧しくするもあなた次第であ
 る。
・自分の生活を他人(配偶者も含まれる)任せにしない、自分のことは自分でする、困っ
 たことがあっても人を責めない。こうした態度や言動が高齢者には不可欠だということ
 である。これがないと精神的にも自立しない。これで肉体的にも要介護、要看護の状態
 にあれば、生活の質は甚だしく低下する。仮に体が少し不自由でも個人として立って生
 きていく。こうした毅然とした、凛とした姿勢が、あなたの長い老後を支えるのである。
・自分の生活は政府、行政、家族、子供、親戚、知人、友人に頼らず自分で守る。こうし
 た意識そのものが個人の確立であり、長生きの秘訣でもある。
・財産の相当部分を損をしてもよい、という覚悟がなければ、いたずらに参入すべき世界
 ではない。為替、金利、信用(株など)、デリバはプロの世界に属する。こうした領域
 で勝負をするのはそれなりの資力と知力、経験が必要だ。リーリスク・ローリターン投
 資家にはあまり相応しくない世界だ。
・若者はそれ以外の世代から援助を早急に必要としている。自分たち(現在の高齢者)は
 生き延びてきたということは、彼ら(若者)より優れている、タフだということを必ず
 しく意味しない。時代がそもそも違うのだ。
・今の若者は、バブルを経験していない。何をしても当たった、上手くいった、という経
 験を一度もしていないのである。生きてきてあまり楽しいことはなかった、と感じてい
 る若者を、たるんでいると叱る前に、高齢者、熟年に何ができるかをよく考えてみるべ
 きときに立ち至っていると私は考える。
・会社を定年退職すると、早速年金生活に入るというのは昔話になった。60歳で定年し
 ても63歳ぐらいまでは嘱託社員として、現役時代の給与の半分とか6割程度で通常の
 勤務を続ける人が増えている。年金も65歳あたりまでは貰えない。
・もう一つの選択肢は、定年後、起業家になることだ。起業家というと大げさな感じだが、
 個人事業者になると言い換えてもよい。会社は作っても作らなくてもよいのだ。会社組
 織にしておくと有利な点はいくらもある。得た収入から、自分の分として給与を取ると
 それが経費として落とせるとか、交際費として500万円まで無税で使えるとか、いろ
 いろだ。
・一人起業や小人数起業は、続けることはかなり難しいが、スタートすること自体はそれ
 ほど難しいことではない。
・多くの中高年起業家は、サラリーマン時代とは環境も対人関係も変わって、実際には企
 業に挫折することが多い。思わぬ出費と想像外の収入不足で倒れるのだ。安易に起業を
 してはならない、という戒めを流布するのもこうした現実を皆が知っているからだ。な
 らば、充分に準備して臨めばよいということになろう。要は、定年退職してからも「収
 入を確保する」算段をしていれば、老後が楽になるということだ。仮に年金収入が月万
 円あり、夫婦二人月額生活費の最低限が12万円ならば、差額の2万円を手にする方法
 を考えればよい。
・会社を作るもよし、個人事業者となるのもよし(手続きは不要、税務申告だけ。給与所
 得者が白色で行なうのを熱の青色の用紙で、するだけでよい)、ただ仕事をするだけで
 もよい。
・こうした老後の収入に関しては、できれば若者やあまり触れ合うことのなかった人々と
 の接触を伴うようなものがよいかもしれない。老化はきわめて精神的なものである。学
 校の先生が歳を取らないように見えるのは、常に児童や若い学生と接しており、精神的
 に若々しいからという説もある。
・老人クラブに閉じこもらず、若者、外国人、異性と積極的に関わり、サラリーマン時代
 の仕事とは毛色の変わった仕事についてみるのもよいだろう。人生の充実の意味すると
 ころは、さまざまな経験をすることも含まれる。第二の人生が第一の人生のなぞり絵で
 あるより、まったく違ったキャンパスに使ったことのない絵具で何かを描くのも面白か
 ろう。
 
定年後を心配しないでよい七つの理由:精神論
・死のうと思えば、いつでも死ねる。ならば、それを腹に据えて、できうる限り生きる努
 力をすればよい。その結果、矢尽き、刀折れても、それは「負け」を意味しない。負け
 ることがないのなら、どんなにみっともなくても生きていればよい。それが潔いと思わ
 なければ、自分の自然死を早める、と決めればよいだけのことだ。
・こんな机上の計算をして老後の貴重な時間を無駄にするより、死ぬべきときは死ぬと割
 り切って、それまでいかに楽しく生きるか工夫することのほうがずっと生産的、効果的
 なように思える。
・生きている以上、常に問題は発生する。それをあたかも存在しないように振る舞うのは
 正しいとは言えないが、その問題で必要以上に悩んだり、大騒ぎをする必要はない。老
 後の資金や、まさかの出費もそうした類のことだと私は思う。
・人生の黄金期である熟年時代、老後をさまざまなことを気に病んで沈んで過ごすよりも、
 あっけらかんと気楽に過ごすほうが、より多くの果実を得られるように思う。
・だれも楽なことばかりではなかった幼年、少年、青年、中年、壮年時代を経て、老年、
 熟年がまたまた辛いことばかり経験するのでは、人生に意味を見つけるのが難しくなる。
 老人は人生の先輩だからどんなわがままも許される、ということにはならないが、「楽
 しく生きる」権利が充分に与えられていると考えて、思い悩むことをやめてみてはどう
 だろう。そのほうが、残りの人生をよりよく生きることができるに違いない。
 
熟年が果たすべき責務とその方法
・老人が元気なのはよい。肉体年齢だけでなく、精神年齢も若い熟年や中高年がリードす
 る日本は、21世紀の新たなビジメスモデルを定時しているといっても差し支えないか
 もしれない。
・しかし、問題もある。男女を問わず高齢者がわがまま放題に振る舞い、他の世代に迷惑
 をかけるという現状もあるのだ。年金制度に限らず、社会保険制度、医療保険制度は歳
 を取れば取るほど有利になるように作られている。これは裏を返せば、若ければ若いほ
 ど損をするということになる。公共の場での高齢者のマナーも悪い、禁煙のスペースで
 平然とタバコの煙を吹かしている人間の多くは老人だ。彼らは他人の注意に耳を貸さな
 いことも多い。
・高齢者であることを特別な権利であるかのように錯覚して、傍若無人の振る舞いに及ぶ
 老人には正直、腹が立つ。特に列に割り込む、自由席の電車・バスや展示場などで、荷
 物で友人や自分の席を我先に確保する、禁煙の場所で平然と喫煙する老人たちには、我
 慢がならない。
・ハッキリ言って、高齢者・熟年と若者の経済的利害は対立する。年金を巡る論争にもそ
 れは如実に現れる。若者は、自分たちが老齢になってもとうてい貰えそうにもない年金
 の掛け金を払うのを拒否する。真面目に社会保険料を支払っている、あるいは給与から
 天引きされている若者も、現状をよしとしているわけではけっしてない。
・若者たちは、これから何十年にわかって支払う保険料の累積額だけでも戻ってくるとよ
 いと願いつつ、本当のところはその7割や5割しか戻って来なくても仕方がないと、半
 ば諦めている。一方で高齢になればなるほど、取り返している年金額は大きい。現在、
 75歳を超えている高齢者は支払額の3倍ほどが戻ってくると言われている。
・「自分たちは苦労してきた」「老人を敬うのは当たり前」「世代間で扶養・被扶養を義
 務付ける現行制度に問題なし、やや少なくなるかもしれがいが、若者も高齢者になれば
 年金を受け取れるからよいはず」などという高齢者の主張に若者は納得しているわけで
 はない。若者の年金不払いという実態は、すでに世代間戦争が起こっていることの現れ
 と見たほうがいいのではないか。
・不況で世の中が世知辛くなっているこんな時こそ、倹約が見直され、無用の用に人々の
 思いが及ぶ。本当の優しさとは、物に対しても人に対しても発揮される。老人の持つ
 「優しさ」や「労りの心」には、世代を超えて訴えかけるものがある。余生が短いから
 こそ、自分だけでなく次世代、次々世代のことを思いやることができる、またそうであ
 らねばならないだろう。とすれば、老人は自分が生きてきた過去の栄光にすがることこ
 となく、現在、未来を見据えた生き方を積極的にすべきではないだろうか。
・定年退職してから起業するというと、年寄りの冷や水と揶揄されるかもしれない。しか
 し、熟年起業には大きな意味がある。熟年の権利でも義務でもあるノウハウや技術お伝
 授もその一つだし、若者に働く場所を与えるというものもそれだ。
・健康を維持、増進する方法はたくさんある。節食、節飲、禁煙、無理ない運動の組み合
 せがよいだろう。
・一番、経済的で体に負担もないのが散歩や早歩き、つまりウォーキングであることは言
 うをまたない。
・若手が居つかない、常に不満を感じている会社には共通項がある。老人支配、組織の閉
 塞感、不要ないばり、いじめの存在、相互不信などである。歳が上だというだけで、経
 営者がわけもなく権力を振りかざす会社の寿命は短い。同様に中堅幹部が、上にへつら
 い、下に厳しく当たる会社も若手社員に愛想を尽かされる。

熟年の生き方を問い直す
・熟年ボランティアの問題が、このところ指摘されている。その一つは、会社時代のもの
 の考え方や行動様式を、思わずボランティア活動に持ち込んでしまうことである。会社
 で部長だった、幹部社員だったという自負や経験で、企業とはまったく異なる視点、指
 針で動いているボランティア組織を破壊してしまうのである。
・家庭菜園や熟年農業も、要注意だ。やるなと言っているわけではない。運動にもなるし、
 エコでもある。何といっても自分の食べるものを自分で育てるという醍醐味がある。し
 かし、安易に始めると退屈するだけでなく、環境も家庭も壊してしまうかもしれない。
 老後に菜園や田畑を巡って老夫婦が言い合いをする、諍いを起こすというのは美しくな
 い。
・人間は単調なことを繰り返していると退屈し、頭脳に活動が低下する。ボランティアや
 家庭菜園が退屈きわまりない仕事だというともりは毛頭ない。本人がそう感じてしまっ
 たら、終わりだと言いたいだけなのである。
・体を適度に動かしていることで、精神活動も活発になる。無駄な想念なのかもしれない
 が、こうした無駄を楽しむゆとりも持ちたいものだ。少しきついくらいに運動すると、
 体と心が分離するような気分に襲われる。頭が命じなくても体が自然に動くような感じ
 がそれに相当する。このとき、心と体がシンクロしており悩みや想いを塞ぎこんでいる
 心がやや解放される。うつの状態に心があるときは、何もしたくない。運動なんか嫌だ
 しと思いがちだが、買い物に出かける、少し外に出るといった些細な行動で気分が転換
 することがある。
・子供が成人しても経済的にずっと親に頼っているという状況は、やむを得ないことだろ
 うか。かくいう私も過去、現在、高齢の親に頼っていることがないとは言えない。いつ
 まで経っても子供は可愛いから、孫はさらにいとおしいから、そうした出費には目をつ
 ぶるべきだという考え方もたしかにある。問題はそれが常態化して、自分たちの経済的
 援助なくしては子どもや孫の生計が成り立たなくなってしまうことだ。
 どこかで線を引く。これ以上は出せないよと、子どもや孫に言うことが必要になるので
 はないだろうか。途中であれこれ言ってお互いに不幸になるのなら、いっそのこと最初
 から援助しないと決めてしまうのも手もある。
・老後の自分たちのためではなく、案ずる対象とはいえ、夫婦以外のためにそれほどお金
 を捻出する必要がそもそもあるのだろうか。成人した子供の贅沢のために自分の全財産
 を使い果たしてしまうような生き方は、子供にとっても(あるいは孫にとっても)、自
 分たちにとっても好ましくないと思われる。
・老後にいくら必要か
 @ゼロ
  ・63歳で完全定年し、年金生活に入るが、まだ年金は向こう2年間は支給されない
   ということが普通の未来図だろう。そして、その2年間を凌ぐために何らかの仕事
   に就くことができるということを想定している。
  ・もし病気で倒れた、年金制度が破綻して、70歳にならないと年金支給されないと
   いうような状態に陥れば、蓄えがゼロでも生きてゆけるとは言いがたくなる。それ
   でも子供や友人がいれば彼らから何がしかの援助は受けられるだろう。
 A2億円
  ・おおむね年率2%ほどの利子・配当収入が得られるという少し楽観的な条件が満た
   されれば、ということだ。
  ・2億円の蓄えがあれば、これが年間400万円の果実を生む。年1%でしか回せな
   ければ年200万円ということになるが、まあ400万円の利子・配当収入があれ
   ば、夫婦2人の老後の生活を賄うにはまず充分だろう。問題はそれだけ多くの預貯
   金が通常の家庭にはないことだ。ならばどうする。
  ・63歳までに2億円貯めようとは、言うつもりはない。なければないでよいのであ
   る。5000万円でも蓄えがあれば、それが生み出す果実は100万円となり、不
   足分の300万円はおの蓄えを取り崩すなり、定年後の仕事を探すなりして補えば
   よい。さらに念万円の生活資金を切り詰めて、350万円にするとか、支出を削る
   方法もある。
 B800万円
  ・二つの前提がある。まず、夫婦2人の生活費が年間400万円以内に収められると
   いうこと。それから65歳から年金が受け取れるという条件である。
  ・これならば63歳から65歳までの収入ゼロの2年間を生き延びることができる。
   その後の年金収入が年400万円を下回るのであれば(実はその可能性は大だが)
   ローンや子供、友人からの援助が必要となろう。
  ・この2年間の間にいくらかでも収入があれば、蓄えはもっと少なくとも大丈夫だろ
   うし、生活をうまく切り詰めれば800万円の預貯金を増やすこともできる。
  ・800万円というのは実は大金なので、それまで預貯金の残高を増やすのは大変だ。
   しかし、退職員という朗報がある。したがって、蓄えというのは退職時点での退職
   金を含めた預貯金の残高であると考えればよい。
・老後の年金の額だが、国民年金の1階部分だけの自営業者は、夫だけなら年額約75万
 円、夫婦なら約150万円。国民年金の1階部分と厚生年金の2階部分の合計が貰える
 サラリーマンで、夫だけで約95万円、夫婦なら約190万円。3階部分に相当する企
 業年金が加わる大企業や中堅企業にお勤めだと、これにやく230万円が上乗せされ、
 夫だけで約325万円、夫婦で約420万円となるだろう。
・実際の支給額がこれを下回ることも予想されるが、企業年金が貰える方は年金支給額の
 範囲内に生活を切り詰めることができれば、預貯金はゼロでもかまわないということに
 なる。
・企業年金がない方は少し苦しいが、年金支給額と家計の支出額の差額の5倍程度、確保
 しておけば当面は大丈夫なはずだ。
・こうした金銭的な問題よりもさらに重要なことがある。それは「生きる気力」を失わな
 いことである。高齢者が生きがいを持って余生を送る方法は山のようにある。その中か
 ら経済的なことだけを心配して生きるという非生産的な生き方を選んで欲しくない。そ
 のためには、自分で勉強して、賢くなることも必要だ。ただ、理解できないことを無理
 に自分に強いる必要はない。「自分の理解できないものには投資しない」という哲学だ
 である。  

あとがき
・老後に何をするのであれ、狷介孤独に気難しい人生を送るのはちょっともったいないよ
 うに思います。老人の知恵と若者の意欲を合体させれば、事業に限らず、さまざまなこ
 とを成し遂げることが可能でしょう。
・前後の65年間は世代分離、老荘青少の隔離が大々的に行われたと言っても過言ではな
 いでしょう。核家族化により、孫はおじいちゃん、おばあちゃんと触れ合う機会が減り、
 都市集中で老人、青年、幼年は時間的にのみならず、空間的にも引き離されました。
・すでに人口減少が始まった日本は、世界的な少子高齢化のモデル社会と内外から見られ
 ています。多数の老人を少ない壮年、青少年、幼年が養う、といった従来型の社会モデ
 ルでは、到底成り立たない状況に立ち至っています。
・これからは、老人が社会のお荷物ではなく、逆に積極的に社会をリードするグループと
 して機能しはじめることが重要だと考えます。「積極的」といっても自戒しないと「で
 しゃばり」「霍乱者」になってしまいます。一歩控えて、しかし、全体の方向性を誤ら
 せないように動くという賢さが必要とされます。
・多くの文明、文化では、老人の知恵が社会の安全弁となってきました。しかし、資本主
 義社会が究極まで発展を遂げ、投機的金融資本主義になってきますと、社会的弱者であ
 る老人や知恵のある老人は退けられ、強者、金持ち、若者たちが暴走するようになって
 きました。
・社会に今ほど本当の知恵が必要とされている時期はありません。現在の「一人勝ち」の
 状況が進むと、良識ある少数派はほとんど虐げられてゆきます。カスは増えても生命力
 で劣る老人は、いつの世も少数派ですから、高齢者にとって住みにくい時代となること
 は間違いありません。
・こうした流れに逆らい、高齢者が若者・青少年や中年と共生し、共栄できる社会を作る
 必要があると私は考えます。そのためには高齢者、熟年の意識改革が欠かせません。若
 者や中年を第三者的に批判するだけでなく、積極的に主導、教導する意気込みがなけれ
 ばなりません。しかし、老人独裁となっては本末転倒です。
・独りよがりにならず、次の世代、さらにその次の世代から慕われ、頼りにされる熟年と
 なるためには、まず心の安定が必要です。その心の安定のためには、生きがいとわずか
 ばかりの蓄えは欠かせません。
・自分のためだけではない人生を想定すると、新たな地平線が見えてくるように思います。
 そのために他者は、配偶者であっても孫であっても後輩であっても誰でもよいのです。
 現在、自分の身を捨ててでも誰かに尽くしたいという相手に恵まれていない場合は、そ
 れこそ老後に探し始めてもよいのではないでしょうか。
・熟年から人生を生き直す。あるいは第二の人生を静かに着実にスタートするための心構
 えとして、「余計な経済事情は心配しない、社会と積極的にかかわる、新たな人間関係
 を築く」が指針になるのではないでしょうか。