大人はもっと遊びなさい   :成毛眞

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筆者は、以前、日本マイクロソフト社の社長を務めた人物である。45歳で9年間勤めた
日本マイクロソフト社の社長を突然辞めたのだが、その辞めた理由は、社長業が飽きたか
らだったらしい。その後は投資会社を設立するなど、実業家としての道を歩んでいるよう
だ。
筆者は、かなりの”読書家”であり、また”遊び人間”でもあるらしい。筆者に言わせると、
読書も”遊び”のうちのひとつであるという。人間は、とにかく遊ばなければならない、と
いうのが筆者の主張だ。人間は、遊びによって成長できる。遊べる人間ほど有能なのだ、
ということらしい。
面白く遊ぶには、それ相応の能力が必要だ。自由な発想ができなければ、面白く遊ぶこと
はできない。他人の真似をして遊んでも、面白いとは思えない。また、面白く遊ぶことに
よって、さらに自由な発想ができるようになる。そして、そのことが新しいアイデアにも
つながっていく。遊ぶことによって、頭が柔らかくなるのだ。効率性からは、突飛なアイ
デアは生まれない。無駄なことの中から、突飛なアイデアが生まれる。そう考えると、こ
の”遊び”というのは、閉塞状態の中にある日本にとって、一番必要とされることなのかも
しれない。
日本の社会は明治以降、欧米などの先進国に追いつくために、とにかく効率的である”均
質な社会”づくりを目指してきた。それによって、確かに日本は欧米先進国に追いつくこ
とができた。しかし、今は、その”均質な社会”が、大きな欠点となっている。”均質な社
会”からは、革新的なアイデアは生まれないからだ。
最近よく、”多様性のある社会”を目指すべき、と言葉を目にするが、”多様性のある社会”
にするためには、やはり、面白く遊べる人が増えることが必要だ。そういう観点から見
ると、この本の主張はとても共感できる。この本では、面白く遊ぶには、どうしたらい
いかについて具体的に書かれており、面白く遊ぶにはにはどうしたらいいのかと悩む人
にとって、とても参考になるのではないだろうか。私もこれからの人生は、面白く遊ぶ
ことに専念したい。

はじめに
・好きな遊びはいつ始めてもいつ止めても構わないし、誰にも迷惑をかけない。社運を賭
 けたプロジェクトなどとは違って、自由気ままに取り組めるのだ。完全に自分でコント
 ロールできるのが、遊びなのである。主体的に生きたければ、人間、ともかく遊ぶべき
 なのだ。
・しかも、仕事に真面目で勤勉な人ほど、いい加減に遊んだほうがいい。いい加減という
 言葉が適切でなければ、子どものように遊んだほうがいい。
・そうしていくうちに、実は仕事も、さほど真面目で勤勉である必要がないということに
 気がつくだろう。起きている時間すべてを仕事に注ぐような生き方は、しなくていいと
 いうことだ。そんな人生、はたして楽しいだろうか。だからといって、人生を賭けるよ
 うな遊びはしなくていい。
・成熟した日本社会の中で遊んでいる大人は、少ない。だから際立つ。際立とうとして際
 立つのではなく自然とそうなってしまうのである。
  
できる大人は、遊んでいる
・短い人生、そんなに働いてどうするの。
・働くことや勉強することは悪いとは言わないし、それらは豊かな人生を送るのに必要不
 可欠なことでもある。しかしそれにしても、人間、もっとほかにやることがあるのでは
 ないかと思う。それこそが遊びである。
・人は遊ぶために生まれてきた。だからこそ、人はいくつになっても遊びたいのである。
 平日も週末もしっかり遊んでいる人は、人間の本能に素直に生きているということにな
 る。 
・問題は、そうではない人だ。具体的に言えば、平日は仕事に追われ、週末は疲労回復に
 努めている、都市部で忙しく働いている人である。彼ら彼女らは、欲求にあらがって無
 理をしている。仕事をリタイアしたらツケを取り戻す勢いで遊ぼうと思っているかもし
 れないが、実際に定年退職し、仕事がなくなったときに呆然とする。
・仕事に夢中になっていた人が退職後、抜け殻のようになってしまうことは珍しくない。
 膨大な時間を手に入れて、何をしたらいいのかわからなくなってしまうのだ。
・仕事ばかりしていると、退職後に控えている、もしかすると退職前よりも長いかもしれ
 ない人生を、もてあましてしまうことになる。だから今から、退職後も続けられる遊び・
 趣味を見つけておいたほうがいい。
・これからの時代は、”遊んでいる人”の時代だ。時代に取り残されたくなければ、資格
 を取ったり勉強会に参加したりMBAに通ったりするのではなく、遊ぶことだ。
・余生という言葉がある。老後の人生のことを指す。今から遊んでおくことは、この余生
 を彩り豊かなものにする。中には、年齢的には若くても、もはやまるで余生を生きてい
 るような人もいる。こういった人たちは、おしんなべての見込みが早く、仕事がそこそ
 こできるタイプだ。仕事面で成長しきってしまっていて、これから良い方向へ変わる余
 地が残されていない。だから仕事のことが繰り返される使役のように感じられ、定年退
 職までの時間が、果てしなく憂鬱に感じられる。単なるルーティンワークに陥ってしま
 うのである。    
・一方で、仕事の飲み込みが今一つ遅い人は、いくつになっても必ずどこかしら成長して
 いる。昨日の自分より今日の自分のほうが成長していると思える。喜びのようなものを、
 日々、感じられるのだ。
・もし、今、若くして余生のような人生を過ごしているなら、それ以上老け込まないため
 に、成長の余地を自分に設ける必要がある。何によってかというと、遊びで、である。
 なぜなら、遊びならば上達が遅くても誰にも迷惑がかからないし、そもそも遅いほうが
 長く楽しめるからだ。すぐにある程度のところまで成長してしまうと、そこから先は、
 なかなか成長できないことに悶々としかねない。だからゆるゆると、ときにはサボりな
 がら、少しずつ上手くなったり、できることを増やしたりしていくのがいいのである。
・ここで頑張りすぎて効率よく、脇目を振らずに最短距離で高みを目指し、それを実現し
 てしまうようなら、それはまるで仕事である。
・遊びは誰かと競うべきものではない。ただ、知っておいたほうがいいことがある。それ
 は、飢えには上がいるということだ。   
・よく、趣味に割ける時間がないという人がいるが、その原因は明らかだ。仕事のし過ぎ
 なのである。もちろん、世の中には没頭すべき仕事が存在し、それに時間を惜しまず集
 中すべき人がいるのは確かだ。しかし、もうある程度、社内での自分の立ち位置がわか
 っていて、出世も昇進もあまり見込めないのなら、仕事はクビにならない程度に手を抜
 いたほうがいい。勤務時間中は一生懸命働き、就業時間になったらさっと切り上げる。
・高度成長期ならいざ知らず、仕事の全身全霊を捧げたところで、多くの人にとってリタ
 ーンはそれほど大きくない。ほどほどの仕事をして、ほどほどに生きるという選択肢に
 大いにあるはずだ。 
・地方でゆっくりとワーク・ライフ・バランスに重きを置いて生きるのも、都会で多忙を
 極めてワークにいそしみ、そこで得たお金を使ってライフを充実させるのも、どちらも
 いいなと思った。
・問題は、ワークにいそしんでも十分にライフを充実できない環境にある場合だ。特に、
 遊びのバリエーションが豊かな都市部で、その遊びに使う時間と経済力を持てない人は、
 せめて時間だけでも手に入れるという選択肢をしてもいいのではないか。
・もしも今の仕事に義務感、強制感を覚えている人がいるなら、遊びでもそうなってしまう
 のは避けなくてはならない。多くの人にとっての遊びは仕事ではないのである。一生懸
 命、遊んではならない。子どもの頃にしていたように、好き勝手に、いい加減に遊ぶに
 限る。

真面目に遊ぶな
・誰と競うでもなく、自分のペースで取り組めて成長を実感できるものこそを、遊ぶとい
 うのである。上達の実感は、自信になる。まだまだ自分には伸びしろがあると気づける
 ことは、遊びを離れ、仕事にもいい影響を与える。
・趣味は上達・成長・蓄積を楽しむものであるから、あまり急速に上手くなる必要はない。
 それに、上手くならねばならないと思ってしまうと、とたんにつまらなく苦行と化すの
 で、そういった考えも捨てたほうがいい。趣味は究めてはならないのである。
・私がマイクロソフトの社長を辞めたのも、経営に飽きたからだった。もちろん決断する
 までには、その仕事にハマっていたし、ほかの仕事をすることなど考えもしなかった。
 しかし、ハマり過ぎたせいで、飽きたのだ。
・資金面で言えば、歓楽型の趣味は要注意である。カラオケ、飲酒、ギャンブルなどに過
 度にのめり込むことは、身を持ち崩す可能性が高いことをよくよく自覚しなくてはなら
 ない。  
・また体力面で言えば、激しい運動を趣味にしている人は、若いうちはいいかもしれない
 が、その反動がある程度の年齢になってから出てくる可能性があることを、頭に入れて
 おくべきだ。    
・私の場合、目下のところは、プラモデル、歌舞伎見物、スナップ写真撮影、ドライブ、
 絵を飾る、ゴルフなどの遊びをしている。
・同じものを見ても、その人がどんなバックグラウンドを持っているか、何に関心がある
 かで、目に入ってくるものが異なるのである。これはつまり、関心事が多い人ほど、同
 じものを見ても得られるインプットが多いということだ。
・街を歩いていても、本を読んでいても、テレビを見ていても、関心を持っている対象が
 多ければ多いほど、つまり、広く浅くであればあるほど、自然とインプットが増える。
・インプットが増えれば、また新し関心事が生まれ、興味の対象が広がる。正のスパイラ
 ルは、広く浅く遊ぶことで生まれるのだ。
・株価は必ず上下する。上がれば嬉しいし下がれば悲しくなるのが普通だろう。下がった
 ことを悲観して売ってしまう人もいるが、その後、上がるかもしれないのにもったいな
 い話である。その株を、下がったら価値のないものと考えていると、こういうことが起
 こる。しかし、株を持つという行為を、好きな遊びを支えてくれる会社を応援する行為
 に置き換えてみたらどうか。すると、下がったときほど応援したくなり、その結果、あ
 とで上がったときにいい思いができる。
     
成毛流・新しい遊びの始め方
・初めから本の代わりにネットで情報収集するのは、あまりおすすめできない。なぜなら、
 ネットには情報が膨大にあり過ぎるからだ。まずはどこから読んだらいいのかがわかり
 にくいのである。ネットで知識を得るは、本を読んでおくと効率が格段に上がる。
・趣味が何かと聞かれれば、「読書」と答えていた時代が長い。これまでの人生で最も時
 間を費やした遊びは読書であり、それは今後も変わらないと思う。私にとって読書は、
 それほど身近な存在だ。ただし、読書は遊び。勉強のつもりで読書をしたことはない。
・読書は、最高にコストパフォーマンスの高い遊びだ。図書館を使えば出費はゼロ、本を
 買ったとしても、その一冊でどれだけの時間を楽しめるだろうか。  
・日頃、何となくやっていること、好きなことを自分の趣味だと思うと、それだけで見方
 が変わってくる。背徳感がなくなるのだ。「こんな無駄なこと」「こんなことに時間を
 使って」などといったネガティブな思考が、消えてなくなる。なぜなら、役に立たない
 無駄なことに時間を費やすのが遊びというものだからである。
・読書、映画鑑賞、料理、旅行などといった履歴書の趣味欄によく書かれがちな趣味につ
 いては、細分化してみることをすすめたい。目的は、趣味に際立つ名称をつけることだ。
・もちろん、やっていないことを趣味とするのには無理があるが、そういった視点で周囲
 を見てみると、世の中にはじつに多彩な趣味があることや、自分は意外と多趣味である
 ことも見えてくる。  

ずらせばずらすほど遊びは面白い
・人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。普通と言われる人生を送る人間なんて、
 一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ。普通の人などいないし、普通
 を目指す必要もない。
・世の中をあっと言わせるアイデアは、突飛なきっかけで生まれることが多い。ただし、
 ゼロからは生まれない。すべてのものは、何かと何かの組み合わせによって誕生するか
 らだ。そこで生まれるアイデアの希少性、革新性は、何と何を掛け合わせるかによって
 決まる。 
・本同時に10冊読めと主張し、そのものずばりのタイトルまで書いているのは、意外な
 組み合わせからアイデアを得るためでもある。誰も思いつかないようなコラボレーショ
 ンを得るために、わざとバラバラなものに関心を振り分けるのである。
・何かをとことん楽しむなら、ほかの何かについてはとことん捨てる。お金の使い方につ
 いても”平均的”から離れることが、人生を遊ぶコツである。
・食べ歩きは東京圏ならではの遊びでもある。東京圏以外の多くの地域では歩いて回るほ
 ど飲食店がないからだ。私が生まれ育った、人口約190万人の札幌ですら、それを趣
 味とするのはなかなか難しいと思う。  
・食べ歩きは東京圏ならではの遊びだが、ほかにも、地方では難しいのではないかと思わ
 れるものがある。それは観劇だ。歌舞伎なら京都、福岡、名古屋で定期公演があるが、
 一般的な演劇は東京だけということが多いし、オペラもそうだ。美術展なども東京だけ
 ということが多い。東京の人は案外、この恵まれた環境に気づいていないが、せっかく
 東京に住んでいるなら、こういった遊びに積極的になればいいと思う。
・一方、地方ならではの遊びもある。まず、車だ。東京圏では駐車場を持ちにくいので車
 も持ちにくい。ゴルフも、地方のほうがプレイ環境に恵まれている。
・最近はテレビを馬鹿にしてみない人が多いようだが、もったいないことだと思う。なぜ
 ならテレビは情報だけでなく、遊びの宝庫だからだ。他人の遊びをのぞき見るのにうっ
 てつけのツールが、テレビである。
・遊び探しにはもう一つ、うってつけのものがある。それは、旅だ。旅に出ると、見える
 景色が変わる。接する人が変わる。寝る場所が変わり食べるものも変わる。これだけい
 ろいろなものが変わって、行った人間が何も変わらないはずがない。何にも興味を持た
 ないはずがない。   

誰かに語るまでが遊びである
・アウトプットが前提だと、インプットの質が高まる。書評を書こうと思っていると、疑
 問を残さないように読み込むとか、気に入ったフレーズのページに付箋を貼るとかいっ
 た工夫をするようになるので、漫然と楽しむ読書とは違う読み方ができる。仮に書評を
 書かなくても、書くつもりになって読んだ本の内容はよく理解できることが多い。
・まず小さな遊びでもいい。あの遊びならあの人、または、ちょっと変わった遊び、粋な
 遊びならあの人といった具合である。
  
おわりに
・日本人がまるで遊ばなかった時代がある。第二次世界大戦中だ。開戦当初は中国大陸に
 いる兵士のためにと、紙製の将棋などを入れた慰安袋を送る余裕もあったが、戦況が悪
 くなるとそれも止まり、政府は国内で遊び道具をつくることに制限を設け、事実上マー
 ジャン荘やビリヤード場の営業を禁じた。
・その時代に比べると、今はどんな遊びでもできる。その人が遊ぶとさえ決めればいくら
 でも遊べる現代は、じつにいい時代である。