終わった人 :内館牧子

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この小説は、岩手県盛岡市出身のかつては超エリートと目された男が迎えた定年後をテー
マにしたものだ。著者も秋田県出身であり、東北については詳しい。盛岡市にある名門の
進学校(おそらく盛岡第一高等学校を想定)を出て現役で東京大学法学部に進んだ主人公
の男性が、大学卒業後も国内トップのメガバンクに就職し、順調なエリートコースの階段
を駆け上るが、役員ポストを目前にして突然小さな子会社に左遷させられる。それでもそ
の子会社でいろいろ業績を上げ、親会社への復帰を目指して頑張るが、その願いはかなわ
ず、小さな子会社に在籍のまま定年を迎える。
いままで仕事オンリーの人生を送ってきた主人公は、定年後の人生をいかに生きたらいい
のか右往左往する。現役時代に完全燃焼しきれなかった主人公は、あるきっかけで、幸運
にもベンチャー企業の相談役の職を得、さらにはこれまた幸運にも社長の座を引き受ける
ことになるが、人生幸運なことはそんなに続かない。社長を引き受けた会社が倒産に追い
込まれ、結局多額の借金を抱えてしまうというストーリーだ。
失意のまま故郷の同窓会に出席して主人公が気づいたことは、若い頃に超エリートだった
人も、そうでなかった人も、結局、人生の終盤はそれほど大差がないということだった。

人生、散り際が肝心だ。「散る桜残る桜も散る桜」という言葉もあるように、人生、散り
際が肝心だ。しかし、世の中には、現役時代に燃え足りない人々が少なくないのも事実だ。
もうひと花を咲かせてやろうと、定年後に無理をして何か始めてみても、もはや現役時代
のようにはいかないのが現実だ。飛行機がいつまでも飛び続けることができないように、
どんなに優秀な人でも必ず地上に着陸しなければならない時期がくる。そのとき、いかに
ソフトランディングがでるかどうかだ。いつまでも飛び続けようと無理をすれば、途中で
燃料切れや故障に見舞われ、ハードランディングを余儀なくされる。
それに、地上に着陸したらそれで人生はお仕舞とはならない。さらに意外と長い地上での
生活が待っている。この地上での生活のための余力も残しておかなければ、後悔を残すこ
とになる。

要は、いつかは必ず地上に着陸しなければならないことをしっかりと認識して、余力があ
るうちにソフトランディングすることだ。そして、残った機能や力、好奇心を大切に使い、
充実した余生をおくる。無理をしてあがくより、上手に枯れることではないだろうか。

第一章
・定年って生前葬だな。明日からどうするのだろう。何をして一日をつぶす、いや、過ご
 すのだろう。「定年後は思いきり好きなことができる」だのと、きいた風な口を叩く輩
 は少なくない。だが、負け惜しみとしか思えない。それが自分を鼓舞する痛い言葉にし
 か聞こえないことに、ヤツらは気づきもしないのだ」
・元気でしっかりしてるうちに、人生が終わった人間として華やかに送られ、別れを告げ
 る。生前葬だ。
・人間の価値は散り際で決まる。「散り際千金」だ。部下や若いヤツらというものは、去
 っていく人間の一挙手一投足を注視し、小さな表情の変化までをとらえようとするもの
 だ。そして後で必ず、「無理して笑っていたね」だの「やっぱり、淋しいんだと思うよ」
 だのと噂しあう。俺もやったからよくわかる。自分たちだって、定年の日はすぐにやっ
 てくるというのにだ。そう、「散る桜残る桜も散る桜」なのだ。
・俺のサラリーマン人生は、専務取締役で終わった。それも社員30人の子会社だ。キャ
 ッシュカードのコンピューター処理をする会社で。
・俺は岩手県盛岡市で生まれた。1949年、昭和24年だ。団塊と呼ばれる世代で、常
 に競争して生きてきた。今のように、子供の尊厳だの人権だのに気配りする社会ではな
 かった。個人情報など垂れ流しで、成績は名前と共に廊下に貼り出され、「勝ち」と
 「負け」が明確にされた。それが当たり前だった。
・俺は高校受験の頃から見栄っ張りだった。見てろ、絶対に南部高校に受かってやる。岩
 手県立南部高校は盛岡市にある名門中の名門で、昔の旧制南部中学だ。東北地方でも屈
 指の進学校である。創立以来、南部藩精神を継ぐような著名な軍人、政治家を数多く輩
 出する一方、日本を代表する学者や文学者、文化人をも数多く世に送り出していた。
・南部高校を卒業した後、現役で東京大学法学部に入った。あれほど人数が多い時代に、
 最難関の現役突破だ。これは見栄や強気ばかりでできることではなく、俺はもともと優
 秀な人間だったのだと思う。東大を出た後、国内トップのメガバンク万邦銀行に就職し
 た。
・両親は俺が自慢だっただろう。親父も旧制南部中学から東北帝国大学を経て、岩手の大
 学教授であったが、酒が入ると、「倅は俺を越えた」と誇らしげに言っていたらしい。
・定年退職の最後の日、社員から花束と記念品らしき小箱を手渡された。「専務、いつで
 も会社に遊びにいらして下さい」「みんな待っていますから」俺はほんのりと笑いなが
 ら礼を言った。むろん、本気にして遊びに来たりしたら、迷惑がられるのは先刻承知。
 真に受けて訪問してくるバカOBには、俺もほとほと閉口したものだ。
・万邦銀行に入った昭和47年、大卒男子は200人だった。誰もが一流大学卒の、選び
 抜かれた男という誇りを匂わせていた。 
・「普通のクラス」から南部高、東大法、万銀という実績が、俺に揺るぎない自信を与え
 てきた。その気になればどんなことだってできる。
・万邦銀行では、日本橋支店に配属された。万銀では「トップ3」とされる支店がある。
 日本橋支店、新橋支店、そして人形町支店だ。このトップ3の支店長は役員だ。そして、
 三支店の中でもトップは日本橋支店なのだ。あのエリート同期200人の中で、トップ
 3に配属されたのは、合計10人。
・俺は日本橋支店で窓口業務や事務などの内勤ばかりを半年ほどやり、その後、営業に配
 属になった。おそらくどのメガバンクも似たりよったりだと思うが、万銀の場合は入行
 して3年で、まず給料に差をつけられる。そして6年目、選ばれた者に初めて役職がつ
 き、給料が大幅に上がる。椅子も変わる。俺はもちろん選ばれ、日本橋支店から大手町
 の本部に異動になった。選ばれた同期は71人、6年で早くも3分の1だ。その後、俺
 は本部を動くことなく、業務開発部で思い切り仕事ができた。 
・ポストは課長、次長と順調に上がり、部長、支店長への関門もクリア。最初の役付競争
 で71人になっていた同期は、この関門で20人に淘汰された。入行から16年で10
 分の1だ。そして、俺は39歳で、最年少の支店長に抜擢された。その後、本部の小さ
 な部の部長をつとめ、43歳で業務開発部長になった。
・企画部副部長についたのは、45歳の時だ。これでハッキリと役員が視野に入ってきた。
 本部の総務、人事、企画という管理部門の副部長は、役員につながるポジションだ。早
 い者は、48、9歳で役員になっている。 
・49歳のある日、俺は突然「たちばなシステム株式会社」へ出向を言われたのだ。人は
 驚きすぎると、頭の中が冷たくなるのだと知った。
・新役員にはライバルの西本がついた。むろん、西本本人の力量もあったにせよ。組織と
 いうところでは、本人の実力や貢献度、人格識見とは別の力学が働く。よくわかってい
 たことなのに、自分の身に起こるとは、やはり考えていなかった。
・こうして49歳の春、俺は「たちばなシステム株式会社」に、取締役総務部長として出
 向した。仕事は別に面白くなかったし、気持ちも腐ったが、1,2年後に本部に戻れる
 目は残っていた。何とか業績をあげ、戻ってやると腹を決めた。「普通のクラス」から
 「できるクラス」に行ってやるという思いだ。ところが、業績をあげるほどの仕事がな
 い。キャッシュカードを淡々と正確にコンピューター処理すればいいだけだ。親会社の
 たちばな銀行があるかぎり、仕事には困らない。競争だの競合だのには無縁の、おっと
 りというか無気力というか、そんな社風だった。
・俺はもっと黒字にし、もっと仕事を広げようと、職制改革や無駄の排除に取り組んだ。
 本部の目に留まることしか考えず、そうであるだけに必死だった。1年後、「たちばな
 システムは、田代が行って変わった」と本部の担当役員に言われたものの、まだ本部に
 呼び出される動きはなかった。
・2年後、51歳の時だ。「転籍」を言われた。これは、たちばな銀行を辞めて、たちば
 なシステムに籍を移せということだ。本部に呼び戻されようと頑張ったのだが、もはや
 本部は俺を必要としていなかった。人材ならいくらでもいるのだ。
・2年前に出向を言われた時のショックに比べれば、それはさほどのものではなかった。
 だが、「俺は終わった」という諦念というか、静かな衝撃に襲われていた。もはや、メ
 ガバンクの中枢に戻れる目はゼロになり、社員30人の雑居ビルの子会社で終わるのだ。   
 おお、俺は「終わった人」なのだと、またも頭の中が冷たくなった。
・たちばな銀行の場合、転籍前に出向先で取締役になると、63歳まで給料は下がらない。
 取締役総務部長で転籍する俺も、年俸で1300万円を保証される。こんな条件の再就
 職先がないことは、冷たくなった頭であっても、静かな衝撃の中であっても、判断でき
 た。俺は終わった。
・激しく熱く面白く仕事をしてきた者ほど、この脱力感と虚無感は深い。もはやサラリー
 マンとしては先に何もない。せいぜい、子会社の社長になるか専務になるかというとこ
 ろだ。これが65歳ならいいが、51歳で「終わった人」なのだ。
・俺は「普通のクラス」時代の15歳から人生を思った。社会的には「エリート」のど真
 ん中を歩き、光を浴び続けた。面白かった。だが、社会における全盛期は短い。一瞬だ。
 あの15歳からの努力や鍛錬は、社会でこんな最後を迎えるためのものだったのか。こ
 んな終わり方をするなら、南部高校も東大法学部も一流メガバンクも、別に必要なかっ
 た。
・人は将来を知り得ないから、努力ができる。一流大学に行こうが、どんなコースを歩も
 うが、人間の行きつくところに大差はない。しょせん、「残る桜も散る桜」なのだ。
・やっと諦めがついた時、俺は社内の改革に手をつけ始めた。その裏には、何とか俺がい
 た痕跡を残したいという本音があった。たかが社員30人の小さな会社でも、どこかに
 俺の名を刻みたい。定年退職すれば、いなかったに等しい人間になるのだから。
・あの時、政治家たちが「これは僕がやったこと」、「これは私が決めたこと」と必死に
 アピールする心理が理解できた。だが、結局、名なんて刻めないものだ。それはすぐに
 忘れられる。  
・自宅マンションが、木立ちの向こうに見えてきた。築40年たつが、都内でも評価の高
 いブランドマンションだ。もっとも、名義は田代千草。女房だ。千草は一人娘で、親か
 ら相続した。父親は弁護士だった。千草はミッション系のお嬢さん幼稚園から女子大ま
 でエスカレーターで進み、父親の弁護士事務所で、「行儀見習い」のような電話番をし
 ていた。その父親と俺の大学の恩師が親しく、見合いで結婚した。千草は24歳、俺は
 30歳だった。 
・ドアチャイムを押すと、4歳と2歳の孫が、「おめでとう!」と回らぬ口で叫び、飛び
 ついてきた。娘の道子の子たちだ。孫二人が、紙で作った金メダルを首から下げてくれ
 る。こういう出迎えは好きではないが、笑顔を作り。「みんな来てたのか。いやぁ、金
 メダルありがとう。ジージは金メダルか」と喜んでみせる。疲れる。
・リビングには尾頭付きの鯛やらローストビーフやら豪勢な料理が並び、ジャンパンやら
 ワイン、日本酒もふんだんに用意されている。
・寝室に入るなり、ベッドにへたり込んだ。ああ、こういう時は駅前のスーパーで刺身で
 も買って、テレビで野球を見ながら一人で酒を飲むほうがいい。本音だった。ああやっ
 て、みんなで「おめでとう」とことさら示されると、めでたくないから必死にハイにな
 ろうとしている感じがする。
・千草の母親は、「立派に家族を養い、尽くして下さってありがとうございました。一家
 の主として、家族を泣かすことも路頭に迷わせることもなく、みごとに守り抜いてくだ
 さったのは、どんな仕事より大きいことです。本当にありがとう。私は一人娘をあなた
 に嫁がせたことが、何よりの誇りです」と丁寧に頭を下げた。
・義母の言葉は正しい。どんな仕事より、家族を守り抜くことは難しく、最重要なことだ。
 それをきちんと評価してくれた義母に、俺の涙腺はゆるんだ。だが実は、俺を泣かせた
 本当の理由は、それではない。俺は家族を守っただけか・・・・という小物感だった。
 俺はとりたてて社会に影響を及ぼすこともなく、家族を守って生き、終わったのかとい
 う小物感。とはいえ、たとえ本部の役員になったとしても、頭取になったとしても、
 「散る桜残る桜も散る桜」なのだ。
・トシは、千草の母親の妹の息子で、今年で55歳になる。名の知れたイラストレーター
 だ。兄妹はみな一流大学に行き、堅い仕事についているが、トシだけは高卒後、10年
 間ニューヨークで暮らした。サラリーマンと違い、才能や特技で仕事をしている人間に
 は定年もなく、ましてトシのように有名なら、幾つになっても引く手あまただろうと思
 っていだのだ。トシはケロッとして言った。「どんな業界にも世代交替はあるよ」「定
 年もそうだけど、どんな仕事でも若いヤツらが取ってかわる。俺は「生涯現役」ってあ
 り得ないと思うし、それに向かって努力する気もまったくないね。あがくより、上手に
 枯れるほうがずっとカッコいい」
・「俳優でも作家でも映画監督でも芸術家でも何でも、世代交替と無縁でいられるヤツは
 天才よ。それと同列に並ぼうったって、努力でとうにかなるもんじゃない」 
・「これからは時間の流れ方が違ってきて、面白いよ。会社員時代と違う価値観で時間を
 見ればいい」
・会社には65歳まで居られたが、断った。もし居れば役職は外され、給料は6割近く下
 がる。責任もやりがいもないセクションに回される。若いヤツらが内心で邪魔にしてい
 ることを感じながら、しがみつく気はなかった。
・30年以上も共に暮らす他人がいる不思議を思った。まったく別の地で生まれ、何のつ
 ながりもなかった二人の人生が、ある時重なったのだ。考えてみれば、俺の妻にならな
 ければ、もっと別の人生もあっただろう。結局、俺は普通の男で終わり、そういう男と
 一緒になれば妻もそのレベルで終わる。もっとも華々しく、普通の人が経験できないよ
 うな暮らしを、夫によってはもたらしていただろう。そう思ったとき、妻へのいとおし
 さがこみあげてきた。
・千草は43歳の時に、何を思ったか突然、ヘアメイクの専門学校に行き始めた。そして
 国家試験をパスし、目黒の小さな美容室で働いている。
・「レンタカーで盛岡から八幡平でも安比でもいいし、世界遺産の平泉もいい。秋田の角
 館まで足を伸ばしてもいいよな」「時間ならいくらでもある」というのは、何だかみじ
 めだった。「俺は遠野や大迫で民話を聞いたり、早池峰神楽を見たりするのも面白いと
 思うんだ」千草は「そんなに休めないわ。一泊ぐらいならつきあうけど」と言った。
 「ほう、じゃ、いいよ。俺一人で行く」「友達と行けば?」
・そう言われて気がついた。俺には、一緒に温泉やドライブに行くような友達がいない。
 会社の者たちは「同僚」に過ぎず、学生時代の者たちとは疎遠だ。クラス会にも行った
 ことがない。 
・妻と残りの人生を楽しもうなんて、実に現実離れした夢だったと思い知らされていた。
・千草が帰って来るまで、時間をつぶすのが大変だった。丁寧に新聞を読み、テレビでワ
 イドショーを見た。聞いたこともない若い芸能人がくっついたの別れたのと、どうでも
 いい話をやっている。見分けがつかないほど同じ顔をしたアイドルグループが、短いス
 カートで歌い、踊っている。そのうち眠くなり、ソファでうたた寝をした。
・定年というのは、夫も妻も不幸にする。その夜、俺は一人で夕食をとった。スーパーで
 買ってきた刺身、出し巻き卵、筑前煮だ。これにぬるめの燗酒をやる。しみるようにう
 まい。テレビでニュースを見ながら、ゆっくり一人でとる夕食、悪くない。

第二章
・人にとって、何が不幸かと言って、やることがない日々だ。誰にでもできることでいい
 から、やることがたくさんあればどんなにいいか。中には「やることがないなんて最高
 だ。早くそうなりたい。やることに追われる日々から解放されたい」と言うヤツがいる。
 ヤツあそう言ってみたいのだ。その言葉の裏には、自分の今の日々が充実していて、面
 白くてたまらないということがある。本人もそれをわかっているから、言ってみたい。
・たったひとつ、わかっていないのは、そういう日々がすぐに終わるということだ。
 「残る桜も散る桜」だということだ。ヤツらはやることがなくなり、社会から必要とさ
 れなくなるなんて、想像もつかないのだ。俺もそうだった。そんな日々は確実に、すぐ
 にやって来るというのにだ。 
・この一カ月、生活は規則正しく律してきた。自分の芯は仕事だった。それがなくなった
 今、実は幾らでも好きに暮らせる。だが、休日に昼まで寝ていることも、陽の高いうち
 から酒を飲んでテレビのスポーツ中継を見ることも、絶対にやらなかった。それらは仕
 事という芯があればこそやって快感なのだ。芯がないのにそれをやると、気持ちが荒む。
・これほどやることがなくても、町の図書館には行かず、散歩もしない。図書館は老人の
 行くところであり、散歩も老人のやることだ。俺は自分の判断による「老人的なるもの」
 からは距離を置く。 
・俺には何の趣味もない。仕事が一番好きだった。ゴルフもつきあいでやったが、面白い
 と思ったことは一度もなく、今では行こうとも思わない。特に親しい友達もいない。仕
 事が面白くて、友達は必要なかった。これほどヒマな今でも、特に欲しいとは思わない。
 やることがなくなってみると、パソコンでもできる囲碁や将棋とか、競馬や競輪とか、
 なんでもいいからとにかく一人でできて、「時間のかかる趣味」を持っているべきだっ
 たと思う。ドライブや旅も特に好きではない。孫は会えば可愛いが、別に遊びたいとは
 思わない。仕事が一番好きだった。
・どこの女が、仕事もなけりゃ体力も収入もない老人と恋をしてくれるのだ。年を取って
 も恋の対象として見られる男なんて、そうそういるものか。相手がたとえ、ひき臼のご
 とき腰のオバサンだろうと、ナイナイづくしの、あるのは時間だけという老人に恋はし
 ない。第一、妻や娘が「恋をしろ」とけしかけること自体、もはやどうでもいいジイサ
 ンになっている証拠だ。妻や娘が嫉妬も危険も感じていないジイサンを、どこの女が相
 手にする。何が「恋は生きる活力」だ。
・定年退職から二カ月が過ぎ、とうとう歩数計を買った。もはや散歩でもしない限り、時
 間をつぶせない。歩数計を腰につけて自宅を出ると、急に老け込んだきがした。若い人
 はつけないものだ。真っ昼間、一人で洗足池あたりを歩く。ここは四季折々に美しい。
 都内でも有数の桜の名所であり、池の周囲は秋の紅葉もいい。
・散歩してみたものの、どうも楽しめない。時間に対する価値観を変え、人生の楽しみ方
 を考え直さないと、俺はまだ若いこれからの日々を無駄にすることになる。
・植木屋とか建具職人とか、特殊な技術を身につけている者は幸せだ。トコロテン式に定
 年退職させられることもなく、年齢と共に円熟の域に入ったりする。そして、技術と体
 力が確かなうちに続けられる。終わらない。
・俺は一流大学から一流企業こそがエリートコースだと思い、実際、そう生きてきた。だ
 が、人生、そういう生き方ばかりではなかったな・・・と、今頃になって気づく。
・サラリーマンは、人生のカードを他人に握られる。配属先も他人が決め、出世するのも
 しないのも、他人が決める。
・メディアでは、よく「団塊世代の企業」を取り上げている。それで成功している人たち
 の話も紹介されている。だが、性格に向き不向きがあるし、時代に合った能力もいる。
 運も必要だ。還暦を過ぎて、ゼロからスタートするエネルギーもいる。
・世の中では「人間、やろうと思った時が一番若い」だの、「やる気と希望をなくした人
 間を、老人と呼ぶ」だのと、大衆受けしそうな言葉を乱発するが、俺はまったく信じな
 い。 
・俺のこの後の人生に、何が残っているのだろう。何が起こるというのだろう。何も残っ
 ていないし、何も起こりはしない。確実に残っているのは葬式だけで、俺はすでに終わ
 った人なのだ。少しでも長く一人で歩きたいと、それだけを望む歳なのだ。

第三章
・オンリーワンは、人として大切なことだ。だが、社会ではよほど特殊な能力でもない限
 り、オンリーワンに意味を見てくれない。替えはいくらでもいるからだ。世間はその替
 えにすぐ慣れるからだ。とはいえ、ナンバーワンでさえ、替えは次々に出てくる。それ
 が社会の力というものなのだ。今になって気づかされる。
・「一人では生きられない」だの「生かされている」だの、それは正しい。だが、中高齢
 者の大好きな、これらの常套句には辟易する。「生涯現役」だと「元気をもらうだ」だ
 のが出ると、俺は恥ずかしくて、ひたすら下を向いた。
・盛岡市の茶畑という町には、巨大な石造りの羅漢像が十六体並んでいる原っぱがある。
 今は「らかん公園」と呼ばれているが整備過剰ではなく原っぱの面影が残っている。
 十六羅漢は、江戸時代の飢饉の際に作られたものだが、台風でも豪雪でもビクともしな
 い。何があってもどこ吹く風だ。高校時代、俺の強気は何ごとにも動じない姿に見えた
 のだろう。十六羅漢みたいなヤツと、いつの間にか「羅漢」と呼ばれるようになった。
・企業というところは、人をさんざん頑張らせ、さんざん持ち上げ、年をとると地に叩き
 つける。そうした末に「終わった人」が、どうやって誇りを持てばいいのだ。

第四章
・「人は死ぬまで誇りを持って生きられる道を見つけるべき」という言葉が離れない。オ
 バサンたちの好きな「私が私らしくいられる」というクサい言葉は、あながち間違って
 いないかもしれない。その人がその人らしく生きられる場があれば、それは誇りにつな
 がるだろう。
・ハローワークに出かけた。昔は「職業安定所」という名称で、略して「職安」と呼んで
 いたものだ。初めて入った「職安」には、50台はあろうかと思われるパソコンが並び、
 隣が見えないようにパーティションで囲われていた。向こうには相談コーナーが30席
 ほどあり、相談員と一対一で話ができる。ここもガッチリとパーティションで囲んであ
 る。昨今のプライバシー保護はすごい。入口の受付で、まず求職申込み書をもらう。マ
 ークシートだ。希望月収や免許・資格の有無、希望する仕事や就業形態など多くの項目
 を塗りつぶす。学歴欄もあるが、学校名は問われない。「経験した主な仕事」という項
 目は「できるだけ詳しく」とあり、手書きで記入する。
・人生は運や巡りあわせに左右される。東大を出たから将来が約束されるということは、
 まったくないのだ。人間が老いて行き着くところは、大差ない。行き着くまでのプロセ
 スで、いい思いをするか否かはあるが、そのカードも他人に握られているのだ。
・思えば退職以来、情けないほど揺れ、気を取り直してはまだ嘆き、再び心身を立て直し
 てはまた落ち込む、ということを繰り返してきた。仕事をしたいと焦るより、また、合
 わない仕事で合わない人に使われるより、腹を決めて楽しんで生きよう。今度こそ、そ
 う思った。  
・63歳まで働いてきたことも、立派な家庭を作ったことも、受験戦争に勝って手にした
 高学歴も、すべて「俺」なのだ。
・俺はエリートコースを歩き、ほとんどを本部で過ごしたため、言うなれば「手に職」は
 つかなかった。早々と出世ルートを外れた者が、結局は先を見据えて学び、資格を取り、
 人生を切り拓いたりする。わからないものだ。

第五章
・経済力と健康が許す範囲で、あるいは許す工夫をして、見飽きた老伴侶と別行動を取る
 ことは、結局は互いのためになるかもしれない。 

第六章
・いくつになっても恋だ、女だ、不倫だとやっている男もいるが、俺は今、断言できる。
 たとえ若いうちであっても、恋愛は手がすいた時に、ついでにやるものだ。

第七章
・「高血圧症と糖尿病がありました」。若い男性の心臓死には、やはり発病の背景が考え
 られまする。非常に多忙で睡眠時間が少なく、強いストレス、喫煙、高血圧、肥満、糖
 尿病などです。 
・「絶対に会社のために死ぬな。絶対に会社のために病気になるな」「会社のために死ん
 だり、患ったりしても、損をするだけだからな」
・今にして思えば、患ったり死んだりしないだけで幸運だった。会社は個人の献身に報い
 てくれるところではない。サラリーマンは身を粉にしても、辞めれば何も残らないのだ。
・俺の東大の同期に、最優秀の成績で官僚になった男がいた。将来を嘱望されていたが、
 病に倒れた。それが官庁の多忙やストレスなどのせいかどうかは、俺にはわからない。 
 だが闘病が長引き、彼は退職した。40代だったはずだ。妻の届けた辞表はあっさり受
 理され、それっきりだと聞いた。組織とは、そういうところなのだ。今の俺ならハッキ
 リと言える。
・俺は「穏やかな楽しい余生」が楽しまないタチなのだ。何よりも「余生」という言葉が
 おかしい。人に「余りの生」などあるわけがない。八十だろうが九十だろうが、患って
 いようが、生きている限り「生」あり、余りの生ではない。世間ではすぐに「人は生き
 ているのではなく、生かされている」とか言いたがるくせに、「余生」などと平気で言
 う。
・「私ね、サロンでお客様と接していて、気がついたの。最近の人はアンチエイジングに
 こだわりすぎね。みっともない」と妻は言った。
・国連が65歳以上を「高齢者」と定めたのは、半世紀以上も前だという。当時、日本人
 の平均寿命は65歳。今、男も女も90代まで元気な人はいくらでもいる。65歳から
 「高齢者」であるはずがない。
  
第八章
・定年の時、仕事ではまだ誰よりも能力があると確信していたし、このまま働きたかった。
 だが、雇用延長の場合、どんな仕事をさせられるのかわからない。どんな業界であれ、
 友人たちの大半は、それまでの地位やキャリアからは考えられないような、本人にして
 みれば「屈辱」とも言えるセクションに回された。そこで若い人たちの冷淡な目を感じ
 ながら、働くのだ。幾ばくかの給料をもらって。
・俺はそれを「仕事」とは言わない。それは、俺には「施し」であり、そこに身を置く気
 はない。だが、これが現実だった。だから仕事を諦めた。十分役に立つ能力があるのに
 だ。無理に諦めたから、成仏できず苦しんだ。
・夢を叶えるには運やツキもある。だけど何より才能がなければ、何十年やっても夢は叶
 わない。 
・年齢と共に、それまで当たり前に持っていたものが失われていく。世の常だ。親、伴侶、
 友人知人、仕事、体力、運動能力、記憶力、性欲、食欲、出世欲、そして男として女と
 してのアピール力・・・。
・男や女の魅力は年齢ではないというし、年齢にこだわる日本は成熟していないとも言う。
 だが、「男盛り」「女盛り」という言葉があるように、人間には盛りがある。それを過
 ぎれば、あとは当たり前に持っていたものが次々と失われていく。そんな年齢には、他
 世代へのアピール力はなかろう。とはいえ、そんな年齢に入ったと思いたくない。だか
 ら懸命に埋めようとする。まだまだ若いのだ。まだまだ盛りなのだ。まだまだ、まだま
 だ・・・・。60代は空腹なのだ。失ったものを取り戻し、腹に入れたい。
・これが「後期高齢者」とされる年代になれば、空腹は感じなくなるかもしれない。失っ
 たものの方が多く、喪失感と諦めの度合いは大きく、そうなった自分と折り合いをつけ
 て生きようと、腹をくくれるだろう。だが、60代は空腹が許せない。理不尽だ。まだ
 まだなのだ。まだまだ、まだまだ終わっていないのだ。
 
第九章
・世間では年齢に関係なく恋をせよと言うし、小説や映画では年齢に関係なく成就する。
 だが、社会は特別な空気感をまとわない九割にオヤジで構成されている。現実社会では、
 恋は極めて難しいことなのだ。俺も「中高年の恋なんて、小説の中だけだよ」と十分に
 気づいてはいた。恋愛などというものに、もう不毛なエネルギーを使うまい。二度と使
 わない。
・中高年という年代は、みじめになってはならない年代だ。みじめになることを、断じて
 避けるべき年代だ。今までさんざん、そういう思いをさせられて、ここまで年齢を重ね
 てきたのだ。
・回春のために恋をしようと頑張り、結果、みじめになっていては、回春どころか老化を
 加速させる。

第十章
・穏やかに枯れていけばいいものを、どうしても仕事がしたくて、どうしても第一線に返
 り咲きたくて、断ることなど考えもしなかった。十二分にやれる自信はあったし、事実
 やってきた。若い人間に任せ、俺は後ろにいるというスタイルもうまくいっていた。だ
 が、俺は「終わった人」として散り際をわきまえなかった。俺の負担金1億2千万は、
 その罰かもしれぬ。
・今、痛い目に遭って、思う。十代、二十代、三十代と、年代によって「なすにふさわし
 いこと」があるのだ。五十代、六十代、七十代と、あるのだ。形のあるものはすこしず
 つ変化し、やがて消え去る。それに抗うことを「前向き」だと捉えるのは、単純すぎる。
 「終わった人」の年代は、美しく衰えていく生き方を楽しみ、讃えるべきなのだ。今さ
 ら気づいたところで、俺の負担金1億2千万はどうにもならない。  
・俺は今、とことん悲惨な状況にあるのだ。その中で、「ああ、六十五でよかった」と思
 っている自分に気づいた。平均寿命まで生きても、あと十五年かそこらだ。そのくらい
 なら、たとえ社会的に葬られたところで、耐えられる。もしも、三十代や四十代なら、
 この先四十年も五十年も、棒に振ることになる。取り返しがつかない気にもなるだろう。
 先が短いということは、決して不幸とばかりは言えない。
・これから道が開ける年齢でないことに、俺は安堵を感じた。と同時に思った。人生にお
 いて、生きていて「終わる」という状況は、まさしく適齢でもたらされるのだと。定年
 が六十歳から六十五歳であるのも、実に絶妙のタイミングなのだ。定年という「生前葬」
 にはベストの年齢だ。あとわずか十五年もやりすごせば、本当に葬儀だ。
・先が短いという幸せは、どん底の人間をどれほど楽にしてくれることだろう。いや、そ
 の幸せはどん底の人間でなくても、六十過ぎにはすべて当てはまる。「先が短いのだか
 ら、好きなように生きよ」ということなのだ。 
・嫌いな人とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、何を
 言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きなように生きればい
 い。周囲から何か言われようが、長いことではないのだ。「どこ吹く風」だ。 
・これは先が短い特権であり、実に幸せなことではないか。俺は若いうちにひどい目に遭
 わなかったことを、つくづくありがたいと思った。

第十一章
・一般的に考えても、家庭での主導権は妻が持つ。妻も外で働き、夫も家事分担をしてい
 ても、多くの場合、家計の柱は夫だ。そうやって身を粉にして家族を養い、やっと「終
 わった人」として家にいるようになると、邪魔にされる。特に娘は母親とツーカーだ。
 父親がずっと家にいると「うざい」の「きもい」のと面と向かって言うと、よく雑誌に
 も出ている。
・男にとって、会社勤めと結婚は同じだ。会社では結果を出さない人間は意味がないとさ
 れ、追いやられる。家庭では年を取ると邪魔にされ、追いやられる。同じだ。結婚が男
 にとっていいものかどうか、俺にはわからない。いや、女にとってもだ。俺は次に生ま
 れてきたら、結婚しないかもしれない。

第十二章
・普通、会社は社員に対して、突然「終わった人」にはさせない。子会社に出向して、そ
 の後で子会社に移籍して・・・という風に、少しずつ「終わった人」への下降がはじま
 る。普通はそれで軟着陸する。
・何にでも終わりはある。早いか遅いかと、終わり方の良し悪しだけだ。いずれ命も終わ
 る。そうなればいいも悪いもない。世に名前を刻んだ偉人でもない限り、時間と共に
 「いなかった人」と同じになる。そう考えると、気楽なものだ。妻とは終わりにして、
 郷里で新しく生き直すのがいい。帰ったところで仕事もないが、元気は湧く。
・人生なんて、先々を前もっと考えて手を打っても、その通りには行かないものだ。
・世の多くの人は、平均寿命は生きるだろうと考えて、できる我慢はして、将来のために
 今を犠牲にして頑張る。でも、五十代でポックリ、六十代でポックリもある。人は「今
 やりたいことをやる」が正しいと身にしみた。  
 
あとがき
・定年を迎えた人たちの少なからずが、「思いっきり趣味に時間をかけ、旅行や孫と遊ぶ
 毎日が楽しみです。ワクワクします」などと力をこめる。むろん、この通りの人も多い
 だろうが、こんな毎日はすぐに飽きることを、本人たちはわかっているはずだ。だが、
 社会はもはや「第一線の人間」として数えてはくれない。ならば、趣味や孫との日々が
 どれほど楽しみか、声高に叫ぶことで、自分を支えるしかない。    
・若い頃に秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しよ
 うとしまいと、人間の着地点は大差ない。着地点に至るまでの人生は、学歴や資質や数
 々の運などにも影響され、格差や損得があるだろう。だが、社会的に「終わった人」に
 なると、同じである。横一列だ。着地点に至るまでの人生が恵まれていれば、かえって
 「横一列」を受け入れられない不幸もある。ならば、何のためにガリ勉し、あがき、上
 を目指したのか。もしも「最後は横一列」とわかっていたなら、果たしてそう生きたか。
・重要なのは品格のある衰退だと私は思います。衰え、弱くなることを受け止める品格を
 持つことで、良好な関係を結べる。品格のある衰退の先にどのような社会を描くか。こ
 れはアンチエイジング至上の現代日本において、また、若い者には負けないとする
 「終わった人」において、大きな示唆である。