大人のための勉強法 :和田秀樹

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本のタイトルに惹かれで読んでみたが、正直いって内容は私の期待したものとはだいぶ違
っていた。本書はまさに勉強方法、つまりテクニックについて書かれている。読者として
の対象は、大人といっても、中高年ではなく若者であるらしい。私は、もっと年齢の高い
大人は、大人としての成熟度を上げるために、こんな勉強をしたほうがいい、というよう
な内容を期待していたので、ちょっとがっかりな内容であった。
それはともかくとして、人間、一生が勉強である。年を重ねてきたからと言って、世の中
のことをすべて知っているわけではない。いや、知らないことが多すぎる。定年となり第
一線から退いて後でも、自分の関心事について、少年のような好奇心を持って、コツコツ
と調べて知識を深めていきたいものだ。また、自由時間がたっぷりある定年後であるから
こそ、そういう時間を多く持つことが可能ともなる。そして、それが残された時間を有意
義に過ごすひとつの方法でもあると思う。


同じ方法で勉強していても「差」がつく理由
・勉強の成果には、二段階ある。第一段階としては、学んだものを知識化して、ある能力
 や資格を得たり、物知りになったりすることが挙げられる。しかし、第二段階で必要と
 されるのは、これからの世の中で求められる頭のよさを身につけることである。
・情報というものは知識化されていないときわめて使いづらいし、自分の知識にもなりに
 くい。そして、知識化された情報に出会うためには、他人のお世話になるのがいちばん
 ということになる。情報が知識化されていると、受け売りではなく他人にわかりやすく
 説明することが可能なので、そういう人が書いた入門書にアクセスするという方法もあ
 る。しかしわからなければよりレベルを落としてもらえるし、さらに知りたければ、も
 っと深い情報が得られるという点では、知識化された情報をもつ「人」にはなかなか勝
 てない。 
・現時点では抑うつや不安が強くて、まともなアイデアも出ないし、問題解決につながら
 ないのであれば、ある程度その状況が改善されるまでは、その問題を他人に任せたり、
 代わりにやってもらう。これも一種の他人を利用した頭のよさである。
・不安そのものを取り除いたり、解決しようとするのではなく、不安があってもそれに囚
 われずに目の前の課題に取り組めるようにする。人間であり以上は不安になるのは当た
 り前のことだ。直すべくは不安になることではなくて、それに囚われることで不安が余
 計にひどくなる悪循環である。 

勉強生活をプロデュースする
・過去勉強ができなかったからといって、それに必要以上のコンプレックスを感じたり、
 自分がだめだと決めてかかるべきでもないと考えている。現在の問題に対処できる問題
 解決能力が身につけられれば、過去がどんなに悪くても、少なくても今以上の能力は必
 ず発揮できるはずなのである。
・自分を信じるということは、やればできるはずだと信じるだけではない。これまでの自
 分の勉強のやり方だって、自分に合っていると思えるものや、自分で気に入っている部
 分は、それを信じて残してよい。

勉強の「やる気」を維持する
・アメリカは昔から学力エリートを徹底的に優遇するが、最近になってブルーカラーと知
 的エリートの賃金格差はどんどん開いている。お隣の韓国でも、高卒と大卒の初任給の
 差は三倍ともいわれている。また結婚でも大卒が圧倒的に有利という事情もあって、大
 学受験熱は高まる一方である。 
・大人の勉強は、自分を豊かにし、楽しんでするのは理想であるし、実現も子供の勉強と
 比べて容易だろう。しかし、勉強が続かない時、楽しくない時、やりたくないがやらざ
 るを得ない時には、自分に対するアメとムチを用意したほうがうまくいく。

勉強のマイナスを減らすテクニック
・医学部時代の私の実感でも、教授になってから勉強をしない、あるいは新たな研究をし
 ない人は多い。雑務に追われてという事情もあるのだろうが、教授いなるまでは、もの
 すごい研究業績を残していた人が教授になったとたんにひとつも論文を書かないなどと
 いうことはよくある話だ。 
・もとの知的レベルが大変優秀で、またその中での競争にも勝ち抜き、かつ勉強や研究が
 大好きだという大学教授の多く、そのシンボルともいえる東大教授までが、教授になる
 と勉強をしなくなり、頭が悪くなるのだとすると、この大学教授という地位に人間の頭
 を悪くさせる強力なマイナスの要素が隠れていることじゃ十分あり得ることだ。
・一つには、大学教授というのが、ある種の「上がり」のポストであるということがある。
 一度大学教授になれば、それ以上、上のポストはないし、また日本のシステムでは、出
 来が悪くても、教授になってから業績を上げなくても、助教授に降格されることはない。
 もちろん、刑事事件でも起こさない限りクビになることはない。つまり、それ以上、上
 げることも下がることもないポストである。 
・問題は、それに対する世間の評価である。最も勉強の動機がもちづらい一流大学の教授
 が、勉強をしなくても、その肩書きだけで世間から高い評価を受けてしまうのである。
 彼らがいくら新しいことを知らなくて昔勉強したことをもとに話をしても、それを信じ
 てしまう。あるいは、その肩書きによって審議会の委員となり、国の政策が委ねられて
 しまうのだ。
・彼らは勉強をしても報酬はないし、しなくても罰を受けない。また、勉強をしなくても
 自尊感情が満たされる。そして、勉強より、教授仲間との飲み会やパーティのほうが、
 ハイソサエティの仲間入りをした気分になれて関係志向も満たされてしまう。むしろ教
 授になってからもこつこつと研究を続けているほうが友達を作りにくいぐらいだろう。
 かくして、勉強に対する外的動機はまったく閉ざされた状況になる。
・同様のことは官僚についてもいえる。高級官僚たちは、教授と比べれば競争にされされ
 るかもしれないが、国家公務員一種の試験に受かってしまえば、身分は保証されるし、
 肩書きによって周囲からはチヤホヤされる。私の見る範囲でも、二十代は優秀だった官
 僚が年を重ねるごとに不遜になっていき、勉強より接待や政治家との付き合いを大切に
 するようになってくる。官僚がだめなのは、東大に入るまでの教育が悪いからではなく、
 その後の環境が悪いからだと私は思っている。現に同じように東大を卒業しても民間に
 進んだ人間は、年を重ねるごとに対人関係もよくなるし、話も興味深いものになる。
・もう一つ大きな問題は、特に一流といわれる大学の教授になると、「自分は頭がいいの
 だ」と思い込んでしまう落とし穴があるということである。私が問題にする「自分が頭
 がいいのだ」と思い込んでしまう落とし穴というのは、現時点で自分が頭がいい、有能
 であると思い込む弊害である。もし現在の自分が十分頭がいい、有能であると思い込ん
 でいるのなら、そこから自分を充実させようとか、もっと知力を鍛えようという内的動
 機のほうもそがれてしまうのだろう。
・私自身の人生観として、「自分のことを頭がいいと思った時点で発達が止まる」という
 のがある。自分が賢いと思い込んでしまうと、それ以上の努力をしなくなる上に、人の
 話を聞けなくなるからだ。まだまだ成長したい、世の中には自分より賢い人間が大勢い
 るのでなるべくそお人から何かを吸収しようと思えないと、本当に知的な成長は止まっ
 てしまうだろう。   
・私自身も、肩書きの魔力に酔って、成長が止まるどことか、より愚かになる例を何人も
 見ている。助教授時代は、本当に外国の文献もよく勉強しているし、考察も鋭いと注目
 していた学者が、教授になったとたんに、ろくに文献を引用せずに、思いつくとしかい
 いようのないことをさも自明のことのように語ることがある。あたかも自分がその世界
 の権威であって、自分のいうこと自体が真理なので引用の必要がないというふうに、書
 くことや発言の質ががらりと変わることは珍しくないのだ。
・権威の魔力というのは不思議なもので、守備範囲の外のことも平気で引き受けてしまう。
 しかも不勉強を平気で晒しだしてしまうのである。自分が安泰の高い地位にいることや、
 自分が頭がよいとか、何でもできると思い込むこと、つまり偉くなることは、優秀な学
 者はもちろん、凡人の「頭のよさ」にとってもマイナス要素である。いちばん大切なの
 は、自分自身が自分の肩書きにだまされないというメタ認知能力をもつことだろう。
・どんなポジションにいても、常に進歩したい、さらに頭がよくなりたいという貪欲さが、
 自らの頭のよさを保つことにつながり、また他人にも謙虚になれるということは、単な
 るテクニックをこえた人生訓である。